5
矛31 号 BUNKA FUKUOKA (1) 1961.3.25 艾化麗回 W・一一、. 一一-、 一こj おj遥し

(1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 艾 化 麗 回(1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 矛31号 艾 化 麗 回 W・一一、.一一-、 一こjおj遥し 桜 に 寄 す る ミ ル フ オ ー

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矛31 号BUNKA FUKUOKA(1) 1961.3.25

艾 化 麗 回

W・一一、.一一-、  一こjおj遥し

≒ミ(T

一‘一・

)ふ

I(r

偕かかやく

I世紀のむかし

友情の朝日はその光を

太平洋の深さと宏きを超えて投げかけ

八重の潮路に友情の橋をかけた

まこと友情の樹、桜の木は

妙なる友情の橋のほとりに生いたち

たがいの心にその端ばしをかたくかたく

結びつけようと

桜はその実り多きものを花咲かす

かぐわしき桜の香りの

たちこむるところ人々はあい会う

桜の花は無限の羂べもて

時を分かず友情の香りをただよわす

参照

Page 2: (1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 艾 化 麗 回(1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 矛31号 艾 化 麗 回 W・一一、.一一-、 一こjおj遥し 桜 に 寄 す る ミ ル フ オ ー

矛31号 (2)福   岡文   化

高  

橋  

鹿  

山口県の明木(

あきらぎ卜阿

武郡旭村)図書館を視察

して古風な私

の頭

に浮かんだのは標記のコトワザで

あっ

た。口露戦争の記念事業として

、明治三十九年に、五百

七十円七十七銭八厘

の基金て十二坪

の村立明木図書館は

山 口 県 公 民 館 視 察 記

誕生した。

以来、村の予算

や篤志者の寄付

金、住

民のきよ金などの栄養

によって

ズタ

ズタ

と成育し、さらにこの健康俊良児は、県

や国からたびたび表彰せられ奨励金をも

らって住民の意欲に油を

そそいだ。

創立十

五周年

、二十周年、御大典、二

十五周年、行啓

とに特別予算が

計上せられ、そ

の都度またも篤

志寄付が集まっ

た。昭

和三十

年に

旭村に合併した

三十周年などの機会

私の住む町の公民館では、いま重点的に図

書の整備が

急がれている

が、Λ独立図書館

をめざすかI

公民館の

巾に融合されるかI

▽ 

ということは当面

の問題であ

る。明

の伝統を右手本にするか1

日置

の方針

に学ぶかI

ーションのにぶい私の頭では、直ちに判断できなかっ

が、教えら

れるところが多かった。

二月二十三

日、県立図書館の主催で

、県外視察団

の一

行六名は、山陽本線小郡駅から中国を横断する防長

バス

ゆられて、約一時間二十分で明木

に着いた。これから

萩市までは二十分の距離である。

山峡を縫って

絶景とはいえないが、桜並木

が開花の時

節をしのぼせ

、小川のせせらぎがも

う春の行進曲をかな

でていた。

萩市

に一泊翌

日は山陰本線で長門古市駅に下車、日置

公民館を視察

して帰途につ

”ロ

〃    

いた。

一        

に15 41

に輝いていた

が、その翌年五十周記念事業として

、図

書館改築案が全村一致で可

決し、三十二

年には

建坪五十六坪(洋館二

階建)

建築費 三

、五二八、〇〇〇円

設備費   

六二六、〇〇〇円

の新館が見事に落成した。

最近の蔵書数は約一万八千冊

住民一人に三

、八冊(

人口四、ヒ

○○

世帯数は九〇〇)

