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BLAZBLUE ―ブレイブルー― フェイズ0 原案・監修 モリトシミチ(アークシステムワークス) 駒尾真子 富士見書房 435

t1501 ブレイブルー0 面付 - FamitsuBLAZBLUE―ブレイブルー― フェイズ0 原案・監修 ‥ モリトシミチ(アークシステムワークス) 著‥駒尾真子

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BLAZBLUE―ブレイブルー―フェイズ0

原案・監修 ‥モリトシミチ(アークシステムワークス)著

駒尾真子

富士見書房

435

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目プロローグ

5

第一章

喪そう失しつの白

11

第二章

破は壊かいの黒

47

第三章

真実の赤

86

第四章

邂かい逅こうの銀

123

第五章

封ふう印いんの緑

170

第六章

約束の蒼あお

213

エピローグ

253

あとがき

261

3

口絵・本文イラスト

加藤勇樹(アークシステムワークス)

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プロローグ

彼はそれを||門と呼んだ。

緑や赤のランプが明めい滅めつする無機質な部屋で、二人の男がいくつも並ならぶ計器を見つめていた。

ひとりは四十代前半。白衣を羽は織おっており、見るからに研究者然とした身なりだ。だが冷静

であろうと努めようとするも緊きん張ちようが隠かくせず、しきりに髪かみを撫なでつけたり眼鏡めがねを押おし上げたりと

どこか落ちつかない。

もうひとりは少し若く、二十代後半。一体なにを考えているのか、感情らしきものをひとか

けらも匂におわせず、計器が示す数値をながめるように目で追っていた。

「蒼あおの魔ま道どう書しよに、第零ぜろ型素そ体たい、ムラクモユニット……」

眼鏡の男が計器から顔を上げ、眼前に広がる光景に目を鋭するどく細める。

そこには壁かべの一面に特とく殊しゆガラスがはめられ、その向こうにあるものを曇くもりなく見通せるよう

プロローグ5

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だが渦うず巻まく炎ほのおの

いのせいか、それともはなから振ふり向むく気などないのか、彼は巨きよ大だいな窯かまの

ようなそれを見下ろし佇たたずむ。

「どういうことだ……�

クサナギの反応ではない。もっと奥から、なにか……」

「おい、なにがあった�

レリウス

クローバー

「これは……そうか、境界の向こう側

突とつ如じよ、火口から黒い霧きりが噴ふき出した。

猛もう烈れつな

いのそれはレリウスの言葉をのみこみ、そしてレリウス自身までもしゆ時んじにして

こむ。

「なっ……

なにが起こったのか。

驚きよ愕うがくに目を見開く眼鏡の男の前で黒い霧は止めどなく、むしろ

いを増して噴き出し、

を、

空気を圧あつ迫ぱくしていく。

レリウスのすがたはない。霧に

みこまれて跡あと形かたもなく消えてしまった。

「う、あ、ぁ……っ」

なにが起こっているのか。

それは男の理解を超こえていた。

目にするはずではなかった現象が渦巻き、まるでなにか形作ろうとしているかのようにわだ

かまって蠢うごめいている。

プロローグ7

になっていた。

見えるのはまるで火山の火口のようなもの。赤々と燃えたぎるどろりとしたものが、硬かたい岩いわ

肌はだに開いた穴あなの奥おくで蠢うごめいている。

それはなにか途と方ほうも知れない生物のみや動くどうのようにも思えた。

「どれも常識外れだと思っていたが……ここまでくると、常識という枠わく組ぐみそのものが無意味

に感じられるな」

声はとなりにいる無表情な若い男に向けられたものだったが、男はちらりとも声の主を見ようと

しなかった。蝋ろうで固めたような横顔の中で、冷たい色をしたく唇ちびるだけがわずかに動く。

「……クサナギが……」

「どうしたレリウス�

クサナギの精製までは、もう少し時間が必要だが……」

言いかけた眼鏡の男性の言葉をさえぎって、レリウスと呼ばれた蝋面の男がそれまで腰こしかけてい

た椅い子すから滑すべるように立ち上がった。そのまま慌あわただしく部屋を出ていってしまう。

残された眼鏡の男も慌ててそれを追いかける。

廊ろう下かからエレベーターで

り、たどり着いたのは、さっきまでは特殊ガラス越ごしに見ていた

大きな火口のようなものの前だ。

その火口近くに、先に駆かけ出したあの男が立っている。

「レリウス�

〞門〝に余計な干かん渉しようをするなと言ったのはお前だろう�」

駆け寄よろうとして、圧あつ倒とう的な

気に怯ひるむ。代わりに眼鏡の男は声を張り上げた。

6

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そこには世界のすべてが映うつし出された。

……恐きよ慌うこうも、ひ哀あいも。

「クラヴィス様」

老人の後方から声がかけられる。太く落ち着きのある男の声だった。

老人は視し線せんを揺ゆらがせたものの声を振り返ることはなく、軽く握った手を添そえるように頰ほお杖づえ

をついたまま答える。

「ヴァルケンハインか。……悪い知らせのようだな」

「先ほど各国の首しゆ脳のう会議により、日本への核かく攻こう撃げきが決議されたそうです。事態が事態ですので、

実行は間もなくかと」

「そうか……」

老人の双そう眸ぼうが憂うれえるような色に曇くもり、水鏡に落ちた。

「もはや避さけられぬか。それが彼らの選せん択たくならば仕方のないこと。……私はただ見守るしかで

きぬ」

果たして彼らの選択がもらたすものは、未来か、破は滅めつか。

世界のすべてを映し出す水鏡も、老人の心中に絶えずあるその問いには黙もくしたままだった。

プロローグ9

ゆっくりと鎌かま首くびをもたげるようなそれは……どこか蛇へびにも似にていて。

やがてなにかの臨りん界かい点てんを迎むかえたように巨大な身を震ふるわせると、それは一気に弾はじけ飛とんだ。

「うわぁぁぁ

�」

男の

鳴をも

みこんで、霧の魔ま物ものは轟ごう音おんと地じ響ひびきを連れて噴き出した

いのままに駆け抜ぬ

ける。

すべての条理を踏ふみ砕くだき、かっさらっていくように上へ上へ。

そして過ぎ去った跡にはなにもなく。

ただ壁かべに食い込む廃はい墟きよと化した計測部屋と、不気味なまでに静かな窯だけが取り残された。

銀の月が丸く空にかかっていた。

そこはどこにも通じていながら、どこからも通じていない場所。

あらゆるものの間にたゆたうま幻ぼろしのような場所。

深い色をした蔦つたが壁かべを覆おおい尽つくさんばかりに這はう古こじ城ようの一室で、髪かみの白い老人がひとり、深

く椅子に体を沈しずめていた。

重ねた歳としに似合わぬ若々しく聡そう明めいな瞳ひとみは、銀の盆ぼんに張られた鏡のような水面を見つめている。

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第一章

喪そう失しつの白

||手記1。

彼との共同研究は今のところ順調だ。

彼の知識や技術は私の個人的な研究課題にも大いに役立ってくれる。今後の発はつ展てんが楽しみで

もある。

レリウス

クローバー。彼は天

だ。

||手記2。

今日、妙みような客が訪たずねてきた。緑の髪かみをした、蛇へびのような笑い方をする得え体たいの知れない男だ。

我われわ々れの研究にえらく興きよ味うみを持っているらしく、特とく殊しゆな素そ体たいの製作を依い頼らいされた。

第一章 喪失の白11

大地からなんの前まえ触ぶれもなく黒い霧が噴き出し、それが幾いく本ほんもの首を持った巨大な蛇の

作る。突とつ如じよとして出現した霧の魔物を人々は『黒き獣けもの』と呼んだ。

『黒き獣』はそれだけが唯ゆい一いつの本能であるかのように破は壊かいした。

なにもかもを、ことごとく。

神しん出しゆ鬼つき没ぼつの魔物に誰だれの力も敵かなわず、どんな力も届かず。ついに人類は『黒き獣』が出現した

大地ごと破壊することを決めた。

まさしく最後の手段だった。

けれど……それは死なず。

『黒き獣』は破壊された大地から飛び立ち、世界各地へと広がっていった。

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なにもわからないまま、たぶん草の上に座すわりこんでいたのだと思う。

「……か�」

ふと、誰かの声が

こえた。

こちらを覗のぞきこんでいるのだろうか。さっきまで強きよ烈うれつに眩まぶしかった光が遠のく。

「だいじょ……で……か�」

女の声だ。清きよらかで、澄すんだせせらぎのような声。ぼうっとしていた頭が、涼すずやかな声によ

っていくらか冷やされた気がした。

なにか答えようと思った。けれど体に力が入らず、声も出なかった。

限界だ。意識を保っていられない。

ふいにぐらりと体が傾かたむく感覚と同時に、世界が暗くら闇やみに閉とざされる。

意識が途と切ぎれる寸前、女の声がなにか慌あわてたように話していたようだったが、すぐになにも

こえなくなってしまった。

目を開けると、所々傷いたんでひび割れた板張りの天てん井じようが見えた。

「……どこだ、ここ�」

粗そ末まつな布ふ団とんが敷しかれた粗末な寝しん台だい。その上で体を横たえていた白い髪かみの青年は、怪けげんそうに

第一章 喪失の白13

当然断ことわるとふんでいたが、彼は勝手に承しよ諾うだくしていた。レリウスの奴やつはいつもそうだ。なんで

も独断で決めてしまう。

あんな素すじ性ようも知れない男の絵え空そら事ごとに付き合っている暇ひまなど、ないはずなのに。

だがもし、あの男の言う通りならば、オリジナルユニットに触ふれられる機会があるかもしれ

ない。そうなれば私にとっても十分なしゆ穫うかくだ。

あの男が我々の知り得ないなにかを握にぎっているのは確たしかだ。しばらくはレリウスの気まぐれ

に協力するとしよう。

むせかえるような緑の匂においを感じていた。

それから、その向こうからふり注そそぐ眩まぶしい光。

けれど彼が理解できるのはそれだけで、あとはなにもかもがあやふやで、まるで夢ゆめの中に沈しず

んでいるかのようだった。

ここはどこで、自分は誰だれで、今どうしているのか。生きているのか、死んでいるのか。本当

にここに存在しているのか。

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とてもこんなボロい小屋に住んでいるとは思えない。

「そっか、まだ名乗ってなかったね。私はセリカ

マーキュリー」

まるで警けい戒かい心しんなくそう答えると、セリカと名乗った少女は人ひと懐なつっこく笑顔を浮うかべた。

ますます、この廃はい墟きよじみた小屋の

景には似に合あわない。

「お兄さんの名前は�」

「ああ、俺は……」

屈くつ託たくなく問われ、答えようとして、青年は言葉に詰つまった。

名前。自分の名前。それがなかなか出てこない。

ないはずなど、ない。ただ頭の中がひどく混線していて、なにかを思い出そうとすると白い

もやの中に意い識しきがのみこまれるような感覚を味わう。

「……ラグナだ」

左手で頭を押さえきつく眉を寄せながらも、白はく髪はつの青年||ラグナは混乱する頭の中から自

分の名前を拾い上げた。

口にしてみればなんのことはない。それがまさしく自分の名前であるとわかる。

「ラグナさんね。わかっ……」

「待て待て、ラグナでいい。んな『さん』とかつけられると、居い心ごこ地ちわりぃんだよ」

「ふふっ、はーい。よろしくラグナ」

ぼさついた髪を荒あらっぽく掻かき乱すラグナを見て、セリカは楽しそうな笑い声を洩もらした。

第一章 喪失の白15

眉まゆをひそめた。

見覚えのない景け色しきだった。

緑色の目を動かして周囲を見回してみる。寝台に負まけず劣おとらず、今にも崩くずれそうな質素な小

屋だ。家財道具はほとんどない。壊こわれかけの椅い子すに割れた食器。その程度だ。

やはり見覚えはない。

「どうなってやがる……」

頭がぼうっとしていてはっきりとしない。それがうっとうしくて体を起こしたとき、後方で

小さな物音が

こえた。

「あ。気がついたんだ、よかった」

同時に女の声がする。青年は後ろを振り返った。

穏おだやかな茶色の髪をひとつに束たばねた華きやしやな体つきの少女が、小屋の中に入ってきたところだ

った。

少女は青年を見るや嬉うれしそうに表情を咲さかせて、小走りに駆かけ寄よってくる。ひょいと実に気

軽な仕草で青年の左ひだ腕りうでを取ると、手首に指を添そえて簡かん単たんにみやくをとった。

「どこか痛いところある�

気分は悪くない�」

「いや、特には。……つーかお前誰だ�

それと、俺おれはなんだってこんなとこで寝ねてんだ�」

わけがわからないまま青年は少女を見る。歳としは十代半ばくらいだろう。日焼けとは縁えん遠どおい白

い肌はだで、品のいい顔立ちをしていた。

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未いまだ分ぶ厚あついもやのかかった頭の中で、ラグナの微かすかな記き憶おくが身じろぐように主張する。けれ

ど誰だったか、どこでだったか。それが本当に自分の記憶なのか……自信が持てない。

「で、怪我の手当てをして、顔や服についてた汚よごれを拭ふいて。タオルを洗って戻もどってきたら、

ラグナが目を覚ましていたというわけ」

「怪我って言うけどよ。なんともねぇぞ�」

ラグナは自分の体を見下ろしてみた。

黒い服に丈たけの長い赤のジャケット。あちこちには落としきれなかった土つち汚よごれの跡あとが残ってい

た。だが傷きず跡あとどころか、手当てした痕こん跡せきすらない。

セリカは少々困ったように眉を下げ、頰ほおを指先で引ひっ掻かいた。

「ああ、それは……なんて言ったらいいかな」

「なんだよ�」

「……あのね。ラグナの怪我は魔ま法ほうで治したの。……って言ったら、信じてくれる�」

大きな瞳ひとみがうかがうようにラグナを上うわ目めづかいに見る。笑顔にはほんの少しの不安が滲にじんで

いた。

それを見つめ返し、ラグナはわずかに目を丸くさせた。

「へえ。あんた、魔ま道どう士しなのか。しかも治ちゆ魔ま法ほうの使い手なんて、初めて見たな」

「え�」

今度はセリカが目を丸くさせる番だった。

第一章 喪失の白17

ラグナは決まり悪く口元を歪ゆがめる。それから改めて、セリカと小屋の中を見回した。

体が重くて思うように動かないのがわずらわしい。

「でだ、セリカ。俺はこのじ状よう況きようがさっぱりわかってねぇんだ。俺がこのボロ屋で寝ねっ転ころがって

た理由を知ってたら、ぜひとも教えてほしいんだけどよ」

「あ、そうだった。じゃあ手てみ短じかにね」

セリカは素直にうなずくと、ラグナと向き合えるようにベッドの縁へりに浅く腰こしかけた。彼女の

人形のような大きな目が迷まよいなくラグナを真まっ直すぐに見つめる。

「ラグナはこの村の裏にある森の入り口に倒たおれてた……というか、座り込んでたの。あちこち

怪け我がをしてたし、ふらふらで意識が朦もう朧ろうとしてたから、休ませないとと思ってこの小屋のベッ

ドを借りたの」

「あんたが俺を運んだのか�」

「そんなまさか�

ラグナ、意識もほとんどないのに自分で歩いてきたんだよ。もちろん肩かたは

貸したけど」

そう言うと「すごく重かったんだから」と笑いながら、セリカは小さな肩をぐるりと回して

みせた。

明るく笑う少女だ。不思議なくらい笑い声が気に障さわらない。むしろ笑顔ひとつで、やわらかな

陽ひだまりの中にでもいるような温かな気持ちにさせてくれる。

(……どこかでこんな笑顔を……見たような)

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「でもよかった。それなら魔法がどういうものかとか、細かく説明しなくていいもの」

「まあな」

ラグナは苦くし笑ようする。ころころとよく変わる表情だ。

「あ……でもね」

ふと、セリカは瞳の奥に

しげな色を浮かべた。小さな手が控ひかえ目にそっと、ラグナの右みぎ腕うで

に触ふれる。

「どうしても、この右腕と右目は治してあげられなかった……」

「みたいだな」

目が覚めて、セリカが部屋に入ってきた辺りでラグナ自身も気が付いていた。

セリカの治

魔法のおかげで体には傷ひとつ残っていない。

だが右腕と、右目が。形こそそこにあるものの、なにも存在していないかのように動かない

のだ。

腕は指先さえピクリとも動かず、目に至っては光さえ感知しない。

「立ち入ったことを

くけど、それ、一体どうしたの�」

小首を傾かしげるセリカを横目に、ラグナは自身の右腕に触れてみる。

ラグナは右手を覆おおっている手てぶ袋くろを外すと、現れた手は影かげを固めて作ったかのように真っ黒に

染そまっていた。爪つめの先まで、だ。

撫でると、人ひと肌はだの感かん触しよくはある。けれど触れられているという感覚はない。まったくの別人の

第一章 喪失の白19

ぱちくりとまばたき、小こ柄がらな体をずいと前に乗り出させる。

「魔法の話、信じてくれるの�」

「はあ�

信じるもなにも、別におかしいことじゃねぇだろうが」

魔法は昔むかしからある一種の技術だ。扱あつかえるかどうかは素質に大きく左右されるため、使用者は

多くない。だがその存在と名前は誰だれもが知っているもののはずだ。

少なくとも、ラグナの頭の中にある常識では。

(あれ、でも魔法なんてどこで見たんだ�)

確たしか誰かが使っているところを見たはずだが、思い出そうとするとまた頭の中が白いもやに

埋うまってしまう。

目の前ではセリカがどこか茫ぼう然ぜんとしたように、まじまじとラグナを見つめていた。

「ラグナって……不思議な人」

「なんだそりゃ」

「だって普ふ通つうの人なら、魔法なんて

科学的なものが本当にあるわけないって言うのに」

ラグナは首をひねる。それこそ信じられない話だった。だがセリカの言い様は真しん剣けんで、それ

が冗じよ談うだんだとも思えない。

妙みような感じだ。まるで、眠ねむって起きたら世界が変わってしまったかのような。

ラグナが戸と惑まどっているうちに、セリカのほうは彼女なりに納なつ得とくをつけたらしい。最初と同じ

ように人好きのする明るい表情で、乗り出していた身を元に戻していた。

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たとえば世界には空気があり、水があり、大地がある。そういった脳にこびりついている、

考えるまでもない常識については一通り把は握あくしていた。

覚えていないのは主に彼の

景に

わる事こと柄がらだ。辛かろうじて名前は覚えていたが、ではその名

前は誰がつけたものなのか。親はいるのか。兄きよ弟うだいは�

どこで生まれて、どこで育ったのか�

友人の名前は�

脳のどこかに記憶があるのだろうことはわかっても、それを探さがしあてることができない。

ゆえに、なぜ廃はい村そんの前で自分が倒たおれていたのかも、ラグナには見当さえつかなかった。

「……なあ、ちょっと

きてぇんだけどよ」

日が徐じよじ々よに西へ傾かたむこうという午後、ラグナとセリカは長らく人に使われていないらしい荒あれ

た山道を歩いていた。

セリカはあの廃村とはなにも

係なく、目的地に向かう途とち中ゆうでたまたま通りがかり、偶ぐう然ぜんに

ラグナを発見したらしい。

彼女の目的地とはここからほど近い港みな町とまちだった。山中の廃村とちがって多くの人が住む都市で

あり、各地への船やバスも出ている。そこから船に乗って、父親を探しに行く途中なのだそう

だ。そ

こなら失った記憶に

するなんらかの情報が手に入るかもしれない。なにより廃村に留とどま

るよりはずっとマシだと、ラグナはセリカに同行することにしていた。

その道中、ラグナは自分の一歩先を行くセリカをながめながら重く声をかけた。

第一章 喪失の白21

腕を摑つかんでいるようだ。

「……思い出せねぇんだ」

「腕がそうなってしまった理由を�」

「いや、それだけじゃない」

ラグナはひとつため息をついた。そろそろ認めなければなるまい。自分の腕と目の異い変へんを自

覚したように。

「俺がどこから来てここにいるのか、そもそも俺は何者なのか……」

そう話す自分の声まで遠くに思えて、気味が悪い。

「名前以外、なんにも覚えてねぇ」

しばしののち。ようやくラグナの言わんとしていることを理解したセリカが、実にゆっくり

目を見開いていくのが印象的だった。

記憶がない、と言えば単純な話だが、ラグナはなにもあらゆることを忘れているわけではな

かった。

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「……あれ�」

ラグナの指の先を目で追って、少しの間を開けて。セリカが無むじや気きな声で首を傾かしげた。

「『あれ�』じゃねぇよ、テメェ馬ば鹿かか

やっぱ道戻ってきてんじゃねーか�」

「そんなはず……おかしいな、一本道だったのに」

「どこがだ�

自信満々に道外れて森ん中突つっこんで行ったろ�」

「はて。そうだったっけ�」

「そうでしたよ�

つーか、お前もしかしなくても道全然わかってなかっただろ

堂々と道なき道を行くセリカに大だい丈じよ夫うぶなのかと再三問い質ただしたが、彼女の前向きな自信が揺ゆ

らぐことは一度もなかった。だから膨ふくれるばかりの不安を押し殺してついてきたら、この様ざまだ。

「でも山の下に行きたいんだから、下ればいいはずじゃない�」

そのはずなのに、なぜか戻ってきているから問題なのだ。

ラグナは自由のきく左手で頭を抱かかえた。

「地図は�」

「あるよ」

セリカが肩に提さげていた鞄かばんから大きな地図を取り出して広げる。世界地図だった。

「えっと、この町に行こうとしてるから、たぶん今はこのへんだと思うの」

白い指先が示すのは海うみ辺べにある都市付近一帯。それを実

の広さにしたらどれくらいのもの

になるのか、考えたくもない。

第一章 喪失の白23

「俺の気のせいかもしれねぇんだが、いいか�」

「ん、なあに�」

セリカは前を見たまま返事をする。ひとまとめに結ゆわえた長い髪かみが歩くたびに左右に揺ゆれて

いた。

それを目の端はしにちらつかせながら、ラグナは渋じゆ面うめんで口を開く。

「……道、戻もどってねぇか�」

町は山のふもとにあるはずだ。だというのにさっきから道は緩ゆるやかに上り続けている。その

傾けい斜しやはちょうど、廃村を出発したときに下ったものと同じくらいだった。

セリカが振り返って笑う。

「やだなぁ、そんなわけないじゃない。ラグナって意外と心配性なんだね」

「へえ。だといいんだけどよぉ。そんなら、あれは見み間まちがいか�」

言いながら、ラグナは道の先に見えてきたものを指差した。

細い道はどれくらい人の行き来がなかったのだろう。道の面おも影かげを留めているだけでも素す晴ばら

しい幸運なのかもしれない。

なだらかな坂のその先に、ぽつぽつと家が建たち並ならんでいるのが見えた。

民家だ。

けれど人の

はない。

当然だ。そこは廃村なのだから。

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「え、な、なに�」

「いいから下がってろ」

何事かと戸と惑まどうセリカを

後に庇かばい、ラグナは分厚い切っ先を周囲に向ける。

それを待っていたかのように、廃村を囲むように広がっていた森の中から黒い影かげが飛び出し

てきた。

「なんだ、こいつら……っ」

その

にラグナは面食らった。

飛び出してきたのは四足の獣けものだった。頭の位置はラグナの膝ひざ程度。全部で六匹ぴき。共にきばをむ

いているそれは犬によく似ている。けれど野犬の群れにして様子がおかしい。

膿うみのように濁にごった涎よだれを垂れ流しながらじりじりと距きよ離りを縮める様は明らかに異いぎ形ようで、犬とい

うよりは悪あく夢むに登場する怪かい物ぶつだ。針のような毛け並なみは、黒い煤すすのようなもので汚よごれているよう

に見える。

「黒き獣のせいだよ」

ラグナの

後に身を寄せて、セリカが眉まゆをひそめるように言った。

「黒き獣�」

「突とつ然ぜん現れては手当たり

第に破は壊かいする、影のか塊たまりみたいな化け物のこと。六年前に日本に現れ

てから、その影えい響きようを受けた野生動物なんかが、急に凶きよ暴うぼ化うかして人を襲おそうようになったの」

「んなバカな……�」

第一章 喪失の白25

そもそも世界地図を指し示しながらの『たぶん』や『だと思う』といった言葉にわずかにも

真実味を感じない。

ラグナは悟さとった。ずっと疑問だったのだ。

人が通るはずもなさそうな山の中の廃村。なぜあんな場所に自分が倒たおれていたのかよりも、

なぜあんな場所をセリカのような少女がひとりで通りがかったのかが。

今となっては疑問でもなんでもない。むしろ自然にすら感じた。

「セリカ」

ラグナはセリカの肩に手を置いた。

「お前、すさまじい方向音おん痴ちだろ」

「え、そんなことないよ�」

「あるわっ�」

きょとんとした少女の返事にラグナは反射的に声を荒あらげた。

「悪いこと言わねぇから自覚しろ。遭そう難なんしてからじゃ遅おそいんだぞ。今度からひとりで出歩くと

きは、万ばん全ぜんの対たい策さくをだな……」

目め尻じりを釣つり上げてくどくどと説教を始めようとした。が、ラグナはぴたりと言葉を切った。

不ふ穏おんな気配を感じる。

直感に促うながされて、ラグナは腰こしに下がっていた大きな剣けんを手に取った。

幅はば広びろの刀身を持つ独特な剣だ。これをどこで手に入れたのかもラグナは思い出せない。

24

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びかかってくる

いを蹴りで殺して真一文字に斬きりつけた。最後の一匹は

をちよ躍うやくでかわ

し、全身の体重をかけて

骨を狙ねらった。

「っ、はぁ……は……」

いくらもたたないうちに、乾かわいた地面には六匹の野獣の体が力なく転がった。

だがラグナの呼吸も乱れていた。小さく舌打ちをしてラグナは右腕を見る。せめて腕だけで

も動いていればもっと楽に戦えただろうに。腕が一本自由にならないだけで、ずいぶんな枷かせだ

った。

「今のが……黒き獣の影響だって�」

重い剣の先を地面に突き立て、アンバランスな体を支えながらラグナは呻うめくように言った。

右半身がやたらに重い。

「現れたのが六年前�

冗じよ談うだんじゃねぇぞ」

「どういうこと�」

息を整ととのえるラグナの

後から進み出ながら、セリカが怪けげんそうに眉を寄せた。

ラグナは荒っぽく頭をかき回す。べったりとしたものがこびりついているようで、頭の中が

気持ち悪い。

「なんだ、俺がおかしいのか�

黒き獣が出現したのは百年ぐらい昔の話だろ�

それに日

本�

日本って大昔に消しよ滅うめつした国じゃなかったのか�」

「大昔って、なに言ってるの�

確かに日本は国としては消滅したけど、黒き獣に攻こう撃げきされた

第一章 喪失の白27

言い返そうとしたが、言葉が終わる前にそれどころではなくなった。身を低くさせて構えて

いた六匹の野やじ獣ゆうたちが一いつ斉せいに飛びかかってきたのだ。

「くそっ、うざってぇ�」

セリカを庇い半円を描えがくように、ラグナは剣を振ふり払はらった。

剣の扱あつかいを頭では覚えていなくても、体はしっかりと記き憶おくしているらしい。考えるよりも速

く体が動く。

鈍にぶい感かん触しよくは獣の腹部を薙ないだもの。だが斬ざん撃げきのスピードにい和わ感かんを覚える。

腕が重い。幸いなことに左ひだ腕りうでで剣を扱あつかうことには慣れているようだったが、それでも右腕が

肘ひじの上から動かないというのは不便

まりない。体の重心が狂くるう。

加えて見えない右側の視界がひどく身動きをじや魔ましていた。

足元を狙ねらって低く駆かけこんできた野犬の体を荒あらっぽく蹴けり飛ばす。

喉のどを引ひき裂さくような不気味な

鳴があがり、黒い粉状のものが唾だ液えきと一緒に飛び散った。

「じや魔まだ

バランスの悪い体では小手先の技術が足りない。力任せに剣を振り抜ぬき正面の図ずう体たいを弾はじき返

すと、続いてとびかかってきた頭ず蓋がいへ刃やいばの

を叩たたきつけた。

骨を破は砕さいするまでには至らなかったが、獣は卒そつ倒とうして地面に落ちる。残りは四匹ひき。

飛び交う唸うなり声ごえの合間をぬって切っ先を突き込み、分厚い刀の腹で鼻っ柱を殴なぐりつける。

肉の代わりに刀身を嚙かませ、そのままハンマーのように地面へ振り下ろす。

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なにをしているのかは一いち目もく瞭りよ然うぜんだった。初めて見る||治ちゆ魔ま法ほうだ。

