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サマーチャレンジ 2007 講義副読本 初めての素粒子物理学 大学大学院 2007 7 1. じめに 2. 3. 4. 5. 6. エネルギーフロンティア 7. フロンティア 8. 9. 10. 1 はじめに 2007 サマーチャレンジ レクチャー して、こ ノートを しました。 す。 2 から 4 について、第 5 これま について しました。第 6 トピックスについて しています。 易に するように しましたが、第 6 まれている 、多 しれ ません。 りあえず 、チャレンジしてみてください。ま た、 しました。 2 素粒子 2.1 分子・原子や原子核から素粒子へ まわりにある め、宇 するす から てい ます。また、 、そ にある まわり をまわる たちから され、さらに、 から されています。 1: っている。(KEK Web page 「キッズサイエンティスト」から) して核 れています。さらに 、核 クォーク れる から てい るこ かってきました。 、これら クォーク 大きさが く、さらに さい から きてい えていません。それら 大きさ サイズ 1

初めての素粒子物理学 - Yamanaka Grouposksn2.hep.sci.osaka-u.ac.jp/~naga/kogi/handai-honor08/...に、この物質の階層性を図1に示します。図1でのクォー

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サマーチャレンジ 2007講義副読本

 初めての素粒子物理学

大阪大学大学院理学研究科物理学専攻・教授

 久野良孝

2007年 7月

目次

1. はじめに2. 素粒子3. 素粒子に働く基本的な力4. 宇宙と素粒子5. 素粒子物理学の歴史6. 素粒子物理学の高エネルギーフロンティア7. 素粒子物理学の精密フロンティア8. 素粒子物理学と宇宙9. まとめと展望

10. 参考書

1 はじめに

2007年サマーチャレンジの素粒子物理学のレクチャーの副読本として、このノートを作成しました。理解の補

助となれば幸いです。最初の 2章から 4章は素粒子物理学の概要について、第 5章は素粒子物理学のこれまでの発展の歴史について記述しました。第 6章以下は、最近の素粒子物理学のトピックスについて説明しています。全

体的に平易に記述するように努力しましたが、第 6章以下は高度な内容も含まれているので、多少難解かもしれ

ません。とりあえずは、チャレンジしてみてください。ま

た、文中の人名には敬称を略しました。

2 素粒子

2.1 分子・原子や原子核から素粒子へ

日常の生活で我々のまわりにあるものを含め、宇宙に

存在するすべての物質は、分子や原子などから出来てい

ます。また、原子は、その中心にある原子核とそのまわり

をまわる電子たちから構成され、さらに、原子核は複数

個の陽子や中性子から形成されています。陽子と中性子

図 1: 物質は階層構造になっている。(KEKのWeb page「キッズサイエンティスト」から)

は総称して核子と呼ばれています。さらに調べると、核

子は3個のクォークと呼ばれる点状の粒子から出来てい

ることが分かってきました。現在、これらのクォークや

電子には大きさがなく、さらに小さい粒子からできてい

る兆候も見えていません。それらの大きさのサイズと共

1

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に、この物質の階層性を図 1に示します。図 1でのクォークの大きさは、現在の実験技術でも 10−16cm以下であるとしか分からないという意味で書いています。

ミクロの世界を見るのに、普通は光学顕微鏡や電子顕

微鏡などを使います。電子顕微鏡では電子を加速して対

象に照射します。素粒子物理学でも、これと同様に、粒子

を加速して物体に照射します。この時、粒子の物質波の

波長 λは、λ = h/pで与えられますので、より小さい物

体を観測するためには、照射する粒子を加速して運動量

pを大きくしてやらないといけません。このために、粒子

加速器が必要となってきます。それで、素粒子実験物理

学を高エネルギー物理学ということもあります。

(問い) λ = 10−16cmとなるために必要なエネルギーE ∼pc [eV]はいくらか?

2.2 素粒子とは?

これらのクォークや電子などの物質を構成する基本的な

粒子を素粒子と呼びます。これまでの研究の成果として、

クォーク(quark)は全部で6種類存在することが分かりました。また、一方、電子の仲間はレプトン(lepton)と呼ばれ、レプトンも全部で6種類あることが知られてい

ます。図 2に、素粒子のリストを掲載しました。

2.2.1 クォーク

6種類のクォークは、それぞれ、アップ・クォーク(u)、

ダウン・クォーク(d)、チャーム・クォーク(c)、ストレン

ジ・クォーク(s)、トップ・クォーク(t)、ボトム・クォー

ク(b)と呼ばれています。クォークは電荷を持っていて、

アップ・クォーク、チャーム・クォーク、トップ・クォー

クは+ 23eを、ダウン・クォーク、ストレンジ・クォーク、

ボトム・クォークは− 13eの電荷(electric charge)を持っ

ています。ここで、eは素電荷です。

通常の電荷に加えて、クォークは色電荷(color charge)を持っていて、(後述するように)「強い力」で相互作用

します。色電荷には赤(red)、青(blue)、緑(green)の3種類があります。それぞれのクォークについて3種類

の色電荷を持つものがあることになります。

クォークは自然界に単独で存在せず、複合粒子としての

み存在します。3個のクォーク(qqq)の複合粒子をバリ

オン(baryon)と言い、クォークと反クォークの対(qq̄)

をメソン(meson)または中間子と言います。ここで、反クォークはクォークの反粒子のことで、後述します。バ

リオンとメソンをまとめてハドロン(hadron)と総称し

ます。ハドロンを形成するときには、色電荷の合計が白

になるようにクォークが組み合わさっていることが知ら

れています1。

2.2.2 レプトン

一方、6種類のレプトンは、電子(e)、電子ニュート

リノ(νe)、ミューオン(µ)、ミューオン・ニュートリノ

(νµ)、タウ(τ)、タウ・ニュートリノ(ντ)と呼ばれて

います。電荷は、電子やミューオン、タウなどの荷電レ

プトンが−eで、ニュートリノはゼロ電荷(中性)です。

レプトンには色電荷がなく、「強い力」を受けません。レ

プトンは自然界に単独で存在します。

2.2.3 世代

これらクォークとレプトンは、それぞれ2個づつを対

として分類することができます。たとえば、電子と電子

ニュートリノから1つの対を、アップ・クォークとダウ

ン・クォークから1つの対を作ることができます2。そう

すると、クォークとレプトンはそれぞれ3対づつに分類

でき、第1世代、第2世代、第3世代という世代数で区別

します3。第1世代は他の世代の素粒子より質量が軽く、

自然界の通常の物質を構成しています。第2世代や第3

世代の素粒子は不安定で、それより軽い素粒子に変身し

ていきます。後述のように、第2世代や第3世代の素粒

子は、加速器を使って高エネルギー衝突により人工的に

生成することができます。

2.3 反粒子

すべての粒子には、その電荷(と量子数)は異符号であ

るが同じ質量をもつ反粒子が存在します。たとえば、電

子(e−)の反粒子は陽電子(e+)で、陽電子は電子と同

じ質量を持ちますが、負電荷ではなくて正電荷を持って

います。現在、陽電子は、PET(陽電子トモグラフィー)などの医学利用に使われていて、私たちの生活でもなじ

みが深いでしょう。これまで、我々の知っているすべて

の素粒子に対して、その対となる反粒子が発見されてい

ます。高エネルギー粒子加速器を使った素粒子実験では、

真空中にエネルギーを集中させることにより、素粒子と

反粒子を同時に対生成することができます。一方、粒子

1光の3原色と同じで、赤と青と緑の合計で白色になります。また、反クォークは、クォークの色電荷の補色を持つとしていて、色電荷とその補色で白色になるとします。

2この対は、「弱い力」の働き方から分類されています。3世代の番号は、質量が重たくなる順番で付けられています。

2

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図 2: 素粒子のリスト。素粒子には6種類のクォークと6種類のレプトンがあります。それぞれの素粒子に対して、反粒子が存在します。(東京大学宇宙線研究所・久野純治氏より)

