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Title 絶對主義論の悲劇 - 「均衡理論」の批判 -
Author(s) 堀江, 英一
Citation 經濟論叢 (1951), 67(2-3): 99-121
Issue Date 1951-03
URL http://dx.doi.org/10.14989/132217
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
京都大琴線溝手曾
鰹務論爵・デて+セ巷 聾,二・三重電
ヨ【クシヤ戸・ラツダイト忙就いて〔ー〉 穂 積文雄
経封主義論の悲劇ー 摘む:英一
『自然の法典』 凹中民晴
「混令経済」の構透正計:茸必の方捻 馬場正雄
昭和二十六年三月
絶
艶
主
義
論,の
悲
劇
1ll「均衡理論」の批判
1
1
堀
江
英
わたしはかうて『本源的蓄積主ける図家権力白問題』(季刊社骨科量一集。昭和一一千三年)主書いて、円絶封主
「J
、
義白護展段階的基礎としてマ二フアクチュア時代を必要としないとと。二絶釘主義は木源的蓄積を完遂し得な
rL
いとと、を指摘したが、その後わたしは『封建枇舎に沿ける資本D存在形態』(世曾構成史喧系第三回)命よび『日
、iJ
本の
TZフアクチュ
7問題』に砕いて己白ニ貼を澄展させて、一一絶担割主義はマ三フアタチ品ア段階に先行す
rl、
「J
旬。小営業段階に成立した亙と、己絶針主義D行う本源的蓄積はプルジーアジ
l、従ヲてプルジユア政権の行う本
源的蓄積と類型を異にするとと、を論置した。
然しその場合、わたしは絶封主義が純粋封建瞳制に語けるいかなる矛盾日階級閥係から必然必してくるか、従
って絶針主義がいかなる階級的基礎に立っか、
D最も基本的問題主決定的に解決し得なかったし、そとから営然
いままで支配的間半設であった「均衡理論」を充分批判するととができなかった。それは近稿『方法白問題
i絶封
主義について』(瞬史畢開死-四人扱)に拾いても同様であ一ワて、そこで展開した「均衡理論」批判も充分成巧して
紹割主義曲目悲劇
第六+七巻
ブL丸
第二・=一輔副
四五
絡調主義輸の悲劇
第六十七巻
Q Q
事-一・三一盟
四一」,、
いると一高うわけにはいかない。
さきにわたしが展開した二ワの論鮪についてはいろいろ批判も多いが、いまだそれが覆ったと時一息われない。
そとで、わたしはと白二論鮪を前提としつワ、「均衡理論」を批判し絶封主義白階級的基礎を積極的に規定する
とととし止う
「正統えの模索」リ「均衡理論」の純化
わたしの牢敬する先事白杉庄一郎氏は『絶封主義論批判』なる一書を公刊して、「講座汲的な絶劉主義阿川封建
図家論白立場に立も、一部白論者はさらに徹底してとれを絶町主義H
封建反動設にまで極端化し苫えしてきた」
「戦後こ白園の論壇をにぎわしてきた絶封主義論白多〈」を文字通り系統的に批判して、「王統え白模索」を〈わ
だてている。そとで、氏白模索しつラある「正統」とは、
「均衡週前」白論理的純柏である。
カウツキーがはじめ、わが閣に支配的に行われてきた
自杉氏の「E続」絶封主義論は労農況の戦後波論客大島清氏と同じ論理的構造のうえにきヂかれているとと、
白杉氏が認められる週りである(前掲書第四章第一節)ロ白杉氏とその先師大島氏の論理的構遣は、
「J
まえば、女D-占うな三段論法につきるであろう
!i一絶劃主義は封建枇品円から資本制祉曾えの過渡期白樺力形態
fk
である、口ととろで、
ED過渡期にやいては封建的生産様式と資本制生産様式とが並存し・従って封建貴族とプ
「J
ルひユアジーと白勢力が均衡しながらたたかっている‘三だから、絶封主義権力は封建貴族とプルジ品アジーと
fl」
を凋時忙代表し、半分封建的・宇介プルジュア的&過渡的な祈哀的左権力形趨であり、従9
Z絶封主議成立は友
皐純化してし
しく宇しの部分的プルジュア革命であ一る。ととでは、そ白ときどきの控棒構造と.そ心ときどきの階級閥係ーがそ。
だから白杉氏はプル
Pュア共和制が同時に人民共和
まま権力形態に反映きれ中和されるも白と考え白れている。
制であると白論理主展開する||「共和制下にかいて白みプルジュ
731とプロレタリアートと由闘争が究極ま
で関われうあ白は、プルぴユアジ
1
0直接支配白形態たる共和制が車にプルジュア的なものではな〈て、同時に
人民的な側買をもつからである」
(前掲書三八三九頁)C
もしとの論理主一貫すれば、濁占プルジュアジ
1白暴力
的支配形態たるフアッシズムさえ同時にプロレタリア的側面をもっとととなるであろう。白杉氏白絶封主義論は
とうした祉舎鷺的論理の絶封主義論え白適用であり、だから己そ氏は大島氏を先師として隼敬するのである。
ととるで.己の大島H
白杉氏流の自稀
E統絶湖、主義論は労農汲のあ白有名な明治維新目「プルジ4
7ジ1抜きの
プルジュア革命論」む修正としてあらわれてきたのであり、そ白系統に恩ずるも白である。品百山田派白明治維新論の
創設者猪俣津南雄氏は云う||明治維新はプルジュ
7ジ1でなく下級武土居によって創姥されて貴族・軍官僚・
大地主、の政治的勢力?っえに構築されているが、かかるプルジユアジ
iならざる封建的政治構力が徳川封建絶劃
主義主打倒し、封建絶針主義白基礎たる封建的土地制度止よびそれに随伴する諸特権を破壊して、つまり原始蓄
積を完途して、自らグルジュア政権に轄必ずる(『現代日本研究』一豆七五八事。猪俣氏の見解は多少の一三ア
ンスの相異はあれ大内兵衛・向坂逸郎・土屋喬雄・高橋正雄氏らD
『日本資本主義白研究』白うちにうけうがれ
ているが、然しかかるつフルジュアジ
l抜き白プルジュア革命」なる天下無類のプルジュア革命論は活用しそう
に怠い。そEで、崎町農汲内部に止いて故小野道雄氏(土屋・小野『近世日本遺業観情史論』=六七頁以下)とくに封馬
忠行氏(『日本資本主義論宰史論民六回l七一頁)がそれを明治維新H絶封主義論えと修正する。封馬氏にあっては、
格調主義繭白悲劇
第六十七巻
O
事ニ・ヨ揖
四七
絶封主義摘。悲劇
第六十七巻
O
第
鋭
四i¥
結封主義を創建する明治時民草D主慨は下級武士屑であるが、そ白下級武士厨はすでに地主厨'『封建的土地所有田解
簡か
ι生UK温小農的土地所有」としての新地主的土地所有H
辛封建的土地所有1)
と三井を先頭とする前期的資本とを祉
曾的支柱とする開明的封建家臣圏であり、従円
J
て開明的封建家臣固とそれが創建した明治絶封政権の性格はプル
ジュ
701と牛封建的地主とを伴せ代表するとととなる。とすれば、謝馬氏が「結封主義園家なるものは、封
