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Title ジョージ・ラムジーの利子論:企業利得者の規定をめぐって
Author(s) 石垣, 博美
Citation 北海道大學 經濟學研究, 7, 1-34
Issue Date 1954
Doc URL http://hdl.handle.net/2115/31010
Type bulletin (article)
File Information 7_P1-34.pdf
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
ミシ
吉章
乙/'
ブ
ム
乙ン
の
利
子
論
1
i企業利持者の規定をめぐって11i
石
垣
博
美
問問機関航一誌に基礎乞たく粧消皐の生長
ω採決のうえで、ジョージ・一フムジイの接説は、直接的生定渇釈に沿ける資
本について、一平野一上不縫資本と可縫資本との一臥別役もうけた黙で、一刊日ずべき
m論的特徴詮もっている。従来心抗的
早が、流動資本という第ご義的視定乞もって可鑓資本部分の本質的規定に必きかえ、生活安料または貨幣静態にむけ
る前捕いの舷式乞と沿して賢現される川労働去の偶人的泊費の過程念総封的な形で資本
ω流通形式に解消せしめる、資
本家的根象にたd
ちいっているのにたいして、ラムジーはとれを批判する概略な保持していた。すなわち、砂防は生注
の本質的保件であるが、質問山働はそうではたい、またそれゆえに賃銀前梯いの基金たる「流動資本」も生沌の給封的
保件ではない、いいかえれば賃銀拶蝕の形式を基礎とする生産方法は枇合的生庄の結針的形態ではないとする見地か
ら、枇合的野陣の資本家的形態を絶お視しであやしま崎なかった狭騒な資本家的現断から枕するととができた。とれま
総務態研究
じ
ジョージ・ヲムジ1の利子論
日ね尉一
での経消感者が自明のものとしてうけいれていた綿断的前提友しりぞけることによって、資本の給封性を否認し、治げハ
ハー一〉
本家的生産の婚出先性みど到論的に確認した黙に、一フムジ
lの験問的功松が存したのである。
一ブムジーは、
その利子論あるいは地代論に必いても、かくのごとき資本心係史性を認める立場からして、利子ある
いは地代の範略は資本家的生産に必要なものではなく、排除しうるものであるという主肢をなし、との生出↑刀法の併
ハヨゾ
体を示唆している。ととろで、資本家的生産の基礎上にh
掛ける利子という純時左利潤の単なる一部分と確認した感荘
は、スミスもマツシーと同じく、貨幣貸付資本がっくりだす利刊の特殊な一波生的形態であると
マツシーであった。
とろの利子について論じているが、しかしかれはとれだけの議論にとどまらや、さらに貨幣貸付資本と現賞資本との
複雑多様な関連についても、かなり注目すべき洞察なあたえている。十日比終消阜の流れにあらわれたとのような利子
論は、ラムジーにいたってきわめて簡潔な去現により要約されているけれども、一ブムジーが貨幣貸付資本の試運動乞
論やる場合
一見したととろそれは沿訟なねマツシーもしくは立識的にはスミスの所設の範附乞出たもの?ばなく、
むしろとれらやどそのまま踏襲しているにすぎないかに見える。だが、それにもかかわらや、前誌のごとき、利子ある
- 2 _.
いは地代のような利潤の一波生的形態は資本家的生産に純一川のものであるという側聞から、資本の脱出九性む認識した
とと、他方に沿いては利子範臨の成立とともに、総利関が利子部分と企業者利作部分一に分割される閥係な古品川一粍的態
〈のみ,v
の体統のうえにたってはじめて明踏にしたとと、とれらの貼で一ブムジーの利子論は主要た特色そ都びているといって
よいのである。そとで、本稿の目的、とするととらは、まや第一に、古典絞消聞いに沿いて令主持利得という舵消的中上
ω
範時に班論的考察そあたえた唯一の時十者たるラムジーの所設な検討するとともに、抗一一に、とれによって、スミスお
よび一ブムジーにたける余業者利得にかんするさまざまの論攻がマルクスに沿いて強力に版取されたさい、いかたる仕
方に沿いてそれがなされたかについて、その研究の跡を辿ってみたい。それと同時に、少年法符利得という利子論にた
ける小山ぃ一裂な一範院にかんする若干の聞論的問題左とりあげ、絞前倒いに公けるもっとも間期た政論領域とされる利子論
の解明のために、右の問題を考えてみたいと思う。
(1)
アムジ!の刑制絵佼値論を総日間的に研究したものとしては、すでに玉野井芳郎者「リカアドオからγ
ルクスへ」新評論一紋販がある。
第一144
「ジョージ・…フムジ!の紘一
e
説体系」を品哲郎…。なお、沼恒司同w
ま
-H-F恒三目。ロロσ申吋品。ロ認
522ユJHW品・ロ戸∞・∞∞Him-AMM叫w
邦
ぷ改造社版、第四本、ジョージ・一フムジl、一一一七九
im一八ページ晶君版。
マルクえは、「制別総佼彼此中説市民」のなかでラムジ!論の枕相続として、つダのようにのべている。すなわち、「長業利潤と仮別せら
れた利子は、地代〈茨木家的生売そのものによってつくられた土地所有形態〉と同じく、資本山本的生療に必市対なるものではなく
し一三除き去られうるものであるということ、これが第一一の黙であるo
この俗流的現燃が資際に行われるならば、その給閉取はつ
ヴのごときもの吃あろう。すなわち、すべての剰総佼値は斑援に政業資本山本の予に締し、放命日は純滅的には資本・と相久野との筒山単
なる刑判立に滋元せられるということであって、これは、いづれにしても、こうした生応方法の解体安偲さざるをえないという結
来をきたすのである。」
E吋YOGH-URw∞-AHNF邦謬、問一八へ
1ジ。
泌俗的にも、ラムジ!といえば、その分配論のなかで、とくに利潤にかんして「利子あるいは純利潤」と「余業利潤」とを仮附加
した染者として、設問されるのがつねである。たとえば、「一フムジーは、犬陸の経済染者とくにトラシ
l、セイ、シュトルヒな
トとによって依期された諸概念の低能な把旅した、イギリスの最初の験者の一人として軍要である。:::かれは、係統的なフラン
ス入による阪別たる、資本家と余波家および利子と利潤の胤別を強調した。かれは企業家の諸機能、いいかえれば、ある時憾の労
働と危険を笈捻する諸機訟を分析して、生鼠院ならびに分間過程にh
引ける企業家の服姿なる地伎を力説した。」閉まM1n】
OMVm出品目白。問
答申出口口日弘田氏自ロロ由国
wE-回-mo民間宮伊HH〈♀・洲口戸市・
8H-主た、経済思想史散典、腕経夫監修、一八
Oべlジ参照。しかしな
がら、マルクスもまた、一フムジ!の利子論にかんする絞述を論評するさいに、この食業者利明日に者自して、「全体として、ラム
ジーが康業利潤について、とくに殿替の努力についてのべるところは、かような方法において説明されたものとして、もっとも
送球正しいものである。」とのべて、これを野俊している。
RJpoSUR--m-AHHa・邦誇、四一一一ページ。
(2) (3)
終抑制経研究
七
-3-
ジョージ・一フムジ!の利子論
石坂
しばしば指摘されるようにラムジーは事質上その利子規定の多くをスミスの感泣から受けついでいるのであるが、
しかしまったくの模倣に格始しているわけではない。少くとも一ブムジーの文章から推察されるととろにしたがえば、
かれ自'ザはたえやスミスの所詑にたいし、批判的態度宮保持しているのである。一般的に利子といえば、それは、無
機能なる貨幣貸付資本家が機能的な点主資本家に一定舗の貨時を貸付ける場合に、前者の貨幣貸付資本家が後者の併
交資本家からうけとる貨幣資金の使用料のとと万ある。だが利子の内容そのものは、利潤の一部分であり、利潤から
の一位除部分であって、したがってそれは刑判徐杭杭の分割部分に帥荒ずる。との利潤の一部分が、資本の所有にたい
していえ撚われる報酬という形態をとるとき、それは利子形態をうけとる。ラムジーはこの閥係をだいたいにたいて五
時に認知して、企業家(宮山田件。円わさ皆同町付)から資本家石川越貯昌弘)に支持われるととろの利潤からの一控除部分が利
子という形態乞とるというふうに詑明している。
「利刊の問題佐研究するにあたって、わたくしは、とのす葉な、イギリスの者諸家が通常なしているように、すべて
資本
li生産に泊将一された固定資本ならびに流動資本そ代償したのちに、
A
沢葉山系(宮内凶印仲間
20凶立宮山町田仲)に残された金利
除そ立味するものと考えた。とれと同時に、わたくしの親祭するととろによればとの金利飴は必やしも一偶人の財産
SSM嵐広三となるとは限らない。というのは、ある人はその資本の持
k
主であるかもしれないし、他の人はそれ危使用
する弊背と危険
(Rgzog仏江印付)を長拾するかもしれないからである。かくして、利潤は事賢一上、一一続料開の会く異
いいかえれ
つ介収入を合み、その一は資本の使用のための代償と他は弊苦と危険を長持したととにたいする柿抗、
ば、ほ日竹と管問(急円ぬの門目。口防同戸内凶
ZHXM円山口件。ロ仏同
HMg)の仕事に沿いて用いられた熟練にたいする代償、
とである。総利
4
間(ね円。訟も円。凶草はとうして二つの部分、すなわち資本の純利潤
(505仲間対om仲間え
