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三井甲之『しきしまのみち原論』

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三井甲之『しきしまのみち原論』(原理日本社、1934年)

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Page 1: 三井甲之『しきしまのみち原論』

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Page 2: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきし参のみち原論

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三井甲之著

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Page 3: 三井甲之『しきしまのみち原論』

寄書述懐

明治天皇御製

白雲のよそに求むな世の人のまzどの道ぞしきしまの道

開くべき道はひらきてかみつ代の固のすがたを忘れざちなむ

わが園は榊のすゑなり瀞祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ

千早ぷる祁のひらきし敷島の道はさかえむ寓代までに

すぁみゆく世におくれなぱかひあらじ文の林はわけつくすとも

寄道述懐

=ご

寄道述懐

折にふれて

Page 4: 三井甲之『しきしまのみち原論』

シキシマノミチは畢術的に『日本輔祁科皐』でありますが、それと同時に祁示的に『紳のひらきし

道』であります。シキシマノミチは時代の進運に伴って開展するのでありますが、それと同時に『紳

代ながら』の樽統を継承するのであり全す。シキシマノミチは人生そのものL如くに複雑でもあり玄

た人生そのもの勘如くに統一せられてをります。シキシマノ・ミチは一切の自然科畢的叉は物的法則を

撮取しますが、それら物的諸法則のみによって規定せられぬところの創造的開展を生成する人生の不

可思議に信順するのであります。

現代文明諸圃家に於いて財貨の生産消餐分配交易の資際に於いて機制的偏僑を生ずるといふこさは

、、、、、、、、、や、b、

画内的また国際的にも賓本の少数者に集中することLなり、それと政治的権力との結合によって多数

民衆を貧苦困難の生活に賂らしむるのみならず、そこにまた努作敬養の機含、地位利横の遮得に不公

ヂ蜜.i鵬璽零!儒画……画膨偏’・I・隙i嘘で膜11,.1’r↓照Ⅲ

、一』

正が行はるLこさを見のがすことはできぬのでありますが、その積弊は私有制度賓本主義に基くとい

ふよりも政治の不公正に基くものであり、それはマルクュ主義の説く如くに生産方法b経涛組織の機

はしがき

一・

はしがき 、

Page 5: 三井甲之『しきしまのみち原論』

では積極的にシキシー

とするのであります。

現在の私有財産制度と資本主義組織とは常にその惰性的偏椅動向を矯正しつ塁中正衡平の公共観念》

によって指導せらるべきでありますが、その制度組織そのもの卦自働的機制によって救ふくからざる

嗣害を生ずるといふ見地からこれを否定し誕革せむとすべ倉で無いといふことは、上記略説した通り

でありますが、また現勢世界の現代史的事資の例鐙するところであり、公ツソリーーーのいふ如く『資

本主義のま乙との歴史は今始まりつぁある』ので『資本主義は軍なる睡迫搾取の組織では無電最も

債値あるものを選び、聖志あるものを結び、個人の責任威をいよノ、騒ぐ鍛錬して行くべきものであ

る』(臓葬蕊翌謹鰍鴇躍)と信ずるのであります。それから弊害を生ずるといふ乙とのみを以て一掃的

に之を否定するといふ乙とになれば『生』そのものを否定する自我紳化の無反省に基く快心事空想の

革命主義に陥るのであります。マルクス主義がアナァキズム無政府主義の畜生道に陥るのは此の故で

あjまして、現日本にもその痛ましい貨例が提示せられて居ります。

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しをしまのみち原霞二

構にのみ基くと乙ろの論理的必然性に支配せらる狸機制的偏侍であるとするのは人間を論理的機械で

あるとする誤りであ・りまた人間・人生の責際を認識せむとせずして人間・人生を論理的に構成しよう

とするものでありますo個人及び吐含的生活の物的機構は人生の重要の手段ではあ,りますが人生全髄

を決定的に左右するものではありません。マルクュ主義の考へ方は『人間寓事金の世の中』といふ

か虹

卑俗の謬見であbますo今日の経涛組織の中に生活するに『金』の無いことは不便至極でゐ.p、『金』

の有るこさは便利でありますが、科畢的道徳的蕊術的天票及び修養等を無説して『金』のみによって

人生が左右せられ、人生も文化もすべて此の部分的の物的・経済的機構の基礎の上に建設せられた

『上層建築』であるといふマルクュ主義理論は、部分は全燈の基礎であるといふご同じ誤●りでありま

す。このことに就いてはウイルヘル公・ヴントの倫理隼、論理皐に於けるマルクュ主義の批評が簡明

直裁にその誤認を指摘して居り童す。また蓑田胸喜氏の『畢術維新原理日本』はマルクュ主羨誤謬指

摘の綜合的結集であ・りまして、欧洲諸畢者のマルクヱ主義批判を紹介し、ムッソリーーーのマルクュ主

義批判からし.一一ン自身のマルクュ主義誤認自認の愚嘩告白までを網羅して之をシキシマノミチの原理

によって髄系づけたものであ.りますo文献引用によるマルクュ主義の批剣は本書に於きましてはそれ

に深入り,することを中止しましてそれら諸著を参照せらるべきを一言するに道喧めて置きます。本書

はしがき

マノミチの壮曾・経済・政治生活の指導原理を説かうとするこごに中心を置かう

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一一一

Page 6: 三井甲之『しきしまのみち原論』

、、、、、、、、、、、、、、

の畳悟一彩些以て輔弼の責任を議すことが第一

、、、、、、、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

シキシマノミチは圃務大臣とそれに連絡する重臣の『承詔必謹』の臣道臣節にうぐの政治的現賞的依.

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

銭の中心を求め、コトノハノミチの.ウタを中心とする科畢的蕊術的作業に従事する人々の忠義威情に●

、、、、、、、、、℃、b、、、、、、、、℃

教化的理想的依擦の中心を求むるのであKソ戎す。

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参 ~

しきしまのみち原瞳四

それ故に家族家庭生活、郷士赴含生活、画家公共生活に於いてそれらの内部に於いてこれをシキシ

、、、、

マノミチの忠孝道徳原理によって統一し、それら内部及び相互間の連絡・と調和とをはか‐9、『部分は全

、、、、、℃、、、D、、、、、、、、・

燈の爵めに』の固家祇含生活原理の下に之を統制すべきで、それは個々の具燈的事賞鹿置の問題であ

りまして、軍一制規の理論の適用によって、人間・人生を全く機械的に鹿置すべきものではないので

、、、、、、、

、、、、、、、b、

叉杜含情勢園家進運の不断の愛化に腫じて時局問題を虚理する0といふことは、賞際政治家の批判的

、、、、、、、、、、

洞察力と意志的賞行力とによって行はる心』のであ典ソ、ますから、特殊問題の解決に就いてはその方策を

論究し得るのであ、りますが、一般経済画策の『改造』案の如きは机上の概念的空論とな典ソ迂遠なる

、、、、、、、

『記諦の肇』の復習となるのであハソます。また祇倉制度画家組織の有機的開係はその部分々々の改革

、、℃、.、、、、、、、、、、、、、、、、、、

は釜鵠に脈絡し.て各部に影響するのでありますから、それは分科的専門技術と、もに綜合的人生槻に

歩へでか櫛歩諦和渉渉榊溶いかつ聾責行せらるべきであります。

あります。

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、、、、、、、、、℃、

また此の激化と政治との一致提携といふ乙とが祭祁と政治との一致Lこしてのマッリゴトの理想であ

今ります。政治家は此の意味に於いて法律率の専門家であるだけでは不十分であります。

明治天皇が明治十九年十月廿九日東京帝国大畢に行幸あらせられ元田侍講に親愉ゐらせられしとこ

ろを元田侍講自ら筆記したる『聖輸記』を乙動に引用致します。

聖職記

十一月五H午前十時例一一依り参内既一一シテ皇上出御直一一臣ヲ召ス臣進テ御前一一侍1

皇上親聡シテ日ク股過日大墨一一臨二(十月廿九日)設〆所ノ皐科ヲ巡覗ユルーー理科化(単)科植物.

科腎科法科等〈盆々其進歩ヲ見ル可シト錐モ主本トュル所ノ修身ノ畢科一一於テハ曾ラ見ル所ナシ和

漢ノ翠科〈修身ヲ専一フトシ古典講習科アリト問クト錐トモ如何ナル所一一設ケァルャ過日獅〆コト無

シ抑大畢〈日本激育高等ノ畢校一一シテ高等ノ人材ヲ成就ヱヘキ所ナリ然ルー一今ノ翠科一一シラ政治治

はしがき

それ故にシキシマノミチの原理としての

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次に要求せらる勘のであります。

『懸斡』感榊『燕公』瀞毒いかがで、跡聯《唇が不櫛身伽や

Page 7: 三井甲之『しきしまのみち原論』

者流一一シテ

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11

敬官〈物隻高見島田重瞳等僅々ダル一一一員一一シ《フ其除く皆洋皐専修ノ徒而シテ此人々タルャ大抵明

治五年以来ノ激育一一成立シタル者一一シープ西洋ノ外面ヲ墓佑シ曾テ園燈君臣ノ大義仁義道徳ノ要ヲ聞

知セサル者共ナリ彼ノ某等ノ著書ヲ一見シテモ其放言エル所一一依テ其思想ノ赴ク所ヲ概見ユヘシ此

等ノ脳髄ヲ以テ生徒ヲ教導セ〈後来ノ害資一一恐ル可キナリ今一一シテ此ヲ停止セサレ〈復挽回ユヘヵ

ラュ今陛下ノ冥衷ヨリ磯シ徳大寺ヲ遣ハサレ渡遥綴長一一詰問ヲ賜ハラハ皇道ノ興張果シテ此ヨリ生

ルヘキ也臣誠恐深ク

I:I

陛下ノ左右一一アルハ衆目ノ観”所ナリ故一一臣力言ヲ出ナ〈

陛下ノ冥衷ノ勅語毛故〈臣力上言シブ作繍ユル所卜疑ヲ容レンモ知ルヘカラュ是臣力謹ンテ敢

ラ自ラ任セサル所ナリ抑教育ノ重大ナ〆夙一一

陛下ノ深ク虚ル所幼皐網要ノ欽定アリショリ漸クーーシテ米固教育ノ流弊ヲ救正シ世上再タヒ忠君

愛園ノ主義一一赴キ仁義道徳ヲ唱フル者アルーー至リシモ去々年ヨリ叉復洋風二傾キ昨今一一至テ〈専ラ

はしがき七・

しきし童のみち原誼六

要ノ道ヲ講習シ得ヘキ人材ヲ求メント欲スルモ決シテ得へカラュ侭令理化醤科等ノ卒業ニラ其人物

ヲ成シタルトモ入テ相トナル可キ者一一非1営世復古ノ功臣内閣一一入テ政ヲ執ルト錐トモ永久ヲ保ス

ヘカラ父之一一綴クノ相材ヲ育成セナル可カラス然ルー一今大畢ノ敬科和漢修身ノ科有ルャ無キャモ知

ラユ団翠漢儒固随ナル者アリト錐トモ其固随ナルハ其人ノ過チナリ其遁ノ本髄一一於テ〈固ヨリ之ヲ

皇張セザル可カラス故一一険今穂大寺侍従長一一命シテ渡遥綱長一一問ハシメント欲1渡遥亦如何ナル考

慮ナルャ森文部大臣〈師範畢校ノ改正ヨリシテ三年ヲ待ラ地方ノ教育ヲ改良シ大一一面目ヲ改メント

云テ自ラ信ユルト錐トモ中皐〈精改マルモ大筆今見”所ノ如クナレ〈此ノ中ヨリ真成ノ人物ヲ育成

ニル〈決シテ得難キナリ汝見〆所如何臣謹テ劉一プ臼ク

陛下ノ言此一一至ル皇国生民ノ幸ナリ臣鍵一一命ヲ奉シーフ徳大寺ト共二大事ヲ巡覗シ(十月十八日)窃雫

一一威提ネル所アリ穂大寺先一一既一一反命スルヲ以テ臣未タ敢テ陳セズ謂ラク臣敢テ言ハュト錐トモ

陛下一タヒ臨御セハ必〆叡心一一畳〆所アラント今震勅ヲ奉ユルーー果シテ臣力見ル所ノ如シ臣嘗

テ大畢々科ノ設ケヲ聞クーー修身ノ畢科ナシ和漢ノ単〈文畢科一一和漢丈アリト難トモ僅力一一和漢ノ文

章ヲ作“ノミ哲単科一一東洋哲畢アリト雛トモ是亦僅力一一姪書聖賢ノ話ヲ述〆ノミ加之僅カノ時限ヲ金

以テ勿々一一経過ユレ〈和漢修身ノ墨ト僅力一一名ノミーーシープ其勢蒋一一腰棄セラレントュ其教科一一アル

廷、

陛下ノ此言ヲ威仰欽敬ュ臣敢テ一身ヲ願ミニ唯

陛下ノ命ユル所森大臣渡遥認長一一向テ問難ユル所アラントュ然トモ臣窃一一自ラ量カルーー臣力漢畢

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Page 8: 三井甲之『しきしまのみち原論』

聖顔喜色麗シク更一一叉反復懇輸アリ一時間除一一シープ退ク

毎噸蛎皿恥鵬“鵬両鵬腰睦賑.。‐し‘腰1..,9仇JIT脈0h$卜幽,rJ2Br31lnrfI0jIIl0IL

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元田永字謹記

これは元田侍講が帝圃大皐の法文畢部の教授の多数が『西洋ノ外面ヲ蕊佑シ曾テ圃騰君臣ノ大義仁

義道徳ノ要ヲ聞知セナル者共』に.して『彼ノ某等ノ著書ヲ一見シテモ其放言エル所一一依テ其思想ノ赴

ク所ヲ概見ヱペシ此等ノ鵬髄ヲ以テ生徒ヲ教導セパ後来・ノ害賃一一恐ル可キナリ今一一シテ此ヲ停止セサ

レ〈復挽回ユヘカラュ』といふ如き情態どなり『君臣ノ道モ画燈ノ重キモ鵬髄一一之無キ人物日本国中

一一充満シ』ごいふ如き結果となるべきを徴言し畏くも『入テ相トナルペキ』ところの『興成ノ人物』

、、、、、、、b、、、、、、、、、

を育成すべからざるを聖聴めらせられしに封へまつり淀るは℃東京帝国大畢にシキシマノミチの重ん

、、、、、、、、、、、、、、、、、

ぜられず、殆んざ講究せられざりしことについての重要なる記録であります◎

明治十九年丙成十一月五日

シク伊藤大臣吉井次官等一一モ聖意ノ在ル所ヲ御示輪アランコトヲ欲ス

右識ンテ上言ニル鹿

しきし蓑のみち原蹟八

洋皐ト鍵シ和漢ノ票〈鴨一一康絶一一至ラントュルノ勢有志ノ士皆大一一憂慮ニル所ナリ但両肇漢畢/固

随ナルハ従来敷育ノ宜キヲ得サル一一因ル其忠孝道徳ノ主本一一於一プ〈和漢ノ固有ナリ今西洋教育ノ方

法一一由ラ其課程ヲ設ケ東洋哲畢中一一道徳ノ精微ヲ窮ルー一至ルノ畢科ヲ置キ忠孝廉恥ノ近キョリ進ン

テ経圃安民ノ遠大ヲ知得ヱルコトヲ務メタランコト翼ノ日本帝国ノ大畢ト瀞ズヘキナリ今ノ設ケノ

如クシーフ《聖輪ノ如ク名醤〈多人激成就ナルモ政事〈執ルコトハナルマシク法畢一一テ君穂ノ補津捧

毛充分ナラュ理化植物工科等一一テ其蕊一一達シタリトモ君臣ノ道毛圃騰ノ重キ鵬髄一一之無キ人物日本

国中一一充満シラモ此ヲ以テ日本帝圃大畢ノ教育トハ云ヘカラサルナリ自今以往聖職一一因テ和漢修

身ノ皐科ヲ更張センーーハ其道一一志アル物集島田等ノ如キ柳カモ圃畢一一僻セュ漢皐一一泥マス西洋ノ方

法一一因テ激科ヲ設ケ時世一一適聴シテ忠孝道徳ノ進歩ヲ生徒一一教導センコト何ノ難キコトヵァラン其

風気ノ及フ所必ズ園畢漢畢者中一一奮綾シープ圃用一一供ユル者出来ルヘキ也営世ノ風潮〈面々各々其群

ヲ震上其腕ヲ伸ハシ唯進ンテ取ルコトヲ要ユルノ時一一際シプハ自分一歩毛退クヘヵラュ素ョリ彼等

一一抵抗ユルーーモ及〈1唯地歩ヲ占メテ進ム時〈一歩毛抜カサ〆吾道徳仁義ヲ進入セシ必ルヲ以テ営

世ノ著眼トナュヘキナリ是臣力平生ノ見ル所深ク

陛下ノ勅輸ヲ敬承賛美シ速一一穂大寺一一命セラレラ渡遥総長一一下問アランコトヲ希フ所ナリ更一一宜一

シキシマノミチ原論の著者は畢生時代よりシキシマノミチの和歌の創作研究に従事して居り玄した

はしがを九

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Page 9: 三井甲之『しきしまのみち原論』

崇仁親王殿下へ献上致しまして御覧に供せられた旨、昭和四年十一月十四日澄宮御養育掛長より通達

せられましたことを乙Lに記しまして、シキシマノミチを著者の歩み率bましに鵠験と認識、生活と

研究との概略を乙偲に叙述しましたのは、本書の讃者諸氏に本書を讃み味っていた旨く上に必要でゐ

ると信ずるからでありますo又『シキシマノミチと欧米諸国』及び『シキシマノミチと満洲岡』を掲

載しましたことはシキシマノミチの時事評論に於ける任務の例示であります。

本書中に引用しました著者著書の外に大島正健氏箸『国語の語根とその分類』祁作演吉先生の諸

著書特にその中に紹介せられたる西川須賀雄大人の皐説、また高橋龍雄先生と松田禰松氏との『原理

日本』への寄稿等は、その他乙Lに一々その名を記しませんところの、現在及び過去に於いて著者に

威化を奥へまし淀先輩同志の思想と信仰、また若き同志の熱情が常に著者を激励せられました恩義に

はしがき

一一

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御前に差上げられました旨、昭和一一一年九月三日宮内大臣より通達せられました。

宣仁親王殿下へ献上致しまして御覧に供せられました旨、昭和四年十一月十七日高松宮家別営より通

皇太后陛下

皇后雨陛下

こLに長詩『九月十三日』を附録し、また大正三年より大正八年に至る世界大戦に卦する固民的戚

動を歌α戎した長詩『胆圃媛奔』と大正十二年の闘東大震火災の後に『明治天皇御集』を園民的讃詞

経典とすべきと唱道しました『人生と表現証宣言』、また東京帝国大皐を思想的温床とし溌源地としま

したマルクュ主義宣偉放任の烏めの農村赤化の燃ゆる火の火中に立ち張り溢るぁ渦流の中に封聴苦闘

しました髄験を表白したる長詩『郷土追放』を、また最後に長詩『明治紳宮参拝』を附録します。ま

た贈和三年騒行『明治天皇御集研究』は昭和一一一年九月三日かしこくも

一酢』ロ郡ワロ』。.。r0.‘,’0,砂71q1PI0IjIl6り6100■1‐6.94‐も’1●・DPI,‐,bl000!。I。‐9‐01↓lll●jlol

達せられました。

秩父宮殿下へ献上致しまして

舜葬

しきしまのみち原鐙一○

が明治四十年畏くも明治天皇の行幸を仰ぎまつりたる東京帝国大肇卒業式の末席に列して業を卒へ

大正元年九月十一一一日夜宮城外康場に、明治天皇のかへ.りまさ函悲しき大御行の大御車を送りまつり

まして、全圃民同胞とLもに鷲きめさめしめられて、明治天皇御製奔諦のシキシマノミチをひだすら

にすLみゆきつL今日式で同志とLもにシキシマノミチ倉につらなり日の本のみ民の道をさまよびつ

つもよびかはしたづさは.りたどりつLあるものであります。

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Page 10: 三井甲之『しきしまのみち原論』

はしがき

一一

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す次第であります。

しきし玄のみち原麓一一一

封しては、深く威謝いたして居りますことを一言申上きせていた菅きますoとは、9にシキシマノミチ

をまもらせ給ふ脚霊のみちびきによりも見えざる世界に於けるこの道のつなが‐りを賞現すべく、脚ま

つる昔のてぷ・少を》とさめて、み園まもらす紳の大前にこの番をさ蚤げまつ、り、ひろく世に磯行致しま

一、シキシマロノミチ原論その一・……………………………・…………・…・………………………..(一)

(1)新拾遁和歌集・新綬古今和歌集・玉葉和歌集・新千載和歌集よりシキシマノミチを詠み

まし‐塾御製一首外三首引用..…。(2)明治天皇御製シキシマノミチを詠みまし‐今五首引用・・・…

(3)古事鵡上巻須賀の宮の段引用・・….(4-)太平記巻第二十六楠正行兄弟一族等自害討死之事

の段引用……(5)吉田松陰留魂録より引用……(6)太平記老第十六正成兄弟自害の事の段引

用..….(7)『天地と共に久しき敷島のみち』の一首解騨・聖徳太子法華蕊疏より引用・敦育勅語

より引用・憲法溌布大詔より引用……(8)後花園天皇御製一首謹解・…・・(9)『これのみぞ人

の園より鱒はらで』の一昔解糠・『八雲立つ』の御歌解糊・日本武算御歌解鐸……(”)『もの・

のふのこれや限りの』一首解縄・紳武天皇御東征の時五瀬命御臨終の男建・柿本人麿僻世の・

歌・軍人勅議より引用・楠正行辞世の歌・吉田松陰僻世の歌・七生報国・建武中興と明治維

新...…(、)明治天皇御製『しきしまの大和心のを6《しさは』議解・ココロ・オノゴロシマ・・.

I明治天塁御製の総リに括弧して示したろ数字は御製年代を示したものであり玄す⑥

昭和九年七月二十五日

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唾 軍 室

著者

『も

Page 11: 三井甲之『しきしまのみち原論』

『ふむことのなどかたからむ』の御製謹解.…..(皿)『ことのはのまととのみちを』の御製謹

解・…:(巧)「敷島のやまとしまねのをしへぐさ』「世はいかに開けゆくとも』『いにしへの

姿のまAにあらためぬ』『開くべき遁はひらきて』の御製識解・復古測源と進化開展・明治

維新は紳武天皇への復古・・・…(昭)「禽葉集古蕊』の古畢論引用・『紳代も今も一日のごと

く』・皇紳の殿くし誉園・言霊の幸はふ図・『海行かば水漬く屍山行かば草むす屍』。日本

の租先瞳拝とローマ支那の函先瞳拝・租園イスラヘルの忠の宗謹としての基薮。欧洲に於い

て忠孝道徳の失はれたこと・欧洲の個人主義物質主義功利主義・フイヒテの猫逸園民に告げ

し言葉・ヴェルサイユ燦約・デモクラシイと議脅制度・共産主義。ムッソリーーーとヒットラ

ー・…・・(町)君臣の大義…》..(超)欧洲のルネサンス・欧洲の『園家』観。建武中興と明浩維新

による民主『民政』思想意志の擢破

霜雲霧霊手弄胃画 厚卜

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一一℃

ヤーとシキシマノミチの心理塁論理塁:………・…..……………………..……………………::.(茜)

(1)『日が輝く』といふ文の成立・・・…(2)「狼は猛獣なり』といふ文の成立・…・・(3)『吹く』

と『風』……(4)忠装の観念感情意志の需蒲闘係・・・…(5)直接経験と間接綬駿●.・・・.(6)法

則・人生法則・歴史的開展法則・各国民性格畢・シキシマノミチ・概念的認識の限界・無法

期の法則・…・・(7)文は語に先だち就含は個人に先だつ・…・や(8)物騒と渦程・・….(9)表象。感

Iシキシマノミチ原論その二・……・…………・………・………・…・………・……………..………(

(1)明治天皇御製十一首引用..….(2)ミチ・シキシマ・コトパ・思想言論戦・ソヴィエトロ

シヤのコトノハノミチとしての赤化宣博・脚勅詔勅・儒郷基教の経典とシキシマノミチ。御

製.…..(3)カミ・天之御中主耐・アメッチノ〈ジメノトキ・男榊と女紳:.…(4)過去現在未

来の厘劃を没する組先瞳拝宗教の不滅生命・『日本』は『不滅』なり『日本は紳園なり』・・3

・・・・・・(5)文武天皇御即位の詔の『中今』の大御言・…..(6)イマ・ナカの意味。高天原…・・・…

(7)ヌシ・ウシハク・…..(8)ムスピ・ムス・ウムの意味……(9)『干早ぶる紳のひらきしし

きしまの』の御製謹解:….(、)和字正濫妙序の言の鯉醗の説…・・・(、)フイエの威力観念論・

マコトの論理塁としての詩……(狸)『千早ぶろ御のひらきし道をまた』の御製謹解……(巧)

一一

つ..(⑫)『世の中にととあるときは』の御製謹解・事と言。世・歌の意味……(羽)『ひろくなり

狭くな●りつ‐この御製識解・榊武天皇建園・榊功皇后三韓征服・聖徳太子文化創業。大化改

新・承久の風・建武中興・明治維新・世界大戦参加…・・・(理)『ととのはのまととのみちを』

の御製謹解.…..(吃)『白雲のよそに求むな』の御製謹解..….(超)『ふむことのなどかたから

む』の御製謹解……(Ⅳ)『いとまあらぱふみわけて見よ』『干早ぷろ瀞のひらきし』の御製

引用・…・・(超)天照大御紳の紳勅

一一一

一一一一)

’●

Page 12: 三井甲之『しきしまのみち原論』

おくがき

シキシマノミチと欧米諸国…………:.…………………………・・………………・………………(き)

(1)外交と軍備と東西洋文化の封照補足闘係……(2)ムッソリーニ首相への書簡

一宇

情・情緒・意志・…..(皿)意磯の統一性と意志の統一性・銃畳・感情の目的性と意志過程の主

要動機・自我感・淡我と大我・没我漉拝と自我感の披大狸化・…..(皿)概念・表象・思惟・感

情・意志……(哩)砥含生活の概念的研究方法より研究封象を懸念的瀞成なりと誤認する一例

としてのマルクス主義……(超)動詞より名詞へ……(鰹)マルクス主義階級闘争論の誤謬・ム

ッソリーーーの階級闘争論反駁……(過)固定的心的封象といふものはないものである.:…(唾)

思惟は意志である。危険思想は凶逆意志と連絡してをる・精稗科畢一は謹術と時事評論とであ

る……(w)艦験と思惟と認識・思惟の分析綜合的作用……(喝)無限生成の寅在と概念的思惟

認識との主従闘係・信順随順の人生原理・晦依憩拝奉仕臣従・駁義信像よりも恭敬瀧拝・・・…

(過)デモクラシイの誤謬・・・…(釦)自然科畢的研究と精神科皐的研究句…..(虹)ヴントの創造的

綜合の心理畢原理・同目的分化の法則・心理畢的法則の警告訓戒的性質・誤謬指摘迷信打

破・文化の災害……(”)科畢的認謹と宗教的瞳拝と蕊衛的表現……(麹)シキシマノミチの重

大任務・契沖の稗道儒激悌激倭歌論・シキシマノミチと武士道……(理)和歌作法・三像寅美

公の歌三首・和歌頭舗方法

、、

士も

四、肺まつる昔のてぶり:……………………………………・………・・………………………・・・・・●・鎮・.…(室)

(1)祝詞・幹まつる昔のてぶり……(2)『日本』といふ名について

附録

六、シキシマノミチと満洲国……・………………………………………………・…..……………:…(夫)

(1)満洲園皇帝即位詔書・・・…(2)シキシマノミチと満洲園

七.シキシマノミチ研究方法責行綱領護生篠件………・…………………………:………(三)

(1)人生と表現献宣言……(2)『畢術維新原理日本』…・・・(3)シキシマノミチ食綱領

五四三二-、、、、 、

0088808分U08I008068fIl79Q庁’10301Ⅱ008618jol08lI0fI9V3100i697I0“010h.1920,1‐‐1~・一.。.‐.#、j1.,1、凸ロ守山・学109,3qJ9.9”』胸腿面伺Lf同働HhUnHH例■H■団U■檀U■Ⅲ

I‐6屯ユ牛

長詩・九月十一一一日…・……・……………・…………・……・……………:………・……………・・…:…(一一〈)

長詩・組国鐙弄……………………:.………::…………………………:……………….……:…(一一一一)

人生と表現減宣言:……………:………………………………:…・….:…………:……………(一一霊)

長詩・郷土追放……:……….:…………………・……・……………:。…………………..…………(一四恩

長詩・明治瀞宮参拝………………:……:.…:…………………・…:…………………………:(一莞)

Page 13: 三井甲之『しきしまのみち原論』

匙きし垂のみち原論

一、シキシマノミチ原論その一

シキシマノミチといふzとを、た宮その名蕊だけでなく、これを全心身に威じ考へ信ずるやうにな

りましたのは、申すも畏きことながら、明治天皇の御製を拝諦しまつりましてからのことでありま

す。明治天皇が跡ゐがりましました時全国臣民は驚き悲みやがて大御稜威をしのびまつりて目さめ

しめられたのであります。明治天皇を御慕ひ申上ぐる全画民の感情に永久の擦りどころを典へさせ

給うだのは資に『明治天皇御集』でありました。事ある時にあらはる』大和心を不断に導かせ給ふの

が『明治天皇御集』でありますb

、、、、、、、、、、、

℃℃、、、、

『明治天皇御集』を秤詞するといふことがシキシマノーミチを行く根本的の修行であり戎して、シキ

シマノミチ倉は『明治天皇御集』を拝詞する圃燈であり戎す。.

