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2002年インターゼミナール大会論文 「日本の産業構造の空洞化について~空洞化克服のためにとるべき対応~」 02-07 国際経済論 中央大学河邑ゼミ 産業空洞化班 田中 伴枝 栗田 度 清水 優 高梨 欽央 序章 第1章 産業空洞化とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P7 第2章 産業別考察~自動車産業~・・・・・・・・・・・・・・・・ P19 第3章 産業別考察~家電産業~・・・・・・・・・・・・・・・・・ P37 第4章 産業別考察~半導体産業~・・・・・・・・・・・・・・・・ P51 第5章 産業別考察~繊維産業~・・・・・・・・・・・・・・・・・ P73 終章 日本経済は、今後どうするべきか・・・・・・・・・・・・・ P83 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P84

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2002年インターゼミナール大会論文

「日本の産業構造の空洞化について~空洞化克服のためにとるべき対応~」

02-07 国際経済論

中央大学河邑ゼミ 産業空洞化班 田中 伴枝 栗田 度 清水 優

高梨 欽央

序章 第1章 産業空洞化とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P7 第2章 産業別考察~自動車産業~・・・・・・・・・・・・・・・・P19 第3章 産業別考察~家電産業~・・・・・・・・・・・・・・・・・P37 第4章 産業別考察~半導体産業~・・・・・・・・・・・・・・・・P51 第5章 産業別考察~繊維産業~・・・・・・・・・・・・・・・・・P73 終章 日本経済は、今後どうするべきか・・・・・・・・・・・・・P83 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P84~

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目次 序章 第1章 産業空洞化とは はじめに

第1節 日本における製造業 1.全産業の中の製造業 2.製造業の高生産性 3.加工貿易国の証明

第2節 日本製造業における産業空洞化の現況 1.日本企業の海外進出の動向

(1) 外直接投資の増加 (2) 海外生産比率の上昇 2、日本国内における製造業の動向 (1) 従業員の減少・転廃業率の動向 (2) 貿易収支の悪化

3、業集積の衰退 第3節 産業空洞化発生の要因

1.海外市場の魅力 2.日本における高コスト構造 3.円高と産業空洞化の関係 4.不況と産業空洞化の関係

おわりに 第2章 産業別考察~自動車産業~ はじめに 第 1 節、日本自動車産業の特徴

1、自動車産業の特性 2、日本経済における自動車産業の地位 3、日本における重層的下請け分業構造

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第 2 節、日本自動車産業の空洞化の現状 第 3 節、日本自動車産業における海外進出の要因

1、日本自動車産業の海外進出要因 (1) 貿易障壁の回避 (2) 為替リスク

2、日本自動車産業における地域別現地生産の展開 (1) 日本自動車企業の北米進出の要因

① 貿易障壁の回避 ② 良質な市場への戦略

(2) 日本自動車企業の欧州進出の要因 ① 貿易障壁の回避 ② 良質な市場への戦略 ~日産の欧州現地生産からの考察~

(3) 日本自動車企業のアジア進出の要因 ① アジア進出の要因 (ⅰ)アジア諸国の国産化政策 (ⅱ)アジアへの投資目的 ② 日本自動車企業におけるアジアの位置づけ ③ 日本自動車企業の東アジアにおける企業内国際分業体制

(ⅰ)BBCスキーム (ⅱ)AICOスキーム

④ 最大の市場になりうる中国市場 (ⅰ)中国の市場 (ⅱ)日本自動車企業の中国進出

第 4 節、日本自動車産業における空洞化克服の可能性

1、トヨタと日産の比較 2、トヨタにおける競争力の要因

(1) 競争力の要因 (2) トヨタ生産方式と「地域」

① 集積の利益 ② トヨタ企業体の「地域独占」の諸相

(ⅰ)工場用地造成と土地取得に関わる便宜の提供 (ⅱ)交通・運輸手段の利用独占 (ⅲ)トヨタ企業体の市政支配

(3) トヨタにおける産業集積

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3、空洞化克服の可能性 (1) 組立メーカー (2) 中小下請け企業

おわりに 第3章 産業別考察~家電産業~ はじめに

第1節 家電産業とは 1.家電とは 2.家電の分類

(1) 白物家電 (2) AV機器

3.家電産業の規模

第2節 家電産業の空洞化の現況 1.家電生産額の推移 (1) 家電産業の概況

① AV機器 (ⅰ) カラーテレビ (ⅱ) VTR ② 白物家電

(2) 輸出依存比率 2.海外生産の推移 (1) 海外生産拠点 (2) 海外生産 3.従業員の推移 (1) 国内従業員の減少 (2)海外雇用の増加

4.家電メーカーの海外進出 (1)AV機器生産の海外進出 ①カラーテレビ生産の海外進出

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②VTR生産の海外進出 (2)白物家電の海外進出

第3節 家電産業の海外進出の要因分析~アジアを中心に~

1.アジア進出の動向 (1) 輸出代替型 (2) 貿易摩擦回避型 (3) 円高対応型 (4) アジア市場志向型

2.要因分析 (1) 労働コスト (2) 円高による輸出環境の悪化 (3) AV機器のリードタイムの短さ (4) 日米の貿易収支の不均衡による米国の輸入制限と保護貿易政策 ① カラーテレビの輸入数量規制 ② 米国の保護政策 ③ ヨーロッパでの貿易摩擦 (5) 市場の成熟化 ① 普及状況 ② 価格の動向 (6) アジア市場の規模

第4節 白物家電からみる国内生産維持体制 1.市場ニーズの多様性 2.輸入依存度の低さ 3.設備投資額の推移

おわりに 第4章 産業別考察~半導体産業~ はじめに 第1節 半導体産業の特徴

1.半導体産業の重要性 (1) 規模

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(2) 他産業への波及効果 2.家電産業との関連性 3.半導体製品の分類

(1) 製品分類 (2) 代表的な半導体製品の特徴

①DRAM ②MPU、MCU ③カスタム IC ④システム LSI(カスタム LSI)

4.半導体製品の製造工程 第2節 日本半導体産業の空洞化の現状

1.現状分析 ~半導体産業全体 (1) 現状分析

①国内半導体生産額の推移 ②日系半導体メーカーの海外生産法人数の推移 ③日系半導体生産現地法人の従業員数推移 ④日本半導体産業の従業員数推移 ⑤日本半導体産業の事業所数推移

(2) 空洞化考察 2.現状分析 ~製品別

(1) 現状分析 (2) 空洞化考察

第3節 汎用 DRAM が空洞化した要因 1.ラーニングカーブ経験則による製品コストの低下

(1) DRAM 価格の急落 (2) 価格急落の要因

2.韓国、台湾半導体産業の台頭 (1) 台頭の背景 (2) 韓国半導体産業の特徴 (3) 台湾半導体産業の特徴

第4節 IT 不況期の日本半導体産業 1.2000 年 IT 不況の発生要因

(1) IT ブーム (2) 3 つのバブル

①過剰設備投資 ②過剰在庫

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③過剰株式投資 2.2000 年 IT 不況が日本半導体産業に及ぼす影響

(1) 営業赤字の拡大 (2) リストラ、雇用問題 (3) 業界再編

3.日本半導体産業低迷の要因 (1) 米国半導体市場の独占 (2) 日本半導体産業に内在した問題

①先見性を欠いた市場戦略 ②日本型経営システム

(3) 最終製品の成熟化 第5節 今後の取り組み ~日本で作らなければならない製品

1.総合電機メーカーとしての意義 2.日本で作らなければならない半導体製品

おわりに 第5章 産業別考察~繊維産業~ はじめに ~本稿の問題意識~ 第1節 日本繊維産業の特徴

1.日本繊維産業の規模 2.日本繊維産業の構造

3.日本繊維産業の零細性・地域性 第2節 日本繊維産業空洞化の現状 1.各工程別日本繊維産業の現状 (1) 日本紡績産業の現状 (2) 日本合繊産業の現状 (3) 日本織物産業の現状 (4) アパレル産業の現状

2.日本繊維産業の海外進出実態 (1) 日本繊維産業の海外進出動向 (2) 日本繊維産業の海外進出目的 (3) 日本企業海外進出の件数と金額

3.日本繊維市場の輸入の増加 (1) 輸入増加の実態

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(2) 主な輸入相手国 第3節 繊維産業空洞化の要因分析

1.プラザ合意による円高 第4節 日本製の繊維製品 1.靴下の国内生産実態

2.海外ブランド靴下の国内生産の実態 3.海外ブランド靴下国内生産の要因

おわりに 終章 日本経済は、今後どうするべきか

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序章 日本経済で、再び「産業空洞化」が議論されるようになってきている。2002年『経

済白書』でもこの産業空洞化に焦点があてられている。 わが国経済は、石油危機や円高など、過去に何度も経済危機にみまわれた。しかし、そ

の都度、政府の経済政策や企業努力によってそれらを乗り越えてきた。この結果、197

0年代に高度経済成長から安定成長経済といった移行はあったものの、次から次へと新し

いリーディング産業が生まれ、戦後からずっと、経済的繁栄を続けてきた。この間、失業

率は低水準を維持しつづけ、89 年にみられたような労働力不足はあっても、雇用不安の問

題が深刻化することはあまりなかった。 1980 年代後半から海外直接投資が増加したために、空洞化問題が浮上してきたが、いわ

ゆるバブル経済のなかで、本格的な対応がされることはなく、一時的に忘れ去られてしま

った。 しかし、今日のわが国を取り巻く環境は急激に変化した。第一に、海外移転が輸出代替

型から、安価な労働力を求めて生産拠点の海外移転に変化した。第二に、アジア各国の技

術レベルの向上などを背景に、海外に生産移転する製品・工程が拡大していている。第三

に、安価な労働力を豊富に有している中国が、産業競争力をつけるなどして台頭してきた。

第四に、海外で生産された製品の逆輸入が本格化して、日本における輸入浸透度が高まっ

たことがあげられよう。このような、変化に対して、再び日本における雇用の喪失、海外

競争力を失った産業の衰退といった問題が顕著になってきたのである。 かつては、1985 年のプラザ合意を契機とする円の急激な高騰が、企業の海外移転を促進

させたという面が強かったのに対して、最近は中国という大きな市場の魅力が、企業の海

外進出を促進させていることは否めない事実である。 私達は、このような「企業の海外進出によって、国内生産が縮小して、日本製造業が衰

退してしまうこと」を産業空洞化の定義とする。 論文構成についてだが、第 1 章では、日本の製造業が空洞化しているという事実を踏ま

え、その空洞化していった要因分析をしていく。まず、日本の製造業がどういった位置付

けをされているのか捉える。次に、今日の日本の企業がどういった行動にでているのか。

そして、その結果、日本の製造業がどのような状況にあるのかについて実態を捉え、日本

の製造業が本当に空洞化しているのかを定める。 第2章からは、産業別に空洞化の検証をおこなっていく。自動車産業、家電産業、半導

体産業、繊維産業とどの産業も、かつてのリーディング産業であり、日本経済を引っ張っ

ていく役割を果たすほどの重要な産業である。それらの産業が、空洞化によってはたして

本当に海外移転してしまうのか。これまで、日本で活動することで大きく利益を上げてき

たものが、今日ではそのすべてが失われ、海外移転していくことが必然となってくるのか。

私達は、そうは思わない。日本で活動することには、まだメリットはあると考える。日本

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には日本の独自性があって、これは他国ではまねすることができない。ゆえに、産業別考

察では、空洞化しているといわれる産業の可能性を現実的見地から見出していく。これに

よって、再び、現実に即した日本の可能性が見えるのではないか。 私達は、製造業の空洞化に対して、「高付加価値化」や「新産業の創出」といった抽象的

な対策はまったく非現実的であり、浮ついたものだと考える。まず必要なのは、なにが空

洞化していて、なにが空洞化していないのかについて明確に捉えることだと考える。私達

は、産業別考察でそれを問う。そこから、製造業の空洞化はどうしたら克服できるのか、

もしくはどうしたら食い止められるのかについて考察することを、本論文の目的とする。

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第 1 章 産業空洞化とは はじめに 現在進展する「産業の空洞化」は、わが国経済を支えてきた製造業の弱体化をもたらす

というような点において、懸念すべきものだと考えられる。 そこで、第 1 章では、日本の製造業が空洞化しているという事実を踏まえ、その空洞化

していった要因分析をしていく。まず、日本の製造業がどういった位置付けをされている

のか捉える。次に、今日の日本の企業がどういった行動にでているのか。そして、その結

果、日本の製造業がどのような状況にあるのかについて実態を捉え、日本の製造業が本当

に空洞化しているのかを定める。

第 1 節 日本における製造業

1.全産業の中の製造業 「まず、製造業が縮小しているか否かを確認しよう。内閣府「国民経済計算」によれば、

名目 GDP の生産に占める産業別の内訳をみると、製造業は 70 年代に 30%台あったものが、

90 年には 30%を割り込み、2000 年には 20%台前半にまで低下している(図1-1)。製

造業の内訳をみても、比較的堅調な電気機械でさえ 90 年代を通じて 4%台で推移するのに

とどまっており、他の業種では低下傾向にある。他方、非製造業はシェアを高めており、

なかでもサービス業は 70 年の 10%台から 2000 年には 20%弱にまで上昇している。 次に、就業者に占める産業別の内訳をみてみよう(図1-2)。これによると、製造業は

70 年代に約 27%あったものが次第に低下しており、90 年には約 24%、2000 年には約 20%となっている。製造業の内訳をみると、鉄鋼、化学、繊維等の業種で縮小がみられる。他

方、サービス業は、70 年代の約 15%から 2000 年には約 28%にシェアを高めている。」 「このように、名目 GDP や就業者に占めるシェアをみる限り、製造業が縮小し、それに

代わってサービス産業が拡大するという傾向が読み取れる。いわゆる「サービス化」であ

る。このような変化が、産業空洞化懸念が生じる背景になっていると考えられる。」 (『平成 14 年度版経済白書』経済産業庁)

2.製造業の高生産性 「実質 GDP に対するシェアは、製造業は 70 年代から現在にかけて若干低下しているも

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のの、名目 GDP ベースに比べればわずかな低下となっている。特に、電気機械はシェアを

むしろ上昇させている。これに対して、非製造業、特にサービス産業は、名目 GDP ベース

に比べれば緩やかな拡大にとどまっている。これをみると、「産業空洞化」懸念が前提とし

ていることとは逆に、製造業は引き続き生産に大きな寄与をしているということになる。」 (『平成 14 年度版経済白書』経済産業庁) 3.加工貿易国としての日本

「資源や食料を海外からの輸入に依存しなければならないわが国は、加工貿易を通じて

一定の外貨を獲得する必要があるが、製造業は貿易面でも大きな役割を果たしている。財

務省「貿易統計」によれば、平成 12 年のわが国の製品輸出額は 51 兆 284億円であり、財・

サービス輸出の合計 59 兆 621 億円の86.4%を締める(図1-3)。 また、製品輸出の多い電気機器、一般機械、輸送機器、化学、精密機器、鉄鋼の6業種

の産業は、純輸出額で見ると合計27.8兆円とわが国全体の純輸出額の 6.8 兆円の創出に

きわめて大きな役割を果たしている。 (「平成13年度ものづくり基盤技術振興基本法第8条に基づく年次報告」経済産業庁)

第 2 節 日本製造業における産業空洞化の現状 1、日本企業の海外進出状況 (1)対外直接投資の増加 図 1-6 は日本の対外直接投資、為替変動の動向を全産業、製造業に分けて見たものであ

る。これを見ると、製造業における対外直接投資は、その変動からいくつかの時期区分が

できる。それは、①1973~84 年、②1985~89 年、③1990~92 年、④1993~96 年、⑤1997~現状、と分けられる。以下、その考察を行う。①1973~84 年、この時期は日本の家電製

品や自動車の輸出増加にともなう貿易摩擦により、77 年に対米カラーテレビの輸出自主規

制や、81 年の対米乗用車自主規制が行われた。また、円高傾向も同時に作用して日本の製

造業は海外に進出し、輸出を海外生産に代替している。②1985~89 年、この時期、日本の

対外直接投資は急激に増加している。これは 85 年のプラザ合意による急激な円高により、

日本企業は輸出競争力を失い海外進出は増大した。投資先は欧米が圧倒的で、その主役は

世界的な M&A の動きである。③1990~92 年、この時期は、バブル経済が崩壊し、一時的

に対外直接投資が減少していると読める。④1993~96 年、この時期は、バブル経済崩壊後

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の深刻な不況や、過去最高の 1 ドル=80 円台という円高に陥り、製造業は再び輸出競争力

を失い海外直接投資が増加している。その一方で、アジアの高成長や、アメリカの好景気

により製造業の海外直接投資は 1996 年に過去最高に達している。海外生産比率を見てもこ

の時期の増加は著しい。つまり、この時期に、最も空洞化が進んだのではないかと考えら

れる。⑤1997~現状、国内の長引く不況やアジアの通貨危機の影響を受けて、製造業の海

外直接投資は減少傾向にむかった。しかし、最近、再び増加している。 (2)海外生産比率の上昇 図 1-7 から、近年、製造業の海外生産比率(現地法人売上高/国内法人売上高×100)は 1990 年から 2000 年までの 10 年間において全体的に増加傾向であり、輸送用機械、電

気機械、非鉄金属などの業種では特に高い伸びを示している。これらの業種で国内生産が

縮小し、空洞化が生じていることは言うまでも無い。この海外生産比率を米独と比較する

と、図 1-8 から、日本が 15%以下なのに対して米独は 25%以上の水準を保っており、日

本はいまだ低水準といえる。しかし、米独がそれぞれ増減を繰り返しているのに対し日本

のそれは一貫して増加傾向にあり、決して楽観できるものではない。 2、日本国内における製造業の動向 (1)従業員数、転廃業率の動向 図 1-9、1-10 からわかるように、90 年代のバブル経済崩壊以降、製造業における事業

所数は、開業率が減少傾向にあるのに対し、廃業率が非常に伸びている。また、従業者数

も同様にバブル経済崩壊以降、急激に減少に一途をたどっている。その上で、先ほどの図

表 1-7 の海外生産比率を見てみると、全体的に増加傾向にあり、輸送用機械、電気機械、

非鉄金属などの業種では特に高い伸びを示している。つまり、製造業の空洞化は確実に進

行している。 (2)貿易収支の悪化 図表 1-11 から、我が国の貿易収支は、91 年のバブル崩壊から円高をともなって減少傾

向になり、96 年以降再び増加したが、99 年以降悪化傾向にある。 生産拠点の海外移転による貿易への影響としては、第一に、輸出誘発効化があがる。こ

れは海外移転に伴い、日本から海外生産拠点へ製品輸入が増加することを意味し、日本に

とって何ら問題が無い。以下の二点が重要な問題となる。それは海外生産拠点から日本へ

の製品輸入が増加する逆輸入効化、日本からの第三国への輸出が海外生産に代替される輸

出代替効果などがあり、懸念されている。上記に示した貿易収支の悪化は、こういった逆

輸入効化や輸出代替効果によって低下していると予想できる。

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3.産業集積の衰退

① 大田区・東大阪市における産業集積 (ⅰ)大田区の概要 「大田区では、大田区工業の歴史を 3 つの世代から捉えている。第1世代は機械金属の

素材型産業、あるいは素材型の加工・組立・部品供給産業の発展、第2世代は精密工学、

電気組立ライン産業の発展、第3世代はコンピュータを中心とする知識集約電脳産業の発

展となっている。」 「いずれにしても、大田区の中小製造業は多品種少量を扱う資本財の生産を中心に発展

してきている。しかも、それぞれが高度な専門領域に特化し、町工場のネットワークを形

成することにより、難度の高い仕事にも取り組んできた。大田区のこうした機能は「日本

のマザーマシン」「オータナイゼイション」という言葉まで生み出すようになり、“OTA” は産業集積地のブランドとして世界的にも広く知られるようになっている。」 「しかし、近年は大手企業の海外進出に拍車がかかり、仕事量が絶対的に減少している

こと、グローバリゼーションの進展により海外とのコスト競争が激しくなっていることな

どから、大田区でも急激な勢いで工場数が減少しており、“OTA”の産業集積としての機

能維持や存続が懸念され始めている。 (「情報の進展が地域産業集積に与える影響」中小企業金融公庫調査部 p8) (ⅱ)東大阪市の概要 東大阪市は 1967 年に旧布施市、旧河内市、旧牧岡市の 3 市合併により発足した。合併当

時、大阪市では人口と産業の過密化が問題になっており、新たに誕生した東大阪市域への

企業の移転が加速した。東大阪市一帯は区画整理事業が進められた結果、安くて広大な土

地が数多く存在し、かつ行政による工場誘致が積極的に展開され、金属団地や合同企業団

地が次々と整備された。」 「さらに、土地を自前で調達することが難しい中小零細企業向けには、数多くの貸し工

場が提供された。60 年代半ば~70 年代半ばにかけて、500 棟前後もの貸し工場が建設され

たといわれている。高度経済成長期には、大阪に集団就職して腕を磨いた職人が独立開業

したり、脱サラして起業する気運が高まったが、数多く整備された貸し工場の存在は、こ

うした独立開業気運をいっそう盛り上げる方向に働いた。 この結果、大阪市に代わり、東大阪市が中小零細規模の機械金属工業の一大集積地とし

て発展を遂げ、その集積は隣接する八尾市にまで及ぶことになった。」 (「情報の進展が地域産業集積に与える影響」中小企業金融公庫調査部 p8-9) ② 大田区・東大阪市にみる産業集積の衰退

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(ⅰ)事業所数 全国・大田区・東大阪市のいずれでも減少傾向がみられる(図 1-4)。大田区では、1998年から 2000 年にかけては微増に転じているが、基調としては減少傾向にある。1988 年か

ら 2000 年にかけて約24%の減少となっている。東大阪市では、1988 年から 1990 年にか

けて微増で推移したものの、1990 年以降は 4 期連続で減少している。1988 年から 2000 年

にかけて約17%の減少となっている。 また、全国の動向と比較すると、東大阪市は全国よりも減少ペースが緩やかだが、大田

区は減少傾向が顕著である(図1-5)。 (ⅱ)従業者数 事業所数と同様に減少傾向がみられる。 大田区では、1988 年以降、減少傾向が続いており、1988 年の 80.445 人と比較すると、

2000 年では約 35%減の 52,470 人となっている。東大阪市では、1988 年から 1990 年にぁ

けては横ばいで推移したものの、1990 年以降は減少が続いている。1988 年の 92,288 人と

比較すると、2000 年には約 23%減の 70,752 人となっている。 また、全国の動向と比較してみると、大田区・東大阪市ともに全国を上回る減少傾向を

示していて、特に大田区の減少幅が大きくなっている。 従業者規模については、2000 年で大田区が 8.5 人、東大阪市が 8.8 人と、全国(16.4 人)

の半分程度の規模となっており、中小製造業の集積地という地域性が顕著に表れている。 第三節 産業空洞化発生の要因 1、アジアの台頭 東アジアは、80 年代後半から 90 年代半ば過ぎまでの期間、高成長を続け、世界経済の成

長センターといわれていた。NIES は 1986~88 年には実質 GDP 成長率 10%を超える経済

成長を達成し、1989 年頃一時減速したものの 94 年には年 5~10%で成長を続けている。

ASEAN は NIES とくらべ工業化が遅かったが、94 年には年 4~9%の成長を続けている。

また、中国もどうように発展傾向があった。 しかし、近年の中国経済の現状は、ASEAN や NIES だけでなく日本にとっても脅威とな

るような生産力を持つ段階へと急速に到達しつつあり、世界の工場となりつつあるとさえ

論じられるようになっている。90年代に年平均約20%近い伸びを見せた中国の工業生産は、

10 年間で 5.3 倍の規模に達した。製品別に見ても、粗鋼、化学繊維をはじめ、カラーテレ

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ビやエアコン、洗濯機、冷蔵庫などの家電品で世界最大の生産量を記録しているし、IT 関

