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Asian and African Languages and Linguistics, No.3, 2008 日本語の品詞体系の通言語的課題 加 藤 重 広 (北海道大学) Crosslinguistic Analysis on Part-of-speech System and Peripheral Categories in Japanese KATO, Shigehiro Hokkaido University Most of part-of-speech classifications in the Japanese language proposed so far have laid too much stress upon morphological analysis, which led to atomistic part-of-speech frameworks. In recent linguistic studies opposing to the morphological approaches, grammatical forms, such as auxiliary verbs and postpositions, are determined on functional or semantic criteria, which has brought about more inconsistencies than the former morphology-oriented part-of-speech system in the Japanese grammar. The author illustrates the fact that Japanese conjunctives are not syntactic but lexical, and suggests that the categories for Rentaishi (attributives) and Keiyo-doshi (adjectival nouns) be either abandoned or demoted into the subcategories. キーワード:日本語,品詞体系,機能的統合性,形態論的単位,語彙的・統語的接続詞 Keywords: Japanese, Part-of-speech System, Functional Integrity, Morphological Unit, Lexical and Syntactic Conjunctives 1. はじめに 2. 日本語における接続詞 3. 日本語における連体詞 4. 助動詞に見る機能主義 5. 形容動詞の意味と形態 6. 日本語品詞論における機能と形態の位置づけ方 7. 終わりに

Crosslinguistic Analysis on Part-of-speech System …repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/51097/1/aall003002.pdfformer morphology-oriented part-of-speech system in the Japanese grammar

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Asian and African Languages and Linguistics, No.3, 2008

日本語の品詞体系の通言語的課題

加 藤 重 広 (北海道大学)

Crosslinguistic Analysis on Part-of-speech System and Peripheral Categories in Japanese

KATO, Shigehiro Hokkaido University

Most of part-of-speech classifications in the Japanese language proposed so far have laid too much stress upon morphological analysis, which led to atomistic part-of-speech frameworks. In recent linguistic studies opposing to the morphological approaches, grammatical forms, such as auxiliary verbs and postpositions, are determined on functional or semantic criteria, which has brought about more inconsistencies than the former morphology-oriented part-of-speech system in the Japanese grammar. The author illustrates the fact that Japanese conjunctives are not syntactic but lexical, and suggests that the categories for Rentaishi (attributives) and Keiyo-doshi (adjectival nouns) be either abandoned or demoted into the subcategories.

キーワード:日本語,品詞体系,機能的統合性,形態論的単位,語彙的・統語的接続詞

Keywords: Japanese, Part-of-speech System, Functional Integrity, Morphological Unit, Lexical and Syntactic Conjunctives 1. はじめに 2. 日本語における接続詞 3. 日本語における連体詞 4. 助動詞に見る機能主義 5. 形容動詞の意味と形態 6. 日本語品詞論における機能と形態の位置づけ方 7. 終わりに

アジア・アフリカの言語と言語学 3 6

1. はじめに∗

本論は,日本語の品詞分類を通言語的に再検討することによって,品詞をめぐ

る課題には解決すべきいかなるものがあるかを明らかにすることを目指すもので

ある。

1.1. 便法としての品詞と言語普遍 品詞(parts of speech) が,古来「ことばの部品」として言語の研究や教授におい

て非常に便利な概念であったことは言うまでもない。教育に用いられる文法は規

範性だけでなく,原理原則としての普遍性も要求される。しかも,広く用いられ

る品詞体系であるためには,単純なものである必要もある。教授や学習の便宜を

重視すると,恣意的な基準によってカテゴリーが設定されたり,分類がなされた

りすることがありうるから,結果的に,構築された品詞体系が言語学的な記述か

ら離れて行ってしまうことが考えられる。 しかし,一方で,種々の言語の品詞体系を見ていくと,そこに通言語的に普遍

性が見いだされることもあり得る。例えば,Bybee (2006) は,5つの言語普遍を掲

げているが,その中には「全ての言語が名詞と動詞を持つ」という原則が含まれ

ている。また,Hengeveld et al. (2004) は,後に掲げるように,動詞と名詞のあいだ

の垣根が低く,品詞カテゴリーのタイプが柔軟に設定されうる言語類型も考えて

いるが,その類型を除くと,7類型のうち6つには動詞が含まれており,より動

詞に普遍性の高さを認めていると言うことができる。また,Croft (2003) では,語

の機能として,指示 (reference) と陳述 (predication) を想定するほかに,これらに限

定 (modification) を加え,それぞれに典型的に対応する品詞として名詞・動詞・形

容詞を考えている。これは,完全に意味機能に重心を置いてカテゴリーを立てる

品詞体系と見ることができる。個々の言語体系において自律的に成立するカテゴ

リーとは,言語使用者にとって,ある種の心理的実在 (psychological reality) である,

と考えるのが,現在における言語学的な見解的としては一般的であろう。 動詞という品詞カテゴリーを心理的実在と見なす,このような立場を一方の極

に置けば,もう一方の極には動詞という品詞カテゴリーは便宜上置かれたものに

過ぎず,必ずしも実態に対応しているとは限らないとする立場があることになる。

この立場では,品詞分類とは,言語を分析に扱う上での便法に過ぎないとする考

えに傾く。品詞体系をどう見るか,品詞分類をどう位置づけるか,については,

∗本稿は,東京外国語大学重点研究プロジェクト『言語の構造的多様性と言語理論』2007年度第1回研究会

(2007年6月30日,於・東京外国語大学AA研)での口頭発表,ならびに,日本言語学会第136回大会・ワー

クショップ1「言語の構造的多様性のなかでの品詞分類」(企画・中山俊秀)における口頭発表「日本語

から考える品詞の問題」を踏まえて,新たにまとめ直したものである。発表の際にコメントをいただいた

方々に感謝申し上げる。

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 7

いろいろな考え方があり得るが,どの品詞分類も,この2つの立場を両極とする

尺度のいずれかの位置にあると言っていいだろう。

1.2. 品詞体系の恣意性 Dionysios ThraxのTechnē Grammatikēで与えられた8つの品詞がラテン語文法に

も引き継がれたことはよく知られている。しかし,古典ギリシア語が持つ冠詞

(ά̉ρθρον) をラテン語は持たず,ギリシア語になくてラテン語が代わりに持ってい

るというような都合よい品詞があるわけではない。結局,ラテン語文法では,間

投詞 (interiectiō) が追加され,帳尻が合わされることになる。この8品詞の枠組み

は,その後も引き継がれ,ヨーロッパにおける古典語教育などにおける文法の原

形として強い影響力を持った。もちろん,8品詞という数がそれほど厳密に守ら

れたわけではなく,いわゆるポール・ロワイヤル文法では,古典ギリシア語の8

品詞にラテン文法で代償的に加えられた間投詞を加えて9品詞になっている1。日

本も近代になって,いくつかの文法が提案された2が,そのなかで先駆的な大槻文

彦による大槻文法では,やはり8品詞が立てられており,西欧文法の枠組みがそ

の基盤にあることが窺える。 現代の文法研究の立場からすれば,古典期から 19 世紀まで,名詞と形容詞が一

括されて1つのカテゴリーに入っていたことに違和感を覚えるが,これは,西欧

語の多くで,名詞と形容詞のパラダイムを分ける必要がなかったことによる。ポ

ール・ロワイヤル文法では,意味的な違いによって,いわゆる純然たる名詞のほ

うを noms substantifs(実質名詞),形容詞のほうを noms adjectifs(形容名詞)と

分けているが,品詞分類の基準がまず形態論にあったことは疑う余地がない。 しかし,形態上の基準ですべての品詞分類が完成するわけではなく,形態だけ

では区分できない場合があることは,私たちが経験的に知るところである。そこ

で,別の基準が導入されることになり,複数の基準が混在する事態になる。その

とき,基準の適用に明確な決まりがなければ,結果的に,品詞分類には恣意性が

見られることになる。

1 もっとも,この枠組みでは,名詞・冠詞・代名詞・分詞・前置詞・副詞は「思考の対象」(les objets des pensées)を表すたぐいの語であり,動詞・接続詞・間投詞が「思考の様式」(la maniere des pensées)を表すたぐいの語

