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卒業生に
贈る
言葉
いかに生きるべきか
占様こ卒業誠におめでとうこざいますそれぞれの課程を無事怒了し、心からおネし"ι
また、教職員の皆様の多年にわたるこ指導に敬恵を表し翁しナします
学校は、日常生活及ぴ社会生活に必要な知識と教養を身につけることを目則とするものですが、、1一
人格の冗成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を
本法にょりますと、「教育は、
勲力と奉什を重んじ、自、上的精柳に充ちた心身ともに健"な国fの育,を
愛し、個人の価値をたっとぴ、
(条)とされています卒業される皆さん、とくに、これから礼会に出
期して行われなければならない」
修f者の皆さん、この教育基本法の教育目的に照らして、各白の達偸
られる大学及ぴ大学院の卒業生
大谷實
総長
はし力力でしょうか特に、個人の価佃を尊重し勉屶と太レ什に努める心苗え、さらに白、fN何小を目)
のものにされたでしょうか
一方、向志社の校祖新島は、「教育の村的は、独自一己の見識を備え、仰いで天に恍ず、伏して地に恍ず、
自らΠ己の手腕を屶して、"'」の運命を作為するがことき人物を教養する」ことにあると盲園し、「知識あ
り品行あり、白ら立ち、自ら治むる人民」、「一国の良心と調うべき人々を養成する」ためには、キリスト
教主義を措いてほかにないとして同志社を創設しました。この同志社設立の趣旨は、今日の同志1の教育
邱念でもあるのですが、犬にも地にも恥じない生き方、そして、キリスト歓立のモラルは、占さんの人
生行路の基本として根付いたでしょうか。
Ⅷ寝は、前にも記したように、法律のうえでも、また、同古社の教育則念としても、Wドに田識や教養を
身につけるだけでなく、最終的には人冏としての生き方を学ぶためにあるのですから、こ」梁にⅧたって、
◇まで、人問としての生き方につぃてどの程度まで学ぶことができたか、そして、これからの皆さんの人
生行路をいかに歩むべきかにつぃて、改めて思いをめぐらせていただきたいのであります
私は、一九五0年に高等〕検に入学し、一九五七年に大学を卒業したのでありますが、今辰り返ってみ
ますと、その噺時の高校牛や大学生の問では、「人闇、いかに生きるべきか」について、真剣に老える人が
多かったように思います戦後の価値観の急激な変化や不安定な経済・社会情勢を反映したためともいぇ
ますが、青小ノ年は、それぞれ幽分の人生行路に、確固としたものを求めて、 UU存侍tを儁していたよう
に思うのであります。
その後の.侵経消成長に伴って、人々の生活は豊かになり、何でも簡畄に手に入るようになってからは、
両少年の比,Πさんに物質的な豊かさを求めゑ織はあっても、それが人生行路にとってどのような愆味を持
卒業生に贈る一言葉 5
つのか、物質文明の豊かさは本当に人を幸福にするのかといった人生問題への関心は、急速に衰えてきた
ように思います一九七0年代以降は、学生諸君から人生の悩みにつぃての質問を受けることもヲ常に
小ノなくなってまいりました。今年卒業されて社会に出られる皆さんも、おそらくこのような時代の流れに
即した学生生活を送ってこられたことと想像します。
しかし、ここ数年間、社会や人々の「人問の生き方」についての関心が少しずつ変化してきてぃるよう
に思います0 その背景については、環境問題といった物質文明主義の弊晝豊かさを求めた時代に対する
反省もありますが、情報化、国際化及ぴ高齢化にょって社会の変動が顕著となり、将来が丁安定かつ不透
明な時代になってきたこと、そして、何よりも日本の経済が長期にわたって低迷し、特に構造改革の国民
生活に与えつっある深刻な影響が人々を不安にさせているといった点が考えられます。