連のハードウェア生産においてはアメリカ、日本、に次ぐ世界第三位となっている。 中国の GDP 成長率は、92 年から 95 年まで 10%を超えており、96 年以降も 7~9%の高

い成長を実現している。この結果、中国の GDP が世界に占める割合は、90 年の 1.8%から

99 年には 3.4%にへとほぼ倍増した。同じ 90 年と 99 年の ASEAN と NIES の比重は、そ

れぞれ 1.5%と 1.5%、2.7%と 3.2%で、中国の比重そのものの大きさと増大速度の大きさ

がわかる。その規模は、世界第 7 位、アジアでは日本に次ぐものとなっている。 ASEAN、NIES における現地企業の発展は、どちらこというと外国資本の補完的役割に

おいてか、外国資本の直接進出を排除された領域のいてなされてきたといえる。これと比

較した中国の場合は、中国地場企業が広大な中国市場向けの普及品を中心として外資系企

業に競争戦で打ち勝ちつつあることである。家電製品やオートバイなどで見られるのは、

日本資本をはじめとする外国資本が進出してしばらくの間は市場シェアで優位を占めるが、

数年のうちに現地企業が支配的な位置を占めるようになり、外国資本は高級品などの特定

領域に限定されてしまうという状況である。さらに、中国企業は、激しい競争を行いなが

ら、自国市場を確保するだけでなく、規模を巨大化するにつれ、自社ブランドでの輸出や

直接投資にも乗り出している。 これらのアジア諸国の発展により、マーケットとしての重要性が高くなる。日本多国籍

企業のアジア展開における特徴の一つに、これらの国で見られる発展傾向を基礎づけてい

るということである。すなわち、現地市場を現地国とそれが属する地域という意味で呼ぶ

とすれば、日本企業の多国籍企業としての海外展開においては、各生産拠点は現地市場へ

の供給基地としての位置づけを基本とするということが言えるのであって、これらの地域

への展開もその傾向が強い。つまり、この新たな市場に対して日本企業は海外進出をして

いくということである。 2.日本における高コスト構造

高コストは、非貿易財が貿易価格に比べて相対的に高いこと、すなわち、非貿易財部門

の生産性が貿易財部門の生産性より低いことに原因が求められる。また、()より日本のイ

ンフラコストの高さがうかがえる。すなわち、国際的にみて高い価格水準は、これらを利

用する製造業の国際的価格競争力を低下させている可能性がある。 製造業が国内での生産活動を行う際に利用する財・サービスのうち、非製造業を中心と

した非貿易財・サービスには、直接的な国際競争にさらされることがない上、公的規制に

より市場競争原理が不徹底であることにより、内外価格差が生じるといった価格高要因が

考えられる。現在、このような立地環境を嫌ってわが国製造業が国際競争力維持のために、

必要以上に海外展開を行い国内部門の縮小をもたらしている可能性もある。

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3.円高と産業空洞化の関係

1985年のプラザ合意から本格化した円高によって、円高以前までの価格では、これ

までの利益が維持できなくなった。利益を維持するために価格をあげようとすると、売れ

なくなるので輸入数量も削減しなければならなくなり、また輸入数量を維持しようとする

と、利益の削減は避けられない。輸出数量の減少は、すなわち国内産業に直接的な悪影響

を与えるし、利益が減った場合には収益悪化が起こり設備投資が控えられる恐れがある。

輸出業者にとって円高が痛いのは確かである。 (1)日本のコストの上昇 低生産性部門(石油・石炭製品、農林水産業、建設業等)は、国際競争から隔離されて

いる面があり、自動車・家電メーカー等が円高による国際競争のもとコストダウンに尽力

しているのに対して、生産性向上・コストダウン圧力が働きにくい。 また、政府規制などによって、柔軟な価格設定、新規参入、革新的技術の導入などが

制限されがちで、コストダウンへの取り組みを阻害されている。 これによって、高コスト構造が温存され続け、かつコストダウンの尽力を注ぐ産業は

海外移転への動機が高まる。 (2)輸入品の増加 円高に伴って、輸入のメリットが高まり輸入数量が増加している。輸入品と直接に競合

する分野では、概して価格低下が起こるようになってきている。

4.不況と産業空洞化の関係 不況と産業空洞化の関係を考えるうえで、事例的に検証できる事実として、90 年代の「円

高不況」が考えられる。よって、ここでは 90 年代の「円高不況」から不況と産業空洞化の

関係を見出したいと思う。 1991 年のバブル崩壊以来、日本経済はかつてないほどの長期的不況に苛まれている。そ

の中途過程の中で、1993 年から 3 年続きでの超円高が日本経済を襲った。これにより、円

高デフレをもたらし、市況はデフレ不況に様相を呈していく。この結果、輸出急減、低価

格製品の輸入増による価格破壊が促進される。つまり、低価格製品の輸入急増によって直

接影響を受ける産業・商業が、ますますコスト競争の波に呑まれる背景を作り出してしま

ったのである。こうして、これらの企業は低価格戦略の一貫で、次々と海外進出していく

決断をくだし、産業空洞化を促進させていったのである。 この事実から、不況が空洞化を促進させていることが分かる。つまり、海外進出を誘発

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しているのである。不況は空洞化を引き起こす主要因とはならないが、少なくとも市況を

変化させ、空洞化を促進させる効果は持っている。これが不況と産業空洞化の関係である。

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第2章 産業別考察―自動車産業― はじめに かつて日本の高度経済成長を支え、世界の自動車産業のトップに君臨していた日本自動

車産業が、現在、空洞化しているといわれている。空洞化とは企業の国内生産拠点の海外

移転により、国内生産の減少、それに伴う国内の中小企業の転廃業や国内雇用の減少をさ

す。果たして自動車産業の空洞化は実際生じているのか。また、生じているならこのまま

進展していってしまうのか。もしそうであるならその要因はいったい何なのか。そして空

洞化を克服する可能性は無いのか。このような問題意識のもと、従来、日本経済を支えて

きた日本自動車産業が空洞化してしまうことを深刻な問題として捉え、空洞化克服の可能

性をこの章で示していきたい。 まず第一節では日本経済における自動車産業とはいったいどういった位置づけなのかを

示そうと考える。自動車産業の日本経済に及ぼしている影響力や、同産業は空洞化により

国内からなくなってしまってよい産業なのか、又、今後残らなくてはいけない産業といえ

るのかということを示す。 第二節では空洞化の現状を示す。自動車産業が空洞化していると一般的には騒がれてい

るが、それは果たして事実なのか。この事実確認なくしては空洞化を語れないはずである。

ここでは統計データ等を用いて空洞化の実態を示していく。 第三節ではなぜ日本において海外移転が増加してしまったかその要因を探る。この要因

分析なくしては空洞化が生じている原因の追求ができず、今後の対応策や克服の可能性に

も何ら説得力もわかない。原因を知ることで今後の対応へとつながるはずである。まずは

日本経済全体での動向から分析し、さらに海外進出が多い地域に特化してより細かい分析

を行う。 第四節では空洞化克服の可能性を導き出す。日本自動車産業において空洞化していない

企業はいるのか、いるならばその国内に残ることのできる要因を探り、国内に残る可能性

として示唆したい。

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第1節、日本自動車産業の特徴 1、自動車産業の特性 自動車産業は以下の 4 つの特性がある。第一に、自動車産業が産業関連効化の高い総合

組立産業であり、その存在は国内の諸産業の雇用に極めて大きな波及効果を与える。第二

に、自動車運輸は国民経済のインフラストラクチュア-としての大きな役割を任っている

ため、高性能で安全な自動車を安定的にかつ安価に供給できる自動車産業を持つことは、

国民経済発展にとって極めて有用であること。第三に、経済発展にともなう個人所得の増

加は必ず個人の乗用車需要を増大させるので、乗用車産業の育成は高度化する社会需要に

応えるために欠かせないこと。第四に、単価の高い貿易財である自動車が貿易収支に大き

な影響を与えるために、自動車の国内供給能力の形成は国際収支の均衡のために重要であ

るということ 1)。 2、日本経済における自動車産業の地位 基幹産業とは一国経済に及ぼす波及効果が高い産業のことである。日本自動車産業は日

本経済にしめる位置が極めて大きい。1990 年の自動車関連生産額は 42 兆 4,155 億円と製

造業総生産額の 13.1%を占める(表 2-1)。また、同産業は日本最大の輸出産業であり、

91 年の輸出額は 695 億ドルで日本の全輸出額の 22.1%を占めている。この輸出額は、我が

国の原料など全商品輸入の 3 割弱を占めている。 そもそも、自動車産業は広範な関連産業を持つ総合産業である。自動車の製造・販売を直

接支える自動車・同部品産業や自動車販売・整備業に加え、鉄やプラスチックなどの原材料

を供給する資材産業、ガソリンスタンドなどの関連部門、さらに製品である自動車を使用

する貨物・旅客運送業など、その裾野はきわめて広い。日本の場合、自動車産業に直接・間

接に従事する従業者数は、1990 年時点で約 650 万人にのぼり、全就業人口の 10.4%を占め

ている。関連産業を含めた雇用吸収率の高さでもトップに立っている(図 2-1)。また、1台の自動車を構成する部品は1万6千点から二万点であり、その技術移転効果も極めて幅

広い。

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3、日本における重層的下請分業構造 日本では完成車メーカーと直接取引を行っている一次部品メーカーが、資本関係、人材

交流、協力会への参加などによって系列化されている特徴を持っている。またこの部品メ

ーカーが複数部品をサブアッセンブリして完成部品を製造し、そこで必要とする多くの単

品部品の製造・加工は、さらに下層の二次、三次下請企業に発注されるという重層的なピラ

ミッド型の垂直分業構造が見られる。特に日本の場合、部品の内製率が 30~40%であり、

外注依存度が高い。しかも各階層間の企業同士が長期的且つ緊密な構築されているところ

に特徴がある。 上層の企業は部品の開発設計に関わる独自の技術とその組立技術をもち、下層の企業は

その専門加工技術に特化している。 第2節、日本自動車産業の空洞化の現状 1、日本自動車産業の海外進出 日本の乗用車の国内生産は 91 年を境に減少傾向がみられる(図 2-2 参照)。これは単純

に考えると、バブル経済の影響により自動車の需要が一時的に高まり、バブル経済崩壊と

ともに国内需要が減少し、それにより国内生産が減少したと考えられる。これだけを見る

と日本の自動車産業は、一時的な不況のために国内生産を低下していると考えられる。 しかし、別の角度から見てみると、従来、日本の国内生産の半数を消費していた輸出が

減少していることに気づく(図 2-3 参照)。85 年のプラザ合意を起点とする円高傾向によ

り輸出環境が急激に悪化し、従来輸出に依存して成長してきた自動車産業が低成長に移行

している。事実、日本の乗用車輸出の推移は、85 年以降完全に成長は止まり、92 年から急

激に減少している。このような輸出の減少傾向の中で乗用車の海外生産が増加している。

85 年以降のデータしか手元にないが、85 年から 99 年までに乗用車の海外生産台数はおよ

そ 400 万台増加している。日本の現在の国内生産台数が 800 万台くらいなのでその規模が

うかがえる。(図 2-2 参照) 次に自動車産業の従業員数の推移を見てみる。図 2-4 より自動車産業に従事する人数は

85 年を起点に約 40,000 人もの減少が見られる。そして 80 年代後半のバブル景気により増

加傾向になり、バブル崩壊とともに減少の一途たどっている。自動車メーカーにおいては、

91 年から 2000 年にかけて約 40,000 人従業員が減少している。また、部品企業でいえば、

約 65,000 人も減少し、事業所は 1400 件減少している。この合わせて 100,000 人という減

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少は 91 年の自動車産業における総従業員数の約 13%を占める。(表 2-2 参照)また、図 2-5 から、輸送機械機器の業種で海外生産比率が 90 年以降増加しつづけていて、全製造業

でその値、伸び率がトップであり、増加も急激である。 以上をまとめると、日本の自動車産業は為替動向などの外的要因により多大な影響を受

け、従来の輸出依存体制から海外現地生産体制に移行しているとわかる。国内における生

産は確実に海外に代替され、それに伴い国内の従業員数は減少している。したがって日本

自動車産業において空洞化は起こっているといえるのではないか。

第 3 節、日本自動車産業における海外進出の要因 1、日本自動車産業の海外進出要因 (1)貿易障壁の回避 企業がその生産拠点を海外移転する目的は多様にある。1960 年代において、日本自動車

企業は政府による保護政策のもとで、その生産性の向上、量産体制などを確立し、モータ

リゼーションの進展などによる国内需要の高まりに支えられながらその後の発展の基礎を

築いた。この時期、すでにアジアを中心とする途上国に KD 生産拠点などを設置し、小規

模ながら海外生産を開始している。これは日本から部品や資材を輸入し、組立工程を中心

とする労働集約的な工程を現地の低廉な労働コストをもちいて行うといった海外現地生産

であった。しかし、この時期の海外直接投資に占める自動車の割合は低く、さほど問題視

することでもなかった 2)。 日本自動車企業の海外進出が本格化したのは 1980 年代からである。その主な原因の一つ

には、貿易摩擦や輸入制限政策といった貿易障壁を回避することを目的とする海外移転が

ある。上記にも示したが、日本国内において 1960 年以降、日本自動車企業は、品質の向上、

販売・サービス体制の拡大・充実、現地の嗜好にあわせた製品の開発、エネルギー・環境規

制への迅速な対応等の市場開拓努力を続けた。その結果、急速に販売力を向上させ、1960年代後半に再び小型車需要が増大したのを機会に、米国での販売を急増させていった。そ

して、日本自動車企業の自動車輸出は、欧米における景気の低迷や輸入規制の実施、ある

いは欧米メーカーとの小型車分野での競争力強化といった輸出環境の悪化にもかかわらず、

急増していった。このような日本車の欧米市場での販売急増は、1970 年代の 2 度にわたる

石油危機とそれに続く経済の低迷で、経営難に陥った欧米の自動車メーカーに大きな脅威

を与え、欧米諸国の自動車産業政策を保護主義的性格のものへと傾斜させることとなった

のである。 結果、米国政府は日本政府に対米乗用車自主規制を求め、日本政府もこれに同意し、1981

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年導入された。一方、欧州においても 1970 年半ば頃から日本車規制の動きが高まり、1975年には日本自動車工業会と SMMT(英国自動車製造業者協会)との間で、「節度ある輸出」

を行うことで合意が成立した。また、EC レベルにおいても、1981 年に日本製乗用車に対

して輸入監視制度の導入を決定し、1986 年からは日本車の輸入モニタリングが開始された。 このような欧米諸国における日本車規制の高まりは、日本メーカーの海外進出形態を、

輸出から現地生産へと転換させる大きな転機となった。図 2-6 を見ると、80 年から自主規

制が実施される 81 年の一年間で直接投資額、件数が二倍に急増している。つまり、この一

連の貿易摩擦問題が海外進出を招いたということになる 3)。 (2)為替リスク

次に海外進出の要因に挙がるのは為替の動向である。1985 年のプラザ合意により 85 年 9月に 1 ドル=240 円であったのが 88 年には 1 ドル=120 円と急激な円高傾向となった。つ

まり、このプラザ合意による円高傾向により、そもそも輸出依存体制であった日本自動車

企業は、その輸出環境の悪化に見舞われ、国内需要以上の生産を維持するために海外移転

していったのではないかと推測できる。そこで図 2-6 を見てみると、85 年から 86 年にか

けて海外進出が急増しているのがわかる。やはりこれは円高により貿易環境が悪化し、国

内における輸出が海外現地生産に代替されていると読める。 このように 81 年の輸出自主規制に至る貿易摩擦、85 年のプラザ合意による円高基調の定

着が大きな契機となって日本の自動車企業の海外進出は本格化したのである。つまり、輸

出自主規制の長期化、円高傾向の定着、EC 統合の動きなどを背景に、80 年代に先進国向

けに海外進出を図ることになった。一方アジア諸国への移転は、安価で豊富な労働力に代

表される生産コストの低さ、円高による輸出環境の悪化、現地国政府の国産車要請の応え

るためなどが考えられる。これについては 2-(3)で詳しく述べる。 2、日本自動車産業における地域別現地生産の展開 (1)日本自動車企業の北米進出の要因 ①貿易障壁の回避

1971 年のニクソン・ショック、1973 年の第一次オイルショックなどにより日本経済はイ

ンフレと不況が同時進行する状況に陥り、国内需要は一気に鈍化した。そのような状況下

で日本の自動車産業は、オイルショックによる不況や国内市場の成熟化傾向による需要の

低下を、輸出によりカバーすることでむしろ著しい成長を遂げた。このような日本企業の

輸出増加は、二度にわたるオイルショックの影響などで世界的に低燃費傾向になり、日本

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の小型車の需要が高まったことが最大の要因である。事実、小型車需要の急増した日本自

動車企業は輸出急伸をはかり、結果、1980 年の日本の生産台数は 1,100 万台を突破し世界

最大の自動車生産国となった。輸出依存度も 54%を超え、うち対米輸出は 40%を超える数

値を示した。1980 年時点でアメリカ乗用車市場の 19.8%のシェアを日本の自動車産業は獲

得した。 しかし、アメリカにおいて本来収益源だった大型車の不振と小型車への転換のための投

資負担とが重なり、米国企業は経営的に危機状態に陥った。なかでもクライスラーにおい

ては累積赤字 30 億ドルを抱えて倒産寸前の事態に追い込まれた。このような深刻な事態に

日本の自動車対米輸出問題は政治問題化し、日米貿易摩擦へと発展した。1981 年には米政

府からの強行的な要請を受けて日本からの乗用車輸出自主規制が実施されることとなった。

これにより米国市場に日本車を供給するためには現地生産を行うしか方法がなく、以来米

国は日本メーカーの最大の海外生産拠点となった。もちろん、プラザ合意以降の激しい円

高も海外現地生産に拍車をかけた。 表 2-3 にあるように、1980 年の段階で日本はアメリカに対して約 181 万台の乗用車輸

出があった。しかし、翌年から自主規制により年間 168 万台と定められ、膨れ上がった国

内生産を、輸出できない分のために海外進出をせざるを得なかった。また、1985 年米国政

府が自主規制の再延長を求めないとしたが、日本側は輸出急増によって日米貿易摩擦がい

っそう深刻化するのを恐れ、通産省が 24%増の 230 万台という枠を設定し、自主規制を継

続した。(表 2-4 参照) このような状況下で、日本自動車企業は輸出製品の品質や装備向上を伴う価格値上げみ

より、制限台数内での収益増を追求した。その結果、対米自動車輸出は台数では増えてい

ないにもかかわらず、金額では 80 年 101 億ドルから 84 年 154 億ドルへと急増した。しか

し、収益の大きな米国市場へ輸出台数そのものの規制が長期的に続いている以上、輸出に

代わる現地生産によって販売台数を増加せざるを得なかった 4) 。(図 2-7 参照) ②良質な市場への戦略 米国への現地化は、今日では研究開発を始めとして、生産・販売・輸出等さまざまな形

で米国内で展開されている 5)。同時に米国自動車メーカーとの間には、1970 年代から資本

提携がスタート、その後共同開発・共同生産・完成車や各種部品供給、あるいは日本での

販売提携や共同出資等々、緊密な関係を構築してきた。 近年では、対米投資と雇用の拡大と、米国生産車の海外輸出・部品購入等で、米国経済

に貢献するようになっている。 メーカー間の提携関係をみてみると(図 2-8)、資本提携では、GMはスズキ、いすゞに、

フォードはマツダに資本参加している。また NUMMI(トヨタ-GM)、オートアライアン

ス(マツダ-フォード)などの共同生産、三菱とクライスラーとの完成車供給、本田とク

ライスラーとの日本での販売提携、フォードとマツダによるタイのオートアライアンス設

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立、いすゞと GM の英国 IBC の共同設立等、さまざまな形での提携がくり広げられている。 (ⅰ)R&D 機能の対米移転 日系メーカーのうちの7社は、全米に 35 カ所の開発拠点を擁し、雇用者数は 2,200 人を

上回り、R&D 機能の現地化も進展している。 それらの機能をみると、現地部品調達のための技術支援、部品評価、車両評価、スタイ

ル・一般デザイン、部品設計、車両設計、試作車製作、に分けられる。現在では、米国製

部品調達政策に関連して、部品調達支援関連機能拠点が多くを占めている。 このように R&D 拠点は、米国製部品の現地調達と対日輸出のための部品の評価を迅速化

するとともに、米国部品サプライヤーのデザイン・イン活動を促進している。デザイン・

インとは、自動車の開発段階から、メーカーと部品企業の技術者が共同してデザイン―開発

を行い、最適設計を最短期間で完了させるというものである。日本の自動車産業は、真の

現地化のために、生産のみならずデザイン・研究開発分野を現地へ移転し、米国部品企業

の開発段階からの参加を可能としようとしているのである。 (ⅱ)現地雇用の増加

1970 年代後半から米国に進出を始めた日本の自動車産業は、工場建設の時点から現地従

業員の採用・教育をスタートし、稼働を始めてから雇用の増大を図っている。 日系メーカーの米国工場での雇用者数は 1987 年では 11,000 人程度であったが、その後

の各社の進出と生産の増大で、現在では 41,000 人以上、現地 R&D 施設においては 200 人

程度に過ぎなかったものが 2,200 人以上の米国人雇用へと拡大している(図 2-9 参照) (ⅲ)部品の現地調達 組立メーカーの生産拠点の設立に伴い、部品と原材料の調達も一層拡大してきている。

日本の自動車メーカーの生産・開発・経営の現地化の進展により、競争力のある米国サプ

ライヤーとの連携が強化され、品質・コスト、開発スケジュールにおけるサプライヤーの

競争力の高まりとともに、現地部品の評価や調達機能の充実が図られた。 この結果、日本の自動車メーカーと米国サプライヤーの取り引きは飛躍的に拡大し、1997年度の米国製部品の調達総額は、249 億 5,000 万ドルと高水準で、1986 年度の 24 億 9,000万ドルに比べて、約 10 倍の 249 億 6000 万ドルに増加した。(図 2-10、表 2-5 参照) 今日では、日本の自動車メーカー本社、米国の事業体などの世界の各事業体が、世界中

