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木村鷹太郎『日本民族東漸史』

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木村鷹太郎『日本民族東漸史』訂正再版(日本民族研究叢書20)(日本民族協會、1929)※日本民族研究叢書は木村鷹太郎の個人叢書

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其れを知り度く思うは自然である。

我等の古典たる古事記日本書紀及び其他の新祇究は、詳細に我が民族の移動及び東漸を記るし

て鵬るが、潅水の史畢家等は世界的畢問知識がなく、着眼見識の無い所からして、十分古典と解

する乙とが出水ない偽必に、岡本民族移動史に就いては、全く知り得なかったが、一冊義等の新

研究が起って、古典の新研究を行うに満って、絃に共等の蕪は明瞭を致し、天の、狩戸は聞けて光

明六今に照りわたった棚がある。

ヤー、鱈イ

けれども共等古典の教へる灰の日本民族移動史は別として、古から仰はって勝る『野馬垂』の

詩なるものがあって、新研究に獲って、共れが一種の口本民族東漸小史的のものである乙とが知

られたから、鼓に之れを説皿して、日本民族東漸の大暑の筋道を述べようと忠ふ。

素より古事記n本替紀等の正史に帳ると、n本民族は小亜細亜を装群地とし、波斯、バピローー

ャ等を剛雲とし、希臓を筑紫とし、共れから地中海方而から阿弗利加北津に移り、共西偏たるモ

ロッコ及びセネガルに達して、祁ぴ束向して祁武通勤があり、それから民族洲係は挨及及び共南方

に砿まり、其れから印度に移って極束方而に延張して居るのであるが、

。‐一、蕊イ

今、此に研究せんとする野馬蕊の詩では、共通りの複雑詳細は無く、蕊ろ極線的に満天原たる

・で型抵1

2日本民族束『価史岡本民族東漸史G1

野馬蕊詩解たる日本民族東漸史は前に推諜鰯四巻に一度掲載したが、其れは久しく品切れとな

り、又た一般からの注文要求も少くないに付き、今回全く原稿を新しくして前版よりも大に進歩

したる研究を以って、訂正を行うて再版することにした。而も前版よりも簡明に出来て居ること

を信ずる。

小亜細亜から、波斯、亜粒比亜、それからしてベルチュクン、印度西部、錫蘭島、それからベンガ

ル東部、迩維、カンポヂャまでに及ぶことが言うてあって、極必て簡単に日本民族の東漸を知る

ことが出水るのである。

我等の祇先は如何なる路順に依って極東まで来たかは、筆者は勿論、我冷n本民族たる若は誰く

野馬墓の詩と云ふ古来有名な、而もわけの解らぬ祁秘なものがある。梁の祁司、喪誌和術駈る

ものL作で、日本の未来記と詔ひ僻へて居たが、新研究を行ふて見ると箕は無名氏作のH本民族東

漸史の地誌である。

博識に擦ると吉備の兵備が唐に留隼した時に、一つの書き物を武帝の前で読んで見よと突き付

けられたが談むZとが出来なかった。共時長谷の槻一昔が蜘妹になって諭方を教へられたに由って

ヤット讃む》」とが出来たとの事である。

20巻

聯舟勢の詩の由来

20巻

Page 4: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

20巻

’層

日本民族束漸史口本民族束iWi史 4

一一

20窪

此詩は右に謂ふた幽名、地名を文章に組立てたもので、古代地圃、現代地剛等を参照して四籍

地我の意味を明かにし、此詩を照らし合せて読む時は、正確に西部亜細亜から極東まで順序正し

ヤー、蟹イ

く東漸して居ることが知られる。且つ『野馬蕊』とは日本・希臓語吊四日智○mの核欺『大和民族』

ヤマト

ヤや舞イ

罵言津周閏で何等説明を要せ函。叉共地理が東漸して居る所から之を日本民族東漸史或は東漸地

市塞に終って居る。

迩淵人やカィドや、或は文法畢者等を詔ふのでは無く、語源即ち一一言葉の本慨興髄に測る所の知訓

の事である。今日の所謂日本の語皐家とは大抵グラムマリヤン位で、極必て初等のもの◎高等畢

術たる語源畢者は殆ど一人も無いやふである。

且つu本の歴史家には地坪的思想も、趣味も、知識も皆無である。如何に史料の記誹と変際の

地叫とが間迷って届やふが、疑はしく有らうが、殆ど無頓若o自家の小成心に由って、小地理の

小成型に押し込み、牽眼附含するに過ぎ函。コンナ説で昌坐正の歴史が研究出水るものでない。

研究の先駆には大疑問心と大破壌力とを要する。

野馬蕊の詩は未来記でなく、ヤマト民族の東漸史である。東漸史と一一言うよりも蕊ろ共地誌であ

って、共東漸はアルメニャ、メヂャの天から波斯、亜批比亜に下南し、其れから漸次東向して

ベルチュタン、アフガニュタンに至り、印庇河方而から錫閑烏に遜b、其れから緬句、遥維、束

昔から末永記とか繊丈とか云ふものは皆後世の人が作ったもので、過去の歴史の装表と雌る秘

密を後世の人が末永記などの名を付けて後世の偽めに保存して仲へて世いたもので、長い年月の

後には過去の歴史が未来記で有ったかと思はれるやうになったものに過ぎぬのである。

吾等の新研究を以ってすると、野馬墓の詩は明瞭に日本民族東漸史であって、若し徳説の認ふ

が如くんぱ、脚本民族の歴史は梁の儒侶から教へられたものと翌べく、l外鯛人から自騨の

歴史を隼ばねぱなら四と詔ふ函辱的位輝であったのは、日本人として慨歎の至りである。然し過

去は過去、巳むを得垣。今後若し日本人が日本民族に開し何等創見的研究を馬さず、不勉弧に放棄

し、新獅究若の努力に無頓着であり、研究的天才を迫害するに於ては、日本民族の歴史は、勤勉

で且つ畢識に常んだ獅逸人や英幽人等にしてやられて、日本の文部省は日本歴史、口本文畢等を

筆ぷ総めに獅逸や英幽へ畢留生を巡るやふにならぬとも言へね。

吉術兵備は幸に長谷の棚一昔の助力を得たが、長谷の棚一音とは、文字、言語、通鐸、智慧、光明、

需導、地理の利であって、此祁の助力とは、愛に言語畢の力を諾ふたものである。今吾等が野馬

墓の詩を研究するに歯っても、我等は同じく叉走長谷の槻一音の指導に依るもので、吾等は吉備兵

術、小野鰹等と共に長谷の棚昔に戚謝を捧げざるを得ない。

然るに醤派史墨家には言語堅地理隼等の知識を態用した者は殆ど無い。吾等の所謂言語筆とは

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地理との概要は次の通である。

野馬皇詩の全文ル

一一

東海姫氏画百世代一一天エー

リト

ツテ

右司嬬一一輔翼一衡主建一一元功一

一一シノテニス全テテ

初典一一治法事一柊成ン祭一一皿宗一

ク一一

本枝周一一天鰹一君臣窮始柊一

テ一一リテダル

谷坂田孫走魚胎生し調朔

ニシーアナリ

落後干父動中微子孫画巨

デヒノシテル一一

白龍渉失彦水譜急寄一一胡誠一

テニシフグ

黄雛代し人食黒鼠喰》一牛腸一

しテリ一一

升水流誌後天命在》一一一一公一

ノ一一キテスト

百王流罪鳩猿犬祁筆英雄一

ヂピーーシ一一

足流飛一一野外一鐘鼓瞭一》一風中一

で『ごり■

日本民族東漸史7

込口

日本民族束i柵史

