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2 みんなの地学 20201好奇心溢れる少年が地球科学者になるまで,現在,そして未来 岡 田   誠(茨城大学理学部) めでたく,日本初の GSSP(国際境界模式層断面と ポイント)となったチバニアン.今回は,本特集「地 学と子どもの夢」の一環として,千葉セクションの GSSP 申請の代表者である茨城大学の岡田誠教授にお 話を伺うことができました.氏は,子どもの頃からど んなふうに自然を眺め,自然を体感しつつ育ってきた のでしょうか.将来の夢を含め,率直に語って頂きま した(インタビュー実施日 2019 2 18 (月)). 子どもの頃から高校まで ―我々は出身の大学・大学院は違いますが,博士課程 1 年目ぐらいからいろいろな場所で顔を合わせ てきました.でも,こんなふうに二人でじっくり話 をするのは始めてですね. 岡田:そういえばそうだね.今も生協とかでよく会う けど(笑). ―今日はよろしくお願いします.さて,子どもの頃は どんな少年だったんですか.学校に入る前のところ から,お話し頂けますか? 岡田えっ,幼稚園の頃から話すの.そこから話した らなかなか終わんないよ(笑).それにかなり混沌と している.幼稚園の時は神奈川県の逗子に住んでま した.親は全く理系のことには興味がない.特に父 親は自分でテレビのケーブルとかもつなげないぐら い.そういうことは全部母親がやってました.だけ ど,何故か家にいろんな図鑑や百科事典があって, その中の 1 つが人体の図鑑だった.子ども向けじゃ ないよ.大人が読むような本格的なやつ.透明の シートにいろいろ印刷してあって,それが何枚も重 なっている.それを 1 1 枚開いていくとあたかも 解剖しているような感じになっていくんです.それ ばっかり見てましたね.それで,幼稚園児ながらも, 大学の研究室にて 特集:地学と子どもの夢 特別インタビュー

みんなの地学 1: 2-9 (2020)

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みんなの地学2020(1)

好奇心溢れる少年が地球科学者になるまで,現在,そして未来

岡 田   誠(茨城大学理学部)

めでたく,日本初の GSSP(国際境界模式層断面とポイント)となったチバニアン.今回は,本特集「地学と子どもの夢」の一環として,千葉セクションのGSSP申請の代表者である茨城大学の岡田誠教授にお話を伺うことができました.氏は,子どもの頃からどんなふうに自然を眺め,自然を体感しつつ育ってきたのでしょうか.将来の夢を含め,率直に語って頂きました(インタビュー実施日 2019年 2月 18日 (月)).

子どもの頃から高校まで―我々は出身の大学・大学院は違いますが,博士課程の 1年目ぐらいからいろいろな場所で顔を合わせてきました.でも,こんなふうに二人でじっくり話をするのは始めてですね.岡田:そういえばそうだね.今も生協とかでよく会うけど(笑).

―今日はよろしくお願いします.さて,子どもの頃はどんな少年だったんですか.学校に入る前のところから,お話し頂けますか?岡田:えっ,幼稚園の頃から話すの.そこから話したらなかなか終わんないよ(笑).それにかなり混沌としている.幼稚園の時は神奈川県の逗子に住んでました.親は全く理系のことには興味がない.特に父親は自分でテレビのケーブルとかもつなげないぐらい.そういうことは全部母親がやってました.だけど,何故か家にいろんな図鑑や百科事典があって,その中の 1つが人体の図鑑だった.子ども向けじゃないよ.大人が読むような本格的なやつ.透明のシートにいろいろ印刷してあって,それが何枚も重なっている.それを 1枚 1枚開いていくとあたかも解剖しているような感じになっていくんです.そればっかり見てましたね.それで,幼稚園児ながらも,