明木図書館は、すぐ

れた先覚者の発想

と指導によって生ま

れ育てられ、次代

にその伝統が継が

さら匚弖

われて今

日の大を築いた。

教育村といわれるだけに、村の予算も教育費優先の伝

続かおり、図書と新聞差誌費のみでも

、一世帯当り六

七円I

人口一人につき

二(

という日

をみはる大きな

予算

が組まれている。ところで翌口私

どもは大湊郡口置

材公民館を視察し

たが、ここでは公民館活勁

のなかに図

書活勁

匸儿化

さ証、吝学佼とも携えて雍段

と制度の〈口

化によって受付一休の文化佶勍がなされていた。

が、窓掛けをおろした列車のなかで

、私の古風な思考は

振り出

しにもどって

こんなことをつ

ぶやいていた。

”ローマは一

日にして成らず〃

”明木

図書館も一朝のものではない〃

そして滅

びたローマの歴史は無言で

あるが、明木の

伝統は地球文化

のリ

ーダーとして永遠の道を歩いている

気になるのは「輝

かし

い伝統を守る」ために払われる

犠牲のことであるが、これは私のひがみかも知れない。

図書館には専任主

事のほかに公民館と兼務

の女事務員

が一人

、公民館にも専

任の主事がおられ、互

に協力しな

がら休日返上の忙し

さだ。一万八千

冊の蔵書

のうち一万

四千冊の古い図書は未

整理だというが、たとえ整

理され

ても地元で今後利用される数はいくらもあるまい。

そこで思うことは、こうした文化財は、県か国の手に

よって浜

理され、明木図書館の記念文庫として保存

され

た広く活川さる

べきで

はあ

るまいか。

Λ燕雀安知二鴻鵠之志一∇

烏どもが大鳥

の心を計り

知ること

はできない。他人のせんきを頭痛にやむのは貪

乏人のわるいくせだ。

ぶやいて

いるうち

に関門

トンネ

ルをくぐって

、私と

もにすで

に九州モンになって

いた。      

’匚一

l n  帽

-

込 

菊 池

客万来の図書館であるから

いろんなもの

や人が舞い込む

。ヤ年ほど前にスウェ

ーデン

から送って来たパンフレットは昆虫

学の文献目録で、こ

れは宛名が不

精確なため郵便局がまちかって投げこんだ

ものと思われたので九大の故江崎教授の教室

におとどけ

した。

その後ギリ

シャから来たものはま

がいもないうち

の図書館あてであるが、著者は言語学者と肩書かおり、

序文

には正義がどうのこうのと特に正義

の字は肉太の活

字だし

、しかも内容

はというとたくさんの

人の著者あて

の手

紙を集めたもので、何の本だかちょっと見当

がつか

ぬ。それでギリシャ語(古代のであるが)専攻の友人に

調

べてもらったら、クレタ島の発掘から解明

された古代

クレタ方

言の研究が何か政治的な理由から

発表を抑えら

れたの

に憤慨した著者

に対する

手紙なのであっ

た。何

の間違いでうち

の図晝館

なんかに送ってょこしたも

のかと

そのままにし

ていたら

、数日前同じ

著者の今度は

その研究論文そのものが送って来た。これはその第二巻

ではじめの方

に第一巻の寄贈をうけた大たちの礼状がの

せら

れている。ギリ

シャ国内

はもちろんドイツ、スイス

イタリ

ー、(

ンガリ

ー、フランス、アメリ

カその他の国々

の大学

や研究所の学者先生

方の礼状で、自国語

のもあれ

ば現代

ギリ

シャ語のもある。江戸時代の漢学者

が自分の

名前をあちら風に表現したように、自分の名前をギリ

ャ語風

にしたのもあり地名をそうしたのもあり

、多分

ユーヨークの

ことだろうネア

ーイオルケーとあるのには

思わず笑わされた。ともあれ問題の研究が公開

されるこ

とになったの

はひと事ながら

おめでたい。それにしても

いったいどういう名簿から

うちの図書館なんかを拾い上

げたものだろ

う。三代目の館長

の大山先生か、もう少しし

たら蔵書数が十万冊を突破する、そうなると世

界の図書

館名簿にのるんだなどいっておら

れたのを覚えているが

そんな名簿でもあるのかしらん。ともかくこうなると黙

っておくわけにはいかぬ。礼状を出

さずばなるまいがこ

とのついでに欠けている第一巻の寄贈をたのんでみょ

か、などとも思っている。

昨年の暮のある日、外出

から館長室

にもどると犬男

アメリカ人が低

い茶卓の上

に窮川

そう匸

廠いかぶIごっこ

FUKUOKABUNKA1960.12 . 25(3)

富  

原  

智  

日置公民館のある大津郡日笊村は、人口約八平戸

数子

五百

尸、村とし

ては

、かなり大きく公民館も東北南部に

三つの分館を持っている。

まず、日置公民館の図書施設については、前日の明木

の完備した図随一館を見た目には、とりたてて参考にする

ところ

はないよ

うである。

土足のまま上られる十一坪

の閲覧室。上

ってゆっくり

読書なり

、講座

などが出来

る書庫兼川の部屋(十四坪)

と図書

事務雫

。双書は六

、五〇〇冊、三分館えは、この

うちからと・県立図書

館の巡回文庫を併せて配本している

日置の特色は、このような施設で

はなく

、活動の進め

のなかにある。

それは、公

民館の持つ様々な機能と相互関係、他の公

民館活動によって図書活動が生か

され、また図書活動に

よって他の活動

が充実する、そうした関連のなかで積極

的に図書活動

が進めら

れ、成功している点

に大きな特色

がある。

その第一に、公

民館で定期的に開かれる、定期講座、

青年、婦人学級の読書活動

が非常に活溌

におこなわれて

いる。

よる

、学

、俳

、短

ープ

”公

館活

う〃

”村

話題

″ 

は予

館 )書図木( 明

活動も発表の機会

を与えられて、参加者も増え、内容的

にも充実してくるそうである。

有線放送の利川

は、ほとんどの町村が完備していない

現状では全般的な問題にはならないかも知れないが、今

後の参考にはなるのではないだろうか。

たとえ

ば、小

学生の

ローマ字

勉強に相談相手になり

たいと始

められた母親中心のローマ字学

級(三〇

名)

