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近年,幅広い分野で注目を集めている腸内常在菌研究は,1980年代から現在に かけて,微生物生態学と微生物分類学を主柱にして発展を遂げてきました.今では 腸内常在菌と疾患の関連など,さまざまな研究が進められています. 最近の研究から,腸内常在菌の及ぼす影響は腸内にとどまらず,全身に及ぶことが 分かってきました.本稿では,腸内常在菌研究の現在に至るまでの歩みと,本研究 に関する最新の話題を中心に解説します. 新時代を迎えた腸内常在菌研究 〜腸内常在菌データベースによる 新しい健康管理法の確立〜 腸内常在菌研究の歴史 腸内常在菌研究は,微生物生態学と微生物分類学を 主柱にして発展してきました(図1 ).光岡知足博士らが 開発した,14種類の培地から腸内常在菌 [P28参照] 解析する培地法 [P28参照] を用いたことに始まり,1980 年代には菌の分離・同定が,1990年代には微生物分 類学を背景とした次世代シーケンサーを用いた細菌の DNA解析が行われるようになりました. このような微生物分類学的な解析方法の発展に伴い, 1990年代後半には菌の新種提案に関する国際的なルー 講演 3 ルも作られました.これは,世界の公的な微生物保存機 関2カ所以上に菌を寄託して認証されると同時に,菌の 16S rRNA [P28参照] あるいはDNA配列をDDBJ(DNA Data Bank of Japan)などの国際的な塩基配列データ保 存機関に登録しなければならないというものです. この微 生物分類学を背景としたルールによって,16S rRNAの塩基配列が登録されたことが,結果的にその後 の微生物生態学に大きく寄与し,21世紀になると,微生 物生態学の観点から腸内常在菌のメタボロームを中心と したオミックス解析(メタボロミクス)が行われるようにな りました.こうして,腸内常在菌研究は単なる構成解析か ら機能性解析へと大きく変換したのです.つまり,腸内常 在菌研究は微生物生態学と微生物分類学が表裏一体と なって進化してきたのです. 腸内常在菌の構成 大便の構成成分は80%が水,20%が固形成分であり, その固形成分のうち3分の2は腸粘膜が剝がれたものお よび腸内常在菌が関与するもので占められています.そ のため,いわゆる「食べかす」で構成されているのは大便 全体の6〜7%にすぎません. 大腸内の管腔内や大腸壁には約1.5kgの腸内常在菌 が存在し,その数は1,000種類以上にも上るといわれる ように,大腸内には非常に複雑な生態系が存在していま 腸内常在菌の存在 培養法による 腸内常在菌の把握 分離・同定 各種生理生化学的 性状➡菌種同定 腸内常在菌による 機能解析研究 ➡メタボロミクス 生態学と分類学は 表裏一体という 考え方 培養を介さない手法 腸内常在菌の解析 細菌のDNA遺伝子の 配列決定 (新種提唱に 必須課題) 微生物生態学 微生物分類学 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 図1 腸内常在菌研究の背景 キーワード 腸内常在菌,腸脳相関,DNA 解析, 16S rRNA,培地法,クラスター解析 特定国立研究開発法人理化学研究所 イノベーション推進センター 辨野特別研究室 特別招聘研究員 べん よし Series   NEW WAVE THE  SEMINAR THE  FOCUS 16 2016 No.89

3 新時代を迎えた腸内常在菌研究 増え続ける炎症性腸疾患 講演 · が,今では次世代シーケンサーで100万塩基(1Mb)の データ解析が短時間でできるようになりました.これは

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増え続ける炎症性腸疾患〜検査データから考える治療の選択とタイミング〜

講演 2

 タクロリムスの薬物代謝にはCYP3A5(CytochromeP4503A5)という分解酵素と,ABCB1というタクロリムスを細胞外に排出するトランスポーターが関与しています(図13).遺伝子多型により日本人はCYP3A5を発現しているExpresserと発現していないnon-Expresserの2つに分けられます. CYP3A5のExpresserとnon-Expresserで,タクロリムスの使用量を比較した東北大学の解析結果から,Expresserに比べてnon-Expresserは約半量で有効血中濃度に到達することが分かりました.逆にいうと,Expresserはタクロリムスを2倍量服用しなければならないということになります. ABCB1は薬剤の血中濃度には影響しないのですが,薬剤の効果に関係があります.遺伝子多型をT/T型とnon-T/T型で見ると,治療反応率はT/T型37%,non-T/T型70%と,T/T型は治療効果が低いということになります. 今後はCYPを調べて投与量を調整するゲノム医療が可能になると考えられ,遺伝子検査の結果が治療の選択肢に活用できると考えます.

