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く1) 思想史的にみた直接民主主義 木 村 正 身 とくに現代払おける議会=代議民主主議のまぎれもない形骸化の進行が,ひ とり日本の政治とかぎらず,世界的転.もあらゆる政治局面で指摘されるにつれ て,反体制的思考と実践の伽で「直接民主主義」への志向の課題が大きくクロ ーズアップされてきたことは,周知のとおりである。 「直接民主主義」は,ふつう政治制度的用語(「直接民主制」)として:は,議 会制を前提としながら,とくに重要な政治問題について国良投票や国民立法発 案やリコ-ルなど紅よってノし民が直接に政治に参加することをさすことになっ ているのであるが,思想としての直接民主主義は,民主主義の真正な実質たる 個人の自律性を実現するために.全成員が直接討議に参加する建て前をとるとい う積極的・肯定的側面と,そのためにほ国の議会制をはじめ,あらゆる集団に おける代議制を拒否し,ひいては指導者や権威をも拒否するという消極的・否 定的側面と,以上両面にその本質的特徴をもっていると,一応言えるだろう。 したがって,思想としての通接民主主義ほ,その否定面において現存の政治制 度としての「直接民主制」をも拒否するわけであり,ひとつの理想主義的な思 想である。だからまた,それはそのまま反体制運動の思想ともなる。 この観点からふりかえるとき,反体制運動の内実としてのこの思想が,ちか (1)この小論は,もと『香川大学時事論集』欝2号(1969年12月謄写配布)に掲載され たものである。同『論集』は,もっぱら香川大学経済学部内向けの臨時配布物であっ て公刊物でほなかったこと,また,申し合わせ紅より匿名とされたことから,とくに 本誌編集側の了承を得てここ・にあ声ためて公表させていただくことにした0今となっ てはふじゆうぶんな点も多いことを感ずるが.徽細な補正以外はあえて当初のままと した。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