gH〉山富山)と入信業利潤
(5020mg
c同
gZ号円山田σ)に分ゆりられるのが趨常であろう。」
(
2
d
「住幣の形で汗摂され支梯われるととろの資本の純利潤は、利子とよばれる。」
「資本の使用にたいして支掛われるととらのもの、通常世幣で評摂されて利子といわれるものは、一方に沿けるあら
ゆる給料川の併予と他方になける貸付資本への印刷V
口氏
SHOPSを所有する人々との教のあいだの、一定比率に依存せざる
左符ないc
」
とれたしばらくのちに考察するとして、利子についてみれば、一フムジーはとのか~草のなかで利子そ
「資本の純利潤」と呼郁している。しかし、後述するように総利潤の利子部分たよび利子を控除した他の部分への単
純な去的な分割の段舶に公いては、いいかえれば、利子と余業者利作という二部分への総利潤の質的分割があらわれ
る以前。段陪に沿いては、「資本の純利潤」という名揺はラムジーがとれゆとただちに利子と等しいものとたしている
ハ4J》
のとは滋に、利子を控除した残りの部分に伎附されるべきであろう。線利潤の一分割部分たる利子が単に量的に賢現
される場合には、残りの部分は同じく間半にny一的な利潤マイナス利子、純利潤どしてあらわれるのである。だが、一ブム
ジーがかくのごとき名稲上の形式的視向をたしている献はともかくとして、内容的にみるならば、一ブムジーは「純利
AV‘叩川市者利符は、
澗」という刻一口に沿いて利子の質的な形態的規定を正しくつかんでいるといってよい。
仙
の
S品由民出向出認可¥メロ刷出回目唱。ロ答申盟国主σ口氏。口忠君品世円売J
出品目出ぎ品YH∞∞少司・凶器・
叫局幹珂吋凶印mwM〉山蕊?阿川-MDAF]100寸ロOけ0・
矧同凶担同HMmmH
一ヨ芯目白-w吋-Hhw由・
的一ソムジ}が利??を「純利潤」と稀したのは、つぎのような純一出によるのである。「純利潤という文句は、まったくタウト口ギ
i
に駒山われるかも知れないが、しかし資本の利潤(匂円。
mgo同白担閉じ
ZH)という術諮liiこのほうがムおそらくよれヲ正確なのであろう
認ど誠司
LF汗-」v-u
s輔が絞七五あノ
七
一喜一
ジ九
lジ・一アムジ
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。千平二-一一一-u
石垣
iーが、イギリスの著述家によって滋常総利絡を意味してきたものである以上、それはこの相場合において使用されることができ
ないよ
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日
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-SAm-なお、スミスが延味利潤または純利判例(出血担け
CH1nHS吋官omけ)と税するものは、これと金く越
告を畑英にしているが、この献については後述参照。
ととろで、利子の大いさを規定するご嬰悶は、分割されるべき単一なる杭机としての総利潤ヒたいの大いざと、と
の利潤が利子部分ととれ乞控除した残りの純利潤とに分割される割合とである。第一の要問である総利潤じたいの大
いさは、前貸資本長があたえられたものとすれば、平均利料率の向さによって規定されるが、その場合、もし第二の
要問である一一部分
ρ分割前合が一定不縫であるならば、利子の大いさは総利潤の大いさに定比例して娃動ずる。した
がってまた、利子卦が、との総利潤乞決定する利間帯の大いさにも、他
ω一引怖がは一なかぎり正比例するととは勿論
である。しかるに、第一の嬰閃たる総利潤じたいの大いさが一定不縫であるとすれば、利子の大いさは右の純利潤部
分。総動とは反封の方向にうごく。すなわち、利子の大いさと純利潤の大いさとは、和正に議比例の関係に立つので
ある。ととらが、第一嬰阿佐規定する諸事情、いいかえれば剥徐努働
ω慌抗生産物たる総利潤そのものを決定する諸
率的しし、第三の要問である利潤分割
ω割合危規定する誠事情とは、きわめて異なれるものであり、しばしばまったく
反到の占向に作用するのである。けだし、前者は平均利潤色村よび平均利潤率の縫動を生ぜしめる諸事前、すなわち資
本家的生産の展開過税に必ける剰俸制以組率の推移や、前貸資本のなかで占める不謎資本部分と可投資本部分の割合を
反映するととろの資本の有機的綿成の鑓化や、資本の開制判明間などの事情であるのにたいして、後者はとれとは異な
って、貸付可能な貨幣資金のm単なる需給閥係の諸経勃に集約される諸事情であるからである。ととからして、科潤率
のい悦化と利子率の縫勤とのあいだには直接的な関係は存在せや、利潤懇の礎化にもかかわらや利子率は腿日勤しなかっ
さらに戎要たととに雨者が識の方向に挺勤するとととも
たり、
あるいはその謹の場合も起りうるという結果が生じ、
- 6-
なるのである。
とれらの事柄についてラムジーが説明しようと努めている幸村は、
つぎにあげると必りである。
「みげ日本が、それを何らかの有利な使用に長いて投じようと欲している人々によってしか借りられないとすれば、あき
らかに総利潤が分割される割合ば、もつばら資本家と令業家とのあいだの競争、すなわち偶人的な持苦なしにその斉
との仕事を引きうけようと欲している他の人々とのあいだの競争に依存
金から収入佐ひき出そうとしている人々と、
一方に沿いて貸付けのために提供される資本長と、他方に沿いて
ハ1ゾ
それた伎町ずふととがぜきて使用したいと望んでいる人々の敢に、もつばら依存する。」
「かくして利子翠乞決定する事情は!li、わたくしはとれを貨幣?評抗された純利潤以外の何ものでもないと考える
!i、北供されるべき椛授な拾保をもっととろの計千と、貸付けうべき資金を所有するすべての資本家とのあいだの
競争である己
ずるであろう。
とうした場合には、各々の分前は
-7-
「純利問。ムキは、一部分は総利潤率に依存し、(というのは、全体としての線利潤が多いか少いかに臨ヒて、との全
体心分割部分もまた同じように多くなったりタくなったりするからである)、一部分は総利潤が資本の利潤と余玄利
〈
3J〉
潤に分割される割合に依存せざる役えない己
おのかん立に見られるとむり、一フムジーは利子なる範慎一の丸山市一的な規定性、すなわち利子率決定の諸嬰閃について、五
しい見併乞示している。しかしながら、利子の大いさが枇合的資金(一ブムジーはとれ乞
gaoロmwH21SHといってい
ハ4)
る)にたいする尽なる需給関係によって規定され、しかも一般的に利子率は利潤率の運動に照躍するというととは、
経消防十心琵民史のうえではずでにスミスにおいて明示されたところであり、ラムジーの倒見とはなしがたい。むし
〈
5V
ろ、叙上の問題にかんするかぎり、一ブムジーは、スミスの所説生そのままうけいれているように忠われる。
町内山崎山内市研究
vと
ジョージ・一フムジーの利子論
T
抑制
(5) (4) (3) (2) (1)
MH但呂田恒示日立品-wMYHmx-
山ぴ山手wMV・]54・
55・・MVHV・Moa-aM4品
目ぴ山島崎MM・問。M-
kv含5mgxytJ君。弘谷氏ロ注目。
53切品-Hnv・出および凶品・ロ-nv・品参照。末、水茂山品川本官「十日成〈汲経済経研究」のなかの「之
、、、スの利子論」を晶君問…。
だが一フムジ
lのスミスにたいする傾倒も
一般的利潤率の低落にかんする議論に公いては、やや趣喝さを異にして
いる。州知のようにスミスは、蓄財の増加は賃金乞上芥せしめ利阿佐低下さ吃る傾向をもっ、けだし多くの資本家。
議財が同一余主に向けられる場合には奇かれら相互のあいだの競争ば必然的に利潤役下落さぜる傾向をもつからであ
り、したがっての利潤率の低落の事貨のために利子率はそれに針臨して舵搭し、さらにまた余主宥利符の低溶安まね
ハ1JV
くのであると、説明する。とれにたいする一ブムジーの論駁は、きわめて示唆に宿めるものであった。すなわち、ラム
ジlに、よれば、一方にたいて利潤事低落は利子奉侭落を生ぜしめたが、他方それはまた-合法利符乞庶務せしめるとい
うスミスのシェーマは、必やしも訟を符たものではない。けだしこのシェーマの背後には、請叫仰の増加は資本家の増
加十一ひき沿とし、そのために資本家のあいだの競争が説化するととによ勺て、商品依格の引き下げが行われ、かくし
て必然的に利潤率は低落するというスミスの主張そのものが存在するのであるが、との主張にはつぎのようなドグマ
がひりてんでいるからである。それは、一位んげの後民とともにその人口は多かれ少かれ増加するにかかわらや、穀物依格
は、土地生産物註支配する牧獲湖減の法則の作用によって、総資を飴慌たくされ、その結果賃金は上外し、そしてと
との場合スミスは、蓄財の増加は賃金の上昇左導くとの
のい内賃金は利潤率の下落友生ぜしめるというドグマである。
結論1
〈自明のものとしてうけいれているが、
とうしたスミスの議論を批判したラムジーの論行は、
とれや《要約すれ
-8-
は、
つぎのと沿りであるc
すなわち、蓄財の増加が資本家のあいだの競争中ど激烈ならしめるのは常然であり、かつまたその結果として商品債
格が引下げられるのは認められるが、しかしとの事情は決して利潤率に影蜘判げするものではない。なぜといえば、慎格