なども、始めの実

用的な集りから

、子供の教育問

題の話し合いの場となり

、今ま

ll

tli

一 

″全村一

体の文化活動

一        

’ 公

館一

1       

1-

で小説

ばかりであった読書も、次第

に教育関係の図書

貸出

されるようになってきたとか、青年学級の農業講座

が、図書利用によって

、巾をひろめ精彩が加

わってきた

実例などが主よ

の方から話された。

公民館にとって

はこのように催しに集って

来る人達は

とっかかりがある

意味で

較的

働きかけやすい

わけだ

が、全然公

民館

などには来よ

うとしない人、来

たくとも

ひまがない人達(全地域

の大部分)に対

する活動

が頭の

い問題のようである。

日置では

、この突破口として、有線放送を、非常に効

果的

に使っている。

有線放送を、行事のお知らせや連絡事項だけでなく、

の夕食時をねら

って

、「

公民館娯楽

の夕

べ」として

又、公民館

と学校とのつ

ながりも活動

を進める上で

見逃がせぬ点

てある。公民

館の場所

が、

g-丶

丶l。5~

″K

丶ぐ/丶ど

。l/

どr

ぐg

/ゝ

ぐぐ

く/

/丶/丶I/丶く

丶/丶く

何か仕事をしている。見

ると年賀はがきを書いているの

である。東北地方のある基地附属の高校の数学教師でア

メリ

カにい

る教え子たち

に送るのだと

いう。日本語も相

話すし自分の名

前を仮名で書きもする。冬休みになっ

九州へ見物に来た

が案外諸物仙が高くて金がなくなっ

たから潯多きりで帰

るのだけれど

、昨夜日本の旅館

に泊

ったところ靴をぬいだため足が冷え部屋も寒いので永居

ができず仕事も

されないので図書館をたずねて来たのだ

そうな。なるほどこういう図書館の利用のしかたもある

ものかと、かねて聞いていたアメリ

カでの町の人と町の

図書館との緊密にとけあった生活関係をま

のあたり見

ような気

がして、君

の苗字から推測すると

ドイツ系らし

いがどうだと間くとそうだおじいさんの時

にドイツから

渡ったんだといったようなことから、故郷の町のこと家

族の

こと、アメリ

カ囗本の図書館のこと学校のこと、あれ

やこれやしばし雑

談に花を咲かせた。そして博多駅まで

行く電車ののり方を教え、だが町

を観察するためには歩

いた

がいい、駅は遠

くないからこう歩いていきなさいと

逆順を教えて別

れた

が、なんだか

アメリカの町

の図書館

になったような気

がして渋茶一杯の別れも楽しかった

ところ

今年になると

フランスから

マドモアゼル

御親

筆の手紙が来た。これはまぎれも

ないお名指しの手紙で

ある、ある田舎の(あとで福岡大学の大塚教授にこの話

をしたら

ボルドー附近の町だとい

う)師範学校の先生で

ユネスコクラブのメン

バーであり、東西

民族の相互理解

に深い関心をもっていて日本の社会風俗のことを知りた

いから適当な文献

があったら送って

はしいとある。字体

はあまり若くなく

こりやオールドミ

スだぜと大塚教授は

いった

が、せっかくの御希望だから何か送って上

げたい

けれど田舎の学校の先生だから英語の本じ

ゃだめだろう

という、フランス語のじや恰好のものがなかなかみつか

らないので弱っている。

ユネスコといえばこれはユネスコ精神

にもとずいた詩

だが、印刷ではなくタイプで

うってあると

ころを見ると

そうたくさんあちこち

に出したものでもあるまい、そう

いうもの

がこれも先月コ

ロラ

ド州から舞いこんで来

た。

桂冠詩人と肩書かお

るがアメリカ

にそんな制度があるの

かしら。あまり

うまい詩とも思え

ないのにかてて加えて

私のまずい熊訳だからどうかとは思

うけれど、日米両民

族の友情をうた

い上げる気持はわかるので御紹介する。

(表紙参照)ど

なたかお返し

の詩を下さいませんか。

Page 3: (1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 艾 化 麗 回(1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 矛31号 艾 化 麗 回 W・一一、.一一-、 一こjおj遥し 桜 に 寄 す る ミ ル フ オ ー

オ31 号 (4)岡福化文

い                    

‥’

1「

μ

I丿

一  

1 

‘  

一 

之  

一・-   

し                                                 

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’・

....‘’

、「..

『全

碓井町公民館主事 野 見 山 友 司

富士山はすでに冬で

あった。こ

の月

のはじめに、多くの若

い生命

を雪崩に埋めたきびしさは見えず

あくまで優雅な姿そのままである

昨年十一月二十九日より三

日間

御殿場市

”国立中央青年

の家〃

開らか

れた「

読書指導者研修公

」に急に参加することになり

、あ

わただし

く前日の夕刻福岡を発っ

た。北

海道から九州

に及ぶ参加者一

〇二

名、図書館の専門家から私の

ようなアマチ

ーにいたる各階層で

あるため、セミナ

ーに於ける焦点

ズレもやむ

を得

ないことであっ

た。又せっかくの県立図書館の厚

にもかかわら

ず、私の能力不足

のために、期待

にそう報告ので

ないことをお許し頂きたい。

読書活動

の基本問題について

三日間の日程の中で、私達が今

一度確認しておかねばならない基

本問題について

、東京大学助教授

裹田武夫氏の講義か行われたので

その内容を中

心にしてまとめて見

た。先

ず裹田講師は読書の概念を次

の様に規定して

いる。

読書とはI

印刷

された

と乱r

による経験領域

の拡大である。

読書活動とはI

経験領域拡大

につ

いての目的的活動である。即

ち何をど

う読む

かという指導、何

を如何なる条件(具体的な条件)

でどう読むかということ

の指導。

出版状況と就学率

日本の出版点数はソ連

についで

界第二位を占めており

、その出

版量は年間約一億五千万冊

、雑誌

は七

億五千万冊、その他官公庁の

版物、新聞、大学研

究所

、公社

等のものを含めた場合、われわ

は印

刷物

の洪水の中に生きている

といえる。

そこでこれを読みこなす数字と

いうこと

になると、一応就学率を

基準とすることか考えられる。

日本の場

合その就学率は、男

九・五%

、女

九九・八%

と世界

最高水準である。即ちそれはさき

の出版量を容易

にこなす実力をも

っていることになる。しかし九九

以上の就学率

によって読書リ

ダーか育っているにもかかわら

最近、円

錐(別図1参照)が安定

している。とい

うことはそれぞれ

の階層か次

第に降下していると考

えられる。それに加えて、マス

コミの中

に生きているわれわれの

読書

にむ

ける絶対時間は次第に減

少の傾向を示し

ているのか現状で

ある。

読者の一般的特質

、年令による傾向(別図2参照)

