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4 月号 common sense (常識,判断力) 4月になり、入学・入社と新しい事にチャレンジする方も多いかと思います。何 かと忙しい時期ではありますが、自然が豊かな置賜で暮らすからには、徐々に 融けはじめた雪山を、眺めて過ごす時間を大切にしていきたいと思うこの頃で す。自然から季節の変化を感じるのは、この場所の特権です! このコラムのタイトルとレイアウトもリニューアル。その名も「元協力隊かく語り き」。読んでる人に何か伝わればと思い書いています! それは、いつのことか忘れましたが、正月の集まりで、僕が偏屈になっていた 時、親戚に「話が理屈っぽい」と言われ、黙っていると「そうじゃなくてさ」と言わ れ、面倒だと思っていた頃に読んでいたのが、ドイツの哲学者ニーチェの「ツァラ トゥストラはこう言った(かく語りき)」という本でした。 この本は、哲学書なので簡単には理解できず、日常生活や生き方に役立つか というとそうでもなく、ただ、偏屈だと思われる本です(塗家の場合)。しかし、この 世界、つまり哲学の世界では名著とされています。 なぜ、読んでもよくわからない本が世界的な名著なのか?不思議だと思いませ んか?それは、学問という世界において、哲学者を特別な存在にして、そこに共 感できるかどうかで一般社会と区別をしたからです。これは人間のエゴです。ひ らたく言えば「共感できる人はスゴイ」「共感できない人は解ってない」となるわけ です。偉い、偉くないとか、人と社会のかかわりに必ず存在する事象です。 どの世界にも、常識や定番と言われるモノや人、事や方法などがあります。多 くの人は、人生のうちで体験できるのはせいぜい10種類といったところではない でしょうか?「石の上にも三年」というなら、10種類体験するには30年かかりま す。仕事で学ぶ事のほかにも、様々、チャレンジしないと人生100年では足りな いのです。 僕は中学に入るまで、母方のおばあさんと暮らしていたので、水戸黄門やプロ レス(昔の人はなぜかプロレス好き)のテレビを観ては何かとしゃべったもので す。口癖のように「何事も経験」とよく、おばあさんは言ってました。確かに何でも 知るためには、経験する事がいいのかもしれません。しかし、人生、知らなけれ ばよかったと思うこともあります。 話を戻せば、正月の集まりで、僕はなぜ親戚相手に偏屈な人間だったのか? 本当の理由は、親でもおばあさんでもない、程よい距離にいる親戚という存在 に、自分のことをわかったように言われるのが説教くさく、嫌だったからです。 確かに何事も経験した、人生経験豊富な人かもしれない、色々な世界の事を 知っているかもしれない。しかし、それは、あくまでも、その人自身のために存在 する価値観であり、他人には共感できない事のほうが多いのです。 僕はそう思えた時に、結局、何事も自分のためであり、「世のため人のため」と いうのは偽善だと感じたのでした。そして、自分の知識と優越感のために、会っ た事もないドイツの人の語り本は読のをやめようと思い、本やしにし ました。 知の知」ではないですが、自分が経験したわけでもない知識をもとに人合いをすると、正月から親戚がくなります()この「かく語りき」コラムで は、当時の反省点まえ、身大の思いをることで読者との距離をめる。 そう作戦です()僕がニーチェから学んだ事は、真実を知ろうと力する 事、合よく現実を解してルしない事。これ上は「はらくっちくなって、ずこ る」という事です。そういえば、「何でもほどほどに」と、おばあさんによく言われ たのを思いしました。 中のいモノ」 日の方、いつものようにカフェにくと、ほのかにかりがになった。米沢が多い。僕は黄時にる、中の街灯が好きだ。いもの、ラスコのもの四角など、 色々ながある。けれど、どのっても、中をらすそのかるさは変わらないと思う。 化がなるということ」 仕事でア人と話した時に、「日本とア化がうけど、大切なのは、いではなく うという事をけ入れる事」だと言ったのをいて、ごもっともだと思った。によって化がうと いうのは当たりのようで、に不思議。 カフェをつける」 外国映画を観ていたら、「新しいたら、おに入りのカフェをつける」というがあった。 自分もじような事をしているので、感人なのかと思った。カフェというのはコーーを飲みいのではなく、居心地のいい場所だからいいのです。 われたのに、断られる」 最近なぜか多いのですが、飲みこうと言われたから、いつがいい?といても断られるという 矛盾)何でったんだ?とうよりも、会話でかわす言比重でしょ。「あー自分、が好きなんだー」「でもくない?」「まーでもいいけどたいな会話ですな。 「何でスマホじゃないの?とかれたら大学2年からーの僕は、ータイにかなり興味ない人間です。しかし、機器とかデバ イスは結好きです。高校の時に「ウルス」「ーム」「リエ」。そして、大学の時に電車の中のた「Windows Mobile」がほしかった。どれも、元マホみたいな商品だけど、ネットもメディコンテンツも化しすてる現状では、スマホPCほどの性能もないし、融もきかない、元とあまり変わらないがする。話だから話とールで分。面をるのが嫌いなんだな。

4月号 「common sense」 (常識,判断力)4月号 「common sense」 (常識,判断力) 4月になり、入学・入社と新しい事にチャレンジする方も多いかと思います。何

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Page 1: 4月号 「common sense」 (常識,判断力)4月号 「common sense」 (常識,判断力) 4月になり、入学・入社と新しい事にチャレンジする方も多いかと思います。何