止めるつもりだったが、野犬を見つめるセリカの表情にラグナは動けなくなる。とても優やさし

い顔をしていた。息をのむほどに。

「……もう大丈夫だよ。おうちに帰りなさい」

囁ささやく声はどこか懐なつかしくて。ラグナはくらりと軽い目め眩まいを覚える。

きゅうん、と情けない声をあげて野犬の一匹が起き上がった。

反射的にラグナは身構えたが、意識を取とり戻もどした野犬にさっきまでの凶暴さはなかった。む

しろ怯おびえ警けい戒かいするような様子で、倒れたままの仲間を気にしながらも森の中へ去っていく。

セリカは

々に野犬たちの治ちり療ようをして回った。その様子をラグナは、いつでも応戦できるよ

う気を張りながらも見守った。

やがて倒たおれ伏ふしていた野犬が全すべて森の中に消えると。膝の土汚れを払って立ち上がるセリカ

に向けて、ラグナはたっぷりの呆あきれをこめて盛せい大だいなため息を送った。

「おいあんた。今みたいなこと、いつもやってんのか」

もう危き険けんはなさそうだ。ラグナは剣を腰こしに戻すと、腕うでを組んだ。

セリカは子供っぽく両手を後ろで組んで苦笑する。

「だめかな」

「だめに決まってんだろ、馬ば鹿かか

あいつらがまた襲いかかってきたらどうするつもりなん

だ。後先考えずに軽けい率そつなことしてんじゃねぇ�」

第一章 喪失の白29

のも核かく攻こう撃げきを受けたのも、六年前のことだよ�」

「んなわけ……」

言いかけてラグナは言葉を切った。

セリカがきょとんとした顔でこちらを見ている。冗談を言っている風でもない。むしろこの

少女に、噓うそをついて人をだますという芸当ができるのだろうか。

けれどラグナの微かすかな記憶が引っ掻かくように否定する。どうしてそんなことを、事実だと思

っているのかもわからないまま。

「って、おい�

お前、なにしてんだ�」

「へ�」

思考を中断させて声を張り上げたラグナに、セリカはまたもきょとんと振り返った。

いつの間にかセリカが、倒れた野犬の一匹に歩み寄って傍かたわらに膝をついていた。

「離はなれろ�

まだそいつらは……」

「大丈夫」

まだとどめを刺さしたわけではない。そう言おうとしたラグナをさえぎって、セリカがやんわりと

答えた。

ぐったりと動かない野犬の上に彼女の白い手がかざされる。その手がほんのりと温かい光に

包まれた。そっと犬の毛並みを撫なでるように動かすと、煤すすのような黒ずんだ汚れが溶とけるよう

に消えていく。

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言いながらラグナは呆れていた。セリカのみならず自分にも。

自分がどこの誰だかさえわからないが、たぶんセリカの言う通り、もし彼女が襲われること

があれば助けただろう。

目の前で襲われている人がいて、自分が剣を抜けば助けられる。そのときどうするかなんて、

屁へ理り屈くつを並べたところでどうしようもない。セリカが言いたいのもそういうことなのだ。だが

理解できるとは言ってやらない。彼女の行こう為いが軽率なのは事実だからだ。

それでも決まり悪さは捨てきれず、ラグナはセリカから地図を奪うばってそれをごまかした。

「あ、私の地図�」

「貸せ。お前が持ってても意味ねぇ」

とはいえ、こんな大おお雑ざつ把ぱな地図では誰が見たところで意味はない。

「ラグナなんて記憶がないんじゃない。それよりは私のほうがいいって」

「いーや。いっそお前が記き憶おく喪そう失しつになったほうが信用できる」

「なるほど。それ名案かも�

そしたら迷まい子ごから抜け出せるかな」

「やっぱり迷子なんじゃねぇかっ�」

「あ、しまった」

ぱっ、と広げた手で口を隠かくすセリカ。

苛いら立だちとも呆れともちがうが釈しや然くぜんとしないもやっとした感情を、ぶつけようにもぶつけられず、

ラグナは動く左手をわななかせながらセリカに詰つめ寄よる。

第一章 喪失の白31

「でも放っておけないの」

咎とがめるラグナを真っ直ぐに見上げて、セリカは反省の色こそ見せたものの、澄すみきった迷い

のなさで言った。

正論を言っているのはこちらのはずなのに、ラグナのほうが戸と惑まどってしまう。

「なに言ってんだ。優しくすりゃあ、誰だれでも彼でも親切にしてくれるとは限らねぇぞ」

「あは……結構、色んな人に言われる。でもだめなんだ。見つけちゃうと、もう目が逸そらせな

くなっちゃうの」

セリカはラグナを見上げて泣き笑うように目を細めた。

「甘あまいこと考えてるっていうのは、自分でもわかってるよ。でも目の前に傷きずついてる誰かがい

て、私にはそれを治せる力があって。それを使わなければその子は死んでしまうかもしれない。

それを使えばその子はもう少し生きられるかもしれない」

「救いようがねぇな」

セリカの言葉を打ち切るようにラグナは呆れ顔で頭を振った。

セリカははにかむように小首を傾かしげる。

「それに今なら、もしまた襲われてもラグナが助けてくれるでしょ」

「ばーか」

「え、なにそれ�

なんで馬鹿�

っていうか、そういえばさっきも馬鹿って言った�」

「自覚しろっつーの。お前はどうしようもない馬鹿だ」

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小柄な乱入者は、すがた形かたちに似合わないはっきりとした男声で答えた。抑よく揚ようのある若々しい声だ

が、余よ裕ゆうを匂におわせる口ぶりと揺ゆるがぬ切っ先が彼の力量を物語っているようだ。

ラグナは腰こしに戻したばかりの剣けんに手をやった。胸がざわつく。

「ただどうにもおせっかいな性分でな。こんな山奥で、か弱い女性に襲いかかろうとしてる野や

郎ろうを見て、黙だまって素通りはできん」

「はぁ�

ちょっと待て、俺はなにも襲おうとなんて……」

だがラグナが弁解するより早く、フードの小男が動いた。

まさに突とつ風ぷうだった。

息をのみ反射的にラグナは剣を抜く。その直後、目の前で剣と刀がぶつかり合い赤い火花が

散った。

「言い訳はみっともないぞ。己おのれのつみを認めろ、悪あく党とう�」

眼前で不敵ににやりとフードの小男が笑う。

その容

にラグナは目を見張った。

「獣じゆ人うじん」

斬きりかかってきた男の顔は人のものではなかった。

白と焦こげ茶ちやの毛並みに覆おおわれた獣けものの顔だ。突つき出た鼻先は毛色よりもさらに深い茶。

線対称

シンメトリーの双そう眸ぼうは大きくこぼれ落ちそうで、瞳どう孔こうは縦に長く伸のびていた。笑うく唇ちびるは薄うすく、その

すき間からは短くも鋭するどいきばが覗のぞく。

第一章 喪失の白33

その一歩目を、突とつ如じよ割り込んできた一いち陣じんの風が切きり裂さいた。

「なっ……

「ひゃっ

とび退すさるラグナと、身をすくめるセリカ。

その間に、目ま深ぶかにフードをかぶった小こ柄がらな体が立っていた。影かげになっているその奥から覗のぞく

目は鋭するどく光り、ラグナを見み据すえる。

妙みように大きな手に握にぎられているものは一ひと振ふりの刀。煌きらめく白はく刃じんの切っ先は、狙い定めるように

ラグナへと向けられていた。

「誰だてめぇ�」

ラグナは突とつ然ぜんの乱入者に声を荒あらげた。

せ丈たけはラグナよりも、セリカよりも低い。だがその身をさらに低くさせたしなやかな構えに

は驚おどろくほどすきがなかった。

「なに、通りすがりの旅人だ」

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唯ゆい一いつ、決定的に

うところを挙げるとすれば、師しし匠ようは右目を眼帯で覆おおっていたはずなのに、

目の前の獣人の顔にはない。

(別人、なのか……�)

ラグナがこぼれてくる記憶に意識を奪うばわれているうちに、獣人が動いた。

刃やいばの交差点を重心にして小さな身をひねり、全身をバネに変えてラグナの腹に蹴けりを見みまう。

尋じん常じようでない衝撃に、ラグナはくぐもった呻うめきをあげて後方に吹ふっ飛とんだ。

「獣兵

誰だそれは�」

再び刀を構えながら、獣人は器用に猫の顔を歪ゆがめて怪けげんそうに尋たずねる。

ラグナはこみ上がる胃液を飲みこむと、むせ返りながらも体を起こした。まだ混乱している

頭を押さえて軽く振る。

「っ、つ……知らないってことはねぇだろ。百年前に黒き獣を倒たおした六英えい雄ゆうだぞ」

そうだ、六英雄だ。

黒き獣は百年前、六人の英雄によって倒された。それなのに今、黒き獣が存在しているのは

おかしい。

だが獣人の男はますます怪

そうに表情を歪めてラグナを見やる。

「黒き獣を……倒した�

おい、冗じよ談うだんのつもりなら笑えないぞ」

「冗談じゃねぇよ。なあ、あんた本当に獣兵

を知らないのか

妙みような焦あせりにラグナは声を荒げた。獣兵

の名前を知らない者などいない。猫型の獣人ならば

第一章 喪失の白35

よく見ればフードの上には三角の耳がついており、

負った刀の鞘さやの向こうでは先が二本に

分かれた長い尻しつ尾ぽがゆらりと揺れている。

猫ねこ面づらの男が楽しそうな笑い声を漏もらす。

「獣人を知っているのか。面おも白しろい男だ」

「くっ……�」

獣人の剣けん撃げきが続けざまに繰くり出だされる。ラグナはそれを捌さばくだけで精いっぱいだった。

服の裂さける音がして、ラグナの肩かた口ぐちに痛みが走る。

大きく振ふり抜ぬかれた刀を危あやういタイミングで受け止めると、左ひだ腕りうでが重すぎる衝しよ撃うげきに震ふるえた。

それ以上に頭の中が震えていた。

目め眩まいがする。脳の深い場所に染しみ込んだ、記き憶おくの欠片かけらが語りかけてくるようだ。

(俺は……こいつを知ってる�)

この声をどこかで

いたことがある。この顔を、この目を知っている。

「あんた……獣兵じゆうべえ、か�」

記憶を閉とじ込める白いもやにヒビが入り、ほろほろと崩くずれていくような感覚だった。そこか

ら忘れていたものがじわじわと浸しん水すいしてくる。

獣兵

。かつてラグナに剣の扱あつかいを教えてくれた、猫型の獣人だ。

焦げ茶と白のツートーンの毛色、赤しや銅くど色ういろの瞳ひとみ、二ふた股またに分かれた尾お。声もそうだ。刀を向ける

獣人はあまりにも師に似にている。

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ゆっくりと解とけ始めると、ラグナとミツヨシはまったく同じ安あん堵ど感かんに、思わず手の得え物ものを取り

落とした。

森の中の廃はい村そんの前、雑草の生おい茂しげる中に腰を下ろして、ラグナは斬きり裂さかれた肩かたの治ちり療ようを受

けていた。

セリカの手がぼんやりと温かく光り、指先で傷の上をなぞると割れた皮ひ膚ふがいえていく。温

かな感覚はなんとも言えず不思議だった。

「はっはっは、なんだ、つまりは記憶喪そう失しつの行いき倒だおれか�

それならそうと、早く言ってくれ

ればよかったんだ」

セリカから事情を説明されたミツヨシが、肉の分厚い手で毛深い膝ひざをぽーんと叩たたき、さも愉ゆ

快かいそうに大笑いしていた。

それをラグナは気まり悪そうな顔で横目に見やる。

「こっちの話も

かねぇで斬りかかってきたのは、そっちだろうが」

「そうだったか�

いや、俺はてっきり旅の美少女が山さん賊ぞくにでも襲おそわれているんだと思ってだ

なぁ。考えてもみろ、無理ないだろ。山さん賊ぞくにかどわかされたんでなければ、なんだってこんな

人ひと気けのない山奥に、こんな若いお嬢じようさんがいるんだ」

第一章 喪失の白37

なおさらだ。

だが師匠によく似た猫人の青年はうさんくさそうにしながら、首を横に振った。

「知らん。それに俺の名前はミツヨシだ。お前の口ぶりだとずいぶん俺に似ているようだが、

自分があの黒き獣

バケモノを倒したなどと吹ふいちようする男は、知り合いにはいない�」

むしろ警けい戒かい心しんをあおったようで、ミツヨシと名乗った男は猫目を険しく釣つり上げると、刀と一

緒に鋭い爪を構える。

「俺を惑まどわせてにげようとしても無む駄だだ�

そろそろ覚かく悟ごを決めてもらうぞ、悪党�」

小さな足が人にん間げん離ばなれした筋力で土を蹴る。そのまま真っ直ぐにとび込んできた。

速すぎる。迫せまる風圧と頭を圧あつ迫ぱくする目眩にラグナの体が動かない。

息を詰まらせたい一つしゆん後……。

「待って

っ�」

響ひびいた少女の叫さけび声ごえを境に、ミツヨシの刀が止まった。

ラグナとミツヨシの間、ほんのわずか人がひとり滑すべり込める程度の距きよ離りに、セリカが飛び込

んできていた。

銀の切っ先はラグナの胸の高さ。セリカの額の位置にある。

セリカは目をしっかりと開けたままで、両りよ腕ううでをいっぱいに広げラグナを庇かばうように立ってい

た。ラ

グナとミツヨシの目が驚きよ愕うがくに見開かれる。やがて数秒、張りつめすぎて強こわ張ばった緊きん張ちよ感うかんが

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「俺は……日本に人探さがしに行く用事があるんだ。この山の下の港町から日本に船が出ていると

いてな。ここを通り抜ぬけるのが一番早いから、近道だ」

「あ、近道�

じゃあ私も近道ってことに……」

「なんねーだろ」

「……だよね」

ラグナの横やりにセリカはがっくり肩を落とした。少なからず自分の方向音おん痴ちを気にしてい

るのだろうか。

それから「ん�」となにかに気付いたような声を漏らし、セリカはまとめた長い髪かみをはねさ

せて顔を上げた。

「日本�

ミツヨシさんも日本に行くの�」

「も�

ってことは、お前さんもか�」

「うん、そう�

私も人探し。同じだねっ」

にこにこと人ひと懐なつっこく笑顔を浮うかべ、セリカは無むじや気きな目を向ける。

ミツヨシは呆あきれた様子で、大きな三角の耳をぴこぴこと動かした。

「その顔は……日本まで連れてってくれって顔か�」

「ほら、旅は道連れって言うじゃない�

それにラグナも町まで連れていってあげないといけ

ないし。ミツヨシさんが一いつ緒しよだったらもう安心だもの。ねっ�」

「見かけによらず調子のいいお嬢じようさんなんだな……」

第一章 喪失の白39

「……だってよ」

膝の上に頰ほお杖づえをついて、ラグナはちらりとセリカに視し線せんをやる。

「あ、あははは……ち、ちょっと迷って……」

笑ってごまかし、セリカは治療の終わったラグナの肩に赤いジャケットをかけてやる。

ミツヨシがまたも朗ほがらかに笑う。

「行き倒れに迷子か。俺も長旅で色々なやつを見てきたが、お前たちほど愉快な組み合わせは

初めてだな」

「そこに勘かんちがい野郎の獣人まで加わったってわけだ」

「そうくさるな、悪かったって。細かいことにこだわっていると苦労するぞ、ラグナ」

からからと笑うミツヨシを、ラグナは渋じゆ面うめんで観

していた。

ミツヨシは獣じゆ兵うべえとはなんの

係もないと言っていた。確かに眼帯はないし、ラグナが思い

出した獣兵

とは少し印象が

うようにも思う。

だが別人だと認識できても、師匠にあまりに似ている獣人にからかわれるのはなんともあり

がたくないシチュエーションだった。

「でも、じゃあミツヨシさんはどうしてここに�

こんな……私が言うのもおかしいけど、人

が通りそうもない山の中なのに」

セリカがちょっぴり苦笑を交えながら問う。人が通りそうにない、の部分はわかっていたよ

うだ。ラグナとミツヨシはその一点においてのみ、セリカを見直した。

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やがて絶句にしては長すぎる間を開けて、セリカは呟つぶやくように答えた。

「それ……私の、父さん」

一いつしゆんの沈ちん黙もくののち、セリカはとび起おきるような

いで身を乗り出すと、雑草の上に四よつん這ば

いになってミツヨシに詰つめ寄った。

「ど、どうして私の父さんを探してるの

父の研究の

係者さん�

それなら、もしかして

父の行方ゆくえについてなにか知ってる�」

「おいセリカ、ちょっと落ち着け」

食い入るような目のセリカをラグナは腕うでを突つき出だして制した。だが構わずセリカはなおも身

を乗り出す。

「私もシュウイチロウ

アヤツキを探してるの。六年前、黒き獣けものが日本を襲おそったときも、核かく攻こう

撃げきが決まったときもまだ日本にいたはずで。だけどそのあとずっと連れん絡らくが取れなくて。ようや

く最近になって日本への船が出るようになったから、それで……�」

いつまでたっても安あん否ぴが確認できない父親が心配で、誰だれかが探しに行かなくてはと思って、

第一章 喪失の白41

セリカとミツヨシ、両者から同意を求めるような目を向けられた。ラグナはふたりを順に見

やり、ミツヨシにだけ眉まゆを持ち上げて無言の返事を返す。

「……仕方ないな。ここで見捨てても、遭そう難なん者しやを放っておくみたいで寝ね覚ざめが悪い」

「よかったぁ〜。ありがとう、ミツヨシさん」

「マジで感かん謝しやする。こいつとふたりで山を下りる自信がない。ていうか確実に遭難する」

セリカと並んで、ラグナは深く頭を下げた。こればっかりは本気でありがたかった。

ミツヨシが猫面で苦笑する。

「気にするな。俺だって鬼おにじゃないんだ」

それからふと、思い出したように尻しつ尾ぽをぴんと伸ばした。

「そうだ。日本に行くってことは、セリカは日本に縁えんがあるんだよな。ちょっと話を

かせて

もらってもいいか�」

「ミツヨシさんが探している人のことね。私で力になれるといいけど」

「まあ万が一ってこともあるし、念のためだ。シュウイチロウ

アヤツキっていう科学者を探

してるんだが、

いたことないか�」

大して期待はしてないと、ミツヨシは軽い口調で尋たずねた。だがすぐに、セリカの表情の変化

に鼻をひくつかせる。

ラグナもまたとなりの少女を振り向き眉を寄せた。

セリカはまるでた魂ましいでも抜けたように呆ほうけた表情で、大きな茶色い瞳ひとみに猫人を映していた。

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問いながらも、セリカもミツヨシがなにを言おうとしているのかを薄うすう々すに

していた。

ミツヨシの猫目が鋭するどく細められる。

「黒き獣だ」

セリカが息をのんだ。ラグナは目を見張る。

指先でく唇ちびるを押さえるように口を手で覆おおい、セリカは弱々しく首を横に振ふる。

「……噓うそ、でしょう�」

ミツヨシは無言だったが、至

真ま面じ目めな目つきが偽いつわりでないことを十分に語っていた。

セリカの指先がわずかに震ふるえる。

「だってそんな、あんなもの、個人の研究で生み出せるわけない……�」

「それは俺も疑問だ。シュウイチロウ

アヤツキが黒き獣を作り出したとは思っていない。だ

が、彼の研究がなんらかのきっかけを生んで、あの化ばけ物を呼び起こしたことは間

いない。

その原因を突つき止とめるためにも、俺は彼を見つけなくてはならない」

黒き獣。

突とつ如じよとして現れ、その場にあるあらゆるものを破は壊かいし尽つくす怪かい物ぶつ。そのきばで砕くだくものがなく

なるとその場から掻かき消え、そしてまたどこかに唐とう突とつに現れる。

人間の考えうる秩ちつ序じよや理論にまるで囚とらわれず、むしろそれすらも破壊しようとするかのよう

な、破壊のみを本能とする存在。

黒き獣がどういうものであるかは、ラグナも知っているし覚えている。それがセリカの父と

第一章 喪失の白43

ろくな地図も持たずに家を飛び出したのだ。

セリカはがしりと強く、ミツヨシのやわらかな手を両手で握にぎりしめる。

「お願いします。父のこと、なにか知ってるなら教えてください」

ミツヨシは難むずかしい顔をしていた。なにかとても言いにくそうな顔色で。

なかなか答えようとしない猫人の態度にセリカが不安を募つのらせていると、やがて彼は大きく

裂さけた口を重く開いた。

「悪いが……具体的な居場所を知っているわけではない。それに俺は、お前の親父おやじさんの研究

仲間でも、友人でも知人でもない。任務なんだ」

「任務�」

口をはさむように尋ねたのはラグナだった。ミツヨシが眉まゆ根ねを寄せるようにして顎あごを引く。

「そうだ。……人類に未み曽ぞ有うの危機をもたらした科学者シュウイチロウ

アヤツキを探し出し、

依い頼らい主ぬしのもとへ連れ帰ること。それが俺の任務だ」

告つげられた内容が頭に入ってくると、セリカは信じられないと瞳ひとみを揺ゆらしながら顔を青ざめ

させた。父と人類の危機という言葉がまるで繫つながらずにいた。

「なにかの間まちがいでしょ�

父さんは危あぶない研究なんてしてないよ」

「確かな情報だ。それまでの研究の経けいいは知らないが、シュウイチロウ

アヤツキが行った実

験のせいで、あれが現れた」

「あれ……�」

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「だけど本当に父さんが悪いのかなんて、確かめてみなくちゃわからないじゃない。ただ巻き

