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平成 27 年度(2015)年度 新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 卒業論文概要 <英米言語文化> 安部 晴香 Virginia Woolf, Orlando: A Biography 研究 石川 大介 Truman Capote, In Cold Blood 研究 石澤 Charles Dickens, Oliver Twist 研究 石田 理夏 G. B. Shaw Pygmalion 研究 岩佐 Margaret Mitchell, Gone With the Wind 研究 上村 Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea 研究 桑原 Frances Hodgson Burnett, The Secret Garden 研究 小島 翔子 F. Scott Fitzgerald, The Great Gatsby 研究 高山 Jane Austen, Pride and Prejudice 研究 信太 慈央 Charles Dickens, Oliver Twist 研究 恵美 Lewis Carroll, Alice's Adventures in Wonderland 研究 吉原 美里 Elizabeth Gaskell, Mary Barton 研究 金田 知葉 Beatrix Potter, Peter Rabbit シリーズ研究 宮島 史奈 Mark Twain, The Prince and the Pauper 研究 大山 加奈子 Jane Austen, Emma 研究 <英語学> 新保 遥奈 Notes on Ellipses in English 須貝 友貴 Remarks on Adverbs in English 豊岡 桂衣 On Infinitival Constructions in English 藤田 萌永 On Case Assignment in English 宮澤 泰仁 A Syntactic Approach to Existential Sentences 山浦 由花里 A Study of Infinitival Clauses in English and Latin 猪爪 成志郎 On Triad Verbs in English 榊原 A Comparison of Double Object Construction in English and Spanish 田中 研匠 On Causative Constructions in English 桜井 舞香 Notes on Gapping in English 島貫 On Wh-movement in English

平成27年度(2015)年度 新潟大学人文学部 西洋言 …...宮島 史奈 Mark Twain, The Prince and the Pauper 研究 大山 加奈子 Jane Austen, Emma 研究 <英語学>

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平成 27 年度(2015)年度

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

卒業論文概要

<英米言語文化> 安部 晴香 Virginia Woolf, Orlando: A Biography 研究 石川 大介 Truman Capote, In Cold Blood 研究 石澤 貫 Charles Dickens, Oliver Twist 研究 石田 理夏 G. B. Shaw Pygmalion 研究

岩佐 優 Margaret Mitchell, Gone With the Wind 研究 上村 宙 Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea 研究 桑原 梓 Frances Hodgson Burnett, The Secret Garden 研究 小島 翔子 F. Scott Fitzgerald, The Great Gatsby 研究 高山 藍 Jane Austen, Pride and Prejudice 研究

信太 慈央 Charles Dickens, Oliver Twist 研究 星 恵美 Lewis Carroll, Alice's Adventures in Wonderland 研究 吉原 美里 Elizabeth Gaskell, Mary Barton 研究 金田 知葉 Beatrix Potter, Peter Rabbitシリーズ研究 宮島 史奈 Mark Twain, The Prince and the Pauper 研究

大山 加奈子 Jane Austen, Emma 研究 <英語学> 新保 遥奈 Notes on Ellipses in English

須貝 友貴 Remarks on Adverbs in English 豊岡 桂衣 On Infinitival Constructions in English 藤田 萌永 On Case Assignment in English 宮澤 泰仁 A Syntactic Approach to Existential Sentences

山浦 由花里 A Study of Infinitival Clauses in English and Latin 猪爪 成志郎 On Triad Verbs in English 榊原 萌 A Comparison of Double Object Construction in English and Spanish 田中 研匠 On Causative Constructions in English 桜井 舞香 Notes on Gapping in English

島貫 遥 On Wh-movement in English

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<ドイツ言語文化> 五十嵐 彩香 ゲーテ『ファウスト』第一部「グレートヒェン悲劇」研究

太田 秋菜 『魔の山』における二つの世界

金子 美奈 ヘルマン・ヘッセ『デミアン』研究

小林 瑠璃 ゲーテ『親和力』における庭園について

齋藤 泉 ケーテ・コルヴィッツの平和思想

高澤 真希 『はてしない物語』研究

滝川 陽介 シェーンベルク思想研究

湯本 大貴 シュペングラー研究

<フランス言語文化>

斉藤 智美 カナダのフランス語

佐藤 美紗 ソシュールの『一般言語学講義』についての研究

内海 昌子 モーリス・ラヴェルの作品について

新田 良介 シャガールの青について

<ロシア言語文化>

遊佐 佳織 ロシアの教会建築について

横澤 勇輔 ドストエフスキーの小説における一人称の問題―『未成年』を題材に―

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安部 晴香 Virginia Woolf, Orlando: A Biography研究 Orlando: A Biographyは Virginia Woolf(1882-1941)によって 1928年に発表された伝記的空想小説である。主人公の性別が変化する点や、作者自身の同性愛の経験などから、こ

れまでも本作品はセクシュアリティ的観点からの考察がなされてきた。本論文ではそれら

に加えて語り手の特徴や衣装に対する作者の意見などをさらに調査し、本作品から読み取

れる作者のセクシュアリティに対する模索に関して考察した。 まず第一章では、物語の語り手に着目した。すると語り手が男性として設定されている

にも関わらず、この語り手からは女性的な感受性が読み取れる描写が数多く見受けられた。

さらに調査を進めると、McIntire の論文から三人称の語り手が作者 Virginia Woolf とイコールに解釈可能であることが分かった。さらに、本章で意識の流れにも着目し、この技

法が女性性を強める要因の一つであることも明らかとなった。このことから、作者 Woolfの女性性によってこのような女性的な視点が語り手に含まれていることが分かった。従っ

て本章では、作者 Woolf は自身の女性性を完全に排することができておらず、主人公Orlandoの両性具有は男性性と女性性の割合は半々ではないという結論を得た。 続く第二章では、Virginia Woolfのセクシュアリティに関する模索の様子を考察した。作品本文や先行研究などから、彼女の主張は男女という二元的なカテゴリーを揺るがすに

とどまるものであり、Woolf のセクシュアリティに関する具体的な考え方までは読み取れなかった。従って OrlandoはWoolfのセクシュアリティに関する模索をそのまま反映させた作品であること、セクシュアリティとは何かという問題については彼女自身の結論が出

せていないことが明らかとなった。第一章の考察にも関連するが、作者Woolf自身によるセクシュアリティの見解が確立していない以上、やはり主人公 Orlandoの両性具有は完全に男性性と女性性が同じだけ含まれるものになるのは難しいと言える。 第三章では、Virginia Woolfとその恋人 Vita Sackville-Westとの恋愛から、Woolfの女性的な内面を証明した。まず Vitaが男性的な人物であったことを明らかにし、二人の関係から分かるWoolfの女性性を明らかにすることで、Woolfがより女性的な人物であることが分かった。よって第一章で示した作中に見られる女性性はWoolfの内面が反映されていることがより確実になった。よって第一章の語り手がWoolfと同一視できるという結論と、第三章のWoolfの女性性の強い内面という考察から、主人公 Orlandoの両性具有の内容は男性性よりも女性性の割合が多く含まれるものであるという主張がより確証を得た。 以上の考察より、本作品の主人公 Orlandoは作者の存在を色濃く反映した存在であること、そして作者が女性であることの影響として、女性的な要素を多く含む両性具有という

特徴をもつ人物であることが明らかとなった。また、小説 Orlandoが作者 Virginia Woolfのセクシュアリティに関する模索であり、性別の決定要因についての結論が出せていない

ということも分かった。

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石川 大介 Truman Capote, In Cold Blood研究 トルーマン・カポーティ(Truman Capote,1924-1984)の『冷血』(In Cold Blood,1966)は、実

際にカンザス州で起こった殺人事件を題材にし、作者自身が取材を行って情報を集め描い

た作品で、ノンフィクション・ノヴェルと呼ばれている。この作品には、事件の当事者を

はじめ、多くの人の家族の様子が詳細に描かれており、事件に関係のない家族の描写さえ

も含まれているのは、カポーティが意図的に行ったことだと考えられる。それにもかかわ

らず、これまで事件の加害者のペリーひとりに焦点を当てて研究されることが多く、また、

家族に焦点が当てられたとしても、社会的観点から考察されることがほとんどであった。

一方、彼の初期の作品は、幼少期の両親に対する思いや生活の影響を受けていると考えら

れている。そのこと踏まえ、『冷血』に登場する家族の描写を分析し、この物語における家

族の描写の重要性を明らかにすると共に、家族という観点からタイトルの意味を考察する。 第 1章では、この事件の当事者家族の描写に焦点を当てて分析した。被害者のクラッタ

ー家は、妻ボニーの健康問題という深刻な問題を抱えていたが、家族の間には強い絆があ

った。加害者側のヒコック家は貧しい生活を強いられていたが、犯人のリチャードは両親

の愛情を受けて育っていた。対照的に、もう 1人の犯人のペリー・スミスの家庭は崩壊しており、家族の関係が完全に冷え切っていた。家族の描写を分析することで、愛情に満ち

て強い絆がある家族の物語と関係が冷え切って崩壊した家族の物語があることがわかった。 第 2章では、ノンフィクションという客観性を帯びた作品に、家族の描写があることで

生まれる効果について考察した。1 つ目は、人物像が明らかになり、読者が登場人物に同

情の念を抱くことができるようになる。だからこそ、ペリーは殺人鬼としてではなく、ア

ンチヒーローとして考えられるのである。2 つ目は、家族の日常の描写があることで、その後に待ち受けている死の不穏な空気が感じられ、殺人の恐ろしさが際立たされることで

ある。さらに、そのような効果を生み出す家族の描かれ方から、『冷血』は、カポーティの

初期の作品と同様に幼少期の影響を受けており、家族の描写に思い入れがあると考察した。 第 3 章では、『冷血』というタイトルに込められた意味を考察した。カポーティは、ペ

リーにタイトルには二重の意味が込められていると告げ、1 つは、文字通り一家 4 人を動機もなく殺害した残忍極まりない行為を表していることは明らかにしたが、もう 1つの意味は明かさなかった。そのもう 1つの意味を、カポーティが家族の描写に思い入れがあっ

たことや、事件を起こす原因がペリーの幼少期の家庭環境にあることを示唆していた点か

ら、他の家族と対照的に、家庭崩壊したスミス家のことを意味していると考察した。 以上のように、この物語における家族の重要性を明らかにし、家族という観点からタイ

トルに込められた意味を明らかにした。

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石澤 貫 Charles Dickens, Oliver Twist 研究 Charles Dickens(1812-70)の Oliver Twist (1837-39)には、Faginや Sikesなどの犯罪者が登場するため、これまで度々Newgate Novels という犯罪小説の一種として批評されてきたが、そうした捉え方には異論も多い。本論では代表的な Newgate Novelsの特徴や表現と Oliver Twistのそれらとを比較・精査し、さらには著者 Dickensの執筆時における文学界への意識を考慮して、本作品の小説としての特質や優れた点を説き明かした。 第一章では、典型的なNewgate Novelsとされる2作品(Edward Bulwer-Lyttonの Paul

Clifford (1830) と、William Ainsworthの Jack Sheppard (1839))と Oliver Twistを詳細に読み比べ、両者には「主人公の性質」と「犯罪者の性質」の 2点において相違があることを分析した。まず、前者2作品の主人公は悪人である Paul と Jack であるのに対し、犯罪者ではなく純粋無垢な少年 Oliverである。これに対し、Oliver Twistに登場する悪人Faginや Sikesは、主人公として描かれておらず、結果的に悲劇的な末路をたどっている。また、Newgate Novelsでは犯罪者を通じて社会批判が行われていたが、Oliver Twistでは主人公 Oliverを通じて、当時の救貧法に対する批判がなされていることが分かった。 第二章では、前章で確認した、Oliver Twistと Newgate Novelsとの相違を精査した。

Oliverの言動からは持ち前の善良さが様々な形で読み取ることができ、それらは誘惑や邪悪な環境におかれても揺るぎないものであることが分かった。犯罪者については、Faginや Sikesが英雄的性質を持ちえず、一貫して悪の立場にいることが分かり、窃盗団に居ながら善良であり続ける Nancy の存在は、Oliver のキャラクター設定を補強していると理解できた。これらの相違が存在する理由には、作者が第 3 版「序文」で明記した「Oliverがあらゆる逆境を乗り越えて、 後には勝ち残る」という執筆目的が根底にあることが分

かった。その背景には、当時の流行りだった Newgate Novelsへの意識や、Dickensのオリジナリティへのこだわりが投影されているのである。 第三章では、Dickensの Newgate Novels観を、内在的・外在的観点という 2つの視点

から考察した。内在的観点においては、作品内の描写が Dickensの Newgate Novelsに対する意識を象徴しており、執筆当初から Newgate Novelsを意識していたと分析できた。また作者は、Fagin、Sikes、Nancyという異なる種類の犯罪者を同時に描くことで、犯罪者の人間性が生得的要因にも左右される可能性を暗示していた。外在的観点からは、

Newgate Novels 作家である Ainsworth との仲たがいや、ライバルの Thackeray によるOliver Twist批判が原因で、第 3版に新たな「序文」を記したことが明らかになった。 以上から、Oliver Twistは Newgate Novelsの発展型としての性質をもつと考えられる。

第一に、Newgate Novels とは異なる設定や手段で、それらの作品群と同様に社会批判を達成している点である。また Newgate Novelsと比べて犯罪者の捉え方が多様であり、「悪とは何か」という解釈を読者に委ねることで、作品自体の面白さが一層深まっている。常

に新しいジャンルを追求したDickensのオリジナリティはこうして高く評価できるのである。

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石田 理夏 G.B.Shaw Pygmalion研究 G.B.Shaw(1856-1950)の Pygmalionは 1913年にウィーンで初演され、つづいてベルリン、ロンドンで上演された。書籍化と映画化を経て、1956年には My Fair Ladyとしてミュージカル化され、世界中に知られる傑作喜劇となった。これまでは、英語音声学やラブ

ロマンス的な側面に注目されることが多かった。しかし本論ではテクストに着目し、登場

人物の台詞を詳細に読み解くことと、作者 Shawの人生を振り返り、彼の実際の活動と作品がどのようにリンクしているかを辿ることで、作品に込められた深奥のメッセージにつ

いて考察した。 第一章では、第四幕にみる Elizaの捉えがたい言動について考察した。Higginsから「モノ」のように扱われることや伝統的なイギリス社会の女性観は、彼女の自己実現を困難に

するとともに、人間としての尊厳(self-respect)を深く傷つけていた。その結果彼女の心はかき乱され、理解しがたい言動につながったと考えられる。そして Eliza は階級に依存せず、自立することを選択する。その決断の際にも Eliza を支えていたのは自尊心であったと言え、第四幕の Eliza の言動を考察することで、彼女にとって人間としての尊厳が も

重要な要素であることが分かった。 第二章第一節では、ストーリー内外の Higginsと Elizaの関係性について考察した。無

関係だった二人は、師弟関係や主従関係を経て、認め合い信頼できる対等な関係へと変化

した。しかしここで強調されるのは二人が恋愛関係に発展することは決して無かったこと

であり、この点に Shawが強いこだわりを持っていたことが分かった。単なるロマンス物語ではなく、現実的な問題を扱った高尚な演劇作品を目指した Shawの意図が垣間見えた。第二節では 1916年版と 1941年版の二つのテクストを比較した。加筆と書き換えによってHigginsとElizaが恋愛関係に落ち着くことはありえないということがより明確になった。さらにはそれぞれのキャラクター設定や性格、物語の背景が際立ち、よりリアルで人間味

のある作品になったことが分かった。 第三章では、Shaw の人生を辿り、作品に込められたメッセージと彼の実際の活動がどのようにリンクしているかを考察した。作者 Shawと主人公 Elizaに共通点があることから、学習の重要性が一つの大きなメッセージであることが導き出された。また分析を進め

ると、本当に学ぶべきなのは Higginsであったことが分かり、彼を通して無知なる人間の愚かさが表現されていたのである。文学も社会の現実を伝える手段の一つであると考えた

Shaw の本作品からは、ユーモアの中に彼の視点から見た社会問題や、自身が抱く問題意識が読み取ることができた。当時のイギリス社会や演劇界に衝撃を与えた「新しい女性」

を描くことや、ロマンス的なハッピーエンドを受け入れないストーリー展開も、さらには、

重要な場面で効く辛辣な皮肉も、すべて彼の生き様や言動とリンクしていたことが分かっ

た。 以上の考察から、Pygmalionには、人間の尊厳の重要性と、無知なる人間の愚かさ、学習の重要性といった、人間の根本を問う奥深いメッセージが込められていたと結論づける。

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岩佐 優 Margaret Mitchell, Gone with the Wind研究

マーガレット・ミッチェル (Margaret Mitchell,1900-1949) の『風と共に去りぬ』(Gone with the Wind, 1936) は彼女が作家としてこの世に残したただ一つの作品で、南北戦争時代のアメリカ南部アトランタを描いた長編小説である。戦争を通して戦後の再建時代までを描く

この小説は、主人公スカーレット・オハラの激しい恋愛模様と壮絶な人生を描いた大作で

ある。出版の翌年にはピューリッツァー賞を受賞し、その人気の高さと文学的評価を裏付

けた。しかし、南北戦争時代の奴隷制度を忠実に描いているため、黒人に対する人種差別

意識が顕著であるとの批判もある。本論文では、後者の点に注目し、本作がどのような点

で人種差別的だと判断されているのか明らかにすることを目的とした。またあわせて、黒

人奴隷描写の分析から見て取れるミッチェルの差別意識について考察した。 第 1章では、物語中で交わされる会話を中心に問題点を指摘した。具体的には、黒人の

呼称や会話から抽出できる差別語、差別表現を対象に比較分析を行い、個々の語の持つ差

別的ニュアンスを確認した。とりわけ現代で使用することは社会的タブーとなっている黒

人の呼称である darky, nigger, negro の 3語を取り上げ、これらの描写におけるニュアンス

や語の特徴の違いを確認し、会話表現における本作の差別的特徴を見出した。 第 2章では、地の文の語りを中心に分析を行った。より客観的な立場から登場人物の描

写および語り自体に含まれる差別意識を確認し、当時の一般的な白人の持つ黒人観や黒人

奴隷への固定観念に着目して考察した。黒人奴隷の外見や特有の声の描写、黒人の行動や

思考に対する差別表現から、作者ミッチェルをはじめとする白人登場人物の抱く黒人への

人種差別意識が確認できた。さらに、物わかりの悪い黒人奴隷プリシーのキャラクター像

には、ミッチェルの黒人へ対する固定観念が投影されていると解釈した。 第 3章では、本作と現実世界の人種差別との関係性についての考察を行った。拠標著者

をはじめとする読者の立場から得られた意見を参照し、本作が人種差別的作品であるとの

見解は読者が作り上げたイメージであるということが確認できた。また、ミッチェルが自

身をスカーレットと重ね合わせているのではないかという仮説のもとに考察を行い、物語

の登場人物と実際にミッチェルが交友関係を持っていた人物との間に性格や外見において

共通点を見出した。そのほかに、ミッチェルの語りにスカーレットの心境が投影されてい

る点を指摘し、作中のスカーレットの差別意識はミッチェルの差別意識から由来するもの

であることを確認した。 結論として、登場人物の会話表現や行動心理、および語りに込められた意図に黒人への

差別意識を読み取ることができた。そしてこのことが、本作が人種差別的と問題視されて

いる所以であることを確認した。本作の文学的価値の高さは一般的に認められているが、

ミッチェルの描写が黒人読者に不快感や嫌悪感を与えていることもまた、紛れもない事実

であろう。

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上村 宙 Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea研究 アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway1899-1961)の『老人と海』The Old Man and

the Sea (1952)は世界中で今もなおアメリカ文学の 高峰として読み継がれている不朽の名

作である。本論文では、もっぱら作品のテクストから主人公であるサンチャゴを理解する

ことに努め、どうしてヘミングウェイがサンチャゴのような人物を生み出したのかを把握

することを目的とし考察した。 第 1章では、サンチャゴの人間像を明らかにするため、彼の特徴が表されていると思われる箇所を身体に関する部分、精神に関する部分、漁の技術と知識に関する部分の3つの