と二分されている (Lancelot et Arnauld 1966:94) から,名詞と動詞の二極を想定する現代的な視点に通ずるも

のがあると言うこともできるだろう。 2 いわゆる「品詞」に相当する概念を踏まえて,語のカテゴリーを区分するという意味では,大槻文彦が品

詞論のごく初期に位置すると本論は考える。一般的には,富士谷成章の「名(な)・装(よそひ)・挿頭

(かざし)・脚結(あゆひ)」の4分類をもって,日本語の品詞の体系的分類が始まったと見なすことが

多い。これは,これ以降の活用形態に重点を置く分類と一線を画し,のちに山田文法に引き継がれるなど,

注目に値するが,「品詞」という概念で比定する対象としてよいかはいまだ検討を要する。本論では,大

槻以降の近代文法が比定の対象と適当であるとして議論する。中古の文献でも,概念語に対して機能語を

小さく添え字のように書くことから,品詞意識の芽生えと見なすことがあるが,本論は,背景にカテゴリ

ーの違いの理解があったにしても,これも主として表記上の慣用と便宜であったと考えたい。

アジア・アフリカの言語と言語学 3 8

現に,Lyons (1977:425) は,morphological / syntactic / semantic の3つのレベルを

想定して解明することを述べており,橋本進吉(1948:43) では,①語義,②語形,

③職能の3つの基準が挙げられることを述べている。いずれのレベルや基準がど

ういう条件下で優先されるのかを明確に定めることは難しく,結果的に一貫しな

い分類が得られることになりかねない。 次節では,日本語の代表的な品詞区分を比較することで,どのように恣意性が

見られるかを確認したい。

1.3. 日本語品詞体系論の対照 ここでは,日本語の品詞分類の主なものを表の形にして掲げる。近代文法の最

初のものとして,大槻文彦 (1891, 1897a, 1897b),それに続く山田文法の山田孝雄 (1908, 1930),松下文法の松下大三郎 (1930),学校文法の基盤となった橋本文法の

橋本進吉 (1948, 1959),の品詞分類を検討することにしよう。 名称が同じでも,個々の品詞の定義は文法学者ごとに異なるが,「名詞」「動

詞」「形容詞」に大きな違いはない。また,「助詞」もおおむね同じような概念

と見てよく,松下は,「語」として扱っていないが,概念としてはおおむね違い

がない。

表1 近代文法における品詞分類 学校 大槻 山田 松下 橋本 時枝 名詞 名詞 体言 名詞 体言 体言 動詞 動詞 動詞 動作動詞 動詞 動詞 形容詞 形容詞 形容詞 形容動詞 形容詞 形容詞 形容動詞 (形容動詞) 接続詞 接続詞 接続詞 接続詞 副詞 副詞

