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309 高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて ―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例― The Health Care Services for the Elderly in Urban Areas in Indonesia A Case Study of the “ Posyandu Lansia ” Program in Yogyakarta GOCHI Sachiko 合地 幸子 This paper aims to discuss the function of community-based health care for the elderly people, “Posyandu Lansia” in the urban area of Yogyakarta in Indonesia. Additionally, it analyse the meaning of health-care promotion for elderly people. Pos Pelayanan Kesehatan Terpadu: Posyandu is a community health care and welfare center, and community-based health care limited to the elderly is called Posyandu lansia (Lanjut Usia). WHO and UNICEF reviewed the idea of health in Alma-Ata Declaration in 1978. Affirming the importance of primary health care (PHC), Indonesian government carried out a health program at health centers (Puskesmas) and Posyandu at village level. However, the program in the Popsyandu mainly covered maternal and child care and did not specialize in care for the elderly. In Posyandu in this study area, programs for the elderly began to be implemented from 1994, a relatively early stage for healthcare in Indonesia. The elderly welfare program had been initiated as a model in the Yogyakarta region that population’s life expectancy has increased. On the other hand, in 1998, the Indonesian government raised the age classification of “elderly” from 55 to 60 years old, and classified elderly people who active as “Potential” (Lanjut Usia Potensial) and elderly people who require the assistance of others even with low-impact activities as “Non Potential” (Lanjut Usia tidak Potensial). The elderly were separated into two groups according to capacity. Since the beginning of the decentralization of 2001, welfare policies for the elderly have accomplished various developments, making use of regional characteristics. Based on the case study of the different “Posyandu Lansia” in urban areas, programs consist of preventive or curative medicine and health education. Posyandu Lansia seems to have played a role in these urban areas: it has properly provided health care to the elderly and is flexible in order to, suit the diverse health requirements of elderly. The elderly have selectively used “Posyandu Lansia” in order to improve overall quality of life as one of the seeking behavior in old age. Abstract 高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて ―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例―

高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部に …repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/81163/1/lacs020018.pdfpeople, “Posyandu Lansia” in the urban area

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高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて

―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例―

The Health Care Services for the Elderly in Urban Areas in Indonesia

A Case Study of the “Posyandu Lansia” Program in Yogyakarta

GOCHI Sachiko

合地 幸子

This paper aims to discuss the function of community-based health care for the elderly

people, “Posyandu Lansia” in the urban area of Yogyakarta in Indonesia. Additionally, it analyse

the meaning of health-care promotion for elderly people. Pos Pelayanan Kesehatan Terpadu:

Posyandu is a community health care and welfare center, and community-based health care limited

to the elderly is called Posyandu lansia (Lanjut Usia).

WHO and UNICEF reviewed the idea of health in Alma-Ata Declaration in 1978. Affirming the

importance of primary health care (PHC), Indonesian government carried out a health program at

health centers (Puskesmas) and Posyandu at village level. However, the program in the Popsyandu

mainly covered maternal and child care and did not specialize in care for the elderly.

In Posyandu in this study area, programs for the elderly began to be implemented from 1994, a

relatively early stage for healthcare in Indonesia. The elderly welfare program had been initiated as

a model in the Yogyakarta region that population’s life expectancy has increased.

On the other hand, in 1998, the Indonesian government raised the age classification of “elderly”

from 55 to 60 years old, and classified elderly people who active as “Potential” (Lanjut Usia

Potensial) and elderly people who require the assistance of others even with low-impact activities

as “Non Potential” (Lanjut Usia tidak Potensial). The elderly were separated into two groups

according to capacity. Since the beginning of the decentralization of 2001, welfare policies for the

elderly have accomplished various developments, making use of regional characteristics.

Based on the case study of the different “Posyandu Lansia” in urban areas, programs consist

of preventive or curative medicine and health education. Posyandu Lansia seems to have played a

role in these urban areas: it has properly provided health care to the elderly and is flexible in order

to, suit the diverse health requirements of elderly. The elderly have selectively used “Posyandu

Lansia” in order to improve overall quality of life as one of the seeking behavior in old age.

Abstract

高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例―

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1 序 論 1-1 研究背景

 本稿において筆者は、インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の都市部における、高齢者向け参加型地域保健活動、高齢者ポスヤンドゥに焦点を当て、保健活動の社会的機能の有効性について検証する。また、高齢者のニーズに注目することにより、高齢者にとっての保健活動の意味について考察する。ポスヤンドゥ(Pos Pelayanan Kesehatan Terpadu : Posyandu)とは、地域保健活動の拠点である。ポスヤンドゥでおこなわれる高齢者に限った福祉活動を「高齢者ポスヤンドゥ(Posyandu Lansia)」と呼んでいる。 インドネシアは、広域にまたがる多民族族多文化の島嶼国家である。その中でも、ジョグジャカルタ特別州は最も高齢化が進展し、平均余命の高い州であると言われている(図 1、2)。そのため、本研究を通して、高齢者ポスヤンドゥの活動とこれからのプログラムの課題について明らかにすることは、インドネシアの都市部における高齢者向けヘルス・ケアの現状と今後のインドネシア政府保健省の福祉政策動向を考える意味で重要な観点であると思われる。 インドネシアにおける福祉活動は、1970年代初期に、政府が村落開発における女性の役割に注目したことから始まっている。女性による福祉運動として特徴づけられ、内務省の管轄下で家族・福祉・育成すなわち、PKK(Pembinaan Kesejahtraan Keluarga)として全インドネシアで展開された。PKK1の女性たちを指導的

目次 1 序 論

1-1 研究背景1-2 調査地概要と研究方法

2 高齢者ポスヤンドゥ活動  2-1 地域福祉における女性の役割

2-2 活動の目的とプログラム2-3 高齢者ポスヤンドゥの実践2-4 参加しない人 /参加できない人びとの事例

3 供給主体の多元性 3-1 弱者救済 3-2 医療サービス 3-3 能力強化 3-4 居場所探し 4 高齢者ポスヤンドゥの位相 4-1 都市部で実装される保健活動 4-2 保健活動への信頼 5 結 論

【図 1】インドネシア人口ピラミッド    1990年、2010年、2050年(推定)

出典:http://www.nationmaster.com/country/id-indonesia/Age-_distribution

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立場として、人口抑制政策のための家族計画 2の普及などに代表される福祉活動を実施していった。1985

年には、家族計画を実現することを目標として、ポスヤンドゥの設置が決定する。 一方、1978年にWHOとユニセフが、カザフスタン共和国で宣言した保健の理念、アルマ・アタ宣言 3

において「2000年までに世界の人びとに健康を」という目標が掲げられる。世界的な公衆衛生の領域において、プライマリー・ヘルス・ケア(Primary Health

Care : PHC)の重要性が確認された[Declaration of

Alma-Ata 1978]。WHOの方針に従ってインドネシア政府は、「すべての人に健康を」達成することを目標とする。国民の健康を守るために、各地域の保健センター(Puskesmas)や村落レベルのポスヤンドゥにおいて福祉開発としてのヘルス・ケアを実施していく[Menkes 2013]。また、PHCの実施には、住民参加型として、民間部門の協力と住民自身の自助努力が期待された 4。しかしながら、ポスヤンドゥにおける活動は、高齢者に特化したものではなく、母子保健を中心としたものであった。事実、アルマ・アタ宣言の文面の中には高齢者という言葉がない。したがって、高齢者のヘルス・ケアは当時の PHC政策の重要課題とは見なされてはいなかった。

 1998年にインドネシア政府は、高齢者の定義について、その年齢の引き上げをおこなう。すなわち、それまで 55歳以上とされていた高齢者の年齢を 60歳に引き上げた。高齢者のうち、潜在的な活動能力のある者を「ポテンシャルな高齢者(Lanjut Usia Potensial)」として、比較的活動性の低く他者の援助を必要とする者を「ポテンシャルでない高齢者(Lanjut Usia tidak

Potensial)」として分類した5。この改正により、政府が見る高齢者は均一ではなく、能力に応じて 2つのグループとして標的化されたと言われている[Arifianto

2004:14]。 高齢者へ向けた福祉活動は、PKKの女性たちを担い手として展開していった。2001年の地方分権化以降には、中央政府が制定した法や政策を、地方自治体が具体的に実行していく過程が見られ、地方自治体の高齢者対策は、地域的特徴を活かした様々な展開を遂げていくようになる。さらに、政府は高齢者福祉の発展に地域住民や民間組織、宗教団体などの協力を求めてゆくようになる。Sujudi[2007]が指摘するように、インドネシアでは PHCプロモーションがますます増加している都市部においては、独自のプログラムによる福祉活動を開始する主体が多元化する傾向にあるといえる。

高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例―

【図 2】ジョグジャカルタ特別州における 1971-2010年平均余命の推移

注)Laki-laki男性、 Perempuan女性、 Laki-laki+perempuan男性+女性出典:Profil Kesehatan DIY 2011. Angka Harapan Hidup di Provinsi DIY, Gambar 3 Umur Harapan Hidup

Penduduk DIY, Hasil Sensus Penduduk p. 26 Departemen Kesehatan RI.

