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•
単
文
は
、戸)
う
分
け
る
か
‘
香
坂
'1頂
「二成分の文」を分類するばあい、
川
判
断
文
、描写文、叙述文。
凶体詞(名詞)述語文、形容詞述語文、
のような分け方をしているようである。
これまでの中国の文法書では、
動詞述語文。
、
川は文のはたらき、
つまり述語のはたらきをもとにして分けたもので、凶は述語中の主な品詞を中心として分けたもの
であるo
しかし、この二つの分類は相互に無関係ではないようであるo
判断文は事物の名称
・類属などを判別するもので
あるから、いきおい述語の中心語は名詞性の単語になるのであろうし、描写文は、事物の性質
・状態を描写するものであ
るから寸いきおい形容詞に属する単語がこの文の述語の中心的なはたらきをすることになり、叙述文は主として事物の動
作ぺ変化などをのべるものであるから、どうしても動詞に属する単語が述語の中心的なはたらきをするようになる。こう
してみると、おおまかに、
•
判断文日名詞述語文
とみることができそうであるo
たしかにこのような一致ははふつう中国語の単文を取扱っている・ばあいによく見られるも
描写文日形容詞述語文
叙述文日動詞述語文
ー・・-
(九四七〉
単文はどう分けるか
〆
単文はどう分けるか
一一
(九四八)
のではあるが、この考え方はあまりにも単純すぎるようである。たとえば、
他
大眼情。
という文は明かに名詞述語文である。しかし、われわれは、この文に判断というはたらきを見出すことができるであろう
ミ
O
,AUN
《大眼晴》の《他》に対するはたらきは、判断とは遠くはなれて明かに描写であろう。そうすると、述認は名詞であ
って、名詞述語文でありながら、そのはたらきからすれば描写文でなければならない。さらに次の例文、
時間巳経深夜了。
をみると、述語は《深夜》である。これは名詞である。だから、この文は名詞文であるということはいいが、同時に判断
交であるということはできまい。描写文日形容詞文という関係においても、このような破綻は同じ程度に見られるのであ
る
他的験紅。
は、明かに描写文であり、形容詞文であって二つの分類は一致する。しかし、
他的験
紅了。
他的験
紅起来了。
となったら、これは描写文であるということはためらわざるを得ないであろう。
《我知道了》、
《他走了》などと比較し
てみても叙述文と考えた方が適当であろう。なぜならば、明かに意味的には一種の変化をしめているからである。さらに、
早些死
倒好。
姑着
好
のようなものになると、述語はたしかに形容詞ではあるが、'《不要緊》、
《好》は決して《早些死》、
《姑着》の性質や
状態を描写するはたらきは意味的にしておらず、
《早比一一死》、
《姑着》について、
一つの判断を話し手か下しているもの
とみなければならない。
(「早目に死ぬこと」はいい状態だとか「立っていること」がいい状態だとかいうのではなく、
それらのことは「いい」のか「悪い」のかについての一つの判断を話者が行っているものである。)こうしてみると、こ
-
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ノ
ド泳三
27Lつみか山了
内I4
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の二つの分類は相互に関係をもってはいるが、
その関係が多燥にわたるのをふせぐことができず、
つぎのようなすっきり
一一ー--'
しない関連を認めないわけにはゆかなくなるのである。
判
断
文
名形動詞容詞述詞 述語述語文語文
文
•
、
{動詞述詩文
描
写
文
{形容詞述詩文
{名詞述語文
{動詞述語文
叙
述
文
{形容詞述語文
{名詞述語文
したがって、
この分類に即して中国語の単文を説明しようとするならば、
分類のどちらか右太いたて糸に、
他をよこ糸に
して、おりなして行かなければならない。
われわれは文法を考えるばあいまず口問調論をやり、各単語を一定の基準によってそれぞれの品詞に帰類させる仕事をす
る。したがって、この仕事との関連のもとに、文をみて行くこと、がいちばん'自然であり、また説明上容易である。そこで
つぎに品詞をたて糸にし、ほたらき意味をよこ糸にし、このこつの分類がどう交叉するかを調べてみることにする
o
この
ような仕事は中国語文法の初歩的な試みであるという人もおるかも知れない。しかし、この初歩的な整理をしないで進ん
で来てじまった中国語文法の研究の「ふやけ」をしめておくところにいく分かの価値があろう。
-ー・・・
名詞述語文
名前述詩文の最も典型的なものは、判断詞
《回疋》によって構成されているものである。
一一・・両国~・
(九四九)
単文はどう分けるか
単文はどう分けるか
四
(九五
O)
,
他国疋買費人。
誠貫是美徳。
経験是生活的肥料。
しかし、
《是》はつぎのようなばあい必要としない。
今天星期日。
籍貫漸江。
老李上海人。
曜日、出身地、天候などは必ずしも判断詞
《是》をともな
って合成された述語とする必要はない。もし判断詞
《是》をも
った合成述語として、
今天是星期日。
老李是上海人。
のようにするならば、はなし手は、
明天是星期一。
昨天是星期六。
老王是北京人。
老張是庚東人。
のように、
つづいての対比的な発言を期待するとか、あるいは、はなしのばに対比かひそんでがるときである。
《是》と
合成しないで述語となるのは、文言文ではつねにみられるものであるが、
