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1 台湾 TFT-LCD 産業 発展過程における日本企業と台湾政府の役割 赤羽 淳 はじめに TFT-LCD 1) とは、液晶パネルの一種である。アクティブ素子 TFT の発明は、1920 年代に 遡るが、事業化の過程では試行錯誤が繰り返され、日本企業の手により商品化がなされた のは 1980 年代になってからであった(沼上、1999: 352–357。今日、TFT-LCD はノートパソ コン、モニター、テレビ、携帯電話など幅広い製品に組み込まれており、我々の日常生活 に欠かせないものになっている。 台湾 TFT-LCD 産業の歴史はまだ浅いが、近年の発展は目覚しい。2002 年の生産金額は 2000 億元に達し、台湾経済においてすでに重要な地位を占めるようになった。また、国際 比較でいえば、その生産量はすでに日本を凌駕し、世界一の韓国に迫る勢いとなっている。 台湾企業が世界のパソコン生産の主役を担っていることを考えると、こうした電子デバイ (上流産業)への遡及は、望ましい経済発展の姿といえよう。 台湾における電子デバイスの生産といえば、半導体産業がその先駆けである。同産業の 立ち上げには莫大な初期投資が必要となるが、一般的にこのような場合、政府の積極的な 関与が想定される。なぜならそうした装置産業の立ち上げには、初期投資に伴うリスクが 大きく、民間企業単独では投資に踏み切りづらいからである。台湾の半導体産業について も、立ち上がりから 80 年代半ば過ぎまでは、政府が重要な役割を担ってきた(青山、1999: 93–136; 佐藤、2000: 65装置産業という意味では、TFT-LCD と半導体は類似点が多い。TFT-LCD の製造工程は、 パターン形成(アレイ)工程を中心に半導体と共通の部分が多く、生産ラインの稼動に必 要となる初期投資額は約 1,000 億円といわれている(岩井、2000: 104–111。また、この 2 の産業に対しては、多くの国の政府が関心を持つが、その理由は両者が IT 製品の心臓部 をなす高付加価値の部品であるからにほかならない。こうしたことから、TFT-LCD 産業の 発展においても、当該国政府の主導的役割を予め想定するのは至極自然な考え方といえよ う。 しかしながら、実際、台湾 TFT-LCD 産業の発展の系譜を紐解くと、こうしたアプリオ リな仮定とは異なる様相が浮かび上がってくる。まず、生産の立ち上がりは、日本からの 技術移転に基本的に依存していた。また、量産体制に入ってからは、短期間の内に生産量

台湾 TFT-LCD 産業 - JAAS台湾TFT-LCD 産業 3 ていない。当時、台湾では大型サイズのパネルの生産が主に日本からの技術移転により始 まっていたが、そのような台湾TFT-LCD

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    台湾 TFT-LCD産業発展過程における日本企業と台湾政府の役割

    赤羽 淳

    はじめに

    TFT-LCD1)とは、液晶パネルの一種である。アクティブ素子 TFTの発明は、1920年代に

    遡るが、事業化の過程では試行錯誤が繰り返され、日本企業の手により商品化がなされた

    のは 1980年代になってからであった(沼上、1999: 352–357)。今日、TFT-LCDはノートパソ

    コン、モニター、テレビ、携帯電話など幅広い製品に組み込まれており、我々の日常生活

    に欠かせないものになっている。

    台湾 TFT-LCD産業の歴史はまだ浅いが、近年の発展は目覚しい。2002年の生産金額は

    2000億元に達し、台湾経済においてすでに重要な地位を占めるようになった。また、国際

    比較でいえば、その生産量はすでに日本を凌駕し、世界一の韓国に迫る勢いとなっている。

    台湾企業が世界のパソコン生産の主役を担っていることを考えると、こうした電子デバイ

    ス(上流産業)への遡及は、望ましい経済発展の姿といえよう。

    台湾における電子デバイスの生産といえば、半導体産業がその先駆けである。同産業の

    立ち上げには莫大な初期投資が必要となるが、一般的にこのような場合、政府の積極的な

    関与が想定される。なぜならそうした装置産業の立ち上げには、初期投資に伴うリスクが

    大きく、民間企業単独では投資に踏み切りづらいからである。台湾の半導体産業について

    も、立ち上がりから 80年代半ば過ぎまでは、政府が重要な役割を担ってきた(青山、1999:

    93–136; 佐藤、2000: 65)。

    装置産業という意味では、TFT-LCDと半導体は類似点が多い。TFT-LCDの製造工程は、

    パターン形成(アレイ)工程を中心に半導体と共通の部分が多く、生産ラインの稼動に必

    要となる初期投資額は約 1,000億円といわれている(岩井、2000: 104–111)。また、この 2つ

    の産業に対しては、多くの国の政府が関心を持つが、その理由は両者が IT製品の心臓部

    をなす高付加価値の部品であるからにほかならない。こうしたことから、TFT-LCD産業の

    発展においても、当該国政府の主導的役割を予め想定するのは至極自然な考え方といえよ

    う。

    しかしながら、実際、台湾 TFT-LCD産業の発展の系譜を紐解くと、こうしたアプリオ

    リな仮定とは異なる様相が浮かび上がってくる。まず、生産の立ち上がりは、日本からの

    技術移転に基本的に依存していた。また、量産体制に入ってからは、短期間の内に生産量

  • 2 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    で日本を凌駕し、生産設備でも日本を上回る水準に達するが、そうした産業の進化の段階

    でも日本企業のコミットメントが大きく寄与していた。一方、こうした一連の過程におけ

    る台湾政府の役割は副次的なものにとどまり、それは商業生産の立ち上がり、発展を牽引

    するものではなかった。総合すると、台湾 TFT-LCD産業は、日本企業と深い関係を持ち

    続ける中で今日の産業基盤を築いたのであり、その発展パターンは政府主導の下に発展し

    た半導体産業と明らかに異なるのである。

    結論を先取りしたが、それは、次のように分析を展開させることで導かれる。まず、Ⅰ

    では、先行研究をサーベイし、その到達点とそれを踏まえた本稿の分析視点を示す。Ⅱで

    は、台湾 TFT-LCD産業が主に日本からの技術移転に基づいて勃興したことを確認し、日

    本企業がTFT-LCDの生産技術を移転した理由を探る。Ⅲでは、日本企業の継続的なコミッ

    トメントがどのように台湾 TFT-LCD産業の進化に貢献したのかを分析する。Ⅳでは、台

    湾 TFT-LCD産業の発展過程における政府の機能を検証し、それが基本的に副次的な役割

    しか果たしてこなかったことをその理由も含めて明示する。最後に、全体の分析を総括し、

    むすびとする。

    Ⅰ 先行研究の到達点と本稿の分析視点

    台湾 TFT-LCD産業に関する論考は、1990年代後半以降、台湾の銀行や研究機関による

    動向分析レポートの類が増えてきた。しかし、産業自体が勃興間もないことから、学術的

    な研究はまだ少ないのが実情である。

    当該分野の学術研究の先駆けとなったのが、許(1994)である。許の研究では、デバイ

    スである TFT-LCDと最終製品である高画質テレビの特性を分析することにより、高画質

    ビジョン産業の将来を見とおすことが焦点とされた。しかしながら、分析はデバイス・製

    品間の技術的関係に偏向しており、TFT-LCD産業の勃興が台湾の経済発展の流れの中でど

    のように位置付けられるか、あるいは他国の TFT-LCD産業と比べて台湾のそれがいかな

    る特徴を持つのか、という視点は欠けていた。

    林(1995)は、台湾 TFT-LCD産業の特徴を他国の TFT-LCD産業との比較を通じて分析

    しており、その点は許(1994)より一歩進んだ研究となっている。そこでは、台湾 TFT-

    LCD産業の問題点として、部材部門(上流産業)が完全に日本に依存していることを指摘

    している。そして、こうした問題の原因として、当時の台湾 TFT-LCD産業が中小サイズ2)

