8
1Memento Mori 2017 3 27 日㈪ 短いようで長い長い 25 年でした。“山梨の地にホス ピスを!”との願いを持つ 多くの県民・市民の方々が 集まり発足した「山梨ホス ピス研究会」。会を立ち上げてくださった皆様の ご苦労は並々ならぬものだったと思います。心よ りお礼を申し上げます。 歴代の理事の方々のご苦労も忘れられません。 ホスピスケアの啓蒙・普及では毎年毎年の講演 会・研修会に集まって下さった方は数えきれませ ん。横山理事長他 3 人で多くの各種団体への会 合に出席させて頂き会員の募集・寄付金のお願 いに奔走したものです。資金集めでは 21 回の映 画会は会員の皆様に多くのご協力を頂きました。 シェアリングフェスタでの遊休品・手作り品の提 供、今井副理事長のご指導でパウンドケーキをボ ランティアの方々と毎年 150 本を焼き販売いた しました。柿・ナスを提供して下さる方もありま した。この様に多くの皆様のご厚意によって会が 継続、成長してこられたと思います。ホスピス病 棟の建設の為に会員の皆様のご協力を得て多くの 署名が集まり県知事、県議会議長、県医師会長に 27,000 名の署名簿を提出いたしました。患者さ ん、ご家族の支援では「電話相談ホスピス 110 番」 を開設し訓練を受けた会員の方々が事務局に詰め て電話当番を担当いたしました。2000 NPO 法人を取得し「NPO 法人山梨ホスピス協会」と なりました。2003 年ホスピス機能を有する「玉 穂ふれあい診療所」、2005 年山梨県立中央病院 緩和ケア病棟が開設されました。私たちにとって は大きな喜びでした。2006 年がん対策基本法が 国会で可決され、それ以降のがん医療に対しての 関心と進展は目を見張るばかりです。しかし、が ん患者さんご家族の不安と苦悩は計り知れませ ん。相談でお会いした方は 100 名を超えました。 このうち 70 名の方々とのお別れがありました。 いつかお別れすることもあると覚悟はしているも のの知り合った人を失うことに幾度となく心を痛 めてきました。中でもいつも声を掛けて励まして くださった理事の先生方とのお別れは本当に辛い ものでした。がんサロン「ぶどうの会」は集まる 皆様に少しでもホッとできる語り合える場を・・・ との思いで始めました。8 年が経過しました。多 くの方々との出会いが私の宝物となりました。今 までご支援、ご厚情を頂きました皆様に心よりお 礼を申し上げます。この度 25 年を期に私は理事、 および事務局長を今年度で退任させていただくこ とになりました。長い間本当にありがとうござい ました。 20173 27日㈪発行 № 77 NPO 法人 山梨ホスピス協会 400-0027 甲府市富士見一丁目 2-12 TEL 055-251-3505FAX 055-251-6155 E-mail:[email protected] Homepage:http://www.ymnshospice. server-shared.com 77 号目次  ・山梨ホスピス協会 25 佐藤逸子… 1 2016 年度 ホスピス研修講座 「緩和ケアの今とこれから」 阿部文明… 2 ・ピアサポートの紹介  窪田恭子… 5 ・本の紹介……………………………… 7 ・事務局だより・編集後記…………… 8 土曜日・日曜日を除く、 いつでもどうぞ ホスピスについて終末期を迎えられた患者さんとご家族のご相談に応じます。 ♥電話は専門教育を受けたボランティアが対応します。 ♥各分野の専門家が全面的に応援します。 《医師・看護師・ソーシャルワーカー・宗教家・栄養士・カウンセラー・ 法律家・税理士》 ♥プライバシーは堅く守られます。  ♥相談は無料です。 ―メメント・モリ(正しくは、メメント・モオライ)はラテン語で 「死を想え」の意味・一日一日を大切に生きましょう― 山梨ホスピス協会 25 年 事務局長 佐 藤 逸 子

2017年3月27日㈪発行 77(2) Memento Mori 2017年3月27日 緩和ケアの今とこれからと いうお話です。まずは緩和ケ ア外来の受診と、緩和ケア病

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Page 1: 2017年3月27日㈪発行 77(2) Memento Mori 2017年3月27日 緩和ケアの今とこれからと いうお話です。まずは緩和ケ ア外来の受診と、緩和ケア病

