3
2月17日 梅咲くや思いもよらぬ脳腫瘍 2月18日 入院に戸惑う妻の二月かな 2月19日 明日という日を信じたる寒夕日 2月20日 マスクして母見舞う子の真顔かな 2月21日 冴ゆる夜の寂しさ募る病者かな 2月22日 如月の神に預けし命かな 2月23日 腫瘍取る名医の腕や春温し 2月24日 手術して点滴の妻春立ちぬ 2月25日 病院はマスクだらけや見舞客 2月26日 病む妻も歓喜や山の寒夕日 2月27日 妻見舞う遠くの山は雪景色 2月28日 リハビリは春という名の文字探し 2月29日 寒夕日映える病室四人部屋 3月 1日 春の雲どこにも行けぬ病者かな 3月 2日 昨日より回復進む春の妻 3月 3日 病室で隠れて食べる桜餅 3月 4日 病院へ老人数多風邪気かな 3月 5日 春の日や病院食にゴマ豆腐 3月 6日 点滴や外は春雨窓を打つ 3月 7日 春光や主治医告げたる良き知らせ 3月 8日 春寒し妻の愚痴聞く見舞いかな 3月 9日 春寒や頭に残る手術跡 3月10日 春惜しむ古き写真はセピア色 3月11日 寂寞の夜は長く冬木目覚めず 3月12日 窓越しに患者も和む椿散る 3月13日 春惜しみ生くる限りの深呼吸 3月14日 今日の日を感謝して春惜しみけり 3月15日 春月やホタルの如き車列の灯 3月16日 花見して妻に寄り添うわたしかな 3月17日 春風を受け止めて妻微笑みぬ 3月18日 休まずに妻を見舞いて春深む 3月19日 桜咲く空に月あり見沼かな 3月20日 風邪下火外来患者減りにけり 3月21日 歳月に後悔ありぬ妻の春 3月22日 見舞う度三寒四温慣れにけり 3月23日 気がつけば後期高齢弥生かな 3月24日 日脚伸ぶ退院の人増しにけり 3月25日 癒されて家に戻りぬ妻の春 俳句で綴る妻の脳腫瘍手術から退院までのあたふた日記

俳句で綴る 妻の脳腫瘍手術から退院までのあたふた日 記 seisyun/haiku/217325.pdf性であったことから妻は元気に回復した。 2月17日即入院~3月25日に退院す

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 俳句で綴る 妻の脳腫瘍手術から退院までのあたふた日 記 seisyun/haiku/217325.pdf性であったことから妻は元気に回復した。 2月17日即入院~3月25日に退院す

