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大学ジャーナル 3 vol.118 2015年(平成27年)12月15日 3 高校や大学では、夢や憧れといった、自分を 引っ張っていってくれるものを見つけたり、自 分の人生を変えるような本物と出会うことが 重要です。しかし豊かで何もかもがネット上で 簡単に見ることのできる社会では、そういうも のに出会うチャンスが少なくなっているのも事 実です。その点、目に見える形を追求する建 築の世界は、それらと出会える可能性に満ち ています。法政大学のデザイン工学部建築 学科には、私たちが力を入れている東京やア ジア、ヨーロッパ、地中海の都市研究というユ ニークな研究がありますし、今や建築家のコラ ボレータとも言われる構造設計では国内外で トップの先生方もおられ、将来、建築、街づく りに積極的に関わっていきたいという人の期 待には、おおいに応えられると思っています。 進路の ヒント 17 10010 Zaha Hadid 2 100使1960便Profile 建築史、都市史に、「空間人類学」 という独自の視点から新しい境地を 拓く。1971年東京大学工学部建 築学科卒業。1973 年~1975 年にはイタリア政府給費留学生と してヴェネツィア建築大学に、翌年 にはユネスコのローマ・センターに留 学。1983 年東京大学大学院工 学系研究課博士課程修了、工学 博士。1980年東京大学工学部 助手、1982年法政大学工学部 建築学科助教授、同デザイン工学 部助教授を経て、1990年同教授。 法政大学エコ地域デザイン研究所 所長。東京都立西高等学校出身。 法政大学 デザイン工学部 建築学科教授 陣内 秀信先生 使ビッグデータ、人工知能と並んで今年の話題となったのは、担当閣僚や監 督省庁の責任問題にまで発展した新国立競技場のデザイン見直し問題。 建築史、都市史が専門で、2年前の「新国立競技場に関する要望書」の発起 人のお一人でもある、法政大学教授の陣内秀信先生に、今回の問題と、そ こから見えてくる日本の建築や街づくりの課題についてお聞きしました。 サステイナブルな建築と 街づくりのために 空間人類学からの提言 日本の建築や街づくりには様々な課題があります が、建築デザインは、世界的にきわめて高い評価を 受けています。雑多な景観を生む原因ともなってい る規制の少なさもここではプラスに働いて、和食が 海外の料理を取り入れ進化しているように、世界の よい点を積極的に取り入れ洗練されていっているか らです。また一口に建築といっても、幅はとても広い ことも知っておいてほしいと思います。造形やプラン 作りだけではなく、コミュニティのあり方や美意識と いった人間の問題から、環境・エネルギーといった社 会的問題にまでコミットできるのが建築です。豊かさ や快適さ、個性といった、今後、多くの人が関心を寄 せるジャンルにおいても建築の専門性は大きな武 器になります。 最近では進路も多様になりました。これまでのよう なステレオタイプの進路選択だけではなく、行政職 員やジャーナリストはもとより、イラストレーターになる 人も出てきています。私の研究室には、大学院まで 進み、映像技術を別に学んでバーチャルリアリティ で美術や建築空間の立体展示作品を作って活躍 している卒業生もいます。ヨーロッパなどでは、ファッ ションデザイナーや美術館のディスプレイを専門に する会社で活躍するような人たちもいます。 水辺の再生で水都東京を復活させたい 法政大学エコ地域デザイン研究所 広場の発達しなかった日本では、川、堀、用水路など の水辺はきわめて大事な公共空間。そこで、建築だけ でなく都市計画、土木、環境、さらに理系の先生方も加 わって、2012年からはキャンパスの前にあって、2020 年にはマラソンコースにもかかる外濠の水質浄化と水 循環の改善に向けての活動が始められている。最終的 には、東京のあらゆる水辺を再生させ、水都東京の復活 を目指す。 建築学はこれからの学問 高校生へのメッセージ 便1980調使1985NTT20122013TOKYO