の引下げは、もしそれが一般に費用の引下げに起因するものであるかぎり、利潤率には・少しも影響しないからであ
る。しかも浪花物と工業製品とは、(一ブムジーは枇んW
けが農業附紋とヱ表、陪絞の一一附般に阪別された場合位前提ずる。)
依然として同一比率の慌格で交換されるからである。それであるから、利潤惑の低落がなければ、利子寧の低落も生
どないし、また余業利得の減少もあらわれないだろう。スミスのごとく、利潤率低落札ど鶴間的に前提して、とれに封
癒して利子率ならびに令業利符の下誌を結論づけるととの諜りは、との前提自身の不備に出来するものであるという
ハヨザ
のである。。
しかしスミスは利調率減少の事質を解明するにあたって、一一つの現出をあげている。一は一ブムジ
1の指摘したと必
り弊働賃金の上昇という灘向であるが、スミスによれば駐合的資本の増加するにつれて生やる生産的野働にたいする
需要は、とれを維持するために使用される野働基金を増如せしめるが、とれに反して刊労働将の給体設が不足するた
め、いき'沿い賃金の上昇友部き、もって利潤の下落をまねくのである。したがづて、スミスは必やしも牧路漸減の法
問問というドグ?に伏捺して、右の事賞を解明したわけではない。だが、スミスのあげるもう一つの現出は荷日開抗絡の
下訴であって、その思考経過は、茨木の増加は、ある図内に沿いて新しい資本宮有利に使用する方法を琵見するとと
か弘、漸次悶維ならしめ、その結果は多くの資本のあいだに、総烈な競争をひき沿とし、かくして資本家はその商品を
低い限格で脱出以しなければならねのはもちろん、原料その他を買い入れるためには高抗格で買わなければならないの
ハ4)
であるというのである。
山間総務研究
七
-9-
ジョージラムジ!の利子論
石主l
総ヒて一ブムジーの議論のうち正しいと忠われるのは、続乍の政化が附山花の引下げを依依なく廿しめる場合に、
Armtポ出家
が限料その他の生庄手段乞依然として高俄格で時入するとしたスミスの弧時中ぱついたこと、また上の判山からして、
資本の競争は特定の生産部内における向い利潤蔀佐平均水準にまでみはじさげる一袋内にはなっても、との水準そのもの
そ下部仕しめるという主張は誤りであるとと、さらに、持倒持とかけ一本家とのあいだの競争のみが一般的利潤率に作用
〈
5,v
ずるものであるとと、
とれらの貼である。
(1)
たとえば、スミスつがぐのようにのべている。「諮財の榊加は、於会会お勝させ、利潤訟を低下させる餓肉を有しているo
多くの
昨日同ねなる肉入の溶財が尚一食業に向けられるときは、かれら相互のあいだの絞争は必然的に利刑判率低下に導く。もし、社んWM
で佼
まれているすべての異なれる食業に尚践の諮防の榊加がある場合にも、川間伐な競争はすべての余設にたいして同じ作苅をなすに
ちがいないのである」〉門凶悪凶∞
gxy」司gMSazs芯ロ印ョの
ggきが
己
-Hι・∞
4・邦謀、紫波文姥版はけ一七一一一へ
1ジ
Q
「一樹氏が、一一つの明磁に一弘別された階級、一一は災業、品閣は工業に後引する…一際級に分割されると俄山応しようo
また、資本がき
わめて念法に議紋され、そして資本の所有者は何らかの有利な脱党に弐uf
合同門干し工うと欲しているとしよう。その場合には、
この惑剰な怒財の一部分は尚従業に、偽の一部分は工業に吸放されると求心、えてよいであろうo
ぷ一浜家のあいだでのかれらの生市町物
を彪逃せんと欲ずる激しい競争の結果、しば、り〈のあいだ、その約低は下叫惜し、これに比例して利潤は下落すると考えられるだ
λぅ。しかし、前提によれば
J
向じ現象は同-一時に工没にがいても生じているのであるo
われわれのいま考えている諜論にしたが
えば、加工肉口聞の炉、依は尚一の竣山間によって下認すると考えられ、ヲての叫如来余芝山本の利潤もで「引決する。そうすれば良一波全廃物は
工業製品に比して下落し、しかも同時に、後殺は的活に比して下刊ゆする0
だいか、これは矛加する…呪品別である。:::だから、か
くの如き結論に導かれる前提は厳協というほ
μないのである
OLM凶器窃伊吋
wF5wMVHV・H441Mgwまたり日♀・晶君
Mmo
「一方生産的労働にたいする需要は、それを柑相対するために佼われる江市金が榊加するので、待目口のように大きくなるo
すなわ
ち、労働者は容易に磁業を丸山しうるようになるが、資本の所有おはなかなか労働者を雇えないことになる。
~rれらの競争は、
体帥の交金を引き上げ、そして資本の利料を低下させる
OLmg山SLぴお
-wMY凶器・邦謀、同一問一九ページ
o
町山口比谷、宮山島
-wHY∞∞∞・郊器、同一問問べ
1ジ。
「一般的利潤犠に髭響しうる唯一の競争は、企業家と労働者とのあいだの競争であるよもちろん一フムジーは、
(お)(3) (5) (1)
一受当
quヲA-T
↑
i-H幸抑制」泊サ
E
- 10-
認の傾向の根擦については明らかにしてない。何回HgmwMJU日仏JMV-NOm-
「もしわれわれが、以料および仰引訪日間を含めたすごしの
尚nmの佼柊が、製遊山家相互のあいだの競争の結果下叫治することがありうると想定しても、これが利潤のうえに何らかの影響をお
よぼすということは考えられない。すべての資本家はかれの生路物なよりdhvない賞燃にかえて阿武るであろうが、これに反してか
れの授別の一つ一つは、それが閲定資本たると流動資本たるとを悶わず、それに比例して上り今ない綴になるということになる
だろう。」加担問出田町尺ア山ぴ5JMV-H∞行
ととで利子範時が成立する刊誌的根按と、資本家的生産
ω一般的性絡を特徴づけるいい川市の形態について、出
翠に概括して必とう。
産業資本の国特循環には一むの時間が必要とされるために、総資本間航がすべて生花池町村に投下されるととは不可
能であり、したがって茨木の一部は常に貨幣青木、あるいは商品資本の形態で遊休せざるをえないから、制別段恒帆の
生庄のために機能する資本は粕え」?とひ部分だけ給少するとともに、利能川以帆も吋ド削叫んH
で減少するのであるが、し
かしそれゆえに、回特時間が版航されるほど、資本のごうした遊休部分が総資本に北して公ヂます少くなり、他山一弘
前が同等不縫ならば、取持される刺俸制似杭はそれだけ増加することにな見。商主信川の形式は、右のような花業資本
の循環池山杭のなかのとくに商品資本の貨幣資本への特化の過釈を促進する形式として、いいかえれば資本によって公
産された岡山杭笠宮現ずる流通時間宮牧結節約し、資本の生出性すなわち依純増端を大たらしめるヂ段として、展開さ
〈
3ν
れてくる。だが、商業信用では、側々の資本が流通期間中の窓枠r
資金を員持しん円う松式は和一丸的であるために、貸付
られた貨幣の使用依杭にたいして支捕われる憤格としての利子は、いまだ生じ符ない。しかるに銀行信用に沿いて
は、こうした産業資本家の相互的貸借形式乞促匙的に媒介する機能をもっととゐの銀行が、尚治資本に野立する一
さて、叫
し露円
Ld庁bL
・0
傘、ィdbFtjp併合フ
と
--11-
ジョージ二ノムジ
1の利子論
石制明
融本として獄、一品的余業となり、銀行じしんの殻行ずる信用貨幣によって貸付次行うととに司なるから、例々の徒主資本に
ハJJV
とっては、との貸付にたいして一定の利子役支揃うとととたる。産業資本家の金山一主有たる銀行に集小される貸付託
金じしんは、倒々の注業資本の循環過程の内部から必然的に生じてくる一時的に遊休する貨幣資金、たとえば、同定
資本の減僚的却資金、潜秘資金、間絡縫到にそなえる準備金などから形成されたもの勺あるにもかかわら夕、貸付け
られた資金の使用料としての利子が、貸手たる銀行によって計千たる荷主資本に嬰ぶされる別出は、商業伝悶と同じ
くとの信用も、悩々の資本にとって利純からの控除としてあらわれる流通民投
ω軒減に者興し、したがって資本主的
(5JV
の障害、を較減し、資本の依杭増加を増間ナるという即刻によるのである。貸付資本の信用が荷主伝川に代伏すること
によって、
ζ
の作市はいっそう促匙されるο
だから、利子という利潤の一特殊形態は、例々の資本の相克長蛇的な信
用の授受の形式が、より殻日以せる一向次の貸付資本による一行川町心都式によって止揚され、商業信用の媒介椛悶たる銀行
が産業資本から相お的に樹立ぜる一資本家的企業となったときに、はとめて株式されるのである。
引っムi
F
絞上のような資本家的生産に照肱せる利子純略が確立された諸附係から、現象的制係だけをぬきとって、拙録的一
般的に規定する唱ならば、
さをにもふれたように、利子は、貨幣問心句者が貨幣の非同布者にたいして一定期間貸付ける
ととによって取得する貨幣の使用料である。とのととが成立ナるための現質的政件としては、一定
ω商品流通ならび
に貨幣流通の保件が存夜するだけで十分であり、したがって、貨幣の貸手と計千との封立、貸付沿上び一退治という形
式があるだけで十分である。との場合、利子という貨幣の使用料が支梯われる縦糸は、必やしも産業資本のつくりだ
した利潤であるととぞ要しないし、またそれゆえに、地代、賃金などの続々なる収入から文姉われでもよい。位幣貸
付一般は、銀行による貸付はもとより、前期的な尚利貸資本による貸付、泊投信用貸付、さらに同家信用による貸付
