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9. 活性カチオン性塩化学種を利用する有機合成 藤岡 弘道 Key words:カチオン性塩,脱保護,保護基の変換, 求核置換反応,反応性の逆転 大阪大学 大学院薬学研究科 分子合成化学分野 カチオン種は有用な化学種として有機合成化学で多用されるが,非常に活性が高く,求核剤の存在下に前駆体を酸処理し て発生させ,そのまま系内の求核種と反応させる.そのため酸に不安定な官能基を持つ基質や求核剤を用いることはできない. 一方,我々は弱塩基性条件下,0℃という緩和な条件下にアセタールをトリアルキルシリルトリフレートとピリジン型塩基で処理し てカチオン性の塩を発生させ,改めて求核剤を加えるという非常に簡便かつ実用性の高い方法を開発し,従来法では達成でき なかった多くの新手法を開発してきた 1-4) .本法は弱塩基性条件下に進行するため,酸に不安定な官能基を持つ基質や求核剤 を用いることができる.またアセタール酸素原子の立体環境を識別し,トリアルキルシリルトリフレートは,より立体的込み合いの 少ない酸素原子に反応して進行し,従来のアセタールの酸条件下での反応とは逆の選択性を示す.そこで本研究では,この 前例にない選択性・反応性を示す「活性カチオン性塩化学種」を用い,特に従来法では達成困難な新反応の開発を目的とし て研究を行った. 方法、結果および考察 1.MOM 型エーテルの脱保護 5,6) アセタール型保護基である MOM-,MEM-, SEM-, BOM-エーテルは,水酸基の保護基として汎用される.そこで今回 これらの保護基の新たな脱保護法の開発を行った.すなわち,MOM-,MEM-, SEM-, BOM-エーテルを,TMSOTf-ビピ リジルで処理してビピリジリウム塩を生成し,水で処理した.その結果,いずれの保護基も収率よく脱保護されたアルコールを与 えた (Scheme 1).これらのアセタールは異なる立体環境の 2 個の酸素原子を持つが,MOM-ならびに MEM-エーテルで は,位置選択的により立体的に空いている末端の酸素原子に TMSOTf が配位してできた塩中間体を経て反応が進行した.一 方,SEM-, BOM-エーテルの場合には,TMSOTf はどちらの酸素原子とも反応して反応が進行したが,O-TMS 結合が切れ やすいため,これらの場合にも収率よくアルコール体へ変換できた.本法は,従来の脱保護条件では用いることが出来ない官能 基(例えば酸条件,還元条件,脱シリル条件に対して不安定な官能基)を持つ基質にも適応できる非常に緩和な脱保護反応 である. Scheme 1. Deprotection of MOM-type ethers via 2,2'-bipyridylium salts. 上原記念生命科学財団研究報告集, 26 (2012) 1

9. 活性カチオン性塩化学種を利用する有機合成 藤 …...1.MOM型エーテルの脱保護5,6) アセタール型保護基であるMOM-,MEM-, SEM-, BOM-エーテルは,水酸基の保護基として汎用される.そこで今回

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Page 1: 9. 活性カチオン性塩化学種を利用する有機合成 藤 …...1.MOM型エーテルの脱保護5,6) アセタール型保護基であるMOM-,MEM-, SEM-, BOM-エーテルは,水酸基の保護基として汎用される.そこで今回

9. 活性カチオン性塩化学種を利用する有機合成

藤岡 弘道

Key words:カチオン性塩,脱保護,保護基の変換,  求核置換反応,反応性の逆転

    大阪大学 大学院薬学研究科    分子合成化学分野

緒 言

 カチオン種は有用な化学種として有機合成化学で多用されるが,非常に活性が高く,求核剤の存在下に前駆体を酸処理して発生させ,そのまま系内の求核種と反応させる.そのため酸に不安定な官能基を持つ基質や求核剤を用いることはできない.一方,我々は弱塩基性条件下,0℃という緩和な条件下にアセタールをトリアルキルシリルトリフレートとピリジン型塩基で処理してカチオン性の塩を発生させ,改めて求核剤を加えるという非常に簡便かつ実用性の高い方法を開発し,従来法では達成できなかった多くの新手法を開発してきた 1-4).本法は弱塩基性条件下に進行するため,酸に不安定な官能基を持つ基質や求核剤を用いることができる.またアセタール酸素原子の立体環境を識別し,トリアルキルシリルトリフレートは,より立体的込み合いの少ない酸素原子に反応して進行し,従来のアセタールの酸条件下での反応とは逆の選択性を示す.そこで本研究では,この前例にない選択性・反応性を示す「活性カチオン性塩化学種」を用い,特に従来法では達成困難な新反応の開発を目的として研究を行った.