から最も競争力のある部品を調達するという「世界最適調達」を積極的に展開しており、

今後は量的なものから、新製品・新技術、モジュール化、情報化などの質的レベルアップ

が求められる段階にあるといえる。 以上により、北米への海外進出の要因は貿易摩擦の是正や円高基調への対応に端を発し、

現在でもその正確を帯びながらも、その主要な理由は広大で良質な市場への対応戦略へと

なってきている。そしてその際に重要なことは経営の現地化であり、単なる生産拠点の移

転ではない。

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(2)日本自動車企業の欧州進出の要因 ①貿易障壁の回避

日本企業の欧州現地生産は、自動車輸出をめぐる摩擦から 80 年代に活発化した。80 年代

後半からは欧州統合の動きの本格化から現地生産の動きは急速化した。 上述したように、1970 年代、日本の自動車産業は欧米における景気の低迷や輸入規制の

実施、あるいは欧米メーカーとの小型車分野での競争激化といった輸出環境の悪化にもか

かわらず、その輸出量を伸ばしていった。当時の自動車輸出の総輸出量における欧州向け

の割合は、全体の 20%をしめていた。このような日本車の欧州市場での販売急増は、欧州

自動車メーカーに大きな脅威を与え、欧州の自動車産業政策を保護主義的性格のものへと

傾斜させることとなった。 そもそも西洋諸国は北米などと比べ乗用車の関税が多少高い。EC の関税は乗用車で 10%

強の関税が課せられていて、アメリカの 2.6%に比べるとやはり高い。しかし、これはさほ

ど輸出障壁にはなっておらず、問題となるのは日本車輸出の増加による各国個別の輸出規

制であった。具体的に示すと、1978 年にはフランスが大統領権限で輸入業者に対する行政

指導という形で、日本車輸入の年間の新規登録台数の 3%以内に規制する措置を導入した。

イギリスにおいても新車市場における 11%以下の自主規制、イタリアは年間 2,200 台の実

質的規制を課している。西独、ベルギー、オランダなどでも事実上、現状シェア維持の枠

がはめられている。さらに、西欧周辺諸国、アイルランド、スペイン、ポルトガル、ギリ

シアでは表 2-6 のような輸入制度と国産化政策がとられ、完成車輸出は制限されている。

また、EC レベルにおいても、1981 年に日本製乗用車に対して輸入監視制度の導入を決定

(1984 年からは小型商用車も対象)し、1986 年からは日本車の輸入モニタリングが開始さ

れた。 以上のような西欧での日本車輸出の規制により、日本自動車企業の現地生産が進展した。

また、日本の自動車企業にとって、欧州統合、つまり EU 成立による完全な域内市場統合

に向けた非関税障壁の除去は、技術認証の国別の違いへの対応を不要とし、統一的マーケ

ティングのもとでの大量生産・販売を可能にする。折しも弱まることのない日本車規制の中

での EC 統合化の動きは、緩まることのない輸入規制をひいていたわけであり、EC「要塞化」

の危機感をつのらせた日本自動車企業は現地生産を加速させた 6)。

②良質な市場への戦略 ~日産の欧州現地生産からの考察~ そもそも日産の欧州進出は 80年スペインのトラックメーカー・イベリカ社への資本参加、

同年イタリア・アルファロメオ社との合弁会社ARNA社設立、84年英国日産の設立となる。

日産自動車は、海外生産に積極的でトヨタに先んじる戦略をとるところに特徴があり、米

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国でそうであったように、英国日産の設立は 1984 年で英国トヨタより 5 年早かった。この

日産の英国進出はサッチャー政権の誘致策に応えたものであった。英国日産のサンダーラ

ンド工場は、操業当初は中型車クラスのオースター(ブルーバード)の生産を開始し、90年には後継ぎ車種としてプリメーラ、92 年にはコンパクトサイズのマイクラ(マーチ)を

加えた。マイクラは 1993 年に日系メーカーでは初の「ヨーロピアンカー・オブ・ザ・イヤ

ー」を受賞した。その後 EU の乗用車生産拠点として 30 万台の生産能力に拡大した。 英国日産の立ち上げ当初の現地調達率は約 40%であったが現在ではプリメーラ 90%、マイ

クラ 80%とされている。(英国外の EU 加盟国を含む)日本から輸入されている主要部品は

トランスミッション(MT,AT)である。現地調達先は約 200 社ほどであり、大部分は英国

内地元企業である。日系自動車関連企業が調達先として果たしている役割は、米国の場合

とは異なりかなり小さい。また、英国日産の主力は輸出である。1991 年 3 月には業界(英

国自動車製造販売業者協会、SMMT)から英国自動車製造業者の認定を受け、EU 輸出に際

して障害はない。毎年のように輸出貢献企業女王賞を得ており、1991~93 年までは 3 年連

続で受賞したという経緯がある。これはあくまでもイギリスにおける日産の一例だが、現

在、トヨタ、ホンダ、などでも現地化が進み、現地調達が増加傾向になっている 7)。 以上の①、②より、日本自動車企業の海外進出要因とその実例を示してきたわけである

が、これらを総括していえることは、日本企業の欧州進出は貿易摩擦を背景としつつ EU設立間際に一斉に現地生産に移行したこと、そしてこれらの進出の際は当然のごとく経営

の現地化が各国政府から強く要請されていたということである。その結果とし、現地部品

調達率の増加や計9箇所のR&Dセンターやテクニックセンターを設置し独立性と個性を保

っている。この役割は米国の場合と同じで、現地の潜在化したサプライヤーの評価や選抜

したサプライヤーへの技術支援などである。つまり、北米の場合と同じく、海外進出の要

因の主要な理由は広大で良質な市場への対応戦略へとなってきている。そしてその際に重

要なことは経営の現地化であり、単なる生産拠点の移転ではない。 (3)日本自動車企業のアジア進出の要因 ①日本自動車企業のアジア進出の要因 (ⅰ)アジア諸国の国産化政策 アジア諸国においてその生産台数は、一国単位で見た場合まだまだ市場は狭い。しかも

その上、その狭い市場に多数のメーカーが乱立している。そのような状況で、これらの地

域では強い国産化政策がとられている。国産化政策の概要は、それぞれの自国内の自動車

産業振興、雇用確保、外貨節約、国際収支改善のために、自動車産業を基幹産業と捉え、

自動車国産化政策を進めている。国産化を促進するために、完成車については輸入禁止、

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輸入数量規制の実施や禁止的高率関税が賦課され、KD 車にも相当高率の輸入関税が課され

ているのが一般である 8)。(表 2-7 参照) 以上のように、各国個別で相当強い国産化政策をとり、しかも各国内市場は狭い。した

がって、アジア諸国を中心とする発展途上国へは、市場確保を主要な要因として、海外進

出はもちろん、種々の形態での進出が必要となる。(図 2-11 参照) (ⅱ)アジアへの投資目的

60 年代から 70 年代ぐらいまでこのアジア進出は、安い労賃の確保や、貿易摩擦回避の輸

出基地といった目的が主であったが、それが変化している。つまり、アジアが単に労働集

約的な生産工程とされる時代は終わり、本格的に市場として注目されている。 日本自動車企業は、85 年以降の円高状況と貿易摩擦の中で海外現地生産を推進した。し

かし、バブル経済の破綻と長期化する不況と自動車需要の内外市場での低迷から、これま

での海外事業の見直しを始め、例えば、ダイハツのアメリカ市場からの撤収とアジア地域

を中核とするミニ・ワールド戦略の構築にみられるように、アジア地域へのシフトを進め

ている。 表 2-8 は日本自動車企業の投資目的を示したものである。ここには日本自動車企業が

NIES,ASEAN に何を求めて今後投資を増加させようとしているかが示されている。言い換

えるならば、生産拠点を海外に移転させることでどのような競争力を強化しようとしてい

るのか。その投資目的の第 1 は市場の維持・拡大ならびに新規市場の開拓があげられる。

特に中国への「新規市場の開拓」が期待されている。第 2 は「生産拠点の海外分散化」と「組立

メーカーへの部品供給」「企業内分業体制の一環」といった日本を中核とする生産ネットワ

ークの形成を目指していることがあげられる。第 3 は「安い労賃・労働力の確保」が求めら

れていることである。第 4 は「日本への逆輸入」「第三国への輸出」が円高、貿易規制などへ

の対応として進められていることが挙げられる。 ②日本自動車企業におけるアジアの位置づけ 日本自動車企業はアジア諸国に対し、第一にマーケットとしての潜在的な重要性を見出

していた。80 年代のアジア諸国の自動車市場は、規模こそまだ小さいが、世界市場の中で

最大の成長を遂げている。将来のモータリゼーションを考慮して、それに柔軟に対応しう

る経営戦略上の布石をうっておくことが日本の自動車企業にとって重要な課題となってい

る。第二にアジア諸国とのパートナーシップ問題である。自動車産業の国際競争は年々激

化の一途をたどり、一企業単独では生き抜くことが困難になりつつある。そこで、各メー

カー間では世界規模での資本や業務による提携が進み、自己の実力を最大限に引き出せる

企業をパートナーとして選ぶことが重要課題の一つになっている。このアジア諸国との関

係の強化は、日本自動車企業が中心となって展開する企業内国際分業体制の構築を強く意

識したものになっている。

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③日本自動車企業のアジアにおける企業内国際分業体制 アセアン自動車産業は、政府の保護・育成により支えられ発展をしてきたのであるが、貿

易・投資の自由化の流れにおいては、各国政府は一刻も早国際競争力をもつ自動車産業を育

成する必要に迫られた。とはいえ、アセアン各国の自動車市場の規模はいまだ小さく、国

際競争力をもちうるコスト・品質を実現するには各国個別の政策的努力には限界がある。 そこで注目されたのが、エンジン、トランスミッションといったコンポーネント部品の生

産を国際的に振り分けて、域内全体で自動車一台分の部品を作り上げるという域内部品補

完体制である。それを多国籍企業が本社の意思の下で行う場合は企業内国際分業となる。 この部品相互補完体制は量産確保、重複投資の回避という目的で構想されてきたものであ

り、賃金水準や為替レート水準の差を利用した「企業内分業」ではない。また、高品質・低

コストの自動車部品を生産するためにはある程度の生産規模が必要であり、それを可能に

する工夫として生まれたものである。 (ⅰ)BBCスキーム「アセアン自動車部品相互補完スキーム」 アセアン域内の部品の相互供給を行う際に輸入関税の 50%減免とその域内輸入部品の国

産化率への参入。アセアン域内に複数の完成車組立拠点を持つ企業が、特定の自動車部品

を域内の特定の国で集中生産し、この部品を他の域内完成車組立拠点に供給することによ

り、マクロレベルでは貿易の拡大、個別メーカーでは重複投資の回避と集中投資によるコ

スト削減を目指すものである。そして最終的にはその部品の輸出国へと育てていこうとい

う部品生産拠点化が強く意識されているといえる。(1988 年) (ⅱ)AICOスキーム「アセアン産業協力スキーム」 複数の当事国の合意の下で、現地資本が 30%以上、アセアン域内で生産した部品の国産

化率が 40%以上、かつ[AICO 企業]としての認定を当該国政府より与えられた製造企業が、

関税率(0~5%)の減免を受け、輸入した製品を国産化率に算定することが可能となり、

また当該国政府が決める非関税優遇制度の適用が受けられるという制度。(1996 年) AICO の特徴は、BBC のように自動車部品に限定されないこと、また自動車メーカーに

限定されないことである。これにより自動車メーカーは、域内に複数の拠点を持つ完成車・

自動車部品メーカーはこれまで以上に多様な補完ネットワークの構想・展開することがで

きるだけでなく、複数の拠点を持たない部品メーカーでも競争力のある製品さえあれば、

他国のパートナーとの協力によりアセアン域内市場を開拓することができる。また、1998年のアジアの金融危機以降、各国の自動車生産が落ち込む中、生産規模の拡大や海外投資

の促進を図るために、その後、1998 年 12 月に 2000 年末までアセアン資本 30%の適用条

件を時限的に免除することなどの規制緩和の実施により、AICO の認可数は 10 から 32 件

に増加した。(図 2-12) このように日本自動車組立・部品企業は、アジア現地経営の小規模生産・重複投資を避け

るべく多国籍立地を生かして域内「部品補完体制」の「企業内国際分業」を構想している。

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④最大の市場になりうる中国市場 (ⅰ)中国の市場

中国経済は、90 年代に入って上海等の沿海部を中心として実質GDPが 98 年 8.8%、99年 7.8%、2000年には 7.1%と驚異的な成長を遂げている。こうした経済発展を背景として、

中国の自動車生産台数も順調に拡大してきており、中国自動車産業は生産台数ベースで、

すでに東アジアで韓国につぐ生産規模に達している。 ここ数年、中国の都市部の一人あたりの平均可処分所得は、過去十年間で 4 倍以上に増

加し、また、特に沿岸部を中心とした民間企業の経営者や外資企業勤務者らの高所得層か

らモータリゼーションが進展しようとしている。また、1998 年に自動車ローン解禁、高速

道路等のインフラの整備も行っている。現に個人の車の所有比率も 91 年の 15.8%から 98年には 32.1%へと急増している。このことが日・米・欧の有力自動車企業が「21 世紀に欠か

せない市場」と注目している。 (ⅱ)日本自動車企業の中国進出 日本自動車企業の中国進出は、欧米諸国のそれと比べ遅れをとってきた。中国は近代化

を基本国策に据えた当初、自動車の需要が急増したが、これに対して大量の外国車を輸入

する処置をとった。その際日本は大量の自動車を中国市場に輸出し、1980~81 年にかけて

の 2 年足らずの間に約 5 万台の日本車が中国に輸出された。 1986 年以降、中国は国内の自動車産業を保護するという方針から、完成車の輸入を激し

く制限する一方で、外国資本及び先進技術の導入を奨励する方針を打ち出した。これによ

り、日本自動車企業は中国へと海外進出していった。しかし、中国進出において日本自動

車企業は、中国の技術水準の低さから生じる、優れた部品を確保できないという問題から、

海外進出をためらい、欧米勢に対して完全に遅れをとった。しかし、近年、本田と広州汽

車との合弁事業の広州本田汽車や、トヨタと天津汽車との合弁の天津トヨタなどにみられ

るように、各企業がそれぞれの系列部品メーカーと伴に中国進出を本格化しており、遅れ

を取り戻そうとしている。しかし、このような海外進出は日本の産業基盤の空洞化を促進

させているということは言うまでもない。 第 4 節、日本自動車産業における空洞化克服の可能性 1、トヨタと日産の比較 図 2-13 は日産とトヨタの国内外生産台数の推移である。2 つを比較すると、圧倒的にト

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ヨタのほうが国内生産を維持しているといえる。トヨタにおいて海外進出が進んだ 86 年と

99 年を比較すると、海外生産が 100 万台以上増加しているのに対して、国内生産はあまり

変化が無い。次に日産の 86 年と 99 年を比較すると、同様に海外生産が増加しているのに

対し、国内生産が縮小している。この日産の国内生産の減少は単に国内の不況が要因のよ

うに思えるが、同時期のトヨタと比較すると、その差は歴然である。 つまり、トヨタ・日産と比較すると、トヨタのほうが何らかの競争力を有していて、圧

倒的な国内生産の維持から、相対的に空洞化が進んでいない企業ということがいえる。こ

の企業の独自の競争力の要因を探ることにより、自動車産業が、今後、国内に残る可能性

を見出したい。 2、トヨタにおける競争力の要因 (1)競争力の要因

トヨタにおける競争力の要因を探る場合、まずに考えられるのは日本的生産システムに

ついてである。この日本的生産システムはジャストインタイムと日本的労働編成の総合シ

ステムである。これらは日本的生産システムの競争力の源泉となる、高品質・低コスト・

製品多様性の三点を支えられている 9)。そこで、トヨタにおける競争力の要因は、この高品

質・低コスト・製品多様性の三つの要素を同時に達成できる特別な何かがあると仮定し、

以下、その考察を述べる。

トヨタ自動車の競争力の要因としては以下の 3 点があがる。一つは「ジャストインタイム」

「カンバン方式」等の言葉とともに知られた、多品種・小ロット・受注生産型の大量生産を

最も効率的に実現している「トヨタ生産方式の確立」である。二つはこれと合わせて、下請

部品工業の近代化と西三河地域への集中立地を進め、いわゆる「階層的下請構造」の形成に

よる合理化の徹底(単価切り下げ、低賃金労働力利用)ということである。三つは強調的

労使関係などがある。 こうしたトヨタの企業経営それ自体における生産管理や下請け・労務管システムととも

に、もうひとつの要因としてトヨタ生産システムや下請け企業支配を支える基盤として、

トヨタ企業体の地域空間的な集中立地のもとで企業城下町を形成し、この集積立地による

「集積の利益」の最大限の享受という特質が、トヨタを効率性・収益性という点で、今日まで

他メーカーや他産業の追随を許すことなく、絶対的な優位性を確保してきた基盤といえる

10)。 (2)トヨタ生産方式と地域 ①集積の利益

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次にこの集積の利益とはいったい何かという点だ。第一にカンバン方式などの合理化政

策を単に一工場にとどめるのではなく、それがトヨタ自動車を頂点とする企業集団の全工

場群にまで「地域ぐるみ」の合理化を徹底させている。地域では、工場内と同じようにコン

ピュータ-管理のもとで指示される「カンバン」に基づいて、工場内のベルトコンベア-の

速度と同期化された原材料・部品等の運搬が行われ、これらの結果、中間在庫の削減や輸

送コスト低減などの合理化が遂行された。 第二は、これらの集積は生産活動の効率化のみではなく、労務政策・労働力管理の上での

効率化の基盤にもなってきた。国外からの激しい経済摩擦や国内の景気変動に伴う自動車

の需要動向に対応して、単なる同一職場内を超えて、工場間さらにはグループ企業や下請

け企業への配転・出向・応援といった形での労働者・労働力の柔軟な配置という流動化の基

盤を与えてきた。 以上のような集中立地のメリットは、いわゆる「内部経済の集積利益」といわれているも

のであるが、さらに第三に、これらに劣らぬ重要なメリットとして、地域や自治体を自ら

の蓄積方式に最も適合的に再編成する基盤がある。地域特性の最大限の活用と地方自治体

の行財政への密着により様々な「利益供与」を受け、それから発生する特別利潤を内部化す

るという、いわゆる「外部経済の集積利益」を享受している。これにより、トヨタ自動車は、

安価で広大な土地をはじめとする地域資源、労働力、公権力の整備する社会資本等を利用

独占して、自己の蓄積基盤として徹底的に活用・再編することによって国際的な大企業体

にまで成長を遂げたのである。このように公権力を利用することで、「地域独占」・「地域支

配」という概念で呼ばれている。 ②トヨタ企業体の「地域独占」の諸相 (ⅰ)工場用地造成と土地取得に関わる便宜の提供 トヨタ自動車のみの場合でも、1992 年時点の「有価証券報告書」でみると、愛知県下に

1,586ha 以上の用地を有しているが(愛知県の工業用地面積の 14%)、そのほとんどが愛知

県や関係市町村の斡旋と便宜上の提携に基づいて安価に取得されたものである。愛知県企

業局の内陸用地造成や東三河工特地域の臨海用地造成地区の圧倒的部分はトヨタ・自動車

産業用地として提供された。 (ⅱ)交通・運輸手段の利用独占 愛知県の港湾(名古屋港、衣浦港、東三河港)の輸出の 6 割近くが自動車と自動車部品に占

められている。 トヨタ企業集団にとって、カンバンやジャストインタイムを効率的に活用するために、

集中立地と関連企業群の階層的編成の媒介手段としての道路網整備が非常に重要であった。

トヨタにとって道路は部品を作る下請け工場と組立工場を結ぶベルトコンベア-であり、

これなくしては「カンバン」「ジャストインタイム」に表現されるトヨタ生産方式がこれほど

効率よく確立はしなかったであろう。かくしてこれまで、豊田市などの地方自治体や愛知

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県は、トヨタ企業集団の経営・工場立地戦略の画期に対応して市道・県道等の斡旋道路網整

備に追われてきた。例えば、トヨタ堤工場から発進し、トヨタの衣浦港の輸出基地を結ぶ

露骨なトヨタ専用道路の存在や、田原工場操業のため愛知県が 110 億円もの費用で東名高

速道路音羽インターと音羽有料道路の建設、さらに三河大橋の建設などがある。また、サ

プライヤとの工場との距離がある程度一定であるといった見解もある。 (ⅲ)トヨタ企業体の市政支配 戦後日本の高度経済成長を経るなかで、各地で一般的にみられるようになった大企業の

地域支配の最も重要な方法は、自治体の諸機構を通しての、地方政治への直接的な参画・

介入である。 トヨタの場合、地方政治への参入の歴史は古く、1950 年代にさかのぼる。地元の豊田市

政でいえば、51 年の地方選挙で部課長 5 名を含む 8 名の出身議員を市議会に送り込み、さ

らに下請け関連出身議員をいれると 30 議席中 11 議精機を占めて市政の支配権を確立し、

それ以来、豊田市におけるトヨタの市政支配が一貫して続いている。 (3)トヨタにおける産業集積 上記で示したとおり、産業集積というものが自動車産業のジャストインタイムや多品種

少量生産、つまり、フレキシブルな生産システムを支えている。 トヨタ自動車は、1960 年以降の乗用車需要拡大に対応して、次々と往生を建設していっ

た。なかでも、元町工場、高岡工場、堤工場の 3 工場は、豊田市内の極めて近接して地点

(車で 10 分以内の移動距離)に立地している。このような集中立地は、小ロット、他頻度

で納入する部品メーカーの工場の、同地域への集中立地を促した要因であることは間違い

ない。ジャストインタイムの展開により、サプライヤーは少なくとも一日一回、多くなる

と一日八回以上もの部品供給が必要となり、サプライヤーの工場が組立工場に近接してい

たほうが好都合である。また、これは豊田鉄工とトヨタ自動車の例であるが、納入するプ

レス部品を製造するにあたり、その図面が貸与図の場合、図面に「現物合わせ」という注釈

がある。これは量産体制に入る前に、組み立てられるそれぞれの部品を担当する企業間で、

現場レベルでの濃密な情報交換によりミスをなくすといったことで、ここでもまた地理的

な近接が重要になる。その他に、豊田鉄工とその二次下請けとの関係で、プレスの生命線

である金型の外注を行う場合、量産に入る前に微調整が必要であり金型が会社間を 2~3 往

復する。また、納期が重なって納入できない場合は、近接している同じ業種の企業に外注

する。これには細部に渡る細かな打ち合わせが必要となる 11)。 つまり、産業集積は企業間の密接な関連に非常に重要な役割を示す。また、組立メーカ

ーの生産は市場の動向に応じて行うので、一回ごとの受注量の増減が多い。一時は多くな

りすぎて新たに設備投資を行わなくてはならない状況になる。しかし、今度は大幅に受注

が減少する場合もある。このように、フレキシブルに変動する需給状況に対応するため下

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請け同士の横のつながりが非常に重要になる。このようなトヨタ自動車の競争力を支える

多品種少量生産可能にするのが三河地域の集積なのである 12)。 3、空洞化克服の可能性 (1)組立メーカー これまでみてきたように、自動車産産業が空洞化しているといわれているが、事実、トヨ

タにおいてはその影響は少ない。トヨタにおいてはその独自の集積の形態により他社より

もはるかに競争力をもち、国内において最大のシェアを誇っている。これがトヨタが三河

地域から離れない理由であり、今後、国内に残りつづける可能性がある企業といえる。 これは空洞化の克服とまではいかないまでも、トヨタのように国内においても競争力を

もちえることができれば、国内に止まることができるのではないか。つまり、海外移転な

どにより国内生産が代替されることなく、空洞化の阻止につながるのではないか。 (2)中小下請け企業 最終製品の変化ならびに海外拠点への移転は、下請け企業が親会社に納める部品に大き

な量的変化(受注量の減少、多品種少量化)および、質的変化(高精度化・材料変更、別の

業種への転換)をもたらした。今後、中小下請けメーカーが国内で生き残っていくために

は、日本的生産システムの競争力を支える一因の、多品種少量生産への対応が非常に重要

になってくる。多品種少量生産への対応は中小メーカーが受注する際も、もはや多量生産

の製品はなく変種編量があたりまえとなり、これに対応できるメーカーだけが生き残って

きた。 多品種少量生産への対応として①段取り替えを頻繁かつすばやく実施すること②在庫を

できるだけもたないこと③リードタイムを短縮することにより実現されている 13)。その手

段となったのがいわゆるトヨタ生産システムなのである。つまり、このような下請け企業

が国内に残るためには、多品種少量生産に必要な小ロット生産、他頻度納入といったこと

に対応することが非常に重要になり、また、これを成し遂げるために産業集積による中小

企業間の横のつながりというものも必須であるといえる。

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おわりに この第 2 章では自動車産業、特に完成車メーカーに焦点を当て、分析をおこなってきた。