カテゴリーに分類し、詳細に検討していった。結果として、サンチャゴは非常に多くの点

において非凡な力があることがわかった。しかし彼は決して、超人的な文字通りのスーパ

ーヒーローではなく、ごく平凡な、苦しみ、老い、不漁、現実逃避的な考えに陥ることも

あるひとりの人間なのであるということも同時に理解された。ヘミングウェイはサンチャ

ゴを、現実にいても不自然ではない範囲での力強く、不屈の精神を持った漁師として描い

たのだと言える。

第 2 章では、作中でサンチャゴが発する“strange”という言葉の意味と、実際にサンチャゴが自称するような“strange old man” と言えるのかどうかを検討した。この物語で用いられる “strange”という単語は、日本語版で一般的に訳されるような、「一風変わった」「奇妙な」のような意味ではうまく捉えきれない。そこで“strange”という単語が用いられる状況や心理描写からその意味を考察し、“super”に近い意味であると結論付けた。次に、サンチ

ャゴを“strange old man”と呼ぶことができるのかを考えるにあたり、客観性を考慮した意見にするため、サンチャゴはそこまで“strange old man”でないと指摘する批評家の意見と自分の意見を対照させた。そして検証を行い、結果としてサンチャゴは人間らしい弱さを前章

で確認した通り持ち合せているが、それを補って余りある“strange”な部分を持っている以

上“strange old man”であることに変わりないという結論に達した。 第 3章では、これまでの章で理解されたことを考慮に入れながら、ヘミングウェイが何故サンチャゴのような人物を描いたのかを検討した。そこにはヘミングウェイ自身の理想

が投影されているのではないかと推測し、その考えの正当性を明らかにすべく、家庭環境、

恋愛遍歴、息子たちとの関係性、他の有名な作品との比較、ヘミングウェイの精神を分析

した。以上により、上記の仮設の根拠となるものを発見することができ、サンチャゴには

ヘミングウェイの理想像が投影されていると本稿を結論付けた。

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桑原 梓 Frances Hodgson Burnett, The Secret Garden研究 Frances Hodgson Burnett(1849-1924)の The Secret Gardenは、1911年に書かれた児童文学作品である。Little Lord Fauntleroy (1886)や A Little Princess (1905)と並ぶ名作とされ、1991 年には日本でアニメ化もされている。主人公である 9 歳の少女 Mary は、両親の死をきっかけにイギリス・ヨークシャーに住む叔父に引き取られ、自然豊かな屋敷

で暮らすことになる。ある日、屋敷の敷地内に 10 年間手付かずで荒れた庭園を見つけたMaryはその庭園を「秘密の花園」と名付ける。そして友人の Dickon、いとこの Colinと共に庭園を以前のような状態に蘇らせる。その過程では、様々な植物や動物たちとふれあ

いながら成長していく Maryの様子が描かれている。両親の育児放棄が原因で、わがままで無気力な子供らしさのない少女として育った Maryが人間的な成長を遂げることができたのは、自然のふれあいによるものであると結論づける研究が今まで多くなされてきた。

しかし、彼女の成長に影響を与えたのは自然(物)だけではなく、登場人物たちとの関わりによるものと考えることもできる。そこで、本論文では主人公 Maryの、人と人とのつながりに着目し、そのつながりのなかで彼女がどのような成長を遂げたのかを検証する。 第一章ではまず、Mary の人間的成長に影響を与えたと考えられる登場人物の性格や、Mary との関わり方を詳細に分析した。女中であり世話係でもある少女 Martha とその母Susan、Marthaの弟でもあり Maryと共に花園を復活させる少年 Dickon、屋敷の老庭師Ben Weatherstaff、Maryのいとこであり、病弱でわがままな少年 Colinの 5人を分析した。また、Marthaと Susan親子の間には深い絆が描かれており、これは Maryに欠けているものとしてあえて筆者が強調したものと考察した。 第二章では、前章で分析した人々との関わりの中で Maryがどのような成長を遂げているのかを検証した。Marthaとのふれあいにより、Maryは自分以外の他人に対して興味や好意を抱くことができるようになっている。そこからさらに発展し、Dickonとの関わりにおいては、相手を喜ばせたいという気持ちの芽生えから、他人のことを考えて行動できる

ようになった姿を読み取ることができた。また、Ben Weatherstaffとの会話の中では、彼の屈託のない笑顔を見ることによって自分の感情に素直でいることを習得するなど、今ま

でにはなかった子供らしさを徐々に身につけていることが明らかになった。そして、いと

こである Colinと出会ってからの Maryは今までとは異なり、影響を与えられるだけでなく、他人に対して影響を与える存在としても描かれている。こうした人物たちとの関わり

の中で彼女は成長し、自らが他人にも影響を与える存在になっていることが考察できた。 そして第三章では、前二章で検証した人と人とのつながりという観点から、筆者の人生

における人間関係に焦点を当てた。Burnett は、友人 Kate から作家人生を歩み始める契機を与えられ、妹の Edith からは一生涯にわたって支援を受けていた。このように、Burnett は自身の人生において人と人との絆から得られたものが大きかったからこそ、本作品の主人公 Maryの人間的発達を人とのつながりの中においても描いたということが分かった。 主人公 Mary を取り巻く自然(物)も、当然その成長に影響を与えたものと言うことができるが、これに加え、彼女の成長は登場人物たちとの出会いやふれあいなしでは成り立た

ないものとも考えられる。Burnett が自身の人生経験において感じた他人とのつながりの重要性を、本作品で一貫して描いていることから、本作品は Burnett自身の経験が大いに影響を与えた作品だと考察することができる。

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小島 翔子 F. Scott Fitzgerald, The Great Gatsby 研究

F. スコット・フィッツジェラルド (F. Scott Fitzgerald, 1896-1940) の『グレート・ギャツビー』 (The Great Gatsby, 1925) は第一次世界大戦後の経済発展著しい 1920年代のアメリカを舞台とした作品である。作品は主人公であるギャツビーと登場人物であり語り手でも

あるニックを主な軸として展開していくが、 本論文では登場人物としてのニックに焦点を当て、彼の東部での短期間の生活においてギャツビーから何を得たのかという点について

考察した。 第 1章ではニックに大きな影響を与えたギャツビーの夢の内容とその破綻について考察した。少年だった頃のギャツビーは想像力豊かで高い理想を持っていた。しかしその理想

に夢は漠然としたものであったが故に、まずコウディという西部開拓の負の遺産である人

物の富に具現され、ついでデイジーという富の象徴である女性に姿を変えたように、限定

的なものとなってしまう。戦争によってギャツビーとデイジーの関係は引き裂かれ、彼女

がトムと結婚したことでギャツビーの夢は終わり、過去のものとなった。にもかかわらず

ギャツビーは現実を受け入れず、デイジーという過去の夢に希望を見出し、結局彼の夢は

再び頓挫してしまう。彼の破綻は、本来の理想を他の具体個別の物にかたどり、それが回

復できない過去のものとなってしまっても、その過去を追求してしまった点に原因がある。 第 2章ではニックのギャツビーへの同調について考察した。ニックは大した野望から東部に赴いたわけではなく、唯一の目的と言える証券の仕事によってもたらされる金に魅力

を感じるようになる。さらにニックは金の象徴であるデイジーの声に魅力を感じており、

ギャツビー同様に富だけでなく女性にも自分の希望を具現してしまう傾向がある。そして

ギャツビーに対するニックの感情が変化する場面で、同時にギャツビーを真似た夢の対象

であるジョーダンへの感情が変化することから、ニックがギャツビーに自己を重ねている

と考えられる。そうした自己投影から、ギャツビーの夢はニックの夢としても働いていた

と言える。そしてその夢が破れた後も希望を捨てないギャツビーを目にし、ニックは彼へ

の完全なる信頼感と同情を感じ、ギャツビーの死後には彼との融合さえ見られる。 第 3章ではニックの中西部への帰還の意味合いに焦点を当てた。彼の帰還には、消極的価値が指摘されていることを挙げたうえで、別の視点から積極的な意味合いが見出せない

か考察した。ニックは東部での経験や、ギャツビーの希望を抱き続ける能力を目にし、か

つて抱いていた中西部での未来の希望を回復することができた。またギャツビーは過去を

求めたのに対して、ニックは未来を求めた人物であり、さらにギャツビーの誤った過去へ

の追求の破綻を目にしたことから、ニックは時間の価値も学んでいる。そしてそのギャツ

ビーの破綻に関して、彼は出発点に立ち返って始め直すべきだったのだとニックは考えて

いるが、ギャツビーと融合したニックは正にそれを行動に移し、出発点である中西部に帰

っていく。 東部の無関心な人々に揉まれながら、ニックは精神的にも成長し、ギャツビーの強力な

希望を抱く力を目撃した。そしてギャツビーの過去へ向かってしまった夢とは反対に、彼

は未来に進もうとしている。そしてニックとギャツビーの根源の地である中西部で夢を見

直そうとしている。ニックはギャツビーから希望を抱く力をもらい、未来に向かう方向性

を示してもらったと解釈できる。

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高山 藍 Jane Austen, Pride and Prejudice 研究 Pride and Prejudice (1813)は、Jane Austen (1775-1817)によって 1796年 10月に執筆開始され、翌年 8月に完成した長編小説である。第一印象の良くない偏見をもったまますれ違っていた主人公 Elizabethと Darcyが、様々な出来事を通して互いの高慢さや偏見を改め、幸福な結婚をするまでが描かれている。本論文では、これまでに十分議論がなされ

てきた次女 Elizabeth や長女 Jane の幸福な結婚ではなく、それらとは好対照をなし、本作の否定的側面とも言える五女 Lydiaの駆け落ち婚に焦点を当てて論じた。 第一章では、Lydia と Wickham の駆け落ち婚がメインプロットを動かす上でどのような役割を果たしているのか、という問題を考察した。この二人の結婚は、主人公 Elizabethや長女 Jane の幸福な結婚からは程遠く、二人の浅はかさを象徴しており、Lydia は本作のアンチ・ヒロインであると考えられる。Austen は本作に限らず、駆け落ち婚をプロットを動かす上で重要な手段として用いていると言え、Lydia と Wickham の駆け落ち婚の意義とは、Elizabethと Darcyの精神的成長を促し、この二人の高慢さや偏見を改め結婚へと導く効果があり、Elizabethや Janeの幸福な結婚と対照をなすことで、プロットにメリハリがつけられていると考察できる。 第二章では、イギリスの同時代における駆け落ちの実態や他作品で駆け落ちがどのよう

に扱われていたのかを参考にしながら、一般的な駆け落ちの善悪について論じた。小説で

描かれる駆け落ち婚の行く末は経済的な理由や周囲の反対などから暗い例が多い。ここか

ら、当時の小説家たちの間では駆け落ち婚では幸せになれないという共通の認識があった

と考えられる。本作では、否定的に描かれる駆け落ちを Lydiaの滑稽さなどから喜劇的に描き、完全にはネガティブなものとは描ききっていないと分析した。 第三章では、作者 Austen の駆け落ちに対する考えについて彼女自身の恋愛を参考にしながら考察し、彼女にとっても駆け落ちは悪であったのかについて明らかにした。Austenはかつて、Tom Lefroy という男性と駆け落ちをしたいと思えるほどの大恋愛をしていたことが、彼女の遺した手紙から分かった。彼女が彼と恋愛をしていた時期と本作の執筆を

始めた時期は同じであり、その恋愛の際に彼の親戚から受けた駆け落ちに対する忠告を、

本作にも盛り込んだと言える。駆け落ちがもたらす周囲への影響を考えさせられ、決意を

改めたという彼女自身の経験も、本作の駆け落ちがリアルに描かれる要因となっていたの

である。このことから、Lydia の駆け落ち婚の意義とは第一章で述べたものの他にも、隠された自分への戒めの意味が込められていたと結論づけた。 以上のことから、作者 Austenも本作の Lydia同様、恋人との駆け落ち婚にあこがれる乙女であったと考えられる。本作で描かれる駆け落ち婚について詳しく分析することで、

Austen自身の恋愛に対する理解を深めることにもつながった。Austenは自身の経験から駆け落ちに対して現実的な考えや複雑な思いをもっており、それらを本作にも反映してい

たのである。

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信太 慈央 Charles Dickens, Oliver Twist研究 ―Faginは誰か?再考―

Charles Dickens(1812-70)は、Oliver Twist (1837-39)において、主人公 Oliverを取り

巻く善と悪の世界をリアルに描いている。作中で、Londonを放浪していた Oliverを助けた老人 Faginは、スリをして生計を立てる子供たちを取りまとめる親玉である。先行研究において Faginは、狡猾で利己的な悪党であり、そのキャラクター造形には Dickensの幼少期の苦い経験が深くかかわっていると論じられてきた。本論文では、Fagin、およびDickens の人物像をより深く掘り下げ、Fagin のキャラクター性がどのようにして出来たのかを分析し、彼が今なおミュージカルや映画においても、主人公である Oliver以上に鑑賞者の注目を集めることとなった理由を考察した。 第一章では、これまでの Fagin研究を概観し、その評価すべき点と問題点を洗い出したうえで、Faginが物語上でなぜ重要な人物だと言えるのかを論じた。これまでの Fagin研究では、Dickensの伝記的事実が Faginのキャラクター性に深く関わっていると指摘され、定評となってきた。しかし、その一方で、Fagin の喜劇的性格を考慮しなかったことは問題点として挙げられる。また、Fagin はアジトの子供たちと深い信頼関係を築いていたことや、Oliverの純粋さを引き立たせる役割を担っていたことから、作品の善と悪の世界を結ぶ存在であるとも言える。 第二章では、第一章で挙げた先行研究への反論を述べ、Fagin のキャラクター造形がど

のようになされてきたのかを、Dickens の幼少期の経験から考察した。Dickens の幼少期の靴墨工場での苦い経験や、軍港の町 Chatham で過ごした頃の甘い思い出を掘り下げ、Faginが経済的に不安定だったことや、Oliverや子供たちに優しく接していたことは、靴墨工場にいた先輩 Bob Faginや、彼の父親 John Dickensを踏襲していると考察した。また、Oliverを 終的に養子として引き取った中流階級の紳士 Mr. Brownlowを Faginと比較し、前者が後者とは対照的に理想の父親像の一部を投影していると考察した。 第三章では、第一章、第二章を受けて、Faginが作中の地の文でなぜ The Jewと表記さ

れていたのか、なぜ貧困層の老人として描かれてきたのかを、ヴィクトリア朝イギリス社

会における貧困老人やユダヤ人商人の生活を調査したうえで考察した。また、今までこの

作品は幾度となく映画化されてきたが、Fagin の人物像が映画作品の作り手や鑑賞者たちにどのように受け入れられてきたかを分析し、映画での Fagin像と原作で Dickensが描いた Fagin像の食い違いを指摘した。 以上のように、Faginは Dickensにとっての幼少期に経験した屈辱的体験や、父親に対する願い・憤りなど、複雑な思いが込められたキャラクターであり、そのリアルな人物像

が読み手に強い印象を残すのである。その結果、映画やミュージカルにおいても Oliverと並ぶ作品の顔として、原作以上に存在感を帯びていったということが分かった。

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星 恵美 Lewis Carroll, Alice’s Adventures in Wonderland研究 Lewis Carroll(1832-98)の Alice’s Adventures in Wonderland (1865)〈以下、Wonderland〉は、従来の児童文学作品とは異なり教訓性を含まず、Carroll自身の思い付きによって生まれた物語であるという指摘がある。そこで、本論文ではWonderlandが単なる思い付きに留まらずいかに精巧に作られた物語であるのかを明らかにすべく、

Wonderland と原本となった Alice’s Adventures Under Ground (1863)〈以下、Under Ground〉を比較及び分析し、また執筆・出版当時の周辺の事情について調査した。 第一章では、物語中で Alice に起こる身体変化の意義について考察し、四点の意義があると考察した。一点目は物語を進行させるため、二点目は Alice と他のキャラクターとのパワーバランスを示すため、三点目は非日常的な現象で読者を楽しませるため、四点目は

Alice のアイデンティティの曖昧さを表すためである。また、身体変化を引き起こす四つのアイテムについても、それぞれの存在意義を考察した。さらに、Under Groundと比較した六つの相違点を指摘し、それらが生じた理由を物語上の整合性をより高めるためであ

るとした。 第二章では、物語に登場する 10 のキャラクターに注目し、その存在意義について考察した。the White Rabbitは Aliceの冒険の先導者であるとともに Aliceと対をなす性格の持ち主である。the Dodoをはじめとする 4羽の鳥たちは、主人公のモデルとなった Alice Liddell と関わりの深い人物がモデルであり、 初の読者である彼女を楽しませるための

キャラクターである。the Duchessは Carrollが反発した「教訓」を語る大人のモチーフであり、the Cheshire-Catは大人をからかって遊ぶ子どものモチーフである。the Hatter, the March Hare, the Dormouseはそれぞれ子どもの視点から見た滑稽な大人たちをイメージしている。各キャラクターの言動も Under GroundとWonderlandでは相違が見られるが、これも物語上の整合性を高めるために生じたものであるとした。 第三章では、Under Ground完成からWonderland出版までの経緯や当時の Carrollに起こった出来事など、周辺の事情について調査した。Wonderland 出版に当たっては挿絵画家 Tennielをはじめ様々な人々との綿密な相談が成され、この相談を経て Wonderlandは Carrollにとって privateな作品から publicなものへと変わっていった。また、CarrollはWonderlandの安価版の作成や病院の子どもたちへの寄贈も行っており、これは社会的階級や宗教に関わらず多くの子どもたちにこの作品を読んでほしいという思いによるもの

であることが分かった。 Under GroundとWonderlandの間には様々な相違が見られるが、これらは Carrollの単なる思い付きに留まらず、Wonderland を物語としてより整合性のとれた、一般の読者に向けた作品に仕上げるために生じたものであることが分かった。こうした工夫は、