と反粒子が衝突すると消滅して、消滅前のそれぞれのエ

ネルギーの総和に等しいエネルギー(の光子)を生成し

ます。これを粒子と反粒子の対消滅と言います。

2.4 相対論的力学

高エネルギー物理学実験では、相対論的な速度で運動

している粒子を扱うので、相対論的力学を理解している

と便利です。たとえば、粒子の生成や消滅などの現象に

おいて、エネルギーと質量の変換は、E = mc2という有

名なアインシュタインの式に従います。これは静止して

いる粒子に対してですが、運動量 pを持つ粒子のエネル

ギー Eは、E =√

(pc)2 + (mc2)2で表されます。今、粒子の速度を β = v/cとし、γ = 1/

√1 − β2を定義すると、

p = γmv (1)

E = γmc2 (2)

と表されます。これは粒子の速度が速くなり光速度に近

づいてくると、粒子の有効質量が、静止した場合の質量

の γ 倍、つまり γmとなり、重くなっていくことを意味

しています。

また、ある慣性系(K)から、それに対して速度 vで x

軸正方向に動いている慣性系(K’)に移るローレンツ変換は以下の式で与えられます。

E′

p′x

p′y

p′z

=

γ −βγ 0 0

−βγ γ 0 00 0 1 00 0 0 1

E

px

py

pz

(3)

ただし、β = v/c、γ = 1/√

1 − β2 です。

(問い) 上記の (1)と (2)式より E =√

(pc)2 + (mc2)2を示せ。

3 素粒子に働く基本的な力

素粒子の間にはいろいろな力(または相互作用)が働

きます。これらの力には4種類あることが知られていま

す。それらは、「強い力」(strong interaction)、「弱い力」(weak interaction)、「電磁気力」(electromagneticinteraction)、「重力」(gravity)です。強い力、弱い力というのは専門用語です。強い力は、原子核の中で陽子や

中性子をつなぎ止めておく力や陽子や中性子などのハド

3

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図 3: 素粒子に働く4種類の基本的な相互作用。これらは、強い力、弱い力、電磁気力、重力です。大統一理論では、別々に存在するレプトンやクォークを統一しようとしています。(東京大学宇宙線研究所・久野純治氏より)

ロン内でクォークをつなぎ止めておく力のことです。ま

た、弱い力は、原子核のベータ崩壊など、素粒子の崩壊に

関する力です。強い力や弱い力は短距離の力であり、重

力や電磁気力は、遠方にまで届く力です。これらの力の

強さとしては、強い力がもっとも強く、電磁気力、弱い

力、重力の順に弱くなっていきます。普通、重力は非常

に弱いので、極微の世界を考える時にはほとんど考慮さ

れることはありません。

3.1 場と粒子

これらの基本的な力は、直接接触しない離れた場所に

ある物質に働く遠隔力です。遠隔力を記述するひとつの

方法は、「場」を使うことです。電磁場や重力場などが良

い例でしょう。空間が電荷や質量の存在で変化して場が

生じるとし、それを他の物質が感じるという考え方です。

強い力の場とか弱い力の場も考えることができます。こ

れらの場を量子化すると、それは粒子になります。場を通

して力を受けるということは、量子力学の言葉では、そ

の場を媒介とする粒子の受け渡しで力を受けるというこ

とと同じであると考えます。これは、湯川が強い力をパイ

中間子の交換で説明しようとした考え方と同じです。こ

れら4つの基本的な力は、たとえば、電磁気力を媒介す

るのは光子(photon)で、強い力はグルーオン(gluon)で、弱い力はW± ボゾンや Z0 ボソンで媒介されること

が知られています。上記の粒子はどれもスピン1のボゾ

ンで、実験的に観測されています。これらをゲージ・ボ

ソンということもあります。光子とグルーオンには質量

がありませんが、W± ボゾンや Z0 ボソンには質量があ

ります。また、グルーオンは強い相互作用を媒介とする

ので、色電荷(それも2色も)を持っています。一方、重

力を媒介とする重力子またはグラヴィトン(graviton)の存在についてはまだ実験的に検証されていません。これ

はスピン2を持つと思われています。図 3に、4つの基本的な力とそれらを媒介とする粒子をまとめてあります。

3.2 基本的な力の統一

20世紀の後半に、電磁力と弱い力が統一的に記述できることが判りました。それを電弱力(electroweak inter-

4

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60

40

20

0

105 1010 1015 10201

(1/αGUT)

U(1) (1/α1)

SU(2) (1/α2)

SU(3) (1/α3)

GeV

図 4: 高エネルギーでの基本的な力の強さの変化とそれらの強さの統一の図。縦軸は力の強さの逆数で、横軸は

エネルギー(距離の逆数)である。ここで電弱力U(1)というのは電磁気力、電弱力 SU(2)というのは弱い力である。これらの強さ(結合定数)が高エネルギーで一致す

る可能性を示唆している。赤線は超対称性粒子が存在し

ている場合、黒線は超対称性粒子がない場合であり、後

述のように超対称性粒子が存在している場合に力の統一

がうまくいくことが分かる。(東京大学宇宙線研究所・久

野純治氏より)

action)と言い、その理論は。電弱理論と呼ばれます。この理論は非アーベル・ゲージ理論で記述され、素粒子物

理学の標準理論の中核をなしています。

この電弱理論にさらに強い力を統一的に記述しよう

とする理論モデルが、大統一理論(Grand Unified The-ory=GUT)です。これが正しいとすると、すくなくとも3つの基本的な力は、統一的に記述することができるよ

うになります。また、その力の強さは非常に高いエネル

ギー(1016GeV程度)で、同じ強さになることが予言されています。というのは、量子力学的効果から、力の働く

距離が変わると基本的な力の強さは変化することが知ら

れているからです。この効果を発見したグロス(Gross)、ウィルチェック(Wilczek)、ポリッツァー(Politzer)は、2004年度のノーベル物理学賞を受賞しました4。この効果

によると、比較的強かった強い力が弱くなり、比較的弱

かった電磁気力や弱い力の強さが強くなるので、やがて

同じ程度の強さになることが期待されます。量子論では、

短い距離はエネルギーの高い状態に対応していますので、

統一のエネルギーは、1016GeV程度になります。しかし、宇宙の初期にはこのようなエネルギーの状態が実現され

ていたと考えらます。図 4に、基本的な力の変化と統一の様子を示しています。

4強い力の漸近的自由性(asymptotic freedon)と言います。

4 宇宙と素粒子

私たちの住むこの宇宙は、約 150億年前のビックバン(Big Bang)と呼ばれる大爆発によって誕生したと思われています。その誕生の直後は、非常に高温かつ高密度の

状態であり、星も生命も存在せず、素粒子のみが飛び交

う状態であったわけです。ビッグバンの後、宇宙は膨張

し、その膨張とともに温度が冷えて密度も下がり、現在

の宇宙の状態ができました。このような理由で、宇宙の

創成と素粒子の研究は非常に深く関わっていることが分

かってきて、非常に注目を浴びています。

4.1 ビッグバン宇宙

1916年に、アインシュタイン(Einstein)は一般相対性理論を発表しました。これは重力等を説明する理論です。

フリードマン(Freedman)は一般相対性理論を宇宙に適応し、宇宙は膨張するということを見つけました。しか

し、アインシュタインは、これが気に入らなくて、静止し

た宇宙にするために、宇宙定数という定数項をみずから

加えました。しかし、1920年代に、ハッブル(Hubble)は、星の観測を通じて、宇宙が膨張していることを発見

しました。その膨張する速度は、距離に比例していて、遠

方ほど速く膨張していました。これによって、膨張する

宇宙が確立したのです。アインシュタインは、宇宙項を

付け加えたことをその後非常に後悔したそうです。

宇宙が膨張しているということは、逆に過去にさかの

ぼれば、空間は収縮して非常に小さい点のようなものに

なるわけで、その点のような宇宙は、高温高圧状態にあっ

たと考えられます。このように、宇宙初期には、宇宙は

火の玉であったという理論をビッグバン理論と言います。

これは、1946年にすでにガモフ(Gamow)が予言していました。このビッグバン理論によると、宇宙はビッグバン

の名残である光(電磁波)で一様に満たされていて、そ

のエネルギー(または温度)は宇宙の膨張とともに、冷

却しているはずです。1964年、米国のベル研究所のペンジアスとウィルソンは、宇宙からのマイクロ波の電磁波

を観測し、そのエネルギー分布(温度分布)が 2.7Kであることを発見しました。これを宇宙背景輻射と言います。

この発見で、ビッグバン理論が正しいことが確立しまし

た。これによると、宇宙は1立方センチメートルあたり

300個の光子(とニュートリノ)で満ちていることが判明しました。

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図 5: 宇宙の誕生と素粒子の関係(東京大学宇宙線研究所・久野純治氏より)

