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Page 1: 洋食の話

私は糖尿病があるので仕方がなしい洋食を食うが、しかし旨いと思ったことはめったにない。外国へ行けば 知らぬこと、日本で食べて一番うまいのはしな料理、その次が日本料理、__まあここまでは料理と云えるが、洋食と来たら料理のような気がしない。西洋料理と云わないで洋食と云うのが、最も適当な呼び方である。

私は知っているロシア人で、しかも相当の金持ちのし ん し

紳士が、フジヤ・ホテルの洋食をほ

褒めていた、かと思うと、横浜のオリエンタル・ホテルの料理を、ワンダフルだと云ったアメリカ人があった。なるほどオリエンタル・ホテルの料理は旨かったには

違いないが、ほ ん ば

本場の西洋人にさえあれがワンダフルだとすると、西洋へ行っても洋食

の旨さはたいがい

大概あんなものなのじゃないか。

フランス帰り、アメリカ帰りと対する人々の、どこが旨い、ここが旨いと云ううわさ

噂 を

聞いて、試み食いに行って見ても、旨かったためし

例 は一度もない。洋行帰りの連中の洋

食のひひょう

批評くらいマチマチで、アテにならないものはない。この間ドイツから帰って

来た土方君にろっこう

六甲ホテルで会ったら「近頃のドイツの料理に比べると、このホテルの方がまだ優しですよ」と言うことだったが、恐らくそれが本当なのだろう。ドイツ

は特別にひどいのだろうが、がんらい

元来洋食と云うものがそんなに旨い物じゃないのだ。だから洋行して来た連中は味覚がバカになっているのだ。

一体、洋食を食うにはれ い ぎ さ ほ う

礼儀作法がやがまし過ぎる。(英米人はこの点がこと

殊にはなは

甚 だしい。)ズープを吸うのに音を立ててはいけない、皿の上へうつむいてはならない、

そしてナイフやフォークにも一々使い方があり、さんぷく

三伏のえんしょ

炎暑にもきちんとしたふくそう

服装

でしょくたく

食 卓につく。これではいくら旨い物でも身にしみて食うわけにはいかない。

美食の味はい ろ け

色気やおし ゃ れ

洒落をそっちのけにして、ぎゅういんばしょく

牛飲 馬食するところにあるのだ。そ

こへ行くとしな人の方がずっと食うことにてってい

徹底している。しなではふ け つ

不潔な、せまくる

狭苦し

い料理屋ほど料理がうまい。部屋のそうしょく

装 飾や、えいせいせつび

衛生設備や、そんなことにはとんちゃく

頓 着しな

いで、ただ旨い物を食わせる一方だ。お客もしょくじちゅうたん

食事 中淡をは

吐いたり、て ば な

手鼻をかんだり、

しゃぶった骨やスイカの種をぺつぺつとゆか

床へな

投げす

捨てたり、およ

凡そふ ぎ ょ う ぎ

不行儀の有りツた

けをつ

尽くしてたべる。たべさえすればいいのである。

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思うに洋食の特長は、あのすがすがしいしょうしゃ

瀟 洒とした食堂の気分にあるのだ。真っ白

なじ き

磁器、テーブル・クロース、ピカピカ光るガラスやきんぞくせい

金属製の食器、__あのさっぱ

りした、気持ちいいしきさい

色彩でゴマカスのだ。

かつ

嘗てこおりとらひこ

郡虎彦くんゆうとう

君遊蕩にひた

浸っている時分、「朝帰りにはゆ ど う ふ

湯豆腐やしじみ

蜆じる

汁より洋食を食うの

方が一番いい。それで気分がいっそう

一掃される。」と言っていたのはたしかにし げ ん

至言だ。

日本の天ぷらはどっぷりと汁の中へ泳がしてたべるがフライとなるとたいがいしょくえん

大概 食塩を張

りかけて食う。洋食の何よりもけってん

欠点はみ ず け

水気のないことだ。最初にスープが出るきりで、

あとの料理はいちよう

一様にパサパサしている。ソースにしてもしょうゆ

醤油のようなじ み と ぼ

滋味乏しく、

使い方もじゅんたく

