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櫓ろ

も櫂か

も我れとは取らで法の

の道

ただ船主に任せてぞ行く(聖徳太子)

目次

◆ノーベル賞を生み出した小さな失敗

◆セレンディピティ

◆クロノス、カイロス

◆「なるべき」ようになっていく

◆みんな当たりのあみだくじ

◆会長のシナリオ

◆嶋野榮道さんのシナリオ

◆八方塞り

◆法のほうから、近づいてくる

◆我が計らいに非ず

◆配役

◆完璧なデザイン

◆悪魔と神様

◆素質

◆宇宙スイッチ。

◆なるべきように、「なるときに」なる

◆ぜんぶ、完璧

あとがき

◆ノーベル賞を生み出した小さな失敗

筑波大学名誉教授、白川

英樹博士。

化学に明るくない人でも、その名は聞き覚えがあるのではないか。

伝導性ポリマー発見の功績が認められ、2000年10月、ノーベル

化学賞を受賞した化学者だ。

その経緯は、ある失敗から生まれた偶然の発見が発端となっていて、

その受賞から10年経った今でもそのストーリーは語り草だ(詳しくは

白川英樹博士の著書『化学に魅せられて(岩波新書)』をご参照くださ

い)。

博士は東京工業大の助手時代、あるグループでポリアセチレンの合成

メカニズムを研究していた。

そのころ、ポリアセチレンというのは粉末状のものしか合成に成功例

がなく、合成メカニズムを研究している化学者も少なかった。

ある日、研究生がポリアセチレンの合成を経験したいと希望したため、

博士は典型的な方法を指示。

しかし指示通り行っても触媒溶液をかき混ぜる磁気回転子が回転せず、

反応が少しも進行しないため、研究生は「実験は失敗した」、と報告に

きた。

博士が見にいくと研究生の報告どおりだったが、回転子は、触媒溶液

の表面にできた「何か黒色の膜」にひっかかって回転できないようだっ

た。

その薄膜は、薄汚いぼろ布のようで、そのままゴミ箱に直行しても不

思議のないしろものだった。

しかし同じ失敗は繰り返したくないと、その薄膜をいろいろ調べてい

ると、それは「まず合成が不可能」とされていた、フィルム状のポリア

セチレンそのものだったのだ。

今までに合成された粉末状のポリアセチレンと違って、フィルム状で

あればさまざまな測定が簡単にできる。

博士は、ポリアセチレンの物性の特定は、本来の仕事を脇に置いてで

もやりがいがあると直感した。

「その失敗は何だったのか」、つまり「なぜ薄膜ができたのか」とい

うことを突き止めるため、グループでさまざまな条件を検証。

結果、触媒を通常の1000倍もの濃度で使用していたことがわかっ

た。

指示を間違えたのか、実際に実験を行った人間が間違えたのか。

どちらにしても、その薄膜は、実験者側の「怠慢や失敗」がなければ、

生まれなかったしろものであった、と博士は言う。

これをきっかけに、さまざまな解析が行われ、ポリアセチレンの性質

が明らかになったのである。

さらに、博士はこのフィルムを見ていて、「もしかすると、何か起こ

るかもしれない、金属のように電気を通せないだろうか」と考え、研究

室の簡単なテスターで電気抵抗を測ってみたが、期待した反応は見られ

なかった。

自分の考えを相談できる相手も身近に見つからず、博士はこの実験か

ら離れてしまった。

そんなある日、のちに白川博士の共同研究者となるマグダイアミッド

教授がアメリカから来日し、セミナーを行った。しかし内容に関心のな

かった白川博士はそれを受講しなかった。

セミナー終了後、日本のある教授がマグダイアミッド教授に、「日本

に光り輝くフィルムをつくっている研究者がいる」と話した。

それに大変興味を持った教授に、白川博士はサンプルを見せることに

なった。教授はそれを見て飛び上がって驚き、ぜひ一緒に仕事をしたい、

と白川博士に渡米を要請。

白川博士は半年後にアメリカへ渡り、ペンシルバニア大学で共同研究

に入った。

ある日、ポリアセチレンの電気伝導度を測る実験をするため、フラス

コに合成したポリアセチレンを入れ、それに注射器で、臭素を1滴加え

た。

すると、予測もしなかった事態が起きた。電気伝導度は、測定値の切

り替えが追い付かないほど急激に上がり、10倍、100倍、1000

倍、ついには1000万倍にまでも跳ね上がったのである。

この実験を機に、プラスチックでありながら金属のように電気を通す

ことのできる「導電性ポリマー」が完成。

この功績が認められ、二人はともにノーベル賞を受賞したのである。

偶然から生まれたポリアセチレン薄膜の合成や、それに続くその金属

化。それはまるで、「現代の錬金術」だった、と博士は語った。

◆セレンディピティ

「…っちゅう話があるんや。これが〝セレンディピティ〟やね」

「はあ」

この話の一体どの部分が〝セレンディピティ〟なんだろう。一部?全

体?