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 本調査地のポスヤンドゥにおいて、高齢者に向けたプログラムが実施されるのは 1994年であった。これはインドネシアの中でも比較的早い時期に開始されたと言って良い。例えば、ジャカルタの都市周辺部(カンポン)におけるポスヤンドゥでは、2004年に地域保健センターから高齢者に対してポスヤンドゥ活動に参加するように指導があった[齊藤 2009:142]。中部ジャワのソロにおいて、行政や総合病院、大学等の協力体制で実施され始めた高齢者ポスヤンドゥ活動の開始は 2002年である[Astuti 2007:156]。ジョグジャカルタ特別州クロンプロゴ県において、農村開発プロジェクトとしてユドヨノ大統領夫人が代表となり公式に開設された福祉村「ルマ・ピンタル」において展開される高齢者ポスヤンドゥ活動の開始は 2010年である。 政府主導のプロジェクトが開始される時は、ジャカルタ、ジョグジャカルタやバリ島などの人口が密集している都市地域で試験的に行われることが多い[スマルジャン、ブリージール 2000:124-125]。すなわち、ジョグジャカルタはこの場合において、高齢者福祉政策実施のモデル地域となり得た可能性がある。したがって、近代化しつつある都市部における、高齢者の健康と地域保健活動の関係の特徴を描写し評価することが重要課題になるのであり、本研究をおこなった動機にもなっている。 高齢者福祉に関連する研究領域に目を向けてみると、大きく分けて次の 3つの領域がある。第一に、国際的な政策評価として、医療人類学、とりわけ、応用人類学や開発人類学からの研究である。現代インドネシアの文脈とは関わりなしに、フィールドの社会・文化的条件を、途上国・途上地域で、保健活動において共通する一般的な条件として考える。開発としての保健活動に関する研究は、フォスターとアンダーソンに代表される国際公衆衛生の領域において、第二次世界大戦後に始まり 1970年以降に本格化された[Foster

and Anderson 1978]。開発援助としての福祉活動への評価は、援助を与える側と援助を受ける側の間で、基本的な人間のニーズや貧困削減、飢餓の撲滅、感染症

の予防、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康改善などを主題としてきた[Hahn 1999]。  第二に、現地研究者による、インドネシアの政策に対する研究である。すなわち、高齢者福祉活動に絞った研究は、社会経済学的視点による政策プログラムへの評価、あるいは、老年学からの視点を中心としておこなわれてきた。Sujudi[2007]は、高齢者向けヘルス・プロモーション・プログラムについて報告し、21世紀のヘルス・プロモーションの方針は、健康問題の傾向および影響を与える環境的要因を明らかにした上で、多くのセクターに協働を求め、健康セクターがすべてのレベルで起こっている急速な変化に対処することが必要であると指摘している。Dwi Handayani,

Wahyuni[2012]は、高齢者ポスヤンドゥの参加に対する家族の支援について報告し、高齢者と家族との関係を検討している。Dwi Astuti, Umi Budi Rahayu, dan

Ambarwati[2007]は、ソロにおける、様々な機関と協力体制で実施されている高齢者ポスヤンドゥの活動内容について報告し、高齢者が高齢期に直面する精神的・身体的な問題に対して、地域社会が絡み合った取り組みを提供していることを明らかにしている。しかしながら、Astiらの報告では、政府が提供する福祉活動のひとつとして、高齢者ポスヤンドゥの取り組みを下層階層に向けたものであると捉えている[Asti,

Rahayu dan Ambarwati 2007:157]。こうした開発の言説は、支援を提供する側からの一枚岩的な高齢者像を強くしているといえるだろう。また、これらの先行研究では、支援を受ける側である高齢者のニーズに注目したものは少ない。 そして最後に、社会人類学的な視点から、インドネシアにおける参加型開発による福祉活動を検討する研究がある。これらは、農村部における貧困者や女性のエンパワーメント、母子保健活動などへ焦点が当てられ、PKKの構造的な問題と関連付けて考察される傾向が見られる。Norma Sullivan[1983]による、ジョグジャカルタの都市における PKK活動と地域社会の研究は、社会構造が明らかにされているが高齢者福祉に焦点を当てるものではない。また、高齢者ではなく

合地 幸子

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母子保健活動を実施するポスヤンドゥについて、齊藤綾美[2009]による、ジャカルタ都市カンポンにおけるポスヤンドゥ活動の担い手カデル(Kader)に焦点を当てた研究がある。齊藤は、スハルト政権の開発政策で設置されたポスヤンドゥ活動がその後も機能している理由を、カデルが活動にコミットメントする状況を詳細に描き出すことで明らかにしている。しかしながら、齊藤が調査をおこなった 2004年前後には高齢者向けの活動に焦点が当てられておらず、また齊藤の関心は高齢者の保健活動へのコミットメントにはない。つまり、インドネシアにおける高齢者を対象とした参加型福祉活動について報告された先行研究は、都市部においても農村部においても十分におこなわれていない。そのためにも本稿のような研究が、行政側の視点や要請からも、今後さらに求められるものと思われる。 以上、本研究に関連のある先行研究について簡単に記してきた。その上で筆者は、高齢者に対するヘルス・ケア提供という視点を通して、都市部中間層に向けた高齢者ポスヤンドゥ活動に注目したい。本調査による都市部の高齢者ポスヤンドゥ活動は、次の二つの異なるプログラムから成っている。一つは、予防医学や健康教育について訓練を受けた PKKで指導的役割を担うカデルと呼ばれる女性たちが、活動を管理するものである。医療保健従事者の少なさから、すべてのポスヤンドゥ活動へ希少な人材を配置することは困難であり、実際にはカデルのみで実践されている。インドネシアにおいては全人口に対する医師の数が少ないうえに、地域保健活動を中心的に担う役割を持つ地域保健センターに勤務する医師は、全医師数の約 5.8%、看護師は全看護師数の約 4.5%である6。後述するが、この活動は極めて都市部に特徴的なものである。もう一つは、地域保健センターから巡回する医療保健従事者とカデルが、薬の配布といった疾病治療を目的とした活動をおこなうものである。 これらの活動は現在でも続いている。母子保健を中心に福祉活動が行われてきたポスヤンドゥにおいて、高齢者向けのプログラムが開始された時に、活動はい

かに展開され、どのような意味において維持されてきたのだろうか。筆者の関心は、都市部における高齢者ポスヤンドゥ活動の社会的機能について考察することである。本稿では、インドネシアにおける福祉活動の制度的側面および高齢者ポスヤンドゥ活動のプログラムの性質、高齢者にとっての保健活動の意味を明らかにすることにより、活動の社会的機能の有効性を明らかにする。

 1ー2 調査地概要と研究方法

 本調査は、筆者がインドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の都市部において、2009年 7月、8月の2か月間および 2010年 3月および 2011年 1月、2012

年 3月のそれぞれ 1か月間に実施した高齢者ポスヤンドゥ活動への参与観察にもとづくものである。加えて、2012年 7月からの 6か月間および 2013年 3月の 1か月に農村部における高齢者ポスヤンドゥ活動において参与観察をおこなった資料を一部含むものである。 人口約 2億 5千万人の人口大国であるインドネシアでは、1990年代より高齢化が始まり(高齢化率 1990

年 6.6%-2012年約 10%[BPS1998, 2012])、高齢者人口は 2005年の約 1500万人から、2010年の約 2,000万人以上へと早い速度で増加している。また、インドネシアでも最も高齢化しているジョグジャカルタ特別州における平均余命は、1967年からの 45年間で約20歳近く伸展した[Dinkes DIY 2011]。合計特殊出生率は、人口抑制政策の結果、1967-1970年の 5.60から2008年の 2.19へと減少し、少子化傾向にある[BPS

2012]。統計によれば、2025年には高齢者人口が 2歳以上 5歳未満の子供(balita)の人口を上回ることが推測されている。 ジョグジャカルタ特別州は、ジャワ島の中部に位置する第 1級地方自治であり特別行政地域である。ジョグジャカルタ市および 4つの県から成り、人口の約65%が都市部に居住している。近隣に位置する世界遺産のボロブドゥール、プランバナンなどの歴史遺跡で観光都市として栄え、伝統工芸や伝統文化が有名であ

高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例―

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り、クラトン(王宮)には現在でも、スルタン・ハメンク・ブウォノ 10世が暮らしている。農村部は水田のほか植民地時代からサトウキビ、タバコが盛んに栽培されてきた。多くの教育機関があり、教育文化都市としても知られている。州の平均余命は男女平均で1971年の45.5歳から2010年の74歳へと伸展し[Dinkes

