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Title カントの確立倫理学―カントの『道徳形而上学の基礎づ け』に関する一考察― Author(s) 蔵田, 伸雄 Citation 哲学論叢 (1994), 21: 24-35 Issue Date 1994-09-01 URL http://hdl.handle.net/2433/24559 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Title カントの確立倫理学―カントの『道徳形而上学の基礎づけ』に関する一考察―

Author(s) 蔵田, 伸雄

Citation 哲学論叢 (1994), 21: 24-35

Issue Date 1994-09-01

URL http://hdl.handle.net/2433/24559

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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カ ン トの格 率 倫 理 学

カントの 『道徳形而上学の基礎づけ』に関する一考察

蔵 田 伸 雄

1格 率と行為の価値

「格 率 」 とい う概念 はカ ン トの批 判期 の道徳 哲 学、特 に 「道 徳形而 上学 の基 礎づ

け」(以 下 『基礎づ け」 と略)や 「実践理 性批判 』 にお いて重要 な位 置 を占める概念

であ る。その こ とは、行為 の道徳 的な価値 は、その行為 が 「道徳法 ともな,りうる」 よ

うな 「格 率」 に従 って な され ているか ど うか とい うこ とによって決 定 される とカ ン ト

が考 えてい るこ とか らも明 らか であ る。

例 えば カン トは 『基礎 づ け」 の第 一章 で義務 に関す る第 二命題(1)として 「義務 か ら

な された行為 はその道 徳的価値 を意 図の中 にで はな く格率の 中 に持つ」 とい う命題 を

あげてい る(N399)(2)。 この命題 は行為 の価 値 を左右 す るのはその行為 の意図(こ の

場合 は 自 らの欲 求 を満足 させ ようとす る意 図)や 結 果で はな く、あ くまで もr格 率」

なのだ という ことを意 味 してい る。また カ ン トは 「基 礎づ け」の別 の箇所 で 「自己 の

行為 の格率 が普遍的 道徳法 に なるこ とを欲 しうるか どうか」 とい うこ とが 自己の行為

の道徳性 の判 定(Beurteilung)の た めの規準(Kanon)で あ ると述べ てい る(vgl.N.

424)。 さ らに 『基礎 づ け』の別 の箇 所 では、常識的 な(卑 俗 な人間理性diegemeine

Menschenvernunftに よる)道 徳 的認識 におい て も 「自らの行為 の格 率が普 遍的道徳法

と もな りうるか」 とい うことが 、 自 らの行 為 が善 い行為 であ るか どうか を判 定す るた

め の規準(RichtmaB)と して用い られている と述 べ られている 、(vgl・IV・403)。これ ら

のこ とか らわかる よう に、 カ ン トは行為 の 道徳的価値 はその行為 が普遍 的道徳法 とも

な りうる格率 に従 ってな されてい るか どうか に よって決定 される と考 えてい る。 そ し

て後 に見 る ように、カ ン トは 「普遍 的道徳 法 と もな りうる格 率」 とは 「定言命法 」で

ある ような格 率で ある と考 えてい るのであ る。

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カントの格率倫理学

まず この小 論で は この 「格 率」 とい う概 念 は どの ような概 念 と して理解す る ことが

で きるの かを瞥見す る。 そ して次 に、あ る格率 が道徳 的行為 を命 じる ような格 率 であ

るため にはその格率 は 「仮言 命法」 であ っ てはな らない とい うカ ン トの主張 につい て

確 認す る。 さらに定言命法 を単 なる 「無条 件 的命 法」 としてで はな く、 「もしも理性

的で あろ うとす るな ら」 とい う条件 を含 ん だ命 法 と して解釈 す るこ とを試 みる。そ し

て、最後 にカ ン トが提示 する形式 的原理 の有効 性 につ いて瞥見 してみたい 。そ こでま

ず、格率 とい う概念 を どの ような もの と して理 解す るこ とが で きるのか とい うことに

つい て瞥見 してみ よう。

II格 率 とは何 か

カ ン トによ れば格 率 とは 「自己 自身 に課 した規 則(Regel)」(IV.438)で あ り、行

為主体の無知や傾 向性 とい った様 々な制約 も含んだ主観的 で個人的な規 則で ある(vgHV.