《星期》
《漸江》
《上海的人》
《上海》などについてみると、
これらか、
つぎの名詞
(名詞素)を修飾あるいは限定するときには
《星期的日》
《漸江的出身》のように結
構助詞
《的》を用いないで組み合わさるはたらきをもっている点に注意しなければならない。
たか
老 ・ら李工
「的人
老王従前的人。
老張這村子的人。
のように
《工一j人》
《従前人》
《這村子人》のように一般に判断文ではいうことのできない語は、このような表現はふつ
うではないのである。
つぎに天候に関するばあいにも
《是》を用いていないばあいがみられる。
今天晴天。
昨天陰天。
前天熱天。
那天悶熱天。
《晴天》
《陰天》は名詞であるが、しかしこの構成は
《晴》
《陰》か
《天》を修飾する関係で成立し、
《晴的天、
内陰的
天》と
《的》の介入することによって意味上変化がおこる。
《晴天》
《陰天》と
《晴的天》
《陰的天》とは同じであると
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『
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,
T
考えてはいけない。
《晴的天》は完了
・持続の意味を内包することが許される点で
《晴天》
《陰天》との聞に明らかに差
また一方、
がある。)
,
這陵晴天・・・・•.
那際陰天
《晴天》'《陰天》は名詞
のように
《這膝》
《那疲》のように程度をしめす代名詞の限定をうけることができる。
つまり、
であるとともに形容詞性をもったものともみることができるであろう。形容詞とみるならばそのまま述語となることはき
わめて普通なことである。
地黄尖髪。
他中等身材、
四方除。
他寛前額、手満的鼻翼。
これらの例文を仔細にみるならば、述語の中の名詞は主語をになっている単語の一部分をしめしていることに気がっぺ。
地l↓尖髪
也
V
身材・験
他l↓前額
・鼻翼
そしてその上にある修飾あるいは限定する単語を前につけて一つの連語を構成している。
験↑l四方
前額↑l寛
鼻翼↑l手満
身材↑1
中等
黄
叶日大髪
A
一つの条件になっていることをみのがしてはならない
この修飾限定かついていることかこのような文を成立させるのに、
《那陵》などをつけて、
し、さらにこれらにはまえの
《晴天》のばあいと同じく
《這膝》
他這膝寛前額。
他這膝竿満的鼻翼
他那際四方験。
とすることかできることは、この文か儲写性のものであることをしめしている。
地那膝黄失髪。
このように述語に名詞を用いて描写する方法は、強烈な感情的な語気をあらわすばあい
這屋
子
好
大
味
ノ
惚
忽
膝迭際死心眼児/
似何好狽的心嚇ノ
内秒速Ai家伏忽駿一脳門子的宮司ノ
にも用いられるか、このような文は名詞述語文であってもあきらかに描写性の文であり描写文とみるべきであろう。
以上のように、
名詞述語句は、
ふつうには、
判断文と一致するばあいが多いが、
もし名詞に形容詞(あるいは形容詞
五
(九五一)
単文はどう分けるか
1
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単文はどう分けるか
...t-ノ¥
(九五二〉
素)によって修飾するか、名詞によって限定するかして、
一つの連語を構成すると、これらはある一定の条件の下におい
ては描写文となるのである。
形容詞の修飾と同しく数詞、数量詞による限定もこのような文の成立を可能ならしめる。もともと数詞、数量詞はその
まま述語となるはたらきをもっている。たとえば、
②惚今年十九?
③迭雨包、毎包五十雨、
①我歳二十、周歳十九。
一共一百問。
④三百六十五日一年。
⑤槌米
五塊、谷三塊。
、
のような例は、数詞かそのまま述語となったものであるが、これは計算の、はあいに多く簡潔をもとめるための表現が普遍
化したものてあって安定しない表現である。安定し・ないということは、はなしのばに依存している度合が他の表現にくら
べてかなりに大きいということであって、ものを計算している「ば」に依存していることがまず第一にあげられるであろ
Aノ1ν
、つぎに年令、あるいは「ば」を設定しないはあいにはなにか動詞を必要とするか、あるいは数量詞だけにとどめず
名詞を後につけたけれはならないからである。
(たとえば、①は年令をきかれて年令か問題となっている、これに対して
《周歳》
と数詞だけで述語になりうることを助けている。もし
《我二十》とたしぬけにいっても
《我二十歳》と安定するとは限らない。③の《毎包五十雨》は《毎包》が、先に
《迭問
説明する、はあいであろう。
は
《二十》
《十九》
《我歩》
包》というようなはなしのづは」にのったものであり、もしだしぬけの表現ならば《是》とか《有》とかの判断詞あるい
は動詞を必要とするでああろう。④は純粋な計算であり、⑤は明かに《槌米》《谷》の値段か問題になっていて、それに
つまり数詞・数量詞だけの述語は、無条件に成立するものではないのであってなんら
対する説明をしているものてある)
かの条件があたえられることが必要になって来る。動詞・形容詞の述語性とはちがって非常に不安定なものであることに
注意しなければならない。ところか数詞か特殊な量詞あるいは普通の量詞でも名詞をともなって来ると、やや安定性をも
って、特殊なばあいに述語となってあらわれている。たとえば、
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-一'-戸
ー】.