3 vol.118 ススメ!理系 - nyushi.hosei.ac.jp › application › files › 1614 › 5042 › 3548 › 2.pdf · 3 vol.118 2015年(平成27年)12月15日 大学ジャーナル

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大学ジャーナル3 vol.118 2015年(平成27年)12月15日3

高校や大学では、夢や憧れといった、自分を引っ張っていってくれるものを見つけたり、自分の人生を変えるような本物と出会うことが重要です。しかし豊かで何もかもがネット上で簡単に見ることのできる社会では、そういうものに出会うチャンスが少なくなっているのも事実です。その点、目に見える形を追求する建築の世界は、それらと出会える可能性に満ちています。法政大学のデザイン工学部建築学科には、私たちが力を入れている東京やアジア、ヨーロッパ、地中海の都市研究というユニークな研究がありますし、今や建築家のコラボレータとも言われる構造設計では国内外でトップの先生方もおられ、将来、建築、街づくりに積極的に関わっていきたいという人の期待には、おおいに応えられると思っています。

ススメ!理系

今号では、例年通り前号に続き、ススメ!理系を特集します。

進路のヒント

選考過程と、そもそもコンペ

の参加者に場所の持つ意味

が伝えられていなかったので

はないかということでした。

詳細は昨年3月に緊急出版

された『新国立競技場、何

が問題か 

オリンピックの17

日間と神宮の杜の100年』

に譲りますが、あのデザイ

ンとスケールは、前回の招致

活動で主会場に想定されて

いたベイエリアなら申し分な

く、コストも今回ほどにはか

からなかったはずです。

 

ザハのデザインも含め、新

国立競技場の開発計画は、

当初計画より膨らみ続ける

予算が直接の原因で白紙撤

回されましたが、私はこの問

題を通じて、近年の日本の

大規模再開発、スクラップア

ンドビルド中心の建築や街づ

くりが続く状況が浮き彫り

になり、日本社会がまだまだ

新国立競技場問題と

近年の建築、

街づくりの問題

 

この10月に、韓国のソウル

の清流が蘇ったことで知られ

る清渓川のすぐ近くで、話

題のザハ・ハディド(Zaha

Hadid

)の設計した美術館を

見て、私は、今回の問題の核

心は、都市における場所の持

つ意味が彼女に十分に伝え

られていなかったことではな

いかと一層思いを強くしまし

た。というのも、野球場とサッ

カー場の跡に建てられたこの

建物は、高さを抑え、一部に

周囲の遺跡を取り込むなど、

街の歴史、周辺の景観とに

見事にマッチしているからで

す。

 

ちょうど2年前、新国立

競技場の設計デザインについ

て、私たちが疑義を呈した

のは、デザインそのものにつ

いてというより、明治神宮を

中心に100年かけて作り

上げてこられた日本で最初

の風致地区でもあり、高さ

制限など規制も厳しい地区

に、なぜあのようなデザイン

が、それもおそらく超法規

的に認められたか。不透明な

文化的に成熟していないとつ

くづく感じました。というの

も、再開発の中心となる超

高層オフィスビルや高層マン

ションの多くは、個々の立地

の持つ記憶、歴史的・文化的

背景への配慮がなく、しかも

その計画は市民不在のまま

民間企業の経営を最優先に

して決められるからです。

 

私はヨーロッパ、とくに地

中海、中でもヴェネツィアの

建築や街について長年研究

してきましたが、ヨーロッパ

の人たちの価値観は、快適

な家に住むだけでなく、街

の豊かさをいつも感じながら

住むことにもあります。人

も企業も、高層のマンション

やオフィスビルよりも、エレ

ガントな歴史的建造物を再

生、リノベーションして使う

ことに価値を見出していま

す。街や建物のデザインも、

市民から出された要望を行

政が認めるというように、ボ

トムアップで決定されるのが

普通です。

 

