■れすぱす 6月がつ
号ごう
クく
ロろ
ーー
ズず
アあ
ッっ
プぷ
認にん
定てい
NPO法ほう
人じん
カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
の健けん
康こう
および教きょう
育いく
と地ち
域いき
を支し
援えん
する会かい
(SCHEC)
~水みず
、教きょう
育いく
、歯し
科か
診しん
療りょう
を通とお
して、カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
の人ひと
々びと
が笑え
顔がお
で満み
たされる未み
来らい
を~
今こん
月げつ
のクく
ロろ
ーー
ズず
アあ
ッっ
プぷ
では、認にん
定てい
NPO法ほう
人じん
カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
の健けん
康こう
及およ
びび
教きょう
育いく
と地ち
域いき
を支し
援えん
する会かい
(SCHEC)をご紹しょう
介かい
します。2002年ねん
に発ほっ
足そく
した SCHECは、フふ
リり
ーー
ジじ
ャゃ
ーー
ナな
リり
スす
トと
の田た
口ぐち
嘉よし
孝たか
氏し
(現げん
副ふく
理り
事じ
長ちょう
)がカか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
で始はじ
めた井い
戸ど
の提てい
供きょう
活かつ
動どう
を基き
盤ばん
として設せつ
立りつ
されたNPO
法ほう
人じん
です。井い
戸ど
掘ほ
り、学がっ
校こう
校こう
舎しゃ
建けん
設せつ
、歯し
科か
診しん
療りょう
の3つの活かつ
動どう
を通つう
じて、現げん
地ち
の人ひと
々びと
が健けん
康こう
で
衛えい
生せい
的てき
な生せい
活かつ
を送おく
ることができるよう支し
援えん
しています。SCHEC設せつ
立りつ
から今こ
年とし
で 15年ねん
、毎まい
年とし
2回かい
実じっ
施し
している現げん
地ち
での支し
援えん
活かつ
動どう
は、今こ
年とし
の春はる
で通つう
算さん
30回かい
に達たっ
したそうです。団だん
体たい
の歩あゆ
み
と活かつ
動どう
内ない
容よう
について、理り
事じ
長ちょう
の永なが
井い
厚あつし
さんと事じ
務む
局きょく
長ちょう
の山やま
中なか
尚なお
邦くに
さんにお話はなし
を伺うかが
って
きました。
Q.SCHEC設せつ
立りつ
の経けい
緯い
を教おし
えてください。
A.山やま
中なか
さん:現げん
在ざい
SCHECの副ふく
理り
事じ
長ちょう
を務つと
めるフふ
リり
ーー
ジじ
ャゃ
ーー
ナな
リり
スす
トと
の田た
口ぐち
嘉よし
孝たか
が、1993
SCHEC理り
事じ
長ちょう
の永なが
井い
厚あつし
さん(左ひだり
)と事じ
務む
局きょく
長ちょう
の山やま
中なか
尚なお
邦くに
さん(右みぎ
)。
お二ふた
人り
の本ほん
業ぎょう
は歯し
科か
医い
と弁べん
護ご
士し
です。
年ねん
に自じ
衛えい
隊たい
の国こく
連れん
平へい
和わ
維い
持じ
活かつ
動どう
の取しゅ
材ざい
でカか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
へ赴おもむ
いたのがそもそもの始はじ
まりです。
30年ねん
に及およ
んだ内ない
戦せん
で荒こう
廃はい
したカか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
の人ひと
々びと
の暮く
らしを目ま
の当あ
たりにした田た
口ぐち
は、「自じ
分ぶん
にも何なに
かできないだろうか」と考かんが
え、水みず
がめに貯た
めた衛えい
生せい
的てき
とはいえない雨あま
水みず
を飲の
んでい
る農のう
村そん
の人ひと
々びと
のために、井い
戸ど
を掘ほ
ることを思おも
いついたのです。取しゅ
材ざい