Carroll の「世界中の子どもたちを楽しませたい」という思いによるものであった。この点が、今日においてもWonderlandが多くの人々から愛される理由の一つであると言えよう。

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吉原 美里 Elizabeth Gaskell, Mary Barton研究

Elizabeth Gaskell (1810-65) の Mary Barton (1848) は、工業都市であったManchester の社会問題を描いた作品で、社会小説としてその名を広く知られている。主に労働者と工場主の貧富の差や労使問題について描かれており、主人公 Mary の父 John Bartonが、工場主の息子である Harry Carsonを暗殺する事件をメイン・エピソードに据えている。この事件に関しては多くの謎が残されているが、それらに関する研究はほとん

ど行われてこなかった。そこで、本論文では物語に残された謎に着目し、それらの謎が議

論の対象にならず解明されてこなかった原因と、謎が残されてきたことの意義を考察した。

そして、物語に残された謎が Mary Bartonの社会小説としての価値を高める要因になっていることを明らかにした。 第一章では、物語の殺人事件に残されている謎を指摘し、それらが解明されてこなかっ

た理由について考察した。この事件には、殺人現場に凶器が残されるなどの謎が存在する。

しかし、先行研究では、本作品が Gaskellのデビュー作ゆえ、そのプロットや完成度の未熟さにこの謎の要因が還元されてきた。さらに、物語に描かれる殺人事件には、実際に

Manchester で労働者によって引き起こされた暗殺事件に非常に似ている点があり、当時の読者は Gaskellがその事件を参考にしてこの作品を執筆したと考えた。そのため、読者が物語に描かれる事件に疑問を抱くことはなかったと考えられる。このような理由から、

物語の謎に関する議論は行われてこなかったと分析した。 第二章では、本作品と同時代に引き起こされた暗殺事件を参照するなど、様々な観点か

ら物語の謎の解明を試みた。それらを解明する過程で、Bartonが労働組合という群衆の圧力に押し流され、Carson を殺害するに至った可能性があるということが分かった。そのため、Bartonは労働組合に自らの犯行を示さなければならず、敢えて殺人現場に証拠となる凶器などを残したのだと考えられる。 第三章では、謎が解明されてこなかった理由を、第一章とは異なる文学史的観点から再

検討した。加えて、物語に謎が残されてきたことの意義についても考察した。本作品は、

「謎を解く」ことに重点を置く推理小説 (detective story) というジャンルが確立される以前に出版された。イギリスにおける初期の推理小説としては、Charles Dickens (1812-70) の Bleak House (1852-53) や、Wilkie Collins (1824-89) の The Moonstone (1886) などが挙げられ、このジャンルの小説は 20 世紀に黄金時代をむかえた。このような文学史的背景から、本作品が推理小説として読まれることはなく、物語の謎は解明されてこなかっ

たと分析した。 また、物語に残された謎には、殺人の描写に興味をもつのではなく、労使問題に苦しむ

人々の実態に興味をもってほしいという Gaskellの暗黙のメッセージが込められていると言える。当時の読者であるヴィクトリア朝の人々は殺人に強い関心をもっていたため、殺

人に関する描写のみに釘付けになってしまう恐れがあった。そこで、Gaskell は敢えて事件に謎を残すことで殺人に関する描写を減らし、読者が労使問題に対して興味をもつよう

に仕向けたのだと考えられる。さらに、Gaskell は本作品を、物語に決定的な結論を与えない“open form”という形式にすることで、敢えて物語に謎を残したのである。これによって、Gaskell は読者自らが進んで労使問題について知ろうとするきっかけを与えたのである。その結果、本作品は社会小説として広く知られるようになったのだと考察した。 以上のことから、物語に残された謎は様々な理由から議論の対象にされてこなかったが、

それらの謎こそが Mary Barton の社会小説としての価値を高める要因の一つになっていると結論付けた。

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金田 知葉 Beatrix Potter, Peter Rabbitシリーズ研究 Beatrix Potter (1866-1943)のPeter Rabbitシリーズは 1893年に自身が書いた絵手紙が元になった The Tale of Peter Rabbit (1902)に始まる 20数作品の絵本である。登場する動物キャラクターは生物学的に非常に精巧な擬人化を特徴としているため、その象徴ともい

える衣服を取り上げた研究が多く為されている。また Potterは絵本作家以外に商業者や自然主義者、博物学者、農場経営者としての活躍にも注目されてきた。こうした局所的な先

行研究に対し、本論文では衣食住の観点から作品の全体像を詳細に分析し、さらに挿絵と

文章の関係性について考察を深めることで絵本作家としての Potter の功績を明らかにした。 第一章では動物キャラクターの衣服の着脱の意義や、衣服の意味するものについて再分

析した。Potterはキャラクターが本能的行動をとる際に脱衣の姿を、反対に人間的行動をとる際に着衣の姿を描いている。つまりこれは自然界との調和を保ったまま動物に人間味

をもたせるという擬人化を意味する。またキャラクターの衣服の着脱によって、キャラク

ターの性格や自然界の厳しさについて親しみをもって表現することに成功している。 第二章では食事の場面が表象するものや物語独特の食について考察した。Potterは物語世界の食に関しても衣服同様に動物本来の姿を重視している。しかしそこに多様な植物学

の知識を投入したり、アレンジを加えたイギリスの伝統料理を登場させたりすることで

Peter Rabbitシリーズ独特の世界観が生まれている。動物の生態に忠実な設定の中に遊び心が垣間見え、読者を楽しませる一要素となっていることが明らかになった。 第三章ではキャラクター同士の関係性から見える作品世界の社会的な住環境について考

察した。野生の関係性を逆転させるなどの興味深い設定が見られる一方で、自然の法則や

動物の生態という大前提を覆すことなく動物キャラクター同士の人間らしいコミュニケー

ションを成立させていることが証明された。また動物にある人間性や、現実世界とファン

タジー世界の繋がりを感じてほしいという Potterの思いが随所に感じられ、それは動物間のみならず人間と動物の関係性の中にも表れていることが分かった。 第四章では挿絵と文章の関係性を、相互補完性と独立性から分析した。先行研究をもと

に、文章と挿絵が補い合うことの効果は文章の次を語ること、文章と異なる真実を語るこ

との二種類に分類できた。本論では新たに文中の難単語を説明する効果を指摘した。また

文章と独立して挿絵が語る例としてコマドリが Peterの母親として描かれることを検証した。以上の分析で本作品は挿絵と文章が一体となり想像を促す作品であると考察できた。 以上の考察から、Potterが物語を通じて も大切にしていることは自然との調和である

と結論付けられる。動物らしさと人間らしさの絶妙な均衡が取れたキャラクターや美術的

な挿絵と仕掛け満載の文章が本作品を魅力的なものにしているのである。Peter Rabbitシリーズが愛され続ける理由はこうした Potter の一貫したこだわりのもとにあると言えよう。

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宮島 史奈 Mark Twain, The Prince and the Pauper 研究 マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835-1910)の『王子と乞食』(The Prince and the Pauper, 1881)は乞食のトム・キャンティ(Tom Canty)と王子エドワード 6世(Edward 6)が服を交換したことで互いの立場が入れ替わるという物語である。トムとエドワード、またエドワード

が乞食となって街を放浪しているときに出会うマイルス・ヘンドン(Miles Hendon)は、自分を自分であると周囲から認めてもらえないという境遇に遭う。本論ではそのような状況に

ある 3人に焦点を当ててアイデンティティの問題を分析し、作品の評価にどのような影響を与えているかを考察する。尚、本論でのアイデンティティは登場人物ら本人が考える「自

分とは何者か」というものと定義し、鑪幹八郎の『アイデンティティの心理学』における

アイデンティティの 3つの分類を参考に分析していく。 第 1章ではトムとエドワードの誕生から 2人が出会うまでの過程に注目し、入れ替わりが起こる前のアイデンティティについて考察した。まずトムとエドワードの誕生の対照的

な描かれ方から、生まれたときにすでに身分は決まっているが、それは彼らの価値とは別

物であるということを確認した。さらに 2人が出会うまでの描写から、彼らのアイデンティティは「乞食のトム」と「王子エドワード」であると分析され、2人とも自身の職業をアイデンティティとして強く意識していることが分かった。 第 2章ではトムとエドワードが出会って入れ替わった後のアイデンティティについて分析した。トムは王室でエドワードと間違われ、ヘンリー8世(Henry 8)の死後、国王として生活していくことになる。この時点ではトムは自分が「乞食のトム」と認めてもらえない

ために仕方なくその役割を務めているだけであり、アイデンティティに変化はない。しか

し彼は元々王子の生活に憧れを持っていたこともあり、次第に生活に慣れてくると自分が

「国王エドワード」であると意識するようになり、アイデンティティに変化が生じたと言

える。一方エドワードは乞食の格好をして街をさまよいながら、自分は国王であると出会

う人々に主張するが、その発言を信じる者はほとんどいない。そのような中でも彼は自分

が「国王エドワード」であるという自覚を失うことはなかった。自身が認められないとい

う状況に陥った時、周囲から見た自分に順応するトムと屈しないエドワードという違いが

見られたが、どちらもアイデンティティの問題と向き合い、自分がこうあるべきだという

目標に向けて努力をしている姿が描かれている。 第 3章ではまずマイルスに焦点を当てた。マイルスは父親に勘当されて実家を離れていたのだが、エドワードを連れて久々に家へ帰ってみると、弟の画策により彼は死んだこと

になっていた。マイルスも自分を認めてもらえないという状況に陥ったが、すぐに自分を

自分だと認めてくれる人物が現れる。トムやエドワードのように自分のアイデンティティ

に対する葛藤があまり見られないため、マイルスが認められないという描写は彼のアイデ

ンティティの問題を描いているのではなく、エドワードにとって困難な出来事の 1つとして描かれているにすぎないと解釈した。またこの作品が民話的手法で書かれていることに

触れ、トムとエドワードの入れ替わりの経験は「冒険」として読者が純粋に楽しめるもの

となっていることがこの作品が評価されている要因になっていることや、逆に計算された

伏線が面白みのない作品であるという正反対の評価を生み出していると分析した。 以上のように、登場人物のアイデンティティの問題を分析し、作品の評価に対してどの

ような影響を与えているかを明らかにした。

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大山 加奈子 Jane Austen, Emma研究

Emmaのメインプロットは、主人公 Emmaと彼女の友人である Harrietが、理想の結婚相手を模索するというものである。結婚相手の要件として、「歳の差」という点からの研

究はあまりなされてこなかった。このため、本論文では、歳の差婚のもたらす意義につい

て考察し、その意義を Austenの結婚に対する考え方と結びつけ、 終的に歳の差婚が理

想の結婚の一つの形になりうるということを論証した。 第一章では、作品内における歳の差婚の捉え方を分析した。本文内で Emmaと Harriet

が歳を重ねている男性について述べる場面があり、年齢を重ねている男性は結婚相手とし

て、精神的・経済的に理にかなっていると Emma は語る。作品内において 37 歳の Mr. Knightley は広い知識と豊かな経験から Emma に数多くの忠告や助言をする人物として描かれている一方で、27歳の Mr. Eltonは自分の感情を優先させる自己中心的で、幼稚な性格の持ち主として描かれている。その対照的な二人の紳士のふるまいや考え方を細かく

分析し、歳の差が結婚相手の人間性を推し量る点で、非常に重要な要件であることを明ら

かにした。 第二章では 18世紀から 19世紀初頭における歳の差婚の実態を二つの観点から分析した。

一つ目は、L. Stone が指摘するように、当時の上流社会における教育の高度化や Grand Tourによる教育期間の長期化、遺産相続のシステムといった時代的な社会の風潮から、歳を重ねた男性はそれなりに知識や経験があり、経済的にもある程度の安定感があったこと

を証明した。二つ目は同時代の他の文学作品から歳の差婚の捉えられ方を分析した。

Charlotte Brontë の Jane Eyreなど、三つの作品を例に挙げ、それらの作品内における歳の差婚の捉えられ方を読み解いていった。 第三章では、Austen の結婚に対する考え方を彼女の書簡やその他の作品、実際の恋愛

経験から分析した。彼女は結婚において、情熱的であるべきか、理性的であるべきかのバ

ランスについて生涯を通して自問自答しており、その考え方の変化を初期の作品と後期の

作品から考察した。そして理性と情熱の二つの点から結婚を考えた場合、EmmaにおけるEmmaと Mr. Knightleyの関係性は非常に理想的なものであるといえる。その二人の関係が理性と情熱の両方を満たすことのできる理想的な形となりえたのは、やはり結婚相手と

して「歳の差」が生み出した利点によるものだと考えられる。 以上の点から、カップルの年齢差が結婚相手の人間性を推し量る要件となり、また精神

的・経済的にもたらす意義は深いと結論付けた。Austen の作品は、田舎に住む紳士階級の娘たちの身の振り方、そしてそれを取り巻く周囲の人々との人間関係を題材として描か

れている。Emmaが失敗と苦悩に直面しながらも、Mr. Knightleyの支えのもと本当に大切なことに気づき、人間として成長し、幸せな結婚を掴むというプロットに Austen 自身の理想が込められていると考察した。

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新保 遥奈 Notes on Ellipses in English 本論文は、英語における省略現象についての研究である。英語には、主に名詞句内省略、

動詞句省略、間接疑問縮約、空所化がある。 (1) 名詞句内省略

Although John’s friends were late to the rally, [NP Mary’s [e]] arrived on time. (2) 動詞句省略 Because [s Pavarotti couldn’t [e]], they asked Domingo to sing the part. (3) 間接疑問縮約 We want to invite someone, but we don’t know [s’ who [e]].

(4) 空所化 Mary met Bill at Berkeley and Sue [e] at Harvard. まず、第 2章において、これら 4つの省略現象の基本的特徴と類似点、相違点を明らかにするため、Jackendoff (1971)、Williams (1977)、Chao (1987)の分析を概観する。それらによると、省略が生じることのできる節や、省略要素が先行詞に先行できるかなどの多くの点

において、名詞句内省略、動詞句省略、間接疑問縮約が同一の特性を示し、空所化と区別

されることが分かる。しかし、X’理論(Chomsky 1970)に基づき、動詞句省略が名詞句内省略や間接疑問縮約と、(i)省略の的、(ii)省略を認可する要素の点で異なることが分かる。動詞句省略では、(i) 大投射、(ii)主要部である一方、名詞句内省略と間接疑問縮約では、それぞれ(i)中間投射、(ii)指定部である。そこで、DP 仮説(Abney 1987)と機能範疇で主要

部が占められている句構造(Johnson 1990)を採用することにより、これら 3つが(i) 大投

射、(ii)主要部であると示す。その結果、名詞句内省略と動詞句省略、間接疑問縮約が一つの自然類を成し、空所化とは区別されると主張することができる。 また、第 3 章では、省略要素がどのようにして解釈されるのかに焦点を当て、2 つの分

析方法、統語的分析と解釈的分析を間接疑問縮約の例を用いて比較する。統語的分析では、

格一致効果、文の主語が省略された際の数の一致、wh 移動と同じ特性を示すといった 3点において、節構造を持つと示すことができる。一方、解釈的分析では、島効果の欠如が

起こるのは wh移動が関わっていないからだとするが、それは Merchant (2001)によって統語的分析においても説明されうる。その結果、統語的分析の方が望ましいと言える。

第 4章では、統語的分析に反対する議論として voice mismatchを挙げ、能動と受動、主語と非主語、項構造の交替を観察する。これらの交替は、非省略文では可能であるが、省

略文では先行詞との同一性に基づき、動詞句省略での能動と受動の交替のみが可能である。

(5) This problem was to have been looked into, but obviously nobody did.

従って、この事実は例外とされ、voice mismatch が統語的分析に反対する議論であると考

えることは難しい。 このように、英語における省略現象は、本論で議論した通常の省略、省略文における様々

な voice mismatchの全てにおいて、省略要素はその先行詞と構造的に同一でなければならないと結論付けることができる。

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須貝 友貴 Remarks on Adverbs in English 本論文は英語の副詞について論じたものである。副詞の文中の複数生起とその順序、及び副詞

の生起位置による ambiguous sentences(2つ以上の意味にとることができる英文)の出現につ

いて、先研究者の提唱する統語論的・意味論的観点を持つ理論と結び付けてその理由を分析す

る。

(1)a. Mary knocked on the door intentionally twice.

b. Mary knocked on the door twice intentionally.

(2)Nancy carelessly drank the water.

(1)の 2文は一見大差がないように思われるが、2つの副詞の順序のみの違いで異なる解釈と

なる。また、(2)を「Nancyは不注意にも水を飲んだ」とする解釈と「Nancyのその水の飲み方

は不注意だった」とする解釈とがある。例えばこの多義性はこのように解釈できる; IP

SBJ ADV VP Nancy ?carelessly

ADV V' ?carelessly V OBJ

drank the water 第 2章では副詞の生起位置とその順序に影響を与える要素をまとめた上で副詞の生起しうる

位置を図示し、例文と対応させて二つの関連性を分析する。各副詞の出現位置は、それぞれが

持つ作用域の範囲と特に密接に関連している。また、単文中に副詞が複数生起した場合の順序

は、およそ作用域の範囲を比較することで決定できるといえるが、一般化することが困難であ

り、多様な考察を行うことができてしまう。

これらの解釈の多様性を裏付ける理由として、同じく多様な副詞の分類法があることが挙げ

られるため、第 3章では、Greenbaum (1969)、 Jackendoff (1974)、そして Cinque (1999) と Ernst

(1998)の対立的な思法と照らし合わせて分析する。

Greenbaumは副詞を独立構成素である adverbial(副詞類)と句の内部に組み込まれた要素で

ある modifier(修飾語)に分類し、前者をさらに文の中核部との結びつきの程度によって conjunct

(接合詞)、disjunct(離接詞)、adjunct(付加詞)に機能的に分類した。これらが文中の語順に

反映されると述べる。

Jackendoffは projection ruleを用いて副詞を意味論の観点から speaker- oriented(話者指向の副

詞)と subject-oriented(主語指向の副詞)とに分類し、この 2つの構成素統御作用域の違いか

ら複数生起の際の語順を判断する。

Cinqueは副詞の認可が機能範疇の主要部/指定部の関係で行われる統語論的説を提唱した。そ

の説を批判的に検証する形で Ernstは指定部の位置のみにとらわれず、文中に階層を設定する

ことによって副詞の生起位置をより自由にしている。

Nancy carelessly drank the water.