DIY 2011:26]、全インドネシアで最も高い。 都市部に指定されているジョグジャカルタ市は、人口 462,752人で 60歳以上の高齢者数は 42,102人(男性 49%、女性 51%)、10.9人に 1人が高齢者となる。平均余命は、2009年に男女平均で 73.4歳、州の平均より高い。合計特殊出生率は、13.4と減少傾向にある7。ジョグジャカルタ市は、少子高齢化、貧困率8が減少傾向にある中間層以上の世帯が多い地域として特徴づけることが出来る。 調査は、J地域・高齢者ポスヤンドゥ Aグループ(Kelompok Lansia A、 以後 Aグループ)および S地域・高齢者ポスヤンドゥ Bグループ(Kelompok Lansia B、以後 Bグループ)を対象に実施した。どちらの地域も州から都市部に指定されている。 J地域は、ジョグジャカルタ市の北部にある市街地で、ショッピング・モールや観光ホテルが立ち並び、近隣には総合病院や国立大学といった高等教育機関が多いことが特徴である。2007年の住民は 13,811人、地域保健センターは 1箇所、ポスヤンドゥは 11箇所ある[BPS 2007/2008]。 S地域は、スレマン県の南部にあり、大学等の高等教育機関が多く、学生のための寮が多い地域である。世帯主の職業は、軍人または警察官が約 9割、民間機関勤務、農民、その他が 1割を占めるという特徴を持つ。首都ジャカルタなどからの定年退職後の移住地として人気があり、近年では新規移住者が増えている。2007年の人口は 31,792人、地域保健センターは 1箇所、ポスヤンドゥは 18箇所ある[BPS 2007]。 本研究で採用される方法は、聞き取り調査(半構造化)および参与観察による情報収集である。地域保健センターに勤務する医師、看護師、助産師、栄養士および高齢者ポスヤンドゥ活動に参加する高齢者へイン

ドネシア語による聞き取り調査を実施した。また、A

グループの活動日には、筆者が日本の高齢者介護などの説明をおこない、その後参加者を交えて、日本とインドネシアの高齢者介護の違いについて議論をおこない意見聴取をおこなった。 高齢者ポスヤンドゥ活動における参与観察に加えて、カデル(地域保健活動を管理する女性)の会合および高齢者を支援する団体(老人学校)の参与観察も実施した。カデルという言葉は、英語の cadreに由来し、そもそもの英語の用法では軍隊用語で、新部隊の編制や訓練に必要な将校または下官から成る幹部団、その一員といった意味をもつ[Kamus Indonesia Ing-

gris 1992:253]。現代インドネシア語では、プングルス(pengurus)と理解されており、その意味は幹事、理事、執行委員、管理人であり、今日の用法ではコーディネーターに近い存在であると考えられる。

 1-3 論文の構成

 本論文の構成は、以下の通りである。第 1章では、研究背景、問題の所在、研究目的および調査地概要と研究方法を述べる。第 2章では、高齢者ポスヤンドゥ活動の実態に着目する。第 1節ではインドネシアにおける福祉開発における女性の役割について概観し、ポスヤンドゥは中央政府からの上位下達の政治教育的要素を持ち、これは女性を福祉活動という社会運動の「資源」として考えるモデルであることを示す。第 2節では、高齢者福祉政策の実現がどのような目的で実施され、どのようなプログラムで展開されているかについて記述する。第 3節では、二つの異なる都市部高齢者ポスヤンドゥ活動プログラムの実践からみる、プログラムの妥当性について検討する。第 4節では、活動に参加しない、あるいは参加できない高齢者に焦点を当て、活動の問題点を考察する。第 3章では、都市部における供給主体の多元性について述べる。第 4章では、農村部に焦点があてられてきた高齢者ポスヤンドゥ活動が都市部において実装された時、どのように機能したかについて記述する。論文全体を通して、都市部の

合地 幸子

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高齢者がより良い高齢期をおくるための希求行動のひとつの選択肢として、高齢者ポスヤンドゥ活動を利用しているということを示し、最後に、本稿の結論を述べる。なお、本稿で述べる生活の質の向上9とは、精神的・肉体的・社会的に健康で主観的に幸福であることを指す。

2 高齢者ポスヤンドゥ活動 2-1 地域福祉における女性の役割

 本章では、インドネシアにおける福祉活動の制度的側面を概観した後に、高齢者ポスヤンドゥ活動の事例からみた、地域社会における高齢者支援の課題を検討する。 インドネシアの初代大統領スカルノによる政治体制が独裁的な革命であったことに対し、第二代目大統領スハルトによる新秩序体制における政治は、安定と開発を目指すものであった。政府は、開発政策において女性に期待する。それは国連が、1975年からの 10年間を国際女性年として制定したことが契機となった。 1978年の国策大網では、開発における女性の役割が次のように書き表されている[服部 2001:186]。第一に、女性は、男性と同じ機会・義務・権利を持ち、開発に関わる全ての活動に参加する。第二に、開発における女性の役割は、インドネシア国民を育成することであるが、次世代を育成する役割を軽減するものではない。第三に、開発のなかで、女性により多くの責任と役割を与えるために、女性の知識と技能を向上する必要がある。 また、女性の役割 5原則(Panca Tugas Wanita)において、女性の役割は、妻・次世代の育成者・母・仕事をもつもの・社会組織の成員として規定された。ジャジャディニングラット・ニューエンハウス(Djadjadiningrat Nieuwenhuis)[1987]によると、母親としての女性の役割はイブイズム(Ibuism)と表現される。このイブイズムはスハルト政権下における新秩序時代に生じた急速な近代化により再定義されることになる。すなわち、表面では母であり女性の伝統的役

割を基本としながらも、小さな家族(夫、妻、子ども)を最適とし、妻としての役割を一義的なものとしていった。このような、国家が規定する女性イデオロギーを、ユリア・スルヤクスマ(Julia Suryakusuma)[2011]は、国家イブイズムと表現する。 女性は、主要な政策から女性のための特別なプログラムへと分離され、夫、子ども、家族、共同体、国家へ無償で奉仕する国家の家族として、利益なしで福祉に貢献することが義務付けられた。開発において、女性に地位を与える役割の向上としながらも、現実は国家権力による女性の動員であった[Suryakusuma

2011:10-11]。 こうして政府は、すべての女性に組織に加入することを義務付け、中央集権的に管理していく。その上で、女性組織によるプログラムとして、さまざまな活動を実施する。この女性組織のなかでも、内務省管轄下である PKKは、女性が参加する村落開発活動を目的としている。PKK運動は 1950年代半ばに教育文化省が社会教育の一環としておこなった家庭科に端を発する。1957年に家族・福祉・教育(Pendidikan

Kesejahtraan Keluarga: PKK)の概念が打ち出された後、1972年 12月に名称を略語はそのまま PKKとして「家族・ 福 祉・ 育 成(Pembinaan Kesejahtraan Keluarga:

PKK)」と変更して以来、PKKによる全国的な活動が展開される[吉原 2000:198-201]。PKKは、社会、文化、国家イデオロギー、政治そして経済におけるさまざまな領域を通して、国家と地域の末端までの女性たちをひとつにするための仲介的な組織として重要な役割を持つものとなった[Suryakusma 2011:27]。 PKKでは、1982年と 1984年の内務大臣令によって、中央に内務大臣を長とする育成チームが結成され、公務員の妻たちが指導的な役割を果たしている。州知事・県知事・郡長・村長の妻たちが会長となり、各レベルで PKK活動チームという指導部が作られる[倉沢1998:106-107]。活動チームは、10のプログラム、すなわち、1.パンチャシラの理解と実践、2.ゴトン・ロヨン(相互扶助)、3.衛生的な食物と栄養、4.衣服と裁縫技術、5.衛生改善と家庭内の整理、6.教育と

高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例―

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新しい技術の習得、7.健康管理、8.協同組合の育成、9.生活環境保護と調和の維持、10.家族計画、に応じて組織されている[Sekretaria Tim Penggerak PKK

Pusat 2011]。 中央政府からの上位下達の政治教育的な要素を持ち、エリート女性が、村の末端の女性までを管理するという、女性を福祉活動という社会運動の「資源」として考える、インドネシアに特徴的な構造がここにできあがったのである。 開発運動のなかでも重要な目標は、人口抑制政策のための家族計画(Keluarga Berencana : KB)であった。「二人の子供で十分(Dua anak cukup)」というスローガンを掲げ、1970年代初期から人口抑制政策は開始されてきた。当初、家族計画の普及を担っていたのは、研修を受けたボランティア女性であった。1975年にはボランティア女性は公務員として採用され、村落内に家族計画を普及するための施設が設置される[倉沢1998:109]。その後 1985年に、家族計画プログラムの目標を実現することを目的にポスヤンドゥの設置が決定した[齊藤 2010:46]。 一方、調査対象のポスヤンドゥで高齢者に限った福祉活動が開始されたのは 1994年からである。ポスヤンドゥにおける活動は、福祉政策プログラムの普及としては概ね有効に機能していると言って良いだろう。後述するが、都市部の高齢者ポスヤンドゥにおいて政府は、高齢者が幸せな高齢期を迎えるための生活の質を向上することを目的として、予防医学、健康教育、疾病治療の次元でヘルス・ケアを提供しようとしている。

 2-2 活動の目的とプログラム

 高齢者ポスヤンドゥ活動は、高齢者を対象とした保健活動を通して、政府の開発政策プログラムである高齢者福祉政策を実現するものである。対象となる人びとは、45-59歳の前高齢期のグループ(Usia lanjut

dini)、60歳以上の高齢者グループ(Usia lanjut)、およびリスクの高い 70歳以上のグループ(Usia lanjut

dengan resiko tinggi)10で、間接的には、高齢者のいる家族、高齢者に対する育成・教育をおこなう社会機関および地域住民も対象とされている。 保健活動は、高齢者が幸せな高齢期を迎えることができるように、高齢者の健康状態を向上することに目的が置かれている。そのための保健活動の質の向上を地域社会や民間団体に期待し、さらには高齢者自身が自らの健康を向上できるようにするものである[Ismawati 2010:45-46]。 活動の内容は、高齢者が健康でいられるための啓蒙活動、病気に対する予防、治療、リハビリ、軽い運動などである。プログラムは、3項目(住所・氏名の登録、身長・体重測定、予防・健康教育)、5項目(住所・氏名の登録、身長・体重測定、カルテの管理、予防・健康教育、食事の提供)、7項目(住所・氏名の登録、血圧・身長・体重測定、カルテの管理、予防・健康教育、疾病治療、歯科検診、食事の提供)のいずれかに従って、地域住民の合意に基づき決定される[Ismawati-S

