5
Title ドイツ技術哲学史 : E. Zschimmer, Deusche Philosophen der Technik, 1937. Sub Title Author 藤林, 敬三 Publisher 慶應義塾理財学会 Publication year 1937 Jtitle 三田学会雑誌 (Keio journal of economics). Vol.31, No.8 (1937. 8) ,p.1171(71)- 1176(76) JaLC DOI Abstract Notes Genre Journal Article URL https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-1937080 1-0071 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)に掲載されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作者、学会または出版社/発行者に帰属し、その権利は著作権法によって 保護されています。引用にあたっては、著作権法を遵守してご利用ください。 The copyrights of content available on the KeiO Associated Repository of Academic resources (KOARA) belong to the respective authors, academic societies, or publishers/issuers, and these rights are protected by the Japanese Copyright Act. When quoting the content, please follow the Japanese copyright act. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org)

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Title ドイツ技術哲学史 : E. Zschimmer, Deusche Philosophen der Technik, 1937.Sub TitleAuthor 藤林, 敬三

Publisher 慶應義塾理財学会Publication year 1937

Jtitle 三田学会雑誌 (Keio journal of economics). Vol.31, No.8 (1937. 8) ,p.1171(71)- 1176(76) JaLC DOIAbstract

NotesGenre Journal ArticleURL https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-1937080

1-0071

慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)に掲載されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作者、学会または出版社/発行者に帰属し、その権利は著作権法によって保護されています。引用にあたっては、著作権法を遵守してご利用ください。

The copyrights of content available on the KeiO Associated Repository of Academic resources (KOARA) belong to the respective authors, academic societies, orpublishers/issuers, and these rights are protected by the Japanese Copyright Act. When quoting the content, please follow the Japanese copyright act.

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Page 2: Title ドイツ技術哲学史 : E. Zschimmer, Deusche Philosophen der

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技術の哲製时硏究は>

“從來啟んど專ら、ドィ.ッ.に於ぃ'て亂拓せら.ル,て來てゐる。.そして:それは旣に相當の年数を

經て«•り、且つ稍々多數0文献がこの方面に存して居⑴、#

つて33:,ロ々に取つては今日、技術哲學史に關する一つの

獨立の奢作が期待されてい、普でぁるQ:しかもかくの如き期待は從來充分滿されることがなかつた。S

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術哲敷史に屬力る:

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丨が擧げてゐホのは次ぎの六人に過ぎな:^-|

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der

Technik)

4;

Aufl:,

1:924;

.(3y.wduar.d. von ■ Ivlay か r'Technik" u

nd

Icultur..oedanken iiber.die Verstaatlichung" des

Msschen,

1906.

f4)

E

ezi'ehun.g.

'Eine

srt-'.udie,

ツシンマーは右の、カップ以下H

ンゲ:ルパルトに至る六人の技術哲學者の見解を、個々に稍々詳細に紹介し、批

判することを以つてその硏究の目的としてゐるo彼の著作を技術哲學史の硏究ムして見れば-吾々はかくの如き序

述に對して尙ほ種々な.る批評と希望を述べ得るのであるが、こ

の吾々の述べ得らるベが^評乃至#望の一づビ對し

て、彼は豫めその著の序文中に凡そ次ぎの如く述べてゐる。

今日技術の锊學,に.

關す:る諸家の.硏究对可成り.多激に.上:つ“てゐるが、そ.の.世界觀>如ちその哲學上の遲本的見解の

相違に基づく、技術の本嚷に關する概念の.秦證法的發展が、その著作中に觀られ得るが如きものを選んだ。そして

の辯證法的發展に寄與するgilj的見解は、J

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一 五年以後現はれたドイヴ技術哲學者の諸菪作中には見出されな

0のである o々,:

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、ッジシマーの加くの如ぎ所言が彼(0*.著書に鄭^;る態度を直栽に家明し.て.ゐる.'0:で:ぁ.るS

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いV。即ち、彼

が問題とした六つa

技術哲學論以外,に存するものは問鼯の發展に重要の寄與をなすもの仑はない分殊に最近約十午

間に於けるこの方面の硏究は確か匕相當の數に上つでゐみCo

..でぁるが6

、>:^0#

€>:^'のも:特に重藪視さるベ

きものでばない、と彼ば考へ,る0しかし彼はと0-ために特別の考究を何等吾々に示す所が纪ビ9唯だ僅かに彼はゥ

エ^ト0見解を檢討ナる^當つて、.0Afサゥ.