大学の研究室にて

特集:地学と子どもの夢

特別インタビュー

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「なんか外科医とかいいなぁ」なんて思っていた.そういうわけで,最初に意識した職業は外科医.―ほう.しかし,そういう生々しい図鑑とかみて,気持ち悪いとか,グロテスクとか思わなかったの?岡田:そういう概念が芽生える前に見ちゃった.子供はそういうの全く平気ですから.例えば,昆虫をバラバラにしたりするでしょう.まぁそういう年頃の話.―なるほど.じゃあ,手塚治虫の『ブラックジャック』の影響とかではないんだ.岡田:いや,あれのもっと前の話.でも,その医者になりたい,という気持ちは割と早く冷めちゃいましたね.それで,小学校のとき,東京の立川に引っ越した.―東京暮らしもしたんだね.岡田:米軍立川基地が返還されたぐらいのとき.当時は,また武蔵野って感じが充分に残っていた.雑木林がいっぱい.そこでカブスカウトに入ったの.気がつくと,キャンプとか,鍋でご飯を炊くとか,気軽にできるようになっていた.―ほうほう.岡田:きっかけは忘れたけど,星もよく見てた.天体望遠鏡も買ってもらえて.そんなころ,ウェスト彗星が来た.1976年かな.あれは凄かったですね.明け方見たんだけど,ぶわ~っと尾が 2つに分かれて.もの凄い明るいんですよ.―ほんとに?うわっ,ぜんぜん記憶にないなあ.私が住んでた東北でも見えたのかなあ.岡田:もう私にとっては最初で最後ですよ,あんなに明るい彗星を見たのは.そんなわけで星をよく見ていた.そうすると,そのまま写真に繋がるじゃない.―確かに,そういう人は多いね.岡田:なので,写真を始めたきっかけは天体.現像とか,中学ぐらいから自分でするようになって.―それじゃ,中学では写真漬けの毎日だったわけだ.岡田:うーん,他にもいろいろやっていたけど.例えば,講談社のブルーバックスは好きで沢山読んでいた.難しくてぜんぜん分からないものは時間をおいて読み返したりして.それに,本気でやっていたのは水泳.水泳部に入っていた.これは高校に入ってからも続けていたっていうか,部長をやるぐらい,ちゃんと泳いでいた.―あとで,古地磁気と同位体の二刀流に関する質問をする予定なんだけど,中学・高校で,もう二刀流だったんだね.

岡田:写真部はとくに活動があるわけではなくて,暗室とかの学校の施設が使えるのが大きかった.それで,やたら撮りまくって.例えば,高校でイベントとかあると,運動会,文化祭,体育祭のときとか,何人かで,大量に写真を撮るわけ.それをクラスの人たちに売るの.―そうすると,みんな買ってくれるんだ.岡田:そう.それが結構売れるから,あわせて何千円とか一万円とかになったりする.それをまた活動費にしていた.だから当時のクラスメートたちは,皆,でっかい白黒写真を持っているんですよ.―高校はどこだったんですか.岡田:横須賀の追浜高校.―えっ,追浜?岡田:そう.高校のときには,もう横須賀に引っ越していたので.追浜駅は三年間通った.―なんと.高校はどっち?今の JAMSTECに向かうように行くの?岡田:そう.商店街を歩いていくとモスバーガーとかあるでしょう.あそこから海の方へ曲がっていく.あのモスバーガーは当時からあるんだよ.高校生には高かったから,なかなか行けなかったけど.―今 JAMSTECがあるところで高校時代を過ごしたっていうのは,不思議な縁だねぇ.岡田:そうなんだけど,当時,一番インパクトがあったのは,米軍の横須賀基地.あのとき,原子力空母ミッドウェーの母港になっていて,それにトマホークも運び込まれ,それが核弾頭の搭載も可能,ということで,全国から反対派が集まっていた.しょっちゅうデモが行われていて,その写真を撮りにいったんですよ.―星の写真から報道写真になっちゃった(笑).岡田:そう(笑).プロの報道のカメラマンが沢山いて,写真を撮りに来てたんだけど,どさくさまぎれで高校生が写真を撮っていた.―なんか腕章みたいなものをつけて行ったの?岡田:なにもないよ(笑).もうそんなものを気にしている感じじゃなかった.機動隊は雄叫びあげてるし.―じゃあ,高校のときに,目の前で大人が本気でぶつかっている様子を見てたんだ.岡田:見てるだけじゃなくて,目の前で写真を撮っていた.そう,それで将来の職業として報道カメラマンも良いなあ,と思っていた.―なるほど.それは高校生には刺激が強いだろうね.

