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11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 ――2000 年から 2005 年 地主敏樹 本稿では,IT バブル崩壊後の時期におけるアメリカの金融政策を,公表 資料のナラティブ分析と金利データの分析を中心にして検討する.資産価格 が大きく変動したこの時期においても,金融政策は,株価下落のみには注視 はするものの政策行動には結びつけていないし,他のインフレや雇用といっ た主要政策目標と比べるとウェイトは低く,懸念が薄れると資産価格への注 目は急速に低下してしまったことを明らかにする.政策目標のなかでは,イ ンフレーションへの言及が最も高頻度である一方で,外為レートへの言及は 稀でしかないことも報告する.市場との対話に関連しては,リスク評価の文 言が債券市場に顕著な影響をもたらしうることを当局が意識していることと, デフレ懸念期に実施された政策行動予告は長期金利の変動抑制を意図してい たことも,明らにする.最後に,他の金融危機時の政策運営と比較すると, IT バブル崩壊後の金融緩和がスピードと強度の双方で他を超えるもので あったことと,政策予告は日本のバブル崩壊後よりも曖昧なものであったが, 途中で少し明瞭化されたこと,それでも長期金利への影響は弱いものであっ たこと,などを示す.

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11 IT バブル崩壊後の米国金融政策――2000年から 2005年

地主敏樹

要 旨

本稿では,IT バブル崩壊後の時期におけるアメリカの金融政策を,公表資料のナラティブ分析と金利データの分析を中心にして検討する.資産価格が大きく変動したこの時期においても,金融政策は,株価下落のみには注視はするものの政策行動には結びつけていないし,他のインフレや雇用といった主要政策目標と比べるとウェイトは低く,懸念が薄れると資産価格への注目は急速に低下してしまったことを明らかにする.政策目標のなかでは,インフレーションへの言及が最も高頻度である一方で,外為レートへの言及は稀でしかないことも報告する.市場との対話に関連しては,リスク評価の文言が債券市場に顕著な影響をもたらしうることを当局が意識していることと,デフレ懸念期に実施された政策行動予告は長期金利の変動抑制を意図していたことも,明らにする.最後に,他の金融危機時の政策運営と比較すると,IT バブル崩壊後の金融緩和がスピードと強度の双方で他を超えるものであったことと,政策予告は日本のバブル崩壊後よりも曖昧なものであったが,途中で少し明瞭化されたこと,それでも長期金利への影響は弱いものであったこと,などを示す.

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本稿に対しては,中央大学翁邦雄教授と上智大学竹田陽介教授から,アドバイスを頂いた.岡本光技・英邦弘・森山奈々実の諸氏に研究を補助してもらった.記して謝意を表したい.本稿は,筆者が以前に著した『アメリカの金融政策』[2006]の続編に当たる分析である.

346

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1 はじめに

アメリカ経済は,長く続いた株価上昇が 2000 年に入って変調して,「ニューエコノミー」でもてはやされた IT 関連の NASDAQ 指数が,大幅に下落していく.しかし,金融政策当局は,株価下落に対して直接的には反応せず,景気過熱に対応する利上げを続けている.テーラー・ルールはより高い水準を指示しているものの,年央には低下傾向を明確にして,次第に現実値と近づいている(図表 11-1)1).しかし,2001 年に入ると実体経済の減速も顕著となっていく.これに対して政策当局は急速な利下げで対応していくが,9.11 テロで景気はさらに低下してしまう.この間の利下げ行動は,テーラー・ルールとほぼぴったりである.2002 年の前半には景気減速が止まったようにみえたが,後半になるとさらなる景気後退が生じて,デフレ懸念が高まってしまう.政策当局は,低金利の維持を予告して,金融市場に刺激を与えるようになった.この辺りの金利水準は,事後的に見たテーラー・ルールの指示する値からは顕著に乖離し始めている.2004 年に入ると景気は回復し始めたので,金融政策は予告をともなう小刻み利上げをくり返していくが,2006 年半ば頃までテーラー・ルールとは 2%ポイント近い乖離が継続し,住宅価格上昇が高進することとなった.本稿では,この資産価格の大きな変動をともなった景気循環に対しての,

米国連邦準備制度の政策運営を検討する.とくに,資産市場の動きが金融政策にどれだけ影響していたのかという点に注目しながら,他の経験と比べての評価も試みてみたい.分析手法としては,公表された文書資料を中心に検

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 347

1) テーラー・ルールは,自然(実質)利子率+インフレ率+(インフレ率−インフレ目標)/2+GDPギャップ/2 で,算出される.ここでは,自然利子率 2.5%,インフレ目標を 3%としている.GDP ギャップの計算においては,アメリカの連邦議会予算局が推定している潜在 GDP を用いた.データはセントルイス連銀のFREDからとった.

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討するナラティブ・アプローチの手法を用いていく2).本稿の構成は以下の通りである.第 2 節で FOMCの記者発表文を中心に,

利用可能な議事録(Transcript)や議事要録(Minutes)を補足的に用いて,クロノロジカルに政策運営を追跡して,政策行動を検討する.第 3節では,重視された政策目標を検討する.検討対象時期を通じて利用可能なMinutesを用いて,政策目標に対応するキーワードの使用頻度を調べた.第 4節では,IT バブル崩壊後の利下げ行動を他の金融危機時と比較し,政策を予告したコミットメントについても日米比較を行う.

2 クロノロジー

2.1 2000年,利上げシリーズの最後この年の半ばまで,経済は拡大を続けて失業率は低下して 4%近辺に至っ

ており(図表 11-2),インフレ率も上昇していた(図表 11-3).インフレ率の水準自体は 3%前後でさほど高くなかったが,予想値よりも高い値が実現されることがくり返されている.金融政策運営においてもインフレ懸念が明示されている.後半から,年末にかけては,景気の減速が始まっていく.

348

2) ナラティブ・アプローチの日本への適用として,黒木祥弘[1999]がある.

図表 11-1 テーラー・ルール9

8

76

54

3

21098年2月

98年8月

99年2月

99年8月

00年2月

00年8月

01年2月

01年8月

02年2月

02年8月

03年2月

03年8月

04年2月

04年8月

05年2月

05年8月

06年2月

06年8月

07年2月

07年8月

08年2月

TAYLOR RULEFF RATE

出所) FREDと CBOのデータを用いて筆者計算.