4.2 宇宙の物質の創成

素粒子から物質ができているように、反粒子から反物

質を作ることができます。実際、反水素原子(反陽子と

陽電子の原子)を生成できることが最近確認されました。

しかし、我々の身近には、反物質は存在していません。も

し存在していれば、物質と反物質は対消滅して多大なエ

ネルギーを放出しますが、そのような現象は宇宙で見つ

かっていません。何故、宇宙は物質でできていて、反物質

でできていないのでしょうか?一つの解釈としては、宇宙

創成の原始から、物質の量が反物質に比べて優位であっ

たという説があります。しかし、これでは理由として不

満足です。むしろ、宇宙創成の時点では、高エネルギー

の真空から同数の粒子と反粒子が対生成され、その後宇

宙の進化の過程において、何かの理由で粒子(物質)が

優位となり、現在の宇宙が形成されたと考えるのが自然

です。これを物質創成(バリオジェネシス)と言います。

逆に、もし粒子(物質)の優位が生じなくて、粒子と反

粒子の数が同等のままであれば、対消滅により、この宇

宙は空っぽで、我々は存在しなかったでしょう。この物質

の優位の割合は、非常に小さくて、たとえば宇宙の物質

と光子の比から推測されて、約 1/10,000,000,000くらいです。非常に小さい値ですが、この優位差を生成した理

由を知りたいものです。というのも、これは、なぜ宇宙

に我々が存在しているのかという根源的な問いだからで

す。まだ、これは研究途上の課題であり、我々は正しい

回答を知りません。しかし、これは素粒子物理学によっ

て解決されるでしょう。

5 素粒子物理学の歴史

ここで、素粒子物理学の発展の歴史を簡単に振り返っ

てみましょう。

5.1 黎明期

20世紀の初め、量子力学と相対性理論が確立しました。これらは、素粒子物理学という学問の基礎を形作っていま

す。1920年代に知られていた素粒子は、電子(electron)、陽子(proton)と光子(photon)のみでした。英国の物

6

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理学者であったディラック(Dirac)は、フェルミオンを記述するディラック方程式を作り出し、その方程式から

反粒子の存在を予言しました。1930年代や 1940年代には、宇宙線を使った素粒子実験が主でしたが、アンダーソ

ン(Anderson)らは霧箱測定器を使って、宇宙線中に電子の反粒子である陽電子 (positron)を発見することに成功しました。1935年には、湯川が原子核中の核力を説明するためにパイ中間子を予言し、その質量を推測しまし

た。湯川の予言したパイ中間子を発見しようとして、宇

宙線を使った実験が活発に行われました。1937年に、偶然に、新しいレプトンであるミューオンが宇宙線中に見

つかりました。ミューオンは、湯川の予言したパイ中間

子ではなかったのですが、最終的にはパイ中間子は 1947年に宇宙線中に発見されました。1947年には、ストレンジネスという量子数をもつ新しいタイプのハドロン(K中間子)が宇宙線の中に発見されました。

図 6: ポール・ディラック (1902-1984)[左] と湯川秀樹(1907-1981)[右]

5.2 加速器の発達とクォーク理論

第2次世界大戦後、運動エネルギーが 10 GeVを超えるような粒子加速器が建設され始めました。それらの加

速器を使って、100個を超える非常に多くのハドロン粒子が発見されました。これらのハドロンを分類するために、

1964年にゲルマン(Gell-Mann)とツヴァイク(Zweig)は、クォーク理論を提唱しました。最初のクォーク理論で

は(6種類ではなく)3種類のクォーク(アップ、ダウンとストレンジ)のみが考慮されました。素粒子の種類の

ことを、フレーバー(flavor)と言います。違ったフレーバーのクォークがお互いに混合する可能性について、キャ

ビボ(Cabbibo)がクォーク理論が確立する以前にも提案

していましたが、これは後年の小林益川クォーク混合理

論として発展していきます(後述)。クォークの存在の実

験的検証は、1970年代の初めに行われました。この検証実験では、高エネルギーに加速した電子を核子と散乱さ

せて(深部非弾性散乱)、核子の中に3つの粒子(パート

ン)が存在することを示しました。ラザフォードのアル

ファ線散乱実験と同じような原理です。その頃には、4種

類のレプトン、すなわち、電子、その対となる電子ニュー

トリノ、ミューオン、その対となるミューオン・ニュート

リノの存在が実験的に知られていました。3種類のクォー

クと4種類のレプトン、もしこれらが基本的な素粒子で

あれば、4番目のクォークが存在するはずと考えられて

いました。

5.3 ゲージ理論の確立

20世紀の後半、素粒子物理学は、理論面でも実験面でも、飛躍的な発展をしました。これらの進展は、素粒子物

理学の標準理論(The Standard Model)を確立しました。最初の進展は、1974年に、いわゆる「11月革命」として始まりました。それは、4番目のチャーム(charm)クォークを含む新しい粒子(J/ψ)の発見です。この発見は、標準理論の実験的確立への第1歩でした。一方、理論面で

は、その頃までは、電磁相互作用と弱い相互作用を統一

的に記述する電弱理論の枠組みは出来上がっていました。

また、強い相互作用については、量子色力学(quantumchromodynamics、QCDともいう)が考えられていました。これらは、SU(2)群(弱い相互作用)や SU(3)群(強い相互作用)に基づいた非アーベル・ゲージ理論となって

います。これらの理論では、スピン 1のゲージボソンが相互作用を媒介とする粒子となっています。強い相互作

用を媒介とする粒子は、グルーオン(gluon)と呼ばれ、1979年に、PETRA電子陽電子衝突型加速器で直接発見されました。また、弱い相互用を媒介するW±ボソンと

Z ボソンは、1982年に、欧州の CERN研究所の陽子反陽子衝突型加速器で発見されました。

5.4 第3世代のクォーク

クォークは2個づつ対となって世代(generation)を形成しています。4種類のクォークで2世代があることに

なります。第3世代のクォークの存在を予言したのは小

林と益川で、1973年のことです。驚くべき事に、これは第4番目のチャーム・クォークが発見される 1974年の1年前のことでした。その頃、中性K中間子の崩壊で、粒

7

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子と反粒子の間に差が見つかり、これを粒子反粒子対称

性の破れまたはCP保存の破れ(CP非保存)と呼んでいました。これを説明するためには、小林と益川はクォー

クフレーバー混合行列に複素位相が必要であるとし、そ

のような複素位相が存在するためにはクォークは3世代

以上は存在しないといけないと予言しました。

第3世代の素粒子は、まず、1975年の米国スタンフォード線型加速器センター (SLAC研究所)でのタウ・レプトンの発見から始まりました。これは、1974年のチャーム・クォークの発見の翌年です。第3世代のクォークの存在

については、1977年に米国フェルミ加速器研究所の固定標的実験でボトム・クォークが発見され、1994年には同じく米国フェルミ研究所のテバトロン (Tevatron)陽子反陽子衝突型加速器でトップ・クォークが発見されました。