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く1) 思想史的にみた直接民主主義

木 村 正 身

とくに現代払おける議会=代議民主主議のまぎれもない形骸化の進行が,ひ

とり日本の政治とかぎらず,世界的転.もあらゆる政治局面で指摘されるにつれ

て,反体制的思考と実践の伽で「直接民主主義」への志向の課題が大きくクロ

ーズアップされてきたことは,周知のとおりである。

「直接民主主義」は,ふつう政治制度的用語(「直接民主制」)として:は,議

会制を前提としながら,とくに重要な政治問題について国良投票や国民立法発

案やリコ-ルなど紅よってノし民が直接に政治に参加することをさすことになっ

ているのであるが,思想としての直接民主主義は,民主主義の真正な実質たる

個人の自律性を実現するために.全成員が直接討議に参加する建て前をとるとい

う積極的・肯定的側面と,そのためにほ国の議会制をはじめ,あらゆる集団に

おける代議制を拒否し,ひいては指導者や権威をも拒否するという消極的・否

定的側面と,以上両面にその本質的特徴をもっていると,一応言えるだろう。

したがって,思想としての通接民主主義ほ,その否定面において現存の政治制

度としての「直接民主制」をも拒否するわけであり,ひとつの理想主義的な思

想である。だからまた,それはそのまま反体制運動の思想ともなる。

この観点からふりかえるとき,反体制運動の内実としてのこの思想が,ちか

(1)この小論は,もと『香川大学時事論集』欝2号(1969年12月謄写配布)に掲載され

たものである。同『論集』は,もっぱら香川大学経済学部内向けの臨時配布物であっ

て公刊物でほなかったこと,また,申し合わせ紅より匿名とされたことから,とくに 本誌編集側の了承を得てここ・にあ声ためて公表させていただくことにした0今となっ

てはふじゆうぶんな点も多いことを感ずるが.徽細な補正以外はあえて当初のままと

した。

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- 2・- 第49巻 第5・6号 450

くほ60年代後単の日本および世界の学生運動の先端部の根本理念として正面紅

据えられてきたばかりでなく,よりひろくみれば,いわゆる「戦後」期のおぁ

りに起こったスタ・-リン批判(1956年)を起点とした思想界の大きなうねりを

つらぬいてきたものであることが,わかる。わけても昨年のチェコ事件ほ,ポ

ズナン。ハンガリア両事件以上にこの思想の問題が資本主義・社会主義の現実

両体制の境界をこえていることを明示したものとして,象徴的だったと言えよ

う。

しかし,と・の思想の波をたんに事件的紅ながめることば,ただしくない。な

ぜなら,民衆の1人1人の自発的な自由の尊厳を最高度紅主張するこの思想

ほ,たまたまあれやこれやの特殊な抑圧や専制とだけ対決するのではなく,い

わゆる「大衆社会」状況,「人間疎外」状況下牢・ある社会体制の全体と対決する

という発想に立つものとして,一席の流行を与えるものとなっているからであ

る。さらに掘りさげて言えば,思想としての直接民主主義ほ,本質的に.ほ,議

会制民主主義の反措定として,すすんで反政治,すなわち・-・切の組織とともに

ある一切の権威や,権威のもとでしか生きることを知らぬ人間(プラトン以来

のポリス的人間)の拒否,したが・つてまた,たとえ革命に.おけるプロレタリア

ートの過渡的独裁といえどもこ.れを拒否するて「いの,すなわちじつはいわゆる

無政府主義とはとんど重なったていの思想として,あらためて深刻に.みずから

を問題提起しているととろにその根基をもつものと言えるだろう。

反権力,反国家,そして政治への民衆の自由な直接参加(生活と政治との一一・

致化)ないしは政府や政治そのものの廃止-この発想そのものは,じつはけ

っしてかならずしも日あたらしいものではない。そのことが,この思想の思想

史的取り扱いを可能にする。ただ,この思想の現代に独自な問題性は,それが

上述の景況下払おいて,後進地域においてより′もむしろブルジョア民主主義の

一億レベルのすでに達成された先進地域を中心として,かつ特定の思想家やそ

鱒集団の主張としてというよりもむしろ無名の不特定な人々の多発的な運動と

して,またそれ自身ひとつの大衆社会的現象として,しかも,労働運動として

よりもむしろとりわけ学生層をひろくふくんだ知識人層の運動として,はげし

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- 3・- 思想史的にみた直接民主主義 451

く広汎に打らだされてき年という点に,あるだろう0

だが,広汎とはいえ.,この波ほ結局は急進的小市民思想の現代資本主義的形

態に.ほかならないのでほあるまいか。あらかじめ言えば,すくなくとも歴史的

には,この思想は,多くの・ユーートピア思想と同様,一一周して独立/j\生産者的人

間像を志向するものであった。独立/j\生産者層ほ,いわば社会史における諸体

制の谷間に.存在しつづけてきた。ふるい独立小生産者の諸類型も現代の知識人

も,体制と体制との谷間のアウトサイダー・的存在である点ほ,おなじだと言え

よう。いわば,それほ.トロイの市民からは無視され,、ギリシャの神々からはに

くまれて.海蛇にころされたラオコ-・ンとその子たちの視座に,似ている。ヲオ

コ-ンは,はたしてプロメタクス紅メタモルフオ-ゼしうるだろうかょーな

お,マルクス主義が,それ自身ほ市民的インテリゲンチアの産物でありながら

プロレ夕リア-トの主体性を取り扱うのにたいして,直接民主主義思想は,大

衆社会状況下の現代では,市民的インテリゲンチアが,「大衆」の名において:事

実上はみずからの主体性を問題とするものとして,登場している魚道に言え

ば,なんらかの文脈のもとでの「大衆参加」の呼びかけに・応じないような一般

大衆ほ没知識的アパシー状態のままに体制内化されているのだとして放棄され

て:い挙という点も,あらかじめ留意紅値しよう0

ともあれ,ラオコ-・ンの洞察や絶望や希求の様相と振幅ほ,けっしてたんに

審美的・感性的・盗意的に.展開するわけでほなく,近代社会史の客観的に必然

的なあゆみとも照応した脈絡に立っていると思われる。そこで,そのことをつ

ぎの順序で,主要な思想家を例示するかたちをとりながら,考察したい。-

まず,ブルジョア革命思想としての段階(ルソ-・)。つぎ紅,近代資本主義の成立

・発展期に照応して個人の自律原理自体紅照明をあてる段階(ゴドゥイン,ブ

ルードン。ただし,ブルードンはつぎの段階へも足をかける)。さらに,独占資

本主義の国際的紅不均等な成立と絶対主義政治の不均等な残存と労働運動・社