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11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 349

図表 11-2 2000 年の失業率

図表 11-3 2000 年の CPI インフレ率

図表 11-4 2000 年の GDP成長率

4.64.54.44.34.24.143.93.83.73.63.5

1999‒Ⅲ 99‒Ⅳ 2000‒Ⅰ 02‒Ⅰ00‒Ⅱ 00‒Ⅲ 00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 01‒Ⅱ 01‒Ⅲ 01‒Ⅳ

99‒Ⅳ 00‒Ⅰ 00‒Ⅱ00‒Ⅲ 00‒Ⅳ 01‒Ⅰ

4.5

4

3.5

3

2.5

2

1.5

1

0.5

01999‒Ⅲ 99‒Ⅳ 2000‒Ⅰ 02‒Ⅰ00‒Ⅱ 00‒Ⅲ 00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 01‒Ⅱ 01‒Ⅲ 01‒Ⅳ

99‒Ⅳ 00‒Ⅰ 00‒Ⅱ00‒Ⅲ 00‒Ⅳ 01‒Ⅰ

4.5

4

3.5

3

2.5

2

1.5

1

0.5

01999‒Ⅳ 2000‒Ⅰ 00‒Ⅱ 00‒Ⅲ 00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 01‒Ⅱ 01‒Ⅲ 01‒Ⅳ

99‒Ⅳ 00‒Ⅰ 00‒Ⅱ00‒Ⅲ 00‒Ⅳ

出所) 図表 11-4 まで,FRB of Philadelphia.

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FF レートは,テーラー・ルールの値に近づいているし,年末まではイールドカーブもフラットで,顕著な政策変更は予想されていない(図 11-5)3).株価は,NASDAQのピークがこの年の 2月ごろにあって,下落が始まっていくが,記者発表文レベルでは,株価への言及はない.議事録レベルではかなりあるが,NASDAQのみの低下なので,全般的なダメージは小さいと評価していた模様である.

利上げシリーズの最後(2月 2日・3月 21 日・5月 16 日)この年の初期は,前年半ばから始まった利上げシリーズの後半に当たり,

3 回の利上げがくり返された.2 月と 3 月の定例 FOMC で通常の 0.25%幅の小刻みな利上げを行い,続く 5月の定例会合で 0.5%幅の大きめの利上げをしている.5月の利上げ幅は,議事録を見ると,利上げシリーズの最後をシグナルするものではなく,「需要の高まりを止めるために強い利上げが必要だと考えられた」ようである.どの場合も,会合後の記者発表では,「生産性の伸びを考慮しても,需要の伸びが供給の伸びを上回っている」という現状認識を示し,「近い将来にインフレ圧力を高める可能性がある」というリスク評価を提示している.

様子見(6月 28 日・8月 22 日・10 月 3 日・11 月 15 日)年央になると,需要の伸びが減速し始めた兆候が観察されたし,これまで

の利上げの影響がこれから出てくることも配慮されて,利上げは停止された.ただし,失業率が低いことやエネルギー価格の動向などの理由から,リスク評価は「インフレ評価」を呈示したままに留められている.その後,減速兆候は次第に強くなっていき,11 月 FOMC 後の記者発表では,「需要の減速や金融の引き締まりから,経済成長率は潜在成長率以下に止まりそうだ」とまで述べて,減速を確認していることを表明している.ただし,民間の景気予測はさほどには悪化していない(図表 11-4).

350

3) 本節で用いるイールドカーブは,英邦弘氏が計算してくれた,フォワードレートに基づいている.

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景気下振れ懸念への転換(12 月 19 日)年末になると,売り上げ低下や金融引き締まりなど景気減速が明瞭となり,

リスク評価を「景気下振れ」に変更することとなった.失業率の上昇が予想され始めている(図表 11-2).利下げをこの会合で実施することも検討されたが,12 月の雇用データを確認したいということで,年明け早々に定例会合外で利下げする可能性を意識しながらの現状維持となった.金融市場が翌年の利下げを予想していることも報告されている.イールドカーブは大きく下方にシフトして,逆イールドになっている(図表 11-5).

2.2 2001年,急速利下げシリーズ景気減速は明瞭となり,現実の成長率が予想を下回ることがくり返された

(図表 11-8).失業率も高まっていき,とくに 9.11 テロ後の第 4 四半期にはジャンプするように上昇し,さらなる悪化が予想されるようになる(図表11-6).インフレ率も第 2 四半期が例外だが,顕著に低下していく(図表11-7).株価をみると,伝統産業中心のダウジョーンズ指数はテロ直後を除けばさ

ほどでもないが,NASDAQは大幅に下落している.急速な利下げに応じて,短期金利は低下していき,逆イールドは早期に解消している(図表 11-9).

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 351

図表 11-5 2000 年のイールドカーブ

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 満期(年)11

7.0

6.0

5.0

4.0

3.0

2.0

1.0

0.0

00年12月19日00年11月15日00年10月3日00年8月22日00年6月28日00年5月16日00年3月21日00年2月2日

出所) FREDのデータを用いて英邦弘氏計算.

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図表 11-8 2001 年の GDP成長率

図表 11-7 2001 年の CPI インフレ率

図表 11-6 2001 年の失業率7

6

5

4

3

2

1

02000‒Ⅲ 00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 03‒Ⅰ01‒Ⅱ 01‒Ⅲ 01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 02‒Ⅱ 02‒Ⅲ 02‒Ⅳ

00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 01‒Ⅱ01‒Ⅲ 01‒Ⅳ 02‒Ⅰ

5

4

3

2

1

0

-12000‒Ⅲ 00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 03‒Ⅰ01‒Ⅱ 01‒Ⅲ 01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 02‒Ⅱ 02‒Ⅲ 02‒Ⅳ

00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 01‒Ⅱ01‒Ⅲ 01‒Ⅳ 02‒Ⅰ

4

3

2

1

0

-1

-22000‒Ⅳ 01‒Ⅰ 01‒Ⅱ 01‒Ⅲ 01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 02‒Ⅱ 02‒Ⅲ 02‒Ⅳ

00‒Ⅳ 01‒Ⅰ 01‒Ⅱ01‒Ⅲ 01‒Ⅳ

出所) 図表 11-8 まで,FRB of Philadelphia.

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強い利下げシリーズ(1 月 3 日・1 月 31 日・3 月 20 日・4 月 18 日・5 月15 日)雇用データへの対応として,予定どおり年初に電話会議が開催されて,

0.5%ポイントの強い引き下げが決定された.リスク評価も「景気下振れ」のままに留め置かれた.5 月定例 FOMC まで合計 5 回の 0.5%引き下げが実施される.リスク評価は景気の下振れ懸念が,継続的に表明されて,引き下げが続くことを予告している.4 月にも電話会議が 2 回開催されて,11 日には行動しなかったが,18 日

に 0.5%ポイントの利下げが実施されている.景況の急速な悪化に対応せざるをえず,政策行動は定例会合にできるだけ限定するという原則が,破られているのである.株価下落については,3月と 4 月の記者発表において,その消費抑制効果に言及されている.また,売り上げに対する在庫や生産の調整が,過去に比べて素早いことが指摘されている.

弱い利下げへ(6月 27 日・8月 21 日)6 月と 8 月には,利下げを継続したものの,利下げ幅は 0.25%へと縮小

された.成長率の予測も,早期の回復を想定している(図表 11-8).記者発表では,この利下げシリーズの合計利下げ幅(8 月の変更を含めると累計3%ポイント)を明示して,大幅な金融緩和がすでに波及中であることを指摘している.