シ零シマノミチ原臆共の一

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三井甲之著

Page 14: 三井甲之『しきしまのみち原論』

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『明治天皇御集』は御製集でありまして一一一十一菅の和歌の御集であります。此の和歌をシキシマノ

ミチと申すのであります。シキシマノミチは最も正しく和歌によって表現せらるLのでありましてシ

キシマノミチと和歌とは同じ意味に用ゐらろLのであります。シキシマノミチは日本精祁であり、日

本人として行くべき道であり、日本画民宗敷であり、一切の画民生活指導原理でありますが、さぅい

ふ抽象的概念として理解せらるLと共に、その概念の内容として、またその表象の劉象として和歌を

指示するのであります。和歌といへぱ一首づぁの和歌こして、具燈的個別的の和歌でありまして、日

本語の歌でありb日本人の思想戚情をうたったもので、それを共同生活者に樽へようとするものであ

、、、、、、、、b、、、、、、、、、、、、、、、、℃、、、、

りますから、シキシマノミチは圃語によって個人生活を公共生活に連締するものであるといふことが

J新績古今和歌集憲第十八雑歌中

述懐の心を詠戎せ給ひける

②敷島の道ゐる代々の古へに猶立ち越えむ跡をしぞおもふ

玉葉和歌集巻第十八雑歌五・

雑歌の中に

⑥これのみぞ人の画よりつ江はらで脚代をうけし敷島の道

新千載和歌集巻第十七雑歌中

述懐の歌とてよめる

㈹ものLふのこれや限のをbノ、も忘られざりし敷島の道

うなづかれます。

新拾遺和歌集巻第七賀歌

貞和の百首の歌奉りし時

㈹天地ご共に久しき敷島のみちある御代に逢ふがうれしさ

明治天皇御製

しきI)まの大和心のをシしきはことある時ぞあらはれにける(一一一七)

しきしまのみち原論

シキシマノミチ原餓共の一

入道二品親王法守

ii,

巻第七

11

賀歌

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今上御製

源和氏

前参議潟相

二一一一

Page 15: 三井甲之『しきしまのみち原論』

ことのはの玄乙とのみちを月花のもてあそびとは思はざらなむ(四○)

一巳

(大卒記(祁田本)繕二十六

●古事記上倦

か北廷やす弓のそのみこと全ナがところ

『故乙Lをもちてその速須佐之男命宮つくるべきところを出雲画に求ぎたまひき。こLに須賀の地

あ血あがと・ろ

に到りまして、五口乙墜に来まして、我心すがすがしとのり給ひて、そこになも宮作りてましましけ

かれすがの険

る。故そことば今に須焚といふなり。この大紳はじめ須賀ノ宮を作らし腿時に、そこより雲立ち騰

りき。故御歌よみし給ふ。その歌は、八雲立つ出雲八重垣つま職に八重垣つくるその八重垣を。こ

かれみうた

あしなづちい全しあがみやおびとのいなだのみやぬしナザやつみみ

こにかの足名椎ノ瀞をめして、汝は我宮の首たれと告b給ひ、また名を稲田宮主須賀ノ八耳ノ瀞と

吉田松陰留魂録

身はたとひ武識の野遥に朽ぬさも留置まし大和魂

シキシマノミチ原蹟共の一

敵陣へトゾ向ヒケル』

『険汝ヲ以テ股肱ノ臣卜1旗テ命ヲ曇ユベシト仰出サレケレパ正行首ヲ地一一付テトカクノ勅答一一及

バズ是サネゴノ参内也ト思定メテ退出1正行正時和田職聯瀞同新兵衛巳下今度ノ軍難儀ナレパ一足

さん港い

しよ・

モ引ズ一所一一一プ打死セント内々約諾シタリケル兵百四十一一一人先皇ノ御廟へ参ツーァ今度ノ軍難儀ナラ

に生いりんだ.フ

パ打死仕ルペキ由ノ御暇ヲ申シ如意輪堂ノ壁板一一各々己ガ名字ヲ過去帳一一審列ネテ其奥二

かへらじとかねて恩へばあづき弓なきかずにいる名をぞと雷むる

訂つくしゆ

トー首ノ歌ヲ書留〆強修ノ鴬トオポシクープ各ピンノカミ少シ切一プ悌殿一一ナゲイレ其日吉野ヲ打出テ

おふせ給ひき。』

しをしまのみち原喰

世の中にことあるときはみな人もま乙との歌をよみいでにけ、り(三七)

ひろくなり狭くなりつぁ榊代よりたえせぬものは敷島の道(三九)

。■

早哉F・画面屋HⅡ同唖■”引』q師葛印”■顕9目四FEn吋■一口国胃Ⅲ早曲庫口冒棉m2罰脚fワrβ写自、Pt,‐。&r0bjL会0句タ■。●Jf再ロワ凹F・君呂r堂Ⅱ。L■憧汀n町、・rF日・尖司‐”い『易・卓r‐F‐旨い●↑勉一印.,.』f・酢。Ⅱ鰍旧●品・・乱.”n二句目罰個」ロー皿且阜席’歴瓜麗悟?馬

ふむことのなどかたからむ早くより耐のひらきし敷島の道(四二)

毛利本太平記には『梓弓引き返さじと思ふよりなき数にいる名をぞとどむろ』とあり。

寄道述懐

道歌

五 四

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Page 16: 三井甲之『しきしまのみち原論』

召■間野牒雅砕町③駒哩跨際群“解御慨時唇呼叫除隣恥馬昂巳品南風9吋ザ鵬砺Eいぼ8▽計§h帥Iにロ展貯○陸寸Br凪げ“鴎図か融座圃隆畦届5卜Hに西展舵.勝ご鴎鯉凧口院卿0偽爪陛皿憲昨厩聡砿睦P腿瞬町酔辱暁卵画』匡屋時鰯僻僅胤匙践準蜘嘩

I定すべしと、因て卒生子蓮と密議する所の尊擬堂の議ご合せ、堀江に謀り是を子遠に任することに

f,

決す。..…・・・・・・・

一、右敷篠余徒に書するに非ず、天下の事を成すは天下有志の士と志を通するに非れぱ得ず……...

かきつけ絡うて後

くさf

心なることの種々かき置ぬ思のこせるzごなかjけり

呼だしの謎まつ外に今の世に待べき事のなかりける哉

・討れたる吾をあわれと見む人は君をあがめて夷沸へよ

愚なるわれをも友とめづ人はわがとも友ごめでよ人々

七たびも生かへりつ遥夷をぞ擬はむ乙Lろ吾忘れめや

十月廿六日黄昏書一一十一回猛士

太卒記(紳田本)港十六

『.…..・・・され〈楠が兵皆打して僅登七十ヨキーーゾ成二ける正成〈打破ブて落プベかり

シキシマノミチ原論其の一七

しきしまのみち原論

一〈

十月念五日

二十一回猛士

・…・…・…然とも反復是を思へぱ成仁の一死厘々一言の得失に非す今日義卿好椛の篇めに死す天地紳

明照艦上にあり何惜む乙とかあらん…・・・・……

一、東口揚屋に居る水戸の郷士堀江克之助、余未だ一面なしと雛ども具に知己なり、真に盆友なり

余に謂て日、昔し矢部駿州は桑名侯へ御預けの日より絶食して敵響を誼て死し、果して敵鶴を退け

たり。今足下も自ら一死を期するからは、所念を寵て内外の敵を桃はれよ、一心を残置て給はれよ

と、丁寧に告戒せり。吾誠に此言に威服すo又鮎津伊太夫は水藩の士にして堀江と同居す。余に告

て日今足下の御沙汰も未だ測られず心小子は海外に赴けば天下の事縛て天命に付せんのみ。但し天

下の盆となるべき事は同志に託し後輩に残し度ことなりと、此言大に吾志を得た●り。吾の所念を寵

る所は同志の士甲斐々々しく吾志を篭紹して尊棲の大功を建てよかしな,9.…………

一、堀江常に跡道を崇め天皇を尊び大道を天下に明白にし異敬邪説を排せんと欲す、謂へらく、天朝

より激書を開版して天下に頒示するに如かずぎ、余謂らく教書を開版するに一策なかるべからず。

、、、、、、、、、、℃、、、、、、、、‐、、、、、

京師に於て大畢校を興・し、上天朝の御畢風を天下に示し、叉天下の奇材異能を京師に貢し、然る後

、、、、、、、、、、、、、、、、

天下古今の正論確議を輯集して書Dとなし、天朝御敦習の除を天下に分つときは、天下の人心自ら一

油舟

しか共都を出

Page 17: 三井甲之『しきしまのみち原論』

為恥つち

zQLに引用しました和歌と文章とに就いて申し戎す。仰の歌は、『天地・と共に久しき敷島のみち』

と申し、まして、シキシマノミチは天壌無窮の道であり、永久不愛の道であるといふのであります。聖

献し生

徳太子御著『法華義疏』に『経者。乃是聖教之迩名。俳語ノ美読。然経是漢語。外画云二修多羅一。経ノ義

者。訓レ法訓レ常。聖人之教O錐二復時移改一し俗。前主後賢不レ能し改一一其是非一。故稲し常o億一一物軌則一.

故云レ法。』これは『趣とは乃ち是れ聖教の迩名b悌語の美暁な入ソ。然れども経は是れ漢語にして、外

園には修多羅と云ふ。経の義は法と訓じ常.と訓ず、聖人の教は、復た時移り俗改まるご錐も、前主後

、、、、

、、、、

賢其是非を改むるこ.と能はざるが故に常と瀞し、物の軌則と篇るが故に法と云ふ』とよませてありま

…雪簿.‘詩・

匙;'を

0

、、

す。教育勅語にも『斯ノ道《b責一一我力皇澗皇宗ノ遺訓一一シーフ、子孫臣民ノ倶二遵守メヘキ所、之ヲ

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

古今二通シテ謬ラュ、之ヲ中外二施シープ倖ラュ』とのた戎はせ給うてあ膿ソます。

憲法凝布の大詔には『朕、国家ノ隆昌ト臣民ノ慶禰トヲ以一ブ、中心ノ欣築トシ、朕ヵ澗宗一一承クル

、、、、、

ノ大椛二依り、現在及僻率ノ臣民一一劉シ、此ノ不磨ノ大典ヲ宣布1』と仰せられてあ典ソます。叉憲法

冒頭の勅諭には『股力在廷ノ大臣〈、険力篇〆一一此ノ憲法ヲ施行ユルノ責一一任ニヘク、朕力現在及上

、、、

僻来ノ臣民〈此ノ憲法二劉シ、永遠一一従順ノ羨務ヲ負フヘシ』と仰せられてあ膿ソます。

生成愛易し分化進展する人間生活に於いては複雑の事責を概括したところの法則を求むることは殆

んど不可能であり戎すが、生命とは統一したものであり、それが他の生命に連絡する軍位として統一

至髄の中に没入して、個人生死国家興亡の人類史世界史に於いて、『不滅』なる園家生命を現資世界

に生成資現しつ、出あるといふ乙とは.それは悌教その他の宗教に於いて瞳慨し欣求しつ団地上に之を

資現することができず、淀曾思想としてまた劉象のない表象、具盟的内容の無い概念、即ち夢幻のう

ちに極楽とか天国とかを求めたのであります。

園が亡びて、た雷聖人の説いた『経』が人類生命の深奥要求の形見として樽へられてをるのでゐり

ます。悌教の『経』は全く思想上の概念的法則であります。それが日本に於いては典勝岬か瀞、瀞熱

シキシマノミチ原麓其の一九

しきしまのみち原溌八

しより世間ノ事今〈是迄卜思上定〆走・りけれは一卜足もひかす戦こて機巳一一つかれけれ〈みなと河.

むら

ノ北一一在家ノー村アル中へ走、り入シて腹ヲきらんとて舎弟正季一一向こて抑最後ノー念一一依ッて善悪.

ごへ鉛

ノ生ヲ得トいへり九界ノ中二〈何レノ虚力御遥ノ願となるやと間こければ正季からノー、ト笑こて七》

生戎ても只同し人間一一生れて朝敵ヲ亡ホサ〈やとゴン存候ラヘと云上けれ〈正成よにも快ケなる荊

色一一て罪業フカキ妄念なれ共我レもかやうに思う也いささら〈同ク生ヲかへて怜本懐ヲ達セント盟一

‐て兄弟さしちがへて同じ玄くら一一臥一一けり」

Page 18: 三井甲之『しきしまのみち原論』

表象とはぐロ扇重言品の認語で・姉埼正治博士は儲典よりの『現識』をその認鱈としました。

『天地・と共に久しき』といふのは、人間心理、個八生命、閥家組織は創造的に分化して不可測に進

展するに承)か狸はらず、シキシマノミチはそれらの鍵化を統一するところの原理に立脚するものであ

るといふ意味であります。それは全燈と部分どの闘係b天地陰陽君臣父子の闘係であ・ります◎この宇

宙人生の根本原理は省察思惟によってのみ認識せらるLものではなく、それとLもに更に直観値験せ

られて悟了せらるべきものであります。これが人間のマゴコロであj玄す。此の人間のマゴコロが現

資生活に於いてそのマゴコロを託すべき画家生活を見出した、それがわれらにとっての『日本』であ

、ります。即ちそれが『シキシマノミチァル御代』であります。われらは日本人ごして日本に生れて来

たといふ現貧生活をウレシと撤喜し威謝するのであります。

しきし主のみち原論一○

、、、

の掛象を見出したのであ,ります。それはわれらが『日本はほろびず』と信ずる、われらの姐函日本で

あります。

、曹

『紳代をうけし敷島の道』と申しますのは明治天皇御製に『紳のひらきし敷島の道』『千早ぷる

禰代ながらの敷島の道』と仰せられましたと同じことでありまして、脚代よりこの道は樽はったもの

であると申しますことは、引用致しました『古事記』上絵の『須賀ノ宮』の段にある『八雲立つ』の

一一一十一昔の歌が参照せらるLのであります。

『八雲立つ』の御歌の『八雲立つ』は『出雲』の枕詞であります。枕詞はその意味の解せらるシの

もあり、解せられぬのもあり、この『八雲立つ』はヤッメサュャクモサスャッモサュ等ともいひ

同じくイヅモにつぜく枕詞であります。枕詞は同じ意味のことばを重ねつぁ時に意味は鍵りつ函も同

じ諜一音をつ葺けて行くこともありますから、意味の方は除6穿蕊せずともよい亡思ひます。雲立ちの

ぼるを見そなはし給臥、『八雲立つ出雲』とよませ給うたのでありますo『八雲』は『多くの雲』の意

つ5

つも

味であり戎すo『出雲』は恐らく『積る』に『い』の騒語を加へ淀『イッモル』のイッモで『積る』

『蹴評』の意味かと思以愛すOしかし出デクモがガヅモとなったといふのが通説であります。イッモ

シキシマノミチ原醗其の一一一・

ふのであり設す。

ノミチだけは外国から偲来したものではなく、煎代からうけつぎ博へられた「日本の道』であるとい

②は後花園天皇の御製であAソます。この敷島の道は天壌無窮永久不鍵の道でありますがbそれが.御

代の開けゆくま0挺にいよいよ蕊えゆかむ乙ごを所りた戎ふのであり玄す。

側は外圃の文化は知識こして康く世界から樽へられて擬取同化せらるぺきであb戎すが、シキシマ

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Page 19: 三井甲之『しきしまのみち原論』

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岬》岬》》》恥需咽一巧迅冊ⅡZHUHjRu■・・。,唾・酔●,■P■日J国J名詞2N。q割5.咽目咽幻月QU。

r=唾--.-・卸写辱智濁碑早I一

壱●.§。○101呼姻一一一

のぼのしぬ士、なづ

日本武愈が伊勢画能煩野にいた良ソまして圃思ぱして歌ひ給ひし歌に『大和は、図の弐ほろぱ、狸付

弐たた』みこも(ぐりぐ我がし

易、、青垣川こもれる大和し、うるはし』。まだ『命の全けむ人は、盤菰、卒群の山の膳白梼が葉

うづわざへににか

を髪一華にさせその子』また『はしけやし吾家の方よ雲居立ち氷も』この時に御病急になbて

をとめ

『少女の、床のべに、我が置きし、釦の大刀、その太刀はや』・と歌ひをへて祁上kソましだのであ農りま

す。(古事記)

しきしまのみち原論二一

かさ江

ル即ち重ろをイゾモといふ地名へかけて言ったと思ふのであり哉す。八重垣のャ承〕八雲のャも同じで

いやこ砥

『輔』の意味であ,ります。幾重にも垣をめぐらして夫婦にて龍、り弐すといふ意味であ,ります。シマは

つ塗つ生ご

かきかく

夫婦にて互に夫掴婦(妻)、といふのであ・ります。『龍み』は『こも,り』の意味でめ縛り弐す。垣は隠す

かこかぎかごかかげか幸みひかり

園む、限る、髄等とつらなる言葉であります。此の力は日、陰、鑑等の力でカガャク光の意味で、そ

一)

のヒカリ筋即ち見ゆる形を寵め隠す意味でカゴ、カコムといひ名詞.と・してはカゴ効カキさいαそれを

活かせて鵬ろといふのであ,p戎すo妻は端、棲、爪、爪木、摘む等の言葉とL乱〕に、端の意味から部

つ窪つまつ監つまつ珪含つ

、、、、、、、、、、

ここ“

分、全僻の一部分の意味からして夫婦の一全一階の一部分ざいふのであらうと画心ひます。『寵』は小、

こここここもる二ほ

子、濃、込む、凝る、心、氷ろ等に連絡します。.

大和図は青山が垣の如くめぐらしてある、といふので、雲の八重垣きいひ、青垣山亡いα、いづれも

龍もってをるのを美めていふのであり弐すO大和の方を望み給へば雲が立ち来るよ、と詠、ませ鈴へる

みやづひめくさ江ざ

のであ、p、ます。剣の太刀、とは美夜受比寅のもとに草那蕊の湖を置かせ絵以て伊吹川にのぼらせ給ぅた

、、、、、

のであります。伽のZとをしぬび給ひて刺あがらせ給ひし勇ましき辞世の御歌であり等訳す。これらの

御歌はシキシマノミチに於いては最もたふとぶべき歌であります。

㈹は武士が戦場に出で立ち最後の躍悟とするときに僻世の歌をよんだ史賃を指摘してシキシ.マノミ

チとしての歌の性質を説いたのであります。

祁武天皇が聯勢瀞燕溌蝉瀞鵬督を討ち絵ひし時、五瀬命が手負ひ給ひ、めぐりて継既の卵考雅呼に

いつ辻のみこと

やつ二すそたけび

いたりまして祁上りましL時に『奴が手を負ひてや命過ぎなむ』と、男建し総必しこと、まだ今引用

しました日本武魚の御歌なざシキシマノミチのだふとき歌であります。柿本人肺呂も石見幽にあって

かもや生いぼね

死に臨みて『鴨山の磐根しまける五口をかも知らす、と妹が待ちつ蚤あらむ』ご詠んだのであります。

臨絡の忠を歌によみまた決死の挺悟を定めた時に歌をよむといふ乙、とはうその時には人の恩は切箕

になりますo論語に『曾子臼○烏之僻し死、共鳴也哀、人之将シ死、共言也蕃』などL申しますが爺シ

キシマノミチは武士道モノノフノミチ、マュラヲノミチであり式して、軍人勅諭に『義は山撤よりも

シキシマノミチ原論其の一一一一一

11,,,1

鰯!,

IIi‐I

一一--

Page 20: 三井甲之『しきしまのみち原論』

、、、、、、、℃、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、

此の同志後輩にその生命と意志とを樽へる方法は著述ご畢校とであ人ソますOこれは今日の大皐と新

聞とでめハソ、松陰が『京師の大畢校』と『天朝御敬習の除を天下に分っ書』とに論及してをるのもこ

、、

、、

れであ膿ソ.ますoこれは資際には天皇よAソ臣民への詔勅、人よ人ソ訓への祇詞、人と人との間の歌でめ

、、、、、、、、、、、、、b、、、℃、、、、、、、、、、

b全して、それらの一切を兼備してをるのが天皇の大御歌、御製であります。申すも畏かれども、

明治天皇御製は明治天皇が『子孫臣民』に残させ給ひし御遁激であると仰がれます。この御製に

、、℃、、、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、

天皇と『子孫臣民』との正しき関係が蕊術的表現。として啓示せらるLのであ狸ります。

、、、、、、、、、、、、

太牢記の楠正成討死の記事と吉田松陰の留魂録とは、建武中興が明治維新の先躯であるこさを忠臣

の言行の記録によって明かにするのであり戎す。日本精祁さ日本画髄とに反逆する凶逆思想と不忠行

億とを七生報圃の志願を以て討伐すべき、死敵に識する不断の用意と盛悟とを、各時代を通じて全図

民に促さしめ給ふところの祁意、即ち固謄の尊巌を基本政燈と現責政治とに示現せしむく公.ご祁意が、

紳意の示現にともなふ人生悲劇をそのまLに忠義護国の臣道宗教、園鵠憩拝の圃民宗教として即ち人

、、、、、、、、、、、、、、

生の悲劇を宇宙の歓喜にみちびくカムナガラノミチとして永久化せしめ給臥しもの0こ仰がるLのであ

書ります。天皇親政は、それを臣道に於いて謹承すれば、祭刷憩秤、義勇奉公の没我宗激であbます。

『凡禁中作法。先二紳事一後二他事一』(『禁秘御紗』)でありまして、申すも畏かれども、天皇は臣民に

シキシマノミチ原溌共の一一五

零0■09J■■ⅡO9919p印、to0口05114887甲p』〃’■凸ロ。Ⅲ7t6▽j凸D94bQ91q仏”岳‐・1Ⅱ‐lbLI凸Ⅱl凸1日Daj09I4j4‐●0日0.1040口5rrb■四.qdl‐j,O0EI‐も4.6も』10410.J4.4990↓lpG0州’09111010.0‐↓●911066JI;19419.◇144

幣鐘さ

しきしまのみち原餓一四

重く、死は鴻毛ょ・りも軽しと羅悟せよ』と仰せられし如くに、決死の畳悟といふことが武士道の本質

、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、℃、、、、、

であり戎す◎武士軍人の辞世の歌がシキシマノミチであるといふ乙とは、シキシマノミチが武士這ご

、、、、、、、、、、、、、、

一致するといふことであ,D土《す。

I 新千載集は後光嬢天皇の勅撰で、楠正行戦死から十一年目に成ったのでありますから、この歌の註

稗のために、正行の有名の僻世の歌を引用したのであります。これは『梓弓引き返さじと思ふより無

き数にいる名をぞとざむる』の方が歌としてはよいのでめり玄すo

吉田松陰の留魂峰の歌及びその前後の文章の抜華は、戚場に立ったのではありませんが、画の馬め

命をすてたことに於いては、建武中興に於ける楠公父子と、明治維新に於ける吉田松陰とは、ともに

忠臣の鑑ごして後世にその永久生命を樽へてをります。松陰が大和魂を留め置かましと申しますのは

自分の今にも消えなむとする命が永久生命を有すべきことを信知してとるのであります。自分の心が

大和魂であるといふことは、個人生命が全髄生命につながるといふことでありますoその篤めには先

づ自己の生命を同志の生命につなぐことを要するのであります◎一心一念を貫徹するたらには所念を

こめてp天下の盆となるぺき事を同志に託し後輩に残すべしといふ堀江克之助の意見をきいて松陰は

具に知己なり、盆友なりといってをるのであります。

&ヤー化‐・射オ小.

Page 21: 三井甲之『しきしまのみち原論』

大和心としての自主自立意志が、をあしく、男性的に、武士道として、生命をかへりみず、さあげた

る生命は討死しても姐圃の生命に永久につながることを信じて、御園の偽めに直進するのであります

す。

、、、、、。Ⅵ、、

『大和心』はヤマトコトパとしてのココロの語義の如くに『自主自立意志』であり全すから、乙と

℃、、

ある時、即ち此の日本の自主自立を脅威ししようとする毛渉儲晦静かか遡盤溶跡い、弥卦いふ時には、

、、、

1一意・ざ。.‐・

識風↑

しきし室のみち原鹸;一六

先だLせられて紳祇を祭祁し、皇姐皇宗の紳鯉を憩奔せさせ給ふのでありますo臣民が『承し詔必謹』

、℃、、、、、、

の御敬のまLにオホキミノミコトカシコミと天皇を現人跡1と仰ぎまつることは、人類生命の深奥要

℃、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

求Dとしての現寅的耀奔封象を天皇に仰ぎまつるのであります。

明治天皇御製を拝諦謹解しまつります。

しきしまの大和心のをLしさはことある時ぞあらはれにける(三七)

『》

『しきし玄』は『大和』の枕詞であり妻す。『大和心』は日本精紳であります。此のココロは凝る

こほ凍

る等.と通する言葉でありますo古事記脚代巻に、伊那稲臓航伊那鵬難航が泥瞳よへる国を修理固

つくりかた

めあめのう遮匡し.あめのぬほこおるし匡

成させ給ふ時に天浮橋に立たして天沼矛をさし下しかき給ひ盛こをろこをろにかきなして引上げ給ふ

西のごろし生

時に、その矛の先よ‘りし泥Lろ篭の積.りて島とな,りし、涙能碁呂島、といふ、このオノゴロシマピは

麹のづかご・こかたま、、、、、、、b

自ら凝りし島であります。コリといふことは凝●り、固成ることで心はかくして統一せられたものと

こりかたま

いふ意味でありますが、それは凝固りて冥想のうちに構成せらるL資燈となるのではなく、オノゴロ

、、、、

、、、、、、

は自立自主の意味とな、り、圃土画家の基礎となったのでありますo此のオノゴロシマの上に建てられ・

、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

ました自立主椛画家は、赫話のま易に今日現宜に大日本帝固として天壌無窮にうけつがれつLあ,りま

世の中にzとあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけb(一一一七)

世の中にzとある時にを図しくあらはるL大和心をよみし歌が『戎乙との鰍』であります。『ま乙と』

は『事ある時の大和心』でありますo言は騨とLもに香謎を現した言葉で、言は口より出づるコトパ

、、、、、、、、ことこゑ

であり、事は動作に現はれたものであります。言よりも事叉は言よりも行といひ愛すが、昨本語か隣

こと

こと

ことげんがう

琴詮い蕊祢『跡茄》卦ふいがコトパによってコトノ〈ノミチによって示されてをります。

二と

二と

『事ある』のが『興事』で、表象と概念とだけでなく一戸(概念)が事(劉象)とともなふのが異事

堂こと

ぷじまこと

であります。平和の事無き時、無事の時にも事ある時の用意をするのが興事であり、、此の用意を怠ら

ぬのが誠であり戎す。平時常時でも非常蹄か跡幡恐れ《錘をLしき武士道がまことの道、しきし玄の道

まごと

シキシマノミチ原陰共の一一七

心●か

Page 22: 三井甲之『しきしまのみち原論』

寄道述懐

1と一致するのであります。

典よ

エ典

世は、代であり、節、夜の如く欺ふる軍位であり、歌を詠むといふのも、出来事の開展を追うてう

、、

たふの意味で、世に『開展』の意味が含まれます。世の移りゆくを『代む』にて、文字を讃む、数を

・讃む、歌を詠むといふ、すべて移り獲り行く戎にまに世の中の現蛮のさまをつかむのであります。

うたう

歌は打つより出でb調を取b拍子を打ちて唱ふる義であるこいひます。ウタフといふ動詞よりウタ

うた・

うた

といふ名詞が化b出で泥といふのであります。『訴ふ』はウシ夕フともいα『歌ふ』さ連絡あること

ひろくなり狭くなりつ塾脚代よりたえせ麺ものは敷島の道(三九)

しきしまの道の康くなり狭くなり、歌道に隆替のゐるごいふこさは、国威の盛衰、図騰に就いての

信仰の消長ごいふ乙ごL随伴せしめらる弾のであります。祁武天皇建固、刺功皇后三韓征服、聖徳太

子文化創業、大化改新、承久の乱、建武中興、明治維新、明治一一十七八年同三十七八年戦役につ瞳い

ての世界大戦参加等は日本精祁と日本画髄の尊厳とがそこに起った画民生活の人生悲劇を浄化し荘厳

なる忠義宗敦の護圃祭配たらしめたのであり哉す。

ぱでありませう。

ことのはの玄こどのみちを月花のもてあそびごは思はざらなむ(四○)

『ことのはのまことのみち』は「しきし戎のみち』であります。月花は月雪花ごいぃ自然鑑賞の目

ざんらてあ乏

標とせらるLのでゐります。月に吟じ花を弄壁といふやうな隠逸的自然鑑賞に耽溺して、詩歌とい

ひ一般蕊術といへぱ遊興享楽の如く思ふ乙との誤りを正し給ふと仰ぎまつるのであります。これは

白雲のよそに求むな世の人のまことの道ぞし倉しまのみち(三七)

といふ御製にもよ弐せ給ひしところでありまして、世の人の、琳獅坐汚が瀞術帥瀞舜か卦熱であり

ル脚か群鱒励獅かふかごふか協奔歩節ル全ふか癖盗掘瀞融和ふか渉勤術師塞跡であり、日本の蕊術の

、、、、、、、、、、

中心をなすシキシマノミチは人生法則の蕊術的表現であると一不きせ給ひしとあふがるLのであります

唾くうん恋やう

白雲郷は世外の仙郷とせられてをj弐す。『乙Lにありて筑紫やいづこ白雲の棚引く山の方にしめる

ちし』『乙槌にして家やもいづく白雲の棚引く山をこえて末にけり』『はろ41に思ほゆるかも白雲

の千重にへだてる筑紫の画は』等といふ菖葉集の歌の『白雲』といふ言葉も高き御室の白雲は人の世

を離れ現資を離れたることを意味してをります。寓葉集の『詠水江浦島子歌』にも『玉ぐしげ、少し

シキシマノミチ原麓其の一一九

歌 しをしまのみち原腫.