込まれただけかもしれないし�」

「俺はなにも探たん偵ていごっこをやってるんじゃない。そこまで面めん倒どうみられるか」

「調査の

魔はしないから、お願い�

それに私なら父さんの持ち物の区別だってつくし、書

いた文字の癖くせも覚えてる。ちゃんと役にたつから……�」

両の手をきつく握って、セリカはしつこくも食い下がる。

ミツヨシは大きな手で喉のど元もとをかきながら困こん惑わくしていた。理り屈くつに承しよ諾うだくできない箇か所しよは多々あれ

ど、セリカの

意は真しん剣けんそのものだ。無む下げにはね退けるのはいささか気が引ける。

それを見てとって、それまで成り行きを見守っていたラグナはやれやれと口を

む。

「いいじゃねぇか、連れていってやったら」

「ラグナ�」

「あのな、お前まで……�」

ぱっ、と表情を輝かがやかせるセリカに対して、ミツヨシはさらに表情を渋しぶくさせる。

少女と猫の獣人。その対たい峙じが笑えてラグナは唇の端はしを持ち上げた。話題の物ぶつ騒そうさに比べてな

んともメルヘンな匂においのする光景だ。

「どの道

魔してくるんなら、近くに置いておいたほうが面倒も少ないだろ。それにセリカは

治ちゆ魔ま法ほうの使い手だ。旅の同行者としちゃ、申し分ない。……地図さえ任せなければな」

「簡単に言うな。第一、危険だ�」

第一章 喪失の白45

いう個人の手によって解とき放はなたれたなど、とんでもない話だ。

「信じられない。父さんがそんな……」

瞳を曇くもらせ、セリカは震える指先を胸元に抱だき寄せた。先ほどは

いのままに詰め寄った体

も、今は力なく雑草の上に座すわり込んでいる。

それをしばし見つめ、ミツヨシは肩を落としてため息をつくとゆっくり立ち上がった。

「……追いかけているものは同じでも、俺たちは協力するべきではないのかもしれないな。港

までは送ってやるから、そこで別れよう」

それはミツヨシなりの気き遣づかいだったのだが、セリカはなにかを振り切るように首を振ってま

とめ上げた髪を躍おどらせた。

「ううん……。ううん、そんなのダメ�

私もミツヨシさんと一緒に行く�」

「おいおい、お嬢さん。わかってるのか、俺はお前の親父さんと敵対する立場なんだぞ」

「わかってる。だからこそだよ。父さんが本当はなにをしていたのか私も知りたいし、もし父

さんが無実ならミツヨシさんから守らなくちゃ」

さっきまでは泣き出しそうな顔さえしていたくせに、セリカは顎あごを持ち上げると真っ直ぐな

目でミツヨシを見上げた。

ミツヨシがひくりと、人間でいうこめかみの辺あたりをひくつかせる。

「あのなぁ……。シュウイチロウ

アヤツキが黒き獣に

わっているのは確実だ。間

いない。

それに任務のじや魔まをすると明言しているやつを、親切に案内すると思うか�」

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第二章

破は壊かいの黒

||手記3。

このところレリウスの独走が目立つ。

前々から勝手な男だとは思っていたが、最近は説明を求めてもまともに答えない。

おそらく、先日の蛇へびのような男が原因だろう。

……いやな予感がする、などと思うのは科学者として失格だろうか。

あの緑の髪かみの男は、一体なにを作らせようとしているのか。そもそもあの男は何者だ�

しり料ようとして提供されるはずだったオリジナルユニットは結局、アルカード家とやらに回

れてしまったらしい。

だがそもそも、オリジナルユニットを提供すると言えること自体おかしい。

あれは第一区画から引き上げられた

、即そく座ざに政府によって存在を隠かくされたはずなのに。

政府の

係者なのか�

第二章 破壊の黒47

「だったらなおのことだ」

ラグナは雑草の上にあぐらをかいたまま、困るミツヨシと期待するセリカを順に見た。

「お目付役ってことで、俺もついてってやるよ。なんかあったとき、セリカを抱かかえてにげるく

らいのことはしてやる」

どうせ急ぎの用事もない。成り行きでも目的地があったほうがずっとマシだ。

「ありがとう、ラグナ�」

「どわっ�」

ラグナが肩かたをすくめて言うと、セリカは喜びのあまりにラグナにとびついた。その向こうで

は諦あきらめ顔のミツヨシが額ひたいを押さえる。

「ったく、とんだ厄やつ介かいを拾ったもんだ……」

対照的な反応のふたりに

まれつつ、ラグナは再び山中の廃はい村そんを出発した。

そして数時間後、日が沈しずんで空が夜の色に染そまり始めた頃ころ、ラグナとセリカはミツヨシと共

に、遭難することなくふもとの港町に到とう着ちやくすることができた。

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るで覚えがないのだ。

知らない場所にいる知らない自分。それはずいぶんとあやふやで、漠ばく然ぜんとしていて。少し疲つか

れる。

いや、知らないのはこの町だけではなく世界そのものかもしれない。なんといったってセリ

カとミツヨシの話が全すべて事実なら、ラグナの頭の中では百年前に滅ほろびたはずの黒き獣けものが、ここ

では存在しているのだから。

「……ん�」

ふと、窓の外に黒っぽい人ひと影かげを見かけて、ラグナはだらしなく寄りかかっていた頰ほお杖づえから顔

を離はなした。

中を隠かくす程度の黒いマントに、高い位置でまとめた茶色い髪かみ。セリカだ。

もう少女がひとりで歩き回るような時間ではない。ラグナは眉まゆを寄せると慌あわてて腰を持ち上

げた。

「ったく、いちいち手がかかるやつだな�」

あの絶望的な方向音おん痴ちが夜の町をふらついて、なんの問題もなく戻もどってこられるはずがない。

ラグナは無意識に舌を打ちながら大きな剣けんを引っ摑つかみ、慌あわただしく客室を後にした。

第二章 破壊の黒49

レリウスのやつは研究に集中するあまり、気付くべき不安要素に目が向かなくなっている。

もしものことを考えて、なんらかの対策は講じておくべきだ。

空あいている宿を探さがして部屋を取り、腰こしを落ちつけられたころにはもう、海うみ辺べの港みな町とまちはとっぷ

りと夜に沈しずんでいた。

夕食を閉へい店てん間まぎわのベーカリーに滑すべり込んで済すませた後、ミツヨシは情報

集に出かけて行っ

た。セリカは早目に寝ねたいと部屋に引き上げた。

ラグナはそのとなりの部屋でミツヨシの帰りを待ちつつ、窓から見える景け色しきにぼんやりと意識を

向けていた。

素す泊どまり専用の宿は港にこそ近いけれど、角度のせいで部屋から海は見えない。見えるのは

所とこ狭ろせましと並ぶ四角い建物と、その町まち並なみを点々と照らす小さな街がい灯とうばかり。

その風景は薄うすい窓ガラス一枚で隔へだたれているだけなのに、ひどく遠くに思えた。

この町をたぶん自分は知らない。目に見えるものだけでなく、肌はだで感じる空気そのものにま

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「……おい」

短い階段を下りて、ラグナはセリカの横に立った。

セリカは尻しつ尾ぽのような髪をなびかせながら振ふり返かえる。

「わっ。びっくりした」

「ひとりでふらふらしてんじゃねぇ。また迷まい子ごになるぞ」

「やだな、ならないよ。ホテル、すぐそこなんだし」

「これがお前じゃなかったら、俺だってそう思うんだけどな」

セリカがすぐそこ、と指差した方向はホテルのある方角とはまるでちがっていた。思わずげん

なりとラグナの肩かたが落ちる。

外出を見つかってなおその場から動こうとしないセリカを横目に、ラグナもまた手すりに

中を寄りかからせて体を預あずけた。

静かな場所だった。近くには店もなく、人もいない。

時折ラグナの視線の先、遊歩道の向こう側を人影が通り過ぎたが、ここはそれらから切きり離はな

された別の空間のようだ。

海からの風は涼すずしく、黙だまっていると時間の流れからも切り離されてしまいそうだった。

「……なにしてんだ、こんなとこで」

ラグナが問うと、セリカは海へと視線を戻しながら微笑ほほえんだ。

「日本、見えないかなと思って」

第二章 破壊の黒51

外に出るとさすがに海辺の港町だ。東から西へと流れる風は湿しめっていて、塩っぽい匂においがす

る。小

さな宿から飛び出すとラグナは急いで左右を見み渡わたした。セリカのすがたはない。確たしかセリカは

宿を出て、海辺に向かう道へと入っていったはずだ。

ラグナは頭をかき回まわしながら舗ほ装そうされた道を走る。細かい石を敷しき詰つめたような道はごつご

つしていて硬かたく、少し歩きにくい。

緩ゆるやかな坂道になっている細い道を抜ぬけると、目の前に暗い海が広がった。視し界かいが開けると

同時にまい上げるような海風が吹ふきつけて、ラグナの白い髪を乱暴にあおる。

知らない景色だった。だがそれが、記き憶おくがないせいなのか本当に知らないのか判はん然ぜんとせず、

胸中に暗い色が広がるようだった。

感傷に浸ひたっている場合ではない。ラグナは乱れて視界を塞ふさぐ髪を押おさえながら周囲を見回し、

あの無む警けい戒かいな少女の

を探した。

いた。

そこは海にせり出して設もうけられた遊歩道で、地面はレンガを模もしたタイルを敷き並べてあっ

た。短い階段の先に半円型の一角があり、銀色の手すりの内側に古めかしいデザインのベンチ

がふたつ並ならんでいる。

そのシンプルに縦線が並ぶ手すりに上体を預けて、見知った

が海風に長い髪を遊ばせてい

た。

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「日本�」

ラグナもまた海へと目を向ける。

そこに広がっているのは海というより闇やみだった。

陸上の灯あかりが水面に映ってちらちらと揺ゆれている。その灯りをたどるように視線を滑すべらせ、

はるか遠い水平線を見やった。

空と海の境界線は実に曖あい昧まいだ。

「こっから見えるのか�」

「わかんない。見えたらいいなと思ったの」

あは、と短くセリカは笑い声を洩もらした。はなから見えるとは思っていなかったのだ。けれ

ど、父がいるかもしれない日本がすぐ近くにある。そのことを実感したかった。

ただ記き憶おくのないラグナには、その感覚はよくわからない。

「……六年も前なんだろ。親父おやじさんが行方ゆくえ不明になったのは」

日本に黒き獣けものが現れ、それを打うち倒たおすべく核かく攻こう撃げきが仕し掛かけられた。その直前からセリカの父

親は消息不明となっている。

ラグナは眉を寄せた。

「こういう言い方すんのもなんだけどよ。……生きてんのか、本当に�」

当時の日本にいて、生き残れる可能性がどれだけあるだろう。

「行って、あんたが後こう悔かいするような結果になるかもしれねぇぞ」

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「そうなのか�」

「うん。特にお姉ちゃんが、父さんのこと大だいっきらいでね。理由は知らないんだけど、私が父さ

んの話するだけでいやがるくらいなの」

明るい声で言いながらも、セリカの声の奥おくには海の塩気のような切なさが滲にじんでいた。ただ

しそれを

しみとして引きずるような調子はない。たとえ不仲であろうと、セリカには

係な

いのだ。

「でもね。ふたりとも私にとっては、かけがえのない大事な家族なの」

くるり、と軽かろやかな仕草でセリカはラグナを振り返る。その真まっ直すぐ大きな瞳ひとみに見上げられ

ると、ラグナは思わず面めん食くらった。

そんなラグナに、セリカは夢ゆめ見みる子供のような表情で言う。

「何ヶ月か前に、国連の調査団が日本で生存者を見つけたっていうニュースがあったの。核かく攻こう

撃げきの前に日本を脱だつ出しゆつすることができなくて、そのまま六年間、ずーっと廃はい墟きよの中で暮くらしてた

んだって」

それは危険区域だった日本の一部が、一いつ般ぱん人じん向けに開放される直前のことだった。

暗がりでもセリカの瞳が無

気な希望に輝かがやいているのがわかる。

「ずっと、父さんは死んじゃったんだって思ってた。でもそのニュース

いたときから、父さ

んは生きてるかもしれないって、そのことしか考えられなくなっちゃって。そしたらもう、じ

っとなんてしてられなかったの」

第二章 破壊の黒55

「うーん……」

セリカは肯こう定ていとも否定ともとれる微びみ妙ような返事をして、手すりにもたれかかるように腕うでを載せ

た。その上に顎あごを載せて、水平線をながめる。

「……私の家族はね、父と姉のふたりだけなの」

夜風に囁ささやきを混ぜ込むようにそっと、セリカが言った。

「母さんは私が小さいころに病気で死んじゃって。そのころから父さんは科学者で、ずっと研

究所に泊とまりこんで難むずかしい研究をしてた。お姉ちゃんは私と同じで魔まど道うき協よう会かいっていうところの

学生なんだけど。なんとね、学生のうちに十じゆ聖つせいに選ばれた天

なんだ」

「十聖�」

「えっと、魔道協会の中でも特別な存在、選ばれた十人なの」

「よくわかんねぇけど、すごいんだな」

何気なくラグナが言うと、セリカはとたんに表情を輝かがやかせた。

「そうなの、すごいの�」

よほど自じ慢まんの姉なのだろう。無むじや気きなその様にラグナの口から笑えみがこぼれた。

セリカはご機きげんに海風を大きく吸すい込む。

「父さんもね、何度も賞をとったり大学で講義したり、結構えらい学者さんなんだ。私ね、小さ

いころは父さんが世界で一番頑がん張ばってる人なんだって思ってたの。お姉ちゃんも父さんも、私

にはもったいないくらいすごい人。……まあ、二人の仲は最悪なんだけど」

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セリカが屈くつ託たくのない笑顔を浮うかべる。

「私、お姉ちゃんも父さんも大好きだから」

まただ。ラグナはもはや癖くせとなった仕草で側頭部を押さえる。

こんなふうに誰だれかに見上げられて。誰かに微笑ほほえまれて。あれはいつだったか。自分にもセリ

カのように、自分を兄と呼ぶ……。

「痛っ……」

頭の中身が締しめ付つけられるようなひどい痛みに、ラグナの表情が歪ゆがんだ。セリカが顔色を変

えてラグナの手の上から頭に触ふれる。

「大だい丈じよ夫うぶ�

ラグナこそ、休んでたほうがいいんじゃない�」

「……大丈夫だ。体調が悪いわけじゃねぇから」

ただなにかを思い出そうとすると、一気に頭の中がかき回されるようで痛む。

そっといたわるようにセリカがラグナの髪かみを梳すいた。その指先がほのかに温かく灯ともる。わず

かにだけれど、気分の悪い頭痛が遠のく。

なんだか怪け我がをしては手当てを受ける子供のようで、ラグナは少し決まり悪かった。

「別に……放っておけばそのうち

まる。わざわざ魔ま法ほうを使うこともねぇよ」

「好きでやってることだから、気にしないで。それにほら、タダだし」

ね、と笑うセリカにつられてラグナも軽く噴ふき出した。

「タダってお前。そういう問題じゃねぇだろ。大体、魔法ってやつはそんなホイホイ気軽に使

第二章 破壊の黒57

「それでここまで来たってわけか�」

これといって明確な手がかりがあるわけでもなく、画期的な方法があるわけでもない。そん

な状態でも迷いなく日本を目指せるセリカを素直と言うべきか、安直と言うべきか。ラグナ個

人の意見としては、前者を選せん択たくしたいところだった。

「姉ちゃん、心配してんじゃねぇのか�」

感心を苦くし笑ように変えてラグナが問うと、セリカは肩かたをすくめて悪いた戯ずらっぽく笑った。

「たぶんね。きっと帰ったら、ものすごく怒おこられると思う」

「でも親父さん探しに行くのか�」

「もちろん」

セリカにはまるで迷いがなかった。一度決めたらねじ曲げられない性格なのだろう。

セリカはもたれかかっていた体を伸のばすと、顎あごを持ち上げて水平線を見つめた。その向こう

にあるであろう日本を見つめるように。

「だって家族なんだよ。どうしてるかわからなかったら、心配するでしょう�

生きてるかも

しれないってわかったら、探さがすでしょう�」

どうしてだか、切実に語るセリカの声がラグナの胸に刺ささった。

セリカの穏おだやかな色をした瞳がわずかな気後れもなく、堂々とラグナを見上げる。

ただ心配だから。それだけの思いで行動できる彼女のことが……どうしてかラグナは羨うらやまし

く思った。

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「うん」

まだいくらか名な残ごり惜おしそうにセリカは頷うなずいた。

ラグナが促うながすように歩き出す。硬かたいくつがタイルの地面を叩たたくと、そのすぐ後ろをセリカの小

さな足音がついてくる。

少ししてから、セリカは空いた距きよ離りを飛とび越こえてラグナのとなりに並んだ。

ラグナに比べると、

も低く華きやしやな少女だ。立たち振ふるまいは油断とすきにあふれていて、やわらか

く細い腕には戦う力はおろか武器を振り回す筋力さえない。

そんな少女と並んで歩いていることがラグナはとても不思議だった。本当に、とても。

いつの間にか夜はすっかり深くなっていたらしい。ラグナが来たときよりも通りに人ひと影かげは少

なく、家々に灯ともっていた明あかりもずいぶん少なくなっていた。

雲が多く星の見えない夜空の下、ラグナとセリカはホテルへ続く薄うす暗ぐらい道を行く。

枝のように横へ延びる脇わき道みちの先には、賑にぎやかそうな大通りがちらちらと見えた。

ふと、その明かりがラグナの視し界かいを掠かすめる。それと一いつ緒しよになにか、別のものがラグナの視界

第二章 破壊の黒59

わないんじゃねぇのか�」

「そうかなぁ。せっかくあるんだから、使った方がお得とくじゃない」

頰ほおに指先をあてて小首を傾かしげるセリカに、ラグナはくしゃりと表情を崩くずした。彼女と会話し

ていると、毒気を抜かれるように顔が緩ゆるむ。

頭痛なんてもうすっかりなくなっていた。

「お前、変なやつだな」

「えーっ、ラグナに言われたくないよ」

「そうか�

お前の方向音おん痴ちと楽観主義に比べたら、俺おれの記き憶おく喪そう失しつなんて些さ細さいなことだね」

「絶対そんなことないってば。記憶喪失の人なんて初めて会ったし」

「じゃあ、お前並なみに方向音痴なやつは見たことあんのか�」

「私、方向音痴じゃないし」

「はぁ

ラグナは思わず素すっとん狂きように

き返した。

なにがおかしかったのか、セリカはくすくす少女らしい笑い声に口元をほころばせる。それ

はラグナを安あん堵どさせる、優やさしい微笑みだった。

海からの風が冷たくなってきた。それを振り向くようにセリカは横目でもう一度海を見る。

「……そろそろ戻もどらないとかな」

「ああ、そうだな。風かぜ引ひいて、明日あしたの船に乗れなかったら意味ねぇだろ」

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を横切った。

「っ……

息を詰つまらせ、ラグナは思わず足を止めて振ふり返かえる。道の先には明るい街がい灯とうが幾いくつも並んで

いた。

その中に、今。知った顔があった気がする。

いや、気がする、などという曖あい昧まいなものではない。なんとなしに目をやった、一秒にも満た

ない間ではあったが、確たしかに見た。

美しい金色の髪をふたつに束たばね、大きなリボンで髪を飾かざり、黒いドレスを身にまとった幼おさない

少女……。

「わっ、ち、ちょっと、ラグナ

気がつくとラグナは駆かけ出していた。後ろからセリカの声が

こえたが、振り返る余よ裕ゆうすら

なかった。

それははっきりとした記き憶おくだった。ミツヨシを見たとき、そのあまりの類るい似じに獣兵じゆうべえのこと

を思い出したように。

大通りへ出ると、ラグナは見失った小さな人影を探した。人波の向こう、緩ゆるやかなカーブを

黒くて小さな

中が歩き去るのが見える。

「おい待て�

ウサギ

雑ざつ踏とうをはねのけるようにラグナは叫さけんだ。

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ラグナは慌あわてて追いかけた。ほろ酔よいの集団をかき分け、仕事帰りらしい男と衝しよ突うとつしかけな

がら。

だがついさっきまでレイチェルが立っていた場所までくると、足を止める。

いない。向こうは悠ゆう然ぜんたる歩みで、こちらは全速力だった。追いつけなくても見失うはずの

ない速度の差だったはずなのに。

「ちっ……空間転移か」

もしあれがレイチェルなら、消えてしまったとしてもなんら不思議はない。むしろこうして

消えたことで、さっきの少女が『レイチェル

アルカード』であるとの確かく証しようを得る。

「なんであいつがここに……�」

しかも、そう、思い返してみれば妙みように幼おさなかった気がする。元々、十二歳さい程度にしか見えなか

ったが、それよりもさらに幼かった。

「くそっ、どうなってやがる�」

頭の中がざわつく。はっきり言って不快だった。

いっそ町中を走り回って探そうかと思ったが、すぐにやめた。相手がレイチェルならばラグ

ナがたやすく辿たどりつける場所にはいないだろうし、仮かりにレイチェルでないとしたら探す意味は

ない。

おちょくられているようで胸むな糞くそ悪わるい。けれど他にどうすることもできず。ラグナは道みち端ばたに転

がっていた空あきかんを苛いら立だちに任せて踏ふみ潰つぶすと、来た道を戻っていった。

第二章 破壊の黒63

しゆ間んかん、あらゆる音が遠ざかった錯さつ覚かくを抱いだく。

歩きづらい古めかしい道の先で、ラグナが追っていた後ろすがたが足を止めた。長い金きん髪ぱつを揺ゆら

し、ちら、と振り返る。シロウサギのような真まっ赤かな目がラグナを見た。

レイチェル

アルカード。

焼けついたようにラグナの脳内にその名が刻きざまれる。

そうだ、覚えている。ラグナがセリカの治ちゆ魔ま法ほうよりも前に見た魔法の使い手。古くからの

付き合いであり、唐とう突とつに空間転てん移いで現れては神経を逆なでする皮肉を投げつけ、そして唐突に

去っていく少女。

そのくせラグナよりもずっと長い時を生きている、あどけない

をした吸きゆ血うけ鬼つき。

彼女ならば知っているはずだ。自分が誰なのか。自分がなぜここにいるのか。なぜ記憶がな

いのか。記憶を取り戻すにはどうすればいいのか。

だが同時にラグナはい和わ感かんを覚えた。

(あれは……ウサギ、か�)

なにかちがう。記憶にあるレイチェルの

と、港町の一角でこちらを振り返る黒こく衣いの少女の

は、同じではない。あの生意気な吸血鬼はもっと尊そん大だいで、もっと妖よう艶えんではなかったか。

「あ……ま、待て�

待てっつってんだろクソウサギ�」

道の先で佇たたずんでいた少女がふいと視線を外した。そのまま、ラグナを置き去りにして歩いて

行ってしまう。

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「近くまで、こいつで送ってくれるらしい」

となりの男をこの港基地の責任者だと紹しよ介うかいしたのち、ミツヨシは長い尻しつ尾ぽを揺ゆらしながらことも

なげにそう言った。

「み、ミツヨシさんって、何者……�」

国として滅めつ亡ぼうした元日本は現在、国連によって管理されている。現地に駐ちゆ屯うとんしている彼らは

国連軍の一員だ。

あまりにも手

よく用意された交通手段に唖あ然ぜんとなりつつ、セリカが問う。

ミツヨシは妙みように格好つけたニヒルな笑えみを浮かべて答えた。

「そいつぁ、教えられないな」

そして今、ラグナたちは国連軍のトラックの荷台に揺られながら、荒こう廃はいしきった日本の大地

を西せい端たんから東方へと向かっていた。

大きく揺れるその乗り心ごこ地ちはひどいものだ。だがそれよりも、荷台から見える景け色しきのほうが

最悪だった。

「これが……日本か」

つい眉まゆ根ねを寄せて顔をしかめ、ラグナは見ているだけで憂ゆう鬱うつになる景色に呟つぶやいた。

第二章 破壊の黒65

暗い雲の向こうで、あるはずの月が嗤わらっているような気がした。

翌朝。空は薄うつすら濁にごった色をしていたが、雲は少なく、晴れていた。

港の隅すみに停てい泊はくしていたこぢんまりとした船は時間通りに出港し、少ない乗客を連れて東の列

島に到とう着ちやくした。

日本。かつては大きな都市をいくつも抱かかえ、同時にのどかな農村を抱え。連なる山々を緑の

木々が覆おおい、数えきれない河川が走ったその列島は……今やそのほとんどが焦しよ土うどと化していた。

大地は焦こげ付き、山は削けずれ、川は干ひ上あがり、植物は絶え。

まさに絶望を絵にしたようだった。

「ちょっと待っていてくれ。話をつけてくる」

港につくなり、ミツヨシはそう言うと手近な軍人に声をかけ、どこかへと去っていった。

そしてしばらく。ミツヨシが戻ってきたとき、一いつ緒しよにいる軍人は先ほどの銃じゆ器うきを担かついだ一兵

士ではなく、明らかに地位を感じさせる指し揮き官かんらしき人物だった。ついでに

後には徐じよ行こうする

トラック付きだ。

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「こうなっちまうと、黒き獣も人間の兵へい器きも変わらねぇな。……できるなら、せめて人間とし

