19
672-2001・ 5・ 20(第 二種郵便物認可) 672号 平成 13年 5月 20日発行 (毎 月20日発行) 昭和 49年 8月 31日第二種郵便物認可 日本山岳会平成 13年度海外登 山基金の助成対象 となった 三つのヒマラヤ登山について、各登山隊の隊長に、 計画の概要 を記 して もらいました。 それぞれに厳 しい登山になると思われ ますが、 持て る知恵 を絞 って、有意義な山登 りをしてほしいと思います。 三つのヒマラヤ登山 冬期 回― ツェ 南壁 日本山岳会東海支部冬期回―ツェ南壁登山隊2001 隊長 田辺 東海支部設立40周 年記念登山のローツェ南壁登攀ルー ト図 一 九九七 年の 学術登 山隊 成功裡 に 終了 支部 次な を四 きま の 結果二〇〇一 年十 南壁 モoチ の冬 期初 攀を 指す にな 八五一六 世界第 標高差三三〇〇 トル の大岩 ます この壁 の 挑戦を受 クク た世 界の 強者 り挑 退 クク 命を落 ます 初登 一 九九 〇年春 です 疑惑の 登頂 とさ (1) 2001年 (平 13年 ) 5月(No.672) 餞買日本山岳会 ηrlle Japanese」 Llpilne club 定価 1部 150円 三つのヒマラヤ登山 冬期ロァツェ南壁 …・・・・・・・ 01 ガ ッシャーブルム I~ II… 2 ナじ /ル / 70950。 ・・ 0・ ・・・・ 3 報告 図書委 29回 山岳史懇談会 04 総務委 0平 12年 度新入会員オ エ ンテ ー シ ョン ・・・・・ 0・ 4 図書委 山岳 図書 を語 るタ 05 東西南北 シャクスガム河の氷塊跡 …・・ 6 栂海新道開通30周 …・・・・・・ 7 ヒマ ラヤ の東 日本か らの発信 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 08 俳句 雪 山路 ・・・・・ ・・・・・・・ 9 ボ リビア 日記 2・ ・・・・・・・・・ 9 会員アンケー ト結果報告 20010 海外の山 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・…14 図書紹介 …・・・・・・ ・・ 0000・ 015 追悼 中島寛 天地ある限 り』 高地 2・常念烏帽子縦走記』 美 しき 伯者の滝たち』 中国山地の四季』 図書受入報告 …・・・・・・・…・・…・ 16 会員異動 ルーム日誌 ・・・・・・・ 016 会務報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 1NFOR:MATION・ ・・・・ ・・・・・・ 018 >日 本山岳会事務 (含 図書室)取 扱時間 00。 ・・ ・・・・ 10~ 20時 ・・ 0・ 0・ ・・・・・・・・・ 13~ 20時 2、 4土 曜日 ・・・・・・・・ 00閉 1、 3、 第5土曜 日 ・・ 10~ 18時 脇雑棚 醸” 鰈一 騨一

5・ 三つのヒマラヤ登山 - JACjac.or.jp/info/iinkai/kaiho/200105YAMAr1.pdf山 672-2001・5・ 20(第二種郵便物認可) 第672号平成13年5月20日発行(毎月20日発行

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  • 山 672-2001・ 5・ 20(第 二種郵便物認可) 第 672号平成13年 5月 20日 発行 (毎月20日 発行)昭 和 49年 8月 31日 第 二 種 郵 便 物 認 可

    日本山岳会平成13年度海外登山基金の助成対象となった

    三つのヒマラヤ登山について、各登山隊の隊長に、

    計画の概要を記してもらいました。

    それぞれに厳しい登山になると思われますが、

    持てる知恵を絞って、有意義な山登りをしてほしいと思います。

    三つのヒマラヤ登山

    冬期回―ツェ南壁日本山岳会東海支部冬期回―ツェ南壁登山隊2001

    隊長 田辺 治

    東海支部設立40周年記念登山のローツェ南壁登攀ルー ト図

    一九九七年のK2学術登山隊が

    成功裡に終了した後、東海支部は、

    次なる目標を四年間研究してきま

    した。その結果二〇〇

    一年十二月

    に、ローツェ南壁トモ

    oチエセン

    ルートの冬期初登攀を目指すこと

    になりました。

    ローツェ

    (八五

    一六メートル)

    は世界第四位の高峰で、その南壁

    は標高差三三〇〇メートルの大岩

    壁となっています。この壁は過去

    三十回の挑戦を受けてきました。

    メスナーやククチカープロフイと

    いった世界の強者が入れ替わり挑

    んでは撃退され、ジャジ

    ェール、

    ククチカをはじめ五名が命を落と

    しています。

    この壁を初登攀したのは

    一九九

    〇年春のトモ

    ・チ

    ェセンですが、

    疑惑の登頂とされてしまいました。

    (1)

    2001年 (平成 13年 )

    5月 号 (No.672)餞買日 本 山 岳 会ηrlle Japanese」 Llpilne club

    定価 1部 150円

    目 次三つのヒマラヤ登山

    冬期ロァツェ南壁…・・・・・・・01ガッシャーブルム I~ II… 。・ 2■ナじ/ルン/ 70950。・・0・・・・・。 3

    報告

    図書委・第29回山岳史懇談会 04

    総務委 0平成 12年度新入会員オ

    リエンテーション・・・・・‥0・・ 4図書委・山岳図書を語るタベ05

    東西南北

    シャクスガム河の氷塊跡…・・ 6栂海新道開通30周年…・・・・・・7ヒマラヤの東一日本からの発信・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・08俳句・雪山路・・・・・‥・・・・・・・ 9ボリビア日記・ 2・・・・・・・・・・ 9

    会員アンケー ト結果報告・20010海外の山・・・・・・・・・・・・・・・・・・…14

    図書紹介…・・・・・・‥・・0000・ …015

    『追悼 中島寛 天地ある限 り』『上

    高地 2・ 常念烏帽子縦走記』『美しき

    伯者の滝たち』『中国山地の四季』

    図書受入報告…・・・・・・・…・・…・16

    会員異動・ルーム日誌・・・・・・・016

    会務報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・171NFOR:MATION・・・・・。・・・・・・018

    >日 本山岳会事務 (含図書室)取扱時間月・火・本 ・00。・・。・・・・10~ 20時

    水・金 ・・0・ 0・・・・・・・・・・13~ 20時

    第 2、 第4土曜日・・・・・・・・00閉室第 1、 第3、 第5土曜日・・10~ 18時

    脇雑棚

    醸”””鰈一騨一機

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第 二種郵便物認可)

    その後

    一九九〇年秋に旧ソ連隊が

    別ルートからローツェ南壁登攀に

    成功しましたが、七名が重度の凍

    傷を負

    ってしまいました。この他

    の挑戦はことごとく敗退し、ロー

    ツェ南壁は今なお世界最難の壁の

    一つとされています。

    今回東海支部では、八名の隊員

    で、気象条件のも

    っとも厳しい冬

    期世界初登攀に挑みます。冬の八

    五〇〇メートルは、気温マイナス

    五〇度、風速五〇メートル、体感

    気温はマイナス

    一〇〇度という苛

    酷なものです。その中で襲いかか

    る落石と落氷を避けながら、極端

    にデリケートな登攀を強いられま

    す。し

    かしながら

    一九九九年十二月

    の偵察の結果、冬は雪が硬くなる

    分、雪崩の危険は少なくなり、ル

    ート状況も安定することがわかっ

    ています。十二月

    一日より短期速

    攻で登り、風速

    一〇〇メートルの

    本格的な冬のジ

    ェット気流が吹く

    クリスマス以前に登山を終了させ

    ることができれば、成功の可能性

    はあると考えています。

    そのため、登山隊は九月上旬日

    本を出発し、秋に世界第六位の高

    峰チョーオユーに登

    って高所順応

    を行います。

    今回の登山は非常に大掛かりな

    ものとなりますので、日本山岳会

    この度は、私ども明治大学ガッ

    シャーブルムー~Ⅱ登山隊にご支

    援いただき、心より感謝申し上げ

    ます。

    新世紀初頭にあたる二〇〇

    一年

    は、明治大学創立百二十周年にあ

    たり、また翌二〇〇二年には体育

    の皆さまのご協力をよろしくお願

    いいたします。

    会山岳部の創部八十周年となりま

    す。当山岳部および炉辺会

    (OB

    会)は現在までヒマラヤ八千メー

    トル峰十四座のうち十座に登頂を

    果たしており、残るは四座に迫

    ております。

    一方、学生の活動に目を向けま

    すと、 一九九五年のインドヒマラ

    ヤ、ガングスタン登頂をはじめ、

    冬季剣岳チンネ登攀、冬季穂高~

    槍ヶ岳完全縦走、冬季日本海~白

    馬岳縦走など、活動内容も充実し、

    現役部員および若手OBの間で、

    ヒマラヤに対する熱気の高揚が感

    じられます。このようなことから、

    二〇〇

    一年の大学創立百二十周年、

    二〇〇二年の創部八十周年を迎え

    るにあたり、.炉辺会に新風を吹き

    込むべく、若手会員による八千メ

    ートル峰への連続登頂を計画いた

    しました。

    当計画は、炉辺会員未登の八千

    メートル峰四座のうち、ガッシャ

    ーブルムー峰

    (八〇六八メートル)、

    同Ⅱ峰

    (八〇二五メートル)を目

    指すものであり、六名の登山隊員

    全員が二十歳台という若いチーム

    です。また、併せて周辺地域の農

    村、氷河地形調査で地球環境問題

    資料収集等を目的として、八名か

    らなる学術調査隊を派遣します。

    来る二〇〇二年に予定されてい

    るローツェ

    (八五

    一六メートル)、

    アンナプルナー峰

    (八〇九

    一メー

    トル)連続登山と併せて、炉辺会

    員による八千メートル峰十四座完

    登を目指すドリーム

    ・プロジ

    ェク

    ガッシャーブルム I~ Ⅱ明治大学ガッシャーブルム登山隊2001

    隊長 高橋和弘

    平均年齢26歳で挑むガッシャーブルム I~ Ⅱ峰

    (2)