    のパネル生産にとどまり、上流産業の発達を促すほどの後方連関効果を持たなかったこと

    が述べられている。

    林(1995)以降では、陳(1998)が SWOT分析、郝(2000)がAHP分析をそれぞれ援用

    して、90年代末の台湾 TFT-LCD産業の競争力を検証している。しかしながら、いずれも、

    設計、製造の刷新や量産能力の拡大を競争力の源泉として指摘する一般的な結論しか導い

  • 台湾 TFT-LCD産業 3

    ていない。当時、台湾では大型サイズのパネルの生産が主に日本からの技術移転により始

    まっていたが、そのような台湾 TFT-LCD産業がどのような特徴と限界を持つかという視

    点はともに欠けていた。

    その後、台湾 TFT-LCD産業の研究は、しばらく空白期を迎える。ただこの空白期は、

    同産業がこの時期大きく変化したことを示唆する。一般的に、変化の激しい産業は、その

    最中においては社会科学研究の対象となりにくいが、2000年以降、台湾 TFT-LCD産業で

    は、生産量が拡大するばかりでなく、生産構造も大きく変化し、企業の合従連衡も生じた

    激動の局面を迎えたのである。現時点では、この時期の検証こそが重要といえよう。

    王(2003)は、こうした直近の動向も網羅しながら、TFT-LCDも含めた台湾液晶産業の

    発展史を包括的にまとめたものとして注目される。そこでは、台湾液晶各企業の設立から

    ごく最近までの経緯が詳しく整理されているとともに、液晶産業の発展に関係した一連の

    政策事項や上流産業の発展概況も説明されている。したがって、台湾液晶産業研究の体系

    化は、王(2003)によって大きく進んだといっても過言ではないだろう3)。

    しかしながら、本稿が扱う TFT-LCD産業については、王(2003)もまだ分析の余地を残

    している。そこでは、基本的に日本企業からの技術移転が産業の勃興、発展に大きく寄与

    したことが指摘されているが、なぜ日本企業がそのような技術移転を行ったかという点に

    ついては、深い分析が行われていないのである。

    以上のような先行研究の概要を受けて、本稿は、次の 3つを分析視点としたい。

    ① 90年代末、なぜ、日本企業は台湾へ TFT-LCDの生産技術の移転を行ったのか。

    ② 立ち上がりから量産に至る日本企業の継続的なコミットメントは、台湾 TFT-LCD

    産業の進化にどのように寄与したのか。また、なぜ日本企業は、継続的に台湾 TFT-

    LCD産業にコミットメントしたのか。

    ③ 台湾 TFT-LCD産業の発展に対し、台湾政府はどのような貢献をしたのか。発展の

    副次的要因に過ぎなかったとしたら、なぜ副次的要因にとどまったのか。

    ①の意義は、上のような先行研究の限界を乗り越えることに求められる。ただし、それ

    だけでは、分析としてまだ不十分であろう。昨今の急速な変化を踏まえると、量産段階に

    入ってからの進化の経緯と背景を明らかにすることも、研究者の取り組む今日的課題とし

    て重要といえる。その課題に対応しているのが②である。一方、③の意義は、台湾 TFT-

    LCD産業の発展経路の独自性を浮き彫りにすることにある。IT製品の心臓部をなす装置

    産業にも関わらず台湾政府の役割が副次的であった原因を明らかにすれば、半導体産業と

    の相違もより明確になると期待される。

  • 4 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    Ⅱ 台湾 TFT-LCD産業の勃興

    1.

    はじめに、台湾 TFT-LCD産業が日本企業に大きく依存しながら勃興したことを概観し

    ておきたい。表 1は、台湾 TFT-LCD企業の簡単なプロフィールである。生産技術に関し

    ては、TFT-LCD企業 8社中、元太科技を除いた 7社が、日本企業から導入している。台湾

    におけるTFT-LCDの生産は、基本的に日本からの技術移転をレバレッジにして立ち上がっ

    たことが確認できる。

    また、技術を自主開発した元太科技では、設立当時(1992年)に技術提携を複数の日本

    企業に打診していた。しかし、どの相手先も、こうした要請には応じなかったとのことで

    ある4)。その結果、同社は、資金負担が比較的少ない中小型サイズの TFT-LCDを自主開発

    した。その後、大型サイズの TFT-LCDにも参入を試みたが、不良率が高止まりし、2001

    年にはオプトレックスと再び中小型サイズの TFT-LCDを中心とした提携関係を結ぶに

    至っている(産業タイムズ社、2002: 46)。このような元太科技の紆余曲折は、台湾企業単独

    で大型サイズの TFT-LCDに参入することの難しさを示している。

    一方、生産技術のみならず部材調達の点でも、勃興期の台湾 TFT-LCD産業は、対日依

    存度が大きかった。表 2に見るように、90年代末当時、上流分野は日本企業の市場占有率

    が高く、TFT-LCDの生産にあたって、台湾企業は多くの部材を日本から輸入しなければな

    らなかった。長期に渡って、LCDは対日貿易の主要赤字品目であったが、LCDの生産が

    始まってからは、LCDの部材関連の対日輸入が拡大する構造にあった。

    そして、このような産業の特質は、貿易赤字の原因になるだけでなく、構造的な弱みに

    もつながることを指摘したい。日本の液晶産業の歴史は古く、部材生産企業とパネル生産

    企業の間には固定的な取引関係(系列)が構築されている(沼上、1999: 220–222)。また、ド

    表 1 台湾の TFT-LCD企業

    企業名 量産開始年月 技術提携先 株主企業 株主企業主力製品

    中華映管 1999年 2月 三菱電機 大同 家電製品、モニター達碁科技 1999年 7月 日本 IBM 明碁・宏碁 パソコン、モニター奇晶光電 1999年 9月 富士通 奇美實業 ABSなどスチレン樹脂瀚宇彩晶 2000年 2月 東芝 華邦電子 ワイヤーケーブル元太科技 1996年 10月 自主開発 永豊集団 紙製品廣輝電子 2001年 4月 シャープ 廣達電脳 ノートパソコン聯友光電 1994年 1月 松下電器 聯華電子・交通銀行 半導体統寶光電 2002年 4月 岐阜三洋 金寶・統一・東元・仁寶 家電製品、パソコン

    (注) 企業名は、90年代末当時。達碁科技と聯友光電は 2001年 9月に合併し友達光電になり、奇晶光電は、カラーフィルターを生産している奇美電子と合併し奇美電子となった。なお、日本から移転された技術は、統寶光電を除きアモーファスシリコン TFT-LCD。統寶光電は、低温ポリシリコン TFT-LCDの技術を岐阜三洋から導入した。

    (出所) 各メーカーホームページより筆者作成。

  • 台湾 TFT-LCD産業 5

    ライバ ICなどは大手電機企業を中心に内製化されており、したがって、ひとたび部材市

    況が逼迫すると、必然的に部材の供給は日本企業へ優先的になされる仕組みにあった。い

    いかえれば、台湾企業は操業の安定性という点で不利な立場に立たされたのである。

    2.