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岡田:さらに混沌とさせちゃうんだけど,そのとき,映画監督も良いなあ,とも思っていた.―映画監督?えっ,もうわかんないよ(笑).岡田:父親が日本ヘラルドっていう会社に勤めていて,家にいろんな映画の招待券が沢山あったの.それを使って,部活のない日とかともかく映画を観ていた.もう日本でやってる映画を全部見たんじゃないかってぐらい.それで,映画監督とか映画の制作も良いなあって思っていた.―当時はネットはもちろん,レンタルビデオもそれほどない時代だったんで,映画は映画館.それは貴重な経験だね.しかし,水泳やって,デモの写真を撮って,映画三昧.いつ勉強していたのって感じだね(笑).それに,全然地学の話にならない(笑).岡田:いやいや,大丈夫.高校一年生のとき,地学と生物を選択する場面があって,迷わず地学を選んだ.というか,当時は生物が嫌いで.―それじゃ,高校では,物理,化学,地学を選択した.岡田:そう.そして,授業を受けてみたら地学が面白い.当時の追浜高校で地学の授業を担当していたのは石塚登先生.この学会の会員と思うよ.私はすでに水泳部と写真部に入っていたから,地学部には入らなかったけど,地学部は本格的に活動していたみたい.薄片作ったり,天体観測とか.―なるほど.地学部員ではなくても,授業を通して石塚先生の地学にかける思いは伝わってきたわけだ.岡田:そりゃもう.地学の授業は本当に面白かった.石塚先生はもう 80を過ぎていると思うけど,今もとても元気.地学部の OBたちと海外巡検までやっている.これまでにアイスランドとかいろいろと行っている.それだけじゃなく,奥さんと外国へサッカーのワールドカップも見に行っちゃったり.―えっ,どんだけ元気なの.岡田:それに,結束が固い.当時の地学部の部員が今も先生の家で新年会をしたりしている.自分の子どもを連れてくる人もいて,家族ぐるみで.30人ぐらい集まっちゃうぐらい.すごいよ.僕は部員じゃなかったし,先生も当時の私のことは覚えていなかったけれど,このチバニアンの盛り上がりもあって,一昨年,新年会に参加させて頂いた.―それは石塚先生もお喜びですね.岡田:そう思う.チバニアンの騒ぎで良かったことの一つだね.だけど,授業は面白いと思いながらも,当時まだ将来の職業とか進路とか,という対象とし

て地学を考えたことはなかった.―なるほど.やはり,報道カメラマンとか,映画関係とか.岡田:そうですね.それに,ものづくりも好きだったから,高校 2年になったぐらいの頃は,工学部に行くということでほぼ固まっていた.―ものづくりが出てきた(笑).岡田:そう,ものを作ったりするのはずっと大好きで,開発の仕事もいいなあと.当時,世界最先端ということで東北大学の西澤潤一先生が活躍していたし,東北大学の工学部を受験しようと思っていた.―なるほど.岡田:そしたら,ある年,突然,二次試験に英語が加わった.当時は英語が苦手で,もう大ショックだった.二次試験に英語があるところは全部除外.それで東北大の工学部は泣く泣く断念したの.―いわゆる理系でも二次試験の科目に英語があるところがあったのか.記憶にないなあ.岡田:東大は国語まであった.もう考えられないよ.そうこうしているうちに,高校三年の夏近くになったから,例年通り伊豆七島へキャンプ.―えっ,キャンプ?岡田:高校生になって原付バイクの免許が取れたから,それにキャンプ道具一式を括りつけて,長い休みにはよく行っていた.東京の竹芝桟橋からね.本当は高校のうちに伊豆七島を全部制覇しようと思っていたんだけど,青ヶ島には行けなかった.―しかし,高校時代を満喫してたんだね.岡田:そうだね.いつもは友達二,三人とだいたい一週間から 10日ぐらい.だけど,この高 3のときは一人で行った.これまで一緒に行っていた友達はみな受験勉強,ということで,誰一人一緒に行くって言ってくれなかった(笑).―ははっ(笑).よく親も許したねぇ.岡田:たしかに.それでその年は三宅にまず行って,そのあと八丈島へ.魚介類を捕って,晩飯は海鮮丼とか,そんなことをずっとやっていた.―なるほど.そこで,ボーイスカウトの経験とか水泳部のスキルとか生きてくるんだ.岡田:うん.そこでキャンプ場にずっと暮らしている人達とも仲良くなったりして.そのときは,新宿でプロのカメラマンをやっている 30チョイぐらいの,まあ高校生から見たらおじさん二人に非常によくしてもらって,沢山話もしたの.