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第二種郵便物認可)

    卜の

    一環として位置づけられてお

    ります。

    今回の登山に向けては、若さゆ

    えの未熟で稚拙なところが多いと

    は存じますが、新世紀の登山の第

    一歩として、内容の濃い登山を展

    開し、よい結果を報告できるよう

    頑張

    ってまいりたいと思います。

    たときである。五六〇〇メートル

    の第ニキヤンプからナムチャバル

    ワの東に黒々と岩壁を露出する鋭

    鋒がく

    っきりと目撃された。単な

    る稜線上のピークではない。個性

    を持

    った

    一個の山としてその存在

    を十分アピールしていた。

    さて、今回の登山の特徴を幾つ

    か述べよう。

    ①ヒマラヤの山としては珍しく八

    日以上のキャラバンを強いられる。

    しかも、後半は人跡未踏の道なき

    道を進まねばならない。

    ②山全体が未知の領域であり、資

    料は皆無で、わずかに地図と読売

    新聞社と重廣恒夫氏が撮影した写

    真があるのみである。

    ③偵察をやめ

    (資金的理由から)、

    初見参で、隊員二人だけでアタッ

    クを試みる。三十三歳の山本茂久、

    二十六歳の千葉敦雄、そして五十

    五歳の私だ。千葉と私とは親子ほ

    ど年が違う。勿論、体力差もある。

    重廣氏の写真に北面の上部が見

    えるものが

    一枚あ

    った。急峻な岩

    壁と雪壁、ナイフリッジが連続す

    る。国内の冬期岩壁を意欲的にこ

    なす山本を登攀隊長に二人でザイ

    ルを組むが、私たちの力がどこま

    で通じるかわからない。しかし、

    なぜこの山に登るのかと聞かれれ

    ば、答は

    「まだ誰も登

    ったことが

    ないから、それが未知なる山だか

    ら」である。未知の領域に道を切

    り開くことになる未踏峰の登山ほ

    ど心がときめくことはない。そし

    て、次の時代を担う若い隊員には

    必ずや新たな道

    への扉となると思

    っている。

    海外登山基金補助金を賜りあり

    がとうございました。

    総隊長・尾上昇、隊長・中村進、登

    攀隊長

    ・山本茂久、隊員

    ・千葉

    敦雄。日本出発九月二十四日、

    帰国予定十

    一月十六日。

    まだ誰も登つたことがない山

    サンルン 7095ン 桜門山岳会サンルン登山隊2001 隊長 中村 進

    未踏の山サンルン 07095m(写真提供 読売新聞社)

    「サンル

    、馴染みのない名を持

    つこの山を知る人は少ないと思う。

    東西二七〇〇キロにおよぶグレー

    ・ヒマラヤの北側には、ヤルツ

    アンポ川が東に向か

    って流れてい

    るが、チベット自治区の東部に至

    ると大河は突然直角に折れ進路を

    南に変える。サンルンはその屈曲

    部の内側、聖峰ナムチャバルワの

    東八キロほどのところにひっそり

    と屹立する標高七〇九五メートル

    の人跡未踏の鋭鋒である。 今秋

    の十月中旬から十

    一月にかけて、

    三名の隊員だけでセミ

    ・ポーラー、

    あるいはセミ

    ・アルパインスタイ

    ルで登

    ってみようというのが私た

    ちの計画である。

    私がサンルンと出会

    ったのは

    九九二年の日中合同ナムチャバル

    ワ登山隊に報道隊員として参加し

    アンデス・プランカ山群トレッキング11日間C躍轟レ 東京。大阪 ●ヤンガヌコ谷からサンタクルス谷ヘ【ツアーのポイント】 (テント4泊の比較的短いトレッキングですが、毎日、美しい山々がふんだんに眺められ、標高4,750mの峠も越える充実コース。トレッキングの前にはワラスをベースに高所順応をします。

    《出発日》●6/7 ●6/21 ●7/5●7/19● 8/16●9/13

    国土交通大臣登録旅行業490号/(社 )日本旅行業協会正会員

    月″r争リタ昇多ど貿』|五書″〒105-0003港 区 西 新橋 1-12-1(西新 橋 1森ビル )TEL.03-3503-1911大 阪 806(6444)3033名 古 屋 8052(581)3211 福 岡‐ 092(715)1557

    (3)

    000円

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第二種郵便物認可)

    第二十九回山岳史懇談会

    第二次RCCのあしあと

    二月二十八日の夕、第二次RCC

    の創立メンバーで元代表の二宮洋太

    郎氏をルームにお招きして、戦後日

    本のアルピ

    ニズムにエポ

    ックを画し

    たクライマー集団の歴史を語

    ってい

    ただいた。出席者は二十八名。

    昭和三十三年に結成され、より高

    くより困難な登攀、スーパーアルピ

    ニズムの旗を掲げて活躍したRCC

    Ⅱの最大の特色は、斯界の先端をひ

    た走る尖鋭な実践活動と、その基層

    文化に関する幅広い研究活動が分か

    ちがたく結びついていたことである。

    岩場の科学的なグレーデイング、登

    山技術体系の整備、埋め込みボルト

    の考案

    o製作

    ・実験をはじめ諸登山

    用具の改良とモデル化、登山思潮の

    研究、その成果を社会に還元する出

    版その他の普及活動など、この団体

    の文化遺産はまことに数多い。

    またRCCⅡが個のアルピニズム

    を主唱し、国内の積雪期D

    (ディフ

    イカルト)V

    (ヴァリエーション)

    ルートの開拓から本場アルプスの北

    壁登攀にいたる目覚しい山行が、同

    人個々の創意と行為に委ねられてい

    たことも、この集団の先進性をあら

    わしている。カフカズ、パミール、

    ヒンドゥークシュなど、当時日本の

    登山家には未踏の中央アジアの山域

    に、延べ八隊が探検と登攀に赴いた

    パイオニア活動にも、組織行動であ

    りながら有志の熱のこもった個人山

    第2次RCCの活動を語る三宮洋太郎氏

    日本山岳会の各委員会

    同好会の活動報告です。

    行の趣が見て取れる。

    そのRCCⅡが最初にして最後の

    集団登攀を行

    ったのが、昭和四十八

    年のエヴ

    エレスト南壁

    への挑戦であ

    る。劇的な敗退で終わ

    ったこの登攀

    を二宮氏は、十五年間

    一途に燃焼し

    続けた革命的クライ

    マー集団の最後

    のきらめきと見て、その波瀾の歴史

    をこの段階で締めくく

    った。

    そのあと講師を囲んでにぎやかな

    懇談が続き、RCCⅡが切り開いた

    疾風怒涛の

    一時代に思いを馳せた。

    なお当日の講演の詳しい内容は今年

    『山岳』に掲載の予定である。

    (平井吉夫)

    平成十二年度下期・第三十二回

    新入会員オリエンテーション

    ニ月二十

    一日ω午後二時より、平

    成十二年度下期入会者

    (対象会員番

    一三二

    一五~

    一三二九四までの八

    十名)のオリエンテーションが本会

    ルーム会議室において開催されまし

    た。当

    日は、満開の桜に雪という二十

    五年ぶりの天候の中を、新潟

    (越後)、

    奈良

    (関西)と、支部からの参加者を

    含め二十六名

    (うち女性七名)が出

    席しました。小倉副会長の開会の辞

    に始まり、大塚会長より、当山岳会

    のクラブライフとしての楽しみ方を

    多岐にわたりお話しいただきました。

    総務担当高原理事による

    「組織と活

    動」、先の会員アンケートによる年齢

    構成などは、現状を踏まえながらの

    説明、その他山岳保険、山岳会のホ

    ームページ、上高地山岳研究所の案

    内などが行われました。全員による

    記念撮影後は新入会員の自己紹介、

    意見交換と続きました。

    入会動機は、昨年の夏のカナダト

    レツキングに参加して、また、若い

    ときに大学山岳部

    で活躍していた

    方々の復活、中高年に達して山に深

    くかかわりたい、知識情報を得たい

    など、様々な意見を聞くことができ

    ました。

    平成12年度下期のフレッシュな顔

    (4)

    ′薇

  • 山 672-200105・ 20(第 三種郵便物認可 )

    懇親会では、恒例とな

    った新入会

    員お国自慢の

    「お酒」「ワイン」を持

    ち寄

    っての歓談が大いに盛り上がり、

    午後六時過ぎ幕を閉じました。

    (石光久仁子)

