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研究・技術計画学会 第 23 回年次学術大会 2008 年 10 月 13 日. なぜ日本でテクノロジーアセスメントは 定着しなかったのか. 吉澤 剛 (東京大学公共政策大学院) 社会技術研究開発事業 研究開発プログラム「科学技術と社会の相互作用」 研究開発プロジェクト「先進技術の社会影響評価 (テクノロジーアセスメント)手法の開発と社会への定着」. 1970 年代 TA の「停滞」に対するこれまでの見解. 技術推進者からの反発 手法への依存と手法開発の困難さ 負担の大きさとメリットの不明確さ 開発者が自発的に行う TA の限界 評価制度が行政から独立していない - PowerPoint PPT Presentation
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なぜ日本でテクノロジーアセスメントは定着しなかったのか
吉澤 剛(東京大学公共政策大学院)
社会技術研究開発事業研究開発プログラム「科学技術と社会の相互作用」研究開発プロジェクト「先進技術の社会影響評価
(テクノロジーアセスメント)手法の開発と社会への定着」
研究・技術計画学会第 23 回年次学術大会
2008 年 10 月 13 日
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1970年代 TAの「停滞」に対するこれまでの見解
• 技術推進者からの反発• 手法への依存と手法開発の困難さ• 負担の大きさとメリットの不明確さ• 開発者が自発的に行う TA の限界• 評価制度が行政から独立していない• 公害問題の沈静化
≠ 経済団体・産業界の環境関連法整備への強い抵抗 • 石油ショックによる意欲低下• 科技庁内での原子力局の計画局への圧力• 定義や概念が不明確
→研究者自身が定義や概念を不明確なまま扱っている
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TAの周辺
• システムマネジメント、システム分析、プロジェクトマネジメント、プロセスマネジメント、技術管理、 QC 、 ZD 、 TQM 、 ISO 、トータルシステム、価値観の多様化、未来学、断絶の時代、脱工業化社会、情報化社会、超技術、ソフトテクノロジー、 OR 、 PPBS 、政策分析、シンクタンク、 CELSS 、 SNM 、トランジションマネジメント、プロジェクト評価、研究開発評価、 CSR 、ビジネスアセスメント、ソーシャルアセスメント、プロブレムアセスメント、環境アセスメント、統合評価、インパクト評価、リサーチ・オン・リサーチ、テクノロジートランスファー、ソーシャルアクセプタンス、パブリックエンゲージメント、サイエンスコミュニケーション、リスクアセスメント、技術フォーサイト、技術予測、デルファイ、産業構造転換、産業ビジョン、技術戦略、優先順位付け
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システムマネジメントとしての TA
• システムマネジメント=意思決定を行う段階(システム分析)+実施段階(プロジェクトマネジメント)
• TA 前夜:断絶の時代、脱工業化(情報化)社会• 産業予測特別調査団の訪米( 1969 ):「システム調査団」• 林雄二郎( 1969 )「技術革新の成果を社会の場で再評価、再調整する
こと」 →《超技術》としての TA• 八人委員会( 1970 )「技術の開発と適用に対し、くり返し点検と調整
を行うことである」 →フラー/ボールディング的環境思想に基づく• ラムソン( 1970 ):予測/事実認識( perception )、評価、コント
ロール• 経済同友会、技術同友会( 1973 ):社会的責任として企業による自主
的な TA を奨励• 公害や環境問題の深刻化、石油価格の高騰
→経団連、技術同友会( 1975 ):公的機関における TA を提言• 民間企業では 1974 年頃をピークに TA 活動が衰退
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評価・フォーサイトとしての方法論的展開
プロジェクト評価としての TA• 経済同友会技術開発調査団( 1970 ):国家的プロジェクトへの関心
から NASA を訪問し、大学やアカデミーで TA について討論を行う• 科学技術白書( 1972-74 ):「代替手段の利害損失を評価」→「技術
を社会全体にとって望ましい方向に制御」として、 TA の結果によって既存政策が廃止されたり大きく見直されることのないように定義をプロジェクトベースの方向に
• 産業構造審議会中間報告:「国自らが実施する研究開発のテーマについては、開発着手前にアセスメントを行ない、問題がある場合には、テーマの不採択、計画の変更等を行なう」
技術フォーサイトとしての TA• 岸田純之助:ネットワーク的な技術予測= TA• 産業予測特別調査団は《デルファイ》の実践法を学び、牧野昇が以後中心的に技術予測に携わる
• 通産省のビジョン行政は 1970 年代に TA の概念を吸収する形で発展→工業技術院・定量的評価手法 PRETEQS の開発( 1971 )→産業技術開発長期戦略( 1977 )
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1970年代の各省庁における取り組みの政治的背景
• 科技庁:縦割りと説明責任– 計画局、研究調整局、振興局、原子力局、資源調査所による試験的 TA ( 1973 )