読書人の

素質

二〇才以

前に

んど決定する。そして二六、七才

の頃

になると急激

に減少の傾向を

す。このことはこの年頃の生活

の不

安定と合致する。

non-

fiction

'

 fiction

Active reader

ビリ

ビリ

Acclssibi lity 

、reodatility (

<図 1> 国民の読書階層

a ctivひノt &lder(月2 册以よ)

罌゙S 脳;胄 ゛

7z(?九一癶ぞadEか

A読書胃肋 圦な叺文盲(β瓦L咋 ま能力&軻は 賎 浦

現在機能的 に劼 狄フ(いる

<図2>書籍 購買者の年令

四A/丶

/ k

がへ 丶丶 -

-

0 

4 

20

10

0 15 2Q 25 50 35 40 45 50 55 60 匯令)

、interest(興

心)

以上

の条

の関

に合

る読

こと

にな

。し

を普

ょう

場合

負担

くし

であ

に読

の負

内容

ュラ

ム(Schram m「

恙 

(「

」と

る)

Expectation of reward

(冰

漾?

」ffort

 required

(励

けG訌

か嫐と)

いかにまじめ

な読書目的(分子

)をもとうとも

、読書の負担(分

母)が人

きいばあいには。分母

値の小さな一般的

に即時報酬型の

読書へ移行するのである。

お 

わ り 

以上まことに拙いまとめで申しわ

けかないが、報告

の義務感と、読書

活動を少しでも盛ん

にしたい私の

願いが仰迎解

頂けれ

ば幸いであ

BUNKA FUKUOKA1961. 3 . 25(5)

公民館図書部研究発表会

二月二十

八日午前卜時三

十分から嘉穂郡庄内町公民

において福岡県公民館図

書部協議会主催の「公民館

図書部研

究発表会

」が開催

された。吉村公民館図書部

協議会副会長及び菊池県立

図書館長挨拶の後

、庄内町

公民館長の歓迎の挨拶かお

、十一時より研

究発表に

った。十二時ま

での一時

、庄内町公民館浅原主事

と碓井町公民館の野見山主

事二氏より各三十

分間

づつ

発表か行われた。

づ浅原主事から庄内町

の実態、公民館の概要

につ

いて説明かおり、その中の

「図書室の経営」につ

いて

は、日経営の方針鬥[施設

設備目職員固経費㈲利用状

についてくわし

くの

べら

れた。特に利用状

況につい

は、新旧施設

における利

研 

用度の比較や、年令別

、分類別、

月別地

理的利用等とめんみつに統

がとら

れており又

、分館巡回文

庫及一括貸出しや、その他の読書

活動

についても実例を上

げて詳細

な説明か

された。

に野見山主事から「

図書室経

愕の現状と将来の方策

」について

碓井町の概略から蔵書

の現状につ

いて

、年度別購入冊

数や主類別、

年度別蔵書数の統計表のもとにこ

の五年間

、次第に充実してきた実

状の説明

があり、貸出状況につい

てはこれも又、各年度

別図書貸出

状況調及

び年令別、職業別読者数

の統計表か示され、三十三年から

三十四年度にかけて急激

に増えた

貸出数も

、三十五

年度で

は半減し

たこと

について、これは炭坑不況

による移住のためといった特殊な

状況等の説明かおり、最後に将来

の方策

について貴重な意見発表で

結ばれた。

十二

時より出席者一同(約三十

午後、午前中の研究発表

に対し

ヽ、消極的な読書会となりがちで

て、各参加図書館、それに当図書 

図書の選択でも

、前者のグループ

館読書会

の婦人を交えての討

議が 

は会員の教養、年令

、生活環境

行われた。           

が、大休に於て同程度であるの

最初読書公成立

についての質問 

で比較的問題がないが、後者のグ

かおり、それをき

っかけに対外活 

ループでは、会八の構成が多種多

動のうち読書会問題を中心に討

議 

様である事から問題

が生じやすく

された。             

この討議に参加した読書心‥貝の婦

読書会の成立

には二通りの型

が 

人の発言にも、会員の中には選ぶ

って、一つは最

初から何らかの 

が荒しいからとか

、妙な発言を

ループかおり

、それか読等書会 

て笑わ

れたら恥し

いからとの理

なったもので

、後一つは、図書 

由から脱落していく大

がいるとい

館から出向いて読書会をつくった 

う事であった。

ものである。前者

の場合、会員同  

こうした読者層を

うまく引っぱ

の結びつきが強く、発言も積概 

っていくためにも、図書館員の参

的で相互の意見

の交換も活発であ 

の必要

が生じてくるのであるが

るが、後者では会員の親密度が薄 

どの程度の参加が望ましいかとい

う点

が討

議の的

になった。

あくまでも図書館員

は会の手助

け程度であって、会

のなか

にはい

ってのディスカ

。ションは遠慮す

べきだとする意見もあったか

、結

論とし

ては、各図書

館‥員が自己の

専門分野と教養の限界を承知して

の参加

は、む

しろ公を盛ん

にする

にも必要なことだと

いう意見に

落着いた。

に当図書館の読書会では、土

地柄を反映して、図書

のテー

マを

選ぶ場合に、思想的な葛藤も生じ

ると

いう事で、地域

社会の特性を

考慮し

た読書会の運営という点難

しい問題

があるようであった

(広岡)