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 353

図表 11-9 2001 年のイールドカーブ

01年12月11日01年11月6日01年10月2日

01年9月17日01年8月21日01年6月27日01年5月15日01年4月18日

01年3月20日01年1月31日01年1月3日00年12月19日00年11月15日

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

7.0

6.0

5.0

4.0

3.0

2.0

1.0

0.0満期(年)

出所) FREDのデータを用いて計算.

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9.11 テロ以後の強い利下げ(9月 17 日・10 月 2 日・11 月 6 日)テロ直後の 13 日に電話会合が開かれているが,「市場が正常に機能してい

ないし,さまざまな影響が不明である」として,政策行動は見送られた.その後,9月 17 日にも電話会議が開催されて,0.5%ポイントの強い利下げが実施された4).記者発表では,市場に特別な流動性を供給しており,結果的にFF金利が目標レベルよりも低下する危険性を認めている.続く 2 回の定例 FOMC の記者発表においては,「テロ攻撃の後,不確実性が高まっている」ことを強調して,0.5%ポイントの利下げを行っている.なお,10 月定例会合後の 6 日にアフガニスタン空爆が始まり,11 月定例会合後の 13 日にカブールが制圧されている.

回復兆候に応じた弱い利下げ(12 月 11 日)12 月の定例 FOMCにおいては,需要減退が収まりつつある兆候が報告さ

れており,利下げ幅も通常の 0.25%に戻されている.ただし,リスク評価は「景気下振れ懸念」のままである.いわば保険をかけるような政策行動であったといえよう.議長のグリーンスパンは,「FOMC はたいてい,1 回余分な利上げや利下げをしてしまいがちだが,保険のようなものであり,それが悪いこととは考えない」という趣旨で論じて,この利下げを提案している.市場では,短期金利は低下しているが,1年以上の金利は景気回復を予想して上昇しており,イールドカーブは顕著にスティープ化していた(図表 11-9).

2.3 2002年,景気の踊り場?この年の前半,景気は明確に回復しかけるが,年末にかけて少し減速して

しまう(図表 11-12).失業率は 6%前後に張り付き(図表 11-10),インフレ率も 2%前後で落ち着いている(図表 11-11).金融市場では,景気予想を反映して,年初にはイールドカーブがスティー

プ化したが,夏頃から長期金利が顕著に低下するようになる(図表 11-13).NASDAQが大幅に続落しているし,後半にはダウジョーンズ指数も低下が

354

4) 先進諸国が協調的な緩和を実施した.

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11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 355

図表 11-12 2002 年の GDP成長率

図表 11-11 2002 年の CPI インフレ率

図表 11-10 2002 年の失業率7

6

5

4

3

2

1

0 2001‒Ⅲ 01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 04‒Ⅰ02‒Ⅱ 02‒Ⅲ 02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 03‒Ⅱ 03‒Ⅲ 03‒Ⅳ

01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 02‒Ⅱ02‒Ⅲ 02‒Ⅳ 03‒Ⅰ

43.532.521.510.50

-0.5-1

2001‒Ⅲ 01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 04‒Ⅰ02‒Ⅱ 02‒Ⅲ 02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 03‒Ⅱ 03‒Ⅲ 03‒Ⅳ

01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 02‒Ⅱ02‒Ⅲ 02‒Ⅳ 03‒Ⅰ

5

4

3

2

1

0

-1

-22001‒Ⅳ 02‒Ⅰ 02‒Ⅱ 02‒Ⅲ 02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 03‒Ⅱ 03‒Ⅲ 03‒Ⅳ

01‒Ⅳ 02‒Ⅰ 02‒Ⅱ02‒Ⅲ 02‒Ⅳ

出所) 図表 11-12 まで,FRB of Philadelphia.

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目立っている.

「景気下振れ懸念」の継続(1月 30 日)1 月の定例 FOMCでは,景気回復がさらに確かになりつつあることが認

められており,利子率は変更されなかった.リスク評価については,「バランスしている」への変更も検討されたが,グリーンスパン議長は,「リスク評価を変更すると,長期金利が反応して上昇してしまって,景気を冷やす結果になりかねない」として,「景気下振れ懸念」を維持することを提案している.長期金利は安定したままとなった(図表 11-13).

静観(3月 19 日・5月 7日・6月 26 日)3 月の定例 FOMCでは,在庫投資増によって総需要が伸びていることが

確認されて,目標金利は変更されなかった.リスク評価も「下振れ懸念」から「バランスしている」へ変更されている.金融市場では,長期金利はほぼすべての満期で 0.5%ポイントほど上昇している.1 月 FOMC での予想が確認された形となった(図表 11-13).続く 5 月と 6 月の定例 FOMC においても,まったく同じ「金利:維持+

リスク:バランス」が採択されたが,長期金利の水準は 1月の位置に戻っている.なお,この 3 月の FOMC において,情報公開に関する進展があった.

356

図表 11-13 2002 年のイールドカーブ

02年12月10日02年11月6日

02年8月13日

02年6月26日02年5月7日02年3月19日

01年12月11日02年9月24日02年1月30日

満期(年)1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

6.0

5.0

4.0

3.0

2.0

1.0

0.0

出所) FREDのデータを用いて計算.

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FOMC の政策行動に関する投票結果と,理事会の公定歩合に関する投票結果を,記者発表文において公表することが決定されて,この会合から実施されたのである.

「景気下振れ懸念」への再転換(8月 13 日・9月 24 日)8 月の定例 FOMCでは,総需要の回復が弱まったとして,目標金利は維

持したものの,リスク評価を「景気下振れ懸念」に戻している.たしかに,第 3四半期から第 4四半期にかけて,成長率は予想を下回り,低下している(図表 11-12).記者発表文では,「弱含みの金融市場」と「企業スキャンダルにかかわる不確実性」を,減速理由として挙げている.議事録では,株式市場の大幅下落が懸念を生じていることと,他方で低金利にともなう住宅ローン借り換えなどで消費が支えられていることも指摘されている.金融市場は,この景況変化に対して顕著に反応しており,長期金利を 1%ポイント近く下げている(図表 11-13).9 月の定例 FOMC でも,「現状の金融緩和と生産性の伸び」をプラス要

因として挙げながらも地政学的リスクの高まりなどから「景気回復のタイミングは不明」として,「景気下振れ懸念」を維持している.金融市場では,2年物以上の長期金利が明確に低下している.

強い利下げ(11 月 6 日)11 月の定例 FOMC では,「地政学的リスクの高まりから支出も雇用も伸

びが止まっている」として,0.5%ポイントの強い利下げを実施した.グリーンスパン議長は「この利下げがミスで景気回復がすぐに始まったとしても取り返しやすいミスだが,景況が悪化してしまうとコストが大きい」として,利下げを提案している.また,リスク評価については,「利下げした上に『景気下振れ懸念』を維持すると,市場で利下げシリーズが予測されて長期金利が大きく低下してしまいかねないが,連続的に引き下げることはほとんど想定していない」ので,「バランスしている」に戻すことを提案している.金融市場では,1年までの満期の金利は明確に低下したが,より長い満期の金利はむしろ 8月水準にまで戻った.

