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daisuke-matsumoto
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タイ南部の超能力者反乱
ラタナコーシン暦=R.S.
• R.S.128年(1909/10年) 7月31日
• R.S.130年 9月2~3日
R.S.120年 7地方国地域統治のための条例 施行
バンコク中央政府が地方の統合に介入
食国制(キン・ムアン制)による統治を行ってきた国主の不満
R.S.128年7月31日〈超能力者反乱〉
• 反乱指導者⇒ハジ(イスラム教の宗教指導者)
ハジ・ブラ、ハジ・ワンチーなど
• イスラム教の集会に参加しては、教義を解くとともに呪術的知識で民衆を反政府運動に扇動
• 反乱支持者が増えると、武器訓練を施した
イスラム教の知識 呪術的知識 自称超能力者
• ハジ・ブラと支持者約50人の武装集会を発見
衝突に発展 R.S.120年の条例施行後初
本格的な反政府運動に発展する前に鎮圧
• 武器は小刀や剣で、銃などの近代的武器はなかった
• 政府職員のほとんどが重傷を負う
• ハジ・ブラも重傷を負い、逮捕される
超人的な能力はない
民衆を扇動するために超能力者をかたっていた
R.S.128年7月31日〈超能力者反乱〉
反乱参加者の処罰
• 反乱指導者ハジ・ブラの処罰
当地で行えば、住民の大多数であるイスラム教徒の反感を買うおそれ
• ラーマ5世はパッタニー州外へ移送しての処罰を考慮
• ソンクラーに移し、裁判
禁固13年 (騒乱罪:禁固3年、傷害罪:禁固10年)
• ハジ・ブラはバンコクの刑務所へ収監
• 他の者はナコンシータマラートで服役
R.S.128年反乱後
• 南タイのいくつかの地域で同様の事件がいくつか起こる
ヤラーにて、超能力者をかたるトワン・セートが、約300人の民衆を集めて会合を開いているのを発見
ノーンチックにおいても、超能力者をかたるハジ・ユーソ、ハジ・ウマーおよびサーニポーチーが民衆を教唆
• 中央政府はパッタニー州政府の無能を危惧
トワン・セートの逮捕は中央政府の派遣視察官による
地方当局は、超能力者反乱の要因を突き止められない
→R.S.130年に再び超能力者反乱が生じる
R.S.130年 超能力者反乱
• 9月2日
約70人がヤハー郡役所と官舎を焼き払う
• 9月3日
約100人が銃、刀剣を手に、ヤラー県ヤハー副郡チナー村の職員を襲撃
→R.S.120年以降南タイで初めて官公舎・官吏が過激な襲撃を受けた
1. 近代的武器の使用と反乱勢力の増大
約60丁の銃を所有
70~100人にのぼる反乱勢力
2. 攻撃目標の明確化
官公署、官舎および官吏が攻撃目標
官吏と民衆の反目を反映
全地方を統治する中央政府への反抗でもある
3. 郡の公職、官吏の逃亡
4. 反乱参加者を一人も逮捕できなかった
同地方の官・公職の無責任さ、無能さ
R.S.130年超能力者反乱の特徴
<ピー・ブン>の支援
• 反乱勢力が強大になっている
イサーンの<ピー・ブン>反乱参加者で、ナコンシータマラート州に拘禁されていた者たちが脱獄し、<超能力者>反乱を支援
パッタニー州内に限られていた反乱支持勢力が、ソンクラー、サイブリー州など近隣にも拡大
反乱の政治的要因
• 中央政府の統治改革への不満
R.S.120年の条例で国主や高官が既得権益を失った
• 地方役人の無能力
不満分子が勢力を結集している間、地方役人は恐れおののくばかりで、反乱を予防する措置を全く取らなかった
反乱の経済的要因
• 不景気
1907年~1910年 総体的に景気が落ち込んでいた
1903年~1910年 洪水・干ばつの繰り返し、人・家畜の伝染病が蔓延
• 税制政策に対する不満
中央政府の直接徴収⇒地方政府の不満
税の種類・率の両方において増税⇒民衆の困窮
銀本位制から金本位制へ移行
⇒交換率に大影響、農産物の価格暴落
徴収貨幣をアット貨からサターン貨へ
⇒サターン貨を持ち合わせない住民が多数
反乱の社会的要因
• 南部国境県の大多数=マライ人、イスラム教徒
中央政府は、マライ語が話せイスラム教にも理解がある役人を派遣し任務にあたらせたが、大部分の役人は住民に偏見を持っていた
そのような役人と住民が互いを敵視
反乱指導者はイスラム教を反乱の扇動に利用
• 呪術信仰
犯罪が多く治安が悪い、不安定な社会
⇒呪術信仰を助長
住民が反乱指導者の呪術的なホラ話を信じてしまった