参考文献

1) Takenaka K, et al.: Gastroenterology. 2014; 147: 334-42. 2) Mosli MH, et al.: Am J Gastroenterol. 2015; 110: 802-19. 3) Musci JO, et al.: J Gastroenterol. 2016; 51: 531-47. 4) Yang SK, et al.: Nat Genet. 2014; 46: 1017-20.

略歴 角田洋一(かくた よういち)

2000年 東北大学医学部 卒業2000年 八戸市立市民病院 消化器科 研修医2003年 十和田市立中央病院 第一内科2008年 東北大学大学院医学系研究科医科学 卒業 同年 同博士課程終了 学位(医学博士)取得 同年 東北大学病院 消化器内科 医員2010年 東北大学大学院医学系研究科 非常勤講師2011年 米国シーダーズサイナイ医療センター 炎症性腸疾患研究所 ポスドク2013年 東北大学病院 消化器科 助教現在に至る

CYP3A5 タクロリムスを分解する

●主として肝細胞に存在するが,消化管,腎など多くの組織に分布している.●CYP3A5の発現の有無が遺伝子多型により,規定される.  CYP3A5*1 alleleを有する   ➡CYP3A5を発現(=Expesser)  CYP3A5*1 alleleを有さない   ➡CYP3A5を発現しない(=non-Expesser)

Hebert MF, et al.: Adv Drug Deliv Rev. 1997; 27(2-3): 201-14.Kamdem LK, et al.: Clin Chem. 2005; 51: 1374-81.

ABCB1(P-gp) タクロリムスを細胞外に排出する

●腸管上皮,胆管,リンパ球など多くの組織に発現している.●ATPの加水分解エネルギーを利用して,異物や薬剤を細胞外に排出する.●1236C>T,2677G>T/A,3435C>Tなどの遺伝子多型があげられる.●特に上記3つの多型は連鎖不均衡にある.●多型が発現量や機能に影響を及ぼすとの報告が散見されるが,一定の見解を得られていない.

Cascorbi I: Handb Exp Pharmacol. 2011; 201: 261-83.Brambila-Tapia AJ: Rev Invest Clin. 2013; 65: 445-54.

図13 タクロリムスの代謝近年,幅広い分野で注目を集めている腸内常在菌研究は,1980年代から現在にかけて,微生物生態学と微生物分類学を主柱にして発展を遂げてきました.今では腸内常在菌と疾患の関連など,さまざまな研究が進められています.最近の研究から,腸内常在菌の及ぼす影響は腸内にとどまらず,全身に及ぶことが分かってきました.本稿では,腸内常在菌研究の現在に至るまでの歩みと,本研究に関する最新の話題を中心に解説します.

新時代を迎えた腸内常在菌研究〜腸内常在菌データベースによる        新しい健康管理法の確立〜

腸内常在菌研究の歴史 腸内常在菌研究は,微生物生態学と微生物分類学を主柱にして発展してきました(図1).光岡知足博士らが開発した,14種類の培地から腸内常在菌[P28参照]を解析する培地法[P28参照]を用いたことに始まり,1980年代には菌の分離・同定が,1990年代には微生物分類学を背景とした次世代シーケンサーを用いた細菌のDNA解析が行われるようになりました. このような微生物分類学的な解析方法の発展に伴い,1990年代後半には菌の新種提案に関する国際的なルー

講演3

ルも作られました.これは,世界の公的な微生物保存機関2カ所以上に菌を寄託して認証されると同時に,菌の16SrRNA[P28参照]あるいはDNA配列をDDBJ(DNADataBankofJapan)などの国際的な塩基配列データ保存機関に登録しなければならないというものです. この微生物分類学を背景としたルールによって,16SrRNAの塩基配列が登録されたことが,結果的にその後の微生物生態学に大きく寄与し,21世紀になると,微生物生態学の観点から腸内常在菌のメタボロームを中心としたオミックス解析(メタボロミクス)が行われるようになりました.こうして,腸内常在菌研究は単なる構成解析から機能性解析へと大きく変換したのです.つまり,腸内常在菌研究は微生物生態学と微生物分類学が表裏一体となって進化してきたのです.