2010:50-51]。実際にプログラムは、地域によりさまざまに展開している。 保健活動の運営資金は、地方政府、地域行政(RT/

RW)11、地域保健センターに頼っている。その他に、宗教団体や民間機関などからの物資による不定期な寄付があることもある。また参加高齢者から徴収することもおこなわれている。それぞれの活動グループにより、資金面においては独自の展開がなされている。参与観察を実施した二つの高齢者ポスヤンドゥ活動の特色を先に述べておくと以下のようになる。 J地域・Aグループの活動は、比較的に健康状態の良い高齢者を対象として、高齢期に関する内容の啓蒙活動を目的とした、精神面における支援を提供するものである。そのために、健康状態が悪い高齢者は参加できないことが考えられる。また、S地域・Bグループの活動においては、疾病治療を目的とした、健康面における支援を提供するものである。しかしながら、筆者の聞き取り調査では、活動に興味をもたない多くの高齢者が参加していないことが確認された。 それぞれのプログラムは、政府の指導・監督に基づ

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く内容であり、地域住民の合意で決定されているとはいえ、すべての高齢者のニーズをプログラムに反映させることは困難だという問題が有り得る。政府は、高齢者を二分化し支援を提供しているが、高齢者はさらに多様化していると言えよう。次節では、実際の活動実践からみるプログラム性について検討する。

 2-3 高齢者ポスヤンドゥの実践

 ジョグジャカルタ市 J地域 Aグループによる高齢者ポスヤンドゥ活動は、高齢期に関する内容の啓蒙活動を重視した内容で実施されている。Aグループは、毎月 14日の午後 4時から保健活動を実施する。高齢者に対する保健活動について政府による研修を受けた、この地域の住民である 6名のカデルが活動を管理している。元 RT長夫人である 50代の女性が 6名のカデルのトップである。 活動のはじめに、カデルたちは参加高齢者の体重測定と血圧測定をおこない、参加費(3,000~ 5,000ルピア、2013年 7月換算 1ルピア= 0.01円)を徴収する。その後、カデルの挨拶があり、この場で高齢者の健康へ配慮した啓蒙活動、政府や行政からの伝達事項が伝えられる。筆者が観察した日には、デング熱の発生を防ぐための注意事項や週末に行われる地域行事の時間と集合場所が伝えられた。 カデルの挨拶が済むと、「幸せな高齢期」と題する曲等、高齢者を元気づける内容の 4曲を合唱し、お茶と軽食が振る舞われる。軽食の用意は毎月担当者が順番で決められ、高齢者の栄養を配慮した柔らかい消化の良いものが準備される。この日は、コラック・ピサンと呼ばれるバナナをココナッツ・ミルクで甘く煮た軽食が準備された。その後、会計係りによる収支報告、アリサン12、くじ引きをおこない、時にはカデルが研修で習った高齢者向けの軽い体操を披露する。偶然、活動日が 90歳の誕生日であった参加者は、参加人数分の箱に入った軽食を振る舞った13。参加者は、皆で誕生日の歌を合唱した。 最後はカデルの挨拶で終了となる。カデルが最後

に締めくくった言葉は次のようであった。「神に呼ばれるまで、活動的に過ごしましょう(Siang Malam

Tunggu Panggilan Tuhan: SIMATUPANG)」。この活動内容は、政府指導による PKK活動に見られる、定型化された定例会合とほぼ似た流れとなっている。 参加する高齢者は活動開始当初の 1994年には 50名であったが、カデルによると、何名かが亡くなり、現在では平均して 30~ 40名である。また、高齢者の健康状態や天候により参加人数は一定ではない。Aグループの活動に参加しているのは女性高齢者のみで、8割が 60~ 70歳代であった。2010年 3月の観察日に参加していた高齢者 30名のうち 2名は独居、それ以外は子供と孫と同居している。数名がテンペと呼ばれる大豆を発酵させたものや自宅で作った料理の販売などの不定期な仕事を持ち、少額の収入を得ている。活動日にポスヤンドゥ会場で服やイスラム教徒が着用するスカーフ(ジルバブ)を販売するものもいる。高齢者は活動日に、各自で縫った揃いの緑の服を着て参加する。 他方、同じく都市部に指定されている S地域 Bグループによる高齢者ポスヤンドゥ活動は、高齢者の軽い疾病に対して無料で薬を提供する。S地域の行政組織で 3箇所のRWには、それぞれ 1箇所のポスヤンドゥがあり、母子保健活動を実施するが、高齢者ポスヤンドゥ活動は 3箇所の RW住民を 1箇所のポスヤンドゥに集めて実施される。 Bグループは、毎月 27日午前 9時から 3時間かけて活動を実施する。活動は 4名のカデルが管理している。その他に、地域保健センターから派遣される 3名の医療従事者(看護師 1名、助産師 1名、栄養士 1名)による巡回診療がおこなわれる。医療従事者は毎月同じスタッフとは限らない。Bグループの活動には地域保健センターの予算が使用されている。 活動プログラムは、カデルによる体重測定、看護師による血圧測定と問診、薬剤師および栄養士による薬の提供の順番で実施される。提供される薬は、軽い症状に対するものが中心で、ビタミン剤、血圧や糖尿病の薬、関節痛を和らげる薬等である。カデルは、カル

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テを作成し、高齢者の毎月の状態を記入する。インドネシアでは、近代社会成立の過程において、疾病構造が感染症から非伝染性疾患へと変化している(表 1)。参加高齢者の多くが慢性的な疾患を患っていた。

【表 1】現代インドネシアの 10大疾患(罹患率)

都 市 部 農 村 部

1 脳血管障害 脳血管障害

2 糖尿病 結 核

3 高血圧 高血圧

4 結 核 慢性呼吸性疾患

5 虚血性心疾患 悪性腫瘍

6 悪性腫瘍 肝疾患

7 肝疾患 虚血性心疾患

8 壊死性腸炎 壊死性腸炎

9 その他の心疾患 その他の疾患

10 慢性呼吸器疾患 糖尿病

※インドネシアは、アジアの中で最も脳血管障害患者が多い。出典:Yastroki online 2012

 参加高齢者は、3時間の開催時間の好きな時間にポスヤンドゥを訪れ、参加費 3,500ルピアを支払うと置かれた椅子に座って自分の順番が来るのを待つ。社会保障に加入していることを証明する手帳や行政が貧困世帯であることを証明したカード(Kartu Miskin)を持参すると、参加費は免除される。看護師から名前が呼ばれ、血圧測定と問診が済むと、看護師が指示した薬を薬剤師あるいは栄養士から受け取る。なかには、栄養士による栄養指導を受ける高齢者もいる。そして高齢者は薬をもらうとすぐに帰宅する。 参加者は、少ない月でも 40名ほど、多い月では 70

~ 80名になる。カデルによれば、参加者の数は年々減少している。2011年 1月の観察日に参加していた69名の高齢者は、男性が 2割、女性が 8割で、その多くは 80~ 90歳代であった。先に述べた J地域 A

グループの参加者よりも年齢層が高い。参加高齢者のなかには、インフォーマルの不定期な仕事で収入を得ている高齢者も少なくない。会場へは 1人で歩いて来

る、あるいは、杖を使用してやっと歩いて来る、家族によりバイクで送迎される、隣人と手を取り合って歩いて来るとさまざまであった。参加の目的は薬をもらうためである。 ここまで、2箇所の高齢者ポスヤンドゥ活動のプログラムについて簡単に記述した。開発プログラムによるヘルス・ケアの提供方法は、予防医学、健康教育、疾病治療のどれを優先するかが常に模索されてきた[マッケロイ、タウンゼント 1995:387]。地方政府は、予防医学、健康教育、疾病治療という枠組みの中で、地域的特徴を反映した活動を展開しようとしていることが考えられる。本事例からも Aグループの活動は、健康状態の良い高齢者を対象とした、予防、健康教育であり、Bグループの活動は、疾病治療を目的としたものであった。 地域保健活動のプログラムとしては一見妥当だと思われるが、都市部という人口の密集した地域では、医療・福祉資源へのアクセスの困難な農村部と比較して、多くの高齢者の参加が見込まれるはずである。しかしながら、どちらのグループも年々参加者が減少している事実を、どのように解釈すれば良いのだろうか。次節では活動に参加する高齢者に焦点を当て、活動の受け手側のニーズを考察する。

 2-4 参加しない /参加できない人びと    の事例

 これまで述べてきたように、高齢者ポスヤンドゥ活動のプログラムは、地域的特徴に従い、予防医学、健康教育、疾病治療のいずれかを重視して実施されている。トップ・ダウン式の一方的な福祉開発は、高齢者に対して「健康」の概念を強化する点では評価できるが、参加にある程度の自由度があるために、参加しない高齢者も認められる。本節では、保健活動の受け手である高齢者のなかでも、参加しない人びとや、参加できない人びとの言説から、高齢者向けのプログラムの問題点を考察する。なお、それぞれの個人名は匿名にしている。