そこでは、確実に自動車産業が空洞化しつつあるということをつかめたとともに、その要

因も探ることができた。それは、日本企業の海外進出は貿易摩擦の是正や円高基調への対

応に端を発し、現在でもその正確を帯びながらも、その主要な理由は広大で良質な市場へ

の対応戦略へとなってきているという事実。そしてその際に重要なことは現地生産・現地

調達などからみられる経営の現地化であり、単なる生産拠点の移転ではないということ。 また、アジアにおいても、従来の低コストを求めての進出から、新規市場として、パー

トナーとして進出しているということがわかった。つまり、日本自動車企業は日米欧亜世

界四極体制の構築を目指して、各国に生産拠点ばかりか R&D 拠点まで設け、世界市場攻略

のために、国内生産を海外進出による海外現地生産に代替しているということが考えられ

る。 そもそも日本自動車企業は輸出依存体制であり、その従来までの海外市場の輸出相当分

が、このような現地化へシフトしてしまっている。その結果、国内生産は縮小してしまっ

ている。しかし、これは現在の世界の情勢から考えると避けては通れない道であり、この

現地化の進展は止めようがない。しかし、トヨタのような海外進出もするが、国内生産も

確実に維持している企業も存在する。トヨタは自社の競争力を支えるジャストインタイム

や多品種少量生産をさらに高機能化するために、「地域支配」つまり、三河地域ぐるみで一

つの工場のような体制を作り、競争力を強めてる。また、そのような体制をトヨタは 30 年

かけて構築したといわれている。このように国内における利点を最大限に利用し、日本国

内生産においても国際競争力を維持することができれば、企業の海外進出を抑えることが

でき、空洞化を阻止することができるのではないか。

1) 自動車産業の影響力については、 2) 企業が海外移転する目的については、中小企業金融公庫「わが国の産業の空洞化を巡る諸

問題について」 No.41 調査レポート NO14-2 を参考にした。また、日本自動車企業の海

外展開は、早稲田大学商学部編『自動車産業のグローバル戦略』が詳しい。 3) 日本自動車産業の発展については、天谷章吾『日本自動車工業の史的展開』亜紀書房

1982 年、四宮正親『日本の自動車産業-企業活動と競争力:1918~70-』日本経済評論社

1998 年などを参考にした。また、貿易摩擦などについては、橋本輝彦『国際化のなかの自

動車産業』青木書店 1986 年、下川浩一『日米自動車企業攻防の行方』などを参考にした。

この後の地域別の進出については、中央大学河邑ゼミナール 2 期生卒論「産業の空洞化」に

おける第 3 章の自動車産業考察が非常に参考になった。

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4) 日本自動車企業の北米展開については、白澤照雄『自動車業界』、下川浩一『自動車』、

伊丹敬之『競争と革新』を参考にした。 5) 近年の北米進出動向は、JAMA レポート NO.79『米国における日本の自動車産業』が非

常に参考になった。また、池田正孝『円高以後における自動車サプライヤー・システムの構造変動

に関する調査研究』研究報告書 1998 年も詳しい。 6) 欧州進出は、藤本光夫、大西勝明『グローバル企業の経営戦略』ミネルヴァ書房 1995 年

や、橋本輝彦『国際化のなかの自動車産業』青木書店 1986 を参考にした。 7) 日産の欧州現地生産の進展については、藤原貞雄「英国自動車産業と日系自動車企業」

(『 』第 48 巻 第 6 号)を参考にした。 8) アジアにおける自動車産業の動向は、丸山惠也『アジアの自動車産業』亜紀書房 1994、 『東アジアの経済圏と日本企業』新日本出版社 1997 が詳しい。また、風間信隆「アジア自

動車産業の発展と変容」(『明大商学論纂』第 83 巻 3 号)も参考にした。 9) 詳しくは、鈴木良次『日本的生産システムと企業社会』北海道大学図書刊行会 1994、「日

本的企業システムと国際競争力」(『経済と経営』第 21 巻 第 2 号、1990 年 11 月、23-94ページ)を参考にされたい。ここでは省略する。また、植田浩史「自動車部品メーカーにお

けるフレキシビリティの形成と労使関係(1)」(『季刊経済研究』第 15 巻 第 3 号、1992年、52-71 ページ)(『季刊経済研究』第 15 巻 第 4 号、1993 年 3 月、26-46 ページ、

52-71 ページ)も参考になる。 10)愛知県におけるトヨタの産業集積については、遠藤宏一「グローバル化のもとでの企業と

地域(1)」(『経営研究』第 47 巻 第 1 号、1996 年 5 月、21-45 ページ)(『経営研究』

第 47 巻 第 4 号、1997 年 2 月、27-57 ページ)を参考にした。 11) 産業集積に実例については、松島茂「自動車産業と産業集積-豊田市周辺のフィールドワ

ークからの中間的考察-」(『経営志林』第 39 巻 第 1 号、2002 年 4 月、47-59 ページ)

を参考にした。 12)愛知県の中小企業の動向については、渋井康弘・森川章「愛知県の産業集積と新たなネッ

トワーク構築の試み」(『名城商学』第 49 巻 第 4 号、2000 年 3 月、197-241 ページ)が

詳しい。 13)中小企業の今後の可能性については、中川洋一郎「中小機械工業における多品種少量生産

の実態」(『経済学論纂』第 41 巻 第 5 号、2001 年 3 月、185-209 ページ)を参考にした。

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第3章 産業別考察―家電産業― はじめに 家電に限らす、戦後の日本の合言葉は「追いつけ、追い越せ」であった。この時代は競

争相手がアメリカを始めとする外国であり、結果いくらかの産業で、実際に追い越すこと

になったのである。 家電産業は、他国を追い越した後、さらなる国際競争力をもつこととなる。この競争力

は多角化戦略のもと、多くの企業が家電業界に参入することとなったのが最大の要因であ

る。家電メーカーと一言で言っても、そこにはいくつかの業種のものが参入してきていっ

たのである。松下電器産業、三洋電機、シャープ、富士通ゼネラルなどの「総合家電メー

カー系」、日立製作所、東芝、三菱電機などの「総合電機メーカー系」、ソニー、日本ビク

ター、パイオニア、ケンウッド、アイワなどの「AV機器メーカー系」などである。家電

産業の戦いの場は、国内であり、企業間の技術格差はほとんどなく新製品を出したところ

で他社が素早く追随するような構造になっているのである。 このような産業構造のなか、商品の差別化は難しく、低価格戦略のもとで「コストダウ

ン/品質向上/小型・軽量化を、同時に/素早く/連続的に行う」ことが各メーカーに強

いられることとなる。この過酷な国内市場における競争の結果、日本の家電メーカーは国

際競争力をもつに至ったのである。すなわち「コストダウン/品質向上/小型・軽量化を、

同時に/素早く/連続的に行う」こそが日本の家電産業の強さの源泉であったといえよう。

しかし、今日の家電産業には、急激な変化がおきようとしている。円高の影響・バブル崩

壊等によって、国内生産による低価格化に困難になったうえに、国民の低価格化志向は強

まったのである。そのために、各家電メーカーはこぞって海外進出をしていくこととなっ

た。すなわち、それが問題なのである。これまで日本の繁栄を担ってきた家電産業が海外

に生産拠点を移転していくことは、日本とって大打撃をこうむることは必至である。 本論文では、このもっとも産業空洞化しているといわれている家電産業が、現在どんな

状況なのか概観する。次に、なぜ海外進出を加速させるのかその要因分析をおこなう。さ

らに、空洞化していない分野があるのならその要因分析をすることで、今後の空洞化克服

の手立てにしていきたい。

第1節 家電産業とは 1.「家電」とは

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「家電」とは、もともと「電気を応用した装置のなかで、家庭で使用されているも

のの総称」である。すなわち、広義的には家電とは「家の中にある、電気を使うすべ

ての機器」という意味になる。ゆえに、電話機やゲーム機、パソコンなども広義的に

は家電であるとする。 しかし、「家電」という言葉はその歴史のなかでいつしか「その操作にあたり特別な

技術や知識を必要とせず、老若男女誰もが手軽に利用できる機器」といった意味合い

を持つようになり、白物家電やAV機器のみが家電であるというようになっていた。

「パソコンの家電化」といった言葉が出回るようになったのも、こういった背景があ

る。すなわち、パソコンはコンピュータであり、電話は通信端末、ゲーム機は娯楽機

器といった定義づけとなる。本論文もこの定義を採用することとする。 2.家電の分類 (1)白物家電i エアコン、洗濯機、扇風機、掃除機、冷蔵庫、電子レンジなど、「家庭内での日常生

活を快適にするとともに、合理化を進めて余分な時間を作り出す機器」である。 (2)AV機器ii オーディオ・ビジュアル、すなわち音声や映像を扱う機器のこと。テレビ、ビデオ、

カメラ、ビデオカメラ、ステレオなど「余分な時間を楽しむための方法を与えてくれ

る機器」である。 3.家電産業の規模

製造業の中でも電気機械は、事業所数 8.0%、従業者数 17.1%、出荷額 18.8%と我が国

製造業で最大の産業である(表3-1)。 わが国の家電産業は、大手完成品メーカーを頂点としてその傘下に一次、二次、三次の

下請部品メーカーが広がる典型的なピラミッド型の産業構造をなしている。親企業と下請

企業には相互依存関係があり、各階層間における下請関係は強い。 家電の国内市場は集中度が極めて高く寡占的といえる。エアコン、洗濯機など白モノで

は総合電機メーカー3 社および家電メーカー3 社でシェアの大半を占める。また、AV 機器

のうちカラーテレビ、VTR では、上記に 2 社を加えた合計 8 社で 100%近いシェアとなっ

ている。

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第2節 家電産業の空洞化の現況 1.家電生産額の推移 (1)家電産業の概況 家電産業は、1955 年から目を見張るほどの成長を続けてきた。また、1955 年の 393 億

円から 1985 年の 7.2 兆円へとおよそ 180 倍という高成長をとげている。しかし、1991 年

の7兆8754億円をピークに生産額は低迷している(図3-1)。 また、カラーテレビやVTRといった世界に名だたる製品を排出したように、1980 年代

まで家電産業の牽引車であり、重要な地位を占めていたAV機器の生産縮小は特に顕著で

ある。白物家電の生産額はさほど変わってない。さらに、1994 年からのAV機器と白物家

電の生産額は逆転して、今は白物家電のほうが多く生産しているの実態なのである。 総じて、家電産業の生産額の急激な減少は、AV機器の生産縮小が要因と考えられる(図

3-2)。 ①AV機器 家電産業の生産の成長を 1970 年代に牽引してきた主軸のひとつであったのが、カラーテ

レビであり、1980 年代からは、VTRを筆頭に、家電産業を成長させる役割を担った。こ

こで、特筆すべきなのは、AV機器は輸出依存型製品であったことである。 1985 年および 1991 年を境に大幅に生産額が減少している。特に、1991 年からの急激な

減少は現在もとどまることがない(図3-2)。

(ⅰ)テレビについて カラーテレビは、輸出することで大きく成長を遂げた製品である。しかし、1988 年に海

外生産台数が国内生産を上回り、1994 年には輸入が輸出を上回った。さらに、1996 年には

輸入が国内生産を上回ったのである(図3-3)。 (ⅱ)VTRについて 1980 年には生産額が 5628 億円であったVTRは、1985 年には1兆8893億円にまで

増大している。AV機器の生産総額は、80 億円から 85 年の間に、2 兆円近くも増大してい

るが(図3-6)、増加のかなりの部分がVTRの生産によってもたらされたことが分かる。

VTRは、わずか 5 年ほどの間でAV機器の生産規模をこれだけ大きく押し上げるほどの

大ヒット製品であったといえよう。 しかし、図3-7によってVTRの生産と輸出を比べてみると、VTRの生産のかなり

の部分を輸出が占めていることが分かる。これは、VTRが世界需要の大部分を日本が独

占した家電製品だったことに起因する(表3-2)。そしてVTRという輸出比率の高い製

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品がAV機器の生産の 4 割近くを占めることによって、日本の家電産業の輸出に依存した

構造はさらに強まった。VTRは、1994 年に海外生産台数が国内を上回ったが、依然輸出

のほうが輸入よりは多い。しかし、国内生産および輸出の減少は 1990 年以降減少し続けて

いる(図3-5)。 ② 白物家電の国内生産の推移 白物家電の国内生産額は、1955 年の 150 億円から 1995 年の 2.9 兆円へとおよそ 190 倍

という高成長をとげている。また、90 年代における日本経済の低迷とともに生産額も低迷

している(図3-6)。 図3-7からわかるように、国内生産のほとんどが、国内出荷用である。民生用電子機

器の多くが輸出向けとして国内生産されていたのに対して、全く逆であるといえる。国内

出荷額は、減少傾向にあるが、急激な変化とはいえないのではないか。また、1988 年の輸

入依存度も低い(表3-3)。 (2)輸出依存比率 AV機器について、ここからもどれほど輸出主導で国内生産が増大していったかがうか

がえる。それに対して、白物家電は、1985 年には生産額の 25%を輸出していたのに対して、

2001 年では 10%と低下し続けている。また、1985 年では25%の輸出比率であったが、

輸出依存体質とはいえないのではないか(表3-4)。

2.海外生産の推移

(1)海外生産拠点 1960 年代から海外拠点の設立に取り組んでいたことに加え、プラザ合意以降の 1980 年

代後半から海外事業展開が急速に進展している(図3-8)。設立先として、アジアが圧倒

的である(表3-5)。また、アジアに持つ生産拠点のうち、約半数はタイ、マレーシアを

中心としたASEAN各国に設立されており、全生産拠点でみても約 3 分の 1 が同地域に

集中している。 また、海外生産拠点の大部分を占めるASEAN各国における主要家電製品の海外生産

拠点の展開状況から、ラジオ、ステレオといったオーディオ機器や白物家電といった幅広

い生産拠点が展開されている(表3-6)。

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(2)海外生産

海外生産は、民生用電子機器で顕著に増加が見られる。 海外生産比率は、高い伸びを示しており、国内生産の縮小が窺うことができる。また、

70 年代 80 年代に、家電産業のリーディング製品であったカラーテレビ、VTRの国内

外生産をみると、海外生産が大きく上回る結果となっている(図3-9)。 3.従業員の推移 (1)国内従業員の減少 近年、大手メーカーでは大幅な人員削減がおこなわれている(図3-14)。4 年間で 7.9万人の従業員が減少している。この中には、転籍による人数が含まれていることも予想さ

れるが、しかしこの減少数は相当数である。また、アイワの減少も顕著であり、減少比率

は 55.4%であった。空洞化は、労働者の減少という形でも顕著に現れている。iii ちなみに、2000年の電気機器産業の従業員数は 1,591,953 人であり、それに属する家

電産業の従業員数は、1,025,353 人であった。家電メーカーに属する従業員は電気機器業界

の 64.4%を占めている。 下記に記した大手12社の従業員数は家電産業全体の37%を占めている。 (2)海外雇用の増加 図3-11は、1990年から1997年における海外雇用と国内雇用の推移である。

海外雇用は一貫して増加しているが、その間の国内雇用者数は90年代に入って減少して

いる。90年代は海外では雇用が伸びるが、国内では減少する局面に変わってきた。国内

雇用がピークだった92年から96年までの4年間に、海外では雇用数が約40万人増大

したが、国内では20万人減少したのである。iv

5. 家電メーカーの海外進出 日本の家電産業の海外進出は、意外に早くから始まっていた。1960年代からすでに

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組立メーカーを初めに始まっていた。しかし、急激な円高という経済環境変化は、日系メ

ーカーのそれまでの海外進出のパターンを変えた。つまり、それまでの現地および周辺諸

国向けの輸出代替や貿易摩擦解消のための海外展開から、国内での生産コスト削減のため

の相対的に安価な現地労働力や資材を求めてのアジア、そのなかでもとりわけアセアン地

域展開へと変化した。そして、さらにそれが、ひと段落したところで、現地および周辺諸

国の市場開拓・市場対応の形へと移ってきている。もちろん周知のように、家電製品は多

種多様である。海外生産比率についても、海外生産の歴史的展開にしても、各製品・各製

品分野ごとの相違がある。v カラーテレビ、VTR などの AV 機器の国内生産が、円高などの影響によるアジアヘの海

外生産シフトにより激減している点である。もはやカラーテレビの海外生産比率は 8 割に

達し、日系メーカーの海外生産拠点からの逆輸入の増加によリカラーテレビの国内需要に

占める輸入品の割合も 7 割に達している。 (1)AV機器の海外進出 ①カラーテレビ生産の海外進出 日本の家電メーカーは、アジア各国の厳しい輸入制限に対応し、輸入代替のための合弁

会社を1960年代後半に設立していた。当初は、白黒テレビを生産していたが、台湾が

69年、フィリピンが66年、タイ67年、インドネシア76年、マレーシア75年にそ

れぞれカラー放送を開始した。その結果、アジアにおける市場は、70年代初めまでは現

地生産は限られたものであった。日本において貿易摩擦対策上輸出規制の動きが出てきた

ため、日本の家電メーカーはNIEs各国の誘致策によって欧米の輸出拠点を設けるよう

になった。さらに、85年以降は、さらに日本は輸出競争力を失い、NIEsも対米輸出

規制や通貨高になったために、コストメリットのあるASEANに生産拠点を再構築する

必要に迫られた。カラーテレビはブラウン管が大きな部分を占めており、輸送コストを考

えると基本的には消費地生産が望ましかった。各メーカーはアメリカ、ヨーロッパに戦略

的生産拠点を設立し、日本、アジアと合わせた世界4極体制を築いた。カラーテレビの全

世界生産は1995年で1億1千万台と推定されたが、そのうち5千万台がアジアであっ

た。 AV機器は、日本生産40%減でテレビの国内海外生産の逆転は1988年からでその

差は拡大する一方である。そしてアジアからの日本の輸入が増えた。 カラーテレビの輸出は、マレーシアおよびタイにとって変わられた。なお中国を含むア

ジアの日系企業テレビ生産拠点は、89年の36から93年には42に増加し、そのうち

マレーシアが9拠点である。 日本の主要家電メーカーのすべてがアジアに戦略拠点を設けた。同時に一部のメーカー

はブラウン管の生産拠点も設立した。当初は対米貿易摩擦対策のための輸出拠点としてシ

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ャーシの生産から始めたが、いまはアジア域内、中近東、日本市場を対象とする拠点にな

っている。vi ② VTRの海外進出 1976年から生産されたVTRは、ほぼ日本の独占商品として世界に供給された。8

0年中頃にはそれまでのトップ商品であったカラーテレビを生産額で追い抜き、文字通り

日本の家電産業を代表する商品となった。しかし、80年半ばより、日本から技術援助を

受けた韓国メーカーが生産を増大し、86年の円高以降日本製品の価格競争力に優位性が

なくなった。 ヨーロッパについては、高い輸入税(14%)と数量規制のため、80年代はじめから

現地生産を開始した。アメリカ生産は何社かが試みたが結局撤退している。ただしビデオ・

テレビコンビネーションはアメリカで組み立てられている。VTRはテレビと異なりコン

パクトであるため輸送コストが比較的安くつくこと、VTRの精密部品がアメリカで入手

できないことなどから全数完成品で輸入されている。したがって、まず対米輸出を目的と

したASEAN進出が行われた。アメリカ輸入の各国別比率をみよう。 86年までほぼ独占していた日本からの輸出が94年では韓国、マレーシアと肩を並べ

る程度にまで減少した。そしてその減少分をASEANの日系ビデオ工場が肩代わりして

いった。日本への輸入も急増しており、1991年:32万台となっている。95年の国

内出荷は604万台であるから過半数が輸入品であることを示している。 アジアにおける日系メーカーのビデオの製造拠点は、89年の6拠点が93年には23

拠点になったがテレビに比べ遅い進出であった。ビデオは高度な技術品であり、とくにビ

デオヘッド、回転シリンダなどの精密部品生産は技術移転が困難であると考えられていた

が、自動生産、自動調整が可能になり、80年代末から円高対応のためASEANへの生

産シフトが行われた。日本の主力メーカーは全世界向け普及品を全面的に移転した。最近

では東芝のように事業部の移転まで行われている。またオリオン、シントムなど中小メー

カーも進出しているのがVTRの特徴といえる。 こうして世界市場へのテレビ・ビデオ輸出戦略拠点がASEANに設けられた。アジア

における競争は一部ヨーロッパ資本との合弁はあるものの、基本的には日系企業間競争で

あった。アジアはいまや世界最大のテレビ・VTR生産基地となった。vii (2)白物家電の海外進出 電子レンジやエアコンはAV機器と同じように、国際間活動の活発な製品、つまり海外

展開の容易な製品である。それ以外は、基本的にグローバルな製品ではない。また日本が

世界の供給基地でもなかった。これは、白物家電がそれぞれに国別・地域別の分野や慣習

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を背景とした生活密着型製品であり、それもかかわって仕様その他で統一が困難だからで

もある。しかもこのような製品は、設備規模や設備投資が大きいうえ、製品自体の移動に

コストがかかり、現地市場を対象とした設備投資以外の進出にはメーカー側も躊躇する傾

向がある。viii

第3節 家電産業の海外進出の要因分析~アジア進出を中心に~ 1.アジア進出の動向ix 家電産業のアジア進出は、産業空洞化に大きな影響を与えていると考えられる。そこで、

家電産業のアジア進出を、〈輸入代替型(1960 年代)〉〈貿易摩擦型〉〈円高対応型〉〈アジア

市場指向型〉に分類したうえで、この推移を概観する。

(1)輸入代替型 1960 年代、アジア諸国の輸入代替工業化が進むなかで、海外からの輸入家電製品などに

対して高い関税をかけた。家電製品の輸出を行っていた各家電メーカーは、高関税回避の

ために生産拠点を設置し、日本からの輸入を代替した。輸入代替型の拠点においては、小

規模ながら白黒テレビ、ラジオ、扇風機などの複数品目の家電製品の生産が行われた。こ

れは、タイ、インドネシアにおいて特徴的であった。 (2)貿易摩擦回避型 1970 年代から、テレビ、VTRなどの製品を中心にして、欧米向け輸出が急増した。そ

の結果、貿易摩擦が深刻になった。貿易摩擦問題を回避するため、家電メーカーは、現地

に生産拠点をおいた。1972年にソニーがアメリカに単独進出してテレビ工場を設立し

たのを起点に、松下電器産業、三洋電機がアメリカのメーカーと合併することでそれを追

った。これによって、アメリカメーカーのテレビ工場が影を潜めることとなる。 (3)円高対応型 1985 年のプラザ合意後の急激な円高の進展により、家電メーカーは価格面での競争力低

下の問題に直面した。国内外の需要増加にともない生産拡大を図ろうにも、国内の人手不

足、人件費の高騰、工業用地の確保難などといった問題から、アジアを中心に海外進出を

進めることで対応した。アジア進出の優位性として、とくに人材ならびに労賃の安さ、そ

のうえ、100%単独出資を認めるといった積極的な外資導入政策を推進していたことがあっ

た。そのため、家電メーカーのアジア進出は加速したのである。しかし、これは第三国輸

出のための生産拠点であり、経済特区の規制もあって現地市場には目がむかなかった。

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(4)アジア市場指向型 1990 年代、アジアは急速な経済成長をとげた。そこで、従来の輸出拠点としての位置づ

