朝のこない夜はない - 日蓮宗 大乗山 法音寺...たく 鉢はつ です。大 おお 阪さか で托 たく 鉢はつ をするので見 て下み くだ さい」と言

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Page 1: 朝のこない夜はない - 日蓮宗 大乗山 法音寺...たく 鉢はつ です。大 おお 阪さか で托 たく 鉢はつ をするので見 て下み くだ さい」と言

山首 

鈴木正修

朝のこない夜はない

今いま

「幸し

あわ

せ!」と

 

感かん

じられるよう

  

明あか

るい生い

き方か

   

いたしましょう

Page 2: 朝のこない夜はない - 日蓮宗 大乗山 法音寺...たく 鉢はつ です。大 おお 阪さか で托 たく 鉢はつ をするので見 て下み くだ さい」と言

— 5 —

 

先せん

日じつ

、小お

原ばら

学がく

園えん

・小お

原ばら

寮りょう

の開かい

設せつ

十周しゅう

年ねん

記き

念ねん

感かん

謝しゃ

祭さい

が行おこ

なわれました。小お

原ばら

学がく

園えん

と小お

原ばら

寮りょう

は、知ち

的てき

障しょう

がいのある人ひと

たちの施し

設せつ

です。元もと

は三み

好よし

学がく

園えん

・三み

好よし

寮りょう

ですが、そのさらに前まえ

八や

事ごと

少しょう

年ねん

寮りょう

でした。

 

八や

事ごと

少しょう

年ねん

寮りょう

は、名な

古ご

屋や

大だい

学がく

の教きょう

授じゅ

・杉すぎ

田た

直なお

樹き

医い

学がく

博はく

士し

が私し

財ざい

を投とう

じ、自じ

宅たく

を開かい

放ほう

して幼よう

児じ

から十八歳さい

まで約やく

三十名めい

の障しょう

がい児じ

ととも

に生せ

活かつ

をした施し

設せつ

です。杉すぎ

田た

博はく

士し

は名な

古ご

屋や

大だい

学がく

を定てい

年ねん

退たい

官かん

して東とう

京きょう

に帰かえ

ることになり、後あと

をしっかりした団だん

体たい

にまかせたいと思おも

われて

いました。しかし「性せ

格かく

異い

常じょう

」と言い

われるく

らい乱らん

暴ぼう

な子こ

も施し

設せつ

にはいました。ですから、

なかなか引ひ

き受う

けてくれる所ところ

がありません。

愛あい

知ち

県けん

に頼たの

みに行い

かれましたが「予よ

算さん

もない

し、国く

や県けん

がそういう施し

設せつ

を運うん

営えい

した前ぜん

例れい

ないから」と断こ

とわ

られました。困こま

り果は

てた杉すぎ

田た

博はく

士し

でしたが、鈴すず

木き

末すえ

造ぞう

という県けん

の職しょく

員いん

の方かた

に御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

のことを紹しょう

介かい

され、第だい

一回かい

目め

話はな

し合あ

いが行おこ

なわれました。その時とき

、杉すぎ

田た

博はく

士し

が「あなたは宗しゅう

教きょう

家か

です。しかも立りっ

派ぱ

な息むす

子こ

さんがあって幸しあわ

せです。仮かり

にそのお子こ

さん

の中な

に私わたくし

が抱かか

えているような子こ

どもがいたら、

あなたはその子こ

を生しょう

涯がい

面めん

倒どう

見み

なければならな

明あか

るい人じん

生せい

Page 3: 朝のこない夜はない - 日蓮宗 大乗山 法音寺...たく 鉢はつ です。大 おお 阪さか で托 たく 鉢はつ をするので見 て下み くだ さい」と言

— 6 —

い。それと思おも

い合あ

わせて、自じ

分ぶん

にそんな不ふ

幸こう

な子こ

どもができなかったことはありがたいこ

とだと悟さ

れば、宗しゅう

教きょう

的てき

にも別べつ

な喜よろこ

びが湧わ

いて

くるのではありませんか」と言い

われたそうで

す。その時と

、横よこ

にいた昭しょう

徳とく

会かい

の事じ

務む

局きょく

長ちょう

「釈し

迦か

に説せっ

法ぽう

とはこのことか」と思おも

ったとい

うことです。

 