また、CERN研究所の LEP電子陽電子衝突型加速器やSLAC研究所の電子陽電子衝突型加速器でのZ0ボソンの

崩壊の詳細な研究よりクォークやレプトンの世代数は3

であることが判明しました。しかし、何故3世代の素粒

子が存在するのか、その理由は理解されていません。ま

た、中性 K中間子で観測されていた CP非保存現象が、最近、ボトム・クォークを含む B中間子でも観測されました。これは日本の KEK研究所や米国 SLAC研究所での Bファクトリ(B中間子ファクトリ)での実験です。

5.5 ニュートリノ

1998年、日本のスーパーカミオカンデ測定器において大気ニュートリノの天頂角分布を解析して、ニュートリ

ノが異種に変身していること(ニュートリノ振動)を発見

しました。大気ニュートリノは、宇宙線が地球の大気と反

応して生じたニュートリノのことです。これは、ニュート

リノが、非常に小さいが有限のゼロでない質量を持つこ

との初めての実験的証拠となりました。その後、ニュー

トリノ振動は、太陽からのニュートリノ(太陽ニュート

リノ)や原子炉からのニュートリノでも観測されました。

ニュートリノ振動は、ニュートリノのフレーバーが混合

していることから生じます。

ニュートリノ混合の割合は、クォーク混合の割合と非

常に違っていることが実験的にわかってきました。何故、

素粒子が混合するのか、その機構については解っていま

せん。また、ニュートリノの質量は非常に小さいのです

が、これは非常に高エネルギー(1011−16 GeV)の現象についてヒントを与えるかも知れないと推測されています

(ニュートリノのシーソー機構、後述)。

図 7: スーパーカミオカンデの測定器。(KEKのWeb pageの KEKニュースより)

6 素粒子物理学の高エネルギーフロン

ティア

6.1 固定標的実験と衝突型加速器実験

物理学は実証の学問であるので、実験は非常に重要な

役割を担うことになります。特に、素粒子物理学実験は、

粒子加速器の発展に伴って著しく進展してきました。当

初は、固定標的実験が中心でした。このタイプの実験で

は、粒子加速器で加速された粒子ビームを固定された標

的に衝突させます。この衝突で利用できる正味の衝突エ

ネルギーは、√

2EM で与えられます5。E は粒子ビーム

のエネルギーで、M は標的となる粒子の質量です。この

正味の衝突エネルギーが、たとえば、新しい素粒子を生

成するために利用できるエネルギーとなります。この場

合、粒子ビームのエネルギーを4倍にしても、この正味

のエネルギーは2倍にしかならないので、非常に効率が

悪いことになっています。

そこで、衝突型加速器のアイデアが出てきました。こ

の衝突型加速器では、2つの加速された粒子ビームを正

面衝突させます。この場合、正味の衝突エネルギーは 2E

となり、より効率的に正味の衝突エネルギーを作り出す

ことができます。そして、衝突点の周りに、実験測定器

を置くことにより、ほとんど 4πの立体角で反応粒子を測

定することができます。最初の衝突型加速器は、1960年代の後半で建設されました。1970年代以降は、ほとんどの新粒子は高エネルギーフロンティアの衝突型加速器で

発見されてきました。たとえば、J/φ粒子(cc̄中間子)、

5エネルギー保存と運動量保存を相対論的に考えると出てきます。

8

Page 9: 初めての素粒子物理学 - Yamanaka Grouposksn2.hep.sci.osaka-u.ac.jp/~naga/kogi/handai-honor08/...に、この物質の階層性を図1に示します。図1でのクォー

図 8: 陽子陽子衝突型加速器 LHCのトンネルと加速器。このトンネルに以前 LEP加速器が設置されていました。現在は超伝導磁石を使った加速器を設置しています。(東

京大学・駒宮幸男氏より)

タウ・レプトン、グルーオン、W±ボソンや Z0ボソン、

トップ・クォークなどです。

6.2 電子陽電子衝突型とハドロン衝突型

衝突型加速器には2種類あり、ひとつは電子陽電子衝

突型加速器、もうひとつはハドロン衝突型加速器(陽子

反陽子や陽子陽子)です。6

電子陽電子衝突型加速器実験は、ハドロン衝突型加速

器実験より、シンプルで反応も複雑ではありません。電

子や陽電子は強い相互作用をしませんので、反応は複雑

ではありません。一方、ハドロンはクォークやグルーオ

ンからなる複合粒子ですので、その反応は複雑で多くの

粒子が生成され、実験環境としてシンプルではありませ

ん。さらに、基本的な反応はハドロン自身ではなくてハ

ドロンを構成しているクォークやグルーオンなどの反応

ですので、加速されたハドロンの一部のエネルギーが衝

突に使われることになります。この割合も一定ではあり

ません。

しかし、電子陽電子衝突型加速器にも弱点があります。

加速器は円型をしているので、偏向電磁石などで粒子ビー

ムの向きを変えてやらないといけないのですが、曲げた

時にシンクロトロン放射をします。シンクロトロン放射

をすると、粒子ビームのエネルギーが下がって減速され

ます。このシンクロトロン放射は、質量の軽い電子(陽電

子)では非常に大きく、質量の重いハドロンではほとん

6電子とハドロン(陽子)を衝突させる衝突型加速器 HERA(ドイツ)もありましたが、2007 年に運転が中止されました。

どありません。したがって、超高エネルギーの電子陽電

子円型加速器を建設することはできません。というわけ

ですので、高エネルギーを簡単に達成するためには、ハ

ドロン加速器は優位であるということになります。

6.2.1 LHC

このような理由で、欧州のCERN研究所では、陽子陽子衝突型加速器 LHC(Large Hadron Collider)が建設中です。世界最高エネルギーの E =7 TeVの陽子どうしを衝突させます(重心系のエネルギーは 14TeV)。これは、以前の電子陽電子衝突加速器 LEPのトンネルを再利用して、その中に超電磁石からなる加速器を新設したもので

す。図 8に建設中の LHCの状況を示しています。2008年には加速器の運転が開始される予定です。

6.2.2 ILC

しかし、電子陽電子衝突型加速器の長所を保持したま

ま、シンクロトロン放射の問題を回避するためにはどう

したら良いでしょうか?曲げなければ良いのですから、線

型加速器で加速して正面衝突させるようにしてやれば良

いという提案がなされました。これを電子陽電子線型衝

突型加速器(リニアコライダー)と言います。円型加速

器であれば、周回している間に何回も加速もできるし、

何回も衝突させることもできます。線型加速器では、一

回で加速し、衝突も一回だけです。そのため加速する装

置(加速空胴)も大量に必要となります。しかし、すで

に加速器開発は 20年前から始めていて、現在、国際協力でリニアコライダーを建設しようという計画があります。

これを ILC(=International Linear Collider)と言います。ILCのトンネルのレイアウトを図 9に示します。2つのトンネルがあり、左側のトンネルは粒子を加速するため

の装置(電源やクライオストロン)で右側のトンネルは電

子や陽電子の線型加速器を設置されています。技術的検

討の結果、超伝導加速空胴が採用されました。この ILCは、LHCの後、TeVエネルギー領域の新しい物理現象を精密に探索します。それらの実験例を以下に解説するこ

とにしましょう。

6.3 ヒッグス粒子

素粒子物理学の標準理論では、ゲージ対称性が破れて

いなければ、すべて素粒子の質量はゼロのままです。実

際に、素粒子は質量を持っていますので、このゲージ対称

性は破れています。このゲージ対称性を破って、クォーク

9

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図 9: ILCのレイアウト(東京大学・駒宮幸男氏より)

やレプトン(どちらもフェルミオン)に質量を与えるメ

カニズムをヒッグス(Higgs)機構といい、このヒッグス(Higgs)粒子(スピン 0で空間反転パリティは+1)が必要となってきます。ヒッグス機構では、クォークやレプト