を通つう
じて知し
り合あ
った現げん
地ち
の人ひと
たちの協きょう
力りょく
を得え
て、初はじ
めて4本ほん
の井い
戸ど
を掘ほ
ったのが 1999年ねん
。日に
本ほん
へ帰き
国こく
した後あと
も知し
り
合あ
いに声こえ
をかけ、賛さん
同どう
者しゃ
を増ふ
やしながら、カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
で井い
戸ど
を掘ほ
り続つづ
けました。そして、活かつ
動どう
の規き
模ぼ
が大おお
きくなり、井い
戸ど
が 82本ほん
に達たっ
した 2002年ねん
に SCHEC を設せつ
立りつ
、NPO法ほう
人じん
として
の活かつ
動どう
をスす
タた
ーー
トと
させたのです。
Q.SCHECのおもな活かつ
動どう
内ない
容よう
を教おし
えてください。
A.山やま
中なか
さん:SCHEC はアあ
ンん
コこ
ーー
ルる
ワわ
ッっ
トと
で有ゆう
名めい
なシし
ェぇ
ムむ
リり
アあ
ッっ
プぷ
州しゅう
で活かつ
動どう
を展てん
開かい
して
います。その活かつ
動どう
は大おお
きく分わ
けて3つからなり、先さき
ほどお話はなし
した井い
戸ど
掘ほ
り事じ
業ぎょう
のほか、よ
り多おお
くの子こ
どもたちが就しゅう
学がく
の機き
会かい
を得え
られるよう小しょう
・中ちゅう
学がっ
校こう
の校こう
舎しゃ
建けん
設せつ
と、歯し
科か
医い
不ぶ
足そく
で
虫むし
歯ば
の治ち
療りょう
を受う
けられない農のう
村そん
の人ひと
たちのための歯し
科か
診しん
療りょう
活かつ
動どう
を行おこな
っています。SCHEC
の活かつ
動どう
の特とく
色しょく
は、「目め
に見み
える支し
援えん
活かつ
動どう
」であること。井い
戸ど
掘ほ
り事じ
業ぎょう
と校こう
舎しゃ
建けん
設せつ
事じ
業ぎょう
では、
井い
戸ど
の横よこ
に掲かか
げる看かん
板ばん
や建けん
設せつ
した校こう
舎しゃ
の壁へき
面めん
に寄き
付ふ
してくださった方かた
が希き
望ぼう
する名な
前まえ
やグぐ
あぜ道みち
を通とお
り抜ぬ
けて井い
戸ど
に向む
かう SCHECの一いっ
行こう
(左ひだり
)。
掘ほ
った井い
戸ど
には支し
援えん
者しゃ
の名な
前まえ
の入はい
った看かん
板ばん
が掲かか
げられます(右みぎ
)。
©SCHEC
ルる
ーー
プぷ
名めい
などを入い
れ、ご支し
援えん
いただいたことが目め
に見み
える形かたち
で現げん
地ち
に残のこ
るようにしていま
す。ご自じ
分ぶん
の名な
前まえ
だったり、連つ
れ合あ
いやお子こ
さん、お孫まご
さんの名な
前まえ
だったり、色いろ
々いろ
な思おも
い
を込こ
めて寄き
付ふ
をしてくださる方かた
がいらっしゃるんですよ。
Q.カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
では現げん
在ざい
も井い
戸ど
が足た
りないのでしょうか。
A.山やま
中なか
さん:農のう
村そん
地ち
帯たい
ではまだまだ不ふ
足そく
している状じょう
態たい
だと思おも
います。カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
の農のう
家か
の
平へい
均きん
的てき
な月げっ
収しゅう
は 10~20ドど
ルる
と言い
われており、現げん
金きん
収しゅう
入にゅう
の少すく
ない農のう
村そん
の人ひと
たちの力ちから
だけ
では、十じゅう
分ぶん
な深ふか
さがあり衛えい
生せい
面めん
に優すぐ
れた井い
戸ど
を掘ほ
ることはできません。SCHECでは、水すい
源げん
を守まも
るために2m四し
方ほう
のコこ
ンん
クく
リり
ーー
トと
を張は
った、手て
押お
しポぽ
ンん
プぷ
付つ
きの井い
戸ど
を現げん
地ち
業ぎょう
者しゃ
に発はっ
注ちゅう
、地ち
下か
約やく
30mの深ふか