    山岳図書を語るタベ

    北のアルプ美術館について

    北海道斜里町にある

    「北のアルプ

    美術館」は、山の月刊誌

    「アルプ」

    を核に、山の文学および美術を扱

    た私設の文学館

    ・美術館である。

    一月二十九日、ルームにて、それ

    が生まれた経緯から、現在そして将

    来の悩みまでを館長の山崎猛氏に語

    っていただいた。

    「アルプ」に出会

    ってから現在まで

    ……アルプから恩恵を受けたもの、

    人生の道じるべとしてアルプから自

    分が得たものを皆さんに聞いていた

    だければ幸いです、と始ま

    った情熱

    あふれる話は感動的だ

    った。

    山崎氏は昭和十二年、道南生まれ、

    十五歳の春に斜里の町に住み込み店

    員として本屋に勤めた。成人の年に

    「アルプ」一号に出会

    って自分の人生

    の方向転換ができたような気がして

    います。自分の先生は書物なわけで、

    「アルプ」で育

    ったような気がしてい

    ます、と語る。

    昭和四十

    一年に書店を辞め、事務

    機の会社を興した。四十五年頃には

    文学館

    ・美術館構想が頭の中に描か

    れていた。それは知床半島に関わ

    たものや、北海道が好きにな

    った作

    家の作品を集めたい、ということだ

    った。二十五年間続いた「アルプ」が

    五十八年に終刊を迎えたとき、終刊

    号の「編集室から」の言葉が山崎氏を

    「アルプ」に再度引き寄せる。アルプ

    を残すべきであり、「アルプ」の精神・

    思想や「アルプ」が語り伝えたものを

    次の世に伝える責任が自分にある、

    という自信と期待が生まれた。

    それからは

    「アルプ」を館名に使

    えるか串田先生などに相談し、許可

    が下りてから、場所については

    「ア

    ルプ」的な場所、「アルプ」の種が斜

    里の土壌に芽が出るかどうかを考え

    ながら探した。そして旧三井農林の

    酪農工場跡地

    一五〇〇坪に古い建物

    が点在していたのを改築し、平成四

    年六月十三日に開館した。

    個人の夢は家族の夢に、家族の夢

    は地域の夢にならなくてはならない。

    「アルプ」の財産は公的なもの、自分

    は管理するだけ、を美術館の基本と

    し、また、美術館に寄せられた串田

    先生や編集長

    ・大洞正典氏の文章が

    憲法で、美術館を護るためにはこの

    血液を汚すことはできない。

    開館後も

    「アルプ」に通じる精神

    で運営、活動し、美術館に来られた

    人々のドラマや蔵書、資料を寄贈し

    ていただいたこともたくさんあ

    った。

    美術館は斜里の環境に助けられて

    いること、美術館を山登りの人だけ

    でなく、地域に開かれた美術館にし

    たいとも。二十

    一世紀に

    「アルプ」

    を残せたのが自分の財産で、二十

    世紀にどう伝えてゆくかが将来的な

    課題です、と語

    った。

    講演に続いて参加者とのなごやか

    な懇談とな

    った。山崎氏は話の中で

    「アルプ美術館ができたおかげで、山

    に対する謙虚な心が語り伝えられて

    ゆく確信もあります」と述べた。

    また山崎氏は昨年出版した自身の

    写真集

    『日本の灯台』を出席者の

    人にプ

    レゼント。灯台の無償の行為

    と日本列島がリンーで灯り飾られて

    いることにロマンを感じたという。

    自然や人生に謙虚さと誠実さで当

    ってこられた山崎氏の生き方は、

    爽やかな感動だ

    った。 

    (三栖寿生)

    北のアルプ美術館長・山崎猛氏

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    く第 20巻 >―等 三 角 点 の 山 々

    A5判 0310頁 0定価 1680円 (税込 )一等三角点の山シリーズ。280山の総索引と高度順一等三角点 100座が付いている。80座を紹介。

    第9巻、第18巻、第20巻のガイドの山は重複しません。

    新ハイキングの見本誌はハガキで申し込めば無料で送付します。

    新ハイキング社〒l14-0023

    FAX17‐日 38110

    新ハイキング選書

    (5)

  • 西南

    イラスト・宇都本慎一

    会員の皆様のご意見、エッセイ、

    俳句、短歌、詩などを掲載する

    ページです。どしどしご投稿く

    ださい。(紙面に限りがあります

    ので、 一点につき

    一〇〇〇字程

    度でお願いします)

    山 672-2001・ 5・ 20(第 二種郵便物認可 )

    シャクスガム河の氷塊跡

    西川益生

    ・古市 進

    一九九八年五月五日、西川は立教

    大学ガッシャーブルムⅡ峰偵察隊に

    参加して、シャクスガム河の川床を

    ドーピンジヤンガルから北ガッシャ

    ーブルム氷河のキヤンプ地

    (イタリ

    ア隊のベースキヤンプ)に向かって

    歩いていた。

    一キロメートルもある川幅が北ガ

    ッシャーブルム氷河の舌端付近で、

    二〇〇メートルほどに狭ま

    ったとき、

    川床の石が大きくなり、歩きにくく

    った。同時に、川床のあちこちに

    窪みがあることに気がついた。窪み

    の大きさは、大きいものは長辺

    一〇

    メートル、小さいものは二~三メー

    トルくらいで、不規則な逆円錐形を

    している。底部に細かい土、明らか

    に水で洗われたことのない上が、窪

    みの中の砂利

    (砕石)の上に乗

    っか

    っていた。

    なぜ、このような窪みがと思いな

    がら、翌日北ガッシャーブルム氷河

    の舌端の下を通

    って、ウルドク氷河

    の舌端に近い左岸の段丘にさしかか

    ると、シャクスガム河の川床に、こ

    こでも同様の窪みが点在していた。

    しかし、このあたりの窪みには、底

    部に細かい土は見られなかった。川

    幅が狭いためにすぐそばに流れがあ

    り、窪みの底に水が溜ま

    つているも

    のもある。

    「なぜ窪みができたのか」疑間のま

    一年半を過ごしていた。 一九九九

    年に行われた登山隊の報告書の、古

    市による

    「シャクスガム河流域の水

    量変動」を読んで、疑間を解くこと

    ができた。

    北ガッシャーブルム氷河もウルド

    ク氷河も直接氷崖とな

    って、シャク

    スガム河の川流に接しており、二つ

    の氷河にはエンドモレーンはない。

    このような氷河地形から、何らかの

    原因による大出水が発生したとき、

    氷河の舌端部の氷が崩壊して流され、

    そのときできた氷塊が留ま

    ったとこ

    ろで氷塊が融け、その跡に窪みが残

    ったものと考えられる。

    実際、 一九九九年の登山隊に参加

    した古市は、ベースキヤンプ撤収直

    前の八月九日夜から十日にかけ、広

    い河原を満々と流れる

    一時的な大増

    水を目撃している。その後、ベース

    キヤンプ撤収時の八月十

    一日に撮影

    した写真にはシャクスガム河の川床

    に散在した氷塊群が見られ、氷塊の

    巨大なものは、長辺で

    一〇メートル

    のものもあ

    った。

    その様子のイラストとして、北ガ

    ッシャーブルム氷河およびウルドク

    氷河とシャクスガム河との合流点の

    概念図と、氷塊の散らばる河原の写

    真を示す。写真bは最大級の氷塊の

    一例である。なお、概念図には写真

    a、bの撮影地を記入した。

    もし、前記の推定が正しければ、

    西川が

    一九九八年五月に目撃した氷

    a.氷塊の散らばる河原

    b。 最大級の氷塊

    fl´レbじ

    4N

    概念図

    4

    4′二´

    Cヽ

    ‐C

    Bス『

     

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    4

    4

  • 山 672-2001・ 5020(第二種郵便物認可)

