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国際カルテルの活動とその限界(下)

田 村 眞 治

 4.技術の交換

 市場分割がされると,各独占体は独自に開発した技術を,それが排除された

地域で未使用のままにしておくより,その地域の支配的な独占体に技術そのも

のを販売することによってライセンス料を得ようとする。それ敬一般に,市場

分割協定とともに特許と技術の交換が約束される。逆に技術交換協定の形態を

とりながら,実際には市場分割を意図したものも多いが,いずれにしろ市場分

割を基礎として技術交換も実行される。チリルは特許と技術の交換協定に基づ

く活動として次の諸点を指摘している。「国際協定の特許部分の最も一般的な

項目は,各参加者がその協定に含まれるあらゆる特許に対する権利を獲得しう

る支配地域の割当てに関係している」。地域分割ほど一般的でない活動として,

(1)販売上の制限,(2)生産上の制限,(3)他の特許を使用することの制限,

(4)価格上の制限,(5)原材料などの購入上の制限,(6)特許訴訟の制限,を

あげているu〕。ここでは技術交換と市場分割の関連を中心にみていく。

 セロハン製造の最初の技術は,フランスのLa Cellophaneによって所有さ

れていたが,La Cellophaneは世界の各企業にこの技術をライセンスするこ

とによって,世界市場を分割していった。アメリカでは1923年にDu Pontと

協定を結び,Du Pont Ce11ophane(Du Pontの子会社)を設立して,北・

中央アメリカのパテントを供与した。同年ドイツのKalIe(IGの子会社)に

ドイツ,東ヨーロッパ,スカンジナビア,中国における独占的製造販売権が与

えられた。イギリスではLa Ce11ophaneとCourtauldsの合弁で,British

Cellophane,Ltd.(BCL)が設立されたω。後にDu PontはKaue,BCL

と技術交換協定を結び(Kalle-29年,BCL-35年),更に地域分割をも取り決

62 一橋研究 第6巻第2号

めた㈹。Du Pontは更に,カナダのCIにLa Cellophaneのパテントをサ

ブライセンスしているω。30年には,ヨーロッバの生産者の間で国際カルテル

が結成されたが,Du Pontは会議の1目目に“9uests and observers’’とし

て参加しただけで,協定には調印しなかった。しかしこのカルテルは,北アメ

リカがDu Pontの支配地域である二とを認めていた{5〕。Du Pontは技術交

換協定によって,3企業から38の特許権を得たが(La Ce11ophane-21,BCL

-3,Ka11e-14),いずれもあまり重要なものではなかった‘6〕。またDu Pont

の開発した液状セロハンの技術は,3企業とCIにそれぞれ供与されたω。

 プラスチックの一つであるメタクりル酸メチル(航空機の窓ガラスなどに使

われる,プレクシグラスは商標名)は,両大戦間期に世界で5企業(ドイツの

Rδhm&Haas=R&H(独),IG,アメリカのRδhm&Haas=R&H(米),Du

POnt,イギリスのICI)によって生産されており,これらの企業間には次のよ

うな一連の協定が存在した。34年にR&H(独)とR&H(米)の間で,アクリ

ル酸ならびにメタクリ」ル酸プラスチックに関する全パテントの交換と市場分割

が協定された。R&H(独)が基本的技術を所有していたため,R&H(米)はド

イツ企業に6万ド」ルと3%のロイヤリティ(53年迄)を支払うこととなった。

市場分割はアメリカ企業がアメリカとカナダ,ドイツ企業がそれ以外の全地域

とされた‘8〕。同年IGとR&H(米)の間で,アメリカとカナダのアクリル酸

・メタクリル酸プラスチックに関する両企業の特許をプールする協定が結ばれ

た。この協定でR&H(米)は,(1)写真関連製品,(2)セルロイド,(3)染料,

(4)人工ゴム,(5)薬品,(6)研摩剤の部門でプールされた技術を使うことを禁

止された。それに対しIGは,ノンスプリンタリンダグラスの生産に使用され

るアクリル酸・メタクリル酸製品を同地域に輸出したいことを約東した(9〕。36

年のICIとR&H(独)の協定では,R&H(独)のプレクシグラス技術をICI

にライセンスし,ICIの活動地域を大英帝国内と定めた。またICIはこの技

術をDuPontにサブライセンスしたいこと,R&H(独)はR&H(米)がICI

の地域に進出したいことを保障することが約束された口0〕。前に述べたDu

PontとICIの協定にはプラスチックも含まれていたが,R&H(独)との約束

により,Du PontはICIよりその技術を供与されなかったので,39年にR&H

国際カルテルの活とその限界(下) 63

(米)と協定を結びこの技術を獲得した。この協定では,1)u POntの生産量

はR&H(米)の1/2と制限された=m。プラスチックカルテルは,技術交換協

定が生産上の制限に利用されたいくつかの例を示しセいる。

 軍事用光学機器についての国際的協定は,ドイツのCar1Zeissとアメリカ

のBausch&Lomb Optica1(B&L)の問で1921年に結ばれたω〕。この協定

では以下のことが取り決められた。(1)ZeissはそのノウハウをB&Lに教示

する,それに対しB&Lは25年間ロイヤリティを支払う(最初7%で漸次低

下),(2)Zeissはアメリカで販売しない,B&Lはアメリカ外で直接的にも間

接的にも販売しない,(3)B&Lの軍事部門のヘッドは両企業の協議で決める,

(4)軍事部門における発明とノウハウの交換,非軍事部門についてはお互いに

当然の考慮を払う‘13〕。この協定のもとで両企業は,調査のために相手の工場に

代表を送ることができ,またB&LはZeissに定期的に業務内容(基本的に

米軍からの注文)を報告していた。更に,B&Lはイギリス,フランス政府か

らの注文を拒否した事実があるω。

 映画の録音・再生機器に関する1930年の協定も市場分割と特許・技術の交換