建的またはキ封建的土地所有者階級の権力であり、『大地主の王朝』である」(前調書二=きと云う場合、それは
明瞭にさきの蹄結H均衡権力論と矛盾する。
ζ
D論理的矛盾主回避して「均衡理論」を貫徹しようとするのが大
島目白杉氏の絶釣主義論である。だから、大島目白杉岡氏は労農根絶劉主義論の正嫡である。
猪俣式労農汲明治維新論の制一極として問致した服部之総氏は、カウアキーの絶品割主義論(『フラシλ
章命時代仁於
げる間関蹴劉立与の最初白紹介者の一人であり・そ白「均衡理論」を最初に明治維新に通用した人である(『マルキ
シズムに於る絶劉主義白概念』『絶調主義論』所収)。服部氏忙よれば、周知のように維新白誌士主マニユソアクチュ
ア・プルジュアジーまたはそ白階級的代表者として取扱い、従うて「戊申戦争白官賊関陣営は、外見上のあ一らゆ
る同似惟にも拘ら歩、異った階級的利害を主張したむである。一は閤民的プルジユアジ
1白、他は封建諸侯の」
討幕西甫雄藩ET--ュファクチュ
7・プルジュ、アジ
ID代表として規定してい
(『維新史田方法論』一三ハ直)と述べ、
る。だから、服部氏白明治絶針主義一政権論は部分的にしろ園民的プルジ品アジ
l
D政権参加を強定し亡いる白で
ある(拙者『封建耐曾仁お付る費木の存在形態』第二章。拙者『日本田マユユフアクチユア問両国』)。とれに謝して、服部氏と
奈良本辰也氏とが反論してきた。服部氏白抗割問はとうである||寸明治維新は絶封主義園家をうみ出しっくりあ
げてゆく過程と、その絶封主義左打倒L人民のためむ民主主義国家をワ〈りださずにはやま由プルジユア民主主
義D過程と白、同時的進行であ
H、二重過程である。だがこD二重の過程を一個白権力が同時に槍営「る己とは
不可能である。明治政府は徹頭徹尾給封主義権力であり、かかるもむとしてスルジコア革命白いっさい白波に
たいして必死に抵抗しつつ明治大政府を構築していった」
(『闘治的革命』はじがき-一「l二一頁)と。ま苫にその迅り!
だから、服部氏は明治維新政府を盟民的プルジュアジ
1白代表者在どと云うべきでなかヨた、とわたしは批判し
た白であり、だから士た服部氏白抗期は凡そ的外れであ
Z。と一冨うより、服部氏はbざと的在外しているむで‘な
かろうか?奈良本氏が「堀紅氏の止うに二
O年も前白服部氏の言葉を
ll現在の服部氏主論ヂるに少しも関係
のないl
何同となく引用して勝負をつけ土うとはやる人に劃しでは、このことは十分気をつけてゐかなければ
ならなかった白であるが、
残念ながら
服部氏もわたくしも姻紅氏のような人が多数いるとは筑がワかなかう
、たL
(『幕末・小皆業段階説と私自立場』厩史墜研究一四入耕一一一七瓦)と一Z
ったとしても、
わたしはそれを奈良木氏のい
つものあ白大げさ左桃接的安論として片付けてよかろうo
何と在れば、服部氏はいまも幕末U郁新白浪士・芋棄
がマ三ファクチュア・プルジ斗アジ
1白代表者であり維新政権白捨子であることをこす年まえより多く強調し
ているからである。然し奈良本氏が岡崎気になる白も無理はない。奈良木氏白提唱になる郷士H中農論は、中農日
プルジ斗アジl
が討幕西南雄藩の藩棒力争プルジュア北し、
(『一世世封建祉脅史論』)、それは服部之綿氏と同じ論理的構造のうえに立。ている。ととまでは封馬氏と服部H奈良
本氏は同じ「均衡理論しに立脚してを
HJ従町て服部日奈良木氏が絶針主義日封建岡家論をモとから蹄結しよう
それは宙に浮いた本論止なり論理的矛盾忙陥入らざるを得&ぃ。持良派に属すると見られる白杉氏が
(マ一一ユアアタチェア・ブ
tvAアジと置いてもよかろう)を代表しそ白性格主併せそ友える郷土、
それが維新政格の主限となるととを論詮しようとするものであり
としても、
、
粗封主義輸の悲劇
第六十七魯
Q
事ニー・=一瞬
四;/L
'紹勤主義繭O
悲劇
抽出念がる白も無理はない。かくして、労農減の封極として出護した服部川奈良本氏白絶針主義論は、見かけは呉
川J
ていても、労農択と同じ「均衡理論」に立伸してをり、同じ論調的迷路忙さまよい込んでいる。
第六十七巻
O 四
事ニ・=一競
E O
「均衡理論」的絶劉主義論白論理的矛盾を最も赤裸々に暴露しているのは、勢良沃と講座仮と白い
bぼ接耕に立う
ている正直友人河野健二氏である。講座派白服部氏の後継奈良木氏は河野氏を自分自味方と見倣してをり(前掲
論文四O耳目韓薪と縄期主政』|時論昭和二十四年六・七合樹脂母、労農訳大島氏白後継白杉氏は氏自云う「正統」絶
封主義論由「探索」者として大島氏と左らんで河野氏をあげている。河野氏が服部H奈良本氏と大島日白杉氏と
白双方から引張凧であることは、服郁リ奈良本氏の絶劉主義論が河野氏を中櫨して大島日白杉氏自絶封主義論に
(河野氏主大島氏ーとの類似性については、拙稿「方法の阿題』
r
つ危がることを暗示していると云え詮いであろうか?
詳しく取扱ワている)O
それはとにか〈として府野氏止す
1l一方では「絶劉王政の櫨力はJ
と白ょう
E90、' f
れ自問矛盾した性質主具えている。
(一つは)王様白プルジュア的側面であ一り、
(もう一つは)モの封建的本質
を一不すものである」
(『絶劉主義の梢鑑』九頁)が、他方では或は「(絶割、主義は)
政治権力が経時間的な階級によう
τ
握られ十、
一陪階級とは別個の存宗が権力を掌握しているとと白現われである」(前摘書--頁)、或は「それでも
矢張り絶割主義は封建闘家なDだ
」
河
野
氏
は
一
方
で
は
均
衡
論
的
な
折
衷
園
家
論
を
展
開
し
な
がら、他方では或は踊階級園家諭と封建園家論とを展開し、しかもと心三うの園家論をつなぐ或はただ「それで
も矢張り」と云う押しむ一手であるにすぎ友い。河野氏がアーでも左いコーでもないと迷路白うちを心配そうに
、
さまようている姿が、われわれには手にとるようにわかる。河野氏の無判明
DEEな人格が氏をとれほど苦しめ℃
いるのである。だが、罪は河野氏の正直さにあるので伝く、河野氏が「均衡現論」主採用しながら、封建困家読
(前掲書七ニ一七頁)と。
を蹄紺しようとする在とろにあヲた白である。
かくして、ヵウツキlの「均街頭論」は、労農沃猪俣氏の明治維新論の労農汲的修正者針馬氏をもそり講座派
的批判者服部l奈良木氏宇もとくべからずZ迷路に遣い込んだ。何とかしなければならない。大島uu白杉氏は、
あたかもアレキサ
yダ
l大王白ように
「均衡理論」を徹底させ封建園家論を切って棄てるととによって、いと
だが、大島H
白杉氏がゐどり狂
も簡単にと白迷路から脱出したむである。さあロ
1ドス島だ、恥どれbどれ!