ニゲマ弔呼TL・今“凸■

』典

Page 23: 三井甲之『しきしまのみち原論』

能をも要せず、誰にも入八

仰せらるLのでありますo

しきしまのみち原識、二○

とこ上

開くに、白雲の、箱よ・り出でL、常世べに、棚引きぬれば』とありまして、仙郷に遊びし夢の消ゆる

ことをよみ、『白雲』を仙郷のしるしとしてをり全す。備験を伴はざる認識、認識を伴はざる思惟は

だ、

空想に堕して夢想世界を賞人生の外に求めよう唾とするのであ・ります。シキシマノミチはどこまでも蜜

、、、、

’9..1.b‐l04r4』If-bl■0015り101.90l↓■prli4・0‐’0141191トー11↑9,11卜Pll一口』0111■01.V-11.1f1日・りb10qr1PRお

ほみこととよあしぱらの毒あ冠のながいほあ窓のみづほのくに

古事記に天照大御紳の大御言として『豊葦原之千秋長五百秋之水穂園』とめ膿ソます。日本記の天照

大御祁の紳勅には「豊葦原千五百秋之瑞穂園。是吾子孫可レ王之地o宜爾皇孫就而治駕。行美。愛称

、、℃、

、、、、

之隆。営下典二天壊一無上し窮者美。』荒」あ農ソます、『天壌無窮』はすでに『千五百秋』.また『千秋長五百秋』

、、

といふ名にふくまれてをるのであ典ソ蜜す。シキシマノミチといふ『シキシマ』戎た『日本』には『無

、、、、、、、、、

窮生命』が意味せられてをるのであムソ込ます。

シキシマノミチは個人有限生命より圃家永久生命へのミチであり、臣民の天皇につかへまつる道

であj、部分と全鵠との関係をしめす道であり、天地陰陽君臣父子夫婦の道であり、日本人の道であ

b、日本人の日本語の道であり、日本画民性格肇であ人ソも生命本能と自然規定との下に不可抗威力と

して、われら日本画民の行くぺき道であり、行きつ心Lある道でゐり、行かしめぢる勇道であ人ソ戎す。

シキシマノミチ原賎共の一一二

人生の道であります。

寄道述懐

ふむことのなどかたからむ早くより榊のひらきし敷島の道(四二)

シキシマノミチの歌は後世に外国より傭へられたものでもなく、近代に創始せられたものでもなく

神代より、紳々がαらかせ給αふみ給ひし道でありますから、今更に特別の知識技能の習得を要せぬ

、、、、、

ものであり、戎た人間の本性にもとづき、大和民族の自由選揮するを得ざる運命としての不可抗威力

、、、、、

に随順するものであbますから,この道をふむこと、まことの正しい和歌を作ることは日本人として

は『軍人勅諭』に仰せられし如く『天地の公道人倫の常狸』で『行ひ易く守り易き』ものであるから

して、この遺をふみわけよ、との泥まはせ給ふどあふぎまつるのであります0

いとまあらぱふみわけて見よ千早ぷる脚代ながらの敷島の道(四○)

寄道説

千早ぶる榊のびらきし敷島の道はさかえむ菖代までに(三五)

この道は跡のひらかしL道であり愛すからして、それは国民のふむべき道であり、特に困難なる技

をも要せず、誰にも入り易き道であり、それ故にまた御園とLもに菖代までも蕊ゆべき道であると

Page 24: 三井甲之『しきしまのみち原論』

書 しきしまのみち原瞳一一一一

われらの全固民として、また国民の一人として有する生命の自律はシキシマノミチに立脚しシキシ

マノミチの範園に於いてのみ許容せられ、資現せらる魁のであります。故にシキシマノミチはわれら

日本人にとってのマコト興理であり、それがわれらが避くべからず動かすべからざる運命として日本:

人であるといふ乙さの事寅の上に立って他画民と至人類とに向って、われらのマコトであり、われら

の冥理であると宣言しようとするのであ●り戎す。

更に章をあらたあて明治天皇御製を拝諦し謹解しまつりませう。

臭竹の世々につたへて仰ぐかな遠つ御姐のみことのりぷみ(四一一一)

さだめたる固のおきてはいにしへの聖の君のみこゑなりけり(四三)

人の世のたぎしき道をひらかなむ虎のすむてふのぺのはてまで四五)

シキシマノミチ原蹟共の一一

世はいかに開けゆくともいにしへの国のおきてはたがへざらなむ(四四)

つたへきて固の寅となりにけり聖のみよのみことのりぷみ(三七)

いそのかみ古きてぶりをのこさなむ改めぬべき乙と多くとも(四四)

一一、シキシマノ、、チ原論その一一

折にふ艇て

画折にふれて

二一

一一一一一一一一-一一=-±■一~盲一と一一一→一・画--一一

Page 25: 三井甲之『しきしまのみち原論』

軸・j6

謡・洗い》●島‐写るamr毛”0計心らPG稲‐」■

bますO別段の意味はなく、沈罫ホメタ、ヘルコトパであり弐す。チは血、乳のチピ同じくツナガリ

江やち

カョフものをいふので風のこともチといひます。疾風を《ヤチといふのは速風の意味であり蛍すOそ

れらを網括してチといひ、また美瀞のミを加へて道といαます。

道はツナガリ、カョフ乙とでありbツナガリ、カョフものでもあり、ツナガリカョフところでもあ

ります。

此のミチが漢字の道にあたるのであります。漢字の道が一意チと訓まれ、イブと訓まれ、コトパとも

訓まれますのも、人間の交通するといふことの主要の手段はコトパであるからであります。乙れは欧

洲のロゴ1戸ヂック等の言葉とも意味が通ずるのでありまして、湾帥。茎斡、鳳理等といふ意味も

、、、、、、、、、

言、チで総擬しもそれごLもに賓際に歩行するミ、チをもいふのであり玄す。

、、℃、、、、、、、、、、、

シキシマノミチは日本の道であり、日本精紳の原理であり、日本道徳の法則でありb日本画民の生

、、、

活方向としては言、チは職業別でゐり、それらをヤマトコトバによりてつなぐごこるのものがシキシマ

ノミチでありますp

きEしるはいつの世ならむ敷島のやまと詞の高きしらべを(四三)

折にふれて

敷島のやまと心をうるはしくうだひあぐべきことのはもがな(四五)

・寄道覗

千早ぷる跡のひらきし敷島の道はさかえむ菖代までに(三五)

ひろくなり狭くなりつぁ祁代よりたえせぬものは敷島の道(三九)

いどまめらぱふみわけて見よ千早ぷる紳代ながらの敷島の道(四○)

し芯し重

みやこ

シキシマノミチのシキシマとは磯城島と書きまして欽明天皇の都せられし大和国の地名でありま

まくらこと陸

して、シキシマノャマトといひヤマトの枕詞として用ゐられ、或沈ヤマトの略稗となつだのであり

ます。シキシマノミチはヤマトノミチであり日本の道でゐります。

ミ、チといふのは、チに美瀞の言、が加へられたものであります。此のミは瀞蕊、瀞叩等ごいふミであ

しきしき

い垂

シキシマのシキは石木石城で磯は水の激する石で磯,といひますが、

シキシマノミチ原鐙共2-

しきL主のみち原砿

いし

それは〃イシの韓で磯、

一一五

し磯と訓ん

~

勺一

竿一心

---画一一一一一一一一一一一=ー■=c一一一一一一一一→一一一一℃■卓一一一一二

Page 26: 三井甲之『しきしまのみち原論』

シキシマノミチは日本のミチでめり、日本国民のミチであり、画家圃民生活の一切を規定するミチ

BろBろ℃、、、、、、、、、

ことのぱ

でありますが、それらの諸のミチを統ぺをさむるのがコトノ〈ノミミチであります。コトノハは言葉

ことば二と二と

であり、言葉ともいひます。此のコトは言も事に通じて用ゐられます。日本では即ち『日本のコトノ

まこと

まこと

ハノミ、チ』では言と事とが一致するのであり、また一致せしむべきでありますo誠といふは其事で虚

二と二と

ことだまろ曾たす

偽の反劉であり、また冥言で、妄語の反劉であり戎す。これを以て日本を言霊の幸はふ園、言霊の佐

匙二と

くる閥といふのであり戎す0

つ趣

言葉、言語は人間の心を通はし、繋ぐのに最も重要で主位を占むる方便であります。言葉がなけれ

、℃℃、、

ぱ人間の生活といふ乙とも考へられず、人間の精刺といふ乙とも考へられません。一画葉が無い生活と

、、、、、

、、、、

いふものは資存せぬばかりでなく、一戸葉が無ければ人間の精刺、畢術等何ものも磯達すべくもないの

しきしまのみち原譲・一一六

sBぬげすず

む魅

だのであ.ります。シキは堅固の場所であ,ります。キは城、木b葱、杉等とつながる言葉で、切る、聞

しなひ6ろぎ

、、

く、利く等ともつながる言葉であ・りますo日本書紀に「磯城祁離』といふ言葉があ6-、シキは堅固の

し匙し念

ぞま、℃、、、、、

意味がめ・りますo島は縞、締る等ご通ふ言葉で、狭に通ひ局限せられたるこ,とを意味するとも解せら

しし

しろしづくしま

れますoこれは染む、潟める、汁雫等の水と間との結合した言葉かと承)思はれます。

であります。言葉を重んじ、国語を重んするといふ乙とは、資生活の上に直接の敷果が無いやぅに考・

へられも致しますが、、賞際には経済的交通b軍事的連絡等に『鋤停』の必要であることを考へまして

、、、、、

も、コトパが人間生活に於いて如何に重要であるかといふ乙とがわかるのであります。またロンドン

、、、、、、、、、℃、

曾議、ジュ・ネーグの固際聯盟含議等で思想言論戦といふものL重要であることはわれらの記憶に新た

、、

、、、、

、、、、、、、

でありますp『赤化」といふ乙ともつまりは『赤化宣樽』であり式して、それは『ソヴィエト・ロシ

、.、こと少は、、

ャの言葉の道』に外なら餌のであり愛す。

日本に於きましては此のコトノハノミチの最も古い本源となってをりますものは皇姐天照大御禰.

、、

、、℃、、

の紳勅であり、戎た歴代の詔勅であります。

しみたうかむながらのみちかむながらのみ毎

儒教、悌教、基督敦の如きはそれ人~その経典があり玄すが、日本の祁道といひ随赫道惟紳道

二とあげ

といふのは『言畢せぬ榊ながらの道』で、別段に教義信篠といふぺき理論燈系を有するのでは無く、

資生活の要求のまLにあるが戎Lの事資、即ちマコトをその戎Lコトパとして言ひ現はすといふ乙と

℃、、、

にきはまって居るのでありますoこのありのまL一一一巨畢せず、タグそのまLのが夕やシイ正しいのであ

り全す。赫道の教義と申さば此の根本原理としてのマコトであります。

シキシマノミチ原讃其の一一一一七

Page 27: 三井甲之『しきしまのみち原論』

ち唾や鯨ろ

『千早ぷる』は『いちはやぶる』であると説かれて居久ソ戎すが、『道早振』であるかI仁も思はれ戎

いついちじいと

す。イチハャプルのイチは『稜威』に通じ『箸るし』のイチであ膿ソ、「最』に劃も通じて、『すぐれて

1 zゑ』であります。

、、b、、、、、、、、、、℃、℃、、、、、℃、、

『聖の君のみこゑ』は『国のおきて』としての詔勅とLもに、綜合蕊術的表現として『御製』にこ

れをあふぎまつるのであbます。

、、、、、、、、b、℃、、、b、、、、、、、、、、

ミコトノリであり、それどLもにウタであるところの御製がシキシマノミチの典擦となるのであり

ます。臣

民もシキシマノミチをふみシキシマノミチのウタをよむのであり弐して、新年の御題は一般臣民

が詠じまして、別段の手績をふむこともなく、一定の書式に従って詠進することを得るのであります

これは君臣の問がシキシマノミチによりてつながるることの典瀧であ・り愛す。

しきしまのみち陳議一一八

此のマコトを言α現はすコトノハノミチを『日本のコトノハノミチ』といふ意味で『シキシマノミ

チ』といふのでありますo詔勅は園家統治の直接現貿的要求から臣民に下賜せらるLのであります。

此の詔勅は『国のだから』でありりむ『園のおきて』であり,、それはやがて『いにしへの聖の君のみ

威力ある』意味でありますo蝉聡撚とすれば道は威懸交通を意味しますから、『威腫交通の威力ある』

意味となります。ハャプルのハャは速力の早いことを意味します。肺の枕詞としてのチハャプルは生

命、精紳交通の光照報射的速度威力を意味します。

『跡』はカミ、キミ。タミと比べて考へますと、カミのミはキミbタミのミと同じかと思はれます

畷は鵬から稗じたのかと思はれます。鏡、鑑のカガミのミは動詞の活用であるか、『撚爵』ごいふ説の

かヂみ

『見』であるか、戎た『身』であるか、若し『身』であれば『耀燈』であり、紳燈の意味となり、「ヵ

かかすみかげかずりかデみかんがヘ

ガャク髄』でありませうo日、霞、影、鍵、鏡、考等の『力』は意味が通じて居り戎せう。

埋耐鍵秒く撒くの力はアの韓じたもので剛が蝿に、梅の縦の撫藤槻藤瀧る榔る

かみ

ああめ

の如き例に一不さるL圃語の通則によって、跡はアミであるといふ説もあります。これは『在る』『天』

.あああらあらあ.あらあられあら唾ああまあ全あまあ迭他

等の言葉を連絡させて、有る在る粗荒生ろ新改む現す明く明間(天)海逼き

諦鍍燃す栽荊耐諦淋尭淑(雨)上ぐ崇む兄姉高貴朝(明)等より遅の意味を現

ああ瀞あにあ虹あてあさ

かみ

はすアが力に韓じて帥となったのであるご説くのであります。

かみかくりみ

また脚はカクリミ、隠身であるとも説かれてをります。跡は『目に見えぬ祁』でありますから、目

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、江、、、℃、、、、、

に見ゆる個篭ではなく、個燈生命の連絡して統一せらるLところに成りますのであります。

シキシマノミチ原瞳共の一一二九

轍I_----_---_△一一△_一二一一一,マーマュ一一口⑤■◆,■一一一一マーーーーーーーゥー==≠一ら---マー 一一-へ-,口-、-----1画●一画■ー写・画一一‐1▼~~一一一

Page 28: 三井甲之『しきしまのみち原論』

あります。

あめあ氏

つちつつど

天は明間からアメと樽じたので、魔く開いてをる意味であります。地は『着く』『集ふ』の密着凝

たかまのばらこあまつみそら

集したものといふ意味でゐりませう。高天原は、来し方をかへりみて『天津御室』につらなる『高く

』』

ひろきところ』といふ意味と思ひます。民族が移動して来て、来し方をかへりみて名づけたのであり

のはらう雌栓ら

たけ

ませう。高天原の原は野原海原の原と同じく炭く平らかのごころであり生す。まだ『高』は『長』と

通ずる延長の意味をあらはすので、『高』も『天』も似かよった意味を有してとり戎す。

『成りませる』の『成る』は『並む』と同じ語根から出てをつて『帥る』『熱る』『生る』『胸る』

な唾唾な

やひろわにになり

と比べてみるとその意味がうか壇はれ戎せうo鍵化することをも『化二八尋和迩一』とやうにナルとい

ひますo『溌識』『木の資の熟ろ』といふのも同脈)ことばであり全す。

しきし玄のみち原飴.三○

.あめつ毎のはじめのと窓たかまのばらになり全せるかみのみな江あめのみ鱈かぬしのかみ

古事記は『天地初駿之時於一一高天原一成脚名天之御中主榊』といふ一句を以てはじまってを.り

ます。『天地のはじめの時』ごいふは、天地のはじ戎つた時でありまして、争静魯勝ひいでか『禿』

、、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、

、、、、、、、、

とその一部分としての『地』Dとの関係の定まった時といふことであ・ります。それは人類文明が進歩し

、て、人類の思想が垂燈と部分との開係を明かに智解贈認した時であ.ります。この宇宙観人生槻の定ま

、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

つた時に此の地上の画家生活・と此の宇宙槻に、よって統一してこLに天地君臣の秩序が定められだので

しん生

祁はカミでめ入ゾまして紳といふ漢字をカミと訓弐せてあ典ソ土{すが、脚といふ漢字の意味とカミの意

味とは通ずるのですが全く一致するのではありませんOカミとは人、動物から草木、自然現象までに

なるかみ

い唾

名づけられますo雷を鳴紳といひ凶賊をアーフプルカミといひb虎、狼等をもカミといひ、審紀に『磐

ね脅いたちくきのかき嘘65のいふ・

根木珠草葉猶能一言語』といふは草木をも榊とみなしてをるのであムソ玄す。

いきほひ、、、、、、、

カミはチ〈ヤプルカミで威力のあるものに名づけたのでありますが、そのうち姐先としての帥が鰻

拝の中心となり統一的地位を占めたのであります。

あめつ毎の唾じめのときたか堂のばらに唾nまぜるかみのみ江怪あめのみとかぬしめかか

『天地初騒時於高天原成脚名天之御中主卿』とあり、それからタヵミ公ユピノヵミヵミ

ムユピノカミウマシアシカピヒコヂノカミアメノトコクチノカミク,ニノトコタチノカミトョ

クモヱ・ノカミウヒヂーーノカミ(イモ)ユヒヂーーノカミツヌグヒノカミ(イモ)イクグヒノカミ

オホトノヂノカミ(イモ)オボトノペノカミオモダルノカミ(イモ)アャカシコネノカミィザナ

つ汀にな回堂せる

ギノカミ(イモ)イザナミノカミの赫々が成膿ソ戎せる順序をしるしてをります。此のうち『次成

燃の餓匡宇肥珊蹄上撫、掘嚇繍畦響雛去砺』、と慨祁か次に男女の脚のならび戎すを、『男榊は先ち、女榊は

シキシマノミチ原蹟其の一一一一一一・

Page 29: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しをしまのみち原瞳一一一一一

なり掌せつぎに、、、、、、、、、、b、

やL後れて生坐る故に次と云な.D』と本居宣長の古事記偲にあ,ります。男紳がまづ成,pまして、次に

、、、、、、、、

女赫がな・り玄したのであ,ります。全髄が玄づあって次に部分が分るLのであります。全宇宙のうちに

く腰,1.

その一部分●として地球があ●り、そこに『画々』があるのであ、ります。此の『固』も宇宙の全燈と部分

との法則に随って、全髄を表現する『君』があって、君の一部分として君に従ふ臣があるのであり戎

すo『子』は親に含まるL,ところの『親の部分」であ.ります。『子孫」は『旭先』に含まるLところの

部分であ.りますo姐先とは子孫をも含みて無極に潮.D無窮に進む全盟であり、子孫とは此の全髄の各

部分であります。開駿進展し分化増殖する子孫は迩先の部分であります。時代の先後といふことは過

去現在未来の麗別で個人の生涯を標準とするものであります。先姐といひ後青といふ時代の先後によ

ってのみ姐先,と子孫との関係を説くのは通俗的の解縄であり裳す。過去現在未来の歴劃を連結するの

がシキシマノミチの奥義でありますC組先は全盟であり、子孫の運命を決定するものであ・ります。此

、、

の姐先は子孫の経験内容を整頓したものとして認識せられ、感得せらるLのでゐりりますから、『子孫

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

の生命を姐先の生命と連絡せしむる』といふことによって、姐先と子孫との閥係、全燈と部分との閥

、、、、、、、

、、、、.、、℃

係が閲朋せられまた結合せしめらるLのであ、り戎す。こLに『姐先濯奔』の意義があり、また歴史研

究の意義があり、乙Lに騒必静勤の原理があるのであります。

此の姐先と子孫との連絡D全贈と部分との連絡が笈現せられますと、そこには分離孤立した部分と

、、、、、

いふものが無いのでありますからして、そこには死滅は無いのであります。即ち過去現在未来の厘劉

、、、、、、、、、、、

が没せらるLのであります。そこにあるものは生成開展のみであります。

日本建国以前には日本は無いのでありDまたわれらは『赫洲不滅』『日本は亡びず』と信じつL

『天壌無窮』の脚勅を畏みまつり『天鯉無窮ノ皇蓮ヲ扶翼ユペシ』の勅語に従ひまつりつLあるので

、、、、℃、℃、、、、

あり戎す。圃民生活成立統一の建画以前には日本は無いのであbますから日本生命には過去は無いの

であります。われらは日本は亡びずと信じbまた亡びるといふ乙とは日本といふ名義も事賞も空無に

、、℃、、、℃、、、℃、、、、、や、、、

なるといふことで、『日本』といふことは『不滅』といふ乙とであります。滅亡せねば未来も無いの

うつ

であります。ゐるものはた雪現しき生成のみであります。シキシマノミチを行けば『死』から脱し弐

す。『大日本は跡圃なり』(潔正)といふのは此の意味であります。

文武天皇御即位の詔に『……高天原爾事始而遠天皇御世御世中今至噌天皇御子之阿憩坐牟禰総々副

大八洲画捲知次止天都祁乃御子随母天坐紳之依之奉之硫聞看来此天津日嗣高御座之業止現御榊止大八

嶋国所知倭根子天皇命授賜比負賜布貴支高支康支厚支大命乎受賜利恐坐丘此乃食圃天下乎調賜比李賜

シキシマノミチ原瞳其の一一一一一一一一

一白_ _ ‐ - , 合 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 = ー 一 吾 一 一 一 一 ロ ー = ‐ ‐ ロ ロ●

Page 30: 三井甲之『しきしまのみち原論』

みそら

御室であムソ、高天原であ膿ソ玄す。

1 比天下乃公民子惑賜比撫賜識随脚所思行嘩久詔天皇大命乎諸聞食止詔。.…..』

おば

『高天原に事始めて蓮天皇胆の御世ノ、中今に至るまでに知識卿委の壁れまさむいやつぎノーに太

とほすめらぎ

なかい全

工さ

窓こく

泥職跳緋らさむつぎてと天つ跡の獅子ながらも天に戎す帥の依しまつりしまにj、聞しめし来る此の

や竃とねこすめらみこと

動ほ

飛騨即蹴献榔鴎の譜と雛概撫と犬八嶋国知るしめす倭根子天皇の授けたまひ負ふせたまふ貴き高き魔

あめのしたシほみたから

かしこ・をすぐにあめのしたと・のたひ

き厚き大命をうけたまはり恐みまして此の食圃天下を調へたまひ卒らげたまひ天下の公民を悪みた

釦ほみこと

すめらがシはみこと

芯こ

まひ撫でた蜜はむとなも榊ながらも思ほしめさくと詔りたまふ天皇大命をもろノー聞しめさへご詔

る。』とあります。此の『輔舗』を『績紀歴朝詔詞解』で本居宣長は「中今とは今をいふなり、後世

の言には、営時のことを、降れる世後の世などいふはよるしもめらぬいひざ弐なろを、中といへるは

い逮

営時を盛りなる興中の世とほめたる心ぱへ有て、おもしろき詞なり、此言第四第五第十一二詔にも有り、

シメシクル

さて此言は、下の天都跡乃御子随母一云々聞看率、といふへ係れり、次の天皇御子之云々へはつ藍か

め§

すあらがみ生

ず』といってをります◎此の『中今』ごいふのは高天原に天降りましL天皇御世から現在までといふ

意味で、織地輔、といふ考へ方で、獅奉か蹄展穆浄べて今を『中今』といつだのでゐりませぅ。これ

が圃家生活としての日本生命の過去なく末永なくた雪現在の生成のみであるといふ乙との諜威的言ひ

現しであると思ひます◎宣長の解稗も不十分ではありますが溌威の閃きがみとめられます。

高天原は生命の成りしところでゐり、即ち脚の成り戎せるごころであります。

ぬしうししそれがしと胆、

天御中主脚の御名の解縄をつEけます。『主』は『上人』であり、人は某刀自等の『し』でめると

のぬのののぞ

いふ説もめb、『領する人』の意であります。野は野と通じ、延ぷ乗る臨むの『の』が『ぬ』に

ぬしうしぬし

弧じ、主となり大人と樽じたのではないかとも思はれます。跡の領する意味のウシ〈クは此の主さ同

じ語根ウシに侃くが加はったものでありませう。侃くは緋ぐ静く勢く緋ぐ雌る鉾む職

ぱしはしら

箸柱の如く〈が『間』を意味し、此の橋は通路の雨端の間に、箸は〈星物と口との間に、柱は上部

シキシマノミチ原蹟其の一一一一一五

駐丈畢博士山田孝雄氏の『中今』についての溌文があるときLましたが参考することができませんでした。

いまいいいいいたい心

『今』は『生間』で活動の現在で.ィは活動の意味があb、行く出づ入る住い至る息

いいのちいきぼひいいぞいつ・

生く命勢言ふ急ぐ稜威の如き同じ語根から分れた私》のであると説かれてを,9量す。

なか鞍なら・雄なな雌か

『中』は並む列ぷ馴る熱る成ると同じ語根から分れてをるので『中』は『膨藤』であり、

かすみか

鹿は『住所』の『か』0と同じであると説かれてを.ります。

此の中間、空間が生命個髄の単位.と単位との中空であって、此の中間D空間が生命の連絡によって

あらたああめあめあまあ震つ

新の生命の生るL天であります。天は明間から穂じてアメとなったもので宇宙空間であり愛す。天津

しきしまのみち原鐘

.、駕邑ゴ --_一一一------------一-一一一一一一一一-一一一一一一一一三-----~一一‐

Page 31: 三井甲之『しきしまのみち原論』

『千早ぷる刺のαらきし敷島の道はさかえむ寓代含でに』の御製の『帥』と申しますのは、日本画

民の覗先鵬奔の掛象ごしての紳であります。『卿』は『日本全鵠』であります。『全国民の職拝しつ

はじめ

つある帥』であり、『全園民が榊を鐙拝しつ動あること』であります。それが『日本』の『初溌』で

なかいま

あb、同時に『中今』であり、またその『無窮生成』であbます。それは『飴』があって『絡』がな

いのであります。始まって終り、そこで完成すれば、それは『部分』であり『有限』であります。慾

くにつぢ

らぬ生成の始めといふzとは日本民族の国家的生活の無窮開展が、『画士』によって規定せられたと

くにつち

いふ乙と、即ち此の大和島根に園士を見出しだといふことであります。此の『初磯』又は『始』に成

りましL肺は『天之御中主赫』でありまして、此の『中』と『主』といふコトパのコトダマは大和民

弓恋は

族日本国民が『寓代までさかえむ』ことをコトダマの幸αによりて責現しつLあります。即ちこの飴

に成りませる紳は宇宙を、また此の地球の中心にそを知らし、うしはかせ給ふべき脚にましますので

シキシマノミチ原蹟其の一一一一一七

111

ひひ

ム《ピのピは霊口叫ひ

れは古事記日本紀に日

、里

‘、退剖K

■・qp

Z5

しきしまのみち原詮一一一六うし

ぬし

下部の中間に立つものでゐ・り戎す。それ故『はく』は連接する意味があ,夕『主はく』は主として連絡

をつける乙と統一することLなるのであります。日本濡に特有のテニヲハの『は』も此の連接結合の

意味の『〈』から磯達し淀ものご思はれます。

天御中主祁と申されます跡の御名の言霊の幸臥はかくの如き説明ではつくしえぬのでありますが、

みな二とだ重

これだけの説明によっても限,りな費』想像の端緒を見出しうると思ひます。

たかみむすびのかみかみむすびのかみ

天御中主紳の次に成りませる脚は、高御産巣日脚、榊産巣日榊であります。ムェピのムェは生すで

勝手勝葬苔の盤す、の『蟹す』であり、獣、職の字義と通ふのであ膿ソます。即ち盤すは成り出づ

る意味であります。

》芽静撫諦っ、の『み』が『む」に韓じて身根が胸となり駅く(肺く)蟹す識の如き言

みぬむn

葉とな膿ソ、此の『む』が『う」と約ま膿ソて蟹む空呼棚蟹鮮(鴎)蟹靴(翻鮮)鵬等の言葉と

つ幸

なったのであらうといはれてを膿ソます。

此の『産す』から『識ぷ』さいふ言葉が成り出で堅く盤す意味となり紐を結歩、縁を結ぶ資を結ぶ

約束を結ぶ等の言葉に分れ行蔓ご戎す。

ります。

ひくしぴ

火の上で奇雲の上であ奥ソます。『結び』といふ活用のピではあ入ソません。こ

ひひび

》壁毘の字を用ひ、備といふ字を用ゐて居らぬことを古事記博に指摘してあ

垂=毒毒奉墓誌蓋毒毒壷毒壱=露=望

Page 32: 三井甲之『しきしまのみち原論』

干早ぷる肺のαらきし敷島の道はさかえむ寓代式でに

の御製をくりかへし秤諭しまつれば、自らわ姪ら臣民の個我は全国民生活の無窮開展につながり、中

今の生命が充寅せしめらるLのであります。

『ひろくなり狭くなりつこの御製は歴史的開展の上に於いてZの道の時に隆替盛衰のある乙とを

Zの道をふみ分け行くみ民らに識てさとさしめ給ふ御製と仰ぎまつるのであります。

『いとまあらば』の御製はこの道を『ふみわけてみよ』と聖職せさせ給うたのであります。『いと

郡.・守E洞■・日〃『叶呼.抑..『Pp・恥。●干凸.け手

〒己‐・4.〃”

も今画F可け

しきしまのみち原鰭一一一八

ありますから9祁の御代から、跡のひらきましL、卿ながらの、シキシマノミチは寓代までに蕊え行

くのであり戎す。

此の道も『康くなり狭くなりつL』時に軍人勅諭に『且つは我が圃鰐に戻り、且つは我が憩宗の御

制に背き奉り、漠間しき次第なりき』とのたまはせ給臥し如きこともありましたが、たとへぱ大化改

新、建武中興、明治維新によって此のシキシマノミチは魔く通達するに至っだのであります。祁代ょ

おほみこみ

bたえせず刺のαらきし、脚代ながらのシキシマノミチをふみわけて見よとのたまはせ給臥し大御言再

かしこ

を仰ぎ畏み従ひまつらねばなら餌と思はしめらるLのであります。

蛍あらぱ』と仰せられましたのはbこの道は臣民がその義務職分を蓋しつぁ、その『いとま」にこの

道をふみわけよと仰せられたのであります。臣民各個人はその素質と境遇とに鵬じて専門分科の研究

なりはひ

生業職分の勤勢に機制的服務をせねばならぬのであります。この生業は綜合的生活威力としての生命

を培養して、それを全侭画家生命に連絡せしむる“ことによって資現せらるL部分的要素であり、智能

的物資的支柱であります。此の智能と物資とに統一を輿へそれを全画家生活との連絡に於いて調和に

導くためには、そこに指導原理とその現資的威力としてシキシマノミチが要求せられ、また脚ながら

に賞現せらるシのであります。

シキシマノミ、チはコトノハノミチでありコトノ〈コトパであり戎す。此のゴトパに威力あらしむ

るといふこさは契沖がその『和字正濫妙』の序に『和邦蓉o隅霊垂し統之秘麗。天孫降し澗之上域也。

トモニシナ一一

錐一一一牌避一東垂↓謎韻最塞亮詳雅◎能通一一華焚↓故言有二霊験『覗誕各従二其所一し欲。』と云ってを,失す。

曜霊と申しますのは天照大御紳を申し戎つるのであり戎すO即ち圃燈の菖画に超出してをることを

『秘厘』といひ『上域』といふ一一言葉を以て言ひ現はしてとるのであります。此の秘厘上域としての日

本で、そのコトパに霊験のあるといふ乙とは、そのコトパが生命威力を具備してをるといふ乙とであ

二とごと

ります。同番の序で『有鯵事必有し一戸◎有し言必有し事』ごいひ言ご事との通用を例示論鐙してをりま

シ零シマノミチ原飴共の一一一一一九

ll

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訓蝕

__----~こ一‐‐一f一二芸窒宝二霊至言三二二墓皇曇=ぜ一■■卜

Page 33: 三井甲之『しきしまのみち原論』

ろこととよませ給臥しものと仰がしめらる動のであります。人の力によってひらくのでありますが、

またひらくことによって力を得しめらるLのであります。われらに此のシキシマノミチをひらく力が

賦興せら奴てをろといふことはわれらが日本画民であるからであり玄す。

寄道述懐

ふむことのなぎかたからむ早くより瀞のひらきし敷島の道(四二)

『早くより跡のひらきし道』であり緋鯉の早くよりひらきまし泌道であり、その一部分としてのわ

ことわり

れら子孫臣民は、御砿の道なればふむことの難かろぺき理なしと仰せらるLごあふぎまつるのであ

ります◎この道をひらきこの道をふみゆくといふ乙とは、われらの生命を御姐の生命につなぎ、赫人

交通を資現するこさでありますからこLに『人の力』は霊験を示現するに至るのであります。これが

『刺のまもり』であり、まだ『紳助』「天紡』であり戎す。

しきしまのみち原飴四○

す。これは『概念の論理肇』に濁して『生命の論理率』といひ、抽象概念に封して威力概念といひ個

人の思想が全画家生活を表現する時に、その思想と観念とは抽象的形式的のものではなく、生命の寅

現威力を有するといふ考へ方であ・ります。フイエはその『威力観念論』に於いてコトパが論理翠で

あるならば、論理肇自身も亦コトパであらねばならぬ』といってを諺ります。此のコトパといふのは活

、、、、、、、、、

きたコトパであり、つま.pは蕊術的表現であ・りますから、『詩も亦論理である』正しい論理は詩であ

、ろといふことであ,りますoシキシマノミチはウクでありp蕊術であるとLもに、また論理皐でありD、研

究方法論であり、精紳科畢であるといふことになるのであ・ります。即ち詩は人生のロジックであると

いふ乙とであり愛す。

脚のひらきし、紳代ながらのシキシマノミチを現代のわれら国民がふみわけるといふ乙とは、われ

らのコトパわれらの思想に現資威力を盤得する亡いふことであり、コトパに霊験があるといふ乙と

であり玄す。

千早ぷる神のひらSし道を戎たひらくは人のちからなりけりり(三六)・

此の御製は『跡のひらきし道』をまた人のαらくこと即ちシキシマノミチをわれら固民のふみわく

!.