(1)Memento Mori2017 年 3月 27日㈪

 短いようで長い長い 25

年でした。“山梨の地にホス

ピスを!”との願いを持つ

多くの県民・市民の方々が

集まり発足した「山梨ホス

ピス研究会」。会を立ち上げてくださった皆様の

ご苦労は並々ならぬものだったと思います。心よ

りお礼を申し上げます。

 歴代の理事の方々のご苦労も忘れられません。

ホスピスケアの啓蒙・普及では毎年毎年の講演

会・研修会に集まって下さった方は数えきれませ

ん。横山理事長他 3 人で多くの各種団体への会

合に出席させて頂き会員の募集・寄付金のお願

いに奔走したものです。資金集めでは 21 回の映

画会は会員の皆様に多くのご協力を頂きました。

シェアリングフェスタでの遊休品・手作り品の提

供、今井副理事長のご指導でパウンドケーキをボ

ランティアの方々と毎年 150 本を焼き販売いた

しました。柿・ナスを提供して下さる方もありま

した。この様に多くの皆様のご厚意によって会が

継続、成長してこられたと思います。ホスピス病

棟の建設の為に会員の皆様のご協力を得て多くの

署名が集まり県知事、県議会議長、県医師会長に

27,000 名の署名簿を提出いたしました。患者さ

ん、ご家族の支援では「電話相談ホスピス 110 番」

を開設し訓練を受けた会員の方々が事務局に詰め

て電話当番を担当いたしました。2000 年 NPO

法人を取得し「NPO 法人山梨ホスピス協会」と

なりました。2003 年ホスピス機能を有する「玉

穂ふれあい診療所」、2005 年山梨県立中央病院

緩和ケア病棟が開設されました。私たちにとって

は大きな喜びでした。2006 年がん対策基本法が

国会で可決され、それ以降のがん医療に対しての

関心と進展は目を見張るばかりです。しかし、が

ん患者さんご家族の不安と苦悩は計り知れませ

ん。相談でお会いした方は 100 名を超えました。

このうち 70 名の方々とのお別れがありました。

いつかお別れすることもあると覚悟はしているも

のの知り合った人を失うことに幾度となく心を痛

めてきました。中でもいつも声を掛けて励まして

くださった理事の先生方とのお別れは本当に辛い

ものでした。がんサロン「ぶどうの会」は集まる

皆様に少しでもホッとできる語り合える場を・・・

との思いで始めました。8 年が経過しました。多

くの方々との出会いが私の宝物となりました。今

までご支援、ご厚情を頂きました皆様に心よりお

礼を申し上げます。この度25年を期に私は理事、

および事務局長を今年度で退任させていただくこ

とになりました。長い間本当にありがとうござい

ました。

2017年3月27日㈪発行

№ 77NPO法人山 梨 ホ ス ピ ス 協 会〒400-0027 甲府市富士見一丁目 2-12TEL 055-251-3505・FAX 055-251-6155E-mail:[email protected]:http://www.ymnshospice.server-shared.com

 第 77 号目次 

・山梨ホスピス協会 25 年

            佐藤逸子… 1

・2016 年度 ホスピス研修講座

 「緩和ケアの今とこれから」

            阿部文明… 2

・ピアサポートの紹介  窪田恭子… 5

・本の紹介……………………………… 7

・事務局だより・編集後記…………… 8

土曜日・日曜日を除く、

いつでもどうぞ

♥ホスピスについて終末期を迎えられた患者さんとご家族のご相談に応じます。

♥電話は専門教育を受けたボランティアが対応します。

♥各分野の専門家が全面的に応援します。

  《医師・看護師・ソーシャルワーカー・宗教家・栄養士・カウンセラー・

法律家・税理士》

♥プライバシーは堅く守られます。  ♥相談は無料です。

―メメント・モリ(正しくは、メメント・モオライ)はラテン語で       「死を想え」の意味・一日一日を大切に生きましょう―

山梨ホスピス協会 25 年 事務局長 佐 藤 逸 子 

Page 2: 2017年3月27日㈪発行 77(2) Memento Mori 2017年3月27日 緩和ケアの今とこれからと いうお話です。まずは緩和ケ ア外来の受診と、緩和ケア病