副詞 副詞 副詞

感動詞 感動詞 副用語

感動詞 感動詞 感動詞 連体詞 副体詞 副体詞 連体詞 助動詞 助動詞 (複語尾) (動助辞) 助動詞 助動詞

助詞 弖尓乎波て に を は

助詞 (静助詞) 助詞 助詞

山田は,助動詞にあたるものを動詞の複雑な語尾のようなものとして「複語尾」

とし,自立的な単語の一種と見ない。また,松下も「動助辞」は「不完辞」の一

種として,語として品詞分類の対象になりうる「完辞」とは区別している。しか

し,これらは,「自立語」ではないという点をもって,他と区分しているだけで

あり,定義や所属する形式が大きく異なるというわけではない。

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 9

最も明確な違いがあるのは,学校文法でいう「形容動詞」である。形容動詞は,

初期の橋本文法では想定されていないが,のちに形容動詞を置くことが述べられ

るようになった。また,大槻文法では学校文法で言う「連体詞」がなく,山田文

法にもない。例えば,これらの文法では「この」は「こ」と「の」に分けられ,

「こ」は代名詞(名詞・体言の下位区分),「の」は助詞・弖尓乎波と扱われる

ことになる。松下文法で導入された「副体詞」という名称は時枝以降「連体詞」

と称され,今では学校文法でも「連体詞」と呼ばれている。「接続詞」は,山田

文法と松下文法では,「副詞」「副用語」の一種とされているため,下位のカテ

ゴリーには存在するものの,品詞カテゴリーとしては置かれない。 ここで,「名詞」「動詞」「形容詞」といったたぐいを「主要な品詞カテゴリ

ー」とし,それ以外を「周辺的な品詞カテゴリー」と呼ぶとすると,日本語の品

詞分類については以下のように理解することができそうである。

(1) 名詞・形容詞・動詞といった主要な品詞カテゴリーの設定につい

ては異論がない。 (2) 形容動詞の設定には異論が見られる。 (3) 周辺的な品詞カテゴリーについては,いわゆる「辞」のたぐいを

「詞」のたぐいと同じように扱うかどうかが論点になる。 (4) 周辺的な品詞カテゴリーのうち副詞・接続詞・感動詞・連体詞に

ついては,どういうレベルでカテゴリーを想定するかが論点にな

り,その判断の違いがこれらの品詞カテゴリーを設けるべきかの

体系全体に影響する。 このうち,(2) はいわゆる形容動詞論争としてこれまで議論がなされてきた。現

在でも,形容動詞にあたるカテゴリーを設定する立場と設定しない立場が見られ

る。前者では,形容動詞を形容詞とまとめて「(広義の) 形容詞という1つのカ

テゴリー」とすることが多く,後者では,いわゆる形容動詞の語幹を名詞として

扱うことが多い。先の Lyons の3つのレベルで言えば,「意味的」なレベルでは,

形容動詞は形容詞と見ることができる。しかし,形態論的には,部分的な例外は

あるものの,名詞に近い。この点はあとで再度取り上げる。 次に(3) は,品詞の認定や分類の前に,「辞」を語として認めるか,という問題

と見ることができる。自立性は,音韻レベル・形態レベル・統語レベル・意味レ

ベルで異なることがあり得る。

(5) 食べ - たろ - う (6) 食べ - た - だろ - う

アジア・アフリカの言語と言語学 3 10

例えば,(5) の「たろう」は,一般的に「た」の未然形の「たろ」に助動詞「う」

がついたと扱われる。(6) の「だろう」は,伝統的には「だ」の未然形「だろ」に

助動詞「う」がついたものと扱うので,2つの形式の統合したものと見なされる。

従って,「ただろう」は3つの助動詞のシンタグマとなる。ただし,これは形態

論的な処理である。 一方,「だろう」に語彙的統合性を認めて1つの機能的単位と見なせば,これ

を複合的な助動詞と見なすことは可能である。これは,意味的なレベルの処理で

ある。形態論的な原理と意味的な基準が,一致する保証はない。形態論的な基準

では分析的に扱う傾向が強いのに対し,意味的な基準では総合的に扱う傾向が強

いことは窺えるが,これがどの程度の普遍性を持つかは簡単に判断できない。 また,もう1つ,考えておくべきことがある。形式の統合性には,通時的な判

断や知識が関わるということである。言語研究者が理論的に,共時態と通時態を

区別することはもちろん可能だが,これはいわば技術的な区別である。言語使用

者の心的辞書において,通時的要素を完全に排除した「理想的な共時辞書」を想

定することは理論的に可能であるとしても,実態をそのように記述するべきだと

は言えない。 「だろう」は,「だろ+う」のように共時的には2形態素に分解できるが,こ

れは,「で+あら+む」にすれば3形態素,「に+て+あら+む」とすれば4形

態素となる。とすれば,そもそも「だろ+う」と2形態素にする共時性の根拠を

どこに見いだせばよいのか,という問題が出てくる。「喉」は歴史的には「飲み

+戸」の合成形に音韻変化が生じた結果と言われるが,2形態素の統合と見なす

現代人は皆無だろう。しかし,「湖」であれば「ミズ(水) +ウミ(海) 」に分析

して理解することは現代人にも可能である。あとで指摘をするが,活用の中には,

本来持っていた活用形を部分的に失った結果,品詞分類上の扱いが変わってしま

うものが見られる。 以上で見たことを,次のようにまとめておこう。なお,ここでいう「通時性」

とは,古い語形や語源についての知識などに基づいてなんらかの判断がなされる

ことを指している。

(7) 語や形態素という単位の認定には,通時性をどう関与させるかと

いう問題がある。通時性を完全に排除した理想状態の共時態にお

ける心的辞書は理論的仮構物としてはあり得るが,現実の言語使

用者の心的辞書における語彙には不可避的に通時性が関与する。 (8) 機能性が顕在化すると機能的な統合性が高まり,機能上の単位の

ほうが形態論的な単位よりも、心的辞書において強く作用するこ

とがある。

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 11

母語でない言語を記述する場合,形態論的な記述が機能論的な記述に優先せ

ざるを得ないことは言うまでもない。 以下では,個々の品詞についての問題が,一般言語学的にみてどのような課題

なのかを考える。具体的には,まず,接続詞(第 2 節),連体詞(第 3 節),助

動詞(第 4 節),形容動詞(第 5 節)を取り上げ,日本語の品詞論において機能

性が重視されているようでありながら,そこに恣意性が見られることを検証する。

ついで,形態よりも機能性を重視する現状を踏まえながら,日本語の品詞再構築

への試案を提案する(第 6 節) ことにしたい。

2. 日本語における接続詞

さきに見たように,山田文法では接続詞という品詞はたてておらず,副詞の下

位分類として接続に関わる副詞が置かれているに過ぎない。

(9) 太郎は成績優秀だから,特待生に選ばれた。 (10) 太郎は成績優秀だ。だから,特待生に選ばれた。

接続詞「だから」は,助動詞「だ」と助詞「から」が統合して,語彙化した

ことによって生じたものである。これはあとで検証するように,日本語のすべて

の接続詞についてあてはまる事実であり,日本語には,単独の形態素からなる接

続詞が存在していなかったこと,すべての接続詞がなんらかの語彙化によって生

じたものであること,が確認できる。 例文(9) における「だから」は,助動詞「だ」に接続助詞「から」が続いたもの

であり,「から」が専ら接続関係を決めている。これと(10) における「だから」

は形式の上では同一だが,全体で1つの接続詞として扱われる。問題は,接続形

式(日本語におけるいわゆる接続詞と接続助詞の双方を含む) が接続関係をどれ

だけ決めているのか,という問題である。 すでに,Givón (1990:890f) では,通言語的に言語タイプと接続形式の一般的な対

応関係について,以下のように指摘している。

(11) a. VO language: [first clause]. conj-[second clause] b. OV langauge: [first clause]-conj, [second clause] この指摘通り,接続の機能を果たしているのは,OV 言語である日本語の場合,

前件となる節全体に後続する接続形式,すなわち接続助詞である。(10) における

「太郎は成績優秀だ」と「特待生に選ばれた」は,ともに主節であり,「だから」

の有無でその事実が変わることはない。しかし,(9) では「から」があることで,

「太郎は成績優秀だ」が従属節になっている。日本語では,接続助詞だけが,こ

アジア・アフリカの言語と言語学 3 12

の従位化(subordination) の機能を持っており,接続詞にはこの種の統語的な機能が

ない。 しかも,いわゆる接続詞は,位置的な制約が接続助詞に比べて緩い。(9) におけ

る「から」は他の位置に移動することはできない。しかし,(10) の「だから」は,

2つの文の境界部(第一文の末尾あるいは第二文の冒頭) に限定されない。多少

受容度がおちることがあるものの,「彼は,だから,…」のように,文頭以外に

移動することが可能である。例えば,(12) は (13) のように「しかし」の位置を文

頭以外にすることもできる。また,(14) のように,接続助詞によってつないだ2

文のあいだにも現れることが許され,さらに,(15) のように,位置を変えること

も構造的には可能である。(加藤重広 2001a, 2001b)

(12) 太郎は成績優秀だ。しかし,彼は特待生に選ばれなかった。 (13) 太郎は成績優秀だ。彼は,しかし,特待生に選ばれなかった。 (14) 太郎は成績優秀だが,しかし,特待生に選ばれなかった。 (15) 太郎は成績優秀だが,彼は,しかし,特待生に選ばれなかった。

以上の事実は,日本語の接続詞が,《統語的な接続詞》ではなく,意味上2つ

の文の接続に関わる解釈を示す《意味的な接続詞》に過ぎないことを示している。

西欧語で従属節を導く接続詞を文から削除すると,文は構造的に成立せず,非文

になってしまう。この種のものは,統語的な接続詞と認めることができる。日本

語において,統語的な接続を担うのは,接続助詞であるが,これは,「詞」では

なく「辞」であることから,従来の日本語の品詞論では,「接続詞」でなく,「助

詞」の一種と見なされる。一方,日本語の接続詞は,それを削除することで,2

文の関係が不明確になったり,一貫性が後退したりはするが,構造的に不適格に

なるようなものではない。いわば,語彙的な接続詞である。

表2 2つの接続詞との対応関係 統語的な接続詞 (西欧語の) 接続詞 (日本語の) 接続助詞 語彙的な接続詞 (西欧語の) 接続副詞 (日本語の) 接続詞

日本語の接続詞は語彙的な接続詞であって,統語構造に関与しない。統語構造

を形成する統語的な接続詞と見るべきは,接続助詞である。しかし,接続助詞は,

日本語においては,活用せざる辞の一種であると見て,助詞の下位分類としてカ

テゴリーがたてられる。よって,西欧語と日本語では,接続詞が対応しないまま

なのである。語彙的な接続詞は,Givón (1990:891) に言うように,coginitive reorientation を表示することを専らとし,統語的な「接続」の機能は持たないので,