その背景がいずれにあるにしても、ここにきて、日本人としての生き方に社会の関心が向かいつっある
ことは、歓迎すべきであります。「この国の在り方」を問い、「日本人のこころ」をたずね、「世ル体」を重
んずる日本人の生き方に反省を迫るといった「生き方」論は、それぞれ傾聴に値しますし、「自己決定」と
「自己責任」を社会改革の根底に置こうとする近年の国の政策も、理解できないわけではありません。
しかし、この国の在り方を問題とする前に、私たち一人人が、何を終生の目的として生きるべきかを
問うべきでありますし、世間体を意識して建て前と本音を分ける生き方を改めるべき理由を明らかにすべ
きでありますまた、物事は自分で主体的に決定すべきであり、その結果は「自ら責任を色<え」という自
L貰任の考え方は、倫理としては分かりますし、そのような生き方を求めるべきでありますが、それを終
生の目的として生きるというわけにはまいりません。つまり、近年主張されてぃる人生論は、一人一人が
何を人生の目的として生きるべきかという人生論の核心に答えてぃないと思うのです。
人冏の「生き方」を問題とする場貪在るべき社会や日本人のこころを問うのではなく、一人の人占と
して、本当に幸せになるためには、どういう生き方をすべきかが最も重要だと思います「古来、生きとし
生ける者は、すべて幸福を求めて生きる」といわれているように、幸福の追求こそ人間本来の欲求であり、
何が人剛にとって本当の幸福であるかに答えることが、人生論の核心でなけれぱならないと考える.らで
あります別な:山い方をすれぱ、人生の日的は幸福であり、常に至福の気持ちで平安に暮らし、人生を全
うすることであると老えるのであります。幸福は、「山の彼方の空遠く」に在るのではなく、ある学者が園
つてぃるように、畢福は、あらゆる学閥努力、あらゆる国家的施設の究極の基礎」なのであります0
囲題は、何をもって幸福と考えるかであります。その幸福は、いかなる不運や災難にあっても、まこ、
人生の最後においても揺るぎないものでなけれぱなりません。それだけに答は簡単ではなく、ま、」様々で
あります。そして、私たち日本人は、個人主義の定着が遅れたこともあって、この問題を自らに突きつけ
て正面から芸えるということをしてこなかった、
そして、今もそのような傾向があるように思いますし
かし、この問題を真剣に吉えない限り個人としての生き方が定まらないはずでありますから、せっ.く十ι
ち取った個人の尊電や尊厳の原理は、鉦釜課になってしまうよう急うのですその意味で、まず、自分
にとって揺るぎない幸福とは何かを問い、それを人生の目的として、これからの人生を邁進していこ、、こき
たいのであります
卒業生に贈る言葉^フ
卒業生に
贈る
言葉
今春、同志社大学から晴れて学士の学位をお受けに
なる学部卒業生の皆様、また修士ならぴに博士の学位
を授与される大学院修了生の皆様に、同士料大一長と
して心からお祝い申しあげます。皆様が大きな希望を
胸に、晴れて同志社大学あるいは大学院に入学されて
幾年月かが経過しました。「光陰矢の如し」と申します
この問の皆様の勉学努力、研究努力が学位記とな
゛)、
力つて・美を結ぴました〕莅記に刻まれた皆様の名前は
同志社大学での真埜な学業生活の証となるものです
それぞれの専門分野で真理を追究してこられた皆様に
深く敬恵を表したいと思います。また、この問、皆様
を温かく支え、見守ってこられたこ家族をはじめ関係
者の方々に衷心よりお祝い申しあげます。
^白^^N^ぱ^た同^^大^十は、同志社英学校から数
えますと本年で創立百十七年を迎えます。現在、わ
が岡には六百七十校余りの大学が教育活動を展開して
いますが、「良心ノ全身二充満シタル丈夫ノ起リ来タラ
、畢ヲ」という、良心碑に刻まれた新島襄先生の溢れ