(2) Memento Mori 2017 年 3月 27日㈪

 緩和ケアの今とこれからと

いうお話です。まずは緩和ケ

ア外来の受診と、緩和ケア病

棟入院の実際のところをお話

ししたいと思います。

【緩和ケア外来の受診】 主治医の先生から具合いが悪いところがあって

紹介されることが多いので、緩和ケア外来ではま

ず、「具合が悪いところはどこですか」と聞きます。

例えばお腹が痛いとか、心が痛いとか、そういう

症状をお聞きして、多くの場合はお薬で対応しま

す。手でさすった方がよい場合もあります。

 もう一つは、がんに対する根本治療 ( 手術・放

射線治療・抗がん剤 ) ができなくなった時にどう

するかの相談です。どのあたりでがんに対する治

療をやめるのかが問題なります。治療ができなく

なったら、・・・悪い言い方をすると“がんの治

療をあきらめる”という形になりますが、ずっと

がんの治療をしているとかえって体に害を及ぼす

こともあります。抗がん剤はがんだけではなく、

自分の良い細胞までかなりやっつけてしまいます

ので、どちらが良いかというバランスが大切です。

あまりにも体調がよくない時に無理やり抗がん剤

治療をすると、自分の良い細胞の方を沢山やっつ

けてしまって、かえって具合いが悪くなります。

そういう時はがんに対する治療はあきらめて症状

に対する治療をしたいのですがどうでしょうか

と、話しします。こういう話はニュアンスが難し

くて、「まだまだ治療したいのに無理やりあきら

めさせるのか」とならないように、一生懸命お話

しします。そのあとは症状の治療のための通院を

していただきます。

 そして緩和ケア病棟に入院希望があるときは、

緩和ケアの関係者が集まった『緩和ケア病棟入退

棟判定委員会』の会議で入院してもよいかという

ことが話し合われます。これはこの病院だけの決

まりではなく、全国の緩和ケア病棟でそうするこ

とが決まっています。ここで、こういう状況になっ

た時に緩和ケア病棟に入院としましょうとか、ま

だ入院に納得できていないようなのでもう少し説

明してからにしましょうなどと話し合います。そ

の結果をご本人、ご家族や紹介していただいた主

治医の先生にご報告します。

 病気が進んでも、がんをやっつける治療をどう

しても続けたい方には入院して主治医の先生に診

てもらいながら、緩和ケアの専門チームが回診し

て症状が軽くなっていくようにお手伝いしたり、

薬を出したりします。そして、症状を取る治療に

専念しましょうという時には、緩和ケア病棟に入

院していただいています。しかし、そのまま入院

しているのではなく、症状が改善すれば退院する

方もいます。緩和ケアの専門的な治療が必要では

なくなって、状態が落ち着いているときには、療

養型の病院に移っていただくこともあります。

【緩和ケア病棟の入院】 緩和ケア病棟が開設したころは、七夕会、十三

夜さん、クリスマス会、みんなで歌たったり、ホ

スピス協会員がお茶のサービスをしたりしていま

した。( あるご家族の写真を紹介し ) 症状緩和を

して幸せな感じです。病状がすすんでくるとお亡

くなりになる方もいますが、症状が軽くなって帰

られる方もいますし、このような形で時を過ごし

ました。

 緩和ケアというのは苦痛な症状からの解放で

す。過剰な延命治療をして命を延ばすより自然な

流れに任せます。心理的、霊的 ( スピリチュアル

といいますが ) な気持ちの面にも配慮したケアを

していきます。亡くなる方も多いですが、死を迎

えるまで生きていくということに焦点を当てて、

ケアしています。

2017 年 1月 28日(土) 於:山梨県立中央病院

「緩和ケアの今とこれから」2016年度 ホスピス研修講座

阿 部 文 明講師ホスピス協会理事山梨県立中央病院緩和ケア科医師

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(3)Memento Mori2017 年 3月 27日㈪