IP 節内の ADV と VP 節内の

ADVのどちらなのかが不明

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豊岡 桂衣 On Infinitival Constructions in English 本論文では、不定詞が現れる構文を概観する。学校文法では名詞的用法、形容詞的用法、

副詞的用法として分類されるが、ここではより細かい分類と、それぞれにおける興味深い

構文を取り上げる。 第 2章では、形容詞の補足語としての不定詞構文を見る。

(1) a. This matter is for the governor to settle. b. This matter is for the governor. (1a)と(1b)はほとんど同じ意味を表すが、異なる構造を持つ。(1a)の for+NP は補文標識と不定詞主語からなるのに対し、(1b)のそれは前置詞句である。 第 3章では、動詞の目的語としての不定詞について見る。ここでは動詞の目的語としての不定詞と動名詞の違いについて扱う。どちらを選択するかにもとづいて述語表現を分類

し、以下のいずれかの特徴を持つことを見る。( i )不定詞は未来を指向し、動名詞は時間的に中立または過去/事実を指向する( ii )不定詞のみを取る動詞の場合、その行動に積極的な態度を示し、動名詞のみを取る動詞の場合、その行動に消極的な含みを持つ( iii )不定詞の主語は常に主節主語と同一だが、動名詞の主語は必ずしも主節主語と一致しない 第 4章では、目的を表す不定詞節が意味的・統語的特徴によって 3つ(purpose clause (2a), rationale clause (2b), objective clause (2c))に分類されることを見る。 (2) a. Bill bought the piano! for Mary to practice music on ! . b. Bill bought the piano! for Mary to practice music on it! .

c. John trains the new recruits to make a living for themselves. purpose clauseと objective clauseは VP内に生成され、rationale clauseは VP外のより高い位置に生成される。 第5章では、John is hard to convince.のような文に表れる、形容詞の補足語としての形容詞を、意味的・統語的特徴によって 8つに分類する。ここでも、for+NPの形が不定詞の主語を表しうるのかについて、8つの分類に従って観察する。 第6章では、NPまたは代名詞を後置修飾する不定詞の中から、Hard Nutsと呼ばれる構文を取り上げる。 (3) a. a hard man for me to get along with. b. an odd person for him to confide in. (3a)と(3b)は統語的に違うふるまいを見せる。ここでも for+NP の構造が異なり、(3a)では前置詞句、(3b)では補文標識と不定詞主語である。

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藤田 萌永 On Case Assignment in English 本論文では、英語における「主格」や「目的格」などの「格」に関する分析をする。我々

がふだん英文を発するとき、ほぼ自然に主格や目的格の形を判断し出力している。そのよ

うに自然に行われる「格の付与」は何によって、そしてどのようになされているのだろう

か。そして文が複雑になるにつれ、その格付与の方法は変わるのだろうか、あるいはすべ

てを包括する方法が存在するのだろうか。 Stowell (1981)は目的格を動詞の後ろの名詞句に付与するものは動詞であり、それらは主要部補部関係になければならないと述べた。また、その際に動詞と動詞後続名詞句の間に

介在するものがあってはいけないとした(隣接性の条件)。 Johnson (1991)は Stowellが説明していない主格の付与について、そして隣接性の条件では説明しきれない格付与について分析した。主格を付与するものは Inflであるが、主格名詞句と動詞の間に介在するものがあっても主格は付与されている。そこで Johnsonは隣接性の条件は主格付与には関係ないとし、主格付与は指定部主要部関係にあるとした。また、

目的格付与に関して動詞の後ろに名詞句とその他の句がある場合、必ず名詞句が先行しな

ければならないという「名詞句先行特質」を提案した。 Lasnik and Saito (1991)は例外的格付与構文(以下、ECM構文)について考えた。通常、格を付与する要素はそのシスターの位置にある名詞句に格を付与するが、ECM構文ではシスター位置にはない名詞句に格を付与している。そこでLasnik and Saitoは「繰り上げ分析」を提案し、ECM構文の埋め込み節の主語は主節の目的語位置に繰り上げられているとした。またその際に IPを Agr-SPと TPに分離させ、指定部主要部関係の包括範囲を広げた。 Radford (1997)は上記の分離 IPに加え、VPを vpと VPに分離させ、その間に Agr-OPを挟むという分離 VP仮説を提案した。それによって目的格付与に関するそれまでの主要部補部関係を指定部主要部関係とすることができ、主格と目的格の付与を両方とも指定部主

要部関係という一つの関係に統合した。 Hornstein (2005)は上記の分析では説明しきれない空範疇(以下、PRO)の問題について

議論した。PROは照応形と代名詞形の特質を持つが、束縛理論の条件 Aと Bによるとそれらは統率されなければならない。しかし PROの定理によると PROは統率されてはいけない。この矛盾を解消するために Hornsteinは構成素統御の概念に 大投射統御の概念を加

えた。また格付与に関しては PROが非定形の Infl(to+動詞や動詞-ing)から空の格を付与されるとした。 結論のページにおいては、それでもなお説明しきれない問題を提示する。

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宮澤 泰仁 A Syntactic Approach to Existential Sentences

本論文は、英語における存在の there構文(以下 ETS)に焦点を当てたものである。ETSは、主語位置に虚辞と考えられている thereの出現を伴う。意味上の主語と be動詞が一致している単純な構造のように見られるが、Caseと Agreementに関しては確固たる分析が与えられていない。本論文においては、ETSと be動詞文(以下 CS)における次のような対比に注目し議論を展開した。 (1) a. There are unicorns near the river. b. Unicorns are near the river. 第二章では、Milsark(1974)、Stowell(1978)において提案された ETSに対する制約を、ETSと CSの両方の観点から考察した。その結果、提案された制約は ETS固有の性質ではなく、CSの性質に由来する可能性を提示することができた。続いて、ETSにおける意味上の主語と述語の構造関係を Stowell(1978)、Williams(1983)、Safir(1983)に基づき吟味した。 (2) There is a man sick. 例における斜字部分に小節構造を仮定することで、ETSに関する制約を構造的に説明できる点、CS との類似性が高まる点から、本論文では ETS における小節構造を仮定し議論を進めることにした。また、この章の終わりには ETSに対する There-Insertion分析を構造の観点から検討したが、不明な点が多く残り、不十分な結果に止まった。 第三章では、本論文の主題である ETSの Case と Agreementに関する議論を展開した。その中で、現在に至るまで提案されてきた主な三つの分析を再考したが、いずれも整合性

のとれた結論にはたどり着くことができなかった。 第四章では、thereの本質に注目し、一般的には意味的要素を持たない虚辞 NPと考えられている thereを、存在素性をもつ Existentializer(EP)とみなす新しい考え方を導入した。そして、ETSと CSの類似点の多さを踏まえた上で、Existentializerを定義しつつ ETSの派生について仮説を立てた。併せて、曖昧な点が多かった There-Insertionを再定義した。 結論として、ETS と CS は同一の基底構造を持つパラレルな関係ではなく、ある基底構造から CSが派生され、そこから疑問文と同じく随意的に ETSが派生されるという考え方を提案した。 (3) D-structure CS (optionally) ETS (4) a. [e] be [a man sick]. (D-structure) b. [a mani] is [ti sick]. (CS) c. there isj [[a mani] tj [ti sick]]. (ETS) この考え方に従うと、ETSの大きな問題である Case と Agreementの問題は生じなくなる。加えて既に精査した ETS に対する制約、ETS における小節構造との整合性も高い。また、ETSと CSとの共通性を的確に説明できるようになる点、ETS以外の他の種類の there構文に対しても応用できる点も利点として挙げられる。

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山浦 由花里 A Study of Infinitival Clauses in English and Latin 本論文では、不定詞節の中でも特に、英語とラテン語の両方に観察される、動詞の後ろ

に対格名詞と不定詞節を伴う構文(A+I Construction in English and AcI Construction in Latin)

について研究した。以下に例文を挙げる。(A) は英語、(B) はラテン語の例である。 (A) Cindy believes Marcia to be a genius. (B) Gallos esse altissimos omnes credunt.

(ACC) to-be(INF) very-tall(ACC) all(NOM) believe(PRES.INF.3.PL.) ‘Everyone believes the Gauls to be very tall.’

(A) と (B) は、違う言語でありながら一見すると非常によく似た構造を持つ。この 2 つ

の構文は、共通の分析が可能なのか。それとも全く別の構文なのか。これを明らかにする

ことが本論文の主旨である。 第 2章では、英語の A+I Construction について考察した。特に、この構文の分析として考えられる主要な 2つの分析、Postal (1974) による Raising to Object 、Chomsky (1981) による ECM approachの検証に焦点を当てた。結果、経験的な証拠が多い Raising to Object の

方が、A+I Construction を説明するのに適していると結論付けた。 第 3章では、ラテン語の AcI Construction について、過去の分析の変遷を概観しつつ、英語の Raising to Object または ECM approach の適用が可能なのかを検証した。Maraldi (1983) と Cecchetto and Oniga (2001) は、AcI Construction は Raising to Object と ECM approach では説明できない、と主張する。新しい分析として、Cecchetto and Oniga (2001)

は Null Complementizer hypothesis を採用し、ラテン語の AcI Constructionは、目に見えない空の要素である補文標識によって不定詞節の名詞句への対格付与が行われている、と結論

付けた。 第 4 章では、第 3 章の結果を踏まえ、英語の A+I Construction を Null Complementizer

hypothesis によって分析することが可能かどうか、私の分析を提示した。結果として、不

可能であるという結論に至る。なぜなら、ラテン語の AcI Construction と英語の A+I Constructionでは、埋め込まれた不定詞節の名詞句へ対格を付与する役割を担う要素が異なるからである。英語の A+I Construction では、その役割は主節動詞が担う。その証拠に、英語において Postverbal NPは、主節動詞と常に隣接していなければ非文となってしまう。一方で、ラテン語の AcI Construction では、埋め込まれた不定詞節の名詞句、つまり

Accusative NPが、主節動詞と隣接していなくても文法的な文と認められる。それは、Null Complementizer によって対格が付与されているからだと考えられる。 帰結として、英語の A+I Constructionとラテン語の AcI Constructionは、一見すると非常によく似た構造を持ちながらも、全く別の構文であり、よってそれぞれに異なる分析を必

要とする、という結論に至った。

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猪爪 成志郎 On Triad Verbs in English

本論文では、英語に於ける三項動詞に焦点を当てている。特に、二重目的語構文、与格

交替、二重前置詞句構文(その中でも talk構文)に絞って論を展開している。それぞれの

枠組み(DP-DP frame、DP-PP frame、PP-PP frame)で、解釈の仕方が異なっている。基底

構造に於いて、これらの項構造は主題項が着地点項よりも低い位置で現れる、という形を

とる。DP-DP frameでは、基底構造で下に位置している名詞句は上の名詞句を越えて上がってこられない。上の名詞句は、対格付与に於ける隣接性条件に則り、適切に格を与えら

れる。しかし、下の名詞句は、動詞との間に上の名詞句が介在しているために、隣接性条

件を違反している。そのため、対格が動詞から与えられない。そこで、本論文では各付与

に関して新たな考えを、幾つかの構文に当てはめながら提案をしている。 DP-PP frameでは、基底構造において、前置詞句が名詞句と動詞との間に介在している。名詞句は適切に格を付与されるために、前置詞句を越えて繰り上がらなければならない。

この操作は義務的である。 PP-PP frameでは、項が動詞から格を与えられる必要がないため、自由に入れ替わること

ができると、初めは考えられるのだが、実際には主題項の繰り上げは選択的でもあり、義

務的でなければならないこともある。また、表面的には下に位置している項であっても、

数量詞繰り上げが適用されることで、解釈の上では上の名詞句に対して広い作用域を持つ

ことができることもある。しかし、ここで考慮しなければならないのは、数量詞繰り上げ

は空範疇規則に従っているということだ。また、これは項構造の場合であるが、付加構造

である場合もある。それは、一見すると、項構造と全く同じ形をしているので、見た目か

らでは判断しづらいが、解釈をする上では項構造とは全く異なる。これは、項構造では主

題項が着地点項よりも基底構造内で低い位置にある一方、付加構造では付加されている句

が必ず項よりも高い位置にある、ということに起因している。また、前置詞 toには、特異

な性質があると提案している。Toは、その目的語に対して、c−統御障壁を生じない。その特異性を説明するために、本論文では AgrP句を to句に採用している。Toは Agr句の主要部に動き、その目的語は指定部へと繰り上げられる。しかし、この操作をそのまま採用す

ると、表面上で語順が入れ替わってしまう。なので、この操作は非顕在的に行われる。

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榊原 萌 A Comparison of Double Object Construction in English and Spanish 本論文では、英語とスペイン語における二重目的語構文の先行研究を概観し、その分析

法をもとに比較検証を行う。 まず、第2章では英語の二重目的語構文と与格構文の先行研究を考察した。Larson (1988)

は従来の三股の分析では説明できない(1)に見られる二つの目的語の非対称性を二股の構造で分析することを提案した。

(1) a. John sent Mary a letter. (二重目的語構文)

b. John sent a letter to Mary. (与格構文)

一方で、Aoun and Li (1989) は Larsonの分析では QR(数量詞繰り上げ)のデータを説明することができないとして、Larsonとは異なる基底構造を仮定して分析した。 さらに、Lasnik (1999)と Fujita (1996) もそれぞれの分析を提案している。どちらの分析法にも利点と欠点が存在するが、この二つの分析法の大きな違いは、Fujita が主語の

volitionality によってAgentive subjectとNonagentive subjectを構造的に分けて分析している点にある。本論文では、これら二つの分析法を互いのデータを用いて検証を行った。この

検証により、どちらの分析法も互いのデータを説明することができず、英語の二重目的語

構文と与格構文のデータを包括的に説明できる分析はいまだに提示されていないという結

論に至った。

第3章では、英語の二重目的語構文の分析法との比較検証をすることを目的に、スペイ

ン語の二重目的語構文における先行研究を考察するとともに、その分析法の問題点を指摘

した。

(2) a. Juan mandó una carta a María. (cliticなし/DO-IO) b. Juan mandó a María una carta. (cliticなし/IO-DO) c. Juan le mandó una carta a María. (cliticあり/DO-IO) d. Juan le mandó a María una carta. (cliticあり/IO-DO)

Demonte (1995) はスペイン語の二重目的語構文は統語的に分析可能であり、文の容認可能性は clitic (接辞)の有無によるものだと主張した。これに対し本論文では、Demonteの論文で比較に用いられている例文は動詞が異なるため比較が成り立たないということを指摘し、

スペイン語の二重目的語構文の容認可能性に cliticの有無は影響しないことを示した上で、

動詞の分類が文の容認可能性に関係しているという帰結にたどり着いた。 さらに、本論文では、スペイン語の二重目的語構文を英語の二重目的語構文になされて

きた分析法で説明できるか検証を試みた。検証の結果、スペイン語の二重目的語構文は英

語と同じ分析法で説明できないという結論に至った。

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田中 研匠 On Causative Constructions in English 本論文は、英語の使役構文における、make, get, have, letの意味的な振る舞いを考察したものである。 第2章では、makeと getが用いられる使役構文に焦点を当てて考察する。その際以下の点に注目して例文を観察する。 ・使役主と被使役主はどのような関係か。 ・使役主と被使役主は有生か無生か。 ・使役主と被使役主はどのように使役事象に関わっているか。 それぞれの動詞を用いた例文を比較し、makeには「強制」の解釈があり、getには「説得」の解釈があることをみた。さらにそれぞれの動詞を用いる場合の意味的・機能的制約を確

認した。 第3章では、have と let に焦点を当てる。第1章と同様に、上記の点に注意してそれぞれの構文を比較する。haveには「指示・依頼」の解釈があり、letには「放置・無干渉」の解釈があることをみて、意味的・機能的制約を確認した。 第4章では、makeには第1章で示した「強制」の解釈の他に「自発」の解釈があることをみる。さらに、makeの解釈を「典型的強制使役」と「非典型的強制使役」、「典型的自発使役」と「非典型的自発使役」に細分した。その結果、その4つの分類に当てはまらない

場合が出てくることになる。このように Make という1つの動詞が「強制」と「自発」という相反する2つの解釈を有すること、どの分類にも当てはまらない場合があるという事

実を確認した。そこで、Make にはただ1つの解釈、すなわち、ある使役事象を一方的・必然的に作り出すという解釈をすることで、Make という 1 つの動詞が相反する2つの解釈を有するということと、どの分類に当てはまらないという事実を確認した。 第5章では、以下に示すような使役構文の2通りの構造における意味の違いについて考

察する。 (1) a. He made her be more cautious.

b. He made her more cautious. (1a)の構造を[人間 Make 人間 be C (=complement)]、(1b)の構造を[人間 Make 人間 C]と規定し、それぞれの構造の解釈の違いを比較する。その際、それぞれの補語の自己制御可能

性に注目する。自己制御可能性のあるものを[+self-controllable]、自己制御可能性がないものを[-self-controllable]と規定し、それぞれの構造の意味解釈について確認した。その結果、自己制御可能性、使役主と被使役主が有生か無生かに応じて、[人間 Make 人間 be C (=complement)]の構造には、「言語的強制使役」の解釈があり、 [人間 Make 人間 C] の構造には、「魔術的状態変化誘起」と「自発使役」の解釈があることを確認した。

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桜井 舞香 Notes on Gapping in English 本論文では、英語における省略現象の1つである空所化の先行研究を概観し、その妥当

性を検討した。空所化の例として、以下のような文があげられる。

(1) John ate bananas and Mary ∅ apples. 2章では、空所化の性質を概観した。空所化には simple gapと complex gapの2種類がある。simple gapは(2)のように時制のみが削除されてできる空所のことを指し、complex gapは(3)のように時制と動詞を含む付加的な要素が削除されてできる空所のことを指す。

(2) Some had ordered mussels, and others ∅ drunk cocktail. (∅= had) (3) Some had ordered mussels, and others ∅ swordfish. (∅= had ordered) また、空所化には、①空所化は等位項に限定される②空所は埋め込まれてはいけない③

空所の先行詞は埋め込まれてはいけないという3つの制約が存在する。 3章では、Coppock(2001)と Lin(2002)に基づく low coordinationと VP削除による分析とその利点について Johnson(2009)がまとめたものを概観した。その中で Johnsonは VP削除分析の問題点を指摘し、VP削除分析に代わる方法としてATB移動分析を提案した。Johnsonは ATB移動分析を用いて、VP削除を用いて説明ができなかった空所化の③の制約と、空

所化と VP削除の共起制限に関する説明を行った。 4章では、Johnsonによる VP削除分析批判に反論する Toosarvandani(2013)の主張を概観

した。Toosarvandani(2013)では、Johnson が提案した ATB 移動分析の問題点を指摘することで VP削除分析の妥当性を主張している。しかし、(4)の非文法性については、ATB移動と VP削除のどちらの方法を用いても説明できないとしている。

(4) ?Mom has checked that Max has eaten his peas, and Dad ∅ drunk a beer. (∅=has)

このように統語的な説明が困難な場合において、Toosarvandaniは Kuno(1976)の一般化に基づき、Focus Remnant Requirementと Low Coordination Parallelismという情報構造に関わる意味論的規則を用いての説明を試みた。意味論的規則の有用性を見出すため、5章では、

Kuno and Takami(2007)の意味論的規則に基づいた空所化文の説明を考察した。以上のよう

な空所化現象の分析を踏まえて、VP 削除という統語的な分析と意味論的規則による分析を組み合わせた Toosarvandaniの分析が妥当であるという結論に至った。

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島貫 遥 On Wh-movement in English

本論文は、英語における変形移動、特に wh移動について考察するものである。 第 1 章では、Ross(1967)の複合名詞句制約、等位構造制約、左枝分かれ条件、文主語条件、Chomsky(1977)のWh島条件、Chomsky(1973)の主語条件、Huang(1982)の付加詞条件の

7つの制約により排除されるそれぞれの文を例証した。 第 2章は、第 1章で見た様々な制約を統一して扱おうとする Chomsky(1977)の下接の条件(Subjacency Condition)の分析で構成される。Subjacencyは、2つ以上の境界接点(bounding node: 英語では IP と NP)を越えることを禁ずる条件で、複合名詞句制約(1)、(文)主語条件(2)、Wh 島条件(3)、そして付加詞条件(4)に統一して適用できることを説明した。しかし、

Subjacency は主語と目的語の非対称性を重要ではないとみなす点が問題であると指摘した。 (1) *[CP Whoi do [IP you believe [NP the claim [CP that [IP John saw ti]]]]]? (2) *[CP Whati did [IP [NP

your interest in ti] surprise John]]? (3) *[CP Whati do [IP you wonder [CP when [IP John ate ti]]]]? (4) *[CP Whoi did [IP you leave the room [CP after [IP you talked with ti]]]]?