て戦いたいもんだ」

「……そだね。そうできたら一番よかったんだけど」

セリカは座すわり心地の悪いトラックの荷台で、しゃがみこむように体

を変えた。揺れるたび

に尻しりを打って痛い。だがこれが、あの港が用意できる最高の乗り心地だった。

「結局『日本』っていう名前の国はなくなっちゃった。それを日本消しよ滅うめつ、なんて言う人もいる

けど……私はその言い方、ちょっと好きじゃないんだ」

「なんでだ�」

「だって、まだ土はあるんだし。いつか色んな悪いものが浄じよ化うかされて、もう一度綺き麗れいな土と空

気に戻れるかもしれないじゃない。そうしたら綺麗な雨が

って、綺麗な水が溜たまって。綺麗

な草が生えて、小さな虫が現れて。百年くらいたったときには、もう一度日本が戻ってくるか

もしれないじゃない」

「夢見がちなお嬢じようさんだな」

口をはさんだのは、それまで黙もくしていたミツヨシだった。猫ねこらしからぬサマになった様子で荷

台を覆おおう幌ほろに寄りかかり、短い足を組んでいる。

皮肉にも

こえる一言に、セリカはむしろ目を輝かがやかせて笑った。

「でも、そうなったら素す敵てきだと思わない�」

そう話すセリカを乗せて、トラックは乾かわいた土だけが残された荒こう野やを走る。かつてここは大

第二章 破壊の黒67

この島にかつて人が住んでおり、一大国家が存在していたとは、この光景を見る限りではと

ても想像できない。

「昔むかしと今じゃ、全然

うよ」

ラグナの

でセリカが囁ささやくように言う。

トラックがなにかを踏ふみ越こえたようで、がたりと大きく上下に揺れた。

「昔はもっと普ふ通つうの国だったんだよ。だけど六年前、黒き獣けものを倒たおすためにたくさんの核かくミサイ

ルが撃うち込まれて……」

「核ミサイル�」

ラグナの知らない言葉だった。セリカはどう説明したものかと少し考える。

「んー、ものすごい

でなにもかも灼やき尽つくす兵器……かな」

ただし灼けたのは町や木々や土で、目的の黒き獣ではなかった。

「あちこち削けずれたり、沈しずんだりして地形も変わっちゃったし、今は土も水も放射能や化学物質

に汚お染せんされて、誰だれも住めない場所になっちゃったの」

さらに核ミサイルの落下地点周辺では、高こう濃のう度どの放射能に空気も汚染された。専用のマスク

と防ぼう護ご服ふく、あるいはそれと同様の防護魔ま法ほうがなければ、息をするだけで生死に

わる。

見える惨さん状じようが黒き獣のせいなのか、それとも核ミサイルとやらのせいなのかラグナにはわか

らない。視し界かいを流れていくそれらをながめながら、ラグナは知らず知らずのうちにため息をもら

していた。

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年前までごく普ふ通つうに人の生活があった場所だ。

だが今は、道路はひしゃげて割れ、そのほとんどが砂に覆われて。建たち並ならんでいた家々は皆みな

吹ふき飛とばされ残ざん骸がいとなり。辛かろうじて倒とう壊かいを免まぬかれた鉄筋のビルがいくつも、荒野に斜ななめに突つき刺さ

さるように生えていた。

日本の土を踏んだときにも思ったことだが、ラグナは廃はい墟きよの中を歩きながら改めて思う。ひ

どい有様だ。

これがセリカの言っていた核ミサイルの影えい響きようなら、その威いり力よくと凶きよ悪うあくさ、そして六年前の人々

の必死さがうかがえた。そしてこれが黒き獣の影響なら、それはもう、ただただ恐おそろしいこと

だ。核

ミサイルが撃うち込まれたときにはすでに全住民が退たい去きよしたあとで、軍の施し設せつも政府の施設

もないため、この廃墟にはラグナたち三人しかいない。実に静かなものだ。

この辺あたりは放射能も薄うすく、念のためにと配られたマスクをしてはいるものの、防護服が必要

なほどではなかった。

「……ここだ」

先導していたミツヨシが廃墟の外れの方で止まった。

周囲の建物に比べて、そこはいくらか広い敷しき地ちを持ったなんらかの研究施設だったことがう

かがえる。建物自体は半はん壊かいしており、その全すべては焼やけ焦げている。

そこは、セリカの父のかつての

場だった。

第二章 破壊の黒69

きな川沿いの広い道路だった。今は、目を凝こらして探せば見つかる道路の破片と燃え残った

識の支柱だけが、その名な残ごりだ。

「日本って、私のお父さんの故こき郷ようなの。お父さんとお母さんは日本で知り合って、日本で結けつ婚こん

式しきをあげたんだって」

だからできればなくならないでほしかった。どんな

をしていても。大切なものを語るよう

なセリカの眼まな差ざしには、そんな思いがちらついていた。

ミツヨシが苦笑するように口元を歪ゆがめて軽くうつむく。

「……俺にとっても日本は故郷だ。そんなにうまくいくとは思えないが、セリカが言うような

未来だったら、確かに悪くないな」

でしょ、とセリカが笑う。

ラグナは愛用品である大きな剣けんにもたれかかりながら、荷台からの景色に目をやる。

消滅し、誰も踏み入ることのないはずの場所||日本。

そこに自分がいて、そのうえこうして軍の管理下とはいえ交通の手段が確保されていること

がどうにも不思議で、しっくりこなかった。

トラックを

りたラグナたちは、荒野に広がる崩ほう壊かいした都市の中を歩いていった。そこは六

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崩ほう壊かいしたとびらをどかし、ラグナは通りがかった男子トイレの中を覗のぞきこんだ。

「シュウイチロウさーん、いらっしゃいますかー�」

返事はない。というかむしろこの中に人がいるとはとても思えない。天てん井じようが崩落して、みん

な潰つぶれてしまっていた。

ラグナはすぐに首を引っ込める。

西王大サンプリング研究所、というのがここの施設の名めい称しようらしかった。

L字型の本ほん棟とうの裏に、より専せん門もん的な研究を行う別べつ棟むねが設もうけられており、日夜さまざまな分野

にわたる研究が行われていた。

けれどそれも六年前までの話。黒き獣出現以前は多くの研究者が行き交う場だったのだろう

研究所内は電気も切れて薄うす暗ぐらく、不気味なほど静まり返っていた。

(まあ……これで騒さわがしくても

だけどよ)

ラグナは横目に素早く周囲を見回す。どこかの物もの陰かげに見えてはならないものが佇たたずんでいそう

で、そんなことを考えると

筋がびくりと震ふるえた。

壁かべが崩くずれ落ち、タイルの剥はげた廊ろう下かを、ミツヨシを先頭にして進む。ラグナは一番後ろだ。

順路はセリカが教えた。といっても、ミツヨシもラグナも半分以上それをあてにしてはいな

い。ただ、地下ではなかった、途とち中ゆうに小さな中庭を通った、などのセリカの微かすかな記き憶おくを手て掛が

第二章 破壊の黒71

「私……小さい時、一度ここに来たことがあるはずなのに。全然、知らない場所みたい」

黒く染そまった建物を見上げて、セリカが

しそうに呟つぶやいた。

町が壊かい滅めつした。日本が消滅した。言葉では

いていても、実

に目まの当たりにすると

う衝しよう

撃げきがある。

「父さん……」

セリカの声がさすがに不安で揺れた。

そこへ、研究施設の入り口である割れたガラス戸をくぐりながらミツヨシが声をかけた。

「セリカ、ラグナ。一いつ緒しよに来てくれ。シュウイチロウ

アヤツキの研究室を探したい」

父の名前にセリカがぱっと顔を上げる。なにか、想像したくなかった、とてもいやなことを思

い浮うかべてしまったのだろう。怯おびえたようなその肩かたに、ラグナはぽんと手を置いた。

「探しに来たんだろ」

そのために、姉の目を盗ぬすんでまでこんなところに来た。

セリカは胸に手を当て、ゆっくり呼吸を整ととのえると。

「うん、行く�」

今度は強くうなずいて、ミツヨシの後を追いかけた。

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な身を震ふるわせると、高波のように大きく膨ぼう張ちようした。

「っ、避よけろラグナ�」

鋭するどくミツヨシの声が飛ぶ。

ラグナは弾はじかれたように動いた。

剣を握にぎったままその腕うででセリカの

中を、抱だき寄よせ、強ごう引いんにとぶ。

直後、さっきまで足のあった場所へ黒い霧きりの高波が叩たたきつけられる。衝しよ撃うげきに空気が張はり詰つめ

て震え、低い爆ばく発はつのような音が轟とどろいた。

ラグナは

中から土の上に落ちる。腕の中でセリカが身を強張らせているのがわかった。そ

れを脇わきへ押しやり、庇かばうように立つ。

即そく座ざに霧が、どこが正面なのかわからない

で振ふり返かえる。ざあ、と粗あらい砂をかき乱すような

音が耳みみ触ざわりだ。

揺ゆらめく黒霧は空気中から同じように黒い霧きり状じようのものを集めて吸

し、さらにさらに大きく

膨ふくれ上がっていく。ついにはラグナのせ丈たけをも越こえ、そのうえで霧が密集しより深い闇やみとなる。

すぐに霧のか塊たまりだったものは、影かげの塊と呼べる

となった。

(影の、塊……�)

その形容にラグナは不ふ吉きつなものを覚える。

「ラグナ、あれって……もしかして……」

まさかと声を強張らせ、セリカが怯おびえて下がった。おそらくラグナと同じ言葉を想像したの

第二章 破壊の黒73

かりに目的地を探す。

割れたガラスの川を越こえて、廊下を塞ふさぐ倒れたとびらを押しのけて。奥へ奥へと進んだ。

途中、見かける

はとにかく開けた。中に人はいないか、人がいた形けい跡せきはないか調べる。だ

がそれらしいものはない。

しばらくは音のない廃墟の廊下を歩き続け、廊下の奥にあるガラス戸から中庭に出た。そこ

はかつてセリカが父に連れられて歩いた場所だった。

別棟へ続く渡わたり廊下に足をかけた、そのときだ。

「っ……

息を

んだのは誰だったのか、それぞれが自分であったと感じていた。

庭の植物は全すべて枯かれ、力のない色で朽くちている。そしてその奥、渡り廊下でつながれた別棟

の入り口を塞ぐようにして、黒い霧きりのか塊たまりのようなものがうごめいていた。

「な……なんだ、あいつは……�」

声をあげるラグナの前でミツヨシが刀を構える。それにならってラグナも剣を握にぎった。

爪つめがあるわけでも、きばがあるわけでもない。それどころか形すら不安定なそれは、なぜだか

見ているだけでぞっとする。

底のない暗い穴あなを覗きこんでいるようだ。同じ場に在あるだけで、不定形な闇やみに

みこまれ、

押おし潰つぶされ、跡あと形かたもなく消滅していく自分をたやすく想像させられる。

果たしてあれに意識というがい念ねんがあるのだろうか。それはラグナたちに気付いたように曖あい昧まい

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明らかな敵意を込こめてミツヨシが言うのと同時に、影の塊の周囲で黒い霧が噴ふき出した。乾かわ

いてひび割れた地面から音もなく吐はき出されたそれは、大蛇のような影の塊を取り囲んで黒い

巨きよ体たいをさらに大きくさせていく。

「これが黒き獣……�」

セリカの声が震える。

「でもなんでこんなところに�

ここにはもう誰だれもいないし、なにもないのに�」

黒き獣の目的はただひとつ、破は壊かいすることだけだ。命あるものも無きものも、一様に。

つい先ほどまでは静かな廃墟でしかなかった研究所が、今や禍まがま々がしい影の気配に埋うめ尽つくさ

れていた。

ミツヨシが油断なく身を低め、また一回り大きくなった影の化ばけ物へと切っ先を向ける。

「さあな。化け物の考えが俺たちにわかるはずもない。重要なのは、今俺たちの目の前にこい

つがいるという事実だ」

「にしたって、ついてねぇな」

ラグナが吐き捨すてるように毒どくづくと、ミツヨシの耳がぴくりと動いた。その口元は微かすかに笑

っているようだった。

「ついてるかどうかは……人それぞれだろうな」

「あ�

どういうことだ�」

「ラグナはセリカを守ることだけ考えていろ。こいつは俺が引き受ける�」

第二章 破壊の黒75

だろう。

影はすでにラグナの倍はあろうかという大きさに膨れていた。

見下ろされる感覚は単純に恐きよ怖うふだった。目に映るだけではない這はい上がってくるような気配

に、ラグナの肌はだが総そう毛け立だつ。

これはヤバイ。そう思った。

黒い塊ががばりと大きくその身を開いた。まるで大だい蛇じやが小さな卵たまごを飲みこもうとするように、

鎌かま首くびがラグナとセリカを一度に狙ねらう。

「にげろ�

こいつは……�」

あまりの圧あつ迫ぱく感かんに受けるべきかにげるべきか迷っているラグナの前に、ミツヨシの小さな体

が飛び込んできた。

高くちよ躍うやくし、横一文字に影の大口を斬きり裂さく。

くるりと一回転するとラグナの前に着地した。その

中に張りつめた緊きん張ちようが漂ただよう。

斬り裂かれたはずの影は空中でぼんやりと揺らぐと、やがて何事もなかったようにもとの形

へと戻もどってしまう。

「おい、ミツヨシ�

こいつはなんなんだ

セリカを

に庇かばい、じりじりと下がりながらラグナが問う。

ミツヨシは黒い塊からわずかにも目を離はなさずにきっぱりと答えた。

「この気配、この匂におい……。黒き獣けものだ�」

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「……日本は俺の故郷だった。一族の郷く里にだった。俺の同どう胞ほうは皆みな、これ以上の被ひ害がいを出すまい

とこいつにいどみ、殺された�

偶ぐう然ぜんとはいえようやく会えた一族の敵に……みすみす

中を向

けられるかぁぁぁぁぁっ�」

怒いかりの咆ほう哮こうにミツヨシの毛が逆立つ。

刀を握にぎる手には尋じん常じようでない力と思いが込められていた。

だからこそ止めなければと思った。だがラグナのどの行動よりも早く、ミツヨシは風のよう

ぶ。

閃せん光こうのような斬撃は、命を落とした猫人のきばであり爪つめだった。

放たれる怒ど声せいは勇ゆうかんだった仲間の雄お叫たけびだった。

持てる力はいつか笑い合った彼らのた魂ましいだった。

……そうミツヨシは信じていた。

高く

んだミツヨシの刀が唸うなった。刃やいばは影の塊を十字に斬り裂く。

断たち切られた箇か所しよから影の化け物は霧む散さんした。再び形を留とどめる前に、全て吹ふき散ちらしてしま

えばいい。ミツヨシは続けざまに斬撃を繰くり出だすべく、腕を引いた。

けれど。

「退けっ

ラグナが叫さけぶ。

ミツヨシは我わが目を見張った。

第二章 破壊の黒77

言うが早いか、ミツヨシはとんだ。

影は迎むかえ撃うつべく巨体を悠ゆう然ぜんとくねらせてミツヨシへと襲おそいかかる。

それをミツヨシの刀と大きな爪の強きよ烈うれつな斬ざん撃げきが斬きり払はらう。

「やった

「いや……そんな簡かん単たんなわけねぇ」

ラグナの

後に身を隠かくすセリカが喜びに手を叩たたく。だがラグナは彼女を庇ったまま顔をしか

めた。

真っ二つに裂かれた黒い影は緊きん張ちようを解とくように霧状になる。そしてすぐに、砂鉄が磁じし石やくに集

まるように集束し傷ひとつない形を取り戻す。

遅おくれてミツヨシが元の場所に着地した。

すぐさま構え直すその

中に、ラグナは声を荒あらげる。

「待て、いくらなんでも無茶だ�

一いつ旦たん引き返し……」

「引き返す�

冗じよ談うだんじゃない�」

妙みように強くミツヨシは答えた。白と焦こげ茶ちやの毛に覆おおわれた

中は頑かたくなにラグナを振り向こうと

しない。

強引にも言葉を続けられたかもしれない。けれどはね退のけるようなミツヨシの空気に、ラグ

ナの喉のどは詰つまってしまった。

師しし匠ようによく似たミツヨシの肩が、微かに震えているように見えた。

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ラグナは軋きしむ体を引きずって顔を上げる。あの球体はさらに大きさを増まして、いやな音を撒まき

散らしながら蠢いている。

見ていると絶望的な気持ちになれた。胸中で不安が膨れ、いつか破は裂れつしてしまうのではない

かと思った。

だが、いつまでも続くと思われたそれは唐とう突とつに終わった。

セリカがラグナの横を駆け抜ぬけて、ミツヨシを取りこんだ球きゆ体うたいに向かって手を伸のばしたとき

だった。ラグナは制止の声をあげようと口を開けていた。その喉のどが震ふるえる寸前、黒い塊の蠢き

が止まる。同時に耳みみ障ざわりな音も止まった。

そしてなにかの限界を迎むかえたかのように、水風船が割れて落ちるように、塊は集束する力を

失って霧きりとなり地に落ちた。

水が浸しみこむように霧は地面に吸いこまれ、そして跡あと形かたもなく消えてしまう。

後には満まん身しん創そう痍いで転がるミツヨシだけが残された。

「一体、なにが……」

第二章 破壊の黒79

影の塊に戻ろうとするはずの黒い霧は予想を裏切り、自らの全体を霧状に散らして一いつ斉せいにミ

ツヨシを覆ったのだ。

「うわぁぁぁぁぁぁっ�」

大きく開いた手に握り潰つぶされるように、ミツヨシの体が

鳴ごと霧の中に

みこまれる。

巨体を作り上げていた霧がどんどんぎ凝よう縮しゆくしていく。空気中からもまだ黒い霧が集められ、寂さび

れた中庭の宙に、影色の球体ができあがっていった。

ものすごい音がしていた。虫の大群の羽音のようであり、土砂

りの雨のようであり、すさ

まじい速度でなにかが弾はじけ続ける音のようでもあった。

「だ、だめ……ミツヨシさんを返して�」

飛び出そうとしたセリカを押しのけてラグナが走る。あの異様な球体の中がどうなっている

のか想像もできない。

上半身ごとひねり大きな剣けんを黒い塊に叩きつける。だが剣が触ふれる直前に影は蠢うごめき、しなる

鞭むちとなってラグナを弾はじいた。

「なっ……

衝しよ撃うげきは思いの外重く、呼吸と一いつ緒しよに意識が吹っ飛んだ。

地面に叩きつけられた衝撃で我われに返る。無ぶ様ざまにも剣は手から離れて同じように地面に転がり、

その向こうからセリカが泣きながら駆かけてきていた。

「っ、いってぇ……」

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何度も何度も。だが結果は変わらない。ミツヨシは動かない。

ラグナもまたその傍かたわらに佇たたずみながらなにもできなかった。首筋に手を添そえ、

を確かめるの

が恐おそろしい。

セリカの頰を伝って流れた涙が、彼女の顎あごに引っかかってぽたりと落ちた。

「ミツヨシさん……っ�」

「||無む駄だよ」

凜りんと、声が

こえた。

ラグナは剣を握にぎり身構え、セリカは動けぬミツヨシを

中に庇かばい、共に声を振ふり返かえる。

さっきまで自分たちの他には誰もいなかったはずなのに、中庭の一角、影かげのか塊たまりにへし折られ

た木の側にひとりの幼おさ子なごが立っていた。

歳としは十にも満たない。六歳さいほどだろうか。

長い金きん髪ぱつをふたつに結ゆわえ、胸元の大きなリボンが目を引く黒いドレスを身にまとった少女

だ。幼いながらもその立ち

には気品が漂ただよっており、この朽ち果はてた研究所跡あとにはあまりにも

似合わない。

「む、無駄って、どういう意味……�」

恐る恐るにセリカが尋たずねた。どうしてか彼女には逆らい難がたい威い圧あつ感かんのようなものがあった。

つつけば倒れてしまいそうな幼い子供だというのに。

少女は冷ややかな赤い瞳ひとみでセリカの

後のミツヨシを見やった。

第二章 破壊の黒81

研究所内の朽くちた中庭で、硬かたい地面に座すわり込んだままラグナは茫ぼう然ぜんと呟つぶやいた。

なにが起こったのかを頭が冷静に理解できないでいた。あの黒い霧はなんなのか、黒き獣と

はなんなのか。

気がつけば、いやな汗あせが

中をびっしょりと濡ぬらしていた。

転げそうになりながらセリカが走る。倒たおれてぴくりとも動かないミツヨシの側そばで膝ひざをつくと、

彼の胸の上に手をかざした。

遅おくれてラグナも側へ行く。

「ミツヨシさん、しっかりして、お願い�」

セリカは頰ほおを涙なみだと土でぐちゃぐちゃに汚よごしながら、何度も何度も呼びかけた。華きやしやな手がほ

のかに光を帯び、治ちゆ魔ま法ほうをかけ続けていた。

ミツヨシは全身ずたずたで、毛が

な色に汚れている。

特に顔の右側はひどく、赤黒いものでべったりと染そまっていた。

よく見ればそれが右目を潰つぶして走った深い傷のせいだとわかる。この様子ではもう、右側の

目が光を映うつすことはあるまい。

懸けん命めいにセリカは魔法をかけ続けた。

だがミツヨシの体に、あるいはその内側に刻まれた傷はどれひとつとしていえる様子がない。

セリカの両の目から涙があふれた。

「なんで……なんで……っ」

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滑すべるように少女が歩む。彼女の周りには花の香かおりのする風が巻いていた。ふわりと

り立つ

ように、ミツヨシをはさんでラグナたちの反対側に立つ。

その小さな訪ほう問もん者しやを、セリカはミツヨシにすがりつくようにしたままで見上げ、訴うつたえる。

「ミツヨシさんを助けられるなら、助けて�

お願いします�」

「……貴方あなたは�」

つ、とレイチェルはラグナをもう一度見やった。

「あ�

俺�」

「助けたくないの�」

「助けたいに決まってんだろ。方法知ってんなら、さっさと教えやがれ�」

こっちは一刻も早くミツヨシの治ちり療ようをしたいのに、余よ裕ゆうぶった口ぶりのレイチェルが腹立た

しい。きばのようにも見える犬歯をむいてラグナが嚙かみつくように言うと、レイチェルはわずかに眉まゆ

を寄せて不ふ機きげんそうな色を大きな瞳によぎらせた。

「なら、それなりの態度があるのではなくて�」

「ちっ、まどろっこしいことさせんじゃねぇよ……っ」

怒いかりはあるが、今は食ってかかって余計な時間をロスしている場合ではない。自分にはミツ

ヨシがどれだけ緊きん急きゆ事うじ態たいなのか、正確に測ることすらできないのだから。

「……頼たのむ。ミツヨシを助けてくれ」

第二章 破壊の黒83

「その傷は、治

魔法などでは治らない。いくらやっても無駄よ」

「そんな……っ」

セリカはミツヨシを振り返る。堪こらえ切きれない感情に彼女の視界がぼやけていた。

そんなセリカを一いち瞥べつすると、興味を失ったかのように少女は視線を逸そらした。

いで、ラグ

ナを見る。

「無様ね」

呟くようなその一言に、ラグナの目め尻じりがつり上がった。

「やっぱり……テメェ、レイチェルだな

幼い容ようしは気になるが、あの高圧的な口くち癖ぐせは何度ぶつけられたか知れない。一度はっきり思

い出してしまえば、疑う余地もない。

だがレイチェルはラグナをただ冷ややかに見つめるだけだ。

「気安く呼ばないで。不ふ愉ゆ快かいだわ」

「んだと……っ」

「その獣じゆ人うじんを助けたい�」

幼いレイチェルが切り出した言葉に、ラグナは喉のど元もとまで出かかった悪態をひとつ残らず飲み

込んだ。

「助かるのか

「でなければ、こんなこと言わないわ。ちがう�」

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セリカの驚きよ愕うがくをよそに薔

色の光は転移の準

を進める。

ゆっくりと誘さそわれるように身が浮うく。

セリカは慌あわててミツヨシの体を抱だきしめた。

ラグナは薔

色の光の中でレイチェルを盗ぬすみ見みていた。この少女の存在がラグナの記き憶おくを

々に紐ひも解といていく。

だからこそ思う。ここはどこだ。自分はなぜ、ここにいるのか||と。

一秒ののち。ラグナとセリカ、そしてミツヨシは、レイチェルと彼女の魔法に連れられて廃はい

墟きよの研究所から消えた。

第二章 破壊の黒85

ラグナは滲にじむ屈くつ辱じよ感くかんに顔を歪ゆがめながら、小さなレイチェルに向かって深く頭を下げた。

それをほんの少し眉を持ち上げただけの無表情でレイチェルはながめる。ややあって。

「いいわ。そこまで言うのなら連れて行ってあげる」

たとえ見た目が多少幼かろうと、小こ憎にくたらしいところはラグナの思い出したレイチェル

ルカードそのものだ。ラグナは苦々しさと悪態を奥歯で嚙かみ潰つぶす。

「でも……連れて行くって、どこに、どうやって�

軍のトラックは夕方までこないのに」

汚れた目元を拭ぬぐいながらセリカが

いた。

ラグナはふっと思い出す。レイチェルがどこに、どうやって自分たちを連れて行こうとして

いるのかを。

レイチェルはつまらなそうな顔で、セリカを振り向きもせずに一歩前へ出た。長い袖そでから覗のぞ

く青白い指先で空を払はらう。

「私の家よ」

行く方法は、レイチェルの足元が示した。無ぶ愛あい想そうな地面に黒い線が走り、彼女を中心に薔ばら

の紋もんを描えがく。そこから薔

色いろの光が柱のように昇のぼった。

「これ……まさか、空間転てん移い

信じられないとセリカが叫ぶ。

空間を飛び超こえる空間転移は転移先の座ざひようの固定が

常に難むずかしく、天

と謳うたわれた姉ですら

使いこなすことはできない。それをなんのためらいもなく目の前の幼い少女が使い出したのだ。

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シュオルとは黄よ泉み、冥めい界かいの意味だと

いた。

我われわ々れの研究はうまくいく。そう確かく信しんできるからこそ、私は日に日に脅きよ威ういを覚えている。

境界とは本当に我々が触ふれていいものなのだろうか。

あれを発見してしまったのは、人類最大の失敗だったのではないだろうか。

私は怖こわい。あれが完成してしまうのが怖い。

私たちの研究は、なにかとんでもないことを引き起こすような気がする。

もしものときは、私が……。

ラグナとセリカがレイチェルの空間転てん移いでやってきたのは、厳おごそかな雰ふん囲い気き漂ただよう大きな古こじ城ようだ

った。

灰はい色いろの石いし壁かべには全体を覆おおい尽つくそうとするかのようにびっしりと蔦つたが這はい、人が使うにはあ

まりに大きく威い圧あつ的な門もんぴといい、幻げん想そう的であると同時におどろおどろしく見える。

空はなぜか夜だった。ここに朝はこない。

第三章 真実の赤87

第三章

真実の赤

||手記4。

タカマガハラシステム。人類が到とう達たつした至高のプログラム。その開発にはオリジナルユニッ

トが

わっているという説もある。

かつて人類はそれを使って、マスターユニットに干かん渉しようしようと試みた。

マスターユニットは境界の向こう側にある。

干渉するにはまず境界に接せつ触しよくしなければならない。

私とレリウスが現在製作しているのは、そのための素材だ。

境界。

彼はそれを門と呼んだ。

シュオルの門、と。

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あせて見えるほど高貴な匂においを漂ただよわせた人物だ。

すでに髪かみは真白く、ずいぶんとやせて肌はだの質も衰おとろえている。だというのにその風合いまでも

が彼の場合は気品となった。

先ほど紅こう茶ちやを運んできた

事の男に車椅子を押され、老人はテーブルをはさんでラグナとセリ

カの正面へと来る。それから深い皺しわの刻きざまれた口元を動かして微笑ほほえんだ。

細められた目はそこだけ衰えを知らぬ鮮あざやかな赤色をしていた。

「お初はつにお目にかかる。私はアルカード家現当主、クラヴィス

アルカード。こちらは私の

事を務めてくれているヴァルケンハインという」

クラヴィスが

せた手で後方に控ひかえる男を示すと、ヴァルケンハインと紹しよ介うかいされた

事は生き

真ま面じ目めな角度に腰こしを折った。

「ヴァルケンハイン……」

ラグナは耳にした名前を口の中で繰り返す。この男の名前もラグナは知っていた。ただし、

目の前にいる『ヴァルケンハイン』は壮そう年ねんの男性であるのに対し、ラグナの知る『ヴァルケン

ハイン』は老人だ。

(……こいつもなのか)