会主義運動の国際化との時期に照応した,直接の「国家廃止」斗争の段階(バ

クーーニン以下)。最後に,現代,すなわち国家独占資本主義および資本主義の全

般的危機の時代に照応した,「反体制運動」の段階。ただし現代段階紅ついて

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第49巻 貨5・6号 452 ・一一 4 -

は,たとえばフロムやマルクーゼの思想の中味の検討よりも手じかな日本人の

最近の発想ぶりを例示する方が,ここ/では-・層有意味であろう。

ⅠⅠ

そもそも近代民主主義の思想は,とりもなおさず直接民主主義の息想を基底

として∴成立したはずであった。近代民主主義思想の代表的確立者ルソーほ,人

民が国王軋自己をゆずりわたすことができるというグロチクスの見解を批判し

て,人間が原初的に「人民となる行為」に・つき,「前もってなんらの契約もない

とすれは,全員一徹で選挙がおこなわれないかぎり,少数者が多数者の選挙に

従う義務が,どこ.にあろうか。また,支配者を欲する百人の者が,これを欲し

ない十人の者のためにそれを可決する権利が,どこにあろうか。多数決の原則

そのものが,すでに契約の産物であり,すくなくとも1回の全見一致を前提と

しているのだ」(『社会契約論.』1762年,発1編第6章)と述べたが,われわれ

はここ.に,直接民主主義が民主主義・一般の,いな,そもそも政治自体の,根底

であることの古典的紅明快な規定を,看取できる。もっともルソ-は,周知の

ようにり-・般意志”の想定に.よってこの「1回の金魚一敏」にもとづく社会契

約の事実を一一旦認定し,しかもその原始契約が不都合ならそれをご破算に・.して

自然に.かえり,契約をやりかえるべきだとしたのであったが,この原始契約の

やりかえということは,とりもなおさず,「革命」紅はかならない。

アンシャン・レジ・-ムのもとでながら,独立小生産者層が強靭な農民の解放

とともに.仝面的紅つくりだされるぺき前望的社会層として\地平紅のばり,ルソ

-の思考はそのことへのあかるい期待に・裏づけられていたと言ってよい。し■た

がってルソー払おける漬接民主主義の思想は,たんなる反乱や蜂起ではなくて

革命(ただし,独立小生産者創設のブルジョア革命)の思想となることができ

たのであった。ちなみに,大革命以後においても,フランス紅おける直接民主

主義的・反政府的・反議会的な伝統ほ.明白紅存続し,ブルードンからパリ・コ

ンミュ・-ンへ,サンディカリスムへ,そして現代の5月革命へと,脈々とつづ

くようである。

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思想史的に.みた直接民主主義 ー 5 一 453

ところが,ルソーを承けてイギリスで直接民主主義思想をほじめて正面から

展開したゴドゥインの場合紅ほ,両国の社会史段階のズレから,直接民主主義

は,一方でほもはや革命思想としては無用化していたし,他方,議会政治の典

型的札幌調な発展と経済の繁栄のもとで,たとえばスウィフトのような発想は

あっても,反乱の思想にまで転化しうる余地をもたなかったため(産業革命の

進行にともなう没落職人層の反乱のエネルギーも,機械打ちこ・わし運動という

政治外的な特殊な形態で別途発散させられてしまう),結局彼のノ、イプラクな直

接民主主義は,個人の理性尊窟とそのための教育重視という,結果的には非斗

争的なかたちに圧縮されたものとなった。

18掛紀末のイギリスで,この国における“フランス革命”の到来を感じ,同

時に腐敗選挙区に.もとづいた代議政治の形骸化を看取したゴドゥインは,山方

ではルソーを承けて,「けっしてどんな個人も,みずからも1員たる集会におい

て,大多数者にたいして自分の権威をゆだねることはできない」とし,「およそ

人民,または人民を構成する個人は,代表者たるものに自分の権威をゆだねる

こともできない」こ.とを確認しながら,しかしすすんで原始契約自体をも否定

し,「公共の事項を一一・般の論議によって処理するのが正義だという原理」のもと

に,「政治ほ,その最善の状態においてさえ,恵なぁだから,人間社会の・一腰的

平和がゆるしうるかぎり,これをすくなくもつことを,われわれは主要目的と

すべきだ」と主張して,直接民主主義の論理から近代無政府主義思想を最初に

みちびきだすことになった(『政治的正義』1793年)。

しかしゴドゥイン妃あってほ.,まだ直接民主主義にもとづく無政府主義の思

考は,実際には「政治的正義」実現のための人間知識の開発(教習)の原理と

してのみ,すなわち仲介的に・のみ,社会変革的だったに・とどまり,そのかぎり

では個人主義はこえるが,いまだけっしてほっきりと社会斗争的なものではな

かったと思われる。その理由として,ひとつには当時のイギリス労働者階級の

未成熟・未組織化という事情もあったろうが,ひとつ紅は絡教徒革命以来のプ

ル汐ヨア民主主義の長い着実な伝統がこの期の新興ブルジョアジーのイエンヤ

ティグで急進的軋一山層改善されようとしつつあったからであろう。ついで紅先

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第49巻 第5・6号 -6・一 454

走って.言えば,この国では,その後労働者階級が本格的に.成熟し組織化される

よう紅なっでも,すくなくとも1880年代までほなんら斗争的な直接民主主義思

想は運動系譜をもたず,直接民主主義の理想郷を措いた『・ユ・-・トピアだより.』

(1890年)の著者ウイリアム・やリスも,最後にはアナーキスト・グループと

の論敵で「ゆるやかな社会的権威」の必要を論じて,マルクス主義者として-の

面目を保ったのだった。モリス以後この国で直接民主主義思想の復位を求めよ

うとすれば,第1次世界大戦前後のギルド社会主義の一時的高揚という飛び石

を経て,現代のニュー。Ⅰ/フト運動にまで降ってこ.なければならないであろ

う。総じて「無政府主義は,イギリスでは,ひとつの戦斗的行動の形態とし、う

より,むしろひとつの理論的態度であった」(G.D.H.コ-ル)という説明は,

あたっている。

もっとも,ゴドゥインの直接民主主義思想が,一一時(マルサスに.よる批判ま

で)ほ画期的なプロレタリア-トの財産だとして注目されたことも事実である。

これは彼が,ジャコバニスムの基底たる大陸系譜の理想主義的功利主義をその

まま受容導入して,それをスクィアlト的政治批判椅神と結合させたからであろ

う。が,これは異端であった。イギリスでほ功利主義は,結局ベンタムによっ

て別途ブルジョア的紅変容されて理想主義の反対物に顔落させられた形勝一

哲学的急進主義一州イに.おいてのみ,ただち紅有効な社会的理念を提供しえたの