が結びついたものであった。この協定にはアメリカよりElectrical Research

Products,R.C.A.Photophone,そして映画製作・配給金杜10社が参加,独

占地域としてアメリカ,カナダ,ニューファンドランド,オーストラリア,ニ

ュージランド,インド,ロシア,英領海峡植民地が指定された。またドイツか

らはAEG,Halske,Tobis Groupが参加し,ドイツ,オーストリア,ハン

ガり一などヨーロッパ13ケ国とオランダ領東インドを独占地域として確保し

た。イギリスは再生機器についてのみアメリカの独占地域とされた。協定は独

占地域において,所有しているパテントの独占的使用権を相互に与え合うこ

と,技術情報の交換について特に定めていた舳〕。

 ローラーベアリングのカルテルで中心的役割を果したのは,当時世界最大の

生産者であった.アメリカのTimken Roller Bearingである。Timkenは19

07年にイギリスのElectric&0rdnance A㏄essories(E&0A,後のBritish

Timken,当時はVickers,Ltd.の子会社)に,イギリスとマゾ島における

ローラーベアリングの全パテントを供与,独占的た製造販売権を与えた。この

64 一橋研究 第6巻第2号

時の協定で,TimkenはE&0Aの地域での製造販売を禁止され,E&0A

はそれ以外の地域での製造販売を禁止された。またE&OAは,Timkenパ

テントの改良技術はTimkenに報告する義務があり,更に,E&0Aは“Ti-

mken”の商標の独占的使用が認められたu。〕。E&OAは後にBritish Timken

となり,27年にTimkenとイギリスのビジネスマン,デューワーによって

Vickersより買収され(当初の持株は50:50),デューワーが社長どたり実質

的経営を行っていく‘17〕。28年にTimkenとBritish Timkenの間で,地域

分割,現在と将来の特許の交換,新しい発明と改良技術の情報交換,商標の使

用について協定が結ばれた{18〕。同年,両企業によってフランスにSOciete

Francaise Timkenを設立,フランスとその植民地における独占的な製造販

売権が与えられた。38年には,3社で新たな協定が結ばれたΩ9〕。

 Du PontとICIの協定は,直接的には種々の化学製品の特許と技術の交換

を約東したものであった。Du POntは30年代後半に合成繊維ナイロンを開発

するが,その製造技術は協定の線に沿ってICIに供与された。39年にナイロ

ンについての特別の協定が結ばれ,イギリス帝国内でICIが独占的に生産す

ることが認められた。ICIはDuPontの同意のもとに,CourtauIdsと50:

50の出資でBritish Nyron Spimersを設立し生産を行うこととした。Du

Pontはナイロン技術を他に,IG,French Rhodiaceta,Italian Rhodiaceta

にライセンスしているt20〕。市場分割と技術交換協定のもとで,新しく開発され

た技術がどのように使われるかを示す一例である。

 特許と技術の交換は,既に述べた染料,白熱電球,重電機,チタニウムたど

でも実行されており,更にガラスびん,写真フィルム,薬品,合成ゴム,無線

機,ラジオ受信機,ケーブル,ガラス繊維,レーヨン,オートジャイロ,タン

グステンなどの国際協定で約束されていた‘21〕。

(注)

(1) Terrill,“Cartels aIld tlle Intematioal Exc11a11ge of Teclmology”、

  λme〆。αm亙ωmmたRm{em,Papers and Pro㏄edings,Vo1.XXXVI,No.2,

  May1946,pp.746~7、チリルは,アメリカの参加している技術協定の85~90%

  が市場分割の項目を含んでいるとしている。

国際カルテルの河とその限界(下) 65

(2) Stocki皿g and Mue11er,“The Cellophane Case and tlle New Competition”,

  in Hef1ebower and Stocki皿g ed.,Rm〃〃85切〃a棚〃{〃07gα〃mκonαna

  P泌〃。 Po〃。ツ,1958,pp.121~4,U.S.v.Du Pont.118F.Supp.41,p.160.

(3) Stocking and MuelIer,ψ.〃.,PP.124~5.

(4) U.S.v.Du Po皿t,pp.160~1.

(5)〃必,PP.165~6.

(6)〃広,P.163.

(7)St㏄kingandMueller,ψ.c久p,125.La Celloplla皿eを中心とするこれ

  らのカルテル活動に対し,一つの擾乱要因はベルギーのS㏄i6t6Industrie11e

  de la Cellulose(SIDAC)であった。この企業は,La Ce110phaneの雇用者が

  La Ce110phaneの技術を無断で使用してベルギーに設立(25年)したもので,

  アメリカ(Sylvania),イギリス(BritishSIDAC),イタリア(Ita1ianSIDAC)

  に子会杜を持ち,Du P㎝t,La Ce11ophaneと競争状態にあった。La CelIOphane

  は特許訴訟を起し,結局SIDACの1/3の株を獲得して結着をみた。しかしこ

  のことによって.子会社Sylvaniaがアメリカで活動していたためにLa Ce110-

  phane-Du P㎝t協定に違反することになった。これはDu P㎝tが日本市場を

  獲得し,南米を共同市場とすることで解決した。〃a.,p.127,U.S.v.Du Pont,

  pp.164~61

(8)P肋燃,Pt.皿,pp.676~81,763~7、両企業の間では,既に27年になめし皮に

  関する協定が結ばれていた。”ゴ.,pp.669,748~9、

(9)”a.,pp.670~6,749~56.R&H(米)の生産制限分野は,40年の協定で(3)

  (4)(5)だけとなった。〃〃.,pp.672,759~61.