それに引き替え日本人は、

特に1960年代の高度成

長期以降は、家を選ぶにも利

便性やコスト、面積などで選

ぶ傾向が強く、街全体の景

観を保つことについては、市

民だけでなく、行政にも自

覚がありません。しかし人口

減社会を迎えた今、超高層

ビル群の将来について懸念を

感じるのは私だけではないは

ずです。また、人と人、人と

地域の密な関係が不可欠な

高齢化社会を考えると、街

の回遊性やつながりを分断

するような、駅を中心に高

層による集積化を図る街づ

くりが、それにふさわしいと

は思えません。そこで求めら

れるのは、すべて置き換える

再開発ではなくリノベーショ

ンを基軸にした、緩やかな変

化の中で、地域の歴史・風土

P r o f i l e

建築史、都市史に、「空間人類学」という独自の視点から新しい境地を拓く。1971年東京大学工学部建築学科卒業。1973 年~1975 年にはイタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に、翌年にはユネスコのローマ・センターに留学。1983 年東京大学大学院工学系研究課博士課程修了、工学博士。1980年東京大学工学部助手、1982年法政大学工学部建築学科助教授、同デザイン工学部助教授を経て、1990年同教授。法政大学エコ地域デザイン研究所所長。東京都立西高等学校出身。

法政大学 デザイン工学部建築学科教授陣内 秀信先生

の持つ良さをつないでいくサ

ステイナブルな街づくりだと

私は思っています。

日本の建築、

街づくりに新しい流れを

 

企業サイドからも、このよ

うな流れから脱却しようと

いう動きも出てきています。

アメリカの《ボーナス制度》

※1を見習った高層化もその

一つですし、ビルの屋上庭園

は子育て中の若い世代を呼

び込み始めています。また巨

大な高層ビルの中に武蔵野

の森を再現し、近隣で働く

人々にも憩いの場を提供して

評判を呼んでいる取り組み

もあります。商業開発、オ

フィス開発においても、緑や

環境を取り入れた複合開発

が、海外に先駆けて始まって

いるのです。また、ヨーロッ

パのように公共施設が充実

していないため、市民がお金

を使わずに憩える場所が少

ないとされてきた日本です

が、姫路駅北口駅前広場の

ように、世界遺産の姫路城

が望める眺望デッキが評判

になるような新しいタイプの

公共空間も現れています(写

真上)。企業も、人の集える

場所を作るなど公共性に配

慮した開発が、自分たちの利

益にもつながることに気づき

始めたとも言えますが、いず

れにせよこうした流れは、建

築家にとっても歓迎すべきこ

とです。

 

日本の建築や街づくりを

サステイナブルなものにして

いくには、市民や行政の意識

改革も必要です。

 

そもそも、ヨーロッパの人

たちに比べ日本人には、住ん

ビッグデータ、人工知能と並んで今年の話題となったのは、担当閣僚や監督省庁の責任問題にまで発展した新国立競技場のデザイン見直し問題。建築史、都市史が専門で、2年前の「新国立競技場に関する要望書」の発起人のお一人でもある、法政大学教授の陣内秀信先生に、今回の問題と、そこから見えてくる日本の建築や街づくりの課題についてお聞きしました。

サステイナブルな建築と街づくりのために空間人類学からの提言

Ⅱ 日本の建築や街づくりには様 な々課題がありますが、建築デザインは、世界的にきわめて高い評価を受けています。雑多な景観を生む原因ともなっている規制の少なさもここではプラスに働いて、和食が海外の料理を取り入れ進化しているように、世界のよい点を積極的に取り入れ洗練されていっているからです。また一口に建築といっても、幅はとても広いことも知っておいてほしいと思います。造形やプラン作りだけではなく、コミュニティのあり方や美意識といった人間の問題から、環境・エネルギーといった社会的問題にまでコミットできるのが建築です。豊かさや快適さ、個性といった、今後、多くの人が関心を寄せるジャンルにおいても建築の専門性は大きな武器になります。 最近では進路も多様になりました。これまでのようなステレオタイプの進路選択だけではなく、行政職員やジャーナリストはもとより、イラストレーターになる人も出てきています。私の研究室には、大学院まで進み、映像技術を別に学んでバーチャルリアリティで美術や建築空間の立体展示作品を作って活躍している卒業生もいます。ヨーロッパなどでは、ファッションデザイナーや美術館のディスプレイを専門にする会社で活躍するような人たちもいます。