潤沢でない。アメリカ人は食事の最中に生水を飲むが、水を飲むなどはまこと

にや ば ん

野蛮で、ち え

智慧のないこっちょう

骨頂である。

洋食でもごく

極くう

打ちと

解けた家庭の料理はいくらかいい。ソースやクレーヴィーもあ

宛てが

いふ ち

扶持でなく、お客の好きなだけ何杯でも取らしてくれ、好きな料理はお代わりも出来る。あれだとうっくり落ち着いて食べられる。それにコックもホテルのコックよ

り上手なのが多く、材料などもひ よ う

費用をお

惜しまずいい物を使う。家庭の料理をご ち そ う

御馳走に

なると、まんざら

満更洋食も捨てたものではないと云う気がする。

ソースの話で思い出したが、大阪な洋食屋ではライスカレーにしばしばソースを添えて出す。大阪人に聞いて見ると「ライスカレーは甘いものだからソースをかけてたべるのだ」と云う。なるほど大阪のライスカレーには砂糖が入れてあるのである。そして大阪の人たちは「ライスカレーは甘いもの」ときめているのである。

京都にも大阪にも洋食らしい洋食はほとんどない。常々たるホテルの料理でも、東京の一品洋食よりまずいのが多い。少しキタナイ例えだが、まるでゲロのようにまず

まずしいのがある。神戸でさえも横浜よりはおと

劣っている。だからかみがた

上方の人たちは洋食の味を知らないらしい。そのくせ洋食を食うのが好きで、あのゲロのような料理をへ い き

平気でむしゃむしゃ食べるのにはビックリさせられる。

きょうごく

京極のきんじょ

近所にむ ら せ

村瀨と云う牛肉屋がある。二階と三階ですき焼きを食わせ、一階の奥でビフテキを食わせる。そのビフテキが旨いと云う評判なのでたべに行ったが、肉

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はいい肉を使っているながら、出来上がったものはまるでビフテキとは違ったものだった。

ついでながら、このむ ら せ

村瀨のすき焼きはなかなかうまい。そしておどろ

驚くほど安い。女中やボーイが京都に似合わずハキハキして、気が利いていて、しかもティップは絶対に

取らない。一度私が五十せ ん ぎ ん か

銭銀貨を置いて出たら、跡を追っかけて渡しに来た。あれで

あのビフテキを止めてくれたらなお

尚いい店だと私は思う。

かみがた

上方では、じょうとう

上等のビフテキを注文すると肉の上へ生卵をのせて来る。つまりビフテ

キそれ自身には変りがなく卵がつくだけじょうとう

上等なのである。そういえばライスカレー

にも卵をのせて来る。つ き み

月見そば、月見芋と云うのはあるが、月見ビフテキと月見ライ

スカレーにはへいこう

閉口する。

京都の人は誰もあまりひょうばん

評判しないが、ミヤコ・ホテルの洋食だけは、かみがた

上方ではずば

ぬけてうまい。こと

殊にビフテキが非常にいい。奈良ホテルも、外の料理は感心しないが、

ビフテキだけはちょっと食べられる。かみがた

上方でビフテキを食わうと思ったら、まずこ

の二軒より外にな

無かろう。

しんさいまえ

震災前の東京だは、東京かいかん

會舘のグリルで食わせるテンダーロイン・ステーキがよ

かった。私はていげき

帝劇へ行くたびごと

度毎に地下道を通ってあのビフテキを食いに行くのを楽しみにしていた。

が、何と云っても洋食では横浜のオリエンタル・ホテルがいっとう

一等だった。あすこのビ

フテキ、__地震で死んだコットさんがこしら

拵えるシャトーブリアン、それからかなが

しらとパンとを煮込んだ、サフランのにおい

匂のするスープ、__ブョベースなどは、外では決して食べないものだった。あれならたしかに料理だと云える。

コットさんはフランス人だったが、鍋でごとごと気鋭に煮込みものが上手だった。ああして見ると、フランスンの料理だけはいわゆる「洋食」ではないのかも知れない。


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