ラロハ1Fス品は、マルクス
Hレl-一Y主義とは綾もゆかh
りもない階級調和||反動貴族と革命プルジュアジーと
がいとも仲陸じく僧老伺穴している彼用である。然Lプルジュ
701と。プロレタリアートと白借老同穴を希望す
る人々を、いまのわれわれはどう考えたらいいであろうか?
だが、封建的生産様式と者本制生産様式とが並存し、封建貴族とプルジ品アジーとが勢力均衡するとは、資本
制生産様式をはらむ封建制曾ーとは、
Eんなも白であろうか
T
それは爾者が同-櫨力のうちに代表されうるよう
な4のであろうか?
それとも櫨力闘争を盆一定織烈比するのであろうか?
封建枇舎から近代社合えの推蒋過程
絡調主義白「均衡理論L
は、蹴に述べた土う忙、封建的生産様式と費本制生産様式との並存
il封建貴族とプ
ルジュ
アジーとの均衡を前提し、
そとから過渡的権力形態
H宇分封建的中T分プルジュア的な絶釣主義を蹄結しょ
うとするも白であり、役目
J
てその絶封、主義論はいわばなしぐ歩しDプルジュア苧命論となる。だが、かかる「均
衡理論」は
Eしいであろうか?
結謝主議論。悲劇
第六十七巻
O 五
第二・=一披
耳
、
結勤主語闘の悲劇
揮六十七巻
O
事ユ・=一時間
豆王
下部構造たる経時間構造は上都構法としてむ権力形態を規定する||これは唯物史観の恭本的命題である。「均
衡理論」はこ白命題の忠寅た適用であるように見えるが、実は素朴きわま品誤用である。「均衡問世論」は、単純
化して云えば、封建枇曾白うちに費木制生産儀式が稜畏するに臆巳てそれだけ封建岡家は近代化され、資本制生
産絞式が支阻するに膝じてプルジュア国家ができる、と理解するo
だが、
ζ
白命題は経済構造が結局に沿いて権
力形態を規定することを意味する。と云う意味は、封建枇曾の展開は、郎ち封建枇脅に者ける資本制生産様式の
議展は、封建枇合の矛盾H階級闘争を,次第に激化し、封建闘家の凝集化と反封建開午
HZルジユア革命運動との
封獣性を益々一激烈にし、最後に凝集ル刊された封建園家がプルジュア草命運動のまえに崩れ去るととである。
一寸
均
術理論」は権力形態を矛盾U階級闘争白中和剤と考えるが、われわれは、そして唯物史観はそれを階級闘争の檎
、、、、
舞嘉と疎解する。われわれは、ととで極く簡単にしかも単純化して、封建枇曾から近代祉曾えの推特過程忙なけν
「均衡迎論」に帆到する反詮とずるにと、とする。
封建的生産様式は、封建的大土地領有者H
封建貴族が生産手段を占有する直接生産者たる封建農民主経憐外強
制によって地代を通じ搾取H支配一する閥係であり、縫って封建杜舎の基本的劉立は封建貴族と封建農民と白針立
る経晴樹止政治と〈に棒力との基本関係をあきらかにして
である。だが.封建的生産様式が殻展するに従って、と白封立は様相を愛化しつう激化する。
封建的生産様式は、自然経済を表現する労働地代に立脚する古典的荘園慨制
rヴィリカチオ
y位制から出穫す
る包古典的茶園憾制Hずイリカチオン時制とは、周知Dように、耕地を直営地と隷良地とに分割して、農民白必
要生産物は農民が占有する隷農地で生産せしめ、農民心剰飴労働は労働地代の形態で直接荘園領主に牧取されて
領主白甫営地に投下きれる牒制であり、従召てそとでは症国領主が農民H農奴から労働地代を枚取するための経
梼外強制は労働する人間そ白もむの人的支配H
「直接的強制」(資本論⑪三五五頁)の形態をとり、それゆえにまた
定悶領主は自己白農奴に封し私的地主としてでな〈一ワの君主として、
B
となる。かくして、古典的菜園鶴制リヴィリカチオV惜制に照臆ずる園家形態は分立する延国領主の権力形態た
る分樺的封建図家である。ととるで‘生産力MM後達し℃枇品問的分業に作って商品経僚が展開すれば、自然経榛に
主脚していた古典的荘園健制Hヴイリカチオン健制は危機H所謂「封建問危機」に陥入らざるを得ないが、そ白
危機は俗設が設〈自然経満開と商品経砕と白あD矛盾でなく
τ、尖Dような階級的矛盾相別である||労働地代を
強化しつつ(仲間って領主1農奴の搾夜開係を自然解湾的におし
trbて)自ら市場生涯に乗り出そうとする封建貴族Hグ
「帝闘のうちの帝園しとしてのぞむ己と
lvへ山町と努働地代を廃棄して自ら白占有地経営を強化して自ら商品生産者に縛化しようとす呂農奴との、所謂
ア革命」との、階級附闘争であり(ロスミンスキーuポスタン的解輝。
詳レくは大底久雄『世代資本主義白系譜』中の紹介容照)、
封建貴族D
「封建反動L
と農奴白「プルジユ
「農民戦争」はその激殻形態である(エシゲルスは農民戦宰をプ
ルシェア章骨正規定している|『ドイヲ農民時宰』)。
「農民戦争」で革命的農民が決定的に敢北したか農奴白草命化白
「封建反動L
が、グr!?へんシャフトHオスト・ヱルベ型土地所有形態がうまれる。
保件がかけていた場合、
然し「農民戦争」に荘村る「封建的危機」は、活常かかる形態では克服しうべくもなり、より前進的方向におけ
る「封建制の再編成」を必然化した。「封建制の再編成」過程は三の方向かち考察するととができる。マ部
イギリス・フランス・西ドイツに見られる労働
「良民戦争LD通例的・一般的蹄結は‘
構浩H地代形態白推持。
地代日ヴイリカチ
y慨制から生産物地代または貨幣地代目純粋封建時制え白推樽であった
Q
「農民戦争」えと激
純劃主議論白悲劇
ヨリ高次の矛盾えと止揚された。。そとでは、封建地代
1i
第二・=一貌
第宍十七巻
一O七
五
裂したヴイ
Hカナオン開制白矛盾は一態解決され、
糧費主議輸の悲劇
第六十七巻
一O八事ニ
27競
豆主
四
封建貴族と封建農民との搾取闘係は廃棄されたわけでは友いが、農民はそむ全努働時聞を自己の占有地経営に投
下して、自ら市場生産に遁臆しうる保件、さらに云えば費本制的分化の起動力たる「胎芽的利潤」費生の僚件を