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 357

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様子見(12 月 10 日)12 月の FOMCは,特別な情報が入ってこなかったとして,先月の利下げ

の影響をみるとして,目標金利を維持するとともに,リスク評価も「バランスしている」のままに止めている.

2.4 2003年,デフレ懸念の年この年の前半は,成長率があまり上昇せず(図表 11-16),失業率も上昇傾

向にあった(図表 11-14).さらに,第 2四半期以後はインフレ率の低下が顕著になっていき(図表 11-15),デフレ懸念が台頭した.しかし,年の後半には,次第に景気回復が鮮明となっていく.金融市場でも,この景気動向に合わせて,長期金利が前半に下降し,後半

に上昇した(図表 11-17).株式市場は,NASDAQ もダウジョーンズも上昇基調となった.

年初,様子見の継続1 月の定例 FOMC では,前年末の FOMC に引き続いて,金利変更なし

で,リスク評価も「バランス」が採択されている.「石油価格上昇や地政学的なリスクは継続しているものの,現状の金融緩和と生産性の伸び」で基本的には十分ということである.3 月の定例 FOMCも経済については同じ見方であるが,イラク侵攻前日

の開催だったので「不確実性が高いために短期的なリスク評価は不能」として,異例なことだが,リスク評価の呈示を見送っている.ただし,金融市場では 3-4 年以上の長期金利の低下が目立っている(図表 11-17).

デフレ懸念のたかまりイラク戦争に関しては 5月 1日に戦闘終結宣言が出されて,石油価格が落

ち着いてきたことが報告されている.5月の定例会合からは,デフレ懸念を明示するようになっていく.記者発表文におけるリスク評価の表示方法が工夫されて,「持続的成長に関するリスクは,上下両方向にバランスしている」が,「インフレーションに関するリスクは,現在の低水準からさらに低下するリスクが上昇するリスクを上回っている」と,2つの政策目標に関して分

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11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 359

図表 11-14 2003 年の失業率

図表 11-15 2003 年の CPI インフレ率

図表 11-16 2003 年の GDP成長率

6.4

6.2

6

5.8

5.6

5.4

5.2

5

4.82002‒Ⅲ 02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 05‒Ⅰ03‒Ⅱ 03‒Ⅲ 03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ 04‒Ⅲ 04‒Ⅳ

02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 03‒Ⅱ03‒Ⅲ 03‒Ⅳ 04‒Ⅰ

4.5

4

3.5

3

2.5

2

1.5

1

0.5

02002‒Ⅲ 02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 05‒Ⅰ03‒Ⅱ 03‒Ⅲ 03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ 04‒Ⅲ 04‒Ⅳ

02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 03‒Ⅱ03‒Ⅲ 03‒Ⅳ 04‒Ⅰ

4.5

4

3.5

3

2.5

2

1.5

1

0.5

02002‒Ⅳ 03‒Ⅰ 03‒Ⅱ 03‒Ⅲ 03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ 04‒Ⅲ 04‒Ⅳ

02‒Ⅳ 03‒Ⅰ 03‒Ⅱ03‒Ⅲ 03‒Ⅳ

出所) 図表 11-16 まで,FRB of Philadelphia.

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離して述べられるようになった.記者発表文の最終センテンスは,「総括すると,政策目標実現にとっては当分の間下振れリスクが続く」と表現されている.金融市場では,1 年以上の長期金利がほぼすべて 0.2%程度低下している(図表 11-17).6 月の定例会合では,0.25%の引き下げが決定されて,FF レートは 1%

水準にまで低下した.リスク評価は 5月のものが継承されており,最終センテンスでは,「総括すると,後者(デフレ懸念)が当分の間支配的であろう」と述べている.金融市場では,金利が全面的に低下しており,とくに 3-4 年以上の長期金利では 0.5%ポイント近い低下であった.8月の定例会合でも,金利水準は維持したものの,リスク評価は継承され

ている.最後には,「総括すると,インフレーションが望ましくないほどに低くなるリスクが,当分の間支配的であろう」と述べた後,「現在の金融緩和は,相当の間継続可能であろう」と,低金利維持を予告している.弱い形のコミットメントをして,長期金利に働きかけようとしたのだと考えられる.しかし,6 月 FOMC 後と比べると,1 年物以上の長期金利は顕著に上昇しており,3 年もの以上では約 1%ポイントの上昇であった.市場はデフレ懸念が長期的なものではないと判断したのである.9 月と 10 月の定例 FOMC も 8 月とほぼ同じ判断を示し,記者発表文の

最終パートはまったく同じである.8月会合後と比べると,金融市場では,長期の金利が全般的にやや低下している.

360

図表 11-17 2003 年のイールドカーブ

03年12月9日03年10月28日03年9月16日03年8月12日

03年6月25日03年5月6日03年3月18日03年1月29日02年12月10日

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 満期(年)11

5.04.54.03.53.02.52.01.51.00.50.0

出所) FREDのデータを用いて計算.

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デフレ懸念の弱まり12 月の定例 FOMCでは,目標金利の変更はないものの,リスク評価が改

訂されてデフレ懸念の低下が明示された.「インフレ率の望ましくない低下の可能性はここ数カ月で弱まったので,いまやインフレ率の上昇の可能性とほぼ同じぐらいである.」成長率も第 3 四半期以後,高目に推移している(図表 11-16).しかし,「インフレ率の水準はまだ低いし,資源の遊休度も高い」ということで,「現在の金融緩和は,相当の間継続可能であろう」という最終センテンスは継承されている.FOMCでは,「相当の期間(for a con-siderable period)」を削除した方が自由度が高まるという意見も出されたが,このままで良いという意見が大勢を占めたという.また,インフレ率と遊休度への言及は,曖昧な時間表現のみでなく,低金利継続を経済情勢に関係づけたいという意見の反映であるとのことで,日本のケースほどではなくても,継続条件の呈示に近いものであった.債券市場では,1年物以上の利子率が全般的に 0.2%程度上昇した(図表 11-17).利上げを織り込んだのであろう.

2.5 2004年,利上げ開始の年景気回復は堅調となり,成長率も 4%前後にまで高まっている(図表

11-20).失業率も 6%前後から 5%台半ばにまで低下していくし(図表11-18),インフレ率は 2%を超える水準に落ち着くようになっていく(図表11-19).株価は 1年を通じて安定しており,金融市場では利上げに応じて短期金利

が上昇していったが,長期金利は逆に低下するケースもあった(図表 11-21).

維持+ほとんどバランス1 月の定例会合では,生産が順調に拡大していることが報告されている.