2月17日 梅咲くや思いもよらぬ脳腫瘍

2月18日 入院に戸惑う妻の二月かな

2月19日 明日という日を信じたる寒夕日

2月20日 マスクして母見舞う子の真顔かな

2月21日 冴ゆる夜の寂しさ募る病者かな

2月22日 如月の神に預けし命かな

2月23日 腫瘍取る名医の腕や春温し

2月24日 手術して点滴の妻春立ちぬ

2月25日 病院はマスクだらけや見舞客

2月26日 病む妻も歓喜や山の寒夕日

2月27日 妻見舞う遠くの山は雪景色

2月28日 リハビリは春という名の文字探し

2月29日 寒夕日映える病室四人部屋

3月 1日 春の雲どこにも行けぬ病者かな

3月 2日 昨日より回復進む春の妻

3月 3日 病室で隠れて食べる桜餅

3月 4日 病院へ老人数多風邪気かな

3月 5日 春の日や病院食にゴマ豆腐

3月 6日 点滴や外は春雨窓を打つ

3月 7日 春光や主治医告げたる良き知らせ

3月 8日 春寒し妻の愚痴聞く見舞いかな

3月 9日 春寒や頭に残る手術跡

3月10日 春惜しむ古き写真はセピア色

3月11日 寂寞の夜は長く冬木目覚めず

3月12日 窓越しに患者も和む椿散る

3月13日 春惜しみ生くる限りの深呼吸

3月14日 今日の日を感謝して春惜しみけり

3月15日 春月やホタルの如き車列の灯

3月16日 花見して妻に寄り添うわたしかな

3月17日 春風を受け止めて妻微笑みぬ

3月18日 休まずに妻を見舞いて春深む

3月19日 桜咲く空に月あり見沼かな

3月20日 風邪下火外来患者減りにけり

3月21日 歳月に後悔ありぬ妻の春

3月22日 見舞う度三寒四温慣れにけり

3月23日 気がつけば後期高齢弥生かな

3月24日 日脚伸ぶ退院の人増しにけり

3月25日 癒されて家に戻りぬ妻の春

俳句で綴る妻の脳腫瘍手術から退院までのあたふた日記

Page 2: 俳句で綴る 妻の脳腫瘍手術から退院までのあたふた日 記 seisyun/haiku/217325.pdf性であったことから妻は元気に回復した。 2月17日即入院~3月25日に退院す

何しろ3年前から妻は足首や膝の慢性関節炎が原因かどうかわからないが、思うように体

が動かなくなったことや気力がなくなった。病も進行し妻の「要介護2」の認定を受けた。

家族のために40数年も家事を担当してきたが、体調の変化から担当することもままならな

くなったのである。私も結婚してから今日まで自分の好きな登山・スキーを楽しめたことに

対する感謝の気持ちから、2年前から家事一切を私が担当し現在に至っている。生活様式も

椅子、ベットや洋式トイレの生活に切り替えた。 年明けて2月に入るや、急に左足と左手の不自由が強まったので、これは脳から来ている

と直感し、掛かりつけ医から紹介された病院で脳腫瘍の判定を受けた。その時、私の足は小

刻みに震えてしまったようにショックだった。というのは、若い時に脳腫瘍でクラスメート

との悲しい思い出もあり、20年前に姉が良性の脳腫瘍を手術したこともあり、山の親友も

転移性脳腫瘍で亡くなったこともあって、

脳腫瘍と聞くだけで神経質になってしまう

のだ。偶然にも名医と出会い、脳腫瘍も良

性であったことから妻は元気に回復した。

2月17日即入院~3月25日に退院す

るまで38日の入院を通して様々なことを

学んだことは言うまでもない。

❶9時間に及ぶ手術となると、その間を控

室で待っている家族は色々な思いが錯綜し、

手術が早く終わったら悪性に違いないとか、

主治医の言われた時間を経過すると何かト

ラブルもあったのか、とか頭の中を駆け巡

り家族にとっても辛い時間であることは間違いない。手術が無事に終わったものの、ここか

らがスタートとして捉えるようにと主治医から言われた。というのは、術後、1週間~10

日間は感染症に罹る危険が一番高く、感染症にかかると医師でも手の施しようがなく、命を

絶たれることもあると言う。

❷病理検査は1週間程度かかり、そこで良性か悪性かの見分けがつくので、それによって治

療方針が決まると言われている。妻の場合も入院当初から退院支援計画書なるものが病院か

ら提示された。その中に病状が安定し場合(●急性期病院=緊急・重症な状態にある患者さ

んに対し、高度で専門的な医療を 24 時間体制で提供する病院のことです。その役割を果たし

た場合)は、転院させるため(●回復期病院=脳卒中などの脳血管疾患や、大腿骨などの骨

折、外傷などによって脳や脊髄を損傷された患者が、日常生活動作(ADL)の改善を目的とし

たリハビリテーションを集中的に行う専門病院のことです。)リハビリ病院や介護施設等に

紹介することも入っている。しかし、病状の回復が著しい場合は転院計画を見直すことも示

されている。

●妻も車椅子で意識もとろんとしている状態で主治医の診察をうけたので、最初からこのよ

うな状態では手術後の回復期間が長くかかると予想して、主治医はすぐにリハビリは転院の

病院で行ってもらいますと言って、二、三の病院名をあげて一つを指定するように告げてき

た。それを聞いた妻はショックで仕方ないわねと力なく受け止めていた。ところが手術後の

病理検査結果も良性で回復が著しく、リハビリも順調に進んでいるので、主治医も回復期病

院に転院することを撤回して、リハビリもこの病院で行い退院してよいと考え方を変更した。

このことを退院支援担当者から聞かされた。

Page 3: 俳句で綴る 妻の脳腫瘍手術から退院までのあたふた日 記 seisyun/haiku/217325.pdf性であったことから妻は元気に回復した。 2月17日即入院~3月25日に退院す