記き憶おくにある人物と情報は重なるのに、記憶にあるそのもののすがたをしていてくれない。ミツヨ

シも、レイチェルも、ヴァルケンハインも。

クラヴィスは続けて、自分に寄より添そう小さな

中に手を添えた。

第三章 真実の赤89

永遠に夜に包まれた場所。

どこでもない場所。

どこにも通じていながら、どこからも通じていない場所。

それがここ、アルカード家だ。

到とう着ちやくするなり、対応に出たしつ事じによりミツヨシは城しろの奥おくへと運ばれていった。

ラグナとセリカは小さなレイチェルに連れられて応接間へ通され、そこで待っているように

と言われた。今はふたり並んで、品のいいアンティークソファに座すわっている。

そこかしこからゴーストでも現れそうな外観に比べると、内装はいたって落ちつきがあり上

品だった。この部屋も過度な装そう飾しよくは控ひかえられ、おもむきのある調度品で整ととのえられている。

それがかえって、ラグナにとっては

常に居い心ごこ地ちが悪いのだが。

セリカもまた落ちつかなそうに部屋を見回していた。ついさっき、たくましい体つきの

事の男

性が運んできたティーカップを手に取り、口をつけるでもなく分ぶ厚あつい天板のテーブルに戻もどす。

それを彼女が何度か繰くり返かえしたときだ。静かに、応接間のとびらが開かれた。

「お待たせして申し訳ない、お客人」

耳に甘あまく響ひびく低い男声と共に、車くる椅まい子すに乗った老ろう紳しん士しが入ってきた。部屋のインテリアが色

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「それから……この子はレイチェル

アルカード。私の娘むすめだ」

「娘�」

いぶかしげに尋たずねたのはラグナだった。クラヴィスはにゆ和うわに笑う。

「はは、人間から見れば、孫と言ったほうが納なつ得とくがいくかね。それとも曾ひ孫まごだろうか」

「ああ、いやそのことじゃねぇよ。確かにその歳としで娘って言われても釈しや然くぜんとしねぇけど……。

そうじゃなくて。レイチェルの親ってことは、あんたヴァンパイアか�」

「小こ僧ぞう。クラヴィス様に向かってなんという口の利きき方だ�」

不ふ遜そんなラグナの物言いに、老紳士の後ろでヴァルケンハインが険けわしく顔をしかめた。

負けじと言い返そうとしたラグナだったが、その前にクラヴィスがなだめるように手をやっ

て制する。

「いかにも。私もレイチェルもヴァンパイアだ。……千年を過ぎてから歳は覚えていないが、

多くの人間たちの時代を見つめてきた」

「千年……」

「信じられないかね、お嬢じようさん」

「い、いえそういうわけじゃ……�

ただちょっと、びっくりして」

優美な笑えみを向けられて、セリカはわけもなく頰ほおを染そめると慌あわてて首を振ふった。

千年以上もの時を生きてきたヴァンパイア。その長すぎる時間は、ラグナやセリカには到とう底てい

想像できるものではない。

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はない」

「えっ

セリカが驚きに声をあげると、クラヴィスはやはりといった様子で厳かに続けた。

「あれは黒き獣の残ざん滓し。どんな役目を担になっているのかは不明だが、黒き獣が現れた場に残り、

近づくものを見つけては破は壊かいする。黒き獣の一部ではあるが、それはほんの小さなものにすぎ

んよ」

「じゃあ、黒き獣ってのはは……�」

不ふ穏おんに表情を曇くもらせてラグナが問う。クラヴィスの瞳ひとみにも穏おだやかならぬ色が浮うかぶ。

「当然、あのような規き模ぼの代しろ物ものではない」

もっと強大で、恐おそろしく、理り不ふ尽じんだ。

残滓とクラヴィスが呼んだ黒き獣の欠片かけらでさえ、あれほど手も足もでなかったのだ。本体で

ある黒き獣そのものがどれほど恐きよ怖うふのし象よう徴ちようであるか、漠ばく然ぜんとながらラグナも実感する。逆に言

えば、漠然としか受け止めようもない。

「とはいえ、あれは残滓の中でも特に濃こいもの。おそらく長い間あの場でわだかまり、いくつ

もの残滓が集まったのだろう。ミツヨシほどの使い手であっても、容よう易いに打ち取れるものでは

なかったようだ」

「……あんた、ミツヨシをよく知ってるみてぇだな」

「ああ、知っているよ」

第三章 真実の赤93

「さて。ラグナ殿どの、セリカ殿」

指を組み直してクラヴィスはゆったりと切り出した。

まだ名乗ってもいないのに、クラヴィスが自分たちの名前を知っていることにラグナもセリ

カも驚おどろいた。だがクラヴィスならば、自分たちも知らない出生の秘密さえ知りえるような気も

する。

「突とつ然ぜんこのような寂さびれた場所にお連つれして申し訳なかった。本来ならばミツヨシだけ連れ戻す

つもりだったのだが……。どうやら娘は君たちが気になって仕方がなかったようだ」

クラヴィスが慈じ愛あいの色で娘を見たが、当のレイチェルはつまらなそうにあさってのほうへと

顔をそむけただけだった。

「あの、ミツヨシさんは大だい丈じよ夫うぶなんですか�」

セリカが身を乗り出させる。待っている間もずっとそのことが気がかりだったのだ。

「もちろんだ。今は奥で治ちり療ようを受けさせている。ひどい状態だが、命を落とすほどではないよ、

安心しなさい」

「よかったぁ」

腹の底から安あん堵どの息を吐はき出して、セリカは胸むねを撫なで下おろした。

ラグナもまたほっと息をつく。

「黒き獣けものとやり合って生きてるなんて。獣じゆ人うじんってのはしぶといな」

「ああ……ミツヨシも勘かんちがいしていたようだがな。貴公らが遭そう遇ぐうしたあの黒い霧きりは、黒き獣で

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を読み

かせるように、彼は始めた。

「ずいぶんと昔むかしのことだ……。日本のとある場所で、スサノオユニットというものが発はつ掘くつされ

た。それは誰だれも見たことがない不思議なもので、人間たちは他にもなにかないものかと発掘を

続けた。どこまでもどこまでも掘ほり進めて、そうして出てきたのが……窯かまだ」

地下深くで唐とう突とつに口を開けていた巨きよ大だいな窯。

中では赤々とした炎ほのおが躍おどりその奥にあるものを隠かくしているのに、なぜか覗のぞきこんでいると

みこまれそうな誘ゆう惑わくにかられるという話が、当時の現場で流れた。

「窯の向こう側には境界というものが広がっていた。人間たちが暮くらしている世界とはまたちが

元にある、奇きみ妙ような空間だ。そして強く興きよ味うみを引かれた人間たちは境界の深しん淵えん……その深き

場所に意思があることをつきとめた。マスターユニットと呼ばれるものだ。……それは人類に

とって神とも呼べる存在だった。人類はタカマガハラシステムというものを造つくり、境界を管理

して、マスターユニットに接せつ触しよくしようと試みた」

「神に近づこうとした……ってことか�」

「いや。神を殺そうとした」

物ぶつ騒そうなことをクラヴィスは涼すずしげなほど冷静に言う。

「……シュウイチロウ

アヤツキはそのタカマガハラシステムに代わるものを造り出そうとし

ていた。境界に触ふれ、その奥のマスターユニットにすら到とう達たつできるもの||クサナギを」

「クサナギ……」

第三章 真実の赤95

ラグナがなにを問おうとしているのかすでに

したのだろう。クラヴィスは、促うながすように答

えた。

「さっき、ミツヨシを回

するつもりだった、って言ったな。ひょっとしてミツヨシにシュウ

イチロウ

アヤツキをとっ捕つかまえてこいって命令したのは、あんたか�」

はっ、とセリカが息をのんだ。大きな目を真しん剣けんそのものに見開いて、まじまじとクラヴィス

を見つめる。

ラグナとセリカ。ふたりの視し線せんを一身に浴びながら、それでもわずかにも動どう揺ようを見せずにク

ラヴィスはゆっくりと首を縦に動かす。

とたんに、セリカがテーブルを叩たたかんばかりの

いで腰こしを浮うかせた。

「どうしてですか

父は危あぶないことをする人じゃありません�

いつだって、世の中の人の

ことを思って頑がん張ばってたのに」

「……アヤツキ博はか士せの娘さんだね」

「は、はいっ」

クラヴィスの声は静かで厳かだ。セリカは膝ひざの上で両手をきつく握にぎり、緊きん張ちようした顔でしせいを

正す。

「こうして運命は我われわ々れを巡めぐり合わせた。ならば私は貴公らに話さねばならない。……老人の話

だ。少し長くなるが、辛しん抱ぼうして

いてくれ」

ここからがクラヴィスの本題でもあった。青白い瞼まぶたを伏ふせ深く息を吸すい込むと。まるで昔話

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「わからん。彼の実験が黒き獣出現と同じ場所、同じ時間であったことも、ようやく最近突つき

止とめられたことなのだ。だがシュウイチロウ

アヤツキに詳くわしく話を

くことができれば、黒

き獣に

してなにがしかの手て掛がかりを得ることができるかもしれない」

そこまで話すと、クラヴィスは車椅子に力なく体を沈しずめた。深く長く、疲ひ労ろうの滲にじんだ息を吐は

き出す。

ヴァンパイアといえど歳としをとれば疲つかれもするのかと、ラグナは妙みようなところに

心を抱いだいた。

「……黒き獣。あれは境界から現れた化ばけ物……いや、境界そのもの。人が触ふれるべきではな

いものだ。人類はまだ幼おさない。幼いがゆえの好奇心とはいえ、境界に触れてはならなかった」

伝でん承しようの詩でも謡うたうように重くゆったりと、疲労を纏まとったクラヴィスの声が語る。

「人類はやがて

の『カタチ』へと移り行くだろう。けれどこれはそのための『破は壊かい』ではな

い。これでは『殺さつ戮りく』だ。……黒き獣は止めなければならない。さもなければ……」

||我﹅﹅々は確かく実じつに滅ほろびるだろう。

そう結んだクラヴィスの言葉が、どうしてかラグナの意識の片かた隅すみを、い和わ感かんとなって掠かすった。

それは一いつしゆんのことで、ラグナ本人にはまるで理解のできない程度のものだった。わかったの

は……クラヴィスとレイチェルが、同じヴァンパイアとはいえ、どこか根本的な部分でまるで

う存在なのではないか、ということ。

そしてそんな些さ細さいな

和感よりも、このときのラグナにはクラヴィスの予言めいた発言のほ

うが重かった。やわらかな語り口調が孕はらんでいた真実味は、氷のように冷たい。

第三章 真実の赤97

茫ぼう然ぜんとセリカが繰くり返す。

それを父が求めていた。神に近づく道具。あわよくば、神を殺すこともできたかもしれない

武器。

「どうして父はそんなものを……」

「さて。それは私にもわからないな。かつてタカマガハラシステムを造った人類と同じように

神を殺そうとしていたのか……または、ただの知的好こう奇き心しんかもしれない。だがその実験は危き険けん

だと、私は思った。ゆえにそれを阻そ止しすべくミツヨシに素体の回

を依頼したのだが……間に

合わなかった。彼はそれを完成させ、ついに錬れん成せい実じつ験けんを行った」

クラヴィスは一度口を閉ざした。一いつ拍ぱく置かれた小さな間。それだけでラグナにも

すること

ができた。

「……そして、黒き獣けものが現れた。ってわけか」

「その通りだ。黒き獣が現れたのは、かつてスサノオユニットと一いつ緒しよに発掘された窯からだっ

た。そしてそこは、彼らが錬成実験を行った場所でもあった」

シュウイチロウ

アヤツキが境界に接せつ触しよくし、境界から黒き獣が現れた。そこだけに注目すれ

ば、彼の実験が黒き獣を世に放ったと確たしかに言える。

セリカはうつむいていた。長い髪かみは力なく首筋から胸元に垂れ下がっている。膝ひざの上できつ

く、こぶしを小さく握にぎっていた。

「父は……生きているんでしょうか」

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クラヴィスの城はその広大な敷しき地ちごと、何な故ぜか夜に閉とざされている。暗い空には分ぶ厚あつく雲が

かかり、そのすき間まから丸い月の銀面が覗のぞいていた。

休息場所にと客間を与あたえられたものの、優ゆうがなベッドに大人おとなしく転がってもいられず、ラグ

ナは城をぐるりと囲む庭をぶらついていた。

歩きながら、徐々に鮮せん明めいになっていく記き憶おくの中身と目に映る景け色しきを見比べる。

ラグナは幾いく度どかレイチェルに連れられ、アルカード家を訪おとずれたことがあった。だがそのとき

見たのは突き出た尖せん塔とうが不気味な古城ではなく、もっと豪ごうしやで優ゆうがさにあふれた城だった。

周囲は薔ば薇らが咲さき乱みだれる庭園であったのに、今あるのは手入れもされず風化するに任せた蔦つた

だらけの廃はい園えんだ。

時間から切きり離はなされたような空気の味は同じなのに、目に見えるものは

う。

建物や庭だけではない。ラグナの知るレイチェルはもう少し大人だった。ヴァルケンハイン

は壮そう年ねんの男性ではなく、白はく髪はつの老人だった。

レイチェルの城には、クラヴィスという人物は居なかった。

考えられるのは||。

「っ、おい、ウサギ�」

闇やみ雲くもに足を進めていたラグナは、廃園に佇たたずむ小さな人ひと影かげに思考を中断させた。

第三章 真実の赤99

まるでクラヴィスには、人類が滅めつ亡ぼうする未来の断片が見えているかのようだった。

「ミツヨシが回復したら、私はまた彼にシュウイチロウ

アヤツキの捜そう索さくを頼たのむだろう。貴公

らがどうするかは貴公らの判断に任せる。だが……」

ふっ、と緊きん張ちようを解とくように、クラヴィスはにゆ和うわに微笑ほほえんだ。

「その前にまず、ゆっくり体を休めなさい。短時間とはいえ黒き獣の残ざん滓しに触れていたのだ、

自分でも気がつかない疲労も溜たまっているだろう。ヴァルケンハインに部屋を用意させるから、

それまではこの部屋でくつろいでくれ」

親しん戚せきの子供でもいたわるようにそう言うと、クラヴィスはヴァルケンハインとレイチェルを

連れて応接間から出て行った。

ほどなくして、さほど待たされることもなくヴァルケンハインが応接間に戻もどり、ラグナとセ

リカは屋や敷しき二階にある客室へと案内された。

ミツヨシと

って大した傷きずを負っているわけでもなかったが、ここを焦あせって出て行く理由も

ない。

ラグナとセリカは確かに

負っている疲労を思い出し、ありがたくクラヴィスの好意に甘え

ることにした。

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記憶にある人物なのだ。

「テメェなら知ってんだろ

なにがどうなっていやがる。ここはどこだ。なにが起こった

「……放はなして」

「答えろ。答えたら放す」

「放しなさい、無礼者�」

怒ど声せいとともに空から細い稲いな妻ずまが走り、レイチェルの肩かたを摑つかんでいたラグナの手を打った。

「ぐあっ……�」

火花が散り、弾はじかれて、ラグナはすぐ後ろの生いけ垣がきに

中から突つっ込こむ。枯かれかけて時間の止

まった硬かたい枝が、針のように身を刺さした。

「いってぇな……なにしやがる�」

「それはわたくしの台詞せりふよ」

小枝をいくつか折りながら体を起こそうとしているラグナを、レイチェルは射い貫ぬくように冷

たい目で見下ろしていた。

「さっきから

いていれば、初対面のクセに馴なれ馴れしいにもほどがあるわ。教養の欠片かけらもな

い野や蛮ばん人じんとはこれ以上口を利きたくないの。わたくしの品位まで貶おとしめられるわ」

流れるように歌うように、レイチェルはラグナを

難する。けれど刺とげと々げしい言葉も、さげすみの

視し線せんも、今のラグナにはどうでもよかった。そんなことよりも。

「おい……誰だれと誰が、初対面だって�」

第三章 真実の赤101

ウサギの耳のようにピンと伸のびた黒いリボンが揺ゆれて、記き憶おくより幼いレイチェルが小さな仕

草で振ふり返かえる。

「……何様のつもり�

どうしてわたくしがあなた風ふ情ぜいにウサギ呼ばわりされなくちゃならな

いのかしら�」

実に不ふ愉ゆ快かいそうに、レイチェルは幼い声こわ音ねで言った。

さげすむような目で見上げてくる少女に、ラグナは吐はき捨すてるように笑む。

「はっ、見た目が輪をかけてガキになっても、そのムカツク喋しやべり方は相変わらずだな。逆に安

心するぞ」

「あなた、生意気だわ。目め障ざわりよ」

「おっと。そうはいくか」

長いツインテールを揺ゆらして立ち去ろうとした彼女の肩かたを、ラグナはつかまえた。

「こっちはテメェに

きたいことが山ほどあるんだ」

「わたくしには、あなたと話すことなんて無いわ」

「いいから答えろ、こっちはもう何がなんだか、わけがわかんねぇんだよ�」

声を張り上げはしても、その口調にはさほど強さはなかった。正直なところラグナはすがる

ような思いだった。

レイチェル

アルカード。名前も間まちがっていない。

目が覚めて右みぎ腕うでと右目が動かなくなって。

和感だらけのこの世界で、彼女は初めて会った、

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ような困こん惑わくするようなそんな色をしていた。

「貴公は、レイチェルを知っているようだな」

幼い後ろすがたを見送るラグナに、クラヴィスは口元に微びし笑ようを浮かべて語りかけた。

ラグナは荒あらっぽく頭をかく。

「ああ。つっても、俺が知ってるレイチェルはもう少し歳としが上に見えたがな」

「ほう。あの子がどんなレディに育つのか、貴公は知っているのか。それは少し羨うらやましい」

ありきたりな日常会話のように告つげられて、ラグナは危あやうく

き流すところだった。

クラヴィスの言葉に潜ひそむ別の意味は、こうだ。ラグナの知っているレイチェル

アルカード

は、今居るレイチェルが育った

である。

クラヴィスの目が微笑ほほえみとはちがう形に細められた。赤い瞳ひとみは深い思し慮りよをたたえ、そこの深み

はラグナの知り得ない領りよ域ういきを孕はらんでいる。

「ラグナ殿どの。記憶は全て戻ったのかね�」

「なんで、それを……」

言いかけて、ラグナはやめた。自分はクラヴィス

アルカードという男をよく知らない。だ

がこの老ヴァンパイアはきっと、なにもかもを知っているのだろう。

ラグナが知るレイチェルが、なにもかもを知りながらなにも教えないように。

「まだ、全部ではない……と、思う」

押し付けた指先でこめかみを強く揉もみながら、ラグナは答え直した。頭の奥が鈍にぶく痛み出し

第三章 真実の赤103

声がぎこちなく引きつった。

レイチェルがますます不ふ機きげんそうに顔をしかめる。

「耳がくさっているのではなくて�

わたくしとあなたがよ。下げ郎ろう」

言い捨てる幼おさない声が、ラグナの脳を直接殴なぐりつけた。それくらいの衝しよ撃うげきだった。

「おい。冗じよ談うだんキツイぞ。テメェはレイチェル

アルカードだろ�」

レイチェルが知らないのなら、他の誰がラグナという人間を保証できるだろう。ラグナは眩め

暈まいに頭をおさえる。

急に、自分が本当はこの世界に居てはならない存在のように思えた。

「その続きは私と話さないかね、少年」

睨にらむレイチェルと困こん惑わくするラグナの間に、落ちついた声が割り込んだ。

ラグナとレイチェルは同時に、声に振り向く。

自身の手で車くる椅まい子すを操あやつり、クラヴィスがゆっくりとやってきていた。蔦つただらけの廃園の中で

見るクラヴィスの

は幽ゆう鬼きのようで、

負う影かげがより色いろ濃こく見えた。

「レイチェル。少しこの少年と話がしたい。いいかね�」

「……もちろんです、お父様」

長いドレスの裾すそをちょこんと指先でつまみ、レイチェルは老おいた父に行ぎよ儀うぎ良く礼をした。軽

く地面をくつで小こ突づき、わずかに爪つま先さきを地面から浮うかせると夜風に乗って去っていく。

去り

、ちらりと一

ラグナを見た目は、親しみこそわずかな一片もなかったけれど、探さぐる

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「……貴公がなぜ我々の時間にやってきてしまったのかは、私にもわからない。どうすれば元

いた時代に戻ることができるのかも、わからない」

クラヴィスは空の銀月を見上げた。その

は妙みように儚はかなく、雲間から注ぐわずかな月光に溶とけて

消えてしまいそうだ。

ヴァンパイアは長命だが、不老不死ではない。恐おそらくクラヴィスの長い命は潰ついえようとして

いるのだろう。だから、九十四年後のアルカード家に彼はいないのだ。ラグナは青白い老ヴァ

ンパイアの横顔を目にし、そう

した。

「だがな、少年。ロマンティズムなことを言わせてもらえば、貴公がこの時代に来たのは残ざん酷こく

な偶ぐう然ぜんではないのかもしれない」

「どういう意味だ�」

「貴公にはこの時代で成なすべき役目があり、運命に導みちびかれた。そして貴公の行いは巡めぐり巡って、

いつか大きな輪を描えがく……」

まるで予言のような口調で言っておきながら、クラヴィスはどこか楽しげだった。

年とし端はもいかない子供の扱あつかいを受けているような気になって、ラグナは渋じゆ面うめんになる。

「そう思うんなら、ついでに俺にどんなお役目があるのかってあたりも、教えてもらえると楽

なんだがな」

「私はなにも知らんよ。ただここで見続けることしかできない、無力な老人だ」

クラヴィスは青白い手を迷めい路ろのように並ならぶ植え込みに伸のばした。どこからやってくるのか、

第三章 真実の赤105

ていた。

「なぁ、あんた。知ってんなら教えてくれよ。思い出せば思い出すほどわからねぇ。ここは俺おれ

が知ってる世界なのか�

いい加減、頭がおかしくなりそうだ」

知らない常識、知らない街、知らない事件。六年前に黒き獣けものが現れた世界。

ふむ、とクラヴィスが、膝ひざの上で指を組みながら言う。

「貴公が取り戻した記憶の中で、最も新しいものの……年号を言えるかね�」

「……二一九九年、いや年が明けたから二二〇〇年、だな」

「今は二一〇六年だ、少年」

「…………」

ラグナは黙だまった。クラヴィスは続ける。

「薄うすう々すはわかっていたのだろう�

ここは……いや、この時代は、貴公が生きていた時代の九

十四年前。つまり君は今、過去の時じ間かん軸じくに存在している」

冷静に突きつけられた言葉を飲みこみ、戸と惑まどう頭に理解させるのに、意外と時間はかからな

かった。

クラヴィスの言うとおり、ラグナは感付いていた。だがそんな憶おく測そくはくだらないと思っても

いた。

記憶が混乱しているせいだ。そんなことはありえない。自分が九十四年前の時代、人類が存そん

亡ぼうをかけて黒き獣と戦っていた暗あん黒こく大たい戦せんの時代にいるなんて。

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その植え込みにさえ蔦が這はっている。血の気のない指先はその蔦の葉になぞるように触ふれた。

「私もこの城同様、蔦に捉とらえられてしまった。ここからはもう動けぬ。動くのは私ではなく、

生きている人間たちだ」

ラグナはなんと答えたらいいのかわからず、黙だまっていた。彼の言っている意味はわかる。だ

がクラヴィスが期待しているほどのことを、自分を含ふくめて人間は行えるのだろうかと、とりと

めもないのにそんなことを考えた。

「ひとつ、

いてもいいか」

「私にわかることなら」

クラヴィスの穏おだやかな物もの腰ごしはラグナを戸惑わせる。ラグナにとってヴァンパイアとは、もっ

と手て厳きびしいイメージで塗ぬり固かためられていたからだ。

どんな態度でいたらいいか決めかねたまま、ラグナは車椅子の老ろう紳しん士しを観

するように見つ

めた。

「見てるだけとか言いながら、ずいぶん人間に肩かた入いれするんだな。セリカの親父おやじの実験を阻そ止し

しようとしたり、黒き獣の話を

くために探そうとしたり。それってひとつもあんたの得とくにな

るもんじゃねぇだろ」

むしろそれらは人間たちのため。そう思えてならなかった。

「あんた、もしかして人間を守ろうとしてるのか�」

「……守るだなどと。そんな大それたことは考えておらんよ」

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ぼんやりとクラヴィスが去ったほうをながめながら、考えていた。