.#;

1劇

こと

り、ます。コトパが同時に事でありコトパに生命力があるといふ乙さは、コトパがそのま、塁人生であムソ

行動であるといふことであります。

シ幸.シマノミチ原蹟其の二四一

zのコトバ思想で人生問題を解決して行くといふ乙とが、跡伽心櫛か錨伽溶勘遥かといふ乙とでめ

℃、、、、、、、、、、、、、

Page 34: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しをしまのみち原諭四一一

乙とのはのまことのみちを月花のもてあそびとは思はざらなむ(四○)

シキシマノミチの歌はた垣の遊戯ではないのであり戎すo娯楽的玩弄ではないのでゐ,ります。コト

ノハノマコトノミチとしてのシキシマ〃ミチは道徳宗激哲畢的法則であり、まだそれら諸法則の基く

ぺき原理でゐ,り、此の意味に於いて精祁文化科皐そのものであり全す。シキシマノミチの綜合性総擬能

は日本桃教としての真宗の阿弼陀悌の『擬取不捨』の慈悲本願力に思想的脈絡を通ずるのであります。

ii●

いそのかみ古きて猛りをのこさ・なむ改めぬべき乙と多くども(四四)

脚祇

いにしへの姿のまぁにあらためぬ榊のやしろぞたふとかりける(四五)

折にふれて

開くべき道はひらきてかみつ代の固のすがたを忘れざらなむ(四五)

、、、、、、、℃

復古棚源と進化開展とは個人生命と吐含生活との自然の動向であります。分化増殖しつぁも、それは

その圃篭生命の自立を保つたあに図結するには、分化を統綜すべき古畢古道への復蹄が要求せらるL

、、、、、、、、、、、、、

のであり戎す。明治維新が祁武天皇への復古であったといふことは軍人勅諭のはじめに『我が画の軍

隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある。昔刷武天皇射つから大伴物部の兵ともを率ゐ中園のまつるは

いものともを討ち卒け給ひ高御座に即かせられて天下しるしめし給ひしよう一一千五百有除年を経ぬ』

との淀食ひしによりても明かにせらるLのであります。

鹿持雅澄の『寓葉集古義』の穂論の其三の中に『古皐』といふ項目を分って、『副職の道』として

かもぢまさやみ

いにしへざ堂

ともろわざ

儒道悌教の意をきよくはなれし古風を翠ぱうとするには寧楽朝の頃は人の意も事も外つ園ざまにし

うけ

みつきたる時代なれども『あしきをすてkよきととらば何でふことかあらむ。》』と人、に害を信がは

シキシマノミチ原蹟其の一一四一一一

脚のひらきし道を人がまたひらく、といふ乙とは『即茄懲酎か騒獅毒静祁』とを現代の文化圃家の

『允印揖稲帥琳溝』に相績し水つたことであります。建圃の仰説をそのまL現代の圃鵠に相綾し『阻

先遥拝』としての『忠孝道徳』を古代習俗そのま狸現代に惇統し末つ泥のであります。

折にふれて

敷島のやまとしまねのをしへぐさ脚代のたれの残るなりけり(四三)・

世はいかに開けゆくともいにしへの園の準きてはたがへざらなむ(四四)

0J。・1,日和‐w

』官‐》が

Page 35: 三井甲之『しきしまのみち原論』

|J毎F■90

しきしまのみち原諭四四

からびと

ぱ番なきにしもしかすと漢人もいひたるにあらすやOかくまで外つ園の教ご釦ものいやはびこりpにはび

Z,りたる世の中なるに、なほ祁代のみてぶりはもるノーの縦蕊と歌詞には正しく樽は・り来れ・りしな.D

かむろ蓉

茸はみておほみか〃み

すめみ詮のみこと

かけまくもかしこけれども祁御覗天照大御榊大御手に大御鏡をさLげもたして、皇孫尊にみこ、とお

追いほあき江渉いほあ画みづほのくに

ほせたまへ,Dつらくは、この豊葦原の千五百秋の長五百秋の水穂国は吾御子のしるし必さむ圃な●り。

かれ

あめつちむた念はみ

こと上

故あもりい戎してしるしめせ。高御座天つ日嗣のさかえ戎さむ乙さ、天壌の共窮なかるぺしと、言依

すめみ全のみこと諸

ざしたまへ,pしまに1くl、天地のよりあαのきはみ、ときはかきはに、皇御孫尊の食す園とさだま●りて

よもやすfに

たか

為ばみかど、、、、、、、、

紳ながら四方の園を安固・と季けくしるしめし大弐します、高びかる日の大朝廷にb道ははやくそなは

、、、b、

.りてあれば、たとひ時うつ、り事さるまにノー、からざまにまれ、ほとけざまにまれ、なくてのふるま

ひはうつるふ乙ともこそめれ、皇紳の道は芯離醗栽醗御将まで、たかみくら天の日嗣のうごくことな

、、、、、、、、、、、

くかはることなく、紳代も今も一日のごとく、天地にて、Dたらはして、しるしめし当』ぬるがゆゑに、

かむわざ

かたじけなくも跡事と歌詞には祁代のてぷ,りのたがふ乙となく、あやまつこりとなく遣れることなれば

すめかみいつくことだま

かれ

いつく

皇紳の巌しき園言霞のさきはふ園とはいへるぞかし、故その言霊のさきはひによ‐,てぞ、皇祁の巌し

き道もうか瞳はれける。されば皇榊の道をうかざふにはまづ言露のさきはひによらずしては得あるま

エし

じく、言霊のさきはふ由縁をさとるべきは、この寓葉集こそ叉なきものにはあれ。』といってを、りま

す。

更に語をつぎけて『から国に心よするともがらの、聖の道を大ろかにして詩文をむねと翠ぷをいや

しむとはいたくさまかはりたることなり』といってをb戎す。

聖人の道ごしての経皐と詩文‘とを峻別してそこに高下主客を分つ漢畢者流と、詩文として歌として

の蕊術が道徳的規範政治的原則をも綜合して圃燈の本義によってこれを統一するシキシマノミチとの

そちみつやまとのくにすめ

営時の儒道悌教を隼びその威化を受けし山上憶良も『祁代ょAソ言ひつぎけらノ、、虚見大和閥は、皇

かみ刺

のいつくしき園、言霊の幸はふ図と、語農ソつぎ、言ひ維がひけKソ。今の世の人もこと、ぐ1、目の前

、、、、、、、、、、、℃も、、、、、、、、

に、見たり知りた久ソ』痔」歌よみしを引用して『其世までは、さる淀ぐひの古語もpくさ。〃↑1つ淀はり

でがかい碗いい、叉鐸蹴には大かたの世の心も、刺代の古語をうけつぎつL、うべなひをりしさ戎な

ことDfl

ど、今世の人も蓋目前に見たLソ知た偽ソと云るにてしるきzとおむがしくし江はしき乙と雷もにこ

とつくに

そ。難く難波長柄ノ朝・近江大津〃朝の頃より、世間の事業と文僻とのみは.とく外圃ざまにな膿ソぬるも

のから、なほ歌詞には上古のまLの樽りしなAソと云るしるしな偽ソ。これは教のためによみ輪したるも

の。とはなけれど、尊み仰ぎて、大かたに見すぐすべからざる虚なり。又同じ大夫(山上憶良)が令レ

ジ圭シマノミチ原論共の一一四五

塵別を説いてをるのでありり一ます。

■金

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$蔓 一一

Page 36: 三井甲之『しきしまのみち原論』

1しきしまのみち原蹟四六

あめなつ毎ひつ画・汀かぶ

反一一惑情一歌に「天ゆかば汝がまにまに。地ならば大君い玄す。此の照す日月のしたは、天雲の向伏す

たにぐ。.吟こを

極み、谷摸のさわたる極み個聞し食す園のまほらぞoかにかくにほし費一段にまに。しかにはあらじ

か。」とあるこそたふとけれ』といってをります。

、、、、、、、、、、、、、、

これは地上生活の現賞篠件を確認せよといふこ、とで、空想的概念構成に遊戯して言畢げするを戒め

たものであります。此の地上の生活は君臣父子閥係によって規定せらる図といふ乙とを力説したので

うつそみやそとらのを

あり、ますoこLで寓葉集古義の著者は大伴の家持の『天地の初の時ゆ現身の八十伴男は大君に今《つる

みづかばねやま

ふものと定めだる』(謡穂九)叉大伴家持がその歌(霊掘八)に引用した古語『海行かば水漬く屍、山行か

ば草むす屍。大君の鐙にこそ死なめ』を引用して日本に於ける君臣の大義を説き、支那に於いて君を

諌むるこ。と一一一度にして蕊かれざる時は去る、といふ如き,とは全く異ることを説いてをるのであ・りま

、、、、

す。支那では父子は骨肉の闘係であ,りますが、君臣は雇傭開係の如萱』もの、となったのであります。日

、℃、、、、℃、、

本では君臣の闘係は父子の闘係を統制してをるのであ,9戎す。忠は孝を包括するので、孝が忠に開展

するのであり裳す。

印漁幅脚四℃かみ耐先鋤弗齢跡獅帥昂烏洗い蹄恥い芯のであります。日本、支那及び戸1寺の測先

、、℃、、

憩奔のうち日本及支那のそれのみが宗教の始源、となったのでゐ、りますが、支那は漸次その建国樽説を

失って、詩経にも支那全腿に閲する建固の偲読叉は叙事詩といふやうなものは無く、姻先頓拝は上下

を通じて盛んに行はれたので、天子は慶大の陵墓宗廟を管んで厳かにその租先を祁つたのですが脳併

、、、や、、、、、、℃、、、、、

しそれは支那民族全般の政治生活とは無闘係のもので、天子の旭先は天子一族の祁先で、閥民一般と

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

は闘係が無いので、耐先憩奔と園家組織とは殆んど何等の交渉も無いものであります。これはフュュ

ラル。ド。クーランジュ、ウイ〆へルム・グントの研究から加藤繁博士の説への連絡をつけてこLに

叙説するのであります。

欧洲では此の姐先職奔はローマの租先瞳拝も玄た人生観を支配する威力を失ったのであります。こ

、、、、、、、、、、、、、

れは故河村幹雄博士の創説しに如く基督敬も元来はイニュの『姐園イューフヘルヘの忠』の宗激であつ

元のですが、イスラヘルは国家としての自立を失ったのですからして.基督敬は如何なる家族の家族

的宗教でもなく、又如何なる都市の画家的宗教でもなく、尚又如何なる人種の、或る一階級の、ある

一画髄の宗教でも無く、始めから人類全燈に向って呼びかけたものでありますから『基督敬は地方的

漉拝の顛覆を完成した』のであり戎す。この鮎に就いては故鈴木錠之助氏のフュュープル。F・クーラ

ンジュ『古代都市』を泰西名著歴史叢書第一篇『希臓羅馬史論』として課されたのを参考せられたい

のであり空す。ジ

キシマノミチ原鐙其の一一四七

;j濁塵 面

Page 37: 三井甲之『しきしまのみち原論』

鋤‐跡I伽‐illIi…IiIili:lIIiI腿11鰯11,111噸I

●1908日000Ⅱqy0g0■日日IUUq■■■■go■I日日ワ0Ⅱ!■11■108Cf■v6001B■■P‐■T100tJ601叩l・心ⅡI0l910ⅡI04p600

四八

b、、、、、、、.

あたドイツのマルキュト0としての砥含民主薫は『平和』の名義の下に事賞に於いては朝貢園としての

、、。、、、、、

画民総奴隷化の『錨鎖』を受取ったのであAソます。此の碓倉民主薫は個人主義唯物論春で、組先Iこ子

孫とへの生命の連鎖を切断しようとするマルキュトでめAソますから、勿論フイヒテやグントの言葉に

耳を掩うた黛派であり戎す◎

℃、、b、、

、、、、

一プモクラシィ民主々義は議曾制度に依握するものであ人ソまして議含制度は多数決主義でゐAソますか

ら、それは数量主義であり、随って一時の利害に左右せられ永遠の利害を度外硯し、、計量すぺからざ

る精祁よりも打算すべき物質に偏執するのであります。こ塾に偲統ご画腿とを破壊しようとする陰謀

が此の制度を利用しようさするに至るので、デモクラシイの唯物論と『無産多衆』を煽動すること』

によって多欺寓能の原則の下に、黄金寓能、金椛支配を責現しようとするのであります。『無産多衆』

の『掠奪』意志を共産主義の『没孜』法制によって正営観して之を煽動しE共産薫の黛派支配賞現の

ための暴力革命に利用し、革命成就政椛澱得後は残忍無顧慮の警察密偵制度によってその虐殺的凋裁

政治を維持しようとするのがマルクュ、レーン主義としての国家樽統破壊の共産薫であ八ンますo

此の民主々義の眼前の利害に執する資画政治と共産薫の破壊的侵襲とに封して旭画の自立のために

、、、、、、

畷起したのがイタリアの必シソ河/-一一と狗彼に績いて現はれたドイツのヒットラーであハソますo彼等

℃、、、、

シキシマノミチ原蹟其の二四九

欧洲に於いて基督激の流布に促進せしめられて『姐先畷奔』が影と没したといふこさは、そこに詮

議勧櫛が先齢麺溶といふことに外ならぬのであります。そこには個膿が基準となる卿九圭溺と、個人

、、、、

主義に随伴すべき物質主義が卑俗功利主義さして欧洲人の思想主流となったのであります。精卿は人

と人との間に『交際』によって生るLのであり戎すから、赴曾生活国家組織は胆先へ潮b子孫に延び

て始めて翼の精紳生活が賞現せらるLのであります。

フイヒテがナポレオンの軍隊の侵入しつLあった際に濁逸国民に告げて。『本講演と謎を合せて、

諸君の租先も亦諸君に要求する。諸君は余の盤の中に、遠き昔の諸君の租先の謎が加はってゐるもの

と考ふべきである。自己の生命を捧げてローマの世界的支流の浩々と押寄せ来るに抵抗し、今諸君の

時代に至って外人の漉物となってしまったこの山、この平原、この河流の凋立を自己の血を以て願ら

得たりし諸君の遠き昔の遡先、彼等が今諸君に向って叫ぶ。』と叫び、更に『未だ生れざる諸君の子

孫が叉諸君に要求する。彼等は諸君に向って叫ぶ。汝等は汝等の旭先を滑りとし、尊大にも汝等自身

を乙の尊き列に加へた。この一列の鎖が汝等の時代に於いて絶ち切れぬやうに配慮せよ』(蕊》篭濡藤

畿女)と叫びました。しかしながらヴェルサイユ篠約を甘受して如何なる値を桃っても『平和』淀求

しきしま〃みち原鐘

、凸.二1』’

&=

Page 38: 三井甲之『しきしまのみち原論』

『大君は脚にしませば』(謡蕊)『蓮つ赫我が大君』(蕊蕊)『明津赫我大君』(謡魂)『我大君跡の命』(唾

難)と天皇を仰ぎまつり、『大君の櫛の談にノ、』(翌報七)戎だ『大君の御言かし乙み』(悪蝿等)『大若

たす

の醜の御楯』(蜜蝋)とまめやかにつかへ戎つることを一一巨霊の謡はひ、言霊の佐けによりて、語りつぎ

”偶叩棚Ⅲ郡山心川いい易〃Ⅱ’心‐知101W叩ⅢⅡM3、碗閃昌』倣侮胸●■Fトトル乎眺部hⅢ肌Ⅱひ0削肌卜h楓6いい0M0ヶ雁吐1N恥叫・鮒靴制跳1404肌1111小Fし1r即I9If4ⅢlIllIl0IIIIl01I0lI↓O0IrlI0j0.01リーj0LI0rb弧Ibpb配Fm00,倣い出府Ⅲ0偶叶lbnHI0khNB10Iも011

此の日本画燈と日本精紳とをあるがま動に脚ながらに後の惟に樽へました言霊の幸ひの現しき道が

うつ

シキシマノミチであり、それは紳代ながらの、肺のαらきし道であり、『はやくよりそなはりてあり』

また『祁代も今も一日のごとく』樽へ家つたのであり玄す。それ故に此まがふことなきたふとさをつ

づむれば『印琳』いい辱称となるのであります。

垂めこLろしたがふみち

此の租先を敬ふといふこごは君に忠心を謎し、親に孝道をきはむることシ同じことに鯖するので

あり食す。

しきしまのみち原臓五○

の、特に公ツンリーーーの民主々義と共産主義とに卦する思想的批判と蛮行的態度とは正しいのであり

空すが、彼等の圃家槻は建圃樽統を現賃の圃燈の上に『君主制』として相績して居らぬのであります

、b、、、、、、、

から、此鮎ではムッソリー,一一にしても君主制と民主制とを選揮的に考へて居るのであ●,戎す。ムッソ

リーーーのいふヂエラルキアといふ階次燈制もその上級には英雄としての凋裁者ムッソリーニが立って

をるのであり土《す。デモクラシイが民意を上に達せしめよう,とするに封して、ヂェラルキァは支配者

の意志を下に達せしめようとするのであります。日本のマッリゴトに於いては天皇を現津訓、現人

跡と仰ぎまつるのでありますから、天皇の大御心大御言は日本の天鯉無窮の史的生命の全圃民的総髄

意志を表現せさせ給ふのであり玄すo此の寓圃無比の閥燈こそはデモクラシィやマルクュ主義に懲,り、

、、

八,し、して画家主義個裁政治を要求してをろ現世界文化圃民の憧僚してとるところの理想に針する現貧

、、、

的目標でゐふソ、ます。

言ひつぎ率つたのでありますo

みたまいや

また申すも畏かれども皇室に於かせられては皇租皇宗の霊の大御前を鐙の限りをつくさせ給語うて

いつき祭りた戎ふのでありますから、君臣の分が定まりマッリゴトが正しく行はるLことは、大君は

、、、

、、、、℃、、、、、、、℃、、、、、℃、、、、、、℃、、、、、、、、、

皇岨皇宗の霊につかへ給ひ天地の祁をまつらせ給ひ、臣民は天皇につかへ戎つりこLに自立国家日

、b、、

本を世界文化単位の現資的把持者たらしめ人類文化の理想寓邦協和を資現しようとするのであり愛す

、℃、、、

欧洲に於けるルネサンュは遂に個人智能の解放に行詰ってしまったのであムソ玄す。迷信の偲統的横

シキシマノミチ原飴共の一一五一

Page 39: 三井甲之『しきしまのみち原論』

されたのであります。

日本に於いての迩甜中卿、叫滑総紳は臣道臣節を遁却した民主々義としての『民政』的俗濫意志を

擢破したのでありますから、その改革と維新とは個人智能と個人及赴倉の功利の如き脆弱なる幻影を

追う淀のでは無く、大和民族と日本画民とはそこに建函の事賞と精跡、圃篭の本義亡人生の理想とを

●■

I叩011101‐Ⅲ川’、旧m0III7川luJ山10.‐叫榊恥叩.肺‐j・I〃‐Ol101I4I90q‐・I●心Fo00咽,Ⅲ川晒?狐0,柵WD1090抄!●Ibri;・日If?■I?!、.l喝‐・I?。,◆。.,。j14マーリi’■■IEID1oIuI咽lゆり’1‐Iも,‐,’Br・tll111、●▲・Iゴf1口も01B■■r0,,7

しきしまのみち原鑑五一一

威の拘束は砿られ淀のでありますが、彼等の見出した無窮世界は『無窮の涯底』に突営ってし戎った

のであります。宗教と赦曾と脚秘と溌威とは中世の遼物として捨てられ、現在は『碑擬』に陽すると

いふ、その国家は人間の自由創造の産物となりユトピァ・となって、それは今日のマルクュ主義の所鯛

無搾取園まで脈絡を引いてをるのでめ.りますoプラトーの画家観を回顧してトマュ・モーァ等の夢想

園の思想も戎た一見相反するかに見え戎すマキァグエリの専制的画家槻Dとヨハネェ・アルッジゥヱの

民主々義原理が説かれだのであります。そこには純世俗的の個人及び祉曾の利害・と幸一職とのみが目ざ

見出したのであります。

解放せられたる個人は淋しい、また頼り無い存在であります。生命の連絡、協力の作業も責務の遂

行が溌奔鯖依の忘我的直進によるのでなければ個人生活も家族生活も国家生活もその自立を防護して

その生命を開展する乙とはできぬのであります。

何となればフイヒテのいふが如く『言語が人間に作らるLよりも人間が言語に作らるLことが遥か

に多いのである』(溌瀦輪塗)からであります。言譜は個人の擬明し製造したものでは無く、閥語とは

国民生活から合成創造されたものであり、圃語でない言語といふものはめjません。それ故に人間が

自己の生命を防護しこれを開展せしめようとするには此の生命を同胞の生命に連絡せしめねばならぬ

のであります。此の生命連絡の主要の手段はコトパであり裳すo

シキシマノミチ原髄共2-

ヨ歴=一

Page 40: 三井甲之『しきしまのみち原論』

一一一、シキシマノミチの心理単論理阜

乙のコトパは概念の論理塁として萱なく、人生論理塁、直接経験の論理畢さしてのウタであるとい

ロ‐0F・Iu1》唱旦P ふ

乙ごを説きませう。

『日が輝く」をいふ一文は、『日』と『輝く』とを結びつけて成立したのではありません。『輝き

つLある太陽』をそのま狸統一されたものとして直観して、それを『日が輝く』といふ順序に分けて

言ひ現したものでありますo『太陽』といふものがあり、『輝き』・といふものがあって、それを外物

として結びつけたのではなく、『太陽が輝きつLある』叉は『輝きつLある太陽』といふ一つにま亡

戎つた現象をそのまL一つのものとして見る、即ち直観して、それを『日が輝く』といふ順序に分伽

して「日』と『輝く』といふ概念を並べたのでありますozLで注意すべきはこの統一といふことで

あります。本来『文』は一つの纏ったものを語に分ったのであって、種々の概念を寄せ集めて作つだ

ものではないのであります。

此の統一が直観的統一でなく、概念的統一である場合があります。『狼は猛獣な鵬

狼に就いてそれが猛獣であるといふことを見たり聞いたり他に比較研究したりして、

といふ概念的統一思想があり、それを『狼は猛獣なり』といふ概念に分解したもので、これも『狼』

と『猛獣』といふ二つの概念を機制的に寄せ集めたものではないのであります。

事資としてはたとへば狼が生きて居って兎を食ってをる、といふ行動がある。その他肉食猛獣の習

性を擬揮した行動があるだけで、『狼は猛獣なり』といふ賃際の現象は無く、また起らぬのでありま

す。『狼は肉食す』といふことからも『肉を食ふ』といふ現象を『肉食獣』『猛獣』といふ劉象、目

的物として固定するのであります。さうして狼、虎、獅子等の習性を比較し関係せしめて省察思考す

るのであり玄す。それ故に『食ふ』といふ動詞が英貨の現象、行動を言ひ現はすので、『食ふもの』

、、℃、、、、、、、

『肉食獣』『猛獣』・といふ名詞は、この生成鍵化する現象、行動を固定しようとする要求かげっ生れ出

たものであります。肉食するといふ事資が生成するのであり戎すが、それを固着した性質として『肉

食獣』といふのであります。かういふ概念的統一は自然科皐的知識でウタにはなりません。概念固定

の説とくりかへしませう。たとへば資地の事柄としては吹いてをる心『吹く』といふzごがあるので

かぜ

あります。『風』といふ固定的劉象があるのではあり玄せん。直接経験に輿へられたものとしては吹

いてをるb し

きしまのみち原喰

シキシマノミチの心題墨論理畢

『風』といふ固定的》

それだけであります。

『狼は猛獣なり』といふのは、

池したりしてp狼は猛獣である

五四五

=一二一__=_マーー〒。=軍…唾毎軒呑口霊理零万一画示宣症豆=雪

Page 41: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきしまのみち原諭五六

、、、、、

賀際の出来事としては観念⑨も、威情も、意志も一つのまとまった全燈として生成しっEあるのであ.

りますoこの具鯛的生成を抽象して分解するのであります。

『大君にまめやかに仕へまつる』ごいふ観念と感情ご意志とは全魁として安さまった思想でありま

すoそれは忠義を壷きうごする意志、跡豹涯瀞諦行鋤と連絡してをるのであります。『忠義』といふ

観念があって、忠義を議す鎧さぬとは無関係で、蓋したくぱ蓋してもょからう、といふやぅに思考す

、、℃、、℃‐、、、、、、、、‐

、、

ろのは誤であります。忠義観念、忠義威情、忠義行動といふものは連絡し統一されたものであ・ります

そのうち研究に基く忠義観念、ある場合に起る忠義威情、決然として起つ忠義行動はそれぞれどれか

一つが主要の地位を占むる乙とがありませう。しかしながら平生の忠義観念も無く、事に臨んで熱烈

の忠義感情もなく,決然奮起して固難に赴くといふ乙とも無く、叉忠義を誰す意志もなく、君臣の大

装名分をも知らず、たざ熱烈の忠義感情だけをいだくといふやうのことも無いのであります。

賀際現象からその一般的性質だけを抽き去る抽象作用によ●り統一された全髄を分解するのでありま

すo『白馬』『黒馬』等があるのみで『馬』といふものは無いのであります。諸事黄から『馬」とい

ふ概念を抽象して作るのでありますo白、黒等の馬が草を食ってをろといふ事賞があります。それを.

見て『馬』といふ概念、愛らしいといふ威情、その馬に乗らうとする意志等が一つのまとまった心的

現象ごして起るのであり戎す。それを動物蕊の分類といふ見地からして、全一事資から抽象して『馬

は草食動物なり』といふのであります。しかしながら『瀞』沙いぶ祢熱帥櫛描師か《泡か紳象ふかふ

かで捗海い、『草食動物』といふ謝象があるのでもありません。またかういふ抽象的概括的の見地か

らの思想は、賞際の場合に起る威情とか意志とかいふものとは関係せぬとい息震涯1節験

場合に鵠係してをろのでありますlそこに具雷直観との間に省察思考が介在して間接に思想す

、、

、、、、

、、、、

ろのでありまして、前のを直接経験といひ後のを間接経験といふのであり戎す。

、、、、

、、、、、、℃、、、、、、、、、、、

此の間接経験は宇宙人生の間の出来事を人間の威情や意志とは関係無きものと催定して槻察して、

その間に起る出来事.事賞を概括してそれを成るべく簡約のものとして言α現はすのであります。こ

れが事賞を概括した一定の法則であります。『人は死す』といふのもすべての人の生活を概括したも

ので、すべての人の生活に適用し得る法則であります。『謹夜は交代す』といふのも、『文化は開展

す』といふのも法則でありますが、『歴史は繰返す』といふに至れば少し暖昧であります。文化とか歴

史とかいふものは人間生活を中心とし思惟する人間の精赫生活に依撞するもので、人間の精祁生活ご

は無始無絡の旭先と子孫とに連絡する不可測全開展でありますから、それが鍵化生成し開駿進展する

には違ひありませんが、築枯盛衰治乱興亡成功失敗ははかり難くそこに一定の法則を見出し歴史はそ

シキシマノミチの心理畢険理畢五七

意講義示雨孟霊壷謹罵露悪篭旬垂一

Page 42: 三井甲之『しきしまのみち原論』

輝きつ狸ある太陽をながめるといふ乙とは一つのまとまった心的経過叉は心的過程でめります。此

の全一過程を反省叉は省察といふ作用によって分解するのであり戎す。そこにその要素は表象、威惰

意志ごいふやうに分解せらるLのであります。ながめて居る劉象叉は目的物に封して太陽叉は日とい

ふ表象を作りますがbそれはそれに伴ふ威情、またその心的作用を統率する意志ご分離してをるもの

シキシマノミチの心理曝諭理寧五九

『日が輝く』といふ文は輝きつLある太陽をそのまL統一せられた全膿として直観して此の直接燈

験したところのものを『日が輝く』といふ順序に分解して言現はしたのであります。この文の背後に

は太陽が輝きつ込めるといふ事資が直接経験内容として存在してをろのであbます。

しきしまのみち原餓五八

の反覆であると決定的にいへぬのであり戎す。

個人に就いては子供から成人になり老人になるといふやうに、原始人生活から文化人生活への階次

を大贈に於いて概括して瞳劃することはできます。これは各地の各民族に普遍的に適用出来る法則ご

しても、その法則を導き出した民族℃また園民の生活開展事賓を比較しつL概括した,といふ程度のも

、℃、、、、℃、、、、、、、、、

ので適用の範園は研究劉象の範園に限定せらるLのであ,ります。各国民の素質、性格、その建国創業

と文化交通、攻守戦争等の特殊事資が起って来てから後の時代には此の開展法則は適用出来ぬのでこ

、、、、、、、、、、、、℃、

れはつま・り歴史が各研究者の各別特殊騰験と研究者の厨する各国民思想精跡0とに依援するからであ,,

ますo即ち此の開展法則は原始民族ざ文化民族との鹿劉といふとZろで止ってしまって、それから

は各国民性格畢として分化し日本歴史に就いていへぱシキシマノミチといふことに蹄着するのであ・り

ます。原始民族の原始生活から文化民族の画家生活への塵劃,といふところで止るのであ・り・牙す。それ

は潮って高等動物亡原始人類との匿劉といふ乙・とに連絡するのであります。そこに原始時代から動物

崇拝のトーテム時代への開展といふ開展法則が各国民生活に適用せらるLのであ・ります。しかしなが

ら、それからグントのいふ英雄及び紳々の時代、ヒュマニテイヘの時代どいふやうに進んで行くに随

、、

ってb一定の法則で民族生活の開展を概括規律し得ぬ時代ごいふ乙とになるのであります。即ち法則

も一度くbかへして同じことを説明しませう。『文』は霊里に先だち、牡曾は個人に先だち、全

儲は部分に先だちも具燈的燈験は抽象的認識に先だち、心は物に先だち、赫話は科皐に先だら、精紳

科皐は自然科畢に先だつのであります。

、、、、、砂、、、、、、、

を立て得ぬといふことが法則とな藍ソ概念的認識の限界に達するのであ鵬ソます。

E画呼司至唖旦三両TF唾唾Z

Page 43: 三井甲之『しきしまのみち原論』

ろのであります。

、、、、、、、、、

此の意志過程が繰返されて行く時に、その反覆進展の中にも統一があり、この統一に伸ふ戚情が自

、、、、

我であり、統一者としての自我威であります。

、、

此の統一といふことは意識内容の滅誰と表裏するのであります。無意識、意識の寂滅がまだ同時に

、、

、、、b、、、、、.