そも含みうるし、また借受けるものも、産業資本家、商業資本家のみでなく、消究者一…献花匂合するととになるのし
このような貸付信用一般は、さきにのべた銀行信用による資本家的生産に本来的な利子範憾の旅立ののちに、
との利子範鴎そ基礎にして展開されるべきものであるo-なるほど、幌史的過殺としては、貸付誕消の形式乞とh
出して
利子役牧得する一般的様式が、深業資本による資本家的生産の成立以前に沿いても存在しうるわけであるが、しか
し、経消時中の理論的民間のうえでは、との…般的拍象的松式はまや銀行信用&して資本の一件生花遇制杭そのものから資
質的に規定されるのであって、その他の消費信用や閥家信用は、とれ左基礎にして、それぞれ資本主義の係史的議展
段階に臨ヒて問題とされるのである。
かし(5) (4) (3) (2) (1)
鼠担司同¥成田、MLZHwwH出・阿HH・∞-U0・長谷部文雄却師、日本評論社版
沼恒可HL広島Jω-AH44・絡会、一一O一九ページ。
民酔同-HLσ日p・m-mg-認書、一一一六六ページ。また、
m-mN臼・認書、一一八九ページ。
沼恒司Hwg広-wω・怠。.部仲ム品目、一一一二一一ページ。
流明地内品掛比一一般には、ここにのべた個別的空授のほかに、枇品目的な笠授がある。貸付信剤一般は、もちろんこの隔者を節約する。
後者は貨幣そのものの節約であって、
ω相反する方剤、建環一般をなす山間取引の相殺凶山内滋法皮の榊大同同紙幣による念賞附般
の代伎、この一ニ方面にあらわれる。沼田司HWU広・∞-AF4由・一静香、一一O三ページ。
第十分品川、以下日間じ
F
a
・、、-L¥EB
‘、/O
P
ノコJ
4
し
- 13ー
ラムジーが利子の研究に沿いて主なる日棋としたのは、右にのベた利子形態
ω一般的抽象的規定の範附にかぎられ
ている。しかもその場合、ラムジーは本来の信用からはいち沿う磁別して取り扱うべき閥家信用h
ゅよび消費信用役ナ
とぶるよ則一一大腕して、とれらが一般的利子寧にあたえる影響を力一読した。と
ωととはつぎの文京からうかがわれる。
「後者の階級の人々(機能資本家〉は資本家と取引きずるにあたって、つぎにのべる人々がいなければよい取引き乞
なしうるのである。それは、借金を笠んではいるが、しかしとの併金を他の生産的余主に投資しようとしない一刊肝心
人々の競争の作用をうけるからである。とれらの人々は、かれらの費用がその収入を協過し、したがってかれらの治
問問機感研究
七
ジョージ・…7
ムジーの利子論
石川山一
費需要なみたすために貸付金に依存せざる乞えゑい人々なのである。もつL')もnv川桁な枇併は、少なからざ
がとの日的のために必要なのであり、とくに政府が同氏から貸付金吃調一巡する場合にはとの性絡をもっととbL考
ば、ますます必要なのである
0
・:;だがとれらの併千の附放のほかに、な必弛
ω附紋が存心化する。とれば前芥とはじ
く貸付金を望んでいて、しかも有利な注業部門で獲得された金制た他にあたえようとしない射では絞りないが、他
ω
削い賠で異なっている。すなわち、とれらの人々は、投機に欠敗して事業が不成功に沿わった人々、それゆえ所定。
(
1
4
明日に杭様者の要求に答えることができなければ、政出と倒壊に必びやかされる人々である。」
だから、一フムジーによれば、一般的利子率は、治投信問、同家信問、事業のための支捕手段の一市川ーなど
ω、いわゆ
る
不
生
産
主
(gzaZ2252一ZMをいつけて、その割会けよけ叶せしめられるから、一般的利子一定
必やしも本来的な利子率とみ註されるべきも心の正時な指標ではない、このために、一般的利子準はそ
ω自然的水平
ハ3u
その結果公認利潤の侭溶をまねくというのである。
むつ
よりも尚くなり、
- 14-
(2) (1)
同州知自由開示日ぴ5GMV・HU間一lH申。・
「これらの不生土問的儀子のために、純利潤はとうぜんそれの自然的水準よりも高められると考えられるだろうo
他方、それに路
じた、割合だけ企業利潤は低められるよ加胆門出回開MJ554HV-HS-
一フムジーは、この絡を問問調することに、利子誌の主妥な部分を
資しているといってもよいほどである。たとえば、十八段紀を滋じて利子率が争中時におけるよりも戦時において官川かった恐山
は、貸付にたいする政府の露姿のためであるとして、その統制市貸付資本家の利子は余波利測をいわ牧にして増大するという笈例な
もあげているo
対伊自由担一示日σEUHι
・MGH・
開
wmwHHM田mwp
目立品-wMM-MU由
(3) だが、他方に沿いて一ブムジーは、資本家的官が増強されるにつれて、必然的に資本の貸手階級たる金利生活宥賠紋
が増加し、それとともに間労働者の貯蓄も南北増大するがゆえに、とれらは一般的利子率友位認させる作用危もっとと
ゆ乞強制する。たとえばつぎのようにいっている。
「一向刊の況が渡良するにつれて、その利子だけで立祇な生前ができるような元本を白分心施先の州労働によって所有
する人々。…附紋が護生し、しかもまずまず増大するからである。背批年間にはさかんに働いて引退し、ぢ年間叫には
諸和したものの利子によって安結に生活する人も多い。とのご約一の人々は、岡山口川が明大するにつれて哨加する傾向山川
すでに相常な資本乞もって開業する人々は、慌かの資本で問主唱する人々よりも、とれそ澗立できる財
ある。けだし、
産たらしめるととが存易だからである。だから、活来の官持た諸国にたいては、新興の究乏諮問にh叩けるよりも、そ
の間氏資本のうち所有者がとれ紅白ら充用しよ一つとしない部分が、枇んWけ
ω総今一点的資本に較べてより大きな比奈む山
めている。イギリスにゐける金利生前者防紋は、アメリカにくらべて何と多いととではないか!金利生前だ附純が哨
(jd
えする
ωに比例して、官、本の貸手斡紋もまた増大する。けだしとの附考は同じものだからである。」
利子率一犯勤にかんする一ブムジーの結論は、要するに不生庄的併ヂの増大左金利生活符供級の貸手の増加と
ω一一つ
ω
万一印から、前者は利子卒中ピ引き上げるに反し、後汗はとれを引き下げるというととに似品川一川ずる。そして、利潤京共一利
子率との反背閥係も、日ヒく、とのごつの方開から一比例されるにすぎない。だから、一ブムジーは耐方面号制枯してつ
15←
ぎのごとくのべている。
「純利潤は、部分的には総利関心率によってきまり、部
J
分的には線利潤が資本の利潤とAK主利潤とり分割される比率
によってきまらねばたらない。この比率は、また資本の貸手と:;:併手とのあいだの抗争によってきまる。そしてこ
の競争は、強恕される総利潤率によって影持されるが、もっぱらとれだけで調摂されるわけではない。同山一AVがもっぱ
、.、,、.
らこれだけによって規制されない珠山は、…面では、何ら生産的意同をもたない併交けが多いからであり、他同では
‘,、,、.
貸付けられるべき悶民的資本全体の割合は線利潤のいかなる鵠勤とも無関係に間宮の縫勤につれて縫動ずるからで
総演門学研究
じ
ジョージ・一フムジ
lの利子論
ア相対-
ある。」
(傍黙は原山者)
スミスにたいてはまだ、資本家的生産に本来的な利子形態を、他の祇山中ム的な第一一義的な利子MM態から国別して、特
別に取り扱う立闘が存し問。だが、ラムジーは、一部資の仮象にひきづられて、本来の信用から凶関されるべ念上述
ω
信用役過大に評慣したために、利子率の現象的研究に終止し、利子準と利料率LLω
閥係の分析にあたっても皮相なる
観察から枕しえなかりたのである。
。)(2) (1)
見回呂田mw一出目立許可-NON・
別伊呂田mwF同窓許可・
N04・
mgxy日広島・関門同・ロ・の何回-
A
H
・匂-∞∞∞・
邦謀、同
一例
0ページ。
米永茂袋、総摘す一H
二六六コ七問べ1JV晶君
Mm…。
鴎
」一 16
以上のごとき利子規定右主礎にして利子と余業料符への線料開心分裂笠間時たらしめた唯一
の撃者として、注目されるのがつねであるけれども、しかしこの分裂の態椛はすでにぞ
fあるいはスミスによっ℃あ
る程度指摘されていたのであるから、一見したととろ、ラムジーは光人の業時ぞ総括してとの問題の僻明に開株な定
式化を刑判えているにすぎないとも考えられる。だが、一アムジーの述べるととろにしたがって、その同社役詳細に制民
ととろで一ブムジーは、
すれば、必やしも尽なる松倣にゐわっているわけではなく、
そのなかにはしばしば興味ある翻執が防示
ている。
そとで先や
一ブムジーの全治利符の論議を迫ってみよう。
「見られるように
全業利潤は
一部は企業資本家によって支出され員給された能力
手J,練
川目背の報酬であり
部は生注的事業に入るにあたってかれが去った危険の代前である。
との報酬あるいは代償乞とえて企業資本家。千に
それはまた、資本の所有から生やる収入とは全く異なって、査本の支配力か
(1JV
ら生やる牧入と見倣されなければならないじ
残るものがいかなるものマあるにせよ、
円、コゾ
「企業の和問は茨木の純利潤に依存するものであって、後者が前者に依存ナるのではない。」
「かくして合主利得は、正しくは、その一部分はとれらの精一抑的資格の自然的報酬とも考えられ、一部分は一刻印託
、.、.