名)庄内町公民館見学の後昼食、 

とし

て利用する方法

も考えている

十三時

より午前中に行わ

れた発表 

D 必要

が生じた時に実行

されて

について質疑応答に入

った。   

いるか。私はしつけの理念を先に

質疑応答の主

なもの      

立ててや

るべきだと

考える

A 蔵書構成の比

率について。  

A 

理念としては尢

であるが実際

B 発展過程にある公民館におい 

やるには泪難もあり

やはり学習の

てはあまり比率にこだわ

ることは 

にとり入れて行くのかよい様に

ないと思

う。基本的なことはその 

う。

地域の人達がどういう図書を要求 

C 私の所で或るテーマを決めて

てい

るかということを

よく把握 

読書会をやっているグループ

があ

ること。           

るが、一年目」次郎物語」二年目「つ

C 読書推進運動を公民館報で通 

づり方兄弟」三年目「し

つけの本」

知後「しつけ」の図書

が二、三回 

と進み

よい成果を上

げている。

常に多く出たが、その後或一部 

E 読書グループ育成

の理想と現

の人(

例えば指導的立場の人達) 

実のく

い違い等について。

だけにしか読まれなくなった。  

F 私の所では先

づ生活と結びつ

こういうことについて。     

いた読書会ということを主眼とし

A 図書

は読んでその様

に実行す 

て作った。尤も身近

な問題である

ると

いうことより困

った時の手引 「結婚」をテーマにし

て図書も広く

といった考え方がよいと思う。当 

集め、討論、かなり

の成果を上げ

方でも母親文庫に四〇%

「しつけ 

ること

が出来た?而しりIダーの

の」図書を組んでいる。又婦人学級 

性格が強すぎたため交替し、会員

が約一年継続しているが、この学 

の顔ぶれも替った。その後国語の

習の中

へ「しつけ」の本

をテキ

スト 

教室の様

な形になったこともあっ

たが、現在は「家」について一冊の

図書

を輪読の形で研

究している。

層が種々雑多であるため共通の問

題を話すこと

に困難かあるが、要

するに目的意識を明確にしていな

い読書グループは発展しないと考

えら

れる。

A 私

はこの読書会の成果を一つ

の形

あるもの

にまとめること

が目

的で

はなく実生活に役立つ様な学

び方をす

べきであると強調してき

た。そういう点て成果

は上った。

こういう仲間作り

に青少年の劣

等感

が大きな障害となっているこ

とがわかった。

E 演劇グループ等で上演される

内容

に問題がある様

な場合、公民

館としてはどの様に取扱ったらよ

いか。

A 例え思想的なグループであっ

ても研究に必要な図書

の提供、援

に消極的であってはならないと

考え

る。

以上一時間半にわたって質疑応

答が行われ十四時三十分閉会した

(山口)

Page 4: (1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 艾 化 麗 回(1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 矛31号 艾 化 麗 回 W・一一、.一一-、 一こjおj遥し 桜 に 寄 す る ミ ル フ オ ー

矛31 号 (6)岡化   福文

蕈のちから

有田一寿著

東京書房刊 

¥二八〇

希望と真実をもとめて、孤独に

くじけず、逆境にひ

るまず、人間

完成をめざして努力し

つづけた、

著者の体験から湧く随想集である

(家 

永)

自由化と日本経済

吉村正

晴著

岩波書店刊 

¥一〇〇

今日の自山化

の様想と、その中

で世界に成長率を誇る口本経済が

立っている位置を明ら・かにし

〃所

得倍増〃

の意味するものを教える

私の読書法

大内兵衛j。

茅 

誠司

僧著

岩波書店 

¥一〇〇

現在活躍して

いる二十人の個性

豊かな随筆

は読書を辿じて文化か

どのように昃透し継示

されてきた

(現代世界学童美 術全集より)

を示

すユ

ニー

であ

る。

(寺

珈琲

物語

西

一千

ビアで

ーヒ

種と

た。

コー

の歴

の歴

。文

は軽

流記

ー(

ダー

池田

あかね書房 

¥三二〇

インカ古代文明と

ポリネ

シア文

化の関係を究明し

ょうと、著者は

一九四七年イカダで太平洋を漂流

した。その百

奈日間

の胃険物語。

(北 

村)

氷海に生きる 動物風土記2

戸川幸夫著

角川

書店 

二九〇

犬の生命力には我

々の目をみは

らせるものかおる。

これは氷

雪の

知床半島を舞合

に大自然との戦い

を生き抜くある小犬

の物語。

日本経済入門1

世界一の

成がもたらすもの長

匸一著

光文社 ¥

一七〇

所得格差等の身近

な例をあげつ

つ二乗構造と言われて

いる我国の

経済的矛盾を鋭・く追求し、日本資

本主義か全貌を明らか匚する。

(柴 

藤)

、日本の鉄道

朝日

新聞社編

朝日新聞社 ¥六〇〇

列車

は「

弁慶」から「

こだま」

へと時代と共に進展

する。

が一方

枕木

、砂利の役目はと問わ

れたら

あなたは答えられますか?

江戸ル

ポルタージュ

綿谷 雪

人物往来社 ¥三

八〇

マンモスシティ「

東京」と

はど

ういうと

ころであったのか

。この

土地に住んだ過去の人間の残像を

探り現代

人に話しかける

(相 戸)

スポーツの生理学

猪飼道夫等著

同文

書院 ¥

五六〇

運動をするときの身休各部の働

きを生理学的に罔か

にし、個人の

能力

に適した科学的

なトレーニン

グのやり方を平易

に解説している

和 

時 

計塚田

泰三郎著

東峰書院 ¥八五〇

が国への時計の伝来、鎖国政

により独自の発達

をした和時計

の種類と機構、日本式時刻法を豊

な資料と写真を用

いて紹介する

製版印刷技術総論

鎌田弥寿治編

共立出

版社 

¥五五〇

最近の工学の発達

は印刷技術に

も大きな変革をもたらした。新し

い発展

に即応し

た基礎知識

が上下

二巻

に手際よくまとめられている

(平 

島)