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―いかにも業界!っていう感じを想像しちゃうね.岡田:そうそう,本当にそういう感じの.それで話をしていたら,「高校生で,俺たちとおんなじようなことやってんの !?」って驚かれた(笑).―ほんとだね(笑).報道写真撮って,長い休みは離島でキャンプしてって全くおんなじだ(笑).岡田:そう,結構盛り上がった.それでいかにも業界っていう感じの人なんだけどね,あるときボソッと言うわけ.「自分は本当は貝が好きで,貝の研究者になりたかったんだ」って.「だけど結局ならずに,こうして世の中を生きているわけですよ…」ってつぶやいたの.―ほう.岡田:なんか,その言葉が妙に心に残って.その言葉を聴いたとき,「ああ,地球科学も好きだし,それを研究していく道っていうものあるのか」って思ったの.―面白いね.じゃあ,八丈で溶岩を見たからっていうものあるかもしれないけど,むしろその雑談の方が大きかったんだね.岡田:雑談の方が大きかったね.溶岩も見に行ったんですよ.山登って,外輪山のなかに入って.高校生のときでも溶岩だっていうのはわかるし,それはそれで面白かったんだけど.でも,その会話を通して,地球のことを調べるっていうもの面白いかなって気付いた.―へえ.岡田:それが,大学で勉強する対象として地学もあり得るかなって思った瞬間だね.それで結局,静岡大学の理学部に行ったんだけど,そこを選んだ理由は,入試の二次試験に英語がなかったから(笑).しかもとなりの県だし.帰省のときは,電車に乗ら

ず,バイクで戻って来れる.キャンパスも移転したばかりできれい.そういうわけで私の人生を決めたのは八丈島ですね.その場所っていうよりは,そこでの出会い.―そのおじさんとは今も交流があるの?岡田:いやいや.でも大学に受かったときはちゃんと手紙で報告したよ.―さすが.偉いね.

静岡大学時代―それでいよいよ静岡大学に入学.大学では水泳を続けたの?岡田:水泳部には入らなかったですね.水泳はもういいやと思って.当時,格闘技系にも興味があったから,日本拳法部に入ったの.日本拳法って知ってる?―知らない,知らない.手裏剣とか使うやつ?岡田:そういうんじゃないだけど(苦笑).防具をつけて殴り合う.一番近いのは,警察の逮捕術.というか,ほぼ同じかな.―へえ.それを本気でやったわけ?岡田:そう.部活として本気でやったの.―そんな部活があるのか.岡田:あったんですよ.―じゃ,護身術みたいなものかな.岡田:そういう面もあるけど,どっちかというと攻撃かな.―地学一本で行かないところがいいね.かならず他に何かやろうとしちゃう.岡田:それはそうね.でも,なんでそんなことやったんだろう(笑).―じゃあ,日本拳法部は卒業まで続けたんですか?岡田:それはねえ,まあまともに活動ができたのは最初の 2年間だけ.3年生になって研究室に入ってからはそんな状況ではなかったですね.指導教官は新妻信明先生ですから(笑).―うーん.しかし,いろいろと研究室があるなか,どうして新妻研を選んだの?岡田:当時,特に興味があったのは,地球物理と海洋地球科学.もし,観測船に乗っていろいろとデータをとって,という研究室があったら,そこに行っていたと思う.そういうことをやっている先生はいなかったし,そして地震の檀原方程式を提唱した檀原先生はちょうど退官でゼミ生を取らず,という状況だった.