①我十二歳。
②現在九点鐘。
③他五十四公斤。
④全家二十多口人。
⑤田里一片水。
のような表現は、
あきらかに「ば」
の設定なしに表出が可能である。
つまり《数量詞+名詞》
の連語が述語として安定し
ていることをしめしている。
《数量詞+名詞》
の連語の述語はいついかなるばあいにも述語として安定しているか
しかし
というとそうではない。
臭子一本書
家二十多口人
大庁里一↑滅叫声
のような表現はゆるされそうもない。①②③のように述語が主語を説明しているものについては(だいたい、年令、時間、
度量に関する説明)問題はないが、④のような表現は《家》が確定しているo
しかし、たとえば《我家十多口人》あるい
。
《一》のような単語をもって《家》を修飾し《一
家十多口人》
《全家十多口人》としているときに限るのである。
は
《全》
《家五口人》と
いう表現は安定性を欠くに至るのである。⑤のような表現は、述語が主語を描写しているば
あいであって判断の意味などは全くないのである。
したがって、
以上についてまとめてみると、名詞を述語とする文は、ふつう判断詞《是》をともなって合成述語の形で出て来るのが
最もふつうであるか、ある一定の条件、名詞に対する修飾述語と主語の範囲を限定した意味的なつながり、あるいは数量
詞の附加によってある描写を主語に加えているとき、さらに数値範囲を主語について説明するときには、名詞は述語にな
ることができるのであるo
もっとも、名詞が述語になるというよりは、名詞と他の品詞(数量詞あるいは形容詞)によっ
てできた連語そのものか述語になるといった方か適当なのである。
•
名詞述一語文か描写文に転ずるとすれば、後にのべる形容詞文が叙述文に転ずるところから、名詞述語文もさらに叙述性
をもつようになることは容易に考えられる。
②現在九点鐘了。
③惚今年多大年紀了。
④重量十斤多了。
⑤田里白花花的一片水了。
①時間己経深夜了。
⑥他凡十年的老荘戸了。
七
(九五三)
単文はどう分けるか
、、、
単文はどう分けるか
八
(九五四〉
のような例文は述語はすべて名詞であるが、意味の上からは、あきらかに叙述文になっている。名詞文はつねに静的なも
のであるのに、これに動的な意味をもたせ叙述に転じさせているものは、なんであろうか。例文を仔細にしらべてみると、
①
《己経》
という時聞をあらわす副詞か入っており、名詞そのものも
《深》
という形容詞素をもった複合詞である。
《時間深夜》という表現は一般的なものとしては無理であっても成立しないことはない(劇本などのとかき、説明ではよ
くみられる)
《時間夜》という表現よりはいっそう安定性かあるようである心これは名詞述語文の述語になる名詞か形容
詞
・形容調素をもった複合詞あるいは連語であるばあい表現か安定すると同じように、
《深》のはたしている述語性は強
《己経の附加は
《深夜
いものと思っていいてあろう。
《己経》の附加かもちろん叙述文への転化を決定的にしているが、
の《、深》ときりはなして考えることはできないであろう。②③④は「年令」「度量衡」で「範囲数値」をあらわすのに数
、
量詞か用いられたのてあるか、文末に
《了》という変化
・完了助詞をおいている。この変化
・完了助詞は変化をしめすは
たらきをもっている。変化なるかゆえに、これらの文は名詞文特有の静的な意味をはなれて、叙述という動的な性格をも
った文に転化して行くのである。⑤についても、②③④に準して考えることかできるであろうが、すべての「数量詞+名
詞」の連語かこのように用いられるものではないことは、すてに描写性の文としての成立のところで説明したとおりであ
る
(
《他一↑政治家了》という表現は安定しない)⑥については、まず
《老荘戸》という表現に問題がある。もし《老》
をとりさって、
《荘戸》たけにすると、この表現はぐらついて来る。さらに《九十年》という数量詞をとり去り《他荘戸
了》と裸にしてしまうと、全く安定性はなくなってしまう。この文を支えているものは《老》でありついで《九十年》で
つまり《九十年的老荘戸》というのは名詞性の連語であることはまちかいはないが、同時に修飾附加成分によって
ある。
非常に描写性に傾いて来ているのである。文末の
《了》はこの描写性にのってつけられたものであり、変化をしめして、
叙述性に転じさせたものである。
一般に名詞述語文の叙述性への傾きは、描写性
への傾きにのって生れるものであり、描写性
への傾きのない名詞述語文は
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叙述性への文へは傾むかないということかできよう
o
数量詞を述語としている文についてはさらに考えてみる必要がある。
数量詞が述語性をもつことはまえにものべたが、この点はこれまでの文法研究においてはあまり考えられなかったよう
である。