421A㎜.)。 また カ ン トは 「格率」を 「意欲(Wallen)の 主観的原理 」(N.401A㎜.)、

「行為 の主観 的原理」(N.421Anm.)、 「行為 主体 がそ れ に従 って行 為 して いる原 則

(Prinzip)」(ibid・)「行為 の 主観 的原則(Grundsatz)」(IV・449)な どと も呼んで いる・

つ まり 「格率」 とは 「主観 的 な」(あ るい は 「個 人的な 」)行 為 の原 則(ま たは規

則)の ことであ る。

しか し 「格 率」 とは 「あ る人が採用 して い る原 理」 とい う意味で は 「主観 的な」行

為 の原則 である が、 そ れ と同 時 にそ の内容 とい う点か ら考 える と格 率 とは 「一般的

な」原則 で もあ る。例 えばカ ン トに よれ ば人生 に絶望 して 自殺 しよう と している人 は

「生 きていて も、快 適 を約 束 され る ことな く長期 にわた って災厄 に脅 か されるな ら自

らの命 を断つ、 とい うこ とを 自己愛 か ら自 らの原 理 とす る」 とい う格 率 に従 って行為

しようと してい る こ とになる(IV.422)。 この格率 は内容 的 にはあ くまで も一 般的 な

原則で あ り、そ の 自殺 を考 えてい る人だ け でな く、 この格率 を採用 してい るすべて の

人 に妥 当す る ような一般性 を持 ってい る。

また格 率 が 「原則」 あ るい は 「規 則」 で ある とい って も、格 率 とは 「規 則 的 な行

為」つ ま り反復 され る行為 に対 してのみ認 め られ るような もの ではない。 ただ一度 だ

け しか行 われ ない ような行 為 で も、何 らか の 「格 率」 に従って な され ている場合が あ

る とカ ン トは考 えてい る。例 えば、 も しも先 の 自殺 を考 えてい る人が実際 に 自らの命

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を断って しまうな ら、 この格率 に従 ってな される行為 は一度だ け しか行 われない こ と

になる。 しか しカ ン トに よれ ば、 この様 な行為 も先 に述 べた ような 「格率」 に従 って

なされて いる。 よって 、 ある行 為が ある人 に よって一度 だけ しか なさ れない と して

も、そ の行為 は何 らか の 「格率」 に従 って な されてい る と言 うこ とがで きる場合 もあ

るので ある。

ところであ る行為 者が何 らかの 一般的 な原則 を 自らの行為 を導 く原 理 と して 自覚 的

に採用 し、そ してそ の行為者 がそ の原 理 に意識 的 に従 っている ような場合 には、そ の

原則 を 「格率Jと 呼 ぶ ことに何 ら問題 は無 いで あろ う。 しか し、行為者 自身が無 意識

的に何 らかの 一般的原則 に従 ってい る ような場合 に も、その原則 を 「格率 」 と呼 ぶ こ

とがで きるか どうか は意見 の分 か れる とこ ろで あろ う。例 えば、靴の紐 を結 ぶ時 にい

つ も右側 の靴紐 か ら結 ぶ癖 が あ り、 しか もいつ も無意 識的 にそ うしてい る人 は、 「靴

の紐 を結 ぶ と きには必 ず右 側 の紐 か ら結 ぶ」 とい う格 率 に従 って行為 してい るとい う

ことになるか どうか は疑 問で ある。だが 、 カ ン ト自身は人が道徳 的 に行為 するた めに

はある種 の格 率 を 自覚 的に採用 し、 また そ の格 率 に意識 的 に従 わなけれ ばな らな い と

考えてい る ようなので、 こ こで はその ような場合 に議論 を限定 してお きたい。

そ して この様 な構 造 によって行為 の道徳 的価値 を判定 しようとす るな ら、道徳 的 に

行為 す るために は二 つの段 階 を踏 む必要 が あ る とい うこ とになる。 まず人が道徳 的 に

行 為す るための第一 の段階 と して 、人は 「普遍 的道徳法」 と一致す る ような格率 を自

らの格 率 と して採用 しな ければな らず、次 に第二 の段 階 と して、その 人は実際 にその

採用 され た格率 に従 って行為 しなけ ればな らない とい う ことに なる。諸 家 に よって

「定言命 法の根本 方式 」 と呼 ばれてい る 「普遍的法 となる こ とを(中 略)欲 しうる よ

うな格 率のみ に従 って行為 せ よ」(IV421)と い う方式の 「普遍 的法 となる ことを欲

しうる ような格率 」 とい う部分が 第一の 「格 率採用」 の段階 に、そ して 「… の よ.