4月号 「common sense」 (常識,判断力)

 4月になり、入学・入社と新しい事にチャレンジする方も多いかと思います。何かと忙しい時期ではありますが、自然が豊かな置賜で暮らすからには、徐々に融けはじめた雪山を、眺めて過ごす時間を大切にしていきたいと思うこの頃です。自然から季節の変化を感じるのは、この場所の特権です! このコラムのタイトルとレイアウトもリニューアル。その名も「元協力隊かく語りき」。読んでる人に何か伝わればと思い書いています! それは、いつのことか忘れましたが、正月の集まりで、僕が偏屈になっていた時、親戚に「話が理屈っぽい」と言われ、黙っていると「そうじゃなくてさ」と言われ、面倒だと思っていた頃に読んでいたのが、ドイツの哲学者ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った(かく語りき)」という本でした。 この本は、哲学書なので簡単には理解できず、日常生活や生き方に役立つかというとそうでもなく、ただ、偏屈だと思われる本です(塗家の場合)。しかし、この世界、つまり哲学の世界では名著とされています。 なぜ、読んでもよくわからない本が世界的な名著なのか?不思議だと思いませんか?それは、学問という世界において、哲学者を特別な存在にして、そこに共感できるかどうかで一般社会と区別をしたからです。これは人間のエゴです。ひらたく言えば「共感できる人はスゴイ」「共感できない人は解ってない」となるわけです。偉い、偉くないとか、人と社会のかかわりに必ず存在する事象です。 どの世界にも、常識や定番と言われるモノや人、事や方法などがあります。多くの人は、人生のうちで体験できるのはせいぜい10種類といったところではないでしょうか?「石の上にも三年」というなら、10種類体験するには30年かかります。仕事で学ぶ事のほかにも、様々、チャレンジしないと人生100年では足りないのです。 僕は中学に入るまで、母方のおばあさんと暮らしていたので、水戸黄門やプロレス(昔の人はなぜかプロレス好き)のテレビを観ては何かとしゃべったものです。口癖のように「何事も経験」とよく、おばあさんは言ってました。確かに何でも知るためには、経験する事がいいのかもしれません。しかし、人生、知らなければよかったと思うこともあります。 話を戻せば、正月の集まりで、僕はなぜ親戚相手に偏屈な人間だったのか?本当の理由は、親でもおばあさんでもない、程よい距離にいる親戚という存在に、自分のことをわかったように言われるのが説教くさく、嫌だったからです。 確かに何事も経験した、人生経験豊富な人かもしれない、色々な世界の事を知っているかもしれない。しかし、それは、あくまでも、その人自身のために存在する価値観であり、他人には共感できない事のほうが多いのです。 僕はそう思えた時に、結局、何事も自分のためであり、「世のため人のため」というのは偽善だと感じたのでした。そして、自分の知識と優越感のために、会った事もないドイツの故人の語り本は読むのをやめようと思い、本棚の肥やしにしました。 「無知の知」ではないですが、自分が経験したわけでもない知識をもとに人付き合いをすると、正月から親戚が機嫌悪くなります(笑)この「かく語りき」コラムでは、当時の反省点をふまえ、等身大の思いを綴ることで読者との距離を縮める。そうゆう作戦です(笑)僕がニーチェから学んだ事は、真実を知ろうと努力する事、都合よく現実を解釈してズルしない事。これ以上は「はらくっちくなって、ずこぼる」という事です。そういえば、「何でもほどほどに」と、おばあさんによく言われたのを思い出しました。

 

「町中の丸いモノ」

 休日の夕方、いつものようにカフェに行くと、ほのかに灯る町の明かりが気になった。米沢は白く丸い光が多い。僕は黄昏時に見る、町中の街灯が好きだ。丸いもの、フラスコ型のもの四角など、色々な形がある。けれど、どの町に行っても、町中を照らすその明かるさは変わらないと思う。

「文化が異なるということ」

仕事でアメリカ人と話した時に、「日本とアメリカは文化が違うけど、大切なのは、良い悪いではなく違うという事を受け入れる事」だと言ったのを聞いて、ごもっともだと思った。国によって文化が違うというのは当たり前のようで、実に不思議。

「カフェを見つける」

外国映画を観ていたら、「新しい街に来たら、お気に入りのカフェを見つける」というセリフがあった。自分も同じような事をしているので、感覚が外人なのかと思った。カフェというのはコーヒーを飲みたいのではなく、居心地のいい場所だからいいのです。

「誘われたのに、断られる」

最近なぜか多いのですが、飲みに行こうと言われたから、いつがいい?と聞いても断られるという矛盾(笑)何で誘ったんだ?と疑うよりも、会話でかわす言葉の比重が軽すぎでしょ。「あー自分、夏が好きなんだー」「でも暑くない?」「まー冬でもいいけどね」みたいな会話ですな。

「何でスマホじゃないの?と聞かれたら…」

大学2年から同じガラケーの僕は、ケータイにかなり興味ない人間です。しかし、最新機器とかデバイスは結構好きです。高校の時に「ザウルス」「パーム」「クリエ」。そして、大学の時に電車の中の広告で見た「Windows Mobile」がほしかった。どれも、元祖スマホみたいな商品だけど、ネットもメディアコンテンツも進化しすぎてる現状では、スマホはPCほどの性能もないし、融通もきかない、元祖スマホとあまり変わらない気がする。電話だから通話とメールで十分。画面を触るのが嫌いなんだな。