さの井い
戸ど
を掘ほ
っています。井い
戸ど
の設せっ
置ち
に必ひつ
要よう
な費ひ
用よう
は、1本ほん
当あ
たり2万まん
5000円えん
。完かん
成せい
した井い
戸ど
は年ねん
に2回かい
、SCHECが現げん
地ち
を訪ほう
問もん
して1本ほん
ずつ確かく
認にん
して回まわ
り、帰き
国こく
後ご
は完かん
成せい
した井い
戸ど
の写しゃ
真しん
と活かつ
動どう
の報ほう
告こく
書しょ
をご寄き
付ふ
いただいた方かた
へお送おく
りします。
子こ
どもたちが井い
戸ど
から汲く
み上あ
げた
きれいな地ち
下か
水すい
で水みず
浴あ
びをしています。
©SCHEC
江え
戸ど
川がわ
区く
の小しょう
学がっ
校こう
の 90周しゅう
年ねん
記き
念ねん
事じ
業ぎょう
として、ある卒そつ
業ぎょう
生せい
の寄き
付ふ
で建た
てられた小しょう
学がっ
校こう
(左ひだり
)。
開かい
校こう
式しき
に集あつ
まった生せい
徒と
たち(右みぎ
)。
©SCHEC
Q.学がっ
校こう
の校こう
舎しゃ
の数かず
もまだまだ足た
りない状じょう
態たい
なのでしょうか。
A.山やま
中なか
さん:カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
の教きょう
育いく
環かん
境きょう
は今いま
も厳きび
しい状じょう
況きょう
にあり、学がっ
校こう
数すう
が絶ぜっ
対たい
的てき
に不ふ
足そく
しています。授じゅ
業ぎょう
は朝あさ
・夕ゆう
の2部ぶ
制せい
で行おこな
われていますが、それでも校こう
舎しゃ
には子こ
どもたちが
溢あふ
れかえり、就しゅう
学がく
年ねん
齢れい
の7歳さい
を迎むか
えても学がっ
校こう
に通かよ
えない子こ
どもが数かず
多おお
くいます。学がっ
校こう
数すう
の不ふ
足そく
は農のう
村そん
部ぶ
において特とく
に顕けん
著ちょ
で、子こ
どもを働はたら
き手て
にしないと生せい
活かつ
できない貧まず
しい家か
庭てい
も多おお
いため、近ちか
くに学がっ
校こう
がない限かぎ
り、子こ
どもたちは勉べん
強きょう
する機き
会かい
を得え
られません。国こく
民みん
の半はん
数すう
が
18歳さい
未み
満まん
の子こ
どもであるカか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
にとって、子こ
どもが初しょ
等とう
教きょう
育いく
すら受う
けられない現げん
状じょう
は、
国くに
の将しょう
来らい
に関かか
わる重じゅう
大だい
な問もん
題だい
です。そこで SCHEC では、教きょう
育いく
支し
援えん
を活かつ
動どう
の柱はしら
のひとつ
に据す
えることとし、シし
ェぇ
ムむ
リり
アあ
ッっ
プぷ
州しゅう
で小しょう
学がっ
校こう
校こう
舎しゃ
の建けん
設せつ
をスす
タた
ーー
トと
させました。現げん
在ざい
は、
5教きょう
室しつ
ある鉄てっ
筋きん
コこ
ンん
クく
リり
ーー
トと
の校こう
舎しゃ
を1棟むね
400万まん
円えん
で建た
てており、こちらも完かん
成せい
した学がっ
校こう
の写しゃ
真しん
と活かつ
動どう
の報ほう
告こく
書しょ
をご寄き
付ふ
いただいた方かた
へお送おく
りしています。
Q.歯し
科か
診しん
療りょう
活かつ
動どう
は、SCHEC設せつ
立りつ
の前まえ
から行おこな
われていたそうですね。
A.永なが
井い
さん:2000年ねん
に第だい
1回かい
目め
の歯し
科か
診しん
療りょう
活かつ
動どう
を行おこな
い、法ほう
人じん
化か
した 2002年ねん
からは年ねん
1
回かい
のペぺ
ーー
スす
で実じっ
施し
しています。ポぽ
ルる
・ポぽ
トと
政せい
権けん
下か
での知ち
識しき
人じん
を中ちゅう
心しん
とした大たい
量りょう
虐ぎゃく
殺さつ