「心に正直に、ねぇ」

そうは言われても、と思った。

けれどすぐに思いつく。

九十四年前。暗黒大戦の最中。ラグナの曖あい昧まいな歴史の記き憶おくによれば、もうあと何年かで黒き

獣は倒たおされるはずだ。

六人の英えい雄ゆうによって。

ならばこの時代には、世界のどこかに六英雄がいるはず。剣けんの師しし匠ようでもある獣兵じゆうべえ。ハクメ

ン、ナイン、ヴァルケンハイン。表立って歴史に名前の残っていないもうひとり。

それから、ユウキ

テルミ。

黒き獣のきっかけであるシュウイチロウ

アヤツキを探し出すことができれば、テルミに繫つな

がる情報も手に入らないだろうか。

テルミならば自分を認識しているかもしれない。元の時代に戻る術を探ることができるかも

しれない。あわよくば、奴やつの息の根を止めることも……。

いつの間にか、右手をきつく握にぎりしめていたことに気付いた。

「ん……�

動く�」

今まで指先さえぴくりとも動かなかった右手が、感覚こそないけれど手首から先だけ動いて

いる。

第三章 真実の赤109

静かに、クラヴィスは呟つぶやきを吐と息いきに混ぜた。それは蔦つたのように密ひそやかに闇やみの中へ溶けていく、

けれど決して消えてしまうことのない、ささやかな強さを纏まとった声だった。

「滅ほろびてほしくないのだ。人は人らしく、獣は獣らしく、魚は魚らしく。彼らが生き続ける術すべ

に少しでも力ちか添らぞえができるなら、私はそうしたい」

するりと滑すべるように、クラヴィスの指が蔦から離はなれる。その手を車椅子の車輪に置くと、重

たそうに滑らせ植え込みから身を引いた。

「疲つかれているところ、長話に引き止めてすまなかったな。私はそろそろ屋や敷しきに引き上げるとし

よう」

「……ああ。じいさんこそ、あんま無理すんなよ」

「ははは、まさか人間の若者に気き遣づかわれる日が来ようとはな。長く生きるものだ」

肩を揺らして今日一番の愉ゆ快かいげな笑い声をあげると、クラヴィスは滑るように車椅子を操あやつっ

た。雑草の茂しげる廃はい園えんの通路を行き、その途とち中ゆうでふとラグナを振り返った。

「少年。己おのれの心に正直に生きなさい。それこそが貴公の進むべき道となるだろう」

離れていても、クラヴィスの声ははっきりと

こえた。

また車椅子が動き出す。そのままクラヴィスは、夜空に佇たたずむ重厚で不気味な古城の中に戻もどっ

ていった。

ラグナはその場から動かなかった。介かい護ごが必要なわけでもないのだから、今さら追いかけて

いって車椅子を押してやることもないだろう。

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「あ、ラグナ。どうしたの�」

「いや、どうしてるかと思って……つーか、意外と普ふ通つうだな、あんた」

拍ひよ子うし抜ぬけしてラグナが呟つぶやくと、セリカはむっと不満顔になった。

「ちょっと、意外と普通ってどういう意味�

確かにお姉ちゃんほど大きくないけど、大事な

のはバランスでしょ�

それにねぇ、男の人にはわかんないのかもしれないけど、大きければ

いいってものじゃないんだからね」

「待て待て待て。なんの話してんだ」

話がおかしなほうを向き始めた。ラグナは露ろ骨こつに反応に困る。

「色々あったから、ヘコんだりしてんじゃねぇかと思って様子見に来たんだよ。だっつーのに

ケロっとしてやがるから『普通』って言ったんだ」

変わり果てた父の

場に、黒き獣の残ざん滓しとの遭そう遇ぐう。依い然ぜんとして生死の知れぬ父、クラヴィス

から

かされた話。十代半ばの少女が一度に受けとめるにはいささか重い。

ぱちくりと何度か大きなまばたきをしてラグナを見上げていたセリカは、目め尻じりを下げてくしゃり

と笑った。

「心配してくれたんだ」

「……別にそういうんじゃねーけど」

「またまた。照れなくたっていいじゃない。ラグナが優やさしい人だって、知ってるんだから」

そんなふうに屈くつ託たくない表情で言われるとどうしていいのかわからない。ラグナは渋しぶい顔で目

第三章 真実の赤111

(治りかけてる……のか�)

右手が動くようになれば、もっとまともに戦える。少しは事態が好転してきたのだろうか。

ラグナはもう一度右手を握り直すと、不気味な古こじ城ようへ向かって大きく足を踏ふみ出した。

古城の中に戻るとラグナはひっそりと静かな廊ろう下かを歩き、古めかしいドアノブのついたとびらの

前で足を止めた。

等とう間かん隔かくに燭しよ台くだいが灯ともされた廊下は夢ゆめの中のように幻げん想そう的で、同じくらい不気味だ。揺ゆれる明か

りは決して消えない炎ほのお。それがラグナの気配で身じろぐと、周囲にある何倍もの影かげがつられて

蠢うごめく。

薄うす気き味み悪わるい。

中に寒いものを覚えつつラグナは

に向き直り、少し迷まよってから粗そ雑ざつに

ノックした。

すぐに部屋の中で人の動く物音がして、軽い足音が近づいてくる。

客間には鍵かぎがついているはずだが部屋の客人は鍵をかけていなかった。すぐになんの警けい戒かいも

なしに

が開かれ、中からセリカが出てくる。

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「どうするんだ。……親父おやじさんのこと」

ラグナはセリカの目を見て尋たずねた。雨に濡ぬれた大地の色だ。そこに映る自分がどんな顔をし

ていたのかラグナには見当もつかない。

「どうって。探すよ」

「あの話

いてもか�」

ミツヨシの話を頭ごなしに疑っていたわけではないが、クラヴィスに改めて言われるとその

説得力は段だんちがいだった。

シュウイチロウ

アヤツキは黒き獣けものの出現に

わった。間まちがいなく。

それでもセリカは笑顔で頷うなずいた。

「もちろん。そのためにここまで来たんだもの。どんなことをした人でも、父さんは私の父さ

んでしょ。真実を確かめるためじゃなくて、心配だから探すの」

「見つかれば、世間からひ難なんの的まとになるぞ�」

「でも探すよ」

セリカには一いつしゆんの迷いもなかった。

あまりの即そく答とうにラグナは面めん食くらう。

「悪いことをしたなら謝あやまらなくちゃ。悪いことをしたわけじゃないんなら、ちゃんと説明しな

くちゃ。それで父さんが知っていることを全部話して、それを基もとにみんなでたくさん考えて、

黒き獣をどうするか考えればいいでしょ」

第三章 真実の赤113

を逸そらした。

「中入る�」

どうぞ、とばかりにセリカが一歩内側に引いた。その向こうにはラグナが借りた部屋同様、

見るからに上等そうなインテリアの数々が見える。

果たしてこんな秘境にどれだけの客がくるのか、ラグナは実に疑問だった。

「いや、いい。すぐ戻る」

「そう�」

「それに、んな簡単に男を部屋に通すな」

今に始まったことではないがセリカの不用心さにはいちいち呆あきれる。

ラグナがため息をつくと、セリカは悪いた戯ずらっぽい子供のような目を向けた。

「私になにかする気�」

「しねぇけど

「あははっ、わかってるよ」

涼すずやかなセリカの笑い声にラグナは全身から力が抜ぬける思いだった。がっくり肩かたが落ちる。

……同時に、あらゆる気持ちの強こわ張ばりも抜け落ちた。

羨うらやましい笑い方をする少女だ。

「……なあ」

「なに、ラグナ�」

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を感じて、ラグナは思わず一歩身を引いた。

案あんの定じようだったセリカは行き場を失った手を宙でわきわきさせる。その仕草がおかしくて、ラ

グナは噴ふき出しながらセリカの頭に手を置いた。

「旅行前のガキじゃねぇんだから、ちゃんと寝ねとけよ」

「はぁい」

嬉うれしそうに目を細めて素直に返事するセリカに、ラグナは冗じよ談うだんめかして満足そうに頷いてみ

せた。

セリカから手を離し、踵きびすを返す。

「じゃな」

「あ、ラグナ�」

中を向けたラグナへ、セリカは廊下に飛び出して大きく言った。

「心配してくれてありがとう。一緒に頑張ろうね�」

「へいへい」

ひらひらと肩ごしに手を振ふりながら、ラグナはとなりの客室へ入る。

ひどく気持ちは穏おだやかだった。それがなんとも格好悪くて、ラグナは腰こしから剣を外すとそれ

と一緒にソファに倒れ込んだ。部屋にはベッドがあったが、あんなやわらかくて肌はだざわりのいい

場所でじゆ睡くすいなどできそうにない。

励はげますつもりが、逆に励まされた気分だ。

第三章 真実の赤115

「そううまくはいかねぇぞ」

「だったらうまくいくように頑がん張ばる�」

セリカは胸の高さで両手をぐっと握にぎりしめた。

「私は父さんを信じてる。あの人が私の父さんだってことを信じてる。みんなが父さんを悪く

言っても、私だけは、大好きだよって言うんだ」

胸が重い。ラグナはわけもわからず奥おく歯ばをきつく合わせた。

セリカの目は温かな色でラグナを見上げている。できればその色に暗いものが浮うかばなけれ

ばいいと、ラグナは心の端はしで無意識に願った。

「それにね、頑張るだけなら誰だれにだってできる。世界中の人が頑張って頑張って、みんなで一いつ

緒しよになって頑張ったら、きっと素す敵てきな世界になると思うんだ。……黒き獣だって倒たおせる」

希望ではなく確かく信しんだった。

なんの根こん拠きよもなくそんなことを言い切るセリカをラグナは浅いと思ったが、その浅さは

ではない。

ラグナはく唇ちびるの端を釣つり上げるようにして笑えむ。

「あんたが親父を探すって決めてるんなら、それでいい。俺おれも付き合ってやるよ。あんたの親

父さんに会ってみてぇんだ」

「じゃあ、まだ一緒にいられるんだね。やったぁ�」

両手をぱちんと合わせ、髪かみをはね上げさせてセリカが喜ぶ。そのままとびつかれそうな気配

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空は雲を寄せ付けようともしない一面の晴天で、上から薄うす墨ずみを刷はいたような濁にごった空色がど

こまでも広がっていた。

そこに爽そう快かい感かんはない。わずかな風もない空は死んだように黙もくしており、どの季節にも属ぞくさな

いぬるい気温と相まって、ただただ気味が悪かった。

そろそろ昼とは呼べない時間になる。

夜に包まれているアルカード家から午前中の日本へと魔ま法ほうで転送されたときは、頭と体がす

ぐにはじ状よう況きようを理解せず、しばらくい和わ感かんが付きまとったものだ。

どれくらい歩いたのだろう。

転送先であった日本

東方面の小規模な廃はい都と市しからどんどん離はなれ、荒あれた山道になっていく

景け色しきに、ラグナはそろそろ本気の絶望を味わい始めていた。

後こう悔かいとは苦にがい味がするのだとラグナは思い知る。こうなることはわかっていたはずだった。

だというのに、うかつにもセリカのあの言葉を信じてしまった自分が恨うらめしい。

今度こそ、大だい丈じよ夫うぶ。

彼女はアルカード家を出発する

にクラヴィスから渡わたされた地図を握にぎりしめ、それはそれは

自信ありげにそう言ったのだ。

「セリカ」

ラグナは前を歩く少女の

中に呼びかけ、荒あら山やまの中腹で足を止めた。

山といっても辺あたりに緑の木々はなく、なにかにこそげ取られたように茶色い土つち肌はだが晒さらされて

第三章 真実の赤117

セリカの笑顔にほだされる感覚がおかしな癖くせになりそうだった。

記憶だとか元の時代だとか、そんなことよりももっと単純に、彼女の力になってやりたいと。

そう思っている自分を感じる。

それは果たしていいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。

うざったそうに髪かみをかき上げようとして、ラグナは不意に気がついた。

さっき廃はい園えんにいたときは微かすかに動いた右手がまた動かなくなっている。確かに手を握れたは

ずなのに、小指の先さえ動かない。

「ちっ……なんだよ、元通りじゃねぇか」

悪態をついてみても、動かないものは仕方がない。

ラグナはセリカへの幾いくつもの思いと右みぎ腕うでへの諦あきらめを大きなため息で吐はき出すと、とりあえず

ひと眠ねむりすることにした。

アルカード家で一晩休んだ翌日。

ラグナとセリカは再び日本にいた。

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第一区画とはつまり始まりの土地。かつてスサノオユニットと窯かまが発はつ掘くつされ、やがて黒き獣

の最初の出現地点ともなった場所だ。ラグナたちの今回の目的地はここだった。

本来はミツヨシが、シュウイチロウ

アヤツキの

場であった西王大サンプリング研究所を

経由したのち訪おとずれるはずだった。

けれどすぐにそれが叶かなわないため、クラヴィスはシュウイチロウ

アヤツキの消息に

する

手て掛がかりがつかめるかもしれないと、セリカにこの地図を渡わたした。

ご丁てい寧ねいにも行くべき道筋まで書き込んであったため、まさかセリカとて迷うまいと思ってい

たのだが、甘あまかった。

軌きど道うし修ゆう正せいしようにも、現在位置がわからないようではどうしようもない。

そういったことに長たけていそうなミツヨシは意識こそ戻もどったものの、まだ動き回れるほどで

はないと、クラヴィスに城での養生を命じられている。

「とりあえず地図貸せ�

あんたが持ってるとロクなことにならねぇ�」

ラグナはセリカの手から地図を奪うばおうと強ごう引いんに腕うでを伸のばした。セリカはそれからのがれようと

精せい一いつ杯ぱい体をひねる。

「わーっ、待って、待ってお願い、もうちょっと頑張らせて�

今日はなんだかたどり着けそ

うな気がしてるの�」

「ぜってー無理�

いいから、よこせっ、この……」

そのとき。ひゅっ、と鋭するどい音が空を切った。

第三章 真実の赤119

いるばかりだ。

セリカもまた足を止めてラグナを振ふり返かえる。その頼たよりない肩にラグナは左手を置いた。

「諦あきらめろ」

「私ね、結論を急ぎ過ぎるのはよくないと思うの。なにごともまずは冷静に……」

「冷静に見つめた結果だ。受け入れろ、そして諦めろ」

ラグナはいやに真しん摯しな表情でセリカを見つめ、肩の手に力を込めた。言葉を濁したのではわ

かるまい。きっぱり言ってやる。

「道を間まちがえてる。迷まよってる。完全に迷子だ」

「迷子じゃないよ。地図のどこにいるのかわからなくなっただけだよ」

「だーかーらっ�

それが迷子だっつーんだよ�

あー、くそっ、やっぱりあんたに任せるん

じゃなかった……」

ラグナの頭に、セリカと出会ったその日のことがデジャヴとしてよ蘇みがえる。あのときもこうやっ

て後こう悔かいしたはずなのに。

セリカも少しは責任を感じているのだろうか。改めて手の中の地図を難むずかしそうに見つめ、唇

を尖とがらせる。

「おかしいな。ちゃんと地図通り歩いたのに」

「地図通り歩いてんなら、自分の居場所見失ったりしねぇだろーがっ」

クラヴィスから預あずかった地図は、現在『第一区画』と呼ばれている場所周辺のものだ。

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振り返り、ラグナもまたセリカとはちがう反応に表情を歪ゆがませた。

えぐり取られた地面が砂すな埃ぼこりを巻き上げ、風もなく行き場を見失って停てい滞たいしていた。

その向こうからやってきたのは二人の人物。道行く人を襲おそうようなならず者風でもなく、ま

してや黒き獣の残滓でもない。

二人の女性だった。

ひとりはすらりとした長身の美女だ。長い髪かみを堂々と

中に流し、タイトなスカートから伸

びる脚あしは誰の目をも引き付けるほどにしなやかで長い。肩かたからは長いマント、頭には先の尖とがっ

た三角帽ぼう子しと、まるで童どう話わに出てくる魔ま女じよのような服ふく装そうだ。

もうひとりは少し小こ柄がらで、大きな眼鏡めがねをかけている。三角帽子の女の一歩後ろを付つき添そうよ

うに歩いており、その所しよ作さには洗練されたものがあった。頭から大きなフード付きのローブを

かぶり、やはり魔女のように見えた。

「あ……お……」

セリカは腰が抜ぬけたようにその場に座すわり込んだまま、ゆっくりと近づいてくる二人の人ひと影かげに

釘くぎ付づけになっていた。怯おびえているというより、ひどく驚おどろいた様子だ。

「あんたの知り合いか�」

ラグナは早口に

後のセリカへ問いかけつつ、先を歩く三角帽子の女をうかがった。美しい女性

だった。

だが容ようしの美しさなどよりも、空気を通して伝わってくるとんでもない威い圧あつ感かんに全神経を持

第三章 真実の赤121

同時に感じたのは殺気。

ラグナは咄とつ嗟さにセリカを押おし倒たおすように地面に倒れ込んだ。胸に抱だきこんで地面から庇かばう。

い一つしゆん遅おくれてラグナの

後でなにかが地面に着ちや弾くだんした。低い轟ごう音おんはちょうどラグナの立ってい

た場所を深くえぐり、乾かわいた土を吹ふき飛ばす。

「っ、な……

いきなりなんなんだ。砂すな埃ぼこりと小石の雨を

中に受けながら、ラグナは硬かたい地面に転がるセリ

カを慌あわてて見下ろす。

「おい、大丈夫か

「だ、大丈夫……�」

こくこくと小こ刻きざみにセリカが頷く。

組くみ伏ふせるような体

になっていたが、今はそんなことにこだわっている場合ではない。

何者か知らないが襲しゆ撃うげ者きしやだ。もしかしたらまた黒き獣けものの残ざん滓しかもしれない。

襲撃者にそなえてラグナが身を起こそうとしたとき、同じように起き上がろうとしたセリカが

ぎくりと顔を凍こおりつかせた。

「おい、どうした�」

見ればセリカの顔色は青ざめているようだった。

なにを見たのか。ラグナは腰の剣けんに手をやりながら、身構えつつ振り返る。

「……ん�」

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第四章

邂かい逅こうの銀

||手記5。

完成した。

レリウスと蛇へびのような男が求めているものは、危き険けんなものだ。

だが同時に私も興きよ味うみを惹ひかれる。

私も研究者なのだ。

だからこれを造つくった。

これは『楔くさび』だ。

奴やつ等らが境界への入り口を切きり裂さく刃やいばを作っているとすれば、これはそれを塞ふさぎ打ち付ける釘くぎ

となるだろう。

私がこれを造っていたことを奴等は知らない。これからも気付かれることはないだろう。

第四章 邂逅の銀123

っていかれる。はっきり言って、無むし性ように怖こわい。

セリカが震ふるえる声で言った。

「お……お姉ちゃん」

「はぁ

ラグナは思わず素すっとん狂きような声で

き返しセリカを振り返った。

そのしゆ間んかん、立ち昇のぼるような殺気が動く。

しまった、とラグナの頭の奥が危険信号に震えた。慌てて首をねじ曲げるように正面に向き

直る。

振り向き直したその視界に飛び込んできたのは、み惑わく的なボディラインを見せつけるような

タイトスカートとそこから伸びる引ひき締しまった太ふと腿もも。

その脚が鞭むちのようにしなり、ラグナの頭に絵に描かいたような完かん璧ぺきな回転蹴げりが叩たたきつけられ

た。

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その手の中で黄色い光が火花を散らす。バチバチと荒あらっぽい音が渦うずを巻まく。

見るからに攻こう撃げき的な魔法が誰だれを狙っているのか……疑う余地もない。

「ち、ちょっと待て、おい�

まず落ちつけ、わけを話せ�」

「わけ�

あんたを消すのに、他にどんな理由がいるっていうの……�」

「は、はあぁ�

なに言ってん……」

「わからないのなら、存分にその体に叩たたきこんでやるわ……。この私の妹を気安くたぶらかし

たつみ……五体満足で許してもらえると思わないことね。さあ、生まれてきたことを後こう悔かいするが

いい�」

言い切ると同時に火花のか塊たまりがラグナめがけて飛んでくる。

「うぉあぁっ

ラグナは後方へ

んで光球の

いを殺しながら、それを剣けんで受け止めた。目の前で凶きよ悪うあくな

いの火花が踊おどり散る。

呻うめきながらも無理矢理に光球を荒れ地へと叩き落としたが、その反動でラグナはもう一度吹ふ

っ飛とんだ。

硬い地面の上で長身が二、三度バウンドする。

「ラグナ、危あぶない�」

自分の身に起こったことを理解するよりも先にセリカの警告が

こえた。反射神経だけで体

を動かして横に転がる。

第四章 邂逅の銀125

奴等の目にはもう、クサナギしか映っていない。

あとは鍵かぎさえ手に入れば、楔は完全なものとなる。

鍵……私の鍵。

あれが鍵としての役目を果たせるほど育つまで、何事も起こらなければいいのだが。

硬かたいハイヒールの爪つま先さきは狙ねらい澄すましたようにラグナの側頭部を捉とらえた。

「ぐぼぁぁっ

バネ仕じ掛かけに弾はじかれたようにラグナの体がとび、ジャケットが地面をこする音を引きずりなが

ら荒あれた地面の上を転がる。

「いっ……てぇな�

いきなりなにしやが……」

蹴り飛ばされた部分を強く押おさえてラグナは怒ど鳴なった。が、その声も急速にしぼむ。

顔を上げたその先で、ラグナに回し蹴りを見みまったあの三角帽ぼう子しの女が、今度は両手を高く

掲かかげてこちらを睨にらみつけていた。

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ラグナの目の前で止まると、おもむろに足を持ち上げ……力ちか一らい杯つぱい、その踵かかとをラグナの脳天に

振ふり下ろした。

「ぶっ�」

ラグナは地面に崩くずれ落ちた。

「はん、大げさな剣を持ってるからどんな使い手なのかと思えば……ただの雑ざ魚こじゃない。あ

んたに崇すう高こうな私の魔力を割さいてやったなんて、とんだ無意味だわ」

「っつー……テメェ……」

い憤きどおりをたたえて顔を上げたラグナの肩を、魔女は容赦なく踏ふみつけた。まるで躾しつけのなってい

ない犬でも押さえつけるように。

「せいぜい光栄に思いなさい。あんたみたいな無価値な人間に、私自らが手を下してあげるん

だから」

魔女はどこか優ゆうがにも見える手つきで手の平を上向きにさせると、そこに人の頭ほどもある

火の玉を灯ともした。見下ろす目つきにはどこか理性を超ちよ越うえつした光を感じる。

ラグナのこめかみに冷ひや汗あせが流れた。

「ちょっ……ま、まあ待て�

その、なんだ、一度冷静になろう。俺おれたちはもっとお互たがいのこ

とを、冷静に、理論的に、じーーーっくり理解する必要があると思う�」

和解の道を模も索さくしようとするラグナを、魔女は噓うそのように静かな目で見つめていた。色いろ鮮あざや

かなく唇ちびるが一言一句刻きざむように紡つむぐ。

第四章 邂逅の銀127

ラグナの着地地点めがけて今度は尖とがった岩のつぶてが

り注いだ。

もしセリカの警告がなかったら、数秒前にいた場所で穴あなだらけになっていたかもしれない。

転がった

いでラグナが

び起きると、今度は炎ほのおの槍やりが顔面めがけて一直線に突つっ込こんでく

る。

「マジかよ

容よう赦しやがないにもほどがある。一いち撃げき目の炎えん槍そうは身をひねって掠かすめる程度になんとかかわす。だ

がそのすきを狙ってラグナの足元が突とつ然ぜん凍こおりつき、移動を奪うばわれた。

やばい。咄とつ嗟さに脳のう裏りに浮うかんだその一言を思い切り肯こう定ていするように、不可視の衝しよ撃うげ波きはがラグ

ナの腹にめり込んだ。

「う、ぐ……っ」

腹の中身がこみ上げてくる。

一秒、体の全機能が停止したような感覚を味わった。力が抜ぬけてしまった手から大きな剣が

こぼれるように落ちて地面に刺ささる。

足元でパキパキと氷の割れる音が

こえていた。束つかの間まの拘こう束そくから足が解放されると、その

ままラグナは土に膝ひざを打ち付ける。

「げほっ、えほっ……っぐ……おぇぇっ」

中を震ふるわせて咳せきこみながらラグナが顔を上げると、連続して攻こう撃げき魔ま法ほうを叩きこんできた三

角帽子の魔女がかつかつとハイヒールの硬いくつ音おとを鳴らして大おお股またに歩み寄ってきていた。

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いわ。そんな害虫、さっさと駆く除じよした方が社会のためよ」