である。ようやくJ.S.ミルが,ブルジョア功利主義とそれに立脚した代議政

治の限界に.気づき,代議制を肯定しながらも,そ・れほ多数者の支配の法則軋服

することでほなく,将来にわたる人類全体の利益の見地から少数者の利益をも

守らなければならないと説いたときも,彼は実際に.は教養紅応じた比例代表制

・複数投票・記名投票を主張し,選挙権の資格を厳格にするよう提案すること

紅よって-,プロレタリア-トを政治から排除しようとし,ブルジョア代議制を

擁護したのだった(『代議政体論』1861年)。

なお,イギリスやフランスとちがって,ブルジョア革命がひどくおくれたと

いうだけでなく,上からしか実現しなかったドイツ紅ついて言えば,国家の優

位が存続し.民主主義そのものの原理が現実性を欠きつづけたから,シュテイル

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思想史的に魂た直接民主主義 ーニ・7 - 455

ナーのような極端に非社会的な個人(「自我」)主義が,哲学的唯物論のフォイ

エルバッノ、(「人間」)的段階から一層押しつめられで出てくることになっただ

けであ・つた(『略⊥者とその所有』1845年)。ルソ-的直接民主主義の発想ほ.,

フランスとほ異って容易に移植されえないどころか,逆に,60年代紅漸く形成

される労働運動さえも国家社会主義が中心となる。もっとも,シュテイルナ・-

の影響が,バクーニンやクロボトキンらロンヤ生まれの無政曙主義者に.みられ

ることほ,事実である。わずか軋19世紀後半に・活動した1,2の反棒威思想

家(ヨハン・モストら)も,ドイツで運動ができず,ロンドンやアメーリカに亡命

しなければならなかった。日本の轡前の無政府主義者たちの地位は,彼らめそ

れに似ている。

ブルードンの思想は,大きく言えほルソ-とサンディカリスムとの中間駅的

地位を占めるものと言.むよう。彼の思想憬多元的でとらえにくいとされている

が,マルクスにたいしては鼠力革命を否定しながらも,2月革命のパリでは.勇

敢にたたかい,しかし頭ではこれを「理念のない」革命として批判していた。

彼の弁証法は,ヘーゲルのものを自由意志表現の弁証法として:摂取したものだ

った。ブルードンの場合にほ,明瞭な反国家・反権力の見地と同時に.,周知の

積極由な理想郷建設計画があった(地方共同体と連合制と紅よる政治問題の解

決,相互主義と人民銀行とによる経済問題の解決)。彼の理想ほ,「科学と旛利

との発達によって形成された公私の意識が,全自由を保証し秩序を維持するに

じゅうぶんであるような政治形態もしくは制度であり,そこではしたがって,

権威の原恩,賢察制度,圧制の手段,官僚組織,租税などが,その最も単純な

かたちにまで縮小されて\おり,したがってこ全く当然に.も,君主的諸形態。高度

の集権主義れ 連合制と共同体的気風と紅よってとりかえられて1消滅してい

るような制度」(「Ⅹ恒…‥′\の手紙」1864年8月20日付)であった。みられるよう

に.,これほ・-・種の協同魅合の全社金的拡大を構想したものであって,たしかをこ

急進小市民的ではあるが革命的でほなく,また反国家といってもゆるやかであ

る。プル-ドンの直接民主主義は,したがって個人主義と社会闘争主義との中

間に.立ち,また,知性歯茎のための人間の教育を重視する。具体的な理想郷構

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第49巻 第5・6号 456 - β -

想も,あかるい。これらの諸点でブルードンはゴドクインと似ているが,より

過渡的でもある。

しかしブルードンは,同時にマルクス主義とも対決したという点で,一一層過

渡的であった。ゴドゥインがいまだイギリスの,したがっで世界の,労働運動

の創始期に活動したにとどまるのに・たいして,ブルー・ドンの場合,フランス労

働運動は.,すで紅プランキ主義の洗礼に深く浸透されながら発展して.おり,か

つナポレオン3世の懐柔政策を利用して第1インターナショナルへも積極的に

参加し′こゆくといった活況をしめしつつあった。いきおいブルードンは,あた

かもマルクス主義の成立期に際会し,マルクス自身と手張や著作で対決し,プ

ロレタリア独裁反対,歴史をこえ.た変革主体の自由意志の重視,永久革命の主

弓長等を先駆的に.君■ちだし,バク・-ニンの思想の伏線を敷いたのであった。(な

お,ブルードン紅ついては・,北条賓代準「プル-ドンの行動と思想」『思想』

1967年4月;M.プーバ-・,長谷川進訳『もう・-・つの社会主義-1ユートビア

の途-』1959年,第4章,など参庶。)

以上でわかるように,国ごとの社会的歴史的諸条件軋よってあらわれかたは

異なるにもせよ,総じて直接民主主義の思想ほ,その始発段階たるルソーのあ

とでほ.,あらためて近代資本主義の発展期(したがって労働運動の発展期)に.

おける政治機構としてのブルジョア国家とその代議制(えせ民主主義)、への批

判・反対をば,個人の自律原理の主張を中心としてニ,人間知性の無限の進歩を

信ずる教育論的モラリズムをすぐれて伴いながら,楽観主義的に打ちだされた

ものと言えよう。このような立場では,いきおい階級規定も不明確とならざる

をえず,そのためゴドゥインの理想主義的小ブルジョア功利主義はマルサスお

よぴベンタムの明確紅プラクティカルな大ブルジョア功利主義紅,プル-ドン

の独立小生産者的協同組合主義はマルクスのプロレタリア独裁革命主義に,そ

れぞれ簡単紅力負けしてしまうことに.なった。

王ⅠⅠ

バク-ニンの反権力思想もまた,ロジャのミ・-ル共同体の農民やスイスの山

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思想史的に.みた直接民主主義 -- 9 -一 457

他の半農職人の自由を始発原型としたといわれている。彼の反権力思想ほ.,帝

政ロジャおよび南イクリヤの民衆の絶望的状態を念頭に.おき,とりわけ反国家

・反教会・反マルクスの論点が無国籍的紅きわだっていた(『神と国家』1870-

71年筆,82年刊)。「-私ほ共産主義がきらいだ。それが自由の否定だからだ。私

ほ自由なしにほ,人間的なものを考えることはできない。私ほ共産主義者でほ

ない。共産主義は,社会のすべての勢力を集中し,国家紅吸収させようとして

いる。そ・れは,不可避的軋財産を国家の手に・集中する。これに反して,私は国

家の廃止をのぞむものである。国家ほ道徳と文明との口実のもとに.,人間を奴

隷化し,抑圧し,搾取し,略奪してきた。」(ベルンの平和自由同盟会合での演

説,1868年。現代日本思想大系。16『ァナ--キズム』中の松田道雄の解説を参

照。)

