太宰治「ヴィヨンの妻」論 ─ 1 ─

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太宰治「ヴィヨンの妻」論

─ 1 ─

はじめに

「ヴィヨンの妻」は妻の語りから始まる一人称形式の小説であり、

一九四七(昭和二二)年三月『展望』に発表され、八月に筑摩書房

から刊行された。一般的には女性独白体小説に分類される作品であ

る。太

宰治の創作活動は一九三三(昭和八)年から一九四八(昭和

二三)年までの足かけ十六年ほどである。女性独白体といわれる作

品は、一九三七(昭和一二)年の「燈籠」から一九四八(昭和

二三)年の「饗応夫人」まで十六編ある。東郷克美の分類

(注1)に

より、

語り手と年齢を整理すると次の通りである。

『燈籠』(一九三七)二十四歳。父母と暮らす下駄屋の娘。

『女生徒』(一九三九)父を亡くした十代の女子学生。母親と二人

で暮らす。

『葉桜と魔笛』(一九三九)五十五歳の夫人。二十歳の頃の回想。

『皮膚と心』(一九三九)二十八歳。図案家の妻。

『誰も知らぬ』(一九四〇)四十一歳。二十三歳頃の回想。

『きりぎりす』(一九四〇)二十四歳。画家の妻。

『千代女』(一九四一)十八歳。七年前は綴り方の才能があった少

女。

『恥』(一九四二)二十三歳。小説のモデルにされたと勘違いした

女性の読者。

『十二月八日』(一九四二)小説家の妻。一児の母。

『待つ』(一九四二)二十歳。毎日駅で誰かを待つ娘。

『雪の夜の話』(一九四四)二十歳位。小説家の妹。

『貨幣』(一九四六)百円紙幣。女性。

『ヴィヨンの妻』(一九四七)二十六歳。詩人の妻で一児の母。

『斜陽』(一九四七)二十九歳。妻子ある小説家の愛人。

太宰治「ヴィヨンの妻」論 

──越境する妻──

文学研究科国文学専攻博士後期課程1年 

関根 

順子

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『おさん』(一九四七)ジャーナリストの妻で三児の母。

『饗応夫人』(一九四八)饗応好きな女主人のもとで働く女中。

十年余りにわたって書かれた女性独白体の十六編の語り手は若い

女性であるか、もしくは自身の若い頃を回想している人物である。

図案家の妻、画家の妻、小説家の妻、小説家の妹、詩人の妻、ジャー

ナリストの妻という人物設定は、いずれも表現者に隣接している女

性である。坪井秀人は語り手の人物像から「女性イメージのある程

度固定化された集合体が浮かび上がってくる」とし、「女性の主体

の重みが感じられぬ、いかにも家父長制的な記述に傾いてしまう

(注2)。」

と論じている。語り手の女性が男性からの視線に規定され自己を作

り上げている。特に妻の役割を与えられた女性にこの傾向が強いと

いうのである。十六編の作品の中で「ヴィヨンの妻」と「斜陽」は、

他の十四編と比較すると語り手が女性一人に限定されず、女性独白

体小説からの逸脱がみえるテクストである。それでは太宰は女性独

白体をどのように規定していたのだろうか。

太宰は『女性』(博文館一九四二(昭和一七)年のあとがきで次

のように記している。

 

昭和十二年頃から、時々女の独り言の形式で小説を書いてみて、

もう十篇くらゐ発表した。読み返して見ると、あまい所や、ひ

どく不手際な所などあって、作者は赤面するばかりである。け

れども、この形式を特に好きな人も多いと聞いたから、このた

び、この女の独白形式の小説ばかりを集めて一本にまとめてみ

た。題は、『女性』として置いた。少しも味の無い題であるが、

あまり題にばかり凝ってゐるのも、みっともないものである。

(昭十七年春)(『女性』)