完全の統一となるのであります。生か死か、一切か無かといふ叫びは意識の統一を求むる叫びであり

、、

張烈意志の表白であります。没我が大我の自彊となるのでありますoその意識内容は完全の統提であ

、、

ります、戎に自我威の擬大張化は無我的職秤の綿依威となるのであります。

‐‐jトーb1r‐’

’’’’1111‐Il1iIl1,’1111,1‐’1,111-‐,,l‐I‘l‐,I!‐‐11,.‐li‐‐IlllIll‐I‐IIiIlIl‐I‐‐

しきしまのみち原論六○

ではあ・りませんo省察の結果として、そこに表象威情等が派生せしめらるLのであ・ります。瀞痢とは

、b

意識に上・り来る所の五官其他の威畳の複合から生成せらるLものであ・ります。感情は威提、表象等の

連絡結合に反瞳してそれに伴って生ずる精祁・生理的過程であります。此の過程といふのは鍵化生成

、、

、、

してゆくものといふ意味で、静止凝固した『物燈』に封して『過程』といふのであり戎す。この威情

は快不快、興奮沈静、緊張弛緩の三方向に分たれます。これは相互間に密接の統一的関係を有し、快

威とL&〕に興奮感を生ずるZ,ともあ.D、更にこれに緊張威をともなふ乙ともある。その他種々の統一

的開係を以て反膨するのであります。

、、

これらの威挺、表象、戚情等が複雑に結合して情緒意志の過程,となるのであ・りますが、それは始め

、、、、、、、、、、、、、

から意志過程として生成するので、それを威墨、威情、表象等に分解派生せしむるのであ・リキーす。

、、

此の意志過程として生成する直接経験の全内容が意識であ.D戎す。これは表象情緒等の心的複合燈

の統一的結合でありましてもこれが意識の統一性であ●りもそれは意志の統一性に基くものであります

、、

戎た一定の表象が他の表象を超出して明瞭になることによって意識が統一せらるLことを統提といふ

、、、

のであ,D玄すo威情は快戚を追ひ、不快威を避くる目的性を有して居るので、これが意志行篇を起す

主要動機となるのであ,ります。勿論意志過程には威畳も表象も加はってを、り、それが関聯連絡してを

、、

表象の展性を総括したものが概念であります。ァ」れは思惟の抽象作用によるものでb具燈的表象を

、、、、

考察によって分析するのであムリ戎す。概念は面掛心卿へら朴溶事物叉はその性質ではなく、考察の所

、産であ隅ソます。概念は思惟の要素であ農ソ、概念の結合によって剣断し、叉判断が綜合せられて概念と

なるのであります。

、、

、、

、、

、、

表象を内容とせ函思惟は無/、、感情の騒動を伴はい表象も無く、意志の動向を伸はぬ感情も無く、

シキシマノミチの心理畢鑑理畢六一

----‐-コ=二二一=~=宝二孟毒三三三

Page 44: 三井甲之『しきしまのみち原論』

、、、、、、、、、、、、、、、、

それ故に人間精榊内部の心的封象といふものは外物に就いていふ如き割ものではないのであ膿ソます。

即ち比較的固定した性質及び情態の把持者として外物に就ていふ如き封象といふものは無いのであ・り

ます。故に糖祁科皐の研究の謝象といふものは捕捉すべからざるものであります。表象、感情猶意志

、、、、、、、、、

?といふ如きは固定的掛象では無く、必ず人間の行億であ膿ソ、出来事として生成するのであ農ソ式す。表象・

は主槻的作用であり、此の主観的作用から心的封象の概念は外界の固定的掛象の概念,と同じやうに作

られたのでめハンますoかくして人間に意志ごいふ能力、戚桔といふ能力の如き超越的基礎を似定する

に至るのであ入ソます○此の無常蕊易生成の糖祁現象の探究を可能ならしむるためには、こ奴を既成の

要素に固定せねばならぬのであ書ハンます。表象、戚情耐意志といふ如き塵別固定せしめられた封象は無

シキシマノミチの心理率論理嬢六一一一

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しきしまのみち原論

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、、、竜

それらのいづれかの要素が前面に現はれて優位淀占むるのであ,夕哉すが、それらが全く分離する‐とい

ふこ、とは無いのであります。此の分離すべからざる全慨を吾人が抽象して分解するのであります。表

象の当象の諸要素が分離せられて存するならば、分解は封象そのものにその基礎を置くのであります

が、それは分離すべからざる全鵠であ,りますからして、経醗の内零によってよりも、その性質にょつ

ぉ、、、、、

て、即ち要素間の開係によって分解するのであ,ります。故に此の抽象分解の所産を分解せられざる全

牒としての事物そのものに刻印しようとすると過誤を生ずるのであります。たとへば佃人叉は祇曾画

家生活を研究するのに融概念的考察によって研究するのですが、個人征含画家生活を概念的考察の所

産であ,りま淀概念に、よって桃成せられたろ省察の所産であるとするのは過誤であ,ります。概念的瞳別

は考察研究の方法であって、考察研究の緋衆寺かいか嘩睡沖画海ぜい沖で勝か渉か呑俸おい、連絡し

て生成しつLあるものであります。唯物史観の概念痔護法によるマルクュ主義の誤謬の如きは此の心

理畢の峡陥が生んだ誤謬論であ,,弐す。叉言語は生成する現象を持績的固定的に言現はすことにょつ

、、

て此の過誤が促進せらる蚤のであります。ある現象及び情態は動詞の形で言現はさるればその兵賞の

、、、、、、、、、

意味が認識せらるLのですが賜ってのうちに動詞から名詞を作、り、概念的思惟の目的の偽めにその現象

鳥を固着的封象と菱化せしむるのであります。此の起源を知らずに、此の睡瀞飾溌砂を研究封象として

、、、、、

の生成的現象それ自身に威染せしめようとする誤謬が反覆せらる智のであります。愛化する現象を麺

化せぬ概念に、此の概念を言語に固定すると、流蒋する現象は比較的固着した掛象となるのでありま

す。階級闘争論、無産階級主義の共産主義革命が少数領袖の専制に終るのは此の概念差別に固執する

論理的誤謬が人生賞験によって讃明せられた所であります。

註『・われらは唯一一つだけの階級が存在するといふことを否定する。階級など幾らでも深山あるのだ○われらは維済嬢の言葉を以

て人間の歴史を説明し得くしとなすことを否定する』.(一九一一一年六月一一十一日謹箭に於けるムッソリーーーの演説)

p

』 一ん

昌一》マ

ー二一一 司剖■ー

Page 45: 三井甲之『しきしまのみち原論』

性質を取り出したこさによって『判断』となるのであります。これは火の『輝き』を太陽の輝きにも

移したのであります。かうしてこ畠に異った掛象を開聯せしむるのであります。一つの表象から概念

を取り出して、これを他の表象に移すのであります。此の概念成立の判断に於いて主語は全鵬の濁象

的表象を、述語はその性質叉は行動を把持するのであb戎す。故に主語は全燈的で述語は部分的であ

ります。

呼89’q■#■fI194r↑わ‐4.,40‐jQf‐bqP‐Iロd卜I.lb■Be9‐0hDVFIfP卜。・・OrF‐0‐I1UP‐f・りぷ10171Ⅱ‐rヴー●111■1J‐111’②

しをしまのみち原論

六四

℃、、、、、、

℃、℃、.、、、、

いのですが、研究の潟めにはさういふ言現はしをせねばならぬのであ,少戎すoたぎ名詞の背後には必

、、、、、、、b、、℃、℃、、、、、、、、、、、、

ず歴別固定せしめられた劉象物がある,と思ってはならぬのでゐ・ります。五回人の統一せられたる直接経

、、、、、、、、

験の種々の方面叉は性質から之を表象、威情、意志どいふのであります。それ故に『思惟』は『意士心』

、、、、、

であ・ります。危険思想を取締るべきは、危険思想は凶逆意志行為と連絡してをるからでゐりります。

、℃

故に表象0威情魁意志は吾人の『行動』の中に織込まれてをるのでありますozLに『行動』の重要性

、、、、、、、・

があ,ります。それ故に精祁科皐は11,蕊術と時事評論,とであることが本来の研究方法であ・りp研究範

園であります。『語らず行へ」『不言貿行』といふのですが、大君のミコトカシコミ、コトアゲセズ

ことこと

といふシキシマノミチに於いて言と事とが一致するのが最も正しく進んだ精紳科畢の論理墨でゐ.りま

す。即ちコトパに威力あらしめn祇記に霊験あらしめ、所願を笈現せしむるのであります。

直慨に於いて結合せられてをるものが概念的要素に分たるLのでありります。判断活動とL蝋》に概念

が成立するのであ・ります。概念とは意識の表象内容から成立ってをる思惟内容であります。概念は表

象をその材料,とし判断を此の材料整理の作用として識想するのであ.p戎すoさうして此の判断も表象

に就てなさるLのでありますから表象が概念の目標となるのであります。

『太陽は輝く』といふ簡単の判断に於いてb『太陽』といふ官能的軍一の表象から『輝く』といふ

、、

五巨人の『膿験』は直接経験であ鴎ソ愛すOこれが慶汎の比較的抽象的の概念によって整理せらる廷の

、、

、、

が『思惟』であ脱ソ、限定せられた比較的具儲的の概念によって整理せらる8』のが『認識』であすます。

思惟は必ずしも資際の認識内容を伸はぬのであります。即ち認識作用が劉象から離れても思惟せらる

るのであります。故に思惟は謝象ご一致せぬ冥想に焔ることがあ、ります。しかし元来は認識でない思

惟はなく、劉象と一致せぬ認識は無いのですが、表象ご劉象とが分離するや否やZ、Lに冥想空想が生

る、蚤のであります。事賃と事資に就いての省察とは異るので、たさへぱ物質、力等の物理事的概念は

直接経験に直観的に典へられた事物や性質ではなく、間接的に省察の所産として抽象分析作用によつ

、、

て麗識思惟の材料となるのであります。思惟は面澗から出緊するもので、直棚的総鰐表象を分析しま

シキシマノミチの心理畢砿諏畢六五

.1’4ムロヮ

叩怜l‐、‐Ⅲ‐14‐L駅‐.》、1.余1.,F‐那伽7山削W‐い’叫1脚‐・‐耐,。,Ⅲ’眺則。,、‐が随.,卜即‘‐LL,卦.函・‐舵。,脱?”いい・餅j冊。○・W・叶・服0マケロⅨⅨ、⑪皿8口晶叶口口rⅦいい剛1町r41Ⅸ巳祁O11FlJf01町ⅢIlJ01か00lb二mIぴい昨ILI000r01,671- 錘

Page 46: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきしまのみち原餓

一ハ{〈

、、、℃

、、℃、、、、

た之を概念的統一燈に結合するのであ,ります。思惟は分析綜合的作用であ.ります。生命が統一髄であ

る如く一切の思惟は直観であ,り意志であ,9、総燈表象の要素は相互開聯連絡してをるのであります。.

概念、と思惟形式とは経馳内容を整理したもので、生成開展して愛易するものであ,ります。それ故に恩

、、、、、、、、、、、、℃、、、、、、

惟を以て資在を規定しようとしてはならぬのでめ‐ります。自然宇宙、人生国家は無限無極の生成であ

り、科畢的研究の概念的認識によってこれを開閲するのであ,りますが、思惟と認識とによって自然と

、や、、、、、、

人生とを規定し愛改することはできぬのであ,ります。われらの認識ご思惟とは此の無限の生成を追ふ

のみであ,りますoこれが『信順』また『随順』の人生原理でありますO胴約し、鮒伽し、職諾し、唾

、、

、、

、、、

、、、、、、、、、、、

従しも奉仕する.といふ乙との意義がこ狸に明かにせられます。宗教の激義信篠よ‘りも恭敬鯉奔が大切

、、、、、、

であるといふのも此故でめ・ります◎デモクーフシイといふ如き、圃民の成素としての個人とその集積。と

、b、、℃、、、、、、、

を頭敷によって計算し、それが心即ち部分が全髄圃民を支配する》』いふことは論理畢的誤謬であ,りま

、、、、、、、℃、、、、

す。即ちデモクーフシイは論理的誤謬であります。またそれは直観的に、議論無しに、われら日本人の

も℃、、、、、、、、

戚惰に訴へて、『臣民』が『治者』を借擬することは忌避せらる』のであ,ります。直接に意識の分析

によって直観的に心的因果関係を明かにするのであります。

シキシマノミチの心理畢麓理墨

や●

、、、、、

自然現象を自然科皐的に研究し、その因果関係を明かにするL」いふことは、綜合的総瞭生成を分析

して、その生成を固定し、その概念的形式的開係を明かにするのでありますから、精確に因果関係を

知りb之を数量的に規定し得るのであムリます。

、、、℃、、、、、、、、、、、、、

しかしなが参り精卿的過程の心理率的・精柳科畢的研究は、自然科皐的・概念的・数量的研究を利用

し、また簡単の心的経過には自然科翠的研究方法をも、ある程度までは腰用しても、畢覚心理畢的研

、、、、、、、

究また生命・人生・園家・歴史的研究は精確に研究すべくも無いのであ膿ソます。即ち精確に研究する

、、、、、、、、、、、

を得ぬといふ乙とを知ることがその研究の正しい結論であ喋ります。

註一一一井甲之著『明治天皇御集研究』(昭和一一一年蛮行)中『孫究方法臆』参照

『人生』の研究は人生そのもの聖如く無始無総無卒業の燈験と認識との運命的交錯であふソます。

普通に自然科翠的研究は冷静なる態度を要求するのでありますが、精祁科畢的研究は興奮緊張し炉

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

るじ戦場に於ける武士軍人の如き態度を要求するのであkソ.ます。それ故に此の方面の仕事は悲劇的性

質を帯びて、宗教蕊術的感激の情調こして表現せられ、概念的省察の分析に堆へいものとなるのであ

ります。本脅が著者の戦術的創作としての長詩を加へたのも此故であります。

‐上

‐0190L’0・IqI●00少

1111

~

Page 47: 三井甲之『しきしまのみち原論』

、、、、、

、、、、、、、、、、、

此の科畢的研究の概念的認識の限界を確認します、と、乙、』に宗赦的鴨拝と蕊術的表現とが此の専門

分科科畢に封して総合的統一の任務を行ひこれを補足すべきことが知らる、塁のであります。

数畢自然科皐的研究も亦宗教的敬慶.と塾術的想像とを伸うて始めて成就せらるLのでありますが.

可宮口q■UETで。。Ⅲj千・頂&‐‐0。■』■

篭p一

F卜r‐●津brnIq10・IPI

、、、、、、

一てれ故に心理蕊的原理及び法則は無内容の原理法則であ瓜ソ、無法則的法則であ膿ソ、法則否定の法則

であります。心理的経過、精川的活動、即ち総牒的人間生活は不可測の開展であkソ、若し人間の認識

、、、、、、、、、、、、、、

思惟によって、これを規定しようとすればそ奴は誤謬であハソ、そZに文化の開展は此の誤謬に基く災

、、、、

、、、、℃、

害を菱るといふ乙とにな藍ソ、天命を畏れよ、といふこ7cをかういふ意味に解すべきであムソます。

蕊術もこれが画民一般に創作鑑賞の機含を典ふるものでなければ、今日の時代に適雁せぬのであり

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、宮、、、、、、、、、、、、、、、、、、あ

ますがb圃民生活と密着して離れ兎圃語によって祁代から綾いて荊永蕗代までも蕊ゆくaごシキシマノ

シキシマノミチの心却畢論理堅六九

ます。

、、、、、、、、、、刃、、、、、、、、、兎、、、、、、、、、

科挙耐宗識、塾術の一一一つの活動範園が釣合をと、ハン均衡を保って進まねばそこに不都合が起るのであ・ハソ

■■一fU国9.■00.0rbp■、0■j0g0Q日日2109188

務であります。 し

きし戎のみち原論六八、、℃、、、、、

ウイルヘルム・ヴントの心理喜一的原理、即ち心的因果の原理は、元とへぱ「創謎的綜合の原理』は

心的要素の結合に於いては結合の結果としてその要素とは異つだ新しい性質を創成する、、といふこと

であります。物的エネルギーの結合は要素の総和であるが、心的エネルギーの結合は方程式を超越し

ますoこれは要素と要素との連絡に於いて、帥浄嬰勢叶晦生倫が生ふいといふこ直でありますo此の

、、、、、

要素間の交通、連絡、即ちその生命としての生成開展の経過に創造的作用があるのであ,ります○

、、、、、、、、

叉『目的分化の法則』は、人間がある一つの動機を選撰して行動をするに及んで、その間にその目

、、、、、、、、、、

的。動機が不可測に分化する、即ち結果は目的・と一致せず、忍はざる結果が起、り、そ奴に韮いて新,し

、、、b、、、、

い動機。行動が分化して行く、即ち心理的原因が結果となって現はるL時は、その動機に於いて溌想

、、、、、、、、、、、、

せられたる範園を超出する、、といふことであ‘ります○Zれは自然科皐的法則が、ある具磯的事賞を一

定の見地から概括的にいひあらはしたものとは異るのであ、,ますo聯理齢伽聯恥俸僻陣鯵停訓獅ひか

りまして、人間の目的。行動は思はざる方向に分化するものである,といふことを気附かぬものに警告

、、、、

、、、、、、、、

するといふ乙、とであ,りますoそれ故に心理畢的法則の適用は入間精祁生活に於ける事賛的論理的誤謬

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

櫛獅、卿諦岬小奉岬遥僑邦鵬といふこてになるので、此の批判、正邪の分別といふ乙、とが粘祁科畢的

研究の任務であり、これが思想改革単術維新でありまして勧暴力革命あらざらしむるための文化的任

、、、、、

母■.“■08.bトー『

『里一一=一

Page 48: 三井甲之『しきしまのみち原論』

連絡まるといふ乙と腿ともに和歌シキシマノミチの任務が君臨的であり.作用が綱擬的でめる乙と淀

■●

直壁したのであります。

TjF品●〆

李も卜#‐

翻劉胤淵一剰剣姻測111111‐11州,11‐Ii1il11j4…i鋤li1l:j●!;ijiII;iII‐11.1

脚ながらの道とシキシマノミチとの関係は契沖の『厚顔妙』序に『道之所レ行二日域毛其大者有し三

駕。日脚道。日儒敬。臼俳教。奇哉跡道。赫々自知只適し性。聖々親行不レ矯レ情。不し説不レ筆。無し字

無し書。後人唯以一一一紳代紀書記一一樽読む充二之綴書一耳。所以本朝別行潟し主。嘗諦惟務。幣吊惟歌。或煮

燕如レ在。或寂塞似レ虚O……或奥レ儒同而興レ怖異O或奥レ焼合而興し儒違。……又有下典二儒沸一太殊者璽

蓋不測無方之獲。俊忽易二前後↓稗至彼知十ノ叡智一磯中哨嘆上之道也。唯営レ窺二端悦一者。特有一一倭歌一

而存。……連二接三道一恰似レ緯者唯倭歌而巳。斯知。倭歌之用。皇突哉。蓮突哉。』とめるのが最も要

領を得て深奥の秘訣を道破してをろのであります。『不測無力之獲俊忽易二前後一』といふのは心的経

過の無常鍵易分化創造に随順する帥ながらの道の不可思縦を識明したものであります。此の心的経過

、、⑪、℃、、、、、、、、、、、、、、

や℃、b、

と生命現象とは『聞レー以知レ十』の叡智を以てしても捕捉することができぬもので、その姑終を窺ひ

、、、、、、、℃、、、、

、、、、、、、、

見るべきものは和歌でめるといふのであります。更に蕊術の綜合性に説き及んで、卿儒悌の一一一道を連.

接する緯即ち縦線の『綴』を連接する横線『緯』であるといふのであります。文武を経緯にたとへま

すが、和歌がシキシマノミチであり.それと同時にそれは武士道軍人精軸としてのマュラヲノミチに

、、、、、、、、、、、

此の和歌はた宮五七五七七の五一音叉は七一音の五句の形式だけで別に六ケしい規則も無いのであムリま

、、、や

すoにざ和歌は『一首一文』であ入りまして、一首中に文の維止があってはならぬのであハソます。若し

一首中に文が絡る時は第五句即ち絡句が終止にならぬやうにして、第五句の最後に絡止形が家るべき

を、その位置を前後した場合はそれでよいのであります。たとへば

梓弓本末たがふ世の中を祁代の道に引きかへしてむ。

大君のまけの戎にまに一筋に仕へまつらむ。命しぬまで、・

玉の緒よ、光たえなぱ人しれず君が.まもりとなら戎しものを。

ごいふ一一一喋資美公の歌のうち第二首は第四句『仕へまつらむ』で絡止形になってをります。これは意

味の上では第五句と前後したもので、『命死ぬまで仕へ戎つらむ』といふ意味であ,ります。しかし『一

、、、、、、

筋に』藍」『仕へまつらむ」との間に他の句を入れますとそこに省察の間隙を生じますから、第四句節

五句が自ら前後になったのであり戎す。これで一首一文であります。

シキシマノミチの心理醗麓理梁

七一

しきしまのみち原論

、、、、、、、、

ミチとしての和歌は、日本人に、とっての諸蕊術の中心をなすのであ,ります。

七○

Page 49: 三井甲之『しきしまのみち原論』

四、跡まつる昔のてぶり

しきしまのみち原論七一一

歎けとて月やは物を思はする。かこちがほなるわがなみだかな・

といふ千載集にある圃位法師の歌は『恩はする』で文が柊止し、また『我がなみだかな』で維止して

をり0-首が二文になってをります◎一首一一文では一首の内容が複雑にな‘り一首を倉得するに間接的

反省を要するやうになり蕊術の直観性を失ふに至るのであります。

、、b、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、.、、、、、、、、、

一首一文の歌を、讃詞する時は途中に休止を置かずに一気に、それ故にゆるやかによみ下すのであ

、、、

、りますO

これが和歌作法及び讃諦の奥義であります。別段に面倒の規則などは無いのであります。心に戦じ

思ふところをそのまLその順序を追うて大脇によめばよいのであります。

本喜中の蕊術的創作,としての長詩には語勢のために文法的正確を顧みずbたとへば用言の絡止形を

以てその連燈形に代用した場合があります。しかし和歌では成るべく文法的規則を破らぬ方がよいの

であります。

土心奮

参膿ソ路の

なみ豚

並木、

みやしろの

こだち

木立、

か毎

・限膿りな塗ご

みそら

御室をかよふ

さざり

いのちの狭霧に

しげ妃

繁枝さしのべ

くも心汀か二ぞ

雲井にぞ向ひて集る

こむら

水群のなかに

しがま

鉱膿ソまし生ます

跡まつる昔のてぶり

そ舌一一

r○F■

.=一- 一 一

Page 50: 三井甲之『しきしまのみち原論』

う垂

つらな膿ソてものは生るぁ、

う這う

宇宙はっPっな膿ソて一つなれば

紳まつる昔のてぶり

畷霜

つかへまつらむと

ちかふことばは

現身をつあむ緋蕊を

うつそみ

あまづた

天偲ひ。かけりてゆけば

ない

わかれて成り出でにしもの

ふたLぴつらなり、

ありし世の

つみつみ

罪ごふ罪はことごとく

ばらき上うし雌

誠α清め失はしめらる。

いか分

れてははてなけれ旅とも

わかあはい毛ら

分れたる間のみ空に

しきしまのみち原臓

みおやみた全

御凱の御霊じ

みおやみた逮

御旭の御霊の

しづま

銭‘り土ふしますひ

ろ全へ

みやしろの慶前膿

。〈ぬか

ひれ伏し、額づ公-

てう

手を拍ち

てあ唾

手を合せ

た返す象

手末のひ冒禽壱を

ことぱ

言の葉のしらべに

かよはしめて

をろがみまつ,り

いのりまつるb

まめやかに

わが芦仕一含み

我大君に

86マニ

七四

七五

Page 51: 三井甲之『しきしまのみち原論』

てんもこふ迄く

・天地の法則、‐‐‐l

か〃

みち

祁ながPっの道により

せいめいげみりせいめい

生命の原理は生命、

こくうせいめい

虚空ょ膿ソ生命を刃心ちきたす。

い基』Lハ、いの

しちやうさだ

覗聡の定むる

じくうこ

時空を超えて

かもしょくせかい

威鯛の世界に

じんたいふんゐき、

人僻の雰園気平ふムソ

ひかりねつ

光と熱とはフセ堅がしめられ、

毎$分ふんゐ各一

地球をつLむ雰園気より

しんにんかつつう茅・れいてんかい

赫人交通の儀濯を展開す、

祭りごとに

ひと人

はめつ土争.り

をろがみいのりて一つにつながる

み幻やみす難せいめいれんらく

御姐より御斎につたはる生命の連絡、

唾いめいし上うどう

生命の衝動

まつや

めじゆんかんじやう

随順の感情

豚えたいしやう

錦依の劉象

せいぬい

生命をさ

参七の名は

たみこ・ろ

雌壁の鮮綱

てんわフおほみことの

天皇の大御言に宣らせたまひて

み民の心につたはb

紳まつる昔のてぶり

一つありて二つなし、

に隆んいし

日本の意志は

えいゑんうちう

永遠の宇宙に

なにぼん

zこの名は『日本』

しきしまのみち原蹟

世いめい

OLふる生命

にぼん

『日本』。

やさけび

の十つの矢叫、

七六・

七七

Page 52: 三井甲之『しきしまのみち原論』

シほみさとL

聖職あずつせ淀まひにし

シほみこ・ろ

大御心をあふぎ.まつるべし、

おほみうた

大御歌く膿ソかへし、くハソかへし、く奥リかへし、をろがみよみ、まつ隅ソて

シほみこ・ろ

大御心をあふぎまつる。へし。(昭和五年)

毛87tザト

瀞、

かみむかし

榊.まつる昔のてぷ膿ソは

かみみすゑにほんでんとう

榊の御商の日本の惇統に,して

かみむかし

『跡まつる昔のてぷハソ蹴るなよゆめ』と

あらひとがみ

現人跡

めいぢてんわう

明治天皇の

奄睡や鑑ろかみ乃電

道速振榊のひらきししきし.まの道により

わす・

これのみぞ、亡心るなよゆめ、L巴

しんけ.うじいうせんたくたいしやう・

信教自由の選揮封象にあらず、

しきしまのみち原麓

おやみた全

み組の霊につらな‐りて

あらゆる茄剛に競れてはつながりb

ひろ

はてなく旗ごりて

うもう

宇宙につたはるo

おほみ雪と

大御一言は

しゆうはげう汀

壱不派の教義にあらず

6日d■■T○々Ⅱ119申I-0QiE7Jfq房。■0G口申001.利司

紳玄つる昔のて募り

七九

七八

Page 53: 三井甲之『しきしまのみち原論』

『日本』ごいふ文字は日本書紀に『脚日本磐余萱天皇カムャマトイハァレヒコノュメラミコト』とあ

り、古事記には『祁倭伊波噛比古命カムャマトイハレヒコノミコト』とあります。Ⅱ本書紀脚功皇后

の濫に新羅王が御親征の兵船を望み見て『吾聞。東有一一脚画一。謂二日本一。亦有二聖王一。謂二天皇一。必

其圃之祁兵也O登可票畢レ兵以距一乎』とあります。

ノノ

アキプ§力ミトアノノシク多面シ〆スヤマトノスュラfコトノオホミコトラマトノタマフ

書紀孝徳天皇の巻に『互勢徳大臣詔し於二高麗使一日。明赫御字日本天皇詔旨

十マト

.・・』とあります。これは外国に封して日本といったので、軍に倭と書いたのを日本と書きかへたのと

は趣が異るのであります。

菖葉集の雌以鴎憾郎が『いざ子どもはや日本遥に大伴の御津の演松待ち懸臥ぬらむ』といふのは

ミツ

『日本遥』をヒノモトヘと訓ませようとする説もありますが、ヤマトペニと訓ませた方がよいでせう

これは『山上臣憶良。在二大唐一時。憶二本郷一作歌』といふ詞書がありまして『ヤマノヘノオミオクラ

ガモロコシーーァリシトキクーーヲシヌピテョメルウタ』と訓ませてあります。

ヒノモトノ

同じく菖葉集総第一二の『詠二不溌山一歌一昔弁短歌』には『日本之山跡圃の鎮めともいます脚

、J{

’東は日出づる方向であり、朝、春等を意味するのでも外国に封して日本といひも天照大御脚が知ら

し給ひしzとが、日本ヒノモトの名の根源であります。

ア〆ツヂタカマノハラアヱノRナカヌシノカ§

古事記のはじめに『天地のはじめの時に、高天原に成りませる祁のみ名は、天之御中主祁』とあり

ます。天

アマは明間アマであり、アメはアマより鞘じたといふのが正しいと恩ひますO此の天空を連絡交

通するものは日上であり光ヒカリであります。光とは『離れてをろ物僻間のエネルギーの博達』ご定

紳まつる昔のてぷJ

八一

書臼。日出壷

あ,りませう。

かも寮ともなれる山かも』とあり、これは『ヒノモトノャマトノクーーノ』とつ宮いて日本をヒ

ノモトと訓ませてありますO

ヤマトを日本と書きしるし、それをヒノモトさ訓むやうになったのでせう。日本といふ文字を用ゐ

たのは日本番紀の出来上った頃即ち養老四年皇紀二一一八○年以前であり,今年より一二一五年以前で

あります。

書紀推古天皇の鑑に『愛天皇聡二唐帝一o其鮮臼。東天皇敬白二西皇帝一』とあります○階書に『其園

臼。日出虚天子。致書日没虚天子』とあるのは、此の『東西』を『日出鹿日没庭』と解したもので

しきしまのみち原論

『日本』マ」いふ名について

八○

Page 54: 三井甲之『しきしまのみち原論』

~、『承し詔必謹』といふ聖垂

マノミチの原理であります。

Wーij

刊|;

アモ

天孫アメーーギシクーーーーギシァマッヒタカヒコホノ一一一一ギノミコ征rが天降膿ソます時、一一一種祁器を賜う

て次マミー、へ

たのであ・ハソます。この時の祁勅は、古事記には、『これの鏡は、もはら我が御魂,こして、吾が御前を

いつくが如く、いつきまつれ』ごあります。

カガャクヵガリ春日カュガ霞カュミ陰カゲ鑑カガミ考カンガフ等を比較考察します、と

むガヤミ

祁カミは輝く身であhソb君キミも此のカミ7と近親的語原から生れたコトバであらうと思はれます。肺

カミ君キミ民タミは祁はカガャクミ君は城身キミ民は手身タミで、民は〈クラク身であムリ診君は

堅固の根基ある身であるかとも思はれます。利くキク、萌すキザュのキは息イキの約ま膿ソてキピな、り

しものでbイキホヒのキホヒとなKソし如く、君はイキミが約きりてキミとな膿ソ.現身を意味するのか

アラヒトカ『にアキッミカミ

γとも思はれます、即ち君キミは現人祁明津御祁を意味するのかとも思はれます○

此の祁勅は日本書紀の一書によれば『輩原千五百秋之瑞穂画。是吾子孫可レ王之地也。獄爾皇孫就

治駕。行突。愛肺之隆。常下典二天域一無上し窮者美』、とゐ,ります○これはトョアシハラノチイホアキノ

ミヅホノクーーハコレアガウミノコノキミタルベキクーーナリョロシクイマシユ〆ミマユキテシラセサキ

クマセァマッヒッギノサ・カェマテ島コトマサーーァメッチトキハマリナカルベシと訓ませてあります。

脚まつる昔のてぶり八一一一

義せられます。

§一、シ

カレ

天孫降臨の祁勅は、古事記には『此の豊葦原の水穂函は汝知らさむ画な通りと一一一一臣、よさし給ふ。故一一一一両よ

.k,ヨ雪卜

さし淀まヘムソしまに,ノー、‐、降喋ソまして知るしめせ』とあ典ります。このコトョサューといふのは言寄ナュ言

寄1の敬語法であ1ります。委任、寄託衝任命するこ〉・」であ,ります。コトムヶコトァゲコトワル等

、、、、コトム雪トム、、、、、、、、、、、、、、、、、

の.mい,(の意味を考へますと、コトムクは言向ク言趣クで、言葉を向けること、今日の畢術思想戦言

、、、、、、、℃、、

論宣惇戦を意味します。↓一トァゲは典言高言揚一一一一戸で論すること、理窟をいふこと、人生槻上のイ

デオロギー一フオリーといふ如き人生獅上の論理主義合理主義理智主義またそれに脈絡する個

人主義物質主義功利主義的迩徳また人生棚であ弧ります。コトワルは正邪善悪を批判することであり、

此の批判に基いて謝絶するZとであh莞ます。ロンドン係約の如きはコトワリ、コトムクルことが炊け

て居ったから失敗したのであります。

、、、、、、、、、、、、、、

このコトョサシタマへ河ノシマーーマニといふ乙7とは、ミコトカシコミ、マヶノマーーマ一一といふと同じ

く、『承し詔必謹』といふ聖徳太子十七催憲法の聖訓に連絡せしめらるべき、、本圃慨の、まだシキシ

しきし喪のみち原論

八一

■12口

.●I’