いきなりのっけから「ポリマー」やら「ポリアセチレン」やら、聞き

なれない言葉の大連発。

話の1/10もわからない。

私の勤務するトータルヘルスデザインでは、「バンクシアブックス」

という小さな冊子をシリーズで出版している。今、手にしていただいて

いるこれはそのシリーズの8巻目、私はそのいくつかを担当して書いて

いる一スタッフだ。

そして今「セレンディピティ」という言葉について説明を試みている

のが親分の会長。

次のブックスのお題が「セレンディピティ」に決まり、私が担当にな

ったので、そもそも「セレンディピティ」とはなんなのか、について説

明してくれている。

私もお伝えする立場として責任がある。ちゃんと把握するべく、食い

下がってみているわけだ。

「結局のところ、<

セレンディピティ>

って、ひとことで言うと何にな

るんですか」

「今、一般には、<

思いがけない幸運な贈り物>

みたいな意味で使われ

てるんやな。

もともとは、<

予期してなかった発見に出くわすこと>

とか、<

期待して

へんかった方法とか、別の方面とかで、探してたもんを見つける能力>

いう意味で使われとったらしいわ。

<

偶然>

そのもののことを言うんやのうて、その出来事を見た人間がそ

れをチャンスと受け止める、そのことまでを言うてるようやな」

「なるほど。白川博士の発見は、予期も期待もされていなかったので

すから、その通りですね。じゃあ、一生懸命何かを研究してて、得よう

と思ってたものを発見したって場合は、セレンディピティじゃないって

ことですよね」

「そういうことや。キーワードとして<偶然>

が入ってるんやね。そも

そも、偶然の中にしか、〝発見〟の要素はないやろ」

「なんでですか」

「そうやろう。考えいうのは過去の経験から出てくるもんやからな。

アタマで考えてやってるうちは、新しいものいうてもたかが知れとるん

や。

うっかりやら、ひらめきやら、魔がさすとかもそうやな、そういうち

ょっと普段の勤勉さから離れた何か、そういうもんから生まれるもんこ

そが、新しいものなんやで。

発明家は、アタマをとっぱらって、まずは白川博士のように、偶然を

見逃さへんことが大事なんや。」

「じゃあ私のようなウッカリもののほうが、ノーベル賞受賞の可能性

があるわけですか!」

「ウッカリしとるだけではあかんのやで。起きてることをキャッチす

るセンサーもいるんや。あんたが仮に失敗してあの薄膜ができたとして

も、捨ててまうやろうからなぁ」

「そりゃ確かに」

「せやけど、あんたやからこそピンとくる発見いうのはあるやろ。

みんな、自分のセンサーがあるんや。それにひっかかってきたもんを、

ぱっとキャッチする力がいるんやねぇ。

そこで仮にその知性がキャッチした情報があったとしても、自分の考

えやら計画にがんじがらめになっとると、せっかくキャッチしたもんを

逃すんや」

「白川博士も、普段の仕事を脇に置いてでも研究する価値があるって

直感して、それを実行してましたもんね。

あれが、今やってる仕事が大事やから、とか、とにかく計画に縛られ

るような人やったら、発見までには至らなかったかも」

「せやせや、計画といえば、あんたに時間の話、してへんかったやろ」

時間の話?なんで?

セレンディピティのお話は・・・。

クロノス、カイロス

「あんた、時間に2種類ある、いうたら、何と何か、わかるか?」

「えっ時間に2種類??

…人間がいわゆる利便性のために使ってる時間でしょ、もうひとつは

…宇宙が始まって以来、流れてる時間ていうか。そんな感じですかね?」

「ひとつは当たりやな。古代ギリシャではな、昔から2つの<

時>

があ

る、いうて考えられとったんや。ひとつはクロノス、もうひとつはカイ

ロスや」

「ギリシャのイカロス?ロウで作った翼で飛んで海に落ちちゃった話

ですか?」

「イカロスやない、カイロスや。カイロスと、クロノス」

「…しばし、お待ちを」

インターネットでこのふたつの言葉を検索。

「ふうん、どちらも時間の神様なんですね。

クロノスが、私たちの普段使ってる時間で、カイロスっていうのは、

チャンスって意味もあるのか…」

「クロノスは、あんたがいうように、要するに人間が時間、と認識し

ている時間や。

地球が太陽の周りを一周する周期、月が地球の周りを一周する周期、

いろんな周期があるやろ。それを機械的に測って、それに準じて生活し

てるわけや。

たとえば地球は太陽の惑星として、太陽の軌道に沿って自転しながら

公転しとる、その一周を一年というふうに、〝人間が〟定めたんやな。

いうたら、一分とか一秒とか、ほんまは存在してない。それがクロノス

やね」

「はい、それはわかります」

「それに対してカイロスは、こういうものとはちょっと違うんや。物

理的な時間いうよりも、タイミングみたいなもんのことを言うんや。も

うこれ以上ない、絶妙なタイミングで何かが起きるときがあるやろ」

「あります、あります」

身の回りに起こる小さなことから、ここ一番、ものすごく大切なこと

にいたるまで。

「なんか、ああこれは、自分じゃない力がなんか、働いてんじゃない

かなーってとき、あります。誰でも、一度や二度はあるんじゃないです

かね」

「大きな宇宙の働き」とでもいうべき、絶妙なタイミング。

「それがカイロスや。宇宙の力が働いて、巡り合わせが起きる<

とき>

のことやね」

それは、よくわかります。

「おっ!ここにも、カイロスは、

<

宿命あるいは神意によって配列され、

人間には決定的応答を要求するとき>

って書いてます。

おおーなんかかっこいいー。

決定的応答を要求されてるときなんですね!

なんとなく、セレンディピティって、このカイロスの時間と関連して

いる感じがしますね」

「そんな感じがするねぇ。

そう、それでな、そのカイロスにもとづいて作られた暦があるんや。

古代マヤ文明の暦、マヤ暦や。カイロスのことまで考えて作られてるん

は、どうもこの暦だけらしいで」

「あーでもそういえば、マヤの人々って、ものすごく予言的なものに

も長けてたらしいですね。スペイン軍が攻めてくるのも暦から予言して、

都を捨てて逃げ延びたとか」

何千年も先の未来まで書かれたこのマヤ暦が、2012年の

12月21日に突如として終わっている。

これについてはいろいろな物議が醸された。

いよいよ地球が最後のときを迎えるのでは、とか、宇宙人が飛来する

のでは、とか、次元が変わるとか、人類が覚醒する、とか。このシリー

ズでも、4巻目のテーマで取り上げた。

「マヤ暦が、なんで終わっとるんか。これがな、どうもクロノスから

カイロスへ移行期に入るんちゃうかと言われてるんや」

「??意味がよくわからないです」

「今は、何かしようと思ったら、ある一定の時間がかかって当たり前

やと思うてる。それが、ぱっと、思ったことが形になっていくんや」

「そうか。タイミングが合っていくんですね、宇宙と」

「そういうことやろうな。わしが思うに、この暦が終わる時、クロノ

スという自分たちがつくった時間に縛られててしもてたんが、ほどける

んやと思うね。<

時>

は、溶き、解き、ほどけるまでの時間なんや。その

縛りがほどけた人が、ホトケ、宇宙のタイミング、カイロスで生きる人

や。

まあ、いよいよ<

ほどけるとき>

が来た、いうことやと思うね」

「なるほどー、宇宙と、ツーツーになっちゃう感じですかね!