H.

ルの見解に關說して凡そ次ぎ,の如き至極簡單なる脚詁を附加し

P

なるに過ぎないタ即ち、.ヵ.ドリ.ック敎徒.で^,:るみダ^;人称學者デッ步ケ;«

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思辯的抱術哲敷は、

ゥ:エシ:ト0技術理觸の肺秘的見解に莶づく仏以でぁをと。.,©®::

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讀苕の參考の'たみに,

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^ザーのかくの如き批評.に'も拘らず、吾々はょり1£しく>

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?自身が彼の按術本

質觀:どデジサウ:土ル

‘のそれとの歡间を先づ問題とすると

は前者がヵレK的であるの_

し:,て?後者は寧ろ1ゲ9

ァンであ-

と見做される0唯だ技術理念の理解に於いて、前者

はn最善なる解決の、:淥定された1

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性あ理念:とす:るに鄴して、後者は

技術の理念は||神<?).物質支鄄のカであるしとする0

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ダシンハ:マ

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には技術の.本賢を1物質的#

由の、理念.,

求めたのであるが,今や彼は自ら自出なる槪念を實踐的踮

意義を理山としでこれを放棄してゐる9 (

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1933,

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はナチス的真批判の彼に於ける-つの.表現^

あるデ——

そしてこの限ヴに於いては、技術理念の理解に關してッ.シ

.ン

.同時に技術の文化的.意義をょa

ょく表明し得てゐると云ふことが出来るであらう。勿論デジサウ

H

ルが彼の

.

技術理念.の*

現を®

視しャ居:0

、且つ.,こ:れ

;す

.の文化的意義が.認められるの:

ではあ各が。.'

.

かくの如:<呤し:てッ'シン.:マ.丨の著作は*技術都學史ゼしセ:は>敗^

彼が以づ^

す若,干の代.炎的見解钇摘出1>:てゐダに過ぎないのであつ.て>«:近に至るまでの技術哲學に關する文献を詳細に學說

史的に傭理し:てゐる0ではない?そし;て:..»'ぺ勿論この敗に彼は觫0著作を技術哲氍史とは敢ぺ;て稱してはゐないので

あるがゆ

;.1

何会この點に政大の不滿を感ず岑であらう々'

;

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がしかし、これと同時.に吾々は次ぎの點を考慮することも必要である0ッシンマV比、:先きに述べたやうに、1

九.ーニ五妒以後の文献中に特に見るべきもな^と茇ふのではあるが’彼がぞね著作中最後に擧げてしれを問題とせる

H

yゲルハルトに關して、次ぎの如ぐ評債せること比费々:の見逃し得ない豚で.あ.らう0即ち云ふr

エシゲv>vルト

の哲學的立:場を特徵づげるものほ國民^

^義的理想书義でれぞと。從つ.

V.

气ン妹ルパネト以後の技術&

諭は、

もはゃ彼忆取っては左程重要では.なぃのでぁる0單にそれ許りではなく、

ュダャ人で.あるデッサウ二ルの見解の如

.彼©問題とすることを欲しないも0.>ー0であらぅ、とも考へられるo\

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以上私はツシンマt:の「

ドィツ技術哲學者」

に對して内容的な批判を加;へる'こ"となぐ、寧る第f 1 :義的な紹介と批評

を行つたのであるが、此處に從來0技術哲擧に對する總括的な,私め.持^>て'ゐ

5i思ふ。

技術锊學$.課題は1文化瑰象として.の棱術>例ぺぱツシシ‘マー

の云:ふ

り^

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る釜體の、文化發展

1

絞の有■㈣部分現象としての技術^

wHilosopMe

dei : Techak,

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ず;にぁる?か<:;て從來

ぞ6問

,の

«の理解にあるとせられてをる。ぞ1>:てま恕假^,にツシンマーに從へば、

:霄

-:つ

そ0 ;

つは各種見解の菡礎ぞなす世界觀、乃

至1般的哲學的既«

6相

:り、..他

^、

同こ^

^に立ち贫がレツ技術現象と見做すベき.事實の限

记び•相違する曝合であるo (Deutsche

philosope

p.der

Technik,

Vo

パwort,)

確かに吾々も亦この點を認めなければ

.