リスク評価は前年末と同じに「経済成長に関してはバランス」で,「インフレに関しては,デフレ懸念が低下して,ほとんどバランス」とされている.ただし,記者発表文の最終センテンスは完全に書き換えられて,「インフレ率の水準はまだ低いし,資源の遊休度も高い」ので,「現在の金融緩和の解除は急がなくていい」と,金融市場の利上げ予測をゆるめている.この会合でも,この最終センテンスが議論の的となった模様で,前回まで使用された

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 361

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362

図表 11-20 2004 年の GDP成長率

図表 11-19 2004 年の CPI インフレ率

図表 11-18 2004 年の失業率6.2

6

5.8

5.6

5.4

5.2

5

4.8

4.6

4.4

03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ04‒Ⅲ 04‒Ⅳ 05‒Ⅰ

2003‒Ⅲ 03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ 04‒Ⅲ 04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ 05‒Ⅲ 05‒Ⅳ 06‒Ⅰ

54.543.532.521.510.50

03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ04‒Ⅲ 04‒Ⅳ 05‒Ⅰ

2003‒Ⅲ 03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ 04‒Ⅲ 04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ 05‒Ⅲ 05‒Ⅳ 06‒Ⅰ

4.5

4

3.5

3

2.5

2

1.5

1

0.5

0

03‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ04‒Ⅲ 04‒Ⅳ

2003‒Ⅳ 04‒Ⅰ 04‒Ⅱ 04‒Ⅲ 04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ 05‒Ⅲ 05‒Ⅳ

出所) 図表 11-20 まで,FRB of Philadelphia.

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「相当の期間」という曖昧な表現を削除するとして,「急がなくていい(canbe patient)」というフレーズを加えるかどうかが問題となったようである.後者も曖昧な表現である.すべての満期で市場金利は,わずかに低下している.3 月定例会合でも,ほぼ同じ記者発表文となっている.FOMC では,イ

ンフレのリスクを普通の「バランス」に戻すことが検討されたが,前回のままに維持してもいいということになったという.金融市場は,大きく反応して,2年物以上の金利が 0.5%ポイント近く低下した(図表 11-21).

維持+バランス+予告5 月定例会合では,生産のみならず雇用も増大し始めたことが報告されて

いる.リスク評価も,成長についてはバランスのままで,「インフレに関してもバランス状態になった」と改訂している.さらに,記者発表文の最終センテンスも書き換えられた.景況の改善が確かになったことで,市場も利上げ開始の早まりを予想しており,「急がなくていい」という表現は不適切となった.そこで,「インフレ率の水準は低いし,資源の遊休度も高い」ので,「現在の金融緩和は,予想されるペースで解除できるだろう」という表現が採用された.小刻みな利上げの開始を予告したのである.市場金利は大きく反応した.先月とは反対に上昇しており,1 年物でも約 0.5%ポイント,2年物以上は約 1%ポイントも変化したので,イールドカーブはスティープ化

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 363

図表 11-21 2004 年のイールドカーブ

04年12月14日04年11月10日04年9月21日04年8月10日

04年6月30日04年5月4日04年3月16日04年1月28日03年12月9日

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 満期(年)11

5.04.54.03.53.02.52.01.51.00.50.0

出所) FREDのデータを用いて計算.

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した(図表 11-21).

小刻み利上げ+バランス+予告6 月定例会合から翌年にかけて,0.25%幅の小刻み緩和が定例会合ごとに

実施されていった.現状認識では,エネルギー価格上昇という撹乱要因があるものの,生産と雇用は増大しており,インフレ予想は落ち着いているというのが,基本ラインである.リスク評価も,「持続的成長と物価安定の両目標に関して,リスクはバランスしている」としている.そして,これまでの最終センテンスはわずかに変更されて,「インフレーションの基調が比較的低いまま」なので「現在の金融緩和は,予想されるペースで解除できるだろう」という予告を続けていく.ただし,別のセンテンスが最後に付加されることとなった.「FOMCは,物価安定という政策目標を実現するためには,経済情勢の変化に対応していく」と述べている.「インフレリスクは,下振れよりも上振れになりつつある」という意見に配慮したのである.市場金利は,6月には全般的に上方にシフトしたが,その後は,利上げ行

動に対応して 2 年物ぐらいまでの金利が上昇する一方で,10 年物に近い長期金利は低下していき,イールドカーブのフラット化が鮮明となっていく(図表 11-21).

2.6 2005年,小刻み利上げで通した年小刻み利上げ+バランス+予告(2月・3月・5月・6月・8月)この年も半ば過ぎまでは,昨年後半とまったく同じ基本パターンがくり返

されている.0.25%ポイントの小刻み利上げをくり返しながら,「この利上げをしても,金融政策は緩和状態である」し,「生産性の伸び」とともに,景気拡大を支えるだろうと述べるのである,現状認識では,月々の細かな変動はあるが,基本的に「生産と雇用は増大」しつつあり(図表 11-22,11-24),「エネルギー価格上昇」にもかかわらず「コアインフレとインフレ予想は落ち着いている」(図表 11-23)と,総括している.リスク評価では,「両方の政策目標に関してバランス」が昨年来継続して

採用されているが,3月会合でこのリスクに関する表現をどうするかで議論されたようである.とくに,将来の見込みは将来の政策行動を織り込んでい

364

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11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 365

図表 11-23 2005 年の CPI インフレ率6

5

4

3

2

1

0

04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ05‒Ⅲ 05‒Ⅳ 06‒Ⅰ

2004‒Ⅲ 04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ 05‒Ⅲ 05‒Ⅳ 06‒Ⅰ 06‒Ⅱ 06‒Ⅲ 06‒Ⅳ

図表 11-24 2005 年の GDP成長率4.5

4.0

3.5

3.0

2.5

2.0

1.5

1.0

0.5

0

04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ05‒Ⅲ 05‒Ⅳ

2004‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ 05‒Ⅲ 05‒Ⅳ 06‒Ⅰ 06‒Ⅱ 06‒Ⅲ 06‒Ⅳ

図表 11-22 2005 年の失業率5.55.45.35.25.15.04.94.84.74.64.5

04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ05‒Ⅲ 05‒Ⅳ 06‒Ⅰ

2004‒Ⅲ 04‒Ⅳ 05‒Ⅰ 05‒Ⅱ 05‒Ⅲ 05‒Ⅳ 06‒Ⅰ 06‒Ⅱ 06‒Ⅲ 06‒Ⅳ出所) 図表 11-24 まで,FRB of Philadelphia.