第 3 章では、第 2 章で見た Subjacency では説明できない例(5)を、Huang(1982)の取り出し領域条件(Condition on Extraction Domain: CED)によって説明した。CEDは、主要部の補部以外の要素の中からの取り出しを禁ずる条件である。CEDは Subjacencyの問題点であった主語と目的語の非対称性を認め、さらに抜き出しに関して、主語と付加詞は同一の性質

をもつと予測する。

(5) [CP Whoi did [IP you see [NP a picture of ti]]]? しかし、ここでも CED では説明できない例がいくつかあり、それらは Case theory とThematic theoryによって説明できるとしたが、本論文では触れない。また、CEDはすべての言語に適用できると言われるが、日本語の例(6)を挙げ普遍的ではないことを指摘した。

(6) Dare-wo aisatsu shite kara nagutta no? *Who did you hit after greeting?

第 4章では、Rizzi(1990)の相対的 小性(Relativized Minimality)の分析で構成される。ある要素は適切な位置にのみ移動でき、その移動は 少移動でなければならない、というす

べての移動に適用する原則 (minimality principle)の事実の観察に基づき、Relativized

Minimality は、移動する要素はそれと同じタイプの要素を飛び越えて移動することはできないということを示した。この Relativized Minimalityは、wh移動(7)だけではなく NP移動(8)や主要部移動(9)にも適用できることを例証し、適用範囲が広いことを概観した。

(7) *[CP2 How1 do [IP you wonder [CP1 which problem2 [PRO to solve t2 t1]]]]? (8) *[IP3 Johni seems that [IP2 it is likely [IP1 ti to win]]].

(9) *Havei they [could [ti left]]?

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五十嵐 彩香 ゲーテ『ファウスト』第一部「グレートヒェン悲劇」研究

──グレートヒェンの歌を中心に──

本論文では、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の作品『ファウスト』(„Faust“,

第一部 1808 年, 第二部 1832 年)の第一部「グレートヒェン悲劇」について取り上げ、グレートヒェンの特徴の一つである歌が「グレートヒェン悲劇」においてどのような意味を

持っているのかを考察する。 第一章では、「グレートヒェン悲劇」の素材を取り上げる。「グレートヒェン悲劇」の素

材としては、ファウスト物語の民衆本の中のエピソード、ゲーテ自身の恋愛体験、嬰児殺

しがある。 第二章では、グレートヒェンが歌う 4つの歌、「トゥーレの王」、「糸紡ぎの歌」、聖母受苦像の前での歌、「杜松の木」の歌を分析し、先行研究をもとに解釈を試みる。 初に歌わ

れる「トゥーレの王」は事実としてはゲーテの創作であって、民衆の歌ではない。しかし、

『ファウスト』の物語の中ではこの歌は民衆の歌とされており、グレートヒェンはこの歌

を民謡として歌っていたと考えられる。それに対して、次に歌われる「糸紡ぎの歌」では

グレートヒェンは自分の気持ちをありのままに歌にしている。それはつまり、既成の歌で

はなく自分自身の歌を歌うという自己表現を彼女は身に付け、彼女は民衆に親しまれて歌

い継がれてきた「歌」から抜け出しつつあるのである。その次に歌われる聖母受苦像の前

での歌でも、彼女は自分の気持ちを正直に歌って自己表現をしている。この歌で彼女は「歌」

という世界から完全に抜け出す。しかし、 後に歌われる「杜松の木」の歌は民話をもと

にした歌であり、直接的には自分自身のことを歌っていない。つまり、彼女は民衆に親し

まれ歌い継がれる「歌」に戻ったのである。 第三章では、第一章、第二章を踏まえてグレートヒェンの歌の役割について考察する。

「グレートヒェン悲劇」はグレートヒェンの内面に重点が置かれており、彼女の心の動き

が主題ともいえるが、彼女は歌の中以外では自分の心情を表現しない。したがって、歌は

彼女の内面を表出させる役割を持っている。また、第二章で考察した 4つの歌がどのような時に歌われているかを見ていくと、4 つの歌が挿入される場所には共通点があることが分かる。それは、自らの悲劇的な運命に対するグレートヒェンの認識の変化時、及び彼女

の悲劇の転換時に挿入されている点である。そして、第二章で明らかにしたように、グレ

ートヒェンの歌は民衆の歌から始まり、自身の「内面の吐露」を経て、民話がもとになっ

ている歌で終わる。これは、彼女は一度「歌」から追放されたが「歌」への回帰を果たし

たということである。この「歌の回帰」は、グレートヒェンの死が 終的にファウストを

救うことを意味していると考えられる。さらに、グレートヒェンが「歌」から追放された

こと及び「歌」へ帰ってきたことは、同時に、罪による彼女の社会的な追放とその追放の

終局を意味していると考えられる。 以上より、グレートヒェンの歌は「グレートヒェン悲劇」において 4つの意味を持っていると結論付ける。1つ目は、グレートヒェンの心情の表現である。2つ目は、自らの悲劇的な運命に対するグレートヒェンの認識が変化した時、彼女の悲劇が転換した時の顕示で

ある。3 つ目は、グレートヒェンが民衆の歌から追放されたこと、及び民衆の歌へ帰ったことが、平行して進行している彼女の社会的な追放とその追放の終局を暗示することであ

る。4つ目は、「歌の回帰」はグレートヒェンの死が 終的にファウストを救うということ

を意味することである。

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Eine Studie zur „Tragödie von Gretchen“ in Goethes „Faust“ erster Teil mit Schwerpunkt auf Gretchens Lieder

Ayaka IKARASHI

In dieser Arbeit behandle ich „die Tragödie von Gretchen“ im ersten Teil des „Faust“ (erster Teil 1808, zweiter Teil 1832), den Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) geschrieben hat. Ich betrachte die Bedeutung der Lieder, die eine der Besonderheiten von Gretchen in dieser Tragödie sind.

Im ersten Kapitel nehme ich den Stoff der Tragödie von Gretchen auf. Dieser Stoff besteht

aus verschiedenen Elementen: aus einer Episode in einer Volkserzählung von der Geschichte Fausts, aus eigenen Erfahrungen Goethes zum Thema Liebe und aus Kindesmord. Im zweiten Kapitel analysiere ich vier Lieder, die Gretchen singt: „Der König von Thule“, „Das Lied des spinnenden Garns“, das Lied vor dem Madonnenbild und das Lied „Von dem Machandelboom“ und versuche sie zu interpretieren. Das erste Lied „Der König von

Thule“ stammt von Goethe und ist kein Volkslied. Aber ich glaube, dass Gretchen dieses Lied als ein Volkslied singt. Dagegen stellt das nächste Lied „Das Lied des spinnenden Garns“ ihre Gefühle dar. Hier singt Gretchen kein bereits vorhandenes Lied, sondern ihr eigenes, in dem sie ihre Gefühle zum Ausdruck bringt und sich vom Volkslied löst. Auch im Lied vor dem Madonnenbild, das als nächstes gesungen wird, singt Gretchen ehrlich ihr Gefühl und drückt ihr Herz aus. Dann

kommt sie ganz aus dem Volkslied heraus. Jedoch ist das Lied von „Von dem Machandelboom“, das schließlich gesungen wird, ein auf einem Volksmärchen gestütztes Lied und Gretchen singt nicht unmittelbar ihre eigenen Gefühle. Das heißt, dass sie zum Volkslied zurückkommt.

Im dritten Kapitel betrachte ich die Rolle von Gretchens Liedern. Bei „Die Tragödie von

Gretchen“ wird der Schwerpunkt auf das Innere von Gretchen gelegt. Man kann sagen, dass das Thema die Bewegungen ihres Herzens sind. Doch drückt sie ihr Gemüt nirgends außer in dem Lied aus. Deshalb übernimmt das Lied die Rolle, ihr Inneres zu zeigen. Dabei wird deutlich, dass es eine Gemeinsamkeit bei den vier Liedern, die ich im zweiten Kapitel betrachtet habe gibt: nämlich dem Ort, wo die vier Lieder eingeschoben werden. Diese Lieder werden genau dann eingeschoben, als

sich Gretchens Erkenntnis für ihr tragisches Schicksal ändert und die Geschichte in ihre Tragödie umgewandelt wird. Wie im zweiten Kapitel bereits geklärt beginnen die Lieder von Gretchen mit Volksliedern, dann folgen eigene Lieder, die ihr Inneres ausdrücken und enden mit einem Lied, das sich auf ein Volksmärchen stützt. Das bedeutet also, dass Gretchen einmal aus dem Volkslied vertrieben wurde, aber später wieder zum Lied zurückgekehrt ist. „Die Wiederkehr des

Liedes“ bedeutet, dass der Tod von Gretchen Faust rettet. Außerdem steht die Entwicklung, dass Gretchen aus dem Lied vertrieben wurde und sie später wieder zum Lied zurückgekehrt zugleich für ihre soziale Vertreibung wegen ihres Verbrechens und für das Ende der Vertreibung.

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太田 秋菜 『魔の山』における二つの世界

ハンス・カストルプの踏み越えた境界について

本論文では、ドイツ教養小説を代表するトーマス・マン(Thomas Mann,1875-1955)の長編小説『魔の山』(„Der Zauberberg”1924)において、主人公ハンス・カストルプの生活を基に、サナトリウム内外を区別する境界について考察しようとするものである。 第 1章ではまず、舞台となるサナトリウムの誕生の歴史と発展の様子について概観する。近代サナトリウムの始まりは、イギリスのボディントン(George Bodington,1799-1882)が 1843 年にイギリス中部のサットンコールドフィールドに肺病患者用病院を建てたことである。その後さらにサナトリウム療法の有用性を広めたのは、ドイツ人のブレーマー

(Hermann Brehmer, 1826-1889)だった。彼の治療を受けたデトワイラー(Peter Dettweiler,1837-1904)が、ブレーマーの提唱する運動療法よりも、安静の方が重要であると考え、1876年に大気・安静療法を取り入れたサナトリウムを建設した。このような経緯を経て誕生し

たサナトリウムは、「サナトリウム療法」として発展していった。不治の病として浸透して

いった結核に対して大衆は、次第に天才が患う病気、贅沢な病気であるといった認識をし

ていった。ノヴァーリス(Novalis,1772-1801)をはじめとして、才能ある文人たちが結核によって亡くなっていったことや、結核が文学のモチーフとして扱われたことから結核に

対する憧れを抱く人々がいた。また、決定的な治療力に欠けるサナトリウム療法により、

結核は治療に時間とお金のかかる贅沢な病として確立していった。その結果、経済力のあ

る上流階級の人々が現実から逃れる一つの手段として、結核が用いられていた。そうして、

サナトリウム側は上流階級者に見合ったサービスを提供するようになり、ますます商業的

意味合いを帯びて行った。 第 2章では、作中に描かれている「ベルクホーフ」の様子と住人の様子を概観し、そこでの生活に順応していくハンスの様子を確認する。国際サナトリウム「ベルクホーフ」は

スイスの高級保養地ダヴォスに位置し、医療設備も対患者サービスも非常に充実している。

常駐の専門医のもとで患者は、大気・安静療法に則った生活を送っている。日々の検温や

診察はもとより、レントゲン検査に血液検査、時には人工気胸手術なども受けることがで

きる。さらに加えて、対患者サービスの例では、「ベルクホーフ」の 寄駅到着後は駅から

門衛が荷物を運搬し、食事の際にはよりスムーズなサービスのために給仕女たちがレスト

ランで働いているといったような具合である。また、建物の中は広く療養患者全員が入れ

るような大きな食堂から来客時用レストラン、寝椅子の並ぶ安静療養ホールまで揃ってい

た。さらに人々の交流の場として日々の社交的な集まりや年中行事、二週間ごとの演奏会

など様々な催し物が目白押しだった。このような治療と娯楽に支配された閉鎖的な空間に

初めは抵抗を見せていたものの、 終的にハンスは、7 年余りの時間をサナトリウムで過ごすことになる。 第 3章では、第 2章で確認した「ベルクホーフ」の環境に馴染んでいくハンスの様子を追うことで〈上の世界〉と〈下の世界〉を区別している境界について考察する。ハンス・

カストルプ自身が〈下界〉からの見舞い客から、〈上の世界〉の住人へと変化していくにあ

たって、〈上の世界〉の住人としてもともとのハンスとは区別される境界線がいくつかみら

れた。その境界線は、まず自分が病人であるという自覚、次に〈上の世界〉の住人との交

流によって生まれる情と、そこから自身もサナトリウムの習慣に従った振る舞いをしてい

ること、そして 後に故郷も含めた〈下界〉とのつながりを自ら手放した自由を手に入れ

ているという 3つの点であると結論づける。

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Die zwei Welten in „Der Zauberberg”: Hans Castorps Grenzüberschreitungen

Akina OTA

Thomas Mann (1875-1955) war Schriftsteller und schieb zahlreiche Novellen und Romane. Diese Abhandlung behandelt seinen Roman „Der Zauberberg” (1924), und ich analysiere anhand des Lebens der Hauptfigur, Hans Castorp, die Grenzen, die er innerhalb und außerhalb des Sanatoriums überschritten hat.

Im ersten Kapitel behandele ich die Entstehung und die Geschichte der Sanatorien. Das erste

Sanatorium entstand in England im Jahr 1843 und George Bodington (1799-1882) hat es gebaut. Danach Ließ sich der deutsche Arzt Peter Dettweiler (1837-1904) von dem Arzt Hermann Brehmer (1826-1889) behandeln und gewann dabei den Eindruck, dass die Bettruhetherapie besser als Bewegungstherapie sei. Danach baute Dettweiler 1876 ein Sanatorium, in dem diese Heilmethode übernommen wurde. Damals wurde die als unheilbare Krankheit bekannte Tuberkulose nach und

nach in der allgemeinen Öffentlichkeit als eine Krankheit für Genies oder eine Krankheit der Reichen verstanden. Die Tuberkulose wurde von der Oberschicht als ein Mittel der Flucht aus der Wirklichkeit genutzt. Auf diese Weise entstand ein Dienstleistungsektor, der alle Wünsche der reichen Patienten aus der Oberschicht befriedigte, und die kommerzielle Bedeutung der Sanatorien wurde wichtier und wichtiger stieg an.

Im zweiten Kapitel erkläre ich das Sanatorium „Berghof“ und das Leben seiner Bewohner wie sie im Werk beschrieben werden. Ausserdem betrachte ich, Hans Castorps Situation, der sich allmählich in das Sanatoriumsleben eingewöhnt. Das internationale Sanatorium „Berghof“ ist in Davos, einem Luxuserholungsort, und hatte medizinische Anlagen und Service für seine Kranken.

Unter der Aufsicht von Fachärzten verbringen die Kranken hier den ganzen Tag mit Bettruhetherapie. Das Gebäude ist sehr weitläufig angelegt. Es gibt ein großes Esszimmer, das alle Kranken unterbringen kann, und ein Restaurant für Gäste. Auch finden viele Veranstaltungen statt: z.B.tägliche Gesellschaften, eine jährliche Veranstaltung und jede zweite Woche Konzerte. In diesem von Therapie und Vergnügungen beherrschten geschlossenen Raum, dem Hans Castorp

zunächst versucht zu widerstehen, verbringt er doch letztlich sieben lange Jahre. Im dritten Kapitel beobachte ich die Grenzlinien zweichen dem Leben im Sanatorium im

„Oben“ und dem Leben ausserhalb des Sanatoriums „Unten“ trennt. Dabei lassen sich drei unterschiedliche Grenzen feststellen zunächst die Bewusstwerdung von Hans Castorp von einem gesunden Menschen zu einem Kranken, Veränderungen in seinem Verhalten verursacht durch den

Austausch mit den Sanatoriumsbewohnern sowie die Erkenntnis der erlangten Freiheit, die äussere Welt im „Unten“ loszulassen.