宇宙の要請と私たちの要求の、波が合ってくるような感じなのかな…

まあ、何か、面白いことになってきてることは間違いなさそうですね

ー」

◆「なるべき」ようになっていく

…という感じで時間の話でうやむやに終わってしまったため、結局「セ

レンディピティ」がなんなのかは薄ぼんやりとよくわからないまま終わ

ってしまっていた。

自分なりに努力しようと、この言葉の源であるおとぎ話「セレンディ

ッポと3人の王子」を読んだのに、相変わらずさっぱりわからなかった

と、会長に愚痴らずにはいられなかった。

「誰かの解釈が入らないように、と思って、わざわざ原典を取り寄せ

たんですよ。ものっすごい長い物語で、すごく我慢して読んで、最後の

ページこそは何かがあると思ったのに…」

「で、なんかわかったか」

「なんで全部解釈が入った状態で出版されてるんか、ということがわ

かったくらいですね。

ちょっと注釈なしではなんのことかさっぱりわかりません。ただのも

のすごい特異な才能を持った王子たちの冒険で、その才能のない私には

何の関係もない話だと思いました。そもそも私は研究者でも何でもない

し…」

「それはそうと、この近くにセレンディピティいうレストランがあっ

たん知ってたか?」

「お店の名前がそれですか?知りません」

「ほな、今からいこか。打ち合わせも兼ねて」

私の原典へのくすぶりは、お店への興味にスイッチした。

そんな、意味もわかりにくければ覚えるのも難しいような名前を店に

つけるなんて、きっと変わったオーナーなんだろうとちょっとワクワク

した。

そして、どうやら私の勘は、外れていないようだった。

ドアを開けると、「ここからは違う空間が始まりますよ」という合図

のように、ガランゴロンとベルの金属音が大きく響き渡る。

その先は、ほんとうに異空間。

ぐるりと店内を見回すと、不思議の国のアリスなのか、アメリカのオ

ールディズなのか、どこまでが売り物でどこまでがディスプレイなのか、

使えるものなのかおもちゃなのか、とにかく床から壁、天井まで。いた

るところが、山のような雑貨類で埋め尽くされている。

あちこちに置かれている時計は、どれも時間がバラバラで、時刻を見

るときに信用していいものは、ひとつとしてなさそうに見える。しかし

1時になったと同時に鳥の鳴き声が聴こえたので、そのどれかひとつは

正確らしい。訪れた人がこの別世界を楽しむために、わざと「時間を隠

している」のに違いなかった(それが「クロノス隠し」まで意図しての

ことだとしたら、ただものではない)。

古いアメリカ車のエンジン部から運転席までをソファにした展示品

(売り物かもしれない)の上で、充電器に繋がれた携帯電話のテレビ画

面が、オリンピックのフィギュアスケートを実況中継しながら放置され

ていた。サービスなのか、スタッフが見ていたものなのか、こうした雑

貨のお店というのはちょっと気取った感じの店が多いものだが、この携

帯電話放置はもう定食屋のノリである。やはりどうもツワモノのニオイ

がする。

その山積みの雑貨の陰から「はいは〜い、お待たせ〜、いらっしゃい

ませ〜」と、なんともいえないお気楽な女性の声が聞こえた。

登場した女性を一目見て、この人こそが「好きなもの」を「好きなだ

け」集め、「好きなように」置いて、「好きなように」経営しているオ

ーナーその人に違いないと察しがついた。見るからに人の好さそうな女

性だった。

会長はさっさとオーダーを済ませ、「ところでこの店は、なんでセレ

ンディピティいうんですか」と口火を切った。私は女性から会長の顔に

目を移した。え、も、もう??

「この名前ねぇ」

ぶしつけさんとお気楽さんの会話が始まった。

「娘が、私が考えた名前やったらあかんて言うてねー、

ひどいでしょー」

却下されたその名前を聞きたい衝動に駆られるが、ここは話の腰を折

らないために我慢だ。

「うちは二人娘がいるんやけど、その子らがこの名前にしろって。最

初は私も舌噛みそうになるし、覚えられへんし、お客さんも電話で言い

づらそうにしてはるし、もう大変だったのよ〜、あはははは」

「へー娘さんが。で、セレンディピティとは、いったいどういう意味

なんですか」

ぐいぐい核心をついていく会長。さすが会社のイラチ(※)三羽烏(さ

んばがらす)の筆頭だ。

「あの子らが留学してるときね、教授が生徒たちに『テストでどうし

てもわからないことがあったら、セレンディピティセレンディピティて

唱えなさい』て、言わはったらしいですわ。

なんか困ったことがあったら、おまじないみたいに唱えるのが流行っ

てるんですって」

「ほーそれは、なんで唱えるんですか」

「そうすると、『〝なるべき〞ように、なっていく』から、なんです

ってー」

『〝なるべき〟ように、なっていく』

その言葉は、それまで全く触りようのなかった「セレンディピティ」

を、やっと私にとって「関心あるもの」へと近付けてくれた。そして、

連想したのは、「あみだくじ理論」だった。

※イラチ…関西の言葉で、待てない人、せっかちな人のこと。ちなみにサン

バガラスの残り2羽は、会長の長女と私。

◆みんな当たりのあみだくじ

「あみだくじ理論」。

会長がよく話してくれる、私の大好きな話だ。

会長の「あみだくじ理論」と、私の敬愛する立花大敬氏の「ゴムひも

理論」とを、ちょっと混ぜた形でご紹介させていただきたい。

はるか昔、お釈迦様は、「私たち全員が、極楽浄土へ行った」、とい

う「結末」を用意されたそうだ。「般若心経」のラスト、「波羅僧掲帝(

らそうぎゃてい)

」は、「極楽浄土に皆で着いた」という意味らしい。

そして私たちはその「結末」にゴムひもで繋がれたような存在なのだ

という。

結末から生まれて、その結末にゴムに繋がれた状態で遠くへ引っ張っ

ている状態が今の私たち、手を離せば結末に戻る、ということだ。

想像してほしい。

なにかに繋がれているゴムひもの端を持って、おもいっきり反対へ引

っ張ると…

ビューン!