脊丘典一一亦土花や逢厩鍋一○迦雑。束市来

一肺跡測酬い側ろ一飛跡鐸》{声”》華叫。

東海姫氏の国lの語を以って野塁の曹始まって居る.東海とは何れの海であるか.支那

古典に四海の語があるが、今の支那では決して四海思想は起ら楓筈。なぜならば支那には北海も

南海もおぼつかなく、両海は勿論ない。然らば四海思想は今側の支那に出来た思想でなく、大太

古の世界の中心で有った所の小亜細亜、波斯、バビローーャ、亜拡比亜力而から此箱称が起ったも

ので、蛙れからして東海、西海、北海、南海の稲は出るべき筈である。即ち北海は今の無海、(又

た北氷洋も含むか)西海は地中海ノュッルュ・マーレと詔ひ西の海を意味し、叉た延長して大西

洋を意味し、亜錐比亜海は南海を意味し、波斯海亜泣比亜海から延長した印座洋は東海である。

そして処等四海の中心が中鯛。其四方が東爽、西戎へ南謹、北秋である。故に古代の叩鯛、四海、

四夷等の語を解するには此地理的解稗を以ってせねばならぬ。今の支那本部の歴史はズット後世

のもので、共太古史は支那の地理ではない。普から須蛎山の岡と詔ふものがある。是れは小亜細

亜、シリヤ、、メソポタミャ、亜泣比亜の地岡を祁聖らしい維岡にしたもので、即ち太古祉界の中

亜である。東海の思想は是れで明瞭になったと信ずる。

○滴加幸アマゾン女図。メヂヤO波斯

○アフガーご〈タン。ベルチヱ女ン

○歩グロス(育兄)伽。『チアーー(祭祁)

○メヂヤ。ゴー、1.アルメーーヤ。メソポ鋲ミヤ

○亜錘比亜へゲラ。波斯

○波斯クジスタ〉》Oアラビー〈タン。エリマイ。

○波斯〕ベルチエダン。アブガーーュタン。土呼共蛎辿

○印座河

○印睡河より錫悶恥へ

○緬伽メグナ河。諏南緬何

○緬伽西南部キラ変イ。アルギラ

誌と稲しても善からラ。今、吉備真備が武帝に突き付けられた丈の不思議の文字配列の書き方は

之を暑し、初瀬棚一音の蜘畦が激へた読み方の順序で書き直ほした野馬蕊詩の全文と、是から説く

20裾20海

Page 6: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

元来此アマ、叉走ヤマ(皆目)毎日四》缶冒)なる語は雄一存在、完粂存在を意味し、従って大

訓和を意味し、此に「大和」の字を慌てLある。叉た大訓和は優美である所から、古水やまと言

葉など云うと美しい言葉を意味して居たのである。かの「希臓」をグリーュと云うはグレーュと同

語「侭美」又た「大和「を意味するのである(毎mmoの)の愚8》の国昼の胃,詩の完全。いき)

ひめのくに

此商加索のイペリ即ち女剛は古来美人閲を以って世界に有名であったのは、或は天照大女祁系

あやかしこれ

統の然らしむる所であらうかとも忠はれる。けれども海加索○目‐8m‐このとは我吾屋偲根匿“’8の

‘涛目のの小誕化猫で、「あなかしZ』大成美成を意味する所から、商加索の女性は美人であるとの

世評が出たものかも知れね。

此脚本の原始閥たる姫氏の剛は高天原から起って天に代って前世天地の化育を成すの使命を有

するのであって、其れが東海姫氏の剛’

百世天工に代るI薫る句となって居る.そして共れは高天原から南下東向して多ャ、アリ

ァナ方面の地理的名称となるのである。此に所詔『百世』なる語は古から『もLよ』と読ませてある

が、之れは長久を意味し、メヂャ図のことである。メヂャ旨の爵》昏齢の》望伊》gとは「鋤で‐一「愛

も。』《

づ」「眺める』「長める」長久、持長を意味する語で、之を百世と云ひ、共百は桃と伺語で、桃を別

I一 司

3 日本民族東漸史日本民族束漸史 臆‘

る。

illM

アマゾン富l太古小亜細亜の高加索方面に姫氏剛があった。之れをイペリ言墨はアマゾ

ン隆昌眉目四と謂ひ、即ち女幽であり、吾天照大女刺の治るしあした高天原であることは前に研

究叢書第一一編『高天原』及び第十五巻、『天地鮒脇と商天原』とに詳論して腫いた通りである。此姫氏

の幽は高天原から南下して東向し、亜細亜の東海道に荻展し、之れからして『東海姫氏園』の名が

起るので、決して今の支那から云ふた東海即ち太平洋の今のH本島剛を詔ふたものではない。

鼓に言うて置くが、西洋古代地間でバベリ淳恩と譜いてあるは姫氏剛の赫諜であるo叉たア

マゾン倭gggとは『ァこと『プン』との合成語で、『アこは脇本語『天』でもあり、叉た女性の

霊蕊覇霊漂撰漂織誌漉議溌灘一》

れが日本帝図の原始剛である。

天城、大和、天人lそして此山城の名稲は天側守誰の蕊であるが、叉た共人民を蕊して

ヤマト毎日呉○の(山人)となるのである。叉た、ヤマ(山)とアマ(天)とは同語の誕化であつ、天

子、天孫の稲が出る。叉たその函の住人を天人と詔ひ、それが即ちヤマトであって、我寺ヤマト

渦族は凡て天人である。叉た此画から他剛へ位する者を天使と詔ふoだから、かの祁代の我が武

謹槌祁は、西洋方面には天使ミカ。エルとして仰はり、錘津主祁はラフラエルとして陣はって届

20裾

Page 7: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

一・i:pDL『凸。ト

n本民族東 漸史11日本民族束漸史 01

されば此詩句に捲って兄ると、姫氏剛即ちn本民族太初の薙動は鋪一メヂヤ、アヅアナ方而に

側して脈つたことが知られる。

語ミチョ花と云うは必ずしあ一一一千年ではなくミヂャ花を意味して、長森を表はすのである。〆ヂ

ャの東に.ハルッャ冠‐胃怠)『国の剛があって、足れが『天工に代る』なる謡を意味するので、別に

走南のカベルチュタンに一、クランの土地があって、之肌が

衡主元窒建つlの撫主である。乃ち術とは横を蕊し、ベルチュ多のマクラン冒烏§

は横、枇走はるものを意味し(Ⅱ本詔枕)即ち術主とは北地である。此地に綾いた西北にカルマーー

ャ瞬貰‐白自国の地があって、『元。功を建つ』を意味し、此に衡主元功を建つの句があるのである。

若し此右司と、術主との地に州する歴史上の小件を求めるなら、そ奴は、祁武天坐崩御の後、

庶呈子手研耳命が祁心を包蔽して、一一弟祁八耳非命と祁漉名川耳命を殺さうとした時、一一卵は共れ

を知って手研耳命を殺したが、誰す時に兄祁八井耳命は手脚戦喋して何もする乙とが州来なかっ

たから、弟刺沖名川耳命が地の持てる弓矢を取って手研耳命を射殺したので、祁八井耳命は脚分

の即くべき塁位を弟に譲って云うに『今汝特挺洲武、筒ら元悪を誌す、汝天位に光臨せよ、我は

汝の柿とならん』と云うた、共蕪及び共地である。(祁武天畢の晩年史は蛙等の地で読まねばなら

餌。極雁の皐腔も、畝傍町の御陵も此地に明瞭にあるが、是れは別の機に論ずる)

三脚唾細鋤皿卿峨峨飢一蔀》志一州

立法と、祁宗の祭りとは剛家の要義である。此思想は『初に治法の事を典こし、柊に祁宗の祭

を成す』の句になって居る。

二伽洞棚蝿皿伽刈一寺庫蓉源一ン

奮解稗に擦ると、右司輔翼となり、衡主元功を建つとの句は天兇屋根命、天太玉命の一一刺が左

右の順として輔佐して政を行うた歌を云うたものと解して居るが、北くれは備って居らぬo此でば

先づ地籍解とする郡が寧ろ有効のやうである。そして前に云うた如く、地理はメヂャからへ.〈”