「おまっ……害虫ってなんだ、害虫って�」

いくらなんでもあんまりな言い様だ。ラグナが不服に声を荒あらげると、魔女はその射い貫ぬくよう

な形相をラグナに向けた。

「なにか文句でもあるっていうの、虫けらの分

で」

「テメェ、黙だまってりゃ好き放題言いやがって。あんまふざけたこと言ってくれてんじゃねぇぞ�」

ずっと踏みつけられっぱなしだったラグナは、いい加減頭にきて肩かたを押さえつける魔女の足

を振り払った。

「大体、なんだあんた。ちったぁ人の話も

きやがれ�

まず第一に、俺はセリカをたぶらか

してなんかいねぇから�

こいつには行いき倒だおれてるところを助けてもらった恩もあるし、俺に

も色々と都合があるから親父おやじさん探しを手伝ってるだけだ�」

それが気に入らないだけならまだしも、害虫呼ばわりは頷うなずけない。加えて、父を案ずるセリ

カの気持ちまで一いつ蹴しゆうされたのが解げせなかった。

「……それに、セリカにもそんなきつい言い方しなくたっていいだろ。あんたは親父さんを探

しに行くのが気に入らないらしいが、消息を絶たって六年だ。考えなしだとは思うけどよ。ずっ

と心配してたセリカの気持ちを考えたら、それを『馬ば鹿かなこと』なんて言うのは、ちょっと冷

たいんじゃねぇのか�」

セリカとて自分で無む謀ぼうとわかっていて、姉の反対を押し切り家を飛び出したのだろう。無む鉄てつ

第四章 邂逅の銀129

「問答、無用」

ごうと音がして、魔女の手の中で火か炎えんが燃もえ盛さかる。

ああ、魔ま法ほうの炎ほのおでもやっぱり

いんだろう。あまりに好転しない事態にラグナはぼんやりそ

んなことを思った。

そのとき、横から飛び出したセリカが、今にもラグナの顔面に炎を叩きつけようとしている

魔女の腕うでをがしりと抱だきこんで押さえた。

「お姉ちゃん、やめて�

ラグナは悪い人じゃないんだってば�」

憤ふんがいに頰ほおを染そめるセリカの訴うつたえを、魔女は炎を掲げたままきつい口調ではね退のける。

「セリカは黙だまってなさい。どうせあんたのことだから、大してこの男のことを知りもしないで、

ちょっと仲良くなったからって『優やさしい人』なんて決めつけて、信用してるんでしょう�」

「そんなことない、ラグナは本当に優しい人だよ�」

「あんたにかかれば、誰だって優しい人じゃないの」

きっ、ときつい眼まな差ざしで睨にらまれ、セリカは十分に覚えがあるのか言葉に詰つまった。

「まったく、あの男を探さがすだとか馬ば鹿かなことを言い出したかと思えば、こんな行きずりの男に

いいようにだまされて」

魔女は肩にかかった長い髪かみを払はらいのけると、忌いまい々ましげにラグナに向き直る。

「いい�

この

だからよーく覚えておきなさい。あんたみたいに素直で単純で可愛かわいい子に気

安く近づくような男はね、大体いやらしい下心でいっぱいなのよ。この男だってそうにちがいな

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リカが

しそうな顔をするのも、セリカがラグナを庇かばおうとするのも、みんなラグナのせいだ

と言わんばかりの

いだ。

踏みにじる足にさらに力が込められる。そのときだった。

「はいは〜い、とりあえず、この辺あたりで休きゆ憩うけいにしませんか〜�」

それまで少し離はなれたところでずっとやりとりを見守っていた、フードをかぶった眼鏡めがねの女性

が、いつの間にかすぐ近くまでやってきていた。

マシュマロのような声でやんわりと、ラグナと三角帽ぼう子しの魔女の間に割って入る。

「みなさんで温かいお茶でも、飲みましょうよ。ね�」

呆あつ気けにとられるほどのんびりとした口調で、眼鏡の女性はラグナとセリカの姉へにっこり笑

いかける。

しばしののち。

「……わかったわよ、トリニティ」

心底渋しぶし々ぶ、といった調子で言うと、三角帽子の魔女はラグナからようやく足を離した。

第四章 邂逅の銀131

砲ぽうだと言い切るのは簡かん単たんだが、家を後にしたそのときのセリカの気持ちはそれほど簡単ではな

かったはずだ。

「……知った風な口を」

すう、とセリカの姉の目が細められた。

しゆ間んかん、ラグナの

筋に冷たいものが伝う。今なにか、踏ふんではいけないスイッチを踏んだよ

うな気がした。

そしてそれはもちろん気のせいなどではなく。魔ま道どう士しのくせにずいぶん直接的に暴力的な美

女は、表面上にのみ残っていた冷静さをかなぐり捨てて激げき怒ども露あらわに声を荒あらげた。

「誰が、いつ、あんたの、意見なんか、求めた、のよ�」

わざわざ生み出した炎の玉をこぶしで握にぎり潰つぶす。魔女のハイヒールが規則正しいリズムでラグナ

を蹴けりつけた。

「ぐぇっ、ごふ……っ�」

「そもそも、行きずりの男のくせにセリカに馴なれ馴れしい口利きいてんじゃないわよ�

薄うす汚ぎたない

手でベタベタ触さわって、汚けがらわしい。このゴミが、クズが�」

ハイヒールの爪先がぐりぐりとラグナの額ひたいを踏みにじる。その形相の迫はく力りよくは憎にくしみという感

情に色いろ形かたちを与あたえたかのようだ。

「お姉ちゃん、もうやめてってば�」

若じや干つかんの苛いら立だちを含ふくんだセリカの声は掠かすれた涙なみ声だごえだった。それがさらに魔女の怒いかりをあおる。セ

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第一区画にほど近い……はずの、草木も生えない荒あれ果はてた山道で、ラグナはもはや立ち上

がる気力もなく大きな岩を

にして座すわり込んでいた。

何度も身を掠かすめた魔法の影えい響きようよりも、腹にもらった衝しよ撃うげ波きはよりも、繰くり返かえし食らった蹴けりの

ダメージが一番きつい。

痛む額ひたいをさすりながらながめる先では、セリカとその姉らしき三角帽子の魔女が時折声を張り

上げながら言い合っている。

穏おだやかとは言い難がたい雰ふん囲い気きだが、取り返しのつかない険けん悪あくさは微み塵じんもないところを見ると、

仲のいい姉し妹まいなのだろう。

ラグナは何度目になるかわからないため息をつく。さっきから完全に蚊か帳やの外だった。

「はい、どうぞ」

横からやわらかい声がかかり、眼鏡の女性が小さなプラスチックのコップを差し出す。中身は

彼女がブレンドしたハーブティーだ。細く白く、湯気が昇のぼる。

ハーブティーなど柄がらではないが、ラグナはありがたくそれを受け取った。妙みように清せい涼りよ感うかんのある

香かおりがする。

水のない荒れ地で湯を作ったのが眼鏡の女性の魔法であったことはなるべく考えないことに

する。魔法に抵てい抗こうはないが、それを飲みこむとなると無害だとわかっていても微びみ妙ような気持ちに

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「もちろん、本名ではありませんよ�

魔道協会十じゆ聖つせいの九番目。ですから、ナインなんです」

「へぇ。なるほどな」

適てき当とうに相あい槌づちを打ったが、ラグナが

き返したのは名前が変わっているだとかそういうことで

はなかった。

ナイン。黒き獣けものを倒たおした六英えい雄ゆうの中に、ナインという名前があったはずだ。ならばもしかし

たら彼女は……。

「本来は称しよ号うごうのようなものなんですけど、ナインはあまり自分の本名が好きではないらしいん

ですよぉ〜」

「理由は、親父おやじさんか」

呟つぶやくようにラグナが言うと、トリニティは苦くし笑ように眉まゆを下げた。

向こうからはセリカとナインの声が相変わらずなテンションで

こえてきていた。

『ラグナは悪くない�』とムキになって弁護するセリカに対して、ナインは『あんな馬の骨ど

ころか雑ざ魚この骨みたいな男と一いつ緒しよでいいことなんかない』だとか『ああいう小こぎ汚たない生き物を拾

うんじゃない』だとか主張する。とにかくひどい言われようだった。

トリニティはそんな会話を微笑ましそうに

きながら、自分の分のカップに口をつける。

「セリカさんがお父様を探しに行ってしまったと知ったとき、ナインったらそれはもう慌あわてて。

ずっと、ずぅ〜っと探していたんですよ」

「まー、妹の性能がアレじゃあ、心配にもなるな」

第四章 邂逅の銀135

なるからだ。

眼鏡の女性はラグナのとなりに腰こしを下ろすと、まだ少し離はなれた場所にいる姉妹を微笑ほほえましそうに

めた。

「突とつ然ぜんすみませんねぇ、彼女ったら。あの人、妹さんのこととなると、もう周りのことなんか

なぁんにも目に入らなくなっちゃってえ」

「みてぇだな」

ついさっき、身をもって思い知ったところだ。

「まあ、それだけセリカのことが大事なんだろ�

……あんまり過か保ほ護ごなのも、どうかと思う

けどよ」

茶をすすりながらラグナが言うと、眼鏡の女性がくすくすと笑った。

「セリカさんの言っていた通り優しい人なんですね、ラグナさんは」

「なんだそりゃ……意味わかんねーよ」

「うふふ、照れ屋さんですねぇ」

眼鏡の女はやはりじゃれあう子こ猫ねこでも

めるようにセリカたちを見ながら言い、温かい茶を

一口飲んだ。

「私はトリニティと申します〜。で〜、あの子はナイン。もうおわかりだと思うのですけれど、

セリカさんのお姉さんなんですよぉ」

「ナイン�」

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がはっきりしてきた。

とはいえ、まだぼやけている部分が多々あり。そこに繰くり返しトリニティが口にする『妹』

という言葉が吸すい込まれていくのだ。

自分には妹がいたのだろうか。それとも弟だろうか。どちらにせよ、それはとても大切な存

在だったはずだ。

「なんで

なんでそんなに、私が父さんを探すことに反対するの

不意にセリカの声が大きくなって飛び込んできた。

話はいつの間にかラグナのことから、セリカの父探しへと移行していたらしい。

セリカはさっきまでよりずっときつく表情を引ひき締しめ、自分よりやや

が高い姉の整ととのった顔

を見つめていた。

「お姉ちゃんは父さんが心配じゃないの�

日本がこんなことになっちゃってもう六年もたつ

のに、未いまだに誰だれも父さんがどこでなにしてるのか、生きてるのかどうかも知らないなんて、お

かしいよ�」

「あの化け物が現れたときに日本にいたんだから、生きてるほうが稀きし少ようケースなのよ。大

人が行方ゆくえ不明のまま死し亡ぼう同然に扱あつかわれてる。あんただってわかってるでしょ�」

「でも、生きてた人もいたよ�」

「偶ぐう然ぜんよ。探したって無意味だわ」

「そんなことない�

せめて元気でいるのか、それとももう会えないのかだけでも……」

第四章 邂逅の銀137

他のことに

してどれだけ有能なのか知らないが、あれだけの方向音おん痴ちをハンデに

負って

よく港の近くの山にまでたどり着けたものだ。もしかしたらちょっとした奇き跡せきだったのかもし

れない。

「だからさっき、突とつ然ぜん発生した大きな魔力を頼たよって山の中に入って、ようやくセリカさんを見

つけたとき、ナインもすごくほっとしたんだと思います。でも見たこともない男の人と一いつ緒しよだ

から、びっくりして〜……それで、ちょっとヤる気になっちゃったんですねぇ」

「ヤる気の意味が

うだろ」

にこやかなトリニティの表情は砂さ糖とう菓が子しのような甘あまったるさなのに、ラグナはどうしてか今

の発言の一いつしゆんに物ぶつ騒そうな匂においを感じた。

「あれも、セリカさんを思うあまりなんですよ〜。許してあげてください〜」

「別に怒おこっちゃいねぇよ。ものすげぇ痛かったけど」

まだ額が痛い。くつ跡あとが残っているんじゃないだろうか。

「……でもま、妹が心配だって気持ちはよくわかるし」

「あらぁ、ラグナさんにもご兄きよ弟うだいがいらっしゃるんですか�」

「いや。まだはっきりとは思い出せてねぇんだけど」

ラグナが記き憶おく喪そう失しつで倒れていたということは、すでにセリカからナインやトリニティにも伝

えられていた。

記憶は少しずつ、確実に戻もどってきてはいる。特にアルカード家に行ってからは一気に頭の中

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突とつに、いつの間にか姉妹の間に立っている。

「素直に言って差し上げればいいのに。とっても心配したのよ、無事でよかった……って」

「なによ。だからさっきから、そう言ってるじゃないの」

「言ってねーだろ」

あまりにナインが堂々と答えるものだから、ラグナの口が無意識のうちに横やりを入れた。

そのとたん、ものすごい目で睨にらまれた。

「……コホン。とにかく、このまま日本をうろつかせるわけにはいかないわ。核かく攻こう撃げきの放射能

だってあるし、黒き獣の断片みたいなものもあちこちに残ってる。これ以上無む駄だなことしてな

いで、さっさと帰るわよ」

豊かな胸の下で腕うでを組み、ナインはなるべくきつい調子にならないよう気をつけながら言い

放つ。それでも言葉の端はしば々しに刺とげと々げしい苛いら立だちが見みえ隠かくれしていた。

トリニティの言っていたように、セリカの身を案じて相当気を揉もんでいたのだろう。

それはセリカにも十分伝わっている。けれど妹は強情に首を横に振った。

「私、まだ諦あきらめたくない」

「セリカ�」

「なんでもいいの。なんでもいいから……父さんがどうしてるのか知りたい。なにか区切りが

ないと私、いつまでも父さんのこと心配して、引きずってると思うの」

セリカは両手を胸の前で組んだ。

第四章 邂逅の銀139

「確たしかめてどうするの

ナインの声がきつく尖とがる。

突つき刺さすような声こわ色いろにセリカは言い返す言葉を喉のどに詰つまらせたが、見つめる瞳ひとみには少しの怯ひる

みもなかった。それほどやわな妹でもない。

むしろ声を荒あら立だてて怒ど鳴なってしまったことに、ナイン自身が怯んだように視線を落とし、気

持ちを落ちつけようと深く息を吸い込んだ。

「生きていたらなに�

あの男が再会を喜んで、一緒に家に帰るとでも思ってるの�」

「ちがうよ。そうじゃない、そういうんじゃなくて……」

冷静さを取とり戻もどそうとするも、それでもナインは苛立ちを隠かくせない。

セリカは必死に言葉を探しながら、大きく頭を振ふった。長い髪かみが踊おどる。

「ただ探したいの。元気でいるならそれでいい。もし怪け我がしてたり、具合が悪かったりするな

ら治してあげたい。それでまた……昔むかしの父さんみたいに、世の中の人のためになる研究をたく

さんして、頑がん張ばってくれればそれでいい」

「……世の中の人のため、ね」

目を逸そらし、ナインが低く吐はき捨すてた。セリカの表情が一気に不安に染そまる。だが彼女がな

にか問う前に、第三の声が割り込んだ。

「ナイン。そんなにきつく怒おこったら、セリカさんがかわいそうですよぉ�」

トリニティだ。ラグナとナインの戦い……というより一方的な暴力をさえぎったときのように唐とう

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ナインは頷うなずきこそしなかったものの肯こう定ていの色で答える。

「……その調査をしたのは魔まど道うき協よう会かいよ。当然でしょう」

セリカのようなごく平へい凡ぼんな一生徒は知り得なくても、十聖であるナインは

う。表おも沙てざ汰たにさ

れない情報であろうと、いくらでも手にすることができた。

「だからセリカを親父さんに近づけたくなかったのか」

「通りすがりが、訳知り顔しないで。昔からあの男の研究が気に入らなかっただけよ」

ナインは突つき放はなすようにラグナから顔を逸らす。それから心底うざったそうにため息をつき

ながら長い髪をかき上げた。

「やっぱりたぶらかされてるんじゃない。どこの誰だか知らないけど、余計な地図を渡わたしてく

れたもんだわ」

そう言いながらも、声色には色いろ濃こく諦あきらめがあった。

「……ここが最後よ。第一区画を調べて特に手て掛がかりがなかったら、あの男は死んだと理解し

て、家に帰りなさい。いいわね」

綺き麗れいに整えられた指先をつきつけてナインが念を押す。それが彼女の精せい一いつ杯ぱいの譲じよ歩うほだった。

セリカは少し迷まようも、ここで首を振って家に連れ戻されるよりはと大きく顎あごを引く。

「うん、わかった」

「では、私たちはどういたしますぅ〜�」

「ふん、わかってるんでしょ、トリニティ」

第四章 邂逅の銀141

「もし最悪の場合でも、ちゃんと受け止めるよ。なにもわからないままでいるよりずっといい

よ。……父さんのこと、ちゃんと知りたいの」

同じように手に入らないのだとしたら、見えないものを求め続けるより、見えているものを

奪うばわれるほうがいい。もちろん、見えるまま腕の中に戻ってきてくれるのが最良だけれど。

祈いのるような懺ざん悔げするようなセリカの声は胸に切ない。黙だまっていられず、ラグナは腰を上げる

とセリカの手に握にぎられたままのクラヴィスの地図を取り、ナインに差し出した。ずっと握りし

めていたのだろう。ぐしゃぐしゃになっていた。

「ちょっとした知り合いに、ここに手て掛がかりがあるかもしれねぇって教えられて来た。もう近

くまで来てんだ。あと少し、気が済むようにさせてやってくれよ」

ナインは面白くなさそうに、けれど先ほどまでのあからさまな敵意は引っ込めて差し出され

た地図を見やった。腕は組んだまま、手を出そうとはしない。

「……第一区画ね」

「お姉ちゃん、知ってるの

「この辺りで黒き獣に

連する場所といえば、それしかないわ」

少し気まずそうにナインは言った。

理由は簡単だった。ラグナはそれを問う。

「あんた、親父おやじさんが黒き獣に

わってるって知ってたんだな」

えっ、と小さく声を漏もらし、セリカが驚おどろきの表情で姉を見た。

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第一区画。

かつては緑豊かな土地だったであろう、周囲を小高い山に囲まれた狭せまい盆ぼん地ちをそう呼んでい

る。そ

こはスサノオユニットと窯かまが発見された場所であり、黒き獣けものが現れる数年前までは政府の

管理下にあった。発はつ掘くつと調査にこれ以上の進展がないとされると、今度はその権利が民間企きぎ業よう

に売却され、その後は記録がうやむやになっている。

六年前、この地下から黒き獣が地上へと這はい出してきた。

さらに数ヵ月後、そこは核かく攻こう撃げきのひよ的うてきとなった。

山間部にできた巨きよ大だいなクレーターのようだ。黒き獣による破は壊かいの爪つめ痕あとさえ

みこんで、えぐ

れた土がただ広がる様は、虚きよ無むを感じさせる。

「あそこよ」

クレーターを見下ろす位置で、ナインが虚無の中心を指差す。

砂をかぶってハッキリとは見えないが、そこには小型の飛行機くらいならば

みこめそうな

巨きよ大だいな金きん属ぞくのとびらが地中へ向けて歪いびつにひしゃげた状態で取り残されていた。

「元々は地上にも

連施し設せつの建物があったはずなんだけど……」

ナインが言葉尻を濁にごす。それらはみんな、黒き獣とその後に投下された核兵器によって跡あと形かた

第四章 邂逅の銀143

友人の促うながすような笑えみに、ナインは憮ぶ然ぜんと言った。釣り上がったシャープな目がセリカを呆あき

れた様子で見る。

「あんたのことなんだから、どうせ迷子なんでしょ。第一区画まで連れて行ってあげるから、

その役に立たない地図はしまいなさい」

ふいっと顔を

けるようにナインはラグナとセリカに

を向けた。言こと葉ば尻じりとは裏うら腹はらに、腰こしほ

どまである長い髪の動きはやわらかだ。

セリカはラグナを嬉うれしそうに見上げ、それから

を向けた姉の腕に

びついた。

「ありがとう、お姉ちゃん�」

「本っっっ当にこれっきりだからね�」

「わかってる、わかってる」

そんなやりとりをしながら来た道を戻り出す姉妹を、ラグナとトリニティは微笑ほほえましく苦笑

でながめながら、やはり同じように荒あれた山道を戻っていった。

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円の内側にあたる面の壁は、上半分が細かな網あみ目めのフェンスになっていた。そのすき間から

うかがえる内部の光景は圧あつ巻かんだ。

「すごい深さ……」

フェンスに指を引っかけ、その向こうを覗のぞきこみながらセリカが言う。

そこにあるのは、すべてを

みこむ闇やみのように口を開けた巨大な穴だった。

どこまで掘ほり進んだのか底は見えず、フェンスがなければ目め眩まいに誘さそわれて身を投じてしまい

そうな深さだ。

その穴を囲むように、同じように円を描えがく廊ろう下かがいくつも下部に見えた。それらを階段やエ

レベーターが上下に繫つないでいる。廊下が下に行くほど小さな円になっていくところを見ると、

発掘場は大きなすり鉢ばち状になっているのだろう。

けれど見える廊下も、あちこちに設置されている装置も、今は無む惨ざんに破壊されてしまってい

る。六年前まではそれなりに洗練された施し設せつだったのだろうが、今は壊こわれ、退たい廃はいに身を任せた

廃はい墟きよだ。

黒き獣の残した爪つめ痕あとは深い。

「入り口の

は、きっと黒き獣が出現した後で取りつけ直したのでしょうねぇ〜」

唯ゆい一いつあの

だけが原形を留とどめていた。遠くの折れた鉄柱を

めながらトリニティが言うと、

ナインは深い闇やみを冷めた目で見下ろし頷うなずいた。

「そうね。たぶん……この奥にある窯かまを守るために」

第四章 邂逅の銀145

もなく消し飛んだ。

トリニティが短い言葉を唱となえて、全員の周囲に防ぼう護ご魔ま法ほうを展開させた。埃ほこりと金属、それから

たとえようもない胸をむかつかせる臭においが噓うそのように無くなり、無む味み無むし臭ゆうの空気に包まれる。

度たび重かさなる核攻撃の影えい響きようか、今の日本列島には風が吹ふかない。

それゆえクレーターの中には核攻撃による放射能や地下から漏もれた複ふく数すうの化学物質がわだか

まっており、防護手段なしに足を踏ふみ入れれば、いくらも進まないうちに内ない臓ぞうが焼けてしまう。

クレーターを

り、中央の

へ向かう。

近くで見ると、やはり大きく物々しい。

なにかの蓋ふたのような巨大な

の脇わきに、もうひとつ。こちらは並なみの規き模ぼの

があり、硬かたく重

い金属のそれを無理にこじ開けて中に入った。

地上からしや断だんするかのような強固な入り口を抜ぬけると、その先はまるで別の世界だった。

金属の板を張はり巡めぐらせた床ゆかに壁かべ、天てん井じよう。所々錆さびついて変色しており、その色と臭いがぞっと

寒気を呼び起こす。

ラグナたちが

り立ったのは、金属製の廊ろう下かの一角だった。それは発はつ掘くつ場じようである巨大な穴の

円周をなぞるようにぐるりと続いている。

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「ええ。もちろん、こんな大おお掛がかりな研究施設を造るためではありませんけれど〜」

その先を制するように、ナインが軽く鼻を鳴らした。

トリニティはまたくすっと笑うと、悪いた戯ずらを咎とがめられた子供のように首をすくめてみせた。

話題をさらうように、ナインは大きなため息をはさんで続ける。

「……建物だけじゃないわ。この大規模な発掘にも錬金術や魔法が使われている。いくらなん

でもこんな馬ば鹿かに大きな穴、機械だけでそう簡単に掘れるもんですか」

「でも魔法なんて、そうそう誰でも使えるってわけじゃ……ないよね�」

不安げにセリカが姉をうかがう。セリカとて魔道協会に属する魔道士のひとり。ナインの言

う科学と魔法の融合というものが、魔法がほとんど認知されていないこの時代でどれほど難し

く稀け有うなことなのかよく知っていた。

だが確かにナインの言う通り、自分の周りにある技術の端々には魔法の影響が色いろ濃こく見受け

られる。

「それだけ、世の中の根深い部分が第一区画に

わってたってことよ」

忌いまい々ましげにナインは言い捨てる。世の中の影かげに隠かくれるようにして、こんな大昔の物を掘り出

す作業にばかり魔法を活用しようという誰かの魂こん胆たんが気に入らないのだ。

時折切れかけた照明が明めい滅めつする中、ラグナは大して興味もなさそうに辺あたりを

めながらぼや

くように口を開く。

「科学と魔法ねぇ……。俺には、いちいちふたつを区切って考える意味が、よくわかんねぇん

第四章 邂逅の銀147

たとえ研究施設が機能していなくても、発掘された窯は貴きち重ような境界との接点だ。それを利用

したいと考える者などいくらでもいるだろう。ナインの語調は、そんな人々をさげすんだような調

子があった。

廊下は歩くごとにひどく大きな音を響ひびかせる。静かな場所で足音が響くのは不必要にき緊んち張よ感うかん

をあおる。

同時に、この耳みみ障ざわりな足音はラグナらに、自分たち以外誰だれも廊下を歩いていないということ

を教えていた。

「それにしても……驚おどろくわ。この施設よ、当時の科学技術の粋すいを集めたって感じだけど……よ

く見るとあちこちに錬れん金きん術じゆつも利用されてる」

ナインの手が興きよ味うみ深ぶかそうに、通り過ぎようとした壁かべに刻きざまれている奇きみ妙ような紋もん様ようを撫なでていっ

た。すでに術としての機能は失われており、紋様はなにも反応しない。埃ほこりだけが指先を汚よごし、

ナインはそれをつまらなそうに払はらった。

「科学と魔法の融ゆう合ごうってやつね。こんなことができるなら、もっと別の分野に生かせばいいの

に。ったく……」

感かん嘆たんから始まった呟つぶやきは最終的にぼやきに変わる。

トリニティがくすりと小さく笑って、ラグナに教えてくれた。

「ナインは魔道協会で、そういう技術の研究もしているんですよぉ」

「科学と魔法の融合、か�」

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が、セリカは数メートルも進むと足を止め、こちらに向かって大きく手て招まねきをした。