    塊跡は、近い過去

    (一~二年前)に

    大出水があ

    ったことの

    一つの証拠で

    もある。

    参考図書

    『遠き山 加舒外布魯本

    Ⅱ峰』立教大学ガッシャーブルムⅡ

    峰登山隊

    一九九九

    ・編

    栂海新道開通

    三十周年を振り返る

    小野 健

    一九五六年、太平洋岸から日本海

    側の化学工場に赴任して間もなく、

    背後にそびえる青海黒姫山に登

    った。

    石灰岩の頂上に立

    って、飛騨山脈が

    日本海に達する北ア北延主稜を展望

    し、強烈な印象と感動を覚えた。

    一八九四年、W

    ・ウ

    エストンは、

    自馬岳登山前に天下の険といわれる

    親不知の断崖に立

    って、この地が日

    本アルプスの起点である、と記して

    いる。 一九六〇年代まで北アの縦走

    道は、朝日岳を終点とし、新潟県側

    が蓮華温泉

    へ、富山県側が北又谷か

    ら朝日町

    へ下るニコースがあ

    った。

    しかし主稜線はさらに北に延びて長

    栂山~犬ヶ岳~白鳥山を経て親不知

    の絶壁で日本海に消滅している。

    当時この山域には登山道がなかっ

    たので、積雪期以外の踏破が困難で

    った。この朝日岳以北の遠大な稜

    一九六

    一年、職場の同僚七名で山

    岳会を結成し、「栂海新道」の開拓に

    着手した。当初から三〇キロにおよ

    ぶ遠大な構想を打ち上げても会員の

    協力は得られないと考え、実現可能

    な目標に分割し、 一区画ず

    つ完遂し

    てつないでいった。

    まず手始めに、職場に近い黒姫山

    に山小屋を建て、さわがに新道を伐

    開して自信をつけた。つぎに、青海

    川上流より作業道を伐り、菊石山で

    本線に出て、町の最高峰犬ヶ岳に達

    した。さらに、南に向かって朝日岳

    を目指したが、途中で

    一部国有林に

    入り込んでいたため、無許可伐採で

    御用とな

    った。新潟

    ・富山両県の営

    林署担当官による現地立会い調査が

    ったが、テントの中でも登山道開

    拓の思いを訴えた。かくして、無断

    伐採事件は、誤伐という裁決で罰金

    を支払

    って顛末した。

    すでに、登山道開設許可申請中で、

    藪刈りも中断していたから、この間

    に縦走道中間地点の犬ヶ岳頂上直下

    に栂海山荘を建設した。将来、栂海

    新道を

    一般登山道として開放するに

    は、避難小屋が必要であると考えた。

    約ニトンの資材を人肩でボッカし、

    すべて会員の自力で建設した。登山

    道の開設許可

    (営林署

    ・厚生省

    ・文

    化庁

    ・林業事務所)が下りるとすぐ、

    新設の山小屋を快適なベース地とし

    て藪刈りを再開し、お花畑の広がる

    朝日岳に達した。最終日標は日本海

    であり、梅雨の降りしきる日、アン

    モナイトの出る菊石山と親不知を

    ないで全コースを開通した。

    振り返ると

    一九七

    一年、十年の歳

    月をかけて三〇キロにおよぶ栂海新

    道と栂海山荘を建設し、北ア最後の

    秘境といわれた朝日岳以北に、夢の

    完全縦走登山道を開拓し、 一般登山

    者に開放できた。開通後も、三十年

    間にわたり、毎年

    コースの整備と山

    小屋の管理を続けてきた。この期間、

    会員の入退者も多くあ

    って、決して

    順調な行程ではなかった。九二年か

    らは会員が老兵二人となり、今は他

    の大勢のボランテイア岳友によ

    って

    支えられている。

    想えば、自費自弁の重労働に耐え、

    仲間との絆を深め、自然との出会い

    に陶酔しながら、地道な努力を続け

    てきた。まさに共通の目標を持

    って

    行動してきたチームワークの成果で

    あり、藪刈り道楽人生であ

    った。

    現在では、静かな山域と栂海の自

    然に魅せられて、全国から登山者が

    訪れるようにな

    った。栂海に潜

    って

    四十年、いまは、わが別荘で全国か

    ら訪れる岳人たちと栂海新道の山談

    義をするのが楽しみとな

    った。今後

    は、この長丁場を維持してゆくため

    の体制づくりをどうしていくか、大

    栂海新道の藪刈り作業 栂海山荘資材の荷揚げ (1969年6月 )

    山 ル に で 布 か 特 値 著 は す る 海 北 線道 プ 見 き が ら に の な

    `ま る ユ に ア に

    な ス ら る 稜 高 植 高 特 地 た だ 二 達 完 登の と れ

    °線 山 生 い 徴 質

    `ろ 1し 全 山

    だ 海 な こ 上 植 面 地 を ・ 自 う ク て 縦 道°を い う に 物 で 域 有 地 馬

    °な フ 走 が

    つ °し 連 ま は で し 形 岳 コ イ の 伐な ま た 続 で

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    `・ S lナ 果 開ぐ さ 地 し の 海 あ 学 植 親 ス 1て さ夢 に 域 て 垂 岸 つ 術 生 不 が ン に れの

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    登 ア 他 認 分 物°

    価 顕 間 生 飾 本 ば

    (7)

  • 山 672-2001・ 5020(第二種郵便物認可)

    きな課題である。

    栂海新道年表

    一九六

    一年 さわがに山岳会結成

    六二年 黒姫小屋建設

    六五年 さわがに新道伐開

    六六年 栂海新道伐開始め

    六八年 営林署現地立会い調査

    六九年 栂海山荘建設

    七〇年 登山道開設許可

    国立公園

    ・国有林

    ・特

    別天然記念物

    ・保安林

    一年 栂海新道全線開通

    (開通後は毎年整備)

    七二年 山と漢谷社山岳賞

    一年 栂海山荘増築

    八五年 新潟日報社文化賞

    九四年 栂海山荘再増築

    二〇〇

    一年 栂海山荘改築

    「ヒマラヤの東」―

    日本からの発信

    中村 保

    ここ十年の間に、中国南西辺境の

    東南チベット・雲南・四川・青海

    へ、探

    検家や宣教師の足跡を訪ねて二十回

    出かけ、二冊の本を上梓しました。

    昨年十

    一月に出版したのが

    『深い浸

    食の国―ヒマラヤの東、地図の空自

    部を行く』(山と漢谷社)です。横断

    山脈と呼ばれるチベット高原東縁の

    広大な山域の知られざる未踏の山々

    と峡谷を、概説と紀行を縦糸に、探

    検史を横糸に織り込んで、体系的か

    つ綜合的にまとめた世界で初めての

    本です。ではどんなところなのか、

    米国ナショナル

    ・ジオグラフィック

    の支援を受けて、この地域にもっと

    も深く関わったハワイ

    ・ビショップ

    博物館の探検家

    o民俗研究家

    ・植物

    採集家、ジョセフ

    ・ロックの一九二

    三年の紀行を引用します。

    「雲南西北部と東南チベットが接す

    るところ、人間を容易に寄せつけな

    い険しい山々の障壁と深く切れ込む

    荒々しい峡谷の景観ほど、探検家や

    写真家を魅了する世界がほかにある

    だろうか。アジアの、いや、中国の

    豪壮な浸食の谷と、その分水嶺に聟

    える峰々を訪れることができた人は

    ごく限られていた」

    ここはチベット高原に源を発す

    るアジアの五つの大河

    (揚子江

    ・メ

    コン

    ・サルウイン

    ・イラワジ

    ・ブラ

    マプトラ)がわずか

    一五〇キロメー

    トルの間に互いに接近して南流する

    特異な地形で、今日でもメコンの西

    側は陸の孤島であり、未開放地区な

    ので入域は困難です。

    伝統あるアルパイン・クラブ(英国

    山岳会)からの依頼で、アルパイン

    ジャーナル二〇〇〇年号に

    〃∽”oヨ

    筍①井∽”コQ∪①①uoocユ【く(深い浸食

    の国の山と谷)〃と

    いうタイトルで

    解説

    ・紀行および五ページのカラー

    写真を載せました。さすがに英国で

    す。前文で

    「中村保氏の雲南での活

    動は、その美しい土地に多くの人を

    赴かせるだろう。―

    彼は二十

    一世

    紀に探検されるべき新しい領域が確

    かに存在することを示してくれてい

    る」と書かれています。日本での評

    価と

    一味違います。アメリカ山岳会

    のジャーナルやインドのヒマラヤン

    ・ジャーナルにも継続的に寄稿して

    います。

    こう書くと自己宣伝がましくなり

    ますが、本意は別のところにありま

    す。日本の登山家、探検家や冒険家

    の世界でも、立派な成果

    o業績があ

    るにもかかわらず、海外

    への発信が

    非常に少ないことは残念であり、そ

    のことに警鐘を鳴らしたいためです。

    海外の登山家からも、つとに指摘さ

    れているところです。欧米の古書店

    のカタログを見ても、写真集をのぞ

    いて、英語で書かれた単行本の紀行

    や探検記は、 一世紀前に書かれた河

    口慧海の

    〃↓耳①①く8「∽ゴゴσ①メ

    だけです。中高年の登山人口が急増

    し、海外ツアー登山やトレツキング

    が盛んな昨今ですが、日本発の価値

    ある情報には皆さん無関心すぎるよ

    うです。

    そんな状況を懸念して、 一橋大学

    や京都大学と縁の深いアメリカ登山

    界の重鎮で知日派のニコラス

    ・クリ

    ンチ氏が根回しをし、私もお手伝い

    して、日本山岳会

    ⌒JAC)とアメ

    リカ山岳会

    (AAC)との交流が昨

    年再開されました。JACがAAC

    のジャーナル編集長を日本に招待し、

    「アメリカ登山界の現状と展望」を講

    演してもらい、日本との情報交換の

    チヤンネルを構築する糸口をつくり

    ました。これにより、日本からの登

    山や探検の情報提供ルートの

    一つが

    機能しつつあり、私なりにサポート

    しています。ヒマラヤン

    ・クラブに

    対しても協力しています。

    終わりに、メコン川水源の探査の >8

    問題に触れておきます。メコン川の <

    探検は

    一八六〇年代にインドシナを

    植民地にしたフランスが着手しまし

    た。アンコール

    ・ワットが発見され

    た頃です。下流から上流部へ探検が

    行われ、 一八九四年にチベット高原

    の水源付近に二人のフランス人、ド・

    ランとグルナールが到達しました。

    その百年後の一九九四年九月にフ

    ランス人探検家二人が源流域を訪れ、

    自分たちがメコンの水源を発見した

    と欧米で派手に発表し、 一九九七年

    には著名な探検家

    ・チベット学者で

    ある隊長のパイセルがメコン水源発

    見の本を出しました。

    権威ある英国の王立地理学会は黙

  • 山 672-2001・ 5020(第二種郵便物認可)