本の使用宣支配する力から生やる収入とも考えられる。とれに反して資本の純利潤は正しく茨木
ω所なからひきださ
ハOJJ》
れる牧入なのである。」
(傍知は原著)
とれらの文字によれば、線科判例は利子と企業利作とに分割されるが、前者は資本の所在にたいする報酬として
の印刷}山SH互に支梯われるものであり、後者は段MMV
、支間にたいする報酬として宮内川乱立E
のおり伴氏山田仲に支掛われるとと¥
ろのものである。しかもとの分割はもっぱら利子率の側から決定されるがゆえに、九位主利初日は利子事によって規定さ
れ、その逝ではない。それゆえむろん、分割されるべき全体としでの総利潤が大きければ大きいほど、とれが分割さ
れる一胸部分もそれに比例して大きくなる
0
とうして、ラムジーは総利潤が利子と合主主利m刊に分割される根掠伝詑明
ととで機能資本家の能力、熟練、
MM苦、危険
ω琵折、資本の支配力などに郎ぜしめてい
- 17ー
ずるのであるが、
ととろが、
る余業者利得心部長誌、五雌には一一一つの現日のなかに整序されるべきである。
「企業利潤は、一一一つの部分から成り立っていると考えるととができる。すなわち、第一はAr治家の労働ゐよぴ貯
一フムジーによれば、
(HmZ2222記。)にたいする報酬であ夕、第二は危険にたいする保検
ES520片足広明日とであり、第一一.0
ハ4JV
のはいわば刺飴利得(由
515ぬ内同山口出)であるo」
(1)
も
との三つの項目についてラムジーの述べるととろにしたがえば、まや第一の報酬は、機能資本家の目、拾する揖背や
熟練の限度に臨ビて礎化ずべきであるが、しかしとの殺の努働は一帯質上、総資本設の多出誌にはほとんど無関係である
町間誠例経研究
炉ヒ
ジョージ・
7ムジ
1の利子論
石iti
から
(5J)
一般的に国たしたものと考えうる。したがって、前桃資本企が増大すれば、相封的に減少し、議の場合は越の
とれに反して第一一の一危険にたいする保険は、前掛資本心大小に依存せざるどえない。けだし革主失敗
結果乞生やる。
の公算が均等ぜあるとすれば、との保険は使用される資本設につねに比例するからである。そとで、一余主に投下さ
れた資本設が増加するにつれて、第…必よび第一一
ω明日の報償はそれぞれ比例的に減少するとととなり、円七心結果話
(6J〉
……一の項目たる剰除利符が、結封的にも相封的にも増加してゆく
Q
との刻依利特についていえば、それは、自己資本に
ると借入資本たるとを問わや、むよそ資本の使用、いいかえれば他人の日労働の支配よりして引き出される牧入を表現
する。そして、利子が資本の所有から引き出され、正確に前貸資本金の多容によってい明動ずるのとは逆に、荊除羽相川
〈
TJV
の特徴は、資本金が大であるに比例して、増大してゆくという黙にある。
- 18-
(5) (4) (3) (2) (1)
MH開門出回担可、日立品-w
巧・
MMa-
m世間出回開山pg5.MYNH品-
HH伊吉田
puJU広-w
可・
MHO-
HW担問HH由MH予山広島品市・
MM∞・
「一企業が他の企業よりも一一位あるいはど依の資本を使附加したからといって、続殺は後者よりも、上り多くの労会や監督bh必州民
としないであろう。だから、
A
下一業利潤のこの部分の報酬といわれるものは、回附会廷においでほぼ純一であるべきであるに
HHRHgmH一予訪日仏-wMYNN1吋・
一プムジーは、刑判除利四日は茨木授が増大するにつれて、比例的に増加するものであるから、比例的に減タしてゆくとこ人の第一、
第一一の攻日は虫剤討でなくなるといピワ0
「資本設が明加すればするほど、企業利符のうち的人的労働あるいは労小川の報酬を総成す
る部分は、あまり汲裂でなくなるOL
同一霞HMmW3Jg広・司・阿国由・
一フムジーのあげている設例。前貸資本致一
O、
000ポンドと五、
000ポンドとの一一つの資本が山収得する刑制徐利符は、
一
oμ、利子市中五百川とすれば、つぎのようになる。
)
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(7)
jj1
郡部が今
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凶食資本設一
O、000ポンド
哨料相川:・・::;::i・e-
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A安の報酬:ji--::
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保
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一00ポ
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さ
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〈
3V
るとする消践的主張にたいして、その諮とそ正しいのだという一ブムジ
lの議論が生じてくる。セイば、資ふ本の利子
(足。常的門凶ぬ凶nm}枠内gN)が資本にたいずる需要供給によって決定される上うに、余業者利得百円。冊目含目、
g昨日買
82『
)
もまた、一方に沿けるとの初の弊働にたいする需要長と、他方にた引けるそれの供給量とのあいだの割合によって決定
されると詑明ずる。とれにたいして、もしもかかる前抗より出裂するならば、総利潤が分割される割合を決定する諸
県内が、利子よりはむしみ企業利得に基やくこととなるばかりでなく、だいいち余業的努慨を需要するものが何もの
セfにたいする批特として、
MW蹴料品研究
七
ジx
lジ・
7
ムジ
lの利子論
ハヨ一}
であるかも明らかでない、ル}論やる一ブムジIの見解は、
右側
とり間以りに公いて京常である。
(1)
セイによれば、「茨木を使贈することなしに臨時業的余業念行うということは不可能吃あるから、余た家の得る利潤は、組常、自
己の勤労の利潤と資本の利潤とを-包含する」(叶日目広島ゲロOHMO日目。句。ロ位向削ロタ∞
E-M∞念wHV
・
8∞)だが、「余業家がその資本よ
り取得する利潤と、その動勢のみに笈うものとな仮別するのは便利である」
3zpww・84)余業家の利潤は、「労働殺の利潤」と
日間じく、企業家の労働にたいする報酬
J
引にあるから、会牧径のうち、凝りの応分が茨木の利潤になるのは治然である。高木脇後者
「利子熟読史」間七
Oべ1ジ品哲郎。
「だが、余業利潤が佼上の如き競争〈利子市小を決定する絞争)によって規定されるという論法は、わたくしはこれを理解するむ
が前来ない。というのも殺が余治家
(88Z立の労働を需要するのであろうか?それが設であるか、わたくしにはわからないひ
その野倣を滋裂すを殺がいるとしても、それは俗付茨木な所有するひと吃あるにち…がいないo
しかし、かれはかれの円以念公使用
すべき人を求めるわけでなく、間半に利子の規制則的な支怖いか}依頼し得る人を求めるにすぎないのであるo
かれにとっては、生産
的協栄の余淡町本に貸すか、段保付きで幼主に貸すか、あるいは政府に貸すかはもしも安全と貸付家とが同じであるとすれば、と
うでもよい事なのであるo
それ故、余梁家の傍柿聞は滋市記されるとはいえないの件以あるO
L
m
R問
HHEM-Lσ一PHI-Mお・なお一フムジ!
のセイ批判については、同じく一…
0八頁場事問…。
- 20
(2) とのよ
ω
うにみてくると
ラムジーの企業利潤にかんする詩論は
スミスの説くととろよりも、
はるかに多くの問問
佐北起しているととが知られる。
たとえば
スミスに沿いては
総利潤は必のやから二つの部分に分れ
一は利子乞
支掛って資本の所有宥に帥ずるものであるに反し
あるとと、
他は利子生控除した刺除部分として読本の使用者に帥ずるもので
さきの企業者利得部分の平均nMは、
(3v
では一般的利料率と利子容との絞去に依存するものであるととが暗示されているにすぎなかった。
元来利潤は野働賃金とは令一く性貨を閥抗にするものであるから
円、
2J
に比例するととが説明され、
それの金はもっぱら使用された資本慎艇長
したがって
一方では借入れた資本の大小と
他方
ラムジーが
と
れ
らの消防乞蹴念的に単一昨げしたばかりでなく
利潤分割の根撲やA
官業者利得という範踏の成立の究明芝通じて多くの開
「溶別問、からか北ずる牧入または利潤は、凸同然に一一つの部分に分かたれる。利子を支揃い、詩財の所有者に蹄するものと、この利子
中」支抑うに必要なものを越えるところの剰総分と、これであるo
利潤のこの後のほうの部分は、明らかに夜抜に課税しえざる滋
象勺ある。それは、議燃を使用するの危険および労常にたいする報酬であって、また多くの相場合、すこぶる撚hyな報酬に過ぎな
いο
渋川財の依間有は、この報酬をえなければならぬ。さもないとかれは、かれ自身の利日誌に一致してその使用をつづけることが
出来ない」
mguy-gお-w
ず・
4S-将位打、同一一二一円
i・九ページ
「氏本の利潤なるものは、待旅な労働、監督および治探労働の資金の単なる別名にすだc
ぬと考える入があるかもしれない。しか
L利潤は、野倣託金とはんι然呉なったものであり、それとは全然異なった朕川町に交関される。そしてそれはかれらの考えている
般行利上び潟明仰のの働の数段、激しさ、また工夫と何ら比例するもの勺はないのであるo
それは全然、使用される茨木の依依に
よって規広一されるものだ、その大小はこの資本の犬小に比例するものである。」∞
gxyg品・同法-Fりお・務会、汁一
O一一べ
ptJン。
ぷ永茂点目、前翁古代ご八0
1
1ジ。
臨ん起しているととは、
以下にもみると沿りである。
)
唾
21(
('2) )
qd
.n.
21 -
民誌のと必り、資本家的生庄校式に本来的なる利子形態は、産業資本の再生産過釈からつくりだされた総利潤の一
部分が、計千たる沌治資本から、資本として機能しうべき商品の使用依航をゆやりうけたことにたいして、
円川の貸手たる貸付資本の代一武者としての銀行資本に支梯われるさいに、うけとるととらの形態である。との場合、第
一な乙悦杭としての総利潤は、早に長的に分割されるととによって、一は科子という形態で銀行資本に師屈し、、他は
ハ1JV
純利向という形態で政治資本に帥話する。社合的総資本が注業資本と貸付資本とのこつの範院の資本に分裂し、との
凶行が到必的関係にtN
かれるというととは、との総利潤の量的分割の前提でもあり、かつ結果でもある。けだし、
総統砂研究
「ヒ
との中部と
ジョージ・↑フムジ!の利子論
石一知
と勺問問になっている量的分割の珂論的税操は、さきに述べたように、貸付資本が探求資本から自立化するととによ
ハヨ〉
って、側々の資本の利潤率が上昇せしめられるという、貸付資本の夜業資本にたいする特殊な性質に存在するのであ
って、じたがって利子結時の成ふんは同時に批合的総資本の隔資本箱昨への分化、務立化右前北とするものであるから
であり、また、ひとたび…一つの純院に相封的に自立化した読本は、純一的問中の川論的民間とともに時としてきわめて政
しい絶叫的封主にまで琵民するからである。
ム工事手、府、
ス,哨μ
ごの出主資本じしんが、併交資本乞いっさい使間せやして企く日己資本のみ立充川ずるならば
さしあたり
おのザ民的パ分割は今一じえない。
なぜなら、との山主資本は総利刊の一部右利子として貸付資本にトメ掬う必要、はなく、利
阿川
ω全部佐取引付するからであり
円“ヮ,
u
しているように、
総ヒて利子なる形態は琵生ずるととができないからゼある。
荷主資本川υ生花北い一心恥からみれば
利子は
ムザザ町へん、
そのι為市過慌の開始以前に党取されるものとして前提さ
ラムジーも指抗
L
C、る。
、必刈什
v
、
iv白
v'
一般的利潤率が↑えであるとすれば
総利潤の利子h
ゅよび純利刊のご項口へのnM的分割乞媒介するもの
- 22-
-f品
一般的利子率にある。
すなわち
荷主資本の総利刊は
?