ンがヒッグス粒子と相互作用して、質量を得ることになり

ます。この相互作用を湯川相互作用と言います。ヒッグス

粒子との相互作用で質量を持つというのは、たとえば真

空中をヒッグス粒子の場(ヒッグス場)が覆って、クォー

クやレプトンはそれと相互作用するので、速度が光速よ

り遅くなって質量も持つのだというように説明すること

もできます(図 10)。さらに、W±ボゾンや Z0ボゾンも

対称性の破れから質量も持つことになります。

図 10: ヒッグス粒子との相互作用で質量を持つことのイメージ:ヒッグス場の海のなかにあり、ヒッグス場と反応

する粒子は抵抗を受けて光速では飛べなくなる。これは

質量を持つことと同等である(KEKのWeb page「キッズサイエンティスト」から)

これまでの実験から、ヒッグス粒子の質量は 114 GeVから 200 GeVくらいではないかと思われています7。来

年には開始される欧州の LHC 加速器実験で、ヒッグス粒子が直接に発見されるであろうと非常に期待されてい

ます。LHCでヒッグス粒子を発見することができれば、ILCではそのヒッグス粒子を大量に生成することができ、ヒッグス粒子の生成と崩壊、ヒッグス粒子のクォークや

レプトンとの結合定数の測定などの精密実験を展開する

ことが出来るようになります。スピン 0で空間反転パリティ+1の粒子をスカラー粒子と言います。スピン 0で空間反転パリティ+1というのは真空と同じ量子数です。そのために、スカラー粒子は、真空の構造、宇宙のインフ

レーション、暗黒エネルギーなどと関連していると言わ

れています。これまで、スカラー粒子は見つかっていま

せんので、ヒッグス粒子が発見されると最初のスカラー

粒子ということになります。ヒッグス粒子の研究は、こ

のようなスカラー素粒子の研究の端緒になるでしょう。

6.4 超対称性

ヒッグス粒子が発見されてゲージ対称性の破れの機構

が理解されたとしても、それで終わりではありません。

標準理論には不十分なところがたくさんあるので、それ

を補うような、より完璧な新しい理論が必要とされてい

ます。

超対称性理論は、現在の標準理論を補う新しい理論枠

組みとして最も期待されている理論です。超対称性(su-persymmetry)8は、フェルミオンとボゾンの間の対称性

です。もしこの超対称性が存在するとすると、すべての

素粒子にはその超対称性パートナーが存在することにな

ります。素粒子の総数が 2倍になるわけです。この超対称性パートナーは、対となる素粒子とスピンが 1

2 だけ異

なっています(つまり、フェルミオンはボソンに、ボゾ

ンはフェルミオンに)。超対称性が完全な対称性であれ

ば、素粒子とその超対称性パートナーは同じ質量を持つ

はずですが、超対称性は破れていて不完全なので、これ

らは同じ質量ではありません。つまり、超対称性パート

ナーは非常に重くてまだ発見されていないということで

す。この超対称性粒子の質量は、超対称性がどのように

破れているかに依存しています。現在の予測では、これ

らの超対称性粒子は TeV (= 1012eV)くらいの質量を持つ可能性があると思われています。

7GeV=109eV です。質量は eV/c2(ただし c は光速)の次元を持ちますが、簡単のために c = 1 とする自然単位系を使うことが多いです。

8超対称性は SUSY と書いてスージーと呼ぶこともあります。

10

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図 11: 素粒子と超対称性粒子。フェルミオンとボゾンの関係となっている(KEKのWeb page「キッズサイエンティスト」から)

超対称性の存在を信じる幾つかの理由があります。そ

れらは、

• ヒッグス粒子は高エネルギーで不安定で、その質量が量子補正で発散するという問題があります。これ

を回避するためには、超対称性粒子が必要となるこ

とが分かっています。• (Rパリティが保存する)ある種の超対称性理論では、最も軽い超対称性粒子はさらに崩壊することが

できず安定に宇宙に存在することになります。これ

が、暗黒物質(Dark Matter)の候補となると考えられています。

• 強い力、弱い力、電磁気力の結合定数は、大統一理論のエネルギーで結合定数(強さ)が等しくなって

欲しいのですが、超対称性粒子がないと、この3つ

の結合定数は一致しません。しかし、超対称性粒子

が存在すると、高エネルギー(1016GeV程度)で一致することが分かっています。この状況は、図 4を参照してください。

さらに、究極の理論の候補と思われているスーパースト

リング理論も超対称性を必要とします。

LHC実験で超対称性粒子を発見する可能性は高いと思われます。さらに、ILC実験では、それら超対称性粒子の性質を精密に測定することができます。

6.5 それ以外の新しい現象の可能性

超対称性以外にも新しい物理現象の可能性があります。

たとえば、余剰次元理論(extra-dimension)があります。この余剰次元理論では、我々の住んでいる 4次元の時空間に加えて、6次元の空間が存在すると仮定します。合計

11

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で 10次元です。この 6次元の空間は非常に小さくコンパクト化されていて、我々には観測することができません。

しかし、高エネルギー現象を調べることにより、このコ

ンパクト化された空間からの手がかりを探すことができ

るかもしれないと予測しています。

7 素粒子物理学の精密フロンティア

高エネルギー・フロンティア実験で、ヒッグス粒子が

発見され、超対称性粒子が見つかったとしても、まだ解

決すべき、多くの基本的な素粒子物理学の問題がありま

す。それらは、たとえば、

• 何故3世代のクォークやレプトンが存在するのであろうか、何故それぞれのクォークやレプトンは違っ

た質量を持っているのであろうか?• 何故、クォークやレプトンはお互いに混合しているのであろうか(フレーバー混合)?

• 何故、粒子と反粒子の間で差があるのであろうか(CP非保存)?

• ニュートリノの質量の起源は何か?• ニュートリノはこの物質優位の宇宙を生成するのに重要な役割を果たしたのであろうか?

このような(まだ未解決の)基本的な課題を解明するた

めには、精密フロンティアの実験手段も重要となってき

ます。それらを簡単に紹介しましょう。

7.1 クォーク・フレーバーの物理

すでに説明したように、「フレーバー」は違った種類の

素粒子(クォークやレプトン)を区別して分類するため

の指標(正確には量子数)です。6個のクォークと6個の

レプトンを区別するために、それぞれ6個づつのフレー

バーがあります。このフレーバーについての研究をフレー

バー物理の研究と言います。一般に、このフレーバーの

研究は、先ほど示した基本的な物理課題を解明する可能

性があります。

最近、特に関心を集めているのは、フレーバー混合の

問題です。素粒子が混合していると何か起きるでしょう

か?素粒子が混合していると、素粒子がある種類から別

の種類への変身することができます。この混合の程度が

変身する確率に対応しています。実験的には、素粒子が

他の素粒子に変身する確率を測定すれば、素粒子の混合

の程度が判ります。素粒子物理学の標準理論では、この

クォークのフレーバー混合の割合は、ヒッグス粒子と素

粒子の相互作用の大きさ(結合定数)によって決まりま

す。この大きさを(前述のように)湯川結合定数と言い

ます9。素粒子標準理論は、湯川結合定数の大きさについ

て予測することができません。したがって、これらは実

験的に決定する必要があります。また、この素粒子のフ

レーバー混合の大きさの精密測定は、フレーバー混合を

理解するうえで重要となります。

7.1.1 小林益川クォーク混合行列

クォークについては、フレーバー混合の大きさは3行

3列のユニタリ行列で表現されます。これを小林益川行

列(またはクォーク混合行列)といいます。それはたと

えば以下のように記述されます。 d′

s′

b′

=

Vud Vus Vub

Vcd Vcs Vcb

Vtd Vts Vtb

d

s

b

, (4)

ここで、(d′, s′, b′)と (d, s, b)は、それぞれ、電荷が−13eの

クォークのフレーバー固有状態10と、質量の固有状態11で

す。これは、素粒子が相互作用するときに、違った質量固

有状態の素粒子が混じってくるということを意味してい

ます。たとえば、b′クォークの場合は、Vtdd+Vtss+Vtbb

の3種類の質量固有状態の線型結合で記述されるという

ことです。さて、その結果、素粒子の変身は、たとえば

(トップ・クォークが)質量固有状態のダウン (d)クォークに変身する割合は、|Vtd|2に比例することになります。小林益川行列は、3行3列のユニタリ行列なので、3