合地 幸子

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 【ラハナさんの事例】 Aグループのメンバーであるラハナさん、寡婦、68歳女性は、5人いる子供の中で 3番目の息子、嫁、孫 1人と都市中心部の狭い一軒家で暮らしている。配偶者である夫は元民間銀行に勤務し、55歳で定年退職後、腎臓病を患い失明し 2003年に 58歳で死亡した。配偶者の死亡後は、民間銀行から遺族年金を受けて生活をしている。ラハナさんは、いっさいの家事を嫁に任せ、孫をあやす傍ら、ダルマ・ワニタ14や高齢者ポスヤンドゥ、PKKの集会など地域の社会活動にいくつも参加する活動的な高齢期を送っていた。ラハナさんは、女性たちの集まりをゴシックの場だと考えていた。 しかし、2年前に乳癌を患い、この 2年間に乳癌の再発で入退院を 3回繰り返している。乳癌が全身へ転移してから足の関節が痛み始め、温熱療法やジャワの伝統薬(ジャムー)、中国漢方薬など代替治療を試みたが、痛みは回復しなかった。この頃から、楽しみにしていた高齢者ポスヤンドゥ活動への参加を控えるようになった。ラハナさんの家からポスヤンドゥまでは徒歩 3分と近い。しかし、「気が向かない」と述べる。

 ジャワの家族は、一般的に、双系制の核家族である。誰か一人の子供と同居している場合が多い[Geertz

1961, Niehof 1995]。調査地の高齢者は、定年退職をきっかけに、より宗教活動や共同体における社会活動へと時間を費やす傾向にあり、これらの活動を通して友人関係を築いている。また、女性高齢者は、政府指導による、近隣 10世帯という最も小さい単位の集まりであるダサ・ウィスマに参加することが義務付けられている他、共同体内の社会活動に参加する機会を多く持つ。 ラハナさんは、年金生活、子供や孫と同居、社会活動に熱心という、この地域では標準的と思われる老後の生活を送っていた。ラハナさんを含め、Aグループへ参加する高齢者によれば、参加目的は、同世代同士の連帯を強くするためであった。しかし、ラハナさん

のように病を患った高齢者は参加しない。都市部という医療施設へのアクセスが容易な環境における高齢者ポスヤンドゥの役割は、予防と教育を重視したプログラムを提供することである。病を患った後の治療的医療は、本人と家族の責任でおこなわれていた。

 【ミトロさんの事例】 Bグループの参加者である、ミトロさん、寡婦、80歳女性は、70歳まで小作農として働いていた。配偶者である夫は大学の事務員で 8年前に死亡した。配偶者の遺族年金として月に 80万ルピアを受け取り生活している。ジョグジャカルタ特別州の2011年の最低賃金はひと月に約 80~ 90万ルピアであるので、月に 80万ルピアの年金は 80歳のミトロさんにとって少ない金額ではないだろう。 9人の子供がいるが現在生存しているのは 4人だけで、4番目の娘と暮らしている。高齢者ポスヤンドゥに参加する目的については、「薬をもらうためであり、同世代の友人と会うことはそれほど重要ではない」と述べる。

 Bグループの活動プログラムは、地域保健センターによる巡回診療と位置付けられている。ミトロさんをはじめ、80歳代、90歳代の参加者すべてが、同世代との交流には興味を示さず、薬を貰うことだけを目的としていた。看護師は、高齢者ポスヤンドゥ活動で 3

日分の薬を提供した後に、継続して地域保健センターにて診察を受けるように促す。しかしながら、参加高齢者の中で継続して診察を受けるものは一人もいなかった。

 【ラティさんの事例】 Bグループの一員であるラティさん、62歳女性は、滅多に高齢者ポスヤンドゥ活動に参加しない。配偶者、独身の子ども 2人(35歳男性、42歳女性)の4人で暮らしており、元民間銀行に勤務していた配偶者の年金(月に約 100万ルピア)で生活している。子供たちは仕事があるので、ラティさんが一切の家

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事をおこなう。高血圧の持病があるものの、地域の社会活動へは少なくとも月に 5回は参加する生活を送っている。 ラティさんによれば、高齢者ポスヤンドゥ活動に参加しないのは、「健康診断だけで退屈だから」である。「薬が欲しければ薬局へ買いに行く。具合が悪ければ伝統的なマッサージ師による治療を利用する」。また、地域保健センターについては、「貧困な高齢者が行くところなので、あまり利用したくない」という。

 このような地域保健センターにまつわる都市部の高齢者が抱くマイナスなイメージは、数名の高齢者から語られた。ジョグジャカルタ市に暮らす高齢者の経済状況は、ひと月の支出額を見ても中間層以上が多いことがわかる。ひと月の支出額が、50万ルピア以上 75万ルピア以下および 100万ルピア以上の世帯が全体の約 4分の 3を占めている[BPS Kota Yogya-

karta 2009:8]。貧困である世帯は 2010年で全世帯の15.24%と農村部と比較しても低い[Dinsosnakertrans

2011]。 インドネシアにおける社会保障制度は、公務員や軍人を優遇する制度でおこなわれてきたが、2004年の社会保障改革からすべての市民が対象とされた[菅谷 2009:33]。国家による社会保障制度の他にも、ジョグジャカルタ特別州では、州の保障による制度に任意に加入する人びとが 2008年には 8割を超えている[Priyanto 2008:8]。都市部の高齢者の全般的な経済状況は、中間層以上の世帯であり、年金等の社会保障制度を利用できる人びとが多いことがわかる。 また S地域の特徴としては、都市部に指定されていて近くに国立病院、民間病院などの総合病院が 3箇所ある。クリニックも多く近くに薬が買える薬局も多い。高齢期を健康に過ごすための選択肢がいくつかある。 次に、ここでの課題として、性による参加率の違いについて触れておかなければならない。Aグループの参加者はいずれも女性で、男性の参加は見られなかっ

た。男性が参加してはいけない決まりはない。参加女性たちは、男性は恥ずかしがって高齢者ポスヤンドゥ活動には出てこないと考えている。男性は男性だけのイスラム教の朗読会の集まりがあるので、そちらに参加していると言う。つまり、Aグループの活動は、都市部の比較的に健康な女性に限定された集会になっている。このことが、男性が参加しない理由として考えられる。表面では福祉政策における予防医学、健康教育としながらも、地域保健センターからの医療保健従事者が巡回することは稀で、健康な女性に限定された集会は、極めて都市部に特徴的だといえよう。 それでは、カデルはこのような参加状況の変化をどのように見ているのだろうか。ここで、Bグループのカデルに着目し、活動を運営する側から見た課題について検討する。 S地域 Bグループでは、これまでおもに家族計画の普及および母子保健を実施してきた。高齢者を対象にした福祉活動が開始されると、カデルたちは、新生児や母子を対象とした保健活動を新生児ポスヤンドゥ(Posyandu Balita)と呼び、高齢者を対象とした保健活動を高齢者ポスヤンドゥ(Posyandu Lansia)と呼ぶようになる。それに伴い、カデルたちは、自分たちのことを新生児カデルと高齢者カデルというように区別して呼んでいる。 Bグループが対象とする 3つの RWには 9名のカデルがいる。9名のカデルは 48~ 60歳で、48歳のカデルはカデル歴が 12年、その他のカデルは全員カデル歴が 16年である。つまり、ほとんどのカデルが 1994

年の開始当初から Bグループのカデルを務めていることになる。1名を除いてすべて既婚女性であり、その内 1名が幼稚園教諭、もう 1名は総合病院の看護師として働いている。カデルたちは、毎月 1回の割合でいくつかの PKKの集会に参加する。例えば、18の村のカデルによっておこなわれる集会、新生児カデルの集会、高齢者カデルの集会などである。集会では意見交換がおこなわれる。 高齢者カデルたちは、高齢者ポスヤンドゥ活動開始からの 16年間で高齢者の生活状況が変化しているこ

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とを強調する。Bグループが対象とする地域では、毎年のように高齢者人口が増加している。本来であれば、さらに多くの高齢者が高齢者ポスヤンドゥ活動に参加するはずである。しかしながら、実際の参加状況は、年々減少傾向にあるという。 カデルたちは、参加者が減少している理由を、高齢者の生活状況の変化とした上で次のように解釈している。一つは、開始当初から参加している高齢者はさらに高齢化し、病気による体調の悪化や死亡などの原因で参加者が減少してきたのではないか。もう一つは、新規の参加者が少ないことを理由にあげ、高齢化と平均余命の伸展により、高齢になっても仕事をしている人びとが増えたこと、そのために平日の午前中である活動時間が参加しにくい時間帯であると述べた。 カデルたちは、地域住民が活動に参加するように啓蒙活動をおこなう役割も担っている。しかしながら、それほど効果は現れていない。それどころか、「女性たちは何かと忙しいのよ」と言いながら、実践現場をいくつも管理している。それは、カデルたちにとり、高齢者ポスヤンドゥの管理が負担となっているということを意味するものではない。むしろ、「自分の両親の世話をするのと同じように、高齢者が活動を通して生活の質を向上できれば自分たちも嬉しい」と述べている。 実際に、カデルたちは期待されている。地域保健センターの医師によると、高齢者ポスヤンドゥの活動では、カデルが医師の役割を担っているのだと考えている。第三次五カ年計画(1979~ 1983年)から開始されてきた国家の健康管理システムは、当初から保健医療人材の不足という問題を抱えていた。そのために、研修を受けた要員を配置することをおこなっている[スマルジャン、ブリージール 2000:134]。冒頭で述べたように、医師の数は現在でも不足しており、カデルは健康管理システムにおいては地域における重要な役割を担っている[Sciortino 2007他]。 医師はまた、「高齢者ポスヤンドゥ活動は、「ホーム・ケア 」をポスヤンドゥの会場でおこなうようなものである」と述べる。「ポスヤンドゥの数は十分である