腸内常在菌の構成 大便の構成成分は80%が水,20%が固形成分であり,その固形成分のうち3分の2は腸粘膜が剝がれたものおよび腸内常在菌が関与するもので占められています.そのため,いわゆる「食べかす」で構成されているのは大便全体の6〜7%にすぎません. 大腸内の管腔内や大腸壁には約1.5kgの腸内常在菌が存在し,その数は1,000種類以上にも上るといわれるように,大腸内には非常に複雑な生態系が存在していま

腸内常在菌の存在

培養法による腸内常在菌の把握

分離・同定各種生理生化学的性状➡菌種同定

腸内常在菌による機能解析研究➡メタボロミクス

生態学と分類学は表裏一体という考え方

培養を介さない手法

腸内常在菌の解析

細菌のDNA遺伝子の配列決定(新種提唱に必須課題)

微生物生態学 微生物分類学

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

図1 腸内常在菌研究の背景

キーワード

腸内常在菌,腸脳相関,DNA 解析,16SrRNA,培地法,クラスター解析

特定国立研究開発法人理化学研究所イノベーション推進センター辨野特別研究室特別招聘研究員

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15 16 2016 No.89 2016 No.89

す.このうち既知の菌は40%にすぎず,60%はまだ培養されていない未知の細菌です.1990年代後半,ある菜食主義者の女性の腸内常在菌の構成を培養法と16SrDNAクローンライブラリー法で比較したところ,培養法では少数しか確認されなかったClostridiumrRNAsubclusterXIVaが,16SrDNAクローンライブラリー法では大部分を占めていました(図2).このことからも,培養困難な菌が腸内常在菌の大半を占めていることが分かります. さらに,菌種の同定も行いましたが,uncultured(培養困難)の菌がいかに多いかが分かります(表1).当時はおよそ200〜250クローンしか解析できませんでしたが,今では次世代シーケンサーで100万塩基(1Mb)のデータ解析が短時間でできるようになりました.これは以前に比べると飛躍的な進歩ですが,現在でもデータ

Speciesorphylotype No.ofclones (%) DDBJRegistration

UnculturedbacteriumcloneHuCB21 11 12.8 AJ408996UnculturedfirmicutecloneNO62 3 3.5 AB064740HumanintestinalfirmicuteCB17 10 11.6 AB064890Phylotype38E02 2 2.3UnculturedhumanintestinalbacteriumcloneJW1A1 1 1.2 AY169428Bifidobacterium longum / infantis 1 1.2 AY151399/AY166533Bifidobacteriumsp.CS16 1 1.2 AB064927UnculturedbacteriumcloneOLDB-G12 1 1.2 AB099796Unculturedbacteriumclonep-2330-s962-2 2 2.3 AF371536Faecalibacterium prausnitzii 13 15.1 AY169427Unculturedbacteriumclonep-2814-24E5 2 2.3 AF371716UnculturedfirmicutecloneNB5C2 1 1.2 AB064801Unculturedbacteriumclonep-900-a5 1 1.2 AF371807UnculturedbacteriumcloneNB5F9 1 1.2 AB064783Phylotype38D10 1 1.2Ruminococcus obeum 6 7.0 AY169411Ruminococcussp.cloneCO12 4 4.7 AB064896UnculturedRuminococcussp.cloneNO32 2 2.3 AB064756UnculturedbacteriumcloneHuCA5 1 1.2 AJ408961Phylotype38E09 1 1.2Clostridium clostridioforme 11 12.8 AY169422UnculturedfirmicutecloneNB2A8 2 2.3 AB064730UnculturedbacteriumcloneA21 1 1.2 AF052418UnculturedRuminococcussp.cloneNO44 5 5.8 AB064754UnculturedRuminococcussp.cloneNB2B8 1 1.2 AB064761UnculturedfirmicutecloneNO62 1 1.2 AB064740  Total 86 100.0

