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はじめに フリッツ・ラング(Fritz Lang 1890-1976)の『メトロポリス』(Metropolis, 1927)は,来都市舞台多種多様なモチーフをった映画作品である。本国ドイツとアメリカな どの欧米諸国では 1927 公開され,においては 2 年後1929 昭和 4 4 東京をはじめ全国主要都市松竹座チェーンにて封切えている。 初公開から 80 年以上経過する現在において,本作品はラングの代表作としてだけでは なくロベルト・ヴィーネ(Robert Wiene 1872-1938の『カリガリ博士』(Das Kabinett des Doktor Caligari, 1920び,大衆文化花開いた「黄金」の 20 年代代名詞としてられて,「SF 映画金字塔」あるいは「表現主義最高傑作」としてワイマール代表映画作品としての評価定着している。これらの評価は,戦前批評て,戦後映画 評論家のロッテ・アイスナー(Lotte H. Eisner 1896-1983)と社会学者ジークフリート・ク ラカウアー(Siegfried Kracauer 1889-1966によるワイマール映画作品再考するみ, 50 年代末からまるヌーヴェル・ヴァーグの旗手であるジャン・リュック・ゴダール(Jean- LucGodard 1930-)などによる監督ラングの再評価70 年代後半からのオマージュ的作品群 出現 180 年代のジョージ・モロダー(Giorgio Moroder 1940-)の再編集などによりされ今日っている。また,近年では,映画史家のトーマス・エルセッサー(Thomas Elsaesser 1943-著作『メトロポリス』(METROPOLIS, 2000)において,ラングの当時であり,原作脚本担当したテア・フォン・ハルブー(Thea von Harbou 1888-1954)の シナリオやそれにづく世界観する従来批評して,多角的視野づき,作中モチーフについて独自分析提示し,本作品たな解釈可能性展開している 2本作品研究は,これまで多方面からの文化的歴史的アプローチにより多岐び,そ れらのくは物語解釈映像撮影技術焦点てている。従来研究欧米諸国動向 主流であり,そので,同時代における本作品受容する学術的なアプロー チは国内外においても皆無しい 3。ラングにする研究やワイマールむドイツ画史研究広範かつ多彩ではあるが,日本・ドイツ両国における相互映画作品受容23 日本における『メトロポリス』(1927 )の 評価に関する一考察 山 本 知 佳

日本における『メトロポリス』(1927)の 評価に …ラカウアー(Siegfried Kracauer 1889-1966) によるワイマール期の映画作品を再考する試み,50

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  • はじめに

    フリッツ・ラング(Fritz Lang 1890-1976)の『メトロポリス』(Metropolis, 1927)は,未来都市を舞台に多種多様なモチーフを取り扱った映画作品である。本国ドイツとアメリカなどの欧米諸国では 1927年に公開され,我が国においては 2年後の 1929年(昭和 4年)4月に東京をはじめ全国主要都市の主に松竹座チェーンにて封切を迎えている。初公開から 80年以上経過する現在において,本作品はラングの代表作としてだけでは

    なくロベルト・ヴィーネ(Robert Wiene 1872-1938) の『カリガリ博士』(Das Kabinett des Doktor Caligari, 1920) と並び,大衆文化が花開いた「黄金」の 20年代の代名詞として用いられて,「SF映画の金字塔」あるいは「表現主義の最高傑作」としてワイマール期を代表する映画作品としての評価が定着している。これらの評価は,戦前の批評を経て,戦後映画評論家のロッテ・アイスナー(Lotte H. Eisner 1896-1983)と社会学者ジークフリート・クラカウアー(Siegfried Kracauer 1889-1966) によるワイマール期の映画作品を再考する試み,50年代末から始まるヌーヴェル・ヴァーグの旗手であるジャン・リュック・ゴダール(Jean-LucGodard 1930-)などによる監督ラングの再評価,70年代後半からのオマージュ的作品群の出現 1),80年代のジョージ・モロダー(Giorgio Moroder 1940-)の再編集などにより形成され今日に至っている。また,近年では,映画史家のトーマス・エルセッサー(Thomas Elsaesser 1943-) が著作『メトロポリス』(METROPOLIS, 2000)において,ラングの当時の妻であり,原作と脚本を担当したテア・フォン・ハルブー(Thea von Harbou 1888-1954)のシナリオやそれに基づく世界観に関する従来の批評に対して,多角的視野に基づき,作中のモチーフについて独自の分析を提示し,本作品の新たな解釈の可能性を展開している 2)。本作品の研究は,これまで多方面からの文化的・歴史的アプローチにより多岐に及び,そ

    れらの多くは物語解釈や映像・撮影技術に焦点を当てている。従来の研究は欧米諸国の動向が主流であり,その中で,同時代の我が国における本作品の受容に関する学術的なアプローチは国内外においても皆無に等しい 3)。ラングに関する研究やワイマール期を含むドイツ映画史研究は広範かつ多彩ではあるが,日本・ドイツ両国における相互の映画作品の受容を対

    23

    日本における『メトロポリス』(1927)の

    評価に関する一考察

    山 本 知 佳

  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    象とする研究は活発とは言い難い。この状況に鑑み,映画作品を通して,大衆消費社会の影響下に置かれた 1920年代後半の両国の文化状況や社会背景及び文化面における両国の相互関係を認識する為の手掛かりの一つとして,一時代の象徴とされ,両国において「大作」として迎えられた本作品を取り上げたい。作品受容の全体像を理解する前提としての,作品の輸入に関する経緯,国内上映版の内容,宣伝と上映の形態と経過に関する考察は個別に機会を設け,本稿においては,批評の分析にのみ集中する。またこれに関連して,日本・ドイツ両国及び世界各国の当時の上映に際し使用された映画

