鑑賞のポイント 令和2年 6月6日(土)~7月12日(日) 祈りのこころ ―尾張徳川家の仏教美術―

―尾張徳川家の仏教美術―...令和2年 鑑賞のポイント 6月6日(土)~7月12日(日) 祈りのこころ ―尾張徳川家の仏教美術 仏教とは…

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鑑賞のポイント令和2年 6月6日(土)~7月12日(日)

祈りのこころ―尾張徳川家の仏教美術―

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仏教とは… 紀元前5世紀頃、北インドの貴族・シャーキヤ(釈

しゃ

迦か

)出身のゴータマ・シッダルタが説いた思想です。限りなく続く苦しみの世界(輪

りん

廻ね

)から抜け出すこと(解

脱だつ

・涅ね

槃はん

)を根本思想とし、悟さと

りをひらいた「仏」とその教え「法」、法を伝える「僧」の3つ(三

さん

宝ぽう

)を信じることを基本とします。 仏教が日本に伝わったのは6世紀半ば頃です。それから時代を経るごとに、中国や朝鮮半島から様々な経典や新しい思想がもたらされたことで、たくさんの宗派が生まれ発展していきました。

 仏は、役割や修行の段階により、如にょ

来らい

(仏ぶっ だ

陀)・菩ぼ

薩さつ

・明みょう

王おう

・天てん

の 4 グループに分けられます。それぞれの仏はおおよそ決まった髪型や服装をしています。

仏の世界をイメージ!

~展覧会を見る前に~

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①髪の毛は小さく巻かれ、頭とう

頂ちょう

が盛り上がっています。

②額ひたい

に白い毛のうず(白びゃく

毫ごう

)があります。

③出家した釈迦がモデルなので、装飾品は少なく、

 布を体に巻きつけています。

 如にょ

来らい

(仏ぶっ だ

陀)は迷いから脱して悟りをひらいた人という意味で、人々を悟りの道へ導きます。

如来 ―「目覚めた者」として人々を導く―

重要文化財 刺繡阿弥陀三尊来迎図 (阿弥陀如来部分 № 15)         (展示期間 :6/6 ~ 6/21)すがた

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①長く伸びた髪を、頭の上に結い上げています。

②出家前の貴族だった釈迦の姿がモデルなので、

 豪華な宝飾品を身に着けています。

③下半身は巻きスカート、上半身には帯を斜めにかけ、

 肩から天てん

衣ね

を羽織ります。

 菩ぼ

薩さつ

は将来、悟りをひらいて如来になるため、人々を救う誓いを立てて修行しています。

菩薩 ―全ての人を救済し、仏を目指す―

阿弥陀八大菩薩像 (観音菩薩部分 № 43)

すがた

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①目をむき、牙をむき出し、怒りの表情をしています。

②身に着けている衣裳は、おおよそ菩薩と同じ様式です。

③火炎などを背負っています。

 明みょう

王おう

は、仏のようにやさしく導くのでは態度を改めない人々に対し、すさまじい怒りの形相で人々を仏道に目覚めさせる役割を担っています。

明王 ―力ずくで人々を教化する―

不動明王像(№ 36)すがた

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①「梵ぼん

天てん

」「帝たい

釈しゃく

天てん

」「吉きっ

祥しょう

天てん

」など位の高い天は、

 穏やかな表情で中国風の衣服を着ています。

②「毘び

沙しゃ

門もん

天てん

」「四し

天てん

王のう

」など武人の天は、怒りの形相で、

 鎧を身に着け、武器を持ちます。

 天てん

は仏教に取り入れられたインド古来の神々で、仏の教えをまもる護

法ほう

神しん

です。

天 ―仏の教えをまもる守護神―

十一面観音・不動明王・毘沙門天像(毘沙門天部分 № 21)           (展示期間 :6/6 ~ 6/21)

すがた

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尾張家の仏教美術・・・⁉ 尾張家には刀剣・甲冑・茶道具などのいわゆる大名道具とともに、仏教関連の品々も伝来しました。 仏教関連の品は、他の大名道具と同様、尾張家の人々にとっては先祖・親族の遺愛品であり、家の由緒を伝える宝物です。一方では供