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金子 美奈 ヘルマン・ヘッセ『デミアン』研究 ―第一次世界大戦期におけるヘッセの戦争観とグノーシス主義による解釈―

本論文では、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877-1962)の長編小説『デミアン』

(„Demian“, 1919)を取り上げる。大戦が終盤に差し掛かろうとしていた 1917 年の秋に、小説というあくまで「虚構」である『デミアン』において「戦争」というモチーフが扱わ

れたことに注目し、『デミアン』執筆以前と以降の彼の戦時評論や『デミアン』成立に大き

な影響を与えたとされるユングのグノーシス主義思想を手掛かりに、この小説が意味する

ものを解明する。 『デミアン』執筆以前である大戦初期のヘッセの戦時評論からは、ヘッセの戦争観がわ

かる。彼は戦争を現実的な問題、自分の眼前で起こっている問題としてとらえていた。そ

れは、開戦直後の軍への志願、捕虜への慰問図書活動への参加などの行動にも表れている。

さらにそれは、銃後の人々の「大いなる時代」への陶酔には嫌悪感を示す一方で、戦争に

巻き込まざるを得なかった兵士たちの苦しみには共感、労りの気持ちを寄せていたヘッセ

の態度にも通じる。1917年のロマン・ロラン宛の書簡では、戦争を続けるヨーロッパに対して明確に批判的な姿勢を見せた。これからは「文芸」という、より一層「非政治的」な

手段を用いて戦争という現実の問題に向き合う意思を示した。 第一次世界大戦という社会的な問題とは別に、ヘッセは個人的な家庭の問題を抱えてい

た。このことがきっかけでヘッセは精神的に苦しむが、それを契機に精神科医 C.G.ユング、そして彼の思想と出会うこととなる。とくに、ヘッセは第一次世界大戦 中の 1917年、それまでも受けていたユング派の精神分析治療に加えて、ユングの著作である小冊子『死者

への七つの語らい』を読んだことで、グノーシス主義について、そしてユングがこの小冊

子の中で至高神としたアプラクサスについて強く感銘を受けたと考えられる。 以上のような成立背景を持つ『デミアン』における「戦争」の描写を分析すると、『デミ

アン』執筆以前のヘッセの戦争観と共通して前線兵士たちへの共感や労りが表れているこ

とがわかる。一方で、小説という虚構の世界を活かして、当時の腐敗しきったヨーロッパ

の滅亡とそこから新しいものが生まれてくる希望を表現した。そして来る新しい世界では

「自分自身の中に書かれているもの」を認識すべきことがデミアンによって説かれた。『デ

ミアン』以降のヘッセの評論を参照すると、「自分自身の中に書かれているもの」を認識す

ることとは、与えられた「共同体の運命」ではない「自己の運命」を生きることを意味し

ていることがわかる。そして、ヘッセはこの「自己の運命」を認識し生きることが平和の

招来につながると考えた。これは、戦争に巻き込まれるしかなかった若い世代へのメッセ

ージであると言える。『デミアン』は、主人公とその友人が出兵するという形で終幕するた

め、世界の崩壊を肯定しているのではないか、と読まれることもあった。しかしそれは極

めて表層的なもので、『デミアン』成立に大きな影響を与えたユングのグノーシス主義思想

における「自分自身の中に書かれているもの」の「認識」という考え方を用いることによ

って、積極的な平和の招来を成し遂げて欲しいというヘッセから戦後を生きる若い兵士た

ちへのメッセージが込められた作品であったのだということを明らかにすることができた。

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Eine Studie zu Herman Hesses „Demian“: Ein Deutungsversuch anhand von Gnosis und seinem Begriff des Ersten Weltkrieg

Mina Kaneko

Hermann Hesse (1877-1962) war ein deutscher Schriftsteller. Diese Abschlussarbeit behandelt seinen Roman „Demian“ (1919). Im Jahr 1917, also mitten im Ersten Weltkrieg, wurde dieser Roman geschrieben. Ich betrachte hier, wie Hesse in der fiktiven Welt von „Demian“ das Motiv „Krieg“ behandelte. Und anhand von seiner Kritik am Weltkrieg und dem Jungschen Begriff von Gnosis, die einen starken Einfluß auf Entstehung von „Demian“ hatte, analysiere ich, was dieser

Roman bedeutet. Aus Hesses Kritik am Ersten Weltkrieg, bevor die Arbeit am „Demian“ begann, kann man

seinen Kriegsbegriff ablesen. Hesse hielt den Weltkrieg für eine realistische und vor seinen Augen geschehende Sache. Deshalb meldete er sich im Jahr 1914 freiwillig zur Armee und unterstützte mit Büchern die gefangenen Soldaten. Daraus wird deutlich dass er sich für die Soldaten, die sich

in den Krieg verwickeln sollten, Sympathie empfand. Aber er hatte gegen die Masse, die außerhalb des Schlachtfelds vom Krieg berauscht war, eine starke Abneigung. Neben gesellschaftlichen Problemen, die der Erste Weltkrieg mit sich brachte, hatte Hesse familiäre Sorgen. Er quälte sich zuwar psychisch, aber aus diesem Anlass konnte er den Psychiater C. G. Jung (1875-1961) kennenlernen und das Denken von Jung lernen. Vor allem las er die Schrift von Jung „Septem

Sermones ad Mortus “ (1916). Hier lernte er den Begriff der Gnosis kennen und bewunderte den Allerhöchsten, der „Abraxas“ heißt, sehr stark.

In dieser Situation entstand „Demian“ im Jahr 1917. Aus Beschreibungen in diesem Roman kann man ablesen, dass Hesse für die an vorderster Front kämpfenden Soldaten Sympathie

empfund hatte. Das war seiner kritischen Haltung zum Krieg vor „Demian“ gemein. Hesse nutzte die fiktive Welt des Romans, um hier den Untergang des damalig korrupten Europas und den Wunsch auszudrücken, dass eine neue Welt entsteht. Demian predigt, dass man in der künftigen neuen Welt, was in den einzelnen geschrieben steht, erkennen soll. Die Bedeutung von, was in den einzeln geschrieben steht, lässt sich aus seiner Kritik nach „Demian“ ablesen. Was in den einzeln

geschrieben steht, bedeutet, dass man sich nicht in das Schicksal der Gemeinschaft, sondern in das eigenes Schicksal fügen soll. Und Hesse glaubte, dass dies den Frieden herbeiführt Das war ein Botschaft an die Soldaten, die in den Krieg verwickeln sollten. Anhand von Gnosis analysierte ich, was dieser Roman bedeutet. Hesse wollte, dass die junge Generation aktiv Frieden herbeifürte.

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小林 瑠璃 『親和力』における庭園について 本稿で扱う『親和力』("Die Wahlverwandtschaften„1809)は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)により 1809年に出版された長編小説である。元は、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』の中の短編小説としてゲーテが

60歳の時、手掛けられたが、構想が大きくなり、独立した長編小説として刊行されることとなった。 ゲーテはこの『親和力』について「私はそこに多くのものをこめたし、隠しもした」と

言っている。本稿では、『親和力』内の 2 つの庭に注目し、彼が「隠したもの」を考察していく。『親和力』に登場する 2 つの庭である、エードゥアルトのロココ式庭園には、シャルロッテのイギリス風景式庭園と比較すると、遥かに豊富な種類の植物が登場する。そ

れらの花や果実、木などの描写は繊細かつ親密で、時に何らかの意味を包含しており、読

者の情調に訴えかけてくるような側面がある。 『親和力』に登場するエードゥアルトの庭とシャルロッテの庭の 2つは、それぞれロココ式庭園とイギリス風景式庭園として描かれているが、ロココ式庭園の植物の美しさにつ

いては度々言及され、物語全体の中でも読者の目を引くほどである。このように、『親和力』

のロココ式庭園の植物を美しく感じさせているのは一体何なのだろうか。本稿ではその問

いに対し、主人から愛情を注がれるだけでなく自らもその愛情に報い、主人と相互的で親

密な関係を築く植物、愛着だけではなく意味が込められている植物、そして失われること

が前提の植物という 3つの論点がこの庭の美しさを高めているという仮説を立て、論証する。その際、そういった『親和力』のロココ式庭園の美しさをさらに際立たせる存在とし

て、シャルロッテのイギリス風景式庭園を、考察の際の比較対象として扱う。 『親和力』に描かれているロココ式庭園は、来客の登場によって荒らされることもあれば、思いがけずその根を張る植物があるなど、成功もあれば失敗もある変化にとんだ存在であ

った。そしてその変化に大きな影響を与えているのが、庭の主人である。ロココ式庭園は

庭の主人の好みや愛着によってその姿を変え、主人と運命を共にする儚い存在であった。

そしてその儚い美しさは、ロココ式庭園に比べれば人の手をずっと必要としないイギリス

風景式庭園との比較によって際立たされている。 私たちは、現代という時代に生きつつも、ヨーロッパを旅すれば、ロココ式庭園に出会

うことが出来る。それは復元され、管理され、手入れの行き届いた美しい姿であり、管理

が続く限り永遠の存在である。しかし、本当の意味でその庭はもう生きてはいない。本来、

ロココ式庭園は貴族の没落と共に姿を消していった。すなわち、この『親和力』のロココ

式庭園と同じように、主の死と共に花は姿を消し、その墓前の花となるような儚いもので、

変化に富んでいて、失敗もあれば成功もある、もっと柔軟な存在だった。そして何より、

その主人の愛と、植物との物理的な近さ、そして植物の持つ偶然性や刹那的な一面が、そ

の庭をより美しく構成している。なぜなら、ロココ式庭園は本来、『親和力』のエードゥア

ルトの庭のように、見られる存在ではなく、世話し、愛情を注ぐことで親密な関係を築く

存在であったためである。

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Über Gärten in „Die Wahlverwandtschaften“ Ruri Kobayashi

Der Roman „Die Wahlverwandtschaften“ wurde 1809 von Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) verfasst. Ursprünglich als Teil von „Wilhelm Meisters Lehrjahre“ gedacht, wurde es

jedoch aufgrund des wachsenden Handlungsstrangs als unabhängiges Werk veröffentlicht. Goethe erklärte, dass er in diesem Werk viele Motive unterbrachte. In dieser Arbeit werden diese Motive, die er in seinem Werk versteckt hat, besprochen, mit Fokus auf zwei Gärten in „Die Wahlverwandtschaften“. Edwards Rokokogarten hat eine größere Zahl Pflanzen als Charlottes Englischer Garten. Die Pflanzen werden als fein und positiv gegenüber ihrem Besitzer beschrieben.

Stellenweise haben sie eine bestimmte Bedeutung, was dazu dient, den Leser emotional zu berühren. Schönheit und Lieblichkeit des Rokokogartens werden immer wieder beschrieben, was einen Effekt auf den Leser hat. Was ist es, das die Pflanzen im Garten so schön macht? In dieser Arbeit werden drei Hypothesen zu dieser Frage präsentiert.

Im zweiten Kapitel beschäftige ich mich mit der Bedetung der Pflanzen. Die Pflanzen

empfangen nicht nur die Liebe des Besitzers, sondern belohnen diese auch und stellen somit eine freundliche gegenseitige Beziehung her. Also haben die Pflanzen nicht nur die Zuneigung des Besitzers, sondern auch eine bestimmte Bedeutung und Symbolismus.

Im dritten Kapitel erkläre ich, wie die Pflanzen andeuten, das Dasein zu verlassen. Charlottes Englischer Garten wird dabei als Vergleichsgegenstand behandelt werden. Der

Rokokogarten wird manchmal von Besuchern in Unordnung gebracht, aber manche Pflanzen schaffen es, ihre Wurzeln zu heben und stärker zu wachsen, was bedeutet, dass der Garten anpassungsfähig sein kann. Der Besitzer ist die Person, die die Änderungen im Garten vornimmt. Rokokogärten ändern ihr Bild abhängig von Geschmack und Vorlieben des Besitzers. Ihr Leben ist

kurz und vom Besitzer bestimmt. Die zerbrechliche Schönheit wird betont mit Hilfe des Vergleichs zu der Unabhängigkeit des Englischen Gartens, welcher weit weniger Aufmerksamkeit benötigt als der Rokokogarten. Heutzutage können wir Rokokogärten besuchen. Sie sind schön, da sie vom Staat als „National Trust“[Warum hier Englisch?] (Gesellschaft zum Schutze des historischen Erbes) oder in Selbstverwaltung restauriert und gepflegt werden. So lange auf sie Acht gegeben

wird, können sie auf ewige Zeit existieren. Jedoch „leben“ diese Gärten nicht mehr, da ihnen der Besitzer fehlt, dessen Liebe sie empfangen.

Rokokogärten starben ursprünglich mit dem Niedergang des Adels. In anderen Worten: Sie sind kurzlebige Gärten, da sie mit dem Tod des Besitzers ebenfalls sterben und zu Blumen auf dem Grabe werden, wie im Falle des Rokokogartens in „Die Wahlverwandtschaften“. An erster Stelle

macht die Liebe des Besitzers, die Nähe zwischen Mensch und Pflanzen, die Kürze und Wandlungsfähigkeit der Pflanzen die Schönheit des Gartens aus. Dies ist begründet darin, dass Rokokogärten nicht Schauobjekte, sondern stattdessen Gegenstand zur Entwicklung einer freundlichen Beziehung zu den Pflanzen durch Pflege und Liebe sind.

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齋藤 泉 ケーテ・コルヴィッツの平和思想

――「種を粉に挽いてはならない」という掟、命令について――

本論文では、ケーテ・コルヴィッツ(Käthe Kollwitz, 1867-1945)の遺言、「種を粉に挽いてはならない」という言葉に込められた平和思想について、彼女の日記や作品を通して考

察する。 第一章では、コルヴィッツの思想の背景となった事柄を確認する。コルヴィッツの祖父

ルップは、彼女の故郷ケーニヒスベルクで自由教団を設立した。コルヴィッツとその家族

や親戚の生活の中には、常に自由教団の存在があった。コルヴィッツの日記には、彼女の

祖父や自由教団の影響を受けたと思われる記述が見られる。彼女の祖父の言葉は、彼女の

作品制作への取り組み方に大きな影響を与えた。また、コルヴィッツは第一次世界大戦で

次男のペーターを亡くしている。戦争が始まると、ペーターは志願兵になりたいと両親に

訴えるようになる。当初、コルヴィッツは夫カールとともに反対していたが、 終的にペ

ーターの願いを聞き入れてしまう。コルヴィッツはペーターの主張の中に強い愛国心を感

じ取り、それに同調せざるを得なかったのである。志願兵となり戦場へと赴いたペーター

は、1914 年 10 月に戦死してしまう。この知らせを受けたコルヴィッツは、彼のための記念碑制作を決意した。 第二章では、記念碑≪父と母≫の制作過程やデーメルへの反論を通して、コルヴィッツ

の平和思想を明らかにしていく。彼女は記念碑を制作していく中で、ペーターや他の志願

兵の愛国心に共感しつつも、戦争の中には狂気しか見いだせないと考えるなど自身の戦争

観の矛盾に苦しんだ。彼女は何度も試行錯誤を繰り返し、1931年にようやく記念碑を完成させた。また、この記念碑の計画がまだ始まったばかりの頃、1918年にリヒャルト・デーメルが、徹底抗戦に賛成し、ドイツ国民に銃をとるよう求める文章を発表した。コルヴィ

ッツはこれに対しすぐに反論した。彼女はその反論をゲーテの著作の言葉、「種を粉に挽い

てはならない」で結んでいる。彼女はこの言葉に、子どもを決して戦争で死なせてはいけ

ないという母親としての思いを込めている。 第三章では、コルヴィッツの「種を粉に挽いてはならない」という言葉に込められた彼

女の平和思想を、作品分析を通して明らかにしていく。分析対象は、第二章で触れた記念

碑≪父と母≫の像や、母と子の姿が表現された作品である。コルヴィッツの作品は表情や

腕、手先の表現が繊細である反面、胴体や衣服の表現は簡潔である。コルヴィッツの描き

出した母親は「栽培者」、「種播き人」としての義務を自覚している。そしてその使命のも

とに、「種」であるわが子を「臼」でひいてしまわないように、つまり戦争へと送り出して

死なせてしまうことのないように必死に守ろうとしている。 コルヴィッツは、戦争を経験した母親という立場から戦争を描き出した。彼女は平和主

義がいつか確立することを信じて「種を粉に挽いてはならない」という言葉を遺したのだ

ろう。この言葉は彼女の思想を表すものであり、さらに彼女の掟であり、命令でもある。

コルヴィッツは、未来ある子どもたちを戦争によって死なせてはならない、戦争やそれ相

応の脅威から守り、育てていくことが母親の使命なのだという掟、命令を、「種を粉に挽い

てはならない」という言葉に込めたのである。

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Käthe Kollwitz Friedensidee Gebot und Befehl „Saatfrüchte sollen nicht vermahlen werden“

Izumi Saito

In dieser Arbeit betrachte ich Käthe Kollwitz (1867-1945) Vermächtnis: „Saatfrüchte sollen nicht vermahlen werden“. Ich stelle anhand dieses Yitats Betrachtungen zu Ihrer Auffassung von Frieden anhand ihres Tagebuch und ihrem Künstlerischem Werk an. Im ersten Kapitel stelle ich die Hintergründe ihrer Friedensidee vor. Ihr Großvater gründete die sogenannte Freie Gemeinde in ihrer Heimatstadt Königsberg. Ihr Großvater und die Freie

Gemeinde übten einen großen Einfluss auf ihr Leben aus. Als der Erste Weltgrieg ausbrach, bat ihr Sohn Peter seine Eltern, dass er sich als Freiwilliger melden durfte. Zuerst setzte sie sich gemeinsam mit ihrem Mann Karl ihm entgegen, aber letzlich stimmten sie seinen Argum enten zu. Sie mussten sie Starke Vaterlandsliebe Peters akyeptieren. Peter ging an die Front, und fiel im Oktober 1914. Kollwitz erfuhr von dem Tod ihres Sohn und entschloss sich danach, ein Denkmal

für ihn zu fertigen. Im zweiten Kapitel kläre ich Kollwitz Friedensidee anhand den Arbeiten zum Denkmals „Trauernde Eltern“ und ihrer Argumentation gegen Richard Dehmel (1863-1920). Als sie an dem Denkmal arbeitete, quälten sie die Widersprüche zwischen der Vaterlandsliebe der Freiwilligen, für die sie Sympathie empfand, einerseits und dem Wahnsinn der Kriegsrealität andererseits. 1932

stellte sie das Denkmal nach vielen Mühen fertig. Einige Jahre zuvor veröffentliche Richard Dehmel 1918 seine Schrift, in der er die Deutschen zur Teilnehme am Krieg ausrief. Kollwitz widersprach dessen Meinung sofort, und sagte, „Saaftfrüchte sollen nicht vermahlen werden“. Sie sagte das mit dem Gedanken, dass Mütter ihre Kinder absolut nicht töten lassen sollten.

Im dritten Kapitel analysiere ich ihre künstlerischen Werke. Der Gegenstand der Überlegung sind das Denkmal „Trauernde Eltern“ und andere Werke mit dem Motiv von Mutter und Kind. Kollwitz drückte Miene, Arme oder Fingerkuppen überaus feinfühlend aus. In ihren Werken ist sich die Mutter ihrer Pflicht als „Pflanzende“ bewusst. „Pflanzende“ müssen ihre Kinder vor dem Krieg schützen.

Kollwitz stellte den Krieg von der Situation der Mutter dar. Sie glaubte an Payifismus und sagte „Saatfrüchte sollen nicht vermahlen werden“. Ihr Wort ist das Gebot und Befehl, dass wir unsere Kinder nicht im Krieg töten lassen dürfen.