数量詞の述語性についての詳しくは、今年六月の中国語研究会関西例会の折にのべたし、また他にまとめて発表
つぎのような例、
する予定もあるので、
ここでは省略するが、
(丁玲
ぃ太陽照在桑乾河上
℃・NH)
川陥迭一戸只剰下陥季開口,加上黒担,三ふl
入、
只十九畝地了。
,旧是ふl
窮人,
一家五日,オ三畝坂地。
(耳・怠〉
村上就迭腰二百多戸人,不是大伯子就是小叔子。
(
E
C
併
)
(週
ω-)
来的人少,就凡ふl
窮鬼在那里。
柏何家就迭陸一間半小屋,轄身子也轄不迂一来。
他門没有彼多的羊,只五六只。
(
E
C
H
)
他的残蕨只弟也不迂三畝半坂地,叉不能勢動。
凶快五十歳了的婆婆,己経落了雨三小l
牙歯。
抽叉年軽了,弛オ二十三歳。
(亙∞C)
(
B
H
C
H
)
•
にο¥ーノ
(亙
(耳目戸〉
迭小小民兵大約オ十七八歳。
(BE)
1
の
hu--uuu日目!日γは時昨副詞がついているo
もし数量詞を体詞系の中に入れて考
7これまでこの
•
あろう
llるならば、副詞との結びつきを説明しにくくf
九
(九五五)
,
単文はどう分けるか
‘
単文はどう分けるか
。
(九五六)
は時間副詞の修飾をうけるし、凶のように所有、存在と関係ある数日をあらわすばあいには範囲副詞の修飾をうけるわけ
である。そうすると、中国語の文法体系においては、少くともこれまでどおりの文の分類法を保存しようとするならば、
副詞の定義に変更を加えなければならなくなるか数量詞を体詞形からはすし、形容詞の下位に分類しておかなければなら
なくなるてあろう。
しかし、こういう取扱いをしても、もし文を意味的な分類でくくろうとするならば、存在文のような
ものも出て来るから、叙述匂の中にもいちおうその場所を設けておかなければならなくなる。数量詞を述語として用いた
いきおい、判断、叙述、描写の三つにわたることになり、文法的な分類としては無意味になって来るおそれがある。
文は、
数量詞を用いた文は、これらのほかに「度量」や「価値」をもあらわす文、例えば、
小李二一
O勝。
白菜雨角銭一斤。
白菜一斤雨角。
のようにも用いられ、その文の構成に参加するはたらきは相当に大きく、また他の品詞に属する語では代えられない性質
をもっているのであるから、中国語の文の分類の中には、以前にわたくしが提唱し、またこの稿でも簡単にふれる予定の
「能願動詞文」とともに、もう一つ「数量詞文」を設ける必要かあると考える。同時に副詞の定義については、これにそ
った修正をしておかなければならない。
.田園嗣.
-
形容詞述語文
中国語の形容詞は一般
ι述語性をもっている。しかしすべての形容詞がそのまま述語となりうるとはかぎらず。あるグ
ループの形容詞は、形容詞の主なはたらきである名詞や動詞を修飾するこどはできるが、述語として安定したはたらきを
す
る
こ
と
の
で
き
な
い
も
の
が
あ
る
。
た
と
え
ば
《
ダ
》
《
清
香
児
》
な
ど
《呆坐》
《癒該子》
《廃》
《清》などは《万ノ人》
《呆》
いちおう形容詞のはたらきはするが、
那ふl
人万ノ
他彼呆
這該子療
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一
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というように述語性をもたせることはできない。
このように述詰性をもたない形容詞は、
単音の形容詞に多い。
しかしこ
、
けでは、安定した述語となることはできず、形容詞のもつ意味と述語のもつ比較、対照、比喰、対置の意味の聞の分岐を
たとえば《他聡明》という文は
‘
れと反対の形容詞もある《多》
《少》などがその例で、これらは述語性は十分であるが、
限定語とするときは特殊なばあ
いを除いて
《彼多》
《彼少》
のようにしなければそのはたらきを果すこといかできない。
《彼多先生是北京人》はいいが
《多先生是北京人》はいけない。しかし、
これらは単音の形容詞の中の比較的少い一部分の形容詞であり、複音の形容詞
はほとんど全部といってよい位述語性をもっている。
このような述語性をもっている形容詞を述語としている文を形容詞
述語文として、
一つの類をたてるのであるが、
これが形容詞のはたらきが、
事物の性質・状態の描写にあるところから、
•
描写文と一致するものが多いのはいちおう当然なことと考えられる。
他
彼聡明。
這屋子
異干浄。
他的験
彼紅。
那ふl
人
彼漂亮。這ふl
人
彼澗。
これらはすへて主治に対して述語の形容詞がその性質なり状態なりを描写しているから、
形容詞述語文であると同時に描
写文であるということができよう。
これらの例文にはすべて
《彼》
《国共》
のような副詞がついているが、
これらの副詞は語義的機能のほかに、
この表出全
A
体をそれ自体で完全なものに変える文法的な機能を果している(ドラグノブω
広∞)
O