    本編に関して留意すべき点を確認しておくことがある。それは,Ⅰ章,Ⅱ章で取り上げる批

    評のもととなる上映本編の差異についてである。本来 3時間以上のドイツ・オリジナル版

    はもちろん,その後アメリカ公開のための修正版,アメリカから輸入され当時の検閲を経て

    上映された日本版とのそれぞれ差異が存在する。日本版は『キネマ旬報』によれば「アメリ

    カ版であって,チャニング・ポロック氏によって改修短縮せられたもの 4)」として紹介され

    ている。そのため,作品を通底する思想やあらすじは共通しているが完全に同一の本編では

    ないという前提を,批評の分析に当たる際には考慮する必要があると思われる。

    本稿の目的は,我が国において本作品が当時いかに批評されたか,そしてその際にはそれ

    らの論点はどのようなものであったのかを把握することである。まずはじめに,Ⅰ章では,

    本国ドイツとアメリカにおける主な批評を確認し,それらの論点を示す。Ⅱ章では,我が国

    における主な批評を取り上げ,Ⅰ章と同様にそれらの論点を示す。Ⅲ章では,Ⅰ章で明らか

    にしたドイツとアメリカの批評の論点と,Ⅱ章で明らかにした我が国の批評の論点の類似点・

    相違点を検証した上で,我が国の批評の特徴を明確にすることを試みる。

    検討対象とする批評は,本作品の上映が全国規模であるため,映画専門誌以外にも全国紙

    や各地方の主要新聞各紙,映画館の館報,大衆雑誌においても「映画紹介」や「コラム」な

    どの形態を取り散見されるが,本稿においては,その専門性を重視することから当時主要で

    あった映画雑誌・主要新聞に掲載された批評や映画評論家の発言のみを対象とする。またそ

    の他の批評は,これらと重複する点が多いことから今回は対象に含めない。

    Ⅰ.ドイツとアメリカにおける主な批評

    本国ドイツとアメリカで展開された主な批評を取り上げる前に,ここで本作品の簡単なあらすじを述べる。映画本編に関して先に述べたように,ドイツ・オリジナル版と政治的・興行的理由で不適切と判断され処分されたアメリカ公開の修正版が存在し,それはオリジナル版と比べ欠落箇所が多数点在するが,おおまかなプロットや結末などは変更されていないと考えられるので,以下は大体の要約となる。

    西暦 20XX年,未来都市「メトロポリス」は,地上を支配する資本家階級と地下に暮ら

    24

  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    す労働者階級の完全な二極化のもとにあった。日々過酷な労働に駆り立てられる人々は蜂起を企てる。これに対して,労働者階級の少女マリアは「頭脳と手の間の媒介者は心でなければなければならない MITTLER ZWISCHEN HIRN UND HÄNDEN MUSS DAS HERZ SEIN 」と説き,彼女に恋する資本家の息子フレーダーを仲介として迎え,労使問題の解決を図ろうとする。一方フレーダーの父親である資本家のフレーダーセンはマリアに似せた人造人間を用いて労働者の団結を防ごうとする。しかしフレーダーセンの意に反し,人造人間は労働者の暴動を扇動し,地下世界を崩壊させ地上世界の混乱を招く。これらを経てそれぞれの過ちを悔いた両者はフレーダーを仲介者として歩み寄りをはじめる 5)。

    本作品は,本国ドイツでは 1927年 1月 10日にベルリンにおいて,またアメリカでは同年3月 5日にニューヨークにおいてプレミア上映を迎えている。ドイツとアメリカの批評として,ここでは主に当時ドイツ国内で影響力のあった映画雑誌(1)『リヒト・ビルト・ビューネ』(Licht Bild Bühne)誌,(2)『フィルム・クリエ』(FilmKurier)誌,(3)『ディー・フィルムボッヘ』(DIE FILMWOCHE)誌,多彩な事柄を扱った(4)『ベルリナー・ベルゼン・クリエ』(Berliner Börsen-Courier)誌を対象とする。またアメリカのものは,(5)『ニューヨークタイムズ・マガジン』(The New York Times Magazine)誌の当時すでに「SFの父」として著名であったハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells 1866-1946)の批評を取り上げ,これらが示した論点をまとめる。

    (1)  『リヒト・ビルト・ビューネ』(Licht Bild Bühne,11. Januar 1927)

    1面で当時の首相ヴィルヘルム・マルクスWilhelm Marx (1863-1946) や多くの大臣をはじめとする,政財界の重鎮達や芸術や学問に携わる知識人など各界著名人を招いた前夜のプレミア上映の様子を伝え,2面では『映画批評』(FILMBESPRECHUNG)として,批評を展開している。内容としては,監督ラングへの賛辞,本作品の規模と技術の表現において比肩するものはないと断言し,ドイツの技術の才気の出現に対してアメリカ映画ですらその輝きを失うと述べている 6)。そしてマリアを演じ,強烈な印象を残したブリギッテ・ヘルム(Brigitte Helm 1906-1996)など主要登場人物への賞賛も記載されている。以下はその記述である。

    ある時は聖なる乙女であり,またある時はバビロニアの大淫婦であるマリアという人物によって映画の中心は構成されている。(中略) 最低限の外見上の変化もなしに,ブリギッテ・ヘルムが,純潔の処女と慎みのない妖婦を真実らしく見せたように,二人の完全に異なった人物を演じることは,特別な技巧のいる芸である。これは大変な演技上の成果である。(中略) 彼女が突然衣類を捲り上げ,ガーターベルトを貪欲で挑発され

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    た好色家達の群れの中へ放り投げたその身振りや表情を,人々は忘れることはないだろう! 7)  (下線部・引用者)