が、問題はプログラムの内容が十分であるかどうかである」と付け加えた。つまり、軽い症状に対する 3日分の薬の提供といったプログラムの内容が十分であるかどうかということである。「高齢者の自宅を個別に訪問する必要性を感じてはいるが、地域保健センターの予算内では不可能である」という。 以上をまとめると、都市部における高齢者ポスヤンドゥの実践は、歩いて会場まで来ることが出来る比較的に健康で、時間的な余裕があり、アリサンなどの少額の費用を支払うことのできる高齢者に対して、大変有効的に機能している。その一方で、病に見舞われたか仕事があるために時間的な余裕がないといった理由で機能しなくなるといえるだろう。 都市部ポスヤンドゥ活動におけるヘルス・ケア提供の事例として、支援を提供する側の政府のプログラムが、急速に増加する高齢者人口と高齢者の多様性、都市化に対応できていないことは指摘してよいだろう。しかしながら、開発プロジェクトの予期せぬ結果として捉えるものではない。換言すれば、より富裕層向けのより健康な高齢者の健康状態は高まったようだが、二分化されたもう一方の高齢者である、ポテンシャルでない貧困者や病気療養者の健康状態が改善しなくなったということではないと考える。 PKKを通した女性を担い手とする活動は、ヘルス・ケアに限らず、トップ・ダウン式の都会のエリート・モデルだと批判されがちであった[Sciortino 2007他]。そうであるからこそ、農村部では都会モデルで展開される裁縫や料理教室などの新しい技術の習得が失敗することもあった[スマルジャン、ブリージール2000:106]。また、農村部における母子保健活動を実施するポスヤンドゥの機能的問題などが報告されている[Sciortino 2007:116-125]。 つまり、都市部において機能していると思われる高齢者ポスヤンドゥ活動は、都市部の特徴を十分に反映して実践されており、しかしながら、多様化している高齢者が選択的に利用できるという自由度があると言えるだろう。ヘルス・ケアの受け手は、住民統制の目的をも兼ね備えた、政府の展開する福祉開発プログラ

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ムに、全面的に巻き込まれていないことが考えられる。

3 供給主体の多元性 3-1 弱者救済

 政府は、高齢者福祉政策の中で、民間機関 /団体や地域社会による支援を期待している。それを受けた民間機関 /団体は、独自の内容で活動をおこなっている。そのなかのひとつ、東部ジャワを中心として活動するプサカ(Pusat Santunan Kelarga : PUSAKA)は、国家家族計画調整庁からのわずかな助成金と地域や個人からの寄付金による資金をもとに、高齢者へ食事の提供などをおこなっている。対象となる高齢者は、60

歳以上の貧困な高齢者または家族が貧困者な場合である。ジャカルタのプサカで調査をおこなった Do-Le

[2002]らによると、ケアを受けている高齢者は 85~90%が女性で、多くが寡婦もしくは配偶者が病気である貧困者であった[Do-le, Kim Dung, Raharjo Yulfita

2002:12]。プサカにおける活動の担い手は、PKKのカデルと同様に女性組織を通してリクルートされる女性たちである。この他の団体も運営はおもに裕福な人からの支援に依存するかたちでおこなわれる傾向がある[Noveria 2006:14]。 一方、ジョグジャカルタ特別州農村部の高齢者のための福祉施設であるタマン・プンビナアン・ランシアと呼ばれる施設では、高齢者に対して月に 1回、無料の健康診断をおこなっている。施設の運営は、寄付金と地域住民の相互的な扶助により実施されてきた。医師をはじめとするスタッフは、ボランティアである。この取り組みは、はじめに地域住民の強い意志ではじまり、その後政府により高齢者支援団体として認められている[Adib 2003:2]。 これらの活動は、貧困者や女性を対象とした弱者救済に目的を置いている。なかでもタマン・プンビナ・ランシアは、ボトム・アップ方式として注目できるだろう。

 3-2 医療サービス

 ジョグジャカルタ特別州の都市部では、民間の診療所が、高齢者の自宅に看護師を派遣する「ホーム・ケア」や高齢者を一時預かる(Penitipan Lansia)、いわゆる「デイ・ホーム」を実施している。こうしたサービスは、一部の中間層以上に利用されており、日本を含む海外からの視察団が訪れるなど注目されていたが、2012

年現在では閉鎖されている。 また、宗教系の民間病院が専門的な介護人材を養成しており、重度の病気を患った高齢者や後遺症を抱え介護が長期化した高齢者へ在宅介護サービスを提供している。 一方、地域の人々が「高級な高齢者福祉施設」と呼ぶ、裕福な個人により提供されている高齢者専用住宅がある。同一敷地に十棟ほどの小さな住宅が並び、その内の一棟へは、近くにある国立大学の医学部の学生を安い賃貸料で住まわせ、残りの住宅は高齢者に限り貸し出している。医学部の学生にとっては老年医学の研修の場であり、居住する高齢者は敷地内に医学部の学生が住んでいるので、精神的に安心するという。 Schröder-Butterfill[2010]らによると、ジャワの高齢者は、自立を好む傾向にあるために、相互依存関係が希薄だとしても、不安を感じていないことが報告されている[Schröder-Butterfill, Fithry and Dewi 2010:13]。上述のような居住形態は、近代化しつつある都市部に暮らす高齢者に向けたものといえる。

 3-3 精神・能力強化

 高齢者のストレス克服のために、専門の講師によるリラクゼーション、瞑想およびヨガの講座を開催している団体がある。ここでのプログラムは、既に高齢者ポスヤンドゥでもおこなわれており、精神面におけるヘルス・ケア提供の見本となっている。ポスヤンドゥでは、決められた項目に従ったプログラムを実施しているが、民間団体の取り組みの良い部分を取り入れ、柔軟に適応する姿勢も持っている。

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 その他にも、高齢者の自立支援、能力強化を目的とし、高齢期を活性化するためにコンピューター教育や宗教教育、ライフ・スタイルを改善する教育、絵画教室を提供する教育機関がある。管理者のトニヤさんによると、「高齢者を教育することが、高齢者支援につながる」という。一番人気があるのはコンピューター教育である。高齢者は移住先の子供や孫とフェイスブック15でコミュニケーションをとりたいと考えている。フェイスブックに参加できることが誇りになる。 現在では、一部の富裕層に限り利用がみられるが、グローバル化、都市化、産業化の現れとして、IT技術を使用した情報収集やコミュニケーションへの期待は高まっている。能力強化を目的とした支援は、民間機関を中心に普及する可能性を持っているだろう。高齢者は、自分に見合ったケアの提供を選択的に利用したいと述べている。

 3-4 居場所探し

 高齢者が自分に見合った居場所を探そうとして始まったのが、ラジオを媒介として生まれた高齢者のコミュニティである。高齢者が好む音楽、クロンチョン(ポルトガル音楽の影響を受けるインドネシアの軽音楽)、ウヨン・ウヨン(ジャワ語でガムランの演奏を意味する)、クトプラ(ジャワの大衆演劇、1920年代にソロで成立)を放送する国営ラジオ局の番組の聴取者である 50~ 80歳の人びとで構成されている。このコミュニティは聴取者の間で自然に出来上がった。 設立 16年で、ラジオ局からの資金提供はなく、運営費は参加者から集めた金額でおこなっている。コミュニティの会合へは通常 40~ 50人(男性約 2割、女性約 8割)が参加する。聴取者は都市部在住とは限らずラジオ放送の電波が入る地域に及ぶが、会合に参加するのはおもに都市部の高齢者である。 活動内容は、アリサンをおこなう他、毎回決まったものではない。コミュニティの代表を務める、元ラジオ局局長のウィルヤントさん 63歳男性によると、「高齢者は同世代と出会う機会を求めている。コミュニ

ティの設立は、ラジオ局から提案したものではない。高齢者の話題は健康問題が多く、同世代で健康に関する情報を交換している。老いを受け入れることが重要なのだ」。高齢者は老いに関する情報を求めている。 この他にも、ジョグジャカルタ特別州にはジャワ語の伝統的な歌や詞であるモチョパタンを朗読する高齢者の集まりがいくつかある。高齢者の目的の一つは、古典芸能を保存することである。この朗読会を通して、高齢者は、長生きできるように同年輩での会話を楽しむことや、話すことでストレスを解消すること、自分自身を表現すること、を目的に様々な人生のかたちを探している[Probosini 2012]。 Probosiniの報告からも、高齢者はこれらのコミュニティに居場所を求めていることがわかる。そして、居場所を提供する側は、共通して、「高齢者のためのコミュニケーションの場を設けることが高齢者を支援することにつながる」と述べている。ひとつの福祉活動のかたちとして展開していく可能性はあろう。