ゐ
ノ
3qsZ命
4μP/piliw刊
H寸
相以来別なる杭帆であるけれども、
しかもと
~l 1])
日
λ1¥)'T1仁十字-J4d山止勺
Jq子、千同」わり
UUノ
jfJt;:骨-H2・二
PE
夜
その利子率たるや
貸付資本の枇合的資金にたいする白川市対供給とい
ぅ、再生出過m刊の外部にある外部的事情によって丘小れされる。
らない。
したがってこの分割は
純特に量的分割といわねばな
出向笠以内
Lぴ山
p・m-さ申・持丹、七一へ1ジ。総利則的と利子との品品川綴は、また産業利潤とも秘せられるo
山内五へlジ。
同信川川は、個別的には、「肉口川の取引磁縫換の段階L
な漉くし、(涼mw吋
HLEpwm-品44・謀者、一一心万一ページ)また流諭滋税の「短縮
が利判事を潟大するということは明白であるO
L
(
渓mH3P
山立
Pω・由。・採決μ
、一八六ページ)なお、マルクスは廿早稲では流活設用
に捌述させてたとえばつ管のように述べている。「資本に茶礎そおく生燦にとっては、それの本質的な鈴件となっている、資本
)
l
(
担向刊号
HLZ?町山・∞
8・
双山rPAS
:i
エ需品一町一
..
)
qu
のんk
滋和れを総成するところの、減今の遇制悦の措法制性が、っくりだされるか、っくりだされないかということは、ひじように偶然
、、
的なものとして現れる。茨木そのものによるこの偶然性の氏揚は、倍加であるo
(
信用には的閣の側漏出もある。だが、この側部は
反応週間慌の夜接的な性交から生ずるものであれッ、したがって信用の必然性の基礎だある〉OL
の2HHH島氏由自由品完関ユ立W営内匂♀ナ
江田吾
gcko同MOBSU回世話、
m-食品・
「もしも資本がそれを使用する人々の所有でなければ、この資本にたいする利子は、かれらによっていつもその校郊の一郎とし
て計採されるo」
尉
開
gg山口g広よりNOU-
抑制、総長旅物の
4
とヨとへの分割の悲準は、すなわち、肉ぷの約一位のうち新たに長摩された部分が怖い日銀と茨木の償続柄続分とに
分割される場合は、まったく異質的な要素が懇加することによって分割の基準があたえられ、また、尚一院議資本がっくりだす総利
潤の地代と平均利潤への分割の場合にも、質的駁別から凡滅的分割の基準があたえられる。これにたいして利子と純利潤との分割
のサ前半は、同日的なものが一一つに分化したという事的に出来するものであって、右の場合とまったく明暗なるο
沼田司MP
日ゲ日仏
-S∞-
叩山台μ
、一九問べ
1ジ。
(4.) おの一一つの一弔問から、利潤の特殊形態としての利子も、一定例山帆設としての利子も、注業去木そのものにたいして
ハ3v
俗…開係であるという結論が生やる。しかしとの命題は、自己資本のみで運斡される斥業資本は利子の支梯いとは無訟
であるとと、総利問の純粋に長的な分割の基準は外部的一弔問に依存するというとと、と
ω町"役強調するために生やる
- 23-
外視的制結であって、利子成立の国論的根操に沿いては、
まさにその話官ある。
また、
一ブムジーが、「資本の使用をほ将ずる同じ人が資本の所有者である場合、
われわれには、
かれが皐なる資本
家としてうける利潤がいくらであるか、そして余業の支配人たる資格に沿いて、すなわち企業家たる資格にむいてか
れに所起するものがいくらであるか、
bL決定しうる方法はない。そこでこの問題にかんするわれわれの結論は、資本
家とA
主ポ家とが同誠一なれる例入である場合に生やるととろの視察からひき出されなければならない」といっているのに
は、疑問がある。一ブムジーのように
一方にたけるまったく自己資本を所有しない機能資本家と他万に公ける貨幣貸
川河仁雪作山ゐ汗・
LUL
許白、rufrごれ夕刊ノ
戸と
ジョージ二ノムジ!の利子論
Z王土民
付資本家とを抽象的に組定するととは、利子と純利潤との量的分割の割合役算定する上の便宜の問題ではあっても、
到論それじたいの問題からは離れるのである。利子範略成虫の必部性は、位協のごとく例々の夜業資本の前貸投下資
本相、航た…先とし、科澗決定の諸要問も同一であるとした場合に、流通資本の節約上の翻貼から行われる相五的融諮
問係によって資本の生応性がい日刊められるととろから、とれた枇合的に媒介する銀行信用の形式が侵出され、悩々の資
本はとの信用の形式をと沿してますまず多くの刑判捻倒般の生成をなずにいたるという拙に、求めらななければならな
い。一アムジーの抽象的想定は、それじしん無窓味な想定ではなくある初、の恒訟であるにしても、淀川菜作一本と貸付資本
との必然的関迷宮諮問してかえって利子
ω現論的根撲を見失う危険そ賊するものといわなければならない。
(2.) (1)
飯
mmm仇川社「利子っき資本の峨論」
mmwg団関吋
a55・w何回記・
一一一一一べI
ジ。
ととイりで
さをに述べた利潤の純特にn一法的な分割は
子}、
TJh一}川口リ一
-f、ドノ4
司
〉
O
TMW,うゆ乙トいかいれすと
しかし抗的
J
分割といっても
それは同
~ 24
の利糾じ氏いの二部分たる利子と純利潤との本質的先兵役立味ずるものではなく
ただ同部分が全く柏駅(なる源泉
から生いしたかのごとくみえるととろの
現象形控になける九六呉にすぎない。
や‘明手、A
ス,哨μ
ひとたび
利子戎乙〉見一昨之内左足
広、
J
U
1
J守LdtィZFr4
たら問主資本と貸付資本との野立が枇合的に椛立されたのちは
現買にゐいてこの封立が作注しない例別的な茨木の
叫ん口にも
リサηす
〉
、ld叫e
Z
A
A
a
β
/
去・和VJ五時十守初公
t利潤のなかの一部分を利子という特定の範川町のなかにいれて特別に計立する。
との川場
令官本家の去袋の内部にゐいて
一つの倒鈴が生ヒているからである。
すでにみたととんから明らかなように
純利
潤のたいさは
一般的利潤率が一定であれば
総利潤のなかで占める科子の割合の経勃によって逝比例的に
また総
利刊のなかで山める利子の割合が二況であれば
一般的利向車の鑓化によって正比例的に規定される。
利子はり組側、
一般的利子家によって規定され
あらかじめ生昆開始以前に前抗されているから
ある特先企業に公ける総利潤が一千
均利潤よりも大なる場合には、その余主に必ける純利潤は、総利潤と平均利潤との完額である特別利潤だけ増大す
る。また逆の場合には、純利潤は一則料開の品川比額だけ減少する。とのような設的規定をうける純利潤だけが、借入資本
そ充肘ずる内業資本家にとっての資本の生産物となる。なぜなら、ラムジーものべているように、との資本家にとっ
ては、総利潤
ω…部は利子として貸手に支梯わねばならないととろの、前川抗された支出項円であるからである。安本
の本来的な生浅物は総利潤そのものであるが、いまや生花的機能た行うかぎりでの資本の生涼物は、総利潤ではな
く、令主汗としての注業刊一本家日機能資本家に封民するととろの、総利潤のなかから利子宝控除した残額たる純利潤
ハーゾ
である。そしてそれはとの資本家にとって企業者利得として表象される。
一ブムジ
1ω
「企業利潤」は、生産開始に沿いて前提される支出項目たる利子が、十川主茨木にとって生克明、の…和と
みなされるととろから、との利子を控除した残徐の部分たる余業者科符役立味し、との駄に公ける洞察はスミスより
も匙んでいる。もちろん一ブムジーも、企業者利特と利子とが、総利潤の一純粋に来的年分割が質的分割に特化されたさ
いに、線利問のごつの分割部分がうけとるととろの特殊な現象形態であるというと&、換言すれば資本家的表象の内
部にないては、分割の校保が凡夫われるととによって、利子治よび余業者利得という利潤の形態が、もともと総利潤
という単一無主別の俄杭の純料に札史的な分割に由来しているにかかわらや、あたかも相五に樹立ぜる異質的源泉から
後生したかのごとき外蹴を完成するというとと、とのととそ認識してはいない。
余業許科訓げという資本家的概念の成立には、純利潤が践業資本家の生産描耗に必ける諸機能、諸操作、訪日勤だけ
からの史資として、いいかえれば尿主資本家じしんの務自の活動としてあらゆる遇税的作用の来賓として現象ずると
と笠裂する。しかし、利子は、とれと封立的に資本所有としての資本所有に郎同ずる川市賢一として、生産的機能乞しな
いかぎりでの資本それじしんの、再生夜過釈から拾仰熱された資本じたいの山単純なる果授としてあらわれざるをえ
総務感研究七
- 25-
ジゴ
iジ・一フムジ
1の利子論
石主i
ない。利
子と合法有利得とは、それぞれ長的にも質的にも、前者は資本所有の来貨として、後者は生底的資本機能の涼物
として現象するという封立的関係にあるのであるが、しかしいやれも資本に関係十けられているのであるから、その
針立的問係は院出刊には質的封立とはいえない。しかし、令主者利作形態が、資本の生産過粍からではなくして、資本
の特殊枇命的規定性からきりはなされた同労働描釈一般から生やるものとして、いいかえれば茨木とは無関係なたんな
る機能、出納の産物としてあらわれたとき、との質的野立はいっそうすすんだ給対的に異質的な封立として表象され
(94J
る。どれに封一応して利子は、資本としての資本から生やる川市授である以上、資本としての自性として他人の潜働すな
わち賃労倒役支配するものであり、したがって資本家的生沌校式にかいいで刊一本が生みだナ刺能債杭部分としてみやか
らそいふ再現する。だが、利子は同日航にたいする資本としての封ふん的性格、穴生花過料外部の安本所有に所却するものと
して去示するのであって、それ佐野働とのむ接的関係に沿いてではごく、資本家と資本家とのm
単純な形にたいて表示