たちまち繋がれた場所へ戻ってしまうのだ。

私たちは、自分の意思で、極楽浄土とはまったく反対の方向へだって

行けそうなものだ。どこまでも「神様なんてなんだ!」「ホトケなんて

知るか!」「オレはオレの意思で自由に生きるんだ!」と、反抗期の子

供のように反逆し続けることも、ぜーんぶやりたい放題。

のように思えるが、実はそうではない。

という話なのである。

どんなに抵抗しようが、結局その結末に繋がれている以上、極楽浄土

という場所のほかへは、どこへも行けないのだ。

しかし面白いのは、そう考えると、全力で抵抗したほうがゴムの原理

でものすごいスピードで「結末」に向かってしまう可能性があるという

ことだ。

毒にも薬にもならない生き方より、むしろ毒のほうが悟るのは速いと、

ほかでも聞いたことがある(重病をきっかけに悟ってしまう、極道のカ

シラが何かをきっかけにものすごいホトケ心に目覚める、などのお話が

そうだろう)。

究極の闇を見ることで、究極の光が見えてくるのかもしれない。

日常でも、ちょっとどうしようもないところまで落ちたほうが、じわ

じわなかなか底を蹴らずにうじうじと落ちたままより回復が早いことが

ある。

話を元に戻すが、要するに私たちはすでに全員もれなく当選の「当た

りくじ」につながれた存在だということなのだ。

私たちは出発点を決めた時点で、もうあみだくじのどの角を曲がるの

かが決まっている。というのが「あみだくじ理論」だ。

「なぜ、あのとき、あの角を曲がったんだろう」

あの「角」を曲がらなければ、今の人生は変わっていたのだろうか。

あの「角」を、曲がらないという選択ができたのだろうか。

あのとき、あの人に出逢っていなければ、

あのとき、病気にかからなければ、

あのとき、あの場所に寄っていなければ、

曲がらずに済んだかもしれない、

いくつもの小さな、あるいは大きな曲がり角。

「なぜか曲がってきた、曲がり角」。

人生は、選択の連続だと言われるが、果たして私たちは本当に選択な

どできてきたのだろうか。

その角は、どちらにでも曲がれる角に見えて、自分でどちらかを選ん

できたように見えるが、その選択をするにはそれなりの理由があったは

ずである。

その理由はなんだろう?

過去の経験

未来への期待

周りへの気遣い

周りからの圧力

持って生まれた性格

あるいは不慮の事故や

「出逢い」「別れ」「思いつき」

その「何らかの理由」さえも

あるいはその「理由の理由」さえ

自分の意思で選んだものだったのだろうか。

どこがその理由の出発点なんだろう?

自分が生まれたことひとつとっても、まずは両親が出逢わなければな

らなかった。

両親が出逢うには、両親が生まれなければ、両親が生まれるには、両

親の両親が生まれなければ…

そう、おじいさんやおばあさん、その先のご先祖たち、他の生物の存

在、そして地球の誕生まで。

私たちが、どれほどの「必然」の連続によって今、ここに居るか。

「私」という存在は、とてつもなくいろんな

「必然」の上で成り立った、かなりの神秘的存在だといえる。

そして私という人間も、誰かの生命の誕生にかかわっているかもしれ

ない。

先日、友人に子供が生まれた。

両親となった二人は、私の古い友人。

いまいちパっとしない画家の男友達に、

「芸術家っていうのは、たまには美人とお茶にでも行って、創作意欲

を掻き立てなあかん。

今あんたに必要なのは、美人や!」

と、そのお相手として、共通の友達である、インド舞踊の踊り手の健

康美人を無責任に推薦した。

数年後に二人は結婚することになり、その数年後にはやとくんが生ま

れた。

ということは、私はあのとき、〝はやとくんの誕生〟という大きな

来事に、なくてはならない一言を発したと、言えなくもない。

自分の人生は、どれだけ多くの人の人生に影響を与えているか知れな

い。

自分の人生は、自分だけのものではないのだ。

人生のあみだくじの角を曲がるには、誰かの存在が、何かのきっかけ

が必要で、

私もとてつもなくたくさんの人々のおかげで、大きな曲がり角を曲が

ってきていると思う。

自分が思う範囲の「幸せ」「不幸せ」なんて

ちょっと本当に「ちっさい」世界でしかないことがわかる。

その出来事は、何に繋がって、何が起きるためのものなのか、わから

ないのである。

何がきっかけで、何が起きるか、

私たちには想像すらできない。

そのきっかけが先で何かが起きるのか、

それとも私たちに用意された「結末」からきっかけが生まれているの

か?