100%

80%

60%

40%

20%

0%16S rDNAライブラリー

184 clones培養法48 strains

Clostridium rRNA cluster Ⅳ(C. leptum group)Clostridium rRNA subcluster ⅩⅣa(C. coccoides group)Clostridium rRNA cluster ⅩⅤClostridium rRNA cluster ⅩⅥ

Clostridium rRNA cluster ⅩⅧBifidobacterium groupBacteroides groupProteobacteriaOthers

表1 16S‌rDNAクローンライブラリー法により解析した大便由来菌種および系統型

図2 ‌‌16S‌rDNAクローンライブラリー法と培養法により解析した一人の菜食主義者の腸内常在菌構成

Bacterial species and phylotypes detected from both of T-RFLP and 16S rRNA gene clone liblary analysis in red

ベースには培養可能な菌の情報しかなく,未知の細菌群に対するアプローチはできないことから“unclassified”“uncultured”という項目が多いことに変わりはありません.また,解析技術が進歩したとはいえ,DNA抽出の工程においてはさまざまな抽出障害がかかるため,全ての微生物のDNAが採取できるわけではありません.研究を進める中では,そのことを考慮しなければ,将来的には暗礁に乗り上げてしまうことになるでしょう.

腸内常在菌と疾患 大腸菌や乳酸菌,腸球菌やビフィズス菌などの腸内常在菌は,ほとんど大腸にすんでいます.偏性嫌気性菌であるビフィズス菌が存在していることからも,大腸は酸素の少ない環境であることが分かります.こういった腸内常在菌が,食べかすや胆汁酸などを利用して,発がんを促進する物質や細菌毒素を産生し,直接大腸に障害を与えるのです.つまり,大腸は臓器の中で最も病気の種類が多いといっても過言ではありません(図3).さらに,腸内常在菌により作り出された有害物質は血中に移行し,全身に蔓延することでさまざまな病気を引き起こします.今では腸内常在菌が乳がんや肝臓がんにも大きな影響を与えることが分かってきました. 2016年になってようやく,日本医療研究開発機構(JapanAgencyforMedicalResearchandDevelopment;AMED)より,国を挙げた腸内常在菌に関する研究の方向性が示されました.予算は7年間で約55億円に及びます.しかし,この分野における日本の研究は米国などに比べると10年は遅れているといわれており,そのため,我が国の研究が今後,他国の追随型になるのか,独自の方法を開拓していくのかが現在問われています. 2005年あたりからGordonらが腸内常在菌と肥満や糖尿病などの疾患との関連性について報告しています1).大腸がんの発生に関与する腸内常在菌を研究テーマとしていた当時の私は,この論文によって腸内常在菌が全身疾患に関与することを知りました. 2010年あたりからは,喘息や早期流産,あるいは腸脳相関[P28参照]と呼ばれる自閉症や認知症,パーキンソン病,アルツハイマー病と腸内常在菌の関係など,我々の体内にすむ微生物がさまざまな形で疾患や健康へ作用するという認識が深まってきました. そこで,私たちは腸内常在菌が代謝物と脳内物質に与

える影響について調べるために,無菌動物と通常動物についてキャピラリー電気泳動−飛行時間型質量分析装置(CE-TOF/MS)を用いたメタボローム解析を行いました2).方法は,雌雄の無菌動物から生まれた雄だけを選択し,一方を無菌(germ-free;GF)マウス,一方を通常菌叢(conventional;CV)マウスとして腸内代謝物を比較するというものです.すると,代謝物176成分のうち,腸内常在菌の影響を受けずにCVマウスとGFマウスで共通の53成分,CVマウスに多い75成分,GFマウスに多い48成分が確認されました.また,脳内物質196成分についてもGFマウスとCVマウスを比較したところ,腸内常在菌の影響を受けない158成分,GFマウスに多い23成分,CVマウスに多い15成分が確認されました(図4).このような腸内常在菌の有無が脳内物質に影響を及ぼしたという重要な発見により,腸内常在菌が脳の発達や行動を支配している可能性があることも見えてきました.