愛機・超電導岩石磁力計と

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―ふむふむ.岡田:さてどうしようかと思っていたんだけど,そこで思い出したのは,昔,講談社のブルーバックスで読んでいた川井直人先生の『地磁気の謎:地磁気は気候を制御する』が面白かったこと.新妻先生は房総をフィールドとして古地磁気層序を編んでいた.―なるほど.岡田:それで新妻研究室に決めて,3年生から卒業研究を始めた.そしたら凄いの.―なんとなく噂は聞いているけど.岡田:まずね,朝 10時に新妻先生が出勤する.ヤマハのチャッピーっていう原付に乗って,毎日判を押したように.そして,「世の中はどうなっているかなー!」って言いながら研究室に入ってくる.―なるほど.まず,朝イチで,時事の雑談をするのか.岡田:全く違う(苦笑).昨晩から,どれだけ研究が進んだのか,という意味.それに,しっかり答えられるように準備をしていないといけない.―えっ,毎朝??岡田:そう,毎朝.―それはキツい.岡田:それをなんとか乗りきると,昼は新妻さんと一緒にデータを取ったり,マシンのメンテとか.それで午後 5時半になると,またミーティング.そこで,今日一日どんな進展があったかを発表しないといけない.新妻さんは,自分で蕎麦を茹でて,それを食べながら聴いている.―蕎麦?それで,学生の分は?岡田:ないよ.自分の晩ご飯だから.―すごいな.じゃあ,ゼミ生の報告はおかずか.岡田:そう.今じゃ,考えられないね.それが毎日.それをなんとか乗りきると,12時までまた研究.新妻先生の仕事を手伝ったり,自分のデータを取ったり.―夜中の 12時?岡田:そう.毎日同じペース.だから,うちの研究室だけでなく,まわりも緊迫している.夜 12時になって新妻さんが帰ると,みんながやっと落ちつけるわけ.そして,お酒を飲んだり,また仕事したり.―そこから翌朝 10時までに,「世の中」をどうにかしてつくらないといけない.岡田:そう.卒論や修論を各々進めるわけ.―それは過酷だ.

岡田:途中でやめちゃう人も多かった.―新妻先生には,中野にあった頃の東大海洋研の古海洋シンポジウムとかで毎年のようにお目にかかって,本当に励ましてもらっていたけどなあ.岡田:自分の学生には厳しいのよ.でも学会とかでは本当によいアドバイスをしていると思う.―そこで,卒論は今のチバニアンに繋がる房総の地質を研究した.岡田:卒論と修論ね.もう大まかな地質図はできていたから,詳細なルートマップを作って,古地磁気層序と有孔虫の酸素同位体層序で詳しい年代軸を入れた.―えっ,卒論の段階で古地磁気と酸素同位体のデータを出したの?岡田:そう.でも,新妻さんは両方やっていたから,それが当たり前のことだと思っていた.―いや,そんなの両方やっている人はいない(笑).岡田:だよね(笑).でも当時はなんの疑問も持たなかった.そして,あまりに忙しくて車の免許を取る機会を逸してしまって.ちなみに,静大時代にバイクは三台乗った.DT125っていうヤマハのオフロード.それから RZ250R,ロードバイク.そして,スズキの 125 ccのオフロード.調査のときはバイクでいいんだけど.―そうか.じゃあ,岩石のサンプリングのときは?岡田:先輩や友人に車を出してもらって,古地磁気用サンプルを取るためのドリルも積んで.―しかし,よく卒論・修論を乗りきったもんだね.岡田:いや~,確かにきつかった.―岡田さんというと,泰然自若というか,どんなに忙しくてもすごく涼しい顔をしてこなしてしまう印象が強いんだけど,そういう環境で生き残ってきたのが大きいのかなあ.岡田:いや~,どうなんだろうね.―座禅とかやってない?岡田:ぜんぜん.そもそも,泰然自若じゃなくて,ちゃんと動揺しているよ.「やば~,こりゃ,もうだめだな」って思う場面は沢山あるよ.千葉セクションの GSSP申請に関してもそういうことの連続.―そうなんだ.一体どういう心臓してんの?と思う場面がよくあるよ.岡田:動揺していないように見えてるだけ.―それはちょっとだけホッとしたかな.