    ハルブーの脚本に関しては,脚本が強調した全ての事柄が失敗しているが,それを補うかのような神秘的な力があるとして,従来の映画批評の様にこの脚本を評価することは不可能であると明言を避けている。また批評担当者は箇所にイニシャルで「E.S.P」とあるのみで不明である。

    (2) 『フィルム・クリエ』(FilmKurier,11. Januar 1927)

    映画評論家で脚本家でもあったヴィリー・ハース(Willy Haas 1891-1973)が批評を担当している。ハースも『リヒト・ビルト・ビューネ』誌と同様に監督ラングとハルブーの 1年半にも及ぶ製作に従事した超人的な能力と忍耐力への賛辞を述べている 8)。映像美,そしてアメリカ映画のカメラ技術を凌駕するものとして撮影技術,特に技術的完成度や映像構成を非常に評価している。これに関連して,特にカメラマンであったカール・フロイント(Karl Freund 1890-1969)とギュンター・リッタウ(Günter Rittau 1893-1971)については,マリア

    のカタコンベでの逃走シーンやフレーダーが失神するシーン,メトロポリスの幻想的な全景を映し出すシーンなどにおいて卓越した働きに最大の敬意を示している。脚本に関しては,それぞれ微量ではあるが,キリスト教,社会主義,ニーチェ主義などの

    一見して一貫性のない諸モチーフが作中に散見される点を取り上げている。ハースはこれを,様々な観客の嗜好に配慮するために当たり障りのない無難な作品として製作される「大作映画」の傾向として捉え,そのため内容が貧困で演出過多であるかのような印象を与えやすく批判の的になりやすいと指摘している。しかしながら,「大作映画」の傾向に因るものであるとしても,作中のモチーフ(中世の教会と空想的な未来都市など)の組み合わせは,一般的な様式美を持ち合わせたハース自身を含む教養のある人間には理解の範疇を超える我慢のならないことだと断言している。そして脚本の問題点を以下のように結論付けている。

    重ねて謝罪はいたしますが,まさしく,上流階級のご婦人の夢想に過ぎないのです。それは生きるということの苦しみや喜び,真の憂い,真の渇望,我々の生活の真に差し迫った問題などは取り扱う気のないおきまりのジャンルなのです 9)。(下線部・引用者)

    (3) 『ディー・フィルムボッヘ』(Die Filmwoche,19. Januar 1927)

    批評家であったパウル・イッケス(Paul Ickes)は「百年後の未来」という設定に関して,社会学的,衛生学的観点から異議を唱え,1927年の現在の社会よりも退化していると指摘している 10)。またこれに関連して,作中の「人造人間」や「七つの大罪」,「五芒星」などの個々のモチーフの混在を取り上げ,未来都市を舞台とする設定の非現実性を批判的に捉えている。

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    特に批判が向けられているのは,本作品の原案となったハルブーの小説と脚本であり,最も幻滅するものとして以下のように述べている。

    心から確信していますが,小説の空虚さは(本当に小説は何も心に響かず,月並みな中身のない言葉で埋め尽くされているのです!) この貧弱な役者を通して再び人間性を失わせているのです 11)。(下線部・引用者)

    この批判は,ハルブーだけではなく,演出をしたラングにも向けられている。イッケスは,作中の非常に多くの映像は素晴らしく,それを支える技術は卓越していると賞賛はしているが,それ以上にラングの物語よりも「迫力ある描写」に対する執着心がラング本人と本作品の災難であるとして,以下のように述べている。

    もっと分別のある(そして力強い)人間の理性に思いを寄せてください。親愛なるラングさん,個々の映像に固執しないでください! 12)

    イッケスは,このラングの映像のみを重視する傾向が,彼の初期の傑作とされる『死神の谷(旧題・死滅の谷)』(Der müde Tod, 1921) ,『ニーベルンゲン・ジークフリート /クリームヒルトの復讐』(Die Nibelungen: Siegfried/ Kriemhilds Rache, 1924)においても現れているとし,本作品ではその性質が最大限に発揮されてしまったと指摘している 13)。

    (4) 『ベルリナー・ベルゼン・クリエ』(Berliner Börsen-Courier, 11. Januar 1927)

    劇作家であり評論家でもあったヘルベルト・イェーリング(Herber Ihering 1888-1977)は以下のように述べている。

    ハルブーは馬鹿げたプロットを思いつくものだ。シナリオは馬鹿げたロマンチシズムに満ち溢れていて,演技も仰々しく鼻につく。労働者と経営者との関係は映画的であり,現実的な問題を非常に俗悪に貶めている。この映画は稀に見る駄作と言わざるをえない 14)。(下線引用者)

    イェーリングの主張は,上記 3誌の批評よりも明快で簡潔である。作中における個々の要素には魅了されたと認めているが,結論としては,「イデオロギーなしのイデオロギー映画」「完全な失敗作」と酷評している。本作品の「失敗」の原因としてハース同様に,「大作」映画としての製作とハルブーの脚本を挙げている 15)。

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    (5) 『ニューヨークタイムズ・マガジン』(The New York Times Magazine,4 April 1927)

    『タイム・マシン』(The Time Maschine 1896)や『宇宙戦争』(The War of the Worlds 1898)で知られるハーバート・ジョージ・ウェルズは「Mr. Wells Reviews a Current Film 」という主題で以下のように述べている。

    私は最近あらゆる映画の中で一番陳腐でくだらない映画を観てしまった。この作品以上にくだらない映画が存在するとは考えられない。その作品は『メトロポリス』といって,かの偉大なウーファが莫大な資金を投入して制作したというのだが,物語自体感傷主義丸出しの極めて馬鹿げた映画である 16)。(下線部・引用者)