養よう

の対象、信仰の対象でもありました。そのため時代の変化とともに、名古屋城と尾張家ゆかりの寺院の間を繰り返し移動するという運命をたどりました。

~いざ!大名家の仏の世界へ~

当主の道具である「御

お側そば御お道どう具ぐ」として

名古屋城天守に保管。

明和 5年(1768)、9代宗

むね

睦ちか

の意向で菩提寺の建中寺へ。

寛政 3年(1791)、日々の供養を懇

ねんご

ろにしたいという建中寺の願いにより、浄土宗の五つの寺(建中寺・相

そう応おう寺じ・大

だい

森しん寺じ・性

しょう高こう院いん・高こう岳がく院いん)へ。

10代斉なり

朝とも

により、文化 14年(1817)に再び尾張家へ。

斉朝が深く帰依する僧・豪ごう潮ちょう寛かんかい海が住

じゅう持じを務める

曹そう洞とう宗しゅうの万

ばん松しょう寺じ(名古屋

市中区)に新造された宝蔵へ。

明治 8 年(1875)に宝物は再び尾張家に戻され、現在に至る。

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家宝としての経典

 奈良時代を代表する装飾経です。 紫色に染められた紙に金で界

かい罫けい線せんを引き、端正かつ謹

きん

厳げんな楷

かい書しょにより『金

こん光こう明みょう最さい勝しょう王おう経きょう』を書写しています。

 『金光明最勝王経』は国家を鎮護する経典の一つとして、奈良時代から重んじられました。本品は天平 13年(741)聖武天皇の発願によって諸国に建立された国分寺・国分尼寺の塔に安置された、『金光明最勝王経』71部 710 巻の一部であると考えられています。

重要文化財 紫紙金字金光明最勝王経 巻第六 2巻のうち(№ 7)

 経典とは、仏の教えを書き記した、いわゆる「お経」のことです。尾張家伝来の経典は、①奈良~平安時代に製作された名品や、②歴代天皇・弘

こう法ぼう大だい師し空くう海かい・日

にち

蓮れん・菅

すが原わらの道みち真ざねなど著名人が筆者として伝えられる品が

中核を占めており、宝物として大切にされていたとわかります。また③歴代当主や家族により書写された経典も、家の歴史を物語る大切な由緒品でした。

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 『法ほ華け経きょう』8 巻と、その前後にあわせて読む『無

む量りょう義ぎ経きょう』

(開かい経きょう)および『観

かん普ふ賢げん経きょう』(結

けち経きょう)を加え 10 巻 1 組と

した紺こん紙し金きん字じ経きょうです。法華経の世界をデザイン化した2

段重ねの豪華な経箱が付属します。 江戸時代には、真

しん言ごん宗しゅうの開祖で、能

のう筆ひつ家かとしても知ら

れる弘法大師空海の筆蹟として、尊ばれました。

紺紙金字法華経・開結経 10 巻(附 法華曼荼羅蒔絵経箱 № 3)

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 奥書により、元文 4年(1739)7 月 13 日に 8代宗むね勝かつ

が自ら書写したとわかる『法華経』です。熱心な日にち蓮れん宗しゅう

の信徒であった宗勝は、尾張家を継承してから半年後の寛保元年(1741)、国家安穏を念じて、釈迦三尊像・日蓮曼荼羅(十

じっ界かい曼まん荼だ羅ら)とともに本品を名古屋城天守に

納めました。新しき当主としての覚悟の気持ちを込めたのかもしれません。

法華経 8帖のうち 徳川宗勝(尾張家 8代)筆 (№ 10)

 現存する尾張家伝来の経典の大部分は『法華経』です。

奈良時代には国家仏教の重要経典となり、平安時代には

天てん

台だい

宗しゅう

の隆盛とともに滅めつ

罪ざい

・女にょ

人にん

成じょう

仏ぶつ

などの利り

益やく

も注目

されて、貴族社会に深く根付きました。鎌倉時代には日

蓮宗の中心経典となり、民衆にも広まりました。時代を

超えて篤あつ

い信仰を集める経典です。

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阿弥陀如来の信仰 阿

あ弥み陀だ如にょ来らいは極

ごく楽らく浄じょう土ど

の主です。死に臨むとき阿弥陀如来に一心に祈ると、迎えが来て(来

らい迎ごう)

極楽浄土へ生まれ変わり(往

おう生じょう)、必ず悟りをひら

ける(成じょう仏ぶつ)と説く浄土

教は、宗派を限らず広く信仰されました。 尾張家では代々、浄土宗を重んじたため、阿弥陀如来を主題とする品が数多く遺されています。

重要文化財 刺繡阿弥陀三尊来迎図 (№ 15)( 展示期間 :6/6 ~ 6/21)