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東京大学海洋研究所から茨城大学へ―博士課程は東大の海洋研へ.そこからは共通の知人がいたこともあって,なんとなく知っている(笑).博士論文は古海洋だよね.岡田:オントンジャバのコアを使った古海洋研究.―新白鳳丸就航の世界一周航海のときのコア?岡田:いや,あのときはあまりよいコアが取れなくて.その翌年に三本,よいのが取れたんでそれを使った.今思えば,全然たいしたことがない仕事だけど,当時はまだ誰もやってなくて新しい切り口だった.―時代はいつぐらいだっけ?岡田:過去数十万年間.―それで無事,博士論文を仕上げて茨城大学へ.それで二刀流の話に戻るんだけど,古地磁気と同位体,どうやって絞り込んでいったの?岡田:実は全然絞り込んでいない.ただ,当時,天野一男先生が超伝導磁力計を導入していて,そのお守りをする人が必要だった.―じゃあ,ちゃんとルートマップが作れて,層序が編めて,かつ磁力計のメンテもできて,という人を探していたわけだ.そんな人はなかなかいないねえ.岡田:そう,ラッキーだった.まあそれで,それをな

んとかしろ,というわけ.あとから見て欲しいんだけど,今もちゃんと動いている.世界中,この当時の超伝導磁力計がまともに動いて,現役でデータを出し続けているっていうのはここしかないと思うよ.物作りも好きだし,機械のメンテナンスも嫌いではない.2014年にシールドルームも自分で作ったし.―じゃあ,超伝導磁力系計のお守りをしつつ,同位体も測っている.岡田:そう.だけど,ここでは測れないから.他のところで使わせてもらっている.高知コアセンターとか.今は,共同研究として国立科学博物館の筑波研究施設.

現在の状況,そして今後の夢―さて,学部の卒論や修論時代は,なかなか厳しいゼミで過ごしたわけだけど,学生指導で特に気をつけていることはありますか.まさか,新妻先生方式ではないよね(笑).岡田:まさか.やろうと思ってもできない.性格的に.でも,指導上,特に気をつけているっていうのもそれほどない.特別なことはしていないと思う.楽しく,新しいことがわかれば良いかなっていうぐらい.