新時代を迎えた腸内常在菌研究〜腸内常在菌データベースによる新しい健康管理法の確立〜

講演3

図3 腸内常在菌と疾患の関係

図4 ‌‌GFマウスとCVマウスで確認された脳内物質数‌(196成分)

   

文献2)を基に作成

腸内常在菌がん,免疫能低下,自己免疫疾患,肥満,糖尿病

直接腸管を障害

血中に移行

発がん物質発がん促進物質細菌毒素など産生

免疫力の低下

粘膜バリア機能低下

有害菌の増殖内臓に障害内臓に障害

180

160

140

120

100

80

60

40

20

0GF>CV GF=CV GF<CV

脳内物質の数

無菌マウス

23

158

15

通常菌叢マウス

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17 18 2016 No.89 2016 No.89

 例えば,脳内物質の一つであるドーパミンは,パーキンソン病では枯渇し,統合失調症では過剰産生が確認されていることから,その濃度と疾患の関連が示唆されています.そして,GFマウスではそのドーパミンの産生濃度が通常の2倍であることが明らかになってきています.一方で,ドーパミンの前駆体物質である芳香族アミノ酸は,腸内常在菌によって産生が促進されることも分かっています.つまり,腸内常在菌が脳内物質の産生抑制・促進に関与しているのです. さらに,腸内常在菌は大脳エネルギーの消費にも影響していることが示唆されています.つまり,腸内常在菌が宿主の思考や行動にも影響を与えている可能性があるのです.今後は,特定の微生物が脳内物質へもたらす影響についても調べられていくと予測されます.

腸内常在菌と健康 腸内常在菌は,その宿主の属性,健康状態,環境などから影響を受けて構成や機能が変化します(図5).そのため,腸内常在菌研究を私たちの生活に還元するためには,宿主の属性,健康状態,環境と腸内常在菌の相関関係を調べる必要があります. そこで私は現在,健康であるための提案として,健常人の個人基本属性や食べ物などの生活特性や,心理的・精神的状態などと腸内常在菌の相関関係を把握するための大規模な調査研究を行っています.現時点までで集めた大便のサンプル数は5,000人分を超えており,2〜3年後には1万人分に達する予定です.研究では,

20〜90代までの人たちからサンプルを提供してもらい,ターミナル-RFLPという土壌微生物の検出方法を応用して腸内あるいは口腔内細菌の検出を展開しています.この方法では培養困難な常在菌も検査できるため,ここで集積した情報が今後重要になってくるのではないかと期待しています. これまでに3,220人を対象に143項目に及ぶアンケート調査(図6)を実施しました.同時に,生活習慣と腸内常在菌の相関関係を見るために,サンプルのクラスター解析[P28参照]を行ったところ(図7),生活習慣と腸内常在菌の組み合わせはおよそ8つのパターンに分類できることが分かりました(表2).さらに,この分類において,グループ1からグループ4は女性群というように,性差と年齢,BMIなどといった腸内常在菌を規定する,極めて重要なキーワードの存在が解明されつつあります.このデータにより腸内常在菌というフィルターを通すことで,それぞれの生活特性と保有菌の相関関係について指摘できるようになると考えています. 被験者である20代の女性から「私はどうしてグループ7なのか」という質問をいただいたことがありますが,「腸内常在菌はあなたの生活習慣を反映しているので,半年間あるいは1年間,自分の生活習慣を見直してみてください」とアドバイスをし,再度検査したところグループ4になったということがありました.これには相当の時間を要しますが,食生活と運動を心掛けるように指導した効果があったものと考えます. 21世紀は予防医学の時代です.腸内常在菌を見ることで,生活習慣はどうなのか,将来的にはどんな病気にな

新時代を迎えた腸内常在菌研究〜腸内常在菌データベースによる新しい健康管理法の確立〜

講演3

表2 ヒト腸内常在菌のパターンと生活特性

図7 腸内常在菌の類似性(パターン)によるクラスター解析(n=3,220)

   

   

グループ1(n=797)

グループ2(n=193)

グループ3(n=397)

グループ4(n=476)

グループ5(n=322)

グループ6(n=441)

グループ7(n=482)

グループ8(n=112)