滋得し(費木論長谷部課@一ニ犬二一良)、それに伴ワて封建貴族は農業の「経営者L
から牛産物地代または貨幣地代白
恥院すとなる。そればかりではない。そとでは、経務外強制は労働する人間白「直接的強制」たることをやめて
労働白結旧来たる生産物または貨幣を牧取する保設||「法律的噺規定」
H
「関係白力」(前掲書~=五五頁)に特化し‘
従Gて直接生産者と地代支柿義務者と白分離を許容せざるを得友くする。純粋封建憾制止は、封建農民が商品生
「J
産者化し費本制的的分化をはじめる保件のきざす封建開制である。三上部構建U封建樺力の州邦的集中。一三八
rk
一年イギリ兄白ワッ
l・タイラ
1白ひきいる農民は労働地代白貨幣地代えの縛化とともに領主檎力の擦鮪||領
主裁判檎と教曾制度と白革命主要求して.専ら菜園領玉を攻撃した(拙著『西洋解消史』穴入|六九頁)。「農民戦争」
にZワて封建権力白再編成
ll封建権力の集中は不可避となった。エ
Y
ヂルスは大農民戦争の諸結果を要約して
一Eつ亡いるt||「貴族も'また相官在打撃をうけた
u
彼らの城はたいてい破壊された。あ空たの忘っとも由緒ある
家門は設落し、わAYかに諸侯にうかえるととによって生きうるばかりにたった。農民K41
いする彼らむ無力は確
いたるととろでうちゃぶられ、降服をしいられた。ただ誇侯の軍隊のみが彼らをすくうたむ
ますます時間侯の支配下にゐちとんでゆくほかふなかった」
設された。彼らは、
であった。彼らは、
(『ドイツ農民験宰』マルクス:一
yrbwHA選集十六巻上二ニ六頁)。純粋封建健制に封牒ずる権力形態は、寸貴族叛乱」を底えつつ進行する、封建貴族
から諸侯えの封建楼力白「州邦的集中「(前掲書一一ニ七頁)||経済外強制白川邦園家権力えの漸次的上昇である。
世
「州邦的集中」が古典的形態LZ
とって固定化した自は、ドイツ由州邦制と日本の幕藩陸制であろうが、他の荷固でもと由寸州
邦的集中」は経過的にあbわれたと見ることができる。イギDスP一フシカ九ダ
lHヨーク家時代はそれにあたる申でなかるうか?
そうだとずればわが固にh
叩ける「誼世封建一世曾」なる概念は世界具的楓念となる。
主己るで、
ι目「州邦的集中」にはニつの形態が考えbれるo第一形態1lL封建領主貝調立性占土荒性とを否定して、役轄を封
建諸便申半官僚的家臣圏たらしめ、従ワて封建領主にかわって封建諸侯が官接農民在搾取する場骨。たとえば、徳川時代の昨米
u
扶持米軍却が典型であり、総じて徳川幕帯健制はかかる官僚怯が濃厚であったと考えb作るc
第=形態||封建諸侯は、封建領主
と隷農と白間四純粋封建的搾軍閥係を維持せしめつつ、封建領主がもっ政拍的調立性を剥奪1ζ
れを封建時侯自手中に吸耽する場
骨。酉ヨーロッパに多〈見bれる形露である。
前者は政治的潤立性ととも忙経済的調立性を喪失しているが、後者は政措的調立性を失いながらもなh
制限凶的調主性をもち、担
漕的議展同ある程度反躍するととができた。
「農民戦争」的矛盾白かかる解決||純粋封建鰻制と州邦園家とは新しい矛盾展開白ための出護鮪
にすぎなかうた。蓋し純粋封建徳削は、蹴に述べた諮り毛れ自身白木質として、農民白商品生産者化と資本制的
分化と白保件と可能性とを事責上内包じてをり、そとから第二の「封建的危機」に直面する必然性をはらんでい
たからである。純枠封建償制
ρもとで生産力が後展し商品経済が進展するに仲ヲて、純粋封建慨制は危機に瀕し
ととろで、
た。その危機とはいかなるものであるか
T
る種の一般的不平
K闘する簡単注調筆』
ウイW527ム・スタッフォードは『現今における種々Dわが園人のあ
(一五入一年)のうちで云わせている||騎士「まづ第一に、
貴方の語
考へで何ら白損失を蒙らたい人といふ白は?」ドタ下ルアセれは賀買で生活してゐる線4
ての大々だ
h私は恩主、
といふのは、彼等は高く買っても、そ白後では寅るむだから。」|l騎士「そり際、貴方の一Eはれるやうに利盆
を得る第一一白種類の人々は誰ですか?」ドクトル「さうだ、宮市咋白地代で借地農場主自分で加工(すなはも耕作)
する綿べて白人々だ、といふわけは、彼等は奮燕の率で支梯仏紙しいい率で資るのだから、||ずなはち‘自分等
輯
欝
主
義
輔
自
悲
劇
第
六
十
七
巻
O 丸
第二・2一日明
五王
栂劃主義論。悲劇
第六十七巻
O
第二・一一ロ揖
五六
の借地に封して安〈支梯仏、モ白土地
hら生AYる一切D物を高〈寅る白だから
」1
1騎士「ではその際、貴方
の云はれるやうに閏八すで得た利益主りもより大きな換をするむは、どん怠種類白人々で
fか7」ドクトル「それ
は、すべての貴設、ジヱントル7
y
、そ白他、限られた地代社り給料なりで生活してゐて、自分白土地を自ら加
工(耕作)したり、自ら費買に従事したりしないととろ白、すべて白人々である」
頁)。ウィリT
ム・スタッフォ
lrは、商品終油開白稜展に作う隷農暦の上昇と封建貴族の財政的危機ととの針脈的
関係を見事にえがき出してい
Zが、ととで云う隷農暦の上昇についてマルクスは述べている
|l「イングラ
YF
では農奴制が十四世紀白終頃に事貰上消滅Lた。人目白鬼大な多数は、官時kt拓いては、また十五世紀に沿いて
(資木論長谷部謹④一一一六五l三六六
は吏らにより多〈、自由で自営む農民たち!|彼等む所有が如何友る封建的看板によって隠蔽されてゐょうとも
B
ーーから成立ラてゐた。比較的大昔な菜園では、以前には自らが農奴であうた落宰が自由左借地農業者によっ亡
腕逐された。農業上白賃野働者は、
一部分は、自分の暇D時間を大土地所有者自もとでむ労働によって利用せる
農民から、士た一部分は、相射的にも絡針的にも数白少い自立的な本来的賃労働者階級から、成立。てゐた。後