ツヤ芸の東はアリヤであるから、共兄篭で之集めると、共l

右司輔翼となりIの句峰今のアフガニュクの、へラ:の寡のファラー胃農の所在

地、韮邸のアリヤ跨曽を謡うたものである。共「アリヤ」とは矢を意味し、矢を希臓語でイウシ

与と云ひ、即ち軸郡で矢の手は叉た右である。又た此地にファジー川普のフラヅュ恩扇目の

川は希臓語名で忠告、和談、幹示等を意味し、即ち輔爽で、此に右司輔誕となりの句がある。又

20裾

説明を蕊せぬ。

20塞

Page 8: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

五鮒脚肌賦細噸江雛捌一癖蝿錨榊維》ラ原より

谷填ちて黒に走りlとは何と蕊するか殆ど解せ君であるが、葉の解稗に蝶ろと、天

将天皇の御子大伴皇子(又伊賀曇子とも云う)伽を起し、陵谷の錘あるを言う。天武帝、大伴皇子

に襲はれ玉へど再び位に叩き玉うは、胎茨に製つた魚烏が、羽を生じて測る如き乙とを詔うたも

のとのことであるが、是れは必ずしも共歴史を細うたものではないが、其歴史地理は処れで、亜

技比亜へゲラの原から北の方波斯に韮る地理が出されて居ることは確貸である。

昔のメソポタミャの南の方に、現代地岡にヘゲラ爵”の国の石原と云う原があり、共所にアパ

レェランの谷客巴$曾垂雪があって、「大・海・走」又た「大・填。走」を意味して、是れが谷

IEI本睡族東漸史1k‘

日本民族東漸史 I腸

初に治法の事を興しl・治法簸鋪一の務めは何であるか。人間の教育と養育とにある。人間を

善良ならしめるにある。此思想を一言以って表はす言葉は『のりと』である。難く語源はノリトル

尾○国‐〔負(雪昌,芹員の)で、「治法。執行」を意味するが、叉た教育と養育とを兼ね意味し、日本文字

に『祁詞』と書き、人冷を祇禰し仕立て上げるを意味するのであるo

波斯の西部に連互して居る山をザグロュ野四○の八母,。貝○m山と云うが、これは「生を注意す

る」「見守る」を意味してザグロュ山の諜名である。既に生を注意し、治法の事が興ったら、

絡りに租宗の祭を琴lzとで、右ザグ画1山の西北の方にマーァァナ言冒目なる湖水が

マナアヂ

あって、趣く名は「祭・加」を意味して、祁宗の祭を成すの思想は此に存して居る。

四本枝天壌に周く一メヂャ・小亜細亜

君臣始柊定ろ一室ソポタミャ。カル蚕ャ

本枝天壌に周く1,本民族の幹も枝美地馬く浦ちて居る。天は葵原の小亜細亜である。

地はメヂヤ、アリアナ一群を云うたものである。

君臣始絡定まるI昔の易シ妻ミャー西箪者は此れを解して、テグリニ、房フラテーュ

xソ銀舞モス

雨河の間にある故、語源は旨のの○,己。函go、「中河図」であると課して届るが、其れは日本太古史

を知らぬ所から起った間迷ひ。メッポクミャの綴字を改必て、旨のの○.宮‐菌昌四と切る時は明かに

ミズポ舞ミヤCO○○

ミズ・ポ・タミャで『端・穂・図』たる乙1とが知れる。且つミズ・ポは物の中心主位を意味して『君』で

あ6-、民は即ち『臣』であ,少、ミズポタミャは又走明かに『君・臣』を意味して居る。祁皇正統記に

『君臣蝋』なるものがあると詔うてあるは是れである。

ヌメソポタミャ歴史に聯開してカルダャg四国昌四(【冨一煙○)餌なるものがあって、「重さを以っ

て下に落ち付く」を意味し即ち『定まる』で、ミズポタミャの『君臣』11『始維定まる』との句も此

にあるc

一一

20if皇20#携

I,

Page 9: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

オ員

一Pb’■J■一叱り〃日び仙肌IIllⅡ

一一■‐~幽厚■=一一

15L1本民族束測i史

14日

一一

2L1巻

民 族 亜 ilM 史

坂ちてl大海人走るとのことに濫って居る。叉黍難では天武天皇が大伴皇子から近げられ

黍の地毛もある。そして大重子は伊変の皇子と詔うが、此地方を遵アグジイ跨冨(録》

穀)と雪、茎の閥名及び謡は共れであって、大海人が茎の地から遁れ玉うたとの壁

がが

地理は皿延れである。

六葛の後干尭動き

中ろ微にして子孫昌なり一波斯幽種冷の翁称

葛の後妻動きI蕊群に擬れぱ聯とは藤原氏の隠語で、藤氏の後蒲糞抑勝の代に至って

干夫の騒飢あることを詔ふたものと説明してあるが、共れは常って居らぬ。是れは新研究から兄

ると波斯の菰今の翁稗を乙Lに文章に組み立てたものと堪はれるo前に詔ふた如く、波斯西部の

スシァナば「百合花」の剛、叉だ『菊」の胴、「胸‐一の餌と諦以、之れが別灘との四一房(の目]○の)と洲ふ

波斯の西部クジュタンに.〈シ・チグリュも畠‐園晦房と詔ふ河がある。共のパシ(霞豊田富の一m)は

○○○○○

剥根及び湖るを意味し、チグリュとは虎を意味し、『虎に鋼を生ずる如し』とは此郡である。此(

○○○○○

シ・チグリュ河の上流をアビ。ヂジ疹豆巨討河.と詔α、大魚或は大海人を意味し、叉北〈下流をカ

ルン汽豊昌河と訓以、希臓語の岬或は美味を意味し、是れが伽肺で、前に詔ふた雨ハシチグリヱ

○○○○○○○○

の名が鋼を生じて鋤るの句に常って膳ることを毅兄するc(小生の郷里宇和島では魚を「ヂジ」と詔

アビ涙ジ

α、缶豆‐冒函を大魚又た大海、と課して誤らぬと信ずる○)

されば呑填ちて川孫に走り以下の句は亜泣比亜へゲラからメヂャに行き、次に波斯のヱシアナ

に入って勝ることを示すものである。

してあり、蛙れが魚胎羽を生じて翻るの句を説明するものであるが、今之を地理的に研究すると

大海人は芙淡へ走られた。(勿論魂烏鯛n本地理は念頭から排α去って職かわばならぬ)太古本

原美濃とは〆ヂャ側の別諜名である。即ち美濃とは希臓濡ミノ旨goで長久持長を意味し、メヂ

ャ(旨①&“』伊烏の)の語源は「鍔づ」1眺必」「聯め」即長久、持長を意味して、美挫とメヂャとは封畔

劣である。

|酔

此メヂャの地に現名イラクァ・エーミ言痔どの目(犀‐幽宣の目)の地があって、『町孫。走り』を

意味して居る。此地にイュ・〈〈ン奮名アヱ。.〈変ナ毎m’冨烏目の市があり、『不破』国旨閏の開

の劉撚病の所があって、大海人の此部分の歴史は、此地理で読めるのである。

魚雲雲一cで謝るl‐大海人が美濃へ走られる前に吉野に入って、時の人から「虎に鋼を生

やして山に放つ如し」と云はれ玉ふたが、之れが魚脆弱を生じて湖るの句となって、波斯西部の

スシァナの地名になって居る。従来の此句の解搾は大海人が、一度大伴皇子から遁れ玉ふ不運に

陥られるも再び時が来て、死んだ魚胎に羽が生えて鋤ぷ如く、勢を得られることを訓ふたものと

Page 10: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

il

日本 民雄 束7'所史17

日 本 埋 族 亜 i W f 史 16

20径

‐!