 刺し繡しゅうによる仏画の中でも

屈指の名品で、高度な技法を駆使して色のぼかしや線の躍

やく動どう感かんを表現しています。周囲の表

ひょう装そうも刺繡です。

 阿弥陀如来が雲に乗って飛来する場面で、観かん音のん菩ぼ薩さつは

往生する者を乗せ浄土まで運ぶ蓮れん台だいを差し出し、勢

せい至し菩

薩は合がっ掌しょうして往生者に敬意を示しています。

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 尾張家 2代光みつ友ともが、自身の見た夢を描かせた図です。

賛には、慶安 4年(1651)5月 5日の暁に見た夢の中で危機に陥った際、この霊像の加護により助けられたと記されています。この日は父である初代義

よし直なおの一周忌法要が

始まった日です。当主として重圧も感じていたであろう光友の、阿弥陀如来への並ならぬ信仰心が表されています。

阿弥陀・獅子・牡丹図(徳川光友夢中感得図)(№ 17)

 儒じゅ教きょうに傾倒した義直は、仏教の法要は無用と遺言し、

生前縁のあった定じょう光こう寺じ(愛知県瀬戸市)に埋葬され儒

教式の霊れい廟びょうが営まれました。一方、光友は義直を供養

するため、浄土宗の建けん中ちゅう寺じを菩提寺として創建します。

遺言を反故にするほど、光友は信心深かったのです。

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厨子の意味 尾張家伝来の仏像は、全般に小ぶりで、その多くが扉の付いた箱「厨

子し

」に納められています。仏像そのものは江戸時代以前に製作された品もありますが、厨子の多くは江戸時代に作られたとみられます。 当主や家族が身近に置く「念

ねん

持じ

仏ぶつ

」として、厨子や台座を新しく調

ととの

え、由緒ある仏像を厳かに飾りつけて、祈りを捧げたと考えられます。

 如にょ

意い

輪りん

観かん

音のん

は観音菩薩の変化身です。本品では六本の腕をもつ姿で表され、凛々しい顔立ちをしています。 厨子・台座とともに、宝

ほう

冠かん

・胸きょう

飾しょく

・持じ

物もつ

も江戸時代に加えられたとみられ、由緒ある像を余すことなく荘

しょう

厳ごん

し、供養しようとする心持ちが感じられます。

如意輪観音像 (黒塗厨子入 № 33)

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 室町時代に製作されたと考えられる阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊像です。厨子の内部には、全面に細く切った截

きり金かねによる文様が施され、金銅やガラス玉を

用いた華け鬘まんや幡

ばんなども吊

つられています。美しく荘厳され

た仏の世界を目の当たりにすることができます。

阿弥陀三尊像 (黒塗厨子入 № 29)

 如意輪観音像の厨子にみられる複雑に組まれた柱や梁はりの形は、実際の寺院建築にみられる形式です。また、

阿弥陀三尊像の厨子に吊り下げられた華鬘・幡は、法会などの際に仏殿の内部を荘厳するため用いられる飾りです。このように厨子は、仏像を納めた堂々たる仏殿をイメージして作られているのです。

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 徳川美術館には、尾張家の人々が亡くなった際、その供養のため寺院に奉

ほう

納のう

されたり、副ふく

葬そう

品として墓所に納められたりした品々も伝来しています。 奉納品や副葬品は、亡くなった人を思

慕ぼ

するこころの表れです。それぞれの品に投影された「祈りのこころ」に目を向けながら、寺院にかかわる品々をみていきましょう。

奉納品・副葬品~祈りのこころを感じる~

 宝ほう亀き山さん相そう応おう寺じは、初代義直が、寛永 19年(1642)に

歿した実母・於お亀かめの方

かた(相

そう応おう院いん)のため創建した浄土宗

の寺院です(現所在地:名古屋市千種区)。翌年完成した堂宇にかけるため、一周忌の命日にあわせて義直自ら山

さん

号ごうおよび寺

じ号ごうの額を書しました。

「相応寺」額 徳川義直(尾張家初代)筆 (№ 53)