つまり形容詞を述語の位置におくだ
・
《他聡明不聡明
?》の回答として、あるいは、
意味論的には最も中性なものとして程度副詞《彼》を用いるのである。
《他聡明向付限他学肥》のような従文としてしか成立しない。
《他聡明》の
除くためには、
ような表現を安定させ、それ自身で完全なものにするには、副詞lもっとも普通には程度副詞の中すでに中性化している
《彼》を用いるのであるo
形容詞述語文は性状の描写を主としてはいるが性状の変化があったばあいにもやはり形容詞そ
のものに時態助詞あるいは助動詞の附加によってあらわされる
o
性状の変化は叙述性をもつわけであるが、形容詞が述語
のはたらきをになっている以上、これは依然として形容詞述語文として分類されることになる
c
単文はどう分けるか
---‘
(九五七〉
(九五八)
⑥他的頭髪白
了。
⑦天気快要晴了。
⑧他立刻就不安起来。
⑨我的心経松下来。
⑪天忽然陰上来。
これの例文は、主語に対して形容詞の述語か意味的にはけっして単なる描写にとどまっておらず、ある一つの変化の意
味を内包して叙述性をあたえている。叙述性をあたえているものは、けっして形容詞それだけではなく、形容詞に附加さ
れている時態助詞
《了》趨向動詞
《起来、下来、上来》でありさらに副詞
《快要、慢慢》である。もちろん、このような
附加語の附加を許していることは形容詞そのものの中に潜在している紋述性によるものでもある。《了》は変化、完了を
あらわすと考えられる。
つまり、「はなし手か現に存在しているものを存在したものに対置しようと欲している」(ドラ
グノフ
2E)ことをしめしており、
《起来》はある静的な状態からの変化の開始をあらわしており、
《下来》はある存在
した状況から他の相反するような状況に移ったこと、
《上来》はある状況への完成を(経過をふくめて)、
る状況の不変に継続していく状況をあらわしている。
単文はどう分けるか
一一一
,
①他聡明起来了。
②病慢慢好了。
③這屋子干浄了。
④他的験紅起来了。
⑤画的画也多起来。
⑩我的工作閑下来。
《下去》はあ
つまり、これらはいずれもなんらかの「変化」を意味している点に
おいて共通しているわけで、これらが附加された形容詞は「変化」という意味をあたえられることによっ
て、
根述性をお
びて来るわけである。副詞の附加による叙述性もすべての副詞かそのはたらきをするとはかぎらない。もし他の品詞、た
とえば時態助詞、
趨向動詞などのたすけをかりないばあいには時間副詞にかぎられるのである。描写から叙述への「変
化」であるから時間的な修飾は可能であると同時に、時間的な修飾は逆に変化の意味を補うのに大きなはたらきをするの
である。
要するに形容詞述語文の描写文からの叙述性をもった文への転化は、形容詞のあらわす性状の可変性によっ
て生れるも
のであり、それは常に他の品詞のはたらきをかりて行われるのである。
形容詞述語文は、このほか判断性をもつことがある。たとえば、
①早点児死倒好。
②姑着也好。
③別的都不要緊。
④他的話淫不錯。
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一作・古川刊司
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単文はどう分けるか
四
(九六
O)
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以上の例はいずれも動詞を述語としているか、叙述性をもっていないβ
すべて事物の性質状態あるいは景物の動あるい
は静を描写している。①②の
《好惹》
《好説話》は
《惹》
《説》は動詞であるか、実は
《好》とむすぶことによって、む
しろ形容詞的なはたらきをもつようになっているので、描写のはたらきは筏めて自然である。③の
《析話》は
、我所他的
話
(報告)》のようになるときは、たしかに動詞であるか、
《馴良》のような意味の転化か
《析話》にあたかも
《馴順》
《不肥不痩》でありやはり意味的な転化による
行われておりこれも描写七して問題はない。④の
《抱身児》は
《真合遥》
描写性の取得で、ともに問題とするにたりない。(①!④に用いられている語|連語ともみられるかーには他の形容詞の
ように程度副詞かっきうるところからみても特殊な形容詞と考えてもよいのではなかろうか)。⑤⑥⑦は①!④ほどはっ
きり描写性か単語の表面にあらわれて来ていないか、
つぎのような操作をすることによって、
これらの文の成立をより
根源的にさぐることかできよう。
いったい中国語で名詞でも意志性のないものが動詞の前に位置することは、ある特定の
条件があたえられぬ以上極めて稀である。
一般に
《吃飯》は可能であるか、
《飯吃》は表現としてつねに不安定である。
したがって、⑤⑥⑦の例文の名詞動詞たけを残して
《工作倣》
《話説》
