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「カッコウの卵伝統」がいかに行われているかを見るために、 奴隷制について過去に教会が何を言っていたのかを分析してみよ う。1500 年以上の間、教会の指導者たちは奴隷制が正当なもの だとのカトリック教会の教えを信じていた。さらに悪いことには、 奴隷制が実際に神の意志により定められたのだと主張した。 1886 年、南エチオピアのガラ地区の司教代理は教理省に「奴 隷制はカトリック教理と相容れるのか」と問いただした。奴隷制 は当時、既に英国とそのすべての植民地、またアメリカ合衆国、 オーストリア、フランス、プロシア、ロシア、チリ、エクアドル、 アルゼンチン、ペルー、ベネズエラ、その他の文明国家では廃止 されていたことを思い出さねばならない。にもかかわらず、教理 省はこの問いに肯定的な回答を強調したのである。 奴隷制自体はその本質的な特性を考えると、自然法と神法に 決して反するものではない。奴隷制にはいくつかの正当性が あり、これは権威ある神学者や教会法学者の手による参照文 献もある……。 奴隷の売買、交換、贈与はその条件が権威ある人の説明と証 明を厳重に守るなら、自然法にも神法にも反しない。条件の 20 第一部 背景の設定 第二章 奴隷制に関する教皇の教え

奴隷制に関する教皇の教え - Home - Women Can Be …¸で最も大切なことは買い手が売られる奴隷の自由が正当に 剥脱されているか否か、また、売り手は他の人の所有物にな

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Page 1: 奴隷制に関する教皇の教え - Home - Women Can Be …¸で最も大切なことは買い手が売られる奴隷の自由が正当に 剥脱されているか否か、また、売り手は他の人の所有物にな

 「カッコウの卵伝統」がいかに行われているかを見るために、

奴隷制について過去に教会が何を言っていたのかを分析してみよ

う。1500 年以上の間、教会の指導者たちは奴隷制が正当なもの

だとのカトリック教会の教えを信じていた。さらに悪いことには、

奴隷制が実際に神の意志により定められたのだと主張した。

 1886 年、南エチオピアのガラ地区の司教代理は教理省に「奴

隷制はカトリック教理と相容れるのか」と問いただした。奴隷制

は当時、既に英国とそのすべての植民地、またアメリカ合衆国、

オーストリア、フランス、プロシア、ロシア、チリ、エクアドル、

アルゼンチン、ペルー、ベネズエラ、その他の文明国家では廃止

されていたことを思い出さねばならない。にもかかわらず、教理

省はこの問いに肯定的な回答を強調したのである。

奴隷制自体はその本質的な特性を考えると、自然法と神法に

決して反するものではない。奴隷制にはいくつかの正当性が

あり、これは権威ある神学者や教会法学者の手による参照文

献もある……。

奴隷の売買、交換、贈与はその条件が権威ある人の説明と証

明を厳重に守るなら、自然法にも神法にも反しない。条件の

20 第一部 背景の設定

第二章

奴隷制に関する教皇の教え

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中で最も大切なことは買い手が売られる奴隷の自由が正当に

剥脱されているか否か、また、売り手は他の人の所有物にな

る奴隷の命と彼の信仰が危険にさらされることのないように

注意深く調べるべきだということである 。 1)

 言い換えれば、奴隷の命と信仰は保証されるが、そのような奴

隷制は(イ)自然法と調和しており、すなわち、神に創造された

人間性を保ち、(ロ)神法とも調和して聖書に啓示された神の聖

旨なのである。幸せなことに現在の教会の教えはこれとは異なる。

第二バチカン公会議ではすべての形の奴隷制は「神の意志に反す

る 」と宣言した。そして教会はすべての奴隷制を人間性に反する 2)