戦後国内

重要ニュ

ース索引

神戸市

立図書館参考事務

研究会編

赤石出版 ¥一

、〇〇〇

要法

令改

殊主

付(20・8?34・12)

、事

、人

をし

ない

でも

すぐ

がで

て非

に便

現代

年表

辺 

一書

房 

八〇

日本

。年

、関

経国

左頁

、右

表中

事項

が専

とし

重宝

小 

橋 

秋新

社 

人公

から

政治

こと

、著

人間

きり

と現

4 行 あ

ん な い

どこかで

なに

が壺井 

栄著

央公論社

¥二八〇

父母

なきあと、四

人の姉妹が力

をそろえて次々に起る問題

、(姉

の恋愛

、末弟のいたずら)を明る

く解決していく本格的な家庭小説

(原)

教育と教育政策宗

像誡

也著

岩波書店 ¥一〇〇

今日迄の教育政策

の変遊、特に

勤夢評定や教科書検定の問題に見

れるような、権力

が教育に与え

る影響を明らかにす

る。

鉄  

市川弘勝著

岩波書店 

¥一〇〇

第一次設備合理化計画を完了しマ

ンモ

ス化し

ていく欽鋼業の囲史と

状を分析、更

に自山化のもたら

す国際競争の鉄鋼業の問題を探

(入 

江)

何でも見てやろう

小田  

実著

河出

書房新社 ¥

二九〇

若々しい好奇心と

エネルギーで

もって世界の裹路をのし歩いた筆

が、生命力とユーモアに満ち

筆致で描く各国の垢と泥の旅行記

共稼ぎ料理

河野貞子著

池田書店 ¥三五〇

理は生活の夢。この書は共稼ぎ

夫婦の食生活の良いテキ

スト。時

、経済、栄養を考慮された献立

の数々は料理本の異色であ

る。

(広 

岡)

写真集

決して忘れない

ナチス虐殺の記録

人見書房 ¥三八〇

映画「わ

が斗争」が評判となっ

ている。本書はポー

フンドでのナ

チの残虐

ぶりを写し

たもので生者

への鵈‥告として貴車な記録である

政治を考える指標

辻 清明著

岩波書店

一〇〇

本書は単なる政治時評ではない

々と起る時事問

題を通じて民主

政治の基本的条件をあらためては

っきり

さ廿ようとし

たものである

(富 

原)

日本文化探険川

喜田

二郎著

講談社 

¥二八〇

外地の事情に明るい著者

が、日

本の文化を客観的

な立場

に立って

新しい角度からとら

え論じている

「群愧」誌その他

に連城のもの。

(山 

口)

FUKUOKABUNKA253

19 と)1.(7)

T⊥) 

1”