は、カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
の歯し
科か
診しん
療りょう
に深ふか
い傷きず
跡あと
を残のこ
しました。現げん
在ざい
、歯し
科か
医い
の数かず
はカか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
全ぜん
土ど
でおお
吹ふ
きさらしの木もく
造ぞう
校こう
舎しゃ
で勉べん
強きょう
する小しょう
学がっ
校こう
の生せい
徒と
たち。
今こ
年とし
11月がつ
に鉄てっ
筋きん
コこ
ンん
クく
リり
ーー
トと
の校こう
舎しゃ
に建た
て替か
えられます。
©SCHEC
よそ 300人にん
、シし
ェぇ
ムむ
リり
アあ
ッっ
プぷ
州しゅう
ではわずか数すう
十じゅう
人にん
と言い
われており、歯し
科か
治ち
療りょう
を受う
ける機き
会かい
はほとんどありません。さらに農のう
村そん
では、抜ばっ
歯し
にかかる費ひ
用よう
(1本ほん
約やく
10ドど
ルる
)が農のう
民みん
の 1カか
月げつ
分ぶん
の収しゅう
入にゅう
とほぼ同どう
額がく
のため、金きん
銭せん
的てき
な面めん
でも治ち
療りょう
を受う
けることが難むずか
しいのが現げん
状じょう
で
す。そこで SCHECでは、歯し
科か
医い
師し
、歯し
科か
衛えい
生せい
士し
、歯し
科か
技ぎ
工こう
士し
、看かん
護ご
師し
といった歯し
科か
医い
療りょう
関かん
係けい
者しゃ
や診しん
療りょう
の補ほ
助じょ
作さ
業ぎょう
を手て
伝つだ
うボぼ
ラら
ンん
テて
ィぃ
アあ
の参さん
加か
を得え
て、シし
ェぇ
ムむ
リり
アあ
ッっ
プぷ
周しゅう
辺へん
の農のう
村そん
で診しん
療りょう
活かつ
動どう
やブぶ
ラら
ッっ
シし
ンん
グぐ
指し
導どう
を行おこな
っています。限かぎ
られた環かん
境きょう
での治ち
療りょう
は難むずか
しく、活かつ
動どう
を始はじ
めてしばらくは、虫むし
歯ば
の痛いた
みを取と
り除のぞ
くには抜ばっ
歯し
しかないという状じょう
況きょう
に心こころ
苦ぐる
しさ
を感かん
じることもありました。6歳さい
の子こ
の永えい
久きゅう
歯し
を抜ぬ
かなければならないこともあったんで
す。
Q.歯し
科か
診しん
療りょう
活かつ
動どう
を続つづ
けてこられてきて、何なに
か状じょう
況きょう
に変へん
化か
はありましたか。
A.永なが
井い
さん:現げん
地ち
の人ひと
たちの歯は
に対たい
する意い
識しき
が変か
わってきたと感かん
じます。特とく
に女じょ
性せい
は見み
栄ば
えを気き
にするようになってきました。それだけ収しゅう
入にゅう
が増ふ
えてきているということでしょう。
私わたし
たちの活かつ
動どう
も、機き
材ざい
が整ととの
ってきたため、抜ばっ
歯し
に頼たよ
らない保ほ
存ぞん
治ち
療りょう
へとシし
フふ
トと
していま
す。また、予よ
防ぼう
の観かん
点てん
から小しょう
・中ちゅう
学がっ
校こう
での歯し
科か
検けん
診しん
を続つづ
けており、歯し
科か
衛えい
生せい
士し
たちが中ちゅう
心しん
となって行おこな
っているブぶ
ラら
ッっ
シし
ンん
グぐ
指し
導どう
も充じゅう
実じつ
してきました。今こん
後ご
は歯し
科か
保ほ
健けん
衛えい
生せい
を向こう
上じょう
炎えん
天てん
下か
での野や
外がい
診しん
療りょう
のため、歯は
医い
者しゃ
さんも汗あせ
だくです。
©SCHEC
させていくための重じゅう
点てん
地ち
区く
を作つく
っていこうと考かんが
えています。小しょう
学がっ
校こう
などを拠きょ
点てん
として地ち
域いき
全ぜん
体たい
のデで
ンん
タた
ルる
IQ(歯は
の健けん
康こう
に関かん
する知ち
識しき
や意い
識しき
)を上あ
げ、そこを虫むし
歯ば
の少すく
ない地ち
域いき
と
していく。いつの日ひ
かその地ち