バク--エソにほ,ゴドゥィンやプルードンのような教育重視観(それはグロポ

トキンにも受け継がれる)が欠落しているという特色がある。その思想内容

は,建て「前として-は明白紅プル-ドン主義に.従い,ヘーゲル哲学を自由への無

限進歩の投歴史的弁証法として:受容した点でも,独立小生産者の自由連合を目

ざした点でも(「私ほ社会の組織,集塵の組繊湛.味方する。自由な連合紅よる根

底からの社会財産に.賛成する」),また,プロレタリア独裁を拒否するとともに

ルイ・プランの国立工場とプランキ的少数精鋭蜂起とのいずれにも批判的だっ

たという点でも,バク-ニソはプル-ドンの追随者であった。しかし彼の発想

法ほ,ナ・ポリの飢餓・一揆紅ふさわしいていの,局地的な秘密と陰謀のアブロ-

チに.みち,それほけっして英仏的な系譜のものではなかった。このアプロ-チ

に.よって,彼ほ直接民主主義を,ほじめて.徹底した社会的闘争の思想として据

えた。第1インタ-ナショナルにおけるマルクスとのけげしい対立も,彼の多

くの闘争の1局面にすぎなかった。同インタ-・の1872年の分裂後しぼらくは,

マルクスよりバクーーエソ隠退随する者の方が多かったとも言われても、る。しか

し最晩年,彼ほ.スぺインの秘密分派インタ・-の優勢な運動を,スロ・-ガンどお

りの非中央集権的分散戦術紅よって指導し,自滅させてしまう(参照,エンゲ

ルス「バクーーニソ主義者の活動-1873年夏のスぺインにおける暴動紅かんす

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第49巻 第5・6号 458 一 都トー

る覚書-」)。

ここに.一貫して体現された立場とほ,社会科学的階級規定・権威規定に服し

た本来的な労働者階級の立場とほ宿命的に・たもとをわかつところの,したがっ

てブルードン以上の経済学的分析を全然抜きに.したままでの,独立小生産者の

立場であった。バク-エソは,たとえば1869年の寛1インタ-づ」/ヨナルのバ

ーゼル会議で提案したように.,いきなり財産の個人相続の廃止から始めようと

した。.それは国家の全制度を攻撃すべききっかけであった。しかしマルクスに

よれば,財産相続の廃止は,私有財産の廃止という根本課題の一部紅すぎず,

根本課題の達成の克とおしなしにおこなう冒険はど危険なことほなかった。バ

クーエソとマルクスとの対立は,ちかくほ今日の日本の学生運動内部における

対立に小たるまで,その後の革命的社会運動の高揚期にかならずみられた深刻

な分裂の,原型をなしている。

さて,こうしたバク-・エソの小市民的反権力思想は,一方では労働運動の国

際的連繋がすすもうとするの紅,他方では,すでに独占段階に・突入してあたら

しい形態の社会問題をかかえほじめる発進資本主義国と,いまだ絶対主義やボ

ナパルタイスムのもとで停滞をつづける後進国とのあいだの人民状態のちがい

がひどすぎるというこ.とが痛感された時代,つまり資本主義とその政治機構の

国際的に不均等なレヴュルがはじめてつよく認識された時代に,いらだたしく

対応したものだという観がある。/り・コンミユーン以降世紀転換期までにか

けて展開された反国家闘争の思想・運動の国際分布が,一方ではフランスにお

けるサンディカリスムの形成,他方では後進諸国における.絶対王政打倒運動と

いう2極に分かれたとみられることは,このことを示唆している。

ところでこの時期の絶対王政打倒運動は,さかんなテロリズム(「行動に・よる

プロパガンダ」)と平行し,無政府主義即テロリズムという通念さえ成立した。

しかし直接民主主義の思想は,なるはど権力への憎悪を本質とはするが,けっ

して必然的にテロリズ,ム肯定をともなうものではないとされている。こ・の点,

この時期のバクーエソ思想の後継者クロボトキンが規定したように,理論的紅

は,人民にたいする国家の暴力が極端にあらわれて個人の自律性をまったくこ

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思想史的にみた直接民主主義 ■・■・一 ヱJ- 459

ろす場合にかぎって,正当防衛としで人民がテロ紅訴えたとしても,それほゆ

るされうるが,けっして■奨励すべきこ.とではなく,他方,戦術的に.みて,後進

国でほ正当防衛論が妥当する場合が多いとしても,西欧先進諸国では,もはや

それはあてほ.まらず,むしろ反動をかえって挑発・するばかりだから,断然排さ

れるべきだ,というのが,この立場の正統的な考えかたのようである。ついで

ながら,この時期のテロリズムの源流は,ロンヤのナロードニキに.発しており,

事実上無政府主義者のうちでそれせ受容した者は,きわめて例外的な少数紅す

ぎなかったし,すくなくとも史上有名となった諸事件紅アナ-キスト・グル-

プが参加した証跡は」ほとんどなかったらしいことほ,留意を要しよう。

ただ,それにもかがわらず,注意すべきほ,第1に・,クロボトキソ流に言っ

て,もし国家の存在そのものが暴力だとすれば,先進国と後進国との区別なく,

国家にたいする人民の正当防衛暴力が時処を問わずに正当化されうるこ.とにな

らないだろうか。この曖昧な拡大可能性は現代にまでもちとされる。第2紅,

そうした.人民防衛暴力肯定じたいは,べつに.プロレタリア革命をめざすとかぎ

らない点で,前衛蜂起思想(プランキ主義)と本質的紅異なるはずではある

が,しかし両者は,ともに単純政治的・投経済的な暴力肯定視点に.立つから,

実際戦術的に」はしばしば相互親和的となりうるうえ,もし人民の防衛暴力を直

接民主主義の見地から肯定する集団が,他の人々紅.たいしてほおのずから前衛

たる地位に立つ事実を黙認するなら,すこぶる撞着的ながら,いつのまに.かプ

ランキ主義との野合をとげることとなりえようし,ソレルのよう乾この点を押

しつめるとき,ファシズムへの道が見いだされよう。

ちなみにこの点,マルクス主義の方は.むしろこれと逆であって,マルクスた

ちは,革命の突破口の役を買ってでるプランキ主義を当初ほ大いに評価した

が,政治主義の挫折の重義(2月革命やパリ・コンミュ・-ン)のうちに,やが

てむしろプロレタリアートたる大衆の窮乏化と階級闘争の自発的激化という下

部構造的条件の歴史必然的成熟をな紅よりも基本とし,これ紅盲目なプランキ

主義とやがてきびしくたもとをわかってゆくことになった(たとえばロンドン