これを機能論的に談話標識 (discourse marker) と扱う立場が見られる。しかし,談

話標識は,品詞的なカテゴリーではない。山田文法のように,語彙的な接続詞を

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 13

副詞の一種たる接続副詞に分類すれば,西欧語も日本語も接続副詞という扱いに

なり,対応関係が明確になるが,この場合,接続詞というカテゴリーは日本語の

品詞において不要なカテゴリーになる。 もう1つの重要な問題は,前述のように,日本語の接続詞がいずれも語彙化に

よって生じたものであり,本来的にはおおむね複数の語の複合からなっていると

いう点である。 ここで,試みに,『岩波国語辞典第六版』で「接続詞」の表示があるもの,ま

た「接続詞的に使う」と注記のあるものを拾い出し,その本来の語構成を復元し

て分類すると,下のようになる。便宜上,A 名詞を含むもの,B 動詞を含むもの,

C 副詞を含むもの,D 助動詞を含むもの,E 助詞からなるもの,F その他,と大く

くりに分けて分類を行った。a ( b) は,「文語形 a に対して現代口語形 b がある

もの」あるいは「古語文語形 a に対して現代文語形 b があるもの」,a ( b) は,

「文語形 a に対して古語復元形 b があるもの」の意である。また「て」は接続助

詞であるから,助詞の一種であるが,特に多いため独立させた。「はたまた」「し

かしながら」のように,接続詞にさらに別の形式が付加されていると見うるもの

は除外してある。

表3 接続詞の通時的語構成

名詞+助詞/形式名詞+

助詞

A-1 おまけに,ただし,ときに,ところが,と

ころで A-2 ものを,故に,ために

名詞 A-3 ただ,また,一方,他方,もっとも, 代名詞+助詞/代名詞+

助詞+助詞 A-4 そこで,それから,それで,それに A-5 それとも

A

代名詞+助詞+名詞 A-6 そのうえ,そのくせ, 動詞連用形 B-1 及び 動詞連用形+助詞「て」 B-2 よって,従って,して,次いで,以て, 動詞+助詞/動詞+助詞

+助詞 B-3 要するに,すると,ちなみに,ならびに B-4 あるいは

助詞+助詞+動詞 B-5 とは言え,ともあれ, B

助詞+助詞+動詞+助動

詞 B-6 にもかかわらず,

副詞 C-1 且つ,すなわち,なお 副詞+助詞/副詞+助詞

+助詞 C-2 且つは,しかも C-3 (しかあれかし ) しかし,もしくは

C

副詞+動詞+助詞「て」 C-4 かくして,かくありて( かくて) ,さあ

りて( さて) ,しかして,そうして( そし

て) ,

アジア・アフリカの言語と言語学 3 14

副詞+動詞+助詞 C-5 しからば( しかあらば) ,しかるに(

しかあるに) 助動詞+助詞 D-1 けれど( けど) ,だが,だから,

D 助動詞+助詞+助詞 D-2 けれども,だって( だとて) ,なので,

E 助詞/助詞+助詞 E-1 と,で E-2 では,でも,ので,

F 形容詞連用形 F-1 同じく これらを見て気づくことは,指示詞を含むか,指示詞を付加しうるという点で,

強く照応性を持つものが見られる(加藤 2001a, 2001b)ということである。本来

的な接続詞が疑われるものは副詞単独の転用であるC-1「且つ,すなわち3,なお」

だけである。日本語の名詞はゼロ助詞化することで連用成分になることがあり,

A-3 は名詞からの転用である。B-1, B-2 とF-1 は動詞連用形と形容詞連用形からの

転用である。やや特殊なのが,動詞命令形に由来するB-5 であるが,「知ってい

るにしろ,知らないにしろ」のように命令形が譲歩句となることは,「知ってい

るにせよ,知らないにせよ」などの形で文語でも見られ,実質的に「知っている

にしても,知らないにしても」に相当するもので,広く見られる。残りは,すべ

て格助詞か接続助詞か副助詞を末尾に含む形式で,全体的に見て,連用成分の資

格を備えており,副詞と見なすことが可能なものばかりである。 つまり,統語的には《副詞的成分》であり,照応性を持っていたり,前後のつ

なぎに関わる解釈を指定する意味が顕在的であったりするために,意味的・機能

的に《接続に関わる要素》と見なされているに過ぎない。加えて,上で確認した

ものの中には,本来的に固有の接続詞と分類しなければならないものは皆無であ

る。また,子細に見れば,多くが接続助詞を末尾に含むことで接続に関わる意味

を帯びていることがわかり,接続助詞の自立形式化と見ることもできる。 以上で確認した事実からは,積極的に「接続詞」を1品詞として設定する明確

な根拠は得られない。従って,本論は日本語の品詞において「接続詞」を立てず

に,副詞などの下位分類として対処する考えを支持する4。 西欧語は,(1) that / daß / queのような,語彙性が退行して統語性のみの接続詞,

(2) because / weil / parce queのように語彙性を有しながら統語性を持つ接続詞,(3) 3 『日本国語大辞典(第二版)』(小学館)によると,「スナハチ」の「ス(ナ)」と指示語の転とし,「ハ

チ」を名詞の転と見る語源説が多いようだが,特に有力な語源説はないようである。 4 1つの品詞カテゴリーを,①新たに設ける,②廃する,③上位か下位のカテゴリーに位置づけを変える,

