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Title ドイツ技術哲学史 : E. Zschimmer, Deusche Philosophen der Technik, 1937.Sub TitleAuthor 藤林, 敬三
Publisher 慶應義塾理財学会Publication year 1937
Jtitle 三田学会雑誌 (Keio journal of economics). Vol.31, No.8 (1937. 8) ,p.1171(71)- 1176(76) JaLC DOIAbstract
NotesGenre Journal ArticleURL https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-1937080
1-0071
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述に對して尙ほ種々な.る批評と希望を述べ得るのであるが、こ
の吾々の述べ得らるベが^評乃至#望の一づビ對し
て、彼は豫めその著の序文中に凡そ次ぎの如く述べてゐる。
•
今日技術の锊學,に.
關す:る諸家の.硏究对可成り.多激に.上:つ“てゐるが、そ.の.世界觀>如ちその哲學上の遲本的見解の
相違に基づく、技術の本嚷に關する概念の.秦證法的發展が、その著作中に觀られ得るが如きものを選んだ。そして
こ
の辯證法的發展に寄與するgilj的見解は、J
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いV。即ち、彼
が問題とした六つa
技術哲學論以外,に存するものは問鼯の發展に重要の寄與をなすもの仑はない分殊に最近約十午
間に於けるこの方面の硏究は確か匕相當の數に上つでゐみCo
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きものでばない、と彼ば考へ,る0しかし彼はと0-ために特別の考究を何等吾々に示す所が纪ビ9唯だ僅かに彼はゥ
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ルの見解に關說して凡そ次ぎ,の如き至極簡單なる脚詁を附加し
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なるに過ぎないタ即ち、.ヵ.ドリ.ック敎徒.で^,:るみダ^;人称學者デッ步ケ;«
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?自身が彼の按術本
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は前者がヵレK的であるの_
し:,て?後者は寧ろ1ゲ9
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と見做される0唯だ技術理念の理解に於いて、前者
はn最善なる解決の、:淥定された1
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性あ理念:とす:るに鄴して、後者は
「
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(
丨はM
には技術の.本賢を1物質的#
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求めたのであるが,今や彼は自ら自出なる槪念を實踐的踮
意義を理山としでこれを放棄してゐる9 (
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Fhaosophie
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Technik,
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そしてこの限ヴに於いては、技術理念の理解に關してッ.シ
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の
方
が
.同時に技術の文化的.意義をょa
ょく表明し得てゐると云ふことが出来るであらう。勿論デジサウ
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技術理念.の*
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、且つ.,こ:れ
を
間
間
と
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所
に
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.の文化的意義が.認められるの:
ではあ各が。.'
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かくの如:<呤し:てッ'シン.:マ.丨の著作は*技術都學史ゼしセ:は>敗^
彼が以づ^
す若,干の代.炎的見解钇摘出1>:てゐダに過ぎないのであつ.て>«:近に至るまでの技術哲學に關する文献を詳細に學說
史的に傭理し:てゐる0ではない?そし;て:..»'ぺ勿論この敗に彼は觫0著作を技術哲氍史とは敢ぺ;て稱してはゐないので
あるがゆ
;.1
何会この點に政大の不滿を感ず岑であらう々'
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がしかし、これと同時.に吾々は次ぎの點を考慮することも必要である0ッシンマV比、:先きに述べたやうに、1
九.ーニ五妒以後の文献中に特に見るべきもな^と茇ふのではあるが’彼がぞね著作中最後に擧げてしれを問題とせる
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yゲルハルトに關して、次ぎの如ぐ評債せること比费々:の見逃し得ない豚で.あ.らう0即ち云ふr
「
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の哲學的立:場を特徵づげるものほ國民^
^義的理想书義でれぞと。從つ.
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气ン妹ルパネト以後の技術&
諭は、
もはゃ彼忆取っては左程重要では.なぃのでぁる0單にそれ許りではなく、
ュダャ人で.あるデッサウ二ルの見解の如
き
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寧
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以上私はツシンマt:の「
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に對して内容的な批判を加;へる'こ"となぐ、寧る第f 1 :義的な紹介と批評
を行つたのであるが、此處に從來0技術哲擧に對する總括的な,私め.持^>て'ゐ
る
疑
問
を
提
出
し
て
置
き
度
5i思ふ。
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の云:ふ
所
に
從
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ょ
り^
f
る釜體の、文化發展
1
絞の有■㈣部分現象としての技術^
wHilosopMe
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題
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の
本
質
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に
技
術
,の
文
化
的
意
«の理解にあるとせられてをる。ぞ1>:てま恕假^,にツシンマーに從へば、
從
來
の
技
:霄
學
上
の
見
解
の
粮
違
は
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の
理
由
に
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く
も
の
で
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つ
て
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そ0 ;
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つは各種見解の菡礎ぞなす世界觀、乃
至1般的哲學的既«
6相
違
で
お
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の
ゼ
つ
^、
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世
界
稱
の
^に立ち贫がレツ技術現象と見做すベき.事實の限
记び•相違する曝合であるo (Deutsche
philosope
p.der
Technik,
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パwort,)
確かに吾々も亦この點を認めなければ
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それだ.げ仓^抓|>;’とずる加0'-如きもの舲紇る。8^^
し:かし技術本質論ば骑時ぬ:挞術の文化的窻義ぞ明扒にするも
のでなホれば纪レな(/:>.。-第ニに>
從來の所亂技術節翻論#
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卷)
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本認
ン狻が:私忆寄せら努嘗信に依4.
ば>'右;の售作に次ぃ.で纏:て公刊せ-られ'$は至石,霧
と
馨
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.部分に於いて、技術め社會的意義に關ずる齊學的見解の批判的研究を公にせられるとの;.ことでぁるが、私は讀者に對してそ
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の.成果を期待せら-Hんことを附言して置き度いと思ふ。:
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