のプランキ主義者紅たいするエンゲルスの酷評,1874年,を参照せよ)。

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第49巻 第5・6号 ・-・ヱ2- 460

ⅠⅤ

この辺でわれわれほ,反権威主義者たちにたいするマルクス主義の側からの

批判について,まとめて\おこう。この批判のフロントほ,すでに.みたように,プ

ル-ドン主義へのマルクスの容赦ない批判にはじまり(『哲学の貧困』1847年,

以下),とくにパリ・コンミュ-ンの評価と組織論とをめぐり,第1インタ-ナ

ショナ・ルの総務委員会におけるバク」-エソとのはげしい対立で頂点に・たっした

が,パリ・コンミ・′チーンについてほ,マルクスがこれを労働者階級の樹立した

政治極力と解し,その極限の集中強化を,したがってまたインタ-の総務委員

会の権限の強化をも,目論んだの紅たいして,バク-エソは逆に,コンミユー

ンを国家廃止と無政府状態との最初の達成だとみ,

散化・地方化を主張したのだった。

マルクス派の側からの最も明快な批評として,エンゲルスの『権威原理につ

いて』(1874年)があげられる。エンゲルスによれば,およそ個々人の独立な

行動も,じつは相互に.依存しあう諸行動のからみあい,つまり組織匿よ・つて

うごかされる以上,組織なしに.行動ほありえない。しかし,組織は,-・種の権

威(他人の意志をこちらの意志に従わせること)なしに・ほありえない。「一方で

のある種の権威,他方でのある種の従属は,社会組織とほ無関係に,われわれ

が財貨を生産流通させる物質的諸条件とともに,いやおうなしに到来するとこ

ろのものである。」

エンゲルスに.よれば,工場における生産方法・材料配分等のどの由題に.して

も,その解決は不可避的紅個々人を従わせざるをえず,したがって問題は権威

的に.解決されざるをえない。「人間が科学と発明の才の助けをかりて自然力を

征服すれば,自然力ほ,それを利用する人間をば,社会関係から独立した其の

権威主義に服させること紅よって,報復する。大工業で権威を廃止することは,

エ業そのものを廃止することであり,糸くり車紅もどるため紅蒸気妨巌を否定

することである。」

「生産と流通の物質的諸条件ほ,不可避的紅ますます多く,大工業.および大

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思想史的にみた直接民主主義 ー エヲ ーー 461

農業句影響をうけるが,そのためとの権威の領域もまたますます拡大してゆ

く。だから,権威原理ほ絶対悪で自律原理は絶対酋だと説くのほ,1つの背理

である。権威と自律とは相関的概念であり,その有効範囲は.,社会発展の局面

が異なるに.つれて変イヒしてゆくのである。/自律論者が,未来の社会観繊ほ生

産関係によっで不可避的に.画される限界内だけで権威をみとめる,と述べるだ

けで満足してくれたら,彼らと祈れあうことほ可能だったかもしれない。とこ

ろが,彼らほ梅威を必要とするあらゆる事実に眉目であり,権威という言葉紅

ほげしくくってかかるのだ。/なぜ反権威主義者軋 政治的榛威に.たいして,

国家に.たいして反対の叫びをあげることだけでやめなかったのか。国家,そ・れ

とも政治的権威は,未来の社会革命の結果消滅するであろうこと,すなわち公

的諸機能ほその政治的性格をうしない,社会的利害を監視するという単純な行

政的機能紅かわるであろうというこ.とほ,あらゆる杜会主義者の一致した見解

である。ところが反権威主義者は,政治的国家が,それをうみだした社会関係

が廃止されるよりもさきに,一-・挙に.廃止されることを要求する。彼らは,社会

革命の第1幕が権威の廃止であるべきだ,と要求する。」

こうして∴Lンゲルスほ,革命が「まちがいなく,ありとあらゆるもののなか

で最も権威的なことがら」であることを強調しつつ,こう結んだ。「反権威主義

者は,

場合。これほ,混乱しかない。判っている場合。この場合に.は,彼らほプロレ

タリアートの大義を袈ぎっているのだ。いずれにしても,彼らほ.,反動に.つか

えるばかりである。」

以上で看取されるように,マルクス主義は,社会組織とほ無関係な物質的諸

条件の技術的進歩にともなう-・種の政治外的な権威と,とく紅プロレタリア革

命の達成に緊要な最大の政治的権威と,2種類の権威をみとめている。とはい

え,もとより個人の完全な自律性の実現は,民主主義の極限形態であること,

人間の一切の活動がそう′した自由の領域をめざすことは,マルクス主義も否定

しないどころか,プロレタリア革命は本来,少数者の階級社会を廃絶し,それ

によっでその支配機構だった国家をも自然死威させて,究極的にはすべての人

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第49巻 第5・6号 4(;2 ーJ4 -

間の自由が実現することを,目ざすものにちがいない。なお,上記の2種類の

権威のうち,政治外的な権威,すなわち必然と,究極的自由との関係について

は,マルクスのつぎの説明が参考となろう。

「自由の餞域ほ,事実上,窮迫と外的合目的性とによって一塊定される労働が

なくなるところで,ほじめて始まる。だからそれは,事態の本性上,本来の物

質的生産の部面の彼岸のものである。未開人が自分の欲望を充たすため,自分

の生活を維持し再生産するために自然と戦わねばならぬように,文明人もかか

る戦いをせねばならず,しかもどんな社会形態,ありうべきどんな生産様式の

もとでも,かかる戦いをせねばならぬ。人間の発展につれて欲望が拡大するが

ゆえに.,この自然的必然の領域が拡大する。だが同時に,こ.の欲望を充たす生

産諸力も拡大する。こ.の餞域内での自由は,ただ社会化された人間・結合した

生産者たちが,自然との彼らの質料変換により盲目的カによっての如く支配さ

れる代りに,この質鼠変換を合理的に規制し,彼らの共同的統制のもとに届く

という点一最小のカを充用して,彼らの人間性に.最もふさわしく最も適当な

諸条件のもとで,こ.の質料変換を行なうという点仙】イに・のみありうる。だが,

これほ依存としてつねに二必然の領域である。必然の領域の彼岸において,自己

目的として行なわれる人間の力の発展か,其の自由の領域が,ほじまる。とい

って-も,それは,かの必然の領域を基礎としてのみ開花しうるのである。」(『資

本論』第3部,第48葦。長谷部訳による。)