    ウェルズは先に紹介したイェーリング以上の批判を,語調を強め展開させている。加えて

    全体的な芸術的革新性のなさ,陳腐なシナリオ,全く未来都市を表現していないとするセッ

    ト,上部と下部とに分けられる安直な社会構造等に言及し,ドイツ映画に絶望したと酷評し

    ている 17)。

    以上(1)から(5)がドイツ・アメリカの主な批評である。これらの論点として主に次の4点を挙げる。1点は映像等の技術面に関するもの,1点は俳優に関するもの,残り 2点はプロットと主題の脚本面に関するものである。

    1点目は,(1)と(2)において示された躍動感溢れる圧倒的な映像美・撮影技術への評価である。具体的には,幻想的な都市全景,人間とロボットの融合場面,登場人物の心理状態の描写,などが取り上げられている。

    2点目は,(1)と(3),(4)において取り上げられた俳優の演技への評価である。これは賛否が入り混じっている。(1)においては特に映画初出演で一人二役を演じたブリギッテ・ヘルムの怪演について,「特別な技巧のいる芸」「大変な演技上の成果」と好意的に評価されているが, (3)においてはヘルムを含めた全体の俳優の演技を指し,「この貧弱な役者を通して再び人間性を失わせている」と,(4)においては「演技も仰々しく鼻につく」ものとして,批評家によっては演技や演出に対して対照的な評価を下されている。

    3点目は,未来世界とその社会構造の設定への批判である。主に(3)と(5)の主張であるが,撮影当時 1926年頃から 100年後という設定にもかかわらず,都市と労働の形態において現在よりも退化していると述べ,作中に登場する未来世界の諸産物とされるロボットを含む機械文明,産業社会に対する基本的知識,過去や未来の社会問題や人権問題の認識不足を指摘している。

    4点目は,「頭脳と手の間の媒介者は心でなければならない」という思想を基調とする,資本家と労働者の和解を描く主題への批判である。これに関して,(1)においては詳細ではないが,脚本が強調した全ての事柄の失敗について触れている。(2)においては「上流階級

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    のご婦人の夢想」として,(3)においては「小説の空虚さ」として,4)においては「馬鹿げたプロット」として,「馬鹿げたロマンチシズム」として,(5)では全面的な否定として示されており,それぞれの見解からこの主題に対する批判の類似点を見出すことができる。作中の物語において主軸となるのは邂逅と別離を繰り返す資本家の息子と労働者の娘のメ

    ロドラマ性の濃い関係性であり,それらが導き出すのは「愛による救済・和解」の主題である。労働者の娘との「愛」に目覚めた資本家の息子が幾度となく危機的状況を突破し,恋愛の成就をみることによって作中の労使対立は解決に向かうプロットである。実際的問題であった政治的に繊細な労使問題の脚本への導入,及びあまりにも空想的で極めて安易と思われた解決法の提示は,経済的に相対的安定期を迎えたといわれる 20年代半ばにおいても,失業者は溢れ,労使対立は看過出来ない問題であったであろう社会にとって,(4)においては「現実的な問題を非常に俗悪に貶めている」として,(5)においては「物語自体感傷主義丸出しの極めて馬鹿げた映画」と示されている。本作品が労働者の暴挙の末の自滅及び団体交渉ならぬ「和解」を申し出る様子を描いたように思われたことは,左右両派の感情を不用意に刺激し,特に右派からは共産主義の助長を危惧するとの批判を受ける要因ともなった。このように本章においては本作品の批評から撮影技術と脚本に関する 4つの論点を取り上

    げ確認した。次章においては我が国での批評を取り上げ,その中心的議論を提示する。

    Ⅱ.日本における批評

    本稿の冒頭でも述べたように,我が国では本国ドイツとアメリカでの上映から約 2年後の1929年(昭和 4年)4月 3日に東京をはじめ横浜・名古屋・京都・大阪など全国主要都市の主に松竹座チェーンにて封切を迎えている。上映に使用されたのはアメリカでの上映に際して,興行的・政治的理由により「改修短縮」され,国内での検閲を通過したものである。上映に先駆けて『キネマ旬報』誌上では大々的に宣伝活動が行われており,上映の約 2週間前に「陽春映畫戰の火葢は「鐵假面」と「メトロポリス」の二大映画で切られる歐洲と米國の興味ある戰」のタイトルで以下の記事を掲載している。

    陽春四月の東京映畫戰は,先づ松竹座,邦樂座の「メトロポリス」に對して電氣館,武藏野館の「鐵假面」を以つて火葢が切られることになった。これよりさき,「メトロポリス」は,「ジークフリート」「クリームヒルトの復讐」等の巨作に依つて有名なるフリッツ・ラングとテア・フォン・ハルボウの夫妻協力作品,而もウーファー社が社運を賭したとさへ云はれてゐる大掛りなもの,外國映畫興行界を獨占の形勢にある松竹座が輸入部設置して第一回の提供,ファンの期待も大きく,宣傳をさをさ怠りなく,四月三日封切は最初から聲明。而もロングランを打つといふ噂さが立つてゐた矢先,ユナイテッド社に突如「鐵假面」が到着し,電氣,武藏野は直ちにこれを以つて「メトロポリス」に對抗,同三日を以つて封切ることに決定した 18)。(下線部・引用者)