当とう

時じ

(戦せん

後ご

まもない頃ころ

)、県けん

にお金かね

がない

のに、法ほ

音おん

寺じ

にお金かね

があるはずがありません。

しかし御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

は、快こころよ

く引ひ

き受う

けられまし

た。そのための必ひ

要よう

な資し

金きん

は、大だい

乗じょう

報ほう

恩おん

会かい

時じ

代だい

からあった不ふ

動どう

産さん

を売ばい

却きゃく

して充あ

てられたの

です。

 

運うん

営えい

を継けい

承しょう

後ご

、隣りん

接せつ

地ち

を約やく

千坪つぼ

買か

い足た

し、

宿しゅく

舎しゃ

も増ぞう

築ちく

し、定てい

員いん

も倍ばい

にしました。当とう

初しょ

三十人にん

でしたが、六十人にん

、百二十人にん

と増ふ

やし、

設せつ

備び

も整ととの

えましたから、たちまち資し

金きん

不ぶ

足そく

陥おちい

りました。そんな時とき

、鈴すず

木き

末すえ

造ぞう

さんの所ところ

行い

かれたそうです。すると「さすがの修しゅう

学がく

先せん

生せい

もお金かね

に困こま

って補ほ

助じょ

金きん

でも頼たの

みに来こ

られた

かな」と思お

われたそうですが、御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

「経け

営えい

が苦くる

しいのは私わたくし

の努ど

力りょく

が足た

りないから

です。私わ

たくし

がやれることは托たく

鉢はつ

です。大おお

阪さか

で托たく

鉢はつ

をするので見み

て下くだ

さい」と言い

われ、鈴すず

木き

んは一い

緒しょ

に行い

かれました。その姿すがた

を見み

て鈴すず

木き

さんは感かん

激げき

して「私わたくし

たちも努ど

力りょく

しなければい

けません」と県け

の上じょう

層そう

部ぶ

に伝つた

え、それから少すこ

しずつ補ほ

助じょ

金きん

が出で

るようになったということ

です。

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— 7 —

  

 ほめる教きょう

育いく  

 

 

御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

は、障しょう

がいを持も

った子こ

どもにも、

ほめて育そ

てる教きょう

育いく

をされました。

 

ほめることによってその子こ

の持も

っている本ほん

来らい

の良よ

い性せい

質しつ

を引ひ

き出だ

すようにされたのです。

 

ある時と

の御ご

法ほう

話わ

です。

「子こ

どもを教きょう

育いく

しようと思おも

ったら、いいこと

をまずほめることです。私わ

たくし

は親おや

にいじめられ

た子こ

もずいぶん扱あつか

いました。サーカスに売う

れていた子こ

どもも二、三十人にん

育そだ

てました。そ

ういう子こ

どもは非ひ

常じょう

に虐しいた

げられておりますの

で、ほめると涙な

みだ

をこぼすぐらい喜よろこ

びます。そ

れに、ほめてくれた人ひ

を絶ぜっ

対たい

に信しん

頼らい

しますか

ら、子こ

どもの教きょう

育いく

にはこれからも良よ

いことを

ほめるようにして下く

さい。『悪わる

い子こ

には体たい

罰ばつ

を加くわ

えなければならないのではないか』とい

う人ひ

がいます。体たい

罰ばつ

というと今いま

でも、寒さむ

いと

ころに立た

たせたり、ご飯はん

を食た

べさせないよう

にするということがあるようですが、そうい

うことは絶ぜ

対たい

にいけません。たとえどのよう

な子こ

どもでも決けっ

して体たい

罰ばつ

を加くわ

えてはいけない

のです。今い

までやってきた経けい

験けん

の中なか

で、そう

いうことで良よ

くなった子こ

は一ひとり人

もいません。

子こ

どもはどんな子こ

でもほめてやるといい子こ

なるものなのです」

 

当とう

時じ

“知ち

的てき

障しょう

がい児じ

には教きょう

育いく

は意い

味み

がない”

と考か

んが

えられていて、社しゃ

会かい

に居い

場ば

所しょ

がありませ

んでした。しかし、御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

は“どんな子こ

どもでも教おし

えることによって必かなら

ず良よ

くなる”

