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学校教育目標 自己を見つめ、人とのかかわりの中で、ゆたかな 人間性をきずくことのできる生徒を育成する ○認め合い、みがき合い、支え合い、なかまとともに ・真理をもとめてまなぶ生徒・目標に向かってはげむ生徒 ・未来に向かってすすむ生徒 3年間の思い出 私の3年間の一番心に残った思い出は、 中学校生活最後の紫雲英祭です。練習して いくうちにみんなの気持ちが一つになって、 最初は音楽の時間や文唱の時間が早く終わ ればいいな思っていたのに本番が近づくに つれて、もっと練習したいと思うようにな っていました。 本番は3-1らしい「言葉にすれば」が 歌えたし、歌い終わった後にものすごい達 成感がありました。今までよく考えてみれ ば、周りにはいつも私を支えてくれたり、時には叱ってくれた り、いっしょに笑い合える友だちがいました。本当にありがと う。そして、長いようで短かった3年間はいろいろなことがあ り、つまづくこともあったけれど私にとって本当に大切で一生 の思い出です。 中学校生活の思い出 私は、中学校生活を振り返ってみて、た くさんの思い出があります。その中でも一 番に思い出に残ったは、部活です。私は3 年間、吹奏楽部で活動してきて、部活の楽 しさや辛さ、仲間と協力することの大切さ を学びました。 私は、部活の中で一番の思い出になって いるのは吹奏楽コンクールです。このコン クールの日にちが近くなると毎日練習、夏 休みにも毎日の練習で、とても辛かったで す。 でも、あきらめなかったのは、仲間がいたから、一生懸命が んばろうと思いました。そして、コンクールが終わると同時に、 私の中で達成感がわいてきました。辛かったけど、それが最後 に達成感にかわったのがとても嬉しかったです。 修学旅行 僕が、3年間で一番の思い出は、3年生 の時に行った修学旅行です。 修学旅行は、関西の京都と奈良に行きま した。その中でも一番の思い出は、一日目 の京都散策です。まずは、太秦映画村に行 こうとしましたが、僕以外の班員がトイレ に行っている間にバスに乗り遅れてしまい ました。そして走って追いかけました。し かし、相手はバスなので追いつきません、 ついにあきらめました。バ スの時刻表を見ると、次のバスまであと少しの 時刻なので、それを待つことにしました。そし て、映画村に着きました。走っているときは、 行くべきかどうしようか迷って困っていました が、今となってはとてもいい思い出になりまし た。 東名中校歌について 東名中校歌について ー海ゆかば・慶応義塾塾歌作曲 信時 潔氏ー のぶとききよし 頼住 道夫 誰もが、自分の母校(小・中・高・大学等)の校歌の一小節やメロディーを覚 えていると思います。私は市内の小鮎中学校を卒業しましたが、この母校の校歌 が好きで、時々口ずさむことがあります。 昨年末、かつてお世話になり、すでに退職された林中学校の元校長先生が本校 を訪ねてきました。校長室にある歴代の校長写真を眺めながら、東名中の前身で ある相川中学校校歌について話題になりました。昭和33年3月、相川中校歌が出 来上がりましたが、校歌作成にあたり、作詞家の谷鼎(たにかなえ)氏が、学校近辺を散 策し、イメージをふくらませたこと、作曲家の信時潔氏は有名な作曲家であるこ となど。元校長が帰られた後、作曲家の信時潔氏のことが気にかかり、どんな人 物なのか調べてみました。すると、私が想像していた以上の素晴らしい音楽家で あることがわかりました。 ※現在の相川中学校は平成7年に開校。 信時潔氏は、1887年(明治20年)大阪で生まれ、1906年(明治40年)、19 歳のとき、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)器楽部入学。1915年(大正4年) 28歳で同学校研究科作曲部を終了。