4 高齢者ポスヤンドゥの位相 4-1 都市部で実装される保健活動

 インドネシア政府は、第三次五カ年計画(1979-1984)において、PHC戦略の受け入れという理由から、予防とプロモーション活動の実践にコミュニティの協力を求めてきた[Sciortino2007:112]。これは、1978年のアルマ・アタ宣言を受けて、地域住民やセクター間の協力で「全ての人に健康を」達成することを目的としたことによる[Sujudi 2007:280]。そして、疾病治療よりも予防を重視して展開されるようになる。しかしながら、アルマ・アタ宣言の文面の中には高齢者という言葉がないことからも、高齢者のヘルス・ケアは当時の PHC政策の重要課題とは見なされていなかった。 当初のプロモーション活動は、高齢者向けのプロジェクトではなく、家族計画が主な活動の中心であった。ポスヤンドゥの設置が決定される以前から、インドネシアで最も人口の密集したジョグジャカルタ特別

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州では、試験的に家族計画プログラムが展開されてきた[スマルジャン、ブリージール 2000:124]。 ジョグジャカルタ特別州を含むジャワでの成功を受けて、開発プログラムは地域住民中心の活動となる。1985年に設置が決まったポスヤンドゥにおける開発政策では、家族計画の実現を最大の目標とし、住民自身が自ら健康を向上するために、医療保健人材の支援を受けて、住民により実践されなければならない活動として重点が置かれてきた[Sciortino2007:113]。PKK

を通したカデルによる活動は、家族計画の普及に成果をもたらした。子供の数は徐々に減少した。労働資産の増加、老後の保障として多産でなければならないと考えてきた村落の人びとの意識は、「子供の数が多いと、一人当たりが教授できる幸せの割り当ては、少なくなってしまう」という、人間の創造を操作することへ対するイスラムの反対をも再解釈するにいたった[スマルジャン、ブリージール 2000:135,147-149]。 PKKメンバーである積極的な公務員の妻たちが指導することで、村落レベルまでを管理するというシステムは有効に機能した。例えば、独立後の東ティモール(2000年)における PHCプログラムで、一般女性を世話人として選んだ時には、地域住民からの信頼を得られなかった。専門的な保健医療従事者でない世話人に対して、村人たちはリーダーとしての資格を認めなかった[辰巳 2009:167]。その一方で、インドネシアにおける開発プログラムでは、カデルと協力体制のもとにプロジェクトが円滑に進んだ事例の報告は数多い。女性は妻であり、母であり、福祉の担い手として期待され、何重もの負担を強いられていることは指摘されてきたが[Suryakusuma 2011:10-11]、同時に女性の地位は、公共の場で意見を述べることなどできなかった村の慣習に縛られることなく向上したといえる[スマルジャン、ブリージール 2000:108]。 高齢者のための福祉開発プログラムは、地域住民を中心とした農村地域の高齢者のエンパワーメントに焦点があてられてきた。とりわけ、こうしたプログラムが焦点を当てているのは貧困者で、その多くは高齢女性である[Abikusno 2005:18]。これは 2002年にマド

リードで開催された第 2回高齢者問題世界会議で、高齢者が基本的な地位を占めるように強調されたことに影響を受けていると思われる。海外 NGOや地域の大学、民間団体、宗教団体らの協力による支援もまた、貧困者や女性を対象者の中心として活動を開始していった。 政府は、ポスヤンドゥの対象者を高齢者へと拡大する。Astutiらによれば、ポスヤンドゥは、下層階層の住民のための/によって、おこなわれる健康管理の中心的な場である[Astuti,D, Rahayu.U, Ambarwati

2007:157]。高齢者に対する活動は、生物学的、社会文化的、経済的な環境改善および予防、治療、リハビリ等の健康管理という次元において[Kemkes 2013]、高齢者の生活の質を向上することを目的とした上で、社会における高齢者の存在に見合うような家族や地域社会の高齢者福祉への役割を育成することでもある。 調査対象の高齢者ポスヤンドゥは、インドネシアの中でも早い時期の 1994年に開始された。政府主導のプロジェクトが開始される時は、ジャカルタ、ジョグジャカルタやバリ島など人口が密集している地域で試験的に行われることが多い。第一次五カ年計画の 1968-1972年期にジャワ島とバリ島で出生率低下と各島間の移住促進といったプログラムが成功したように、ジョグジャカルタはモデル地域となり得た可能性がある。 インドネシア政府は、予防医学、健康教育、疾病治療の枠組みにおいてプログラムを展開しようとしている。医療保健従事者は都市部に偏在しているとはいえ、人口の密集している都市部において、地域保健センターからの希少な人材は、より必要な地域へ配分されなければならかったであろう。Aグループにおける治療的活動は見られず、Bグループの事例では、1か月に 1回 3箇所のポスヤンドゥが合同で治療的活動を受けていた。例えば、ジョグジャカルタ特別州農村部のポスヤンドゥ活動では、医療保健従事者による巡回診療は 3か月に 1回であった。つまり、都市部の方が農村部における活動よりも巡回診療の頻度が高い。 Aグループに参加する高齢者は、無料で提供される

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近代的医療の薬より、ラハユさんのように同世代との交流を通して健康を維持することに高い価値を置いていた。両グループの経済的豊かさの特徴を反映しているとも言えるが、健康に対する価値観の違いであるかもしれない。また、何よりも増して、まず社会活動に参加することが外面的調和を保つと考えられている。ジャワ人は、社会関係のための理想的規準として、人間間の調和、協力、努力を重視する「ジャワ的価値」を有している[Geertz, H 1961:57]。先に述べたように、揃いの服は連帯観を象徴するものとして、ジャワの価値観を表現しているだろう。 そして、カデルの主旨とは無関係に、高齢者は集まりを享受していた。活動日にポスヤンドゥで服を売る女性は、参加するたびに数枚の服が売れる。ラハユさんは、会場で耳にする噂話を楽しんでいた。週末の地域行事に誘い合っていくこともできる。行事に参加すれば、より多くの高齢者と知り合うことが出来るかもしれない。Aグループの高齢者は、暇な時間を出来るだけ多くの社会活動で費やしたい(mengisi waktu)と考えていた。 Bグループは、Aグループとは対照的に、同世代との交流にはまったく興味を示していない。参加者は、Aグループより年齢層が 10歳ほど高い 80~ 90歳、いわゆる後期高齢者である。Bグループは、身体機能の衰えが目立ち始めた高齢者たちが多い。近代医学が処方する薬を飲めばよくなると信じていた。家の近所で薬だけ貰えるのがよいという。「地域保健センターへ行けば、診察まで長い時間待たされるし、検査をすれば費用が高い」と印象を語っていた。女性の同世代による交流が中心としたプログラムではないので、男性が参加することも可能である。 一般的に、看護師の地位は高い。例えば農村部では、3か月に 1回のみ看護師が巡回診療をおこなう。看護師との会話に、丁寧なジャワ語である、目上の人に対してや同年輩の大人同士の改まった会話で使用する、クロモ体を使用する高齢者もいる。看護師が持参する近代的な医薬品は貴重であり、無料であれば大変魅力的である。薬草を煎じて作る伝統薬が身体に害がな

く、化学薬品を体内に取り込みたくないという、薬に対する村の人びとの信念は根強いが、実際に支援される薬なら摂取している。多くの高齢者が巡回診療を毎月実施して欲しいと望んでいた。地域に限らず、より高齢で脆弱な高齢者の医療保険従事者へ対する信頼は厚い。つまり、医療従事者の訪問する保健活動には十分な効果がある。

 4-2 保健活動への信頼 医療人類学の知見によると地域保健活動は、地域住民の価値観を強調するように勧められることが良い[マッケロイ、タウンゼント 1995:395]。そのような意味においては、Aグループも Bグループも健康問題に対して同じ価値観を持つ高齢者が多かった。病気療養者や興味を持てない人びとが次第に姿を消し、参加者が年々減少しているとは言うものの、現在でも活動は続いている。 裕福な都会のエリート女性のモデルで、実際に焦点があてられるのは農村部を中心とした貧困者である。そのプログラムを都市部へ実装した時、都市部の高齢者向け保健活動は、いったいどのような意味において機能したのだろうか。ここで、近代における都市部高齢者ポスヤンドゥ活動に対する受益者である高齢者の信頼(trust)という観点から、検討してみたい。 アンソニー・ギデンス[1999]は、近代における安心、リスク、危険と信頼性の維持がどのように関連しているのかを検討する上で、近代における信頼性を、前近代における熟知の関係性と比較する。ギデンスの表現では、前近代における信頼性とは、顔の見えるコミットメントであり、親族関係が代表的である。そして、近代における信頼性とは、顔の見えないコミットメントであり、象徴的通標(Symbolic Token)16と専門家システムを合わせた抽象的システムである[ギデンス 1999:102]。 ギデンスは、顔の見えるコミットメントと顔の見えないコミットメントが交わる場を、抽象的システムへのアクセス・ポイントと呼ぶ[ギデンス 1999:107]。この近代的制度であるアクセス・ポイントは、とりわ

高齢者ポスヤンドゥ・プログラムからみる都市部における高齢者ヘルス・ケアについて―インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別州の事例―