つの角度と1つの複素位相で記述することができます。

この角度と複素位相の代わりに Vus = λとして12、λで

それぞれの行列要素を展開すると行列要素の関係がよく

分かるようになります。これをヴォルフェンシュタイン

(Wolfenstein)のパラメーター表示と言います。このパラメーター表示を使って、3行3列の小林益川行列を記述

すると、 1 − λ2

2 λ Aλ3(ρ − iη)−λ 1 − λ2

2 Aλ2

Aλ3(1 − ρ − iη) −Aλ2 1

(5)

となります。ここで、λ,A, ρ, ηは実験的に決められるパ

ラメータです。これまで、λと Aの大きさについてはよ9湯川はフェルミオンである核子とボソンであるパイ中間子の相互作

用を考えたのですが、それにちなんで、フェルミオンであるクォークやレプトンとボゾンであるヒッグス粒子の相互作用を湯川相互作用と言い、その相互作用の結合定数を湯川結合定数というようになりました。

10相互作用の固有状態ということです。11質量の固有状態ということで、普通はこれで素粒子を区別します。12λは実験から決まっていて λ = 0.22です。また、Vus = cos θc として θc のことをキャビボ角(Cabbibo angle)といいます。

12

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く知られていましたが、ρと ηについては不確定でした。

それで、この ρと ηを精密に決めるために、K 中間子や

B 中間子を使った実験が精力的に行われてきました。

また、クォーク混合は、1964年に発見された中性K中

間子(K0)の粒子反粒子非対称(CP非保存)とも関連しています。というのも、複素位相に対応する η がゼロ

でなければ、この CP非保存を説明できるからです。

7.1.2 Bファクトリ

小林益川クォーク混合理論の仮定が正しいとすると、中

性K中間子だけでなく、中性 B中間子(ボトム・クォークを含む中間子)でも CP非保存が観測されるはずです。それで、日本では高エネルギー加速器研究機構(KEK)に、米国では SLAC研究所に、Bファクトリ実験施設が建設されました。Bファクトリは大ビーム強度の電子陽電子衝突型加速器で、衝突エネルギーは 10.58 GeVです。図 12に、KEKの Bファクトリでの Belle実験装置を示します。2001年、これらの Bファクトリでの実験において、非常に大きな CP非保存が B中間子で発見されました。これにより、ηがゼロでなく有限な値を持ち、ρと η

パラメータを精密に決定することができました。その成

果を図 13に示します。図 13では、様々な実験から決定された ρと ηの値を実験誤差を含めてプロットしてあり

ます。ρ ∼ 0.2で η ∼ 04の値で、すべての実験を矛盾なく説明することができ、これらの値を正確に決定するこ

とができました。これにより、小林益川理論が正しいこ

とが実験的に検証されたのです。

図 12: 高エネルギー加速器研究機構の B ファクトリでの Belle測定器。B中間子の CP非保存を発見しました。(KEKのWeb pageの KEKニュースより)

7.2 レプトン・フレーバーの物理

レプトンのフレーバーはどのようになっているのでしょ

うか?10年前くらいまでは、素粒子標準理論では、ニュートリノは、光子と同様に、質量がゼロであると仮定され

てきました。しかし、スーパーカミオカンデ実験(日本)、

SNO実験(カナダ)、やカムランド実験(日本)などの実験により、ニュートリノはゼロでない有限な質量をもち、

かつ、異種のニュートリノに変身すること(ニュートリ

ノ振動)が発見されました。ニュートリノも、クォーク

と同様に、フレーバー混合しているわけです。

7.2.1 牧・中川・坂田ニュートリノ混合行列

このニュートリノ混合は、牧・中川・坂田行列と呼ば

れています。1962年に、この名古屋大学の3人の先生たちがニュートリノ混合の可能性についてすでに予言して

いたからです。この牧・中川・坂田行列は、(クォークの

場合と同様に)以下のような3行3列の行列で記述する

ことができます。 νe

νµ

ντ

=

Ue1 Ue2 Ue3

Uµ1 Uµ2 Uµ3

Uτ1 Uτ2 Uτ3

ν1

ν2

ν3

, (6)

ここで、νe, νµ, ντ は、ニュートリノの相互作用の固有状

態で、ν1, ν2, ν3は、質量の固有状態です。牧・中川・坂田

行列は、3行3列のユニタリ行列なので、3つの角度と

1つの複素位相で記述できます。それは、θ12、θ23、θ13

と複素位相 δと書かれます。θ12については、太陽からの

ニュートリノや原子炉からのニュートリノの振動から13、

θ23 については、大気ニュートリノや加速器で生成した

ニュートリノの振動から14、実験的に決定されています。

それらは sin2 θ12 ∼ 0.3、sin2 θ23 ∼ 0.5となっています。θ13(3つの角度で最も小さい)と δについてはまだ決定

されていません。現在、θ13の測定については、原子炉か

らのニュートリノをつかったフランスのダブル・ショー

(Double Chooz)実験や日本の J-PARC加速器施設(建設中)のT2K実験、米国フェルミ研究所のノヴァ(NoνA)実験などが準備中です。

これらのニュートリノ振動実験は、ニュートリノのフ

レーバー混合の割合を決めるだけでなく、ニュートリノの

質量(の2乗差)を決めることができます。今、ニュート

リノ(ν1, ν2, ν3)の質量をそれぞれ、m1,m2, m3とする

と、∆m221 = m2

2 −m21 = 8.0+0.6

−0.4 × 10−5 eV2、|∆m232| =

13これは電子ニュートリノが異種の変身するニュートリノ振動。14これはミューオン・ニュートリノが異種に変身するニュートリノ振動。

13

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ρ-1 -0.5 0 0.5 1

η

-1

-0.5

0

0.5

β

α

γ+β2

sm∆dm∆ dm∆

cbVubV

ρ-1 -0.5 0 0.5 1

η

-1

-0.5

0

0.5

1

図 13: 小林益川行列の ρと ηパラメータの実験的な制限の図。すべての B 中間子やK 中間子の実験は ρ ∼ 0.2, η ∼ 0.4であれば説明できることが判った。これは B ファクトリの大きな実験的成果である。

|m23−m2

2| = (2.5±0.5)×10−3 eV2と決定されています。

これから判ることは、(1)3つのニュートリノのうち、

2つの質量は非常に似ていて、3つめの質量は離れてい

るということと、(2)ニュートリノは他の素粒子と比較

して非常に小さい質量を持ちそうだということです。何

故ニュートリノだけ小さい質量を持つかということを説

明するために、ニュートリノのシーソー機構理論が提唱

されています。これによると、ニュートリノの質量は非常

に高いエネルギーの現象と関連していることになります

(後述)。さらに、牧・中川・坂田行列は、複素位相 δを含

んでいますので、ニュートリノの振動で CP非保存が期待されます。このニュートリノの CP非保存は、ニュートリノ振動の割合と、反ニュートリノの振動の割合の差

を観測することによって探索できます。もし θ13角は充分

に大きければ、加速器で生成されたニュートリノビーム

を使ってニュートリノの CP非保存現象を測定できるかもしません。もし θ13角は小さいようでしたら、(Bファ

クトリのように)ニュートリノ・ファクトリのような将

来の加速器施設が必要となるかもしれません。

レプトンのフレーバー混合のパターンは、クォークの

フレーバー混合のパターンとは随分違っています。これ

らを比較・統合して研究することによって、フレーバー混

合について深淵な洞察が得られるかもしれません。その

ためには、Bファクトリでのクォーク混合と同じ精度で、レプトン混合について調べる必要があると思います。そ

のような深淵な洞察の例のひとつとして、クォーク・レ

プトン相補性があり、これは、θc + θ12 ∼ π4 になると予

言します。ここで、θcはクォークのキャビボ角で、θ12は

ニュートリノ混合角です。現在は、ニュートリノ混合の

精度が良くないので、これを改善する必要があります。

7.2.2 ニュートリノ物理での様々な課題

ニュートリノ混合以外にも、ニュートリノ物理学には

幾つかの重要な課題があります。

14

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• ニュートリノはマヨラナ粒子か?ニュートリノがディラック粒子であるか、マヨラナ粒