に束向運動をして居られが、是から後令の句は次第に東に向って蓮いて居る。

七軸釧Ⅷ画伽嚇睦搬誕一声》雪一》》ン

白雲びて水妻ひl先づ詩句に山って共地理を研究する。アフガニュタンとベルテ寡タン

との間に昔のドランギアナロ愚侭賦愚の伽がある。ドラゴンロ届ぬg即ち誰を意味する。此地

セオズ錘ンぜい○

を狸代ではmの扇菌ロ、と詔ひ清白を意味し、此一一つの意味で白龍となる。

○○○○○

ベルチヱタンの古代名稲をゲドロシャの①号○m園(の①go‐目、。)と云うて「猟・数道」即ち州錘に醤

b、白龍の「遊び’一遊蘇の意味に備るのである。

又たべルチェタン即ち釦症や禿ハエ(国冒呂璽目八腰]一○‐○。嵐)は「底立ち』で、舟が水を失うて

底が陸に着くことを意味し、乃ち『水を失ひ』の句は是れである。

○○○○○○

錨急して胡城に寄るiベルチヱ多の北、アフガーーヱタンを横ぎって、・ハラパニソ亀臼単

顧ロ‐瀞○m山脈がある。其語幹・ハン・インュとは「籍念」を意味して、白寵碧念の句は是れである。

○○○○○○○

そして共アフガーーュタン匿吋冨昌の菌唇(隆昌,山冨時星の匿口)なる地名は希臓語源で「胡城に寄る」

を意味して是等の地はペルチュタン及びアンガーーュタンたる乙とを示めして居る。

奮解樺に擦ると、鰯四十六代の皇謙女帝が、信道鏡の愛に溺れ、人望を失ひ、道鏡が下毛野函

ZLに一つ注意すべきことは、波斯郵王室の紋章は、十六柵の菊花で、日本の皇室と同じであ

るが、之れには歴史上の開係が有って、決して偶然の一致では無い。故に太古の都市たるユヅ

○○

(の吊四)から荻掘されたものにも十六識の菊花紋章が見事に付いて居ることを謹見するoヱサは即

エサ

ち須佐之男命の土地、即ち出壷一である。

野馬聖の詩の是等の句に至るまでの地理はアルメーーャ、メヂャ、波斯、亜粒比亜等で未だ除少

のである(耶蕪の百合花比峨の地)。

クシス塚しくしくづ

現代名稲で此部分を尉彦員の国邑即ち櫛の図、『葛』の画と詔α、又たアラビュタン胃号璽昌と

○○○○

和叩ふが、之れが干犬動きを意味して、鞠の後干犬動きの句は此等の名獅に讃払るのであるo

中ろ徴にして子孫昌なりl此幽の古代名稲を叉た臥獣針と詔ひ、H本語「弛裳Lに誉、

『微」を意味して、「中ろ微にして」の句を表はして居る。此部分の束の方にザグロエ町があり『子

育』てを意味し、別名をバクチヤリと詔α『隆画昌を意味し、雨老合し『子孫愚なり』を意味して居る。

姉rか

序を以って一言して鰹くが、此バクチャリなる・名はまるを意味して『飛鳥』と別諜されるが、然

し飛鳥は此後緬句にも出永るから、日本歴史蕪究者は共心して居らねばなら楓○波斯の太古は又

クグジ

たクタ(、鼻冨)とも詔ふた、之れは希臓語痢三四》病博冨と同語で地名謡尾が付いて属ご答四国ルー

ヶ愛ラ

なj本源的百滴画である。

20裾

Page 11: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

18

ーー禿←ー草一.- 一ー一

で--一字勺÷曲卓=ユーニ、-

- L△_

19日本民族火 漸 一 史

’ある。此地にグゼラッドの地があって、共所にクンチ(○鼻g)の烏がある。之れは「切る」ことを

、〉ご

意味し、切るは「刻む」乙、とで、時刻等を意味し、北〈「刻」がコックの○○一〈(病○鱒の)で叉だ「鶏」を憲

一)。、

味し、鋤を日本語で「かけ」と云ひ猫逸語あたりでもコッケと云必、此装育が「黄鵜」となったもの

○・○○くわうけい

である。

口本民族束 討好史

(ツルキュタン)の薬師寺(ヤクシァルテュ川のクシケント市)に流された雲遊燕うて、同地に行き、

玉うたことを詔うたものとの説があるが、其うではない。素よりベルチュ玄ンは一名エチオピヤ、

|即ち太陽が頂天に進した時たる「高陽」の地と云以、「商野」女帝の我に常って居るが、此詩の一句

は雌に前記地籍読み込みに過ぎ魁のである。(此詩句は孝縦天皇と遊錘の蕪を云うたものではな

いが、共州係の諸人名の地は此附近にある。即ち高野女帝の地たる前記エチオピヤは所謂西の街

であるが、印度河の攻に現名クワイル。プルの地があって道鏡の地、共南のグゼラットのクッチが

別棚即ち和蕪滴腰の地、共南の部分のカチアワルが路の豊永の地、共れから後で云う所の錫蘭島

が習宜の阿蘇暦の宇佐の地であるが、誰明は器し、叉た拙著『世界思想の源泉』中アナキサゴラュ

Ⅱ和筑消磁の章参照)八

繍擬蔑凧食し一印鑑ロィ美誉地

黄鶏人に代って食しIとは不思議の句である.惹探に擦ると季の海が下細駕に内響

拙へて自立して王を稲したことLしてあるoけれども之れが平の燭門の事の諜言とは忠はれぬが、

地理は全く共地である。

此地一群に、後代、詫脆一元土和(旨号箇箇八冨○冨歯)剛が出来るが、モーユイ(災α)の語で、食

邑、傾地、食脈等を意味し、詩の句の人に代って「食す.一は之れである。又た此「食す」に糟る「モ

ラィ」なる語は「天命」とも課されるo

黒鼠午腸を食ふl印度河の殆ど河口にイカニ8昼の地がある。即ちバルイカニ、臭イカ

くげりわけ

此「刻」は叉だ『句別」「別」を意味する。句切を英語コムマーと識α、小馬である。小.馬はサ.オム

ーご勺サヰー

マで「和賜‐一の名となる。又た刻み、句切入ソは雌叉は川と同語で、此に「婚門」の名がある。此通人ソ

に地名の雲の錘が此詩句と旗って、其れが海の墓と蟹れたものである。l符地理

は皿かに此下総(も一ケ所でない)である。

○○○○○○○

人に代って食しIl此グゼラットの束の部分にマルワ旨筈菌(言四一,○宮)の地がある。共一、ルは

○○

ひと史ろ

人、又た慨を意味し、「ワ」なる語は希職語源○宮(ウ)で「代入ソ」を意味して、此に「人に代って』な

る句がある。

印度河口火の方一群を一ンジ・プタナと云以、其ブタ写匿(房塑)が「・縦,」の語源で下総の名は此に

20裾

Page 12: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

2【9日本民族東和f史21 日本民族東漸史

一一

20ijS20名亀

九刑制訓伽蝿雌M後一軸擁銅識れて

丹水流れ垂きて後11丹水とは赤水である。印度河の古代名をサンヅロ。コッラ母己88号

と詔うだ。サンヅロとは赤色好色で、「さにづらう」若かやかな色を意味する。さらば印度河は好

水である。奮解雛に「禁庭を丹堀と識ふ」が如きは取るに足ら楓説であるo

天命一一一公に在りi印度河は流れて事指して海に入って居る・共流れる方向は印度悪から

錫蘭腸である。醤解撫が大政大腫、左右雨大臣の一一一公で剛家の椛力を率らにすることを天命一一一公

にあると識うとして居るが、是れも取るに足らね解稗である・三公とは箕は雑何語ナンコオの昌号

の綾昔の暇字、健全、青春等を意味する語で、錫蘭島の別名である。即ち鋤閑島を奮名サルバヶ

蟹]‐岸のと云ふたが、Zれはナンコオ乃ち三公の別鐸で、此錫蘭島にアダュュ跨号愚、川がある。

アダ公〆とは語源アッド匪登で「典へられたる」又た「麓ひ」を意味して、又た「天命」と祥せられ

て、天命三公にあるとは、天命は錫蘭に在りと云うと同じである。

(此錫蘭島は前に詔ふた和蕪滴臓の使した宇佐八幡の地で、共アダムュ山は即ち男町八幡山で

ある。前の涜職の池たるグゼラットから印度西海岸を南下するとマラバル旨、一画‐ウ胃海岸の我が

あって、「豚弱る」即ち涜職が足の筋を切られて苦しんだことの地名。錫閲烏はマラエイ冨鳥’四

島と謂ふて「鵬騨」を意味して、清臓の同復したことの名である)