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け専門家システムへの信頼と関連している。専門家システムが、本事例で言う保健医療従事者やカデルによって運営されるシステムに相当するであろう。 ギデンスによれば、信頼は、「専門家システムが通常想定されている通り作動するという経験にもとづく、実際的な側面」[ギデンス 1999: 44]を持つ。つまり、高齢者たちは、母子保健活動が良い成果を収めたことを経験的に知っているのである。このことが、ポスヤンドゥへのアクセス・ポイントとしての信頼を高めているものと考える。 高齢者とポスヤンドゥが、信頼関係を継続するには、高齢者を安心させなければならない。そのためには、「高齢者へ向けても活動中」が重要なのである。母子保健活動をはじめ、さまざまな活動が実施されてきたポスヤンドゥが、高齢者向けの活動を始めたことは、高齢者にとっては高齢期の不確実な健康問題に対する安心なアクセス・ポイントを得たことになったといえるだろう。 しかしながら、都市部における多様化している高齢者は、日常生活のほとんどを組織化されることなく、高齢期の生活の質を向上するために利用可能な資源を選択的に利用していた。高齢者ポスヤンドゥは、都市部の高齢者たちが、新しい老いのかたちを探し続けるための、利用可能な福祉資源のひとつであると考えられる。

5 結論 

 ここまで、二つの異なる活動プログラムを通して、都市部における高齢者ポスヤンドゥがどのような社会的機能をもつのかについて報告し、かつ考察をおこなってきた。その上で、本稿で明らかになったことは以下の 3点である。 第一に、福祉政策において母子保健に重点を置いてきたインドネシア政府は、アルマ・アタ宣言を契機に「健康であることを」すべての人の基本的な人権、とした PHCアプローチを採用した高齢者のヘルス・ケアへと目を向けた。具体的には、高齢者向けの福祉活

動を、PKKの女性を担い手とした、地域住民参加型のポスヤンドゥ活動のプログラムとして実施したことである。 ポスヤンドゥにおける福祉活動のシステムは、女性を福祉活動の担い手として動員する社会運動である。PKKは、中央政府からの上位下達の政治教育的要素をその社会的使命として担わされている。PKKの指導的役割を担うカデルによるポスヤンドゥ活動は、家族計画・母子保健活動を中心として運営されてきた。女性の社会参画が実現したからこそ、ポスヤンドゥは社会的機能としての役割を果たすことがきた。このモデルにおいて、後に高齢者へ福祉活動の展開が可能になったと言えるのである。 調査対象の高齢者ポスヤンドゥ活動はインドネシアの中でも早い時期と言える 1994年に開始された。実際に活動が開始された当初には多くの高齢者が参加した。先に述べた Aグループの、他の地域に先立って開始された予防医学や健康教育だけに特化したプログラムは、医療保健従事者の少ない他県の中心地などの一部地域において実践され始めている。 第二に、高齢者のニーズに、この制度が応答しつつあるということが指摘できる。1998年の高齢者福祉法の改正においては、高齢者はポテンシャルな高齢者とポテンシャルでない高齢者の「二つの高齢者」の属性に分類された。はたして、この分類が、都市のコミュニティに暮らす高齢者に実感としてあるのかは疑問である。しかし、少なくともこのような高齢者の状態に合わせた保健政策は、政府をして、都市部の高齢者へ均一なプログラムを提供するのみならず、高齢者の健康問題に対する多様な価値観を反映したプログラムを提供することが出来たのである。 高齢者ポスヤンドゥ活動は、病気療養者や興味を持てない人びとが次第に姿を消し、参加者が年々減少しているとは言うものの、現在でも活動は続いている。ある程度の参加の自由度があるように思われる。既に述べたように、都市部では高齢者が興味を示す活動は多元化している。高齢者にとって、より良い高齢期をおくるための選択肢は増えているようであり、それに

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対してこの制度がある程度の応答はしているように評価することができる。 第三に、ポスヤンドゥをギデンスの言う「抽象的システムのアクセス・ポイント」と捉えることで、ポスヤンドゥは高齢者にとって、信頼できる、そして利用可能な福祉資源になっている。カデルがポスヤンドゥを拠点として高齢者へ向けた活動をおこなうことにより、カデルと高齢者の信頼関係が維持される。高齢者に対して高齢期の「不確実な健康問題」に対する安心なアクセス・ポイントを呈示していることは確かである。 以上の論点から、高齢者ポスヤンドゥ活動の社会的機能は、現時点では有効的に機能し、都市部において一定の役割を果たしていると言うことができる。多様化している高齢者へ向けて、高齢者の健康問題に対す

る価値観を反映したプログラムを展開しており、高齢者はより良い高齢期を送るための希求行動のひとつの選択肢として高齢者ポスヤンドゥ活動を利用している。都市部には、農村部と比較して利用できる福祉資源は多い。紙幅の関係で、高齢者に対する取り組みを全て記述することはできなかったが、高齢者福祉は様々な供給主体が絡みあって展開し始めている。高齢者ポスヤンドゥ活動は、インドネシア文化における社会現象を活用し、健康に対する高齢者の多様な価値観に合わせて柔軟に変化することで、より適切に都市部の高齢者へヘルス・ケアを提供している。 この制度が、福祉供給主体を多元化することにより、他のセクターとの協働なども含めて、より柔軟に対応していくかどうか、またアクセス・ポイントとして持続可能かどうかの判断は今後の課題としたい。

注1 家族・福祉・育成は、1957年にボゴールで開催された、地域開発としての家庭経済セミナーに由来している[PKK Yogyakarta 2013]。

2 避妊薬やコンドームの配布、子宮内避妊器具(Intrauterine Device : IUD)の装着など。3 WHOと UNICEFの主催で開催された第一回プライマリー・ヘルス・ケアに関する国際会議において、「すべての人々に健康を(Health For All)」達成することが宣言された。

4 ヘルスプロモーションに関する憲章ともいわれる 1986年のオタワ憲章では、人びとが自らの健康をコントロールし、改善することを目指した。

5 ポテンシャルな高齢者(Lanjut Usia Potensial)とは、「まだ仕事ができる人および、物やサービス業務を生産できる人である」、ポテンシャルでない高齢者(Lanjut Usia tidak Potensial)とは、「生計を立てる力がなく、人生を他の人の助けに頼るような人である」と定義されている。

6 ジョグジャカルタ特別州の医師の数は、2,184人(一般医 1,065人、専門医 1,119人)である。住民約 1,608人に医師 1人で、これは 2010年の全住民数 3,513,071に対して 0.06%にあたる。地域保健活動に従事する役割を持つ、地域保健センターに勤務する医師の数はわずかに 373人(一般医 371人、専門医 2人)である。また、看護師数は 6,194人、助産師は 1,857人で、地域保健センターに勤務する看護師は 938人、助産師は854人である[Plofil Kesehatan DIY 2011]。

7 ジョグジャカルタ市の 60歳以上の高齢者数は 42,102人(男性 20,637人、女性 21,465人)[BPS Kota Yogyakarta 2010:37]。平均余命は、男女平均で 2007年 73.2歳、2008年 73.3歳、2009年 73.4歳である[BPS Kota Yogyakarta 2009:8]。合計特殊出生率は、1968年の 35.2から 2009年の 13.4へと減少した[Dinkes DIY 2011:28]。

8 貧困に指定されている世帯は、2009年に市内全世帯に対して 16.34%(21,228世帯)、2010年には、15.24%(20,456世帯)へと減少している [Dinsosnakertrans 2011]。

9 WHOは、生活の質(QOL)を、「個人が生活する文化や価値観の中で、目標や期待、基準および関心に関わる自分自身の人生の状況についての認識」と定義している。異なる文化で比較可能な調査票は、疾病の有無ではなく、身体的領域、心理的領域、社会的関係、環境領域の 4領域の QOLおよび、QOL全体を問う全 26項目から構成されている。

10 WHOは、45-59歳をMiddle Age、60-74歳を Elderly、75-90歳を Old、90歳以上を Very Oldとしている。11 地方行政単位 RT : Rukun Tetangga / RW : Rukun Warga

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12 アリサンとは、日本の頼母子講、無尽講に類似した「回転型貯蓄信用講」(ROSCA:Rotaring Saving and Credit Association)の一種であり、インドネシアで様々な層に広く実施されている代表的な民間金融。世界各地で実施されているこの種の活動を「回転型信用講」として総称し、概念化したのはギアツ[Geertz, C 1962]である。

13 インドネシアの人びとは、お誕生日の人が友人などに食事を振る舞う習慣がある。14 ダルマ・ワニタ(Dharma Wanita)とは、公務員および公務員の妻が加入する組織。15 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)。アメリカで 2004年からサービスが開始され、インターネットに接続したパソコンや携帯電話などからアクセスすることができる。インターネットより携帯電話を介してフェイスブックを利用する方が安上がりであることから、インドネシアに普及した。インドネシアのインターネット普及率は、全人口に対して 16.1%(396,000,000人)そのほとんどが都市部在住者で、過去 1年間の増加率は 1.88%である[Internet World Stats 2011 online]。フェイスブックの普及率は、アメリカに次ぐ第 2位で、そのユーザーは 38,518,380人になり、過去半年でユーザーの増加率は 1.72%である[Socialbakers 2011]。

16 ギデンスは、貨幣に焦点を当てている[ギデンス 1999:36]。

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合地 幸子