ものとして拒否する世界人権宣言を支持している。カトリック教

会の新公教要理は次のように述べている。

第七の掟はそれが利己主義、イデオロギー、金儲け主義、全

体主義などのいずれに基づくものであっても、人間を奴隷に

したり、人間の尊厳を無視したり、人間を商品として売買し

たり、交換したりするようなことに繋がる行為や事業を禁じ

ます(2414)。

 もし現在これが教会の教えなら、19 世紀末までの奴隷制支持

はどのようにカトリックの教えになっていたのだろうか。それは

紛れもなくカッコウの卵として温められていたのである。

21第二章 奴隷制に関する教皇の教え

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捕えにくいカッコウの親鳥を見分ける

 偽伝統の起源はギリシャ哲学、さらにはっきり言うなら、その

有名な英雄の一人であるアリストテレス(Aristotle, 紀元前 384~

322)である。彼の考えは教父たちに影響を与えた。特に、中世

になり、彼は教会に『再発見』され、教会法と教理に彼の説が具

体的に取り入れられた。

 アリストテレスによると、ある人たちはその本性からして奴隷

になるように運命づけられていて、奴隷制は当然であると次のよ

うな教えを残した。

その人は本性として奴隷で、他の人に従属し、それを自ら認

めることで思考能力が与えられる。他の生きもの、例えば動

物は理性がないので、ただ感覚に従うだけなのである。そし

て、奴隷を使うことと人間に馴れた動物を使うことには大差

がない。すなわち、双方とも必要なことをするために自分の

体を提供する。

 アリストテレスは次に奴隷の身分を描写するが、全く恐ろしい

限りである。奴隷は『主人の道具』以外の何ものでもない。妻と

牡牛とともに男女いずれの奴隷も主人にとりなくてはならない荷

役動物で、彼・彼女は経済的な理由で頑強でなければならない。

奴隷には余暇や自由時間を持つ権利がない。何も所有せず、意志

決定もできない。楽しみも幸福の分け前もなく、共同体のメン

バーでもない 。 3)

22 第一部 背景の設定

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 同じ理由でアリストテレスは新しく奴隷を獲得するために戦争

を正当化する。ある人たちにとり野性動物が飼い馴らされるよう

に、「本人たちが抵抗しても、生まれつき支配されるように定め

られている」のである。彼はさらに、すべての外国人はある程度

このカテゴリーに属していると言う。「それ故に詩人たちが『ギ

リシャ人は野蛮人を治める』というのは正しい。なぜならば本性

上野蛮人であることは奴隷と同じこ と 」。同じように、女性が男 4)

性に支配されるのも、その人間性に本来定められているのだと教

えたのも、アリストテレスなのである。奴隷と飼い馴らされた動

物及び女性はおおむね同じカテゴリーに入る。

すべての飼い馴らされた動物は人間に支配されるのが一番よ

い。なぜなら、そのようにして生きさらばえることができる

から。同じように、男と女の関係も生まれながら男は偉く、

女は愚かで、男は支配し、女は支配されるのである 。 5)

 主な文化的伝統は人間を高いか低いかで評価する。女は生まれ

つき男に劣る。野蛮人は生まれつきギリシャ人に劣る。奴隷は生

まれつき劣等なので、奴隷なのである。新約のメッセージはその

革命的な新しいビジョンでこれと著しい対照をなす。「もはやユ

ダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も

女もありません。あなたがたは皆キリスト・イエスにおいて一つ

だからです 」。 6)

 不幸にして普遍的な平等と自由のキリスト教ビジョンは、キリ

スト教徒自身によって曖昧にされてしまった。要するに、キリス

ト教徒には、ほとんど始めから既存の社会制度と決別する霊的啓

23第二章 奴隷制に関する教皇の教え

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発も意志も欠如していたのである。キリストに生きる人として新