「ねえ、これまだ動くみたい�」

セリカが見つけたのは、深く広がる空くう洞どうの上へせり出すようにして設もうけられた広いエレベー

ターホールだった。

幸いなことに黒き獣の被ひ害がいはそのホールの半分をえぐるに留とどまっており、残ったもう半分で

は少々傷いたんでいるものの一機のエレベーターが、到とう着ちやくを知らせる緑色のランプを点てん滅めつさせ続け

ている。

床ゆかから突つき出ている細い円柱の先にセリカが触ふれると、機械の稼か働どう音おんを唸うならせながらエレベ

ーターが口を開けた。

なるほどね、とナインが頷うなずく。

「ちまちま上から探すより、一気に下まで行ったほうが早いかもしれないわね」

「そうだな。少なくともこの階には、誰もいないみてぇだし」

ラグナは通ってきた廊下にもう一度改めてざっと目をやった。入り口からここまでの間、廊

下はがらんとしていて人間はおろか生き物の気配はまるでない。反対側の廊下も途とち中ゆうで崩くずれ落

ちており、隠れるような場所もないのだ。

「少し、どきどきしますねぇ」

ひとりだけ瞳ひとみに浮うかぶ興味の光をちらつかせて、トリニティはセリカに続いてエレベーター

の箱の中に入った。ナイン、ラグナと続く。

第四章 邂逅の銀149

だがな」

ラグナの時代、およそ百年後の世界では、魔法は科学であり科学は魔法である。その境界線

を曖あい昧まいにすることで様々な技術を得てきた。ゆえにナインたちの言う古めかしい括くくりがまるで

ピンとこない。

あら、とナインが足を止めてわざわざ振ふり返かえる。ラグナは初めて、彼女が好意的に笑ったと

ころを見た。

「世界中のおえらい方々が、あんたみたいにおめでたい頭をしてたならよかったんだけど」

かけられる言葉は相変わらずだ。ラグナは渋しぶく顔をしかめた。

「へいへい。おめでたくて悪かったな」

「そうね。馬鹿は無価値よ」

「テメェ……」

頭がいいほうだとは自分でも思わないが、こうも真まっ直すぐ断言されると面おも白しろくないものであ

る。ラグナが引きつった笑みにく唇ちびるの端はしを釣つり上げこぶしを握にぎったところで、ぴょこりと髪かみを揺ゆらし

セリカが駆かけ出だした。

「あ、こら�」

「おい勝手に行くな�」

ナインとラグナは同時に焦あせって呼び止めた。こんな広い場所でセリカを見失ったら、どんな

予想もしない場所に潜もぐり込んでしまうかわからない。

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「うん……そだね」

ほんのわずかにセリカのく唇ちびるが持ち上がった。たったそれだけの表情の変化がラグナの胸にしび

れるような感情をもたらす。

なぜだろうか。セリカを見ているとときどき無むし性ように、切ない思いが胸をよぎる。

期待と不安に瞳ひとみを揺ゆるがせるセリカの横顔に、ラグナは知らず知らずのうちに指先を持ち上

げていた。

セリカに触ふれようと思ったのかどうか自分でもわからなかったが、なにかして、気安い慰なぐさめ

であっても大だい丈じよ夫うぶだと言ってやりたかった。

だがラグナの手がセリカの細い肩かたを叩たたく寸前、それまで滑なめらかに下

していたエレベーター

が突とつ然ぜん、軋きしむ金きん属ぞく音おんの

鳴をあげながら大きく揺ゆれて止まった。

なにかにぶつかって、突つっかかったような衝しよ撃うげきだ。急きゆ激うげきにしぼむような音がしてエレベータ

ー内部に灯ともっていた明かりが落ち、ひじ常よう灯とうらしき薄うす暗ぐらいオレンジの照明が点灯する。

「なっ……なによいきなり

第四章 邂逅の銀151

「動かし方、わかるか�」

「もちろん」

覗のぞきこむラグナを見上げてセリカが頷く。

の脇わきには無数のボタンが並んでいる。セリカの

指がひとつを押すと

が閉とじ、もうひとつ押すと箱が下

を始めた。

骨組みそのものは科学技術だが、これも実

に箱を動かしているのは錬れん金きん術じゆつを基き盤ばんとした魔

法だ。ふわりと包み込むようなストレスの少ない浮ふ遊ゆう感かんは、実

に箱が浮いているからに他な

らない。

それが太いワイヤーに指を絡からめて滑すべり下りるように、緩ゆるやかに、けれど必要なだけの速度を

伴ともなって

りていく。

箱には顔の高さに窓が造つくりつけられていた。肩かた越ごしに振り返るようにしてラグナは外を見る。

見えるのは闇やみ。その中を時折、明かりのついた廊下の輪が下から上へと通過していく。

下を見ればやはり闇。なにか得え体たいの知れない巨きよ大だいな生物の腹の中に飲みこまれていくようだ。

「父さん、いるかな」

ラグナの横に並んで、セリカがそっと囁ささやくように言った。

ラグナは視線だけを動かしてとなりの少女を見やる。長年の埃ほこりで曇くもった窓ガラスに手を添そえ、セ

リカは祈いのるような眼まな差ざしで闇を見つめている。

いや、実

に祈っていたのかもしれない。父の無事や、無実や、純じゆ粋んすいな再会を。

「……それを確かめに来たんだろ」

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している。

「どうしましょう……こんなに不安定な場所では空間転てん移いを試すわけにもいきませんし……」

さすがのトリニティも今ばかりは穏おだやかでいられない。

しゆ時んじに騒そう然ぜんとする小さな箱の中で、ラグナは直感のままに腰こしの剣けんを抜ぬいた。頭上から

こえ

る軋きしむ音がより歪いびつになった気がする。時間はない。

「うらぁぁぁっ�」

腹の底から力を込こめて数回斬きりつける。力任せに蹴けり飛ばすとエレベーターの

が幾いくつもの

金属板と化して巨大な縦穴の中に落ちていく。

エレベーターを支えている柱とワイヤーが途とち中ゆうで切れてなくなっており、ラグナたちのいる

箱がワイヤーの終着点で引っかかっている状態だった。

ぎしりと軋み、箱がずり下がる。長くもたない。

幸運なことにエレベーターの天てん井じようから三分の一程度の高さに、引きちぎられたように欠かけた

床ゆかが見えていた。

「あそこに上がれ�」

「っ、わかってるわよ�」

ラグナの指示に悪態で返して、ナインが軽かろやかにひらりととび上がる。豊満な体をすき間に

滑り込ませるようにして上がると、向こう側から手を差し出す。

「早く�」

第四章 邂逅の銀153

ナインの叫さけび声ごえをかき消すように、再びエレベーターが揺れた。

今度は……たとえるなら、重さに耐たえきれず滑すべり落ちかけ、危あやういところで引っかかってい

るかのような。

まさかと思い、ラグナは

後の窓を振り返った。窓の向こうでは、外の景色がゆっくり左右

に揺れている。

ちがう。揺れているのは景色ではなく、四人が乗り込んでいるエレベーターの箱だ。階層のボ

タンが並ぶ右側の上部一点を支柱にして、ゆらゆらと、まるで紐ひもの先に錘おもりをぶら下げた振ふり子こ

のように。

「っ、外に出ろ�

落ちるぞ�」

叫ぶやいなや、ラグナはとびらにとりついた。左手を両開きの戸のすき間まにねじ込もうとするが、

びくともしない。

ナインがじれったそうに進み出る。

「左ひだ腕りうでだけで開くわけないでしょ�

私が魔ま法ほうで……�」

「やめとけ、衝撃で落ちる�」

「じゃあどうすんのよ�」

「開いて……っ、お願い�」

目め尻じりを釣つり上げるナインの横で、セリカがガチャガチャとボタンを連打する。だがついさっ

きまで廃墟にあるまじき快かい適てきさで四人を運んでくれた錬れん金きん術じゆつの装そう置ちは、瓦が礫れき同然に完全に沈ちん黙もく

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「え、あ、う……�」

ナインの腕うでにしがみつきながら、泣き出しそうなセリカの顔が一いつしゆんラグナを見た。

「早くしろ、落ちるぞ�」

「っ、わ、わかっ……」

ろれつが回らず言葉にならない。セリカは必死になって、床に斜めに突き刺ささる剣の幅はば広びろの

刀身に足をかけた。

かりそめの足場を頼たよりに体を支え、這はいずるようにして床に上がる。

安全な足場にたどり着くと、慌あわててラグナを振り返った。

「ラグナも早く……」

すっかり腰が抜けているくせに、涙なみ声だごえになりながら手を伸のばす。

だがセリカの言葉が終わらないうちに、ラグナとセリカの間でみしりという音が呻うめいた。

ああ、とラグナは妙みように達観した気持ちでその音を

いていた。セリカの目がみるみるうちに

大きく見開かれていく。

ラグナの剣が突き刺さった床のへり。最初から入っていたヒビが一気に深い亀き裂れつになって、

スローモーションのようにはがれ落ちていく。

「ラグナ、腕伸のばして�」

セリカが涙声で声を張り上げた。だが剣を握にぎっている手を離はなせばもちろん落ちるし、もう一

方の腕は伸ばすどころか動きもしない。

第四章 邂逅の銀155

軋む音が大きくなってきた。歪な音が、否いやが応おうでも焦あせりをかきたてる。

もたつくトリニティをラグナが左腕で抱だき上げ、それをナインが引き上げる。

続くセリカもかっさらうような

いで抱かかえた。

が……そのとたんに最悪にいやな音が全員の耳を凍こおりつかせた。

バキリ、となにかが折れる音。エレベーターとワイヤーを繫つなぐ金具の最さい期ごの

鳴だった。

「セリカ

ナインが絶望的に叫ぶ。

ラグナは半ば放り投げるようにしてセリカを持ち上げると、押しつけるようにナインの手を

握にぎらせる。

即そく座ざにエレベーターの床を蹴けった。ナインのいる床までは

び上がれない。毛頭、そこまで

行くつもりもない。

ちよ躍うやくの中、ラグナは大きく振りかぶると、虚こ空くうにせり出している床のへりめがけて下方から

斜ななめに剣を突つき上げた。

剣は半ばほどまで床に埋うまり、ラグナは剣の柄つかを握ったまま宙吊りとなる。

視線を上げるとすぐそこには、床に這はい上がれず宙で足をばたつかせるセリカがいた。

その脇わきを掠かすめるように、ついに力ちか尽らつきたエレベーターの箱が落ちて行く。どこまで落ちるか

見届ける余よ裕ゆうはない。

「セリカ、剣に足をつけ�」

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たように思える。

いくらかげんなりしながら立ち上がり、腰の剣の無事を確認したラグナは、改めて周囲に目

をやってぎょっと固まった。

そこは今まで下ってきたよりもさらに地下に造られた、広大なドームのような場所だった。

一帯を覆おおっていたであろう金属の板は所々はがれ落ち、その奥にあった冷たい土がむき出しに

なっている。

ラグナが立っているのは、その床に刻まれた歪な跡あとだった。幅はばはラグナが両りよ腕ううでを広げてみた

ところで届かない。金属板ごと土をえぐり取って造られた道のようなものが、時折大きく蛇だ行こう

しながら上へ上へと駆かけずり上がって行く。

なにかが通った跡だ。例えば……想像しようもないほど巨大な蛇へびが這いずったような。

そしてこれだけ巨大な跡を残すものに、ラグナは現物こそお目にかかったことがないとはい

え、心当たりがあった。

そしてもうひとつ。ラグナの目を奪うばったものがある。

窯かまだ。

地上を目指す、巨大すぎる蛇の這いずったあとのような痕こん跡せきが始まった場所に、大きな穴が

開いていた。周囲を半はん壊かいした装置のようなもので縁ふち取どられた穴は、その口内に波打つ溶よう岩がんをた

たえている。

まるで地球の中心を覗のぞいているかのようだ。だがその向こうにあるのは大地の核かくなどではな

第四章 邂逅の銀157

ナインがなにやら魔法を唱となえようとしているのが見えた。

だがそれよりも崩ほう壊かいのほうが先だ。

剣が突き刺さっていた部分もろとも、床の一部が崩くずれ落ちる。ラグナもまた空くう虚きよな闇やみに引き

ずり込まれる。

「ラグナ

ッ�」

ナインに引きとめられながらも、精せい一いつ杯ぱいに手を伸ばし続けるセリカの

がどんどん小さくな

っていく。

ああ、こんなことが、ずっと遠い昔にあったような……。

頭の隅すみにそんなき視し感かんを覚えながら、ラグナは深い深い穴の中へと落ちていった。

ラグナが落ちたのは、金属板で覆おおわれた床の上ではなく、岩石のように冷たい土つち肌はだの上だっ

た。おかげで思っていたほどの衝撃はなく、すぐに体を起こすことができた。

「っち……とんだ貧びん乏ぼうくじだ」

思い出せる限り思い出してみると、自分の人生というやつはそんな貧乏くじの繰くり返かえしだっ

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だ。膨ぼう大だいな質量はラグナの頭ず蓋がいを内側から砕くだき破は裂れつさせようとするかのようで、とても、とて

も正常ではいられない。

……けれど嵐あらしがいつかは消え去るように。ゆっくりと、ゆっくりと、内側から圧あつ迫ぱくするよう

な情報の怒ど濤とうが引いていく。

そして痛みも苦しみも遠のいていった後には、なににさえぎられることのない完かん璧ぺきな記き憶おくがよ蘇みがえっ

ていた。

「俺は……そんなら、あのときか……っ」

なぜ自分がこんな遠い過去にやってきているのか。そのきっかけさえも思い出せる。

すべてはこの窯の向こう……境界によってつながれていたのだ。

ならば再び境界に触ふれれば、元の時間へと戻もどれるだろうか。そんなことを、痛みによって乱

れた呼吸を整ととのえながら思っていた。

が、その思考は急激に凍こおりついた。

氷の刃やいばで切きり裂さかれたような予感がラグナの

筋から首筋を這い上がる。

誰だれかがいる。いや、近づいてくる。

ラグナは振り返る余裕もなく身をひ翻るがえすと、手近な物もの陰かげに身を滑すべり込ませた。

なぜ隠かくれたのか自分でもわからなかった。ただあそこにいてはいけないと、本能めいたもの

が激はげしく警告したのだ。

やがて、足音が下りてくる。

第四章 邂逅の銀159

く、あらゆるものを超ちよ越うえつする空間、境界だ。

「これは……」

異様に広い地下のドームは、まるでこの窯を包み込もうとしているかのようだった。けれど

所しよせんは人が造り出した場。いかな装置で飾かざろうとも、この場の支配者は窯である。

圧あつ倒とう的なまでの

気がて天んじ井よう高くまで埋め尽つくし、だというのに不気味な寒気が漂ただよう。人が生

きる『この世』とは別の空気が流れていた。

ふらりと、ラグナが一歩踏ふみ出した。

頭が痛い。鐘かねの音にも似たぐわんとした頭痛と目め眩まいが今にも体のバランスを奪い、ラグナを

地に叩き伏ふせようとしているかのようだった。

地面に突き刺さった巨大な天井板に手をつき、体を支えた。

頭痛がひどくなる。頭が割れそうというよりは、頭の中からなにかを引きずり出されるよう

な感覚だ。

「っ、う……あ、ぐ……」

耐えきれず、頭を強く摑つかんで呻うめいた。動かない右みぎ腕うでがぎしりと軋きしむように痛んだ。光を映さ

ない右目が焼けるように

い。

「うぁ、あ、あぁぁぁっ……�」

苦痛に吠ほえる喉のどが震ふるえ、脂あぶ汗らあせが滲にじんだ。

情報が、映像が、記録が、感情が。どこからともなく頭の中に押し寄せてくる。なにもかも

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ひとりだ。

セリカではない。ナインでもトリニティでも、ましてやミツヨシでもない。

もっと重く、もっと威い圧あつ的な。

条理も不条理も無心に踏ふみ潰つぶすことができるような、冷れい徹てつな音。

剥がれ落ちた天井板やどこからか落下してきたらしい機材の陰かげで、ラグナは現れた人物を盗ぬす

み見た。兵士に怯おびえる子供のように、ほんのわずかなすき間から覗のぞき見たのだ。

しゆ間んかん、息をのんだ。

窯がたたえる溶岩の

が灯あかりとなって、その者の

を照らし出す。

均きん整せいのとれた体、引ひき締しまった長身。全身を覆おおう無むさ彩いし色よくの衣ころもにはあちこちに赤い目玉のよう

なものがついている。

なによりもと特くち徴よう的なのはその顔面。

表情も、感情、意思さえ覆い隠すように……顔は真白い仮か面めんで覆われていた。

「おっ……」

思わず声に出しそうになり、ラグナは驚きよ愕うがくの言葉を飲みこんだ。

(お面野や郎ろう……っ)

記憶にある人物と遭そう遇ぐうするのはこれで四人目だ。だが彼だけは、ラグナの持つ記憶と寸すん分ぶんたが

わぬすがたをしている。彼||六英えい雄ゆうのひとり、ハクメンだけは。

ちがうとすればその気き迫はく。圧力さえ感じるその存在感は絶大で、一歩踏み出すだけで場の空気

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誰かに対してこんなにも恐おそろしいと感じるなんて。

不意にハクメンが止まった。それまで周囲をうかがっていた気配がある一点を凝ぎよ視うししている。

とても確認などできない。だが表情のない白い面はじっと、ラグナが身を潜めるガラクタの

奥を見み据すえているようだった。

一歩、大きく足が踏み出される。

ラグナの身がぎくりと強こわ張ばった。

鞘さや走ばしりの音が

こえる。

異様に長い銀の刃に、窯から漏もれる灼しやくねつの灯りが映り込む。あといくらか進めば、その刃は

もっと鮮あざやかな赤に染そまるだろう。ラグナの血によって。

死、というあまりに純じゆ粋んすいな単語がラグナの脳裏にへばりつく。

動かない右腕をぶら下げたまま、左手できつく剣けんの柄つかを握にぎった。

「…………ナ……

高い天てん井じように、女の声が甲かん高だかく響ひびいた。

ハクメンの足が止まる。

続いて、慌あわただしく階段を駆かけ下りてくるいくつかの足音が

こえた。

それはあっという間に地下の空くう洞どうまで下りてきて、窯の前に佇たたずむハクメンを見つけるなり、

警けい戒かい心しんも露あらわに止まった。

「……あんた、何者�」

第四章 邂逅の銀163

を鎮しずめる。あらゆる不純を取り除き、限界まで研とぎ澄すませた殺意の刃そのもののようだ。

約百年後の時代でラグナが出会うハクメンという人物など、目の前にある殺意に比べれば残ざん

影えいでしかない。

物陰で、ラグナは自分の吐と息いきが細く震えていることに気付いた。膝ひざが砕け、腰こしが抜ぬけそうだ

った。

見つかったら殺される。わけもなくそう思った。そしてそれはまず間まちがいない確信であり、

その緊きん張ちよ感うかんはラグナの身を深く突き刺す。

「……不可解な」

低く、くぐもった声でハクメンが呟つぶやいた。

長い銀の髪かみを揺ゆらして二、三歩窯へと近付き、辺あたりへ首を巡めぐらせる。

「確かに此こ処こに、黒き気配が在あった……」

小さく金属のすれるような音が

こえた。ハクメンが刀に手をかけたのだ。

ラグナが身を潜ひそめる研究施設の残ざん骸がいの向こうで、白い顔が辺りを注意深く観

しているのが

わかる。

「黒き者よ。如ど何うした。浅ましい残ざん滓しでも構わん、我わが刃の前に

を現せ」

言葉ひとつひとつが重い斬ざん撃げきのように

こえた。

ラグナは慎しん重ちように息を吐はき出す。

(これが……本当のお面野郎ってことか……っ)

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の様なぜい弱じやくな人間を斬きる為の物にあらず」

「あんた……なにを知っているの�」

問うてから、ナインはぎくりとした。仮面には瞳ひとみなどなく、どこから覗けるというわけでも

ないのに……真っ直ぐに見据えられているような気がしたのだ。

研ぎ澄まされ、刀を

めたとはいえ、うかつに近寄れば迷いなく斬り伏せられそうな空気を

纏まといながらも、顔のない男は静かに告ぐ。

「……何いずれ」

そして素早く地面を蹴けった。

「っ、待ちなさい�」

目め尻じりを釣つり上げてナインが叫さけぶ。だが振り向いたときにはもう、あの白銀の

はどこにもな

かった。

彼女たちが下りてきた壁かべ沿いの長い階段が、暗がりの中で黙もくしているばかりだ。

筋を凍こおらせるような鋭するどい緊張感だけが、残のこり香がのように漂っている。

「今のは……」

白銀の

を探すナインの横で、トリニティが不安げに漏らした。見たことのない不可思議な

人物。その影に、トリニティはのがれ得ぬ宿命の糸を感じていたのだ。

「ナイン。これは予感でしかないのですけれどぉ」

「なに。はっきり言って」

第四章 邂逅の銀165

先頭に立っているのはナインだ。ハクメンの

を認めるなり、セリカとトリニティを

後に

庇かばうように身構える。

ハクメンもまた、刀を携たずさえたままでナインへと向き直った。

「……魔ま道どう士しか」

空気が張る。痛いほどに。

「施し設せつの生き残りってわけじゃなさそうね。……そもそも人間なの�」

尋たずねているのか、言葉にして確認せずにはいられないのか、ナインは低く声に出す。

ハクメンの白い面はなにを見つめているのか、じっと気配を

うようにただ前を向いていた。

どちらも動かない。動けない。

下手な真ま似ねをすれば張りつめている緊きん迫ぱく感かんの糸は切れ、代わりに荒あらあ々らしいものが吹ふき荒あれる

だろう。それはナインも……そしてハクメンも、望む結果ではなかった。

「黒き気配は消えた」

おもむろにハクメンは告げ、手に提さげていた刀を

の鞘に

めた。

それでもなおナインは警戒を解かない。得体の知れない白面の男。まるで人じん智ちを超こえた存在

と向き合っている気分だった。

「……成程。貴様等がそうか」

誰にとなく漏らされた言葉は重く沈しずむように消える。

「今が邂かい逅こうの時と謂いうのなら、其それも良いだろう。……我が刃は黒き者を討うつ為ための物。貴様等

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のかもしれないが、今はそんな感覚がどこかへいってしまっていてわからない。

幸い脚あしはあの白銀の恐きよ怖うふに打ち勝てたようで、震えることなく体を支えてくれた。

「あの高さから落ちて、よく無事だったわね」

カツンと硬かたく、ナインのハイヒールが床ゆかを叩たたいた。

「ところで……あんた。あの妙みような男を知ってるの�」

知っているから隠れていたのだろう。そう責めるような口調だった。

ラグナは天井板から引き剥はがすように手を離はなすと、その手をきつく握り込んだ。

「ああ。つっても、よくは知らねぇ」

「何者なの�」

「さあな。俺が教えてほしいくらいだ」

「なら、名前は�」

「……ハクメン、だ」

それが奴やつの名乗る唯ゆい一いつの名であること。それ以外、ラグナはあの白銀の男についてなにも知

らない。

どこから来てなにをしようとしているのか。あれは人間なのか。知りたいと思うのと同じく

らい、知りたくないとも思う。知ってしまったら……もう戻もどれない。そんな気がする。

「あれが、窯かま�

黒き獣けものが出てきた……�」

ラグナにこれといって目立つ怪け我ががないことを確認すると、セリカはようやく気持ちに余よ裕ゆう

第四章 邂逅の銀167

「私たち、またあの人に会うと思います。きっとそう遠くない未来に」

理り屈くつを超えたなにかがトリニティに知らせていた。今、巡り始めたものがあることを。そし

てその予感は少なからずナインの胸にもあった。

ハクメンが去ったおかげで、地下空洞の空気が再び温度を取り戻したようだった。

「っ、ラグナ�」

同時にセリカは物陰に座り込んでいたラグナに気付き、慌てて駆かけ寄よる。

「よかった……。大だい丈じよ夫うぶ�

怪け我がは�」

「いや……」

セリカの手が肩かたに触ふれる。その感かん触しよくと体温に、ラグナはどっと押し寄せる安あん堵どを感じていた。

死ぬと思った。あの刀に斬きり殺されるのだと。

いや、ナインたちがもう少し遅おくれていれば、そうなっていたかもしれない。

「ラグナ�」

「ああ、大丈夫だ。落ちたときにあちこち打ったくらいで」

心配そうに覗のぞきこむセリカに、ラグナは引きつった笑みで返した。それでも懸けん命めいに作った笑

顔だった。まだ消えない恐きよ怖うふ心しんに、答える声が震えていないか心配でならない。

「痛む�」

「いいや、平気だ」

首を振って、ラグナは盾たてにしていた天てん井じよ板ういたにしがみついて立ち上がった。本当は痛んでいた

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窯の周囲は黒き獣の影えい響きようか、壁の金属板もほとんどはがれてしまっている。トリニティが見

つめているのもむき出しになった岩がん盤ばんであった。その岩盤の一部にトリニティは白い手を這はわ

せた。

「ここ……なにかありません�」

トリニティの

後から、セリカとラグナ、ナインが一様に顔を覗きこませた。

岩盤には薄うつすら亀き裂れつが走っていた。それはまるでなにかを覆おおうために後から取り付けられたか

のように見える。

いや、まさしくその通りだった。

亀裂の向こう、少し剥げた岩盤の向こうに金属質のものが見える。トリニティはその繊せん細さいな

指に似合わない強ごう引いんさで、黒ずんだ茶色いか塊たまりを引きはがす。

それは乾かわいた泥どろ団だん子ごのようにボロリともろくはがれた。

「あっ……」

セリカが声をあげる。岩盤の下にはさらに金属の板状のものが続いていた。見たところ小さ

なものではないようだ。

「ちょっとどいてろ」

ラグナはトリニティと場所を代わり、亀裂に剣を突つき刺さして一気に引っぺがした。

隠かくされていたものの全身が露あらわになり、全員がめいめいに驚おどろきに息をのんだ。

そこにあったのは、一枚のとびらだった。

第四章 邂逅の銀169

を取り戻し、地下の空洞で圧あつ倒とう的な存在感を放っている巨きよ大だいな穴へと目をやった。

中で蠢うごめく溶よう岩がんの朱あかがセリカを始め、皆みなの顔を

色に照らす。

「地じ獄ごくの門よ。人間が

わるべきじゃないわ」

吐はき捨すてるようにナインが言った。

「オリジナルユニットだか境界だか知らないけど……こんなもの見つけなければ、あんなにも

の人が死ぬことはなかったんだから」

「……うん」

一いつしゆんだけ辛つらそうに眉まゆを下げてセリカがうつむいたのを、ラグナは見ていた。

ナインは目をそむけるように、煮にえたぎる窯に

を向けて足を踏ふみ出した。

「こんなところにいつまでもいることないわ。さっさと……って、トリニティ�」

すぐ側そばにいたはずのフード

が見当たらない。慌あわてて全員で周囲を見回すと、

を見つける

より先に声が返ってきた。

「あのう〜、これってなんでしょう�」

きき間まちがえようもなくトリニティの声だ。窯から漏もれる灼しやくねつの灯りのせいで、地下空洞の一

角には色いろ濃こい影かげが刻まれている。声はその奥から

こえた。

「どうしたんですか、トリニティさん�」

小走りに近づいてセリカがひょいと影の奥を覗く。ラグナとナインも首をひねりながら続いた。

トリニティは影の中で両りよ膝うひざをつき、壁の一部をじっと見つめていた。

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