うな格率 に従 って行 為せ よ」 とい う部分が 第二 の 「格率 に従 う」 とい う段 階に対 応 す

ると言 って よい だろ う。

ここで 「嘘 をつ い てはな らな い」 な どとい った 「道徳法 」 と一致 す る ような格 率 、

あ るい は 「道徳法 ともな りうるような格 率 」 を 自らの格率 として採用 す るとい うこと

は、その道徳 法が命 じるよう に行為す る こ とを自 らの義務 として進 んで引 き受 ける こ

とであ る。即 ち ある道徳法 を 自らの格 率 と して採 用す るとい うことは、その道徳 法 に

コ ミッ トす る とい うこ とを意 味 している。 カン トがただ単 に 「道徳法 に従 っ て」 な さ

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カントの格率倫理学

れる行為 が善 き行為 であ る と言 わず 、 「道 徳法 ともな りうる ような格 率 に従 って」 な

され,る行為が 善 き行為 であ る、 とい うやや 複雑 な表現 を選 んだの も、 この様 な事態 を

明確 に表現す るため であ った と思 われる。

そ こで次 に問題 にな るこ とは、 どの様 な格率 が 「道徳法 ともな りうる格率 」 なの か

とい うこ とであ る。 カ ン トはあ る格率 が道 徳法 ともな りうるか どうか を判 定す るた め

の規準 と して、そ の格 率 は 「定言命 法」 で あるか どうか とい う規準 を提示 してい る。

その ような規 準 の意 味 を明 らか にするため の準備 作業 として、道徳 的行為 を命 じる格

率 は 「べ き」 を含 む 「命法 」で なけれ ばな らず、 さ らに 「客 観 的な」原理 で もなけれ

ば ならない とい う ことを確 認 してお こう。

皿 道徳的行為を命 じる格率が満たすべき条件

カン トによれば道 徳法 とは 「道徳 性の 命令(Gebot)」(vgl.IV416)で あ り、そ し

て 「命令 」 は 「べ き」 とい う語 を含 んだ 「命法」 の 形 で表 され る(vgl.IV.413)。 一

方カ ン トによれば道徳法 とは 「客 観 的原理」(vgl.W.400,421(A皿i),V.19)で もある。

この ような 「客観 的 な道徳 法」 と内容的 に 一致す る格 率が 「道 徳的 な格 率」 だ とい う

こ とにな るの で、あ る格 率が 「道徳 的行為 を命 じる格 率」 つま り 「道徳 法 と もな りう

る格率 」であ るため には以下 の二 つ の条件 を満 た してい なければ な らない とい うこ と

になる。

まず第一の条 件 は 、その格率 は 「べ き(Sollen)」 とい う語 を含 んだ命題 、つ ま り

「命法(lmperativ)」 で なけれ ばな らない とい うことであ り(vgl.W.413)、 さ らに第

二 の条件 はその命法 であ る格 率 は 「客観 的 な」(す べ ての理性 的存在 者 に普遍 的 に妥

当す る)原 理で もなけれ ばな らない とい うこ とであ る(vgl.IV.421Auin.usw.)。

まず道徳 的行為 を命 じる格 率 は 「命 法」 でなけれ ばな らない とい う第一 の条件 にっ

いて見 てお こう。

カン ト自身 は 「基礎 づ け』の ある箇所 で 、道 徳法が 「行為 主体が それ に従 って 行為

す るべ き原則 」 であ るの に対 して、 「格率」 とは 「行為 主体が それ に従 って行 為 して

い る原則」 であ る と述べ てお り(vgl.N.421A㎜.)、 す べ ての 「格 率」が 「べ き」 と

い う語 を含 むわ け で はない と考 えて い る様 に思 われ る(3)。そ れ では どの 様 な格率 が

「べ き」 とい う語 を含 んでい るのであ ろ うか。

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カン トに よれ ば 「べ き」 とい う.語は 「実 践的必然 性」(vgl.N.449)、 つ ま り 「何

らか の行為 を行 わな ければ な らない こと」 を表現す る語であ る。 よって 「べ き」 とい

う語 を含 んだ 「命 法」 であ る格率 は、何 らかの 「実践 的必然性」 を意味 してい る と言

うことが で きるであ ろ う。例 えば 『実践理 性批 判』 で格 率の例 として あげ られて いる

「私 は侮 辱 され れば復 讐せ ず にはお か ない」(V.19)と い う格 率 をは じめ と して 、

カ ン トが 格率 の 例 として あげ てい る格率 の 多 くは 「べ き」 とい う語 を含 ん でい ない

が、 この格 率 も 「も しも自分の復讐 した い とい う欲求 を満足 させ たいの であれ ば、彼

に復讐す るべ きだ」 とい うように、 「べ き」 を含 む形 に書 き換 える ことが で きる。 こ

の ように、rべ き」 を含 む形 に書 き換 える こ とが で きる ような格率 は何 らかの 「実践

的必然性」 を意味 してい る と言 う ことが で きるであ ろ う。

しか し、その ような 「命 法」 の形 に書 き換 える ことがで きる格率 、 あるいは何 らか

の 「実践 的必然性」 を意味 す る格率 のすべ てが 「道徳 的な」格率 だ とい うわけで はな

い。例 えば、 「彼 を毒 殺す るた めには この薬草 を用い るべ きだ」 とい った命 法の よ う

にあ る目的を達成 するた め に行 うべ き行為 を指 図す る命 法(技 術 的命 法)や 、 「幸福

にな るた めに は富 を手 にいれ るべ きだ」 な どとい った 「自分が幸福 に なるため に行 う

べ き行 為」 を指図す る命法(実 用 的命 法)な どは真 に 「道徳的 な」命 法で はない とカ

ン トは考 え てい る(vgl.IV.417)。 なぜ な らこれ らの命 法 は 「客観 的 に」 妥 当す る よ

うな もの で はな く、 カ ン トに よれば、 主観 的 ・偶然 的 に しか妥 当 しないか らである

(vgHV416)。 一方、 「道徳法 」 とは 「客観 的 な必然性 」 を持 つ原理 であ り(vgHV.

