米国特許制度の変遷
2011年11月19日 化学 I-2(品川班) 菊地拓弥
概略
内容
1.第1次プロパテント時代(1790年~1930年頃)
2.アンチプロパテント時代(1930年頃~1980年頃)
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
4.適正化時代(2000年頃~現在)
1.第1次プロパテント時代(1790年~1930年頃)
1.第1次プロパテント時代(1790年~1930年頃)
1790年 連邦特許法
1793年 損害賠償は全て3倍賠償
1836年 損害賠償は故意の場合に3倍賠償
1859年 プロパテント政策 (リンカーン大統領)
1876年 ベル 電話特許
1880年 エジソン 白熱灯特許
1906年 ライト兄弟 飛行機特許
1929年 ウォール街の大暴落
1.第1次プロパテント時代(1790年~1930年頃)
特許に守られて、企業は巨大化し、市場を独占
↓
連邦政府や行政官庁は企業を制御できない
↓
市場の競争原理が働かなくなり、恐慌が起こった
2.アンチパテント時代(1930年頃~1980年頃)
2.アンチパテント時代(1930年頃~1980年頃)
1940年代 反トラスト法(独占禁止法)の強化
⇒原則として、独占を認めない
⇒必要に応じて企業を分割
1941年 Cuno判決
⇒非自明性要件を厳格化
⇒「天才のひらめき」要求
(flash of creative genius)
2.アンチパテント時代(1930年頃~1980年頃)
1949年 Jungersen判決
⇒「この世の有効な特許は、最高裁がレビュー
していない特許だけである」
⇒当時の特許訴訟では、70%が無効にされた
1969年~1977年 反トラスト政策を重視
⇒多くの企業は、基本開発を国内、生産を海外
1970年代 貿易収支が赤字
2.アンチパテント時代(1930年頃~1980年頃)
企業による特許・独占を抑制
↓
基礎開発は進むものの、国内生産技術は後退
↓
海外(日本)製品が米国に次々に流入、貿易赤字
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
1979年 カーター教書
⇒プロパテント政策への転換
1980年 バイドール法
1982年 CAFC(連邦巡回区控訴裁判所)設立
1985年 ヤングレポート
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第1の傾向:特許の保護対象が拡大
1980年 Chakrabarty判決
⇒人工微生物も特許
(遺伝子組み換え細菌)
⇒「この太陽の下、人間が創生したいかなる発明も保護する」
⇒(… include anything under the sun made by man.)
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第1の傾向:特許の保護対象が拡大
1981年 Diehr判決
⇒ソフトウェアも特許
1998年 State Street Bank判決
⇒ビジネスモデルも特許
1999年 サンドイッチ特許
2002年 ブランコ特許
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第1の傾向:特許の保護対象が拡大
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第1の傾向:特許の保護対象が拡大
米国特許法第101条
「あらゆる新規かつ有用な方法、機械、
製造物、組成物またはそれらの有用な改良」
(any new and useful process, machine, manufacture, or composition of matter, or any new and useful improvement thereof)
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第2の傾向:訴訟で特許権者が圧倒的に有利
1985年 ポラロイド・コダック判決(1000億円)
⇒コダックは工場閉鎖、
インスタントカメラ業界から撤退
⇒ポラロイドの独占状態
現在、インスタントカメラは、
デジタルカメラの普及により消えつつある
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第2の傾向:訴訟で特許権者が圧倒的に有利
1995年 ミノルタ・ハネウェル判決
⇒ペーパー特許で120億円
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第2の傾向:訴訟で特許権者が圧倒的に有利
1990年代後半 パテント・トロール出現
⇒自己の特許を自らは製品開発に用いず、
他の企業が製品開発を行い、市場を形成後に、
特許侵害訴訟に持ち込んで
損害賠償額のみを得ようとする特許専門企業
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第2の傾向:訴訟で特許権者が圧倒的に有利
・有効性の推定
⇒特許を無効にするには、
「明白かつ確信に足る証拠」の立証が必要
・故意侵害なら3倍賠償
⇒米国特許法第284条 & 過去の判例
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
第2の傾向:訴訟で特許権者が圧倒的に有利
・Entire Market Value Rule (全体市場価値ルール)
⇒特許が製品の一部にしか使用されていなくても、
全体の製品価値から算出した損害賠償額
3.第2次プロパテント時代(1980年頃~2000年頃)
行き過ぎたプロパテント政策
↓
第1の傾向:特許の保護対象が拡大
第2の傾向:訴訟で特許権者が圧倒的に有利
4.適正化時代(2000年頃~現在)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2003年 連邦取引委員会
2004年 全米科学アカデミー
同年 全米競争協力会議
2005年 改正法の原案 H.R.2795
2005年~2011年 適正化判決
2011年 改正法の最終版 H.R.1249