その年、同校の教授となりました。 戦後は、多く依頼された作曲をしながらも、日本の伝統に根ざした創作活動を 続けました。77歳の生涯を閉じるまで、数多くの曲を作曲しました。 特に、校歌については、全国の小・中・高・大学の校歌を作曲し、その数は9 00曲を超えています。その中に、私たちの馴染みの大学の曲があります。例え ば、慶応義塾大学塾歌、東海大学建学の歌、学習院院歌、専修大学校歌などです。 また、戦前に「海ゆかば」を作曲したことも発見しました。音楽史研究家・郡 修彦(こおりはるひこ)さんは「賛美歌的な主旋律に、伴奏の和音の絶妙な調和が天上的な 美しさを醸し出している」と表現しました。 1941年(昭和16年)、太平洋戦争 が始まると、国歌に次ぐ「国民の歌」 に指定され、広く知られるようになり ました。しかし、勇を鼓舞する本来の 意図から離れ、「大本営発表」で玉砕 を伝える際に流されたことが、今日 「海ゆかば」を専ら「鎮魂歌」と受 け止められるようになりました。 「音楽は野の花の如く、自然に、素直 に偽りのないことが中心となり、しか も健康さを保たなければならない」と 語った作曲家の信時潔氏の信念は、 この言葉通り、一生涯変わることはあ りませんでした。 このように、相川中から引き継がれた東名中の校歌の背景を調べてみると、作 曲家の信時潔氏の信条が現れている素晴らしい曲であると確信しました。機会が あれば、作詞家の谷鼎氏にスポットあててみたいと思います。 卒業文集より 学校だより ー 地域と生きる 東名中 ー TOMEI -とうめい- -とうめい- 3月号 NO1 ◆思い出を語る◆ あいさつ 僕は、中学校に入って、最初にあいさつを するということを教えられた。小学校の時に は、別にあいさつなんて頭を少し下げればだ いたい平気だと思っていた。しかし、中学校 に入ったら、2年生や3年生はふつうにあい さつしているし、「あいさつ日本一」とかい って、そんなことは恥ずかしいと思っていた3年生になった今では、学校ですれ違う人 にあいさつはできるようになったし、自然に できるようにもなれた。こんなことは、1、2年の時には考えら れなかった。 中学に入って学んだことは小学校の時には、あいさつをすると いうことが自分の中ではおかしいと思っていたことが中学に入り 変わり、社会のマナーが学べたと思う。 最後の中学校生活 僕の3年間の中で思い出に残っているの は、修学旅行と紫雲英祭です。修学旅行では、 班員としてしっかり協力できて、すごく楽し い修学旅行になりました。 3年最後の紫雲英祭は、最初はまったくや る気がなかったけど練習を重ねていくうちに 合唱が楽しくなってきて、いつの間にか一生 懸命、みんなと歌っていました。合唱が楽し くなったのは、3年1組のみんながいたから 中学校生活最後の紫雲英祭は最高の思い出になりました。 これからみんなバラバラになってしまうけど、それぞれの夢に 向かって頑張っていけたらいいと思います。みんな今までありが とう。 平成23年3月 9日発行 厚木市立東名中学校 厚木市愛甲1809番地 電話 046-228-4052 FAX 046-228-1258 <3 月> 9日(水)卒業証書授与式 9日(水)卒業証書授与式 12日(土)授業参観・保護者会 12日(土)授業参観・保護者会 14日(月)振替休業 14日(月)振替休業 15日(火)1・2年球技大会 15日(火)1・2年球技大会 17日(木)校内駅伝大会 17日(木)校内駅伝大会 21日(月)春分の日 21日(月)春分の日 22日(火)1・2年ふれあい講座 22日(火)1・2年ふれあい講座 25日(金)終了式(春季休業4/4まで) 25日(金)終了式(春季休業4/4まで) <4 月> 5日(火)着任式・始業式・入学式 5日(火)着任式・始業式・入学式 6日(水)新入生オリエンテーション 6日(水)新入生オリエンテーション