しい自由を再確認する代わりに、徐々に自分たちの文化の中に包

含されている異教徒の世界観を受け入れてしまったのである。

 奴隷に関するアリストテレスの教えは、教父たちによって含蓄

的、またはそのまま引用された。それだけではなく、グラチアヌ

ス法令(ボローニア , 1140)として知られている法令集を通して、

教会の公の文書の中に入っていった。中世の代表的神学者、トマ

ス・アクイナス(Thomas Aquinas)はアリストテレスに追従し、

教会内に取り込み、異教のそれをよしとした。彼に言わせれば、

奴隷制は罪の結果として『当たり前』なのである。彼は次のよう

な情況下で奴隷制を正当化した。すなわち、懲罰、戦争に負けた

ことによる捕虜、債務奴隷、同様の理由で裁判の結果売られる、

奴隷の母親から産まれた子どもなどである 。 7)

 しかし、本当に中世の教父や神学者たちが説くキリスト教の教

えは一人の異教の哲学者による資料を根拠としたのだろうか。答

えは然りであると同時に否である。なぜなら、異教の議論を聖書

で着色して紹介したからである。まさしくカッコウの卵を模倣し

たトリックなのである。

卵の模倣

 神学者たちは奴隷制がカトリック教義の一部だと信じて疑わな

かった。すなわち、神のみことばの中にはっきりと含まれている

と思っていた。「人がその主人に奴隷として仕える奴隷制が合法

であることは確かに信仰の問題である。これは聖書から証明する

ことができる 」。その引用したテキストを見るだけで、この判断 8)

24 第一部 背景の設定

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が間違っていることが明らかになる。

 旧約聖書は奴隷制を当然のこととした。イスラエル人は窃盗の

罰として、また、債務の帳消し、外国人から買われたり、娘が父

親から売られたりして、他のイスラエル人から奴隷にされること

があった。このようなテキストに基づいて、教会法学者や神学者

たちは、戦争の際の捕虜、犯罪への正当な罰、売買と交換、奴隷

女の子どもは自動的に奴隷となることを正当化した 。しかし、そ 9)

のような旧約の法律は今では無効である。

 パウロは旧約の掟がすべて廃止されたとはっきりと示した。ユ

ダヤ人とギリシャ人、奴隷と自由人、男と女のキリストにおける

平等を高らかに謳った。旧約の議論は全く聖書的でなく、それは

聖書的な論証を偽装したギリシャ文化の考えだったのである。

 イエスは奴隷制を許したのではなかったのか。確かに彼はたと

えで奴隷制のことに言及した。

あなた方のうち誰かに畑を耕すか羊を飼うかする『奴隷』

(共同訳では僕)がいる場合、その『奴隷』が帰ってきた時

「すぐ来て食事の席につきなさい」と言う者がいるだろうか。

むしろ「夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、私が食事を

済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい」

と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからと

いって主人は『奴隷』に感謝するだろうか。あなた方も同じ

ことだ。自分に命じられたことを皆果たしたら「私どもは取

るに足らない『奴隷』です。しなければならないことをした

だけです」と言いなさい 。 10)

25第二章 奴隷制に関する教皇の教え

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 教父、神学者、教皇たちはこのような福音の箇所を奴隷制が神

によって定められたという証明に用いてきた。彼らはイエス自身

も奴隷制を容認していたという。彼らはイエスが奴隷の従属を当

然としていたとし、彼が奴隷制からたとえを引いたのだといった。

さらに、イエスは従順で謙�な奴隷の奉仕を称賛したのだと。し

たがって、奴隷制は神の意志に反しないよいものだとした。

 ここで、気をつけねばならないことがある。時々イエスは何か

を強調するために奴隷制を指して話された。奴隷制は皆がよく

知っている現実だったので、それを日常生活のたとえに用いたの

である。しかし、奴隷制のたとえを用いたからといって、奴隷制

を支持したと結論づけるのは正しくない。日常生活から引用した

たとえは、彼が許さなかった悪習をしばしば含んでいた。例えば、

人を騙す不正な管理人、夜押し入って来る泥棒、畑に宝を見つけ

てそれを秘してその畑を買う人などの例である 。 11)

