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アクティベート・リーフ No.257

挫折した音楽家の心に生まれた希望の名曲

ヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」築紫 裕子

ヘンデルといえば、「ハレルヤ・コーラス」で有名なバロック音楽の代表的な作曲家

です。「ハレルヤ ・コーラス」は、日本でもテレビやイベントなど様々な場所で流されており、聞いたことのない人はいないことでしょう。でも、その曲ができた背景を知るなら、また違った味わい方ができるのではないでしょうか。 ゲオルグ・フリートリッヒ・ヘンデルは、1685年、ドイツのハレという町で、外科医である父親と、牧師の娘である母親の間に生まれました。幼い頃から非凡な音楽的才能を表したヘンデルは音楽家になることを望みましたが、生活の保障がない芸術家になることを父親から猛反対され、音楽に触れることさえ禁じられてしまいました。父親はヘンデルを法律家にしようと考えていたからです。しかしどんなに禁じられても、音楽に対する情熱は失われることはなく、父親の目を盗んでは友だちの家で楽器を演奏するなどしていました。 そんなヘンデルは、7歳の頃、宮廷で公爵の侍医をしていた父親に、自分も宮廷に連れて行ってくれるよう頼み込ました。宮廷の礼拝での音楽を聴きたかったからです。宮廷でオルガンを見たヘンデルは、もう我慢ができません。礼拝後、こっそり聖歌隊に紛れ込んで、オルガ

ンを弾いてしまいました。それを聴いていた公爵は、さっそくヘンデルと父親を呼び出します。怒られることを覚悟したヘンデルに、思いがけない言葉がかけられました。公爵はヘンデルの才能をおおいに褒め称え、ヘンデルに音楽をやらせるよう父親に勧めたのです。それがきっかけで、ヘンデルは教会のオルガニストの先生から良い指導を受け、音楽の基礎を学ぶことが出来ました。 しかし、法律家になるための勉強をないがしろにすることはゆるされませんでした。そして、ヘンデルが12歳の頃、父親は「法律家になってほしい」と言い残して亡くなったのです。父の期待に沿おうと法律の勉強を続けたヘンデルは、ハレ大学の法学部に入りましたが、心は満たされないままです。とうとうある日、父母の墓前で祈り、法律家ではなく音楽家になることを決意しました。ヘンデルは大学に通いながら大聖堂でのオルガン演奏を始め、一年後には大学と故郷を後にして、本格的に音楽をするためにハンブルクへと向かいました。その後イタリアで音楽の勉強をして、20歳半ばでイギリスに渡ってオペラの作曲家として活躍するようになったのです。

 さて、ヘンデルが生まれた1685年、たったの一ヶ月違いで同じドイツに生まれたもう一人の作曲家がいました。バッハです。両者ともバロック時代の代表的作曲家ですが、存命当時は、バッハよりヘンデルの方が名が知れていたそうです。バッハは主に教会の礼拝で用いる音楽を作曲し、ヘンデルはオペラや劇場用のオラトリオなどで本領を発揮しました。  オラトリオとは、聖書の物語などを歌詞とした音楽で、合唱と独唱とオーケストラによる大規模な音楽劇です。衣装や演技は用いません。有名な「ハレルヤ・コーラス」は、「メサイア(救世主)」というオラトリオの一部で、クリスマスといえば「メサイア」と言われるほど、毎年各地のコンサートで演奏されます。また、オリンピックや大会の表彰式で流れる「見よ、勇者は帰る」の曲も、オラトリオ「ユーダス=マカベウス」の一部です。 このように幾つもの名曲を残したヘンデルですが、大きな挫折を味わった時期がありました。四十代半ば頃から、次第に健康を損ねていったのです。脳卒中で右半身が麻痺し、リウマチで体の動きもとれなくなっていきました。また、白内障の手術が失敗し、両目とも失明したのです。今日では白内障は簡単な手術で治りますが、当時はまだ良い治療法が確立されていませんでした。 また、ヘンデルは深い信仰心を持っていましたが、同じキリストへの信仰を持つ人たちから非難や攻撃も受けていました。その時代の音楽家は普通、教会だけで活動していたのに対し、ヘンデルは世俗的な歌劇や室内楽の作曲も手がけていたからで

