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田代二見「教育の原理としての宗教」

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[研究] 田代二見「教育の原理としての宗教」、『新教育』6巻3号(大正9年3月)、成蹊学園出版部-1920年

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Page 1: 田代二見「教育の原理としての宗教」

ものであり、それにそのまうに随ふことが信であり翼‘

であるとされるのであります.、又それ等を排しては大

悲もなく伽もないといふ意味であるがま葛の人生々活

に随順する内的純験が信を得しむる因であり采である

とさる画のであります、それは今畢としては自然現象

を禰接撫鹸から柚衆して盤理する自然科畢の右限的探

究に封照せしめらる祇接郷験を杭接線験のまぁに雛理

し肯定せしむる心理梁であると知らしめられます。

原理の複雑化それを外的物質的思想と知らしめられ

ます。偉人蝶奔、人絡撲奔等形式的修養論恭の多いの,

が現代の無宗敢をよく語ってをろと存じます、叉仙人

コクド

主義陸士主義にとぢ言』もる事も側じき人生に原理がい

くつもある歌になりませう、それ蝉は無限に延びんと

する生命を随分し中断する事になりますから結臓自己

解僻の外はありますまい、それ等思想を征服し同じき

人生随順の信に綿せしむる率が至善であり宗敢である

と知らしめられます、それは教育家の壷務でせう、責

務をさけて自己一人の安心立命題はかる如きは仙人主

蕊の漉形であると恩ひます、それは到底一人の安心を

も保諦いたしますまい、溌育といふ事質に封しても矛

盾してをろでぜう、敷宥は文化の史約祁頼であります

このごろ或る高等の専門壌校州の人と時々話しだ事

でありますが、その人が、・一つの原理に蹄命するなど

は誠に狭溌であると一一一一両ひます。剃繍もⅡ逆もあれ稀の

偉人であるから、靭撤は親繕として、n通はH逆とし

て「よし」とすべきであると一一一蔵ふのですが、こういふ兄

方を外的と言へませう。それは蝋想にふれて居ない誘

搬であると存じます。n蓮の余激と刺繍の宗教とは内

容がちがひます一・からそれを橡する事なしに軍に偉人

でめ泉ら「よし」とするのは、墓その言莱l思想

は言葉として磯表されますからlを味っだので職

く形を望んで、あきして後世まで祭拝され、叉困難に

打かち戦ったといふ如き生活承りを兄て、それを「よ

しLとする考でありませうから、日述の思想にも、迩

総の思想にも相営しない形式論と巾すべきであり坐ませ

ぅ.iそれ故思想は言葉にぁるを知るべきと存じま

す11宗激が軍に宗派的であり人格形式であるならば

教育原理としての宗教

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【GFb‐1

から即ち個人を史的開腿の全人生L没せしむる資隙活

動でありませう・それ自身仙人主義の否定であります、

敢育をするといふ郡は巳れ一人に生を断じない事賞で

あります、職業赦育は知的壷本祁綾の事業でせう、然

しそれは人生々派の生命意志が行はしむる自然の道で

せう、敢育はつまるところ峨業教育として行はれてを

bまたそれとして洗練進歩せしむべきでありませう、

そのあるがま勘の人生々活としての職錐生活それ自身

に没せしめられ果さしめらる腎事に信を得しめるべき

であってそれが締刺激青でありこ秘に職業赦育の指導一

統帥を見川さしめらる蚤と知らしめられます、瀧足、ワ

不瀧足にも撰びがひつもある各々の職業それを果す事一

が信であり止むを得ぬ』皿〈でせう、それ等責務遂行の人

生随肌の信にのみ内心の解脱はあるべきでそこにはじ

めて一人のための安心立命をもひらかるBと〃じま

す、それを親禰は自然法術と示され、原理「阿州陀伽」

に綿せしめられてあると知らしめられます。「無上伽ト

マフユハ、カタチモナクマシマス、カタチモマシマサ

蕊ユヘニ同然トニフ象ナーI動亥チ雫マシマヅ異

ヤウヲシラセントラハジメテ禰陀伽トマフュゾトキ、

ナラ廷ラヅフラフ、、禰舵桃《自然ノャクヲシラセンレ

日逝でも親撤でも、法然でも、それは偏した見地にと

ぢこもる、即ち自山無柵なる生命の雌碍でありませ

ぅ。信とは川じき人生々濡の而仙世堺の綜合的一念を

撰ばしめられ、末・術せしめらるきこと、知らしめられ

ます。流接純駿の内的世界は:一・心の辿維でありますか一

ら、時州的であり、子れ故一を排して他を収るといふc

如き塞脚的按排はあり得べからざる八外的祁々相に明一

らかに掛照せしめらる動、晶的即一念の迩純であるべ

きと兜らしめられます。こ葛に生命は自由の州艇を得