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    これによれば,本作品が相当の興奮と緊張を以て我が国での上映を迎えたことが下線部から読み取れる。特に当時我が国においても『奇傑ゾロ』(The Mark of Zorro, 1920)や『ダグラスの海賊』(The Black Pirate, 1926)などによって既に絶大な人気誇っていたダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks 1883-1939)主演の『鐵假面』(The Iron Mask, 1929)が突如ライバルとして登場したことで,タイトルが示す「歐洲」の代表とされた本作品と「米國」との「一騎打ち」の様相を示し注目されたことは,上映に更なる期待と熱狂をもたらしたことは想像に難くない。本章においては,このような状況下の上映前後に映画専門誌である主に『キネマ旬報』や

    『映畫時代』,『映畫評論』,などに掲載された批評を取り上げる。『キネマ旬報』においては(1)内田岐三雄,(2)村上久雄,(3)田村幸彦の批評を,『映画評論』においては(4)關野嘉雄の批評を対象とする。また『映畫評論』には当時有力な批評家であった(5)岩崎昶の評論も掲載されているが,彼の評論は同様に『東京日日新聞』にも掲載されており,その内容がより詳細であることから,『東京日日新聞』を参考にする。前章と同様,それぞれの批評を取り上げ,これらが示したその中心的議論を提示し論点をまとめる。

    (1) 内田岐三雄 (『キネマ旬報』第 324号 昭和 4年 3月 11日)

    映画批評家であった内田は,ラングを性質とその規模においてドイツ最大の監督として挙げ,『ドクトル・マブゼ』(Dr. Mabuse, der Spieler-Ein Bild der Zeit, 1922)などこれまでの業績に触れている。本作品に関しては,詳細なあらすじと登場人物の資本家階級の息子と労働者階級の娘の「恋」の成就による資本家と労働者の対立の解消を迎えるエンディングについて以下のように述べている。

    簡單なる,そして空想,理想的な,愛による勞資協調の映畫。(中略) 内容如何を氣にせずに,唯,技術的の事にのみ眼を向けたならば,充分に得る所,大なる映畫である事は斷言し得る映畫である 19)。(下線部・引用者)

    本作の主題である「愛による救済・和解」に関しては批判的立場を取っている。技術面に関しては,作中の人造人間を製造する場面などの特殊効果などを評価しているが,それ以外は対象外であるとしている。

    (2) 村上久雄(『キネマ旬報』第 326号 昭和 4年 4月 1日)

    映画評論家であった村上も(1)同様,技術面は高く評価し,以下の様に述べている。

    二十一世紀の世界に於ける勞資協調の物語は・テア・フォン・ハルボウの才筆をその脚

    30

  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    色に覗ふ事は出來たが,所詮は大人のお伽噺,内容的には至つて感銘薄きものではあつたが,その大人の夢の語り具合に至つては唯感嘆するのみであつた。(中略)之を見てラングとそのテクニカル・スタッフに頭を下げない者はあるまい。(中略)空想を寫し,機械を愛し,科學を愛する人々にはこの映畫の魅力は多きい 20)。(下線部・引用者)

    特にラング含めカメラマンのカール・フロイントとギュンター・リッタウ,美術のオットー・フンテなどには賛辞を送っている。未来都市の世界を覆うテクノロジー,その都市を捉えるカメラ・ワークに注目している。主題を含む脚本以外に関しては良好な評価を与えている。また「愛による救済・和解」の主題は,特に批判の対象とはなっていないが,「所詮は大

    人のお伽噺」「内容的には至つて感銘薄きもの」として示され,現実的ではない浅薄で取るに足らないものとして捉えられている。

    (3) 田村幸彦 (『キネマ旬報』第 328号 昭和 4年 4月 21日)

    『キネマ旬報』の創刊者の一人でもあり編集長でもあった田村も上記(1),(2)同様に,技術面は高く評価しているが,「愛による救済・和解」の主題に関しては批判的立場を取り,以下のように述べている。

    ―其の結末が餘りにも子供瞞しで,原作者は資本家の腦と,勞働者の手とを結ぶものは,愛でなければ成らないと叫び,資本家の息子と,勞働者の娘が結婚することによつて,實に簡單 兩者の妥協をつけさせてしまふ。これが此の映畫の致命的缺陷である。但し,技術的に見るとき,この映畫は實に多くのことを吾等に敎へる。フリッツ・ラング一流のマッシーヴな演出。リズムを持つた場面の配置,巧みなセットの設計,大膽な光線,キャメラ・アングル,總ては堂々たる傑作である 21)。(下線部・引用者) 

    田村は,この物語の根幹をなす主題自体を「此の映畫の致命的缺陷」と断言している。そ

    れに反比例するかのように,ラングの演出,個々の美術,照明,カメラなど技術面において

    は傑作と評している。田村は,「映画ファンとしては内容はともかく是非見るべき作品」と

    して推薦している。その他演技に関しては,主演のブリギッテ・ヘルムの妖しい美しさが最

    も印象に残ると述べている 22)。

    (4) 關野嘉雄(『映畫評論』第 6巻 第 5号昭和 4年 5月 1日)

    映画教育運動の先駆者であった關野は,「愛による救済・和解」の主題に関して徹底して

    批判的立場を取り以下の様に述べている。

    『メトロポリス』の内容は實にかくの如く空虚を極めたものである。テーマはあまりに

    31

  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    も使ひふるされた「愛によるめざめ」であり,なまぬるい人道主義がこれを貫き,みえすいたお說教がそこに充滿してゐる。未來への輝きはおろか,今日の現實さへもまるで捉へられてゐない。(中略)『メトロポリス』は要するに,全くなんらの根底をももたない「作りものゝ世界」である。その目的を達するために具へねばならぬもつともらしい装ひさへ,十分には與えられなかった「悪魔の世界」である。呪ふべき存在! 23)(下線部・引用者)