初めて訪れた異国の地でピンチに陥った際、

「生前に祖父が日本人に助けられた」といって

助けてもらった日本人がいたとか

そんな話は少なくない。

私たちの日常の中では見えてこない、

私たち「全員が」「結末」にたどり着くための

大きな大きななシナリオが、

大きな力によって展開されている。

当たりくじから眺めてみれば、

すべて「必然」。

そりゃあもう、当然のことながら、

『なるべきようになっていってる』のだ。

次は、「セレンディピティ」について書くんです、と大好きな取り引

き先の人に伝えたところ、

「それは、大きな全体の流れを信頼するっていうことだね」

と、言ってくれた。

なんて美しくてシンプルで、的確な表現なんだろう。

「大きな全体の流れ」は、確かに存在しているに違いない。

◆会長のシナリオ

「…ってことで、大きな宇宙のシナリオがあるんじゃないかなーとい

う感じがしているんですね、今。それがどんな感じに働いているのか、

ちょっと誰かの人生の〝曲がり角〟を探りたいんですけど、自分の話だ

と客観性がないんで、まずは会長の話を聞きたいんです」

「せやねぇ、ワシの大きい曲がり角は昭和年やったかなあ、大学受験

や。まあ金もかからんからな、京大の法学部を受けたんや。

だいたい、大学入試いうんは、よう出題されるとこと、あんまり出ぇ

へんとこがあるんやね。ワシはあんまり勉強したなかったから、傾向と

対策みたいな本でヤマはって、試験に挑んだわけや。

ところが試験当日、忘れもせんわ、物理と解析Ⅱ

の試験や。問題見た

ら、その出えへんはずの問題、もう、見もせぇへんかった部分が、ガッ

バーと出てるわけや。

もう、お手上げや。なーんもわからへん(笑)。わしがやってないと

こだけ狙い撃ちにされた気がして、もう不思議なんてもんやなかったね。

その年は、物理や解析Ⅱを選んで受験した生徒だけ、ほかの教科と比

べて不公平ちゃうか、いうて新聞に投書が載ってたくらいや。

真面目に勉強せぇへんかったんはワシだけとちゃうかったんかと思っ

て読んどったけどな(笑)」

「そりゃあ残念でしたね(笑)」

「まあそれで、お袋が落ちたらあかんからいうて申し込んどいてくれ

た京都工芸繊維大学いうとこ受けたら、通ったんや。

理科系なんて行きたくもなかったのに、そこへ行くことになってしも

たんやねぇ」

「へえ!てっきり会長は理系の人なんだと思ってましたけど…でも、

確かに百人一首が得意やったり、文系要素は強いかも…」

「理科系なんて、まったく眼中になかったな。あの大学入試は長年の

謎やったんや。しかし、この会社はじめて、しばらくしてから、やっと

わかったんや。

あの京大の入試は、すべるために受けたようなもんや。化学をやっと

く必要があったんや。

この宇宙は、いったいどうなってるんか、というのは、化学やら物理

学やら宗教やら哲学やら、すべてに共通のテーマやろ。

宇宙の仕組みについてもある程度、化学の目線で知っとく必要があっ

たんやね。

昔は、ビッグバンが、すべての最初や、言われとったんや。そしたら、

その爆発は何で起きたんや、ということについては、そんなこと知らん、

で通っとった。

それが今は、一番最初に宇宙の意思があった、と考える物理学者も出

てきて、いろんな哲学と一致してきてるやろ。中国の道教でいうところ

の<

道(タオ)>

に繋がるんやな」

「インドのサーンキヤ哲学でも、最初に〝純粋な意識、存在〟があっ

たっていわれてますね」

「その〝意識〟にひずみができて、ビッグバンが起きて、光が生まれ

る。それが冷却されて、一粒一粒の素粒子になる。そこから原子が生ま

れて、分子になって、細胞になって、それで人ができてるわけや。

せやから、わしらの細胞のひとつひとつには、この〝宇宙の意思〟が

もともとあるんやね。

わしらだけやないで、この世に存在してるありとあらゆるもん、目に

見えないもんでもそうや、その中に、〝宇宙の意思〟があるんや。

その〝宇宙の意思〟からできたすべてをマクロコスモス、大宇宙やと

すると、ワシらの中にも同じ〝宇宙の意思〟、ミクロコスモスがある。

人間の中には〝小宇宙〟がある、いうてよく言われるやろ。人ってい

うんはな、光(ひ)が止(と)まるという意味で、ひと、なんやで」

「そういう話が聞けるのは、会長が理系と文系の両刀使いだからです

よね。会長が京大の法学部で法律学ばなくて本当に良かったなーと思い

ます(笑)。

会長には法律的知識よりも、化学的知識のほうが、はるかにそのあと

役に立ってますよね」

「その時は悪いように見えることが、あとで考えると必然やっちゅう

ことがあるんやなぁ。

めちゃくちゃイヤなやつが、ものすごい大事な役割で登場してること

もあるんや。あいつのせいでめちゃくちゃ大損した、と思っても、そん

なヤツに限って、あみだくじのでっかい曲がり角を曲がらせてくれる、

なくてはならん存在やったとあとから気づくんや(笑)」

こんな会長を見て、「近藤さんは、人生の最後の最後まで綿密に寸分

狂わず計算してるんですね」と言った人がいる、という話には、吹き出

した。

会長に出会ってから7年になるが、その経営にも生き方にも、<

計算>

などという言葉は、その辞書にない。

突然「生きてる間に葬式する」と生前葬(詳しくはバンクシアブック

ス2をご覧ください)を執り行ったり(これに付き合って、葬儀の席で

めちゃくちゃ面白い挨拶をした会長の奥さんの懐の深さに、私はかなり

感銘を受けた)、建てたばかりの社屋を何千万もの違約金を払って引き

払ったり、むしろもう少し計算とか計画性とかがあってもよいのではな

いか、などと一社員として心配になることもあるくらいだ。

しかし、結果的に「寸分たがわず計算している」と思われるほど、今

という時点から過去を見れば、まるで計画されたかのように「必然」を

たどってきているということなのだろう。

我々が繋がれた結末から見れば、今私たちが体験していることはすべ

て、ひとつもらさず、必然になる、ということなのだ。

「一人残らず、極楽浄土に」。

その結末に向かって、何回も転生を繰り返している私たち。速かれ遅

かれ、必ずたどり着く。

