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18・東レリサーチセンター The TRC News No.120(Feb. 2015)

1.はじめに

 表面分析手法の1つであるX線光電子分光法(X-ray Photoelectron Spectroscopy:XPS)は表面~数nmの元素組成と化学状態を分析する手法である。イオンエッチングの併用により深さ方向分析も可能であるが、従来のAr+イオンエッチングを有機物に適用した場合、試料損傷が著しく正しい結果が得られない1︶。一方、近年開発されたArガスクラスターイオンビーム(GCIB:Ar1000+~ Ar3000+)によるエッチングでは、有機物に対してダメージを低減して分析することが可能である。GCIBでなぜ、ダメージを低減してエッチングが可能かについては、厳密に解明されていないが、1原子あたりに換算したエネルギーが数eV程度と非常に小さく、有機物の内部にまでイオンが侵入せず、ダメージ層が非常に薄くなるためと定性的に理解されている2︶。なお、GCIBは無機物に対してのエッチングレートが極めて遅く、条件によってはエッチングされない。そのため、無機物上の有機物汚染のクリーニングのためにGCIBを活用することも期待できる。弊社では、GCIBを搭載したTOF-SIMS(Time-of-Flight Secondary Ion Mass Spectrometry)をすでに導入しており、有機材料の深さ方向分析に広く適用している2,3︶。今回、GCIBエッチングを用いたXPS分析が可能となったため、その分析事例について紹介する。

2.ポリイミドの深さ方向分析

 図1に示すポリイミドに対するXPS深さ方向分析の結果を紹介する。 Ar+エッチングおよびGCIBエッチングを用いて得られたXPSデプスプロファイル結果を図2に示す。 Ar+エッチングの場合、エッチング後の組成値(実線)は化学構造から予想される値(破線)から大きく外れていた。一方、GCIBエッチングの場合、エッチング後の組成値(実線)は化学構造から予想される値(破線)に近い値を示した。この結果より、ポリイミドではGCIBエッチングによって、ダメージを抑えた形で、深さ方向

の組成分析が可能であることが示された。

3.フッ素コーティングしたPETの深さ方向分析

 フッ素コーティングしたポリエチレンテレフタレート(Polyethylene Terephthalate:PET)の深さ方向の組成および化学状態を調べるため、従来のAr+エッチングを用いてXPS深さ方向分析を行った場合、ダメージが大きすぎて正しい結果を得ることができなかった。GCIBエッチングを用いたXPS深さ方向分析により、フッ素コーティング層の深さ方向の組成や化学状態を評価することが可能となった。その評価例を紹介する。

 GCIBエッチングを用いて得られたXPSデプスプロファイルを図4に示す。フッ素の深さ方向分布より、フッ素が表面近傍(赤矢印部)に偏析していることが分かる。また、最表面、深さ約5nm[PET換算値]、深さ約100 nm[PET換算値]におけるC1sスペクトルを図5に示す。最表面のC1sスペクトルより、最表面ではCF2, CF3成分(CF3成分にはO-CF2成分が、CF2成分にはO-CF成分も含まれる)の炭素が存在していることが分かる(黒矢印部参照)。CF2, CF3成分の割合は、最表面と比べて、深さ約5nm[PET換算値]で大きく減少していることから、CF2, CF3の官能基成分は最表面近傍に多く存在していることが分かる。

4.表面クリーニング法としてのGCIBエッチングの活用

 ここでは、表面分析の前処理として、有機汚染除去の目的でGCIBエッチングを行った例を紹介する。

[特集]TRCポスターセッション2014

Ⅰ-7:GCIBエッチングを用いたXPS分析

表面解析研究部 吉川 和宏

図1 分析に用いたポリイミドの化学構造

0

20

40

60

80

100

0 20 40 60Depth (nm)[ポリイミド換算値]

Ato

mic

Concentr

ation (%)

0

20

40

60

80

100

0 20 40 60Depth (nm)[SiO2換算値]

Ato

mic

Concentr

atio

n (%) C

O N

C

ON

(a) Ar+エッチング (b) GCIBエッチング

図2  ポリイミドのデプスプロファイル (a) Ar+エッチング,(b) GCIBエッチング 破線:ポリイミドの化学構造から予想される値

図3 PETの化学構造

●Ⅰ-7:GCIBエッチングを用いたXPS分析

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東レリサーチセンター The TRC News No.120(Feb. 2015)・19

 銀の変色原因調査のため、XPS分析を行った。得られたワイドスキャンスペクトルを図6に、Ag MNNスペクトルを図7に示す。そのままの状態(未処理)では、Ag3dピークは認められるものの、フッ素系有機汚染物の存在により、フッ素が強く検出され、価数分析に用いるAg MNNオージェピークが検出されなかった。そこで、銀の価数を判断できるようにGCIBエッチングを用いて銀をエッチングせずに有機汚染のみを除去した。GCIBクリーニング後のAg MNNピーク位置より、銀の価数について、Ag0(金属)成分に加えてAg+成分も存在していることが分かる。また、GCIBクリーニング後のワイドスキャンスペクトルにおいて硫黄(S2p)が検出されており、Ag+成分として、硫化銀(Ag2S)などが考えられる。この硫化銀の存在により、銀の変色が起こっている可能性が高い。このようにGCIBエッチングは、無機物表面の有機汚染のクリーニング法としても有効である。

5.おわりに

 GCIBエッチングは、XPS分析と組み合わせることにより、有機材料の深さ方向における組成や化学状態の評価の幅を広げるとともに、有機汚染のクリーニングとしても有効である。今後、この機能を最大限に活用し、より一層の技術向上に努めていく所存である。

6.参考文献

1)吉川和宏,加連明也,The TRC News, 102, 16(2008).2)松田和大,The TRC News, 116, 17(2013).3)萬尚樹,松田和大,The TRC News, 118, 14(2014).

■吉川 和宏(よしかわ かずひろ) 表面解析研究部 表面解析第₁研究室 研究員 趣味:ランニング

0

20

40

60

80

100

0 50 100 150Depth (nm)[PET換算値]

Ato

mic

Concentr

atio

n (%)

C

OF

Si

図4 フッ素コーティングしたPETのデプスプロファイル(GCIBエッチング)

0

20000

40000

60000

80000

280285290295

Binding Energy (eV)

Inte

nsi

ty (

counts

/s)

最表面

深さ約100 nm[PET換算値]

C-C, C=C, CHx

C-OO=C-O

CF2

CF3深さ約5 nm[PET換算値]

図5 フッ素コーティングしたPETの最表面(赤)、深さ約5nm[PET換算値](青)、深さ約100nm[PET換算値](緑)におけるC1sスペクトル

1003005007009001100

Binding Energy (eV)

Inte

nsi

ty (a.

u.)

未処理

GCIBクリーニング後

Ag MNN F 1sAg 3d

S 2pC 1s

図6 変色した銀の未処理(赤)、GCIBクリーニング後(青)のワイドスキャンスペクトル

40000

60000

80000

100000

120000

140000

11201125113011351140

Binding Energy (eV)In

tensi

ty (

coun

ts/s)

Ag0

Ag+GCIBクリーニング後

未処理

図7 変色した銀の未処理(赤)、GCIBクリーニング後(青)のAgMNNスペクトル

●Ⅰ-7:GCIBエッチングを用いたXPS分析