    關野は主題の「社会認識」の不足について示し,この「空虚を極めたもの」として捉えた内容とラング特有の重厚な映像の差異が際立っていると指摘している。映像に関しては,ラングの特に労働者の群の左右対称な構成と黒と白の対比を美的形式と見出し評価しているが,作中でのその過剰な繰り返しについては好意的に捉えてはいない。

    (5) 岩崎昶(「無何有鄕」『東京日日新聞』昭和 4年 4月 8日(月):5)左翼的傾向の強い映画評論家であった岩崎は,本作品を映像(=画)において映画史上の

    「大作品」として認識している。その特徴は「Much and about Nothing」(巨大だが空虚)であり,それらは摩天楼やバベルの塔,機械群などの巨大造形物などの美術に限定されるものではなく,「この映畫全體の出發點」すなわち,脚本に起因するとし,かつて H・G・ウェルズが激しく批判した主題である「未来世界」に関する脚本の認識に対して,ウェルズの批判が演出様式範囲内に留まっているとの見方をしている。また岩崎は,舞台設定の現実味が乏しく,空虚で浅薄なものとして捉え,以下のように述べている。

    致命的なのは,その社會學的認識不足である。作者は紀元二千年つまり今から約七十年後の世界を描いてゐるのであるが,その癖資本主義の將來の見透しとか,階級間の關係の變革とか,さう言つたものに對して完全に無智である。ただ,漠然と「メトロポリス」なる,現實性の缺けた大都會を空想して世界の中心とする。カウツキーのいはゆる超帝國主義者に類似している 24)。下線部・引用者)

    以上(1)から(5)が我が国の主な批評である。これらの論点として主に次の 4点を挙げる。1点は映像等の技術面に関して,1点は俳優の演技及び演出に関して,残り 2点はプロットと主題の脚本面に関するものである。

    1点目は美術セットと撮影技術への評価である。これは(1) においては「内容如何を氣にせずに,唯,技術的の事にのみ眼を向けたならば,充分に得る所,大なる映畫である」として,(2)においては 「之を見てラングとそのテクニカル・スタッフに頭を下げない者はあるまい」として,(3) においては「リズムを持つた場面の配置,巧みなセットの設計,大膽な光線,キャメラ・アングル,總ては堂々たる傑作である」として示されている。具体的には,

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    カール・フロイントとギュンター・リッタウの特殊効果や空想的で迫力あるカメラ・ワーク,オットー・フンテが担当した未来都市の高層ビル群や「バベルの塔」などの舞台セットである。

    2点目は,俳優の演技及び演出への評価である。俳優の演技については,(3)において主演女優であるブリギッテ・ヘルムが印象的だとされている。また演出については,作中至る所で出現する主に地下世界の労働者達で構成される「群衆」の表現が挙げられる。これは(3)においては「フリッツ・ラング一流のマッシーヴな演出」として,(4)においては消極的ではあるが,労働者の群の左右対称な構成と黒と白の対比として示され,程度の差はあるものの,いずれも好意的な評価を得ている。

    3点目は,未来世界と社会構造の設定への批判である。(4)においては「空虚を極めたもの」,「全くなんらの根底をももたない「作りものゝ世界」」として,(5)においては「致命的なのは,その社會學的認識不足」,「資本主義の將來の見透しとか,階級間の關係の變革とか,さう言つたものに對して完全に無智である」「現實性の缺けた大都會」として示されている。

    4点目は,「頭脳と手の間の媒介者は心でなければなければならない」という思想を基調とする,資本家と労働者の和解を描く主題への批判である。指摘の程度の差はあるが,(1)から(5)すべてに言及されている論点である。これは(1)においては「簡單なる,そして空想,理想的な,愛による勞資協調の映畫」,「内容如何を氣にせずに,唯,技術的の事にのみ眼を向けたならば,充分に得る所,大なる映畫である」として,(2)においては「所詮は大人のお伽噺」,「内容的には至つて感銘薄きもの」として,(3)においては「結末が餘りにも子供瞞し」,「此の映畫の致命的缺陷で」として,(4)においては,「なまぬるい人道主義」,「あまりにも使ひふるされた「愛によるめざめ」」,「呪ふべき存在」として,(5)においては「資本主義の將來の見透しとか,階級間の關係の變革とか,さう言つたものに對して完全に無智である」として示されている。このように本章においては我が国における批評から,撮影技術と脚本に関する 4つの論点

    を取り上げて確認した。次章においては,I章で取り上げたドイツ・アメリカの批評の論点と,本章で明らかにした我が国での批評の論点を取り上げて,類似点・相違点を検証し,我が国の批評の特徴を明確にすることを試みる。

    Ⅲ.日本の批評における特徴

    本章では,ドイツ・アメリカと我が国の批評の論点の類似点・相違点を検証し,我が国の批評の特徴を明確にすることを試みる。前章で述べたように,ドイツ・アメリカの批評の主な論点は 4点あり,1点は映像等の技術面に関するもの,1点は俳優と演出に関するもの,残り 2点はプロットと主題の脚本面に関するものであった。我が国においても批評の主な論点はドイツ・アメリカのものと同様に4点であった。そのうち類似点として挙げられるのは,第 1に,ドイツ技術の才気としてアメリカ映画の

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    カメラ技術を凌駕すると評価されたカール・フロイントとギュンター・リッタウの卓越したカメラ・ワーク,オットー・フンテの美術セット,それに関連する圧倒するような映像美を生む映像構成と撮影技術に対して評価した点である。第 2に,未来世界とその社会構造の設定への批判である。現在から 100年後という設定に

    もかかわらず,都市と労働の形態において現在よりも退化している点,作中に登場する未来世界の諸産物とされるロボットを含む機械文明,産業社会に対する基本的知識,過去や未来の社会問題や人権問題の認識不足が著しく,空虚で浅薄であるとした点である。第 3に,「頭脳と手の間の媒介者は心でなければなければならない」という思想を基調と