– 越川文雄計画局長: TA とは「意思決定者が意思決定過程の改善のために出資したいと思うもの」と「意思決定者が周囲の圧力にあって引き受けざるを得ないもの」( 1975 )
– 大澤弘之計画局長による議会 TA 機関の創設への働きかけ( 1977-78 )
• 通産省:正当化と社会受容– 1971 年に新設された環境庁の活動を警戒し、他の省庁が取り組む前に自らの扱う技術に対して TA を実施し、妥当性を示そうとした
– 大島恵一「 TA は社会による新しい技術の受容に関したプロセスである」
• 環境庁:環境アセスメントへの関心– 化審法( 1973 )、「各種公共事業に係る環境保全対策につい
て」( 1972 )、サンシャイン計画( 1974 )
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1980年代以降:国家技術戦略としての TA
• 「むつ」をめぐる国会論戦( 1984 ):巨大技術プロジェクトの研究開発における効率性の問題
• 科学技術会議による研究評価制度の調査研究( 1982-84 )・指針策定( 1986 )、各省で評価マニュアル策定( 1989 )
• 日米科学技術協力協定の改定をめぐる日米摩擦( 1987 )→国際技術戦略研究会( 1988-94 ):自民(中山太郎ら)+産官学(内田盛也、近藤次郎、岸田純之助ら)
• 技術同友会( 1991 )「テクノロジーと人間福祉」:近藤、岸田らが公的 TA 機関の設置や国際的 TA 活動に期待した提言を行う
• 科学技術と政策の会( 1994-2002 ):松前達郎の呼びかけによる超党派議員連盟であり、国際技術戦略研究会に参加していた議員はこの会へ、有識者は渥美和彦らの設立した科学技術基本政策研究会へ
• 「科学技術評価会議」(仮称)創設法案の提出への動きは 1995 年 1月、 11 月、 97 年 4 月、 99 年の少なくとも 4 回あったが、断念された∵官僚の抵抗、議員の立法能力、大学研究者の関心の低さ
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システムマネジメント
1970
19911988
技術フォーサイト
『テクノロジーと人間福祉』
プロジェクト評価
90年代の通産政策ビジョン
70年代の通商政策
1970 1980 1990 2000
八人委員会
調査団
工技院事例研究
1969 1971-78
1971-84
議員への個別折衝
1977-78 1995-1999
科学技術評価会議(仮称)
科学技術と政策の会
1994
1982-84
「研究評価のための指針」
予備調査
1997
大綱的指針
日本産業技術振興協会1974-90
科技庁事例研究
産技審答申
1975
1986
未来工研 CELSS研究会
訪米調査
1971 ( 1974-77)
産業技術開発長期戦略策定研究会
80年代の通産政策ビジョン
1980 1990
1988
国際技術戦略研究会
技術予測調査
21世紀経済産業政策の課題と展
望2000
1976 1981 1986 1991 1996 2000
1995
科学技術基本法
科技庁→ NISTEP→
TA(的な)活動の流れ
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評価
フォーサイト
テクノロジーアセスメント
不確定性の程度 (Stirling)
問題でない
問題である
問題でない 問題である
可能性についての知識
起こりやすさについての知識
リスク
不確実性
曖昧さ
無知
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① アセスメント実施範囲の規定
② 重要技術の記述
③ 社会の状態の展開
④ インパクト分野の明確化
⑤ 予備的インパクト分析
⑥ 可能なアクション・オプションの明確化
⑦ 最終的インパクト分析
① 技術概要の把握
② インパクトの抽出
③ インパクトの整理・分析
④ 対応策の検討
⑤ 総合評価
マイター社 通産省
TA手続きの移転─「選択肢提示」がぬけている
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日本の TA(的な)活動の特徴
• 活動・手法– 工学的アプローチにとらわれた手法の偏重(「技術評価」とい
う訳の弊害) – 「代替案評価」「多様なステークホルダーの関与」が欠如– 一方、技術フォーサイト手法はパイオニア的存在となった
• 制度・機関– 縦割り型行政は予測・評価活動を好み、手法的発展も手伝って
予測・評価の制度化が進む– 議会では国家的技術開発プロジェクトや国際技術戦略として TA
に関心を抱くが、抵抗が強く議会 TA 機関の設立は叶わず– 産業界も高い関心を示したが、 TA専門機関の設置にはいたら
なかった– 独立性・中立性を担保する制度はない(技術開発機関が実施す
ることが多かった)
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なぜ日本で TAは定着しなかったのか
• 1970 年代の試み– 「官僚統制」を嫌った企業は自主的に TA を始めたが、環境問
題など各企業で対応できるものではなかった– トータルシステムという概念により省庁ではプロジェクト単位
での活動になり、技術的発展の不確実性や代替案、幅広い社会的影響の考慮がないまま予測・評価との区別ができなくなった
• 1980 年代の試み– 一部の国会議員が大規模技術開発プロジェクトの効率性の問題
から TA に関心を持ったが、同時期になされた研究評価が制度化されたことで納得した
• 1990 年代以降の試み– 議会 TA 機関の設立について、国会議員が立法能力がなく関心も薄かったことに加え、国会図書館も消極的、大学人もあまり協力的でなかった