 中世に奴隷制を容認していたことはイエスのことばから読み

取っていたことが分かる。私が知っている限りでは、イエスが不

正な管理人を誉めたからといって、自分の上役が勘定をごまかす

ことがよいとは誰も受け止めなかった。夜だから強盗が許される

などと誰も断言する人などいない。したがって、奴隷制度という

卵はイエスの教えの表面を掠め取っただけである。

 では、教皇の書簡はどうなのだろうか。奴隷に教皇らの条件を

受け入れることを命じているのでないか。

奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。

人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ真

心を込めて従いなさい。何をするにも人に対してではなく、

26 第一部 背景の設定

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主に対してするように、心から行いなさい 。 12)

 この議論は意味がない。というのはこのような書簡で書き手は

受け取り手に対して奴隷制が現実である中で、彼らの具体的な情

況について話しているのである。テキストから奴隷制についての

一般的原則を導き出すことは書き手の意図したことではない。書

き手はそのような奴隷制について論じているのではなく、ただ現

実的な質問をした。「この具体的な情況下で、キリスト信者はど

のように振る舞うのか」と。

 「何の抵抗の声もなかったのか」とあなたは尋ねるかもしれな

い。実際にはあったのだが、カッコウの雛鳥の残忍な実力行使で

潰されたのである。

巣仲間の強制立退

 初代教会ではパウロの「自由人も奴隷もなく……私たちはキリ

ストにおいて一つ」はいくつかの共同体で実際に実行されていた。

現在のトルコのニッサの聖グレゴリオは奴隷制の完全な撤廃を主

張した。「人を所有することは神の似姿を買うことである」と彼

は教えた。彼の教区では「教会の慣習に従って」復活祭の日に奴

隷たちを解放し、自由の身にしたことが記録されている。

 グレゴリオ(Gregory, 335~ 394)は当時教会の著名な指導者

だった。彼はアンテオキア会議に参加し、また『人類の創造』

『大公教要理』『マクリナの生涯』などの有名な著作を残している。

奴隷についてグレゴリオは自分の良心に耳を傾けるようにとキリ

スト信者に懇願している。

27第二章 奴隷制に関する教皇の教え

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あなた方は生まれながら自由で自立している人を奴隷にし、

神と彼の自然法に反する法を作っています。創造主が支配者

として、この世の主人になるよう定められた人を奴隷の 軛 くびき

の下に置き、神の掟に抵抗し拒んでいるのです。あなた方の

権威には限度があるのを忘れたのですか。神はあなたの所有

権を動物のみに限定したのです…… 。 13)

 グレゴリオは他にもたくさんの意見を残している。すなわち、

奴隷は人間として彼らの主人と同等なものであるとか、人間の自

由をどんな値で買えるのだろうかと。しかし、彼の預言的な声は

他の同じような声とともにあまり注目されることはなかった。文

化的奴隷化の肥えたカッコウの雛鳥は自分のために巣を確保する

ようにしたからである。

 16 世紀の海外植民地政策は人間が自由であるというキリスト

教教義の真髄にとり、もう一つの挑戦だった。スペインやポルト

ガルのカトリック信者の王たちはそこに果たすべき重大な役割を

持っていたのである。良心的キリスト信者の心に疑問が起こった。

すなわち、植民地下の人々を合法的に奴隷としてよいのか、奴隷

制度は神の心に適うのだろうかという疑問である。ドミニコ会士

のバルトロメオ・デ・ラス・カサス(Bartolomé de Las Casas)はペ

ルーで奴隷のために働いていたが、基本的に奴隷制度は許されな

いと主張した。彼は実情を王に知らせたので、この問題に関して

の審議会が開かれた。これは結果として、ヴァリャドリッドでの

論争になり、1550 年と翌年、スペイン国王の裁判所で取り扱わ

れた。奴隷狩り容認の側に伝統的神学者ホアン・ギネス・デ・セ

28 第一部 背景の設定

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プルヴェダ司教(Juan Guines de Sepulveda)が、インディアンの側