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す。そんな中、彼の音楽を理解し支持していたキャロライン王妃が突然亡くなったことも、大きな痛手となりました。 これらのことがあって作曲活動ができなくなったヘンデルは、演奏会だけは続けていましたが、金貸しから牢に入れると脅されるほどの窮状に陥りました。立て続けの困難にすっかり意気消沈したヘンデルは、もう少しで信仰までも失うところでした。しかし、このような人生の一番暗い時期に、世紀の大傑作「メサイア」が生まれたのです。 失意のヘンデルが、イギリスを離れて故国ドイツへ帰ることを考えていると、友人のチャールズ ・ジェネンズが、自分が書いた台本「メサイア」で作曲してほしいともちかけてきました。台本はすべて、聖書の言葉です。資産家の息子ジェネンズは、当時、聖書研究家として名の知れた人物で、ヘンデルの音楽的才能を通して、キリストのことを世の人々に伝えたいと思ったのです。 チャールズは、ヘンデルが収入を得られるようにと、上演の場を設けるためにも奔走しました。すると、アイルランド総督から、ヘンデル自作のオラトリオの演奏会をアイルランドで開いてほしいという要請が届きました。それは慈善演奏会で、収益は監獄囚の救済のために寄付されるとのことでした。その頃アイルランドでは、飢饉によって借金を返せなくなった庶民が監獄に送られ、その悲惨な状況で死者まで出ているというニュースが流れていました。そのことで心を痛めていたヘンデルは、その慈善演奏会の話を受けることにしました。こうしてヘンデルは、友人が持ってきた台本で新しい曲を作ることになったのです。 56歳になっていたヘンデルは、貧しいアパートの一室で、食事もろくに摂らずに全力で作曲に取り組みました。出来上がった「メサイア」は、演奏時間が約2時間半という超大作ですが、260ページにも及ぶ楽譜を、わずか24日で書き上げたそうです。作曲中、何度も感動して涙を流したとされ、特に「ハレルヤ・コーラス」の部分を書き上げた時には、感極まって、「天が開け、神の御姿を仰ぎ見た!」と叫んだと伝えられています。  ヘンデルは、この名作「メサイア」において、第一部では「キリストについての預言と降誕」、第二部では「受難と罪のゆるし、そして復活」、第三部では「永遠の生命と神の国の到来」を表現しています。「メサイア」を作曲したことは、ヘンデルを仕事上の窮地から救い出しただけではなく、彼の心を再生し癒しました。病気と貧しさの中で絶望していたヘンデルが聖書の言葉によって癒されるという実

体験があったからこそ、この「メサイア」は今も世界中の人々に感動を届けることができるのではないでしょうか。1743年のロンドン公演では、ハレルヤ・コーラスの合唱の美しさと迫力とに圧倒されたイギリスの国王ジョージ二世が、思わず立ち上がって聴き入ったという逸話も残っています。 ちなみに、「ハレルヤ」とはヘブライ語で、「神を賛美せよ」という意味です。きっとその時のヘンデルの心には、天からの喜びと神への感謝の気持ちが溢れていたに違いありません。以下は、「メサイア」にも出てくる言葉ですが、それはキリストの誕生とその生涯を驚くほど正確に預言した、旧約聖書の言葉です。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

-- 聖書 イザヤ書 53 章 3-5 節

 ところで、ヘンデル自身が指揮した「メサイア」はどれも慈善演奏会で、収益はすべて孤児院などの慈善事業に寄付されたそうです。また、「メサイア」が営利目的に使用されるのを嫌い、彼が生きている間は、楽譜の出版を一切断っていたと言われています。ヘンデルの母国語はドイツ語でしたが、彼は生涯の約3分の2をイギリスで過ごし、イギリスに帰化していたので、「メサイア」は英語で書かれました。そういうこともあって、彼はイギリスが誇る音楽家として、ロンドンのウェストミンスター寺院に葬られました。 多くの挫折を味わいながらも、「メサイア」を書きあげたヘンデル。その作品には、試練にある者に与えられる神の恵みと栄光とが満ち満ちています。今度「ハレルヤ・コーラス」を耳にしたら、ぜひ、そのことに思いを馳せて聴いてみて下さい。

「神は一見して敗北のようなところから、最大の勝利を収められる。そして、なおざりにされていた賛美の道において、勝利をもたらされるのだ。」

「全地よ、主(神)に向かって喜ばしき声を上げよ、喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前に来たれ。」  (聖書 詩編 100 :1-2)


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