子であるかを決定することは、最重要課題です。マヨ

ラナ粒子というのは、粒子と反粒子が等しいフェル

ミオンです。電荷がゼロでないといけませんが、電荷

がゼロのフェルミオンはニュートリノしかありませ

ん。一方、ディラック粒子は、粒子と反粒子は別であ

るフェルミオンで、他の通常の素粒子はディラック粒

子であることがわかっています。ニュートリノがマヨ

ラナ粒子であるかどうかを調べるためには、ニュー

トリノ放出のない二重ベータ崩壊を探索する必要が

あります。もしニュートリノがマヨラナ粒子であれ

ば、このニュートリノ放出を伴わない二重ベータ崩

壊が起こると予言されているからです。また、もし

ニュートリノがマヨラナ粒子であれば、その波動関

数はマヨラナ位相という複素位相を持ち、CP非保存の起源となり得ます。ニュートリノ放出を伴わない

ダブルベータ崩壊の崩壊率を測定することができれ

ば、ニュートリノの質量と共に、これらの複素位相

についての情報も得ることができます。現在、様々

なダブルベータ崩壊核で、その探索が続けられてい

ます。• ニュートリノの質量の絶対値は?ニュートリノ振動では、ニュートリノの質量の二乗

差(の絶対値)を測定することができますが、質量

の絶対値は分かりません。これを測定するためには、

トリチウム(三重水素)のベータ崩壊のエネルギー

スペクトルのエンド・ポイントを精密に調べ、電子

ニュートリノの質量を決めてやる必要があります。現

在、0.1 eVの質量精度を狙う実験がドイツで準備されています。

• ニュートリノの質量パターンは?ニュートリノの質量パターンを決める必要がありま

す。前述のように、これまでのニュートリノ振動は

質量の二乗差の絶対値しか決めることができません

でした。したがって、質量の近い2つのニュートリノ

が重くて3つ目のニュートリノが軽い場合(invertedhierarchy)とその逆の場合(normal hierarchy)が考えられます。これを決定するためには、非常に長

い距離(1000km程度)のニュートリノ振動をする必要があります。

7.2.3 荷電レプトンのフレーバー物理

クォークやニュートリノでは、異種のフレーバーに変

身する物理現象が見つかっていますが、荷電レプトンで

はこのようなフレーバーを破るような物理現象はいまだ

発見されていません。これを荷電レプトンのレプトン・

フレーバー保存の破れと呼びます。これらの過程の例と

して、µ → eγ、ミューオニック原子での µ − e転換過程

(µ− + N → e− + N)、τ → µγ 崩壊、τ → eγ 崩壊など

があります。素粒子物理学の標準理論では、このような

過程は(ニュートリノ混合の効果を入れても)非常に抑

制されることが知られています。しかし、超対称性理論

などの新しい物理理論では、この過程は非常に大きな反

応確率で起きることが予言されていて、実験的にも理論

的にも注目されています。特に、超対称性大統一理論や

超対称性シーソー理論では、現在の実験上限値の数桁下

に予言値があり、さまざまな実験的努力が進められてい

ます。

7.3 素粒子の性質の精密測定

7.3.1 素粒子の電気および磁気双極子モーメント

精密フロンティアの最前線は、素粒子の静的および動

的性質の精密測定でしょう。素粒子の性質を精密に測定

し、それを標準理論の予測値と比較します。超対称性理

論などの新しい物理の効果があれば、測定値は標準理論

の予測値からずれてきますので、それを探索するという

実験です。例としては、素粒子の電気双極子モーメント

(electric dipole moment)15とか、磁気双極子モーメント

(magnetic dipole moment)などがあります。素粒子の電気双極子モーメントは、時間反転対称性(と

CP 対称性)を破っているので、特に関心を集めています。標準理論では、素粒子の電気双極子モーメントは観

測にかからないほど小さい値を予測しています。ですか

ら、もしそれを発見することができれば、標準理論では

説明できない新しい物理を見つけたことになります。電

子、中性子、重陽子、常磁性原子などで探索実験が行わ

れています。これまでのところ、最も実験感度の良い実

験は、199Hg常磁性原子で、10−28e·cm以下という上限値を出しています。

素粒子の磁気双極子モーメントについては、電子とミ

ューオンで精密測定が行われています。電子の場合は、量

子電磁気学(Quantum Electric Dynamics)の超精密テストとなります。また、ミューオンについては、異常磁気

モーメント((g− 2)/2)について測定が行われました16。

実験は、米国のブルックヘブン研究所で行われ、1ppm以

15EDM と呼ばれることもあります。16磁気双極子モーメントはボア磁気子(= (e~)/(2mc))を基準にして g 因子で記述することができる。フェルミオンは g = 2 となるが、量子補正があると g = 2 からずれてきます。

15

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下の精度を達成しました。標準理論の予言値に大きな理

論誤差がありますが、3.4σの優位な差が報告されていま

す。超対称性粒子の効果などが考えられますが、更なる

実験が必要となると思います。

図 14: 米国ブルックヘブン研究所の g−2実験装置。ミューオンを蓄積リングに蓄積し、周回させて異常磁気能率を

測定する。

7.3.2 陽子崩壊探索

バリオン数はバリオンが持っている量子数で、陽子や

中性子のバリオン数を+1とし、また、反物質である反陽子や反中性子のバリオン数を −1とします。すべての反応で、始状態と終状態のバリオン数の和は保存されると

いうのが、バリオン数保存です。陽子は最も軽いバリオ

ンです。もしバリオン数の保存が成り立っていれば、陽

子はさらに崩壊して違う素粒子に変身することはできま

せん。このような探索実験の一例が、岐阜県神岡町にあ

るスーパー・カミオカンデです。ここでは、5万トンの純水をためて、水の分子に含まれる陽子が崩壊するかどう

か調べています。現在までの測定では、陽子崩壊は発見

されていません。それから、陽子の平均寿命は、 1033年

より長いことがわかりました。これは宇宙の寿命の 150億年(1.5× 1010 年)よりもずっと長い値です。一方、素

粒子物理学での大統一理論などの仮説では、必ずしもバ

リオン数は保存しなくてもよく、やがて、陽子崩壊が発

見されるかもしれません。

8 素粒子物理学と宇宙

8.1 暗黒物質と暗黒エネルギー

再度、素粒子と宇宙の相互関連について検討してみま

しょう。宇宙の星や生物は、私たちの知っている物質か

ら出来ています。しかし、これらは宇宙の全質量(また

は全エネルギー)の 4%にしかなりません。残りは、暗黒物質(dark matter)が 23%で、暗黒エネルギーが 73%を占めています。しかし、残念ながら、私たちは暗黒物質

や暗黒エネルギーの正体が何であるか知りません。宇宙

の 96%について正体が分かっていないというのは、驚きを禁じえません。

暗黒物質は宇宙の初期にできた未発見の相互作用の小

さい素粒子(weekly interacting particles)である可能性があります。たとえば、もっとも軽い超対称性粒子かも

しれません。これらは重力で引きつけられ、銀河を形成

する種となりました。また、暗黒エネルギーは真空のエ

ネルギーで、現在の宇宙の膨張を加速させています。こ

の暗黒エネルギーは、アインシュタインによって一般相

対性理論に導入された宇宙定数と見なすことができます

が、その正体は素粒子物理学によって理解される必要が

あります。

図 15: 宇宙の質量(エネルギー)の分布。73%は暗黒エネルギー、23%は暗黒物質で残りの 4%が水素などの物質から出来ています。96%について正体不明となっています。(KEKのWeb page「キッズサイエンティスト」から)