    日本から技術移転を受けた台湾企業の中では、聯友光電を除く 6社がほぼ同じ時期に量

    産を開始している(表 1参照)。したがって、まず、この時期の事業環境を見ることが技術

    移転の背景を紐解く鍵となってこよう。

    90年代末当時、TFT-LCDの事業環境は、全般的に厳しい状況にあったと考えられる。

    それを端的に示す指標が TFT-LCDの市場価格動向である。図 1が示すように、それは、

    1997年から 1998年にかけて急速に下落した。最大の原因は、三星、LG、現代といった韓

    国企業が極端な低価格戦略を採ったためであった(彰化銀行、2000: 86)。当時、韓国では通

    表 2 TFT-LCDの材料・部品(1998年)

    液晶材料・部品 材料・部品費に占める割合 世界主要メーカー日本メーカー市場占有率

    カラーフィルター 23.20% 凸版印刷、大日本印刷、東レ 80%

    ドライバ IC 20.70% 日本 TI、NEC、シャープ、三星、日立、東芝、松下

    40%

    バックライト 15.40% スタンレー電気、デンソー、茶谷電気、富士通化成、多摩電気

    84%

    ガラス基板 5.60% Corning、旭硝子、日本電気硝子、Technoglass

    62%

    偏向フィルム 5.40% 日東電工、サンリッツ、住友化学 64%

    (出所) 光電科技工業協進會(1999)。

    図 1 TFT-LCDの市場価格動向(97年第 1四半期~ 99年第 2四半期)

    (注) 単位は米ドル(出所) 工業技術研究院(1999: 2–15)。

  • 6 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    貨危機の影響により、多くの企業で資金繰りが悪化していたが、そのために TFT-LCDも

    低価格で投売りされ、それが市場価格の軟化を招いたのである。こうして日本企業も、連

    鎖的に厳しい事業環境に直面することになった。

    このような点は、1998年の設備投資状況からも確認できる。図 2が示すように、日本企

    業の 1998年の投資金額は、ホシデンとセイコーエプソンを除き、前年に比べて軒並み大

    幅に減少している。また、通貨危機に直面していた韓国企業の設備投資は、ほとんど停止

    状態にあった。いずれにせよ、当時の TFT-LCD企業にとって、コスト削減は喫緊の課題

    であったと考えられるのである。

    しかしながら、このような事業環境の悪化(市場価格の下落)は、すべての TFT-LCD企

    業が直面した外部環境であり、その意味で、日本企業に台湾への技術移転を促した理由と

    しては、まだ不十分といわざるを得ない。そこで、次に、90年代末当時の日韓台 TFT-

    LCD企業のコスト構造を見ることで、このような市場価格下落の圧力をもっとも深刻に受

    けたのが日本企業であることを示したい。

    表 3は、TFT-LCDの生産コスト構造を日韓台別に表している。まず、材料・部品費に関

    しては、日本の安さが注目されよう。先述のように、この時期は、日本が TFT-LCDの材

    料・部品分野を独占していた。したがって、そうした有利な供給条件が、このような低コ

    ストを可能にしたと考えられる。

    しかし一方で、日本は他の経費のすべてで韓台を上回っている。特に際立つのが、人件

    費、研究開発費および法人税の高さである。結果的に、材料・部品費の安さはこれらの経

    費の高さで相殺され、日本の純利益は韓国に 8ポイント、台湾に 10ポイントの差をつけ

    られてしまう5)。結局、市場価格下落の影響を最も受けてしまうのは高コスト体質の日本

    企業ということになる。

    ただ、ここではこうした影響が、同時に新たな事業展開を生み出すきっかけにもなるこ

    とに注目したい。台湾への技術移転は、コスト削減圧力に直面した日本企業が採った経営

    戦略の一つと考えられるのである。このように推察する根拠としては、次の点を指摘して

    おこう。まず、台湾企業は韓国企業ほど技術の自主開発能力を持たず、少なくとも当時は、

    図 2 日韓主要企業の TFT-LCD関連設備投資金額(1997年、1998年)

    (注) 単位は億円(出所) 李(2000: 60–61)。

  • 台湾 TFT-LCD産業 7

    日本企業の脅威になり得るイメージが韓国企業より希薄であったことが挙げられる6)。ま

    た、元太科技の例に見るように、この時期台湾企業のほうから日本企業へ技術移転の要請

    が潜在的にはあったと見込まれ、条件面の交渉でも、日本企業は優位な立場にたてたと考

    えられる。そして、なによりも重要なのは、台湾企業と提携を結ぶことで、日本企業は実

    質的に低コストの生産拠点を持つことになる点である。実際、技術移転を行った多くの日

    本企業が、相手先の台湾企業に一定量の製品を納入させる契約を交わしていることは、こ

    のような動機が働いていたことを表している(工業技術研究院、2002: 3–11)。

    以上、ここまでコスト削減が日本企業の技術移転の目的となっていたことを説明してき

    たが、一般的に考えると、技術移転の目的はコスト削減だけとは限らない。今回、ヒアリ

    ングをした日系企業の関係者の中にも、新技術開発のための資金獲得を技術移転の背景と

    して指摘する意見があった7)。実際、90年代末には、多くの日本企業が低温ポリシリコン

    TFT-LCD(Low Temperature-Si 以下、LTPS TFT-LCD)の開発計画を持っており、技術移転の

    別の動機として LTPS TFT-LCD開発の資金獲得を指摘することもできるだろう。

    LTPS TFT-LCDとは、アモーファスシリコン TFT-LCD(Amorphous-Si 以下、a-TFT-LCD)

    に比べて、反応速度が速く、消費電力や部品点数も少ないパネルである。ただ、研究開発

    に莫大な資金が必要なうえ、大型サイズの実用化には未だに不透明な点も多い。よって、

    中にはこうしたデメリットを考慮し、事業計画に二の足を踏んでいた日本企業もあった。

    表 4には、日本企業の LTPS TFT-LCDの開発計画と台湾への技術移転状況を整理した。

    ここでは、LTPS TFT-LCD開発計画のある企業の多くが台湾へ TFT-LCDの技術移転をして

    表 3 TFT-LCDの生産コスト構造

    日 本 韓 国 台 湾

    価格 対市価比率 価格 対市価比率 価格 対市価比率

    材料・部品費 136.4 45.3% 141.7 47.1% 145.0 48.2%カラーフィルター 31.1 10.3% 32.8 10.9% 34.5 11.5%バックライト 23.0 7.6% 25.4 8.4% 24.2 8.0%ドライバ IC 59.2 19.7% 59.2 19.7% 62.3 20.7%ガラス基板 7.0 2.3% 7.4 2.5% 7.8 2.6%偏光膜 7.5 2.5% 8.3 2.8% 7.5 2.5%その他 8.7 2.9% 8.7 2.9% 8.7 2.9%減価償却費 50.1 16.6% 50.1 16.6% 50.1 16.6%人件費 18.1 6.0% 6.3 2.1% 8.2 2.7%研究開発費 22.6 7.5% 16.9 5.6% 11.3 3.8%販管費 30.7 10.2% 24.5 8.1% 20.4 6.8%製造原価 257.8 85.6% 239.5 79.6% 235.0 78.1%市場価格 301.0 100.0% 301.0 100.0% 301.0 100.0%