者もまた事資的には同時に自営農民であうた」
(前掲書三一O
|三二頁〕。
ウィリアム・スタッフォードが領主的
危機に封脈せしめた隷良府の上昇とは、
それ自身白内部に「胎芽的利潤」を内包した隷良厚U
「自問で自営の良
民ーたち」
H
「人民的富L
(前掲書一三一一真)ll従うてそれは白内在借地農業者釣農業労働者え白隷良庇白資本制的
分化(イギリス型)または寄生地主針小作人ク白隷良府の寄生地主制的分佑(日本型)自由繭芽を内包している
11白
成立を意味しているが、
それは同時に澗立小工業商同間生産者U小営業者
li小工業プルジュア
グチェアを頂賠とする)H宮農または寄生地主釘宇プロレタリア
H貧農または小作人え白骨化を内包している
11
(初期マヱフア
「人民的宮」白稜展に封抗して領主的危機を吏服するためには、
徳川幕府四享保寛政天保の三大改革のような租法復婦では間に合わない。領主暦または諸侯は、たとへば十五世
紀半以降に見られるような第一火聞込運動や初期澗占
I封建的諸階級そのものhプルジュア佑ーを遂行せざるを
得なくなる。かくLてフルジュ
7附護展を志向する二つの形態白宮
l封建的諸制限を突破して進もうとする「人
民的富」と封建的諸特権をできるだけ維持しながら時流に投じてプルジユア化しようとする封建的宮、
ED関白
。成立を意成している。領主暦士たは者侯は、
生死のたh
かいがはじまる。
然し純粋封建慨制え白「封建反動」的復帰政策は農民
H/「人民的富」のプルジユア草命運動を鎮めるととがで
きない。封建制定宮編成替を程在〈立た。編成春以外にとの危機を克服する手益されていない。宇
都椿逝
u封建貴族の「商人化」。純粋封建時制は生産物地代または貨幣地代に主右封建貴族自隷農に針ずる直接
的搾取闘係を原型とずるが、商品経擦に主る「胎芽附利潤」白成立はとの直接的搾取関係を分解せしめて、封建
貴族の搾取を漸次官農針貧農の者本制的搾取閥係(イギりス型)または寄生地主封小作人。寄生地主的搾取閥係
白いわば農民向搾取閥係陀依存しそれ白波生物たらしめてゆ〈が、それは同時にこうのととを意味して
(自主型)
いる筈である||封建貴族の搾取が新しい農民的搾取開係に依存しはじめるととは、第一に封建貴族白隷農に封
ずる鰹梼外強制が個々の特定D隷農から離れて新しい農民的搾取関係一般の強制的維持白方向
K移行し、従って
第一一広隷農に九百ける勢働、と生産手段とむ自然的結合が、費本制的分化か寄生地主制的介北かの直別はあるにし
ろ、分解するとム」主意味している筈である。封建貴放が「人民的官」
H
農民的搾取閥係白爾芽に針路し「領主的
危機」皆殺果的に克服しT一ゆ〈道は、
一方では「組法L
を棄ててかかる農民的搾取閥係を前提し一ツつ自己の搾取
絶抽出主義請の悲劇
第六十七巻
第二・一一=揖
五七
紹針主義曲冊目悲劇
を強佑し、他方では封建領主自らが益々「商人化L
するととであり、
第六十七巻
第二・=一腕
五八
いわば農民的経横自由主義主貨質的に抑感
・否定するととである。イギリスにむける富良国込
l「濁立生産者」忙劉立する第一次圏込運動H領主の牧羊資
本家化
2yケル化の一形態)初期澗占に長ける廷臣菅木家(拙者『西洋極済史号、徳川末期にbける封建諸侯とぐ
に西南雄藩にhd
ける専賓
!lTZフアクチユア長よび工場はその古典的事例であるが、市町本制的議展にhM
げ
る封建貴族と農民とのとの封抗はマ一一ュフアクチュア時代に在って爆設する。レ
I-一ンはと白劉抗を農業資本、主
義に岩ける「プロシャ型の道」と「アメリカ型の道」との釣抗として定式化し、それをプルジュア革命の賢践と
結合じた
(レ
l=γ
『ロシア仁おりる資本主義の設展』と〈仁正由
「第三版への序言L
・『十九世紀末白ロシア白農業問題』・『
九O宜
J
一九
O七年mwwvア第一革命における社曾民主黛の農業綱領』なE百封建貴族とブルジュァ。ーとを中和するζ
〆
、iJ
とでなく、資本制化
whbける雨階級の掛抗
E指摘するとKIllとれがマルクス
Hレlzy的方法である。己上郡
棒議H
絶謝主義。純粋封建備制にゐける危機は脅本制化に争ける封建貴族または封建諸侯と良民との階級闘争で
己れとそ基本的樹立である。そとに起る政治温禄は、との農民のプルジュア革命的攻撃に相到底して封建貴
あり、
族または封建諸侯が整える支配値制の再編成である。農民の攻撃を前忙して封建貴族または封建諸侯が自らを維
持する遣は、自己の封建権力主絶劉者に吸収強佑して、自らはその絶針楢力の分身と左るととであり、イギリス
白領主がチュ
1ダl絶劉王政白治安判事となり、わが園の封建貴族が天皇制絶鈎王政白藩塀H
官僚と友る己とで
あり、約言して絶針主義を成立せしめると主である(この立場は羽仁王郎『幕末に於りる枇禽腕関駅態、階級闘係及び階
級闘事』・『幕末に於吋る政治的支聞形態』から、遠山茂樹『江戸時代後期一摂質審』匝眠法相車研究二一七披・『百姓一撲の革命怯
必然的に封建的支配階級内部の政治的冊目乱||
について』
i評論昭和二十三年四月続仁至る)。ととろで、
Eの渦程は、
封建貴族からD政権牧悲壮よび絶針君主えの政権準奪|卜を伴い、
往々それが農民叛乱と結合してあらわれる
(デヤツク・ケイVの叛飢・「恩寵町山間」叛乱|生野め飽なE〕O
そしてこれまでの多くの時間史家はとの政権争奪戦を絶
封主義形成の基本的契機と考えて、そD令理的解轄に専心してきた
liたとえば佐幕汲東北諸藩百戸一討幕仮西南地
溝正の政権争奪を封建的諸階級と中農H国民的プルジユアジーとの階級闘争の反映とみ、かくて討幕沢西南雄藩
白創立した維新政権を何らかプルジ」ア階級的たものと錯勢ずる服部H奈良木詩はその槙木である。だが、それ