けだけでなく、拡大する現地市場での販売を目的として、積極的にアジアへと進出してい

った。組立メーカーの積極的なアジア展開にともなって、部品メーカーの進出も活発にな

り、部品調達を含めたアジアの生産拠点としての位置づけが高まったのである。また、1985年以降、家電産業のアジアへの集積が進み、生産品目が徐々に高度化し、VTR、CDプ

レーヤー、エアコンなどの生産も行われるようになった。

2.海外進出の要因分析 (1)労働力コストx 図3-13より、1985 年以降の日本の労働力コストは上昇し、またアジアにおける労働

力コストの魅力が高まっている。 家電産業は、一般的に労働集約的産業であり、総コストにしめる人件費の割合が高い。

したがって、労働力コストの削減は、経営において重要な位置を有する。ここで、図3-

14を見る。これは、同様の時期における日本の電機メーカー107 社による地域別の海外労

働投入比率を示したものである。これにみられるように 86 年以降、各地の電気機器メーカ

ーの海外労働投入比率はそれまでに比べ増加しており、特に途上国の労働投入比率は 86 年

と 88 年に急激に上昇している。これには、1989 年の日本の労働力不足という背景も考え

られる。 しかし、日本が競争優位を失いつつあった労働集約的な産業の国際競争力の維持のため

の手段としてのアジアの進出がいかに重要になっているのかが読み取れよう。

(2)円高による輸出環境の悪化xi 1985年秋のプラザ合意からの円の急騰は、輸出主導型生産の崩壊を導いた。とくに、

民生用電子機器生産の落ち込みが大きかった。1985年に4兆9116億円だった生産

額が、翌1986年には4兆4347億円へと10%近く減少した。(図3-2) 各家電メーカーは、売上げの減少や収益の減少と輸出競争力の低下に直面した。そして、

コスト削減、海外からの部品調達の増大、ローエンドの品や輸出競争力の低下した商品の

海外生産移管の拡大の推進というような行動をとった。 プラザ合意以降の急激な円高の進展は、輸出産業であった家電産業に大きなリスクとな

った。この輸出割れという事態の中で、家電産業は海外進出をおこなったのである。国内

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がバブル絶頂期の1980年代後半に、家電産業は年間300件前後の海外投資を展開し、

これにつれて直接投資額も拡大した(図3-12)。この段階では、大手の家電メーカーの

海外戦略は、国内生産・輸出・海外生産の三面のバランスをとりながらグローバルな経営

体制を構築しようとするものだった。 1995年の、1ドル=80円という異常ともいえる円高は、家電メーカーの海外進出

をさらに加速させる役割を担った。この段階になると、製品分野によって国内生産を一挙

に切り捨て、丸ごと海外にもっていくという企業もでてきた。 (3)AV機器のリードタイムの短さxii この段階では、新製品が開発され国内市場に登場してから、海外生産に切り替わるリー

ドタイムが短くなったことも特徴的である(表3-7)。かつてのカラーテレビが、製品が

開発され国内市場で販売が始められてから、海外生産にシフトするまで30年間のリード

タイムがあった。VTRのリードタイムも17年と長く、したがって市場が成熟化するま

での長い期間に利益を稼ぐことができたといえよう。しかし、90年代の半ばになると、

ワイドテレビで4年、MD(ミニディスク)プレーヤーでは3年と、リードタイムが著し

く短縮され、平面ブラウン管テレビは、1年余りで海外生産を始めており、開発即海外生

産というパターンになってきている。また、この段階に至り開発設計・生産・購買調達・

営業販売・ファイナンスなどの経営活動を世界の「適地」を求めて行う経営戦略が追求さ

れてきている。こうした家電産業の新たな展開につれて、国内への影響が本格的に顕在化

しはじめたのである。 (4)日米の貿易収支の不均衡による米国の輸入制限と保護貿易政策xiii ① カラーテレビの輸入数量規制 カラーテレビは、日本の主要輸出製品であった。しかし、貿易摩擦は 1968 年から 1976年の長期にわたって引き起こされている。その過去において、「①1968 年=EIA(米国電

機工業会)によるダンピング提訴、②1970 年=ゼニス社、1972 年EIAおよびマグナボッ

クス社による相殺関税訴訟、③1976 年=GTEシルバニア社およびフィルコ社の申し立て

に始まる米国国際貿易委員会(ITC)による不正貿易慣行調査、④1976 年=米国カラー

テレビ産業保護委員会(COMPACT)のエスケープ・クローズ(輸入競争に起因する

被害の救済規定)発動申請にかかわるITCの調査など、輸入規制にかかわる法的効果を

引き出しうる条項はすべて試みられたのである。」ここから、カラーテレビの対米輸出が 3年間にわたり年間 175 万台を上限とするという市場秩序維持協定(OMA)が締結された。

この結果、日本は米国進出し、カラーテレビの現地生産化は進行したのである。

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② 米国の保護貿易政策 1980 年代後半になると、米国産業の輸出拡大を名目に、米国拡大を阻害するとみなされ

る相手側の不公正貿易慣行の除去を主張し始める。この手段として、「米国包括通商法案(1

988年)」を成立させている。なかでも「スーパー301条」は、不公正な貿易慣行を改

めない貿易相手国に対して、米国政府が一方的に報復措置をとるといった法案であった。

また、「関税法337条」で米国企業の知的所有権を保護するために米国の知的所有権を侵

害しているとみなされた海外製品を、米国側が一方的に輸入禁止措置を取るようにしたり、 米国での現地生産にあたっては、米国製部品の高い使用比率を義務付けるなどして、一夫

的に自国産業の保護政策を打ち出している。 ③ヨーロッパでの貿易摩擦 ヨーロッパでは、古くからカラーテレビの輸入数量制限をおこなっていた。また、対英

国向けに輸出のガイドライン制など、現地メーカーの保護政策が実施されている。 VTRに関しても、1982 年と 87 年にダンピング提訴問題が発生している。よって、1983年から輸出の自主規制を実施している。YTRの完成品の輸出量を減らし、現地生産への

切り替えを進めてきた。 (5)市場の成熟化 ① 普及状況 家電の主要製品(電機冷蔵庫、電気洗濯機、電機掃除機)は、1980 年代には 100%近く

普及している。カラーテレビも同じく1980年代には普及率がほぼ100%である。そ

の1976年に、発売されたVTRも1980年代に急激に普及し、1990年代には、

その普及率がほぼ横ばいになっているが、70%以上の普及率は市場が成熟化していると

いえるだろう(図3-15)。 また、90年代以降の家電業界には、VTRに続くような新商品が登場しなかった。ビ

デオカメラは、需要が子どもの成長記録のように限定されているために、大型ヒット商品

にはならなかった。 ② 価格の動向 バブル崩壊以降、消費者の低価格志向が強まった。そのために製品の大幅な下落が生じ

た。この間の価格の下落がどれくらい大きなものであったかをしめす(図3-16)。実売

価格の下落は、オーブンレンジで約 39%、大型の冷蔵庫で約 26%に達した。xiv (5)アジア市場の規模xv 東アジア地域は、日本を始めとして「成長の奇跡」(世界銀行)といわれる経済発展をし

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た。さらに、NIEsにしろASEANにしろ、東アジア諸国が奇跡の成長を実現した起

動力が「外資導入・輸出立国」だったのである。20世紀の後半という世界経済の下で、

東アジア諸国から先進地域へ輸出可能な工業製品は、自動車はまだ技術的に無理だとする

と、民生用電子機器しかなかったのである。東アジアの成長はまさに「電子立国」そのも

のであった。この点で地理的に民生用電子技術の最先端国の日本が隣接していたことが、

東アジアにとって好都合であった。 また、日本の電気メーカーにとっても好都合であった。民生用電子機器の主力であった

カラーテレビは80年代に入る頃から国内市場は完全に成熟化し、VTRも90年代には

成熟状態に達した。このような過剰資本のはけ口としての直接先進諸国としての輸出が貿

易摩擦問題もあっていきづまりをみせたため、第三国経由で生産・輸出する迂回輸出を迫

られたのである。また一人あたりGDPが急上昇を遂げるアジア諸国も魅力的な市場が育

ちつつあり、アジアへの直接投資を促すことになった。 家電製品、とくにAV機器が基本的に労働集約的な産業であるということである。その

ためには、国際的に労働コストの高まりを見せる日本国内に比べ、東アジアは相対的に低

賃金であったからである。

第4節 白物家電と日本国内体制 1.市場のニーズの多様性 白物家電は、日本のAV機器が輸出産業として確立していくなかで、技術はAV機器に

みられるように認められていたにもかかわらず、輸出産業として確立することはなかった。

これには、国ごとに製品のニーズが異なることに大きな要因があると考えられる。 例えば、日本の主流である二層式洗濯機、あるいは全自動洗濯機は欧州では売れないの

である。それは、欧州では年間の降水量が少なく、洗濯機の機能として水をなるべく使わ

ないようにして洗い上げるというのが欠かせないからである。また、アメリカの掃除機も

そうである。日本の掃除機は小型化・静音設計にこだわりをもつのに対して、アメリカで

は“WalltoWall”といって壁から壁まで掃除できるような掃除機にこだわる。音よりも吸

引力なのである。冷蔵庫にしても、驚くほどに大きい。これは、アメリカのまとめて大量

に買うという文化にかなったものであり、日本では受け入れられないのは当然である。炊

飯器にしても日本ほどお米の炊き加減に、こだわる国はない。そのために、お釜がうすか

ったり、蒸し器がついていたりと使われ方がことなってくる。xvi 日本の製品の傾向として、小型化・省エネ化があるがそれは、世界共通の需要ではない

のである。 したがって、同じ製品といえども競合することはないのである。最近の逆輸入が増加し

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ているが、その品目を調べると、掃除機ではハンディ型、冷蔵庫では小型冷蔵庫、といっ

たような製品がほとんどである。xviiこれに関しても、必ず家にあるような大型の冷蔵庫や

コードつきの掃除機は国内製品し続けるのである。 2.輸入依存度の低さ 1998年の主要家電製品の輸入依存度は冷蔵庫2.8%、洗濯機5.0%、エアコン

1.9%、テレビ25.5%、ビデオ66.1%である。ここから白物家電の低さが明確

になってくるだろう。また、輸出依存度も低い(表3-3)。これは中国についてもいえる。

xviii1998年の洗濯機の生産に占める輸出の割合は4.1%、冷蔵庫は8.3%である(表

3-7)。先に述べたように、異なる製品をつくっているために輸出できないのである。さ

らに、白物家電においては各国の地場メーカーのシェアの維持が強いために、現地市場を

目的に企業の海外進出を進めることは非常に難しいのである。最近、各国から中国進出が

進んでいるが、シェアの8割がハイアールを代表とする国内ブランドである。これは、各

国についてもいえることではないのか。 3.設備投資額の高さ 白物家電は、AV機器の生産工場より設備投資額が大きい。これもひとつの要因である。

組立工程が主である労働集約的なAV機器とは工場の質がことなるのである。そのために、

自動車組立工場がそうであったように簡単には海外移転できないのである。xix 第 5 節 まとめ これまでみてきたように、日本家電産業のリーディング製品であった民生用電子機器は

海外生産比率が増加し国内生産額が落ち込む一方である。しかし、その一方で、民生用電

機気といわれる白物家電の生産額は、ほぼ一定であり、海外からの逆輸入もいまだ多くは

ない。また、国内工場もほとんど国内需要向けに製造されている。 私は、ここから白物家電の特性も踏まえ、国内生産は今後も空洞化しないと判断する。

さらに、VTRの高付加価値化が市場とマッチしなかったように、「高付加価値化」が一概

に空洞化の克服につながることには、異議を唱える。白物家電のように、高付加価値化さ

れた製品だけではなく、市場のニーズにあった製品をつくることが、これからの日本の製

造業にとって不可欠なのではないのか。

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i 民生用電気機器に該当する ii 民生用電子機器に該当する iii中山森夫「電機大手の経営戦略と「空洞化」」『経済』2002.11 p85~86 iv 全日本電機・電子・情報関連産業労働組合会総合研究センター「日系電機企業の海外

進出と国内産業・雇用への影響」1998.6 p33~35 v渡邊博子「アセアン展開にみる我が国家電産業の現状と今後」『中小公庫月報』1996.11 p10 vi大貝威芳「家電産業の新たなアイデンティティ」『経営学論集』p2~3 vii大貝威芳「家電産業の新たなアイデンティティ」『経営学論集』p4~5 viii全日本電機・電子・情報関連産業労働組合会総合研究センター「日系電機企業の海外

進出と国内産業・雇用への影響」1998.6 p41 ix野田秀彦「わが国家電産業の今後のアセアン事業の方向性」『国際金融研究所報』国際

協力銀行 2000.4 P122~123 x 山口和樹、石原大輔、寺島やよい「産業の空洞化」中央大学河邑ゼミナール p15~1

6 xi産業構造研究会 「現代日本産業の構造と実態」新日本出版社 2000 年 xii全日本電機・電子・情報関連産業労働組合会総合研究センター「日系電機企業の海外

進出と国内産業・雇用への影響」1998.6 p29 xiii山内一三 「家電(改訂版)」日本経済新聞社 1990年 xiv産業構造研究会 「現代日本産業の構造と実態」新日本出版社 2000 年 xv全日本電機・電子・情報関連産業労働組合会総合研究センター「日系電機企業の海外

進出と国内産業・雇用への影響」1998.6 p33 xvi 松下電器産業HP http://www.national.co.jp/airport/kadenjijo.html xvii「電気掃除機の輸入」『荷主と輸送』社団法人日本荷主協会 1997.6 P36~39 xviii「中国企業の海外進出」『アジ研ワールド・トレンド5月号』アジア経済研究所 2000.5 p28~34

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第4章 産業別考察―半導体産業― はじめに 日本半導体産業は、80 年代後半まで世界の半導体市場を圧倒し、半導体大国としてその

名を馳せていた。しかし、90 年代に入ると、韓国、台湾などが半導体市場に参入し、その

低コスト性を武器にコスト競争力で勝り、日本半導体産業の地位を低下させた。そして、

現在 IT 不況により、各半導体メーカーは採算もままならない危機的状況に陥ってしまった。

このような変遷をたどってきた日本半導体産業は、世間一般によく言われる空洞化問題に

該当するのか。つまり、半導体産業は空洞化しているのか、していないのかについて、私

なりに分析を試みた。その現状を踏まえたうえで、日本半導体産業の今後の取り組みにつ

いて考えた。これがこの第4章で明らかにする事実であり、目的である。 第1節 半導体産業の特徴 1.半導体産業の重要性 (1)規模 半導体産業は 1947 年のトランジスタの発明から半世紀を経過した。他産業と比べても若

い産業である。それにもかかわらず、その成長は著しい。2000 年の世界出荷額は、世界半

導体市場統計(WSTS)によると、約 2044 億米ドル(約 24.5 兆円)となった。このうち、

日本では 2000 年に 5 兆円の生産規模となるまでに成長した。 また経済産業省の統計によると、全製造業に占める半導体産業の生産額の割合は 3.5%を

示している。日本の主要産業である自動車産業の割合は 14%であり、電気機械工業の中の

半導体産業と考えるとその規模の大きさがよく分かるだろう。 (2)他産業への波及効果 半導体産業は「産業の米」と呼ばれ、大きな市場が形成されている。半導体が「産業の

米」といわれる所以は、その利用されている分野の多さにある。ゲーム機、携帯電話、パ

ソコンを始め、カメラ、電気洗濯機、電気掃除機、冷蔵庫、エアコン、ファクシミリ、自

動車、産業用ロボット、対艦ミサイル・巡航ミサイルなどの兵器など、家庭から企業、そ

して軍事の世界まで、ありとあらゆるところで半導体は利用されている。 また、半導体はそれ自体が「技術・知識集約型製品」であり、半導体を利用することに

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よって製品の技術革新が促進される。つまり、半導体は多種多様な製品に組み込まれ、そ

れによって製品の性能を規定するのである。よって、半導体産業は他産業への波及効果が

非常に大きい産業であることが分かる。 2.家電産業との関連性 日本の半導体メーカーの代表は、NEC、東芝、日立製作所、富士通、三菱電機などの総

合電機メーカーである。これらの企業の特徴として、開発・設計から製造、そして販売ま

で一貫して行なう垂直統合型の企業であることが挙がる。つまり半導体事業は、総合電機

メーカーの一部門として存在しているのである。 半導体部門で生産された半導体は、自社内の最終製品部門で組み込まれるか、外販され

るかのどちらかに分けられる。ただし、総合電機メーカーの場合、半導体そのものを外販

する事で利潤を出していくというのがメインである。 日本の大手半導体メーカーは、総合電機メーカーとして同一社内で半導体と最終製品を

生産している。このため自社の半導体製品を自社の最終製品の中に組み込む、いわば内製

がなされているのである。これが日本半導体メーカーの特徴であると共に、家電産業と半

導体産業の強い関連性を示している。 3.半導体製品の分類 (1)製品分類 半導体の分類方法は、何を基準にするかによって様々である。半導体の組織や特徴など

で分ける電子工学的な分類と、実際に製品として存在する各半導体を分類する方法がある。 電子工学的な分類としては、回路の個数で分類すると、1つの回路部品からだけでなる

ディスクリートに対して、複数の回路部品を集積する集積回路(IC)となり、その IC も集

積度によって分類できる。素子 100 個以下の小規模集積回路:SSI(Small Scale IC)、

素子 100~1000 個レベルの中規模集積回路:MSI(Medium Scale IC)、素子 1000 個

以上の大規模集積回路:LSI(Large Scale IC)、素子 10 万個以上の超大規模集積回路:

VLSI(Very Large Scale IC)、素子 100 万個以上の超々大規模集積回路:ULSI(Ultra Large Scale IC)と分類され、小規模な物を IC、大規模な物を LSI と呼ぶことが多い。 一般的に半導体というと IC のことを指し、IC もプログラムやデータを記憶するメモリ

と、そのメモリの機能を制御するマイコンに分類される。メモリはその製品のプログラム

を何度も実行するために電源を切ってもデータが消えない不揮発性の ROM と、プログラム

の実行に際して与えるデータやスクリーン表示など電源を切るときに消えても構わないよ

うなデータを記憶する揮発性の RAM とに分類できる。 また、一般的な汎用 IC に対して、専用 IC(特定カスタマ向け IC)という風にも分類で

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き、後者は更にその専用度によりフルカスタム IC やセミカスタム IC、それもさらに細分

化するとゲートアレイや標準セルアレイなどに分類される。*1(図4-1参照) (2)代表的な半導体製品の特徴

①DRAM DRAM とは、最も代表的な RAM で、記憶保持動作が必要な随時読み出し、書き込みメ

モリのことをいう。書き込んで記憶している情報が容量のリーク(漏れ)によって時間の

経過とともに消滅してしまうために、情報を周期ごとに読み出して再度書き込みを行なう

必要がある。DRAM は大容量だけでなく、多様化、高速化するシステムのニーズに合わせ

て、高速化・高機能化した製品が開発されている。 DRAM は製造プロセスや構造が他のメモリに比べて簡単で、大容量化の面で有利となり

コストも安い。そのためコンピュータのメインメモリとして多用される。主に、パソコン

などのコンピュータに組み込まれる。 ②MPU、MCU マイコンはマイクロコンピュータのことをいい、そのマイクロコンピュータのCPU(中

央演算回路)を集積させてLSI化したものをMPUという。また、一つのチップ上にC

PU、RAM、ROMなどを集積し、マイクロコンピュータ的な働きをする「シングルチ

ップマイクロコンピュータ」と呼ばれるのが、MCUである。用途は組み込み型のコント

ローラーとして、様々な電子機器に内蔵されている。低消費電力で高性能なMPUやMC

Uが実現したことで、ノート型パソコンや携帯電話端末など電池で動作する機器は急速に

普及することになったのである。

情報機器の急速な普及と共に、社会情報化は大きく進展している。マイコンはこの情報

化の動きにおいて機器のキーデバイスとして機能の高度化、価格の引き下げ効果の両者で

多く貢献している。最終製品としては、パソコン、携帯電話、電気機器、ネットワーク家

電などに主に組み込まれる。 ③カスタム IC

ユーザ(顧客)の仕様に合わせて作る特注の IC のことをいう。一般にカスタム IC は、

その機能及び動作が特定のシステムの用途に合わせて特別に設計されているため、組み込

まれるシステムが予め決まっている。通常、従来のディスクリート素子で提供した機能を

一つのチップ上に集積することでカスタム IC が生まれる。ユーザの必要とする専用機能を

盛り込むことにより IC 自体の用途は限られるが機能の冗長や、不足が少なくなる。 カスタム IC には大きく分けて二つのタイプ、即ち、フルカスタム IC とセミカスタム IC

が存在する。フルカスタム IC は、システムメーカーの要求に応じ所定の機能を提供するた

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め、全く最初から特別に設計されるものである。これに対しセミカスタム IC の基礎機能は

既に用意されており、ユーザの必要とする機能を追加し、所定の動作を提供するものであ

る。現在、半導体市場が汎用製品指向から専用製品指向に変化しているため、この分野の

製品は注目されている。具体的な製品にゲートアレイ、スタンダードセル、民生用カスタ

ム LSI などがある。*2 ④システムLSI(カスタムLSI) カスタムICを大規模化したものがシステムLSIである。システムLSIでは、回路

の設計の前にどういうシステムにするかというシステム設計があり、システム設計に応じ

て回路が決まり、それを実現する構造が設計される。従って、システムの数だけ半導体開

発をする手続きを繰り返すことになる。これは、完全なオーダーメイドである。システム

LSIは顧客の要望に合わせて特別に作るLSIであり、莫大な開発コストがかかるため、

相当な数の製造が見込めない限り、システムLSIを発注する顧客はいない。またシステ

ムLSIはこれからの次世代製品といえ、生産はされているが、生産体制についてはまだ

完全に立ち上がっていないのが現状である。 使用される製品には、パソコン、携帯電話、電気機器、ネットワーク家電など、顧客の

ニーズによって、様々な最終製品に組み込まれる。 4.半導体製品の製造工程 ICの製造工程は、使用する技術や設備装置、作業環境によって「ウェハ工程」、「組立

工程」、「検査工程」の3つに大きく分けられる。一般にウェハ工程を前工程、組立と検査

工程を後工程と呼ぶ。 ウェハ工程の前に、単結晶のシリコンインゴットからウェハに切り出し、表面を研磨す

る工程がある。このウェハにするまでの工程は、シリコンメーカーが担当する。シリコン

ウェハは直径 125~300mmで、厚みは約1mmと薄い このシリコンウェハ上に、トランジスタや配線などを形成していく。これがウェハ工程

である。シリコンウェハ上の最小パターン寸法は、現在 0.3μm~0.18μmが量産レベルで

使われ、0.10μmも模索されている。直径 125mm~300mmのウェハ上にこの微細な寸法

を加工する。大規模なICでは1個の約 10mm角のチップ上に数千万個の素子(トランジ

スタ)が集積され、配線の長さは延べ数十mにもなる。 例えば、直径 125mmのシリコンウェハ上に1μmの線を引くということは、甲子園球場

に全体に1mmの線を引くことに相当する。現在は、ウェハの直径はその倍となり、線幅

は1桁小さいという。 このためウェハ工程の作業環境にはクラス1相当のクリーンルームが必要となる。同時

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に、ウェハ製造には超高純度の薬品やガス、純度水を使う。通常のごみ(塵埃)や煙草の

煙は数十μmもあり、加工しているパターン寸法からすればはるかに大きい。工程中に1

個でも付着すると、そのICは不良品となる。 なお、クリーン度をあらわす「クラス1」は1立方フィート中にある 0.1μm以上の塵の

数が1個以下のレベルということである。これまでは「クラス5」などが使われていた。 ウェハ工程を完了したシリコンウェハは組立工程に送られる。ここで通常は 1 個ずつの