十撫妊抑柵叫脈棚きて一蓉淘州予

言王の流畢に端きてl我等の地理は潅束に進んでベンガル洲東部からビルマ西部に行くの

である。即ちアラカンの地、ヅンドウエイの地である。

Ⅷ狸等ベンガル州東部を昔はサバ蟹冨と云うた。即ち裟婆、狭穂で、又たセオバのmogとも

詔ひ、西王母の地桃の女祁の地、又た如来無難毒の長久の地である。桃は叉た百で、此地は百王

いか

一一、オックユイカニ等は共れである。そしてイカ一一とは日本語「如何に」と側語で、一線を引いて

い帥

物を一一つに分けて、何れか如何にの意味で、其中線を黒とし、烏賊(錐)、又たインカ、インキ

(墨)と云臥、インキは「黒」である。そして此地のムュ。イカ二言』鰹8昼とは「聯。鶏一を意味し、

叉共南にオックュイカ一一○魁8嵐の地があって之れが、礁醒脇一である。それは鵬の維何語インープ

ヱチン冒狩の言は内部に切農ソ込むZとを意味して、叉たイカ一一と同意義である。又た此等の地

○○○○○

の印度河の東にプラエエチ砲国①畠の地があって、測逸語の因【のmmgと何語で食す、春食する

ことを意味し、Ⅷ延等《〆イカ一一鉢オックュ容力一一、プラエネチの一一一地名は肌かに鶏鼠牛腸を食ふ

の句になるのである。

Page 13: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

日本民族東漸史

I茜=‐一一一=一一卓一一一一一一一凸■

一一ー野.一雪壱一一一一一一一画

÷一一一二‐

---1一■

可一

20巻

--

20程

一一一画

23 日本唾族束洲史 EJ2

なるのである。新羅と云うても世界上一箇所でない、伊太利も古代シラキの昌冒gと云うた。前

述アラカンの地も昔はシーンキと云うた。此他に新羅はまだある。決して今の朝鮮の共れではない。

シy人匝

○○

此祷解樺の新羅とは遜維のことで、昔は之を兵臓と云臥、シンラヌたシーフキで新維と群くと同じ

である。此地の北部を陸興臓と云い、共南部を水兵臆と詔ラたが、プトレミイ地脳で、其北部に

○○○○○○○

○○

セーマンチノュの⑦日“]]夢goのの川脈があって、青冷兄える町を意味して、明かに青丘を意味し

て勝る。之れは現時のシャン(川?)図の『ことである。

○○○

赤土l叩史に『逃溌即ち悪の赤茜.後別れて譜と進との一一つとなる』とあって、野

馬姦詩叩の赤士なる此病が、共哉Lに遜羅にあることが明瞭にされて居て、我冷の研究に客概的、

鰯三者が誘蝶を供給して居るのである。そして、之れは説島日本でもなく、叉た朝鮮の新羅でも

ないことが確知されるのである。

ラ奇ク

郵代地価では迅維の東南部をドン・レックロo眉困の〆と云うが、之れが羅州の名稲であらう。

○○○しククラグク

ラ琶

乃もレック又走ラクク(両①丙》”異の)勾煙のgg)の雅一音、叉たレーキの凌香が維州となったもので

ドン

あらう。元来此可ラクク」なる謡は「火を掻き立てる赤色の意味を意味し、ドン・レククとは「土.