416)、 客観 的 に妥 当す る命 法な のであ る。

こう してある格率 が道徳 的な格率 、つ ま り道徳 法 と もな りうる格率 であ るための第

二 の条件 、つ ま りそ の格率が ただ単 に 「命 法」 であるだ けでな く 「客観 的原理」 で も

なけれ ばな らない とい う条件 が必要 とな る。つ ま り道徳 的な格 率 はただ単 に実践 的必

然性 を伴 うだけで な く、 「客観 的 な(す べ ての理性 的存在者 に普遍 的 に妥当す る)」

実 践的必 然性 を伴 わ な けれ ば な らな い。 また何 らかの行 為が 「客 観的 に実 践 的必然

的Jで あれ ば 、その 行為 は 「道 徳 的に 善い」 行為 で ある とい う こ とにな り(vgl.IV.

412)、 「客観 的 な実践 的必 然性 」 を伴 う行為 のみ を 「義務 」 と呼 ぶ ことが で きるの

である(vgl.N.400)。

しか しそ もそ も行為 に関 す る どの よ うな原則 が 「客観 的 な」 道徳 法で あ り うるの

か 、そ してどの様 な格 率が 「道徳法 と一致 す る格率 」 なのかは明 らかでは ない。そ こ

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カントの格率倫理学

で次 に問題 に なるこ とは、 どの よ うな格率 が 「客 観的 な実践的必然性 を伴 う格 率」 つ

ま り 「道徳 的 な命法 」 なのか とい うことで ある。そ してカ ン トはそれ を問 うため の規

準 と して 「その 行為 の格 率 は定言 命 法(無 条件 的 命法)な のか 、 それ とも仮 言命 法

(条件付 きの命法)な のか」 とい う規準 を提示 してい る。そ れは 「定言命 法」 とはあ

る行為 が客 観 的 に実 践 的必然 的 で ある こと を示 す ものだか らで ある(vgl.N.414)。

そ こで次の節か らはそ の様 なカ ン トの主 張 につい て検:討してみ よう。

IV'反 道徳的行為 を許容 す る もの と しての仮言命 法

ある命法が 道徳的命 法で あるか ど うか を判 断す るため の規準 と して、 カン トは 「そ

の格 率 は定言命 法 なのか仮言命 法 なのか」 とい う規準 を提示 している。以下 の二節 で

は この規準 に隠 されてい る意 味 について考 察 してみた い。特 にこの節 で は、 「利己 的

な意図」 を条 件 とす る 「仮 言命法」 であ る ような格率 は非道徳 的な行為 を許 容す る可 』

能性 が あるので 、 「道徳的 な」価値 を持 つ格率 であ る とは言 えない とい う ことを確 認

してみ たい。

カン トはあ る行為 の格率 が定言命 法 なの か仮 言命法 なのか とい う規準 を用い て、単

な る 「適法的 な」行 為 か ら真 に 「道徳的 な」 行為 を区別す るこ とが で きる と考 えてい

る。た とえば 「嘘 をつ くことは 自分 に とっ て不名誉 な ことになるの で、 自分の名誉 を

損 なわないた め に嘘 をつか ない(vgLIV.401,441)」 とい う格率 に従 ってな される行 為

は 「嘘 をつ いては な らない」 とい う道徳 法 に適合 して はい るが、そ の様 な行為 は単 に

「適法 性」 を満 た してい るにす ぎず 、真 に道徳 的な価 値 を持 つわ けではない とカ ン ト

は言 う。 ところで この格率 を 「も しも自分 の名誉 が損 なわれない よ うに しよ うとす る

な ら、嘘 をつ くべ きで はない 」 とい う形 に言 いか える と 、この格 率 は条件 つ きの命

法 、つ ま り 「仮 言命法 」 だ とい うこ とにな る。そ して カ ン トは この よ うな 「仮言命

法 」で ある ような格 率 に従 って な される行 為 に対 して は道徳的 な価値 を認 めない ので

あ る(vgl.IV.441)。 一方 カ ン トに よれ ば、 「た とえ 自分 に不 名誉 を招 くことは無 く

と も嘘 をつか ない」 という格 率 は何 の条件 も伴 わ ない無 条件的命 法、 つま り 「定言命

法」 である が故 に道徳 的価値 を持 つ格 率で あ り(vgl.ibid.)、 そ の様 な格 率 に従 って

なされる行為 は善い行為 だ とい うことにな る。 この ようにあ る行為 の格率 が 「定 言命

法」 であれ ば、その格 率 は 「道徳 的 な命法 」(IV416)だ とい うこ とにな るが 、そ れ

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が 「仮 言命 法」 であ ればその様 な命法 は道徳的命 法で はない とカ ン トは考 えている。