    する,資本家と労働者の和解を描く「愛による救済・和解」の主題に対する批判である。現実的問題として存在した労使問題の解決に極めて空想的な方法の採用,すなわち,全てを「愛」によって収斂させるその構想を批判した点である。相違点として挙げられるのは,俳優と演出の評価に関する点である。確かに,ドイツ・ア

    メリカにおいても,我が国においても共通して,主演女優であるブリギッテ・ヘルムの存在は強い印象を残したとされるが,特にドイツにおいては,好意的な評価ばかりではなく,俳優は演技の仰々しさを指摘されており,定まった評価はない。これに関しては,我が国においては,特に目立った批判は見られない。また,演出に関しては,我が国の批評は,監督ラングの労働者の群を左右対称な一つの生物として再構成させているかのような「群衆」の演出法に注目し,その生命体としてのダイナミズムを評価しているが,ドイツ・アメリカにおいては,同様の好意的な評価は見られない。このように,ドイツ・アメリカとの批評を照らし合わせ,我が国の批評の特徴を検証しよ

    うと試みてきた。結果として,相違点よりも,類似点が多く,あえて「特徴」と表すことのできる点は「群衆」の演出法に関する好意的な評価のみであるということが分かった。それ以外は,我が国の批評においては,ドイツ・アメリカのものと比較して,特に際立った差異が存在することはなく,本作品の批評の内容はほぼ同様であったと考えてよい。では,この「群衆」の演出法に関する好意的な評価は主に何に起因するものであったのだ

    ろうか。それは,これまで各国の批評においても言及され,我が国においても上映されてきた,ラング諸作品に内在する独特な様式美に因るものであったのではないかと推察できる。これまで上映された作品は,主に 1923年(大正 12年)に公開された『死神の谷(旧題・死滅の谷)』,『ドクトル・マブゼ』,1925年(大正 14年)に公開された『ニーベルンゲン・ジークフリート』,『ニーベルンゲン・クリームヒルトの復讐』の 4作品である。恋人の命を救おうと奔走する乙女と,その命を奪う死神を幻想的に描いた『死神の谷(旧

    題・死滅の谷)』によって注目されたラングは,同年公開の,催眠術を操り変装を得意とする怪人マブゼを描いた犯罪映画『ドクトル・マブゼ』で大きな反響を呼び,その存在を広く認知されることとなった。映画評論家であった飯島正は以下のように紹介している。

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    その活劇の溌溂さ。獨逸に於いては正に空前の活劇である。否世界に於いてもその位のものは數へる程しかないとあらうと思はれる。その活劇の頭の良さ。これこそまさに天下唯一といふ所。ニーラン君,サイツ君,獨逸にフリッツ・ランクといふえらい男の居る事を知り給へるのである。(中略)心理の描寫の正確にして微に入り細に入つた所,カット・バックの的確にしてしかも小氣味よき所,たゞ讃嘆するのみである 25)。

    飯島は,この他にも共同で脚本を担当したハルブーや撮影技師,出演俳優についても一切

    の批判をすることなく賞賛している 26)。

    そしてラングは,次いでドイツの国民的叙事詩を主題とした『ニーベルンゲン・ジークフリート』,『ニーベルンゲン・クリームヒルトの復讐』において,本作品でも示された,圧倒的な壮大さの絵画的美を表現することによって,不動の地位を得ることとなった。本稿で取り扱った『メトロポリス』に痛烈な批判をした岩崎はこの作品について,芸術としてこの作品の価値を認め,またラングの手腕を高く評価し,以下のように述べている。

    成程彼の畫面には未曾有の美がある 幽玄な原始林,荒涼とした氷島,極光,大海原を静々と漕ぐ船,それ等のものが純粋に映畫的に,即ち黑と白,光と影のみによつて,比ひない美しさを具えて描かれてゐる。(中略)これ程獨逸らしい映畫は今迄出たことは無かつた。古代ゲルマ二ヤ人の怪奇な幻想の神祕をこれ程に如實に描き出した藝術品――敢えて映畫に局限せず――も少ないであらう 27)。

    このように我が国においてラング作品は,徐々に認知され一般的な「娯楽」作品というよ

    りも,「芸術」的作品として位置付けをされ,確固たる地位を築いてきたことが分かる。ラングが作中で使用する主題は,死神や催眠術,殺人,犯罪集団,争い,復讐,狂気など,怪しく禍々しいイメージや暴力衝動を連想させるものが多い。それらは超現実的な重厚で壮大な絵画的美のなかに組み込まれ,ダイナミズム溢れる映像として成立している。そして,このようなラングの様式美が作中の「群衆」や「都市」に見出され,本作品の「群衆」の演出法に関する好意的な評価に繫がったのではないかと考えられる。

    おわりに

    本稿の目的は,『メトロポリス』が当時いかに批評されたか,そしてそれらの論点はどの

    ようなものであったのかを我が国の映画雑誌・主要新聞に掲載された批評や映画評論家の発

    言をもとに把握することであった。その際,先に上映されたドイツとアメリカの批評との類

    似点・相違点を検証し,我が国の批評の特徴を明らかにすることを試みた。

    まずⅠ章では,ドイツとアメリカにおける主な批評を取り上げ,両国での批評における論

    点を探り,それらは撮影技術・映像美,未来世界とその社会構造の設定,資本家と労働者の

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  • 日本における『メトロポリス』(1927)の評価に関する一考察