《銭還》とするならば、この表現は
《飯吃》と同
じく不安定なものになってしまう。そこで⑤⑥⑦が安定した表現として成立している条件をしらべてみると、これらには
ただ動詞だけでなく、動詞プラス
αがある。この
αをとり去ると表現の安定かくずれ、
αをつけると表現か安定をとりも
どすのであるから、
αはこの種の表現を可能ならしめている要素であると考えることができるであろう。この要素をしら
べてみると、⑤では《好》と《了》
、⑥では
《明白》と《了》で、⑦では《清楚》である。ここで、まず《好》
いずれも動詞の後についてその動作の結果
《あるいは程度》が「どのようであるか」をしめ
《明白》
《清楚》をしらべてみると、
している。たとえば
《倣好》は
《倣》という動作かあってどうなったか、
《好》
(十分である)というのである。してみ
4Qシ)、
《倣好》は「どうするそしてどのようである」
「《工作》をするそしてその結果
(これか
《倣好工作》となれば、
は十分なようにする」となるであろう。
《輩固団結》
《端正態度》
のように
《輩固》
《端正》を形容詞を動詞にすると使
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役性か出て来るのとこの
《好》は共通したものをもっている。)
《倣好》
つまり動作行為の結果ある一つの性態が生れて来るわけ
である。
したかつて、
は動詞の中に形容詞的な要素をふくんだものであり、
一つの性状を描写するものとして
そのはたらきに堪えることができるわけである。
さp
りに、
これに
《了》がつくときには
《倣好》でなかったところから
《倣好》に至り、
変化完了した一つの状態が附加されていないばあいよりも、
いっそうはっきりと状態化していることに
なる。
このようにして⑤⑥⑦の表現は動詞述語文でありながら、
実は描写性をもった文に転化する。
⑧:⑪についても
《唱得好》
《笑得合不住鳴》
《刷得雪白》
《照得通紅》の《好》
《合不住鳴》
《雪白》
《通紅》が
《得》によってみちび
‘
かれた補語であるところに描写性をもつもので、⑤⑥⑦に準じて考えることができる。⑫については
《垂着尖》の
《着》
が動作の持続をしめし、持続は一種の進行状態であり、すでに活動性を失っているものである。
《他何》が
《垂》という
動作をしているのではなく、
《垂》した結果がそこに残っている状態であって、これも
《他門》についてその光景を描写
しているものである。動詞を描写に用いるばあい人聞を主体とするほかに物そのものを主体とする方法がとられる⑬はそ
の例であるo
⑬で大切なことは状語
《|下|下》であって、もしこれを省いて
《鉄撃墜》としたのでは、この例文は全く
,
成立しない。状語
《|下|下》は
《撃》
という動作を修飾しているのであるが、同時にその様子を描写するはたらきをに
なっているのであるo
⑭は現象の発生した空聞を主体にしているのである。このばあいやはり
《満》という補語と
《了》
という時態助詞を省いては、
.《塘上》に対しての描写性は考えられない。
以上を要約するならば、動詞述一語文か描写性を取得するには、動詞がはだかのまま使用されたのでは十分でなく川動詞
を中心に構成される単語連語が意味的に描写のはたらきをするように転化することが言語慣習上許されていなければなら
ない。凶あるいは補語をもたなければならない。③あるいは動詞に時態助詞
《了》がついていなけれならない。凶あるば
あいには補語をもった動詞にさらに時態助詞
《了》がついていなければならない。附・あるいは
《得》によってみちびかれ
た補語がなければならない。山間あるいは時態助詞
《着》によって動詞のあらわす動作を静的な状態化したものにしなけれ
単文はどう分けるか
一五
(九六一)
、
~ ~
単文はどう分けるか
Lムーノ¥
(九六二)
ばならない
omあるいは状語(ふつう二音節以上の)を伴っていなければならない。
説明性の文に転化するはあいは、まえの描写性、あとの判断性の文との中間にあって、これを判然と分けることはむつ
たいたい①数量、価値、効用②存在、出現、消失③事実、実況をそのばに即して記事するばあいである。
かしいか、
たとえば
①④這問屋子容納十Al
人。
⑤
小船只能坐十ふl
人。
斤鉄。②④門前有一小人。⑤客庁里坐着両Al客人。
天上起
7黒云。
①住戸不満三十家。
③一
排児オ費五十元。
①一
斤焦炭化一
那遜辻来了一只船。①西南
⑤音築奏起来了。①想起来的事都記了。
①村子里出子一件新聞③
①書架上不見了雨本書。
③④一小砲弾落在附近。
④大橋全部完成了。
①の⑤は、
①銭還没還清。
つぎにのべる判断性の文に関係かあり、②はいわゆる「空聞を主語とした現象文」である。③は
Eの描写性の
文と関係かあるか、要するにある事実実況をそのあるかままに未分化の状態でのべたものである。したがってこのような