方法、結果および考察

1.MOM型エーテルの脱保護 5,6)

 アセタール型保護基である MOM-,MEM-, SEM-, BOM-エーテルは,水酸基の保護基として汎用される.そこで今回これらの保護基の新たな脱保護法の開発を行った.すなわち,MOM-,MEM-, SEM-, BOM-エーテルを,TMSOTf-ビピリジルで処理してビピリジリウム塩を生成し,水で処理した.その結果,いずれの保護基も収率よく脱保護されたアルコールを与えた (Scheme 1).これらのアセタールは異なる立体環境の 2 個の酸素原子を持つが,MOM-ならびに MEM-エーテルでは,位置選択的により立体的に空いている末端の酸素原子に TMSOTf が配位してできた塩中間体を経て反応が進行した.一方,SEM-, BOM-エーテルの場合には,TMSOTf はどちらの酸素原子とも反応して反応が進行したが,O-TMS結合が切れやすいため,これらの場合にも収率よくアルコール体へ変換できた.本法は,従来の脱保護条件では用いることが出来ない官能基(例えば酸条件,還元条件,脱シリル条件に対して不安定な官能基)を持つ基質にも適応できる非常に緩和な脱保護反応である. 

 Scheme 1. Deprotection of MOM-type ethers via 2,2'-bipyridylium salts. 

 上原記念生命科学財団研究報告集, 26 (2012)

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Page 2: 9. 活性カチオン性塩化学種を利用する有機合成 藤 …...1.MOM型エーテルの脱保護5,6) アセタール型保護基であるMOM-,MEM-, SEM-, BOM-エーテルは,水酸基の保護基として汎用される.そこで今回

2.他の保護基への直接変換 6)

 保護基を異なる脱保護条件で脱保護できる他の保護基に変える事は,天然物合成等,多くの官能基を持つ化合物合成で特に重要である.しかしながら,一般に保護基の架け替えは 2 段階を必要とする.例えば MOM 基から他の保護基への変換は,MOM基を一度脱保護してアルコールとした後,再度保護する段階的手法を経る.そこでMOM-エーテルを TMSOTf(又はTESOTf)-ビピリジルで処理して生成するビピリジリウム塩を経る一段階変換法を検討した.すなわちビピリジリウム塩を水で処理する代わりにアルコール(SEM-OH, BnOH)で処理し,直接 SEM-, BOM-エーテルに変換することに成功した.本法も緩和な反応で,アセタール保護基以外の保護基は影響を受けない (Scheme 2).一般に MOM-エーテルは酸条件で脱保護するが,SEM-エーテルは TBAF (tetra-n-butylammonium fluoride) 等の F-で,また BOM-エーテルは還元等,MOM-エーテルとは異なる脱保護条件を用いることができるため,本手法は合成研究に有用である. 

 Scheme 2. Direct transformation of MOM-ethers to BOM- and SEM-ethers. 3.種々の炭素求核種との反応 7)

 アセタールへの求核置換反応による様々な求核種の導入は,求核種の存在下に酸条件でオキソカルベニウムイオン中間体を発生させて行う.そのため酸に不安定な官能基を持つ基質や求核剤を用いることができなかった.一方,我々の手法はそれらの基質や求核剤も用いることができる.その特徴を活かし,ピリジニウム型塩中間体に対して,既にヘテロ求核種並びに有機銅試薬を用いる炭素求核種の導入に成功しているが 3,8),今回,イソシアニド,シリルエノールエーテル,シリルケテンアセタール,トリメチルシアニドを求核種とすることに成功した.イソシアニド,シリルエノールエーテル,シリルケテンアセタールの場合は,アセタールを TMSOTf(又は TESOTf)-コリジンで処理して生成するコリジニウム塩が,またトリメチルシアニドの場合は,TMSOTf(又は TESOTf)-ビピリジルで処理して生成するビピリジリウム塩が有効でいずれも収率よく相当する炭素種を導入できた (Scheme 3). 

 Scheme 3. The substitution reactions of acetals with carbon nucleophiles via the pyridinium-type salts.  

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4.アセタール基質以外の他の反応への展開 既に我々は,アセタールをトリアルキルシリルトリフレートとホスフィンで反応して生成する α-アルコキシホスホニウム塩が,用いるホスフィンの構造により反応性が大きく変化することを見出し,特にトリオルトトリルホスフィン(o-tol)3P から得られる α-アルコキシホスホニウム塩は,水やチオレート,シアニド,Grignard 試薬と反応し,高収率で対応するアルデヒドや求核置換体を与えることを明らかとした (Scheme 4)9).一方,トリフェニルホスフィンから得られる α-アルコキシホスホニウム塩は,求核付加反応を受けにくい.そこでこの性質を利用して,二種類のカルボニル基が分子内に共存する基質に対して,反応性の逆転を試みた. すなわち,ケトンとアルデヒドではアルデヒドの方が求核付加反応を受けやすいが,ケトンとアルデヒドが共存する基質を PPh3