と考か

んが

え、管かん

内ない

の川かわ

名な

中ちゅう

学がっ

校こう

や八や

事ごと

小しょう

学がっ

校こう

と協きょう

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— 8 —

力りょく

して施し

設せつ

内ない

学がっ

級きゅう

を作つく

られました。その結けっ

果か

本ほん

当とう

に子こ

どもたちは良よ

くなっていきました。

それ以い

後ご

、世よ

の中なか

に「特とく

殊しゅ

学がっ

級きゅう

」や「養よう

護ご

学がっ

校こう

」がどんどん普ふ

及きゅう

したのです。

 

また“働は

たら

くこと、社しゃ

会かい

に役やく

立だ

つことによっ

て人に

間げん

は幸しあわ

せを感かん

じることができる”とも考かんが

えられていました。ですから八や

事ごと

少しょう

年ねん

寮りょう

の子こ

どもたちにも、今いま

の授じゅ

産さん

所じょ

のように仕し

事ごと

をす

る機き

会かい

を作つく

り、やり方かた

を教おし

えられました。

  

真しん

・善ぜん

・美び

・聖せい  

� 

 

昭しょう

和わ

三十四年ねん

、東とう

京きょう

で社しゃ

会かい

事じ

業ぎょう

関かん

係けい

者しゃ

の世せ

界かい

大たい

会かい

がありました。その場ば

で御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

「知ち

能のう

の劣おと

った少しょう

年ねん

の職しょく

業ぎょう

補ほ

導どう

は困こん

難なん

な問もん

題だい

だと皆みな

さん思おも

われていますが、そうではあり

ません。八や

事ごと

少しょう

年ねん

寮りょう

では、日に

本ほん

福ふく

祉し

大だい

学がく

や立たち

花ばな

高こう

等とう

学がっ

校こう

で使し

用よう

する机つくえ

・腰こし

掛かけ

を立りっ

派ぱ

に制せい

作さく

しています。子こ

どもたちはそれを喜よろこ

んでやっ

ています。子こ

どもたちに『真しん

・善ぜん

・美び

・聖せい

の精せ

神しん

で働はたら

くよう教おし

えていることが、大おお

きな

力ちから

となりました」と、八や

事ごと

少しょう

年ねん

寮りょう

で行おこ

なって

いることを発は

表ぴょう

されました。

「真し

」とは、“真ま

心ごころ

を込こ

めて仕し

事ごと

をすれば必かなら

ず立りっ

派ぱ

な仕し

事ごと

ができて、世よ

の中なか

の人ひと

から喜よろこ

れる”ということです。

「善ぜ

」とは、“真ま

心ごころ

を込こ

めた働はたら

きが善ぜん

であり、

良よ

い人ひと

、徳とく

のある人ひと

になるもと”ということ

です。

「美び

」とは、“真ま

心ごころ

の込こ

もった働はたら

きからは必かなら

ず美うつく

しい仕し

事ごと

ができて人ひと

からほめられるよう

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— 9 —

になり、喜よろこ

びの生せい

活かつ

ができるようになる”と

いうことです。

「聖せ

」とは、“真ま

心ごころ

を込こ

めて仕し

事ごと

をすれば知ち

徳とく

が優すぐ

れ、模も

範はん

とされる人ひと

となり、世よ

の中なか

人ひと

から仰あお

がれるようになる”ということです。

 

このような話は

なし

を八や

事ごと

少しょう

年ねん

寮りょう

の子こ

どもたちに

されたのです。

 