交は、動作を行う主体か明示されないことか多くl
明示される必要はないのであるl
いわめる「無主文」の大部分はこの
類に属している。
動詞述語文か判断性の文に転化するばあいは、もちろん判断詞《是》によって、述語を合成述語にしたばあいが考えら
れる。しかしここでいう判断とは、論述あるいは断定あるいは認定というもので、はなし手が提出された事物に対して事
情あるいは状況について論述・断定・認定をあたえるもので、客観面に主点かあるばあいもあるし、主観面に重点がある
ばあいもある。このような例はたいたいつぎのような文に見られる。
①這算什仏?。
包管什仏事?。
②這些算倣革命文学。③火↑旬、壮当不了吃飯。
⑦這ふl
殺現認潟宰有的。
④他叫越宝林。
⑤什仏叫倣小心?。
⑥這塊面
これらはすべて動詞そのものの意味から来ているものであり、だされている問題に対して一つの断定
・認定をあたえてい
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るのである。
したがって、
動詞と主語との聞に動作行為の影響はみられず、
はなし手の主観・客観の認定が入りこんでい
るわけである。
①雷雨可能造成災害。
⑤自己的事態該自己
②戦争不会殺生。③三ふl
椅子要搬去雨ふー。④倣事不要敷街塞貴。
劫手亦o
⑥剃尖何必挑好日子。⑦這件事該倣下去。⑧這みl
萩現可以説宰有的。⑨這腰大事可以放松鳴?。
⑩這件事不用管。⑪這塊石尖得用紅子拾。⑫這句話必須説明白。⑬這件衣服得洗。⑬那ふl
工作不値得倣下去。
以上の例文には能願動詞がかならず入っている。これらの能願動詞をとり去ると川あるものは表現に安定をかく。(た
とえば⑦⑧⑨⑪⑫⑬⑬)凶あるものは純粋な叙述文にもど.るもの(たとえば①)。同またあるものは説明性の文にもどっ
てしまう(たとえば③④⑪)
0
つまりこれらの文が安定した表現として(とくに川に属するもの)成立しているのは能願
動詞のはたらきによるものであって、主語と述語動詞の聞に直接の関係がなく、はなし手の断定・認定主語について入り
こんでいるものと考えなければならない。この点をさらに根源的に理解するたすけになるものは、能願動詞の単独述詩文
•
に見出すことができよう。
①那倒不能。
②不同意還可以。
③那謄該的。
④那万万不用了。
⑤這向必泥?
《這》についてはなし手の
,
これらは、すべて能願動詞が動詞をもたずに用いられたものであるが、
《那》
、
《不同意》、
判断において断定・認定を下しているわけである。しかし、すべての能願動詞がこのように用いられるとはかぎらない。
わたくしは本誌にかつて「能願動詞文」を考えるならば、能願動詞をまず分類しておかなければならないということをか
いたことがある。能願動詞は単独で使用することができるという特徴をもっているが、
①那倒不能
那慮該的
那還可以
のようなものを
②惚打算倣鳴?
我打算。
保願意去鳴?
我願意。
↓
単文はどう分けるか
七
(九ナ一ニ)
入
(九六四)
単文はどう分けるか
のようなものとは、単独使用でも区別かある。①類は②類のように有意志性をもっている主語につくことも自由であるか、
②類は①類のような無意志性の主語につくことには抵抗かあるのである。これは①類か主語についてのある判断をしてい
るのに対し②類はある意志の表明をしているからてある。したかつて無意志性のものに②類の能願動詞をつけるならは、
それはその主語について話者かある意志をもった動作なり行為をはたきかける意志を表明していることになり、⑦類のよ
うに判断を加えていることにはならないのである。ある主語に①類の能願動詞をもった連語を加えたものは叙述性はなく
むしろ判断性あるいは描写性のものであり、意義的分類に従うならば判断句あるいは描写句といってよかろう。こういう
混乱をおこす点からも、判断
・描写・叙述という文の分類は中国語においては、文法的にはあまり意味のあるものではな
いのである。交叉かあまりにも多すぎるのである。能願動詞を用いたものと、
つぎのような、可能不可能形式をとってい
る動補構造のもの、例えば(
副詞、動補)
②hm例都離不関集体。
(副詞、動補)
③這ふl
痛苦一時説不尽。
(副詞、動
①這話真説不定。
④這田倒種不得。
⑥遣事都怪我。
(副詞)
(副詞、動補)
(副詞、動補〉
⑤這匂話線想不起来。
(副詞)
⑨双方有些一合不来。
(「有此一こ)
補)
⑦遣些時問弁不自費。
(副詞)
⑧工程オ容易進行。
のようなものは同じ性質のものであるから、これらをまとめて「能願動詞文」のようなものを考えておいた方か、拙一う
・
判断
・叙述といった分け方から来る品詞をもとにした分類との混乱をさけることかできるであろう。
四
主述述語句の問題
この句式についてはいろいろな問題か残されている。簡単に割り切った考え方もあるか、割り切るまえにいろいろな準