    粗利益 14.3% 20.4% 21.9%法人税 56.0% 30.8% 25.0%純利益 6.3% 14.1% 16.4%

    (注) 価格の単位は米ドル。また各項目の計算は、第 3.5世代の生産ラインで行われている。(出所) 工業技術研究院(1999: 5–32)。

  • 8 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    いること、且つ、LTPS TFT-LCD開発計画の無かった 2社はいずれも台湾へ技術移転を行っ

    ていないことに注目しておきたい。この点は、上記の推察を傍証することになるだろう。

    Ⅲ 台湾 TFT-LCD産業の進化

    90年代末に立ち上がった台湾 TFT-LCD産業は、その後生産が急拡大し、2002年には日

    本の生産量を上回った。また、生産設備面でも第 5世代8)に対応した工場を着工するなど、

    今や日本を追い越したといえる。本節では、台湾 TFT-LCD産業のこうした進化の様子を

    概観し、それが勃興期に引き続いて主に日本企業によるコミットメントによって推し進め

    られたことを示したい。

    1.

    90年代末から複数の企業が相次いで参入したことで、台湾における TFT-LCDの生産は、

    急速に拡大してきた。中華映管、達碁科技(現在は友達光電)、奇晶光電(現在は奇美電子)3

    社の量産体制が軌道に乗った 2000年には、前年比 8倍の生産金額の増加を記録した。そ

    の後も 2002年まで、前年比 40%増のハイペースで拡大している(図 3)。また、生産量に

    ついても、大型 TFT-LCDパネルで見ると、2000年には日本の 3分の 1以下であったのが、

    2002年には日本を上回り、世界一の韓国に比肩する水準に達している9)。

    このような急速な生産拡大の背後には、当然、それを実現させる素地があった。端的に

    いえば、台湾がノートパソコンの生産国であるからこうした生産拡大は実現したと考えら

    れる。TFT-LCDは、ノートパソコンの生産コストの約 30%を占めており、台湾にとって

    それを国産化することは、かつてからの懸案事項であった。したがって、TFT-LCDが国内

    で調達できるようになったことは、ノートパソコンの生産環境にも好影響を及ぼしたと考

    えられる。

    表 4 日本メーカーの LTPS TFT-LCD開発計画(1998年時点)

    LTPS TFT-LCDの開発計画 TFT-LCDの台湾への技術移転

    三菱電機 あり あり(中華映管)東芝 あり あり(瀚宇彩晶)シャープ あり あり(廣輝電子)三洋 あり あり(統寶光電)松下 あり あり(聯友光電)富士通 あり あり(奇美電子)セイコーエプソン あり なし日立製作所 なし なしNEC なし なし

    (注) 日系企業が台湾へ移転した技術は、三洋を除き a-TFT-LCD。三洋は LTPS TFT-LCDの技術を統寶光電に移転している。

    (出所) 工業技術研究院(1999: 2–4)および李(2000: 64)より作成。

  • 台湾 TFT-LCD産業 9

    また、こうした生産量の拡大は、企業の積極的な設備投資を喚起したことにも注目した

    い。表 5に示すように、2003年時点では、多くの企業が第 5世代のガラス基板を採用した

    生産ラインの導入を始めている。マザーガラスの大型化は、液晶技術の進歩を示すもので

    あり、それは半導体でいえば加工技術の微細化に相応するものである。現状、日本企業は

    シャープ10)を除いて第 4世代の生産ラインにとどまることから、設備能力面でも台湾はす

    でに日本を超越したといってよいだろう。

    そして、さらに指摘すべき点は、TFT-LCDの生産拡大が上流の部材産業の活況を呼び起

    こしたことである。表 6に示すように、台湾の TFT-LCD主要部材の自給率は着実に向上

    している。2002年時点では、カラーフィルター、ドライバ IC、バックライトモジュール

    で 50%を超えるに至った。Ⅱの 1で述べたように、立ち上がりの初期段階では、川上の部

    材部門が日本に依存したため、対日貿易赤字は相変わらず減少しない構造にあった。しか

    図 3 台湾の液晶パネル生産金額の推移

    (注) 単位は億元(出所) 経済部資訊工業発展推進小組。

    表 5 台湾 TFT-LCDメーカーの直近の設備投資概況

    企業名 直近の設備投資概況

    中華映管 2002年春、第 4世代のガラス基板 730 × 920 mmを採用した第 3工場を建設開始、2003年4月から量産開始。また、第 6世代のガラス基板 1,370 × 1,670 mmを採用する第 4工場の建設を検討中。

    友達光電 龍潭のアスパイアパーク内に第 5世代のガラス基板 1,100 × 1,250 mmを採用したラインを建設、2003年 4月から量産開始。

    奇美電子 2002年 3月、台南サイエンスパーク内に、第 5世代ガラス基板の 1,100 × 1,300 mmを採用した第 3工場の建設を着工。2003年 10月から量産開始予定。

    瀚宇彩晶 2003年 7月、第 5世代のガラス基板 1,150 × 1,300 mmを採用した第 3工場を台南サイエンスパーク内に建設。2003年末、稼動予定。

    元太科技 2002年、第 1工場の生産能力(月産 18,000枚)を倍増。

    廣輝電子 第 2期ラインに第 5世代のガラス基板 1,100 × 1,250 mmを採用。2002年第 4四半期からパイロット生産をスタート。

    統寶光電 第 3.5世代のガラス基板 620 × 750 mmを採用した第 1工場を 2001年 2月に着工。2002年4月から量産開始。

    (出所) 産業タイムズ社(2003)より作成。

  • 10 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    しながら、こうした懸念は、TFT-LCDの生産が拡大するに伴って急速に解消してきている。

    2.

    前項で見たような産業の進化の背景を考えた場合、一般的には外資の深い関与は想定し

    にくい。なぜなら、技術移転などを通じて外資が当該国の産業発展に関わるのは、自身の

    競争優位を保つことが前提にあり、その結果、生産量や生産設備面で当該国企業に追い越

    されることはないと考えられるからである。しかし、台湾 TFT-LCD産業では、このよう

    な想定に反して、日本企業のコミットメントが進化の原動力にもなった。そうしたコミッ

    トメントの態様としては、次の三つが挙げられる。

    第一に、上流産業の充実化が主に日本企業によって進められている点である。表 7に示

    すように、幅広い部材分野で日本企業が台湾へ直接投資、技術移転をしている。特にそう

    した企業が、各分野を代表するリーディングカンパニーであることに注目したい。

    第二に、日本企業が台湾に対する技術移転や生産委託の内容を高度化していることであ

    る11)。例えば、富士通、日立製作所、日本 IBMは、台湾における TFT-LCDの生産拡大に

    歩調を合わせて、広視角技術であるMVAや IPSを相次いで移転した。また、生産委託では、

    日立製作所が瀚宇彩晶にテレビパネル生産を委託した事例(経済日報、2003年 11月 7日)や、

    富士通、NECが TFT-LCDの加工を全面的に奇美電子に委託した事例が挙げられる(経済日

    報、2001年 4月 26日)。広視角技術は、液晶パネルの最大の弱点である視角の狭隘性を克服

    表 6 台湾の TFT-LCD主要部材の自給率

    2000 2001 2002

    ガラス基板 0.0% 6.1% 38.3%カラーフィルター 16.5% 26.9% 55.6%偏光膜 36.6% 41.8% 46.8%ドライバ IC 26.0% 35.6% 53.4%バックライトモジュール 68.5% 83.0% 93.3%