んばかりの蟹菱原点として、祠志社大学はわが岡屈
CflANGE is
Cf{ANCE
八田英二大学長
指の私立大学として教育亊業を展開してまいりました。自治幽立の人'七のH成い!・で青小高}
げ、キリスト教守義、'倒由主義、凶際士義の教育理念のもと、優秀よ教授陣、・、.、、噛しい、1冴:ルしー"
提"し、教育尋業の展開を辿して社会に貢献することが司志1大1の1会的使叩・、、、
の教育成果の結晶ともいうべき数卜万人の有為な卒羊が大学を巣立ち、
災社会のさまざまな分野で活躍
されております
同志社英〕寝の創立は一
ノ・五仰喝十は明治紕新後の近代社会杉成の量商でしここ承町のこ、
川治政.怖のむ礎造りに大きくメ献した人物は、兄一上から考えると驚くほ・一ゴ、 U、ぱH、Π4丁ソー、f、
1
肋町ι1^^ノ^区川^^m^ー^、^^^f^^^\^、長Π^カ^^、田モ子一Πト、、ール、
れてぃます近代H本の肇とい、つ大出業は、大志を胸こ、夢ミ川り、ー・こ折こー、"カ、"
造力溢れる肖年を原動力としたといっても過幽ではありません
同志社の校祖暫四兇生が.凶館を蹴れ、上海を差て、一路米国を倒旨され、、は
八六凶年七刈、先生
ガ十一歳の夏のことでしたアメリカでのト'、勉学に劫しまれ、
また多くの出会いを経験されたの
ち、先生は八七四年に僻国されました。教厶U艇業による人イ育曵により、
近代社会の建設に'寄与すべく、
翌ノ七五作一河に詞心荏岑綏を俳に凡双立されたのです先生三・
歳のときでした
村島先生が大士心を抱き、日本を脱国されたのは、ちょ、つど七白求と司じ立の・'"・こいゞ、.
でしょ、つー^^^を^え、時^は^沌として)ま^^去卜Pはξつ^こ一下呼^、ー、、
すわが国経済社会は長期簾卸に迷い込み、萠の光を求めて啼七,入索の犬態・所.、 0、、、:
色穰せるなか、
さまさまな分野で新たなパラダイムの確立が求められています
政治、絲済、社会全てで
改半禦められる夜明け前の閉塞的な状況で、必要とされるのは強い仏念をもつこ刈吐" y' U、
卒業生に贈る言葉^9
私学同志社が育成を目指す自治自立の人物力存分に活躍できる々機ナのです
このような時代こそが、
ヒの時代にこそ好機が訪れることは長い人類の歴史が幾度となく証明してき六ところで
という語をよく見てください。二っの単語では、 GとCが
と申しますが、 CHANGE と CHANCE
CHANCE のCにTという形のヨコ棒とタテ棒を加えると CHANGE
人れ替わっているだけです
CHANGE から
となりますヨコ棒を間口や総合化と、タテ棒を奧行きや専r性と考えてく六さい。
CHANCE への転換は、まさしく時期を見定め、いままでに培われ六血昌晶ナ専1台力ι.、いψ
同志社大学で身に付けられた豊力な
い視野に立った上で総合的な判断を下すことにょり可台となります
輝くような未来を切り開いてくだ
人問性を基礎に、専門化と総合化にょって大きな時十の波を乗り切り、
さい
つて誇るべき宝は、同志社大学で培われた自治自立の精神です力えて*白
△五船出をされる皆様にと
と申しますが、若
様は、豊かな創造力と溢れるような蛾菱胸に秘めておられます。「ネ心忘るべか、一
者の特権ともいうべき失敗を恐れず、いつまでも止むことのない挑戦心、フィテ、,、゛
つも高く掲げてください。仕事に打ち込んでいる人、目標に向かってぃる人ι、い、
しして充実した人生を送ることができるからです
人生のひとつの節目ともいうべき卒業にあたり、同志社大学を後にしてネ会1巣立てぃ力*ι
アメリカのサミエル.ウールマンの「青春」という詩の一 rをーり六しと思います。
ゐ工曳0国一mδ工)Z禽
青春とは、人生のある時期をいうのではなく、心の状態をいうすぐれこリ造力、避しき意心、
燃
キ、よ、ワだしりぞ、、' J