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る点を明示するかどうかが,焦点となった.「『バランス』しているから政策行動は必要ない」のではなく,「想定している政策行動が実施されれば『バランス』が保たれるだろう」という意味なのである.この回から,「適切な政策行動がとられれば,上方・下方のリスクは等しく保たれるだろう」という表現が採用された.政策行動の予告の部分は,「基調インフレーションは落ち着いている」ので,「予想されるペースでの金融緩和解除が可能」であるが,「物価安定に必要とあれば,経済状況に反応する」と,前年末と同じ内容が踏襲されている.この文言が「小刻み利上げ」を約束してしまっているかも問題となったが,利上げスピードを加速する自由度はあるということで,変更されなかった.6月には,住宅価格について,スタッフのレポートが報告されて,バブル

かどうかの判断が難しいという,お決まりのポイントに落ち着いている.FOMC の議論でも,住宅価格上昇と長期金利低下とが,問題視されて議論された.短期金利は政策行動につれて上昇しているが,長期金利はむしろ低下しており,イールドカーブはフラット化していた(図表 11-25).その後,8 月にかけて,順調な景気回復に対応して,ほぼすべての満期で金利は0.5%ポイントほど上昇した.

ハリケーン・カトリーナ(9月・11 月)9 月会合において,ハリケーンについては,「いまだに経済的影響の大き

さは不明」で,「そのダメージと,関連するエネルギー価格上昇」が「近い将来における不確実性を高めたが,長期的な問題とはならない」と判断している.当然の判断であろうが,景気も順調で,「エネルギー価格上昇にはインフレ率上昇のポテンシャルがあるが,コアインフレもインフレ予想も落ち着いている」と述べて,これまでどおりの小刻み利上げを実施し,リスク評価も「バランス」のままに据え置いている.なお,金融市場では,長期金利が低下して,イールドカーブがさらにフラット化した(図表 11-25).11 月会合では,ハリケーンの影響で,全国経済の生産と雇用も一時的に

マイナスとなったことが報告されている.ただし,ハリケーンの影響を除けば,景気拡大が順調なままであった.記者発表文では,ハリケーンでダメージを受けた地域における,再建需要にも言及している.なお,金融市場では,

366

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景気が堅調であることを受けて,ほぼすべての満期で金利が 0.5%弱上昇していた.

景気回復+文言変化12 月 FOMC でも,小刻み利上げは継続された.「高いエネルギー価格と

ハリケーンの影響にもかかわらず,景気拡大は順調」であり,「コアインフレとインフレ予想は落ち着いている」という現状認識を示している.なお,住宅ローン利子率が上昇し始めて,住宅投資に減速傾向がみられる点にも,注目が集まったようである.また,生産や雇用が潜在水準に近づいていることを示すために,これまでとは異なって,高いエネルギー価格のみならず,「稼働率・雇用率の高まりにも,インフレ圧力を増すポテンシャルがある」という表現が採用されている.目標利子率の水準については,「自然率と考えてもよい水準に近づいてい

る」という意見も出されて,現状認識のパートから「現在の金融緩和は,……,経済活動を支えている」という表現が削除された.また,「予想される(measured)」引き上げという文言の削除も検討されたが,金融市場が誤解することが懸念されて,維持されることとなった5).いい回しが少し変更されて,「両方の政策目標に関するリスクをバランス状態に維持するために

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 367

5) 翌年最初のFOMCから,この「measured」という言葉は削除される.

図表 11-25 2005 年のイールドカーブ

05年12月13日05年11月1日05年9月20日05年8月9日

05年6月30日05年5月3日05年3月22日05年2月2日04年12月14日

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 満期(年)11

5.04.54.03.53.02.52.01.51.00.50.0

出所) FREDのデータを用いて計算.

Page 24: 11 ITバブル崩壊後の米国金融政策11 ITバブル崩壊後の米国金融政策 ――2000年から2005年 地主敏樹 要旨 本稿では,ITバブル崩壊後の時期におけるアメリカの金融政策を,公表

は,さらなる小刻み利上げが必要であろう」とされた.「ただし,それらの目標達成に必要とあれば,経済状況に反応する」という,最終センテンスも維持されている.

本節の公表資料に基づくクロノロジカルな検討でわかった興味深い点をまとめておこう.①株式下落のみでは注視はするものの政策行動には結びついていない

ことが,2000 年の政策行動からわかる.また,2001 年の年央からの政策判断をみると,② 9.11 テロがなければ,2001 年の利下げ幅は顕著に狭まっていたかもし

れないことが,わかるといえよう.2003 年以後の政策行動と記者発表文および議事録の検討から,③リスク評価の文言は,将来の金利経路予想を通じて債券市場に大きな影

響をもたらしうるし,当局がそのことを意識している④デフレ懸念は短命であったが,政策行動の予告は長期金利の極端な変動

の抑制を意図して用いられたことなどが,明らかとなった.

3 キーワード分析6)

金融政策当局の各政策目標への注目度を測るために,公表された資料におけるキーワードの使用頻度を調べてみた.本論文の検討対象としている期間を通じて利用可能な資料は,Minutes(議事要録)である.Minutes は編集されて公表されているものなので,原則編集していない一言一句収録のTranscript に比べると,資料としては劣ってしまうが,Transcript は現時点で 2002 年分までしか公表されていない.さらに,5 年というタイムラグがあるものの,Transcript が公表されることが決まっているので,Minutes の内容もあまりに偏向したものとはされていないであろうと想像される.した

368

6) 本節の作業は森山奈々実氏が担当してくれた.

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がって,本節では,Minutes を対象として,政策目標にかかわるキーワードの使用頻度を調べることとする7).政策目標にかかわるキーワードとしては,⑴インフレーション,⑵雇用,

⑶株式市場・株価,⑷為替レート,⑸住宅市場・住宅価格を,選択した.最初の 2目標は,連邦準備が法律で与えられているものである.残りの 3目標は,資産価格関係のものを選択した.キーワードを検索する際に利用した単語は,⑴ inflation/disinflation⑵ employment/unemployment⑶ stock/equity⑷ foreign exchange⑸ home/house/housing

である.なお,home-equity-loan にかかわるフレーズは,すべて⑸で勘定し,⑶には含めなかった.また,single family home とかmulti family housing といった語句は,multi family unites など他の言い回しもあって,言い換えによって勘定数が変化してしまうので,除外することとした.結果は,図表 11-26 にまとめられている.各キーワードの使用数を年毎に

集計して,Minutes のページ数で除した商をグラフ化した.観察される特徴をまとめておきたい.

①政策目標としては,インフレーションの使用頻度が圧倒的に高い.ただし,2001 年から 2002 年にかけては,使用頻度が低く,主要な懸念事項でなかったと考えられる8).②もう 1つの主政策目標である雇用については,インフレーションと比べ

ると,半分以下の頻度でしかでていない.対象期間中では,2003 年から2004 年にかけて,頻度が高まって,重要な懸念事項となっていたと考えられる.

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 369

7) Minutes と Transcript との比較は将来の課題としたい.8) インフレ率の異常な低下(あるいはデフレ)を意味する disinflation という単語は,2003 年 8月に初めて使用されて,2004 年 3 月まで計 6 回の FOMCのMinutes においてのみ使用されている.