    (出所) 台北市コンピュータ同業協会ホームページ(http://www.ippc.com.tw/itinfi r/itinfodeatle)。

    表 7 部材部門の技術移転・進出事例

    品目 技術移転・進出事例

    ガラス基板 ・旭硝子が台湾に生産拠点設立・板保科技が台湾に生産拠点設立

    カラーフィルター ・凸版印刷、大日本印刷、東レが生産技術を移管・凸版印刷、台南サイエンスパークに工場設立

    偏光膜 ・日東電工、台中に工場設立・住友化学、台南サイエンスパークに工場設立

    ドライバ IC ・NECが生産技術を移管・シャープが生産技術を移管

    (出所) 各種新聞報道より作成。

  • 台湾 TFT-LCD産業 11

    する核心技術であり、テレビに用いる大型サイズの液晶パネルは、TFT-LCDパネル生産量

    世界一の三星が注力している高付加価値製品である。加工の全面委託のケースと合わせ

    て、これらの事例は、日本企業が台湾の生産能力に本格的に依存してきていることを示唆

    しよう。

    そして第三に指摘したいのは、日本企業が台湾企業と最先端分野で共同開発を始めてい

    ることである。ここでは、特にカラーフィルター12)を象徴的事例として挙げたい。カラー

    フィルターとは LCDパネルをカラー化する重要な部材だが、こうした先端分野で日台が

    共同開発を行うことは90年代末当時では考えられないことであった13)。しかし、今日では、

    奇美電子と大日本印刷、友達光電と凸版印刷が第 5世代向けカラーフィルターを共同開発

    した実績を持つ14)。ともに台湾を代表する TFT-LCD企業と日本を代表する印刷企業であ

    り、こうした事例は、台湾が一方的に技術供与される段階は終わり、技術開発の第一線に

    台湾も参画するようになったことを意味している。

    以上、3つのコミットメントの具体的態様を挙げたが、このような趨勢から窺えるのは、

    日本企業にとっての台湾の位置付けが、単なる低コストの生産拠点から急速にステップ

    アップしていることである。今日、TFT-LCD生産の核心部分の多くが日本から台湾へ移転

    され、日本企業が事業戦略を考える際に、台湾の生産能力はもはや無視することができな

    くなった15)。その背後には、台湾の位置付けが重要になることで、日本企業は技術移転や

    委託内容を高度化し、それをまた台湾企業がそつなく消化するので日本企業にとっての重

    要性がさらに増すという関係が存在している。いいかえれば、こうした循環メカニズムが、

    量産段階における台湾 TFT-LCD産業の進化を支えていたのである。

    3.

    では、なぜ日本企業はこうしたコミットメントをしてきたのだろうか。自身に対する投

    資を拡大して技術水準の底上げを図り、韓国、台湾に対して優位なポジションを保つこと

    はできなかったのか。その答えは、近年、日本企業の直面した事業環境と内部構造を見る

    ことで明らかとなろう。

    周知のとおり、日本の大手電機企業の業績は、ここ数年芳しくない状態が続いている。

    表 8は、液晶事業を持つ大手電機企業の当期純利益の推移を記しているが、2001年度には

    軒並み巨額の赤字を計上していることがわかる。90年代末の金融危機を契機に日本経済は

    低迷していたが、2000年頃に ITバブルが崩壊したため、日本の電機企業は他業界に比べ

    表 8 日本の大手電機企業の当期純利益(単位 100万円)

    シャープ 東芝 松下電器 三洋電機 日立製作所 三菱電機 富士通

    2000年度 38,527 96,168 41,503 42,201 104,300 124,700 8,5212001年度 11,311 –254,017 –427,779 1,727 –483,800 –77,900 –382,5422002年度 32,594 18,503 –19,453 –72,817 27,800 –11,800 –122,066

    (出所) 各社アニュアルレポートより作成。

  • 12 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    てもより厳しい事業環境に直面したのである。

    このような業績の悪化により、各企業がリストラに奔走したのはいうまでもない。リス

    トラでは人員削減が注目されがちだが、技術開発競争の視点で見れば、設備投資の抑制が

    致命傷となる。液晶をはじめとした電子デバイスは技術進歩が早く、技術開発競争は投資

    競争といっても過言ではない。つまり、潤沢なキャッシュフローとそれを迅速に投入する

    強い意思決定が必要なのだが、日本の電機企業にはそのどちらも欠けていたのである。

    折しもこの時期、韓国では三星を中心に液晶関連の積極的な設備投資が進められてい

    た。しかし、日本企業にはそうした投資競争に真正面から挑む体力はなかった。そこで、

    台湾の生産基盤を活用しようという動機がこのタイミングでも生まれたと考えられる。技

    術移転を続けると同時に台湾の生産能力への依存度を高め、資金負担の大きい設備投資は

    台湾企業に任せるという戦略である16)。

    また、このような経営判断が行われた要因として、総合電機という日本企業の構造的特

    質も忘れてはならない。「総合」の名のとおり、彼らの事業領域は、ITから家電、重電ま

    でと幅広い。したがって、リストラは、事業領域の選択と集中をすることでもあった。当

    時、TFT-LCDをはじめとした液晶は利益率が低く、多くの企業で見なおしの対象となって

    いた(日本経済新聞、2002年 12月 25日)。台湾へのコミットメントも、そうしたコンテクス

    トの中で生じたと考えるべきであろう。

    Ⅳ 台湾 TFT-LCD産業における政府の役割

    Ⅱ、Ⅲで、台湾 TFT-LCD産業の勃興、進化に日本企業が深く関わってきたことを見て

    きたが、本節では台湾政府の役割を検証していく。一般的に、産業育成を目的とした政府

    の機能は、次の二つに分解できよう。一つは、法規の制定、改定により、民間部門の活動

    を促すこと。いま一つは、実体としての公的機関が研究開発活動を直接行い、その成果を

    民間部門へ移転することである。台湾では、工業技術研究院がこのような機能を持ってい

    る。

    1.