子こ

どもたちの感かん

想そう

文ぶん

があります。

「デパートで僕ぼ

たちの作つく

った物もの

が並なら

べられた

時とき

、そして机つくえ

の売う

れた時とき

はとてもうれしかっ

たです」

「僕ぼ

たちの作つく

った机つくえ

や腰こし

掛かけ

が立たち

花ばな

高こう

等とう

学がっ

校こう

教きょう

室しつ

に並なら

べられて、校こう

長ちょう

先せん

生せい

であるお父とう

さま

(御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

)からほめていただいた時とき

、本ほん

当とう

にうれしかったです」

「お父とう

さまが僕ぼく

たちの作つく

った机つくえ

や腰こし

掛かけ

を見み

下くだ

さって、『とても立りっ

派ぱ

にできましたね。一

本ぽん

の釘くぎ

、一枚まい

の板いた

にもまことの精せい

神しん

がこもっ

ています。立り

派ぱ

であることは、皆みな

さんの真ま

心ごころ

が立りっ

派ぱ

に表あら

わされているからです』と、にこ

にこ笑わ

いながら僕ぼく

たちの顔かお

を見み

て下くだ

さった時とき

は、本ほん

当とう

にうれしい心こころ

持も

ちでした」

「僕ぼ

たちはいつも馬ば

鹿か

だと言い

われていました

が、こんなにほめてもらうと、本ほ

当とう

にうれし

く思お

います。もっともっとまことの心こころ

で、美うつく

しい良よ

い物もの

を作つく

ってゆこうと思おも

いました」

「先せ

生せい

にほめられてこんなにうれしそうに働はたら

いていることを、一度ど

お母かあ

さんに見み

てもらい

たいと思お

います。一度ど

お母かあ

さんやお父とう

さんに

ほめてもらいたいな」

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— 10 —

 

こんな手て

紙がみ

もあります。ある少しょう

年ねん

がお母かあ

んに書か

いたものです。

「僕ぼ

はこんな立りっ

派ぱ

な机つくえ

を作つく

るようになりまし

た。僕ぼ

は真ま

心ごころ

で働はたら

く良よ

い人ひと

になりました。僕ぼく

は、善よ

いこと・美うつく

しい働はたら

きをする人ひと

になりま

した。お母か

さん、僕ぼく

を一度ど

見み

に来き

て下くだ

さい。

一度ど

僕ぼく

を、良よ

い子こ

になったとほめて下くだ

さい、

お母か

さん」

 

御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

の言い

われるとおり、人にん

間げん

はほめ

ることにより、必か

なら

ず良よ

くなります。また、ど

んな子こ

どもでも、教きょう

育いく

により必かなら

ず成せい

長ちょう

します。

そして、働は

たら

くことによって生い

きがいを得え

るよ

うになるものです。

  

周まわ

りを幸しあわ

せにする明あか

るさ  

 

 

多おお

くの子こ

どもたちを教おし

え、育そだ

てられた御ご

開かい

山さん

上しょう

人にん

ですが、殊こと

に子こ

どもたちが明あか

るく朗ほが

かに生せ

活かつ

する姿すがた

を見み

て喜よろこ

ばれました。

 

この「明あ

るさ」というのはとても大たい

切せつ

なこ

とだと思お

います。

 

今こん

日にち

に至いた

るまで、健けん

常じょう

者しゃ

と障しょう

がい者しゃ

の区く

別べつ

を無な

くす“ノーマライゼーション”について

いろいろと語か

られますが、それを成じょう

就じゅ

させる

には「明あ

るさ」が大おお

きなカギになると思おも

いま

す。

 