という場合には,品詞体系全体との関わりを考えないわけにはいかないから,「接続詞」というカテゴリ

ーだけを体系から切り離して,妥当性を欠くという議論はできない。結局,どのレベルでカテゴリーをた

てるかは,品詞の体系のあり方に依存するのであり,品詞体系上必要とされるカテゴリーとして「接続詞」

を設けるべき体系が構築されているのならば,それは必要且つ妥当なカテゴリーとして認められるべきで

ある。本論は,副詞との連続性を重視し,接続詞を含めた品詞体系の再編を念頭に置いて,従来の接続詞

を単独の自立的なカテゴリーと見なさないという考えである。

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 15

therefore / doch / cependentなど統語的な制約が緩く副詞と見うる接続(副) 詞など,

統語的な接続詞から語彙的な接続詞へ段階的に分布が見られる5のに対して,日本

語では,自立性のない助詞のなかに統語的な接続詞が見られ,いわゆる接続詞は

語彙的な接続詞で統語的なカテゴリーとしては副詞に近いか,副詞に含まれる。

つまり,統語的な接続詞と語彙的な接続詞は,日本語の品詞体系において不連続

な分布を見せており,統語上接続に強く関与する要素は,いわゆる語彙的な接続

詞とは別のカテゴリーに含まれ,そのサブカテゴリーをなしている。日本語の語

彙的接続詞は,西欧文法では実体性のある「接続詞」というカテゴリーの鏡像あ

るいは理論的対応物として設定されたものと見るのが妥当だと本論は考える。少

なくとも,「接続詞」というカテゴリーを設けるのであれば,それを措定すべき

根拠が日本語の品詞体系のなかで示されなければならない6。

3. 日本語における連体詞

連体詞という品詞も,学校文法では習うものの,実体性のないカテゴリーであ

る。これが,古典文の解釈上,無用に品詞分解を複雑にさせないなどの目的で導

入されることは,便宜上の理由として妥当であり,十分理解される。また,活用

上,連体修飾に特化した形式を1つのカテゴリーとして括ることにも,それなり

の動機と妥当性がある。しかし,この「連体詞」も,加藤(2008) に言うように,

本来的に存在していたものではなく,連用修飾形や述定形などとの連絡が失われ,

連体修飾の形式のみが残存した(例えば「主たる」「単なる」など) か,慣用的

な表現として確立したことで連体修飾表現のみが用いられている(例えば,「あ

らゆる」「在りし」など) か,おおむねいずれかであって,自立的な統語上のカ

テゴリーとして特に設けなければならないとは言えない一群になっている。加藤

(2008) では,前者を非連語的なもの,後者を連語的なものとして区分しているが,

いずれも,複合形式が連体修飾に特化したと説明できるものばかりである。 もちろん,連体詞を設けるメリットもある。「いわゆる」「単なる」など,分

解可能であっても,分解した形式の収容先がないものについては,一応の受け入

れ先があることが1つのメリットであろう。しかし,これは,連体詞を設けない

ことによるデメリットを回避するためのものであり,積極的に連体詞を設ける理

由とは言い難い。いわば,これまで立ててきたという歴史的事実に鑑みて,品詞

体系を修正しないという消極的な対応である。

5 先の二分法では,西欧語においては (1)(2) が統語的な接続詞,(3) を語彙的な接続詞としているが,これ

は,日本語との対照のための便宜的な分類である。もっと細かに分類すべき可能性は排除されない。 6 もちろん,西欧語をはじめとする諸外国語の習得や文法教授において,接続語を導入しやすくするといっ

た便宜上の目的は考えられる。しかし,それは記述文法ではなく,教育文法や学校文法という枠組みの中

でのみ有効なものに過ぎない。

アジア・アフリカの言語と言語学 3 16

「いわゆる」は「言ふ」の未然形「言は」に古代の助動詞「ゆ」がついた「言

はゆ」の連体形「いはゆる」であるから,「いわ」という動詞未然形と「ゆる」

という助動詞連体形に分解できる。しかし,現代語に「ゆ」という助動詞はない。

つまり,連体詞は共時的に説明できない形式を緊急避難的に収容するカテゴリー

として,設定する意味はあることになる。 しかし,連体詞という品詞の設定は,共時的な体系性の不合理を吸収するため

の措置に過ぎないから,これに変わる解決策があれば,かならずしも連体詞措定

という解決策に頼らなくてもよいとは言える。加藤 (2003) は,連体詞が連体修飾

に特化しているのに対して,副詞はすべてが連用修飾に特化しているわけではな

いことを踏まえて,名詞(形容動詞語幹を含む) と副詞と連体詞を大範疇として

括り,そのサブカテゴリーとして対処する案を提案している。本論では,大範疇

として「体詞」を立てて,その下位範疇を立てていく試案を第 6 節で論じる。

4. 助動詞に見る機能主義

橋本文法やその亜形である学校文法では,助動詞を形態論的に設定しているた

め,基本的に助動詞は形態素1つからなると言うことができる(ただし,「に+

あり」 「なり」のように融合したものも1形態素とここでは見ておく) 。しか

し,最近の日本語研究では,助動詞は複数の形態素からなる複合形式を積極的に

認める傾向が強い。本論は,ここから機能重視の傾向,機能主義的な言語観,機

能的単位の優位性が生じていると見ている。例えば,加藤 (2006:36) は,助動詞の

分類として以下のような表を掲げている。

表4 加藤 (2006) による助動詞分類 用法種別 基本助動詞 複合助動詞 残存助動詞

受動助動詞 れる・られる 使役助動詞 せる・させる・す しむ・しめる テンス助動詞 た き・し・けり アスペクト助動詞 ている・てある れる

ィ 否定助動詞 ない ず・ぬ・ん

意志助動詞 う つもりだ む・ん 意志否定助動詞 まい まじ 希求助動詞 たい・たがる 認識助動詞 らしい そうだ・ようだ・みた

いだ・かもしれない べし・ごとし

義務助動詞 べきだ なければならない べし

伝達助動詞 のだ・わけだ

これは,論者の最終的な助動詞像と同一ではなく,基本的な枠組みとして示し

たものに過ぎないが,注目したいのは複合助動詞と呼ばれる一群である。1980 年

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 17

代以降の日本文法の研究では,「ている」を1つの助動詞として扱うことが一般

的となり,「そうだ」「ようだ」「みたいだ」なども寺村 (1982) 以降,ムードの

助動詞7などと呼ばれ,1つの助動詞として扱われることが多くなった。もちろん,

これらは,形態論的には複数の形態素の複合によって成立しているものであり,

形態論的な1語ではないから伝統的な学校文法では助動詞として扱われない。そ

れなのに,これらを助動詞として扱うのは,機能的な統合性を認めることができ

るからである。ただし,意味的なまとまりは,直観的な判断に依存することにな

り,なかなか科学的には判断しにくい。科学的なテストとして考えられるのは,

範列関係性 (paradigmaticality) である。つぎの (16) の下線部には「らしい」という

助動詞が使われているが,(17)-(20) に見るように,代わりに「はずだ」「ようだ」

「みたいだ」「つもりだ」上の複合助動詞を用いることが可能である。

(16) 太郎は,その研究会に参加するらしいね。 (17) 太郎は,その研究会に参加するはずだね。 (18) 太郎は,その研究会に参加するようだね。 (19) 太郎は,その研究会に参加するみたいだね。 (20) 太郎は,その研究会に参加するつもりだね。

もちろん,範列関係性の判定はそれほど単純でない。(16) だけの条件であれば,

(21)-(23) の「という」「という話だ」「という噂だ」も助動詞と認めることにな

る。

(21) 太郎は,その研究会に参加するというね。 (22) 太郎は,その研究会に参加するという話だね。 (23) 太郎は,その研究会に参加するという噂だね。

しかし,これら(25)-(27) に見るように,(24) の「らしい」とはふるまいが異な

ることがわかる。

(24) *太郎は,その研究会に参加するようだらしい。 (25) 太郎は,その研究会に参加するようだという。 (26) 太郎は,その研究会に参加するようだという話だ。 (27) 太郎は,その研究会に参加するようだという噂だ。