    まず、関連法規の変遷を概観すると、1986年 11月、「生産事業奨励項目及び標準」が改

    定され、半導体と液晶が政府指定の科学技術事業に組み込まれたのがその嚆矢であった。

    この政府指定事業に対しては、事業に投資を行ったすべての企業が 5年間の免税措置を受

    けられること、また株主は所得税を 30%減免されるという優遇制度が与えられた。こうし

    た優遇措置は、1991年に「産業高度化条例」が施行されるまで続いた。

    続いて 1987年 12月には、液晶ディスプレイ(LCD)が経済部工業局の指定する戦略的

    工業の対象となった。この措置によって、LCD生産のための機械設備輸入にあたっては、

  • 台湾 TFT-LCD産業 13

    交通銀行から低利の融資を受けることができるようになった。

    1991年になると、重要な優遇措置が相次いで実施された。まず、投資奨励条例に代わっ

    て施行された「産業高度化条例」では、TFT-LCDが重要科学事業の一つに指定された。こ

    れにより、ガラス基板やカラーフィルターなどの部品生産でも、税法上の優遇制度を享受

    することができるようになった。

    また、「先端科学技術第三類株上場」は、先端科学企業の資金調達面に配慮した措置で

    あった。それまでは、5年連続経常利益を計上した企業が第一類株式市場に、3年連続経

    常利益を計上した企業が第二類株式市場にそれぞれ上場することを許されていたが、逆に

    いえば、創業間もない企業や赤字を出した企業は上場できなかった。しかし、同法令の施

    行により、設立後 3年未満の企業や赤字状態の企業でも、工業局審査委員会の審査を通過

    すれば、株式を上場させることが可能となった。特に変化の激しい IT分野では、短期間

    に大規模な資金調達が必要となるが、各企業はこの措置により機動的な設備投資が可能に

    なったのである。

    一方、同年9月からは、工業局によって「民間新製品開発奨励法」が実施された。これは、

    民間分野の研究開発を奨励する措置で、TFT-LCDをはじめとする液晶も対象分野であっ

    た。この法令により、行政院の開発基金と無利子融資で研究開発資金の 3分の 2がまかな

    われるため、企業自身は、実質的に研究開発経費の 3分の 1を負担するだけでよいことに

    なった17)。

    以上、いずれの法規も、液晶関連産業への民間部門の参入を促す目的で制定されている。

    しかしながら、各法規の内容を見てみると、TFT-LCD産業は半導体などとともに優遇を享

    受できる分野として指定されてはいるものの、いずれも TFT-LCDあるいは液晶産業だけ

    を対象とした法規とはいえない。すなわち、先端科学技術育成政策の対象に液晶(TFT-LCD)

    産業も 80年代後半から組み込まれたのだが、一方で、液晶(TFT-LCD)産業を特に重点的

    に開発しようという政府の明確な意思は、関連法規の変遷から読み取ることはできないの

    である。

    2.

    工業技術研究院(以下、工研院)で液晶ディスプレイの研究開発が始まったのは、1987

    年であった。当時は、視野角の広さ、消費電力の少なさなどの点で TFT-LCDの性能が注

    目され始めており、工研院における液晶の研究開発も TFT-LCDを中心にしていた。工研

    院が 1987年に提出した二年計画は、HTPS-TFT-LCDと a-TFT-LCDの技術動向を評価する

    ものであったが、当時の工研院は専用設備を有しておらず、実際は半導体の設備を援用し

    て小規模の研究開発を行ったに過ぎなかった。

    続いて 1989年から 1992年の期間では、「マイクロ電子技術発展計画」の下、工研院は

    予算を組んで 3インチの a-TFT-LCDに対応する専用機械設備を購入した。研究開発チーム

    は 5人のメンバーから成り、92k画素の研究開発を行った。その結果、1990年の時点で、

  • 14 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    3~ 6インチの TFT-LCD技術および関連 IC部品の開発に成功した。

    1993年からは「フラットパネルディスプレイ技術発展 4年計画」が 1997年 6月までの

    予定で実施された。開発目標とされたのは10.4インチのカラーTFT-LCDおよびカラーフィ

    ルター、広視角 TFT-LCD、反射式 TFT-LCDであった。この計画のためだけに 20億元の予

    算、600人の人力が投下されたが、これらの数字はいずれも以前の規模よりは遥かに大き

    かった。TFT-LCDに対する政府の関心が、この時期あたりから急速に高まったことが読み

    取れる。

    このプロジェクトの特徴は、当初から研究開発成果を民間部門へ移転することを目指し

    たことである。計画の初動段階から民間企業の参加を募り、工研院と民間企業が共同で研

    究開発を行う方式を採った。そして、研究開発の成果を対価と引き換えに民間企業にスピ

    ンオフさせることで、技術の広範な伝播を期待したのである。一方、民間企業にとってみ

    れば、こうしたプロジェクトに参画することは、自ら機械設備を購入することなく研究開

    発を行えるメリットがあった。結局、このプロジェクトを通じて、南亜、中華映管、中国

    鋼鉄、明碁の 4社に大型サイズの TFT-LCDの技術が移転された。

    1997年 7月からは、「フラットパネルディスプレイ核心技術発展 6年計画」が 2003年 6

    月までの予定で始まった。予算規模は 40億元、投下された人力は 200人であった。この

    プロジェクトでは、工研院の研究開発の中心が LTPS TFT-LCD及び同関連ドライバ ICの

    設計、製造に移った。90年代後半、多くの日本企業が LTPS TFT-LCDの研究開発を試行し

    ており、台湾もこうした潮流に合わせて研究開発の舵を切ったといえる。先期と同様、こ

    のプロジェクトでも工研院と民間企業が共同で研究開発を行い、その成果は民間企業へ移

    転させる方式が採られた。実際、2000年からは、瀚宇彩晶、統寶光電に LTPS TFT-LCDの

    技術移転がなされている(王、2003: 271–282)。

    以上が、工研院が行ってきた TFT-LCD関連の研究開発活動の概略である。では、これ

    らの活動は、台湾 TFT-LCD産業の発展にどのように貢献したのであろうか。発展の主因

    であったのか、副次的要因に過ぎなかったのかという点を次に考えてみよう。

    まず、「フラットパネルディスプレイ技術発展 4年計画」では、結果的に大型サイズの

    TFT-LCDの生産技術が 4社に移転されている。したがって、当初の目論みどおり、研究開

    発の成果が民間部門へ移転されたという意味では、プロジェクトは成功したことになろ

    う。しかしながら、4社のうち中華映管、明碁は、後年、日本企業から TFT-LCDの技術を

    導入している。そしてこの 2社だけが、その後、TFT-LCDの量産段階に進んでいることに

    注意しなければならない。

    「フラットパネルディスプレイ核心技術発展 6年計画」について評価を下すには、いさ

    さか時期尚早かもしれないが、2002年末時点ですでに 2社に LTPS TFT-LCDの技術が移転

    されている。やはり、プロジェクトは一定の成功を収めていると見るのが妥当であろう。

    ただし、ここでも 2つの点を留保しなければならない。第一に、LTPS TFT-LCD専業であ

    る統寶が、工研院から技術移転を受ける傍ら、岐阜三洋から量産技術を導入していること

  • 台湾 TFT-LCD産業 15

    である。第二に、瀚宇彩晶では、2003年 7月の時点でも LTPS TFT-LCDの量産化が本格的

    に進展していないことである。つまり、このプロジェクトでも、工研院からの技術移転が

    商業生産の立ち上がりを主導したとはいえないのである。

    こうした点については、工研院の研究開発が民間のニーズに追いついてなかったこと

    (許、1994: 81)や、工研院の開発成果があくまでも「研究開発」の技術であり、民間企業

    が生産するにあたってはそれとは別の「量産」技術を改めて導入する必要があったこと

    (王、2003: 280)が先行研究で指摘されている。こうした評価も踏まえて考えると、結局、

    工研院の果たした役割は、台湾企業が日本企業から量産技術を導入する際の下地を提供し

    たに留まるとするのが妥当といえる18)。

    3.