テクク

赤」即ち赤土を意味するのである。叉此ラククなる掻嘗立てるなる語は「かき割き」「引・言むしる」

等を意味し、共れが希臓語シンラ、又たシラキのg]一畠と封捧せられる。叉だ「掻き割く」を動

の地。羅座地脚にはボーオーテュとあり、日本ではが太郎と云ひ、希臓課してヘクトール痔。‐胃

となって居る。百王の流罪に誰きとは、此等の時代が過ぎてを意味するo

此地の名誘アラカン宵画.s昼のとは大の地を意味する。又た其南に綾づくサンド。ウエイ

の塑昌さ署(盟具’○のⅡの営めI)は猿丸を意味する。此地に北から南に流れるカラダン蚕扇9口

(【堅の。’四93)川は「稲・太郎」「稲・唱へ」即ち「稲・英雄」を意味して、猿犬英雄と稲すの句は是れ

であるO

蒋解樺が細川勝元と、川名裳垂との誘いなど艮云うて居るのは取るに足らぬ説であるo

十一青丘と赤土と

誰々として空となる一趣畔琴

野馬墓詩の口本民族東漸史も共維6に近づいた。青正と赤土と韮冷として空となるの句を以っ

て共柊jとなって届る。我等の研究は今や進維、束市塞に入るものである。

青丘l蕊樺に嘘ると『青丘は蕊の蝿松樹多く重言芸う。共南に常る日本蝋瞥、

南方丙丁の色を慨って赤土と云う。一一四供に花々たる拳しき荒野にならん』と極めて不吉の説明

であるが、勿論何等裁く様な橡言的の事は取るに足らぬ。たぎ地理的の解稗を下さば郡は明瞭にな

る。けれども其「新羅」云冷とのことは、韮だ突然の戯はあるが、共れが研究上簸も有敬のものと

Page 14: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

日本民族束・称史

lii

一再一一一三国時==牽自==F一ー==

25日本民族火湘史

が吾誰の研究に反封し得ぬことを彼等自ら番いて居ることである。南山房装行の箭内識の東洋読

史地岡が共れである。同地剛大正二年版鋪十一一一回の遥維の地に明瞭にll否む可からざる文字で

○○

l赤土と諜いて居るではないか。吾等の新研究に封する誰不遜の赤門の歴史釜も、此に至

っては吾等の研究の鋭利なことに封して恐れを以って共顔色は脊丘の如くなり、恥辱を以って赤

土となるであらう。

話は前に踊るが源氏物語の年老たる悲蝿の僻、m金源氏の水原なる老女は琵琶掻き鳴らす無雌の

○○○○

名入。掻き、弾くの希臓語はめ。]房で兵臓であることは前淀言ふたが、遜維の此ドン。レークの

地は又た夢時(土)、夢(琵琶)、陣(弾く)即ち「琵琶抑土」を意味する別名があって、年老たる

典侍の琵琶を善くすることの地であり、琵琶弾くことは兵語の意味である。叉走源氏物語紅難堂

シンラ

に『笛をなつかしう吹きすさぷ』人がある。笛吹くことを希臓語でロ昌四巳○mと謝必、n本では笛

と両ウ面

の一一画の形容として、「ヒロロ」と詔臥共錘形薙一昔はピン種ウで横榔の拳となり、古歌記垂仁記には

びんらう

之れにアジマサの訓が付けてある。遥維のメナ塁河のバンコックの北に古の獅械か宮脇昌獣露喫

の地があるが笛吹く人の地である。今はアユチャ(跨旨旨四)と謂必、日本悲紀には草薙刺は『今

尾張剛の》画溌市に在り』との吾湯市とは是れである。アジマナの地は「焼占α』或は「鹿占“」

うらへ伽だアシ

を意味し、繭葉集束歌に「武誠野に占肩焼き(跨喧)、まさ(]感四号“)だにも、のらぬ君が名占に出

一、サ

ラら

物名としたものはマ・シラ(言悶昌一煙)即ち猫で、新羅明祁は猿であり、猿は羅句語ナ潅蟹言の即

ち赤色を意味し、叉走此地は赤土たることが知られるo

又た此「レクク」即掻き割くなる語は、琴が部鳴らす、琵琶弾く等にも使用される語で、ドン。

レククの別名をドン。ビヤ・ファィと云うが、「琵琶・弾の土地」を意味するものと解せられる。l其

れは源氏物語が篭伽する。

源氏物語「紅葉賀」の青丘赤土I鼓に一つ而白ぃzとは、かの源氏物語なる護緬旬、遜羅

印産の地理小説であるが、青丘、赤土の研究は、一府之を明確に読皿し、又青丘赤土の研究に光

明を反射して居る。癖野紐零鍵の巻、呼鐸癖坤錐十一編は其れで、紅葉没の巻は全巻派浬課浬の

劉照である。例へぼ『瀞榊渥・…:丞呼がが』『瀞娠涯:::羅轄が紗』『おか率:…・瀞癖腰:…・かぎし

○○○

の紅葉』『青み渡れる中に滞藤の花』等の文があり、殊に『年いたう老たる歳叫の僻が扇を持って居

る、其扇は『瀞要鞭の鵬るぱかり色深きに、謡呼¥瀞が職を塗り』と云うてある。田舎源氏には

『淵罫啓は持つ手へも映るばかりに色盤に、小高き瀞琴総評にて評伊と塗り隠し』と譜いてある。

之れは全く青丘、赤土の地を美しく表はしたものに外ならぬ。

緬句、遥維に此青丘、赤土の地名があり、源氏物語が、あざやかに青丘赤土を書いて届るは、

明瞭以上の明瞭であるが、尚ほ面白いのは、吾黛の研究に常に反掛の態度を取って届る赤門述中

24

20巻

20巻

Page 15: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

民 族

ー---一

_史

27

日本民族東 漸史

26ig 誰:

にけり』の武賊野とは此地である。焼くことを叉たアイチ匿庁屋とも詔以、共鍵化が今のアュ

チャとなったもので、n本では此語から舜姉。》画酔か及び熱田の籍がある。新羅の傭が熱田の焚

剣を盗んだことがあるとは此地の小で、此遜維の地は新雑であることを忠ふと、不思議な新維の

傭云冷の描忠を解することが出来るo要するに源氏物謡紅葉炎は背丘赤土の地で、遥雑の地郵小

説であj、叉た野馬壷の詩の説明には無くてなら楓材料であるo

『空』1束市塞I遜維の東南に束市蓋がある。g弓。曽とまてあるが語原は酔駄。夢

″ム鑑トヤ

○○

で、韮冷と庇いま地を意味する倒名である。之れが即ち青丘、赤土、韮今として塗になるの句に

○○○○

吟皿って勝て、別に異論のあるべき鵠が無い。此剛↓と父走占域と詔ふが、英語”岬塞鯉を意味する

チヤンパン

カムパン

の四目ご昌瞥と同語でテャン・ハンと溌一音したに迦ぎぬのである○目goも同誘原陣替、僻岬を意味

力ムポ

して脈ろ。(序に一一一議して価くが前今太平記の僻瀞羅の雨乞競霧の地は火術塞のカマンヂウ湖とウ

ドン河との地理祁話で、塞海の東寺とは、今のパノムペン、で、守敏和両の西寺はバックンパン

のことである。H遮宗が塞海の淀(言宗を詔うて、『兵言亡隅』と云うたとの蔀は、此『茎となる』の

地を洲うたものである。

野馬壁の詩は是を以って縫って暦るo意ふに日本民族が印度に居った時代に成った詩である所

から、是を以って結末としたもの、やうであるo然しn本民族の中心が現島剛へ移るまでには、

iIlW

2012塁

術ほ菰今不肌除籍にしてある秘史があること、察せられ、之を加瞭にするには術ほ他側の研究の

努力と材料との凌兄に待たねばならぬが、此詩よりも尚ほ東に溌展して居る材料も、今日までの

研究で私に知られて居るものも少くないo

除論‐l術ほ大卒洋へ東進北進

1日本島へも

林邑Ⅱハャシ人種l右野筆の詩の蕪たる「塗」の地束市躯建菱だ(辞と稲した、側本

読みが正常で》や率の色である。又たコモン即ちコマ(野営目Ⅱ丙○白胃商肥)の我祁があるが、

コマは一‐林」の別課である。此人種は恒河地方から東進したものとのZとは此地の仰説に徳はって

居る。此民族は叉たユマトラ、ジャワを樽うて東漸して、ニュー・ギーーャ島に移住したoユリセ

ーュ漂流記の〈ヤシ人の地とは共れであるとこは拙著希臓祁話に説いてある。此腸は星座地価で

〃ラス

は烏を以って形としてある。それは烏の羽根に上表丈を番いた史榔に韮つたものである。

〈ヤシ国国母gを叉たくイァキと獲吾し、術ほ蕊一音が帥って、〈ワイキ国画尋画時目となり、赫唾

人の名榊となるので、又た一段の東漸である。

『薩摩歌』の地l近松の妻芝源箕術藍鍬』は此民族の韮の小説で、謡い奮

林色(カンポヂャ)、それから一一111.ギーーャ(女謹脇)、セレペュ島のメナドの記事があり、それ

一一一

20裾

Page 16: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

219 本 民 族 亜 測りi史[日本民族東漸史 鰯&

とが護明せられる。

201畳

そして此アイ1族の名稲の主たるアィーーァニI菱墓化バナヒ王室鼠言風は我日

fトヒ

本諜記には稲氷とあって、祁武天皇の呈兄の御名に憶って居る。(其れ故にアイニアュ(イナヒ)祁

話の末部は我祁武天塁大和へ討入記事と同じである。が、此大和は印度アラカンの地である)。け

れどもアイーーアュ祁話で、祁武天皇に膳るぷ深津・ウュは、アイーーアヱの子となって居るが、日

いわれ

豹起ひ

本では磐余彦(祁武天基)は稲氷命(アイニァュ)の弟であるの‘と相述はある。

カドモス・王仁族と日本島l希臓祁話のカド要の話しは、睡祁天皇の時文字を持つ案た

王仁なるものに醤って居る。彼れは最後に沿海価(シベリヤのマリチメ・プロピンュ)方面、叉はア

ラュカ方面へ行たと云うてあるが、彼れは共後水蛇〈イドラに化つたと云うてあるoそして共水

蛇は日本釜腸を南は琉球あたりから九州、四風、本島、北海通、カラフト、千島、カュサッカ等

を連ねて水蛇の姿にした足座岡になって居る所を見ると、此カドモエも亦日本陽へ来たことが察

せられる。此水蛇は叉た井戸の乙少ぞ、天文一一十八宿中の「井宿」は昔の日本釜島の様であった。

此通りに野馬墓の詩は束市まで柊黙になって居るが、日本親近民族は其れよりも術と束し、北

し、今の日本島図にまで来て居るので、術ほ日本民族の中堅は何時、如何なる路を取って、日本

烏に来たかに就ては、将来研究の材料も護見せられ、日本民族護群地たる小亜細亜の高天原と、

20巻

マルコ・ポーロの所謂『ジハングー』とは貧は此比律識烏の古代祁話的名称で、決して我日本島

を洲うたものではない。然るに西洋人が誤って円本だと云うた所から、例の両洋兵似好きの日本

の畢者等が、其誤謹を興似して、ジ・ハングーは日本だなどと云うて届るは、笑ふくきである。

いれ

アィノ族の北進I犬王国l希臓祁話が印度キッタゴンを蕊と偽し、又た終蕊とするアイ

ーーァュ祁話も、其漂流唾域の最北部は比律賓あたりであるが、此アイーーアニは語尾愛化でアイノ

ュとなる名稲で、之れが荻等の問題とするァ罰ノ又たアイヌ族である。(匿口$の》缶g§》匿冒。、)