て所を得、外的伽々相に君臨せしめらると知らしめら

ナリ

れます。親撤の言莱に「信架削是」皿(宙俄瀧心。樋成川

ナリ小リ

灘蕊脚灘織識鱗礁斗

雑也」と今のります・欲、願、愛、悦、職喜、賀慶、極成用重

霧験宣中心等の名目健皆一Pの生の見地の差砿すぎぬ

田代二見

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ては破るべき陣擬でせう。それを公協し得ぬところに

人生の悲劇がありませう、そこには征服か被征服かや

あるのみでそれは止むを得ざる生命の自然でせう⑳人

の取るぺ墨はその随順か屈服か否定かl我々は連

かに決定すべき時に際脅してをります、その圃民的人

生的信不信を決定すべき一大率を戦はねばならぬと信

じます。然今外的に革命すべきものもいくらもあるで

せうが此内的革命戦を第一に職ふくき極そこにのみ外

的革命の偏頗を総正しうると存じます、此思想的革命

を域ふくきものは第一に新聞雑誌であり次に教育家で

せうから錐を取り思想を側へる赤は此責任を威すべき

と瀞じまさ。

女茨,』形もましまさずど言はれるのは無限無解決の

内的経験であるからでそれは自然科畢的論理にて識明

し得ぬ「無職の鍵」であり流接紳聡の「生命意志」と味は

されます、「自然の生」に一念ならしむることが弼陀儲

への婦命と説かれます、かくの如く親驚の宗激は親鴛

をも没せしむるところ眺非宗派的原理を棚めしめれま

す、それゆへ親駕の思想即言葉は撰び侭せしめらるぺ

き偏らぬ宗救と知らしめら虹きす。・

今圃家劉抗の現批界に於てはそれは我々にとって

「日本人意志」であると知らしめられます、英人にとっ

ては「北画人意志」でせう、そしてそれは批界減融に向

って韮みつシあります、圃家捌抗も無限の生命に取つ

一躯年間に於て二冊の讃本を取扱った緒果が果して

兇董の生活の上に、どれ丈けの目星ましい刺戟がある・

であらうか、顧みて考へて見る時共鹿に何とも言ひ知・

れぬ寂翼さが戚じられる噸があるではなからうか。.

だが、其文字が何でゐらう、文章が何であらうも教授

者側から考へて見ると、是等のものば皆或目的を遂行

せんが潟めの方使として使川されたものに過ぎぬ、換

貢すれば極めて枝葉の問題に過ぎぬものである。

然るに和ともすると此枝葉の問題が却って亜大魂せ

られ、果ては考迩に試験に、常に得鮎の劣少によって

生徒の優劣を決定し、甚だしきに至っては、これによっ

て敬師の教授力の徹底にまで評悩を試みるに譲る場合

も鹿により人によりては無くもなからうと忠はれる。

脱線も斯うなっては甚だしいと言はざるを得ない。併

し誤字を書き緋騨を説ってする率があっても、それは

枝葉の問題だからとて許癖すべしとの意喋ではない、

正しい字を鰐き正しく解を附すろ事に就ては、決して

教授着間生徒も努力を樵むくきではない率は勿論では

あるが、それよりも以上弦に爺大嘩るべき讃本救援の

目的がある、共仙的を度外蝿して文字を正しく書く等

の事にのみ熱中する事には賛成が出来ぬといふ土嘉の

事である。而して讃本山激授を進めて術fにあたって

の目械とすべきものは何であるかと言ふとDそれは言

,、、、、、

ふまでもなく生従の麗醒である.唯蝋に文字や文章を

教授することのみを主とするならば寺小屋時代から激

韻本教授に就て

子吉武次

へ求つた奮い本が幾らもあるのである。殊更に文部

省が翻刻を重ねて修正に改良に努力するの要は此蝿

醒、剣々に進腿する時代に伸ふて網ぺての鮎の改造し

行く共縦醒、これが其主要なる澱誰をなすもので従

って教授新の常に間隙とすぺき鮎も亦此腿にあらねば

ならぬ事と忠ふものである。然るに魔によっては、

一祷内に於て各皐級の得鮎の比較の潟めに或は甲の畢

校と乙の畢校との成縦?の比較の矯めにする皐力比

較考奄なるもの、行はれて居るのを見る率がある。詰

り兇菰の記憶力の比縦調査である。これもや6機によ

っては数果も中々少くないかも知れないが、これが鱒

めに戦授搬常恭が、共心中唯々筆答に封する準伽にの

み焦瀧し如何にして欝取の徹底、語句の正解がなさし

むるを得ぺきかに就てのみ研究せねばならなくなり、

却て是れが潤めに共川標が、方便としての材料、枝葉

の問題に移って、議征の改訂修正され術く翼の其義が

教授撚噛荷に不徹底を見るに至り、果ては一ヶ年に二

冊の諦本をして全く無意味に、唯々兇龍の手垢に汚し

柊んぬるに乗る場合も中々少くはない邸であらうと恩

ふものである。監督の位慨に立つ人も教授の奮際家も

心すべき事ではあるまいか。我々散授者は薗本激授の

生徒の立場から考へて見ると、それは勿論饗つた文

字ならば書けなければならぬ筈である。教へられた語

句なれば其解緑が柵来なければならぬ筈である。従っ

て文章も相鴬に磯けなければならぬ桧には相違ない課

一.8.--一一⑨