    関連法規にしろ、工研院の機能にしろ、TFT-LCD産業の発展に対する台湾政府の役割

    は、副次的なものに過ぎないことが前項の分析で明らかとなった。その背景については、

    次の点が先行研究(王、2003: 272–273)で指摘されている。

    まず、台湾では資源が限られているため、国策として先端科学産業を育成する場合、対

    象分野は必然的に限られてくる。つまり半導体プロジェクトに傾倒した政府には、TFT-

    LCD産業を育成する十分な余力がなかった。また、経済全体への波及効果は半導体のほう

    が液晶より大きく、そうした算盤勘定が政府を半導体プロジェクトのほうへ駆り立てた。

    さらには、潘分淵、張忠謀、盧志遠など、半導体には影響力の大きいキーパーソンが存在

    したため、政府の政策も半導体を重視するに至ったが、TFT-LCD(液晶)産業にはこうし

    たキーパーソンが存在しなかった。

    こうした指摘は、概ね妥当といえよう。ただ半導体との比較を意識した場合、背景とし

    ては、さらに 3点ほど付け加えることができる。

    第一に、液晶の技術特性である。液晶ディスプレイは、TN-LCD、STN-LCD、TFT-LCD

    と主役が交代してきたが、この発展経路は半導体と異なり、技術的な観点から見ると決し

    て単線的とはいえない。例えば駆動方式をとってみても、TN-LCD、STN-LCDと TFT-LCD

    でそれは根本的に異なり、仮に STN-LCDから TFT-LCDに生産転換しようとした場合、生

    産ラインはかなりの部分を刷新しなければならない。実際、台湾で STN-LCD企業19)が

    TFT-LCDに生産転換した例20)がほとんどないように、両者の技術は非連続的と考えられる

    のである。そしてこのように技術の将来動向が読みにくい場合、大規模な投資を行って自

    主技術を確立するよりも、既存の技術を導入しようとするインセンティブが働くことに注

    意しなければならない。台湾政府の立場からみれば、微細化という形で技術の深化が連続

    的である半導体のほうがより注力すべき対象と判断されたのである。

    第二に、液晶ディスプレイには代替製品が多く存在することを挙げたい。目下のところ、

    PDP、有機 EL、LEDなどが、そうした代替製品として挙げられる。個々のデバイスの特

    徴は微妙に異なるゆえに液晶ディスプレイと完全に代替的とはいえないものの、現状で

  • 16 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    は、テレビをはじめとした下流の製品分野でお互い覇権を激しく争っている。このことは、

    将来、液晶ディスプレイそのものが市場から淘汰される可能性も否定できないことを意味

    しよう。このような状況下では、研究開発の投資リスクが高まることになり、政府の投資

    意欲は薄れることになる。

    第三に、これは最も重要なことだが、TFT-LCD(液晶)産業のメッカが日本であったこ

    とを指摘しておきたい。このことは、具体的に二つの点で台湾政府の関与を後退させたと

    考えられる。

    一つは、半導体産業の時に威力を発揮した政府と在米華人との紐帯が、TFT-LCD産業で

    は役に立たなかったことである。ピュアファウンドリーが米国帰りの張忠謀の強い意向で

    導入されたように、半導体産業の企業化、ビジネスモデルの確立という過程では、在米華

    人が決定的な役割を果たした(佐藤、2000: 86–90)。一方、TFT-LCD産業でも、李学能(元

    太科技)、楊界雄(瀚宇彩晶)、呉逸蔚(統寶光電)など、米国帰りのエンジニアが政府の仲

    介を通じて民間企業へ参画しているが、彼らが核心技術の開発に成功したとか斬新なビジ

    ネスモデルを確立したという話は今のところ聞かれない。したがって、彼らに半導体の張

    忠謀などと同じような評価を与えることはできないのである。ただ、それは、彼らの能力

    の多寡に起因するというよりも、彼らのルーツである米国が TFT-LCD(液晶)産業の研究、

    事業化のいずれの点でも世界の中心ではなかったことによる。いうまでもなく、そうした

    意味での中心は日本だが、科学技術を学ぶために来日する台湾人は、渡米する台湾人に比

    べて圧倒的に少ない。よって、在外華人研究者を動員する政府の能力も、こと TFT-LCD

    産業においては限定的であったと考えられるのである。

    いま一つは、日本における TFT-LCDの研究開発が産業界(民間企業)中心に行われてい

    た点である。シリコンバレーにおける半導体の研究開発は、産学連携を中心とし、研究者

    の流動性も高いため、成果を業界で共有しやすい仕組みにあった。そのため、成果は米国

    の外へもスピルオーバーしやすかったと考えられる。それに対し、日本の大手電機企業の

    研究開発体制は、企業ごとに完結しており、相互の情報交換は少ないのが実情である。ま

    た、少しずつ変化しているものの、日本企業ではいまだ終身雇用的性格が強いために、人

    材の流動性も米国ほど高くはない。元々、在日の華人研究者が少ない上に、日本では技術

    情報が企業内部から外に出にくいため、台湾政府にとって TFT-LCDはますます手のつけ

    にくい分野だったのである。

    む す び

    本稿では、台湾 TFT-LCD産業の発展の系譜をみてきた。まず、生産の立ち上がりは、

    主に日本からの技術移転に依存したことが確認できた。また、その後の進化の過程も、日

    本企業のコミットメントによって進められたことが明らかとなった。具体的にいえば、上

  • 台湾 TFT-LCD産業 17

    流産業が日本から移転されたり、日本からの技術移転や委託内容が高度化することで、台

    湾の TFT-LCD生産の基盤は充実してきたのである。

    こうしたコミットメントの背後には、日本企業の直面したその時々の事情があった。市

    場価格が下落した 90年代末、高コスト体質の日本企業は、コスト削減の手立てを考えな

    ければならなかった。また、新技術(LTPS TFT-LCD)の開発を目指した日本企業は、その

    ための資金を捻出する必要もあった。このような結果、生産技術の台湾への移転が生じた

    のである。

    2000年頃、ITバブルが崩壊してからは、日本企業は本格的なリストラを断行すること

    になった。そうした厳しい環境下、競争優位の確保に必要な積極的な設備投資はなされな

    かった。代わって、台湾へ技術移転を続けると同時に台湾の生産能力への依存度を高め、

    資金負担の大きい設備投資は台湾企業に任せるという戦略が採られたのである。

    一方、一連の過程における台湾政府の役割は、副次的なものに留まった。TFT-LCDの開

    発だけをねらいにした法規はなく、また工研院の研究開発も、商業生産を牽引するもので

    はなかった。経済への波及効果が半導体と比べて小さいのに加えて、液晶の技術特性や代

    替品の存在が投資リスクを高めたこと、また液晶研究の中心がアメリカではなく台湾政府

    とシリコンバレーとの紐帯が役に立たなかったことなどがその要因として指摘できた。

    総合すると、台湾TFT-LCD産業は、日本企業との深い関わりの中で勃興、進化してきた。

    もちろん、日本企業のコミットメントはその都度の合理的な経営判断であったが、それに

    よって、結果的に台湾 TFT-LCD産業は急速かつ着実に次の段階に押し上げられ、現在で

    は生産量、生産設備で日本を上回るに至った。したがって、その発展パターンは、同じ装

    置産業でも政府主導で発展した半導体産業とは大きく異なるといえるのである。

    (注)1) Thin Film Transistor Liquid Crystal Display(薄膜トランジスタ液晶ディスプレイ)。2) 本稿では、10.4吋未満のパネルを中小型サイズ、10.4吋以上のパネルを大型サイズとする。10.4吋未満の用途はPDAや携帯電話など。また、10.4吋以上はノートパソコン、モニター、テレビなどに使われる。