7革命運動に封勝する封建的政治組制編成替に必然的に伴う随伴現象であり、それゆえにまた
は農民白プルジι
イギリス白チュ
ーグ1王朝や維新政権白成立に見られるように安協に終るとと左なるのである。との政治的動乱
khいてプルジュア階級を代表する諸侯がイユツシャティ
1プをとり絶割主義が何もかフルジュ
7階級を代表す
ると見る見解は、純特封建問制の矛盾H危機を理解していないばかりで赴〈、「人民的宮」に劉立
fz封建支配
階級白「商人化」を「人民的宮」と錯斑
Lているのである。封建支配階級は人民白成長に針抗してゆくために
は、次第に衣をかえねばならないが、衣をかえ得たものだけが支配権を握るととができる。
住ニ乙己でニつ申貼について註記して置〈こととする。
円相山略立正一一轄の耀冊目段階。聾副主識の形成を主体的ごェアアタチェア時代
E置明ずる見解は服部氏U
『幕末時間ごュ時代設』
以来わが皐昇。主流となり、いまも奈良本氏の『郷土日中農曲』や藤田五郎尻の『褒農マ一
τァァクチムア前』(『維新前の段階に
ついて』|塵且革研究第一四八揖)という形で再生産さ札てい一る。だが、わたしが屡々批判してきたように、「幕末時陥マ三時代読』
は史宜的にも維持芭れがたいばかりでな〈、そもそも本端的マ品ユファクチュア時代なるも四がプルジュア革命盈成田保件たるプ
ル♂品ア階級結成昭時期たる限り、そとかb皆然粧品剖主義uなL〈ずしmw
プル
dュア草骨精へと導〈乙とと怒る(拙者『封建世曾
の費本の存在暗躍』事ニ草・『日本町マS
ュ7
ァクヲュア問問』第一・ニ章)o
そとで、最近になって『幕末隈マ晶ェ時代読』にか
組謝主義簡の悲劇
第六十七巻
=
事ニ・=一腕
豆王
プL
栢針主義論四悲劇
第六十七巻
四
事ニ・=一規
司
O
わって、『本端的ならざるマ=L77クチ主ア時代設』が流行
Lはじめた(矢木明夫『幕末騨新の経済段階について』障史皐師
究一四八観。白静庄一郎『植野主議論批判』附時間三だが「本棋的な
bFるマaLアァタチLア時代」なる慨念は存在しうるだる
うか?わたしは曾って、マルクスが『賛本諦』事一巻・第十二章『分業とマ三アァタチュア』の冒頭陀かかげた「本滅的マ
由一三ファタチユア時代」なる櫛念をレl--ン白「養本家的γ=ュファクチェア時代」吋と年置したことがあるが(『封建一世曹におけ
る費本四存在形態』三
O頁・『日本白マ=み77クナュア問題』ニ八頁)、乙れは正首ではない。『資本論』由章別編成か
b見て、
「本衆的マ一-
2
ファクチA
ア時代」とは、第十一章『協業』に拘ける初期マ=ュファクチ孟アと匿別して、分業に立脚するマ一=
ファクチーアが資本制生産の支配的形態たる時代であると理解す4
きであり、純ワマ人「本持問ならざるマ
-Zファクチュア時代」
とは「初期マユェファクデユア時代」と一司うととになるが、マルクスによれば「初期マaL7ァクチユア時代」なるものは存在し
ない(『資本諦」長容部調⑦四八頁)。白移民のように、「初期マ三アァクナェア段階」(前掲書一五六頁)と去ったり、「本車的
マ呈ムアアグチュア時代一四「本車的」を「時代」にか町て本衆的なPDざるマ品ユファタチュア時代」を設定する人々を、われわ
れは何と考え伝らいいであるうか。
持し「本来的な
ι百回、vaュアァクチュア時代」や「初期マaュ
yァタ事与ア時代」なる糊念が存在しないとナれば、初期マζ
3
7ァクチュアをう与だすような基盤は何であろうか?わたしは、マルクス四「人民的寓」弓査本論』長谷部翠@一一二二頁)であ
り、レlzンは「人民的宮」の工業的側面をと
ιえて「小皆業段階」と規定した、と考えてきた。小管業を資本主義でないと碩持す
る大島氏中白桔氏は(前掲香一五宍
l一宜七頁ゴレlaンがそれ脅「工業における資本主義旧費艮」目第一段階陀置いた所以を考
えるべきであろう(「ロジアに和ける資本主義の費民』岩波文庫版下ニ七八頁)。「胎芽的利潤」を且4
む極端昨は同時に(資本制)利
潤を内恒ナる結涛である骨でほないか?
に農民的土地所有。既民連4
たように、純梓封建強制山もとで商品紹摘が琵艮して隷農挺管のうちに「胎芽的制調」が成立して
〈るに従って、「胎事的利潤」を起動力として隷農は分化する。その隷農分化白方向には、資本家的小僧人
U農業努働者自方向と
寄生地主日小幅人の方向とがあり、「胎芽的利潤」は前者では利潤、後者で肘地主得分医師向するが、いずれも純粋封建的搾取関
係と呉
p、それと拙出立する農民的(市民的と去ってもよい)搾取閥保であ取、純酔封建的土地所有に野立す品農民的土地所有であ
る。この貼、わたしの理解は講座祇白偉続と異る
6
9
、だが、それにもかかわ
bf、費本制的分佑(イギリス型)と寄生地主制的品川化(日本型)とは担本的に異る。資本制的骨化も寄
生地主制的分化もともに、純粋封建髄制下における隷農紹替の家族持働力と土地所有ーとの自然的H
強制的結合の分解農民からの
土地牧奪乞前提している。従って寄生地主制的分化は同時にエ業プル
dzアHプロレダWJ
アの査本制的搾取閥係を認容しうる土地
所有形態であり、純梓封建的土地所有形態とは封立する。だが、掠1査本制的分他では、分解した生産手段と第働力とは寮本H質
問百働闘係として再結骨され、農民か与の土地取奪は原始蓄積として作用するの戸反し、寄生地主的分化では、分解した生岸手段LC
努働力とは小作紐替のうちで自然的直接的に再び結令され、従って農民かちの土地牧翠位農業部面では現賓には原始蓄積止して信
用しないこと&なる。
かくし
c、帯生地主的土地所有甘受本制的土地所有とともに、純粋封建的土地所有の否定物であり、農民的土地所有マしありなが
ら根本的に異る。寄生地主が幕藩世制に反封しながb、絶針主義と結告すると云う複雑な態度仕乙こか
bろまれる。
.
