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竹筒の貯金箱から始まったマレーシアのイスラム金融
~経済学者ウンク・アジズ親子の貢献~
小野沢 純(元拓
殖大学教授、
国際貿易投資研究所客員研究員)
クアラルンプールの日本大使館からアンパン通りにある JICA事務所に向かって歩いて行くと、左手に円筒形の、奇妙な竹筒の形をした高層ビルが現れる。何のビル?とみん
なが訝る。これは今から 30年前に建てられたメッカ巡礼者を送り出す「タボン・ハジ」(メッカ巡礼基金)本部のビルである。毎年メッカ巡礼者を整然と送り込むのでサウ
ジ・アラビア政府から尊敬されているマレーシア
は、マレーシアのハラール認証がイスラム世界か
ら高く信頼されているばかりか、イスラム金融の
代表イスラム債(スクーク)発行額でマレーシア
が世界の約 7割を占め、今や世界のイスラム金融センターとして台頭してきた。さらに、イスラム
金融の大学院レベルのプロフェショナル育成では
世界各国ともマレーシア中銀に頼っている。
中東ではなく、ムスリム人口世界一のインドネ
シアでもない、1,800万人のムスリム(人口の 6割)抱えるマレーシアが世界のイスラム金融のハ
ブになりつつあるのは、なぜだろうか。 その源
流は、実はこの“竹筒ビル”にある。
(真ん中が“竹筒ビル”)
居間には竹筒がある
マレーシアにおけるイスラム金融の歴史を振り返ると、1957年にイギリスから独立した
当時、経済観念がしっかりしている華人と対比してマレー人は貯蓄する価値観が一般に希
薄だというステレオタイプの見方があった。金利が高ければ高いほど、マレー人は反応
し
なくなる。よって多くのエコノミストは、マレー人は通常の金銭的インセンティブでは
動
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かないものだ、とみなした。
これに反論した経済学者がマラヤ大学のウンク・アジズ教授だ。ウンク・アジズによ
る
と、逆にマレー人はきわめて熱心な貯蓄家なのだという。1950~60年代の講師時代にマレ
ー半島の農村地域に入って、村の住民がどうやってお金を貯めるのか、貯金する主たる
モ
チベーションは何か、について調査した。訪れたカンポン(田舎)のマレー人家屋のほ
と
んどは、居間に少し長めの竹筒(マレー語で tabungタボン)が立てかけられていたという。
竹筒の先端に小さな蓋がついている。必要な時が来ると、その竹筒を真二つに割る。中
か
ら貯金が出てくる仕掛けだ。お金を屋根の隙間に置く者、あるいは枕の中にお金を縫い
付
ける者も少なくなかったが、竹筒貯金が一番多い。このような伝統的な方法で貯蓄を続
け、
銀行など金融機関を使わないのは、利子はイスラムで禁じられているので、もともと銀
行
に不信感を持っているからだ。
メッカ巡礼すると貧乏になる!
なぜ農村のマレー人はお金を貯めるのか。主たる理由はメッカ巡礼に行くため、とい
うことがウンク・アジズの調査で分かった。一生に一度のメッカ巡礼へ行くために、竹
筒の中に貯蓄しているのだ。
農村のマレー人にとっては米の余剰を売って水牛を購入する、やがて水牛を売って土
地購入の代金にする。だが、購入した土地は何年か経ってメッカ巡礼の資金のために売却
するか質入れする運命にある。
巡礼資金を貯蓄するために土地を利用する(売却・入質)ことは経済的に損失をもたら
すとウンク・アジズは主張する。このような土地の所有を単なる貯蓄とする傾向は、土
地が細分化され、十分に利用されなくなり、あるいはまったく使われえずに放置された
り、さらには法外な料金で小作に貸すようになるからだ。聖地に行くためなら、土地や
財産をすすんで売り飛ばし、さらには山刀でさえ質に入れて金を集める。このような態
度は人々の暮らしを悪くしてしまうだけだ、とウンク・アジズは考えた。また、メッカ
巡礼から帰国すると、巡礼に行く前よりもさらに貧乏に陥るというジレンマ・現実が
待っている。
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そこでウンク・アジズは人びとの暮らしを悪化させるこのような伝統的なやり方をや
める方法はないものか、来世のための利益のみならず、現世の利益をもたらす方法は何
だろうか、子どもの教育費のように将来役に立つために貯金するようにとマレー人に促
す方法はないだろうか? 経済学者として答えを模索した。
メッカ巡礼基金を提唱
メッカ巡礼のための資金を竹筒貯金に依存し、商業銀行を毛嫌いするマレー人の伝統的
な思考をどうやって克服するかを考えたウンク・アジズは、1962年にメッカ巡礼基金の設立を提唱した。基金の名称をウンク・アジズは実に巧みに、「タボン・ハジ」
(Tabung Haji)と名付けた。タボンは、前述したマレー人の家屋にある‘竹筒’であり、メッカ巡礼者の竹筒=貯金箱=基金という意味になる。メッカに行くためにあの竹筒に
貯金していた村人の心を打った。
「タボン・ハジ」は村の人びとを支援するためのものである。だからそれは分かりや
すく、イスラム教の観点から誤った儲けをもたらすような不正があってはならない、と
ウンク・アジズは考えた。「タボン・ハジ」が郵便貯金の形式で最初に導入されるとき
に、それは金利が生じる銀行とは同じでないことを農民たちに信じてもらう必要があっ