ICチップに切断・分離する。ICカードに組み込むICは、ウェハ状態のままで裏面を

研磨し、厚さ 0.4mm程度まで薄くする。その後、ICチップに切断する。 1個ずつ分離したICチップは、通常はリードフレームに接着固定し、電気的な接続(ボ

ンディング)した後、エポキシ樹脂で最終外形にモールド成形する(モールドパッケージ)。

パッケージの種類によって、この実装方法は異なる。なかにはパッケージしないで、検査・

出荷されるICもある。これをベアチップといい、高密度実装に使われる。 モールド成形後、外部リードを成型したICは検査工程で電気的特性検査を実施し、機

能を満たす良品だけが選別され、ICとして完成する。*3(図4-2参照) (製造工程) ①開発・設計 ②前工程・・・「ウエハ工程」 ③後工程・・・「組立工程」、「検査工程」

第2節 日本半導体産業の空洞化の現状 1.現状分析 ~半導体産業全体 世界の半導体市場規模は年々拡大してきている。(図4-3参照)

これに伴って、日本の半導体市場も年々拡大している。このような半導体産業において、

空洞化は起こっているのか、または起こっていないのか。ここではその空洞化の現状につ

いて考察していく。 (1)現状分析

①国内半導体生産額の推移 まず空洞化の現状を把握するために、日本国内の半導体生産額の推移を分析する。その

国内半導体生産額は、時期によって異なるが年々増加してきている。(図4-4参照) しかし、これが 2000 年を境に急減してしまう。これは 2000 年末に起きた米国IT不況の

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影響によるものだといえる。よって、国内生産額に関しては、不況などの時期的な問題で

減少することはあるが、過去 30 年の国内生産額の分析では絶好調の伸びをみせていたこと

になる。 ②日系半導体メーカーの海外生産法人数の推移 次に日系半導体メーカーの海外生産法人数の推移を考察する。1968 年の時点では1社し

かなかった海外生産法人が 88 年には 44 社、93 年には 78 社、98 年には 92 社と年々増加

していることが分かる。(図 4-5参照) また年代ごとに分析すると、88 年~93 年の間にその伸びが急上昇していることが読み取れ

るだろう。これは、バブル崩壊が影響しているものと思われる。よって、日系半導体メー

カーの海外生産法人数は年々増加しており、半導体産業としても海外進出が活発に行なわ

れていることが分かるだろう。 ③日系半導体生産現地法人の従業員数推移 次に日系現地法人の従業員数の推移を考察する。1990 年にはおよそ 36,000 人ほどだっ

た従業員が年々増加し、93 年には 50,000 人に増加している。その後 2 年間は減少したが、

96 年からは一転増加傾向に戻る。そして、98 年には 60,000 人にまで増加するが、2001 年

にはおよそ 55,000 人にまで減少する。(図4-6) 2001 年の減少は 2000 年末の IT 不況によるものだと考えられるが。以上、日経半導体生産

現地法人の従業員数は、国内生産額同様、不況など時期的な問題によって増減するが、少

なくとも 98 年までは全体的に増加傾向にあることが分かる。 ④日本半導体産業の従業員数推移 次に③の海外の従業員数に対して、国内の従業員数の推移を考察していく。国内従業員

数は、1979 年からその伸びが急上昇していることが確認できる。79 年時点での従業員数は

およそ 75,000 人だったのが、83 年の時点ではおよそ 180,000 人と倍以上に膨れ上がって

いる。その後は 1992 年まで緩やかな増加を見せる。(図4-7参照) 1992 年からは減少傾向に変わる。92 年ではおよそ 230,000 人だった従業員数が 2000 年に

は 200,000 人に減少している。この 9 年間で国内雇用は 30,000 人ほど減少しているのであ

る。(表4-1) また半導体産業の需要構造として、集積回路生産に携わる従業員が圧倒的に多いことも読

み取れる。以上、国内半導体産業の従業員数の推移は、1992 年までは増加傾向にあり、そ

れ以降は年々減少していることが分かるだろう。 ⑤日本半導体産業の事業所数推移 最後に国内の半導体生産を行なう事業所数の推移を考察する。事業所数は 1979 年まで緩

やかに増加している。しかし 1979 年を機に爆発的な伸びを見せる。79 年の時点で 150 社

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強だった事業所数が 80 年にはおよそ 290 社、82 年にはおよそ 450 社に急増している。そ

の後、90 年まで減少傾向が続き、90 年以降は一転増加していくこととなる。90 年の時点

での事業所数はおよそ 390 社だったが、2000 年にはおよそ 490 社となる。以上、国内の事

業所に関しては、時期によって増減が激しいことが分かる。しかし、全体的に見てみると、

確かに増加傾向にあることが分かるだろう。(図4-8参照) (2)空洞化考察 以上(1)で、半導体産業の現状を考察してきた。それらをまとめると以下のようにな

る。 ①国内生産額は 2000 年までは少なくとも、増加傾向にある

②日系半導体海外生産法人数は年々増加傾向にある。 ③半導体生産現地法人従業員数は時期により増減はあるが、全体的に増加傾向にある。 ④国内従業者数は 1992 年から、減少傾向にある。 ⑤国内事業所数は 1990 年から、増加傾向にある。

これらから考察できることは、国内従業員数は減少傾向にあるが、その他に関しては全

て増加傾向にあることである。国内生産額、国内事業所数が増加しているのに国内従業者

数はなぜ減少しているのか。これにはいくつか理由が考えられるが最も大きな要因は、

DRAM 生産額の減少が考えられる。(この DRAM の生産の減少については次節で詳しく見

ていく)かつて日本は汎用 DRAM によって、半導体産業を成長させてきた。80 年代後半

には、DRAM を主戦力として、世界の半導体市場を圧倒してきた。しかし、現在日本のお

家芸としてきた DRAM 生産の分野で、台湾、韓国半導体メーカーとの激しい競争が展開さ

れており、相対的にその地位を落としている。これが契機となり、日本の DRAM 生産額は

1995 年、1 兆 312 億円だったものが 2000 年には 4737 億円と半分以下に減少しているので

ある。(電子工業年鑑 2002 年度版参考)日本半導体産業として生産額が上昇しているこの

時期にこの減少の仕方はどう考えてもおかしい。つまりこのような背景の下、DRAM 生産

工場では大きなリストラ策が敢行されたものと思われる。また、DRAM 生産の後工程はい

わゆる労働集約的な工程で、大量の人手を必要としている。このため、その影響がさらに

大きくなり、結果的に従業者の減少が顕著になって表れているのではないか。いずれにし

ろ雇用の減少が起きているのは確かである。 では、半導体産業は空洞化しているのであろうか。結論からいうと、空洞化していない

と定義づける。2000 年 IT 不況まで、確かに海外進出は活発化し、国内の雇用は減少して

いるが、その視点は短期的、且つ一面的なものでしかない。雇用の減少をみても 9 年間で

およそ 30,000 人、時期によっては、増加している年もある。これは長期的な視点に立って

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考察しても、空洞化といえるだろうか。先にも示した通り、DRAM の生産額減少が結果的

に半導体産業の雇用減として表面化しているのではないか。逆に、日本半導体市場が肥大

しているこの時期においては、海外生産が効果を発揮しているとみるべきではなかろうか。 また、IT 不況期の現在においても、確かに生産額、雇用は減少している。しかし、これ

らは国内工場を閉鎖し、海外に移転するといった空洞化による減少ではなく、不況による

世界的な半導体市場の縮小からくる減少だと捉えることができる。 むしろ、こうした不況下における工場の撤退は国内よりも真っ先に海外の工場が標的と

される傾向がある。実際、富士通は 2001 年 7 月に米国での半導体生産から撤退したという

事例もある。(日本経済新聞 2001/7/17 参考) 以上より、空洞化と捉えるのは時期尚早だといえる。空洞化とは長期的な視点で捉える

ものであって、短期的な不況だけでは空洞化とはいえない。先にも示した通り、日本の海

外生産拠点は閉鎖、撤退が進んでいるのも事実である。これは明らかに空洞化の動きでは

ない。以上の観点から、「半導体産業は、空洞化していない」ということができる。 2.現状分析 ~製品別 半導体産業全体の考察で、半導体産業は空洞化していないと結論づけた。しかし、産業

という括りでは空洞化していなかったが、半導体製品という括りでみたとき、果たして産

業同様、空洞化していないということができるのだろうか。産業分析だけでは、一面的な

分析となってしまうので、ここでは半導体製品に注目して、製品の空洞化について考えて

いく。そこで、先にも少しふれたが、汎用 DRAM に特化してここでは考えていきたい。 (1)現状分析 製品別の分析として、ここでは汎用 DRAM に特化して考えていく。先にも述べた通り

DRAM の国内生産額は年々急激な勢いで減少している。まず、この DRAM の国内生産額

の推移を考察していく。 DRAM に特化した統計は、1994 年から開始された。このため、ここで示す統計データも

1994 年からの DRAM 生産額となることを理解して頂きたい。1994 年の DRAM 国内生産

額はおよそ 7,300 億円、これが 95 年には 1 兆 312 億円に増加し、これが DRAM 生産のピ

ークとなる。これ以後、急激な勢いで一転減少していくのである。最終的に 2001年には、

2300 億円とピーク時の 5 分の1程度にまで縮小してしまう。(図4-9参照) これは生産減少というよりも、生産撤退といった方がいいかもしれない。この時流に乗っ

て、国内の DRAM 生産工場は、海外に次々進出しているという。以下にその事例を示した。

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具体例① NECは半導体や通信機、コンピューター関連機器の海外生産を大幅に強化、99 年

度に全社の海外生産額を 95 年度の 2.1 倍にあたる 1 兆 4750 億円に引き上げる。99年度の海外売上高に対する海外生産比率は 3 分の 2 と日本の大手企業では最高水準

に達する見通し。現在、円高は小康状態にあるものの、「今後も為替リスクを避ける

ためには生産の現地化が欠かせない」と判断した。 「半導体などで引き続いて欧米アジアを中心とした地域での投資を拡大していく」

という。既に英国では総額 800 億円を投じて、次世代の 64 メガビットDRAMに対

応した最新鋭半導体工場を建設中で、年内に稼動する。同規模の工場を米国に建設

することも検討している。 (日本経済新聞 1996/3/21 参考) 具体例②: 九州富士通エレクトロニクスは年内にも、64 メガビットDRAMの後工程技術を親

会社富士通のマレーシア工場に移転する。64 メガビットDRAMの海外への生産移

転はまだ珍しいが、今後こうした動きが加速するのは確実とみられる。同社はメモ

リー以外のロジック(論理素子)などのICも中国で生産を増やす計画で、開発主

体の「マザーカンパニー」化を推進する。

(日本経済新聞 1997/6/15 参考)

具体例③:

半導体アセンブリーの中堅メーカー、吉川セミコンダクタ(宮崎県新富町、渡辺正

彦社長)は、インドネシアのビンタン島の工業地団地に進出し、画像処理用の 4 メ

ガビットDRAMなどの生産を来年 1998 年 2 月から始めると発表した。月内にも現

地法人「ヨシカワ エレクトロニクス ビンタン」を設立するという。

(日本経済新聞 1997/6/20 参考)

以上の事例からも分かる通り、DRAM 生産工場は次々に海外進出している。このように

DRAM 生産が海外にシフトしてしまうと、国内の DRAM 生産工場の雇用を蝕む結果とな

ってしまう。実際、DRAM 生産の後工程は労働集約的で、人の手をとにかく必要とする。

このことからも、国内工場の海外移転によって、多大に抱えていた従業員の失業問題が発

生するのは至極当然のことだと分かる。 また、生産額の激減からも分かる通り、現在日本半導体メーカーの DRAM における競争

力はひん死の状態にある。かつてはこの製品で世界を圧倒していた日本メーカーが、この

製品で現在苦しんでいる。今では DRAM を生産すればするほど赤字になるのが現状である

らしい。このような先のない製品からは完全撤退すべきとの声が挙がるほど落ちぶれてし

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まったのが、現在の日本半導体産業における DRAM の位置づけといえる。 以上、DRAM の国内生産の激減、雇用の減少、海外生産へとシフトしていることから、

DRAMは圧倒的に空洞化している製品だということができる。半導体産業全体では空洞

化していなかったが、製品という視点で考察すると、DRAM のように空洞化している製品

の存在を知ることができる。 では、何故汎用 DRAM は空洞化してしまったのだろうか。その要因を次節では分析して

いく。 第3節 汎用 DRAM 製品が空洞化した要因 前節で、半導体産業としては空洞化していないが、製品別に分析すると、汎用 DRAM の

ようにもろに空洞化している製品が存在することが分かった。この節では、汎用 DRAM が

何故空洞化してしまったのか、その要因をさぐることを目的とする。 1.ラーニングカーブ経験則による製品コストの低下 (1)DRAM 価格の急落 半導体産業では、IC の累積生産量が2倍になるとコストが 27.6%低下するというラーニ

ングカーブ経験則という法則がある。例えば、累積生産量 1000 万個の時点でチップコスト

が 10 ドルとすると、2000 万個では 7.2 ドルに下降することになる。つまり、技術革新と共

に量産効果によって、コストを下げることができるのである。*4 DRAM は、この製品コスト低下の勢いがとにかく激しい。2000 年1月から 2001 年 10月の短期間に DRAM 価格は 10 分の 1 以下に急落したのである。(図4-10) ここまで製品コストが低下すると、必然的に DRAM 生産では採算がとれなくなってくる。

実際、東芝は半導体事業で 2001 年度通期 1500 億円もの赤字を出したが、その大部分は

DRAM の赤字である。東芝の半導体事業の中で DRAM が占める比率は 1 割を切っている

のだが、全社のすべての利益を無にしたことになる。NEC、日立も DRAM の赤字が深刻で

ある。富士通、三菱電機は、汎用 DRAM 生産から撤退することを決めた。 これらは、世界の DRAM メーカー各社の作りすぎによって引き起こされた DRAM 価格

の急落であるが、そのしわ寄せは、価格競争に弱い日本の総合電機メーカー各社に大きな

影響を与えている。その結果、DRAM 生産部門での競争力を失い、日本の地位を落として

いるのである。

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(2)価格急落の要因 そもそも市場経済において価格は需要と供給のバランスで決まる。DRAM の価格急落も、

供給過剰が原因である。2001 年に入ってから、DRAM の需給ギャップは慢性的に 100%を

超えている。要は作り過ぎなのである。 作り過ぎにより、各社の 1 個当たりの製造原価 3~4 ドルをはるかに下回る 1 ドル台にま

で価格が急落した。であれば、赤字を止めるために、各社とも生産調整を行なうはずであ

り、そして需給ギャップは解消に向かう―これが一般的に信じられている経済の原則であ

る。 ところが、DRAM にはこうした原則は通用しない。現在、世界シェア 2 位の米マイクロ

ン・テクノロジーとともに、韓国勢 2 社がベスト 3 を形成している。この 3 社は供給過剰

にもかかわらず、生産調整に転じる気配を見せない。それどころか、まったくの逆で、継

続的に増産しているのである。 これら上位メーカーが増産し続ける理由は、それなりに筋が通ったものである。

それは、固定費まで含めた製造原価に対しては赤字でも、原材料費などの変動費を回収で

きれば、工場を稼動させる意味はあるからである。上位メーカーはぎりぎり変動費を回収

できる価格水準なので、生産を増やしてきたとみることができる。 ところが 2001 年秋口以降、日本メーカーでは変動費すら吸収できない価格にまで落ち込

んだ。にもかかわらず、大手 4 社は増産をしている。この理由は「お互い引けなくなって

いる。シェア拡大のために意地の張り合いをしている。」というのが真意のようである。水

面下でどちらが長く息が持つか、比べっこしているようなものである。ただし増産してい

るのは、上位 4 社までで、日本勢は経済原則通り減産している。 ではなぜこのような差が生じるのだろうか。ここで、カギを握るのが製造原価(変動費

+固定費)の違いである。この製造原価が最も低いのは米マイクロンで 128 メガビット当

たり 3 ドル台前半。次いで韓国の三星と独インフィニオンテクノロジーズが 3 ドル台半ば。

日本勢は各社とも 4 ドルを若干上回る。 つまり、製造原価が高く、赤字ダメージの大きい日本勢は、シェア低下覚悟で減産せざ

るを得なかったのである。一方で上位メーカーは現在の赤字を乗り越えた後の桃源郷を夢

見ている。DRAM は今後もパソコンなどで使われ続けるキーデバイスである。下位のメー

カーを振り落とし寡占構造を作れば、残存者利益を得られるのである。特に、マイクロン

と三星は日本勢の駆逐を意識しているという。 以上のような各社の思惑が働き、増産による増産でDRAM価格が低下しているのである。

日本の大手メーカーはこの価格競争についてくることができず、減産に向かっているので

ある。つまりは、海外メーカーの過当な価格競争の影響をもろに日本メーカーは受けてい

ることになる。結果、これが日本の DRAM 生産の競争力を落とし、空洞化してしまうに至

るのである。*5

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2.韓国、台湾半導体産業の台頭 (1)台頭の背景 90 年代に入ると、韓国や台湾といった国々が台頭してきた。その契機は 1986 年の日米

半導体協定である。これにより、米国が日本製品の輸入を規制したこと、85 年以降の円相

場の急激な上昇が韓国、台湾各国に神風となり、日本製品が自主規制して足らなくなった

分だけ、韓国、台湾製品がどっと米国市場に流れ込んだのである。韓国、台湾製品が技術

的に優れていたわけではないが、売れば次第に力をつけていく。日米半導体協定で半導体

の価格が一挙に上がって固定化した。ところが韓国、台湾は協定外だから、自由に値付け

することができる。これで次々と安値でユーザーに食い込んだのである。こうして韓国と

台湾半導体産業は、今後の成長を促す土台を築いたのである。 韓国、台湾半導体メーカーは安い労働力にものを言わせ、生産コストの低い製品生産を

実現している。これが韓国、台湾の強みとなっている。特に韓国は DRAM メモリに特化し

た生産を行なっており、それまで DRAM 分野で力を発揮してきた日本メーカーの地位が相

対的に低下するという自体を招いている。このような背景のもと、DRAM 分野における競

争力は失われ、空洞化する製品となったのである。 (2)韓国半導体産業の特徴 基本的に基礎部分から徐々に積み上げて、組織的、体系的な製造システムを形成する努

力の積み重ねなくして、本格的な工業国はありえない。ところが、韓国半導体産業は地道

で長い技術蓄積を嫌って、手っ取り早く、部品や重要な設備だけを先進国から輸入し、低

賃金の労働力を投入することで、最終組立工程だけを自国製造業の中核に据える戦略をと

った。そのため、韓国半導体産業の成立の歴史は、国内に需要も製造開発技術も、製造装

置技術も、資金蓄積もない状況で市場を米国に技術資源と製造装置も日本に依存した形と

なっている。 また市場に対しての依存度であるが、日本半導体メーカーの場合、自国市場に対する依

存度が 50%を超えているのに対して、韓国メーカーは競争地域が多くの地域に分散されて

いる。依存殿高い日本の場合、日本市場の変化に最も敏感に反応せざるを得な競争市場的

意味が見て取れる。韓国の場合、海外市場に対する依存度が大きいながら、特定の海外市

場に対する影響が少ないため、特定地域が不況でも、その影響が相対的に小さくなる。 韓国の企業が半導体産業に参入した理由として、半導体産業は装置産業になったことが

挙げられる。そこで、日米両国から第一級の設備と機器を購入すれば、設計・機器の運用

方法はメーカーから教えてもらえるという考えがあった。また、韓国が特化しているメモ

リに関しては、設計が比較的簡単で、最先端の物でない限り、設計図の原版は容易に購入

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できる。また、製造機器と設計原版を購入すれば、後はオペレーションだけとなり、誰で

も、いつでも、どこでも、半導体産業に参入できると考えたからである。これは、技術革

命時期が過ぎ、技術が安定してくると、生産力は製造機器、装置の優劣によるようになる。

1980 年代から半導体の強弱は最新の製造機器、装置を大量に購入しうる資本力のあるメー

カーかどうかできまるようになった。この典型的な例が韓国半導体産業だといえる。 また、自社の精密機械の性能が搭載している半導体によって大きく左右されることから、

エレクトロニクス分野に直接関係のない企業が他社の半導体事業に依存できないとして参

入したことも理由として挙げられる。これらの企業は外部販売も行い、必要な半導体全て

を自社で供給できるのではなく、戦略的に重要であると考えられる半導体だけを生産して、

後は半導体企業から購入するという形態を取っている。それが韓国の場合、DRAM であり、

この生産に特化しているのはこのためだといえる。 韓国の半導体メーカーは日本よりも安い労働力で単に組立加工しているに過ぎないのが

現状である。韓国は材料、製造装置を日本、米国に依存しているため、比較競争力と言わ

れる、品質、信頼性、納期の確実性までは、日本とほとんど変わらないのである。異なる

のはのは、価格であり、労働力のコストの違いがあたかも、韓国が日本を越えたように思

わせる要因となっているのである。*6 (3)台湾半導体産業の特徴 台湾半導体産業の市場構造は、国内生産額の 38.9%が国内で消費されているものの、生

産額の 2 倍が輸入されていて、自給率は 18%と低い。電子機器産業が国内最大の産業に成

長したにもかかわらず、MPU、メモリと基幹部品を外部依存しているのは、システム製品

に遅れをとってしまうという危機感が台湾にはある。このため、2005 年までに自給率を

50%まで引き上げることを目標にしている。また、輸出先は総輸出額の 3 分の 1 を占める

米国を筆頭に多数の国に分散している。 現在、台湾半導体生産額は、米国(32.3%)、日本(23.7%)、韓国(8.8%)に次いで第

4 位となっている。製品ラインはメモリのような汎用量産品、情報機器用、通信用、家電用

標準品から、ASIC(Application Specific IC)のような多品種少量製品に至るまで幅広

い。韓国製品がメモリ、DRAM に特化しているのとは対照的である。 台湾半導体産業の形態は、日本や韓国とは大きく異なる。日本や韓国における半導体メ

ーカーがそれぞれ設計から組立まで一貫生産を行なう垂直統合型生産を行なっているのに

対して、台湾半導体産業は独立の小規模な専業企業が有機的に結合して、全体があたかも

一つの半導体メーカーであるかのように機能する分業ネットワーク型産業を形成している。

企業間の分業体制については、アメリカ同様、一社の企業規模が小さく、その多くはオー

ナー経営であるため意思決定が迅速に行なえる点で有利である。製品サイクルの短いパソ

コン向け半導体市場は製品の市場投入の時期が勝敗を決める。急激な市場の変化に設計、

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製造、組立の各段階の企業が技術面から、また市場開発面から、弾力的に対応している。