【変わりつつある緩和ケア】 山梨の緩和ケアの歴史を振り返ります。1992

年 山梨ホスピス協会が発足しました。2003 年

にホスピス型有床診療所『玉穂ふれあい診療所』

が開院、2005 年に山梨県立中央病院9階に緩和

ケア病棟が開棟しました。緩和ケアに関する病棟

はこれ以降できていません。全国的には緩和ケア

病棟は増えていますが、山梨では増えていません。

 山梨ホスピス協会のあゆみも紹介します。

1992 年山梨ホスピス研究会という名前で発足し

ています。当時山梨にホスピスがなかったので『山

梨の地にホスピスを !!』をスローガンに始まりま

した。1997 年に現在の事務所に移転しました。

その後、ホスピスを作ろうという運動が盛んにな

り、それが結実して山梨県立中央病院に緩和ケア

病棟ができました。2016 年に 25 周年の記念講

演をしています。

 今は“がんと診断された時から緩和ケア”をす

るようになっています。がんをやっつける治療や、

がんが大きくなるのを抑える治療をしながら、症

状を取る治療を並行して行っていきます。今注目

されているのはこの「早い段階」というところで

す。我々がやっているのは命を延ばそうとするこ

とではなく、QOL( クオリティ・オブ・ライフ )

を高めて、病気の過程に良い影響を与えることで

す。「がんと診断された時から痛みを軽くしましょ

う」これは緩和ケアの医師だけがすることではな

くて、その時に診ている主治医の先生もやらなけ

ればならないことです。そのために緩和ケアの研

修会を行っています。

 もう一つ大切なことは、これからのことを話し

合いましょうということです。

 アメリカの有名な雑誌に載った研究ですが、だ

いぶ進んでしまった肺がんの患者さんに早い段階

から緩和ケアをした群と、

今までと同じように普通

の治療をした群を比べま

した。だいぶ進んだがん

だったので予後は長くな

いのですが、普通の治療を

した方の余命は、平均 8.9

か月、もう一方は 11.6 か

月ということで、2.7 か月

の差がありました。症状

を取りながら治療をする

ことが余命延長に大切な

のかと思われます。しかし、実際にここで行われ

た緩和ケアの内容は、話し合いをよくすることで

した。症状をしっかりと評価する。そして、「今

からどんな風になりたいですか」と聞き、ケアの

ゴールを明確にすることが大切です。例えば、「今

は痛みで眠れないので、これからはよく眠ること

を目標にしましょう」と一緒に話し合います。と

にかく話し合っていくことが大切なのです。アド

バンス・ケア・プランニングと呼ばれているもの

と内容は同じです。今の気がかりや病状やどんな

ことを考えているか ( 価値観や目標 )、今後の見

通しをよく聞いて話し合いましょう。

 それに加えて、やはり症状を取るアプローチは

大切です。症状緩和に関しては『苦痛のスクリー

ニング』という質問票を使って早い段階 ( 痛くて

どうしようもなくなる前 ) から対処していく試み

をしています。“体のつらい症状はありませんか”

“気持ちが辛いことはありますか”“気がかりや心

配事はありませんか”と書かれた質問用紙に記入

してもらい、対処していきます。こういう用紙を

使って対応する方が、早い段階から対応できると

考えられています。苦痛を拾い上げた後に何もし

ないと逆効果で、スクリーニングをした限りは対

処してあげることが大切であり、実践しています。

 がん診療連携拠点病院で緩和ケアを強化してい

くことが国の指針として挙げられています。指針

の項目には意思決定支援と苦痛のスクリーニング

のほかに、専門的緩和ケアの提供と切れ目のない

地域連携体制の構築などがあります。

 専門的緩和ケアの提供体制として、緩和ケア外

来、緩和ケア病棟、緩和ケアチームを統合するも

のとして緩和ケアセンターがあります。緩和ケア

チームは、苦痛のスクリーニングですくい上げら

れた一般病棟の患者さんの苦痛に対応します。緩

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(4) Memento Mori 2017 年 3月 27日㈪