膨大な数の古地磁気測定用試料に囲まれて

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―具体的には?岡田:例えば,卒論や修論で面白いことがわかったら「おーっ!」という感じで,素直に私も一緒に感動するだけ.学生さんは自分の出したデータの重要性に気付かないことが多いから,そこはちゃんと説明するし,一緒に喜びあう.だからテーマを設定するときから,新しいオリジナルデータが得られそうな,二番煎じじゃないもの,ということは気をつけているかな.目標も明確で,これは初めて,というものをテーマにしている.―なるほど.岡田:それに,学生さんの研究フィールドはローカルであっても,グローバルな議論ができるというテーマ設定することも重要かな.―なるほど.そうすることで,自分がやっていることの科学的な意義を実感できるわけだね.岡田研の学部の卒業生はどれぐらい大学院修士課程に進むんですか.岡田:だいだい 50%ぐらいかな.博士課程にはほとんどいかない.これまで三人だけ博士号を取ったんだけど.一人目は堀井勇一さん.彼は環境地質学的なことをやりたくて,つくばにある資源環境研究所でダイオキシンの分析をした.私の下で実際的にデータを出して博士号を取ったのは二人.菅谷真奈美さんと羽田裕貴さん.二人とも凄く頑張って,面白いデータを出したんだけど,タイプは全然違う.菅谷さんははじめ学部が終わったら,普通に就職するつもりだったんだけど,卒論をやっているうちに良い結果が一杯出てきて.どんどん面白くなってきちゃって.一緒にワイワイやっているうちに博士号まで取っちゃった(笑).―そういうこともあるんだね.岡田:滅多にない,というか彼女一例のみ.羽田君ははじめから研究者志望って感じで,私が余計なエンカレッジをしなくてもコツコツ研究を続けていくタイプ.彼のデータの半分ぐらいは千葉セクションを対象にした有孔虫の同位体を用いた研究.この三月に修了なんだけど,無事,希望するような職についてほしいと思っている.―チバニアンについては,いろいろなインタビューでも紹介されているから,あまり詳しくは聴かないつもりで来たんだけど,ちょっとだけ.千葉セクションが GSSPとして有力,というのはいつ頃から意識しだしたの?

岡田:いや,これは別に私が最初に気付いたわけではなくて.すでに,房総半島の年代層序に関しては,東北大学系統の人達が永年に亘りデータを出し続けていたし.最終的に新妻先生が総まとめをした.それとは別に大阪市大のグループも房総を研究していて.当然どちらのグループも,その時代の GSSPとして房総は有力な候補になるだろうということは,かなり以前から気付いていた.―ほうほう.岡田:GSSP申請に向け,最初に動きだしたのは大阪市大の熊井先生を中心とするグループ.ただ,国際的な場で千葉セクションの特徴を主張できるような成果物を公表していなかった.私もそれこそ卒論・修論から房総を研究してきたけど,GSSP関連のことは面倒なことが多そうだったので距離を置いていた.そんなとき,ここの卒業生でもある極地研の菅沼悠介さんがやってきて「松山‒ブルン境界の年代は(現在定説となっている年代よりも)もうちょっと新しい気がして.これをきちんと測りたいんだけど,どこかによい試料はないですかね?」って言い出して.それは千葉しかないだろう,ということになり,すぐサンプルを取りにいった.一年かけて火山灰の放射年代を測定した結果を彼が国際学会で発表したら,そのセッションのコンビナーが,GSSPの認定業務をハンドリングしている Head教授.彼から,このデータも踏まえて,GSSPに申請しては,という要請もあり,首を突っ込むことになった.詳しく話すと切りがないんだけど,そんなこんなで,今に至るわけ.―人間模様についてはここでは聴かないけれど,この

GSSP申請を通して,サイエンスとして認識を新たにしたことはありますか?岡田:GSSPを定めるということは,もちろん年代層序を組み立てることなので,地質学の中でも年代層位学と呼ばれる分野.だけど,その申請に当たっては,もうありとあらゆる,実に様々な領域のデータが必要で.例えば,地磁気の逆転はもちろんのこと,それに海洋の酸素同位体の詳細な復元,Be同位体から銀河宇宙線の強度の復元,花粉から古気候変動の定量復元とか.千葉セクションを調べればこの時代の事が世界で一番詳しくわかる,ということを示す必要あるので,単なる年代層位学の話ではない.地学に関係する多くの知見やそれを復元する技術を導入してやっと申請できている.ともかく,い