する一りである。だから、利子の形態に必いては、担問との封立的関係は消滅し、同単純な資本家相五の悶係があるばか
- 26-
りである。
rz) (1)
涼mH弓
Hwg-pw∞・怠4・
ph{mw吋同
w山
ぴ
山
門
凶
-w∞-品H4・
探求μ
、七問べ
1ジω
一誠実、九一ページ。
Af主持利得がさらに監行賃金というもう一つの質的形態ぞうけとるのは、資本
LLm倣との針立的性秘が、利子bL
生
やるとろの資本所有のなかにうつされるととによって、現笠の搾取地釈が単なる拶的地杭一般に解消廿しめられ、と
うして、生点的資本家の日勤も、牧取する労働七弘行うという駄では、笠銀持働弁の行う刊日制と同一服されるからであ
る。んに十点的資本家に郎却するととろの令業者利符は、剰徐恨純であるいことろか、むしろ刺除釘机の反封物、
T'叩
知
人
コ
みJG
〉」
?ι,耳
(
1
J
れた弘一般にたいする等伎、賃銀だとみゑされる。
ラムジーは令業者利符をそのまま直接に川崎将一賃銀と出向してはいたい。
て、かれの定日日行持働にたいする斜地は、もっとも週間五しいもの
38250ロ毘ぬ明丹念であるといったのである。出
接生注者たる労働者と、生沌手段の所有者とが出立するととによってなりたつあらゆる生沌様式に必いては、必然的
となって必り、しかもそれは拶働者と資本家との封立山間保心一夫現にほかならないから、佐川竹野陥仰の必然性は否定す
るととができない。だが資本家的合業の護民とともに、との加のMM的は、資本家から作給乞うけているととろの代四
マルクスは一ブムジーのとの洞察やむ汗慌し
人もしくはや到のごときものによって代行される。掠倣の持取には掠働が託されなければならない以上、かくのごと
き段川な労働者すなわち注業的下士山口の史問は資本によって五訴されなければならないが、しかしこの費財ば由主的作(
〔一2d
問の大部分と同じく資本家的生産にとっての良質(同定員同22)である。けだし、佐持労働は、とれにたいする報酬が
賃銀の範陪のなかに計算されるとしても、それじしんいかなる立味に沿いても生向的労働とはなしがたく、川労働力の
治史過程に沿いて抗抗生誌がおとなわれるのを院日刊するにすぎないからである。したがって、出持労働のための吹川
は、資本心利潤のなかから支挑われるととは、いうまでもない。
』マrιっ“
一フムジーはとの関係宮正しく把揖し、
さきにみたと必り版科労働にたいする報酬は利潤部分から支梯われるとし
て、官同業資本家の控得する一ブムジーのいわゆる「刺怯利得」は、総料問、と同じく投下資本心大いさに比例するに反
し、位以竹附労働の賃銀報酬は、資本の大いさに反比例する。いいかえれば、大資本にあ一つては無に設いほど小さく、小
資本の場合は全体を吸収するほどに大きいという、一アムジ
l流の法即位諮問したのぜある。かれは、合業家の監μvω
ためのお掠附労働は、事業規肢の大小にかかわら示、はじものであるから、したがってその報酬もだいたい一定して
村川崎山山学研究
と
ジョージ・7
ムジI
の利子治
-g‘t
zh一
いるとと乞強調しているが、とのかぎりにむいてはその主廿は誤っていない。しかしラムジーが総利潤
ωうち位打
賃銀に分解する部分そのものを料訓制しているととは争えないお授であって、かれ
ω一氏けする献はむしん、刑判依利引M
(∞ロ円立口出ぬmw吉田)に存したと川山われる。
制除利得は、一ブムジーにしたがえば、自己資本たると併交資本たると笠井}わいて必よそ資本の伎川にさいして
ω的
人のMM納金持相支配する力よりして生やるも
ωである。しかもそれは、資本家的生庄の域棋が強大されにしたがっ
て、賃銀部分に還元せられる蛇行託銀とは逆に、ますます増大される。との場合、利徐利ねという名郁にたいて~内定
戸。》ゾ
資本家の取符ずる利能川山飢心性質は、きわめて純特に去現されている。とのようにみてくると、ラムジーはそ心伝法
利得に沿いて、たんにとれを盟行宍銀に解消するととなく、反自に位以刊MM働なるもののMW倒
ω牧民は、訪的過山れに必
ける持働者の生底的州労働とは抗的に純時中ゲ山県ハにするも
ωであり、それゆえにとの持働に一
ω報酬がいえ捕われいなけれ
ばならぬとするならば、それは公主利仰のなかから、一分割部分として支捕われねばならや、しかもこの部分は封文
ハjJ
的生産技式に不可避的な山口問であるにかかわらやきわめて微少なものであるという洞察紅、あたえている
ωであるο
-2(l戸
だが
一般的利潤準が前提とされる場合に
ところの競争
あるいは相五的致協蹴泊は
例々の資本家が出来るだけ多く
ω利潤を陸作するために相万一的に行う
なるほ
E資本家じしんの努力を嬰ぷずるも
ωではあるが、
しかし叫労働と
しては問題にならない。
まプこ
ある特定。資本家が
h
以少
ω山江川川右もって労働符から故大の刑判除問労働乞牧取したり
あるいは生産された刑判徐抑的役流通過杭に沿いて官現するところの
(
5
)
問題たりえない
Q
前者は、
資本家的腕前佐、他
ω資本家よりも多くもって
いるかどうかというととも
結口加に必いて剃依炉、仙一車に川仰や一川し、後将は、利徐州以抗心側々
の資本家への分配
ω問題にい仰するからであり
いやれもMM働なる範略とはい県総な現象的一平賀に問問誠一するに
rh
、、a
fkしW4μ
らである。
したがって
監持労働
ωなかに世然ふくまれるととろの
との極
ω資本家的指働が
いかに資本家。好力
を必要とナるものであるにしても、
それば川目的としては問題にならぬ住民のも
ωであること佐、ラムジーは、比較的
現在一に支梯われる位行賃銀が相川判的に減少する一方、とれに封臨して剃徐利作が増大すると
大なる資本においては、
いうまやい説明の仕方によって、示しているわけマある。
(4) (3) (2) (1)
足当HWM広島・Mm-A己申・押持品れい、九一一ページ。
属当Hwah-
吋FOG己申ロョ切円四-HHH-
∞・食品・謀者、問一一一ページυ
忠男♂EJ門
voq吋山OHM-"m・品N0・認持、四一六ページ。
ついでにラムジlの絞越のうち、断片品川ではあるが枝問すべき訓判定をあげれば、次のとおりである。
「地主の地代については、臨時同なく、それは必要な政入の一部をなさないといえるだろう。その域肉は、耕作を核保するために
土地は均代をあたえなければならぬということは、決して本質的なことではないからである己防担
gguJV広-wMM-hN-
一ブムジ
ーは、ここで泊代、したがって土地所有は資本家的生産にとって総計た形態であることな説明しているο
これと同じく、かれは
利子について、辺久水がそれの所有者にたいして、資本の使用者にたいする牧入とは加の殺人を提供する総カがなければならぬ
ということは、批食一般のおか」総持するうえからいえば必妥な事柄ではないに切恒吉田
SJgEG司
-S∞・とのべている。どが、
一フムジーはこれらの形山肢が、この生産方法の必然的所涼であることを忘れている。
包由同iMCZ吋ぴ白日立。ロコ出品・何回-m-良品・探求、問一一一ページ。
-2ジ
(5)ー
刷』,、
マルクスは
「資本論」第一一一容第ご十ご本と第二十二
A
品川中との一一平において
利子と企業持利得への利潤
ω分裂立主
題にして包括的に論じているが
前諸君の絞越が利子の木村(丸山よぴ形態。究明に向けられているのにたいして
区}
柄本はもっぱら利子の自立化という翻掛から
分割の問題がとりあげられている。
すなわち
「総利潤がいかにして
利子とAM業者利得とに分化ずるかという査研究は、
問、84L山M{」
"日寸今中
l
線科潤
ω一部分はいかにして一般的に利子として骨化し
川間端闘争研究
勧七
ジョ!ジ・ラムジ!の利子論
正ド部門
1u
自立化ずるかという研究に峠若ずる。」また、「利潤
ω一部が利子に枠形ずるがゆえに、それゆえに他
ω部分が会主行
ハ3〉
利特として現象ずるのであるOL
と
ω場合、利子
ω自立化とは、利子が「翠なる資本所布
ωijtj資本が作品川市せや機能
(3,v
しないかぎりに沿いて再生産過釈から抽象された資本自体
ω11来世として現象」し、去ったく孤立ぜる川内ぶから生
じたかのように白式化するとと乞意味する。利子は、「他人
ω持働
ω生斥物没取作一する手段としての単なる
J
党本一州一行
しかしそれは、「資本
ωかかる性格をば、生十士山地粍の外部で市川一本にい仰するもの、との生産過
として去一市ずる。利子はとれ宮、
MM働へ
ωド叫践的封ムんに
ゆ《表示するのであるが、
相そのものの溺自的・資本制的規定性
ω結果ではないもの
沿いてではなく
むしろ逆に
問労働とは無関係に
一資本家が他
ω資本家にたいする単なる附係として
J< ;r;:
のゼある。
との利子の自立化に針総して
甘μけM7mサ呪川戸、j'E
GPイヰ
ηHJ下ノノトしい
令主計利作として
「拠出資本家にたいし
もつは.らか
30 -
れが資本そもって来す機能
ω県笠として
すなわち
資本の法勤たよび過粍的作
millかれにたいし
い会や、伏幣
資本家の不出動・生産過報への不移加・と釘立するかれ別自の出動として現象ずる泊料的作
mliω川市貨として、現
?oJV
象ずる」だけにとどまら夕、
且つ針ぃ必ずる資本家に伍する川村践的機能が
さらに、「資本家が資本家として川市すべき特殊的機能、
(Gザ
単なるMW働機能として表示される」ととによって
しかもまさに労働有と悩別され
川町村一託銀という抗的
形態乞うけとる。
以上からみれば
企業者利作という純時は
利子の白いん化あるいは利子
ω外国化という
ω研究
宮柿足ずる立味で、もつばら側図的に且つ消極的にとりあげられているにすぎない。だが、利子が、資本心機能とは