○○

○o

アイヌは叉走簡恥に装一》画すると、イヌ犬叉た(豹)で、之れが北進したものが古代の狗側民族で

ある。そして、共れが星座地脇に表はされて居る所の、小犬星座は、我説日本の畿内から本腸北

端までに常って居る。叉た大犬星座の土地は、支那北部黄河以北から、満洲、蒙古、朝鮮、カュ

サッカ、カラフト、北海道、沿海州、シベリヤ東部凡てを含んで居て、明かに之れが昔のバヌ園

○○○○

即ちアォヌ図であったことが考へられる。天明四年(今から百四十除年前)に筑前那珂郡(是れは

○○

△△

現日本の)から『漢委奴図王』の金印を掘り出したとの、其委奴園今と従来イド函と読ませて居たが、

○○

賞はイヌ図と読むべきで、此アイヌ王幽が我現日本画の前住民族に由って組織されて存在したこ

から筒ほ北進して

どることが出水る。

CO.

「夢別け」なる比律賓烏の記事がある.l日本民族の東進北進の路釧誉走

Page 17: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

種馬の此現腸幽H木とを、畢術的に、兄事に聯結せしめることが出来ると信ずるo何故ならば、

我等の古血蕨確かに極東鵬馴のものでなく、印産以西、阿弗利加、坑及、希臓、小亜細亜、術ほ

両の阿弗利加西価等のn本歴史であるが、共歴史の持主共和綴者たる我等Ⅲ本人は、現に極東日

本烏剛に居る以上は、共長年月間の移動が有ったことは否む歌が出来ず、叉た共移動があった以

上は共練路が無ければなら楓からである。

簸後にI奈洋の彼方、南米にアマゾン即ち姫氏の閥があることと忘れてはなら楓。

31 諏が脇仰来火の大間述口 本 民 族 束 i W r 史 割0

l‐,馬鹿を見た松浦伯

l坪井博士の無概究

I喜悦幻滅の雷公使

識砲博求紀念塔11蒋涯史筆が生んだ所の問

述と柵稚とは、凡ての方面に決して少やでない

が、此砿外而に物硬的に兄先た史畢上の大間述

ゐは、小銃諏が烏の紀念蝶の建設である。

元来小銃がn本匹博率したのは元文十一一年

(両紀一五四一一一年)に袖萄牙人が瀧子が烏へ漂着

して其時に博へたものとのことであって、此史

仰に韮づいて駐n葡萄牙公使カルネイ両氏は、

『種子が烏』の薪もあり、叉た共祁先が昔漂着し

た共地を紀念する鮪めに極が烏に紀念塔が建て

たいとの術願であった所へ松浦伯が聞いて六千

側を寄附して共計課は進行し、過般極東n本の

諏子が腸に、高さ九尺の紀念端が廷てられた。

『種い烏』簿燕史の大間違ひ

#1

一一一一

20雀

錫爾震種子が島l所が菰子が蝿は世界に

一備所ではない、少蹴烈処吋無や知って珊喝蹴

州錘心桓函麺恒毒肘羽準唯細妾輝睡岬伽幽蝿皿一秘

本のではなく、『印度種が出』の共れであるには、

共捌係の人雀柳か否大にl而喰ふ鐸である

と忠ふ。そ叱詫馴れは蜘嘘P糾脈腸であって、

共れを韮皿は変ナエ即ちダネ(緬子)が島と云が、

堅丸て蛾砲を樽へたとの人今の錨は印度ペッ・

ガル州のみツラ河口のボルト・カンニング.方面

の地名であって、ボルト・カンーーングと、ペン・

ガルとの一一つの名稲を取り令はすとボルト。ガ

ルの名が出来るのは、先ず注意すべき↓」とであ

Page 18: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

Zg

~iii極が島博寒典の大間趣

P

33稲 が 剛 慨 末 史 火 剛;唾

けれども、此に喜利志多・陀孟太なる名は、

従来一人として仲へられて居るが、箕は一一人で、

○○

荻一》口して蚕・モタでなく、ダモ蚕ンである。)そ

して炎モンダロ鯉Rggは希臓語源ロ画冒目‐g

ら一急

で『智慧を畢裳』を意味し、ピントの所詔チエ雷ぃ

毛とは彼れ蔀のである。・・

毛女などL訓ますべ心で磁幽地名封照上明か

○○○○

にダモンダである。(孟はモン、叉たメンと支那

隠傷

で一致して居る。

博士坪井九馬三氏はだいぶん前に西洋史料特

にピントの東洋紀行中蛾砲博永の記事は、吾画

の記録に合うて居るから、天文十一一年に氷た外

人の一人は必ずピントであらう。喜利志多柁孟

太は一一人の姓名混同したもので、柁孟太は他の

一人牟良志含の姓でフランシスコ。ダ・モタと訓

ずべく、又たピントの紀行中に見えたヂエトモ

なるものはダモクを語ったものであり、毒利志

太多はクリュトフで、共姓はホラルホであうと

のことで、牟良志含と他孟太とを一人とし、叉

た他孟太をダ・モタと訓なせなどして居られる

が、前述地名鋤照で、我等は牟良志令と、他孟

太とを別人とする者である。又た化孟太はダ。

’1

トガル人と忠はれた若は、西洋のポルトガル人

ではなく箕はベンガル州の、カルカッタ近傍の

地名を負うた若では無いかとの質問的断定が下

されるのである。

此蛾砲仰氷歌件に棚して西洋史料に喋って説

肌する者は、此時来た若の長は一一一人となって居

狸剛銀Ⅷ諏棚も稚緋嘩垂側割確》かⅧ蝿紺峨峰一

■一一

20椎.

其一人は勿論ダモングであるが、他の喜利志多

○○○○

なる人名は、共北に砦麺って居るキリシナガル

癖房宮畠彊儲の市の名と見るが正営のやうであ

る。そこで

○○○

ボルト・カンーーング(港の名)一V》狸炉。評稗

○○

ペン・ガル(州の名)

ムーンシシ十○○○○○

牟良志舎は:。……公ルシダバッド(市の名)

キリシ麓○○○○

輔荊》心多は.…:…キリシナガル(市の名)

陀孟太は:..…・…・ダモンダ(川の名)