域いき
の子こ
どもたちが親おや
になったとき、自じ
分ぶん
の子こ
どもに歯は
の大たい
切せつ
さ
を教おし
えられるようになってくれればと思おも
っています。
Q.これまでの活かつ
動どう
で得え
られた成せい
果か
をお聞き
かせください。
A.山やま
中なか
さん: 2017年ねん
4月がつ
現げん
在ざい
、掘ほ
った井い
戸ど
の数かず
は 2890
本ほん
になります。今こ
年とし
中じゅう
に 3000本ほん
に届とど
くかもしれません。
小しょう
・中ちゅう
学がっ
校こう
の校こう
舎しゃ
はこれまでに 24校こう
建けん
設せつ
し、今こ
年とし
の
11月がつ
には 25校こう
目め
の開かい
校こう
式しき
を行おこな
う予よ
定てい
です。歯し
科か
診しん
療りょう
を
受う
けた人ひと
の数かず
は約やく
1万まん
5000人にん
、現げん
地ち
からもその実じっ
績せき
を
評ひょう
価か
され、診しん
療りょう
のご依い
頼らい
を数かず
多おお
くいただくなど、厚あつ
い信しん
頼らい
関かん
係けい
を築きず
くに至いた
っています。また、寄き
贈ぞう
した学がっ
校こう
のひとつ、コこ
ッっ
クく
トと
ロろ
ッっ
クく
ルる
ーー
・サさ
ンん
キき
ムむ
中ちゅう
学がっ
校こう
(※)では、生せい
徒と
たちの要よう
望ぼう
に応こた
えて週しゅう
に一いち
度ど
、日に
本ほん
語ご
の授じゅ
業ぎょう
が行おこな
われるよう
になりました。将しょう
来らい
この中ちゅう
学がっ
校こう
の卒そつ
業ぎょう
生せい
から日に
本ほん
への留りゅう
学がく
生せい
が生まれたらと、私わたし
たち
は密ひそ
かに期き
待たい
しているんです。
(※学がっ
校名こうめい
につけられた「サンキムさ ん き む
」は、クメール語く め ー る ご
で「希望きぼう
」を意味い み
します。)
健けん
全ぜん
な歯は
は健けん
康こう
の 源みなもと
。ブぶ
ラら
ッっ
シし
ンん
グぐ
の指し
導どう
も欠か
かせません。
©SCHEC
Q.読どく
者しゃ
へのメめ
ッっ
セせ
ーー
ジじ
をお願ねが
いします。
A.永なが
井い
さん:私わたし
と山やま
中なか
は、SCHEC設せつ
立りつ
のきっかけ
を作つく
った田た
口ぐち
の同どう
級きゅう
生せい
で、彼かれ
の熱ねつ
意い
でこの活かつ
動どう
に引ひ
き込こ
まれました。今いま
では、カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
へ支し
援えん
活かつ
動どう
に行い
って、夜よる
のシし
ェぇ
ムむ
リり
アあ
ッっ
プぷ
で一いっ
杯ぱい
飲の
むことが何なに
よりの
気き
分ぶん
転てん
換かん
になっています。目め
覚ざ
ましい経けい
済ざい
発はっ
展てん
を遂と
げ
ているカか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
ですが、都と
市し
部ぶ
と農のう
村そん
部ぶ
、農のう
村そん
部ぶ
で
も国こく
道どう
沿ぞ
いと奥おく
地ち
ではますます格かく
差さ
が拡ひろ
がっており、成せい
長ちょう
から取と
り残のこ
されている地ち
域いき
には
まだまだ支し
援えん
が必ひつ
要よう
です。カか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
に少すこ
しでも興きょう
味み
を持も
った方かた
には、ぜひ私わたし
たちと現げん
地ち
に行い
っていただきたいですね。歯し
科か
医い
や看かん
護ご
師し
でなくても、何なん
の資し
格かく
がなくても大だい
歓かん
迎げい
で
す。検けん
診しん
を待ま
つ子こ
どもの相あい
手て
をしたり、薬くすり
を渡わた
したりと、現げん
地ち
の人ひと
々びと
と触ふ
れ合あ
いながら、生なま
のカか
ンん
ボぼ
ジじ
アあ
を知し
っていただきたいと思おも
います。