太宰によると女性独白体とは「女の独り言の形式」ということに

なる。さらに付け加えるなら女性の内面が女性の声を通して語られ

る独白ということになろうか。「ヴィヨンの妻」は、詩人大谷の妻

の語りからはじまるが、大谷に五千円盗まれた居酒屋の夫婦の登場

で、妻の語りは一旦閉じられる。居酒屋の亭主の打ち明け話などは

テクスト全体の四分の一強を占め、会話の部分には、妻の語りだけ

でなく夫をはじめ他の人物の語りもみえる。全編を通じて夫と妻の

思考の食い違いが随所に見られる。末尾は妻のことばで閉じられて

はいるものの、文末表現の変化により独白体からの逸脱がみえるテ

クストである。

作中では椿屋に出入りした登場人物たちに様々な出来事が起こっ

た。椿屋にはもともと空間の状態変化を促す何かが存在したのか、

それともそれは人々の関わりの中で発生したものなのだろうか。登

場人物と椿屋とのかかわりを考えるとき、椿屋という場所そのもの

が大きく浮上してくるように思われる。

本稿は夫と妻が椿屋への出入りに使った勝手口を境界として捉え

ることでテクスト内の椿屋の空間を明らかにしてゆくつもりであ

る。勝手口を越えて内側に向かった妻に起こった変化と椿屋との関

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太宰治「ヴィヨンの妻」論

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わり、さらにその結果、妻の語りがどのように変化したか等につい

て考察を進めることにする。

一、椿屋の勝手口という境界

終戦直後の中野駅近くのまことにむさくるしい小さい飲食店は、

どのようにテクストの重要な空間に成り得たのだろうか。

勝手口を境界と捉えるために、手始めに住まいにおけるオモテ/

ウラの領域について考えなければならない。

前田愛は

 

住まいの空間のなかで分離されるオモテ/ウラという二つの領

域は、都市空間のレベルでは日常的な世界と非日常的な世界の

対立構造に変換される。非日常的な世界は、住まいのなかのウ

ラの領域がそうであるように、強力な禁忌、隠微な曖昧さ、無

秩序、不浄性、周縁性、体性感覚性といった日常的な世界から

分離され、排除された負性のしるしがあつめられている場所で

ある

(注3)。

と述べる。住まいの空間のなかで勝手口はウラの領域にあたるが、

この空間を「排除された負性のしるしがあつめられている場所」と

すると、ここを通過し、さらにウラの内部へと深く入り込むことで

場所の本質の手がかりを掴むことが出来るのではないか。

椿屋の内側と外側の空間は勝手口によって分断されているが、境

界を越えるということは人間の意志に関わるものなのだろうか。前

田は境界性について「G・ジンメルの珠玉のエッセイ「橋と扉」は、

結合と分割の両義性をはらんだ橋の境界性を解きあかしたうえで、

橋に象徴されているのは人間の意志の領域が空間へと拡張されて行

く姿であるといっている

(注4)。」

という。

 

また山口昌男は

 

境界の持つ両義的性格こそは、生涯を通じて柳田の関心を惹き

つけた基本的モチーフであったらしい。(中略)タッによって

示される場所は、空間的に、「此方」と「彼方」の境めであり、

両義的な性格を帯びやすい場所であった。・・・境界は・・・

内と外、生と死、此岸と彼岸、文化と自然、定着と移動、農耕

と荒廃、豊饒と滅亡といった多義的なイメージの重なる場で

あった。境界にまつわる習俗は、こうした多義性に形の上で対

応したものと考えることができよう

(注5)。

と述べている。「多義的なイメージの重なる場」として椿屋の勝手

口をみるなら勝手口から内側の空間へ越境した妻に「人間の意志の

領域が空間へと拡張されて行く姿

(注6)」

を見ることができるだろうか。

まずは椿屋の成り立ちを順序立てて見てゆきたい。

「いまのあの中野の駅ちかくに、昭和十一年でしたか、六畳一間

に狭い土間附きのまことにむさくるしい小さい家を借り」亭主は、

小さい飲食店をはじめた。店は土間の椅子席、奥の六畳間、裏の勝

手口という間取りである。

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中村雄二郎は

 