グループ 主な腸内常在菌(群)(統計的に有意に検出される腸内常在菌) 生活特性

グループ1(n=797)

Firmicutes,Ruminococcus,Clostridium XIVa,Bacteroides

喫煙・飲酒なし,便秘気味,BMI標準内の60歳以上の女性群

グループ2(n=193)

Clostridium III+XVIII,Ruminococcus,Bifidobacterium,Coriobacteriaceae,Eubacterium,Actinomyces 乳酸菌摂取,BMI標準内の59歳以下の女性群

グループ3(n=397)

Clostridium I, Eubacterium,Ruminococcus,Bacteroidetes

喫煙・飲酒なし,野菜,海藻,魚介類,納豆を摂るBMI標準内の60歳以上の女性群

グループ4(n=476)

Clostridium XIVa,Fusobacterium,Eubacterium,Ruminococcus,Bacteroidetes BMI標準内の女性群

グループ5(n=322)

Clostridium XIVa,Eubacterium,Streptococcus,Actinomyces 野菜,海藻,魚介類,納豆を摂る群

グループ6(n=441)

Clostridium XIVa,Eubacterium,Ruminococcus,Slackia,Collinsella,Gordonibacter 便秘ではない59歳以下の男性群

グループ7(n=482)

Clostridium,Lachnospira,Selenomonas,Parabacteroides,Lactobacillus

喫煙・飲酒習慣あり,野菜,海藻,魚介類,納豆を摂るBMI標準外の60歳以上の男性群

グループ8(n=112)

Clostridium,Fusobacterium,Roseburia,Lactococcus,Streptococcus,Bacillus 喫煙あり,BMI標準外の59歳以下の男性群

属 性

年齢性別

環 境

居住地域食生活生活習慣運動習慣

健康状態

便秘肥満

アレルギー腸疾患糖尿病高血圧

腸内常在菌の構成と機能

??

?

● 個人の基本属性(性別,年齢,身長,体重など)

● 採便時の体調,サンプルの状態

● 普段の排便状況

● 食生活

● サプリメント,常備薬の利用状況

● 喫煙,飲酒,運動習慣

● 現在の健康状況,疾病

● 睡眠

● 心理的・精神的状態

図5 健康・生活習慣と腸内常在菌の関係 図6 生活習慣アンケート項目例

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19 20 2016 No.89 2016 No.89

りにくいのか,健康度はどうなのかという指標ができると考えます.

腸内常在菌研究における今後の展望と課題

 増え続ける国民医療費(図8)をどう減少させるかが日本の医療において大きな課題となっています.腸内常在菌研究の成果を活用することができれば,将来的に腸内常在菌から生活習慣の改善度を予測し,それぞれの結果に応じた指導を管理栄養士などが行えるかもしれません.もしくは,人間ドックの前に“成分が明らかな試験食”を食し,排泄した大便を解析することで,健康状態を把握できるようになることも考えられます. 当研究所は60年以上にわたる腸内常在菌研究の歴史を持っています.データベースを構築することで,上記に挙げたような健康の在り方について提案していくことが,私たちが最も目指していることです. 腸内常在菌研究には,今なお多くの課題があります.例えば,検査する大便の保存方法については,冷凍すると特定の腸内常在菌が減少し,輸送環境によっては嫌気性細菌あるいは好気性細菌のいずれかが増えてしまうなど,正確な腸内常在菌の構成パターンが把握できなくなる恐れがあります.また,モデル動物である無菌動物を保有している施設は日本でもそれほど多くないため,その

維持も難しい状況です.さらに厄介なのは,6割程度の菌が未分類であるということです.現在私たちは,従来の培養法・培地法では単離できない微生物群に対しては,メンブランフィルター法という新しい培養法や,抗生剤を使用することで早期に生える菌を排除し,遅く生える菌のみを取り出しています.容易ではありませんが,この3年間で約29種類の新種と思われる菌を検出し,3種類についてはすでに新種として提案しました. 腸内常在菌解析はコストが高く,ゲノム解析については未分類の菌に関する情報の取得ができません.未知腸内常在菌が代謝産物を生成する機構も不明です.メタボロームにしても同様で,未知なる細菌群が検出されない限り,DNA解析における研究が展開していくのは非常に難しいことが予想されます.つまり,DNAレベルで解析するだけではなく培養法に基づいた地道な研究を並行しなければ,腸内常在菌に関する研究は進展しないことが想定されます. これに加え,今後は腸内常在菌の推移を予測するための相互作用モデルによるシミュレーション技術の開発や,腸内常在菌の変動と疾患の因果関係から創薬ターゲットを選定するアルゴリズムの開発も課題になると考えられています. そして,我が国にとって極めて重要な課題は知的財産保護の整備です.これに関しては企業も含め,世界的に見ても日本は遅れをとっています.未知の菌に対するアプ