-ヨニニ4

~戸司I■三■ユ弓三=---=‐E一一

Page 55: 三井甲之『しきしまのみち原論』

。0トョ

アモ

天孫降臨の祁勅に言依さし淀まひしまにまに天降,《ソましました、といふ、此のミコトノリノマーーマニ

天孫一一二ノミコト瞳古事記にある如く『天の磐位を離れ、天発意襲一を押分けて、稜威の道別道

イ〈クラ

ボツチワキヂ

ヒ坐カ

クジブル公ケアモ

別きて天の浮橋にうきじま,n一そ典ソ淀挫して、筑紫の日向の高千穂の久士布流岳に天降,(ソまし』たので

アメノオシヒアメノイハユギカプッチノぷチア〆ノハ琴ユー略

此の時に随ひまつ、hソし天忍日命天津久米命の一一人は、天之石靭頭椎之太刀天之波士弓

一、カゴヤ女ペサ

冥鹿兄矢のやうな武器を取負ひ、取持ち一、手挟み前駆をつかへまつ、雲たのでぁ八ンます。

榊まつる昔のてぷリ八五

しきしまのみち原論八四

忌む蔀ム粥むイム粥くイック祇ふイ〈フはすべてケガレをイミ身も心も清めて榊をまつるこ

とであります。イックはみ、ツキマッルさ連接するので古事記にも『奔祭』をイッキマッルと訓ませて

ありますo今の祁勅のイッキマッレのマッレは敬語マッルの命令形であります。マッル、タテマッル

、といふのも祭るマッルから稗じて敬語となったもので、伽か『や渉寺《渉群』ふい鈴『」与添『禿協無

、、、、、、、、、、、、.、、、

窮』といふZ,とL連結せしめらるLのであh望ます。

祭るマッルと服従ふマッロフーと同じ語原から派生するのであります。祁人交通の祭祁マッリと『君

言臣承』の臣従マッロヒとは、祭祁マッリ政治マッリゴトの祭政一致と聖各に言露の幸はふ我闘の

コトノハノミチによって明かになってをろのでありますo『承認必謹』とLもに『君言臣承』は聖徳

太子十七催憲法の句であります。

天孫降臨の祁勅は古事記では『これの鏡は、もはら我が御魂として誰吾が御前をいつくが如くいつ

ミマシ

きまつれ』に中心がおかれてありますoかくの如く『此の豊杢竿原の水穂図は汝知らさむ画なり』とい

、、、、、可、、、、、、

ふ祁勅は、此の『いつきまつれ』の祭祁の厳命によって結ばれてをろのであり土《す。赤ツキマッレと

ふ祁勅は、此の

いふ厳洲教令は、

ア〆ノ

天之

それらを綜合して乙食

、、、、、、、、、、

がはる』のであります。

わが団は祁のすゑなり祁祭る昔のてぷb忘ろなよゆめ(四三)

といふ明治天皇御製によって上下三千年一すぢに連絡せらるぁのであります。

日本書紀の一書には三種耐器と配侍諸臣とをたまひて『因勅二皇孫一日』として『愛称之隆営輿二天壌一

無し窮考美』とある乙ごは今申した通りであります。しかし番紀の方にもその一書に『是時天照大祁

手持二喪鏡・一○授二天忍穂耳奪一以降し之o堂し猶し流し吾。可三興同レ床共レ殿以潟二爾鏡一○』ともあります。

それらを綜合して乙槌に、祇跡知如金締か師腿ど、榊祁聯職騰修みか跡唾必約紳榊かかかごみが示添

ありますC

Page 56: 三井甲之『しきしまのみち原論』

天照大御祁は此の光照と紹擬さを地上に惇達せさせ絵ふところの『和』の祁にましますのであると

祁室つる昔のてぶり八七

,ii1Ii

一K十雪

かくして皇都を定めたまへることについて古事記には『こ、雪は朝日のた宮さす画、夕日の日照る園

カレノフコツイハネタカアマノヒギ

な,り、故こ‐建蚤ぞいとよきところと詔ムリたまひて、底津石根に、宮柱ふきしアリ、、高天原に氷橡高し膿りて

ましましき』とあります。

ニギハ士0ピノミコ。r

祁武天皇日向よムリ東征して安蕊画謬吉備画、浪速図、河内図より大和画に入,p給ひ、焼速日命は長

慌彦を殺して綿順し給ふぐだ,Dに診『夫長瀧董菓性復恨不し可し教し以二天人之際一。乃殺し之。帥二葉衆一

、、、、、、、、

而綜順駕』と書紀にあ膿ソます。この『天人之際』はキミタミノァヒダと訓ませてあPハツます。今日の日

本に於ける民主主義者また『民政』主義者の如きも『天人之際』を知らぬものであ〃ハンます。

、、、、、、、、、、、

示すのがシキシマノミチであ膿ソます。

われらの『祁』はわれらの『祁先』であります○それは大日本帝画憲法の告文もまた憲法溌布の勅

語にのたまはせ給ひし『●皇耐皇宗の祁露』が、畏くもわれらの瀧拝する祁であります。また『臣民加

先』も天業を『協力輔翼』しま?ソ『和衷協同』し天皇の『画家統治の大権』に臣従しまつること

によって、ひとしく『榊』となるのであ膿ソます。臣道の忠節を誰すことによって臣民も祁となるので

あります。

湊川懐古

あだ波をふせぎし人はみなき川祁となりてぞ世を守るらむ(一一一五)

折にふれて

固の馬いのちをすてしもの、狸ふの魂や鏡にいまうつるらむ(三八)

われらがわれらの生命をその全燈の、無窮の進展に連絡せしめ没入せしむる時に、そのつながりむ

すぴす蚤みゆく道は、賃に『空間』で今?ソ、『天津御室』であ腿ります。

生きむとする意志筋生命の存在は説明を要せぬ基礎的事貸であります。生命の血脈は樽統を棚源し

て、その窮誰するごこるに効われら日本人話大和民族は刺、加祁をあふぐのであります。それは相分

離する『物』を『生命』として連絡する『光』であり、ルか弥附柳態か湾恥診かかが知唖心、壷いい

しきし主のみち原譲

弓矢

弓矢もて祁のをさめしわが国にうまれしをのこ心ゆるぷな(三九)

ノミ

フ農:

一一一歩~評で4‐『ロロ・己

イ二軍一㎡~

Page 57: 三井甲之『しきしまのみち原論』

碑まつる昔のてぶり

7Ⅱ の

しきしまのみち原溌八八

仰がしめられます。『光』の祁にましますと仰ぎまつるのであ,ります。『左の御目を洗ひ給ふ時に成り.

イザナギノEクビ叙マ

ませる脚』であ,ります。伊邪那岐命が『御頚珠の玉の緒もゆらに、取,りゆらかして』これを給ひつL高

ゴド麓

アタノイハ十ド

天原を知らせ,と言依式一し給ひし跡でめ,ります。天石屋戸より出でませる時に『高天原も葦原の中つ園

一一一一ギノt画卜

も自ら照,り明,りき』,とめる紳であり、天孫迩々塞命が此の葦原の中つ画に降臨せられたのであ,ります

イツセノfコトアⅢ.

五瀬命が『吾は日の紳の御子,として日に向ひて戦ふ乙とふさはす』と申されましたのは、日本民族が

此の地上に於いて天津御空に、宇宙に、一定のまた唯一の中心に日の光を仰ぎ、そこに現世②有限生

pやL

命をた野らに無窮生命につなぐことの紳話樽読をそのまL現賃生活に相績することの史的記録であ,り

ます。

折にふれて

天てらす紳のみいつを仰ぐかなひらけゆく世にあふにつけても(三六)

あまてらす脚のさづけしたからこそ動かぬ園のしづめな・りけれ(四三)

寄紳祇

あまてらす脚の御光ありてこそわが日のもとはくもらざ,リけれ(四三)

日本は建国の樽説をそのま』今日に樽へて、それを憲法の像章に昭示せきせ給以、圃燈に基く君臣

関係に規定し、叉国民宗教の憩奔謝象ごしての画旗に、固歌に、詔勅に、御製に不可思議の禰秘を現

資威墨世界に生成展開せしめつシあるのであります。

われらの姐圃日本よ、日本の名よ、日本よ、われらはその名によって、われらの罪障から漉蕨せら

るLのでありますpわれらをして、租圃日本のために、生き、また死なしめよ、ああこれがわれらの

思想bわれらの意志、われらの希望のいたりと瞳まりきはまるところであり、そこにくつろぎやすら

ひ、戦ひを用意し、戦に立ち出づくきユミカであり、フルサトであります。

くもりなき朝日のは光にあまてらす稗のみいつをあふげ圃民(三八)

八九

塾。

■一寺~字、

Page 58: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきしまのみち原論

われら日本幽民にとっては『日本はほろびず』といふ確信は、畏くも明治天皇御製の大御言とし

てそれを拝詞しまして直接にわれらの耳にひ置き心にさとらしめらる易のであります。われらは『日

本はほろびず』ど信ずるとLもに、直ちに『日本』を瞳拝するのであります。畏くも御製の大御言の

まにまにオホキミノミコトカシコミまつり御園に仕へまつるのであります。故に日本の忠義臣道に於

いては『奉公』は『瞳拝』であり、政治は祭祁であります。

此の日本の臣道、それの基く日本の固贈に向って挑戦するのが、マルクュ・レーーン主義としてのソ

ヴィエト聯邦の世界革命意志の内乱煽動赤化陰謀であります。此の赤化侵襲に封しては英米燭悌伊と

もに悉く警戒し防止しつLあったのでありますが、ヴェルサイユ牒約が永久にその拘束力を維持する

乙との困難が生じ、それと季行して国際聯盟の威巌の失墜するごLもに、最近俄露の壁議により、欧

洲に於いては『東方ロカルノ協約』とソヴィエト聯邦の圃際聯盟加入等が意間せられつLあります。

叉欧洲ご米国とも接近しようとして、たとへぱ英国が世界大戦後米圃の協力を期待するためにその外

交方針を規定せしめられたといふ乙とは、いづれにしても欧洲が欧洲意志としてその分派アメリカを

加へて西欧文化の統一的揮融、組織的連繋をはかるといふことでありまして、これは自然不可抗的趨

向であると思ひます。

シキシマノミチと欧米賭圏九一

シキシマノミチは欧米文化と封照強化、補足融合せらるべき東洋文化を現責的に把持する日本の自

立国家生活をコトノハノミチによって客観化して永久化したもの、即ち国家現資生活を個人精榊生活

を通して表現し、個人有限生活を園家無窮生命に連絡したものであります。それ故にシキシマノミチ

は自ら世界人類の文化使命について欧米の文化諸圃家に向って提携協力すべく呼びかけねばならぬの

であります。東西洋文明の交通融合は世界歴史の動向であり世界文化の婦趨であります。

日本が東洋の唯一完成現賞的文化軍位としてその自立を要求し、国際的に属領戦敗園の如き主横の

制限を甘受すべからざることは勿論でありましてや此の自主自立自由の確立と防護との篇めに国家も

画民も建固以来コトァルトキはその全力を傾注して一致協力し率つだのであいます。乙蚤に日本精紳

の不携不屈意志の歴史と理想ごが提示せらる.動のであります。英国のフイッシァ提督は世界大戦に英

図の海軍をして旭固防護の任務を全うせしめた軍人精祁の指導的人格でありましたが、その自偉的記

録の前書きの結語に、英固海軍に就いて憂慮しつLも『しかしながら英国はたじろがず』といふ言葉

を以てこれを結んだのであります。

五、シキシマノミチ,と欧米諸国

九○

巾’cdq印』。

窪一一一口一一・一一一一召

Page 59: 三井甲之『しきしまのみち原論』

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しきしまのみち原臓九二

それら国際的関係が『圃際的』であるごいふことは『国家間」に行はるしといふことに外ならぬの

であ,ります。しかるにソグイエト聯邦の閣燈原理,としてのマルクエ・レーーン主義は概念論理に囚はれ

現成事資から離脱して国際的インタァナショナルであるといふことを反画家的アンチナショナルであ

ると誤解するに至ったのであります。しかしながらソヴィエト聯邦では此の論理的誤謬に立脚して、

他園家に勢してその固燈を鍵革し博統を破壊して他国家内に組織せしめた共産薫を自国の支配下に置

かうとするので資際には自己にとっては国家主義ナショナリズムを,とり劉外思想宣樽戦の言論武器と

してインクァナショナル即アンチナショナルの誤謬思想を以て他画民を昏迷せしめよう‐とするのでめ

、ります。元来ソグイエト聯邦がマルクヱを思想的宗旭と仰ぐといふことは賞際にはマルクュ薫の支配

、、、、、、、、、、、、、

の下にある。といふこロとに外ならぬのでめ・ります。世界現勢に於いて『瀧派支配』の下には圃家は存立

、、、

し得ぬ,といふことは、凋逸がその祇曾民主黛支配の下にヴェルサイユ牒約の鋤鎖によってその自主自

立自由を失ってしまったことによって資鐙せられ、職倉民主薫支配下の凋逸に於いてのみ赤化宣偲が

一時成功したのでありますが、ソヴィエト聯邦はその共産主義の破壊力を前にムッソリーーー氏後にヒ

ットラー氏によって澗伊一一園への便襲から排出せられたのであります。薫派支配の下にあるソグ冷二

卜聯邦自身も亦、黛派支配の下には画家は存立し得ぬことを賞讃する蓮命に立ち至るであ,りませう。

目下ソヴィエト聯邦がその共産薫の組織と共産軍の使掠とを操縦しつLあるのはその系統をひくマル

クス主義とデモクラシイとにかぶれに孫文末派の黛派支配の下にある支那に於いて管ありますが、デ

モクラシイの本山でゐるかに装ってをりました米画も今日では大統領凋裁であり、議曾制度の本家で

あった英園も畢圃一致内閣の形式を固持しつLありますからして、デモクラシィD民主、民本、『民

政』といふことは世界至るところで時代後れとなってをります。欧洲では現妖維持の篇めにソグィェ

、、℃、、

ト聯邦を仲間に引入れようとする策動も現はれてをりますが、協調不侵略b安全保障等の申合せ叉は

、、、、、、、b、、、、、、、、

催約によって自画の軍備を加減するといふことは現賞威墨を有する欧洲政治家の夢想せぬところでゐ

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

りますから各画家間に園防自主椎、軍備平等要求が確保せらるLことが世界李和の客観的基礎となっ

てをるのであります。

日本の封外政策はソグイエト聯邦の赤化侵襲に謝して頑固を防護すろは勿論、隣邦支那に濁しても

、、、、、、

防壁を用意せねばならぬのであります。上述しました如く此の赤化侵襲に封しては先づ園内に於いて

マルクュ主義の思想的近親者としての売春が云李小島か、齢圭『跡塗』お論か一掃を資現せねばなら

ぬのであります。これは上記の凋逸に於ける現代史責が股鑑を示すのであbます。

シキシマノミチと欧米賭園九三

Page 60: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しをしまのみち原鑑.、九四

また園防自主樵p軍備平等要求は自立画家主構の営然の蹄結でありまして、鴎領や戦敗園の如く主

権の制限を甘受すべきでもなく、軍縮曾議に臨んで戦敗園が塘和曾議に引出さるL如き屈辱を受くぺ

くも無いのであります。日本の自立主権に封し、画家威鰻を冒涜する如き増上慢の態度を示す画家が

あるならば、われらは『決死の麗悟』を以て、此の世界人類文化使命に封する死敵を躍滅せねばなら

ぬのであります。此のヤマトグマシヒの決意が紳意に随順するものであるといふこ,と、祁ノマモリに

よってコトァルトキにアラ《ルルといふこ,とに就いて、シキシマノミチ曾の名を以て伊太利首相ムッ

ソリーーー氏に透りました書簡をこLに引用致しますわれらは更に巻蚕幽その他の欧洲諸圃民.とその指導

者とに向ってシキシマノミチの世界文化使命に就いて呼びかけようDと用意してを.ります。

Wiylや

ムッソリーニ首相への書簡

伊太利首相公ツソリーーー閣下

その姐固の矯めにたふれたる霊と交威しつL伊太利と伊太利人との偽めに、画家全鵬の利害は個人の

それに先だつべきを宣説し、叉直ちに之を賞行したる力張き叉崇高なる閣下の人格に劉して敬意を表

することを許容せられたいのであります。

我等の属するシキシマノミチ倉は、明治天皇御製をシキシマノミチの経典とする同信図儲であり

ます。シキシマノミチは日本画民の行くべき道、準擦すべき法則、即ち日本の正しき道徳、正しき宗

教、又それち一切を総撤する蕊術であります。

我等が乙泌に閣下に此の書簡を呈上しようとしますのは、閣下の日本と日本画民と江封する御意見

に接する毎に.閣下が判断するため艇見出さる易料、l即ち手近に見出さる犬物との義ま

た極東よりの諸種の報告及び文書は、恐らくはそれがシキシマノミチとは縁遠いものであると思ふの

であります。何となれば西洋文明との接鯛に於いて劉照頚化、補足完成せらるべき東洋文明の現責的

把持者であり唯一の防護者である日本のシキシマノミチは、戸-マ帝国の理想の再現と世界文化の統

一とを意圏せらる勤欧洲に於ける現代の典型的サ公ラヒたる閣下の更に十分なる理解と更に深き同情

とを見出すべきを信ずるからであります。

日本幽民は必ずしも英雄に指導せられずとも見えざる傭統精禰によって紳ながらに指導せらる秘画

民であります。それ故に東京政府の大臣及び諸代表者は必寺しも大国民を指導すべき資格者でも無く、

随って欧洲にある日本の外交官b記者の大部分はD不幸にして此のシキシマノミチの門外漢でありま

す。彼等はシキシマノミチはマルクヱ・レーラ主義に封する不壊の防壁であるといふことを髄認しま

シキシマジミチと欧米瀦園九五

』し

Page 61: 三井甲之『しきしまのみち原論』

シキシマノミチと欧米賭幽

ちはやぶる耐のまもりによりてこそわが葦原のくにはやすけれ

祁祇

目に見えぬ肺にむかひてはぢざるは人の心のまことなりけり

心』

しきしまの大和心のを聾しさはことある時ぞあらはれにける

折にふれて

いかならむ事にめひてもたわまぬはわがしきしまの大和だましひ

折にふれて

くろがねの的いし人もあるものをつらぬきとほせ大和だましひ

仁徳紀十二年秋七月辛未朔突酉。高麗画貢一一鍾盾織的一。八月庚子朔己酉。饗一一高麗客於一し朝。是日集一一群臣及

イク《

百寮一。令し射二高麗所し献繊盾蹴的一・諸人不し得し通し的。唯的臣距盾人宿頚射一一錘的一通潟。時高麗客等見し之。

長二其射之勝巧一。共起以拝し朝。

しきし戎のみち原鐘九六

泥主張することは重要なる彼等の義務であるといふことを忘れて居ります。リットン報告書すらも支

那赤化の惨状を記述してを.ります。日本とシキシマノミチとしての冥賃の日本精榊とは紳茄天助の下

にマルクユ共産主義を日本と東亜とに於いて防止しようとし・又防止し得べきを信ずるのでめ.ります。

閣下は此の赤化防止に就いて閣下の姐函に於いて駿揮せられたる洞察批判力と決意賞行力とを、欧洲

文明と相互に補足完成せらるべき東洋文明の上に、特にその現資的把持者日本と日本図民との上に樽

向せしめ、日本画民生活に於いて目立にざる証倉階次、生活要素のうちに生成しつぁあるシキシマノ

ミチに濁して閣下の畑眼を注がれむことを進言したいのであります。

シキシマノミチの経典は『明治天皇御集』であります。いまこぁに引用しまつ,ります少数の御製は

極めて拙き逐語的英課に過ぎませぬが、われらの拙き翻課を通してすらも、閣下がそこに人智を超出し

たる宇宙意志と交通する不可思議人間意志の不可測の分化を直観せらるべきを信ずるのであります。

昭和九年二月一日

明治天皇御製

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九七

Page 62: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきしまのみち原霞

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世界大戦後には個隙多数決制民主政治デモクラシィを原則とし、民族自決の概念理論によって、人

篤構想に基き群小国が作成せられたのでありますが、満洲帝圃は全くこれと異り三千蔦民衆の総意は

三千寓個燈意志の総和のみではなく、そこに合成的結果として創造的要素の加はるべきことの商観・

直接郷験に基く心理畢的法則により、乙Lに部分を全髄に、人意を天命に維ぐ宇宙の法則に随α、人

生の原理に順ひ、建国の紳話を現代史賞に密着せしめ、民族移動の先史博説を友邦郡交の信義に連結

したのであります。

人生と国家との生成するまLにその開展に随順するカムナガラノミチの映像は、これを満洲帝圃建

園の事資をその生成の原因、開展の峰件に随順して叙述せられた、康徳元年三月一日の満洲帝閲皇帝

即位詔書に仰ぎまつるのであります。

以テ永固ヲ期ヱペシ』と宣はせ給ひり東亜に於ける満洲図の建国、帝政の確立に就いて、その事賓に

基きその理想を達成すべき意志と方策とを寓圃に向って宣言せられたのであります。

昭和七年一月四日軍人勅諭御下賜五十周年記念日には畏くも特に陸海軍人に勢して勅語を賜はりま

した。同日は全圃各地に公私種々の催しがありまして、シキシマノミチ曾も同日を以て『明治天皇御

製と軍人勅諭』を磯行しまして、出征皇軍鵬士に献げました。

昭和六年九月十八日柳篠溝事件起り、昭和七年一一一月一日満洲園建国、昭和八年三月二十七日画際聯

盟脱退、昭和九年一一一月一日満洲画帝政確立新皇帝御即位になりました。

満洲画皇帝御即位の詔書は、最初に『奉天承蓮ノ皇帝詔シープ臼ク』亡宣はせられてあります。此の

『奉天承蓮」といふ総合概括の抽象語は直ちに具燈的分析事賓によって、その概念内容を充資せしめ

その表象目的を示標せらるLのであります。建圃以来の満洲国内の事情を叙せられまして、その次に

は直ちに『友邦ノ義二仕〆一一頼り』と宣ひ、『能ク自ラ振フコトナカリシ一一、日本帝圃群疑ヲ冒シテ

避ケズ、衆答ヲ犯シテ僻セズ、事〈懸ヲ解クー一等シク、功〈溺ヲ援クルー一同ジ』ご瀧洲国建国の由来

を事賞のまLに正しく叙述せられ更に『有ユル守圃ノ蓮岡ト綾邦ノ長策ト〈営一一日本帝圃ト協力同心

シキシマノミチと満洲国

畷1六、シキシマノミチご満洲画

九八

九九

||鐘

一 二

Page 63: 三井甲之『しきしまのみち原論』

シキシマノミチと満洲国

内外情勢の鍵化に相鵬すべき訂正を加へてこ豊に重版してこれを再び皇軍僻士にさLげ叉圃民総動員

の要求せらるべき重大時機に、姐固同胞とLもに満洲国同胞にさLげようとしてをるのであります。

しきしまのみち原諭一○○

満洲圃皇帝即位詔書は『此言ヲ漁へザルゴト轍日ノ如シ、険力命ヲ替フルコトナヵレ、威以一プ聞知

セシム」ご結ばしめ給うてありま奇o人生と圃家とは分化と合成との法則に従ふのであ,りますが、生

命は宇宙の如く全一慨でありますから、分化合成の連絡闘係は恒久不鍵の根本原則に基くのでありま

す。此の生命連絡の恒久原理不鍵法則は友邦鄭交の信義であ,9、それは生命開展の順序でありまで。

東亜文明は西欧文明ご呼聡して世界文化の矯めに人道理想を資現する篇めには、東亜に東亜文明の

偉統と理想との現責的把持者としての自立画家の自給範園を確定せねばなりません。此の生命の不可

抗要求としての『自立の鱈めの自給』の原則は$日浦雨帝国を連絡せしむる地理的篠件の科皐的認識

と全く一致するのであります。

シキシマノミへチは日本建圃とあもに脚のひらきし道であり脚代ながらの道であります。満洲閲の地

域に東亜の自立の篇めに血を流したる同胞の霊とすべをさめさせ給へる明治天皇によりて祁のひら.

きし道をまたαらかしめられたのが今日のシキシマノミチでありますから、シキシマノミチと満洲閲

とは深い関係があるのであります。

シキシマノミチ含は昭和七年に壁行しました『明治天皇御製と軍人勅諭』に、この二年間に起りし

○ー

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Page 64: 三井甲之『しきしまのみち原論』

b、、、、、

われら日本人は租先から樽へられた諦一侭一曲〈によってヤマトゴコ戸を時空を遡して縦横に伸達

L令

『人生と表現鮭宣言』は三井甲之著『明治天塾御集研究』(昭和一一一年五月蛮行)の序顔として再録せり。

昭和八年十一一月蓑田胸喜氏著『皐術維新原理日本』が騒行せられました。私は大正十二年十二月

『人生と表現牡』の『宣言』を駿表いたしました。その表紙に『われらは旭国謹拝国民宗教の経典と

して「明治天皇御集」を奔諦す。われらは日本には政治革命あるべからずと信じ、まだあるぺからざ

らしむろために、思想肇術維新を資現せむとす』といふ標語を掲げました。此の『思想畢術維新』を

資現せむとすることに於いて志を同じうする蓑田胸喜氏が上記『畢術維新原理日本』を結集著作した

のであり戎す。

それ故に日本人が、その園燈に随順し、ヤマトゴコロをみがく時には、官能・思惟の現賃生活はそ

の戎¥たぜちに解脱・直観の理想生活に樽入する。これは宗教儀照と蕊術表現との合一であって、そ

れはわれら日本人にとっては『行上易ク守り易キ』シキシマノミチ、即ち日本精紳法則である。コト

シキシマノミチ碑究方法寅行綱領褒生擁件’一○一一一

しまた連結した。

天皇を仰ぎまつるのである。

一したのである。乙恥

、、、、、、、、、

の生命の性質である◎

七.シキシマノミチ研究方法責行綱領

草木を見よoすぺての生物を見よ。そこに生きむとする意志のあることを誰が汚み得よう。

われらの姐先は、その生きむとする意志のまにまに、決定的に、この『日本』に、その『画』を統

、、、、、、、、、、、、、、、b、、、

したのである。これがわれら日本人の運命である。われらが『日本人』であるといふ乙とはわれら

かくの如くにしてわれらの建図の樽説は現責の圃燈につながり、億兆の臣民は上御一人の現人抑

私は此の『畢術維新原理日本』に左の如き序文を雷きましに。

しきしまのみち原険

『畢術維新原理日本』序

護生傑件

Page 65: 三井甲之『しきしまのみち原論』

たらちねの親につかへてまめなるが人のまzとの始なりけり(四○)

祁祇 し

きしまのみち原論一○四

パによって連絡せしめらる延精刺の法則は即ちコトパの法則であるoコトパの法則はコトノ〈ノミチ

、、、、、、、・

であ・り、ヤマトゴトパノミチはシキシマノミチである。われら日本画民は日本幽燈に基く、『承し詔必

謹。君則天之。臣則地之。』の聖訓に随順し人の心をつなぐウタの形式によって、跡へのノリト、民へ

のミコトノリを、『帥のひらきし敷島の道』、戎だ『祁代ながらの敷島の道』によ‘りて垂示せさせ齢ひ

し『明治天皇御集』を国民宗教讃諦経典と仰ぎまつるのである。大日本帝国を統治せさせ給以菖世一系

の天津日嗣をつがせ給ひし天皇に蜜しまし、戎たシキシマノミチの紳に戎しましL明治天皇は、

、、℃、、、

われら臣民に『明治天皇御集』をシキシマノミチの経典0として榊ながらに、菖民に平等に下したまう

だのである。

葬陣撫紳壷が地、呼睡騨伽函が率。天と地とが存在するのではなく、天が天地に分るあのである。

、、、、、、、、、、、、、、

君臣父子は掛立するのではなど、D臣子は君父に収容含蓄せらるLのであるo宇宙は天地の集積ではな.

、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、

く、地は天の部分である。全燈0とその雇分個別との正しい見解に基く法則に随順するのが、忠孝の道

、、、

徳原理であ,り、それは戎た人間生活の縄験法則であるo

『克ク忠一一、克ク孝一一』の道徳原理は『億兆心ヲ一一一ジテ世々厭ノ美ヲ済セル〈』どのたまはせたる

、、、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、℃Q、、、、、

ごとくに、わが日本に於いて賞現せられ、その史的事賞は経験法則こして概括せられ圃民常識ごなつ

、、、、、

たのであつ・。

恩へ!われら日本人にとっては、われら日本臣民にとっては、すべての人にその父その母は一人

シキシマノミチ軒究方法賀行綱飯羨生擁件一○五

明治天皇御製

めにみえぬかみの心に通ふこそひごの心のまことなりけれ(四○)

戎めやかにつかふる臣のあればこそわがまつりごとみだれざbけれ(四三)

産みなさぬものなしといふあらがねのつちはこの世の母にぞゐbける(三七)

αさかたの空はへだてもなかjけりつちなる園はきかひめれども(三九)

孝 忠 天

4■.