にバルトロメオ・デ・ラス・カサスが立った。

 セプルヴェダはアリストテレスを引用し、スペイン人は公正な

征服の戦いに参加したのであり、さらにインディアンが奴隷にな

るのは当然なことだと主張した。そして、イエス自身も奴隷制を

認め、パウロも然りだと 。 14)

 他方、ペルーで宣教師として働いていたラス・カサスはイン

ディアンがスペイン人と同じように神の似姿として創られた人間

なのだと主張した。彼らは高い文化を持っており、また奴隷制は

聖書の精神に反すると。また、彼は「キリスト教の真理に準じな

い限り、地獄で燃えさかる異教徒の教えに従う必要はない」と

いったアリストテレスの権威を斥けた。

私たちのキリスト教は世界のすべての民に妥当なもので、す

べての人がそれを同じように受け入れることができるもので

ある。誰も一人として自分の自由を剥脱されてはならない

……。インディアンたちは私たちと同じ人間ではないのか。

彼らは理性を持った魂を備えているのではないのか。私たち

は自らを愛するように彼らを愛する義務があるのではないの

か 。 15)

 このような訴えは奴隷業者や植民地支配者たちには受け入れら

れなかった。業者が勝ったことは驚くに当たらない。後にすべて

の人の自由に関する真のカトリック教義のために戦った神学者や

司教たちが続いた。例えば 18 世紀のフランスのレイナル神父

(Raynal)やグレゴリー神父(Gregoire)、19 世紀のドイツのラティ

29第二章 奴隷制に関する教皇の教え

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スボン(Ratisbon)の司教であるヨハン・ザイラー(Johann Sailer)

たちである 。 16)

 しかし、残念ながら教皇たちは奴隷制を廃止するように教会を

導くこともなく、奴隷制が教会の教義に含まれていると信じ、そ

のように教えたのである。

養父母に繋がれた絆

 教皇たちは自分たちが伝統の第一の守り手だとおそらく考えた

のであろう。そして伝統とはその慣習の信憑性を調べずに何世紀

もの間、教会の中で行われてきたことで決まってしまう。このよ

うにして、養育に当たった親鳥がカッコウの雛鳥に結ばれたよう

に、教会の指導者は慣習に『繋がれてしまった』のである。

 362 年、現在のトルコのガングラで開かれた教区会議は奴隷に

主人を馬鹿にさせ、彼の元から逃げることを勧めたりする人を誰

でも破門した。これはもちろんその教区の決定であったが、有害

な前例となった。650 年、教皇マルチヌス一世(Martin I)は、こ

の前例に従い、奴隷に自由を教え、逃亡を助けた人を非難した。

 いくつかの教会会議は奴隷制を罰の一形態として課した。司祭

職独身制の新しい規則を守らなかった司祭に対して、これを適用

した。スペインで行われた第九トレド(Toledo)公会議(655)は

司祭の隠し子を終生の奴隷にするように定めたのである。これら

の気の毒な子どもたちはなぜ教会の規則を破った父親の責任をと

らせられたのか。教皇ウルバノ二世(Urban II)が召喚したメル

フィ(Melfi)司教会議(1089)は司祭の妻に解消不可能な奴隷の

身分を課した。これもれっきとした人権侵害で、誤った正義感に

30 第一部 背景の設定

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よる苛酷な悲劇である。このようにして、これは教会のいわゆる