しか し、定言命 法が 「道徳 的な」価値 を持 つ命法(客 観的 な実践 的必然性 を伴 う命

法)で あ り、仮言命 法 は 「道徳 的な」命法 では ない とい うことは どの様 に して示す こ

とがで きるのだ ろ うか 。

実際すべ ての 「無 条件 的命法」 が、道徳 的行為 を命 じる命 法 だ とい うこ とにはな ら

ない。例 えば 「いかな る場合 に も困ってい る人間 を誰 も助け るべ きで はない」 とい っ

た格 率 は、何 の条件 も伴 わない命法 、つ ま り 「定言命法」 であ る ように思 われるが 、

この様 な格率 を 「道 徳的 な」 行為 を命 じる格率 であ る と主張 す るこ とがで きない こ と

は言 うまで もない。

しか し 「仮 言命法」 は反 道徳的 な行為 を許容 する こ ともある とい う ことは比較 的容

易 に示 す ことがで きる。た とえば先 にあげ た 「も しも自分 の名誉 を損 ないた くない な

ら嘘をつ くべ きで はない」 とい う仮言命 法 は 「もしも自分 の不 名誉 とはな らないな ら

嘘 をついて も よい」 とい うこ とを含意 しうる。 「もしも自分 の名誉 を損 ない た くない

な ら嘘 をつ くべ きで はないJと い う格率 は 、 「自分 の名誉 を損 なわ ない こと」 とい う

利 己的な意図 を条件 として道徳 法 に従 う こ とを命 じてい るが 、 この ような利己的 な意

図(あ るいは 自己愛Selbsdiebe)を 条件 として道徳法 に従 うこ とを命 じる格 率 は、そ

の条件が 無 い場 合 には 、道徳 法 に対 して違 反す る行為 を 自己 に許容 し うるこ とにな

る。 こ うして ある格 率が 常 に道徳 的行為 を命 じる ような格率 であるた めには、少 な く

と もそ の格 率 は 「仮 言命 法」 であって はな らない とい うことになるの である。

また筆者 は 「定 言命法」 を単 なる無条件 的な命法 ではな く、 「もしも理性 的 に行為

しよう とする な ら」 とい う暗黙 の条 件 を含 んだ命法だ と理解す るこ とによって、非 道

徳的行為 を指図す る 「定言命 法」 もあ る とい う反論 に答 える こ とが で きる と考え てい

る。次の節 で はそ の様 な点 につい て考察 してみた い。

V格 率が道徳的命法であるかどうかを判断するための規準としての定言命法

この節 では、定言命 法 を単 な る 「無 条件 的 な命 法」 と してで はな く、 「も しも理性

的に行 為 しようとす る な ら」 とい う暗黙の 条件 を含 んだ命法 であ る と解 釈 し、その場

合 の 「理性 的」 とは どの よ うな ことでな けれ ばな らない のか とい うこ とを考察 してみ

たい。な お本節 で 目指 す こと は 『基 礎 づ け」 での カ ン トの主張 の単 な る紹介 では な

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カン トの格率倫理学

く、カ ン トの主 張 を整合 的 に解釈 す るた めの一つ の提案 を行 うことである(4)。

まず最 初 に 「もしも我 々が 理性 的 に行為 しよう とす る な ら」 という条件 の 「理性

的」 とい うこ とを、 「互 い に矛盾 す る格 率 を採 用 しない こと」 とい う意味 に理解 して

お きたい(5)。例 えば我 々 は 「(と りあ えず は)嘘 をつ い てはな らない」 とい う格 率 を

全 く採 用せず に生活す る ことは不 可 能であ り、実 際我 々 は皆 その ような道 徳法 をすで

に 自らの 格率 と して採 用 して い る。一 方 自分が金 に困っ て、返 す つ も りもない の に

きっ と返す か らと嘘 を ついて金 を借 りるよ うな場合 には(vgl.IV422)、 「自分 は金

に困った場合 に は嘘 をつい て もよい」 とい う格率 に従 っ て行為 して いる ことになる。

しか しこの格 率 は、 「(と りあえず は)嘘 をつ いては な らない」 とい う格 率 とは矛盾

してい る。 よっ て もしも自分 が採用 してい る格率 の間 に矛盾 を生 じない ように しよう

とする な ら、 「金 に困 った場合 は嘘 をつい て もよい」 といった、道徳 法 に違反 す る行

為 を許容 する ような格率 を 自らの格 率 と して採用 す るこ とはで きない とい うこ とにな

る。

しか しこの ような主張 に対 して は 「金 に 困った場合 には 自分 は嘘 をつい て もよい」

とい う格 率は 「金 に困 った場合 を除いて は 自分 は嘘 をついて はな らない」 とい う格率

とは何 ら矛盾 しないの で、 自 らが採 用 して いる格 率の 問 に矛 盾 を生 じさせ る こ とな

く、道徳 法 に違 反す る ような格率 を採用す る こと もで きる と反論 で きる。 よって 「理

性 的に行 為 しようとす る」 とい うことを 「自分 が採用 してい る格 率の 間に矛 盾が無 い

ようにす る」 とい う意 味 に理解す るだ けでは十分 ではない とい うことになる。

しか し先 に述 べた よ うに 「道徳 法」 とは客観 的 に、つ ま りあ らゆ る理性 的存 在者 に

普遍 的に妥当す る もの であ るか ら、そ の拘 束力 に関 して はいか なる例外 も無 い はず で

ある。 よって私 以外 の他 人 は常 に 「嘘 をつ いて はな らない」 とい う道徳法 に従 わなけ

ればな らない が、私 は場合 に よって は自 ら をそ の妥 当性 の例外 として、嘘 をつ いて も

よい とい う身勝 手 な主 張 をす る ことはで き ない はずであ る。 よって 「もしも理性 的 に

行為 しよう とす るな ら」 とい う条件 の中 に、 「自己の利益 のためだ けに、 自己を道徳

法 の妥当性 の例 外 と して はな らない」 とい う条件 を含 め るな らば、 「自分 は嘘 をっい

て もよいが 、他人 は嘘 をつ いて はな らない 」 とい う格 率 を採用 す るこ とは で きない と

い うことにな るであろ う。

また 「もしも理性 的 に行為 しよ うとす る な ら」 とい う条件 の 中に、定言命法 の第二

方式(IV429)、 つ ま り 「他者 や 自己の 人格 を単 なる手段 と してのみ用い ては な らな

一31一

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いJと い う方式 を応 用 した 「他者 を自分 の 利益 を促進 するため の手 段 と してのみ用 い