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高澤 真希 『はてしない物語』研究 ――竜からみるエンデの思想――

本論文では、ミヒャエル・エンデ(Michael Ende, 1929-1995)の作品『はてしない物語』

を取り上げ、その中に現れる竜について、物語中で果たす役割について考察する。エンデ

は、自身の初めての出版作品である『ジム・ボタンの機関車大旅行』、その続編である『ジ

ム・ボタンと 13人の海賊』でも竜を登場させており、エンデ作品において、竜が特別な意味を持っているのではないかと考察した。本論文では、エンデがどのように竜を扱って

いるかを検証するため、『ジム・ボタンの機関車大旅行』とともに比較しながら、竜が『は

てしない物語』の中でどのような役割を果たしているかを明らかにする。 プロップ(Vladimir Iakovlevich Propp, 1895- 1970)によれば、神話、伝承における竜とい

う存在は、大蛇から派生した存在である。大蛇は人類の発展と共に「呑み込み福をもたら

す存在」から「退治される存在」へと変化する過程をとっている。エンデは『はてしない

物語』では幸いの竜フッフールと姫をさらうスメーグ、『ジム・ボタンの機関車大旅行』に

おいてはミセス・イッポンバが悪事を働く竜から主人公ジムへ知識を授ける叡智の黄金竜

へと姿を変えるように竜を「福をもたらす存在」、「退治されるべき存在」というそれぞれ

の側面をもつ二面的な存在として描いている。 『はてしない物語』において、幸いの竜フッフールは、アトレーユとの旅において、そ

の「幸い」をもってアトレーユを危機から救う。エンデにとって希望とは、とうてい希望

をもつことができない状況にこそ現れるものである。フッフールはそのような状況でも希

望、つまり「幸い」があるという信念を持ち行動するからこそ、「幸いの竜」なのではない

かと考察する。 また、フッフールはアトレーユとともに、元の世界へ帰ろうとしないバスチアンに幾度

となく忠告をするというように描かれている。しかしバスチアンはこの忠告に反発し、記

憶を失っていくが、 終的にほんとうの望みに気がつくことができる。ここから、エンデ

は、フッフールを子どもの失敗を回避させようとする親として描いているのではないかと

考察する。しかし、バスチアンが失敗することでほんとうの望みを得たように、エンデは、

子どもにとって失敗すること、また失敗から学ぶことは自己のアイデンティティの確認の

ために必要なことであると描いている。

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Eine Studie zu „Die unendliche Geschichte“: Endes Gedankenwelt betrachtet anhand seiner Drachendarstellungen

Maki TAKASAWA

Michael Ende (1929-1995) hat viele berühmte Bucher für Kinder veröffentlicht. Diese Abhandlung behandelt seinen Roman „Die unendliche Geschichte“ (1979) und ich analysiere, was Ende seinen Lesern vermitteln wollte anhand der Darstellungen von Drachen. Drachendarstellungen sind für Ende etwas Besonderes, denn bereits in seiner ersten Roman „Jim Knopf und Lukas der Lokomotivführer“ (1960) und dem Folgeroman „Jim Knopf und die Wilde 13“ (1962) erscheinen

Drachen. Vladimir Iakovlevich Propp (1895-1970) leitet in „Die historischen Wurzeln des

Zaubermärchens“ (1946) den Drachen von der Riesenschlange ab. Hier heisst es, dass die Riesenschlange sich im Zuge der Entwicklung der Menschheit von einem Glück schaffenden Wesen zu einem Wesen, das es zu vernichten gilt, verändert. Wie der Glücksdrache Fuchur und

Smärg in „Die unendliche Geschichte“ und Frau Mahlzahn in „Jim Knopf und Lukas der Lokomotivführer“ stellt Ende den Drachen als zweiseitige Wesen dar.

In „Die große Suche“ rettete Fuchur als Glücksdrache seinen Freund Atréju aus der Not. Ende erzählt hier von der Hoffenung, die zum Zeitpunkt der Verzweiflung erscheint. Ich glaube, dass Fuchur der Glücksdrache ist, weil er auch unter bedrohlichen Umständen die Hoffnung

niemals aufgibt. Obgleich Fuchur und Atréju viele Male Bastian gewarnt haben, geht er nicht in seine Welt

zurück. Er blieb in Phantásien und verlor immer mehr seiner vielen Erinnerung an die Vergangenheit, so dass er schließlich doch seine tatsächlichen Wünsche erkennt. Mir scheint,

dass Ende seinen Glücksdrachen Fuchur hier als Elternersatz darstellt, um die Kinder vor Schäden oder Misserfolgen zu bewahren.Aber ich glaube, dass Ende damit meint, dass Kinder aus Fehlern lernen und diese Fehler dazu beitragen, die eigene Identität zu festigen, so wie Bastian, der durch seine Fehler seine wahren Wünsche erkennt.

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滝川 陽介 シェーンベルク思想研究 ―新しい音楽とは―

アルノルト・シェーンベルク(Arrnold Schönberg, 1874-1951)は前衛音楽の創始者と知られている作曲家である。彼の作品の多くは、調性音楽と相反した無調音楽や十二個の音

を均等に使った十二音技法を使用した前衛的な作品である。本論文ではシェーンベルクが

彼の論文「音楽の様式と思想」(Neue Musik, veraltete Musik, Stil und Gedanke, 1946)で述べている新しい音楽(Neue Musik)について考察したものである。 第一章では、シェーンベルクがロマン派音楽を拡大していくうちに感じた前衛音楽の創

始者としての自覚を考察した。シェーンベルクは『浄められた夜 Op.4』(Verklärte Nacht, 1899)でロマン派音楽を拡大した。ロマン派音楽を拡大する過程で『室内交響曲第一番 Op.9』(Kammersymphonie, 1906)などで音楽批評家たちから強い非難を受け、聴衆から乖離したことを感じる。そこでシュテファン・ゲオルゲ(Stefan George, 1868-1933)の詩と出会い、新しい表現である無調音楽として『弦楽四重奏曲第二番 Op.10』(Streichquartette Nr.2,1907)を作成する。

第二章では、シェーンベルクが十二音技法に至るまでを考察した。第一次世界大戦後、

ウィーンでは前衛音楽が戦前より演奏されるようになった。シェーンベルクは私的演奏協

会を開催し、より前衛音楽の試みを深める。そこで十二音技法という調性に基づかない作

曲方法を生み出したのである。 第三章では、シェーンベルクのテキスト内の「新しい音楽」を考察する。「音楽の思想と

様式」で、シェーンベルクは考え方(アイディア)が表現方法(スタイル)に先行すると

述べている。この考えはワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944)に影響されていて、その思想が音楽付き劇『幸福な手 Op.18』(Die glückliche Hand, 1913)に現れている。

つまりシェーンベルクが考える新しい音楽とは、考え方が新しいものであった。シェー

ンベルクが無調、十二音技法といった表現方法(スタイル)に至ったのは、聴衆と別離し

ても前衛音楽の創始者として、ロマン派音楽の拡大し、調性に頼らない音楽構成手段を提

唱するという考え方(アイディア)があったから、と考えることができる。

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Arrnold Schönberg ―Über die Neue Musik―

Yosuke TAKIGAWA

Arrnold Schönberg (1874-1951) ist einer der wichtigsten Komponisten der modernen Musik und gilt als ihr Begründer. Fast alle seiner Werke sind mit Hilfe von „Atonalität“ im Gegensatz zur tonalen Musik sowie der sogenannten „Zwölf- tontechnik“, bei der 12 Töne verwendet werden, komponiert. In dieser Abhandlung beschäftige ich mich mit seinem Konzept von „Neue Musik“, wie sie in Schönbergs Abhandlung „Neue Musik, veraltete Musik, Stil und Gedanke” (1946)

beschrieben wird. Im ersten Kapitel betrachte ich Schönbergs Bewusstsein, dass er als Begründer der

modernen Musik aus der Romantischen Musik entwickelt. Er komponierte zunächst „Verklärte Nacht Op.4“ (1899) als romantische Musik. Nach der Komposition der ,,Kammersymphonie Op.9” (1906) wurde er von der Kritik stark angegriffen und hatte das Gefühl, das Publikum würde ihn

verlassen. Da begegnete er der Lyrik des Dichters Stefan George (1868-1933) und komponierte mit der Atonalität als neuem Weg in der Musik „Streichquartette Nr.2” (1907).

Im zweiten Kapitel betrachte ich Schönbergs ,,Zwölftontechnik“ und auf welche Weise er sie entwickelt hatte. Nach dem Ersten Weltkrieg wurde in Wien immer häufiger Musik der Avantgarde aufgeführt. Im „Verein für musikalische Privataufführungen“ führte Schönberg

Konzertveranstaltungen auf und vertiefte so seine Versuche zur modernen Musik. Dann erfand er die „Zwölftontechnik“, die nicht mehr auf tonaler Musik beruht.

Im dritten Kapitel betrachte ich die neue Musik, wie sie in Schönbergs oben genannten Text beschrieben wird. Er dachte, dass ein Stil einem Gedanken zu folgen hatte. Diese Idee wurde

von Wassily Kandinskys (1866-1944) Denken beeinflusst und wurde in Schönbergs Drama ,,Die glückliche Hand”(1913) aufgegriffen.

Die Neue Musik nach Schönberg sollte also basierend auf neuen Gedanken geschrieben werden. Man könnte also sagen, dass er sich zum Begründer der Neuen Musik entwickeln konnte, lag an seiner Begegnung mit diesen neuen Gedanken, auf denen die Stile „Atonalität” oder

„Zwölftontechnik” basieren.

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湯本 大貴 シュペングラー研究

——彼の哲学のエネルギー論—— 本論文では、ドイツのハルツ地方出身の作家オズワルト・シュペングラーの主著である

『西洋の没落』を中心に、彼の著作活動を支えた思想を定義することを試みた。彼は、ミ

ュンヘンなど各地の大学に通い、ハレ大学で学位論文を提出する。卒業後、ギムナジウム

の教師として働いていたが、母の死をきっかけに著作家になることを決心する。その後単

身でミュンヘンに生活の拠点を移し、終戦直後の 1918年に『西洋の没落』を出版する。この著作によって大きな成功をして、著作家としての生活が安定した。彼は孤独のまま生涯

を終えるまで、一人の著作家として活動した。生涯に二度大学から教授職の招聘を受けた

が、そのどちらも断るばかりか、教授という立場に嫌悪感を示した。これほど世間から距

離をとって、教授職にも就きもせずに、著作家となって活動したのはなぜだろうか。 まず彼の思想の根幹を分析した。著作の中でどの章でも取り上げられている「成ること」

と「成ったこと」を定義した。「成ること」とは、今現在変化している状態そのものであり、

すべての生物、物体がこの状態にある。それに対し、この「成ること」を人間が認識する

ことによって生じる知識や概念を示すのが「成ったこと」である。この二つの概念を明ら

かにすることで、彼の歴史観や人間をどのように捉えていたのかを知ることができると考

えた。この二つの基本概念は入れ子状の構造を持ち、「植物」と「動物」という概念を用い

て更に大きな枠組の中で、個人の認識のレベルで見られた「成ること」と「成ったこと」

の性質を説明している。「植物」と「動物」の二つの違いをなすのは、束縛されているか、

自由であるかである。土地に縛られ、生死の「運命」をその土地とともにする「植物」は

「成ること」と一体である。それに対して、自分の意志で動くことができる「動物」は、

変化し続ける現在の中で自由に選択をすることができ、この選択には「成ったこと」であ

る意識、思考が介入している。この「動物」は「成ったこと」の性質を持つと同時に、「成

ること」の性質も併せ持つ。すべての生物は変化する状態にあるからである。さらに、こ

の二重の性質を持つ「動物」の中でもより「成ったこと」の性質を持ちあわせた「肉食動

物」こそ彼が理解していた人間像であった。 彼は人間中心的な考え、特に、ヨーロッパ中心的な世界観に対して疑問を持ち、批判の

対象としてきた。彼にとって人間は世界の中心ではなく、大きな歴史の中における一つの

存在でしかないものだった。しかし彼は人間の存在自体を否定しようとしたわけではなく、

進歩主義的な歴史観を批判の主な対象としていた。確かに科学技術に限定して言えば、今

まで不可能だったことが実現し、人間の生活に大きな変化を与えてきた。このこと自体は

進化している事実として捉えることも可能かもしれないが、彼は科学について論じている

のではなく、人間の内面にある精神について問を投げかけている。その人間の精神の集合

体である「文化」は過去と比べて進歩しているのだろうか。彼はこれを進歩として認めて

いない。彼は人間の精神の成長は永遠に進歩し続けるものではなく、生と死が存在する一

つの「成ること」の「植物」的なサイクルのなかにあると主張している。 「思想家の価値は、その時代の大きな事実に対する眼識」が重要であるとしたシュペン

グラーにとって、「成ること」のまさにその中で力を求めて戦う政治や経済の世界の中や、

「成ったこと」の中で現実を離れた僧侶の世界、真実を求める学問の世界のどの世界にも

肩を入れずに、著作家として「成ること」を観察し、著述するという生き方を選んだ。

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Oswald Spengler Eine Studie über die Energie von seiner Philosophie

Hiroki Yumoto

In der Bachelorarbeit behandelte ich vor allem das Hauptwerk „Der Untergang des Abendlandes“ von Oswald Spengler und versuchte seinen Grundgedanken zu beschreiben. Er studierte an verschiedenen Universitäten und schrieb seine Desertation an der Universität Halle. Nach dem Studium arbeite er als Lehrer an Gymnasiums, aber der Tod seiner Mutter nahm zum Anlass, dass er entschied, Schriftsteller zu werden. Er gab seine Lehrtätigkeit auf und zog nach

München und anfing dort als freier Schriftsteller zu arbeiten. Als 1918 der erste Band des Werkes veröffentlicht wurde, wurde er berühmt und verbesserte seinen Lebensunterhalt und arbeite weiter als Schriftsteller bis zu seinem Tod. Im Leben bekam er zweimal den Ruf auf die Professur, aber lehnte nicht nur die beiden Fälle ab, sondern auch zeigte die Abneigung gegen den Beruf. Zuerst analysierte ich die Grundlage seines Gedankens und beschrieb die Begriffe, „das

Werden“ und „das Gewordene“, die in jedem Kapitel des Werkes behandelt werden. „Das Werden“ ist ein Zustand selbst, der sich im Augenblick verändert und jede das Lebende und der Gegenstand sind im Zustand. Demgegenüber bedeutet „das Gewordene“ Kenntnisse oder Begriffe, die entstanden wurden als die Menschen etwas durch „das Werden“ verstehen oder erkennen. Ich vermutete, dass ich seine Auffassung über die Weltgeschichte und die Menschen deutlich machen

kann, wenn die zwei Begriffe präzisiert werden. Sie haben die ineinanderpassende Struktur, und hier sind die neue Begriffe, „Tier“ und „Pflanze“, mit denen „das Werden“ und „das Gewordene“, die auf der Stufen der individuellen Erkenntnis entstanden werden, in größerem Rahmen erklärt werden. Der Unterschied „der Pflanze“ und „des Tier“ ist entweder gefesselt oder frei. „Die

Pflanze“ ist mit dem Land gefesselt und teilt „das Schicksal“ mit ihm und die ist auch „das Werden“ selbst. „Das Tier“ kann aus eigenen Willen herumlaufen und in der sich verändernden Gegenwart seine Verhalten frei auswählen, und das Bewusstsein und das Denken, die Eigenschaften von „dem Gewordene“ haben, beeinflussen die Auswahl. Gleichzeitig hat „das Tier“ die Eigenschaften von „dem Werden“, weil alle Lebewesen im sich verändernden Zustand

sind. Außerdem ist „das Raubtier“, das in „dem Tier“ mehrere Eigenschaften von „dem Gewordene“ haben, das Menschenbild, das Spengler verstand. Er zweifelte an den anthropozentrischen Gedanken oder die eurozentristische Weltanschauung, und kritisierte oft darüber. Für ihn war es, dass die Menschen nicht im Zentrum der Welt sind, sondern dass sie nur die Daseine in der großen Geschichte sind. Er wollte aber die

Daseine selbst von den Menschen nicht verneinen, sondern kritisierte das progressivistische Geschichtsbild. Wenn man das Argument auf die Technologie beschränkt, sollte es möglich sein, die fortschreitende Tatsache zu erkennen, weil was früher unmöglich war in Gegenwart verwirklicht wird, und die neue Technik große Einflüsse aufs Leben der Menschen ausübt. Hier diskutierte er jedoch über die Menschenseelen. Macht es eigentlich „die Kultur“ als die

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Versammlung der Menschenseelen Fortschritte? Er gab es als Fortschritte nicht zu. Er behaupte, dass die Menschenseelen im Zyklus von „dem Werden“ oder „der Pflanze“ sind, wo es Leben und Sterben gibt, nicht, dass die nicht für immer aufwachsen. Der Denker, der„den Prüfstein für den Wert eines Denkers in seinem Blick für die großen Tatsachen seiner Zeit“ sah, wählte die Lebensweise aus, wie er als ein Schriftsteller „das

Werden“ mit Distanz beobachtete und beschrieb. Aber nicht in der politische und wirtschaftliche Welt von „dem Werden“, wo man nach der Macht bekämpft, oder auch nicht in der religiöse Welt weit von der Realität und in der akademische Welt, wo man nach der Wahrheit strebt.

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斉藤 智美 カナダのフランス語

カナダは、英語とフランス語の二言語を公用語とする国である。国全体で見ると、2011

年の時点でカナダ総人口に対して英語を母語とする人は約 60%、フランス語を母語とする

人は約 20%である。この割合にはカナダの複雑な歴史事情が関係している。 初にカナダ

の地に恒久的な植民地が建設されたのは 17 世紀初頭のことで、それを実現したのはフラン

ス人であった。しかしながら、同じく北アメリカ大陸内で植民地を拡大させていたイギリ

ス人との抗争の末、1763 年にカナダ植民地はイギリス領となった。その後カナダではイギ

リス系カナダ人と彼らの言語である英語が多数派を占め、数的にも社会的にも優勢な立場

であり続けてきた。フランス系カナダ人が多数派を占めてきたのはケベック州のみである。

本論文では、一国において少数派の言語であり、その話者たち自身が自らの言語に劣等

感を抱いてきたという事実を持つカナダのフランス語において、歴史の中で独特な環境に

置かれてきたからこそ持ち合わせている価値や新たな一面を見出すことを目的とする。

第一章では、カナダのフランス語に焦点を当てる前段階として、カナダという国自体を

対象にする。第一節では、カナダの歴史について述べる。カナダという国の事情を理解す

るためには、その成立の過程から現在に至るまで、この国がたどってきた道を理解する必

要がある。具体的には、先住民の時代からフランス人による初の恒久的な植民地の建設ま

で、ヌーヴェルフランスの時代とフランス・イギリス間の抗争、カナダがイギリス植民地

となってから、の三つに時代を区切って述べていく。第二節では、カナダにおける 近(2011

年)の言語分布について述べる。初めに英語、フランス語、その他の言語の三つに分け、統

計を用いてカナダに住む人々の母語と公用語能力をカナダ全体と州・準州別に見ていく。

次に、同じく統計を用いて、カナダ全体と各州の 2011 年の総人口とそれに対するフランス

語母語話者の人口・割合を、1971 年のそれと比較して分析する。これらにより、カナダ全

体や各州・準州における言語分布の特徴を捉える。

第二章では、カナダのフランス語とそれに関わる政策に焦点を当てる。いわゆる「カナ

ダのフランス語」がどのように形成されたのかということや、それに対してどのような政

策が行われてきたのかということを取り上げる。第一節では、初めに「カナダのフランス

語」の原形の成立について簡潔に述べる。その後、カナダがイギリス植民地となって以降、

多数派のイギリス系カナダ人と少数派のフランス系カナダ人、そして両者の言語の共存を

実現するために政府が行ってきた政策を取り上げる。第二節では、初めにケベックのフラ

ンス語に対する人々の意識について言及する。その後、ケベック州政府によるフランス語

とその話者を保護するための政策を、主に 20 世紀半ば以降のものを対象に取り上げる。

第三章では、カナダのフランス語を実際に取り上げて、標準フランス語との比較と分析

を試みる。第一節では、カナダのフランス語をアルカイスム(Archaïsme)、アングリシスム(Anglicisme)、カナディアニスム(Canadianisme)、先住民の言語からの借用、の四つに分類し、それぞれを見ていく。第二節では、第一節の比較と分析をもとにカナダのフランス語