    認し、ニューヨーク

    ・タイムスを始

    めとして新聞各紙は

    「二十世紀最後

    の地理上の謎を解決する快挙」とも

    てはやしました。

    しかし、 一九九四年には、時を同

    じくして中国科学院と東京農業大学

    探検部がメコンの別の水源に到達し

    ました。彼らの科学的な測量

    。測定

    により、日中合同隊の到達点付近が

    メコンの真の水源

    (川の長さ、流域

    面積、流水量等から)であると判断

    されています。 一九九九年には中国

    科学院の大規模な調査隊がさらに精

    査をし、 一九九四年の日中合同隊の

    推論を裏付けています。

    問題は、農大隊も中国隊もフラン

    ス隊の発表に異を唱え、は

    っきり自

    分たちの成果と主張を欧米にアピー

    ルしてこなかったことです。もし今

    でもフランス人がメコン水源の第

    発見者だと欧米で信じられていると

    したら心外なことです。このことを

    日本の山岳誌に書き、欧米の友人た

    ちに問題提起をしてみるつもりです。

    ボリビア日記

    ・2

    チャカルタヤスキー場増

    山 茂

    某月某日

    ここはこれで四回目になるが、い

    つきても高いところにあるなあ。機

    械式リフトを備えたスキー場のうち

    で、世界でもダントツ、 一番高いと

    ころ

    (五二〇〇メートル)にあるス

    キー場である。二番目が中国のなん

    とかというところ

    (四三〇〇メート

    ル?)、三番目がカシミールののCF

    ”「∞

    (四二〇〇メートル)であると

    いう。いずこもスキーはあまりうま

    くなさそうな国だ。

    ボリビア山岳会の会長カルロス、

    副会長マリオ それに若者フリオの

    男性陣の他、フェルナンダとマルシ

    ャという美人が迎えに来る。例のご

    とく昨夜は雷を伴う大雨。ラパスの

    坂道は小川になる。この雨でチャカ

    ルタヤは雪。麓から真

    っ白にな

    って

    おり、一瞬これはどこの山かと迷う。

    カルロスのカミカゼ運転で

    一時間

    で到着。しかし積雪はかなりのもの

    で、ちょっと手前の気象観測所で車

    を降りて歩く。彼らはスキー支度を

    する。みんな、普通のアルペンの格

    好。マリオだけは山スキーの格好で、

    シールを貼り、踵があがるビンデイ

    ングで上がってゆく。フェルナンダ

    たちのダウンヒル用のスキーもし

    かりしたものだ。昔カルロスに習

    たのだそうだ。カルロスは二十年前

    の大回転の選手で、ボリビアを代表

    して南米を転戦したという。しかし、

    リフト

    (ここのはリープトー)があ

    るのはボリビア広しといえどもここ

    だけらしいから腕前の方はむずかし

    かろうが。そのおかげでかれはQcσ

    ゝ5Qヨ””o一〓””o

    ⌒スキー連盟を兼

    ねる)の会長にな

    っている。

    スキーを楽しんでいる人は多くは

    ない。ラパス在住の外国人がほとん

    どだという。

    今回もアメリカ大使館の方とまた

    会う。そういえば岩登リゲレンデで

    も会

    ったし、アイスクライミングの

    ところでも会

    った。日本大使館の方

    もお誘いしたのだが、今回はお忙し

    いとのことだ

    った、残念。

    フェルナンダは上手な英語を話す。

    カナダ、アメリカでの学習経験があ

    る。現在ラパスの大学で教え始めた

    という。そうか、マリオなどもそう

    だけど、私の前に現れるのは、地理的

    にもランドブ

    ロツクされ、社会的に

    もアイソレイトされた国ボリビアで

    は、とてもマンな層に属する人々で

    あることに心しておく必要があるな。

    彼らはスキーを、わたしはハイキ

    ングを楽しむ。私のスキー歴は四十

    年を超えるのだが、この間三十九年

    分は後退しているのでここで滑ろう

    という勇気はないのである。

    ボリビア山岳会が経営を任せてい

    る小屋主のオーストリア人、カール

    の作るドイツ風料理はなかなかいけ

    る。ボリビアの皆はここ五二〇〇メ

    ートルでビールをがんがん飲む。ボ

    リビア山岳会と日本山岳会の前途を

    祝してサルー

    (乾杯)と叫んで

    一杯

    だけ飲むのが私には精

    一杯。

    のんびりしたスキーの

    一日。

    1'ト

    旬雪山路

    川崎精雄

    目印の撫の銘傷雪山路

    獣罠ありと立札雪山路

    針金の通行止や雪山路

    山犬の声街せり雪山路

    雪山路御巣鷹山に黙祷す

    北アルプス自馬連峰ゆつくりとした重山をお楽しみください。

    素泊り、山行中の継続

    駐車もできます。最寄駅、

    登山口など、送迎します。

    スケッチ、写真撮影な

    ど四季折々の自馬の名所

    をご案内いたします。

    宿泊料金(1泊 2食 ):9∞0円

    格安コース :石∞円より

    4斗轟謳の名

    0移まわリ長野県北安曇郡白馬村神城22114‐ 17TEL (0261)75-2292(代 )FAX(0261)75-3284

    (9)

  • 山 672-20011・ 5・ 20(第二種郵便物認可)

    第 4 会員アンケー ト結果報告・ 2

    会員アンケー ト実行委員会

    11.登山経験

    無雪期登山のみの経験者が22%を 占める (前回19%)。 一方、オールラウンドな登山の経

    験者は50%を 占める (前 回56%)。

    E rgagfQzoool

    ほとんどない

    無雪期低山登山

    無雪期高山登山

    +岩沢登リ

    +雪山登山

    +岩沢+雪山登山

    無記入

    在籍年数/登山経験

    在籍年数が 5年以内の短い会員は長い会員に比べて登山経験が少ない。オールラウンドな登山の経験

    者が35%と 、31年以上在籍の会員の67%に較べて大きく下回る。

    E]ほ とんどない国1無雪期高山登山田雪山登山口1無記入

    □日目

    無雪期低山登山

    り岩沢登

    岩沢+雪山登山

    5年以内

    6年~10年

    11年~15年

    16年~20年

    21年~30年

    31年以上

    12.海外登山経験

    海外登山 (ト レッキングを除く)の経験者はちょうど半分の50%を数える。なかでも5回以上の経験者が前回の7%から13%と 6ポ イントも増えているのが注目される。

    田 19田年ml“9年図 2000年

    経験なし

    経験あり

    1回

    2回

    3回

    4回

    5回以上

    無記入

    (10)

    4カZ

    一一Z̈

    一・一2

    一∵2

    一̈一多一一一2

    「圏

    ZiZiZiZiZiZiZ:盈 iZiZiZiZiZI夕 :盈iZiZiZ而~

    112

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第 二種郵便物認可)

    13.海外登山の最高高度

    海外登山の最高到達高度は6000mを 超える経験者が17%、 8000m以 上だけで2%と 、当会会員の高所登山の活発なことを物語っている。

    8,000m以上

    ~8,000rrl

    ~7,000rrl

    ~6,000mn

    ~5,000rn

    ~4,000rn

    3,000mま で

    無記入

    0 2 4

    14.海外登山の意向

    海外登山を行いたい会員は、現在計画進

    行中を含めて46%と たいへん多い。 意向なし

    将来行きたい

    計画進行中

    無記入

    15日 会室の利用 (年間)

    前々回 (1983年 )以来ほぼ同じ傾向である。会室を利用した会員

    は24%、 利用 しなかった会員は

    74%を 数 える。なお、年間20回以上のヘ ビーユーザーは3%で、前回 (1989年 )よ り 1ポ イン ト増えている。

    80%Z科

    31

    E::ヨ2626

    鉤颯鰯 1巫 鬱 l二囲 1983年m1989年をレ000年

    利用しない 利用した 1回~4回 5回~9回 10回~19回 20回以上 無記入

    住所/会室利用

    居住別でみると、当然のことながら首都

    圏の会員の会室利用が多い。

    □l千」用しない

    国4回利用□ 9回利用図 19回利用□ 20回以上

    東京・神奈川・千葉0埼玉

    群馬。栃木 0茨城

    その他支部のある県

    その他支部のない県

    (11)

  • 山 672-200105020(第 三種郵便物認可)

    16.図書室の利用 (年間)

    利用した会員は20%である。前回とほぼ同様な傾向となつている。

    9096

    国 1983年□ 1989年四 2000年

    利用しない 利用した 1回~4回 5回~9回 10回 ~19回 20回以上 無記入

    崚力%

    一‐r

    20閉%#

    1 9

    38目目日目目

    31日目口H口に=ゴ

    Eヨ…2∴ 1旦上ム l o上上 l o上ム

    17.上高地の山研のこれまでの利用状況

    利用したことのある会員が35%に対 し、利用 したことのない会

    員が63%と 、非常に多い。ただし前 回 (1989年 )未 利用者 は70%だ つたので、山研運営の充実により未利用者の比率は減っ

    ている。

    不」用しない

    1回~4回

    5回~9回

    10回~19回

    20回以上

    無記入

    住所/山研利用状況

    当然のことながら交通の便のよい首都圏在住の会員の利用頻度が高い。

    [ⅢI東京・神奈川・千葉・埼玉□群馬0栃木。茨城πlそ の他の支部のある県国その他の支部のない県

    利用したことがない

    今までに1回

    2回~4回

    5回~9回

    10回以上

    無記入

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    |‖

    18・ 集会、行事のいままでの参加状況

    集会、行事の参加は前回に比べわずかに増え

    ている。居住別には 「支部のある都道府県」

    82%、 「首都圏」78%、 「その他の地域」60%と、前二者の会員の参加が多い。

    田 1983年□ 1989年四2000年

    利用したことがない

    今までに1回

    2回~4回

    5回~9回

    10回~19回

    20回以上

    無記入

    (12)

    ZZZZZIZZZZZZZZZZ16

    222zz」 11L__________… _,_._1.n

    ZZZZZZZZZZZZZZZZ2ZiZZ20

    L2

    zzz″」:

  • 山 672-2001・ 5020(第三種郵便物認可)

    19.今後充実を望む集会、行事

    「講演会」がトップ (47%)を 占める (前回もトップで45%)。 「一般山行」が29%で 二番目に高くなっている。

    講演会

    研究会

    懇親会

    映画ビデオの会

    カルチャー山行

    展示会

    一般山行

    海外登山報告会

    同好会活動

    無記入閻

    1989年2000年

    20.会報「山」の利用状況(読んでいる程度)

    3回 とも傾向は同じで、会報 「山」は極めて

    よく読まれている (「 ほとんど全部」と「興

    味のあるところ」で91%)。 当会の事業とし

    ては “会員参加"の トップといえよう。

    □日

    1983年1989年2000年

    ほとんど全部

    興味のある所

    ごく興味のある所

    全然読まない

    無記入

    21.会報「山」の充実希望記事

    「論説・研究・随想」が1位で充

    実希望が多い。

    6096

    が ギJ″F

    ´´

    (2A)二つまで回答 (以下同じ)

    17

    22日 会報「山」の改善点

    今後「山」改善の参考としたい。B5を A4判 に

    文字を13Qよ り大

    縦組みを横組みに

    イラス ト写真を多用

    カラーベージを加えて

    無記入

    (13)