水辺の再生で水都東京を復活させたい法政大学エコ地域デザイン研究所 広場の発達しなかった日本では、川、堀、用水路などの水辺はきわめて大事な公共空間。そこで、建築だけでなく都市計画、土木、環境、さらに理系の先生方も加わって、2012年からはキャンパスの前にあって、2020年にはマラソンコースにもかかる外濠の水質浄化と水循環の改善に向けての活動が始められている。最終的には、東京のあらゆる水辺を再生させ、水都東京の復活を目指す。

建 築 学 は こ れ か ら の 学 問高校生へのメッセージ

でいる街に対して愛着を持つ

ことが少ない。原因の一つは、

住む人々に土地の文化や歴

史についての知識がないこと

にあるというのが私の考えで

す。高度成長期やバブル経済

の時代を通じて私たちは、街

や建物の利便性や、鉄道と

駅とその回りにできるショッ

ピングセンターといったイン

フラにしか関心を持たなく

なりました。そしてこのよう

ないわば個人主義とでも言

うべきマインドに、現状を後

押しするような建築や街づ

くりに関連する法律や規制

が加わって、今日の大規模再

開発、超高層ビル群の乱立に

拍車をかけているとも言え

るのです。

 

そこで私は1980年代

から、地元の東京について、

歴史やそれに由来する特徴

を長年に亘って実地に調査

し、それをまとめて出版しな

がら※2、一つの事例を示し

たいと考えてきました。つま

り、何気ない場所にも記憶の

風景を甦らせるこのような

試みを日本の各地で行えば、

それらを住む人々が共有す

ることで街への愛着を深め、

街を面白く使うのにふさわ

しい建築を作ろう、自らの責

任で街のデザインにも積極

的にコミットしていくように

なるのではないかと考えたか

らです。そのことがまた、知

らない間に決定される、土地

固有の意味を無視した大規

模プロジェクトを止めること

にもつながるのではないか。

 

人が懐かしさを感じる原

風景ともいうべきものを街

づくりに生かしていく、再開

発からリノベーションへの流

れをつくるためには、作り手

や行政の意識変革だけでな

く、何よりも市民自らが意

識を成熟させていくことが

求められているのだと思いま

す。

※1 

歴史的建造物の一部を残すこ

とで、後背地の建蔽率を高められる

制度。

※2 『東京の空間人類学』(1985

年刊、筑摩書房)、『中央線がなかった

ら 

見えてくる東京の古層』(NTT

出版2012年)。『水の都市江戸・東

京』(講談社2013年)等多数。全

体を通して「世界の大都市の中で、東

京ほど起伏に富んだところはないこ

と。建物のデザインは雑多であるに

もかかわらず、区画には江戸時代か

らのものが多く残っていて、それを

糸口に歴史を紐解くことができるこ

と。そして湾岸だけでなく、国分寺崖

線に象徴される起伏の断面からの湧

水が各地にあって地域コミュニティ

を育み、多摩川の羽村から引かれた

玉川上水はその分水網で武蔵野に豊

かな田園を育てつつ、都心に飲料水

を供給すると同時に、内濠、外濠を潤

すといったように、水都としての側

面も持っている」ことが明らかにさ

れている。また『東京の空間人類学』

を英訳した『TOKYO』(カルフォ

ルニア大学出版)は、海外に向けた数

少ない東京の紹介書になっている。