備をしておかなければならない。たとえば主語という概定規定にしても主題というものまでひろげておかなければならな
いし、駒栄錦照氏のようないわゆる理性文法論も修正してかからなければならない。さらに一般の主語述諮問のよみの停頓
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にもある融通性を認めておかなければなるまい。
《這ふl
意思我憧》の
《這ふl
意思》は
《惚憶得這ふl
意思鳴
?》のような問
いの答えとみて成立が考えられるから、いわゆる動作の主体
・属性
・状態をもつものとしての主語よりはばが広がってお
り
《自行車他騎出去了》の
《自行車》は
《騎出去》の賓語か前に出されたもの、賓語の倒置と考えるならば、この式の
勾はもはや認めることはできなくなる。
《我脳袋疾》が、
述構造の文
《他/来了》との対比において、主語と述語のふつうの句とみるならば、
にもかかからず「主述構造」は一定の条件の下において述語となりうるとしているのは、
《我脳袋/終》というようによまれるばあいを考え、
一般の主
この句式はもはや議論の余地はなく
なるであろう。
①主語を主題と
みている、②賓語の前置は一定の標識によるものだけに限る、という体系と呼応させているもので、全体との体系の下に
ただこの部分だけを単独に抽出して論じることはできない。今日、中国で一般に支持されている文
産み出されたもので、
法理論においては、①文全体としての主語が意義上述語動詞の支配対象であること。
②主述構造が使用上あたかも一つの
単語のように文全体の主語に対して描写的なはたらきをし、しかも主語は主述構造上の主語と領属関係にあること。
③ 対
になっている代詞か呼応して固定した構成になっていること。
これら三つのばあいに主述述語句をいうものを認めている
のである。①に属するものは
《這ふl
意思我憧得》
《自行車他騎出去了》などか考えられょうか、
つぎのような例、
這ふl
任務我親自劫手。
これらについては解釈がつかなくなるのではなかろうか
Q
この欠陥は「主語が意義上述語動詞の支配対象であること」
這ふl
問題他倣了円満的解答。
這ふl
問題他有彼多的経験。
我的婚事我倣主。
せっかく主題というところまで「主語」の概念をひろげながら、まだ動詞と賓語との関係
をたちきらず折衷的な立場にたった破綻と考えざるをえない。②については、まえにものべたように、よみの上の停頓が
と規定したところにあるので、
はっきりしめされなければならない。主語と主述構造中の主語が密な領属関係にあるばあいには特にこの点はっきりした
ものが一不されなければならない。また同時に、領属関係の密なもの・と、さきにのべた名詞述語句の連語による描写性の表
現のものとの聞には、極めて緊密な表現の変化がみられることも指摘しておく必要があろう。たとえば、
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九
(九ナ五)
単文はどう分けるか
単文はどう分けるか
骨
1
二
O
(九六六〉
、.
•
他黄斗〈髪。
他大胆子。
他大眼情。
他大脳袋。
のような句は、
•
•
他脳袋大。
というように表現の形式の変化か許されるが、
他身体不好。
•
他尖髪黄。
他胆子大。
他眼晴大。
我脳袋疾。
のような句は、
他不好身体。
というように表現を変えることはできない。これはどういうわけであろうか。黄一頭髪、大
一胆子、大一限晴のような関
我尽脳袋。
係は、これらの名詞が極めてふつうにもっている属性との関係にあるのに反して、終一脳袋、不好
一身体のようなものは、
名詞との属性が元来的
・固定的でないからである。したがってこの種の主述述語句は、その属性が元来的
・固定的であれ
ばあるほどその成立を容易ならしめているものと考えることかてきるよう。③については
《陥何偶誰也不管誰》《他門俗
看看我、我看看俗、
一句都没有説》のような例がよくあげられているか、
《hm看看我、我看看惚》のよ
《誰也不管誰》、
この点
《我知道》
《hm看看我、我看看向跡地:::》のように状語になる可能性を内在しており、
《我倣工作》のような単なる動詞文がそのままでは状語になりえないのと根本的にちがったもので、も
うな表現は、
《誰也不管誰地走各人的路》、
ともと慣習的な表現に属するものである。
(この小稿は倉石武四郎先生ご退任紀念論文案「中国語学概論」中の文法の部に収録するためにかいたものの最初の四分の
一にあたる
部分で一
九五七年に執筆したものである。紀念論文集の企画が変更され、もとのまま掲載できなくなる模様でもあるので、若干の箇処に
手を加えここに発表した。
なお、本稿に取扱った「数量詞文」につ
いては、最近出版された張志公氏の
《中国文法常識》の修訂本においても、わたくしの考え方
よりもっとは、はが広いが、取りあげられている。
〉
骨
4541141LU