ゆる饗{、怯儒を却ける勇猛心、安易をふりすてる冒険心、こういう心の状よを青春とい、 0
年を重ねただけでは人が老ゆることはない理想を失う時にはじめて老い;訪れる0 歳はト.ア
しわを増すが、饗{を失う時に精神はしぽむ。一轟や疑い、不安、凡椛、失望こ、、、
あたかも長年月の如く、人を老いさせ、精気ある魂を芥に加せしめてしまう
人は倫念とともに若く、謬心とともに老ゆる。人は自仏とともに若く、
恐怖とともに老ゆる希望
ある限り若く、失望とともに老い朽ちる
大地より、神より、人より、美、喜ぴ、
田添卒業生ならびに大学院修f生の一
いたします
勇気、壮大、力の霊感を受ける限り、人の若さは失われな
人ひとりの行く末に大いなる期待を寄せて、卒業生に曽る園葉と
卒業生に贈る言葉 1
卒業生に
曽る
言葉
苦き水を甘くする木の如く
こ卒業おめでとうこざいます
大学院での研究生活を終えて次への飛躍の時を迎られた鳥さまL心から
同志社女子大学での学生生括、
お慶ぴ申しあげます
そして、これまで、見守り支えてこられたこ家族の皆さまに対しても心からお祝しを「あじま
これまで何かと
ΠこのΠの成長ぶりを虹になられて感慨ひとしおではないかと拝察し六しますま六
本学にこ理解とこ恊力を賜りまして、まことにありがとうこざいまし六
卒業生の皆さんは、今まさに大学生活、大学院生活を終えようとする感慨と新六ナ生、布、1煮、、
女子大学長
森田潤司
心の県りを禁じえないことと恕いますが、私も、皆さんを火1会に送り川すにあこり、
はたしてしっか
りやってくれるだろうかという心配と、いや大丈火だという刈待とが」父ル田しています
、ノ.ノナ勺^^^^^^一^^^^[^^^に出」吊し^司L^k-^艸^子交^ぢ^勺^Hノ阿リK・
(出エジプト記一吾十
h鄭)にある'県を引用して汰のように述べて卒業生を送り出されました
S
「今諸淋を社会に送り
出すのは、これあたかも、メラの苦き水に投ずるようなものである
予としては心中まことに忍ぴざるも
のがあるが、さりとて諸どよ、予は敢えて之を望まざるを行ない願はくぱ諮オはメラのやーき卞をけ
る木の如く、
諦村もよろしくこの苦き社会をⅡくする力をもたれんことを切望してやまない」(一打鳥樂俳
集)
川約聖轡にょると、下五
U年前に
モーセはエジプトで奴紋となっていたイスラエルの民二h万人を
率いて、エジプトを脱出しましたイスラエルの民は、.1海を湊り、シユルの芒ル野をシナ十;巾、つ
ていきましたΠ削水がなかったそうですそして、マラこ判肴しましこ
そこには泉がありましたが、
塩分と儒<の成分か混じつていて、とても飲める水ではありませんでしここういうわけ・、,は
マラ介占い)と呼ぱれました民はモーセに向かって、「何を飲ん、こらよいの、
と丕平を"つたそうです
モーセが上に向かって川ぶと、主は彼に一本の木を小されましたモーセがその木をkに投げ込む、 k
はHくなったというのです
そのような木があるのかどうか存じませんが、何らかの」J法で征ナを含む一'Π
い水を脱堀し、飲み水とすることができたのでしょう0
新~発生は卒業生にマラ(メラ)の芋Πい水をけくする木のように、
この苫い社会をけくする、つまり、
よりよき社会に変える人物となるよ、つに希翊kされました。 nこ技術や1彪 Z寺つ、ごけ・よ巡\'ニ・」
にして迎用できる人物か社会の変革に必発と七えておられた先上の芥業生に゛する言頼剛待・
卒業生に贈る言葉 B
11;S
今また、混沌として先行きの見えない時代となりました新島襄
代は変わり、社会の状況も変わりましたが、
いま皆さんを送り出す私たち教職員の気持ちでもあります。
先生が卒業生に対して寄せた仏頼と期待は、
そこで伸ぴやかに育った大きな魚
新島先生はまた、「大学は大きな魚も小さな魚もいる深山の池であり、