それが全体の流れだ。

どの道をどのスピードでたどっていても。

あなたも私も、必ず、

「〝なるべき〟ように、なっていく」のだ。

そのために、あらゆることが起きているのだと思う。安心して、流れ

に任せていればよいのだ(流れに逆らうことも、流れのうちだ)。

「思えばな、高校のときに、将来どうなりたいか、いうて書いた文章

が出てきたことがあったんや。なんて書いてあったと思う?」

「会長の高校時代が想像しがたいんですけど」

「<

地球を転がす>

や」

「…会長って高校のときからちょっとイタイ子だったんですね」

「意味なんか、まったくわからんと書いとったんやで。なんでこんな

こと書いたんか、長年の謎やったんや」

意味わからんと??びっくりするなあ…。

私の前職の上司が変わった人で、「地球を自転させているのは人の意

識だ」とかなんとか言っていたので、「はあ?」と思いながらも、それ

がどういう意味なのかずっと考えてきた私は、とりあえず「地球を転が

すって、うちの代表、マジでヤバい」と逃げ出すことはしなかった。

「なんとなく、ワシの人生は、この謎を解くためのものやった気がす

るね。50歳くらいのときに、ワシなりの結論にたどりついたんや」

「へえ、どんな?」

「<

元気>

の力を暮らしに生かす、いうのを、うちの会社は社是にしと

るやろ。

<

元気>

っちゅうのは、<

元の気>と書くね。これは、宇宙を創った力や。

その力が、銀河系、太陽系、星々も創った。そしてその力は、地球を廻

して、ワシらを生かしてるんや。ワシらがちょっと怪我すると、すぐ治

るやろ。この治す力と、宇宙創った力、地球を廻してる力は同じなんや」

「ふーむ、なるほど…」

「地球が転がる力と、人間が生きる力は同じや。せやから、人間を生

かしてる力がちゃんと働くようになれば、おのずと地球もちゃんと転が

るようになるはずなんや。今は、どちらの気も枯渇してるような状態な

んやね」

「そうかー、じゃ、どこからでも、<

元気>

を増やしていけばいいんで

すね」

「そういうことや。両方同じ、両方大切なんや。ワシらは、人間の元

気を追求しながら、地球の元気を追求しとるんやね。

これが、地球を転がす、ということに繋がるんちゃうかと今では思う

んや」

学生だった会長には、自分が将来こんな仕事をすることになることも、

化学の知識が必要になることも、先はまったく見えていない。だから、

「なんで<

地球を転がす>

なんや」「なんであの年の入試は、あんな問題

ばっかりやったんや」「なんで落ちたんや」「なんで化学勉強せなあか

んのや」、もう「なんで」「なんで」の連発だった。

しかし、今の会長が過去を振り返れば、その「なんで」にある程度説

明がつく。

「今の会長」を作っているすべての曲がり角を通って、くっきり一本

の道筋が見える。

ふと、思うのだ。

意味もわからん高校生の会長に、「地球を転がす」って言葉を書かせ

たのは、誰なんだろう。

会長の中の、小宇宙、なのか、

それはもう、そのとき、「書くことになっていた」のか。

◆嶋野榮道さんのシナリオ

会長が、何度も何度も何度も話してくれる耳ダコなストーリーがある。

始まると、「また同じ話だ」と思いながらも、この話だけは耳にする

度、なぜか新鮮な発見がある。

私の知る中で、もっとも美しい<

シナリオ>

のひとつなので、少し長く

なるが、ぜひともご紹介させていただきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三島の

龍りゅう

澤たく

寺じ

というところに、嶋野榮え

道どう

さんというお坊さんがいた。

榮道さんは英語が堪能だったので、ハワイの小さな禅のグループを指

導することになり、海を渡った。そのハワイ大学の図書館で、たまたま

好きだったアーノルド・トインビーの本を見つけ、手にとった。

「将来、世界の歴史家が集まって二十世紀最大の出来事は何であった

かをディスカッションする。われわれ二十世紀に住んでいるものが最大

の出来事だと思っていること、たとえば月に人間が行った、コンピュー

ターの発明、原子爆弾、世界大戦…これらのことはあと2世紀、3世紀

も経ってから見たら、それほど重要な出来事ではなくなるだろう。」

では二十世紀最大の出来事はなにか。

トインビーによると、それは

Transmission of Buddism from East to West.

「仏教東漸(ぶっきょうとうぜん)」

だった。

仏教はインドから中国、中国から朝鮮半島へと東漸して、日本に至っ

た。トインビーのいうようにこの仏教がさらに東へ渡るなら、海を越え

てアメリカへたどりつくことになる。

アメリカ大陸に仏教をもたらす。

それが天から自分に与えられた天命のように感じた榮道さんは、日本

に戻って師に相談する。すると師はこう言った。

日本にはえらいお坊さんがいっぱいいて、あなた一人いなくても日本

の仏教は少しも困らない。

しかしアメリカでは、日本で修行した禅僧がきて、坐禅の指導をして

くれるのを、「干天に慈雨を待つが如く」待っている。

その師の言葉に榮道さんは心を動かし、身も心も惜しまず法のために

捧げようと決意を定める。

極限まで自分を追い込もうと、あえて必要最低限のものだけを持ち、

誰も知らないニューヨークへと旅立った。

◆八方塞り

しかし、到着した翌日には、現実が突きつけられた。

日本からの所持金はすぐに尽きて、飢えと、NYの厳しい寒さで、早

くも八方塞り。

知人の紹介でなんとかアパートを確保したものの、月末にはその家賃

を支払わなければならない。

道で出逢ったアメリカ人に禅を教えることで日銭を稼ぐことができる

ようになったが、とても家賃には至らない。

いよいよ追いつめられて、榮道さんは職探しを始める。ことごとく断

られながらも、銀行のドライバーの仕事を得ることができて、安心した

そのときだった。

彼の脳裏に師の言葉がよぎったのだ。

If you give yourself to the Dharma,

the Dharma will give itself to you.