    19(M.A)

    18

    28

    30

    31

    (M.A)

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第三種郵便物認可)

    6500nlでサッカーは可能か

    江本嘉伸

    五月。二十

    一世紀初登頂をめざし

    てエヴ

    エレストはじめ八千メートル

    峰は、そろそろ各国隊ともアタック

    の準備に入

    っている。この会報が届

    く頃には興味ある結果が出ているこ

    とだろう。

    ところで、だだ

    っ広い山頂を形容

    する表現として

    「サッカー場のよう

    に広い」という言い方がある。まさ

    か、山のてっぺんでボールを蹴るこ

    とはないが、たとえとしてわかりや

    すい。が、それがたとえで済まない

    事態が地球の裏側で起きようとして

    いる。

    サハマ山は標高六五四二メートル、

    ボリビア

    ・アンデスの最高峰だ。円

    錐形の独立峰として知られるこの山

    は、ドイツのヨセフ

    ・プ

    レムがパー

    トナーを変えて

    一九二九年八月二十

    六日北西稜から、十月四日に南東稜

    から初登した。日本人では

    一九六四

    年、東京外語大隊の鈴木久仁夫ら二

    人が西面から登頂している。アプ

    ーチは厄介で、強風が障害だ

    ったが、

    頂上は平らで広いらしい。

    このサハマの頂上でのイベントに

    関して四月二十八日、首都ラパスで

    へんてこな記者発表がボリビア山岳

    会によ

    って行われた。

    「サハマ頂上で世界最高所サッカー

    試合を実施します……」

    え、サッカーだ

    って? ボール蹴

    りをそんな高いところでできるわけ

    ない……。が、どうやら本気らしい

    のである。

    「実施は二〇〇

    一年六月十五日から

    二十五日の間」

    (もうすぐだ)。

    選手は

    「ベースキヤンプ、中間キ

    ヤンプ、それに高所キャンプの三つ

    のキヤンプを設けて三日間で登山し、

    山頂でのプ

    レーにのぞむ」と、続く。

    選手たちの高度障害など健康状態

    は、ボリビア高所病理学研究所の専

    門家たちによ

    ってチ

    ェックされると

    のことだ。

    六千五百メートルの山頂でのサッ

    カーの目的とは何か。山岳会のカル

    ロス会長によれば、四つある。

    ①肉体的精神的に良好なコンデイシ

    ョンであれば世界のどんなところで

    も競技が可能であることを証明する

    ため。②ボリビア山岳会創立六十二

    周年を祝う行事として。③高所での

    暮らし、順化のための医療科学に協

    力するため。④ボリビア

    oアンデス

    のツーリズムの発展に貢献するため。

    試合は十五分ハーフ。十五人から

    なる参加チームが四組予定されてお

    り、トーナメント戦を行う。ひとつ

    はボリビア山岳会チーム、もうひと

    つは陸軍測地研究所チーム、あとの

    ニチームは広く世界の関係団体に参

    加を呼びかける、という。

    以上は、ボリビア高所病理学研究

    所の客員教授としてラパスに滞在中

    の増山茂会員からの最新のメールで

    知った。増山会員は記者会見にも参

    加しており、話をたどってみると、

    どうやらこのクレイジーな計画に火

    をつけた張本人でもあるらしい。

    一週間ほど前、二〇〇二年サッカ

    ーワールドカップ南アメリカ予選が

    ラパスで行われた。南米最強のアル

    ゼンチンと対戦したボリビアが終了

    十分前まで311とリード、最後に

    は3‥3の引き分けとなったものの

    ラパスは大変な熱狂に包まれた。山

    男にもサッカー好きは多い。試合後、

    祝杯をあげながら熱戦に興奮気味の

    登山家たちの間で

    「世界最高所のサ

    ッカー試合はどこだろうか?」をめ

    って議論とな

    った。

    なにしろ首都が富士山の高さにあ

    る国での話である。自国より高い場

    所はなかろう、と思いたい山岳会の

    面々は、ネパールやチベットの奥地、

    標高五千メートルでのシェルパたち

    とのサッカー試合の経験を増山から

    聞いて考え込んだ。あげくカルロス

    会長は、思いき

    ったボリビア最高峰

    での高所サッカー試合計画を思いつ

    いたのだ。

    と、増山のメールは結ばれている。

    破天荒なアイデアだが、二〇〇二

    「国際山岳年」のプ

    ・イベント

    として、応援したい気がする。しか

    し、ほんとうに成立するのだろうか。

    最後に悲報が

    一つ。九九年、エヴ

    エレストの頂上にテントを張

    って二

    一時間を過ごし、昨年はBCから

    山頂まで十六時間五十六分というス

    ピード登頂記録を達成した

    〃超人〃

    バグ

    ・チリ

    oシェルパ

    (三十四歳)

    が四月二十九日、ネパール側ABC

    近くでクレバスに落ちて死んだ。自

    分の六人の娘たちのために村に学校

    を建てたい、と十

    一度目の登頂をめ

    ざしていた。

    この頂上でサッカーは可能か。サハマ峰

    (14)

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第三種郵便物認可)

    平尾光司他四名の刊行委員会o編

    『追悼

    中島寛

    ・天地ある限り』

    惜しまれて突然逝

    った中島寛さん

    のことは、まだ多くの会員の中に強

    い印象を残しているのではないだろ

    うか。生涯山登りを続けたその活躍

    もさることながら、人との交流を大

    事にした彼の、包容力に富んだ人間

    性が、幅広い層の人々に消えぬ何物

    かを残しているようだ。

    すでに、死の直前に自らがまとめ

    た山の本、『一期

    一会の山、人、本』

    が刊行されているが、本書は主に仕

    事や社会的交流を通じて知り合

    った

    方々、八十人余りの寄稿による追悼

    文集である。執筆者には学友、仕事

    仲間、エコノミスト、様々なジャン

    ルの友人など、多様な活躍のそれぞ

    れの局面で触れ合

    った人々がそろっ

    ており、読んでいけば中島さんの幅

    広い足跡が浮かび上がるように展開

    されるのである。筆者たちは、ほと

    んど異口同音にその交流で感じた強

    い印象を物語

    っており、感動の表現

    はいろいろだが、常につきまとうこ

    とは、何事にもいかにエネルギッシ

    ュであ

    ったかということと、いつの

    間にか強烈な中島流ともいうべき彼

    の行き方に巻き込まれている不思議

    な体験をしたという感慨である。

    寄稿文を

    一、二紹介すれば、わか

    りやすい経済談義で著名な

    エコノミ

    スト竹内宏氏は、「大きな笑顔」と題

    する文の中で、中島さんの存在感を

    わかりやすく解説する。「彼はスケー

    ルの大きな考え方に立

    って、ゆっく

    り諭すように話し、話し終わるころ

    には大きな顔全体が笑顔に変わる。

    彼に会うと、悩み事がす

    っかり消え

    てしまうのである」

    また、自治会活動仲間の学友で生

    涯思想的

    つながりで結ばれていた宮

    崎省吾氏は、「やっぱり中島は山だ

    た」と題して、中島さんの社会活動

    と登山の間の矛盾を解き明かす。他

    のことはともかく、登山だけは体力

    素質とか限られたものにしかない天

    性を要するものだから、彼はとこと

    ん山に打ち込むのが天命たるやも知

    れなかったのに

    〃必要に応じてとる〃

    理想社会でないが故に自己完結し得

    なかったのは、彼にと

    って残念なこ

    とだ

    った、というのである。

    それにしても、登山を通じて彼を

    知る者たちにと

    って、外の世界でか

    くも多くの人々が、あふれんばかり

    の思いを込めた心情を連ねているこ

    の大冊に接すると、登山界ではただ

    彼の発するエトスを受け

    っぱなしで

    ったと気づかされる羽目に陥るば

    かりだ。       (倉知 敬)

    二〇〇〇年十月 中島寛追悼集刊

    行委員会発行 一二四〇ページ 非

    士冗口田

    上條 武o著

    『上高地2 常念鳥帽子縦走記』

    交通事故の後遺症、その苦痛から

    逃れるためにかじりついたという日

    本登山史の調査研究からなる上高地

    二部作は、上高地2の刊行が最後に

    った。本書は常念から書き起こさ

    れ、内容は多岐にわたる。井口良

    の常念

    ・烏帽子縦走記、自馬岳登山、

    松本歩兵第五十連隊の北アルプス登

    山等々大正期の登山から、槍沢小屋

    はじめ上高地周辺の山小屋の草創期

    の様子、それに拘わる人々とその歴

    史。焼岳大爆発の写真とそれにまつ

    図 書 紹 介

    イラスト 蜂谷益雄

    わる複雑な人間模様。

    著者は終始

    一貫して嘘やごまかし

    のない歴史の真実を追究し、これを

    記録することに努力し、また真に立

    派な業績を残しながらも何らかの理

    由で埋没している人物とその足跡を

    掘り起こし、歴史の行間を埋めるこ

    とにも使命感を抱き続けてきたとい

    う。数多くの資料収集、綿密な調査

    研究、不自由な体で続けてこられた

    というが、その情熱は行間からも伝

    ってくる。数多くの貴重な写真も

    収録されており興味をそそられるも

    のである。      (渡遣玉枝)

    二〇〇〇年十

    一月 独本書房発行

    四四四ページ 三千八百円

    日本山岳会山陰支部o編

    『美しき伯音の滝たち』

    田原一久写真集

    『中国山地の四季』

    高さをめざすのが山登り人種の本

    能であり、百名山など到達した峰の

    数を競うのがゲーム感覚の産物であ

    るとすれば、高きを望まず数を問題

    としないで山の中に身を置くことで

    満足する人たちをどう呼んだらよい

    か。創立五十周年を記念して山陰支

    部が編んだ

    『美しき伯音の滝たち』

    は、鳥取県中西部の、かつて伯老日の

    国と呼ばれた地域を探索する努力の

    (15)