(10)〃d.,PP.692~4,829~32.

(11)  ヱわ{d.,pp.699~702,836~8.

(I2)両企業の最初の協定は,1907年にFauth Instrum㎝t(後にB&Lに吸収さ

  れた)を加えた3社によって結ばれた。これはZeissによるアメリカエ場建設

  計画が契機となったもので,Zeissは工場建設を取り止める,その代りB&L株

  の1/5を取得する,B&LはZeissより軍事用光学機器のためのガラスを購入す

  るという内容であった。この協定は15年に破棄され,ZeissのB&L株は買い戻

  された。Be㎎e,oψ1c〃.,pp.145~6.Zeissは第一次大戦後,ベルサイユ条約に

  よって軍事製品の生産を禁止されていたか,オランダに子会社Ned{ns㏄を設立

  することによって実際に活動していた。”a.p.150.

(13)〃攻,pp.145~6・軍事部門の技術・情報の交換については,本国政府によっ

  て禁止された場合にはこの限りでないことが協定には明示されていた。しかし両

  企業はこの協定を極力秘密にしていたために,とりわけ米軍関係者は軍事情報が

  ドイツ側に流れることに対し有効な処置が取れなかった。”δ.,pp.155~63,

  Edwards,θヵ.c欣,p.57.

66 一橋研究 第6巻第2号

(14)Berge,0φ.c”.,p.166,Edwards、θゆ.c”.,pp.61~2,21年協定は25年に補足

  され,26年にはアメリカの反トラスト法を考慮して明確な市場分割の項眉は削除

  されたが,両社の基本的な関係は変更されなかった。Berge,0φ.c”.、pp.152~5.

(15)肋’e〃∫,Pt.皿I pp.1260~6.エドワーズは更にオランダの企業も参加したと

  している。Edwards.oヵ.c〃.,p.22.

(16)U.S.v.Timk㎝Rolle「Bea「in9,83F.SuPP.284.PP.289~90.20年に補

  足的な協定が結ばれ,Wolse1ey Motor(Vickersの別の子会社)が新たな協定

  相手となる。また24~5年にTimk㎝の特許期限が切れたのを契機に新たな協

  定が結ばれた。”a.,P.291.

(17)〃以,P.292.デューワーはBritish Timkenの親会社Wo1seley Motorの

  副社長であった。

(18)∫”、,p.293.この協定では全ヨーロッパがBritish Timke皿の地域とされた。

(19)∫〃、,pp.293~4.ドイツでもドイツ企業の参加のもとに合弁事業を始めたが,

  34年に活動を停止している。その後ドイツはBritish Timk㎝の地域となる。

(20) U.S.v.ICI,pp,552~6.

(21)U.N.,0カ.c”.,Table3,邦訳128~39頁,Hexner、”em切κmα’の各項参照口

 5.生産割当て・生産制限

 生産割当てや生産制限は,国際カルテルの活動としてはあまり一般的なもの

ではない。それは国際カルテルの特徴が地域分割に,少なくとも国内市場はそ

の国の生産者に保障するという点にあるので,その地域でどれだけ生産するか

は,いわば個々の独占体・生産者グループの問題として任されるためである。

だから国内市場の確保と輸出市場の分割というのが国際カルテルの最も一般的

な形態なのであるが,このことは国際カルテルの脆弱さの原因の一つとなって

いる。何故なら生産能力の拡大と国内的な過剰生産は,その国の輸出圧力を一

層強くし,既存の輸出割当てに対する不満を大きくし,カルテルの崩壊に導く

だろうからである。生産規制には,他に特許と結びついた独特のものがある。

 国際窒素カルテルは,数少ない生産割当てカルテルの一つであった。窒素カ

ルテルは,1929年,30年,32年,34年,38年と結ばれているが,30年協定が後

のカルテルの原型となった{1〕。この協定は二つの部分から成り立っており,一

つはヨーロッバの生産者の間の協定Convention Europe台ne de l’Industrie

de1’Azote(CIA)で,参加国はドイツ,イギリス,ノルウェー,フランス,

国際カルテルの活とその限界(下) 67

ベルギー,オランダ,イタリア,ポーランド,チェコ,アイルランドであっ

た。もう一つはCIAとチリの生産者の間の協定である。30年協定では以下の

ことが約東された。(1)参加国の国内市場と植民地は国内生産者に保障される,

(2)アメリカを除く輸出市場は輸出割当てにより分割する,(3)アメリカはオ

ープン市場とする,(4)生産量の割当てを行う,チリについてはヨーロッパヘ

の輸出量を定める,(5)価格は前年の支配的価格を越えないこととする,(6)生

産能力の70%以下の生産を実行する生産者のための補償基金の設立,チリは生

産制限がない代りにこの基金の25%を出資する。カルテルは共同販売機関とし

て,スイスにIntemationale GeseIlschaft der Stickstoffindustries A.G.