「もしあなたが法に心身をささげるのなら、法のほうからあなたのほ

うへやってくるだろう」

当時は馬耳東風で、まったく真剣に聞いていなかった師の言葉。

それが、このギリギリの状況になって浮かび上がってきたのである。

さんずいに、去ると書く。水の流れのように、そちらにしか流れられ

ないという宇宙法則、「法」。

「果たして自分は〝法〟に心身をささげていたのだろうか」。

自分はここへきてから、禅僧らしいことをひとつもやっていない。

榮道さんは、得たばかりの仕事を断りに銀行へと向かった。

彼が禅僧という自分の役目を思い出した途端、それまで彼を雇う側と

して横柄な態度をとっていた銀行の人間ががらりと対応を変え、「事情

がおありなんですね」と、自宅でできる仕事と、報酬の先払いを約束し

てくれたのだ。

その後、榮道さんは、禅僧として当然のことをきちんとやることが、

法に心身を捧げる第一歩、と、4時に起床、僧堂のように部屋を清め、

坐禅もし、読経も行うようになった。

◆法のほうから、近づいてくる

するとそのうちに一人だった教え子が人を連れてくるようになり、二

人が三人というように、訪れる人が増え、その人々が部屋に足りないも

のを次々に揃えはじめた。

榮道さんが禅僧らしい生活をしているだけで、多くの人が集まるよう

になり、望んでも手に入らないような貴重な仏像や鐘なども集まった。

そのころ、ある夫妻がときどき坐禅にやってくるようになった。言葉

を交わすこともなかったが、一年ほどしたころ、あなたが遠く日本から

禅を教えに来てくれたことに対するお礼だと、夫妻から小さなビルが建

つほどの額が記された小切手が寄付された。

実は、このご主人はコピー機の発明家で、ゼロックス社でコピー機一

号が発売されたその一夜で百万長者になった人物だったのだ。

その寄付をもとに、マンハッタンに3階建ての禅堂をオープン。榮道

さんは、その後も淡々と、禅僧としての生活を続け、アメリカの人々に

生き方をもって禅を伝え続けた。

そのご主人が間もなく他界、さらに桁外れの額の遺産が寄付され、ア

メリカ独立200年目の記念日である1976年7月4日、大菩薩禅堂

金剛寺が建立されたのだ。

NYの新聞では、

「アメリカ建国100年のときには、フランス政府が自由の女神を寄

付してくれた。建国200年には、一無名の日本の禅僧がメディテーシ

ョンホールをつくってくれた」

と、報道された。

それほどに、アメリカという国にとって、禅寺の建立は重要なことだ

ったのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆我が計らいに非ず

榮道さんは振り返り、

「すべてわがはからいにあらず」と、表現した。

榮道さん自身ももちろん、気も心も、からだも使って働いた。しかし、

そこには何かわからない〝巨大な力〟があった。

「なるべくしてなったこと」。

自力といっても違う、

他力といっても正しくない。

それは、自力と他力の、絶妙なめぐり合わせによって成ったことだと。

要請があって渡米したのも、

図書館で仏教東漸の言葉を見つけたのも、

ある時期間違った方向へ進みそうになったのも、

そこで師の言葉を思い出したのも、

その言葉によって生き方が見えたのも、

出逢いによって、大菩薩禅堂が建ったのも。

榮道さんの言葉でいえば

「わがはからいにあらず」だ。

すべては、受け入れて行動してきた結果なのだ。

榮道さんは言う。

「無事是れ貴人」というすばらしい言葉があるが、「無事」という言

葉は、「事が無い」「アクシデントが無い」「安全」「平穏」という意

味に誤解されやすい。

この言葉の本当の意味は、

「今の状態は、天から与えられたベストの状態。

それをそのまま、いいとも悪いともジャッジしないで受け入れる」

こと。

それができることが貴い人なのだ、と。

榮道さんのとっておきのエピソードをひとつ付け加えよう。

榮道さんが、小学3年生のころのこと。

当時は戦争のさなか、小学生も、いろいろなものを暗記させられた。

神武から今上にいたるまでの天皇陛下の名前や、教育勅語など。

その中に、「般若心経」もあった。

覚えなければ当たり前にビンタが飛んでくる、という危機的状況。当

然、必死で覚える。

榮道さんはほかの暗記物はすべて覚えた。

なのに、どういうわけか、「般若心経」だけがどうしても覚えられな

い。なぜか、覚えるのが嫌で嫌で仕方なかったのだという。

すんなり覚えていたら、おそらくすんなり忘れていただろう。

「だからこそ、今にして思えば、あれが仏縁だったのかもしれない」

と榮道さんは言う。

その後、9歳のとき、榮道さんは不思議な体験をする。

近くのお寺にセミ捕りにきていた榮道さんの前で、二人の僧侶が般若

心経を読み上げ始めた。

それを聞いていた榮道さんは、渦の中に巻き込まれていくような、一

種の恍惚感のようなものから、足をしっかり大地につけたまま次第に透

明な世界に入っていくような、そんな感覚を得たのだ。

榮道さんは、その時初めて、それまで考えていた「自分」よりも遥か

に巨(おお)きな「自分」の存在に気が付いた。

これもまた、「般若心経」が起こしたのだ。

自分にとって、「いやなもの」「これではないと思うもの」「つらい

経験」「天敵のような人」「失敗」、それらには、大切な何かが隠れて

いるのかもしれないな、と、また白川博士のエピソードを思い出す。

私はいやなことは、みーんな避けて通りたいとばかり思ってきたのだ

けれど。

それらはすべて、幸福や素敵な出会いと比べて勝るとも劣らない勢い

で、私の心を大きく動かしていることに間違いはない。

と書いている今も、会社に一人だというのに、ゲリラ豪雨がやってき

て、かなり心は大きく動いている最中だ。

雷の稲妻が光り轟音が響き、停電になったり、また電気がついたり、

ついているパソコンの電源が落ちたと思うと、消えていたほかのパソコ

ンがいくつも立ち上がったり、意味のわからない音がしたり。

ジャッジせずに受け入れて、貴人を目指すことにする。

◆配役

大きな大きな流れ。

宇宙の采配によるシナリオ。

それがあるのだとすれば、私たちは常に、「そこになくてはならない」

ところで、「やらなければならない」ことをしていることになる。

それを誰かが代理でできるものでもなければ、自分が誰かの代理をで

きるものでもない。

「確固とした配役」を受けて、生まれてきている気がするのだ。

最近友人がシミュレーションゲームをしているのを見て、あー神様か