場所あるいは場が抽象的な空間と異なるのは、時間性の有無以

前に、それが均質的でなく、方向性を持ち、つまりは意味を帯

びていることにある。そのような場所あるいは場は、電磁場な

どのように客観化しても捉えられるが、もともと非線形の自己

組織現象と深く関わっている。というのは、そのような場所あ

るいは場は力あるいは意味のネットワークからなっているから

である。そのような場所あるいは場のもっとも複雑でかつ時間

性を帯びたものこそ、生命場にほかならない

(注7)。

と論じる。場所あるいは場は力あるいは意味のネットワークからな

り、それらのもっとも複雑でかつ時間性を帯びたものが、生命場だ

というのである。

また、エドワード・レルフは場所の本質について「場所の本質は、

場所を人間存在の奥深い中心と規定しているほとんど無意識的な

「意識の志向性」に存在する。(中略)つまりそこから私たちが世界

の中での自らの方向を見定めていく出発点をしているように思われ

る(注8)。」

と語る。場所の本質を「方向性を持ち、意味を帯びていること」

あるいは「意識の志向性」と捉えるなら「ヴィヨンの妻」における

椿屋の存在もテクスト空間の重要な場所として立ち上がってくるは

ずである。

まずは大谷と椿屋との関係性、さらに妻がどのように椿屋に向

かったのかについてたどってみることにする。

大谷がはじめて椿屋に来たのは昭和十九年の春であった。「大谷

さんは、その時、おひとりではございませんでした。(中略)旦那は、

或る年増女に連れられて店の勝手口からこっそりはひって」きたと

いう。そのときの心情を亭主は次のように述べている。「人間の一

生は地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事でご

ざいますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまゐり

ます。」「大谷さんは、その晩はおとなしく飲んで、お勘定は秋ちゃ

んに払はせて、また裏口からふたり一緒に帰って行きましたが、私

には奇妙にあの晩の、大谷さんのへんに静かで上品な素振りが忘れ

られません。魔物がひとの家にはじめて現れる時には、あんなひっ

そりした、うひうひしいみたいな姿をしてゐるものなのでしょう

か。」そして、終戦後の椿屋に「またもや、あの魔物の先生があら

はれまして、こんどは女連れでなく、必ず二、三人の新聞記者や雑

誌記者と一緒にまゐりまして(中略)そうしてひょいと立って外へ

出て、それっきり帰りません」

亭主は大谷を魔物と形容するが、それにはわけがある。二十年前

から夫婦で料理屋に住み込み、昭和十一年に独立し、一円、二円の

客相手の飲食店をはじめた亭主にとって戦中戦後の混乱期を乗り越

えた苦労は並大抵ではなかったはずである。昭和十九年の春に大谷

は椿屋の勝手口からこっそりはいってきた。連れてきた年増女の秋

ちゃんは当時、大谷にのぼせていたが「いまはもう乞食みたいな暮

らしをしてゐる」らしい。店で使っていた女給を「いつのまにやら

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太宰治「ヴィヨンの妻」論

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だましこんで手にいれてしま」い、挙句におかみさんまで掠められ

たのである。そして三年間、一銭のお金も払わないで店の酒を殆ど

飲み干したというのである。

角度を変えて魔物と形容された大谷から椿屋をみると、ある年増

女に連れられて店の勝手口からこっそりはいったばかりに年増女の

秋ちゃんを乞食同様の有様に転落させ、店の女給、おかみさんをも

掠めるに至ったのである。椿屋という場所に何らかのエネルギーが

発生し、その磁場に招き寄せられた結果の出来事ともいえる。

二、椿屋に向かう妻

妻は事件の翌日どこへゆくというあてもなく小金井にある住まい

から魔の淵に吸い寄せられるように椿屋に入りこんで行く。このと

きの妻の動線は、「ふと思ひついて吉祥寺までの切符を買って」「吉

祥寺で降りて、本当に何年振りかで井の頭公園に歩いていって」「坊

やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人な

らんで腰をかけ」「私はまた坊やを背負って、ぶらぶら吉祥寺の駅

のはうへ引き返し、にぎやかな露天街を見て廻って、それから、駅

で中野行きの切符を買ひ、何の思慮も計画も無く」

 