この美しい日本を改良して欲しい」と祈られま
も小さな魚もその分に応じて一身を世のために犠牲にし、
つているのではないと思います。その分に応
したこれは無理をして社会のために犠牲になれとおっしゃ
皆さんが伸ぴやかに、輝いて
じて自分を磨き、輝いて生きるように努力することを望まれたと思います
苦き社会を変え
生きること、それが周囲の人々ひいては世界の人々を輝かすことに繋がることでしょう
その分に応じて、しかし、精杯という占小が大切です国は、男女共同参画ネ会の
る力となるでしょう
社会はまだまだ対応できてぃませ
実現に向けて男女の意識改革と実践を強力に推進するとしてぃますが、
意欲を持って仕事学問、芸術に打ち込もうとするとき、ま尤まガさ
ん。女性がすばらしい才能を持ち、結
婚生活、出産子育ても並立させようとすると、さらに厳しいことが予
まざまな障壁があるでしょう
夫に理解があればというのも一般論
想されます0 結婚すれぱ退職が当然という雰囲気の会社もあります。
あらゆる未知なる要素のなかで自分の人生を設計しておかねば
でしかありません平凡な口い方ですが
不{女をあおるようなことを申しましたが、大
なりません危険を予知し準備をしておかねぱなりません
能力は身についています事に臨
丈夫です皆さんはまだ気づいておられないかも知れませんが、実力
きっとありますマラの木も
んでの解決方法のヒントはこれまでの同志社女子大学での学びや生活の中ι
苦き水に投げ込まれて初めて苦き水を甘き
生えていたときにその能力を使っていたわけではありません。
水に変える働きをしたわけです自仏をもって臨んでください。
一方で助け合い支え合っていかねぱ生きてぃけない生き物
人は自立して生きることが求められますが
、
でもありますしかし、現実には、人々は物理的にも精神的にも分断され、孤立ヒする傾司が進んでいま
す人で寂しく悩む方で、さまざまな関わりを]渉と一堂け止め、心を羽じる傾向もあります家盧、
近所、地域といった社会集団が崩壊しつっあり、それに変わる受け皿がないからでしょう
先進国や都会
で殊にその傾向が強くなっているのは皮肉なことですそれでも誰かに支えられています心を洞くこと
で誰かが助けてくれます
卒業生の皆さんは、こ両親はじめ多くの人々の恊力と支援にょって今日の日が
あることをあらためて心に刻み、このことを感謝し、今後も感謝の気持ちを持って活動していこ、ごきこい
と思いますこの広い地球上には、さまざまな人々がおり、その中には災害や戦禍に巻き込まれこり、貪
困や飢えに苦しんだりしてぃる人々も大勢いることを忘れないでいただきたいと思いますお世活にょつ
た人々へ匙謝の気持ちを持ち続けることは、どのように生きるかとも関係する大切よことでしょう0 各
自自仏を持って生きるとともに、声を掛け合い、悩みを分かち合って生きる必要があります0
私たちの大学のエンブレムには栄光館の建物とぶどうの枝と豊かに実をつけた房ゞ描、れ、「問oo mdミ
く一↓易く国膨」というラテ、需が書かれてぃますこれは「私はまことのぶどうの木」(ヨ、\にょる福音
霊旦五章一節)というイエスの
葉ですが、キリスト教主義を建学の理念とする同志社女子大学に連なる
私たちそれぞれがぶどうの枝であり、ぶどうの実であり、母校での真理への学ぴを通して、イエス.キリ
ストと神へ連なるものであることを尓す園葉ですカレッジソングにも同じ意味の歌詞§ありますね卒
業生の皆さんが、世界のどの地にあっても、また、どんな境遇にあっても、母校同志士女子大学と同志士
の枝にひとつにつながってぃます。そして、イエス・キリストと申ともまこつよぶつています0 このこ
を倫じて、勇気と自仏をもつて活動していただきたいと思います0
皆さま一人一人の将来に期待を寄せるとともに、健康と幸福を祈ります
卒業生に贈る言葉巧