-や

Page 66: 三井甲之『しきしまのみち原論』

天皇である。

ひとりつむ言の葉草のなかbせぱなにL心をなぐさめてまし(一一一八)

遺徳的規範は宗教的種奔ご合一して、簡明にして『行上易ク守り易キ』『天地ノ公道人倫ノ常経』

はシキシマノミチの経典『明治天皇御集』にその綜合蕊術的表現を仰ぎまつるのである。マゴコロを

あらはすコトパによb人の心の、戎柁人の心と祁の心とのカョフといふことの深旨奥義を思ふべきで

シキシマノミチ碑究方法贋行綱領凌生燦件一○七

生活と生命とは散乱堆積の外的存在ではなく内的創造の統一調和であるOそれ故にわれら日本人は

、、、℃、℃、、℃、、、、、、、、、、b、、

君圃に忠誠を誓ふ時に始めてわれら個人の内心は全宇宙の無窮生命と連絡するのである。しかしなが

ら全宇宙は見えざる世界であり、目に見えぬ榊の心の世界である。此の目に見えぬ脚の心に人の心の

、、、、

通ふ時、紳人交通の貨現せらるL時に、全宇宙の無窮生命、へだて無き久方の空のすが元は、人の心

にうつり、人のコトバによって表現せらるLのである。『表現』とは外在の劉象の映篤では無い。そ

れは榊の心が人の心の鏡にうつりたる祁人交通もまた部分の全瞳に没入する天地瀧融の現貨的理想境

を概念的認識論的構成の形式によって、しかしながらそれにともなふ不可説不可稗のシラペによって

概念的腿談論的解騨によって達せられざるごこるの生命の色調、情意の律動とLもに表現するのでゐ

ろ◎それがシキシマノミチのウタである。

、、、℃、、、、、

シキシマノミチのウタのコトパは集められたるコトパではなく、すでにありしココロをゴトパに解

きほどして示したものである。それ故にコトパの基本形式は億兆臣民より上御一人へ、ではなく、上

しきしまのみち原論

一○六

であるが如くに、われらの仰ぐ太陽は一つであるが如くに、われらの腿する国家はた雷日本のみであ

り、日本をしるしめすは上御一人、現人祁我大君であるo地とは億兆臣民であり、天。とは上御一人

あり、誠三

葉である。

御一人より億兆臣民へ、即ちミコトノリであるoミコトノリを承る億兆臣民の心は上御一人の我大

君の大御心にすでにとさめられてあったのであって、伽か胴齢か嚇帥齢評瀞逢いふふかふかか。をき

められたるココロを再び解きほどしてノリたまふのである。

、、、、℃、、、、、

誇圏か跡榊、瀞匿か允斡符弗俸、伽か心理”勤獅か柵櫛湾帥でかかo此のツナガル心がマゴコロで

あり、誠である。『有し徳者必有し言』といα『徳不シ孤必有し鄭』といふのは此の間の消息にふれた言

明治天皇御製刺

祇刺祁

あにみえぬかみの心に通ふこそひとの心のまことなりけれ(四○)

1Li

Page 67: 三井甲之『しきしまのみち原論』

1 自然科肇的研究と』もにそれを播取すべき精紳科皐的研究に正しい進路を示して西欧文明に綜合的

、、、、、、

批判を加へたウィルヘルム・グントは、生理的心理墨から民族心理蕊へ、それから更に各画民性格翠

へとその研究範園と研究方法とを展開せしめて、その哲畢的綿系に贈験的基礎を奥へbそれを一歩蕊

、、、、、、、、、、

術的表現と宗教的蹄依との現賞意志に近づかしめたのであるo『著者はドイツ人であり、ドイツ畢術

の見地から他聞民の哲翠を批判した』と宣言し、叉『資際個々の科畢も世人が信ずるが如くそれ程に

しきしまのみち原飴一○八

ある。

人と人との心を連絡せしめ、また人の心を鯨の心に交通せしむるものはコトパである。日本のコト

ノハノミチはシキシマノミチであって、それは日本癖護法であり、日本論理翠である。それは日本精

祁文化科畢研究方法でありまた同時に日本精祁文化科畢研究卦象である。シキシマノミチは日本精祁

の研究及び表現でありまた同時に日本精稗の研究及表現の劉象であるOウタを製作すること、それと

研究鑑賞するこせは同時に資現せらるLzとによってのみ、その各別の任務が途行せらるLのである。

シキシマノミチは日本精紳文化科畢の唯一の排外濁占的謝象ではないけれざもその卦象の模範典型で

あり開展史上の中心であり主流である。

画際的のものでは無い』といってをる。活溌なる科畢的交通によって此の圃民的差別は或程度まで鵬、

逐せらるLので、そ奴は同程度では無いとしてもこれは亦造形蕊術にも見らるLのであるが、たぎ詩

、、、、、、、、、、、、、、℃、、

歌はその圃語に密着せしめられてをるからして℃それがその圃民性格を最もよく表現する。また哲翠

は人生槻の表現として、その国民の激化意識を綜合し道徳動向を撮取して圃民精榊に自畳的表現を典

ふるものである、とプントは説いてをろのである。形式論理単概念論理畢に謝する本来の現資的叉は

直接的思想法論理単は日本論理単であ少、日本癖鐙法であらねばならぬ。即ちそれが日本のコトノハ

ノミチ、即ちシキシマノミチである。

此のシキシマノミチは日本の国民性格の精紳科畢的研究であり、同時にその塞術的表現である。

此の日本画民の性格カラクタアは日本国燈に基くものであって、それは日本人としての天命性情で

、、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、

ある。それ故に日本閏儲は日本精祁文化科畢の現賃的基礎であり、『教育ノ淵源』である。故に日本

画慨の自律無きところに日本精卿文化科畢は成立す。へくも無い◎枕心『跡肺』癖即奉粋勤、聯心即か

、、、、、、、、、、、、、、、℃、℃、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、

精跡文化科畢の任務に外ならぬのである。かくの如く文武一致の原則は生命の不可抗要求である。こ

とにシキシマノミチはマュラヲノミチ、モノ、フノミチさ随伴せしめられ、シキシマノミチのヤマト

、、、℃、、、、

ゴコ画は歌にうたひ、戎た義勇奉公の忠節行偽に標示せらるLので多のる。乙建に文武粂備、畢術道徳

シキシマノミチ砺究方法笈行綱領登生俸件一○九

Page 68: 三井甲之『しきしまのみち原論』

、℃、、

コトナシ、州心元渉《矛猟い《、跡祁一群矛か《一歩一五《』‐こあるのは此の意味である。忠孝は『園

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

脳〈綿鵡』いいで『溌瀞ハ淵繍』でか拳o此の忠孝道徳の磯達しなかった西洋諸閏に於いて、叉此の

、、、、、、、、、、、、℃、、℃、

忠孝道徳を遺却した東洋諸固に於いて、そこに始めてマルクュ主義の如塁ご不忠不孝思想、封立闘争、

嫉妬復讐、残忍凌虐思想が反宗教、非人情主裟さして、また偏頗なる祇曾政策的施設、残忍なる祇命

主義的革命として行はれ、それが無政府共産主義革命に過激化せられて人間の鬼畜化が地上に生地獄

師●

吐出・一韻‐ザ‘印。

.。。

しきしまのみち陳砿一一○

も℃、、、、、、、、、

皆示教蕊術線合の日本締刺は、敬育勅語b軍人勅諭の敬令の下に『明治天皇御集』に縄掘せられつ縫戎

元人生そのものL如く複雑分化せしめられむ『菖代もさかゆく国のたから』と大御歌よませ給ひし祁

典『古事記』に照臓せしめ未来永遠無窮の生命を開展せしむるのである。

大日本帝園を統治せさせ給ふ菖世一系の天皇、現人脚にまします我大君の大御言はb畏くも直・

ちにわれら臣民のコトパに移されて、われら臣民の耳にひ瞳きもわれら臣民の心に樽へらるLのであ

る。戎ことに『目に見えぬ人の心のよろこびも聾によりりてぞ聞きしられける』と大御歌よみましまし

、、、、、、、、、℃、、℃、℃、、℃、、℃℃、、℃、む

しごとくも目に見えぬ心の世界、即ちシキシマノミチに於いては、君父臣子の精祁交通が賞現せられ

現人祁我大君の大御心は直ちにまたひとしくわれら臣民のまご狸ろに連絡せしめられ、ZLに佃膿

生活の執着官能偏固理智の罪職生活は旗賊せられ、現世無常の生命、現貨憂患の生活は、憩圃永久の

、、、、℃

生命に没入せしめられ、こ、に『帥のまも‘り』は現しくわれら名も無き民の上にもあふぎまつるので

、、、、、、、

、、、℃、、

ある。『日本は祁団な、り』といふは此の如き事賞の概括であって空想の求索では無いのである。

、、b、、、、、、、、、、、、

教育勅語に『克ク忠二克ク孝二』とのたまはせ給ひたる、此の『忠孝』は、世界文化史上我が大日

、、、、、℃、、、℃、D、℃、℃、、、℃℃、℃℃、

本帝図に於いてのみその最高蕊展階次に達したのである。

、、b、、、、、、、、、℃、

孝遁は祭祁儀識の根源でゐって、孝経に『夫孝徳之本也。教之由所レ生也。』とあ●りも山鹿素行の誠

、、、、、、、、、、℃、、、、、、

、℃℃、

フュヱープル・ド・ク,‐ランジュは『基督教は地方的憩拝の顛覆を完成した』といってとる。支那に於

℃、、、、、、、、、、、、℃、、、、、、

いても今日全くその建函樽説は失はれてをるのであって、加藤繁博士は『詩経に劃も支那全盤に閲する

建国の偲説叉は叙事詩といふやうなものは無いのである』といひ、叉『支那に於いても覗先崇拝は上・

下を通じて盛に行はれ、就中天子は慶大なる陵墓宗廟を善んで、膿かに姐先を祁つだのであるがb併

しそれと民族全盟の政治生活とは無関係である』また『天子の憩先は天子一族の租先であって、固民

主義的革命として行はれ、そ初

を現出するに至ったのである。

居童間に『問云、祭祁ユルトキノ心得、イカガ可仕一一ャ、答云、コレ乃如在ノコトワリナレバ、直チ

ーー旭考ノ跡霞一一相劉ヱルノ心ヲ以ラュペシ、シカラザレ・〈、孝子孝孫ノ資アラズシテ人心相アッマル

シキジマノミチ研究方法資行綱領変生篠件

{。

甲①

‐‐辿砥

Page 69: 三井甲之『しきしまのみち原論』

ロンドン篠約に非日本反固髄デモクラシイの不忠行動の陰鰯をみとめたる直接行動者は『政黛』と

『特権階級』ごに破邪の掛象を求むるイデオロギイに過渡期の思想徴候を示したのである。シキシマノ

ミチは不忠不孝思想としての論理誤謬人情背反デモクラシイ・マルクス主義信奉宣博賞行の個別具燈

例に寓悪の澗根を求めて之を斐除し、皐術維新シキシマノミチ復興によって、最も綜合的のまた最も

容易にして平和的なる、戎た国家の負携を加重する如き危大経費を要せざる方法を選揮すべきことを

鴬局者と全国民とに提言しようとするのでゐる。

世界歴史上の空前の危機、姐国日本にとって個人生死国家興亡の危機に営って不可抗に要求せらる

る億兆一心畢国一致の協力図結を破壊せむとする、論理誤謬人情背反デモクラシイ・マ”クュ主義の

不忠不孝思想!逢勅不遥思想掛治の聖戦に塞加せざるものは這るべくもなく不忠の民とならねばな

らぬのである。われらは旭国守護神霞照鑑の下に、ワレラモロトモ一一マメャカーーワガオホキミーーッカ

シキシマノミチ研究方法蛮行綱領壷生俵件一二一一

滝、1

“↓、一

此の時に『畢術維新原理日本』が著作刊行せらるLのである。此の著作に直接著作衝動を典へたも

のL一つは、シキシマノミチご忠孝道徳とに最も縁の遠い存在、即ち全くその本分を遺忘して更に反

、、、、、、、、、、、

省するここ無き東京京都其他各地帝国大畢法皐部赤化教授の一一一戸論と行動とであることを特筆したいの

である。

しきしまのみち原始f一二号

一般とは関係が無い。随って覗先崇拝ご画家組織ごは殆んざ何の交渉ももたなかったのである。此の

鮎が叉日本の場合とは非常に相違して居るo』と『日支雨国民の差異』を指摘してをろ。..

、、、、、、、、、、、、、

ウィルヘルム・グントは、日本、支那及ローマの租先憩奔を論じつL、東亜文化図民即ち日本及支那

国民の外には此の耐先魁拝が宗教の始源となったものは無い、といふ事変を指摘してをろ。此の澗先

、b、、、、、、℃、

崇拝はトー,ラム時代から英雄及祁々の時代への過渡期に現はれ、やがてそれは人生観を支配する威力

、、℃、

を失ったので、そこで燕督敬の人類全燈に向って呼びかけた図際的世界崇敬が、各画民の建圃樽説を

‐、、、、、

駆逐してしまったのである。こLに個性人格脚ゴットに人間の知識的要求が反映せしめられ、それが

、、、、、、、、、、、、

個燈主義、理知主義、合理主義の欧洲思想主潮ごな、り、その激阜及自然科畢的壁達は白人優越威を支

持する世界支配意志の賞行にあらゆる知的及び物的武器を供給したのであるが、彼等が更に進んで東

洋文明の現資的把持者、即ちわれらの而園日本に、一一一国干渉、華府含議、倫敦篠約bまた固際聯盟決

、、、、、、、、、、℃、、、、、、、℃、℃、、℃℃、、、、、、、、、℃、、、

議等によって、完成せる世界文化軍位東洋文明の現賞的把持者日本の自立主権を漸屑的に脅威せむと

、、、、bb、、、。。。。@、。。。。、℃b、b、、、、bも、、、℃、、、b、、、

するに至って、こLに世界歴史上空前の危機1束西洋文明の衝突の危機が逼迫せむとしっ、ある、

bbb、、、、、、、

それが資に今日であるぐ

Page 70: 三井甲之『しきしまのみち原論』

てこのシキシマノミチ含によってのみひらかる狸もので無いことは申すまでもありません。シキシマ

ノミチは天地の如く限りなくひろまりゆくべきでゐりますが、また微力なる著者等のいとなみによっ

てもひらかれゆくものであります。これが悌激の方で申しますと易行道でありまして、軍人勅諭に『行

ひ易く、守り易し』ご仰せられました『天地の公道、人倫の常経』であります。

それ故にシキシマノミチとこの『シキシマノミチ含』とはた瞳シキシマノミチ資習資行の一例をめ

げるだけの闘係にあるのであります。それ故にこのフキシマノミチ含』についての叙述は『シキシ

マノミチ』についてのそれと鹿別して読んでいた雪きたいのであります。

昭和三年八月田代順一、田代二見、松田頑松、木村卯之、一一一井甲之、・蓑田胸喜、宮田武義、慶瀬哲

士を駿起人ざして『シキシマノミチ含』が組織せられ、趣意雷、宣言綱領、倉則が決定せられました

昭和四年六月私の小論文集『我等は如何にこの凶迩思想を虚置す。へきか』は松田禰松氏がシキシマノ

ミチ倉代表者として編輯し『原理日本冠』から磯行せられ戎した。松田頑松氏は同含創立に際しては

その事業を総轄せられたのであり戎して、こLに同氏起草曾議決定し愛したシキシマノミチ含綱価を

記録します。

シキシマノミチ倉綱領

シ零シマノミチ研究方法蛮行綱緬謹生妹件一一五

以上のまた以下の叙述はまことに微力な著者等のささやかのいとなみに就いてのそれでありまして

それを乙勤に叙述するといふ乙とは、それが画家生活の上に重大の意義を有してをるといふのではあ

りませんoた喧名も無き民のさあやかのいとなみも稗は目もらせ給ふといふ事資を乙易に賃鐙するだ

けのことでありますoかへりみて微力をはぢつ、もみ民のつとめを壷きうといふま心を失はずにつと

めますとbはかなき行篤もさぁやかの事業も、それが重大の意義を有する事資とぁもにそれとひとし

くみ園のいのちにをさめらる動といふ乙さ、それ故にそれが不朽のいのちにつながるといふ乙との責

例として叙述するのであります。叉こぁに筆者はb同志と協力してこの道に進みつぁあるといふzと、

また協力によって始めてシキシマノミチはαらけゆくものであるといふ乙との賃例としてこLに、を

乙がましく、老ふけなき恩をかへりみつL叙述の筆をすLむるのであります。シ零シマノミチは決し

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しをしまのみち原蹟、一一四

へマッリナムと所誓しまつり、紳ながらの大御言のまにまに、赫ながらの大御歌のまにまに、跡まつ

る昔のてぶ・りをときめ、くりりかへしbく、りかへし、ワレラモロトモニマメャカーーワガオホキミニッカ

ヘ言シ,ナ今ト所誓して、いま.こた、鶴自立防護の不断戦備l畢術維新の思想言謹シ雫

シマノミチの前街突難戦出陣の信銃を本番各頁の行間に戚受するのである。(昭和八年八月一一十六日)

璽塗

Page 71: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきしまのみち原蹟一一六・

一、われらはシキシマノミチの経典『明治天皇御集』を痔諭す。

一一、われらは『明治天皇御集』を奔戴し、それ,ハ、の道おのおのL分に従ひて国民的責務に励み、一

旦緩急あらむとき義勇公に奉じまつらむとす。

三、この信を同じくするもの志を一にして互に切碓琢磨し、進んで『明治天皇御集』の全図民的奔諦

シキシマノミチの全園民的資修を期す。(以上)

Wr#0谷■■。P守

以上の事賞の摘録はシキシマノミチ曾成立開展の一斑を明かにしようとするだめであります。

い戎乙Lにシキシマノミチに就いて上記溌起人及び各地の新蕪同志とLもに、此の綱領の資現に微

力をさLげ戎して共同協力研究資修しましたところの要略をこLに一さまとめとしまして、此の道の

、、、、、、、、

目的『明治天皇御集の全国民的拝諦、シキシマノミチの全国民的貿修』のために、此のわれらの私人

、、、、、、、、、、、、℃、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、、、℃、、、、、、

的微力によって成就すべからざる任務の篤めに魔く有力なる助勢を全国同胞各地同志に切願しようと

、、、、、、、、

するのであります。

われら力なく名も無き民は、その微力無名の故に、劉照遥化の心理皐的法則により、紳ながらの道

によって、シキシマノミチにつながらしめられたのであると信せしめらるLのであり弐す。

シキシマノミチ曾は明治四十一年一一月竹の里人正岡子規の和歌革新事業に連絡する根岸短歌愈蕊行

月刊雑誌『アカネ』より『人生と表現』『原理日本』とその樽統を相績して定期刊行機闘雑誌を蕊行

して今日に及んで一一十七年の時日を経過してをb亥すOわれらの若き同志中にはわれらの最初の曾合

よりも後に出生せられた諸君もあり、同志中には既に此世を去って故人となられた人々もあります。

われらは微力を顧みずこの道に進みつL、今や内外時局の急迫は『思想皐術維新』をシキシマノミ

チの『祇誼』的賞行に移さねばならなくなったのであります。われらは刺のマモリを信じます。われ

らはわれらの信念と行動とをマモラセタマフ跡ノココロに榊ナガラに従αまつります。

「和邦者o噸霊垂し統之麓隈。天孫降し恕之上域也o錐三僻逼二束垂一。躍識最塞亮群雅。能遡二華蛇一。故宮有二霞醗一。説凱各従二

共所諺欲邑(契沖・和字正涯妙序e

シキシマノミチ疎究方法箕行綱領凌生擁件

←上

窪i:

Page 72: 三井甲之『しきしまのみち原論』

み民わがをろがみまつる

翻障11筆

●宮も

。’’

まっをかざしみ旗み弓み楯み梓・もろもろの供御をありましL日のごと捧げもち

宮居を

今いでます

しづしづと歩み率るはさきのみかどにつかへまつりしつはもの秘列。

細き月あらはれ松かげうすれて暮れゆく空にみどもしか言やき、みちのべの韓火

みくるまは今

天ひらき

まへをすぎきせ給ふ。

かなしみの楽起り

夜の芝生にもだし立てるわかものよ

さきのみかどは。

つLのひ暫き!

剣とDりつLなめて立つつはものょ

民の心よ

かなしきかな

しきしまのみち原飾

はれたる夜空に

なが心かなしまむ。

みちのべにみてる民らよ

さきのみかどは今うつらせ給ふ。

かなしみみちぬ。

つLのひ瞳きつぎ起り

つ&しめるなが上にきちあれよ。

今しづしづと歩みつかへまつるももちのつかさ人ら、

よるをしめす。

九月十三日 九

月十二

一・

九八

釧典■

Page 73: 三井甲之『しきしまのみち原論』

友よ、はらからよ、

さきのみかどのかむあがりましましLとき

暗やみにわれらまごへりき◎

そのやみのなかに一すぢの

光は無限の時を貫邑

さまよへる

此の世を

すぷべき原理は『日本』なりき。

友らとかくかたりて

さきのみかどのみあととしたひ

腿圏遡拝

しをしまのみち原論

遼きむかしのことそぎてちからあるみ魂よ今よみがへれ、

あLわが心かなしなみだのごはむああ。矢正元年)

圃鵜拝

Page 74: 三井甲之『しきしまのみち原論』

人とふ人の

心を刺戟す。

謝職

しきしまのみち原論

いまのみかどにつかへまつらむと

み民われら心をさだめたりき・

獣洲大戦にはかに起り

見しめつ塾、

大波はきL波に

うちとよう

い照しか壇やかし

その圃々を

ひむがしの画日本に

西の国のありさまを

地岡の厘捌は忽ち動き

日よりもあかるき文化

さ人波は大波に

うつり押し進み

青山とから山なす

全世界の

さながらに

いにしへの

読泣の

今、大正の大御代に、

腿園腿拝

民族移動の悲劇を

記録にのこせし

めさめよ

みちよ、

二一一一

るき文化のともし火

一 一

一一一

』。』L塁

Page 75: 三井甲之『しきしまのみち原論』

I0dq101‐ll0Il‐l‐hI。■0J・80凸ⅡIl00lD01Ⅱ7.0日lⅡ7.710‐Il0l

‐‐‐J1‐1111.9』Ⅱロ-

巧;

水底に饗かする

共鳴の妙香は

.忽ちはやさめ

忽ちあらしと

宇宙の力の

交代動乱I

見ゆる怒涛も

やみに没し

謎も臥曾きも

く蟹もりかくれ.

流れそぁぎ

心を失臥おどろくすべてに

光を示すI

原理『日本』。

誕国睡拝

zとそぎて

力ある

いにしへの

みちよ、めさめよ。

見よ、うねる山脈を、

地卒に隠れて

波に沈み

島とめらはる、

見よ、その海原はてしもなく

波につらなる

波のうねりの

律動は、永久の

生命をさながらに

しきしまのみち原論

五m

王邑 四

Page 76: 三井甲之『しきしまのみち原論』

iI避くぺからざる、また代ふぺからざる

われらの運命l日本の民と生れしことを

まこごにみとむる

と動にわきくる確信の

をぱぽりつろぎ

威力を尾羽張剣にうつして、

打ちてしやまむと、みう北よみせし

いのちを、今よびめさまし

進まむ友よ。

自然をZとむく入の力は

いのちの無窮をわすれて淀はぷる

享楽の人、楽天の民だばかjはかりごと、

それらの上に

氷雨こそ、ぎ

はやらとおそひ

弧幽簸拝.

しきし戎のみち原瞳

やまとのことばに

やまとのいのちを

ともにうにひて

乙動にあつまる

友よ・はらからより

どもに喜び、悲み、泣き、償,り.

行かなむ、友よ、もるともに、

世界に於ける今の日本は

名もなき民のわれらの上に

押しか、れ,,,と威するときに

くしき力ぞわれらにあらむ◎

正確の科畢にみちびく

力はすなはち此の無限の律動、

一一{〈

Page 77: 三井甲之『しきしまのみち原論』

君のポンプのとまりしさきにはよるも休まず繕ひし、

島の見ゆろに曇る日晴るLに喜ぶ友よ、

.;『

けぶりをみとめて歌よむ友よ、

自然に向ってαとしくひらかる。

空しきその場所と時刻との測定。

歌よむ女性よ、

まきひろぐる友らよ・

にうなん

家庭の生活,と柔軟の威鯛とを

港を出でLは港にかへり

南洋に、南米に、西比利亜に、瑞西に、悌蘭西に、

北樺太のみ雪の妄フヘに

子孫をはぐLむ母の心は

くがを鑑りて海原迎へ

また北米に、印度に、北支那より南支那まで、

世界の各地に姐図のいのちを

無限のいのちにつながらしめ

記念をと瞳むるは

進まぱこぁに

怒涛に友は姿を失ひ

あるひはあらしに船は傾き

海外のまた海上の友よ℃

くがを綴ひつL海にはたらく友らよ、

蕊術よ・

永久の生命を

現資化す

しきし寅のみち原論

我を忘れ

減よりわきくる大歓喜は

駆固趨拝

{〈

九八

皇蜂.

Page 78: 三井甲之『しきしまのみち原論』

幽民協力の不等感を

画家祇曾政策に貧現し討

集中と分散と分析と綜合と探究と猫創と個人と祇含と函家と

はてなき海の八重波の同じきうしほにとけ入る如く

小草の葉末にそよぐ微風の

函や

しきし蚕のみち原論

朝鮮に壷また蕊灘に、

内地の画々島々に、

動静と悲哀と燕闘の生活を

永久化すぞの歌とうた人よ、

明治大正の大御代の歌は

蔑葉のそれにもまさり

内に自由の研究起り

海剛日本は海の樵へを今かためよ。

各自のもちばに職務をつくして

つるぎをとりて立淀むと待たむ。

外に秩序の盤ふときに

子孫に僻へ世界に示す。

(ま

上の

外に輝くあだなる形のほろぴむときに

とはにのこらむその歌とうた人よ。

世界的日本のいのちを

滝毎。H切岨j珊川船田。1‐

力もあつめて

人の組縦を無限の自然に

とけ入らしめよ。

一切の差別は

乙Lに浦え

のこる名は淀憧原理『日本』。

i●1,1il‐

祁図禰奔

Page 79: 三井甲之『しきしまのみち原論』

現箕に、

座■

天上の極楽は

…IIIIl‐11空

ふく風の目にもとまらず

こLに戦の無上命令。

疲勢ご休養と

しきしまのみち原論

外に一不さる苫差別を内に

すぶろはやすまずはたら

作業の樺と心のうごきと

挫梗の蕊化と男女の補足と

一切の開展を分てぱこLに勢作の世界、

統ぷれぱこLに国家の威力。

まなZを無心の自然にそLぎ

内心に、

形をあたへよ、うた人よ。

苦痛も悲哀もよる乙ぴも

ともに流れてと暫まらず

まゆく雲の動きてやまず

争闘の生に

組織と秩序と訓練と

膜想の棚念は

平時戦時のけぢめもあらぬ

不断の準備と畳悟と

今うたぱ吉、fシしき

▼ず■けprI函碩西国■両国■一邑君可里型

、1劃11●、!‐‐‐.I…陰園‐‐‐I5側●。i‐I‐111い●.●隅懐…‐側1●‐●Ⅱ

日本の地に

日本のZとは

われらの行ひ

そを内に統ぶる

頑幽鵡奔

九乙とぱに

D一丁トー) ト

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ずはたらく力ぞc

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Page 80: 三井甲之『しきしまのみち原論』

人生マ」表現牡宣言

訂I

われらは諏国飽拝函民宗致の経典として

明治天皇御架を秤瀕す。

われらは日本には政治革命あるべからず

と億じ、またあるぺからざらしむるため

に、思想畢衛維新を資現せむとす。

明治天皇脚あがりましまし延時、われら驚き目さめしめられ、われら圃民のつとめいよいよ遮しと

気づかしめられたのである。大正三年世界大戦はじまり、同じき年の劉澗宣戦は戦争開展に於ける世

界勢力開係を支配する重要像件を決定し、大正八年ヴェルサイユ季和篠約成りて、技術武器中心の戦

争は思想言論中心の戦争によって延長補足せられ、大正十年皇太子殿下碕政に任せら奴させ給ひ、

同じき年ワシントン曾議開かれ心画際思想戦はその維結に導かれ、諸圃の主権に閥係する重大の軍備

制限催約成り、大正十一一年九月一日東京を中心として、大震災につぐに大火災をもってして、その破

壊の威力世界を驚かし、その惨状世界大戦々場のそれに比較せられ、乙Lに破滅没落より創造革新へ・

の復興原理を求め、国民思想の趨向を反省せしめられしが、かしこくも同じき年十一月十日圃民精榊

人生と表現社宣言一一一一五

しきしまのみち原溌

圃民宗激原理『日本』。

ああ●日本トー、

五官と思想との現貸的封象日本よ・

ああ、岨圃日本よ・

われらは澗圃日本を謡拝す。(大正七拶

o一■『ⅢⅢn画●N01lIIIil川1Ⅲ010.1liW1II10I1‘州,噸!‐叩●I‐●‐報し勺・‘、‐ず’1弧‐卜‐・I4j1h.r隅隅1.咽.”j唯剰。Ⅷ…州州‐いIい州.Ⅲ.●017..Ⅷ11!;.●11‘1,1,

‐I抄I

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三三

IlLl

Page 81: 三井甲之『しきしまのみち原論』

をわすれ、またそをすべをさめきせ給ひし、明治天皇の大御心をしぬぴまつるべきことをわすれ.