伝統に重大な傷痕を残していく。すなわち、教会自身が奴隷の身

分を課し、奴隷制を是認したので、それは正当なことに違いない

のだと。

 奴隷制の正当性は、グラティアヌス(Gratian, 1140)の最初の文

献から公に教会法の中に取り入れられた。その後、1454 年に教

皇ニコラス五世(Nicolas V)は署名入りで、ポルトガル王に彼が

征服するすべての回教徒と異教の国々を奴隷制のもとに置く権限

を与えた。教皇アレキサンダー六世(Alexander VI)はこの認可を

スペイン王(1433)にも与え、アメリカ大陸でキリスト教勢力に

対し戦いを交えていた非キリスト教信者を奴隷にすることにも許

可を与えた。これら二つの主要なカトリック植民地帝国はこのよ

うにして地元の先住民を捕え、奴隷にし、その領地で働かせるた

めに教会の認可を獲得したのである。

 奴隷労働、特にアフリカからの奴隷交易の事実がバチカンに漏

れると、教皇たちは憂慮を表し、現地の人々からの搾取を批判し

始めた。しかし、不幸なことには奴隷制度の本質そのものを検討

することはなかった。教皇パウロ三世は 1537 年南アメリカのイ

ンディアンに対する無差別な奴隷制を非難した。しかし、反対さ

れると、彼は 10 年後、聖職者も信徒も奴隷を所有する権利があ

るとしたのである。1世紀後の 1639 年に教皇ウルバノ八世(Ur-

ban VIII)は現地の人々に対する不正な慣習を批判したが、奴隷

所有のための四つの『公正な資格』を否定しなかった。教皇ベネ

ディクト十四世(Benedict XIV)は従来の奴隷制やアフリカから

の奴隷輸入を禁ずることなしに、ブラジルでの大規模な現地の

人々の奴隷交易を非難した 。 17)

31第二章 奴隷制に関する教皇の教え

Page 13: 奴隷制に関する教皇の教え - Home - Women Can Be …¸で最も大切なことは買い手が売られる奴隷の自由が正当に 剥脱されているか否か、また、売り手は他の人の所有物にな

 これは1866年、教皇ピオ九世(Pius IX)が既存の奴隷制は自然

法にも神法にももとると言明するまで続けられた。一体、教会の

指導者たちはどうしてしまったのだろうか。多くの国に存在した

自らどうすることもできない無力な奴隷たちの苦境に心を動かす

こともない血も涙もない人たちだったのだろうか。答えは、彼ら

はいわゆるカッコウの雛鳥である堅固な『伝統』に縛られ、教皇

たちの書簡や公会議の教令や歴代教皇の認可などに確証を得てい

たのである。奴隷制度の根拠がどこにあるかを立ち止まって考え

てみることもなかったのである。

結論

 教導職を含む公教会は奴隷制が基本的人権に反し、『神の意志

に反する』ことを今ついに認めるに至った。正しいキリスト教の

教えによってその運命が変えられたはずの前世代の何百万もの奴

隷たちのためにはあまりにも遅すぎた。しかし、少なくとも教会

当局はいくつかの教訓をここから学ぶべきである。

 奴隷制を支持し、その正当性の根拠として、教導職は教父や教

皇たちから引用したいわゆる『伝統』が、実は偽りであり、キリ

ストから伝えられた本物の伝統とは正反対のものであると立証し

た。これはまさしく、「カッコウの卵伝統」だったのである。キ

リストと使徒からの伝統は男と女、奴隷と自由人に等しく適用さ

れる普遍的なキリストのバプティズマによって大切にされる 。 18)

この根拠の確かな伝統のみが真に聖書的なのである。

 教会の指導者たちは彼らの立場を聖書的だと主張した。実は、

聖書のテキストは不当に引用され、彼らの解釈は霊感やもともと

32 第一部 背景の設定

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意図されたものを越えてしまった。まさに聖書的見せかけの仮面

をつけたカッコウの卵だったのである。

 もし 200 年前、世界中の司教たちに神が奴隷制を許しているか

どうかを尋ねたら、教皇を含む 95%は肯定的に答えたであろう。

しかし、その数の大きさにもかかわらず、彼らは皆間違っていた

のである。多数決による意見が必ずしも全体の教えを作ることは

ない。

 万が一、教皇たちとその助言者たちが間違いを犯し得ても、彼

らに公に挑戦するためにどのような権利が私に与えられているの

だろうか。

33第二章 奴隷制に関する教皇の教え