    3) 王(2003)では、台湾液晶関連企業のキーパーソンへヒアリングを敢行しており、統計データや新聞報道では得られない貴重な事実が豊富に整理されている。

    4) 元太科技関係者へのインタビュー(2001年 6月 19日)。5) もっとも、工業技術研究院のコスト計算は、歩留まりを 3カ国とも 80%と仮定しており、その意味で直接実態を表したものではないことに留意する必要がある。1999年における 15インチ TFT-LCDの製造コストは、日本、韓国がそれぞれ 5万円、4万 8,000円なのに対し、台湾は 6万 9,000円となっている(産業タイムズ社、2000: 49)。つまり、実際は歩留まりが悪い分、台湾メーカーのコストが高くなってしまう。しかし、歩留まりは生産量の拡大とともに改善することを考慮すれば、中長期的には、むしろ人件費や販管費などが競争力の規定要因として重要となろう。したがって、コスト面の優位性は、台湾メーカーにあると見てよいことになる。

    6) 三星、現代、LGは、ともに系列の金融機関を有す韓国の財閥企業であるのに対し、台湾の各企業は韓国の 3社に比べて規模が小さく、研究開発のための資金力も弱いと考えられる。したがって、韓国メーカー対応という点でも、日本企業は台湾企業と提携するインセンティブがあった。アルプス電機関係者インタビュー(2001年 1月 11日)、日立製作所関係者へのインタビュー(2000年 12月 15日)。

    7) 日立製作所関係者へのインタビュー(2000年 12月 15日)。なお、日立製作所自身は台湾へ技術移転を行っていないが、インタビュー回答者は、一般的な日本企業の事業戦略と断った上で、台湾への技術移転が技術開発の資金調達的側面を持つことを指摘していた。

  • 18 アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004

    8) 「第○世代」とは、TFT-LCDのガラス基板サイズを示す指標である。ガラス基板サイズが拡大すれば、1枚の基板からとれるパネルの枚数も増え、規模の経済が実現される。TFT-LCDの需要拡大を見込んだ台湾、韓国企業は、より大きなガラス基板サイズの工場を競って設立してきた。各世代のガラス基板のサイズは、おおよそ次のとおり。第 1世代 300 × 400 mm、第 2世代 400 × 500 mm、第 3世代 550 ×650 mm、第 3.5世代 600 × 720 mm、第 4世代 680 × 880 mm、第 5世代 1,100 × 1,250 mm、第 6世代1,500 × 1,800 mm。

    9) 大型 TFT-LCDパネルの全体生産量に占める台湾、韓国、日本の比率は、2000年で台 13.7%、韓36.8%、日 49.6%であったのが、2002年には台 38.3%、韓 39.5%、日 22.2%となっている。台北市コンピュータ同業協会ホームページ(http://www.ippc.com.tw/itinfor/itinfodeatle)を参照。

    10) 2004年 1月からテレビ向けの大型液晶を生産する亀山工場が稼動している。ガラス基板サイズは、第6世代の 1,500 × 1,800 mm。シャープホームページ(http://www.sharp.co.jp/corporate/news/040108.html)を参照。

    11) 一般に、先進国から途上国への技術移転は旧世代のものが中心になるといわれる。先端技術は、途上国のキャッチアップを招くため先進国側に秘匿しようとする動機が生じるし、また、途上国側でも、自国の技術水準を超える先端技術は、受け入れるだけの社会的基盤が往々にしてできていないからである(適正技術論)。

    12) TFT-LCDの原価構成はセル部材が約 33%と最も高いが、そのうち約 3割をカラーフィルターが占めている。

    13) NEC関係者インタビュー(2001年 1月 11日)。14) ちなみに、奇美電子と大日本印刷の提携は、2003年春頃中止された(経済日報、2003年 3月 20日)。15) アルプス電機関係者インタビュー(2001年 1月 11日)。16) 業績の悪化により多くの日本企業が韓国企業との設備投資競争を回避した中、唯一シャープだけが液晶関連の事業拡大に積極的に取り組んでいることは注記しておきたい。シャープは、表 8に見るように2000~2002年度の純利益が 1度も赤字に転落しておらず、他の日本企業に比べて投資余力(体力)があった。また、早くから液晶分野を戦略的事業と位置付けており、同分野におけるブランドイメージの構築に成功していることも積極的な投資を後押ししていると考えられる。

    17) しかしながら、1995年にはWTO加盟を見据えて、企業の負担が 3分の 1から 2分の 1へ引き上げられた。なお、関連法規の変遷は、王(2003: 265–270)を参照している。

    18) 一方で、人材供給源としての工研院の機能は無視できないことも付記しておきたい。実際、台湾 TFT-LCD企業の中核には、工研院からスピンオフしてきた研究者が多数いる。しかしそうした人材の還流は個々の企業による引きぬきが中心であり、政府の明確な意思のもと民間部門への技術移転として政策的に行われた事例はわずかであった。瀚宇彩晶関係者インタビュー(2001年 6月 21日)、資訊工業策進會関係者インタビュー(2001年 5月 17日)。

    19) 碧悠電子、勝華科技、光聯科技、國喬光電科技、高雄日立電子、愛普生(台湾エプソン)が STN-LCDを生産している。

    20) 唯一の例としては、勝華科技がシャープから TFT-LCDの生産設備を購入したケースがある。この設備は基板サイズ 320 × 400 mmの第 1世代のもので減価償却が終わっているために、勝華科技は格安で購入できたとみられている(工商時報、2001年 10月 19日)。

    (参考文献)

    沼上幹(1999)、『液晶ディスプレイ技術革新史』白桃書房。青山修二(1999)、『ハイテク・ネットワーク分業―台湾半導体産業はなぜ強いのか―』白桃書房。佐藤幸人(2000)、「台湾の半導体産業における国家と社会」(東茂樹編『発展途上国の国家と経済』アジア経済研究所)。岩井善弘(2001)、『液晶産業最前線』工業調査会。産業タイムズ社(2002)、『アジア半導体/液晶ハンドブック 2002』産業タイムズ社。産業タイムズ社(2003)、『アジア半導体/平面ディスプレイハンドブック 2003』産業タイムズ社。

    許萬寶(1994)、『我國数位高画質視訊産業発展之研究』國立臺灣大學商學院碩士論文。林明慶(1995)、『我國液晶顯示器産業發展策略之研究』國立臺灣大學商學院碩士論文。陳志豪(1998)、『液晶顯示器産業競争之研究』輔仁大學應用統計研究所碩士論文。

  • 台湾 TFT-LCD産業 19

    光電科技工業協進會(1999)、『1998年顯示器産業及技術動態調査』光電科技工業協進會。工業技術研究院(1999)、『次世代 TFT-LCD我國發展機會』工業技術研究院。李錦芳(2000)、『應用賽局理論分析我國薄膜電晶體液晶顯示器産業之競争策略』國立交通大學碩士論文。郝建邦(2000)、『我國 TFT-LCD産業廠商競争優勢分析』中國文化大學国際企業管理研究所碩士論文。彰化銀行(2000)、「顯示器産業―TFT-LCD」(『彰銀資料』第四十九巻第九期、2000年 9月、彰化銀行研究發展處)。工業技術研究院(2002)、『TFT-LCD産業之競合與経営型態分析』工業技術研究院。王淑珍(2003)、『台灣邁向液晶王國之秘』中國生産力中心。

    (あかばね・じゅん 三菱総合研究所 E-mail: [email protected]