を設立し,また生産割当ては第8表に従って実行されたω。

第8表窒素の生産割当て

」生産能力1割当てj比率

ドィッ,Norsk Hydro*

二エニニ

ニラエンζ

㌧ラリンニ

フ ラ ン ス

・254千トン P878千トン170%

::1 11:  ::

ll :1 ;ll: :1 ::

 150        135         90

    Source:U,S.Tariff Commission,C加m北〃M”mgem,Report    No-114.1937,p.84.

    *Norsk Hydmはノルウェーの87%の生産を行っている企業で,

    IGが株式の25%を保有し,そのパテントと交換に全輸出を支配     していた。

 窒素は20年代後半より世界的に過剰能力の存在が明白となり,このことがカ

ルテルを結成し,更に生産割当てにまで向かった重要な要因であった。25年段

階で190万トンの生産能力に対し,生産138万トン(72%),消費132万トン(70

%)であったのが,30年には392万トンの生産能力,生産217万トン(55%),

消費196万トン(50%)という状況に至った㈹。カルテルは生産の制限ととも

に,生産能力の拡大を阻止するための行動もとっている。オランダとベルギー

の生産制限に特別の補償を行うとともに,32年にはベルギーの工場建設を止め

68 一橋研究 第6巻第2号

させ,補償金を支払っている。またIGはアメリカ企業からの技術のライセン

ス要求に拒否の態度を取り続けたが,これはDu Pont(アメリ.ヵの主要な窒

素生産者)との関係を考慮したためと,アメリカでの生産能力の拡張を阻止す

るためであったω。

 染料も両大戦間期に過剰能力の存在が顕著な部門であったが,生産割当ては

部分的にしか実行されなかった。29年のヨーロッバ染料カルテルに先立つ27年

のドイツとフランスの協定では生産割当てがなされ,それではフランスの生産

量は15,OOOトンとされ,2/3が国内販売,他が輸出と定められた。生産割当て

は29年以降も両国間では実行されたω。

 鉄鋼の場合には,最初生産割当てを実行していたが,後には放棄し,輸出市

場だけを対象とするようになった。26年の第1次EIAにおいては,粗鋼生産

量によって第9表のように生産量の割当てを決定していた。表に見られるよう

第9表第1次ElAの生産割当て (%)

総生産量ド/ツ1 フランス1ベルギー ク㌘多1ザ.一ル.

下限25,287千トン 40.45 31.89・・.・・!・。・・

6,54

26,287 40.75 32.1612.211 8.60   」

6.28

27,287 41.57 31.98 11.87 8.52 6.06

28,287 42.94 31.29 11.60 8,33! 5.84

上限29,287 43.176 31.181 11.560 ・・…1・・….5782!

Source:U.S.Tariff Commission,ル伽md8’ee’,p.393.

に,総生産量が変化すると割当て量も変化しており,総生産量は四半期毎に決

定された{6〕。33年の第2次EIAは総生産量による規制をやめてしまった。第

1次EIA崩壊の一つの理由は,ドイツ国内需要の増大とそれに比べての割当

て量の少なさに対するドイツ企業の不満であった。割当て量を越える生産に対

してはトン当り4ドルの罰金が規定されていたが,ドイツに対しては国内向け

の罰金を2ドルに,後には1ドル迄引き下げるという譲歩がなされた。しかし

結局,29年にドイツはカルテルを脱退するω。このような事情が第2次EIA

における生産規制の放棄に導いたものと思われる。

 他に樟脳,くえん酸,パルプなどで生産割当てが協定項目に含まれており,

国際カルテルの河とその限界(下) 69

またプラスチックなどでは,特許を利用して生産量の制限が義務づけられてい

た=8〕。

 特別の形態の協定としては,IGとStandard Oilの間の生産部門分割協定

がある。両社の間には多くの協定が存在したが,29年に結ばれた生産部門分割

協定はその中でも代表的なものであるω〕。この協定は次のように規定してい

る。rもしもCompany(Standardのこと  筆者)が世界のどこかで,そ

の現在の事業と密接た関係のない新たな化学部門の開発を始めようとする場

合,それは正当で合理的た条件により,その新たな企業(パテント権も含む)

の支配をIGに申し出る」。rもしもIGがドイツ以外の地域で,石油・天然

ガスの事業部門として以外には有利に実行しえないような化学部門の開発を始

めようとする場合,それは正当で合理的な条件でCompanyにその支配(パ

テント権を含む)を申し出る」。「もしもIGがドイツ以外の地域で,前に述べ

たような性質はもっていないがCOmpanyの事業と関係するような新たな化

学部門の開発を始めようとする場合,・・・…IGはCOmpanyに相当の,しかし

非支配的な参加を申し出るαo〕」。化学と石油の境界上の事業については,30年

のJasco協定(この時設立されたJoint American Study Co.の名をとっ

てこう呼ばれている)によって更に補強された。Jascoには,両企業の原油,

天然アスファルト,天然ガス,あるいはこれらから生産された生産物を原料と

するような新しい化学的製造上程のパテントがプールされ,そのライセンス機

関として機能した。持株は50:50であったが,利潤は開発者62.5%,他が37.5

%と配分された〔m。

(注)

(1)29年協定はドイツのNitrogen SyndicateとイギリスのICI、そしてチリの

  生産者の問で結ばれ,価格・生産・輸出について取り決めた。32年協定にチリは

  最初参加するが,33年には脱退し,34年以後再び参加する。34年にはヨーロッパ

  と日本の間で協定が結ばれている。U.S.Tariff Commissi㎝,C加mづ吻’M〃一

  〇8m,Report No.114.1937,pp.82→.