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8.2 物質優位の宇宙

前述のように、素粒子と宇宙の関連で重要な課題は、何

故宇宙は物質で出来ていて反物質はないのかという問題

です。ビッグバン直後には、対生成から同数の物質(粒

子)と反物質(反粒子)が生成されたと考えるのが自然

です。その後、宇宙が膨張し冷却していく間に、宇宙に

ある物質と反物質は対消滅して光のエネルギーになって

いきました。もし物質と反物質の総数が等しければ、宇

宙は空っぽになってしまい、私たち人間は存在しなかっ

たでしょう。なにか物質の数が反物質の数より多くする

メカニズムが必要となります。これをバリオジェネシス

と呼ぶことは以前説明しました。

8.2.1 サハロフの 3条件

1967年に、サハロフ(Sakharov)は、宇宙の進化の過程で、物質優位の宇宙ができるための条件を考察しまし

た。これがサハロフの 3条件と呼ばれるものであります。これらは、

1. バリオン数が保存しないこと(バリオン数非保存)、2. 物質と反物質で同等でないこと(CP非保存)、3. 非平衡状態であること、

であります。当初は、最も単純な大統一理論17でバリオ

ジェネシスを説明できると思っていました。というのも、

この最も単純な大統一理論で、バリオン数保存の破れも

説明できるし、CP 非保存も説明できたからです。しかし、標準理論にスファレロン効果(非常な高温状態であ

れば、標準理論でも、トンネル効果で、バリオン数やレ

プトン数が変化する効果。)があることがわかり、せっか

く大統一理論で生成した物質優位がこれにより消滅して

しまうことが分かったからです。

(問い) 物質優位の宇宙をつくるために何故バリオン数保存の破れが必要か?

(問い) 物質優位の宇宙をつくるために何故粒子と反粒子の差(CP非保存)が必要か?

(問い) 物質優位の宇宙をつくるために何故非平衡でないといけないか?

8.2.2 シーソー機構とレプトジェネシス

最も簡単な大統一理論の代わりに、レプトジェネシス

(leptogenesis)が有望視されています。これは、シーソー17ニュートリノを含まない単純は大統一理論に限ります。

機構で予言される重い右巻きニュートリノが物質生成に

主要な役割をなすという理論です。

ニュートリノのシーソー機構とは何でしょうか?不思議

なことに、ニュートリノには左巻きのスピンを持つもの

(反ニュートリノでは右巻きのスピンのもの)しか存在し

ていません。右巻きニュートリノとか、左巻き反ニュー

トリノは、どこにいってしまったのでしょうか?この問題

を解決するために、シーソー機構が提案されました。こ

の理論では、右巻きニュートリノや左巻き反ニュートリ

ノは非常に重くて直接生成することができないだけであ

るとします。そして、左巻きニュートリノの質量と右巻

きニュートリノの質量の積は、他の左巻き素粒子と右巻

き素粒子の質量の積、すなわちその素粒子の質量の二乗

に等しいとします。こうすると、観測されている左巻き

ニュートリノの質量は重い右巻きニュートリノの質量に

反比例して、非常に小さい値を持つことになります。左

巻きニュートリノの質量が 0.1から 0.01 eVであるためには、右巻きニュートリノの質量は、約 1012−13GeVである必要があります。この値は大統一理論のエネルギー

と近いことが分かります。

右巻きニュートリノは質量が重すぎるので直接生成す

ることはできませんが、宇宙初期の温度が高い状態では、

生成されて存在していたと思われます。レプトジェネシ

スでは、この右巻きニュートリノが宇宙の物質創成に寄

与したのではないかと考えています。この場合、右巻き

ニュートリノはレプトンに崩壊し、左巻き反ニュートリ

ノは反レプトンに崩壊します。もし、これらのニュート

リノの崩壊で CP保存が破れているとすると、生成されたレプトンと反レプトンの数に差が生じます。宇宙が膨

張して冷却すると、電弱理論の温度になり、前述のスファ

レロン効果が効き始めます。スファレロン効果では、バリ

オン数(B )とレプトン数(L )は保存しませんが、そ

の差(B − L )は保存されます。したがって、レプトン

と反レプトンの数の差が、バリオンと反バリオンの数の

差に転換されます。現在のところ、このレプトジェネシ

スが最も有力な理論的可能性として注目を浴びています。

9 まとめと展望

前述のように、20世紀において、素粒子物理学は、理論面でも実験面でも、非常に飛躍的に進展しました。こ

れらの成果は素粒子物理学の標準理論として確立してい

ます。これは、多くの素粒子実験物理学者と理論物理学者

の共同作業の賜物で、20世紀の最大の偉業であると言っても過言ではないでしょう。しかし、それで素粒子物理

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学者は満足するわけではありません。というのも、標準

理論は、より完璧な理論の(低エネルギーでの)近似で

あると思っているからです。さらに、標準理論では解決

できない重要課題がたくさんあります。それらの重要課

題は、たとえば、

• 新しい対称性や新しい物理法則があるのか?(たとえば超対称性)

• 4つの基本的な力は統一的に記述されるのか?(たとえば、大統一理論やスーパーストリング理論)

• 余剰次元は存在するのか?(たとえば、スーパーストリング理論)

• 何故、たくさんの素粒子が存在するのか、何故3世代の素粒子が存在するのか?(フレーバー物理)

• 暗黒エネルギーとは何か?暗黒物質とは何か?

• どのように宇宙は誕生したのか?

• 宇宙の反物質はどのようにして消えてしまったか?(バリオジェネシスまたはレプトジェネシス)

このような重要課題にチャレンジすることにより、私た

ちの宇宙と自然についての理解を根源的に深めることが

できるでしょう。近い将来に、素粒子物理学において革

命的な大発見が起こるであろうという強く信じて疑いま

せん。

10 参考書

まず、ポピュラーサイエンス本でありますが、以下を外

すことはできません。

• 南部陽一郎「クォーク−素粒子物理学はどこまで進んできたか−(第2版)」(講談社ブルーバックス,1998)

学部生でも読める入門的教科書として、

• 渡辺 靖志「素粒子物理入門―基本概念から最先端まで」(培風館、2002)

• 相原 博昭「素粒子の物理 」(東京大学出版会、2006)

大学院生の標準的な教科書として、特に最初の本は世界

的な名著です。

• F. ハルツェン, A.D. マーチン「クォークとレプトン―現代素粒子物理学入門 」(培風館、1986)

• 坂井 典佑 「素粒子物理学」(培風館、1993)• 原 康夫 「素粒子物理学」(裳華房、2003)

• 真木晶弘「高エネルギー物理学実験」(丸善、1997)

以下は大学院生向けのかなり専門的な参考書です。読む

には根気がいるかもしれませんが、国産の名著です。

• 長島順清「素粒子物理学の基礎 (1)」(朝倉物理学大系,1998)

• 長島順清「素粒子物理学の基礎 (2)」(朝倉物理学大系,1998)

• 長島順清「素粒子標準理論と実験的基礎」(朝倉物理学大系,1998)

• 長島順清「高エネルギー物理学の発展」(朝倉物理学大系,1998)

さらに、今では入手しづらくなっているかもしれませんが、

• 南部陽一郎他「大学院素粒子物理〈1〉素粒子の基本的性質」(講談社、1997)

• 崎田文二他「大学院素粒子物理〈2〉新領域の開拓」(講談社、1998)

スーパーストリング理論については全く触れていません

が、以下のポピュラーサイエンス本から読み始めると良

いでしょう。

• 川合光「はじめての ⟨超ひも理論 ⟩ 宇宙・力・時間の謎を解く」(講談社現在新書、2005)

• ブライアン・グリーン「エレガントな宇宙」−超ひも理論がすべてを解明する」(草思社、2001)

11 謝辞

まず、東京大学の駒宮幸男氏とKEKの岡田安弘氏に感謝いたします。いろいろ参考にさせていただきました。ま

た、幾つかの図を使わせていただいたので、東京大学宇宙

線研究所の久野純治氏に感謝いたします。最後に、KEKサマーチャレンジの運営委員会委員の皆様に感謝いたし

ます。このような良い機会を与えていただいてどうもあ

りがとうございました。

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