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g m b i c @ c h i v e . o c n . n e . j p●新世紀になうこの子にチャイルドシート●

ベイズ

次回は「別府と映画館Ⅱ」をご紹介する予定です。C R笑ウせえるすまん

2 J C

別府の町は古くから観光地として栄え、温泉は訪れる人達の心を癒してくれました。とても美しい自然と温かい心を持った人々の住む町別府。大好きな別府の輝かしい歴史や文化を、懐かしい写真と共にお楽しみください。

パーラーベイズ

別府と映画館Ⅰ別府はその昔、芝居など

の歓楽が流行し、“九州の浅草”と呼ばれていたのをご存じですか?今回は別府と映画館の前

編としまして当時の別府の芝居小屋をのぞいてみたいと思います。当時は日本自体が日清・

日露戦争による賠償金で工業が発達し、別府にも大きな汽船や電車が見られるようになりました。こうして元気になった別府は明治3 9年、別府町と浜脇町が合併をし、人口1 2 , 3 0 8人の別府町が誕生します。多くの観光客や湯治客が

汽船等で訪れ、全国で観光のメッカとなったその頃、浜脇で旅館をされていた浜崎さん(登佐屋旅館)の発案で松原公園に芝居小屋「松濤館」がお目見えします。浄瑠璃等、数々の発表会が行われ、これ見たさに入湯に訪れる人々も多かったそうです。なんとこの松濤館こそが別府の映画館のはじまりでのちに活動写真の映画館となり、現

在の映画館へと時代と共に変貌を遂げるのでした。

キリトリ線 キリトリ線

松原公園は昔、大きな松林で、江戸時代から神事が行われる大変おごそかな所で、夜などはとても暗い淋しい場所でした。明治の終わり頃、都市計画にもとづき、街区公園として誕生しました。公園の周りには、先にも述べた「松濤館」を初めとし「世界館」「松栄館」「豊玉館」、少し離れて「なの字館」等数多くの芝居小屋、活動映画館がひしめき合い、映画にいたっては昼夜を問わず放映され、映画は元より(当時は無声映画なので)全国から弁士の声を聞きたくて(見たくて)別府を訪れるファンもかなりの数だったとか!

活動写真(映画館)「豊玉館」

現在の松原公園大正時代の「松栄館」(九州でも1 、2 と言われていたそうです)

松原公園の周囲にあった映画館兼芝居小屋

別府の映画館の発祥となる芝居小屋「松濤館」(上)

松濤館での浄瑠璃の発表会(右)しょう とう かん

じょう る り

が い く

し ょ う え い か ん ほ う ぎ ょ く か ん

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