ローチの未熟さに加え,各保存機関の技術レベルや菌株の保存確認体制に差があることは事実です. 21世紀になって,ようやく腸内常在菌の解析が始まり,今後は生きた微生物をいかにして採るかが重要となってくると予想されます.より精査して特定の微生物を見いだすことができれば,ノーベル医学・生理学賞にも値するような成果が期待できるかもしれません. しかし,この地道な腸内常在菌の解析は多くの方が敬遠する分野です.全世界を見回しても,検出までに1〜2週間かけなければならない菌の検出に着手しているのは,私の研究室くらいではないかと思います.しかし,それらの菌を見いだして,生体内においてどのような働きを

しているのか調べることもまた,今後の大きな課題になると思います. 腸内常在菌に関する論文は,2000年には年間150報ほどでしたが,今では年間4,000報近くが発表されています.これは,多くの研究者が未知なる分野であった腸内常在菌に対して関心を持ち,あらゆる疾患との関連について研究をしていることの表れです.腸内常在菌は腸内代謝物や大脳機能,エネルギー消費に大きく関与していることに加え,データベースによる新しい健康管理法の確立への期待も持たれています.まさに21世紀は,腸内常在菌を活用する時代といえるのではないでしょうか.

新時代を迎えた腸内常在菌研究〜腸内常在菌データベースによる新しい健康管理法の確立〜

講演3

図8 国民医療費削減への提案

腸内常在菌研究の歴史

生活アンケート調査

性別,年齢身長,BMI,居住地域排便習慣,食習慣運動習慣,飲酒・喫煙習慣疾患名,心理的・精神的状態

培養を介さない腸内常在菌解析技術の研究開発

ターミナル-RFLP法による腸内常在菌解析

ターミナル-RFLP法による腸内常在菌解析図

健康維持・増進,疾病の予防

生活習慣の予測,予測と現状の比較

メタボリックシンドローム,若年層にまで急増中

腸内常在菌が糖尿病・肥満に関与

国民医療費の大幅削減健康QOLの向上

総額:41兆円以上,うち,老人医療費は23兆円(65歳以上)

腸内常在菌データベース構築

略歴 辨野義己(べんの よしみ)

1973年 酪農学園大学獣医学科 卒業 同年 東京農工大学大学院獣医学専攻科 入学1974年 特殊法人理化学研究所 動物薬理研究室 研究員補1982年 農学博士(東京大学)授与1983年 特殊法人理化学研究所 動物薬理研究室 研究員1987年 特殊法人理化学研究所 微生物系統保存施設 分類室研究員1992年 特殊法人理化学研究所 微生物系統保存施設 分類室 室長1993年 社団法人農林水産先端科学研究所 ルーメン共生微生物研究チーム

チームリーダー(兼務)(〜2000年)2004年 独立行政法人理化学研究所バイオリソースセンター 微生物材料開発室

室長2009年 独立行政法人理化学研究所 定年退職 同年 独立行政法人理化学研究所イノベーション推進センター 辨野特別研究室

特別招聘研究員 同年 酪農学園大学獣医学群 特任教授2014年 国立研究開発法人理化学研究所イノベーション推進センター 辨野特別研究

室 特別招聘研究員2016年 特定国立研究開発法人理化学研究所イノベーション推進センター 辨野特別

研究室 特別招聘研究員現在に至る

参考文献

1) Gordon JI, et al.: Proc Natl Acad Sci U S A. 2005; 102,11070-5. 2) Matsumoto M, et al.: Front Syst Neurosci. 2013; 23: 7:9. doi: 10.3389/

fnsys.2013.00009.

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