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ろんな分野が繋がっている.これはまあ,当たり前といえば当たり前なんだけど,申請してみて,本当に身にしみた.―チバニアンを契機に,一見なんでもない泥の層からそれぐらいバラエティーに富む情報を抽出できるという面白さが一般の人にも伝わると良いですね.これは次の質問にも少し関係していて.このインタビューもそうなんですけど,チバニアンがメジャーになってからは,特に広報や講演の仕事も増えて,益々忙しくなっていると思います.どうやって研究時間を確保していますか.岡田:研究時間?研究時間は,ぜんぜん確保できてませんよ(苦笑).―論文は隙間の時間で書いてるの?それともまとめて?岡田:隙間の時間ではとても書けないなあ.まとめて時間を確保して書いている.―なるほど.バス通勤のときに書いているわけではないんだ.岡田:バス通勤はだいぶ前にもうやめちゃった.少なくともデータは,学生さんの卒論・修論指導を通して一緒に出している.みんな優秀で,そういう意味では楽しませてもらってます.書く方は,菅沼さんの勧めもあり,最近,論文合宿をやっている.缶詰になって.だいたい 5人~10人が集まって,例えば三泊四日,徹底的に書く.こういうのを何度か繰り返したりして.―なるほど,そうやって書いてるんだ.缶詰って,夜も延々書くの?岡田:いや,それはない.夜は皆でワイワイ,愚痴なんかを言いながらお酒を飲む.この 2年ぐらいはゼミでもこのやり方を取り入れている.提出締切の一ヶ月ぐらい前の最後の仕上げは,合宿で書いている.今回も三泊四日で大子の研修所で書いて一気に進めた.―皆どんどん忙しくなって,苦肉の策だね.さて,このインタビューも二時間を超え,くたびれてもきたと思うので,そろそろ締めの質問をしていこうと思うんだけど.我々も定年まで 10年たらず,これだけはやりたい・やっておきたい,ということはありますか?岡田:そうなんだよね.あと 10年(しんみり).でも特に考えてない.というか,これまで房総のデータはだいぶ蓄積してきているんだけど,すべてを論文化

できたわけではない.これをなんとかしたいと思う.―あ~,それは私も全く同じだなあ.10年なんて,本当にあっという間だろうから.じゃあ,定年後は?

岡田:定年後?そんなの考えてないけど(苦笑).別に定年を待たなくてもいいんだけど,自分で小屋を作りたいね.できればすぐにでも.土地なんて安いのがそのへんに一杯あるし.―物作りが趣味とはいえ,小屋作りなのね.岡田:そう.それに薪ストーブとか置いたりして.―早く実現を,と言いたいけれど,今の状況じゃ,なかなか難しそうですね.じゃあ,本当に最後の質問です.読者の皆さんへお勧めの露頭を一つお願いします.岡田:露頭?―やっぱり,千葉セクションかな.岡田:いやいや,あれは一般の方にはお勧めできないなあ.あれほどつまらないところはないので(笑).だって,縞々も何もない単調な泥岩だよ.ただの泥の壁.―僕は,卒論で有孔虫とか微化石も出してたんで,露頭で黒色泥岩に出会うと今でもドキドキするけどなあ.一番好きな岩石かもしれない.岡田:まあ,その感覚は.私たちのように何か地層から情報を得ようという仕事をしている人にしかわからないかも.そこにすべてが記録されているので.千葉セクションのウリは上総層群で唯一の厚い塊状泥岩ということ.全部合わせると厚さ 80 m.その上総層群唯一の厚い塊状泥岩が溜まった時代が,ちょうど古地磁気の松山 ‒ブルン逆転層準を網羅しているというのが,もの凄く幸運なわけ.連続層序が編めて,様々な古環境データが取れて.最近は,講演や講義でも,そういう見かけ上は単調なものを見て,面白い!と思ってもらえるような話をすることを心がけている.―それに開眼した若者が,岡田さんのゼミの門を叩くと良いですね.お忙しいところ,今日は本当にありがとうございました.

聴き手・文字起こし:伊藤 孝(茨城大学教育学部)

岡田 誠(おかだ まこと)茨城大学理学部教授.神奈川県生まれ.千葉セクションの GSSP(国際境界模式層断面とポイント)申請チームの代表者.古地磁気層序・同位体層序を駆使した地球環境史の復元に興味を持っている.

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