❸厚労省によると平成23年の平均入院(病院の場合)日数は34.3日といわれている。開

頭手術の場合は平均43日となっている。妻の場合は38日と短いことから回復が著しかっ

たといえる。

❹2月分入院費は55,636円であるが、本来の医療費は保険点数の総点数は、274,9

22点なので2,749,220円ということになる。後期高齢者医療制度で1割負担となっ

ているものの、自己負担は最高限度額44,400円と決められている。それに食事療養負担

額と保険外負担を加算して55,636円ということであった。入院して初めて後期高齢者が

医療保険で優遇されていることを知る。3月分は保険点数の総点数は、108,767点と食事

療養負担額と保険外負担を加算して69,142円である。今回の手術と38日間入院費の合

計は124,778円である。実際の医療費は約384万円である。

❺執刀医に対するお礼にどうするか悩んで、専科一期校友会の仲間二人から聞いたところで

は、入院手続き案内書にもお断りと記載されていること等から何もしなかったという。そこ

で私も病院の入退院担当者にお聞きしたところ、心遣いは無用ということや、入退院案内書

にもそのようなことは無用と記載されていることを鑑みてお礼はしなかった。入院で妻を支

えてくれたのは10種類にも及ぶ職種に携わる皆さんがいてこそ退院できたのであるから、

最後に退院してからお礼の手紙を送付したところ、主治医も最初の外来診察の時にお手紙あ

りがとうと言われたので私達の気持ちは通じたと信じている。

❻最後に妻が早く回復できたのは、腫瘍のできた場所が良かったこと、執刀医師が名医であ

ったこと、妻が家に帰りたいとの思いから頑張り抜いたこと等、この3点が絡み合って無事

に時を乗り越えたからこそ3年前の妻へとカンバックできたものと思っている。

要介護2の認定を受けた妻に突然の良性脳腫瘍宣告、即入院・手術と事が順調に運び、神

経の圧迫が取れ3年前の妻に戻りつつある。主治医もここまで良くなるとは思っていなかっ

たので、入院当初からリハビリ病院への転院を説明していた。ところが病理検査が良性で回

復が著しいことから転院させず、リハビリもここで受けさせてくれた。

❼その回復は著しく、杖がなくても歩行ができるし、お風呂も独りで入浴できるようになっ

たことからヘルパーさんを断ったら、こんなに回復した人は初めてと言って喜んでくれた。

最近は洗濯をしたり、手の込まない料理をしたり、あちこちと片付けをするようになってき

た。一番うれしかったのは、プロ級のカレーを作る腕前を持つ妻が母の日に作ってくれたこ

とだ。しかし、頭を手術すると後遺症として記憶障害があること。三年間の自分がどんな状

況だったのか覚えていないこと。人格障害があっていいことは忘れているが、ストレスとな

ったことは覚えていて、それを何回も繰り返して話すこと。特に私に対しては家庭を顧みず、

登山・スキーに明け暮れたことに猛烈な抗議を受けている。病気の後遺症の一つとして受け

止めている。ケンカしては仲直りの連続である。 ❽再発については、髄膜腫の説明では髄膜種の自然経過と予後については、5年生存率93.3%、経過観察例の5年生存率は76.4%であると書かれているが、主治医の長田先生が後

15年生きればよいのでしょと説明し、年齢も考えて無理はしないことにして腫瘍の95%

は取り除いたが、脳や血管等と癒着しているところは焼いてきたという言葉を信じて、妻が

一日でも長く健康的に長生きできることを願って止まない。 ❾振り返って見ると、今回手術した腫瘍が大きくなるまで主治医は10年位掛かっていると

いうから、この腫瘍が脳を圧迫してあちこちの機能を低下させ、認知症やアルツハイマーの

ような症状が出ていたことも確かなようだ。良性なので手術後は何もしない。あとは飲み薬

を飲んで経過観察するだけという。これからは入院前の食事以外は電動椅子でテレビを見る

か、寝ているかの生活に戻ることもないことを願っている。