てはな らない」 とい う原理が含 まれ てい る と考 えて も、 「金 に困った場合 には 自分 は

嘘 をつい て もよい 」 とい う格 率 を採 用す る ことは で きな い とい うこ とにな るで あろ

う。

こ うして 「定 言命 法」 を 「もしも理性 的 に行 為 しようとす るな ら」 とい う条件 を含

んだ命 法 と して理解す るな ら、その 「理性 的」 とい う ことは上記 の ように 「採 用 して

い る格 率の間 に矛盾 が成 立 しない」 さ らに 「道徳法 の妥 当性 に関 して は自分 を例 外 と

しない」 ある いは 「他者 を単 なる手段 と してのみ用 いない」 といった ことを含んで い

なければな らない とい う ことになる。そ して逆 に 「もしも理性 的に行 為 しようとす る

な ら」 とい う条件 、つ ま り 「採用 してい る格率 の 間に矛盾 が生 じない」 さ らに 「道徳

法の妥 当性 に関 して 自分 を例 外 としない」 あるい は 「他 者 を単 なる手 毅 と して用 い な

い」 とい う条件 の もとで採 用 される格 率 に従 って なされる行 為 は少 な くと も 「許 され

る」行 為 で ある と言 うこ とが で きる であ ろ う(6)。また その よう な格 率 の中 で も 「命

法」の形式 を備 えてい る格 率、つ ま り 「定 言命 法」 である ような格率 は客 観 的必 然性

を伴 う格率 、つ ま り 「道徳 的な」行為 を命 じる格 率だ とい うことにな るの である。

なお最後 に 「格率 間の矛盾 」 とい うこと について、 カ ン トの テキス トに関 して一つ

だ け注意 してお くことが重 要で ある と思 わ れる ことを述べ てお く。 カ ン トは 「格 率が

それ 自身に対 して矛 盾す る」 とい う表 現 を用 いてい る場合 が あ るが 、カ ン ト自身は こ

の表現 を採用 された二つの格 率間 に矛盾 が ある とい う意味 では な く、 「も しも皆 がそ

の格 率 に従 うようにな った場合 にはその よ うな格 率 に従 って行 為す る こと自体が不 可

能 にな る」 とい う意 味で用 いてい る。例 え ば 「金 に困 った場合 は返す つ も りもないの

に きっ と返す か らと嘘 をつ いて金 を借 りて もよい」 とい う格率 が 「普遍 的法」 にな る

とする と、人々 は他 人の言葉 を信用 しな くな り、契約 や約束 といった行為 そ の ものが

一般 に成立 しな くなる(vgl .IV422)。 カ ン ト自身 は 「格 率 がそ れ 自身 に対 して矛 盾

する」 とい う表現 をこの様 な場 合 に用 いてい るのであ るω。

結語 カントの形式的原理の有効性

カ ン ト自身は 「自 らの格率 は普遍 的道徳 法 と もな りうるか」 とい う規準 によって、

どの ような行為 が善 であ り、 どの様 な行 為 が悪 であるのか をあ らゆ る場合 に判 断す る

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カントの格率倫理学

こ とが で きる と述 べて い る(vgl.IV.404)。 お そ ら くカン トは 「ある行 為 の格率 は 定

言命法 なのか どうか」 とい う規準 を用 いて も、 あ らゆる場合 に行 為の善悪 につ いて判

断する ことが で きる と考 えている。 しか しこの様 な原理 は単 な る形式 的原理 であ るに

す ぎず、具体 的 に 「何 をなす べ きか」 を指 図す る ような実質 的原理 ではない と言 うこ

ともで き るで あ ろ う。 確 か に こうい った規 準 を用 いて、 い くつ かの可 能 な行 為 の 中

で、 どの行為 が 「道徳 的 に善い」 とい うこ とが で きるか を判 断す るこ とが で きる場合

もあるだ ろうが、 これ らの規準 の みに よっ て 「何 をなすべ きか」 をあ らゆ る状 況 にお

いて具体 的かつ確 実 に判 断す るこ とがで きる とは筆者 は考 えない。