以い

前ぜん

、NHKテレビで、目め

が不ふ

自じ

由ゆう

な人ひと

々びと

にスポットを当あ

てた特とく

集しゅう

をやっていました。

目め

が見み

えなくなることはとても辛つら

いことだと

思おも

います。その中なか

の一ひとり人

、交こう

通つう

事じ

故こ

で目め

が見み

えなくなった若わか

者もの

は、他た

人にん

と話はなし

もしたくない

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— 11 —

くらいに落お

ち込こ

んだといいます。その人ひと

に、

同おな

じように目め

の見み

えなくなった女じょ

性せい

の先せん

輩ぱい

「目め

が見み

えなくなって何なに

が一番ばん

辛つら

い?」と尋たず

ねました。そして「私わたくし

が一番ばん

辛つら

いのは、大だい

好す

きな男おとこ

の人ひと

の顔かお

が見み

えなくなったことかな」

と言い

うと、それにつられて「そうだ、確たし

かに

大だい

好す

きな女おんな

の子こ

の顔かお

が見み

られないのはつらい

な」と言い

うと先せん

輩ぱい

は「でも、見み

えなくてもさ

われるんだよ」と言い

いました。そうしてだん

だん話は

なし

が盛も

り上あ

がり、「目め

が見み

えなくなった

から居い

酒ざか

屋や

も行い

けない」と言い

うと別べつ

の先せん

輩ぱい

「目め

が見み

えなくても行い

けるよ。おれはしょっ

ちゅう行い

ってるよ。つれて行い

ってあげよう」

と言い

って居い

酒ざか

屋や

に誘さそ

い、話はなし

は大おお

いに盛も

り上あ

っていました。初は

めは暗くら

かった若わか

者もの

でしたが、

周まわ

りの人ひと

たちが明あか

るくしていったのです。こ

ういうことが大だ

事じ

だと思おも

います。

  

幸しあわ

せを感かん

じて生い

きる  

 

『五体たい

不ふ

満まん

足ぞく

』という本ほん

があります。あの乙おと

武たけ

洋ひろ

匡ただ

さんが書か

かれた本ほん

で、日に

本ほん

の歴れき

代だい

ベス

トセラー第だ

三位い

だそうです。因ちな

みに第だい

一位い

『窓ま

ぎわのトットちゃん』です。

 

乙おと

武たけ

さんは、明あか

るく楽たの

しんでいる障しょう

がい者しゃ

もいるということを世せ

間けん

の人ひと

に知し

ってもらい、

障しょう

がい者しゃ

への偏へん

見けん

を少すこ

しでも無な

くしたいとい

う思お

いで『五体たい

不ふ

満まん

足ぞく

』を書か

かれたそうです。

乙おと

武たけ

さんは若わか

者もの

たちから人じん

生せい

相そう

談だん

を受う

けるこ

とも多お

く、そのツイッターでのやり取と

りが本ほん

になっています。

Page 9: 朝のこない夜はない - 日蓮宗 大乗山 法音寺...たく 鉢はつ です。大 おお 阪さか で托 たく 鉢はつ をするので見 て下み くだ さい」と言

— 12 —

 

これは実じっ

際さい

にあったツイッターでのやり取と

りです。

 

フォロワー�

「乙おと

武たけ

さんに手て

足あし

が生は

えてきま

すように」

 

乙おと

武たけ

さん 

�「そ、その願ねが

いが叶かな

っては、オ

レが困こ

る」

 

フォロワー�

「何なん

で困こま

るんですか?」

 

乙おと

武たけ

さん 

「誰だれ

にも歩あゆ

むことができない、

稀け

有う

な人じん

生せい

を満まん

喫きつ

中ちゅう

だから」

 

乙おと

武たけ

さんは手て

足あし

が無な

いという人じん

生せい

を楽たの

しん

でいると言い

うのです。

 

若わか

い頃ころ

、三さん

重じゅう

苦く

の聖せい

女じょ

ヘレン・ケラーや乙おと

武たけ

さんのように手て

足あし

が無な

くても強つよ

く生い

き抜ぬ

た中な

村むら

久ひさ

子こ

さんの生しょう

涯がい

を読よ

んで大たい

変へん

感かん

銘めい

を受う

けたことを思おも

い出だ

します。しかし、乙おと

武たけ

さん

の本ほん

を読よ

み、これまでの行こう

動どう

を見み

て感かん

じるこ

とは、感か

銘めい

や感かん

動どう

ではなく、驚おどろ

きです。とて

つもなく前ま

向む

きな心こころ

、そしてとてつもない明あか

るさです。

 

これからのノーマライゼーションの根こ

底てい

必ひつ

要よう

なものは真しん

の「明あか

るさ」ではないかと私わたくし

は思おも

います。どんな境きょう

遇ぐう

でも人じん

生せい

を楽たの

しんで

ゆこうという「明あ

るさ」ではないでしょうか。

 

最さい

後ご

に乙おと

武たけ

さんとフォロワーとのやり取と

をもう一つご紹し

ょう

介かい

します。

 

フォロワー�

「幸しあわ

せって何なん

だと思おも

いますか?」

 

乙おと

武たけ

さん 

「幸しあわ

せとは何なん

だと聞き

かれると考かんが

え込こ

んでしまうけど、あなたは

幸しあわ

せかと聞き

かれたら、すぐにう

ん!と答こ

えるよ」