おごり淀かぶりさまよひたりしあとのみであった。国民生活の表面に浮きあがりはびこりたりしもの

は、われらの分析の劉象でゐって婦依の劉象ではなかったのである。このごとき世のさまにいきごほ

るしき心といだきてひそみもだえつぁありし人々は、もるともにいま立ちいづくき時である。

われらは旭園日本を龍拝し『明治天皇御集』を拝調しまつりてすLまむとするのである。唯一生命

のゆくべき一すぢのみちをゆき、全図民にとっての同じき旭園日本をまもりて進まむとするのである。

世界のいたりとぎまるところにはたらかむとするわれらはらからの生命の血脈姐園日本を、われらは

ともにまもりて進まむとするのである。

われらの個鵠生活は全髄線合生活の分析により生れたるものにして、孤立して完成せられたる個燈

生活はあることなく、まことにあるものは断ちがたく分ちがたき圏膿綜合生活である。しかしながら

分つくき世界もなく、限るべき時代もなくはてなく流韓する全宇宙は『自然』であって『人生』では

ない・全髄を厘分し、厘分を全魁につながらしめ、分析と綜合とによって主客とわかち過現未をかぎ

るとき、こLに生死意欲の人間生活が無心放在の自然現象より開展するのである。これまことに人間

精紳開展の法則にして、個人生死国家興亡は人類生活の運命である。

人生と表現融宣言一一一一七

しきしまのみち原薗一一一一六

振作の詔書とくださせ給うたのである。

われら明治の御代にはぐくまれ大正の御代に国民の責務を分確するもの、如何なる精紳原理及び忠

想信仰によって各個人及び全画民生活をみちびくべきか。われらは信ず、われらはわれらの旭幽日本

を麓拝すべしと。われらは信ず、旭園日本の精励はかしこくも0明治天皇の大御心にすべをさめし

められたbと。われらは信ず、明治天皇の大御心は『明治天皇御集』に表現せさせられた,りりと。か

しこくもわれら日本国民は『明治天皇御集』を奔諦しつh、明治天皇の大御言をさなからにいたぜ

き戎つるのである。

申すもかし乙かれども、明治天皇はたふとき大御身に塾しまして、姐園日本のために大御身をさ

さげつくさせ給ひて脚あがりましましたのである。また組閣日本のためにその身をさぁげた,りしもの

のま心はみな、明治天皇の大御心にすべをさめしめられたのである。われらは『明治天皇御集』を

奔諦しつ動かくのごとしとしぬぴまつるのである。

明治天皇跡あが,りましましてよりこのかた、画家制度湿曾組織の重要なる地位をしめし人々の公共

生活に封する道徳b歴史偲統に封する宗教、科皐研究を指導する哲肇、資人生を表現する蕊術は0悲

むくし、そのいちじるしきものL多くは、租圃日本のためにその身をさ、げた,りし人々をしぬぷこと

L小J酌一門叩榊PR

Page 82: 三井甲之『しきしまのみち原論』

●●

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あり『永久生命』であり『信順意志』である。そは姐国日本を防護せむとする賞行意志であり、『日

・本は滅びず』と信ずる一向専念の信仰である。

自給自足のための民族図鵠の力皐的統一と自立自主防護のための軍備とはヒュマーーティの要求であ

り、排外侵略の随意選鐸行鴛ではない。自立自主の狸国欺の減少は、交通を篠件とする文化開展の、

またヒュマニライヘの開展の不可抗的法則である。東洋文明の現資的威力としての相績開展は朝鮮豊

潤とふくむ日本及びアジア大陸の交通連絡補足協同を要求する。東洋文明の現資的威力としての開展

は世界人類文明にとっての絶劉的必要である。それ故に東洋に於ける日本がその自立を防護すること

は世界人類文明のために負ふべき最小限度の責務であり、人間生活開展の法則に随順することであり

ま淀それ故にそれは世界各民族各国家によってその正しき理由を承認せらるべきである。人類文明は

交通によって開展し、交通は劉照的要素の謹化補足によりて新生命を創造するのである。世界各民族

各国家はその国民経済生活に於いて密通の闘聯を有するのみではなく、その綴涜生活を擬取統一する

ところの全圃民精紳生活に於いても密通の関聯を有するのである。東西洋文明の連帯開係を確龍すべ

きことをわれらがこLに世界各画民に向って要求せむとするのはこの故である。

きけ、長き間の日本の同盟圃托りしところの、またつねに東西に呼臓すぺき西方島園民の『プリト

、人生と表現謎宣言一一一一九

しきしまのみち原論一三八

Zの法則は事寅に開展して、こLに一定の傭統によ‐り、一定の土地に、一定の国語をはなしつL、

一定の民族幽髄をかたちづく.り・自足自立の統一的趨向を有する人間生活理想ヒュマーーライに向って

進むところの圃家生活の諸形態が派生せしめらるLのである。かくのごとくにして乙堅に自然現象と

人間文化とを分つ基準心一切の人生債値批判の基準、全燈綜合生活の現賞的屋分限界が生成しつLあ

るのである.lわれら腰とってばその限界はこれをいづくに求むく書か、そ職家族、地方塁ま

た同信図髄にあらず、しかしながら宇宙、世界人類、圃際凹髄また東亜たるべくもあらず、まことに

世界文化史上のまだ世界現勢に於ける日本は日本民族幽儲であり、東洋文明の博統及び理想の現資

的把持者としての自立画家でありやまた劉照補足せらるべき東西洋文明の集中地黙である。われらの

姐閥日本は、その分派としてのアメリカをふくむヨウロッパ文化軍位と卦立するところの、アジア文

化の現資的縄掘把持者としての自立画家である。覗画日本はすでに確立せられたる世界文化単位であ

り、全ヨゥロッパ統一の過程にある諸画家とば異りたる開展階次にあるものであって、普遍的概念と

しての圃家ではなく、まことにはたぎ『H本』とのみよぶべきである。故にわれらH本圃民にとって

は『日本』は『世界」であり『人生』である。『日本』はわれらの内心にいくろところの『宇宙』で

た同信図髄にあらず、し《

そはた増『日本』である。

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川‐脈‐、肥剛0-0か.・・,‐.‐‐‘.i↑川hM。J》1叩刈咽州Ⅲ川河川『

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謹,P・企出宮

Page 83: 三井甲之『しきしまのみち原論』

●・

しきし・まのみち原験一四○

ンはゆめ、ゆめ奴隷とはならじ』とうたひつ、聾、見よ、世界の海波を世界交通路を支配せむとしつ・迅室

あるを。また見よ.、その分派アメリカはアメリカ主義によってその移民を選捧同化しつぁその画民的

統一を完成してその母圃に雁行せむとしつ軽あろを。われらは東方の海上に、民族の郷土アジア大陸

をのぞみっ、●』-,朝日をしめす固放のもとに、姐圃日本の自立のために、『かたしとて思ひたゆまず』

生死興亡の無常獲易原理のさらにそこに遡源すべきところの『日本は滅びず』とふ不可思議の信を資

現せむとするのである。

事資として、.画家の自由濁立自治主椛の失はれむとしつLある今のドイツの惨肢殆みつめよ。画民

文化の中堅としての中流階級とらもに、圃民教化諸機関の衰頼没落しつ9.連ある永績悲劇のいたましさ

をか噴みとせよ。祇曾主義理論に於ける圃家概念と史的事寅としての固家との混同よ29起,《ソし誤謬論

理の人生資験としても此の世ながらの地織の責苦になやむところのドイツ国民生活のいたましさをか

がみとせよ。

ロシャ最近の革命は地上天国の現出にはあらずして.軍に共産主義者政椴護得の政鍵であった。彼

等の政権獲得思想宣博戦の武器は、マルクュの窮極議定の歴史哲畢と概念構岡の癖誇法とであって、

生命の不可思議創造と文化の不断開展とは黛派支配の椛略によって阻砺せられたのである。しかしな

がらかれらは今人間心理の不可抗的法則と圃民生活事賞の制約とのもとにその共産主義理論を矯正し

またインタアナショナル世界革命の名義によって宣樽せられにろ統一意志と支配計登とに軍備的形式

と戦略的組織とどめたへてその国民生活速度をはやめむとし、ドイツに於いても一九一八年の革命は

た管無確信の政黛首領践雇のメロドラマなりしことを反省し、まことの民衆本能革命は一九一四年の

開戦と軽もに、固民総動員として適法にまた軍事的形式に於いて行はれたりしことをさとり、フラン

スに於いてもまたイタリアに於いても理智主義より生れたる画家敵覗の碓含主義理論はすでにその人

生試聴を総りて事賞感蝿と圃家思想とは偲統精祁によって統一せられ、いま全世界はま乙との宗教的

潅奔の掛象を人生そのものに見いだし救済者を外に求めずして、解脱を内心に求め、人生の理想を同

胞の内的半等威に求めむとしっLあるのである。

しかるに最近の日本に於いて画家生活の事賞と意義とを知らず、国家威厳の保持と遡園防護の用意

とをわする勘乙とを誇りとして、大皐と新聞雑誌とに巣くへるすべての偽新思想償進歩思想の宣樽者

は、かれら自身、自立国民生活の慶大恩穂をかうぷりつL、そは資に租図日本自立のためにその身を

さぁげたりし同胞の霊の威力の冥加によるものな§」とをわすれ思想上の後進園ドイツ、ロシヤの奮

式哲畢をまなばむとするところの忘恩の、またそれ故に無自畳のともがらである。かれらは個瞭概念

人生と表現鮭宣言一四一

Page 84: 三井甲之『しきしまのみち原論』

(大正十一一年十一月八日起草、同年十一一月一一日同人醗究決定、同年十一一月八日完成艇稿)

1善導の綱領を示し、また民力涌養を標椿して各種修養訓練の公共図鯉を組織し、さらにこれを普通選

緊、牡倉政策を始めとして、国防教育交通産業の各方面また一・般行政財政の賃行政策の細目に分析す

といへどもbそれら主競政策を団民精祁原理のもとに統一して生命化し綜合して活動せしむるために

国民潅奔の劉象をさだめ、讃諦の経典をえらぱざれぱつひにそれらは概念と名義との轄換、形式と制

度との改正たるにと雪まり、国民現資生活内容の充賓、圃民精紳生活内容の緊張は期待せらるべくも

ないのである。

故にわれらは信ず、全国民はいまひとしく『耐圃日本』を職拝し、『明治天皇御集』を拝師しまつ

るべしと。これま乙とに、明治天皇の大きみめぐみのもとに生けるわれら国民のかなしきねがひな

りと、われらはこLにこの信を告白宣言せむとするのであるっ

しきLまのみち原識一四一一

にとらはれて固家生活の事貿を知らず、卒和概念にとらはれて澗画防護の用意を恩はず、さらに理論

と概念とを舷惑武器とする外国の宣偲に内塵して国民精諏を混乱せしめたる、個我執着理論偏重の近

代的迷信者である。また闘家制度吐含組織の重要なる地位をしめつL、奉公の忠義をわすれて個我の

名利とめあてとし、旭圃の恩徳に報ゆることを思はずして黛派支配閥族専横の難心をたくましくした

,りしものらは、国民思想を批判指導するちからもなくbかれらはともにひとしく、国家無窮の生命Dと

固家現賞の威嬢とを防誰することをおこに,9つぁ、眼前の効果と一時の享楽とに夢みつLあったので

ある。この怠慢と無用意とは震災につ噴く火災によって幾菖同胞の生命を破滅の劫火に投じ、極限の

苦痛に悲泣せしめたのである。震災火災に謝する帝都の無防備は敵の襲盤に謝する帝都の無防備であ

り.震災火災の悲惨なる賞情は.享楽的半和主義者忘恩的非国家主義渚の残虐性のための犠牲である。

この圃家的不幸に封する責任を負ふべきは、直接救援の任務にあたれる営局者のみではなく、最近十

数年間の弛緩したる全圃民生活そのものb殊にその指導者としての歴代の内閣である。今は全国民を

こぞ,りて圃家的重大災害と幾寓同胞遭難の不幸とをまねきだ,りし罪悪の深重なるを恩ひ五髄を地に投

じて繊怖すべきでめる。

串」の岡民締祁の趨向を反省して、これを思想悪化の名義によって概括しPその卦立概念として思想

人生と表現赴寅言

I‐111ilIIlIi

‐l‐I11,一

Page 85: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきしまのみち原麓

『牧入の途絶えたり・で:…・』と

此の一言はぼくのあたまへしみついてをる・

手術後の疲勢したそのからだにも負けじ魂がやどってをつた彼は

絶望的不擬生から

急死してしまった。

これは日本農村に於いて

共産主義宣偲資行の

放任せられて澗漫し深刻化した

小作争議の生んだ

悲劇の一つである。

友よ、これはぼくの郷士生活交際範園に起った事責のうちの一つである。

午前二時ごろには

きまって眼がさめて眠られな

床をならべて

すやノ、と眠ってをる

わが子らよ、

境遇の鍵革

生活の不安が

それを直威しまた推理する

癖土遁放

迫ってをる、

あだLかに眠ってを一

わがをさなき子らよ、

汝らの上にも

いま、その枕もとまで

し、、

かに眠つてをる

郷土追放

一西四

一四五

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Page 86: 三井甲之『しきしまのみち原論』

いま日本の農村においては

共産主義の

嫉妬復儲感情と

掠奪凌虐意志とは

批判なき知識、糖帥なき教育、信仰なき訓練とLもに

そを、すなはち共産主義を、農村青年の常識たらしめようとしつLある。

郷土追放一四七

’‐‐1111‐‐111伽‐い脚I‐Ihl伽緋‐呼山‐‐Ⅷ‐伽,Ⅱ叩‐鵬・弥川,ⅢI111II11洲1蝋11‐別1川J,い,1川州1ⅧiⅡ川斑川測柵Ⅷ川剛州州川仙#い州Ⅶ洲榔剛剛闘伽判協

『うらなげき』『なげきこひのみ』

さけびいのりし・

みおやのことばは

記紀寓葉に

みちみちてをつたのをb

ふるさとをのぞむが如く

いまかへりみしめらるぁのである。

しきしまのみち原砿

わが心を

友よ、くみとりたまへ。

断腸の恩,とは

かくのごときか。

ぼくの心はた瞳ちに

旭先の思想生活につながらしめらろL、

なげ〃、といふ日本語よ、

ま乙とその言葉のごとく

わがつく息は長く、

われらの遡先の

かなしくを、しき

移動悲痛生活を

いまわが身に

燈一職せむとするのであるか。

●●

四六

1111

;‐IIiii

。1.‐‐it1膳。‐.”

;1…;I‐・li‐‐1・‐1141‐!

塁1凸

Page 87: 三井甲之『しきしまのみち原論』

地主、地主曾長、地主小作協調含委員、瞬下郡下の地主有志倉の倉員役員、また地方新

郷土追放

一四九

しをしまのみち原論一四八

事資探究と論理批判との一致して通説となってをろが如くに、共産主義は無政府

主義に連絡せしめらるL、風俗の無政府主義的領麿は画民思想生活の無批判の

表徴である。

いまぼくは此の農村赤化の中心地に

十数人の家族生活の『家の柱」となり

『かりそめの事に心をうごかすな』‐とふ

たふとき大御言葉ををろがみあふぎいた雷きまつ,りつ易も、

農村赤化の現状は

か‐9そめのことにあらずと

心をさだ必

生死の戦にそなふくく、

み画のために

この身をさ堅げ

み閲のいしずゑを

ゆろがさむとする

誤謬偏碕分裂.破壊思想と

そを侵入せしむくきすき間あらしむる

不正政治と

戦はむと決心したのである。

自作農創設の姑息弼縫政策を利用して

全固民の負播による低利資金と補給金とをふところにして衰微しつ史ある郷士

を荒腰するにまかせて農村を、賢しく立退かうごするために醜い運動までもす

るものらをまなぶべくもなく、

ぼくは全心身を名も無き民らの辛勢生活に没入せしめて、水路と耕地と、役場と悪

廃と、それらの間に奔走した最近の六七年間

一般職含主義から共産主義に進展して来た小作争議のひろがって来たのは此の

六七年間であった。

111 蝿

Page 88: 三井甲之『しきしまのみち原論』

しきしまのみちに資現し、

マルクユ・レーーン主義としての

祇含・共産・無政府主義を、

わが租圃日本の

またしきしまのみちの

敵として

戦はむと、

かし乙かれども

『明治》天皇御集』を

をろがみよみいた瞳きまつりb

いくたびか

たふれむとしつ§

出口幽孤臓慨0Ⅲ仙淵・駒ⅡⅢⅣⅡいⅡⅡ恥犯邸服ら制恥牌冊rMu〃1冊ⅡHⅡ

しきしまのみち原鋳一五○霊

聞の寄稿家といふやうな役目の下に、

寺院本堂紳祇拝殿公共含館村役場新聞紙上等で、また個人の折衝において、

此の祇曾共産主義と思想戦を戦ひつL、

いままさに没落せむとしつLある農村中流階級の残塁を死守して、有億の耕作識

勢者をして農村中堅文化支持者の位置に進ましめ、

無総遊惰優柔不断の地主階級の反省と奮起とを促しつつ、

腐敗選畢と不正政治とにもとづく

全圃民生活の弛緩と堕落とを救ふくく、

されど聖者義人をもって自任すべくもなく、

罪悪深重煩惜織盛の

現賞人間性に随順しつL

沈営朔画日本と日本精赫とを

鰻拝信仰して

これを

》却柵柵”‐11柵偽上唯珊則竹j乳

友らの謎に

郷土追蚊

よびかくる

五一

Page 89: 三井甲之『しきしまのみち原論』

友よ℃

『:

人類の故郷

わが家族の郷士

甲斐幽長塚を

ぼくは去りうぺく決心し用意しつ、ある、

郷士と耐固との淀めに

また

忠義の民となりて

泥ふるとも

わが信を

姐圃と郷士とにつなぐべく。

郷土のために

五十年の一生をさLげつくした老いたる父も

ぼくの此の決意をうなづいたのである、

郷土追放.

し、

まよみがへり

戦ひす堅み

、末りにし逼

人類原始生活の跡をもと喧むる

旭先以来何百年か

拍川川佃Ⅲ叩Ⅱ咽⑪川叫叫Ⅱ‐b●19‐h旧I咽・Olq‐‐4’’’’心U州0川0吋川‐MMI7I‐もⅧ,’タマ‐●‐I0q0Ⅲ‐‐トー‐Ⅱ,‐帥0↓Jが創川‐い,‐Ⅷ‐9%‐‐桐‐‐。、,‐66,’仰叩巾卯削‐h一岨汎加、↑州が‐‐↓・知l哩乱○一・?‐小0q●‐

いまぼくは

策戦第三期に入ったのである。

筆とりて戦びし前後通じての二十年

筆をとるとLもに政治献含的活動において

戦ひ淀りし最近の十年よ。

しきし裏のみち原砿

し過去よ、

Page 90: 三井甲之『しきしまのみち原論』

友らと労もに

。『

土地無償没牧の宣博策戦からたEちにその多衆図結威力による涯制的賃行と、中

央地方行政司法官憲の放任と、そこに起りつ為ある掠奪凌虐行偽は、

被害者に永久の怨恨を刻印するであらう。その怨恨のいやはての目的はいづく

幼い子らは

もとより妻も子らも、また。

母にうつたへたといふ。

畢校をうつる乙・との心配一一一一一翫一

ぼくの家族生活の間に起りつぁある生活動揺の波はきはめて小さいものである

周園の農村に起りつしある生活の悲劇は、それをつたへるには、その悲劇に表現を

めたふるには、シエクュピァを地下よりよびおこさねばならぬのである。

その小さい胸から

少数民族凌虐中流階級没落の報道はドイツ新聞でよんでをつたが、

されど友よ、

それがいまぼくの身遥に起・・りつあめる。

この話をきLしって

友よ、

おのづから彼らの耳に入る

問題はあまりに重大である。I

しかしながら友よ、

ぼくは

今ロ・lP1‐

010’偵伽18

刺のまもりを信ずる。

友よ、

以上は

日本はほろびずと信じ

ぼくの心のうちの

一》、●●●●

●■■巳

しきしまのみち原険

郷土追放

bO

トーfh

仇r小鼎仏捗見叱I州柚咽月ⅣⅡ州仙Ⅱ閉Ⅱu祁仙ⅧrIjl山別Ⅲ●閥L価知仰Ar14.41N

;11か鯉

五四

一五五

D●

Page 91: 三井甲之『しきしまのみち原論』

ふたあび筆をとり

職儀をもわすれたる

無一音をもゆるしたま

戦の通信は

詩作のほのほを

鮎火しつ室ある、

次なる戦に向はむとする

ぼくのために

ぼくのたましひに

われらの詩は

血をもって書かる

思想戦備の識告は

すでに戦ひである、

『しきしまのみち』は

乙腿に寅現せらる団

あだふるのである、

さいはαに心やすかれ。

戦に臨んでも

ぼくにおちつきを

家族牡曾画家生活事変と結合して

表現したまで営める。

友よ、

われらの信は

し§

股々たる撫

土追放

いま筆をおいて

しをしまのみち原麓

元司かひの律動を

。①●

l‐l‐‐,-11‐!‘1111‘11,1‐,.,‐1‐111■DII19℃FIII011b41oQllIllllI1I1q‐・OL●111,00,010‘‐。D‐8口o▽』IILム、.固い・・伽叩’,Ⅲ川口1,利ⅡC▽、淵怜川堀11

1画●

であらう。

へ、

一五七

IIi

』!』1

Page 92: 三井甲之『しきしまのみち原論』

くれたけよ上ザみや

呉竹の代々木の宮にまうでまつれば

主つみづえ垂ら

松は端枝をみ室にかざし、

あみ仰

ぎまつれば

みあらか

御殿は

ひきかたあめ

久方の天につらなる。

あめ天

に韮黍す

みた座

御霊は

たみ

み民と

みそなはすらむ。

たみ

み民Pbの

みも

ゆくべき道を

みそなはすらむ。

明治稗寓参拝

瀞顧i‐I;……J……;…ili1iiIIi‐iI1IIIli季i一‐坐

しきしまのみち原険

軍楽の

ひ噌費』よ、

耳かたむくれば

友らの謎は

天地に浦つるに.

ふる里を失ひ

郷士を追放せられても

鶴・りゆくくし

租圃の胸に、

錦・りゆくくし

租園の胸に、

旭圃のいのちの

ほろびざるを

信ずるわれらは。(昭和一一年)

一五九

明治紳宮参拝

●■OI8IIⅡⅡOII717901■■111,b■1.00l010rIⅡ■pqjr9I凸0101190J‐Ⅱ010101■!■■▽■1111ⅡIFⅡri16l0jIrli.・01‐91ⅡlIl11l0l00jl92I0・Il

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一五八

Page 93: 三井甲之『しきしまのみち原論』

むら汀も

村肝の

ひきかた

なつかしきかなb

くさ盆くらたびゆひと

草枕族行く人の

ふるさと

故郷をのぞむが一

われをわすれて

をろがみまつる。

久方の

hあ天

につらなる

おぼみや

大宮の

あを唾つ垂ら

青松のかざすみ空に

ひさかたあめ

久方の天につらなる

みあらか

上上苛みや.

代々木の宮の

御殿を

をろがみまつる。

まめやかに

おほ金み

わが大君に

まめやかに

まかりいでつあ

ひろまへ

慶前に

ひへり啄

蹄路に

かへりり

つかへ

ひろ塗へ

慶前を

ひれふしをろがみ・

われらもろともに

まもらせたまはむ。

こしろ

心のゆノ●、へ

たみ

み民参りは

bみすれば、

明治禰宮参拝

しきしまのみち原瞳

まつらむとちかひまつりて

る。

ごとく

けぜ90■Ⅳr凸P曲り

一一〈一

辱蕊

Page 94: 三井甲之『しきしまのみち原論』

たみ

み民らのつとめつくして・

あめつち

天地のあらむかぎkソは

●■ゆ

久方の天にまします

み藤の御難に。(昭和七患

ちかひまつらむ

ひさかたあめ

つかへ

営仕むみ

大君の

まめやかに

み上弓か

御代の柴えをや

まと》一とぼ

しきしまの大和言葉に

わが釦は含み

我大君につかへむと

乳Irif;

いの所

喋りまつ膿ソて

皇室に閲して記戦しまつるに就きましては、印刷に常りまして樫頭、閲字等また、行末に記載しまつることを避

くべきこと等に就きましては、少くも印刷字数と同じ字数の原稿用紙を用意致すぺきでありましたが、それらの獣

に不用意もあり、また印刷緩裁の統一といふとともありまして、世間一般の形式をそのま上心ならずも踏襲致しま

した箇所もあります。

はしがきに記しもらしたことを一一つ一一一つ附記いたします。印刷出版を急ぎましたので先鐙同志の御激示をあふぐ

いとまがなかったのでありまして、出版の上御検閲をお願ひして御助言をいた堂き訂正補足したいと志してをりま

す。こ上にはまづ先輩から御注意をいた瞳きしこと、また著者としましても考慮しつ上も未決定のまLに致してお

きましたこと、又溌者が誤解せらる上とともあるべしと思ふ獣等に就きまして記します。

史上の人物に閲しては・現存人物との闘係に於いて記載する場合の外は、すべて敬榊を用ゐませんでした。『楠

木正成』と敬稲を用ゐずに記載しますと同じく『山鹿素行』『本居宣長」と記戦致しました。しかしこれも前後の

文脈から規定せられて統一を失った場合もありませう。シキシマノミチのしをりとなるべき史上の人物に謝して奪

敬の心を表現するためには、『先生』等の敬語を用ゐたい場合が多いのですが、敬語の統一と、身分により年代に

おくがき

一一〈一一一

おくかき

しきしまのみち原麓

へまつらむ

一一〈一一

Page 95: 三井甲之『しきしまのみち原論』

ります。

に立ってをるのでありますから、諸外国の幽家といひ君臣閑係といひましても、それは日本のそれと全く別の意味

で申すのでありますから、諸外国に於ける政治上の主義及び行動に就いての批判は直ちにそのまL日本に於けるそ

れと封比せしめられ、又は混同せらるべきものではない、といふことを特に注意致したいのであります。たとへぱ

ムッソリーーーのウィルソン十四箇像流デモクラシイ宣博に封する反溌と、マルクス主義としての共産主義に封する

批判を正しいと申しましても、それは富該幽家の幽鎧に閲しては特に閲心せず,臣道臣節等を考慮するよりも精榊

科畢研究方法論上より畢術的批判の見地から申すのであり垂す。それ故に日本に於いて、ムッソリーーーの如き行動

は許容せられざるべきは言ふまでもなく、又さういふことを考へることすらも忌まはしいのであります。

御事榊這に就いて、また赫代史に就いては著者は研究綬瞳ともに未熟でありまして、本書に於いては主としてコ

トノハノミチの方面より思想・精跡の生成開展をうか壁はうとしたのでありまして、大罷に於いて誹鍵事資叉は史

責の記述としてよりも.所謂史観として主たは歴史哲畢としてのコトノハノミチを説かうとしたものであります。

活字本としては経済雑誌紅の『六画史』吉川弘文館の『本居宣長全集』の『古誤記蝉』、固脅刊行倉の『寓葉集

古義』の如き皆、皇室に関する記載について印刷に特別@形式を取って居らぬのでありますo

『大日本史料』の網文と『史料綜覧』とは『天皇ノ御言動、朝廷ノ行事一一限り.主格ノ文字ヲ箸ハサズシテ、直

一一其事件ヲ掲記シタリ』といふ形式を取ってをりますが、これは一般の著書には適刷出来ません。園彊の本義に則

り臣這の規律に従ひ.皇室に封し奉りて用ゐるべき敬語と、記載印刷の形式を決定することに就いては此の方面の

先輩と畢者との御指導を仰ぎたいと志してをります。

しきしまのみち原溌一六四

よる敬語用法の厘別との間に調和を見出すの困難から大燈上記の通則によりました。これらは著者の此の方面に於

ける研究の未熟による不決定でありまして先輩同志の御助力によって一歩づ上完成に近づかうと志してをるのであ

一》綱僅圃鏑・》.。上心.仰いれ一写参い脚諦‐”制ユ醐肘いい珂髄Ⅷ弧ざ阿隅似禰dh醐帆Br緋,r卜(悩恢F恩08.いⅢ小叱・鱒#隅川棚佃同α’肌皿Ⅱ叫肌NHH刃叩吋臥・附偽,..‐f,砦・rgLrlドート‘,kf砿・副‐,0hいⅡ1僅,●if、が戸卜tf小銀.,膿rf眠●碗肘叩開・厚1ヶ脚ドウーヶい‐トドトやr‘十日叩句fbf冊・牝●リn0Lrk照岬に眠伏牌5口い】作トト・雫§劇‐L〆罵り1Aもr閲い1別氏▼1.塊‐胃創例樫討駁

、伊

本携中外剛即ち支那欧洲等に就いて記述しました場合に於いて、日本画寵と外園交罷とは全く異った事寅的基礎

しきLまのみち原論絡

おくがき

Page 96: 三井甲之『しきしまのみち原論』

瀞J》

●肌、戸:。..『・恥イパ《小誤.士酢一↓恥i奴孤嚇・抄・‐)喋一‐い、・蔀‐『羊・帆‐、ゲザザ‐.:慨,、岬‐4●噌鼎舎詞州-1雌・‐、、隙‐鰻.…、,爵,’’r12,、沖‐今‐一u:f・苧,侭’..…l誇諏去峠。…。;・ノー・』・が1億3.・ん鷺1、‘・鯵・胸,.・刃』.砂噸‐‐里・袖j・弧‐:r‐扉唖,..I拳曇恩門と。f‐舎・・芸坪?.

Lも。廿令I

‐、

斜、

しきしまのみち雷

癖噸麹鵡隼考にノ恥咽蕊原理日本祇

鯉諾・銀窟・三一七一’三番

昭和九年十月二十日印刷

昭和九年十月二十五日渡行

謹行所

しきしまのみち原論

定債童画五拾銭

所有

版擬

皇』島

著作者三井甲之

東京市世田谷歴若林町一一七八

霊行者蓑田胸喜

’東京市芝睡一一一国四丁目一一十一

印刷所

原理日本祇印刷部

廻鱈●三巴.一六七五香

印刷者

鈴木泰次郎

東京市芝睡三田四丁目一一十一

Page 97: 三井甲之『しきしまのみち原論』

蓑田胸喜著菊腫七八。頁蕊認定債》輪町議》

畢術維新原理日本

謹党篠諦煙鵠・烈蝶・耀謡姪縛東京堂

本書は正岡子規の箕精赫を相綴して親露の阿弼陀悌を『原理日本』に具現し、欧洲近代の碩畢ヴン

トの全著述を研鐙して『文献文化史的研究方法』左創拓しつ上、二十年来文蕊畢術思想評論界に孤

斐特立し来りし著者が、租閏鱒拝国民宗教経典『明治天皇御集』に共全精祁全研究左集注傾倒したる

劃期的著作にして、著者の前著詩集『祇園瞳拝』と共に外来思想に謝する日本請紳シキシマノミチ

の内的勝利の凱歌、其不滅の記録である。本書は長かれど天魔台覧の楽を辱うしたのである。

目次Oはしがき◎序鑑Ⅱ明治天皇御集拝諦宣言◎本絵Ⅱ文献文化史的研究方法鑑、砿、脚、義務、個人さ国家、建

国の精紳さ率爽、自然鑑賞ご表現技巧、戦争と平和、国家興亡鐙、園家刑罰権、国語減本の御製、明治天皇御集

さ国民激化、坤懐濁照、其他縄て四十一一一章、之を細分する一一一百九十一一一項の索引目次のみにて一一十一一頁を喪せり◎

三井甲之著雨鯛幽菊蕊二蝿蝿”職鋪識影八銭

明治天皇御集研究再版

京大問題に於ける帝大法文畢部の無信没落に次ぐ日本共産鍵首魁等の顛落、五・一五事件公判廷

に於ける被告青年軍人の告白陳述による右翼日本主義陣曹の内部清算、不忠『民政』主義既成政

蕪の断末魔!それら一切は著者らが十数年来『原理日本』の信と畢とにより懲兆批判指標し采

りし所である。

本書は東西綜博の観野庚表の下に『紙製怪物』マルキシズムを跳梁せしめたる世界思潮・現日本

の大畢交風教育思想言論界に封する『畢術革命』に即して日本精紳科畢原理シキシマノミチを光

間し五・一五事件に畢術的表現を輿へ『紳州不滅』の深信に基く厳正批判を加ふることによって眼

前の左右混線昏迷世界『前夜の曙』詮照破する昭和維新の掩火l生命の麹思想の爆弾である

(目次概要)序鐙畢衛維新の方法論的現賓的基礎(十七節)。第一麓マルキシズムの根源的綜合的批到(十

一一一章)東西帝園大畢の民主・共産主義無原理思想の畢術的剖析(九章)。蕊三麓原理日本の破邪顕正と昭和

維新(四章)◎結嫡成就せられたる世界文化単位『紳鯛日本』し

きしまのみち雷

溌党蕊瀬霊李鐸瑠誌原理両ロ本祉

睡騒銀座三七一・言一一童.一一一参一番

Page 98: 三井甲之『しきしまのみち原論』

日本総赤化徴候司法部不詳事件

嗣因根絶の逆縁昭和維新の正機

睡1季唯物史観の哲皐的経涛畢的基礎

壷調蝿銅電.w●や

二句砦守宮●‐

歩宮卜・〃‐紅・‐D・厚■F、

国運の危機峠慰霊太『画際外交録』批判

,J

ii

1。』

滋賀多喜雄著

同同同同同同鐸

三井甲之選

田尻頚七編

河村幹雄著

蓑田胸喜著

松田願松編

田代順

井甲之著

同 同 同同同同

補原理日本就蛮行

箸箸

時集租圃憩

民族心理皐研

短歌概

圃民宗教儀憩としての明治天皇御製奔諦

明治天皇御製と軍人勅諭

我等は如何に此凶迩思想を虚置すべきか

『随威錐』に現れたる演口前首相の

精脚分析(政蕪寓能醗曾中心『民警主義剖検)

嗣轄掻錘割『畢生思想問題』を検討す

砺露の思想文化とマルクュ・ビーン主義

世界文化軍位としての日本

園民同朋和歌集麺嘩緬

●基督・親鷲と憩画主義

ゲーテ

大皐よう磯現する日本赤化思

想蓮動の現状と其畢術的折伏

論 究奔目

昭和天業翼賛原理

力。

洋フ

力、ア

現遼上人の遺

跡走めぐりて

書フミ

四六版一七八頁

四十銭我共

四六版一○八頁

五十鐘税一一銭

菊版.六○頁

一一一十銭極一一銭

四六版八八頁

三十錘税二鐘

四六版四六頁

二十銭役二銭

四六陵一一一○頁

三十銭穣四鐘

趣診率↑鍵蓋

四六版皇一○○頁

壷園税六錘

各四六版一一○頁

各三十鎚税四銭

四六版六○頁

一一十鐙我共

四六版七○頁

一一十銭税一一銭

四六版二

五十銭税

菊版七○頁

三十銭税共

菊版八八頁

一一一十銭我共

四六版一

二十五銭税

四六版七

拾銭税

四六版六

十鐙税

四六版七六頁

十銭税・二銭

四六版九六頁

二十五銭税共

○○頁

四錨

二頁

一一銭

○頁共

一理