7 なお,Palmer (2001) が言うように,moodは形態論的なシステムと規定されうる文法範疇であって,日本

語ではmodalityと呼ぶべき意味機能的要素になっているので,近年「ムードの助動詞」という一般言語学的

にみて適切でない名称は使われなくなりつつある。

アジア・アフリカの言語と言語学 3 18

シンタグマをコントロールしながら,範列関係性の共通性を根拠に一定のカテ

ゴリーをつくることは可能であろう。もちろん,これは文の構成要素としての機

能性とシンタグマ形成上の特性に基づくカテゴリーであり,意味的にモダリティ

として扱うべきかという判断も関わっている。この種の複合的なカテゴリーの妥

当性についてはさらに検証が必要だが,重要なことは,機能的な特性をより重視

する助動詞カテゴリーに移行する強い傾向が近年の日本語研究において広く見ら

れるということである。ひるがえって,伝統的な助動詞を見れば,形態論的な基

準に基づく助動詞カテゴリーを用いていたということになる。 学校文法や伝統的な文法論が,形態論的な基準に基づく助動詞カテゴリーを用

いていたのは,助動詞の文法化が中古の日本語ではそれほど進んでいなかったこ

ともあり,1形態素と見なせる形式のみを助動詞と扱うだけで,記述上大きな問

題が生じなかったということもあろう。 近年の日本語研究では,従来の形態論的な処理に基盤をおく助動詞カテゴリー

のみでは,うまく記述ができないこともあり,機能と意味に重点をおく記述に移

行してきている。橋本進吉による学校文法は,形態論を重視した文法であるが,

近年,日本語文法における意味機能への傾斜が形態論重視の伝統的な枠組みとの

齟齬を大きくしていることは問題であり,全体の体系が歪つになっていることは

否定できない。 また,モダリティ助動詞は,機能的な統合体という面が強いので,構成する要

素に対して,機能的な指定は強いが,形態的な指定が弱いことが多い。

(28) 花子は,報告書を書かなければならない。 (29) {なければ/ねば/ないと/なかったら/しなくては}+{なら

ない/いけない/駄目だ/まずい} (28) の下線部は義務をあらわすモダリティ助動詞と扱うことができるが,これ

は前半部分が「否定+仮定」からなり,後半部分は「不首尾表現」になっており,

形式じたいはこの意味的な条件を満たしていればよいため (29) のような組み合わ

せが可能である。 文をつくる「部品」は,1つのまとまった単位についての概念であると考えら

れるが,かつての形態上の単位から機能上の単位へ重心が移っていることが日本

語の品詞論を複雑にしている。明らかに複数の形態素からなる機能辞を複合辞と

呼んでまとめたものとしては,森田・松木 (1989) が初期の成果であるが,近年,

藤田(編)(2006) や東京外国語大学留学生日本語教育センターグループKANAME (編)(2007) など,記述・分析・教育への応用へと進んでいる。 助動詞・助詞といった機能辞について,単位の形態より単位の機能を重視する

のはやむを得ない面もある。しかし,記述上整理しておくべき問題も多い。

(30) 品詞についての問題 (31) *品詞につく問題

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 19

(32) *品詞についた問題 (33) 品詞について論じる (34) 今日の話は,品詞についてだ。 (35) *今日の話は,品詞に{つく/ついている/つきます/ついていま

す}。 (36) *今日の話は,品詞につくことだ。 (37) 品詞に関しての問題 (38) 品詞に関する問題 (39) *品詞に関した問題 (40) 品詞に関して論じる (41) 今日の話は,品詞に関してだ。 (42) *今日の話は,品詞に{関する/関している/関します}。 (43) 今日の話は,品詞に関することだ。

例えば,「について」と「に関して」はいずれも複合助詞として用いられ,語

構成も,格助詞+動詞連用形+接続助詞で全く同じである。しかし,(31) と (38) の違いに見るように,文法化の度合いが斉一ではない。機能に重点を置く品詞分類

はすでに大きな流れであるが,機能的な品詞体系があるべき形になるには,機能

的単位に基づく個々の(複合的な) 形式について,その意味・用法の精密な記述

が必要であろう。しかし,大まかな傾向としては,機能的単位を設定した後に用

法や意味といった機能面の記述が行われることが多く,その記述を踏まえて機能

的単位の妥当性を再検証することが少ないのが現状である。

5. 形容動詞の意味と形態

先に見たとおり,学校文法と晩年の橋本文法で形容動詞をたてていることを除

けば,1.2で見た他の文法論では形容動詞にあたる品詞を立てていない。形容動詞

という奇妙な名前は,文語において形容のはたらきとラ変動詞の活用を行うこと

による命名であるが,口語(=現代日本語) にあっては適切な名称とは言えなく

なっている(加藤2003)。形容動詞という名称自体が,なかば意味・機能,なか

ば形態を取り込んだものであり,意味と形態とのずれの問題を象徴的に示すもの

でもある8。但し,論者は,意味的に名詞に近く,叙述という機能について動詞に

近いと見るのであれば,形容動詞だけでなく形容詞にも共通する性質と見るべき

だろうと考えている。

8 なお,松下大三郎 (1930) では,いわゆる用言を「動詞」とし,「動作動詞」と「形容動詞」に分けている

が,前者はいわゆる動詞,後者はいわゆる形容詞(文語ではシで終わり,口語ではイで終わるもの)を指

し,ここでいういわゆる形容動詞は,松下 (1930) では「動作動詞」のうち「静止性」のものとなる。

アジア・アフリカの言語と言語学 3 20

(44) 太郎は幸せだ。 (45) 幸せな少年 (46) 花子は大学生だ。 (47) 大学生の花子 (48) 太郎は賢い。 (49) 賢い少年 (50) その作家は有名だ (51) 有名な作家 (52) *有名の作家 (53) その作家は無名だ (54) 無名の作家 (55) *無名な作家9

「幸せだ」という形容動詞を認める場合,一般的には「幸せだ」全体が1語と

数えられ,「幸せな」は連体形であり,1語と数えられる。これは,(49) の「賢

い」がいずれも1語とされるのと同じ理屈である。「幸せ」は形容動詞の語幹で

あり,形容動詞の一部に過ぎない。これに対して,(46) の「大学生だ」は「大学

生」という名詞に「だ」という助動詞10がついており,「大学生の」は「大学生」

という名詞に助詞の「の」がついているとされる。「だ」や「の」を1語とする

のであれば,(46) の「大学生だ」は2語であるが,「Xだ」という同じ形をしてい

る (44) の「幸せだ」は1語である。形容動詞に相当するカテゴリーを特に置くべ

きかどうかは古くから議論があるが,置くとした場合,次のような問題点が生ず

る。

(56) 「X だ」は,1語の場合と2語の場合があり,いずれであるかは

連体修飾で「な」を用いるかどうかで判断される。 (57) 「有名だ」と「無名だ」のように,母語話者の直観として形態構

造が大きく異なると思われないものでも,形容動詞1語と,名詞+助動

詞の2語に分けられる。また,連体修飾が「な」「の」いずれも可能で

「な」の使用にゆれ(あるいは生産性) が認められうる。 連体修飾に「な」が現れるかどうか11は,明確な基準にならないところがある

が,逆に,これを名詞と形容動詞(の語幹) の連続性と捉える論拠とする考えも

9 『岩波国語辞典第六版』『小学館日本国語大辞典第二版』などではいずれも「無名」を名詞と記述する。 10 学校文法他では助動詞,山田 (1908) は「存在詞」,三上章 (1953, 1955) は「準詞」,寺村 (1982) は「判定