「人民的宮」H小営業段階に者ける封建貴族と人民との劉立は本来的T
一二
々激化する。一五四九年のロパ
1ト・ケット白叛乱は領主閤込に反謝する富良国込白宣言であり、ヱリザベス朝
にはじまる猫占論争は特権的マエユフアクチュア・特許貿易品目枇を楠軸とする初期満占に反釘するマ三ユフアク
チュア・プルジュアジーに率いられた全人民の叫び白議合的表現である編者『原監済昌二一一二三頁和よび一
四五頁)。本来的マ三フアタチ斗ア時代とは、プル
Oュ
7ジーがハッキ
pと階級的結成主達成する段階であり、
フヂクチム
ア段階になるとともに盆
絶釣主義が危機に陥り爆破される段階である。しかも封建楼力は今や絶劉君主D
一身に集中苫れ、全人民白反封
建闘争は今や絡封君主打倒えと集中され現賀ι刊され、しかも絶封主義打倒は封建構力一般白羽倒となる。粕釘主
義は封建様力の凝集であり、それゆえにプルジュア草命達成白保件を準備するものである。絶劉主義が過渡期の
権力形態たる所以は、それが字分封建的-bT介プルジュア的な槽力形態であるからでなく、それが封建権力一白凝
集であり反プルジュア階級的頂鮪であるがゆえにフルジュア革命えの保件を議備したからである。絶釘主義は封
絶劃主義簡の悲劇
揮六十七巻
王
第ニ・=一揖
六
紹針主義摘。悲劇
事六十七巻
プ電
第二・=一一揖
占,、
~建祉企目白フアツシズムである。
プル。J
ユア革命の成巧は、資木、士義が自主的に稜展した園々では、
マニユフアクチュア時代に果苫れる。後れ
た園々では、事態は具った様相を示ずであろうし、
われわれはその複雑性のうちに論理を追求じなければ左らな
ぃ。ととで白わたしD任務はいわば古典的論理白追求であった。
絶艶主義の階級構造
とれまで白絶封主義論は多かれ少かれ「均衡理論」に災されていると、わたしは考える。と云う意味は三つあ
「J
る。トとれまで白絶針主義諭は、封建舵曾白うちに資本制生産様式が稜展し、封建貴族に封しプルジユアジーが
成長するに従って、封建貴族は漸吹譲歩して一歩一歩フルジ旦アジ
1E政治権力に参加苫ぜてゆき.矛盾は小刻
Z解決されてゆく、と蒋える。ロモとからと当云う蹄結が嘗然うまれてくる|絶望義形成のための封建支
配者内部の政権争奪戦を何らが封建貴族とプルジュアジーと白階級闘争であるかの占う忙錯質する、たとえば西
南諸藩と東北諸藩と白針立やヨーク家とランカスタl家と白戦を封建貴族とプルジ品アジlと白階級闘争と錯莞
ずる。かくするととに主ワて、絶制問主義を部分的にプルジユ
ア政権化する(典型l服部川川奈良本RY
だが、絶針主義論D悲劇と骨迷とはととから生宇る。これまでの絶劉主義論は事費の論理を遣にしている。
1J
一
ト封建壮曾?っちに資本制生産様式が愛一展し、封建貴族に担割「るプルジユア草命運動が愛展ずるに従うて、封建
貴族はその「封建的危機」を克服するために、自ら経済的に持形ずるばかり一でな〈、そ白政治権力を集中してプ
ルジュア草命運動に針抗する。
「それは、
ひとりびとりのユンカ
1の所領に沿ける封建的特権を底止するが、し
かしそうする白はただそれを土地所有者全般の特擦として全部にわたワて復活させるためにすぎない。事態は依
然としてゐなじであり、ただ封建的な方言からプルデユア的仕方言に線課苫れただけ白ととである」(エンゲルヌ『ド
イツ農民戦宰』第一一一版序文
ybw
グ
ス
-
L
Y
ゲ片ヌ選集第十六径上↓玉大頁)G
絶釣主義は「ブルジュア的な方言に翻謬さ
hlJ
れた」封建岡家であり封建的矛盾白凝固した権力形態である。ニだから、絶釣主義形成期目政治的動車酌に沿いて
rーに
は、それがいかに分散的散設的であろうとも、農民間牌白封建支配者暦K封ずる反封建闘争Hプルジュ
7革命運動
が基本であうて、封建支配者厨内部陀長ける政機争奪戦
li成申戦争やパ一フ戦争は,それがいかに大がかりたも
のであろうとも、それは反封建闘争H
プルジュア革命運動を抑座し『封建的危機』を克服するための封建支配棺
制白編成替である。とり紺が明確に理解されねば友らない。
註=一既に麗々官及したヱうに、服部u奈良本民は多分に「均楠理論」忙災されて持D、勢車汲的である。服部氏は、一方では
自由民樺湿動を諦ずる場合には、明治政樺をこのプルジよア革命運動に封ずる抑亙抽世帯として眠抵いながb、他方では維新動飢を
論ずる際にけ盆に悼新政権自主般をプルグェア化ナるo
服部氏はニ万油田制土であるように且える。
羽仁宜郎氏中講座汲田正樹たとえば平野義大郎氏(『日本安本主義社台。模様』}は乙白貼で論理一貫している。初伝氏は農民運
動白質的設展を粧闘する捺いはあるが、封時限詩侯と農民と回闘争を基本的契機とし、封建的支問者暦白内部商品サE副究的に考える
(『幕末に於ける世曾経済厭態、階組関保及び階扱闘争」・『幕末に於ける政措的支問形態』)。
わたし由『西洋経済且』第九章『絶割王世田確立温程』は、封建的支問機制白一骨欄成過程に力貼を置さず曹、基本的契調を担少
評慣する誤謬を犯している。ことに自己批判走要する。
かくして、われわれは絶封主義
E温渡的な折衷附図家形態とし、そのため白封建支阻者同庁の手闘を本質的友階
級闘争と見るよう友「均術理論」白誤謬をあきらかにした。絶叫剖主義は農民hk中心とする反封建闘争H
プルジュ
ア革命運動に封抗する封建支配者唐白樺力形態であり、
「プルジ品ア的方一言に酬課された」最後の封建園家であ
組封主義摘。悲劇
事六十七巻
七
第二・=一蹴
六
締罰主議論の悲劇
る。大島U白杉氏の反論にもかかわらす、約関主義H封建園家設は絶釘は王しい。然し一問者は尋ねるであろう
l絶針主義白反プルU
4
7草命的内格はそれで
bかったが、封建支配者府内部白政機乎奪戦H封建的支配憾制の
編成替H絶封主義の階級構迭はどうなるであろうか?
絶封主義は封建支配者同町白根力形態であるが、然し封建支配者厨とくに持率的支配者府は封建枇合の段階。進
展に作って具る。かうてアンリlι
ピレン只は資本主義忙ついて云っている!|「わが経際民を
bかつ各時代は
第六十七巻
F、第二・一ユ一盟
占ハ四
それぞれ異る特別の資本家階級をもっている。換言ずれば、制定。時代の費本家白グループはそれに先立つ時代
ーの沓木、家グループからうまれたも白ではない」
L」
(gFmo自問
zfE出
EZtpもZHEM-EEE出
MEME
開
205HHFMV富山)。封建祉人刊の段階白進展に伴うて、封建貴族の怜格も縫質するし、その指導権も推移する。
そのために、封建祉曾の各段階ごとに封建支配者内部K指導権白争奪が起り、そ白争奪主題じ封建権力は集中さ
れる。ん一ζ
ろで、絶割、主義形成期リ純紳封建閥制の危機忙際し、抱一釣主義に協hHし反船出したりはいかなる階級で
あろうか?