(2)〃d.,PP.83-4.

(3)∫脇.,PP.62-3.

(4)〃倣,p・85,Stocking加d Watkins,oψ.棚.,pp・16ト2.Edwards,ψ

70 一橋研究 第6巻第2号

  c〃.,pp.29-30.アメリカとヨーロッパの間の関係はあまり明らかではないが,

  Amed Chemica一とICI,IG,Ch三1oan Nitrate Salesだとの間で協定が存在

  したといわれている。St㏄king加d Wa舳ns,ψ.c〃.,PP,153-4。ただ当時,

  アメリカは基本的に窒素の輸入国であった。35年段階で輸出5万トンに対し,輸

  入は14万トンに達していた。U.S.Tariff Commission,oψ.泓,p.188、

(5) 月〃e〃5,Pt-V,pp.2068.2323-7、

(6) U.S.Tariff Commission,∫mn”〃∫fee’,pp-391-3,Hexner,5’ee’,pp-

  294_5,〃”m刎〃、ψ。〃.,pp.259→O.

(7) U.S・Tariff Co㎜mission,θψ・c〃・,p・395,Hexner,oψ・c〃・,pp・78一・9・

(8) Hexner,∫n’e7mα〃。nα’,PP.306-7,384-7.

(9)両社の間では,29年に他に次のような三つの協定が結ばれた。(1)水素添加技

  術に関する4杜協定,(2)ドイツ市場における石油製品の分割を定めた協定,(3)

  予期せざる事態に対し利害の友好的な調整を計るための協定。その他合成ゴムに

  関しても協定が存在した。ル’m5,Pt.㎜,PP.3451→7,St㏄king and Wa’

  tki皿s,θゆ.c〃.,pp.92-31

(10) Pα加〃ね,Pt.1㎜,pp.3444-5。

(11)〃a1,pp.3446-51,St㏄king a皿d Watkins,oゆ.c払,pp-94_5一

 6.価格協定

 価格の引上げ(ある場合には低落の阻止)は,国内・国際の如何を間わずカ

ルテルの究極の目的である。ところが国際カルテルの場合には,このことが協

定によって直接的になされるとは限らない。市場の地域的分割がなされると,

ある独占体の独占地域での価格設定はその独占体の問題である。市場分割が維

持されている限り,価格に相違があることによって商品の輸出入が生じること

はありえない。だから直接的な価格協定が存在しなくても価格は引上げうるの

であるが,その引上げの割合は,それぞれの独占地域によって当然異なってく

るω。更に市場分割は次のような価格協定によって,すたわち他企業の独占地

域から商品の照会や購買の申し入れがあった場合には,ある約東された価格以

上の価格を示すという協定によって,事実上その地域からの購買を拒否し,強

化される。

 しかし,地域分割が完全になされる国際カルテルはむしろ稀であり,様々の

独占体の利害が錯綜している地域は共同市場とされるので,このような市場で

国際カルテルの河とその限界(下) 7j

は価格協定が結ばれ,価格の維持・弓吐げが計られる。

 ブルカリの国際カルテルでは,独占地域においては共通する価格政策は存在

せず,共同地域に関してはその市場で支配的な企業が価格決定を行い,他企業

はそれに従うと約束されていたω。アメリカの苛性ソーダ,ソーダ灰の価格

は,最初の国際カルテルが結ばれた24年以来全く硬直的なものとなっている。

例えば軽ソーダ灰は25~45年の期間,100ポンド当りの価格で1~1.5ドルの問

を安定的に推移している。これに対しアメリカの輸出価格は,地域的にも時期

的にも分散した値を示している。地域的な理由は,A1kasso-ICIの支配が強い

地域では高価格が維持され,弱い所では低価格での輸出が実行された。例えば

中国とオランダ領東インドでは日本と競争関係にあり,ダンピング政策がとら

れた。時期的な変動は,アウトサイダーとの競争,現地資本の新たな参入を阻

止するためなどの理由によった{9㌧

 30年の窒素カルテルでは,価格について前年の支配的価格を上回らないとい

う約束がなされた。窒素価格はそれ迄低下傾向にあり,この協定によって価格

維持が計られていたことは,31年7月におけるこのカルテルの終了時にはっき

りと示された。イギリスでは31年6月に100ポンド当り9ボンド10シリングた

った窒素価格は,7月には5ポンド10シリングに迄低下している。それ以後,

窒素価格はこの9ポンドの水準に迄は回復しえないのだが,一貫して上昇傾向

にあったω。

 第1次EIAではあいまいであった鉄鋼の輸出価格は,第2次EIAでは製

品別にはっきりと定められた。33年6月の最初の輸出価格は第10表のように決

められた。鉄鋼輸出価格の全体的趨勢は,26年より29年迄上昇,その後33年

迄低下,33年より39年迄上昇という経過をたどっているω。他の要因(例えば

第10表 第2次E l Aにおける輸出価格

半加工鍋■型鋼

£25s.  歪2 15s.

1933年6月

標準棒鋼1一般鋼板鋼板.一_“鋼坪.