入ふく異なる硝自の源泉から生やるものとして自立化し、「持働にたいする資本の関係そのものには知山仰心な外部的規定
〈山
7JV
役一明すものとして外商化ナるL
場合、とれに反臨しで、利潤の他
ω部分が資本家的川労働
ω的杭例詰物としてあらわれ、
その持働の卦偵に特化するという論拠は、資本家的夫象の倒錯性乞十分に一必明している。しかし、総利潤
ω一部分
の余業利得化は、利子の白立化乞必然的た契機として確定されるにしても、それ
ω桜蝶は、再生庄過松の内部にKM
け
る資本の諸機能、諸過程に沿いて、すなわち、利子という例制的資本にとってはいち必う外部的な範略が存在しない
場合にも余業利得化があらわれるものとして、換言すれば、自己資本のみで運加持される資本にゐいてもそれじしん企
業利得化が決となわれるものとして、規定されうるのではないかという問題が残る。総利潤の一部分が合主利得とし
て合理化される根擦が、再生産過m艇の内部に沿ける資本の諸機能に必いて内界的に規定されるとすれば、利子?日立
AV
化中《・現織として、企業利得範略。白定化、骨化は、いっそう杭械的に規定され且つ川崎論的に確定されるだろう。
川山認申司同LZ9・m-A時H0・絡会、七九ページ。
問、岡高気回
LUぷ・∞・白ω・部品昔、八四ページ。
ω援母同L広島-wm-AHO∞・絡会、七五ページ。
仙沼内需HLV広-u
∞・品H4・務会、九一ページ。
印
刷hm世話、目立品-m-AHO∞・務会、七五べ1ジ。
仙沼副司同LEa-w∞・企∞・持者口、九二ページ。
的認可同¥4vsS山田口wwMW品・口同・
ω・訓話・認書、氏一九四ページο
- 31-
同知のごとく、第二十一一一章「利子と企業者利得。」銭越の前段に沿いては、純利潤心HY一的分割の目的
分割への碑化が中心課題とされているのであるが、その場合、「機能資本家は、人主お利川刊にたいする自分の要求、す
なわち企業者利得そのもの位、自分。資本所有から埠き出さないで、そとでは資本が怠惰な所有として資存するにす
ぎねような規定性に割立する資本の機部から導き出すピのである。そしてとの資本の機能として山資本家的活動は、
さでつぎに、
再生産過程に必けるMW働者の不掛州労働註つくりだすための活動として、すなわち生産的持働乞搾取するための努力と
して、規定されているのでるるから、いかなる意味に沿いても「生産的州労働」とはいえない。とれにたいして、同市
の後段の殺諸に沿いては、「直接的生産過程が、祉合に結合された過程の次官接をとっていて、自ムバ的生売却作たちの倒
綬捕倒的学研究
vヒ
ジョージ・一フムジ
IDqrY命
J
C
4
亭
:
石垣
のご市一位が指摘されている。
すなわち、
(ゴゾ
つねに、・航行命よび指導という労働が必然的に生ヒる」として、
(り、,
J
一は相叫ん円的生産絞式
ω水位から必然的に生やる「生花的指働」として心限付
Z
JえJ
出A川
、〈バV
山hノt巾av
々別々のMW働としては現れない場合には、
問労働であり、
あらゆる封立的生産校式に不可般の託料持俄であって、
〔
4J}
両国は「官接かつ不可分離に混和されている」のである。
他は、
資本家的余点に必いてもとの蛇行掠倒
ω
とうしてみると、
資本家的治的すなわち民仔柏村の労紋な
必やしも首足一貫しない紛がけ?っけられる去
M時に、
るものにかんして、
前段の叙誌と後段のそれとのあいだには、
:1i r[)
「生産約労働」
としての監将川労働友いかに現併すべきかという問題没桁むわけにいかないのであるο
{生)(3) (2) (1)
認完封目立品Jω・良品・
鼠mw寸HW
目立品-w
∞・品目∞・
認男
HL広島-w
∞-品HP
思号HvgMpw伊品NN-
謀者、八六ページ。
鍔市計、九一一丁!何ページ。
認会、九問べ
1ジ。
伊沢u、九九べ!ジ。
~ 32-
ととろで
…方マルクスは、「利能的杭問中説史」に沿いては
「れ符という時的山一部分は、もっぱら苛本山糸井HW約と
の敵封関係に
すなわち茨木家的生誌の封立的性民に
モ片山士、なげ一品一夜ぷ小中ハぜしめ乙持品川ハリ
iljji1:J;lJ(!t
ハil)
資本家的生産上の主将((沙員宮山田)の一部たるものできと
Lらべてゐムベ
組問ずるのであって
十分の九とまったく同絞に
去
zιh-Hくl
pレiA11ベ
i
指却の努椴が使用人に委任される場合、その蛇作者の報酬は
「奴隷院杯一有及びかれの鞭かに行一位する山火山が奴隷所有
費用の大部分のように
主の生産廷のなかに数えあげられているのとまったく
M肢に、
(2JV
資本主義的生践の怨究に起する」といっている。
MM貨の純院のなかに計算される。
~t JIJ は
とれらの斜池からみれば、位作者ならびに
経山内的考のための費用は
資本家的生産にたけるん民投として
きつぜん利澗のなかから火山川われるべき一初の労働究鋲
とされるのであるから
それゆえに位行指却の掠働あるいは粧持的附労働も、
山内泊Lムの北川川悦去たはい川主的ば刊訂備ししは
ヒく、決して十全なる意味に長ける生産的野働とはたしがたい。しかし、右の文章によれば、と
ωととは盟行指都
ω
勢働の一部分
ll会そらくはその大部分!ーについてのみいえるととであって、他の部分は依然として生距的附労働に
屈するものと考えられているのでるる。かくのごとく、資本家的生産に九掛ける監将帆労働にたいして、そとにと
ω附労働
のご荒性没者取しようとする考え方は、「資本論」の他の街所にも同棋の主旨が断片的に一刑されているととんからみ
ハ3)
ても、との問題にかんするマルクスの基調をなすものであったといってよい。しかるに他万、段杯出掛に合まれる生産
的勢働としての規定は、しばしば公くとれを拾象し去ってしまうほ
Eに較脱され、そのために監将労働がもっぱら…
ハ4V
商的に不生産的野働の規定から説明される場合も少くないのである。さきにあげた、資本の機能としての資本家的市
勤役ば、生産的労働を搾取するための努力として規定している場合などは、その一例である。かくして、蛇行附労働に
たいする二つの異なれる規定の仕方が、マルクスに沿いてそれぞれ切り離されて硝ぜら、れ、川計を論加的に諜絡する
との規定の仕方はとのかぎりに沿いて不完全というほかないであろう。
試みがないとすれば、
同町働過和一般の協法的性椅が棋大ずるにつれて、「手のMW働」と「頭の附労働」との分附ば必得的に張反するが、両
者はいやれも全体労働の不可続の構成部分として、生産的MM触と規定することができる。あらゆる結合金淀川刊式に不
可依の監杯一野叫仰の生産性とは、それゆえにとの立味に沿いて斑僻されなければたらない。資本ぃ誌的生産にむける監行
持働に沿いては、その大部分は封立的生産様式の必然的産物であるのみたらや、さらにそのきわめて小さい部分が生
産的勢鍛であるとしても、それは持悌話相に直結せる右の意味の「…践の弊働」であるよりは、むしろ制能川別組生産
ω
AU6v
ための弊働という意味での生産的問労働であり、しかもそれは、ラムジーも指摘しているように、安本家的生産の稜民
とともに京要性を失ってゆく性質のものであるから、開論的には、との附労働は不生産的たものとして、したがってこ
れに支搬われる報酬は資本にとっての窓授として、把握してよいのではないかと忠われる。そして、監円八円持働みど令め
総務経研究
ヒ
- 33
ジョージ・ラムジーの利子論
石一滋
た資本家的活動は、附労働過程から切り離されるとともに、その活動の場商を、
産に特有な流通過程に求めざるそえなくなるのでないか。さきに提越した問題
ω解決
からなされるべきでないかと思う。
とれと封立するととろの、資本家的生
一ページ参照〉もとの蹴制
(3) (2) (1)
出向宮司同
¥1200円HOR・H出-HHH-∞・
8問・認会、五五六ページ。
円三件、
ω・品同部・諜44町、凶一一一ページ。
たとえば、認母同¥域内ぷ弘
SH3切
PH・ω・紫∞・認会科、問問一一ページ。
ま
た
涼
SFgg-十∞門戸同・
ω・8ω・認寄付、一一一九
0ページ。
たとえば民81Hwg山
門
FHW円山
口
Hlm申
4・謬市町内、一一
O一ページ。
車総な労働遇税から生ずる、生魔的労働の本滅的規定については、足号Hwg向島
-wMW品・凶器・裕社UMH、七‘九ページ、また、労働過
程の協業的性格から必然品川に生ずる、生庭的労働の概念の機大化については、同同じく沼湾同
LVMP∞-mR-神州汚的、一‘一九
0ペ
ージをHAょ。
右の誌にのべた生庭的帥労働の規定は、いずれ事も物質的泉旅そのものの本性から生ずるものであって、いかなる此合形践にも受泌
するところの一般的規定であるo
しかるに、資本制生売においては、刑判徐俄憾の宇一応が規定的問的となるために、一方に
L
おいて
は、生産的融労働の燃念が狭小なものとして現出水する。ハ窓号
HL立pmw-mE-却州市山材、一一一九一ブi
ゾ)すなわち、民派的労働と
は、この場合には、たんに一般に生路物をゑ旋するというだけでは十分でなく、資本家にたいして刑制鈴佼依を仇旅するところの労
働、もしくは、等制倒的労働篠件を茨木に縛化し、その所有者b己資本家に線化するところの労働となるO
(
富男同-JdooュgwwH・
∞・食品・探索μ、四一一一六ページ〉ところが他方、それは物質的長溌の過程中に治設されるとみなされる知的酬労働ハたとえば滋督
労働〉をも包含するものとなり、さらに客観的形滋に糊抽象化されない労働もまた、資本によって続賞されるかずりに沿いては、
生底的労働としてあらわれるのである0
(
冨号
HL玄FH-m-M4∞・採決け、一一一
00ページ)
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