た。そこで、郵便貯金の投資はイスラムの観点からハラールな事業への投資をベースに
していること、得た収益はボーナスとして巡礼予定者の口座に預金されること、を繰り
返し強調した。
この点についてウンク・アジズ自身は次のように述懐した。
「イスラムは、借入れのときに利益の分配という形式は禁じていない。そこで、この問
題とメッカに行くための資金の問題とを私は一つに結びつけて扱おうとしたのです」
(Aziz Ariza Ahmad, Sebutir Permata Di Menara, Professor DiRaja Ungku Aziz,IBS,1982 p.144)。
ウンク・アジズ教授の提案にもとづき、政府は 1963年に信託基金として「メッカ巡礼基金」を設立、開業した。ウンク・アジズは創設者だけでなく、預金者第 1号として100リンギットを預金したという。この基金は通称の「タボン・ハジ」で知られるようになった。これがマレーシアの庶民イスラム金融の原点となったといえる。世界最初に
イスラム銀行が設立されたのは、1975年のアラブ首長国のドバイ・イスラム銀行とされているが、それよりも 10数年も早くマレーシアで「タボン・ハジ」によってイスラム金融が芽生えていた。
イスラム政策を推進したマハティール政権は、1982年にタボン・ハジ本部の高層ビルを新築するとき、そのデザインを竹筒にした。ウンク・アジズ教授の行動を具現化しよ
うとの趣旨があった。翌 1983年にマレーシアで最初のイスラム銀行が発足した。この
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イスラム銀行ができたのもすでに動き出しているムスリム向けの貯蓄組織である「タボ
ン・ハジ」という基盤があったからだ。
80年代後半から 90年代にかけてのマレーシア経済の高度成長期に、「タボン・ハジ」の活動は拡大を続け、2009年に預金者 509万人、預金総額 230億リンギットに達した。「タボン・ハジ」はメッカ巡礼者を送り出すだけなく、基金に集められた資金で
様々な事業を展開している。
「タボン・ハジ」の創設者であるウンク・アジズ教授は、貯金箱の竹筒から現実の経済
生活を改善する処方箋を提示した。一人の経済学者の生産的な想像力がマレー人のメンタ
リテイを変えさせようとした、といっても過言でない。経済学とは「人間いかに生きる
べきか」を追求する学問であり、理論を語るだけの研究者はいらない、と語ったある高
名な経済学者の言葉を思い起こす。開発経済学者ウンク・アジズの貢献はまさにここに
ある。
世界のイスラム金融センターへ
なお、ウンク・アジズは日本のマラヤ軍政時代に徳川基金のもとで早稲田大学に留学し、
1966年に天然ゴム農園の細分化に関する博士論文で早稲田大学から博士号を取得、1968~1988年までマラヤ大学副学長(日本の学長に相当)の時代、1982年からスタートしたルック・イースト政策をマラヤ大学で運営し、日本・マレーシア関係の発展に大
きく寄与している。
今年 93歳だが、一人娘のゼティ・アクタル・アジズ(ペンシルバニア大ウォートンスクール出身)は 2000年からマレーシア中銀総裁に就任し、期せずして父親が手掛けたマレーシアにおけるイスラム金融の成長に尽力している。ゼティ女史は総裁に就任するや
2001年に、「金融マスタープラン」を導入して、本格的なイスラム金融化に取り組んだ。2002年には世界最初のイスラム債(スクーク)発行に陣頭指揮した。イスラム債は2014年末で 2,950億米ドルの発行残高に増加した。その 7割をマレーシアが占め、2位のサウジ・アラビアを大きく引き引き離している。外国銀行の参入をも奨励し、日本か
らは 2008年にマレーシア三菱東京 UFJ銀行が邦銀で初めてイスラム金融業務に参入し、
2014年 9 月に世界初の円建てイスラム債(25億円)をマレーシアで発行している。ゼティ総裁は、国内金融でもイスラム金融化を促進した。資金調達コストが安くてすむこ
ともあり、通常の銀行でもイスラム金融サービスを提供している銀行が増えている。
しかし、イスラム金融の難しさは、シャリア(イスラム法)に適格かどうかをチェッ
クできる人材に不足していることだ。そこで、マレーシア中銀はゼティ総裁のイニシャ
テイブで 2006年にイスラム金融の人材を育成するための大学院レベルのイスラム金融
教育国際センター(INCEF)を設立した。この大学院にはイスラム圏だけでなく、米国、
ドイツなど 40 ヵ国から 248人の留学生がいる。この 10 月 24日の第 7 回卒業式で中銀
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総裁でもあるゼティ学長から博士号などの学位が授与された(New Straits Times,24/10/2015)。世界でいま不足しているイスラム金融の高度な知識をもつプロ
フェッショナルを、マレーシアが着実に育成していることを見逃がしてはならない。
2020年にマレーシアは先進国入りする予定だが、政治的に脆弱で不安定なナジブ内閣
の先行きにかなり不安があるものの、ウンク・アジズ父娘のような優れたエリート層が
控えているので、楽観したい。
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