相応寺

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 徳とっ

興こう

山さん

建けん

中ちゅう

寺じ

(名古屋市東区筒井)は、慶安 3年(1650)に歿した初代義直の供養のため、翌年に嫡男である 2代光友が創建した浄土宗の寺院で、尾張家の菩

提だい

寺じ

です。 元禄 11 年(1698)には亡くなった正室・千

代よ

姫ひめ

(霊れい

仙せん

院いん

)の霊れい

廟びょう

を建立し、千代姫の婚礼調度である「初はつ

音ね

の調度」を宝ほう

蔵ぞう

に納めました。この櫛くし

箱ばこ

も建中寺の宝蔵の中で、明治時代に至るまで秘蔵されていました。

国宝 初音蒔絵櫛箱   千代姫(霊仙院、尾張家 2代光友正室)所用 (№ 56)

建中寺

 尾張家の当主や家族が亡くなると、遺体を収める墓ぼ

所しょ(御

ご廟びょうとも)と、位

い牌はいを安置し霊を祀

まつる霊

れい廟びょう(御

お霊たま

屋やとも)とが作られます。菩提寺である建中寺が創建

されて以降、墓所・霊廟は基本的に建中寺に造営されます。千代姫の場合、本人の希望により墓所は将軍家の菩提寺である増上寺(東京都港区)に作られ、建中寺には霊廟のみが作られました。

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 出土した刀剣類は 4振が徳川美術館に伝来しています。この剣は、山城国の来派の国光による作と考えられます。表には愛

あい

染ぜん

明みょう

王おう

、裏には不ふ

動どう

明みょう

王おう

が彫刻されています。護法神としての 2尊の威力が求められたのでしょう。

葵紋付黄金造飾太刀拵 徳川光友(瑞龍院、尾張家 2代)所用          建中寺瑞龍院殿墓所出土 (№ 58)

剣 銘 来国光    徳川光友(瑞龍院、尾張家 2代)所用          建中寺瑞龍院殿墓所出土 (№ 62)

 太平洋戦争後、復興計画の一環として名古屋市街地が整理されることになり、昭和 27 年(1952)には建中寺墓所も整理されました。その際、2代光友の墓所(瑞龍院殿墓所)からは、副葬品である刀剣や拵

こしらえが発掘されました。

 拵は、ほとんど原形をとどめていませんでしたが、金製の金具は健全だったため、昭和 43 年(1968)に鞘

さや・

柄つか・紐などを新しく補って復元しました。大名が使用す

る儀ぎ仗じょう用の太刀拵としては最も正式な形式で、金・銀の

金具を多用し、色とりどりの宝石を散りばめています。 

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 数え年14歳で亡くなった13代慶よし

臧つぐ

の副葬品の一つで、慶臧自身によって作られた双

すご

六ろく

です。周囲には家臣の名前を並べ、中央には「上リ」の文字とともに金の 鯱

しゃちほこ

が付けられた名古屋城が描かれています。 表裏の全面に、地

蔵ぞう

菩ぼ

薩さつ

の朱印が連続して押されています。地蔵菩薩は大地のような慈

悲ひ

のこころで、地獄に堕お

ちた人をも救済します。慶臧の身近な人物が印いん

仏ぶつ

を押したと考えられ、地蔵菩薩に祈念し、慶臧の成仏を願う気持ちが感じられます。

尾張家臣すごろく徳川慶臧(顕曜院、尾張家 13 代)筆 (№ 66)

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七寺

 稲とう園えん山さん長ちょう福ふく寺じは七ななつ寺でらと称されます。尾張国主の城を城

下町ごと清須から名古屋へ移動する、いわゆる「清きよ須す越ご

し」に際し、現所在地の名古屋市中区大須へ移されました。その後も尾張家の庇護を受け、享保 15 年(1730)には藩主の祈

き願がん所しょになりました。

 京都の公家・冷泉為ため村むらによる追

つい善ぜん和わ歌かは、隠居・謹慎

ののち亡くなった 7代宗春の七回忌に贈られた品です。宗春の側室で出家して宝

ほう泉せん院いんと号した和

いず み泉は、宗春の 13

回忌に、為村の和歌を七寺に奉納しました。その際に添えられた宝泉院の願文には、すでに為村も亡く、この和歌を供養することが、宗春と為村の悟りの助けになるよう願う気持ちがつづられています。

徳川宗春七回忌追善和歌冷泉為村筆七寺旧蔵・徳川家寄贈(№ 70)

徳川宗春十三回忌追善願文宝泉院(和泉)筆七寺旧蔵・徳川家寄贈(№ 71)

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TEL 052-935-6262     TEL 052-935-2173

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