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ならない?し扒し此處艾私が疑問とする所は更らに次ぎ

'の

る.0である。'

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',第

--に'.'*從來の技術哲翁論の电には、

:'ぞ<0'世界觀の如何5:;問ぼ食モ零にその所謂.技術0-本

^

それだ.げ仓^抓|>;’とずる加0'-如きもの舲紇る。8^^

し:かし技術本質論ば骑時ぬ:挞術の文化的窻義ぞ明扒にするも

のでなホれば纪レな(/:>.。-第ニに>

從來の所亂技術節翻論#

るものば椒

め神秘瞅,>形而-學的、.また觀念論的でぁ

づて>

某處では問題¥

られる技術の史化的意義は柚象的で、あり

>

趑歷史的である。しかもかくの如く理解せられ

た技術の丈化的意義と,技術現象

0'現實に持.つ:所

:藤

,::社

_

との:關聯,_

^技

,0.實

の間題の如きは、全ぐ等閑に附せ

^れセ.ゐ

:る:と耷つセ

^\0..ー但:

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电に取'-.擧げた諸家§見解&;依0,;で^「

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_康の棱術哿學±;の見解抝於ぃて1、:«

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れど.も、-'.'それ:ぬ.決してょぐ枝術吹歷史的>«:會的意爵の*現お問題どしてV#

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如き樅來の技術’哲’學に對すを一般的不滿咬も称^ず、' 挺は一技術哲學史に_する

|:文献と^:て、グ

シシマ丨'

兮ド^ッ棱術#'學者」

ゼ讀者の.】

.論

0-た办に藤め度ぃ0:::それは主として:從來この_の獨立文献0 :皆觫でぎつ

に傲る§で'かをが、史;た技術哲學の:問勸に_する:ブつの入門書と^て.相當價値^

パ」(

韩ゝめィッ技術哲學を最初に吾國に紹介せかれたヴ馬場敬治教授の著作r :

技術と經濟」

;の@頭に.於ゆ:る技術哲學論は粗にン

ぐ-.:.技«本質输:である。ゾ佴

^敎授ほ技術の.文化的意義を輕視:せられた

0.でな“各と:は.、'右の'著作

:.、::

ほ;最近め著作で.あ:るn技術とtt:#J

(

第』

卷)

:對する、:^の.本誌土に於げ名紹介文:に對:し:て.

(

本認

ン狻が:私忆寄せら努嘗信に依4.

ば>'右;の售作に次ぃ.で纏:て公刊せ-られ'$は至石,霧

:©問題:に關す冬

.

.部分に於いて、技術め社會的意義に關ずる齊學的見解の批判的研究を公にせられるとの;.ことでぁるが、私は讀者に對してそ

V,

の.成果を期待せら-Hんことを附言して置き度いと思ふ。:

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1昭和十二年七月十一一日稿

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.自曲

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:華

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其ゎ後リスト、

ハミルトン等幾多の保_資易理論家.の11頭

の”でぁる。併し乍ら、'自由質,易:

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上に於ける古典

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學派の他位

.は亥配的でぁ岑に.對1>て、保護貿易論の.內容は.極めて:雜

多.で:ぁる

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は”主として古典學派貿易理論の批剕と擁謹そ袞ふ形を^

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て_ほれた0::古典學派自由貿易理論の根醉をなすも0:被此較生產費腐理で:ぁ^0從つて自由貿易主

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の論據とし

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が行はれた。此處.に紹介せんとするe

ルの著書も亦、.I

理に

對^る'批刹が主要な^內容をな^て'居

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^

#來

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、::主

^して.次の一一つの點に向けられた。(

一)

比較生辭費原理の現

*へ©廣當性ノ(

ニ)

比:較

、し

.の妥當性が之でぁる。,

,

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.

.

.

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'>比較生鹿費原理の現實への妥當蚀とは、.現實の國際貿易が果して該原理.に依つて規制せられ、その示す質易0利

益:が實現す必

や否や

云‘ふ問;:@,で

;0

即ちそ水は該原理Q

,し

妥裳牲に外なかない。比較生^

.

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七.七.

(

ニ:七.七‘

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