仰と道徳j

な気持

が大切であること

が述

べら

れ、また信仰を語ることの雄し

亀井勝一郎編 

についても、大胆不遜な発言をす

ることの誤り

について親贊

や溷如

の言葉をあげているが此

の点も仝

く同感であった。い

づれの文章も

大 

山 

安 

太 

此の本を乎にとって先

づm

つた

るものは柏手

の価値の変化にと

ことは、どの頁

を問いてみても

なって変化

すること

、いわゆる愛

亀井氏の過去に於け

るあら

ゆる人

生経験を通じて円熟した境地

が綴

れていて教えられると

ころ

が多

かった。

― 

’Sl

・ 

、   

7yノJ1

一-

/、く

C 

しI

。/。一卜冫″  

一厶

y刎

川y

とする極めて真面

目な乂真剣な言

に満た

されていると

いうことで

あった。

北村立戚氏は、人間

はなぜ宗教

を必要とし

て来たかという問題を

すれば最愛の恋人ですら

、人格入

白土

仰示价いかにい仁ぶり

して

よりむしろ物件として

、何等

久山嵐氏は「青春に於けるデカダ

かの自分の慾望を満足せしめる対

スとモラル」と題して太宰治の

象物として(

カントの言葉で言え

人生に対

する煩悶、彼をして死

は物件とは他の目

的に役立

つ手段

次だ深刻

な腦訃を解明し

提起して、その中で先

づ人生

に径

として隔賍

づけら

れるものである

験する隅然性の不可解さについて

)取扱いがちであること

、つまり

べ、その例として青函連絡船洞

以上の分析で理解できる

エゴイズ

爺丸で遭難した一青年が、ふと思 ムの混入した愛の真相

が虚偽で

いついてトラピスト修道院を見学

、不純であり

、文学の表而の臾

したばかり

に惨事に出

合い、彼の

さにもか

ぺわらず

ゆるされ難い

全生涯に破滅を来した経過を説明

罪悪

であることを繰返し詳細に述

、その悲しきめぐり

あいは結局

べている。そして以上のような鴿

「偶然」であること、`そしてお互

軟性ヽ

つまり起ってはなら

ぬはず

に誰もが同じような偶然の卮険に

のこと

が起り、愛の虚偽、つまり

たえ

ずさらさ

れているということ

なして

はならないはずのことをな

に「愛」という言葉で表現され

ねさばならぬ人生のか

なし

さ、矛

てい

ることがら

について述

べ、か

盾に思い当り

、その矛盾

が人間の

といわれるものの内容

が実は許さ

力では到底解

決出来難い問題であ

れ難き虚偽に満ち

、エゴイズムが

ることに気付

いたとき

にはじめて

充満していること

、そして人は真

宗敦という問

題が起ってくると述

の意味では孤独であることをあげ

べている。

ている。つまり

、先

づ人間の愛

は 

亀井勝一郎氏

は「信仰と私」の

白已にとって仙値をもつ相手だけ

中で、宗教的開

眼については世阿

に向けられていて

、例えば、花を

弥の能についての教訓「初心忘る

愛するという場合も真実花を愛す

べからず」蓮如

の「一つのことを

るのではなくヽ

その花の美が自分

聞いて、いつも珍らしく初めたる

の目

や鼻を楽しませてくれる価値

ように信の上

にはある

べきなり

を愛して

いること

、これを対

人関

ただ珍らしき

ことを聞きたく思う

係で言え

ば、同様に相手

のもつ自

なり、一つのことを幾度聴聞申す

已にとっての価値を愛し

ていると

とも珍らしく

、はじめたるように

いうこと

、次に、随ってその愛

ある

べきなり。

」というそのうぶ

遍歴」と題し

、自分自身の苦闘、

現代に生きる行年が如何にし

てデ

カダンスを克服す

べきかについて

の近を示し

、その他諸氏のそれぞ

れの専門的立場による充実した記

述かおり

、このあと、「信仰と道徳

をめぐって」と題する亀井勝一郎

氏司会、宇野一氏、外村繁氏、前田

陽一氏等の共同計

議が採録され、

最後に大島康正氏の編集による、

東西古今聖賢

の金言

が多数抽出

れていて、どの

二八

どの一節に

触れても、す

べてが魂の糧とし

貴いもの

ばかりである。

かくして

、全頁を辿じ

、信仰を

肯定し

、否定し、或いは懐疑しな

がら

あら

ゆる現代

に生き

る悩みを

悩み

、対決し、克服し

ょうとする

高貴

な論説によって満た

されてい

るが、何様どの一つをとっても生

涯をかけるはどの大問題であるだ

に分担執筆による限られた頁

よって意を尽されようはずがない

今少しく堀り下

げてほしいと思わ

れる箇所、説明不充分と思われる

箇所も若干

目についた。ともあれ

このような極めて

真而目な書が一

人でも多くの人によって読まれ、

人生問題解決の一つの機縁、或は

よす

がともなればと思われてなら

ない。

(文化

堂店主)

酒D

t`・ 「町

」1

匹{        

千  

葉  

健  

ぼくはこの本

をよんで

I わったような気がします。しかし

舌はじめに感じたことは、 

いなかの子が町へくると

、ぼく

その時あったこと

が写

具で

いなか

にいった時のような気

がす

で も見ているよ

で 

るでしょう。それが安吉たちのこ

す。それより映㈲を見てい

とばによくあら

われているようで

るようなのです。

そして

村の子と佐々木とがメン

コをするところなどは、その作者

Iし

ょに入って、メンコをして

いるよ

うです。

ぼくも

メンコをし

たことかおり

すが、メンコというものは楽し

いものです。村の子供

だちと佐々

木と楽しく遊んで

いるようすが写

頁にうつっているようで、また孫

がトン

ビにサバを取られた所

ぼく自身が見た気

がします。

ぼくは町

にすんでいるので身体

があまりよくありません。しかし

こうがいにいくと、ぼくは生

れか

す。佐

々木

がメンコをもってきた時

安吉たち

は町

はどんな所だろうと

思ったでしょう。

安古

たち

が作った山

の公園を一

度見たくなりました。

ぼくも近くの草原に公園を作っ

たことかおりますが、もう

その草

原は材木毆場になって

いますが、

安吉たちが作った公園

はいつまで

もあるからし

あわ廿です。

ぼくがその公園の園長になった

、さくらや、いちじくなどをう

えブランコをつけたりしたいなあ

と思いました。

「コ

記」

ぼくは初めて

このような漂流記

を読みました。

ぼくたち

は、

パイ

エルタールさんのように、白分

わからない「

ぞ」にぶっかって

いくこと

はけっして悪

いことで

ありません

。ぼくたちが自分のわ

からない「

なぞ」を、自

分の力で

自分で努力してといたら

どんなに

うれしいかわかりま

せん。それか

らこの本を読んでいろいろなこと

を教えられました。

たとえば、この六人のグループ

白‥分

りし

口の航

そし

の航

海は

さ て は こ か 敏れ 根 さ の っ

な気 れ む て

か 強 な ず なっ さ か か 行 幸た も っ し 動と な た い を巴 け と 六 と

この本

を読んでいると自然に

のじ

ょうけい

が目にうか

んでくる

ようです。

またこれからもこのような良い

本を、どしどし作って発行しても

らいたいと思います。

Page 5: (1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 艾 化 麗 回(1) 1961.3.25 BUNKA FUKUOKA 矛31号 艾 化 麗 回 W・一一、.一一-、 一こjおj遥し 桜 に 寄 す る ミ ル フ オ ー