しか しカ ン トは 「普遍 的道徳法 ともな りうる ような格 率 に従 って行為せ よ」 とい う

原理の こ とも 「定 言命法」 と呼 んでい るが 、カ ン トはこの 「定言命 法」 はそ こか ら行

為 が 生 じ て くる 形 式 と原 理 と に 関 わ り行 為 の 「実 質」 に は 関 わ らな い と 言 う

(vgl.N.416)。 つ ま り 『基礎 づ け』 でカ ン トが行 ってい る こ とは、個 々の特定 の状

況 にお いて何 をなすべ きか を具体 的 に指 図 す るような実質 的原 理 を直接枚挙 す る こと

ではな く(8)、何 らかの行為 が 「道徳 的」 であ るための 最低 限の形式 的条件 、 つま りあ

らゆる状 況 にお いて 「私 は何 をなすべ きか 」 とい う問い に対 する共通 の答 え となる よ

うな もの を提示 す るこ とで あった。 そ してそ れが ま さに 「その行為 の格 率 は普遍 的道

徳 法 と して も妥 当す る」 とい う原 理(格 率 の 「普遍 性 とい う形 式」vgl.N.436)で あ

り、その行為 の格率 は 「定 言命法」 にな る とい うことなので ある。

確 か に、カ ン トが 提示 したの は単 なる形 式 的条 件で あるにす ぎないが、 この形式 的

条件 によって、道徳 法 と呼 び うる原則 とそ うではない原則 、 「義務」 と呼べ る ような

行 為 とそ うでは ない行 為 とを区別す る ことが で き、多 くの場面 で行為 の選択 に関 して

この原理 が有効 な概 念 である こ とは否め ないであ ろ う。

しか し、ある格 率が 道徳 的行 為 を導 く格 率 で あるか どうか を決定す る ための方法 と

して、その格 率 が定言命法 で あるか どうか に よってそれ を決定 する という形式的 な方

法 よ りも具体的 な方法 はある のか、そ して 同程度 に 「善い」 といえ る行為 が二つ ある

:場合(道 徳的葛藤 が生 じる場合)に どち らの行 為 を選 ぶべ きか をあ る程度 形式的 に線

定す る こ とはで きるの か とい った 問題 があ る。筆 者 自身 はこう いった 問題 に対 して

『基礎 づ け』 での カ ン トの議論 の枠 内で答 えるこ とは困難 であ ると考 えてい る。 こう

い った問題 に答 え るため には、カ ン ト的な 義務論 の枠 を踏 み越 える必要 が ある と思わ

れるが、そ の ような問題 に関する考察 はいず れ稿 を改め て行 いた い と思 う。

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(1)ち な み に義 務 に 関 す る 第 一 命 題 は 「傾 向性 か らで は な く義 務 か らな さ れ た 行 為 が

道 徳 的価 値 を持 つ 」 と い う命 題 で あ る(vgl.IV'.398)。

(2)カ ン トの 著 作 か らの 引 用 箇 所 、 及 び そ れ へ の参 照箇 所 は慣 例 に従 い 、 ア カ デ ミ ー

版 の巻 数 及 び ペ ー ジ 数 に よっ て 示 す 。 な お 本 論 文 にお い て ア カ デ ミー 版 の 第IV巻

に よっ て 示 さ れ て い る 箇 所 は 『道 徳 形 而 上 学 の 基 礎 づ け」 内 の 箇 所 で あ り、 第V

巻 に よ っ て示 さ れ て い る箇 所 は 「実 践 理 性 批 判 』 内 の 箇 所 で あ る 。

(3)そ の よ う に 「格 率 」 を 理 解 す る研 究 者 と して は ビ ッ トナ ー が い る 。

R.Bittner`Maximen'(Aktendes41nternationalenKant-Kongresses,hrsg.vonG.Funke

1974WalterdeGruyterS.485-498)S.486

(4)カ ン ト自 身 は定 言 命 法 を ア ・プ リオ リな 総 合 命題 の 一 種 で あ る と考 え てお り(lvr.