和ケア外来では他病院や在宅医との連携、院内の

ほかの外来の医師、看護師と連携しながら診療し

ます。

 切れ目のない地域連携体制の構築としては地域

の病院や診療所と緩和ケアのスタッフが共同行動

をしていきます。相談があった時にはすぐに対応

します。退院前にはカンファレンスをして、顔の

見える関係づくりをして行きます。そうすること

で、患者さんの持っている苦痛が少し楽になるよ

うになります。

 このように緩和ケアは、患者さんと家族のケア

をするわけですが、主治医の先生のケアもするこ

ともあります。主治医の先生に具合が悪いところ

を訴えてもなかなか聞いてもらえないと思ってい

る方もいるかもしれません。主治医の先生も患者

さんの苦痛がうまく緩和されないとか、余命の話

をすることをストレスに感じていることが多くあ

ります。緩和ケアで、患者さん・家族・医療者の

苦悩を引き受けることができれば非常に良いと思

います。

【日本の医療の方向性】 最近、あまりホスピスという言葉を聞かなくな

りました。終末期というイメージが強いからだと

思います。緩和ケアとよく関連して議論される終

末期医療、がん医療について考えてみましょう。

ここで質問です――あなたは 100 歳まで生きた

いと思いますか?――

 朝日新聞の調査によると、「はい」は 35% 理

由はやりたいことがたくさんある・孫子の成長を

見届けたいなどでした。「いいえ」は 65% 理由

は病気になってまで生きたくない・親族に迷惑を

かけたくないなどでした。

 これからの時代、長生きしたらどんな医療を受

けられるのか考えてみます。今までのようなゆと

りのある医療は望めないかもしれません。2055

年になると 65 歳以上が 41%になります。必要

な医療費はどんどん増えていきます。

 諸外国と比べても日本は病院で亡くなる方が

81%と多いです。緩和ケア病棟で亡くなる方は

がんによる死亡の 5%にすぎません。多くの方は

一般病棟で亡くなっています。地域包括ケアシス

テムはできるだけ自宅で生活することを目指して

おり、入院の国家負担を低減させようと考えられ

ています。医療と福祉をミックスして医療・介護・

生活支援・住まい・予防を一緒に地域の中に実現

していこうとしています。各地域の担い手のレベ

ルがそろっていればよいですが、そうでないと地

域の差が出てきてしまい問題です。そこで厚生労

働省がいう均てん化(どこの地域でも隅々まで同

じように医療・ケアが受けられるようにしていく)

のための施策も進められています。

【充足死の勧め】 高い薬もいろいろあるので、医療費はうなぎ上

りです。そこでこれからの医療受給者である皆さ

んに勧めたいのは、『足るを知る』満足すること

を知るという言葉です。知足者富(足るを知る者

は富む) 老子の言葉で、満足することを知って

いるものは、心豊かに生きることができる、自分

自身にあったものを選べるという意味です。満足

の度合いは人によって違いますので、自分にとっ

ての“足る”を知るのが重要です。仏教の教えに

十善戒 ( 菩薩としてなすべき十の良いことをする

ことの戒め)があります。その中にも『不慳貪(ふ

けんどん ) 激しい欲をいだかない』があります。

人間、満足する規準を考えましょうと教えています。

 そこで私は平穏死を超えるキャッチフレーズを

考えました。『充足死』です。充ち足りて死ぬと

いう意味です。満たされることのない欲望を追い

続けると際限なくいろいろなものを欲してしまい

ます。先ほどの質問で 100 歳まで生きたいとお

考えの方は少なかったので、皆さんも同じような

ことをお考えかもしれません。200 歳まで生き

たい、どんな病状になっても治療をして治らなけ

れば困ると思ってしまうと、幸せな一生を全うす

るのは難しいのではないかと思います。自分に

とっての“足る”を知れば、満たされ、心穏やか

に生き、人生を全うできるでしょう。

【これからの緩和ケア(医療)】 “足る”を一緒に考えていきましょう。“足る”

を考えるにも体に苦痛があっては考えられないの

で、苦痛は取り除きましょう。そして地域の中で

生活しましょう。近くの病院より、大きな病院の

方がよい治療をしていると感じれば大病院に行き

たくなってしまいます。でも、そんなに差がない

と思えば、近くの病院にかかるようになります。

そのために、地域間の医療・ケアの差-私たちが

できるのは緩和ケアに関することだけですが-が

少なくなるよう活動していくことが私たちのの仕

事だと思います。

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(5)Memento Mori2017 年 3月 27日㈪