3年間の思い出 -とうめい- 3月号 - Atsugiswa.edu.city.atsugi.kanagawa.jp/weblog/files/208/doc/...修学旅行 僕が、3年間で一番の思い出は、3年生 の時に行った修学旅行です。修学旅行は、関西の京都と奈良に行きま

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Page 1: 3年間の思い出 -とうめい- 3月号 - Atsugiswa.edu.city.atsugi.kanagawa.jp/weblog/files/208/doc/...修学旅行 僕が、3年間で一番の思い出は、3年生 の時に行った修学旅行です。修学旅行は、関西の京都と奈良に行きま

学 校 教 育 目 標自己を見つめ、人とのかかわりの中で、ゆたかな人間性をきずくことのできる生徒を育成する○認め合い、みがき合い、支え合い、なかまとともに・真理をもとめてまなぶ生徒・目標に向かってはげむ生徒・未来に向かってすすむ生徒

3年間の思い出私の3年間の一番心に残った思い出は、

中学校生活最後の紫雲英祭です。練習していくうちにみんなの気持ちが一つになって、最初は音楽の時間や文唱の時間が早く終わればいいな思っていたのに本番が近づくにつれて、もっと練習したいと思うようになっていました。

本番は3-1らしい「言葉にすれば」が歌えたし、歌い終わった後にものすごい達成感がありました。今までよく考えてみれ

ば、周りにはいつも私を支えてくれたり、時には叱ってくれたり、いっしょに笑い合える友だちがいました。本当にありがとう。そして、長いようで短かった3年間はいろいろなことがあり、つまづくこともあったけれど私にとって本当に大切で一生の思い出です。

中学校生活の思い出私は、中学校生活を振り返ってみて、た

くさんの思い出があります。その中でも一番に思い出に残ったは、部活です。私は3年間、吹奏楽部で活動してきて、部活の楽しさや辛さ、仲間と協力することの大切さを学びました。

私は、部活の中で一番の思い出になっているのは吹奏楽コンクールです。このコンクールの日にちが近くなると毎日練習、夏休みにも毎日の練習で、とても辛かったで

す。でも、あきらめなかったのは、仲間がいたから、一生懸命が

んばろうと思いました。そして、コンクールが終わると同時に、私の中で達成感がわいてきました。辛かったけど、それが最後に達成感にかわったのがとても嬉しかったです。

修学旅行僕が、3年間で一番の思い出は、3年生

の時に行った修学旅行です。修学旅行は、関西の京都と奈良に行きま

した。その中でも一番の思い出は、一日目の京都散策です。まずは、太秦映画村に行こうとしましたが、僕以外の班員がトイレに行っている間にバスに乗り遅れてしまいました。そして走って追いかけました。しかし、相手はバスなので追いつきません、ついにあきらめました。バ

スの時刻表を見ると、次のバスまであと少しの時刻なので、それを待つことにしました。そして、映画村に着きました。走っているときは、行くべきかどうしようか迷って困っていましたが、今となってはとてもいい思い出になりました。

東名中校歌について東名中校歌についてー海ゆかば・慶応義塾塾歌作曲 信時 潔氏ー

のぶとききよし

校 長 頼 住 道 夫

誰もが、自分の母校(小・中・高・大学等)の校歌の一小節やメロディーを覚

えていると思います。私は市内の小鮎中学校を卒業しましたが、この母校の校歌

が好きで、時々口ずさむことがあります。

昨年末、かつてお世話になり、すでに退職された林中学校の元校長先生が本校

を訪ねてきました。校長室にある歴代の校長写真を眺めながら、東名中の前身で

ある相川中学校校歌について話題になりました。昭和33年3月、相川中校歌が出

来上がりましたが、校歌作成にあたり、作詞家の谷鼎(たにかなえ)氏が、学校近辺を散

策し、イメージをふくらませたこと、作曲家の信時潔氏は有名な作曲家であるこ

となど。元校長が帰られた後、作曲家の信時潔氏のことが気にかかり、どんな人

物なのか調べてみました。すると、私が想像していた以上の素晴らしい音楽家で

あることがわかりました。 ※現在の相川中学校は平成7年に開校。

信時潔氏は、1887年(明治20年)大阪で生まれ、1906年(明治40年)、19

歳のとき、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)器楽部入学。1915年(大正4年)