と TMSOTf の組み合わせ条件で処理し,アルデヒド選択的に安定なホスホニウム塩が生成することを見出した.ついでケトンに求核付加反応を行った後,アルデヒドを再生させ,アルデヒド存在下でのケトンの one-pot 還元反応または求核付加反応の開発に成功した.一方,ケトンとエステルの組み合わせでは,ホスフィンとして Et3P が有効で,ケトン選択的にホスホニウム塩が生成し,エステルを変換後ケトンを再生することにより,ケトン存在下でのエステル選択的変換反応を開発できた (Scheme5).また,本手法を適用することで,CBS還元剤による 5-オキソアルデヒドのケトン選択的不斉還元により光学活性 6員環のラクトールを得,リーシュマニア病原因寄生虫である Leishmania amazonensis promastigotes に対する抗原虫活性を有する天然物 centrolobine の短工程かつ高収率の不斉全合成を達成した (Scheme 6)10). 

 Scheme 4. The substitution reactions of acetals via the phosphonium salts.  

 Scheme 5. Reversing the reactivity of carbonyl functions with phosphonium salts. 

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 Scheme 6. Enantioselective total synthesis of (+)-centrolobine.  以上,独自に見出したカチオン性塩を経る有機合成化学の展開を図ってきた.ここで開発した反応はいずれも従来にない特徴を有している.今後の更なる展開を目指し,現在も研究を継続している.  本稿を終えるにあたり,ご支援いただきました上原記念生命科学財団に深謝いたします.

文 献

1) Fujioka, H., Sawama, Y., Murata, N., Okitsu, T., Kubo, O., Matsuda, S. & Kita, Y. : Unexpected highlychemoselective deprotection of the acetals from aldehydes and not ketones: TESOTf–2,6-lutidinecombination. J. Am. Chem. Soc., 126 : 11800–11801, 2004.

2) Fujioka, H., Okitsu, T., Sawama, Y., Murata, N., Li, R. & Kita, Y. : Reaction of the acetals withTESOTf–base combination; Speculation of the intermediates and efficient mixed acetal formation.J. Am. Chem. Soc., 128 : 5930-5938, 2006.

3) Fujioka, H., Okitsu, T., Ohnaka, T., Li, R., Kubo, O., Okamoto, K., Sawama, Y. & Kita, Y. : Organicchemistry using weakly electrophilic salts: Efficient formation of O,O-mixed, O,S- and N,O-acetals.J. Org. Chem., 72 : 7898-7902, 2007.

4) Fujioka, H., Okitsu, T., Ohnaka, T., Sawama, Y., Kubo, O., Okamoto K. & Kita, Y. : Reaction oftetrahydropyranyl ethers with triethylsilyl trifluoro methanesulfonate-2,4,6-collidine combination:Speculation of the intermediate, efficient deprotection, and application to efficient ring-closingmetathesis as a tether. Adv. Syn. Cat., 349 : 636-646, 2007.

5) Fujioka, H., Kubo, O., Senami, K., Minamitsuji, Y. & Maegawa, T. : Remarkable effect of 2,2’-bipyridyl: mild and highly chemoselective deprotection on methoxymethyl (MOM) ethers incombination with TMSOTf (TESOTf)–2,2’-bipyridyl. Chem. Commun., 29 : 4429-4431, 2009.

6) Fujioka, H., Minamitsuji, Y., Kubo, O., Senami, K. & Maegawa, T. : The reaction of acetal-typeprotective groups in combination with TMSOTf and 2,2’-bipyridyl; mild and chemoselectivedeprotection and direct conversion to other protective groups. Tetrahedron, 67 : 2949-2960, 2011.

7) Fujioka, H., Yahata, K., Hamada, T., Kubo, O., Okitsu, T., Sawama, Y., Ohnaka, T., Maegawa, T. &Kita, Y. : Reaction of acetals with various carbon nucleophiles under non-acidic conditions: C-Cbond formation via pyridinium-type salt. Chem. Asian J., 7 : 367-373, 2012.

8) Fujioka, H., Okitsu, T., Sawama, Y., Ohnaka, T. & Kita, Y. : Highly chemoselective alkylation ofacetals using TESOTf-2,4,6-collidine–Gilman reagent combination. Synlett, 18 : 3077-3080, 2006.

9) Fujioka, H., Goto, A., Otake, K., Kubo, O., Yahata, K., Sawama, Y., Hamada, T. & Maegawa, T. :Remarkable effect of phosphine on the reactivity of O,P-acetal: efficient substitution reaction ofO,P-acetal. Chem. Commun., 46 : 3976-3978, 2010.

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10) Fujioka, H., Yahata, K., Kubo, O., Sawama, Y., Hamada, T. & Maegawa, T. : Reversing the reactivityof carbonyl functions with phosphonium salt: enantioselective total synthesis of (+)-centrolobine.Angew. Chem. Int. Ed., 50 : 12232-12235, 2011.

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