 私は 20 年来、ホスピス

協会の会員です。そしてが

ん患者のピアサポーターを

しています。若い方に、「ピ

アサポーターを知っていま

すか」と聞くと「は ?」という返事でした。なか

なか一般的には浸透していないと思いますので、

できるだけわかりやすく説明したいと思います。

 私は時々、「窪田さんはピュアサポートしてい

るんだってね」と言われます。ちょっと英語の

勉強です。ピュアは PURE:純粋という意味で

す。ピアは PEER:仲間という意味です。私た

ちはピュアな心でピアサポートしていますので、

間違いではないですが、ピアは仲間という意味だ

と覚えていただきたいです。サポーターはサッ

カーのヴァンフォーレ甲府のファンの方がいま

すのでわかる方は多いと思います。サポートは

SUPPORT:支援するということで、その支援、

応援する人を SUPPORTER:サポーターといい

ます。がんにかかって似たような体験をした仲間

をサポートする、そのことをがんのピアサポート

といいます。そして私たちのように、それをする

人をピアサポーターといいます。

 山梨県では割合早くからピアサポート研修会が

開かれ、昨年 7 回目を迎えました。4 日間の短い

時間ですが、知事の名称で終了証をいただいてお

ります。私は第 1 回生でした。「これで終わるの

はもったいない。やはり、がんの人はがんの人の

話を聞きたいんだよな」と考えた第 1 回生の有

志が集まって、6 年前に希望 ( のぞみ ) の会が発

足しました。今は会員 50 名ですが、実動してい

るのは 20 名くらいです。活動は、火曜日の午後

は健康事業団、水曜日の午前中は山梨厚生病院、

金曜日の午後は県立中央病院でやっております。

事業団の関係では大月や富士吉田、韮崎など出張

相談もしています。

 どんなところでやっているのかイメージがわか

ないと思いますので紹介します。中央病院では9

階の通院加療がんセンターの一室をかりて『あっ

たかルーム』という名前で行っています。そこに

参加した方から、“気持ちが楽になった。一人じゃ

ないんだと思えた。”という声が聞かれたと感謝

されています。一人の相談者に二人のサポーター

がいます。一人では補えない部分を二人で補い合

うために、2対1で行います。私たちも名刺を持

ち、自分の身分を明かしています。ここは相談者

が何でも語れる、何のことでも話していいことに

しまして、私たちもそこで聞いたことは絶対に秘

密で口外をしないことをもとに、ここでの時間を

共有して過ごします。サポーターの二人、美人だ

と思いませんか ? 実は美人が乳がんにかかりやす

いそうです。私もなるかもしれないとドキッとし

た人がたくさんいそうですが、それは嘘ですので、

ご安心ください。私たちは「やっぱり私たち美人

だから乳がんになっちゃったんだよね」と言って

笑っています。でもそこまで来るには長い歳月と

いっぱいの涙かあったということは忘れてはいけ

ないと思います。テーブルの上にはできるだけそ

の季節季節のものを飾り、春にはお雛様など飾り、

場を和やかにしています。

 このフェイススケールをごらんになった方はい

「ピアサポートの紹介」窪 田 恭 子さん(ホスピス協会会員 ピアサポーター)

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(6) Memento Mori 2017 年 3月 27日㈪