28歳で同学校研究科作曲部を終了。その年、同校の教授となりました。

戦後は、多く依頼された作曲をしながらも、日本の伝統に根ざした創作活動を

続けました。77歳の生涯を閉じるまで、数多くの曲を作曲しました。

特に、校歌については、全国の小・中・高・大学の校歌を作曲し、その数は9

00曲を超えています。その中に、私たちの馴染みの大学の曲があります。例え

ば、慶応義塾大学塾歌、東海大学建学の歌、学習院院歌、専修大学校歌などです。

また、戦前に「海ゆかば」を作曲したことも発見しました。音楽史研究家・郡

修彦(こおりはるひこ)さんは「賛美歌的な主旋律に、伴奏の和音の絶妙な調和が天上的な

美しさを醸し出している」と表現しました。

1941年(昭和16年)、太平洋戦争

が始まると、国歌に次ぐ「国民の歌」

に指定され、広く知られるようになり

ました。しかし、勇を鼓舞する本来の

意図から離れ、「大本営発表」で玉砕

を伝える際に流されたことが、今日

「海ゆかば」を専ら「鎮魂歌」と受

け止められるようになりました。

「音楽は野の花の如く、自然に、素直

に偽りのないことが中心となり、しか

も健康さを保たなければならない」と

語った作曲家の信時潔氏の信念は、

この言葉通り、一生涯変わることはあ

りませんでした。

このように、相川中から引き継がれた東名中の校歌の背景を調べてみると、作

曲家の信時潔氏の信条が現れている素晴らしい曲であると確信しました。機会が

あれば、作詞家の谷鼎氏にスポットあててみたいと思います。

卒 業 文 集 よ り学 校 だ よ り ー 地域と生きる 東名中 ー

TOMEI-とうめい--とうめい- 3 月 号 NO1

◆思い出を語る◆あいさつ

僕は、中学校に入って、最初にあいさつを

するということを教えられた。小学校の時に

は、別にあいさつなんて頭を少し下げればだ

いたい平気だと思っていた。しかし、中学校

に入ったら、2年生や3年生はふつうにあい

さつしているし、「あいさつ日本一」とかい

って、そんなことは恥ずかしいと思っていた。

3年生になった今では、学校ですれ違う人

にあいさつはできるようになったし、自然に

できるようにもなれた。こんなことは、1、2年の時には考えら

れなかった。

中学に入って学んだことは小学校の時には、あいさつをすると

いうことが自分の中ではおかしいと思っていたことが中学に入り

変わり、社会のマナーが学べたと思う。

最後の中学校生活僕の3年間の中で思い出に残っているの

は、修学旅行と紫雲英祭です。修学旅行では、

班員としてしっかり協力できて、すごく楽し

い修学旅行になりました。

3年最後の紫雲英祭は、最初はまったくや

る気がなかったけど練習を重ねていくうちに

合唱が楽しくなってきて、いつの間にか一生

懸命、みんなと歌っていました。合唱が楽し

くなったのは、3年1組のみんながいたから

中学校生活最後の紫雲英祭は最高の思い出になりました。

これからみんなバラバラになってしまうけど、それぞれの夢に

向かって頑張っていけたらいいと思います。みんな今までありが

とう。

平成23年3月 9日発行

厚木市立東名中学校

厚木市愛甲1809番地

電 話 046-228-4052FAX 046-228-1258

<3 月>9日(水)卒業証書授与式9日(水)卒業証書授与式

12日(土)授業参観・保護者会12日(土)授業参観・保護者会

14日(月)振替休業14日(月)振替休業

15日(火)1・2年球技大会15日(火)1・2年球技大会

17日(木)校内駅伝大会17日(木)校内駅伝大会

21日(月)春分の日21日(月)春分の日

22日(火)1・2年ふれあい講座22日(火)1・2年ふれあい講座

25日(金)終了式(春季休業4/4まで)25日(金)終了式(春季休業4/4まで)