ら見ると、こんな感じなのかなあと思った。

私たちは地球というシミュレーションゲームの中の、それぞれがプレ

イヤー。

地球には、私たちプレイヤーがさまざまな体験を通してゴールを目指

すために、二人として同じ人がいないように登場キャラクターが設定さ

れている。性格、生い立ち、特性、なにもかもだ。

誰もが一人では生まれてこれないよう、生きていけないよう、そして

誰もが必要な体験をしなければ、ゴールにたどり着けないように創られ

ている。

誰かが必要な体験をするために、誰かがそのために何かを失って見せ

ることもある。

全体が大きく成長するために、徹底的な悪役や、つらい体験をする人々

が現れることもある。

きっと、その配役すら、宇宙が決めたものなのだ。

恐らくそうなのだろう、と思いながら、確信が持てずにいた、この問

いへの答え。

「大量殺人を犯したヒトラーのような人ですら、宇宙が用意した、

祝福された役割の人間だったのだろうか」。

『宇宙(そら)の約束』という映画の中に、同じ問いを持っていた子

どもがいた。

その映画の主演は、かっこちゃんこと山元加津子さん。特別支援学校

の先生をしている。彼女のことについて書き出すと、キリがないほどの

素晴らしい人物で、この方については、いずれこのシリーズで本を出版

予定である。

そのかっこちゃんが、子どもへの答えを、旅の中で見つけていったの

だ。ここではとにかく、この話を主体に皆さんにお知らせしたい。

深く深く、宇宙の気持ちを伝えてくれる答えがあった。

きっとこのお話は、誰の胸にも誤解を生むことなく響くのではないか

と思うので、引用させていただきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後の晩餐で、イエスはユダの裏切りに気付いていながら、ユダにむ

かって、<

あなたは行ってなすべきことをしなさい>

と伝えたというのだ。

これは、ユダがそれをすることが、あたかも必要であったかのような

言葉だ。

かっこちゃんは、「イエスキリスト」が、多くの人の心に残り、今も

なお人の支えとなっているのは、多くの人の苦しみを背負い、十字架に

かけられて、その痛みを、苦しみを一身に引き受けて死んでいったから

ではないかと思った、と語った。

そして、

「わたしがもし、学校でこのキリストのお話を劇でやりたいと思って、

生徒のみんなに<

キリストの役をやりたい人、手を挙げて>

と言ったら、

みんな、はい、はいってたくさん手を挙げてくれると思うんです。

でも、<

じゃあユダの役をやりたい人>

って言ったら、きっとみんな手

を下ろしてしまうと思います。裏切り者の役をやりたいという人は、い

ないかもしれない。

そしたら、困ったな、ってなりますね。

私ならどうするかなって思ったら、ああ、この子なら引き受けてくれ

るんじゃないかなっていう子に、<

この役をする人がいないと、この劇が

できないんだ。お願い、やってもらえないかな>

と頼みに行くと思うんで

す。

そうしたら、その子はきっと<

仕方ないな、やってあげるよ>

って、引

き受けてくれるんだと思います。

そんな役をしてくれている人こそが、きっと神様に愛されているので

はないかな、と思います」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これこそが、宇宙の気持ちなのではないか、と心底ほっとした。

思えば、私たちは、殺戮、勝者と敗者の世界、マネーゲーム、さまざ

まな、宇宙の愛とかけはなれた絶望の体験によって、全体が深い気付き

を得たのかもしれない。

「全員で極楽浄土へいく」

というゲームの結末を目指し、楽しい体験だけではない、心身の痛み

や苦しさ、たくさんの体験を重ねてきたのに違いない。

そのために、憎まれ役を買って出てくれた魂もあったのだろう。

愛する人を失ったり、自分自身が傷つく役を担ってくれた魂もあった

のだろう。

「誕生」という文字は、「偽りの生」を意味すると聞いた。

この世に私たちは、かけがえのない「一つの役割」を演じるために生

まれ出でるのではないか。

測り知れない、壮大な宇宙のシナリオ。

その中の、私たちは〝演者〟なのかもしれない。

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『セレンディピティ』のポイント解説!

★バンクシアブックシリーズ vol.8

身の回りに起こる小さなことから、ここ一番大切

なことに至るまで、なにか大きな宇宙の働きとで

も言うべき絶妙なタイミングのおかげで、「ああ、

良かったなあ、ついているな」と思わず感謝した

くなるようなことがあるのではないでしょうか?

本当に大事なことは、前もって計算したとおりに

事が運んでいくというより、思わぬ偶然が働いて、

うまくいくことが多いものです。

セレンディピティというのは、失敗と偶然を飛躍

に結びつけ、本来探しているものとは、別の価値

あるものを見つけ出す能力のことを指す言葉で

す。「イキイキわくわく生きる」上での 21世紀

のキーワードと言えるでしよう。

ノーベル賞受賞者も

“セレンディピティ”の大切さに注目‼

セレンディピティとは、失敗や偶然を飛躍に結び

付け、本来探しているものとは別の価値あるもの

を見つけ出す能力のことを指す言葉です。

「イキイキわくわく生きる」上での21世紀の キ

ーワードと言えるでしょう。

“セレンディピティ”が開くイキワク人生

―時代が変わる 運命が変わる―

人生の節目、節目で、あるいは何か新しいことに

チャレンジしているとき「思っていたのと違うな

あ、道を間違えてしまったようだ。失敗かな?」

と思うことって、よくあることではないでしょう

か?そんな時こそ、宇宙の絶妙なタイミングが働

き、幸運の女神が微笑むとき。

…ノーベル賞級の大発見から何気ない日ごろの

出来事に至るまで、失敗と思った出来事が意外に

も成功の扉を開く大切な鍵を握っていた…そん

なことが頻繁に起こる時代になりました。

2010 年ノーベル化学賞を受賞された鈴木章博士

をはじめ様々な人が“セレンディピティ”につい

て語っておられます。“セレンディピティ”のこ

とを正しく認識することから価値ある人生をお

始めになりませんか!

Total health design 近藤 洋一

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