ますか。痛みはどのくらいかという風に使います

が、私たちはそれを心の痛みととらえて、ピアサ

ポートのドアを開けるときは数字の大きい泣き顔

ですが1時間くらいして帰るときは初めより小さ

い数字に。できたら明るい顔で帰ってほしいと

願っております。

 免疫療法も良いと思いますが、インターネット

で調べると最後のほうに、『1回 250 万円 2回

目から 100 万円になります』と、目が点になる

ようなことが書いてあります。実際、病気にかか

るとお金がかかります。子育て中の方など、いろ

いろな状況の方がいますが、みんなそれぞれ悩み

ます。そこで私たちが考えることはもう笑うしか

ない。笑うのはタダ、お金がかからない。そして

周りの人も楽しくなり、一石二鳥です。「笑おう

ね」を合言葉にしています。是非皆さんもたくさ

ん笑って、がんをやっつけてください。

 本当にがんを体験をした人と話ができると、そ

こから生きるエネルギーがわくと感じる瞬間があ

ります。そんなサポーターに何故私がなれたのか。

二つお話をさせていただきます。

 一つは友人の死です。健康診断に行くと要精密

検査でした。翌日に病院に行ったのに、「もう手

の施しようがありません、末期です。」と言われ

てしまったそうです。そして彼女はご主人と二人

でありとあらゆることをしたそうです。民間療法、

サプリメント、温泉、日本中かけめぐってやった

そうです。でも結局は亡くなってしまったようで

す。なぜようですなのか、それはかなり後で知り

ました。ご主人は、「妻は病気のことを親戚にも

友人にも言わないでほしい」と言われていました。

だから亡くなったこともほとんどの方は知らな

かったのです。でも私たちは決して罪を犯して死

んでいくわけではないのです。彼女が「なぜ私が

がんなったのか !!」という思いを持ったまま逝っ

てしまったのでは…そう考えると、私が躊躇して

いたらいけないと考えました。私ががんのピアサ

ポートをしているということは、「私はがんです」

と看板を下げなければならないです。彼女の死を

思ったときに、もし私ががんだと伝えていたら、

私は「あなただけではないのよ。私もそうよ。」

という言葉が贈ってあげられたのではないかとい

う後悔・・・胸が痛みます。そして、躊躇しない

で看板を下げようと思いました。

 もう一つは私のことです。乳がんと診断されて

17 年になります。健康そのものだと思っていた

のに健康診断で「がんです」と言われました。青

天の霹靂でした。何がなんだかわからないうちに

手術に進まなければならなかったのです。今は二

人に一人ががんになると言われても、がんを宣伝

する人はいません。今でさえそうですから、17年前はもっと隠している人が多かったです。なに

か悪いことをしたような、恥ずかしいような気が

して、言えませんでした。その頃は働いていたの

でクビになっては困るということもありまして、

「秘密にしよう、誰にも言わないでおこう」と思

いました。結局、どうしても知っていてもらわな

ければならなかった事務長さん、長く一緒に勤め

ていた職場の友達、弟、ホスピス協会の佐藤さ

ん、それだけの方に伝え、戦いました。手術して、

ホルモン療法を始めようと思ったころに手術後の

痛みが襲ってきました。襲うという言葉でしか言

えない強い痛みで、肉体的だけでなく、精神的に

も参ってしまい、抗うつ剤のお世話にもなりまし

た。でも今こうしてここに立てるのは、私を苦し

みの中から助けてくれた人たちがいてくれたから

です。その感謝の心をもって生かされた自分の命

を大切にしながら残りの人生をピアサポーターと

して生きようと、今の私があります。からだは医

師が治してくれるかもしれませんが、心が傷つい

たことは精神科医でも治してくれない。私の少な

い経験からは、やっぱり仲間です。仲間が支えて

くれます。

不運にも「がん」という病気になってしまったとしても、一生懸命人生を慈しんで生きてきたことに自分が納得し、幸せな人生を過ごすためにも、ピア:仲間がいることを忘れないでほしいと思っています。

 がんになったことは不運には間違いないかもし

れません。がんになってしまっても一生懸命自分

を慈しんで、自分が納得して自分の人生を過ごす。

そのためには仲間がいることを忘れないでいてほ

しいなと思います。不運にもがんになったとして

も、それは不幸な人生で終わることを示唆してい

るわけではないです。もしかしたら健康で天寿を

全うする人よりももっと素晴らしい生き方、感動

して生きられるかもしれないのです。ぜひ不運を

不幸にしないで、幸福な人生を歩んでほしいと

思っています。これは私たちが「病気になっても

病人になっちゃダメだよ」ということと似ている

のかもしれません。万が一、がんになっても、仲

間がいることを心の隅に置いておいていただけれ

ば、尊い時間をいただいた私の役割が果たせると

思います。

Page 7: 2017年3月27日㈪発行 77(2) Memento Mori 2017年3月27日 緩和ケアの今とこれからと いうお話です。まずは緩和ケ ア外来の受診と、緩和ケア病

(7)Memento Mori2017 年 3月 27日㈪

 ホスピス協会の講演にも来ていただいた、石飛先生の著書です。 医学が進歩して、がんの治癒率も高くなっています。加齢現象に伴う様々な症状にも、薬剤投与や生活習慣の改善で苦痛が少なくなっています。しかし、老衰だけは今の医学でもどうにもなりません。(どうにかなっては困ります。) 親が今までのように、いつまでも元気で過ごせないことは頭ではわかっていても、その時が急に来るとなかなか受け入れられないのかもしれません。私も自信がありません。ご家族は、命が少しでも伸びるのならいわゆる最高の医療を受けさせないことは、“悪いこと”“罪”に感じてしまうのかもしれません。元気なうちに、最期の時のことも考え、リビングウィルなどで書き示すだけでなく、親も子供も困らないように、話し合っておくことが大切です。 書の中では、いくつかの事例を通して、QOLを重視した生き方をわかりやすく紹介してくれています。 この本を読んで、命について、今の医療について改めて考えさせられます。これからは多死社会です。社会制度の整備とともに、私たちの意識も変化せざるを得ません。そして、2016 年 10 月に山梨ホスピス協会 25周年記念講演会で長尾和弘先生が朗読してくださった【親の『老い』を受け入れる】という詩が心に響きます。( メメントモリ 76号に掲載されていますのでぜひ今一度お読みください。) 最後にこの本の中で私が印象に残ったところを載せさせて頂きます。