<4 月>5日(火)着任式・始業式・入学式5日(火)着任式・始業式・入学式

6日(水)新入生オリエンテーション6日(水)新入生オリエンテーション

三三

・・

四四

月月

のの

行行

事事

東名中学校

作詞

作曲

信時

自主正善に

こヽろざし

自主正善に

こヽろざし

真の道を

もとめよと

真の道を

もとめよと

ながれは清し

あゆの川

ながれは清し

あゆの川

いざや

まなばむ

いざや

まなばむ

五体にちから

たヽえては

五体にちから

たヽえては

ふるはむこころ

うるわしく

ふるはむこころ

うるわしく

尊かれと聳つ

芙蓉峰

尊かれと聳つ

芙蓉峰

たか

いざや

はげまむ

いざや

はげまむ

空は冴えて

地はたひらかに

空は冴えて

地はたひらかに

光りあり

われらが行くて

光りあり

われらが行くて

いざや

すヽまむ

いざや

すヽまむ

Page 2: 3年間の思い出 -とうめい- 3月号 - Atsugiswa.edu.city.atsugi.kanagawa.jp/weblog/files/208/doc/...修学旅行 僕が、3年間で一番の思い出は、3年生 の時に行った修学旅行です。修学旅行は、関西の京都と奈良に行きま

◆思い出の紫雲英祭◆テーマ「咲きほこれ 東名の花」

22.10月

オープニングはレンゲマン・レンゲウーマンも登場

縦割り合唱 青組「空高く」

縦割り合唱 赤組「空高く」

体育大会 3年女子 22.5月

修学旅行 京都・奈良方面(写真 平城京跡) 22.6月

学 校 だ よ り ー 地域と生きる 東名中 ー

TOMEI-とうめい--とうめい- 3 月 号 NO2

3年間の思い出ぼくの3年生の思い出は3つあります。1つ

目は体育大会です。体育大会では長縄跳びみんなと協力してとてもいい記録を出すことができたし、赤組は優勝することができたのでよかった。

2つ目は修学旅行です。修学旅行ではみんなと楽しく話したり、みんなでいろいろな所に行ったので楽しかったです。特に、金閣寺はとてもキラキラ光っていて迫力がありました。最後は紫雲英祭です。紫雲英祭では、みんなでたくさん練習しました。つらいこともあったけれど最後にはみんなで楽しく歌うことができたし、

悔いのないように歌えたのでよかった。紫雲英祭では、3年間で一番いい紫雲英祭になりました。とても最高でした。

仲間との15年間私は、この15年間でいろいろな仲間と出会

うことができました。保育園、小学校、中学校と、時が経つにつれて新しい仲間と出会い、充実した日々を送ることができました。

そして義務教育ラストの今、東名中学校3年2組の一員として最高の年を送ることができました。

この仲間との“絆”はとても素晴らしいものです。体育大会では、長縄跳びで最高記録!!そして優勝の感動、紫雲英祭では合唱で惜しくも最優秀賞は逃したけれど、歌い終わった直後のみんなの達成感の涙、今でも心に焼きついています。

これらの思い出を大事にしまっておき、これからの新しい仲間との高校生活でも楽しい思い出を積み重ねていきたいと思います。

み ん な私のこの3年間は、今までの人生15年間で

最も濃い3年だった。この学校、先生、仲間によって作り上げられた今の自分。身長は小学校6年生までで止まったが、心の成長はまさにこの中学校3年間が成長期だったと思う。

そして、私の胸に特に深く刻まれた思い出は、2・3年時に出た選抜合唱団。同じ行事を何度も行うと1つ前にやったことを忘れてしまいがちだが、2年生の時、3年生の時、どちらも根深く残っている。2年ではピアノの譜めくり係、3年では女声パート両方歌い、あの時の仲間・出来事があって、私は歌うことが好きになった。

もし、何か1つ願いが叶うとしたら、またあの皆で歌いたいな。

東大寺

奈良の大仏