    和解を描く主題であったと明らかにした。Ⅱ章では,我が国における主な批評を取り上げ,

    その論点は美術セットと撮影技術,「群衆」の演出法,未来世界とその社会構造の設定,資

    本家と労働者の和解を描く主題であったと明らかにした。Ⅲ章では,ドイツ・アメリカと我

    が国の批評の類似点・相違点をそれぞれ検証し,特徴として我が国の批評が「群衆」の演出

    法に注目し評価している点以外は,ドイツ・アメリカと程度の差はあるが,批評の内容はほ

    ぼ同様のものであると確認した。

    結論として,我が国の映画専門誌において本作品は,「未来世界を空想的に描いた,群衆

    表現などの映像美にのみ秀でた大作映画」として評価されていたと判断することができる。

     

    しかし,これは主に映画評論家達の批評に限定したものであって,評価の一端を示すにすぎない。上述の評価と,実際に劇場に赴いた大多数の一般的な観客の評価とは必ずしも同一であるとは断言できないからである。その一例として,翌年 3月の『キネマ旬報』の「昭和四年度優秀映畫投票得點發表」を挙げる。「優秀映畫投票」には「日本映畫」,「外國映畫」部門と分かれており,これによれば,本作品は,当初「歐洲と米國の戰」としてライバルとして注目されていた『鐡假面』を大きく引き離す 2倍以上の差の 1493票を獲得し,第 4位の上位入賞を果たしている 28)。この投票結果は,『キネマ旬報』の購読者によるもので,本稿で取り上げた映画批評家の評価とは,異なった位置付けがなされていたとみなすことができるのではないだろうか。

    今後の課題として,上記の点を踏まえ,調査範囲を地方紙も含めた新聞各紙や大衆雑誌に

    広げて,広範な批評を対象とし,より精密に批評分析に当たりたい。そして,宣伝と上映の

    形態と経過を把握した上で,我が国における本作品の受容の過程及び全体像を明らかにした

    い。

    1) 『スター・ウォーズ』(Star Wars, 1977)を初め『ブレード・ランナー』(Blade Runner, 1982)や『バットマン・リターンズ』(Batman Returns, 1992),『フィフス・エレメント』(The Fifth

    Element, 1997)などの作品は,「modern classics」の要素を『メトロポリス』によって想起されている。また,これに関して,明石政紀は著作『フリッツ・ラング または伯林=聖林』において,デュッセルドルフの電子音楽集団・クラフトワーク KraftWerk(1970-)を一例として取り挙げている。明石政紀『フリッツ・ラング または伯林=聖林』アルファベータ,2002年,79頁。

    2) Thomas Elsaesser, METROPOLIS, BRITISH FILM INSTITUTE , 2000.

    3) 現在確認できるのは,本作品の我が国における輸入から公開に至る経緯・その後の反響を取扱った松中正子,會津信吾の考察のみである。松中正子,會津信吾「メトロポリス伝説―または帝都映画戦―」『妊娠するロボット・1920年代の科学と幻想』春風社,2002年。

    4) 『キネマ旬報』,第 324号,昭和 4年 3月 11日,頁 13。

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    5) 映像は『メトロポリス』フリッツ・ラング監督,アルフレッド・アベル,グスタフ・フレーリッヒ,ブリギッテ・ヘルム出演,1926年,DVD (紀伊國屋書店,日本語字幕・小松弘,2006年)を参考とした。

    6) Vgl. E.S.P: FILMBESPRECHUNG»METROPOLIS«.In: Licht Bild Bühne vom 11.Januar1927.S.2.

    7) Ebd., S.2.

    8) Vgl. Willy Haas: Film-Kritik „Metropolis“. In: FilmKurier vom 11. Januar 1927.S.2. 9) Ebd., S.3.

    10) Vgl. Paul Ickes: KRITIK DER LEINWAND Metropolis.In:Die Filmwoche vom 19. Januar

    1927.S.60.

    11) Ebd., S.60.

    12) Ebd., S.60.

    13) Ebd., S.60.

    14) M.Minden, H.Bachmann, FritzLang’s Metropolis, NY, CamdenHause, p.87.15) Ibid., p.87.

    16) Ibid., p.94.

    17) Ibid., pp.94-100.

    18) 『キネマ旬報』第 325号,昭和 4年 3月 21日,頁 7。19) 内田岐三雄「各社試寫室より編輯部」『キネマ旬報』第 324号,昭和 4年 3月 11日,頁 23-

    24。

    20) 村上久雄「三人を語る フリッツ・ラングとフェアバンクスと村田實と―」『キネマ旬報』第326号 昭和 4年 4月 1日,頁 100。

    21) 田村幸彦「主要外國 映畫批評 編輯部」,『キネマ旬報』第 328号, 昭和 4年 4月 21日,頁 43。22) 同上,頁 43。23) 關野嘉雄「形式主義の破綻『メトロポリスに失望する』」,『映畫評論』第 6巻 第 5号,昭和 4

    年 5月 1日,頁 449。24) 岩崎昶「無何有鄕」、『東京日日新聞』、昭和 4年 4月 8日、日刊 5面。25) 飯島正「主要外國映畫批評」,『キネマ旬報』第 134号,大正 12年 5月 21日,頁 16。26) 同上,頁 16。27) 岩崎秋良「主要外國映畫批評」,『キネマ旬報』第 190号,大正 14年 4月 11日,頁 35。28) 「昭和四年度優秀映畫投票得點發表」『キネマ旬報』第 359号,昭和 5年 3月 11日,頁 14。『鐡

    假面』は 622票を得て第 12位に留まった。ちなみに,1位は 4314票の『紐育の波止場』(Docks of New York),2位は 3722票の『四人の悪魔』(Four Devils),3位は 2769票の『人生の乞食』(Beggars of Life)であった。これらは全てアメリカ映画である。

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