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第 二種郵便物認可)

    産物であ

    って、位置

    ・形状

    ・規模の

    データを添えた写真集である。こう

    したテーマを設けて山懐を探ること

    自体に風雅の心が通

    っていて滋味に

    富む冊子とな

    った。四十の滝の多く

    に不動、阿弥陀、観音、竜王、地獄

    など信仰に因む名がつけられていて、

    民俗研究の端緒を含み持つ資料にも

    っているのは、無欲さの愛すべき

    副産物であるように思える。

    もう

    一冊は広島出身の写真家が、

    大山以西、広島県の西部までの中国

    山地を舞台として、四季折々の自然

    の風景を撮

    って編んだ純然たる写真

    集。山そのものの姿を写した作品が

    ないわけではないけれども、主体は

    山村と樹林、草花と渓流、雲や霧や

    陽光など、山の風景を彩るものたち

    である。

    山岳地帯の主役が山であるとすれ

    ば、ここに紹介した二冊は、山懐の

    脇役たちの、大向こう受けを狙わな

    い地味な役割を写し撮

    ったもの、と

    ってよかろう。地味ならではの魅

    力を味わいたいと思う人たちにお勧

    めする。       (宮下啓三)

    『美しきイ自、音

    の滝たち』二〇〇〇年

    八月 山陰支部発行 八六ページ

    千九百五円

    『中国山地の四季』二〇〇〇年十

    月 東京新聞出版局発行 二千八

    百円

    出版年 寄贈/購入別図書受入報告 (2001年 3月 )

    ベージ・大きさ 出版元著 者 書 名金沢ナカオ山岳会 (編 )石川の自然公園「医王山」:浅野川源流の山

    遭難事故調査委員会(編 )北アルプス大 日岳遭難事故調査報告書

    東高山岳部史編集委員会(編)菊葉の山人たち:東京高等学校山岳部史

    杉本誠 (編) 新世紀を拓 く/世界10人の山の写真家展 (日 本語解説書 )Harish Kttadia(ed。 )A Passage Ю Himalaya

    Rollo Steffens Karakol■ m:Die Wilden Berge Asiens

    Wolfgalg Pillewizer Zwischen Wuest und GletscheЮ is

    Der Berg Rut!:Die Alpinismus― Ausstellung im Salzburger Land(Katalog)175pノ19cm

    100 Scatti per i1 2000:10 Fotograi per le Montagne del Nuovo Millennio 164pp/21cIIl

    95pp/19cm 金沢ナカオ山岳会 2001 発行者寄贈78pp/30cm 遭難事故調査委員会 2001 発行者寄贈109pp/26cm 峠の会 2000 発行者寄贈36pp/21cm 豊田市役所文化振興課 2001 発行者寄贈351pp/23cm The Himalaytt Club 2001 発行者寄贈

    159pp/29cm Bmckmann 2000 W.Hcichel氏 寄贈210pp/21cm VEB Hcnnam Ha¨ k1960 W.Hcichel氏 寄贈

    Altenmttkt― Zauchensee 2000 W.Hcichel氏 寄贈

    Museo Nazionale dena Montagna 2000 豊田市役所寄贈

    里信敏行

    菊地

    朝和

    古瀬浩介

    ■会員異動

    物故

    小泉昭二

    (四五六八)99

    小島哲

    (五五六七)00

    小池実

    (九七九八)0l

    小田稔

    (八九七

    一)01

    藤井昭孝

    (一二

    一二八)

    改姓

    藤井かをり

    (一〇二九四)↓川越

    退会

    岸 邦紀

    (五三八九)

    丸野貞彦

    (五七三四)

    福井浩之

    (六三〇九)

    柳谷正義

    (七〇

    一〇)

    篠原 健

    (七六五二)

    河村章人

    (八五三五)

    浅田由徳

    (九六〇七)

    蓑原重夫

    (九六八

    一)

    川波勝太郎

    (九九二九)

    荒井奥弘

    ⌒一〇

    一一九)

    斎藤幸子

    (一〇

    一六七)

    田中栄子

    (一〇五七

    一)

    本間美智子

    桂 俊夫

    鈴木 進

    伏谷

    水野 宏

    嘉田

    土屋崎

    輝幸靖 郎 彦

    安 日野 下正 部弘 雅⌒ 昭八 ⌒七

    =五 壬

    01こ

    ム010132110

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    一〇四八)

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    一九五)

    三二

    一八)

    一三二七六)

    二五〇五)

    二六九

    一)

    14

    27

    28

    29

    30

    31

    日26242322日 日 日 日

    21 191615日 日 日 日

    13 12987日 日 日 日 日

    学生部 自然保護委員会

    総務委員会

    学生部 二火会 アルパインス

    ケッチクラブ

    山の自然学研究会

    フォトビデオクラブ

    資料委員会

    アルパインスキークラブ 山げ

    らの会

    常務理事会 会報編集委員会

    アルパインスケツチクラブ 95

    同期会

    理事会 ジャック93会 99同期

    △バ                              ノヽ

    科学委員会          16

    インターネ

    ット小委員会    <

    総務委員会

    百年史委員会 三水会 アルパ

    インスキークラブ

    青年部 学生部 98同期会

    図書委員会 00同期会

    評議員会

    総務委員会 資料委員会 ミニ

    水力発電実行委員会

    自然保護委員会 フイルムビデ

    オ委員会

    99同期会

    学生部

    財務委員会 フオトビデオクラ

    ブ新入会員オリエンテーション

    3月来室者

    647名

    一ム

    出日

    Fトー‐‐‐卜FトトL

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第 三種郵便物認可)

    二月理事会

    日時 十二年二月十四日因十八時三

    十~二十

    一時三十分

    場所

    日本山岳会会議室

    [出席者]

    大塚会長、小倉、大森、

    竹内各副会長、西村、村井

    (龍)、森、

    宮崎、高原、村井

    (葵)、宮下、河西、

    松原、高遠、坂井、鯵坂各理事、中

    村監事、中川、平山、 田邊、吉永各

    常任評議員

    [委任]

    勝山、 坂本、増山各理事、

    神崎監事、平野常任評議員

    【審議事項】

    一、平成十三年度事業計画

    (案)及

    び収支予算

    ⌒案)について

    (西村、

    村井龍)

    別添資料により提案があり、詳細

    に検討の結果、 一部追加、改正。併

    せて、本案件議事録の文部科学省提

    出にあたり、その署名人を、村井龍

    一、高原三平とする。    承認

    二、定期預金の預金先分散

    (村井龍)

    財務委員会に

    一任を提案。基本的

    には元本を大切にしながら、ペイオ

    フの対応を考える。 一行

    への預金額

    は三千~五千万円を目安としている。

    承認

    三、松本市岳都都市会議

    「アルプス

    山岳館特別企画展」への協力

    (鰺坂)

    松本市アルプス山岳館より、十月

    七~九日まで松本市で開催される世

    界岳都都市会議のタイアップイベン

    トして行われる行事

    への協力依頼が

    った

    (別添資料あり)。概要は、第

    一期七月七日~八月九日、北アルプ

    ス等の空撮写真、第二期は十月七~

    二十八日、アルパインフオトクラブ

    所蔵写真等の展示をする。費用は基

    本的に全て依頼者がも

    つが、詳細は

    検討中。          承認

    【報告事項】

    一、『山岳』復刻出版に関する覚書に

    ついて

    (西村)

    二月理事会決定を踏まえ、覚書を

    手直して弁護士等専門家にみてもら

    い、 一部訂正して別添に示す内容作

    成をした。アテネ書房押印済みの覚

    書に当会の捺印をし、取り交わしを

    行うことにする。

    二、第四回会員アンケートの実施結

    果について

    (西村)

    昨年十

    一月実施、その報告が別添

    報告書によりあ

    った。会員構成、会

    員のユーズ等の現状を把握し、中長

    期のビジ

    ョンづくりの基礎資料とし

    て、また年度事業計画、収支予算作

    成の参考としたい。各方面での活用

    依頼があ

    った。今回のアンケート回

    答者は三二五五名

    (発送数五九八三

    名)、回答率は五四・四%だ

    った。第

    一回

    (昭和四十七年)三二%、第二

    回⌒昭和五十八年)四五%、第二回(平

    成元年)五

    一%。

    三、文部科学省の立ち入り監査につ

    いて

    (西村)

    二月二十二日、文部科学省の立ち

    入り監査があ

    った。競技スポーツ課

    の担当官がその任にあたり、小倉副

    会長、西村、村井

    (龍)、中村が対応

    した。勘定科目名の検討依頼などを

    除き特に大きな指摘はなかった。

    四、世界岳都都市会議

    への名義後援

    について

    (西村)

    松本市長より依頼があり、協力す

    る旨の回答をした。

    五、ロークダ

    ・ルシヤン氏の表彰に

    ついて

    (西村)

    マナスル登山などネパールでお世

    話にな

    ったロークダ

    ・ルシヤン氏

    別添文案の感謝状を贈呈する。

    六、大町山岳博物館創立五十周年記

    念事業の共催について

    (西村)

    標記実行委員会

    (委員長

    武田武)

    より依頼があり了解した。

    七、写真、資料等の掲載、使用願い

    許可

    (西村)

    以下の事項につき許可をした。

    ①信濃毎日新聞社出版局より、『知ら

    れざるW・ウ

    ェストン』

    (二〇〇

    一年

    八月刊行予定)