Page 26: 11 ITバブル崩壊後の米国金融政策11 ITバブル崩壊後の米国金融政策 ――2000年から2005年 地主敏樹 要旨 本稿では,ITバブル崩壊後の時期におけるアメリカの金融政策を,公表

③株式市場・株価については,2000 年から 2002 年の大幅下落期には,使用頻度が高く,重要な関心事項であったことがわかる.2003 年以後は明瞭に使用頻度が落ちており,関心の低下を示している.④住宅市場・価格については,雇用と並ぶほどに使用頻度が高い.政策手

段である金利に感応しやすい分野であり,住宅着工件数・住宅販売件数が景気指標としても,常にモニターされているからであろう.2000 年,2002 年と 2005 年に高まっている.⑤外為の使用頻度は,ほぼ常に低い.米国の金融政策にとって,かなり特

殊な時期を除けば,主な関心事項でないことがわかる.さらに,外為に関する言及が多いのは,年初の会合に偏っており,外国の中央銀行とのスワップ協定の更新などがあるためなので,実際の政策運営との関連での言及はさらに低いと見るべきだろう9).

以上から,この時期の政策運営の特徴をまとめておこう10).まず,インフレーションへの関心が圧倒的に高い一方で,外為への関心がきわめて低いことが示されている.さらに,株式や住宅は,雇用に匹敵するほどの関心を

370

9) 年初以外の会合で例外的に外為への言及が多かったのは,2002 年 6 月会合と 2003 年 5 月会合ぐらいである.10) これらの特徴がこの時期に限定的なものか,どの程度他の時期にも通用するのかは,別の分析を必要とする.

図表 11-26 キーワードの使用頻度

2000 2001 2002 2003 2004 2005

2.50

2.00

1.50

1.00

0.50

0.00

インフレーション 雇用株式 外為 住宅

出所) FOMC Minutes に基づいて計算.

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集めている.株式や住宅などの資産価格については,その水準が高すぎたり低すぎたり,あるいは変動や活動が活発な時期に,政策当局の関心が高まっていることもわかる.2000 年に利下げは実施されなかったが,株式市場は注視されていたのである.ただし,懸念材料でなくなると,資産価格への言及は急速に低下してしまう点は,インフレと雇用という主 2政策目標との違いであろう.

4 日本との比較分析

本節では,この時期のアメリカの金融政策運営を,日本のバブル崩壊後の運営と比較してみたい.

4.1 利下げスピードと強度 米国S&L危機と日本バブル崩壊まず利下げのスピードを検討してみよう.IT バブル崩壊後の利下げは,

2001 年だけで 11 回実施している点だけでも,非常に急速であることがわかる.この 1 年間の FF レートの下げ幅の合計は 4.75%ポイントに達している.比較対象となりうるのは,日本のバブル崩壊後のコールレートの引き下げ

であろう.1991 年 3 月の 8.5%から 1995 年 1 月の 0.5%まで,年平均約 2%ポイントのスピードで下げている.また,アメリカ自国の 1990 年代初頭のS&L 危機時の FF レート引き下げは,1989 年 6 月の 9.8%から 1992 年 9 月の 3%まで,やはり年平均約 2%ポイントであった.どちらと比べても,ITバブル崩壊後は,約 2倍のスピードで利下げしたことがわかる11).次いで,利下げの強度を,最終的な低金利の(実質)水準で比較しよう.

やはり,今回のアメリカが一番強いことがわかる.2002 年から 04 年にかけて,名目金利水準は 2%から 1%となっており,インフレ率以下なので,実質金利の水準はマイナスである.他方,アメリカ S&L 危機時の 1992-94 年は,名目 FF レートを 3%水準

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 371

11) なお,クロノロジーの節で見たように,9.11 テロがなければ,最後の 3 回の利下げは実施されなかったもしれない.その合計幅 1.5%ポイントを除外しても,1 年間の切り下げ幅は 3.25%ポイントであり,S&L危機と日本のバブル崩壊後よりも急速である.

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にまで引き下げており,ほぼインフレ率と同じだった.つまり,実質金利はほぼゼロ%であった.バブル崩壊後の日本は,1995 年にコールレートを0.5%水準していたが,インフレ率はほぼゼロ%かマイルドなデフレが発生していたので,実質金利の水準は明白にプラスの値であった.危機後の実質金利水準をマイナスにまで引き下げたのは,IT バブル崩壊

後のみなのである.この政策運営については,日本のバブル崩壊後の教訓を,実地に適用したものだと考えられている.こうした状況下では,金利水準を素早く下げ切ることが肝要だという考え方がある.バブル崩壊後の特殊状況では,多くの経済部門のバランスシートが劣化するので,その調整過程の延引回避が優先課題となる.調整が遅れて長引くと,総需要不足が継続することとなり,デフレーションが発生しかねない.デフレーションが発生してしまうと,日本のバブル崩壊後のように,金利引下げの下限=ゼロ金利が有効となり,実質金利はプラスにとどまるので,実質的な金融緩和不足となってしまう.したがって,通常に望ましいとされるよりも,急速に過激に利下げを推進

することが適切な政策だという考え方が主張されることになる12).図表 11-1 で見たように,ITバブル崩壊後のFFレートはテーラー・ルールに沿って,遅れることなく低下している.通常の金融政策運営では,金利スムージングが勘案されて,よりゆっくりと調整されるのだが,この時期には金利スムージングが放棄されて,急速な利下げが実施されたのである13).

4.2 コミットメントの方法と効果2003 年からのデフレ懸念に直面して,連邦準備は低金利の維持を予告し,

そこからの利上げにおいても利上げペースを予告するという政策を実施した.きわめて緩い形ではあるが,コミットメントをともなった政策運営であったとみなすことができよう.短期金利の低水準維持を約束することで,長期金

372

12) Ahearne et al.[2002]など.13) テーラー・ルールそのものが,バブル崩壊期の望ましい政策にどれだけ近いのかは,判然としないが,ここでは,通常よりも急速な緩和が行われたことの証左として,テーラー・ルールを用いている.なお,Ahearne et al.[2002]では,日本のバブル崩壊後の利下げが,リアルタイムデータではテーラー・ルールに沿うものであったが,その後にリバイズされたデータでは利下げ不足であったことを示している.図表 11-1 は,アメリカの ITバブル後の利下げがリバイズ後のデータでも,テーラー・ルールに沿うほどに急速であったことを示している.