£3舳 _..f3’8s舳.∴3乱舳

So山。e U.S.Tariff Commissio皿,〃θm”〃5吻’,p.404。

(注) 1トン当りイギリス海峡・北海港渡しf.0.b一価格。

72 一橋研究 第6巻第2号

大恐慌)の影響もあるとはいえ,上昇期は国際カルテルの活動期と一致してお

り,カルテルによる価格支配は明らかである。またEIA参加国の国内価格は

輸出価格よりも一般に高く,更にその国内価格も種々の値を示している(6〕。

 電球カルテルにも一般的な価格協定は存在せず,カルテルは全体的な方向づ

けを与えただけであった。各国の小売価格は異なっており,例えば38年の25ウ

ッド,40ワット,60ワット電球価格はそれぞれ,オランダ32,59,70セント,

ドイツ30,36,48セント,スウェーデン23,27,33セント,アメリカはすべて

15セントであった。アメリカの電球価格は一貫して低下しているが,これは生

産技術の進歩,大量生産,製品の標準化などとともに,日本からの輸入競争の

ためであったω。

 重電機の国際カルテルINCAは報告制度を利用して,前以って参加企業間

で話し合いを行い,落札企業を決め,落札企業と非落札企業の価格を指定する

などの活動を行っていた。また,この入札額には通常の生産費と利潤に,

INCAに支払われる補償金も加えられるのが一般的であった(8〕。

 国際協定の結果,価格が飛躍的に上昇したのはタングステン・カーバイドの

場合である。1928年にGEとドイツのKruPPは協定を結び,次のことを約

束した。(1)アメリカの全パテントをGEにプールする,(2)アメリカの価格

はGEが決定する,(3)GEはKrΦPにロイヤリティを支払う,(4)KruPP

はアメリカで生産はしない,輸出はGEの示す条件に従って行う,(5)技術情

報の交換㈹。GEは子会社Carboloyを設立してタングステンの事業を始め

た。またKruppのアメリカヘの輸出は39年の補足的た協定によって禁止さ

れ,この時GEの輸出も制限された{1m.28年協定以後アメリカのタングステ

ン・カーバイドの価格は,1ポンド当り50ドルから最大453ドルに8倍以上値

上げされ,30年代を通じて最小225ドルー最大453ドルの間の価格がつけられ

た。40年頃で実質生産費は1ポンド当り23ドルであったといわれている。アメ

リカとドイツの価格差も相当なもので,35年段階でタングステン10グラム片と

20グラム片の価格は,ドイツでそれぞれ1.75ドル、2ドルであったのが,アメ

リカでは8ドル,12.5ドルであった{11〕。

国際カルテルの河とその限界(下) 73

(注)

(1)

(2)

(3)

(4)

(5)

(6)

(7)

(8)

(9)

(lO)

(11)

 国連の報告書は次のように述べている。r国内市場は国内生産者のために確保

され,輸出市場は分割され尽くすわけである。このような仕組みのもとでは共通

の価格政策は存在しない。それぞれの市場における価格決定は,その市場に商品

を供給する企業集団に委ねられることになる。そのために,市場が完全に分離さ

れていれば,当然のことながら,関税や運賃の相違から生じるものよりも,はる

かに大幅な価格差が発生する余地が出てくる」。U・N・、0少・泓,p・15,邦訳27~

8頁。エドワーズも同様のことを指摘している。Edwards,θゆ。c”。、p.1O参照。

 F.T.C.,λ〃α〃、p.92.

 ∫ム{a.I PP.90一一6,

 U.S.Tariff Commission,C加m{c〃M〃m8舳,pp.92_3,Stocking and

Watkins,ψ.c〃.,pp.162-7.

 U.S.Traiff Com㎜ission,ルmα〃5切’,pp.501-3,Hexner.∫伽’,pp.

工89-93、

 ∫あ’σ.、 pp. 195一一6-

 St㏄king and Watkins,oク.c’i.、pp-342-9。国内価格の相違について,ス

トッキングとワトキンスは,国内カルテルの支配の程度と電球の品質が原因とし

ている。

 F.T.C.,厄’ec’〆。〃亙gmφ刎e〃,pp.36-41.

 jRαCem’5, Pt. I, pp.66-7,281-8.

 ∫ム’6.P.68.