「均衡理論」をつら由とうとする人々11l大島H白杉氏や河野氏や服部U奈良本氏によれば、絶釘主義の階級的
基礎は勢力均衡しつつある封建貴放と商業資本を先頭とするマエユフアクチユ
ア・プルジュ
アジIとである。そ
して白杉氏は、商業資本がマ一一ユフアクチュア・プ広ジュアジーを代表とすると一苫う「護見」を鬼白首でもとう
たように振り廻すが(白杉庄↑郎『絶調主義論批列』各所てそれは「均衡理論」が最初から持っている前提であって、
防に程同世墜に属している。服部氏主見主。だが然し.封建貴族と商業資本とは中除封建枇合の二大要素
1i農村と
宿泊都市と白支配者府であり、彼等が愛展しゅく「人民的富」
U彼等がこれまで支配しワ十けてきた隷農・都市
住民白プルジ1
7革命運動にさらされたところに、純料封建問制白危機がうまれたのであり、
「均衡理論」は、既に述べたように、己白基本的劃立をそれが規定
「均衡理論」のさ
きの命題はと白基本的封立を見逃している。
ずる第一一衣的樹立とすりかえようとしている。第二女的封立とは弐白二つを意味していお。絶封主義形成は封建
領、豆と自治都市とに分散し一1
いた封建権力の剥奪集中であり、従うて第一にその過程に烏いて封建権力を剥奪・
集中しようとする絶封君主とそれを剥奪される封建領主・商業高利貸出宵本
T艮議事LA
が調立し、第二に絶樹
君主はと白剥奪・集中主容易にするために封建的土地貴族と貨幣貴族とを相互にたたかbせ左がら利用する。と
れらの、とくに第二の副次的封立が「均衡理論」の論擦に友司ているが、然しとれらの封立は所詮封建的支配開
制の内部封立であって、かかる内部封立にもかかわら宇封建的土地貴族や貸幣貴族そしてそ白権力を絶劃君主に
移譲するζ
とを強制するも白は反封建闘争H
プルジュア草命運動である(幕末については遠山茂樹『江戸時代後期一撲
畳書』l陪史皐研究一二七腕三一ーー一三一頁)。イギリス白例をあげよう。バラ職年目はじまる直前一四五
O年忙起ったジ
キック・クイ
Fの一撲では、良民の反封建闘争プルジュア革命運動が封建領主白反絶封主義蓮動と結令していた
俳が、第一次園込運動を契機として農民白反封建闘争が封建領主から濁立化し純化した一五四九年のロパ
1ト・ケ
ットD
一授を境として、絶釣王政と封建領主とは完全に妥協した(拙著『西洋願締史』一一八一一一=一頁)。かぐして瀞
絶針主義白確立過程は封建貴族や前期的費本が絶封王政をパトロンとしてそ白主権に絶劉服従する過程である。
封建貴族や前期的資本は絶封主義の庇護白もとに、「人民的官」の「資本家的官」えの脅展妃封抗して自らを資
本家に朝合d
せようとする。問題は白杉氏が夢想すゲほど単純ではない。
わたしは、絶封主義がメトロン
i安の闘係に沿いて封建的土地貴族と貨幣貴族とを階級的基礎去す色、
と一去っ
紐酎主義論。悲劇
第六十七巻
九
第二・=一披
」ー,、五
絡封主議論申悲劇
第六十七巻
O
事ニ・コ一腕
~ ,、六
そとで、絶封主義は、
-抗して起ってきた農民的(市民的と去ってbよい)搾取関係||』寄生地主的土地所有でも、
台。土地貴族や貨幣貴族は今や自らが占有する公権力のゆえでは左〈絶鈎宇一様D介肢として反射としず会構力白
保護をうける。云ぺぺ見れば、彼等は氏を返上して咽富を守ろうとする。担割、主義の階級的蒜礎?と危うた封建貴
族や貨幣貴族は多分肥氏素姓H身分を失った生産形態の紫面白代表者||プルジ斗ア草命運動に釣抗する生庵形
態の反革命的代表者であり、絡調主義は多分に氏素性で左〈、かかる生産形態をとそ保護し友ければならない。
一方ではかかる反革命的身分を氏左苦素町人や百姓忙開放し、他方では純粋封建徳制に封相官
ア草命
とれもプルジュ
運動に立ち向わせうる限り、とれを保護し味方とする。絶封主義はもとのままD封建貴族や貨幣貴族主階級的基
礎としたりでなくて、「町人佑」日費本家化しようとする封建貴族・貨幣貴族と「貴族化」しようとする農民的
搾取者とを階級附碁礎とする0
1
人民的宮」とそれ白資本家的富え白後展に感じて、封建性そのものも質化する。
絶鈎主義白形成過桂は封建性の改鋳過視である。寄生地、平自動きを見土。
絶釘主義は、一一般に封建槽力白推樽は‘人民の、成長してゆ〈人民の前進に封抗してゆく封建支配者暦白抑陸憾
系であり、抑膝強化閥系であるロとれまでの「均衡理論」的絡調主義論は封建支配者同府内部白政権争奪戦ーーさ
れまでの政治史の中心課題である
1lk限を傘われ、前推一する人民白姿を往々忘れた。わざと忘れた人々は「均
衡理論」
E純粋化し、それを忘れられない人々は「それでも矢張り」と苦悩するて事問は怖しいものである。そ
れは全く入閣の鏡のようなあらわれである。
!l昭和一一十五年士一旦平日記||
遁記一わたしは本稿股稿後に河野健二氏『紹針主義下回階絞経済開揮』(暦具畢肝究、一四九掠)と藤田五郎氏「明治維祈且分自
析淵角』(且皐研究第四集)
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どを積む機舎を持った。そしてわたしは今まで甲形噛胞の論静がもは中無意味な前苧であること、新し
い諦理的H方揖間前越と見料的裏付けとが今こそ品堕になったζ
とを痛感したo
わたしは々れを意識しつ守本稿を書いた積
pでお
る。わたγしは本摘が同時に河野氏や藤田氏へ自答縛にもなっていると考えている。なほ開口神氏『幕末政争の一考察』(歴且事研
究一九四丸年十二月掛)、「明治維新旧道』(歴且評論一九五
O年=一月続)、遠山茂樹氏『朋治維新』
hk出井上幸袖『秩記事件』(歴
史評前前掲抗)は幕末維新の借舷構成とそこ
hb〈る肱拍的動向とり新Lい分析方向を暗示している
l一丸五一年四月十五日記。
追記=本稿は昭和二十五年度文部省料串研究賓の援助
Eうけて賢手中旧共同研究『イギ9ス寮本主義の成立と古典紐済串』同
おける私自措嘗方自方法的序置である。
掘調主議摘。悲劇
第六十七巻
第三・=一瞬
占八七