であって、是等南溌の斑胡の、従来西洋のポル

Page 19: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

E史 の大間趣

菰が脇仰来史一 一

一一

!’ド

--

II

34

、J地

11

~-

の大町趣

Page 20: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

ポルトガル人に、典ふくからざる名蕃を典へて一砲はn本(印度日本時代)の種子が島(錫蘭)か

識剛睡趣趣蝿側唾鍵唾蝿棚率癖率理嘩雫郷織密一細匪輝評剛Ⅷ蛙諦画唖極嘩趣吐癖卵評鍛理稚勿

I‐

拝蒋『

世界思想の源泉』(Iは日本な,)は小生近

来愈心の箸でございます。世界の思想歴史は勿

○○○○○○○○○○○○○○○COO

論い拙酔や唾弧薙飾元云明泳呪薙一や嘘咽取蹴吋

て鍵革を起すべき(日本は世界の館一位となる

○○○○○○○○○○○

べき)世界畢界の一大事件たるの確信ある著で

ございますo小生の研究に擦り弐すと、太古の

波雑門教は西部亜細亜起源で印度起原でなく、

共れは我満天原(小亜細亜、商加索)思想の末

流であり、稗迦は天孫彦穂能迩冷婆奪及び彦火

冷出兄奪の別偲。其父天忍穂耳奪は大通料勝仙

として伽典には仰へられて居まし、耶蘇は天孫

隠脂麺が恥偲来史の大間巡

思 想の源泉'世界wh

『世界思想の源泉』(綴歌赫難癖墜岬

木村雁太

20塘曽

頁ユケット」とはムヱコ島即ち『種子が烏』の

別詳であって、此黙から見ても、小銃は決して

西洋のポルトガル人に仰へたものでなく、全く

印度起源、錫蘭仰受で、叉此極東u本の種子が

島でないことが知淑る。それのみならず、西洋

の蛾砲の名『ムュケット』は、本名『種子が島』の

諜嶺。それが西洋に僻はったので、従来の人冷

の考へは内外彼我を鱒倒し、我より彼れに徳つ

たものを、彼より徳はったと忠うて居る。そし

て日本(及び世界)は何れの時からか蛾砲を使用

して居るのであるから、天文年間ょ63以前に

日本には織砲はあったとの説も迩理がある。

(種子が島の蹄主は、此時得た蛾砲一一挺の内

埴ごろ

一挺を紀州根永寺の杉の坊に典へたとあるが、

箕はこれも太古の筒祁話で、同じく印度アラカ

○○

ン方而へ仰へたのである。そして此アーフヵンの

○○○

「カン」も筒を意味して、天文星座にはカネュ・

カニス

ベナチキとなって犬を以って現はしてあるが、

又だ「筒」を以って現はしてあるのもある。そし

・て此「カネュ」も亦「カン」即ち筒であるが、是等

の家は此には説明を略して置く),

若し其れ西洋方面の『ムュヶット』の名祁が

『種子が島』の詳名であるとすると、之れは西洋

起原たることと示すものと云うよりも、蕊ろ種

が烏即ちn本起原を示すものと細うべきであ

る。そして共綾肌年代は蕊ろ笹だ太古に脇し、.

苦のダバグロヱ(印度人西洋希臓人に非ず)又

は墨子(支那人に非ず、イカロュの名を以って

○○

西に側はって居る)、叉は日本の飛弾の工匠(印

○○○○

噸岬響峠樗が蝿迦樺卿洲伽馴酔がⅧ剛睡狸雌肌一搾

る。即ち希脈祁話のダイ変ロ〆の飛行機は、叉

た種子が烏の飛び道典博識の別樽であって、愈

今以ってポルトガル人の仰へたもので無いこと

になって仕舞ふ。

此通りにポルトガル人説が抹殺される以上

は、此度銃砲紀念のポルトガル公使カルネイロ

氏の喜悦は幻滅に蹄すべきもの、叉た折角寄金

までした松浦伯は御気の毒だが、間迷った鋤砲

事件に徒らに出金などして、異の仰永考でない

特慨一一一側諏)

とも亦樺迦とも同一人の改作されたもので、耶

蘇教は我祁蓮の派生教であります。

特に欧洲諸似等の以って思想の源泉として居

る希峨哲単なるものは、我が(印度。Ⅱ本時代の)

○○○

○○○○

日本の俳赦及び、n本主義の西に似ったもので、

而も少なから樋誤諜、誤偲、又た滑蒋吸飯的の

ものがある乙となども明瞭に又走愉快に毅兄せ

られ読肌せられ、今日以後『希臓哲畢』なる瀦稲

は満城し、『n本哲畢』取って代るべき事となっ

た乙とは、近時畢界の姉快訓では無いでせうか。

今本書の目次を繋げますれば、左の遡りです。

l上段は西洋に改作された、西洋籍の側本人.

Page 21: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

雛十一一章ラペドグレーュは’一罰遊行

上人

錐十一一一章デーモクリトュはl法然上人及

び列子

雛十四章プロォタゴラュはi親撤上人

竿妻龍《柔炉鍾l咋迦莞

錐十妻書ツクリデーュはl菜謹守

錐十七章アリ掌ツポュは’’四峰金吾加

錐十八章犬儒哲巽はI佐渡(・ハルカン)

の遠藤嬬盛

◎。。○。○。。③◎

錐十九章プーフトーンは1日昭聖人

第一一○章アリュトープレー葎はl山鹿素

行伸

館一一一章ピル画lはl荘子、兼好法師

錐一一一一章エピクロウヱはl『中の中の小

俳』1-1楊朱

錐一一三章ユト布ツク。ゼーノーンはl紹

提寺の鑑興

第一一四章アルケシラヱル弱ルーーャデーュは

序文。総論

。。。⑨。。、。。。○

鋪一軍アナクシメネー1は11簸澄・偲

軽奉肌(の西洋籍)

第一一章アナクシマンド画孟1行謹

主(の西洋名)

◎◎。。。。。。。。◎

節一一一章クァレュはl天台の薯大師

(以下略す)

第四章オリンピック。グー公は‐I比叡

川開棚

鋪五章アナキサゴラュはIi和筑清臓

節六章クセノファネーヱーは法華経と

日持聖人

。。。。。。。⑨⑨。①

錐七章へラクレィトュはI弘法大師

雛八章どきラュはl凹仁蓋大師

鮒九章アポローーャのヂオグネーュは11

良源慈慧大師

第十章・ハルメーーデーュは11.老子と白河

民部

鋪十一章ニレァのゼーノーンはI白河八

郎・鏡忍

;螺

上 界 思 想 の 源 泉上 界 思 想 の 池泉 隠裾§円

20侭

I悟入奪者と世親蕃I供舎

論編成史

。。。。。。。。。の。○.

節一一五章アレキサンドリヤ率派は11太古

。。。○○。。●。。。◎

日本の世界呈化通勤(一)『挨及。日

○本』に於ける天文畢考上・ハーコー

。◎。◎

l天のH槍

鍍一一六章同(一一)『戸ゴュ』及びフイローンは

崇祁天皇及び垂仁天皇

鉱一一七章向(三』天孫。樺迦。耶蘇・

錐一一八章同(四)プローチノュはl‐允恭天

。。、⑨。。。。◎

鉱一一九章同(五)プ頑〃画1はl識天皇

『宇宙の大祭司』

第一一一○章結論l〔附〕ベーラと因凹と、

天野メッチ・イケヅキ

n本皐界の雛災と、岡本民族祁先の頭脳の力

の光柴との偽めに、敢て御一誠を勘めます。

尚ほ小生の此の前回の藩『一天四海五大洲の

大日蓮』(教丈祇荻行。特価三回。本協含取次)○

は世界の》示教、哲畢、天文、地理、歴史上の大

辻錐移聴、含炎誕吏及び共他報告

20巻

Ⅱ二

拝啓御清穆奉災候。側本民族協愈は蛙れまで

東京に郵務所を慨き、事務一切を比企間新造氏

の好意に委托し居候びしも過般氏は他に韓展せ

られ、研究部との連絡不便となり候繍あ、今回

事務所を辻錐木村宅に移し、叢誹は辻錐より磯

行することに致し候。

又た今回倉の組織を簡躯にし、形式的役員等

を腰し、不肯木村鷹太郎は一切を代表し、研究

は勿論、雅迭、迩儒等一切の郡務も識く之を木

○○○○○○○○

研究、大雅兄を洲載せる大著番たるZと剣も同分

名乗久ソます。術ほ又た税時世界の宗教界を一一一分

して共一を右せるマホメット教、共教祁マホメ

ット仲は、全く詳細に我が聖徳太子(印座・日本

時代)の仰と西に僻へたものなるzとも磯兇し

ました。之れは近冷『日本民族研究叢蒋』に綾

表する猿でございます。

4『.FIOq二日■rⅡ.IL■■日p■門■岡■。■慣r■■己同n面■■二』

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Page 22: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

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Page 23: 木村鷹太郎『日本民族東漸史』

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