    へ掲載予定のウ

    ェス

    トンの写真掲載

    ②著漢堂より

    『日本アルプス発見―

    西洋文化の交流』(庄田元男著)のな

    かで、『山岳』等の転載使用

    (六点)

    ③山と漢谷社より

    『目で見る日本登

    山史』(二〇〇

    一年四月刊行予定)の

    なかで、写真、イラスト等の図版を

    複写のうえ掲載。

    八、環境事業団の募金箱

    (西村)

    設置することにした。

    九、国際山岳年

    (二〇〇二年)取り

    組み準備会出席報告

    (高遠)

    国際山岳年は、 一九九二年ブラジ

    ルで開催された環境と開発に関する

    国連会議

    (地球サミット)を受け、

    一九九八年の国連総会で、地球サミ

    ット十周年にあたる二〇〇二年を記

    念して決められた。ただし、強力な

    推進組識で運営されているわけでは

    6′ 9 キナバル山量頂7ノ 7 カナダ:フエアピュ‐山量頂717.817 大姑娘山登頂8117 長自由(自頭山)量頂

    ・7月 5'815カムカリカ・ア′1チャ山量頂 8日 間★その他にも多数コースがございます

    5日

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    (17)

  • 山 672-2001・ 5・ 20(第二種郵便物認可)

    なく、いまのところ、「国連大学で行

    う行事に参加しませんか」といった

    スタンスである。当会で実施してい

    る事業は、本テーマに近いものが多

    数ある。来年は、頭に

    「国際山岳年」

    をつけることでよいのではないか。

    当面、準備会の出席は高遠理事にお

    願いする。

    十、評議員の改選について

    (西村)

    次期、十二名の評議員改選がある。

    会長、副会長を中心に候補者を選定

    中だが、推薦者があれば提案しても

    らいたい。

    一、当会の組織及び運営の改革の

    提案

    (宮崎、坂井)

    一月理事会

    への提案

    (タイトルは

    「委員会再編成の提案」)を踏まえて、

    学生部指導、集会、高所登山研究、

    指導、青年部、遭難対策の担当四理

    事より、別添資料に示す提案があり、

    意見が交わされた。当会として、重

    要課題と認識し十分な議論を別の機

    会を設けて行うこととした。(四月二

    十五日午後十八時三十分より

    「理事

    懇談会」で開催予定)

    十二、マーク商標登録の更新

    (西村)

    「JACマーク」の商標権の登録更

    新をする予定にしている。(登録は昭

    和五十六年二月二十

    一日付)

    十二、各委員会報告

    財務委員会

    o村井

    (龍)

    月次会計報告があ

    った。

    総務委員会

    ・高原

    二月二十四、二十五日、全国支部

    事務局担当者会議を、水道橋グリー

    ンホテル、当会会議室において開催

    した。初日は、大塚会長の講演

    「二

    一世紀

    への提言―何を語り継ぐベ

    きか―」があり、引き続き、テーマ

    シンポジウム

    「支部活動を語る」を

    三支部

    (東九州・西孝子会員、東海・

    一男会員、京都

    o内田昌子会員)

    よりそれぞれ、周年行事

    o全国支部

    懇談会実施、海外山行、月例山行を

    中心に具体的な基調講演があり、そ

    れらに基づく活発な討論があ

    った。

    議論は懇親会でも熱心に続いた。翌

    日は場所を当会に移し、事務連絡、

    各支部からの要望、問題点等を主に

    討論を行

    った。(資料配付)

    会報委員会

    o村井

    (葵)

    『山』二月号は、「森林と人類

    岩坪

    五郎会員」「ミニ水力発電

    森武昭会

    員」が主な特集記事。

    青年部

    o松原

    『きりぎりす』二号を刊行した。若

    い会員の考えが反映されているので、

    ぜひ目を通してもらいたい。

    自然保護委員会

    ・河西

    ①二月度理事会決定による平成十三

    年度地球環境基金助成金申請の取り

    下げは事務的に不可能であ

    った。よ

    って当局と打ち合わせの結果、ヒヤ

    リング時に取り下げの旨伝達する。

    ②二月七日、高尾の森の敷地内に物

    置小屋を設置し道具類を収納した。

    高尾の森

    「植樹祭」を四月十五日に

    行うので参加してもらいたい。

    資料委員会

    ・鯵坂

    当会所有資料の寄託先より延長願

    いがあり受け入れた。今回の受け入

    れは次の五点で平成十二年四月

    一日

    より

    一年間。

    ①南会津郡桧枝岐村より、武田久吉

    メモリアルホールでの武田久吉資料。

    ②大町市教育委員会より、大町山岳

    博物館での山岳

    ・美術資料

    (一二九

    品目

    一六二点)。

    ③松本市より、アルプス山岳館での

    資料

    (六九二件七九二点)。

    ④日本体育

    ・学校健康センターより、

    秩父宮記念スポーツ博物館での展示

    資料。

    ⑤河口湖美術館より、当館での絵画

    (一占()。

    その他

    ①増山理事が海外へ長期出張のため、

    代行として医療委員会は大森副会長、

    海外連絡委員会は西村が担当理事と

    してその任にあたる。

    ②非公式だが四月二十日よリネパー

    ル皇太子が訪日されるとのこと。当

    会としての対応は、外務省より公式

    に依頼がきた段階で検討する。

    ③評議員会を二月二十四日十三時よ

    り開催する予定。

    ◆古道を尋ねて(箱根峠

    ・鎌倉吉道)

    図書委員会

    第八回

    「古道を尋ねて」は箱根峠

    から三島市までの推定鎌倉古道を歩

    きます。箱根古道とは違

    った趣で、

    平安

    ・鎌倉時代を偲びながら約五時

    間のダウンヒル

    ・ハイキングです。 

    日時 六月十日O         H

    集合 箱根登山バス元箱根バス停前

    午前十時

    コース 元箱根杉並本~箱根峠~下

    山中~北条幻庵屋敷跡~JR

    三島駅

    連絡

    ・問合せ先 大橋晋

    (肌&豚○

    四二―九四二―二四〇七)

    *参加者は直接現地にお集まりくだ

    さい。

    ◆第五十五回ウエストン祭

    主管

    ・信濃支部

    六月二日ω 徳本峠越え

    午前五時

    ・安曇村島々宿で受付

    午前六時

    ・同所出発

    所要時間 上高地まで八~十時間

    lNFORMA丁 10N

    イラスト・宇都木慎一

  • 山 672-2001◆ 5020(第二種郵便物認可 )

    六月二日0 碑前祭

    午前十時~十

    一時二十分

    場所 上高地ウエストン広場

    内容 山岳会長挨拶、記念講演、コ

    ーラスなど

    問合せ先 中野和郎

    (皿〇二六三

    七二‥三二四五)百瀬寿雄

    (皿

    〇二六三

    ‐三二

    ‥三六四五)

    「フォーラムIN鳥海」

    自然保護委員会

    「自然と人間の暮らしを考えるフォ

    ーラムーN」と共催で実施します。

    日程 八月十七0~十九日0

    場所 山形県八幡町

    o遊佐町

    費用 二万三千円

    (他に東京からの

    全行程バス代

    一万三千円)

    一日 鳥海高原家族旅行村

    にて

    「イヌヮシシンポジウム」

    山房兵

    ・佐藤淳志他

    第二日 鳥海山南麓ブナ林探検の後

    「鶴間池ブナの森

    コンサート」

    宮沢賢治

    「注文の多い料理店」

    紙芝居

    oマンドリン合奏など

    猛禽類保護センター見学の後

    大平山荘

    へ。夜は

    「トゥナイ

    トi

    n鳥海山」民謡

    o演劇

    演奏および懇親会

    第二日 鉾立で解散

    ・帰京

    *鳥海山登山は健脚者に限り別途便

    宜を図ります「集団登山を避けるた

    め、少人数グループ別登山とします。

    問合せ先 大山恭司

    (〒三二〇

    ‥〇

    〇〇五大宮市小深作三二〇

    八 皿&豚〇四八

    ‐六八三

    五五二九)

    *申込者には詳細を送付します。

    ◆第十三回つくも会山行

    日時 六月二十三日ω

    場所 足尾山塊袈裟丸山

    集合 A=東北本線小山駅前交番前

    七時

    B=武蔵野線東所沢駅改札口

    六時四十五分

    *ABともに十名限定

    申込 六月八日までにハガキにAB

    いずれかを明記して日本山岳

    「つくも会」事務局諏訪宛

    (皿〇二八〇‐九八‥二

    一五三)

    にお申込ください。

    *JAC会員ならどなたでも参加を

    大歓迎します。

    ◆東海支部設立四十周年記念

    ネパールトレッキング

    支部設立四〇周年記念事業の

    一つ

    として、ネパールトレツキングを行

    います。その際、ネパールのホテル

    にて四十周年記念パーティーと、冬

    ローツェ南壁登山隊の壮行会を開

    催する予定です。参加希望者は、フ

    ァクスでお知らせください。折り返

    し案内書をお送りいたします。

    日程 十

    一月二日~十

    一日の九日間

    予定

    コースおよび参加費

    A ゆったリアンナプルナ&ナガル

    コット九日間  二十七万九千円

    B アンナプルナ

    ・ダウラギリパノ

    ラマ九日間   二十七万七千円

    C エベンスト

    ・クーンブパノラマ

    九日間     二十八万三千円

    D ランタンヘリトレツク九日間

    三十三万三千円

    申込 会員番号

    ・住所

    ・氏名

    ・希望

    のコースを明記し、東海支部

    ルーム

    (惚〇五二

    ‥三二二

    七九二四)

    ◆アルプの作家たち展

    新緑の上高地で、雑誌

    「アルプ」

    でおなじみの畔地梅太郎、足立源

    郎氏ら十四名の作品を展示します。

    会期 六月

    一0~三十日0