この分業体制のメリットは、一つに半導体関連企業の 90%が台北市と新竹市、80 ㎞圏内に

あることが挙がる。また、半導体産業のユーザーが立地し、その要求が迅速に半導体の設

計や生産に反映され得る地理的近接性は、分業ネットワークの高い資源効率を実現できる、

地理的集性があるといえる。 二つ目に、市場の補完性についても台湾半導体 IC 製造企業の約半数が DRAM に特化す

るのに対して、それ以外の企業は敢えて DRAM を避けることで、過当な競争を避け、リス

ク分散するために、異なる製品分野を扱うことですみわけを行なってきた。一方、業態も

企業によって差別化され、自社の高い技術を背景とし、独自ブランド製品のみを扱う企業、

ファウンドリに特化、またはファウンドリも扱う企業という具合に、市場に対する産業と

しての多様性がある。 三つ目に取引関係の柔軟性がある。製品の標準化は、統合型分業とネットワーク型分業

を分ける重要な要件である。前者では、市場で取引するよりも組織内で行なう方が取引コ

ストは安いと企業が判断するからである。取引コストは、相手が多数で、取引する製品が

標準品であれば無視できるほど小さくなり、組織よりも市場を介したほうが商品メーカー

の規模の経済性が働き、相対便益は大きくなる。それぞれの製品ジャンルの中で標準化が

進めば、垂直統合分業を構成する企業は取引相手をより自由な選択肢の中から選べるので

ある。 こうした台湾ファウンドリ産業が軸となって作り出しつつある国際分業モデルは、世界

半導体産業の構造変化をも引き起こそうとしている。それはまた、一社によって、開発か

ら生産までを垂直統合型生産システムで担ってきたいわば「日本型モデル」の見直しを迫

るものである。既に台湾メーカーの製造コストの優位性は明らかになった。 このように分業ネットワークを構成する個々の企業にとっては弱点であるが、協業によ

りネットワーク全体をとしてはコスト優位性を生み出しているといえる。ここに専業・分

業ネットワークにおいる最大の利点が存在する。いずれにしろ、台湾半導体メーカーは、

このネットワーク分業によって成長してきたのである。*7 第4節 IT 不況期の日本半導体産業 半導体産業は現在激動の時代を迎えている。それは、2000 年末に端を発する IT 不況に

よるものである。これ以降日本半導体産業は低迷を続けており、各半導体メーカーが再編、

リストラを敢行しているのが現実である。実際、国内生産額、国内雇用も減少傾向にある。

これからの半導体産業の行く末を考えるうえで、この 2000 年末からの IT 不況ははずせな

い重要事項である。よってこの節では、次節の結論を導くためのステップとして、現在の

日本半導体産業の実状を示すことを目的とする。

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1.2000 年 IT 不況の発生要因 (1)IT ブーム マイクロソフトがウィンドウズ 95 を発売し、家庭にパソコンが急速に普及し始めたのが

1995 年あった。IT 業界が絶頂への道を昇り始めたのは、まさにこの年だった。 さらに同年、ビジネス・プロセス・リエンジニアリング(BPR=業務の根本的革新)を

合言葉に IT への投資が活発となり、BPR ブームと呼ばれるようになった。BPR は、米国

企業の構造改革を促し効果を発揮した。その効果は、研究開発なら研究開発に特化し、製

造や営業の機能はそれ専門にノウハウを蓄積した他社に委託するという、水平分業という

かたちで表れた。 また、米国で「ニューエコノミー論」が台頭したのも 90 年代半ばだった。これは、IT に

よる効率化でインフレなき持続的な経済成長が可能になるという理論で、これにより、好

景気がいずれ頭打ちになるという不安はかき消された。これがその当時の IT ブームの火付

け役となったのである。 しかし実際には、米国の IT 景気には、バブルが潜んでいた。「過剰設備投資」、「過剰在

庫」、「過剰株式投資」という3つのバブルである。*8 (2)3つのバブル

①「過剰設備投資」 米国経済全体の資本ストックは、2000 年の時点で過去最高を更新していた。これは、IT

ブームに乗じて企業が IT 投資を進めすぎた結果である。 これらの背景として、90 年代半ば頃から指摘され始めた、「2000 年(Y2K)問題」の存

在も見逃せない。Y2K 問題の解消を機に社内システムを一新した企業は多かったが、それ

は単なる需要の先食いにしか過ぎなかった。 さらに、この間、旺盛な IT 投資に引っ張られる形で非 IT の投資も積み重なっていた。

おのずと調整局面は訪れるものである。2000 年以降、米国の新規の設備投資、資本ストッ

クの伸び率は一気に減速に向かったのである。これが 1 つ目のバブルの破裂である。 ②「過剰在庫」 二つ目のバブルは、パソコンと、携帯電話によってもたらされた。パソコン需要に対す

る見込み違いは、米国の IT 設備投資の減衰とリンクしている。しかも法人向けだけでなく、

個人向け需要も 2000 年の後半になって急に冷え込んだ。これによりメーカー各社は大量の

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在庫を抱え込むことになってしまったのだが、年末商戦の需要増加を期待して、旧型製品

の工場在庫はそのまま市場に出荷された。しかし、年末の需要も芳しくなく、その結果、

それらの在庫は、2001 年前半まで中間流通業者に滞留し続けた。そのため、新製品向けの

半導体、電子部品がだぶつき、市況は一気に悪化したのである。 一方、携帯電話にも過度な期待が寄せられた。それは、99 年に NTT ドコモが開始した

「iモード」のヒット以来、ネット通信需要への期待が高まり、世界的に携帯電話への注

目度が高まった。 また、第 3 世代携帯電話と呼ばれる次世代規格への移行が世界各国で進んでいることも、

楽観的な需要予測を生じさせる土壌となった。しかし、第 3 世代携帯電話の開始は世界的

に遅れている。またそもそも、日本や欧州では携帯電話市場はすでに成熟化している。な

かなか軌道に乗らない次世代規格を前に消費者が買控え決め込んだことから、当初の需要

予測をと実際の間に大きな差が生じた。ここでも過剰在庫が生まれ、キーデバイスである

半導体の市況悪化を加速させたのである。 ③「過剰株式投資」 3つ目の投資は、「ベンチャーへ過剰投資」である。シリコンバレーのベンチャー企業に

ウォール街から莫大な資金が流れてきた。90 年から 98 年までの米国におけるベンチャービ

ジネスへの投資は 800 億ドルだったが、2000 年だけで 1000 億ドルという異常な投資が行

なわれたのである。 ところが、一貫して上昇基調にあった米ナスダックは 2000 年3月に史上最高の 5048 ポ

イントを記録するとその後は一転、下がり始める。万年赤字のネットベンチャーのメッキ

がはがれ始めたのである。「売り」の対象となったのは、電子商取引関連の銘柄だけではな

い。インターネット用の通信機器で急成長したシスコ・システムズも、経営が悪化してい

たことがわかった。シスコの売上拡大は、自社の製品の購入先に購入資金を融資するベン

ダーファイナンスを多用した結果だったのである。シスコは 2001 年 7 月期、ベンダーファ

イナンスの焦げ付き処理で 10 億ドルもの純損失を計上した。シスコだけではなく、ノーテ

ル、サン・マイクロシステムズといった IT 企業が、このベンダーファイナンスの後遺症に

苦しんでいる。 また、北米の通信関連のベンチャーも軒並み業績が低迷し、これらのベンチャーに投資

した企業本体の財務内容まで悪化させることとなったのである。

*これら米国の3つのバブルの破裂によってIT不況は始まったのである。 また、日本半導体企業は、もともと米国のITバブルにぴったり寄り添いながら、恩恵

を享受してきたため、米国発のIT不況に振り回される結果となった。2001 年度の国内

エレクトロニクス企業の決算は、文字通り総崩れの様相を呈したのである。

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2.2000 年 IT 不況が日本半導体産業に及ぼす影響 (1) 営業赤字の拡大 日立製作所、東芝、三菱電機、NEC、富士通などの日本の総合電機 5 社の 2001 年度の

営業損益は、前期に計上した 1 兆 2000 億円の黒字から一転してマイナス 3600 億円、また

同じく最終損益は、多額なリストラ費用が計上で 1 兆 3000 億円程度の赤字が見込まれる。

2000 年度末の 5 社合計の株式資本は約 6 兆円であったため、一年間で実に 21%もの株式資

本の毀損となる計算である。 収益悪化の最大の要因は半導体にある。5 社合計の半導体部門の営業損益は、前年度の

4360 億円の黒字から 5100 億円の赤字に転落、2001 年度の収益悪化要因の 60%を占めて

いる。 しかも、この収益の悪化は単年度にとどまらず長期的傾向にあるから、なお深刻である。

平成バブルの最盛期の 87年度から 91年度の 5年間の累計でこそ、総合電機 5社は 2兆 1700億円の最終利益を計上したものの、その後 5 年間は 1 兆 1300 億円の赤字、さらに直近 5 年

間は、実に 1 兆 5000 億円の赤字である。 確かに半導体は循環的なビジネスで、単年度で見ればある程度の好不況は避けられない。

だが、5 年間の累計でも大幅な赤字に陥っている現状は、極めて憂慮される。重電や大型コ

ンピュータが、かつてほど利益を生み出さなくなった面もあるが、直近 5 年間の最終損益

が赤字になった最大の要因は、むしろ半導体への投資効率の低下にあるはずである。直近 5年間で総合電機 5 社は約 3 兆円の設備投資を行なったが、営業利益は累計で 4200 億円の赤

字を計上、投資は回収できず、巨額のリストラ費用が発生している。 以上が、2001 年度の総合電機 5 社の営業損益である。この赤字の拡大を考察すれば、自

ずと日本半導体産業の現状が見えてくるものと思われる。まさに危機的状況にある。しか

もこれは、今に始まったことではなく、91 年以降続く、継続的傾向であることも注目すべ

き点である。IT 不況といわれる今、まさにこのような危機的局面を迎えているのである。*

9 (2) リストラ、雇用問題 かつて 80 年代には、DRAM で世界市場を圧倒していた日本の総合電機。ところが、90年代に入ると、徐々にそのシェアを落とし始め、96 年から 99 年前半まで続いた前回の

DRAM 不況では、韓国の三星、現代電子(当時)、米マイクロンに押され、DRAM 市場の

主要プレーヤーの座を完全に喪失した。 こうして、日本勢はそろって「DRAM 依存体質からの脱却」を打ち出し、確かに半導体

事業に占める DRAM の売上比率を減少させてきた。にもかかわらず、今回の IT 不況では

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DRAM 市況急落の直撃を受けてしまった。これは「DRAM 依存体質からの脱却」が、実は

中途半端だったことを示唆しているのではないか。いずれにしろ、この IT 不況により大規

模なリストラが敢行、または計画されているのは事実である。 各社は 2001 年夏以降、半導体の「事業構造改革」を相次いで発表し、人員削減、生産拠

点の統廃合などを打ち出した。さらに、2001 年 9 月の米国同時多発テロで、需要見通しが

一段と厳しくなり、追加のリストラ策発表に追い込まれた。 日立は 8 月末、国内外で 2001 年中に 14,700 人の人員を削減することを発表。このうち、

半導体部門は 2000 人を削減する計画だった。ところが、10 月には半導体部門でさらに 1100人を削減すると発表した。 富士通でも、10 月の 9 月中間決算発表の座上で、人員削減を従来計画より 4600 人多い

21,000 人にすると発表した。4600 人のうち、4100 人は北米の通信事業部縮小に伴うもの

だが、国内でも半導体、情報処理、通信の各工場の人員削減幅を拡大する。 東芝では、8 月下旬国内だけで 2004 年 3 月末までに新規採用との差し引きで約 18,000人の人員削減を実施すると発表。このほか、前工程のクリーンルームや後工程の拠点を今

期中にそれぞれ 3 割削減し、人件費を含む固定費を前期比 2 割減らす計画である。 NEC では、10 月に本社の半導体部門約 9000 人を一時帰休を実施している。本社社員の

一時帰休は、実に 74 年ぶりのことで、危機意識を持たせるのが狙いである。また、東芝や

三菱電機も一時帰休の年内実施を検討しているという。 (3)業界再編 巨額の営業赤字を抱え存亡の瀬戸際に立たされた日本の半導体産業は、再編・統合に光

明を見出そうとしている。2002 年 5 月 17 日に NEC が半導体事業の分社化を行い独立採算

の環境下で強化していくことを発表した。また、日立と三菱は事業統合を見据えた提携を

発表。さらに東芝と富士通がシステム LSI の開発で提携。さらには、NEC と東芝が次世代

メモリ MRAM 開発での提携が結ばれた。(表4―2参照) IT 不況後、総合電機各社の提携、統合などの再編が進んでいる。共同開発によって、シ

ステム LSI、次世代メモリである MRAM などの競争力の向上を図ろうとしている。これは

裏を返せば、それだけ日本半導体産業が死地に立たされていることを意味している。この

業界再編という動きも IT 不況期の新たな動向として位置付けられる。 3.日本半導体産業低迷の要因 (1) 米国半導体市場の独占 米国半導体メーカーは、マイクロプロセッサ分野でのシェアを独占している。これはマ

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イクロプロセッサのアーキテクチャーが著作権と特許で保護されているためである。その

ため、DRAM のように新しい会社が容易に市場に参入し、いわゆる汎用品となるようなこ

ともないのである。 今や世界のマイクロプロセッサ市場はメモリ市場をもしのぐ最も大きな市場を形成して

いる。この市場では、米国のインテル社のアーキテクチャーが 85%を占め、モトローラが

12%を占めている。このような市場構成は自然に形成された。なぜなら、マイクロプロセ

ッサが普及するばするほど、それ用のソフトウェアが書かれるようになり、ソフトウェア

が増えれば、そのマイクロプロセッサ搭載のコンピュータが売れるからである。 日本メーカーもマイクロプロセッサ市場への参入を試みたが、インテルの用意周到に張

り巡らされた法的な防衛線に引っかかり、参入を断念した。今日、日本メーカーが製造し

ているマイクロプロセッサは全てアメリカの設計によるものであり、その生産にはライセ

ンス料が取られている。 現在、DRAM に変わる新しい付加価値の高い製品を見出せないでいる日本メーカーにと

って、この米国の独占はあまりに手痛い。世界の市場で日本が競争力を発揮できない要因

には、このような米国の存在があるともいえる。*10 (2) 日本半導体産業に内在した問題 ①先見性を欠いた市場戦略 日本半導体産業は、全体的に DRAM を中心とした汎用メモリの生産に傾斜していた。こ

れら汎用メモリは不況の影響をもろに受けやすい。また、韓国、台湾メーカーなどのメモ

リ分野への参入により、厳しい競争下にある。結果、IT 不況の影響をもろに被ることにな

ってしまった。 もっと前の段階で、新事業への進出を積極的に行なっていたのならば、IT 不況の影響を

もろにこうむることもなかった。これは、日本半導体メーカーの市場戦略に対する先見性

の欠如を物語っている。

②日本型経営システム 日本型経営システムである年功序列の賃金体系が、優秀な人材を海外に追いやっている。

それは、日本の賃金体系が年功序列に従って支給され、能力があっても同じ賃金体系が適

用されるため、能力のある人材にとってはこれほどおもしろくないことはない。 このため、優秀な人材達は実力主義の海外メーカーに進出していくのである。これは、

優秀な日本の人材が海外メーカーに奪われていることを意味している。日本型経営システ

ムの根本的問題が指摘されているのはこのためである。

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(3) 最終製品の成熟化 パソコンや携帯電話は近年の半導体産業の最終需要として、半導体産業成長に貢献して

きた。しかし、それらが急速に普及した反動として、今後、新規需要は穏やかに減少して

いくことが予想されている。買い替え需要も当面期待しにくい。パソコンは、台数ベース

では 97 年~00 年に2ケタ成長を続けたが、02 年は前年比 1.0%増、03 年は 7.5%増、04年は 5.1%増にとどまる。携帯電話も 00 年までは2ケタ成長だったが、02 年は前年比微減

の 3 億 6300 万台、その後 03 年は買い替え需要で 5~10%増、04 年は 5%程度の成長を予

測している。一方、出荷額ベースでは、パソコンも携帯電話も供給過剰気味のため、今後、

単価は下がり、携帯電話は横ばい、パソコンは微減と見ている。 第5節 今後の取り組み ~日本で作らなければならない製品 前節では、IT 不況期の日本半導体産業の実状について分析してきた。その結果、現在日

本半導体産業危機的状況にあり、営業赤字の拡大、リストラ、業界再編などを繰り返して

いることが分かった。空洞化という視点に戻って考えると、半導体産業としては、空洞化

していなかったが、DRAM 製品としては空洞化が進んでいた。つまり、今後 DRAM がそ

うであるように、半導体産業も空洞化していく可能性は非常に高いと言わざるを得ない。

不況はさらにこれを助長させるかもしれない。そんな日本の現状を理解したうえで、今後

半導体産業はどうしていかなければならないのか。この節では、日本で作らなければなら

ない半導体製品を提示することで結論として締めくくりたい。それがこの章の結論となる。 1.総合電機メーカーとしての意義

第1節でも述べたが、日本の半導体企業は、総合電機メーカーという分類で括られる。

これは、開発・設計から製造、販売まで一貫して行なう垂直統合型の企業であること、そ

して、半導体事業が総合電機メーカーの一部門として存在しており、半導体の内製、外販

がなされているメーカーのことをいう。 自社内に半導体事業を持ち、そこで生産した半導体を自社最終製品に組み込む内製戦略

が総合電機メーカーにある以上、総合電機メーカーは半導体を生産し続けなければならな

い。つまり、日本国内に総合電機メーカーが存在し続ける限り、日本で半導体を生産しな

ければならないのである。これは、自社最終製品に組み込まれる半導体製品は絶対に空洞

化しないことを意味している。総合電機メーカーの最大の意義は、この内製戦略にあると

いえる。

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では、なぜ内製がなされるのだろうか。内製することのメリットとは何なのか。最大の

メリットは、半導体産業がユーザーニーズに応えるカスタム化へと移行していく中で、自

社内に最終製品を抱えることで、連携を密にしながら両者共に効率の良い製品開発が進め

られることにある。つまり、自社内需給関係により、カスタム化(専用製品化)しやすい

環境を築くことができるのである。 このメリットを考慮して、具体的に何の製品を日本で生産しなければならないかを次に

考えていく。 2.日本で作らなければならない半導体 総合電機メーカーとしては、自社最終製品を他社メーカーのものと差別化させることを

戦略とする。これを実現させるためには、半導体も差別化させなくてはならない。高性能

の最終製品を生産するためには、汎用半導体だけでは実現できない。ユーザーの希望する

機能を発揮できる半導体が必要になってくる。そこで必要とされるのが、カスタム製の半

導体=カスタム LSI である。日本の半導体企業が総合電機メーカーで、その最終製品部門

が高性能且つ、他社との差別化を望むのであれば、日本でカスタム LSI を作らなければな

らないのである。また、カスタム製の半導体の受注関係が築けたのなら、それはその関係

の中にスタンダードを築いたことになり、永続的な関係となることを意味する。つまり、

外的影響を受けづらくなるのである。不況期でも汎用製品ほどの影響を専用製品は受けな

くなる。つまり、空洞化を助長する不況対策にもなるのである。 結論として、私はこのカスタム製品を日本で作らなければならない半導体製品とする。

具体的には、ゲートアレイ、スタンダードセルなどのセミカスタム IC、民生用カスタム LSIなどのフルカスタム IC などである。また、現在、半導体メーカー各社がこぞって注目、開

発しているシステム LSI についても、力を入れていくべきである。まだ市場が完全に立ち

上がっていない現在に、先行開発していくのが重要なのではないか。 おわりに 以上、半導体産業について解明を試みたが、半導体産業の行く末は現段階で全く予測不能

の領域にあることを痛感した。半導体産業は、ちょうど今現在が産業の転換期であるよう

に思う。今現在は、IT 不況の影響により、危機的な状況にあるが、今後どのような動向を

みせていくのか、非常に興味深い。 この転換期に、企業は再編に次ぐ再編を行い、リストラが敢行される。その打開策に各社

が打ち立てているのはシステム LSI の開発である。何もかもが新しい。これほど変化の激

しい、激動の産業が他にあるのだろうか。

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しかし、私は思う。そんな激動の産業にもきっと可能性を見出せる分野が必ず、存在する

と。その考えのもと、今回この章を担当した。 結果、私は日本半導体産業の総合電機メーカーという日本独特の構造に注目したのである。

この構造を最大限利用すれば、これから起こるであろう空洞化の波を最小限に食い止める

可能性が見出せるのではないかと。 そして、その構造のメリットを考え、カスタム化しやすい環境且つ、カスタム化が必要と

いう事実に気付いた。つまり、カスタム LSI、これが重要なのである。これこそが空洞化を

寄せ付けることのない、日本で作らなければならない製品なのではないか。 今後の取り組みとして、総合電機メーカーという構造を最大限利用し、内製戦略を強化し、

カスタム化を図っていく。単純なようだが、これが今後取り組んでいく日本半導体産業の

方向性なのではないかと思う。

*1 「日本半導体産業の構造と世界的役割」中央大学商学部河邑ゼミナール

第3期生 内藤和弘、藤林昭宏、2002 年、P11 から抜粋 *2 「アカデミア 昭和 53 年 11 月号」経済経営学編 60 を参照

*3 「IC ガイドブック」社団法人 日本電子機械工業会、2000 年を参照

*4 「産業空洞化」中央大学商学部河邑ゼミナール

第2期生 山口和樹、石原大輔、寺島やよい、2001 年を参照

*5 「週間東洋経済 2001 年 11 月 10 日号」東洋経済新報社を参照

*6 「日本半導体産業の構造と世界的役割」中央大学商学部河邑ゼミナール 第3期生 内藤和弘、藤林昭宏、2002 年、P29 参照

*7 「ハイテクネットワーク分業」青山修二、白桃書房、1999 年を参照

*8 「週間ダイヤモンド 2001 年、11/17 号」ダイヤモンド社を参照

*9 「週間エコノミスト 2002 年 4/18 号、」を参照

*10 「日本半導体産業の構造と世界的役割」中央大学商学部河邑ゼミナール

第3期生 内藤和弘、藤林昭宏、2002 年を参照

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第 5 章 産業別考察―繊維産業― はじめに ~本稿の問題意識~ 繊維産業は衰退産業と言われ続けている。かつて日本の輸出指向型、つまり外貨獲得の

ためのリーディング産業であった面影は現在では見られなくなり、それは自動車産業や家

電産業にとって代わられ日本国内製造業における繊維産業の地位は低下し、多大に抱える

雇用が縮小の傾向を辿る。そんな繊維産業の空洞化問題がしきりに問われている。 そこでまず、この繊維産業の空洞化理論は果たして正しいのかどうか、その根本的な問

題についてまずは分析をおこなう。そしてどうして空洞化してしまったのか、その要因は

一般的な日本企業の海外進出に伴う国内生産の縮小だけなのだろうか。日本ではもう繊維

製品を作る必要性は失われつつあるのか。空洞化の現状とその要因について第一に把握し

たい。 しかしここで注意しなければならないことがある。繊維産業の構造はとても細かく複雑

な工程を有し、それぞれの工程で最終製品を産出でき、競争力を生み出すことができる。

この工程は一般的に川の流れに例えられるが、つまりは、繊維産業内でさらに細かく工程

を分析していかないと繊維産業の実態はつかめない、ということである。一方で空洞化現

象が伺えても、他の繊維工程分野では空洞化の影響がないかもしれない。 よって、一般的に空洞化が唱えられている繊維産業内に空洞化していない部分を見出し、

日本で繊維製品を作ることの重要性をここでの論点とする。 日本企業の海外進出によって日本国内にもたらされる繊維製品、または他国企業の繊維

製品のみにより、日本国内から『日本製』のタグのついた繊維製品がすべて喪失されるこ

とを私は望まない。なぜなら、繊維、特に衣類は我々の日常をクリエイトする、文化性、

芸術性に深く関わる製品だと私は考えるからである。日本で作るからこその、日本独特の

文化性、アートが産出されるのではないだろうか。必ず日本に残っている繊維産業分野が

あるはずである。 以上の問題意識にそって、日常生活において毎日身に纏うもの=『繊維』の生産基盤を

日本に残すための論文として、以下順次述べる。 第1節 日本繊維産業の特徴 1.日本繊維産業の規模 1990年における繊維産業の出荷額は約14兆円で製造業全体の4.3%をしめ、事

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業所数では約十三万、従業員数では127万と、電気機器製造業につぐ雇用者数(全雇用者