420,440)、 そ の 命 題 中 の 二 つ の 概 念 を結 ぶ も の は 「自 由 」 で あ る と考 え て い た

よ うだ が 、本 節 で の 筆 者 の 議 論 は そ の 第 三 項 を 「理 性 」 と して 理 解 す る こ と を試

み る こ と で あ る 。

(5)『 基 礎 づ け 』 や 『実 践 理 性 批 判 』 に こ れ に対 応 す る カ ン ト自 身 の表 現 が あ る わ け

で は ない 。 しか し フ ラ ン ケ ナ は カ ン トの 主 張 に関 して 、 「意 志 の 矛 盾 」 とい う形

で こ こで 筆 者 が 行 っ て い る 議 論 と同 様 の 議 論 を行 っ て い る 。

W.K.Frankena"B面cs"PrenticeHall1963p.26;邦 訳W.K.フ ラ ン ケ ナ 「倫 理

学(改 訂 版)』 杖 下 隆 英 訳(培 風 館1975)p.53

(6)た だ し、 『道 徳 形 而 上 学 ・法 論 』 で 問題 に さ れ て い る 「緊 急 権(No血echt)」(W.

235)を 行 使 す る よ う な行 為 は 、 自 らを 道 徳 法 の例 外 とす る が 「許 され る」 行 為 で

あ る と い う こ とに な る 。 た だ し 「緊 急 権 」 が 問 題 に な る 場 合 は きわ め て例 外 的 な

場 合 で あ る か ら、 本 論 文 で の議 論 にお い て は 無 視 して よい と言 う こ とが で き る で

あ ろ う 。

(7)こ の よ うな カ ン トの 議 論 と同 様 な議 論 を行 う論 者 にマ ー カ ス ・シ ン ガ ー が い る;

M.G.Singer"GeneralizationinEthics"(London,Eyre&Spottiswood,1963)。 ま た こ

の 点 に 関 す る カ ン トと シ ン ガ ー と の類 似 性 に つ い て は以 下 の 文 献 か ら示 唆 を得

た;NorbertHoerster`KaratsKategorischerImperativalsTestunserersittlichenPflichten'

(ManfredRiedel(Hrsg.);RehabiliterungderPraktischenPhilosophieII,VerlagRombach

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カントの格率倫理学

Freiburg1974)0

(8)も っ と も後 の 「道徳 形而上 学』(1797)で は具体 的な徳 目が い くつ か示 されてお

り、そ の具体 的 な徳 目の それぞ れに対応す る実質的原 理 を考 える ことが で きる。

〈謝辞 〉薗田坦先生 には本 論文 の初 期草 稿 に丹 念 に目を通 していただ き、い くつ か

の貴 重 な示 唆 を賜 った 。 また本 論 文の原形 は1992年 秋 に新潟 で行 わ れた関西 倫理学

会 第43回 大会 での筆者 の発 表 にあるが、 その発表の 際に内井惣七先 生か らは貴重 な御

指 摘 を賜 った。伊勢 田哲治 、奥野満 里子 、 羽地亮、平尾彰 弘の各氏 は本稿 の草稿 に 目

を通 して下 さ り、多 くの 問題 点 を指 摘 して下 さった。 また本誌 の匿名審査員 の方 か ら

も貴重 な助 言 を得 る こ とが で きた。 メンデ ルスゾ ー ン、 ガル ヴェ、 ヴ ォル フ、クル ー

ジ ゥス 、 ピエ テ ィスム スのそ れぞれが カ ン ト倫 理学 の成立 に与 えた影響 につ いては谷

田信一 、菅沢龍文 、柴 山隆司の各 氏か ら多 くの ことを教 えて いただい た。以上 の方々

に感謝 の意 を表 したい 。

〔西哲史 研修員〕

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Kant fiber Maximen

Nobuo KURATA

Kant behauptet, daB der Wert einer Handlung davon abhange, ob die Maxime der Handlung

ein allgemeines Gesetz werden konne. Nach Kants Behauptung, sind Maximen„die sick selbst

auferlegte Regeln", and stimmen diejenige Maximen, die moralisch zu handeln gebieten, mit

der allgemeinen moralischen Gesetze, die fur alle verniinftige Wesen gelten, iiberein. Kant

sagt auch, daB die moralische Maximen sich von der unmoralischen dadurch untersheiden, daB

sie allgemeine Gesetze werden konnen, and daB sie kategorische Imperative seien.

Einige Ausleger sagen, daB kategorischer Imperativ unbedingter Imperativ sei, Ich bin aber

der Auffasung, daB kategorischer Imperativ nicht unbedingt, sondern durch eine latente

Voraussetzung, ,Wenn man vernunftig handeln wolle", bedingt sei. Nach meiner Auffasung,

ist these Voraussetzung gleichbedeutend mit den folgenden Bedingungen ,Wenn man nicht

einander widersprechende Maximen aufnimmt", und,,Wenn man sich selbst Ausnahme von

der Allgemeingultigkeit der moralischen Gesetze nicht mache", oder„Wenn man mcht andere

Personen nicht bloB als Mittel betrachte". Daraus folgt, daB Kants Prinzip,,,Handle nur nach

derjemgen Maxime, die ein allgemeines Gesetz werde", keine konkrete Vorschrift gebe, sondern

eine formale Bedingung, die man um moralisch zu handeln erfUllen muB, sei.

-110-