詞」,加藤 (2006) は「軽動詞」とする。 11 連体ナ形が可能な場合は「的だ」をつけて形容動詞を作りにくい。例えば,規範的には「官僚な考え」

は不適格だが,「官僚的な考え」は適格である。もちろん,語種など別の要因で「的」がつかないことが

あるので,「的」の後接と「な」による連体修飾は裏表の関係になっていないが,「健康」「確実」「平

和」など一部の語彙を除けば,ある程度相補的な分布が見られる。

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 21

あり得る。また,借用語では「の」と「な」で意味の対立が生じることもある。

連体ナ形ではgradableに,連体ノ形では ungradableに傾くことが多いが,これも絶

対的なものではない。また,ナの生産性には典型的属性の引き出しやすさという

世界知識が関与する。

(58) その計測値は正確だ。 (59) 彼女の言うことは本当だ (60) この食器は不揃いだ。 (61) 不揃い{の / な}食器 (62) ラージ{の / な}サイズ (63) ブルー{*の / な}表情 (64) メタル{の / な}素材 (65) ブルー{の / *な}ビニールシート (66) 兄貴なキャラ・アニメなキャラ・田舎なところ・都会な雰囲気・

ゆるゆるの恰好 述定形では (58)(59)(60) のように見分けがつかない。意味的には,いずれもあ

る種の形容と見ることも可能であり,現に (59) を一種の形容表現とする考えも見

られる。これもまた,意味と機能に重点を置く品詞分類と言うべきだろう。(61) はナ形かノ形かで意味の明確な対立はないが,(62)(64) では使い分けが観察され,意

味の対立も見られる。(63) のように「憂鬱な」の意であれば連体修飾はナ形にな

るが,(65) のように単純に色を意味する場合は連体修飾はノ形になる。また,(66) にみるように俗用では「な」に生産性がある。 副詞の一部には形容動詞に転用するものが見られる。このために山田文法では,

「はるか」は副詞であり,副詞が形容にも用いるという扱いがされている。(67) は副詞であるが,(68) では形容動詞の連体形と見ることができ,(69) では形容動詞の

述定形(終止形) と見ることができる。

(67) 遙か遠いところ (68) 遙かなる国・遙かな国 (69) かの国,遙かなり。山頂までは未だ遙かだ。

また,先に 1.1 で見たように,Croft (2003) は,指示と述定に限定を加えて3つ

の大きなカテゴリーを立て,これをそれぞれ名詞と動詞と形容詞に対応させてい

る。従来,用言は動詞と形容詞という活用を持つ品詞からなり,形容動詞を立て

る場合は,これも用言のサブカテゴリーとするのが普通である。このことから,

通言語学的に,日本語は動詞タイプの形容詞を持つ言語とすることが多い。しか

し,「赤かった」は「赤くありたり」の縮約と変化によるものであり,「赤けれ

アジア・アフリカの言語と言語学 3 22

ば」も「赤くあれば」の縮約である。多くの場合に,「ある」という動詞の助け

を借りなければ,形容詞は過去形も仮定形もつくれない。また,以下に見るよう

に,副助詞の介在によって現れる軽動詞は,動詞だけが「する」であり,それ以

外は「ある」であることからも,形容詞が形態論的に見て必ずしも動詞タイプと

言えないことがわかる。

(70) 食べもする (71) 赤くもある (72) 静かでもある (73) 学生でもある

形容動詞を立てないことによる品詞体系の再編は,加藤 (2003) に述べたので,

ここでは繰り返さないが,あるカテゴリーを廃止することは,それを別のカテゴ

リーに収容すること(収容先を見つけること) だけでは解決しないのであり,体

系全体を考え直す必要があることを述べておきたい。

6. 日本語品詞論における機能と形態の位置づけ方

最後に,機能的に品詞を捉える方向性が,日本語の品詞論に見られるだけでな

く,通言語的な研究や類型論においても見られることを踏まえて,機能主義的品

詞論における普遍性のありかたがどのように議論されるのかを確認しよう。そこ

から,日本語の品詞体系の通言語的特徴が見えてくると本論では考える。 さて,先に述べたように,Hengeveld et al. (2004) は,語順と品詞性を類型論的

関心から検討して,品詞体系 (Pos; Parts-of-speech System) が flexible / differentiated / rigid なタイプを想定している。日本語は,4つの要素が指定される言語として