数の11%)を誇っており、この点でも繊維産業が労働集約的な産業であることがわかる。 さらに、下請けの家内縫製業者や流通、販売に従事している人数を加えると繊維産業に

関係する人数は300万人程度にもなると言われており、繊維産業は国民経済においても

重要な役割を果たしている。 2.日本繊維産業の構造 繊維産業の構造はきわめて複雑であり、一般的に、糸を作り出す化学繊維製造業や紡績

業が川上業界、ついで生地の段階である織り、編物業や染色業が川中業界、最後の縫製以

下が川下業界と呼ばれている。 欧米諸国では、大手化学メーカーが糸を生産し、紡績、織布そして染色加工まで一貫生

産しているのに対して、日本の場合、紡績は紡績業者が、織布は機屋が、というように、

糸から繊維製品に完成するまでの製造工程を各々の専門業者が担当しているのが一般的で

ある。例えば、衣服製造の場合、数種類の繊維原料を糸にして、それを織って布を作り縫

製するか、直接編物にして服となり、その間に染色や各種の加工が行われる。 このように最終製品にいたるまでの工程が多段階に渡っており、各工程ごとや扱う素材

ごとに業界も細分化され、そのうえ、各々の段階ごとに流通、販売業者が関与しているこ

とが業界構造の複雑さを増している。 3.日本繊維産業の零細性・地域性 川上の合繊、紡績業は大企業が中心であり、特に合繊は必要とされる技術水準が高く、

設備にも多額の資金を要する装置型産業であるため、参入企業も限られてきた。しかしな

がら、川中から川下業界にかけては、総じて労働集約的であり資本も少なくてすむことか

ら、中小零細企業が数多く存在している。事実、1990年の「工業統計表」によると、

繊維産業には約13万の事業所があるが、そのうちの約五割が従業員三人以下の零細事業

所となっており、中小零細企業がわが国繊維産業の主な担い手になっているのである。 こうした中小零細企業が多く存在することに関連して、日本の繊維産業の特徴として賃

加工携帯とられていることがあげられる。具体的には、織布業の場合その規模が零細であ

ることから、資金力、人材等の面から糸の購入、生地の販売等を自ら手がけることができ

ず、合繊メーカーに依存してきたという経緯がある。縫製業については、そもそもアパレ

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ルメーカーが自社工場を所有し縫製を行っていたが、規模の拡大、品種の多様化、労働コ

スト上昇等の問題から自社縫製の割合を少なくし、外部の縫製メーカーを協力工場として

グループ化し、賃加工の形態で縫製を委託することになったのである。 また、繊維産業は生活に密着した産業であるため、全国ほとんどの都道府県に密着して

いる。ただし、織布等の川中段階ではその歴史的な背景から特定の地域に集中し、例えば

京都の西陣の絹織物や北陸の合繊織物のように、いわゆる産地を形成してきた。産地にお

いては各部門が専門家、分業化されて熟練度のたかい生産、加工が行われている。このよ

うな産地は地域経済の中でも重要な地位を占めていることが多い。 第2節 日本繊維産業空洞化の現状 1.各工程別日本繊維産業の現状 (1) 日本紡績産業の現状 空洞化の騒がれる繊維産業の実態はいったいどうなのであろうか。日本の紡績産業から

みていくこととする。 綿紡機錘数の変移をみると、1973-83に1139万錘から856万錘へ25パー

セント減少し、1988-97年には856万錘から415万錘へと52パーセント減少

した。生産額については1960年に7000億円あったものが2000年には2500

億円にまで減少、従業員も同じ40年間で30万人から1万5000人にまで減少、衰退

の壮絶さが見て取れると思う。 この激減は、この間の海外生産の拡大により、企業レベルの激減には直結しないのだが、

海外展開できない紡績企業の場合には相当深刻な問題である。 これより紡績産業の歴史的変遷を追っていく。1973年から1980年代後半くらい

までは不況カルテル、設備削減、脱紡績戦略が展開された。この他方で、この時期には企

業は増錘企業と減錘企業とにわかれ、1985年には第四位までの企業と第五位以下の企

業とのあいだに紡錘数で大きな差が現れた。設備面では紡錘の高速化による生産性増が主

流であった。 企業経営としての脱紡績戦略は、繊維の中でのテキスタイル、及び二次製品重視、さら

に脱繊維戦略となって現れ、海外繊維生産も深刻な不況の中で見直し・縮小が迫られた。 このように、紡績産業は他の産業と異なり、バブル景気の最中に一段の縮小を開始した。

この時期には全てのグループが減錘したが、この時期には不況カルテルも、設備の共同廃

棄、法的裏づけをもった協調的な設備処理も行われていない。

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ともあれ、国内生産縮小、従業員減少と、紡績産業の衰退像はかなり深刻なのが現状で

ある。 (2) 日本合繊産業の現状 合繊産業は、工業統計上では化学工業に分類される。また、その仕組みも労働集約的で

はなく、設備投資型の装置産業であるため、一般的な他の繊維産業とは質を異なる。 そんな合繊産業の現状はどうなのだろうか。1960年からの統計では、当初2500

0人の従業員数は1973年までの52000人と、ここまでは伸びつづける。しかしそ

こから7年ほどデータ不明の時期が続き、データが復活する81年には27000人まで

に減っている。そこから徐々に徐々に減りつづけ、2000年段階では15000人しか

いない。 生産額はどうだろうか。こちらも従業員と似た変移をたどる。1960年には1300

億円だった生産額は多少の停滞はあるものの、1990年くらいまでは年々増加し、90

00億円近くにまで達している。しかしそこからは減少しつづけ、今日では6800億円

と大幅な減少を辿っている。 総じて従業員数は減少傾向にあり、生産額は伸びつづけながら最近では不振、というの

が現状であろう。この従業員数の減少は、海外移転もあるだろうが装置産業の性質からく

る設備機能の効率化からくる雇用の削減だと思われる。その結果として、生産額は年々上

昇しているからである。これは空洞化していないと判断できるだろうが、繊維産業の労働

集約的要素からは本質的に離れるため空洞化の影響か否か判断しかねる。よって、合繊の

可能性については今回の考察からははずすこととし、他の一般的な繊維製品に活路を見出

すことを目標とし、後を追っていく。 (3) 日本織物産業の現状 織物業の現状についてはどうだろうか。1960年次には47万人いた従業員数も今で

は6万人にまで減少してしまった。生産額の推移についてだが、1960年の5500億

円から1980年くらいまでの二兆円までは、伸びを続ける。しかし1985年からは生

産額が急に落ち始める。これは、繊維産業の特徴=加工輸出製品という性質とひどく重なる。

ちょうど85年はプラザ合意が締結された年である。この年から急激に円高がはじまり、

輸出が困難になったことを考えたら、この織物の衰退も納得できるのではないだろうか。

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(4) アパレル産業の現状 ここでいうアパレル産業とは、衣類製造業のことを指す。その衣類製造業は、1960

年から従業員、生産額ともに右肩上がりで増加した。それは1990年までで、20万人

から57万人へ、2000億円から4兆円へと、著しい成長を遂げたといえる。 しかしそれ以後、バブルが崩壊してからが問題である。それ以後今日までで、従業員は

10万人喪失、繊維産業の半分を担う衣類製造業のうちの20パーセントがここ10年で

喪失されたことになる。衣類の母体が大きいだけに、この減少数値はかなり悪い数値と判

断できる。生産額も徐々にではあるが、縮小の一途を辿っている。 総じて、今まで参入しやすく、上昇傾向にあった衣類製造業ではあるが、最近は陰りが

見え出したといえる。それも雇用の枠の減少が実数値で顕著であるため、問題が起きてい

ると読み取ることができるのではないか。 今までの四産業を総括すると、まずはどこにおいても雇用の減少は顕著であるというこ

と。生産額も合繊を除いては一向に下降した傾向にあると読み取れる。よって、生産能力

とそれを担う労働者数が衰退しているというデータが取れたことになる。 では、その衰退という影響はどこからくるものだろうか。現段階では繊維産業の衰退事

実を突き止めたに過ぎない。産業空洞化を語る上で、企業の海外進出を見なければ空洞化

理論は証明できない。だから、次に海外進出実態について考察していくこととする。 2.日本繊維産業の海外進出実態 (1) 日本繊維産業の海外進出動向 今までわが国繊維産業はどのように海外進出を果たし、国際展開して来たのだろうか。

それが裏目に出た結果が空洞化現象であるが、その発端はいかなるものだったのだろうか。

その動向について、これより考察していくこととする。なお、ここで扱うのは1950年

代後半の歴史的実態についてである。 まず、1955年から1969年にかけて、関税障壁の克服、原料調達地立地を目指し、

紡績を中心に中南米、東南アジアに進出した。1965年以降には、合繊企業の海外進出

も活発化することとなる。

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次に1970年から1974年にかけて。ドルきり下げ等により、輸出主導型成長に限

界が生じるとともに、輸出先国において輸入代替化工業政策がとられたこともあり、テキ

スタイル分野(糸、織物、染色加工)を中心に、輸出代替(輸出商権の維持)として、東南アジ

アに進出した。したがって、新たなる市場開拓が目的であったため、この時点では日本へ

の持ち帰り=逆輸入がまだほとんどなかった。 そして1975年から1986年にかけて、発展途上国の自自給化の進展、オイルショ

ックにより現地法人の見直しが行われた。この結果撤退するものと、スリム化、体質強化

を図るものとに選別淘汰された。 1987年以降は、円高の定着、国内の労働力不足、中国の国内改革を背景に、労働集

約的なアパレル(縫製)を中心として、中国、東南アジアに日本向けの生産基地が急拡大。テ

キスタイル分野(糸、織物)においても円高の定着にともない、海外生産拠点の拡充が進みつ

つある。 テキスタイル分野では、第一次オイルショック以前に進出した多数の合併企業が、見直

しをせまられた1975年から1986年の間において淘汰され、または有力な生産基地

に選別されていった。 このため、円高定着後は新規投資のリスクを最小限にとどめるため、既存生産基地の拡

充・強化を中心に国際展開が進められている。ただし、もともと海外生産の基盤を有し、

状況変化に応じて国際展開を拡大している企業と、海外生産の基盤を有さず、国内生産を

中心とする企業とに二極化する傾向があった。また、糸だけの生産から紡績、織物、染色

加工の一貫生産が中心になりつつあり、さらに最近では縫製分野とのつながりをもつケー

スもみられる。 円高のなかでアパレル分野も急速に輸入気運が高まる一方、国内の労働力不足が深刻化

した。これに対し、縫製業者も国際展開に関心を示し、展開先についての情報を有する商

社と一緒になって国際展開を始めた。 このように、川上の紡績から順に合繊、織物、アパレルと順順に海外移転していること

がわかる。 (2) 日本繊維産業の海外進出目的 テキスタイル分野(糸、織物、染色加工、ニット製生地)での主要な動機は消費者立地であ

る。このうち、輸出代替という受身的なものにとどまらず、新規需要開拓を目指した積極

的なものも多く存在する。 アパレル分野の海外進出目的は、安い人件費、国内の労働力不足といった労働力の劣位

が大半をしめる。よって、労働集約的な仕事の縫製等を労賃の安い海外でおこない、完成

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品を日本へ逆輸入する、という構図ができあがったのである。 (3) 日本企業海外進出の件数と金額 実際、海外投資件数、金額は年々上昇している。相手としてはアジア、それも近年はと

くに中国への投資が盛んである。1987年から1997年までの繊維産業10年間で、

海外での現地法人の従業員数は15万人から20万人へと増加した。これは、空洞化のさ

けばれる家電産業についで二位の数字である。 海外投資件数は1970年には繊維産業で43件だったものが、年々上昇を記録し19

90年には200件という数値を記録している。 金額については1970年で4900万ドル、から1990年の8億ドルへと大幅な増

加を示している。 つまり、日本企業の衰退と平行して海外への生産基盤の移行が活発であったことがこれ

により証明できる。 3.日本繊維市場の輸入の拡大 (1) 輸入増加の実態 それでは、繊維製品の需給関係はいったいどうなっているのだろうか。国内生産が落ち

込み、海外進出が活発化している事実を知った。つまりここまでの要素で、日本企業の海

外進出に伴う国内生産縮小、すなわち空洞化が判明したわけである。 ここで見て行きたいのは、その海外進出した日本企業の持ち帰り品、逆輸入品が日本の

需要をどれだけ侵食しているかということである。これにより、海外製の安価な製品の氾

濫により国内製品の市場確保の困難が導かれ、廃業へと迫られる事実が繊維産業には多い

のである。中小・零細企業を多く抱える繊維産業にとって、これは大きな問題である。で

は、その輸入の実態とはどれほどのものなのか。これより見て行きたい。 繊維製品、原料の輸入の合計は1975年に27億ドルであったものが15年後の19

89年には150億ドルと、五倍以上も膨れ上がっている。この中で特に顕著なのが衣類

の輸入量である。例えば1989年の輸入150億ドルのうち、もっとも割合を占めるの

が衣類でその額は100億ドルに上る。

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(2) 主な取引相手国 主要な取引相手国は現在では中国である。ついでイタリア、韓国、アメリカ、と続くの

であるが、その中国の輸入額が半端ではない。1997年の数値で、1兆2000億円に

対しイタリアは1900億円と、一桁離しての輸入額である。 これらは、安価な労働力を求め海外進出していった日本企業からの持ち帰りも含まれる

ため、海外進出の大きな波状効果が日本に見返りとして空洞化という現象をうみだすこと

となったのである。 第3節 繊維産業空洞化の要因分析 1.プラザ合意による円高 そもそも輸出主導型であった繊維産業が内需主導型へと転換せざるを得なかったのは、

このプラザ合意に端を発する円高が要因であると私は判断、主張する。このプラザ合意以

前の海外進出は、先にも述べたとおり輸出主導の延長であった。というのは、現地販売が

目的であったため、逆輸入が目的ではなかったからである。それが円高のため輸出が困難

となり、内需を潤わせるための産業へと転換してしまった。そして続く円高のため労働力

の賃金格差から海外へ進出し、またそれも内需主導という中での行動であったため、生産

品の行き先は日本へとなってしまった。 総じて、1985年9月、プラザ合意が行われて、異常円高が起こり、日本のそれまで

の産業構造に変化が生じ始めた。特に、繊維・アパレル産業の円高の影響は史上前例のな

いものであり、大きな変貌を遂げた。単純に繊維・アパレルの海外生産品が大量に日本に

輸入され、海外進出する企業が増大したというばかりでなく、産業構造上の変化を呼んだ。

この輸入品は円高による賃金格差から人件費の安価な海外へ進出した日本企業によっても

たらされたものがほとんどであり、進出企業は国際競争力の向上をはかれたものの、日本

国内に残された力のない中小企業は衰退への道を余儀なくされた、というわけである。 第4節 日本製の繊維製品 以上見てきたように、繊維産業では日本企業の海外移転による多大な輸入、または外国

の純輸入品によって国内生産が蝕まれ、日本の繊維国内生産が縮小するとういうすなわち

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空洞化問題が起きていることがやはり突き止められた。 このまま国内繊維産業は輸入品に市場をとって変えられ、その存在を喪失してしまうの

か。空洞化の影響を受けていない繊維産業は存在しないのだろうか。 そんな中で、人の手によって国内生産を行っている製品を見つけた。空洞化が進む中で、

未だにこれらは海外に出さず、日本で作っているのにはわけがある。 日本でしか作れない、その要因を探していきたい。

1.靴下の国内生産実態 靴下製造業はこの空洞化の中において、ここ40年いまだ雇用を確保しつつ、生産額を

伸ばしてきた産業である。その推移は、1960年において従業員2万3000人、生産

額200億円であったこの産業は、最近では2000年の統計で1万8000人、生産額

2200億円と、雇用に関して多少減少があるものの、生産では大幅に伸ばしてきた。そ

の生産額も、最近はその数字を維持するにとどまっているが、巨額な生産をいまだ有して

いると捉えられる。 靴下の国内の有数産地として奈良があがる。そこでは安価な輸入品のため、単価を下げ

なければならない状態にあり悲鳴をあげているという。つまりの靴下の零細企業において

は空洞化の影響が出始めている、と取ることができる。ではなぜ靴下製造業の生産額が伸

張、あるいは意地することができるのか。 2.海外ブランド靴下の国内生産実態 日本では、多数の海外有名ブランドの靴下を製造している。業界最大手の福助ではバー

バリー、ディーケイエヌワイ、エル、ヴィヴィアンウェストウッドなどのブランド物を。

また奥村メリヤス株式会社でもバーバリー、ダンヒル、コムサ、ランバンなどの靴下を製

造している。 なぜバーバリーのようなブランドが海外の自国で製造せず、わざわざ日本に委託して製

造しているのだろうか。 3.海外ブランド靴下国内生産の要因

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廉価ものの靴下と高級ブランド靴下の決定的な違いは何であろうか。それは縫い目であ

る。つま先の縫い目が、雑とは言わないまでもしっかり立体的に盛り上がって仕上がるの

が廉価モノの靴下である。それに対し、 高級靴下にはその縫い目の盛り上がりがない。きれいになめらかな表面となって仕上が

るのである。この技術は機械に代替されない、人の手によって為される技なのである。そ

の技術力を有するのが日本の熟練という存在である。 靴下分野は日本でとりわけ強く、ストッキングにおいても世界ではじめてシームレスス

トッキングを開発したのも日本であった。 熟練の存在が外国高級ブランド製造者の目にとまり、わざわざ外注を依頼してくるので

ある。 おわりに 以上このように繊維産業全般に渡って考察してきたわけではあるが、全体的に空洞化の

色はかなり強い。輸入品による国内生産縮小で衰退の道をたどっている。その結果、なに

より多大に抱える雇用が侵食されてきているため、その受け皿も整っていない今、繊維産

業の危機はよりいっそう顕著なものである。しかし現状でこれを食い止めるのはかなり困

難なことに思われる。 そこで繊維産業はどうしたらよいか。本論文で、繊維製品を作る際に熟練にしかできな

いことがあり、それが世界有名ブランドに注目され実際日本でとどまり作りつづけている

事実を発見した。これはつまり日本繊維産業の技術力は世界有数のものであることの裏づ

けでもある。 日本の繊維業界は工程別で区切られているため、企業間連携の体制がしっかりしていな

いことが問題としてしばしば取りざたされる。紡績と織布、織布とアパレルなど、そのつ

ながりが脆弱であるため価格に押されてその取引相手を即座に海外にのりかえてしまう 日本繊維産業の中にはまだ世界屈指の熟練が、靴下に限らず他の分野にも存在すると考

える。彼らの作り出す素材、製品の存在を日本企業は知らないケースが多い。それは企業

間連携の薄さからも伺えるが、そこを強化し、熟練を掘り出して、日本繊維産業の工程全

体でいったいとなり繊維製品作りをおこなっていくことが重要ではないだろうか。 熟練の存在が、繊維製品の日本国内での製造を決定付け、また繊維産業活性化の要因に

なることを、改めて主張する。

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終章 製造業の空洞化は確実に進展している。これは、まぎれもない事実である。第1章で示

したとおり、日本において製造業とは、高い生産性を有する産業であり、加工貿易国であ

る日本にとって外貨獲得の手段として、非常に重要な存在である。この事実からも、私達

は「このまま日本の製造業が衰退し続けてしまっていいのか。」という問題意識のもと研究

を行った。そこで、本論文において追究していったことは、日本においていまだに空洞化

していない分野の存在である。 第2章以降の個別産業分析では、海外進出が促進している自動車産業、家電産業、半導

体産業、繊維産業、これらについて分析をおこなった。そして分かったことは、これらの

産業についてさえも、すべて国外に移転されてしまうことはないという事実、日本国内に

生産拠点をおくことの優位性が依然として存在しているという事実がはっきりした。具体

的にいうならば、産業集積、地域性、総合電機メーカーのような日本独自の生産体制、他

国に負けない日本の熟練といったような日本国内での優位性がまだ存在することであった。

これらは、産業空洞化の対応策に一縷の光明をもたらすのではないかと私達は考える。 しかし、本論文は、空洞化への対応策における過渡的段階にすぎない。現実に企業の海

外進出や諸外国の台頭などによって製造業に従事できなくなってしまった人達の存在、さ

らにこの状況が進行していくと必ず訪れるであろう日本製造業の地位の低下などというよ

うな問題を解決していくことが空洞化の対応策だと私達は考える。すなわち本論文は、産

業の空洞化への対応策への布石であることをここで確認しておく。

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参考文献 第 2 章 早稲田大学商学部 『自動車産業のグローバル戦略』 中央経済社 1995 橋本輝彦 『国際化のなかの自動車産業』 青木書店 1986 藤本光夫、大西勝明 『グローバル企業の経営戦略』 ミネルヴァ書房 1995 年 伊丹敬之 『日本の自動車産業何故急ブレーキがかかったのか』 NTT 出版 1994 丸山惠也 『アジアの自動車産業』 亜紀書房 1994 丸山惠也 『東アジアの経済圏と日本企業』 新日本出版社 1997 木村準一 『自動車産業ハンドブック』 日刊自動車新聞社 各年版 四宮正親 『日本の自動車産業 -企業活動と競争力:1918~70-』 日本経済評論社

1998 年 天谷章吾 『日本自動車工業の史的展開』 亜紀書房 1982 年 鈴木良次 『日本的生産システムと企業社会』 北海道大学図書刊行会 1994 白澤照雄 『自動車業界』 教育者 1990 年 下川浩一 『自動車』 日本経済新聞社 1993 年 下川浩一 『日米自動車企業攻防の行方』 JAMA レポート NO.79 『米国における日本の自動車産業』 大野耐一 『トヨタ生産方式』 ダイヤモンド社 2002 年 池田正孝 『円高以後における自動車サプライヤー・システムの構造変動に関する調査研究』 研究

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刊経済研究』第 15 巻 第 4 号、1993 年 3 月、26-46 ページ、52-71 ページ) 中川洋一郎 「中小機械工業における多品種少量生産の実態」 (『経済学論纂』第 41 巻 第

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年 11 月、23-94 ページ) 第3章 「日本経済 21 世紀への課題」第11章 日本の雇用創出と雇用安定 樋口美雄 「リストラクチュアリング 労働と生活」戸木田嘉久編 大月書店 1990 年 「空洞日本」鎌田慧 岩波書店 1995 年 「10年デフレ 日はまた昇る」斉藤精一郎 日本経済新聞社 1998 年 「産業『空洞化』と雇用・失業問題」労働者教育協会編 学習の友社 1988 年 「家電業界」小泉秀夫 教育社 1990年 「家電」大道康則 日本経済新聞社 1993年 「家電(改訂版)」 山内一三 日本経済新聞社 1990年 「家電産業成長の軌跡」 若林直樹 (株)電波新聞社 1992年 「現代日本産業の構造と実態」編者 産業構造研究会 新日本出版社 2000 年 「統計にみる日本経済」編 吉田忠 石原健一 世界思想社 1998 年 「松下グループの歴史と構造」下谷政弘 有斐閣 1998 年 「全解剖 空洞化する産業しない産業」長銀総合研究所 東洋経済新報社 1996 年 「日本経済の歴史的転換」 中谷巌 東洋経済新報社 1996 年 「家電産業の新たなアイデンティティ」大貝威芳 1997年3月 「アセアン展開にみるわが国家電産業の現状と今後」『中小公庫月報』1996年11月 「日系電機企業の海外進出と国内産業・雇用への影響」全日本電機・電子・情報関連産業

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「半導体新聞 2002 年、6/1 号~11/15 号」 4.雑誌 「週間東洋経済 2001 年 11 月 10 日号」東洋経済新報社

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