矛31 号 (8)岡福化文251961 。 3

NEWS

図書館職員

講 座

三月二十三日、四

の二

日間県公共図書館

協議会

および公民館図

書部協

議会の共催で図

書館職‥貝を対

象とす

る文化講座を

開いた。九州経済調査協会の幹部

四氏

による講義(各2時間)の概

要は次のとおりであ

る。

福岡県の経済構造、鳥居健男

九州経済は日本全体の約一割の

さを持ち一割経済と呼

ばれてい

る。しかし農業生活

に対して鉱工

業生産は低く、製品は中央

に送っ

て加工しており、地

理的

な位置と

なじく経済的にも辺境性を持っ

ている。

福岡県の産業人口の構成

は、農

林水産等にくら

べて商業

、サー

ス業

が多く、産業面

の先進地帯で

ることを示し

ている。県民所得

工場数は多く、人口

の都市

集中も大きい。しかし鉱工

業生産指数の伸び率

は全国

に比

べて低くなって

いる。

れは石

炭産業の不振

、生

長産業

が少い、工

毟地帯

が北九州

五市のみでスケールが小

さいこと

によ

るものである。

北九州と福岡

の経済

日 山

北九州の経済は戦

後の

日本

の急速な発展に対し

停滞の様和

盤として

の劣悪

福岡市は最近著しく発展し九州

済の中心となった。その大きな

原因

は地元資本および東京・大阪

の外来資本の集中によるものであ

る。第三次産t

といわれる卸小売

業・

サー

ビス業が産業人口

の大部

波多江文庫の整理はじまる

み111

昨甲良

、市内藤崎の薬同圭波多

ている・

すでにそ

贈当時

、戦災信

江嘉一郎氏

より寄贈

された父子

失以前の本館

が発行した館赧第一

米の蔵や‥約三万冊

は、其後人手不

号〔大正七年四月二十

口〕が運弟

足のままに山砧

されていたが、こ

巾館‥以によって発見

されており、

のほど三十六年度予算に人件費(

貴重資料として早速製本の上別區

臨職二名)及

び整

理に要

する備品

存されている

が、印刷所

が地元で

。寺の諸径賢

が計上

され、四月

から

なく、東京市芝区藤に丘田刷所と

旱込首理にとりかかること

になっ って

いること

や、聞郎当時の

シャ

だ。この猖比]は「波多江文庫

」と ンデリ

ヤつき閲覧室の写八

、閲町

命名され、特殊・取扱いをすること

規則

などが興味深

い。

となるが、明治中期以来蔵本町に  なお、獄

裡完了は昭和三十七年

おいて盛人に堊腫商を営むかたわ

度の予定で

、完了と同時

に一般の

ら分野を問わず広

く収集

され、父

回覧仁供せら

れる予

定であるが、

記貶焉氏から乱

一廓氏へと泛継が

本館俵占中の咒饂あるものとな蓊

福岡県の石炭産業の現状

大 

里 

仁 士

福岡県の石炭生産は全国

の約三

、埋蔵

量は九州と北海道でその

部分を占めているが、生

産高の

増加

は他に比較して小さい。これ

は筑豊炭田の老朽化と北

海道を主

にする地方の出炭増加

によるもの

である。

筑豊には約三百

の中小

炭鉱かお

、古い山の残炭掘をし

ているも

のも多い。

これ等は炭質

や炭層の

条件

にも恵まれず、販売網も貧弱

であることから、保安施設

の不充

な坑内で労働者を酷使し

ている

状態であ

る。

炭産業

は石油攻勢により斜陽

化し

ているといはれるが、エネ

ギー政策上からも石炭の重要性を

再認識し

て、中小炭鉱を大

きなも

のに統(口問

允し、低品位炭の利川

、生産設

備のご理化等に思いき

た対策をとらね

ばならない。

九州総合開允の現状と方向

藤 

井 

広 潤

九州総(‥開允では農村地帯のご

罘半

尾を向上し

、台風等に対する

防災営農を行い、日本型の高度な

集約畜蛮毟を普及

すること、工

地帯

に高度の加工工業を起してそ

の性格を改造し

、技術改良により

石炭の再開発を計

ることを大きな

ねら

いとしている。

地域社会の開発は住民の社会精

をぬきにしては考えられない。

叩ち9:気琵済の閃允には近代精神

の開允

が一岳人切

な問題で爿る。

L   I・     . |. . . . . . .| .・ ㎜ ●

霄 ㎜ ・-㎜ ●

㎜ ・

人形

」 「

久留

スリ

作  

、カ

ヌの

映画

でハ

れた

、中

院長

前述

のハ

ミリ

なっ

に出

れた

I昨

バン

ビの

をし

、会

な感

た映

、今

大人の人達のよちよち歩きをしり

めに、元気に氷面を滑っていた。

☆二月梅見とスケッチ

月は恒例の太

宰府行で、二十

六日は、あいにくと早朝から雨で

心配していたが、十時頃から天

も段々と回復して来

たので決行す

ること

にした。神

社参拝の後、子

供園に入り、折から開か

れている

の受

賞は私達としても大

変うれし 

Tつし展」を観覧して、

さっそく

ニュースであった。この映画会

スケ

ッチにとりかかった。

も会場満員の盛況で、前に「子熊 

午後二

時集合、作品の審査を行

物語」を見

のがした会員から

、も

い高学年、低学年夫

々特選入選の

う一度と

いう声かおり、後日、又

授賞をおこなった。(審査八古賀

是非

機会を

作りたいと考えて

いる

唯介氏

ぐ十二月クリスマス大会      

午汝からは、上天

気になり子供

十二月十八日、香閙

短大

の講堂

園も大変

な人出になったか、終始

でクリ

スマス大うを催した。か

整った団休行勁で

、無事三時半福

てクリスマスの催しには自分達で

岡駅に到着、解散し

た。

なにかやりたいという声が委員会   

χ―

χ

当口は、劇「

白ぐっをはいたね ツの天川

」を予定している。

こ、ペロー作五景

」を中心に御供

所小学校の会員

による合唱、西

本奇術クラブ公長の上村氏の奇術

など盛り沢山の催しで、特に会員

による劇は、練習不足で仲々思

ように出

来ないよ

うだったか、見

物圉からは、盛んな、笑と拍手

まきおこっていた。

終りに、会員全員

にクリスマス

プレゼントかおり

、楽しいクリ

マスのっといであった

二」

月ス

ケート教室

いI

り目卜

 

一川二十九日、スヶIト教室を

・ ㎜ ●-

● ㎜ ●-

●--

● 皿 ●-

● ㎜ ●