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2003年10月 連邦取引委員会
「技術革新の促進のために:
競争と特許法・政策の適正なバランス」
⇒妥当性の疑わしい特許は、
競争政策上問題であり、技術革新の妨げとなる
⇒(1)付与後異議申し立て制度の創設
(2)USPTOへの十分な資金の提供 等
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2004年4月 全米科学アカデミー
「21世紀の特許制度」
⇒特許の質の低下と審査期間の長期化が問題
⇒日米欧のハーモナイゼーション
日欧の特許庁の審査結果がそのまま使えるので
効率が上がり、質も向上し、コストが軽減できる
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
⇒(1)新技術に対応する柔軟な特許制度
(2)非自明性基準を明確化
(3)付与後異議申し立て制度を創設
(4)USPTOの能力を強化
(5)特許発明の一定の研究利用を侵害の責任から保護すること
(6)訴訟の主観的要素を変更または除去
(7)各国の特許制度の重複および不整合を低減
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2004年12月 全米競争協力会議
「イノベート・アメリカ」
⇒知財制度のインフラ整備
特許審査の質の向上
⇒(1)出願人のサーチ結果提出にインセンティブ
(2)公衆による先行技術のオンライン情報提供
(3)特許データベースの充実 等
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2005年6月8日 改正法の原案 H.R.2795
⇒精神①:審査の質の向上(ハーモナイゼーション)
精神②:訴訟の適正化(訴訟の主観要素除去)
⇒先願主義・ベストモード要件の削除
付与後異議申し立て制度
侵害差止の制限・故意を厳格・損害賠償の算定
等
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
⇒法案は、立案開始時に我々がイメージしていたもののたたき台としては十分だと思う。 マークアップセッションに進めば、間違いなく変更が加わるだろう(Lamar Smith)
⇒学界は純粋な先願主義ではなく、1年の猶予
⇒パテント・トロールに悩む情報産業は「侵害差止の制限・故意を厳格・損害賠償の算定」を支持するものの、 バイオ・医薬業界は反対
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
(適正化判決)
2006年 eBay判決(差止の4要件)
2007年 KSR判決(自明性)
同年 Seagate判決(故意の厳格化)
2008年 Bilski判決(特許主題)
2011年 Uniloc判決(損害賠償)
同年 Therasense判決(IDS)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2006年5月 eBay判決(差止の4要件)
・原告eBayは、ビジネス特許不実施、ライセンス契約で利益
・被告MercExchangeは、当該特許侵害
⇒地裁:(損害賠償を認容)差止を棄却
⇒高裁:差止を認容 「特許侵害ならば差止」
⇒最高裁:「衡平法の原則」 差止の4要件提示
⇒地裁に差戻:差止を棄却
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2007年8月 Seagate判決(故意の厳格化)
⇒高裁:「過失(Negligence) 」は不十分
「無謀( Recklessness )」が必要
認識程度 交通事故 特許侵害
過失 整備不良
無謀 飲酒運転
故意 追突
調査したが、問題の特許は無し
クレーム解釈に間違い
専門家の意見を無視
非侵害の根拠なし
模倣行為
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2011年1月 Uniloc判決(損害賠償)
⇒原告Uniloc 470億円、被告Microsoft 6億円
⇒地裁:310億円(EMV適用あり)
⇒高裁:6億円(EMV適用すべきでない)
特許権者は、特許に関連する特徴が、
消費者需要を喚起する根拠であることの立証必要
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2011年9月8日 最終版H.R.1249が議会で可決
先願主義
ベストモード要件削除
付与後異議申し立て制度
侵害差止の制限 ・ 故意を厳格・損害賠償の算定
等
先発表型先願主義(1年のグレース期間)
無効理由にならない
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
2004年 全米科学アカデミー 影響
(1)新技術に対応する
柔軟な特許制度
2008年 Bilski判決
(2)非自明性基準を明確化 2007年 KSR判決
(3)付与後異議申し立て制度
を創設
2011年 改正法
(post grant review)
(4)USPTOの能力を強化 2011年 改正法
(料金の修正等)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
(5)特許発明の一定の研究利用を侵害の責任から保護すること
2011年 改正法
(1年のグレース期間)
(6)訴訟の主観的要素を
変更または除去
2006年 eBay判決 等
2011年 改正法
(ベストモード実質的削除)
(7)各国の特許制度の重複および不整合を低減
2011年 改正法
(先発表型先願主義)
(ベストモード実質的削除)
4.適正化時代 (2000年頃~現在)
第2次プロパテント時代
↓
審査の質が低い、訴訟の判断が不合理
↓
全米科学アカデミーの提言
↓
議会(立法):法改正 & 司法:適正化判決
最後に
今回の発表にあたり、米国特許法改正に関する有益な資料やアドバイスをいただいた、
山田先生、新田先生、松谷先生、橋本先生、米国代理人(多数)、
ありがとうございました
最後に
ご静聴ありがとうございました