について考察を行う。

カナダのフランス語は、この国の歴史と深く関わっており、標準フランス語と隔てられ

るとともに、英語という多数派言語と常に隣り合わせてきたという独特な環境のもとで変

化を遂げてきた。また、話者たちが英語などの他言語の要素を柔軟にとり入れることによ

り自分たちの言語を守ってきた結果、カナダのフランス語は他のどの場所でも形成され得

なかった独自の語彙や表現を含んでいる。その柔軟さこそが、カナダのフランス語の主な

価値の一つであるという結論に至った。

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佐藤 美紗 ソシュールの『一般言語学講義』についての研究 ―連辞・連合関係と失語症をめぐって―

本論文では、フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure 1857~1913)の代表的著書である『一般言語学講義』に書かれた連辞関係・連合関係の理論を用いて、失語

症の研究と分析を行う。 ソシュールはジュネーヴ出身の近現代言語学者であり、『一般言語学講義』は出版から現

在に至るまで多くの人に読まれている本である。この本に書かれた主な理論の 1つに連辞関係と連合関係がある。連辞関係は顕在的かつ線状的な関係であり、連合関係は潜在的か

つ同時的な関係である。この 2つの関係は人間の言語機能に対応した関係であり、これをも良く表した例が失語症といわれている。失語症において、連辞関係が壊された患者は

文章を形成することができず、連合関係が壊された患者は自分から会話をすることができ

ない。 上述したことについてより具体的な結論を得るために、本論文の後半において実際の失

語症患者の症例を連辞関係・連合関係の視点から分析している。実際の失語症では、連辞

関係と連合関係の障害が同時に起こり、症状は患者の年齢が高くなるごとにより複雑にな

っていく。しかし、患者自身は自分の言葉がおかしいということを自覚できない、という

大きな特徴がある。 失語症患者が言語を失っていく過程と、幼児が言語を習得していく過程は対照的になる

ことが分かっている。そのため、失語症患者が自分の言語機能を取り戻すために行うリハ

ビリは、幼児に対する言語教育の過程と非常に類似している。リハビリが進むと患者の言

語機能は徐々に元の水準に戻っていくが、これには早い人でも 1年かかると言われている。 拙い研究ではあるだろうが、当論文を通じて、「人が言語を奪われるとどうなるのか」と

いう疑問について少しでも考えていくことができたら幸いである。

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内海 昌子 モーリス・ラヴェルの作品について 本論文では、20 世紀初頭に活躍したクラシック音楽作曲家モーリス・ラヴェル(1875~1937)の作品について、その特徴を主に管弦楽法の面から述べている。彼は「オーケストレーションの天才」と呼ばれるほど、卓越した管弦楽法で知られていた。 第 1章では彼の生涯とフランス音楽文化との関係について述べた。ラヴェルはスペイン国境にほど近いバスク地方の町で生まれ、バスク人であった母の影響からか、スペイン音

楽への関心も強く、《スペイン狂詩曲》などの異国的な作品も作っている。一方で、ロシア

音楽にも、稚拙さを認めつつも、その色彩性や異国趣味などに対して強い関心を示した。

ベル・エポックと呼ばれた時代、ディアギレフのバレエ・リュスは、そのエキゾティック

さからパリのアーティストたちに大きな衝撃を与えていた。ラヴェルも彼らから委嘱され

て、《ダフニスとクロエ》を作曲している。第一次世界大戦では自らも従軍し、戦後、戦死

した友人たちに捧げる《クープランの墓》を作曲。1920年代にはアメリカへの演奏旅行を行い、国際的な名誉を得る。1930年代には失語症を患い、作曲が不可能になる。1937年、頭部の手術を受けるも回復せず、そのまま死去した。 第 2章では管弦楽法の定義と実際のラヴェルの管弦楽法分析について述べた。管弦楽法とは、オーケストラの楽器を組み合わせて音楽を作ること、およびその組み合わせ方のこ

とをいう。ラヴェルが参考にしたのはリムスキー゠コルサコフの『管弦楽法原理』(1873)である。同著では、管楽器のピッコロからバスまでのファミリーを揃え、オーケストラの

色彩を増やすことが提唱されている。ラヴェルはこの考えを《ダフニスとクロエ》の中に

取り入れている。 ラヴェル自身の管弦楽法の特徴として、先述の色彩感と各種楽器に可能な限り様々な役

割を与えているということが挙げられる。例えば、木管楽器やヴァイオリンにはハープの

分散和音を演奏させている。ムソルグスキーのピアノ曲《展覧会の絵》を管弦楽編曲した

際には、従来イングリッシュ・ホルンで演奏されていたメロディをフランス生まれの楽器

サクソフォーンに割り当てている。ラヴェルは自身のピアノ曲を多数管弦楽編曲している

が、効果を上げるために編曲を通して打楽器を加えることも行っている。 結論として、ラヴェルは当時のパリでの芸術の国際交流の影響を受け、異文化に関心を

持っていた作曲家である。彼のその姿勢は、自国を「ヨーロッパの中心」と謳い東方諸国

の美意識を取り入れて発展してきたフランスらしいものである。彼の管弦楽法は色彩感と

効果的な音色が特徴として挙げられる。その音色は評価され、現在でも彼をフランスを代

表する作曲家たらしめているのである。

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Sur les des œuvres de Maurice Ravel Masako Utsumi

Maurice Ravel est un compositeur qui était actif au début du XXe siècle. Il avait de bonnes connaissances en orchestration pour être appelé " un génie d’orchestration". Dans cette

étude, j’ai envisagé le caractère des œuvre de Ravel principalement sous l’aspect du orchestration. Dans le premier chapitre, j’ai écrit la vie de Ravel et la relation du culture de musique française avec le compositeur. Il est né le 7 mars 1875 dans la basque prés de la frontiére espagnole. Ravel montrait un grand intérêt pour la musique espagnole sous l’influence de sa mère était un basquaise, et il a composé les œuvres exotiques comme Rapsodie espagnole. En plus, il

s’intéresserait à la musique russe. Paris d’alors était la plus grande ville cosmopolite en Europe. Les Ballets Russes de Diaghilev provoquaient un choc aux artists parisiens. Daphnis et Chloé , composé par Ravel pour Diaghilev, était comparé à l’enthousiame d’opera Le Prince Igor de Bolodin. Dans la Première Guerre mondiale, lui-même a accompagné l’armée, aussi. Aprés la guerre, il a écrit Le Tombeau de Couprin pour les amis qui étaient morts à la guerre. Dans les

années 1920, il est allé pour une tournée de concerts aux États-Unis et il a acquis une réputation internationelle. Dans les années 1930, il a souffert une apasie et n'était pas capable de composer. En 1937, il a subi une opération de la tête, mais il ne s’était pas rétabli et est mort. Dans le deuxiéme chapitre, j’ai défini l’orchestration et analysé celle de Ravel. L’orchetsration est le moyen de composer par les combinaisons des instruments d’orchestra. Ravel

s’est référé à Principes d'orchestration (1873) de Rimski-korsakov. Ce livre propose de préparer la famille du instuments à vent de piccolo à basse et d’augmenter les couleur d’orchestra. Cela a été adopté à Daphnis et chloé. Je peut dire que Ravel donnait les rôles variés a toute sortes d’instruments. Par exemple,

il fait jouer les flutes,clarinettes et violons aux arpége comme les harpes. Quand il a arrangé Tableax d’une expositon de Mussorgski pour l’orchestra, il a donné les mélodie joué par cor anglais à la saxophone qui est la instrument né en France. Il arrangait les œuvres de pianos de lui-même pour l’orchestra, alors il augmentait les percussions par les arrangements pour faire de l’effet,

Je conclus que Ravel étairt sous l’influence des échanges internationaux à Paris d’alors et que il a fixé son regard français sur les cultures exotiques.

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新田 良介 シャガールの青について

本論文では、シャガールのステンドグラスの青の色彩について、他の青の定義とシャガ

ール自身の色彩を参考に検討した。

マルク・シャガール Marc Chagall (1887-1985)は、20 世紀を代表する画家の一人であ

る。帝政ロシア領内に点在するユダヤ人居住地ヴィテブスク(現ベラルーシ)に生まれた。

恋人や動物らが様々な向きで宙を舞う作品や故郷への強いノスタルジーを込めた作品、旧

約聖書の世界を描いた作品を豊かな色彩で描いた。また、後半生は歌劇場、美術館、大聖

堂、シナゴーグ、寺院など公共的な空間において記念碑的な作品を多く手がけた。美術表

現は多種多様で絵画のほかに、版画、壁画、陶芸、ステンドグラス、モザイク画、タピス

リーなど幅広い。

第一章第一節では「青」のイメージがどのように受容され、変化してきたかを考えた。

第二節では「〜の青」と形容される青の色彩にはどういう類似点が見られるのかを述べた。

第二章ではシャガールの生涯を追い、いくつかの青の色彩が特徴的な作品を取り上げて、

その特徴を探った。第一節では故郷ヴィテブスクからパリに渡り、その後第一次世界大戦

を経て、再びパリに戻るまでを、第二節ではパリに戻った後、フランス各地を旅し、アメ

リカへの亡命を経て、再度パリに戻るまでを、第三節では、パリに一時的に戻ってからス

テンドグラスの制作を始めるまでを対象とした。第三章ではシャガールが制作したステン

ドグラスを題材にして、シャガールのステンドグラスの青の色彩にどのような特徴が見ら

れるかを指摘した。第一節では宗教的な側面を、第二節では技術的な側面を、第三節では

光の表現を検討した。

「ステンドグラスは、地上という人間の空間に張り出し、あの純粋な形式たる光に対し

て開かれることによって、超越的なものに思いを巡らす敢然たる精神を表現するものであ

る。」空間としての、構造としてのステンドグラスはその光の透過によって、その量感によ

って、日の移ろいによって、内部と外部の境界を創り出し、敢然たる精神を表現する。シ

ャガールの青はそれに加えて、『互いを包み込み、夢想のへと導く色』である。シャガール

の青の色彩は空間としての調和をもたらし、普遍の愛の夢を私たちに与えてくれる。

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Le bleu de Chagall Ryosuke NITTA

Dans ce mémoire, je ferai référence à d'autres définitions de la couleur bleu, tout en

examinant plus particulièrement les différents coloris de bleus dans les vitraux de Chagall.

Marc Chagall (1887-1985) est un artiste français, représentatif des peintres du 20ème

Siècle. Né à Vitebsk, dans une des diasporas juives de l'empire de Russie, il peignit des tableaux représentants des amoureux, des animaux semblant flotter, voler, en prenant lui-même des positions,

des angles variés pour dessiner ; il fut le créateur d'œuvres dans lesquelles il inséra une profonde

nostalgie de son pays natal. Il représenta également, à l'aide de coloris riches et variés, le monde de

l' Ancien Testament.

Dans la seconde partie de sa vie, il construisit de nombreux monuments situés dans des

espaces publics, tels des opéras, musées, cathédrales, synagogues ou encore temples. Son œuvre est d'une incroyable diversité, puisqu' outre la peinture, il est le créateur de nombreuses gravures,

peintures murales, céramiques, vitraux, mosaïques, et même de tapisseries.

Dans le 1er paragraphe du 1er chapitre, je réfléchirai à la manière dont l'image du bleu

était perçu à l’époque, et comment cette image a évolué au fil du temps. Dans le second paragraphe,

nous tenterons de décrire les similitudes qu'il est possible de trouver dans les différentes notions de

''bleu'' chez Chagall. Ensuite, dans le second chapitre, tout en observant dans son ensemble l'œuvre de Chagall,

j’ aborderai des peintures caractéristiques du bleu de l'artiste, et tenterai d'en trouver quelques

exemples. Le 1er paragraphe de ce chapitre dépeint le début de la vie de l'auteur, son départ de sa

Russie natale pour Paris, puis son expérience de la 1ère Guerre Mondiale, et son retour à Paris

ensuite. Dans le second paragraphe, l'auteur, après être revenu dans la capitale française, voyage à

travers la France, vit un exil forcé aux États-Unis, et revient une nouvelle fois à Paris. Enfin, le troisième paragraphe a pour objet le départ temporaire de l'artiste de Paris, pour commencer à

fabriquer des vitraux.

Enfin, dans le troisième chapitre, je me focaliserai sur les vitraux fabriqués par Chagall,

et tenterai de découvrir quelles spécificités il est possible de trouver dans le bleu de ces vitraux. Le

1er paragraphe sera consacré à l'aspect religieux, le second à l'aspect technique, et le troisième à

l'utilisation et l'expression de la lumière dans les vitraux. Les vitraux surplombent l'espace dans lequel vivent les hommes, et par la pure lumière

qui filtre au travers, expriment la transcendance de l'être, et la résolution de leurs créateurs. En tant

qu'espace et structure, et en fonction de la pénétration de la lumière, de leur grande taille, du moment

de la journée, ils créent une frontière entre l'intérieur et l'extérieur de l'église, et démontre la

résolution de l'artiste. Les bleus de Chagall sont des couleurs qui s'additionnent, « qui s'enveloppent

l'une dans l'autre et mènent à la rêverie et au songe ». Ces bleus donnent une forme d'harmonie à l'espace, et nous offrent par là même une sorte de rêve d'amour universel.

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新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

遊佐 佳織 ロシアの教会建築について

ロシアの教会建築はしばしば、「葱坊主」と表現される。先端の尖ったドーム型の丸屋根

は、まるで玉ねぎをかたどったかのようなフォルムであり、その特徴的な外観は「葱坊主」

と例えるにふさわしいものである。さて、モスクワ赤の広場に建つ「ポクローフスキー大

聖堂」はロシアの象徴ともいえるものであるが、それはユニークな形状の複数の丸屋根に

加えて、派手な色彩においても見る人に強いインパクトを与える。ヨーロッパとアジアの

間に位置するロシアにおいては、どちらの枠にも収まらない独自の文化が形成されてきた

はずだ。それは教会建築においても例外ではなく、装飾や色彩など随所にロシア人ならで

はの美的感覚が発揮されていると考えてよいだろう。本論文では、ロシアの教会建築の特

徴やその歴史について概説するとともに、ロシア教会に欠かせない「イコン」についても

取り上げた。 第一章では、教会建築も含めたロシアの建築全体の変遷を追い、古代ロシアの木造建築

に始まったその様式が、諸外国の影響も受けながら独自の発展を遂げたことを示した。時

代を経ての大きな流れとしては、素朴な木造建築から石造建築に移り変わった後、徐々に

教会は派手さを増していったということが結論として考えられる。

第二章、第三章では、木造建築、石造建築それぞれに焦点を当て、その構造と具体的な

教会建築の例について確認した。木造と石造どちらの教会建築においても、手がけた建築

家自身がこれ以上のものは作れないと言って完成後に斧を捨てた話や、あまりの教会の美

しさに惚れ込んだ皇帝がこれ以上のものができないよう建築家の目をくり抜いてしまった

話など、教会建築の美しさゆえの逸話が残っていることからは、ロシア人の教会建築にお

ける美の追求心の強さをうかがい知ることができる。

第四章では、教会建築の構造とその役割について取り上げ、教会内の神聖な空間はイコ

ノスタスという壁によって仕切られていることを確認した。 第五章では、ロシア正教会の象徴であるイコンについて述べた。正教会が国教として受

容された背景にも、正教会の美しさにロシア人が心を奪われたためであるとする記述があ

り、ここにも美を神聖なものとみなすロシア人の考え方が強く表れているといえる。イコ

ンは神の国を映す窓のような存在であり、人々は教会だけでなく家にもイコンを飾り日々

祈りを捧げたのである。 ロシアでは「美」に 大の価値が置かれ、その姿勢は教会建築の設計だけでなく国教

の選定から一貫したものであったといえる。ゆえにロシアの教会建築には高い芸術性も求

められ、派手な色彩や形状といった教会建築の特徴は、ロシア人に古くから根付く「美へ

のあくなき追求心」によって生み出されたのであると結論づけた。

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横澤 勇輔 ドストエフスキーの小説における一人称の問題 ―『未成年』を題材に―

ドストエフスキーは創作において一人称形式を多用した作家である。五大長編の中では、

一人称で書かれた作品は本論文で扱う『未成年』のみであるが、彼の短編、中編小説の多

くは一人称で書かれている。本論文では、『未成年』における一人称の語りの文学的効果に

ついて、そしてそれを手がかりにして、ドストエフスキーがしばしば一人称形式を採用し

た背景について考察した。さらに一人称の語りによる「情報の断片化」に関連して、『未成

年』における「因果性」についても言及した。 第一章では、廣野由美子『一人称小説とは何か』を参考にし、『未成年』考察で必要と思

われる一人称小説の基本的な性質を述べた。その性質とは、手記形式においては主観的な

語りが物語の信憑性を高めること、そして一人称では語り手の信頼度が問題になり、「信頼

できない語り手」の場合、語り手の心理的特性が前景化されることである。 第二章では、第一章で挙げた一人称小説の性質を念頭に置き、『未成年』の主人公アルカ

ージイの語りを考察した。アルカージイは以下の点で典型的な「信頼できない語り手」で

あるといえる。彼は自身が経験した出来事を、自身に理解させるために手記を書いている

ため、彼の語りには物語るために必要な情報、俯瞰的な視野が欠如している。また賭博の

熱中、ある女性に対する占有願望など自身の苦手な話題の描写を避けようとする姿勢がみ

られる。この「信頼できない語り手」を批判的に見ることで、アルカージイの触れたくな

い話題、ひいては彼の若者らしい自意識の強い性格が読者の前に映し出されるのである。

アルカージイの語りは、彼の性格、感情によって歪んでおり、非常に主観的なものである。

ドストエフスキーがアルカージイの手記をこのように作り上げた背景についてだが、『冬に

記す夏の印象』からは、ドストエフスキーが客観的描写の不可能性を意識していたことが

確認できる。リアリズム作家たるドストエフスキーはそのジレンマに直面し、客観性の逆

をいく純粋な主観である一人称の語りにこだわったのではないかと考察した。 第三章では、『未成年』における「因果性」について言及した。『未成年』ではアルカー

ジイの情報不足、主観的な語りによって情報の断片化が生じ、読者からみれば、作中で生

じる出来事の前後の繋がりが失われているように映る。すなわち因果性が希薄なのである

が、『未成年』では、因果性の否定は語りの問題だけでなく、作品全体をも支配している。

作中では、生じる出来事でしばしば偶然性が強調され、また叙述レベルでも「偶然」の語

が頻繁にあらわれる。『未成年』では物語の展開に偶然性が大きな役割を果たしているので

ある。また因果性を重んじる登場人物が現実の不条理に直面し、苦悩する姿が描かれてい

ることから、『未成年』は一種の不条理小説としても読めるのではないかと考察した。