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利のコントロールを意図したものであったと考えられる.この点でも,日本のゼロ金利政策や量的緩和政策に倣った政策運営が実施されたのである.両者を比較してみよう.まず,コミットメントの手法を比べよう.日本の場合,ゼロ金利政策では

「デフレ懸念が払拭されるまで」という表現であり,量的緩和政策では「CPI 上昇率が安定的にプラスとなるまで」という,低金利継続を停止する条件が明示された.アメリカでは,リスク評価の部分に,下記のような文言を加える形で,コミットメントが示された.・2003 年 5 月 「経済は当分の間(over the foreseeable future),弱含み」・2003 年 6 月 「デフレ懸念は当分の間(for the foreseeable future)継続」・2003 年 8・9・10・12 月 「現状の金融緩和は相当の期間(for a consider-able period),継続可能」

さらに,出口に向けても,次のような文言で利上げ開始と,ペースが予告された.・2004 年 1・3 月 「現状の金融緩和の解除は,急がなくてもよい(can bepatient)」

・2004 年 5 月-2005 年 1 月 「金融緩和は予想されるペース(at a pace thatis likely to be measured)で,解除」日本の明快な停止条件呈示と比べると,「当分の間」とか「相当の期間」といった曖昧な継続期間呈示でしかなく,コミットメントの手法としては,拙いものであったといえよう.ただし,2003 年 12 月には,「インフレ率の水準はまだ低いし,資源の遊休度も高い」ので,「現在の金融緩和は,相当の間継続可能であろう」という形に修正された.この,インフレ率と遊休度への言及は,曖昧な時間表現のみでなく,低金利継続を経済情勢に関係づけたいという意見の反映であるとのことで,日本のケースほどではなくても,継続条件の呈示に近いものであった.このコミットメントの効果を見ておこう.日本の場合,金融市場は低金利

の継続期間を 1 年半ほどにも見積もることとなった14) (図表 11-27).しかし,アメリカの場合は,半年にも満たないほどであったことがわかる(図表 11-

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 373

14) 白塚・藤木[2001]の手法に従い,岡本光技氏が計算した結果による.

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28).デフレ状態からの出口がなかなかに見えなかった日本と,デフレ懸念がすぐに消えてしまったアメリカと,経済情勢の違いを反映しているのであろうが,コミットメントの手法の優劣とも対応する結果であったといえよう.

5 結び

本稿では,IT バブル崩壊後のアメリカの金融政策を検討してきた.結果をまとめてみよう.公表資料に基づく,クロノロジカルな検討では,①株価下落のみでは注視はするものの政策行動には結びついていないこと,②9.11 テロがなければ,2001 年の利下げ幅は顕著に狭まっていたかもしれないこと,③リスク評価の文言は,将来の金利経路予想を通じて債券市場に顕著な影響をもたらしうるし,当局がそのことを意識していること,④デフレ懸念は短命であったが,政策行動の予告は長期金利の極端な変動の抑制を意図して用いられたことなどが,明らかとなった.同じく公表資料である議事要録に基づくキーワード分析では,少なくとも

374

図表 11-27 日本低金利の継続予想期間の推移

2.0

1.8

1.6

1.4

1.2

1.0

0.8

0.6

0.4

0.2

0.003年1月2日

03年1月16日

03年1月30日

03年2月13日

03年2月27日

03年3月13日

03年3月27日

03年4月10日

03年4月24日

03年5月8日

03年5月22日

03年6月5日

03年6月19日

03年7月3日

03年7月17日

03年7月31日

03年8月14日

03年8月28日

03年9月11日

03年9月25日

03年10月9日

03年10月23日

03年11月6日

03年11月20日

03年12月4日

03年12月18日

出所) datastreamのデータを用いて計算.

Page 31: 11 ITバブル崩壊後の米国金融政策11 ITバブル崩壊後の米国金融政策 ――2000年から2005年 地主敏樹 要旨 本稿では,ITバブル崩壊後の時期におけるアメリカの金融政策を,公表

この時期の政策運営においては,①インフレーションへの関心が圧倒的に高い一方で外為への関心がきわめて低いこと,②株式や住宅は雇用に匹敵するほどの関心を集めうるが,懸念材料でなくなると資産価格への注目は急速に低下してしまうこと,などが明らかとなった.最後の,他の金融危機時の政策運営との比較を通じては,① IT バブル崩

壊後の金融緩和がスピードと強度の双方で,他の金融緩和を超えるものであったこと,②政策の予告においては,日本のバブル崩壊後よりも曖昧なものであったが,途中で少し明瞭化されたこと,それでも長期金利への影響は弱いものであったこと,などが判明した.全体をまとめると,ITバブル崩壊後の金融政策対応は,「資産価格変動そのものへの対応ではなく,実体経済の変化に応じたものであった」と言えそうだが15),その例外的なスピードと強度についてはより詳しい Transcriptレベルでの検証が必要である.また,リスク評価の文言は債券市場に顕著な影響を及ぼすことが意識されていたので,デフレ懸念時の予告に用いられた

11 IT バブル崩壊後の米国金融政策 375

15) この点では,Bernanke and Gertler[1999]などが呈示した,「金融政策は,資産価格の変動にそのものに対応すべきではなく,インフレや生産に影響する部分にのみ対応していればよい」という考え方に沿っていたとも言えよう.

図表 11-28 アメリカ低金利の継続予想期間の推移

1.4

1.2

1.0

0.8

0.6

0.4

0.2

0.003年2月3日

03年3月3日

03年4月3日

03年5月3日

03年6月3日

03年7月3日

03年8月3日

03年9月3日

03年10月3日

03年11月3日

03年12月3日

04年1月3日

04年2月3日

04年3月3日

出所) FREDのデータを用いて計算.

Page 32: 11 ITバブル崩壊後の米国金融政策11 ITバブル崩壊後の米国金融政策 ――2000年から2005年 地主敏樹 要旨 本稿では,ITバブル崩壊後の時期におけるアメリカの金融政策を,公表

が,日本のケースほどに明瞭でも強力なものでもなかったということもできるだろう.本稿の検討対象とした時期は IT バブル崩壊とその直後の時期である.そ

の後,アメリカ経済では住宅価格バブルが形成されて,サブプライム問題を契機とするその崩壊とともに金融危機へと陥った.また,稿を改めて,その時期の分析を行い,本稿の分析結果と比較したい.

資料

Federal Reserve Board, FOMC Transcript,2000-2002 年の各回.Federal Reserve Board, FOMC Minutes,2000-2005 年の各回.Federal Reserve Board, FOMC Statement,2000-2005 年の各回.

データソース

FRED, Federal Reserve Bank of St. Louis.Professional Forecast Survey, Federal Reserve Bank of Philadelphia.

参考文献

黒木祥弘[1999],『金融政策の有効性――「適切」かつ「機動的」な運営を求めて』東洋経済新報社.

地主敏樹[2006],『アメリカの金融政策――金融危機対応からニュー・エコノミーへ』東洋経済新報社.

白塚重典・藤木裕[2001],「ゼロ金利政策下における時間軸効果――1999-2000 年の短期金融市場データによる検証」『金融研究』,第 20 巻第 4号.

Ahearne, Alan, Joseph Gagnon, Jane Haltmaier, and Steve Kamin [2002], “PreventingDeflation: Lessons from Japan’s Experience in the 1990s,” International Finance Discus-sion Papers, 2002‒79, Federal Reserve Board, June.

Bernanke, Ben and Mark Gertler [1999], “Monetary Policy and Asset Price Volatility,” inNew Challenge for Monetary Policy, pp. 77‒128, Federal Reserve Bank of Kansas City.

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