ところで,世界的に.不均等なままの資本主義の発展に照応した政治面での推

移として,先進各国ではブルジョア民主主義の発達がみられ,進歩的諸思想の

算2インタ-ナショナルをめぐる「瀧会民主主義」への統一と分裂とがあり,

後進国では,それらのかわり紅画期的なロジャ革命の成立をみたが,と・のロン

ヤ革命をめぐって,権威原理がふたたび問われうるものとなった。後進国ロジ

ャの革命では,なるはどポリシェダイキの中央集権(少数精鋭)主義が,メソ

シェダイキの個人の自律原理尊重・自然成長主義を押さえたことの必然性が明

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一J5- 思想史的にみた直接民主主義 463

自だった。しかし,この特殊事情を先進諸国に輸出できるか。鉄の規律の1党

独裁は,後進国革命の手続き一上の必然意として容認できるとしても,それはは

たしてプロレタリア(階級)独裁にさえ,ひとしいか。かりに革命における過

渡的権威をみとめるとしても,それほプロレタリアーート全体のそれにかぎら

れ,前衛党紅みとめられたわけではないのでほないか。叩この疑問が,プレ

ハ-ノフやロ-ザ・ルクセソプルクやトロツキーの志向だった。しかし,総括

者レ-エソは,この志向を十分理解しながらも,前衛見に・つい■て:の権威原瀾適

用をゆるぎなく維持したようである。ところがスターリン紅よって,一国革命

論によるテコいれを受けたうえ,官僚主義助長という致命的にあやま、つ■た支柱

を供されつつ.,権威原理が特殊なかたちで】・・・・′面的に・ひき継がれることになっ

た。スタ-・リン主義の発展ほ,当然晴々裡に・,・-・般知識人のみならザマルクス

主義者の内部からも,プレノ、-ノフ=ルクセンブルク=トロツキ--の線への志

向をもつ人々をつくりだしたと言えよう。「枚会主義の完成は,数世紀にわたる

ブルジョアの階級支配によって堕落した大衆の,全体的な精神革命を前提とす

る。…‥川再生への道ほただ1つ,それは,無制限の,最も広汎な民主主義であ

り,世論である」(ルクセンブルク)という言葉に,この時期の直接民主主義思

想の課題性がしめされていた。

しかし,ロシア革命後まもなく,各国資本主義ほ,籍1次大戦および世界恐

慌を契機として,国家独占資本主義段階にはいり,婦人参政権までもみとめた

うえでの先進国のブルジョア民主主義の独占資本による直接間接の総ぐるみ支

配,つまりブルジョア民主主義の形骸化の最も極端な形態が,目だちはじめる

という事態と,「・一国革命」国=ソ連に.おけるスタ・-リン主義の進展とは,生き

のびた直接民主主義思想紅絶望的後退を余儀なくさせただろう。かえってファ

シ∵ズムと第2次大戦の時期でほ,反ファシズム闘争(人民戦線など)のなかに・,

息をつぐことができたかと推定される。

第2次大戦後,資本主義各国の“戦後”期(窮乏期)ほ,プロレタリア・-ト

自身の革命運動が中心問題でもあったし,個人の自律性に.壷きをおく反権威主

義は民主主義一腰の風潮にくみこ.まれて,とくiこ注目されるに.はい女らなかっ

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一一」椅 -- 第49巻 第5・6号 4(;4

たかもしれない。しかし,“戦後”がおわり ,列国での資本主義の再建が成り,

一見窮乏化現象も減衰し,現代的ブルジョア民主制が確立したとき,人々ほあ

らためて,かの「大衆社会」と「人間疎外」にとりかこまれて1人1人の自律

性が圧殺されつつあること,表面上は「ゆたかな社会」のもとで,プロレタリ

ア・-・トは攻撃目標をはぐらかされただけでなく,総ぐるみの中間層化現象紅ま

きこまれて体制内化してゆくこ.とに,気づきはじめた。イギリスのニュ--・1/

フト運動などが,その口火を切った(本稿では、ニュ一-・レフトの説明ほ省略す

る)。ここでわれわれは,直接民主主義思想のあたらしい根拠状況とともに,本

稿の冒頭に.立ちかえることに.なる。

現代的直接民主主義思想の特色は′,それが大きな世界的運動の放として.あら

われていることを,われわれほさきに指摘した。運動の成果(挫折もまた,こ

の立場からみ.れば-・種の成果であろう)が,この思想を勇気づけるように養え

る。チェコ事件における民衆蜂起やパリの5月革命の大討論などが,その例で

ある。

1論者は,5月革命の「短かくぼ.あるが豊暁な日々」を分析して.,デカルト

の檎神を想起しながら,非教条的で直接民主主義的な精神が「5月革命の.最大

の特徴であり,それこそ現代払おける社会変革のもっとも基底に.おかれるぺき

もの」とし,とくにソルポソゝ一ヌでの討論会のありかたを讃美して言いる。「あらか

じめ定められた方向へと操作するi‘指導の意識”は.拒絶され,不断紅活かされ

ようとしたのは大衆自身の自発的な意志であった。したがってあの巨大な連動

のもっとも基底に.あったのは,第1に徹底した自由な討論であった。」「こ.の自

由な討論紅は,既存の価値体系を無条件に.,あるいは.いくぷん修正して尊重し

維持しようとする潮流とも,大衆の行動をつねに.指導下に.おいて統制しようと

する潮流とも鋭く対立する,5月革命の非教条的な基本的な性格がみられる

が,平等主義的とも,直接民主主義的とも,さらには絶対自由主義的ともいい

うるこの基本的な性格は,5月革命の発火点‥…・」(江口幹「社会変革と非教

条的精神」『月刊労働問鼠』1969年11月号)。

日本における「-全共闘運動」派学生に.よる「学園闘争」の意義を総括反省し

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ーJ7 - 思想史的軋みた直接民主主義 465

た1論者は,それがこれまで「日本の反体制運動の中で完全に欠落していたも

の」としての「階級闘争の前段蜂起」であるという解釈が有力なことをみとめ

ながら,そこには「たとえば過去の反体制運動を支えてきた論理と倫理に・アン

チす・る形態で情念と感性がある。人間そのものを本質的に見つめようとする視

座であり,過去の反体制運動紅ほなかった点である。あるいほ,今日まで疑い

をさしはさむことさえ.しなかった日本的精神風土,日本的価値体系という,こ

れまでの反体制運動の中で前提とされ温存されてきたものが,大衆的に・否定さ

れ,そ・の諭が広がりつつある。……‥…従来の組織物神崇拝(組織信仰)・官僚制あ

るい推議会信仰阻対するアンチ形態としての直接民主主義の提起は“個の論

理’’として提起されたものであろう。‥・伸・学生からの問いかけほ幼児の発想濫

も似てラジカルなのである。……・」としている(中村奉安「状況は“不明不時”

か」『朝日ジヤ-デル』1969年12月7日号)。

たしかに「日本的精神風土,日本的価値体系」からみれば,徹底的な「個の

論理」としての直接民主主義が,こ.れはどの大規模な運動の内実としでもりあ

がったことは,これまでなかったことであろう。さきの論者が5月革命に感嘆

したのもふしぎでない。しかしヨ-ロツバ思想史をかえりみるとき,それがけ

っして本質的に.はじめて現代紅おいてあたらしいものとして登場したものでは

ないこ.とを,われわれほみた。ただ,その道勤の披をささえる歴史的社会的条

件串ミ現代資本主義償よって固有にととのえられていることが,留意されるので

ある。

ⅤⅠ

直接民主主義思想の現代的諸争点のうち,第1紅,中心的な点,すなわちと

くに.革命思想として,反権威と個人自律との原則が実際に.どこまでつらぬける

ものかという点については,すでにマルクス主義との対立点をめぐって考察し

たので,ここではくりかえさないが,結局問題は,組織および親織論ぬきで,

そ・もそもデモ1つ組めるであろうか,というこ.とであろう。反面,「組織信仰」

という言葉で批判するに.催する管理社会・官僚制の拡大に.よる人間埋没の弊害

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算49巻 第5・6号 - ヱβ・- 466

もまた,あきらかである。直接民主主義は,ヒュ.-マニズムの現代的形態とし

て,現代社会の諸機構,とくに政治機構への抜本的な批判原理として.,重要さ

をもちつづけるだろうと思われる。

舞2に,現代め直接民主主義思想の背後にある哲学の性格に.ついてである

が,それは.もちろん,政治技術・法技術をめぐるプラグマティズムなどではな

ぐて,まさに.その正反対のもののようである。こ.の理想主義的な哲学の具体的

特徴をさがすなら,それが当の個人からみてこの一切の外界(組織・権威。教条

・体制。全体)を拒否してひたすら「原点」紅かえるぺしとする発想に.求吟ら

れることがわかる。ホルツがマルク・-ゼを批判するさいに・用いた草葉をかりれ

ば,これはまさに.1つの「終末論的形而上学」だということに.なろう(H.H.