 ”6.,pp,85-9,Edwards.θゆ.誠.,pp.12-3.Kru叩はGEとの協定以前

に,アメリカのUni㎝Wire Dio,Firth・Ster-ing St㏄1,L皿dlum SteeIにそ

の技術をライセンスしていたので,GEとの協定の際,GEはこれらの企業ヘサ

ブライセンスすることが約束された。その時これらの企業もGEの価格政策ド

従うことに同意した。GEは30年代にこれらの企業からタングステン事業を買い

取り,また36年にドイツからの輸出が制限されることによって,アメリカ市場を

ほぼ完全に支配した。P物舳,Pt.I,p.57,70.タングステン・カーバイドの協

定については,U.S.v.GE,80F.Supp.986も参照。

 7. 国際カルテルの意義と限界

 今迄に見てきた国際カルテルの活動から,我々は第二次大戦前の独占体の対

外活動について次のような特徴を見出すことができる。すなわち,各国の独占

体が協定によって世界市場を地域的に分割しようとすること,ある地域(少な

くとも本国市場)を自ら・の独占地域として確保する代りに,別の地域を他の独

74 一橋研究 第6巻第2号

占体の独占地域として保障することである。このことを基礎として特許と生産

技術の相互交換を行い,自らの独占地域内で独占価格を設定し,超過利潤を得

ようとする。各国の独占体の利害が交錯し地域分割が困難な輸出市場について

は,比率による分割が行われ,この場合には価格協定が一般に結ばれる。対外

投資に関していえば,当然他の独占体の支配地域への投資は制限され,また既

に様々な独占体の利害が入り混っている地域では合弁企業が設立されその市場

の分割の役割を果す。国際カルテルのもっとも理想的な状態からすれば,対外

投資が市場分割に完全に見合った形で整理されるのが望ましいが,他方では独

占体の発農は常に無政府的であり,このようた整理は常に妥協の形でしか行わ

れない。もっとも市場分割自体が,資本主義的独占のもとでは,全く矛盾なく

すっきりとなされるわけではない。

 このようた国際カルテルの枠組みの中での個々の独占体の対外活動の典型

が,.Du Pontの次のような指針の中に示されている。Du Pontは1919年段階

で世界市場を三つの地域に分けて,以下のように特徴づけている。「(1)活動地

域(Active Territory)一『Du Pontないしは子会杜が主要な供給源になろ

うとしており,そう努力しようとしている地域』,(2)代表地域(Representa-

ive Territory)一rDu Pontないしは子会杜が現在あるいは将来事業をしよ

うとしているが,主要な販売者になろうとはしていない地域』,(3)非活動地域

(Inactive Territory)一rDu Pontないしは子会社がどのような事業もしよう

としないし,いかなる方法でも供給しようとしたい地域。非活動地域は,我々

が協定によって他の生産者に,我々自身の特許と製造工程の独占的使用権を与

えた全地域を含んでいる口)』」。

 このような貿易,投資,技術利用についての独占体の対外活動の様式は,第

二次大戦後の多国籍企業の活動とは全く異なるものである。現在における先進

国間相互投資と,後進国に対する製造業投資の新たな展開は,独占体が言葉の

真の意味で世界企業になったことを意味する。現在の独占体である多国籍企業

には,他の多国籍企業に対し自己の独占地域なるものは存在しないし,同様に

相手の独占地域も存在しない。対外投資は世界のあらゆる地域に対して,正に

グローバルに展開されている。技術の利用もその相違は明瞭であり,今や新し

国際カルテルの活動とその限界(下) 75

い技術,より進んだ優位な技術は他の独占体にライセンスされるよりは,自ら

の海外生産の武器として利用される。Du Pontがかつて世界を三つの地域に

分類したのに対し,多国籍企業は世界市場を一つのものとして,あらゆる地域

での活動を目ざしているのである。独占体の対外活動は第二次大戦の前と後で

変化しているのであり,国際カルテルは一般的なものではなくたった。

 もともと国際カルテルは,決して強固で永続的なものではなかった。経済的

なものに限れば,主として次の二つの要因によって,カルテルは常に崩壊の危

険にさらされていた。第1にアウトサイダーの存在があげられるω。アウトサ

イダーは,国際カルテルによって分割された市場に割り込もうとするし,その

際カルテルメンバーの価格より低い価格で売ろうとする。カルテルのアウトサ

イダーへの対処は,まず価格の切り下げや特許の利用などの手段により,それ

を排除しようとする。多くの国際カルテルが,アウトサイダーとの競争に出会

った場合の価格の特別規定を含んでいた㈹。この方法が功を奏しない場合,次

にはアウトサイダーに一定の市場を与え,カルテル内に引き込もうとする。こ

うして国際カルテルは,アウトサイダーが強力であればある程,崩壊ないしは

再編を余儀なくされるω。

 国際カルテル崩壊の第2の理由は,カルテル参加者間のr力関係」の変化で

ある。各国民経済の発展速度は不均等であるから,割当てられた市場規模はそ

れに従って変化する。独占地域の市場が急速に発展する場合,その独占体自身

も急速な発展が可能となる。また前にも述べたように,国際カルテルでは生産

や新投資の規制は一般に行われないので,生産能力の拡大は企業次第である。

更にそれぞれの独占地域での価格設定は様々であり,この価格水準は種々の要

因によるが,特にその地域内のカルテル化の程度による。カルテル化が進み,

高い独占価格の設定が可能な地域の独占体は,蓄積が一層進むであろう。輸出

市場の発展過程もまた多様なものがあり,それ迄あまり重要でなかった市場が

急速に発展すれば,それは各独占体に違って作用するであろう。これらの総合

的結果として,より発展した独占体は既存の分割に不満をもち,新しい分割を

要求することになる。

 重要なことは,以上二つの要因が決して新たた分割,再分割を否定していな

76 一橋研究 第6巻第2号