自然な最期というのは、もう食べなくていいのです。飲まなくていいのです。痛みも苦しみもありません。ただ眠って、眠って、いのちの終焉を迎えます。

ものごとの受け止め方は、気持ちの持ちよう一つで変わります。歳とともに出てくるさまざまな病態も、いろいろ「不自由なことが増えていく」と考えるのではなく、どんどん身軽になっていくことだと思えばいいのです。耳が遠くなったら聞きたくないことを聞かないで済みますし、歯がなくなったら食べ過ぎなくなります。それもこれも、どんどん身軽になって、枯れるための準備なのだと思えばいいのです。自然に枯れていくというのが、一番理想的な最期の迎え方なのですから。

(文責:宮久保 朱実)

本の紹介 「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのに、 なぜ親に延命治療をするのですか?

特別養護老人ホーム 芦花ホーム医師  石 飛 幸 三誠文堂新光社

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(8) Memento Mori 2017 年 3月 27日㈪

◆事務局だより◆

 毎週月曜日午前 10 時、近藤、丸山、坂本さん

が事務所に来ます。まず掃除をしてそれぞれの仕

事に取り掛かります。印刷・他会への連絡、会費

入金・会計・銀行、郵便局、来客の対応等々結構

忙しくもにぎやかな事務所です。12 時、持参の

お弁当を分け合っておいしくいただきます。時に

今井副理事長がおいしいおいしい珍しい差し入れ

を持って来て下さる時は皆の顔が輝きます。こん

な事務局の一日はあっという間に 4 時になり「ま

た来週~」と言って帰ります。事務局のお一人お

一人には感謝の言葉もありません。折に触れ駆け

つけて手伝ってくださるボランティアの方 ・々・・

素晴らしい皆さんに支えられて来た事務局です。

本当にありがとうございました。

     (事務局長 佐藤 逸子 )

 使い慣れないパソコンの前に座り書類・お知ら

せ等の仕事をしつつ 11 年が過ぎました。在宅に

変化する終末期医療の現場の講演を伺う中でこの

山梨でも在宅終末期医療が安心して受けられるこ

とを強く願うようになりました。力不足の私を支

え励まして下さった事務局の皆さんとボランティ

アの皆さんに感謝です。有難うございました。

       (理事・近藤敦子)

 事務局にかかわらせて頂き 13 年。途中、主人

の転勤で退任させて頂こうと思いましたが、不慣

れな会計処理を手探りで事務局長の手助けに少しで

もなればと細々とここまで続けさせて頂きました。

ボランティアを通して終末期医療の勉強もさせて

いただき感謝しております。 (理事・丸山 玲子)

 事務局をお手伝いして 10 年余り、あっという

間でした。会費の処理や研修会のお手伝い、映画

会の券作製や、売り込み、思い出せば色んな事が

ありました。楽しい事の方が多かったように思い

ます。本当にありがとうございました。

(ボランティア・坂本 美也子)

( )

樋野 興夫氏

◎ 会費継続のお願い! 2017 年度の会費納入をお願いします。 郵便振替用紙は、総会案内をお送りする際に同封いたしますのでよろしくお願いいたします。 振込み手続きで、ご不自由のある方は、ご連絡下さい

(TEL055-251-3505)。相談に応じます。

 ・郵便振替口座番号 00450-6-11729 ・加入者名     山梨ホスピス協会

今回の編集をしながら、人それぞれの人

生、生き方を考えました。自分の人生の主

役は自分です。誰と比べてもどうにもなら

ないし、比べること自体無意味かもしれま

せん。今自分にできることと向き合ってい

きたいと思います。  (宮久保朱実・記)

編 集 後 記編 集 後 記編 集 後 記