ホルツ,池川健司訳『・ユ・-トピアとアナーキズム』1969年)。すすんで言えば,

ノイマンがこころみたように,これほ終末論的破壊主義という1つの宗教的態

度として,そゐ系譜をアナバブティズムに.,さらにさかのぼって:はアクグヌチ

ヌ.スの没政治の思想紅まで,たどることもできよう(参席,橋川文三「アナ-

キズム断想」,現代日本ノ翠想大系・16『アナ-キズム』付録月報所収)。

籍3笹,しかし哲学も思想も,そのままではけっして社会科学ではない。思

想は論理を有するとしても,・そ・の論理ほ,科学の論理とほべつのものである。

が,この哲学と思想は,それ自身の社会科学を,もって:いるだろうか。すくな

くとも,「論理と倫理」の媒介を辛棒しきれずに,「情念主感性」だけで直接に

問題処理をしようというのであるかぎりは,・その答は,現在までのところ,否

というはかないであろう。マルクスは,たとえば「物神崇拝」という語をきわ

めて科学的に厳密な規定脈絡で使用した。直接民主主義の思想が,-・切を(し

たがって既存の諸科学をも)拒否するはどでありながら,しかもみずからの科

学的考察を準備していないとしたら,相手を「幻想」呼ばわりしているこの立

場自身が「幻想」だと批判され,「個人の自律性」という「物神崇拝」紅とらわ

れていると難じられてもしかたがないであろう。

第4紅,直接民主主義の現実性について付言すべき点がある。われわれは,

全然組織を否定したような運動も社会も考ええないことを,指摘した。ただ,

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思想史的にみた直後民主主義 綱 ヱ9 一冊 467

こ.の恩想の思想史上で主要な思想家がみな諒とめたよう紅,ごくゆるやかな協

同組合的地方自治といった組織(バクー・ニンのいわゆる 紬コレクティグイズ

ム”)やその連合を諒とめるとすれば,これほ十分構想可能に.みえる。だが,

そうした組職丁-コソミ∴ユーソ・剛・は,はたして現代に.適合的か。

この点,「コンミュ-ソほ幻想となった」(永田洋『社会科学のすすめ』1969

年)とする見かたが有力である。この見解によると,「全員参加の理想形態は,

直接民主制であり,いわゆるコソミュ-ソである。しかし,直接民主制が可能

であるために、は,社会の規模がちいさく,したがってこまた,道営が専門的な知

識や技術を必要としないはど,単純でなければならない。これほ.,原始共同体

を可能にする条件紅,かなりちかい。」ところが,支配と階級との発生ととも

に,ナで紅労働の代行が不可能紅なる。まして/近代社会は,盈的に.も質的紅も,

コンミュ.--ソを受けいれえない。中世都市でさえすでに共同体的同一・性をあら

わすコンミユーンほ擬制だったが,ましで近代社会においては,幻想だ,とさ

れる。「幻想粟からといって無意味なわけでは.ない。近代民主主義の人間疎外

的傾向を,批判し規制するカをもつ。原理としてほ,純粋であればあるはど,

強力であ畠。しかし,そ・れが純粋原理のままで,現実化されるならば,有害で

ある。小集団においてしか,あるいは限定された事がら紅ついでしか,なりた

ちえない諸個人の-り体性を,たとえば人類の名において,その集団の外にん、る

人間,限定の外にある事がらに.,おしつけることに.なるからである。全体主義,

ファシズムへの危険さえ,そこに.はひそんでいる。」-

この批判のうち,「コンミューンほ幻想となった」という部分については,

若干凝問の余地がある。これほ,生産力説に傾きすぎた,単元的かつ単線進行

的な解釈ではないだろうか。籍1に,われわれの日常生活をかえりみても,家

族以外に,ややひろい枠で,なるはど資本主義的価値法則や人間疎外ぬ包囲さ

れてほいるかもしれないが,種々の機能別。目的別の小集団が,・-・種の直接民

主主義にあたることを事実上実現しえて-一・種の労働代行もおこなわれ,共同体

的雰囲気をかもしだす場合があることを知っている。われわれは,いつしかこ

れを「サ・-クル」と呼ぶようになっている。生き生きとした任意のサ・-クル活

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ー2〃 - 第49巻 第5・6号 468

動をながめるとき,直接民.主主義の適正規模といっ・たものが見当づけられる

(サ-クルの思想については,『思想の科学』紅かなりの文献がのっていたかと

思うが,いま参照の余裕がない)。ついでながら,もしいつの日か,大学が国家

権力や官僚統制やブルジョア経済から自由に.なり,このような目的共同体ない

しその連合体として再編成されうるなら,しかもそれへの萌芽が現実の大学に

はんのすこしでもあるなら,「大学幻想論」もまた返上しうるだろう。第2に,

社会の物的生産力は,なるはど刻々に巨大になってゆくに.しても,その装置

(人間が操作する部分)もそうだとは,かぎらないのでほないか?人間は本能

的に,・一切の文化財を五官が統御しうる範囲に眉-こうとする。大きくなろうと

する道具や機械や生活用品を,また情報をも,山方で不断紅ミニ化・ マイクロ

化・ノ、ンディ化しようとするし,しつつある。生産力の上昇や都市化・核家族

化をこえた「人間交流」集団の不断の形成への動向ほ,いちがいに否定できぬ

ものがあるかもしれない。以上の諸点から,単純な生産力説的観点からコンミ

ュ.-・ンは牧歌的に.しか考ええ.ないと決めてしまうのは早計,との批判もなりた

ちうるこ.とほ留意に値しよう。

ただ,いずれ紅しても決草的紅あきらかなととほ,現代社会が転じて理想的

な共同体の連合へと全面的にかわりうるためには,きわめて彪大な歴史的諸媒

介が不可欠であること,そしてそれらの媒介事項や媒介状況の分析は,気まま

な感性ではなくて,するどいが忍耐づよい理性に.確固と支えられた社会科学

の,固有の任務に属するだろうということである。

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