いということである。逆に独占体は再分割を行うことを前提として行動するの

であり,再分割が行われる際にいかに多くの市場を獲得するかをめざして行動

しているのであるω。すなわちこれらの要因は,国際カルテルが崩壊,再編さ

れる要因ではあるが,国際カルテルを結成しようという志向性そのものを否定

するものではない。

 国際カルテルから多国籍企業へという独占体の対外活動の変化について,我

々はレーニンの帝国主義への移行についての次のような説明から,一つの示唆

を得れるであろう。「この交代は,資本主義と商品生産一般のもっとも奥深い,

根本的な諸傾向の直接の発展,拡大,継続以外のなにものによってひきおこさ

れたものでもない・・・…。交換の発達,夫規模生産の発達一これが,数世紀に

わたって文字どおり全世界で見うけられる基本的た傾向である。そして交換の

一定の発展段階で,……交換は,経済関係を大いに国際化し,資本を国際化

し,大規模生産は非常に大規模なものになったので,自由競争にかわって独占

が現れはじめたのである=ω」。ここでいわれている「交換の発達」と「大規模

生産の発達」は,資本主義の根本的な諸傾向なのであり,独占段階において

も,従って国際カルテルの時代にも当然作用しているのである。これらの諸傾

向によって経済関係はさらに国際化され,資本もまたさらに国際化していくの

であり,その結果,独占体の対外活動に基本的な変化をもたらすこととなる。

 国際カルテルから多国籍企業への転換の基本的要因は,「交換の発達」と「大

規模」生産の発達という資本主義の基本的傾向そのものである。国際カルテル

のもとでも,前者は世界貿易量の増大,個別企業レベルてみれば輸出量の拡大

として現れ,また後者は独占体の蓄積の進行による一層の成長,国際的な生産

活動の拡大として現れてくる。しかし国際カルテルは,世界市場の観点からみ

れば,独占体の活動を地域的に制限するものである。世界的な交換がより発達

したもとで,より生産が国際化したもとで,このような制限は独占体の活動に

そぐわないものとたる。新しい形の対外活動が,世界的規模での多国籍企業の

活動が展開されることとなる。

 ところで,国際カルテルの枠をはずれた対外進出は,同時に報復を一も意味

し,自己の市場へ進出されることも考慮されなければならない。この点では第

国際カルテルの活動とその限界(下) 77

二次大戦後の状況は,以前の国際カルテルの中心をなしていた米欧問の力関係

が,アメリカ側の圧倒的優位というものであり,アメリーカ企業がカルテルより

も対欧進出を選ぶ好条件をなしていた。こうして,アメリカの対欧直接投資の

累積はもはや後戻りを不可能とし,ヨーロッパの復興にともなう対米投資をも

必然的にもたらしたのである。

 経済関係のさらなる国際化と独占体の一層の成長,出発点における世界的な

独占間の力関係の格差,これらのことが国際カルテルの時代を終らせ,多国籍

企業の発展に導いたのである。

(注)

(1) U.S.v.ICI,P.519、

(2)国連報告書は,カルテル参加国のアウトサイダーへの態度について次のように

  言っている。「こういった態度をとる諸国(国際カルテルを市場規制のための有

  効な手段と考える国  筆者)は,アウトサイダーに働きかけてカルテルに参加

  させるか,あるいはアウトサイダーの行動をカルテルの政策や活動に合致させる

  か,それともまたアウトサイダーを全面的に市場から駆逐するか,これらいずれ

  かの方法によって,アウトサイダーによる妨害を排除しようとすることになる」。

  U.N.,0ψl c”.,p.47,邦訳89頁。

(3)例えばレールのカルテルIRMAでは,アウトサイダーとの競争市場では安い

  価格で売り,一般価格との差はカルテル基金によって補償された。F・T・C・,

  5サm’,p.41.また重電機のINCAでは,非参加者との競争に際しては,カルテ

  ルに支払う補償金が減額された。F,T.C一,〃2c洲。〃助ψm肋,p-36.

(4)アルカリ産業は,アウトサイダーとの競争のいくつかの側面をよく示してい

  る。第1に協定における輸出量は非参加企業の輸出量をも含めてのものである。

  例えばAlkassoへの輸出割当て量はAlkasso非加盟企業をも含めてのもので

  あり,全アメリカの輸出にAlkass0は責任をもたなけれぱならたかった。第2

  に,30年代中葉にカリフォルニアの生産者(アウトサイダー)がスカンジナビア

  に輸出を行い(ドイツの独占地域),ドイツからAlkass0に抗議がなされ,カリ

  フォルニア生産者はCalkexを組織し,国際カルテルに加わることになった。

  第3に,アルゼンチンとブラジルで現地資本による生産気運が高まったとき,最

  初は価格引ぎ下げで対抗し,後には直接生産が意図された。第4に極東市場では

  日本との競争により,低い価格が設定されていた。F.T.C.,〃肋〃,pp.55-6,

  62-6,95、

(5)このような再分割闘争こそ,レーニンの国際カルテル論の中心的命題であっ

78 一橋研究 第6巻第2号

  た。r国際カルテルは,いまや資本主義的独占がどの程度に成長したカ㍉ また資

  本家団体のあいだの闘争がなんのために行われているかを示している。このあと

  の事情がもっとも重要であって,この事情だけがいまおこっていることの歴史的

  =経済的意義をわれわれにあきらかにゴるのである」(傍点原文)。ハeHHH、〃M〃

  ψ〃〃3M,cTp.372,邦訳『全集』第22巻.292頁。

(6)・兀eHHH,ψe∂〃〃舳eκ卵。mψe〃5y〃μ舳《Mψ080e畑3効。m80μ

  〃〃〃eρ〃。ノ〃3Ml㌧ noハH0e Co6paHHe C0HHHeHHH.T0M27,5H3凡,cTp・95,

  邦訳「エヌ・ブハーリンの小冊子r世界経済と帝国主義』の序文」rレーニン金

  集』第22巻,114頁。

(筆者の住所:国立市北2-18-16菊池方)

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