differentiated なタイプに分類されている。 この分類の基本的な方向性は,名詞と動詞を両極に,それを主要部とする補部

の組み合わせを連体修飾の形容詞と連用修飾の副詞を典型に見る,機能中心の分

類法と見てよいだろう。

表5 Hengeveld et al. (2004) による品詞体系の類型 Part-of-Speech System

Head of predicate phrase

Head of referential phrase

Modifier of referential phrase

Modifier of predicate phrase

1 contentive

2 verb non-verb Flexible

3 verb noun modifier

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 23

Differentiated 4 verb noun adjective manner

adjective

5 verb noun adjective -

6 verb noun - - Rigid

7 verb - - -

一方,國広哲弥 (1967, 1970) や杉浦茂夫 (1976) のように名詞を基軸とする見方も

ありうる。なお,國廣 (1967:237f, 1970:181f) では,品詞を意味的な観点から以下

のように考えている。

表6 國廣 (1967,1970) による品詞カテゴリーの序列 類 referent 品詞 1 特定的 固有名詞 2 同定名詞 3

独立的 普遍的

特徴名詞 形容詞・動詞・副詞 4 付随的 抽象名詞

5 冠詞・代名詞・前置詞・接続詞

6 φ

間投詞

┐ 意 味└ の 変 容 の 度 合

⇕ 強

弱 ⇕

強 本論は,言語の品詞体系に強い傾向があることを支持するものではあるが,厳

格な普遍性だとは考えていない。冒頭で触れた Bybee (2006) は,「全ての言語は

名詞と動詞を持つ」としているが,これが名詞というカテゴリーと動詞というカ

テゴリーがどの言語にも厳然と存在するという意味ならば,簡単に同意すること

はできない。名詞は確かに指示の機能を持ち,指示対象を示すのがその本質的機

能であるが,述部の一部になったり,述部そのものになったりするなど,述定の

機能を持つことが本来の機能と矛盾するわけではない。つまり,主たる機能(コ

ア)的なものが派生的な用法や周辺的な用法まで完全に支配するわけではないの

である。また,動詞は行為や状態などを表して述定に用いるのがその本質的な役

割であるが,抽象的な概念として指示に用いることは可能であり,やはり述定の

機能を持つことと指示の機能を果たすことに矛盾があるわけではない。

(74) 負けるが勝ち。 この文において「負ける」という動詞が「負ける(こと)」を抽象的な概念と

して指示し,「勝ち」という名詞が「勝ちだ」という述定性を持っているのであ

アジア・アフリカの言語と言語学 3 24

れば,動詞が述定を担う専用の要素で名詞が指示を担う専用の要素だとは言えな

い12。上の原則が,「本来的に動詞として用いる形式の品詞カテゴリー」や「無

標の用法が名詞である形式の品詞カテゴリー」ということであれば,むろん,問

題はない。しかし,その場合には,どのように対立が見られ,対立を利用してい

るか,どのような連続性があり,連続性をどのように不連続化するシステムがあ

るかを解明することが,一般言語学的には必要である。「無標の動詞というカテ

ゴリー」と「無標の名詞というカテゴリー」は,2つの極として言語が持ちやす

いものであることは否定できない。國廣 (1967, 1970) はその一方の極である名詞に

ヨリ強い普遍性を見いだしたものであろう。 日本語の動詞は,形態論的な特性から母音語幹動詞と子音語幹動詞に分けられ,

両者のあいだに活用や承接の差異が見られることは疑いがなく,これが膠着語で

ある日本語の重要な類型的特性を形成していることは明らかである(加藤 2007)。一方で,日本語は名詞を動詞や形容詞13に転用する形態論的なシステムを発達さ

せており,現在の動詞と形容詞をカテゴリーとして放棄したと仮定しても言語の

用をなすと見ることは可能である。その点をとれば,名詞優位の言語の性質を潜

在的に持っているということもできる。現に,借用語は原則として日本語は名詞

として語彙体系に取り込むという強固な原理を持っている。

表7 加藤 (2006) による,日本語における名詞の4類型

① スルをつけて動詞に用いうる - +

- 普通名詞 動作名詞 ② ダ・ナをつけて形容

(動 ) 詞に用いう

る + 状態名詞 両用名詞

名詞は,①スルをつけて動詞化することが可能であり,②ダをつけて形容詞化

することも可能である。存在物の名前などは,一般に①②のいずれもできない。

ごく少数ながら,①②のいずれも可能なものが含まれる。これらの分布をおおま

かに見てみると,動作性や変化性を持つと考え得るものがスルを後接して動詞化

し,状態や属性と解しうるものが連体修飾でナをとって形容動詞に用いられる,

など,意味特性が形態特性に制約を課していると考えることができる。

12 伝統的な国文法では,「負ける」は連体形と見なされ,名詞相当成分として用いられていると見ること

が多く,「勝ち」は動詞の連用形を名詞に転用した転成名詞であり,助動詞「だ」にあたるものを補いう

ると見る。従って,厳密には,「負ける」を純然たる動詞と見るべきでないとする考えもあり得る。また,

「勝ち」を名詞が述定を担っているとしない考えもあり得る。 13 ここで言う「形容詞」は,伝統的な品詞分類では形容動詞に分類されるものを指している。本論は形容

動詞という品詞を廃止する立場(加藤2003)であるが,ここでは,意味と機能の点で「Xする」が動詞,「Xな」「Xだ」が形容詞に相当するものと見ている。

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 25

(75) 時計が…/*時計な…/*時計する 普通名詞 (76) *立派が…/立派な…/*立派する 状態名詞 (77) 満足が(行く) /満足な/満足する 両用名詞 (78) 死去が…/*死去な…/死去する *死去をする/*死去を行う

動作名詞(語尾のスルと語幹を分離できないタイプ) (79) 練習が…/*練習な…/練習する 練習をする/ 練習を行う

動作名詞(語尾のスルと語幹を分離できるタイプ) ここでいう普通名詞のなかにも「本当」や「偽」など属性や状態を意味してい

ると解しうるものがあり,意味的には状態名詞に近いものが見られることは先に

述べたとおりである。もちろん,状態名詞や両用名詞,一部の普通名詞は,「に」

「で」「と」などを伴って副詞としても使える。従って,(80) のような文を日本

語で作ることは可能であり,これはごく一般的なものである。

(80) 太郎が,精巧な偽札を一気に使用する。 この例文は従来の国文法では (81) のように解析される。

(81) 太郎 -が, 精巧-な 偽札 -を 一気-に 固有名 主格 形容動詞 名詞 対格 副詞 使用 する。 名詞 動詞 しかし,品詞性を前面に出して以下のようにすることも考えられる。名詞を

動詞や形容詞や副詞に転用するための要素とみなすのである。

(82) 太郎 -が, 精巧 -な 偽札 -を 名詞 主格 名詞 形容詞化辞 名詞 対格

固有名 連用化 連体化 連用化 一気 -に 使用 -する。 名詞 副詞化辞 名詞 動詞化辞 連用化 述部化 実際の日本語には,膠着性を持つ用言が多く存在するので,名詞だけで文が

形成されることは多くない。しかし,他言語に思いを致して広く通言語学的に考

えるとき,従来の品詞分類を見直す必要があると強く感ずる。

アジア・アフリカの言語と言語学 3 26

加藤 (2003) では,従来の名詞・形容動詞・副詞・連体詞を廃してまとめること

を提案している。これらを統合したカテゴリーを試みにここで「体詞」と呼べば,

これは以下のように定義できる。「用言」は「体詞」にあわせて「用詞」とする14。

(83) 統辞形態要素を語の内部に含む形式を《用詞》と呼ぶ。 (84) 統辞形態要素を語の外部に持ちうる形式を《体詞》と呼ぶ。

この基準では,従来の形容動詞「有名だ」は,「有名」という体詞に「だ」や

「な」という外部形式がつくことになる。従来の副詞「さっぱり」はこれ自体が

体詞だが,外部形式がつかないままに連用修飾に用いることができる。(84) で「持

ちうる」としているのは,このように外部形式がないものも想定しているからで

ある。方法論としてはゼロ形態を立てることも考え得るが,ここではゼロ形態は

立てない。 「しっかり」という体詞は単独で外部形式なしでも副詞(連用修飾を行うもの) になるが,「と」という外部形式を伴ってもよい。「した」という外部形式を使

えば,連体修飾が可能であり,「しっかりした家具」のように使える。「してい

る」を外部形式に使えば,述定にも使える。「単」という体詞は,「なる」とい

う外部形式を使って,「単なる」という連体修飾形式になる。これが従来の連体

詞である。「に」という外部形式を使えば「単に」という連用修飾形式になる。

これは従来の副詞にあたる。外部形式の違いと見ることで,従来の連体詞「単な

る」と従来の副詞「単に」は体詞「単」を解して連絡を持つことになる。 体詞の中には,「単」のように外部形式なしでは,造語成分と区別しにくいも

のもあり,《被覆度》の度合いによって3ないし4程度の段階に分ける必要があ

ると考えている。格助詞は名詞につく外部の統辞形態要素であるが,連用成分(副

詞的要素) か連体成分かのいずれかの機能を持たせるはたらきをしている。副助

詞はおおむね連用成分を形成する機能を持つが,助詞どうしの承接は細かな規則

があり,大原則で記述可能な範囲にない。今後,枠組みを精緻化していく上での

課題になる。 用詞は,「食べる」(tabe-ru),「書く」(kak-u),「甘い」(ama-i) のように,統辞

形態的な要素(ハイフンのあとの部分) が語の内部にあるものを指す。用詞にお

ける統辞形態的な要素とは,従来「語尾」と称していたものに相当し,残りの部

分が「語幹」と呼んでいたものにあたる。 ここで提案している枠組みは,精緻化することによって新たな品詞体系を構築

する土台にすることも考えられるが,まだ整理し,記述すべきことが多く,現時

点は品詞論の再検討に一石を投じる提案という意味合いが大きい。 14 加藤 (2003) では「実詞」とし,さらにそれ以前は「《体言》」と暫定的に称していたものと同じだが,

いずれの名称も適切とは言い難い。

加藤重広:日本語の品詞体系の通言語学的課題 27

7. 終わりに

本論は,私たちが慣れ親しんでいる日本語の品詞体系と品詞分類の考え方にも,

西欧文法の品詞論などを先入主として作られている部分があるという認識をもと

に,今後精密な再検討が必要であることをいくつかの事象を取り上げて述べたも

のである。機会を捉えて,少しずつ部分的な再検証と全体的な再構築に取り組み

たいと考えている。

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