謂わばおそろしい魔の淵にするすると吸い寄せられるように

(中略)あの人たちの小料理屋の前にたどりつきました

このように吉祥寺の井の頭公園という明るい空間から魔の淵の入

り口に向かうのだが、この思いつきとしか思えない妻の行動には積

極的に目的地に向かおうとする意志がみえない。しかし、回り道を

しながらも結局は辿り着くのは、無意識のうちに何かに引き寄せら

れているからなのだろう。

 

表の戸は、あきませんでしたので、裏へまはって勝手口からは

ひりました。ご亭主さんはゐなくて、おかみさんひとり、お店

の掃除をしてゐました。おかみさんと顔が合ったとたんに私は、

自分でも思ひがけなかった嘘をすらすらと言ゐました。

妻は、店に着いたが表の戸があかなかったことで裏へまわって勝手

口から中に入った。裏の勝手口から入ったことも夫の行動と一致し

ている。

椿屋の亭主からみると夫は魔物であったはずであり、妻がするす

ると吸い寄せられたのが魔の淵であるならこのふたつの符合は何を

意味するのだろうか。亭主にとって魔物は夫を指し、妻にとって魔

の淵とは「あの人たちの小料理屋」つまり椿屋のことを意味する。

夫が椿屋に魅入られ魔物になったとすると椿屋は「日常的な世界か

ら分離され、排除された負性のしるしがあつめられている場

(注9)」

とい

うことになる。そして、妻は思いがけなくついた嘘のため、クリス

マスの前夜祭で忙しい店の手伝いをすることになる。

前田はテクスト空間の境界について次のように論じる。

 

テクスト空間の中の境界は、あらかじめ与えられた障壁として

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固定されているものではなく、むしろ登場人物の行動によって

さまざまなイメージが顕在化してくる意味論的場として把える

べきなのである。境界を媒介とするこうしたダイナミックな意

味作用について山口昌男はこういっている。「人は、自らを、

特定の時間の中で境界の上または中に置くことによって、日常

生活の効用性に支配された時間、軛から自らを解き放ち、自ら

の行為、言語が潜在的に持っている意味作用と直面し、『生れ

変る』といった体験を持つことが出来る。」文学テクストに描

き出された登場人物の越境もまた彼の行為のなかに隠されてい

る両義性を開示し、もう一つの生の可能性を垣間見させる契機

なのである

)((

(注

登場人物の越境によって隠された両義性が開示され、もう一つの

生の可能性を発見させるというのである。椿屋に足を踏み入れた妻

は、まさに越境という行為を成したのであった。妻は女給として成

り行きまかせにその場かぎりの対応をしながら、

 

ただ笑って、お客のみだらな冗談にこちらも調子を合せて、更

にもっと下品な冗談を言ひかえし客から客へ滑り歩いてお酌し

て廻って、さうしてそのうちに、自分のこのからだがアイスク

リームのように溶けて流れてしまえばいい、などと考えるだけ

でございました。

「自分のこのからだがアイスクリームのように溶けて流れてしま

えばいい」そうすれば夫が盗んだという金のことも何も考えなくて

すむ、というものであった。安藤宏は「状況に密着し、それに溶け

こむように生きてゆく」妻について

 

引き受けてゆく無碍な「生」のかたちこそが、作品のプロット

を形造ってゆく構図として浮かび上がってくるだろう。<

何の

いい工夫も思ひ浮かばぬので><

いつまで経つても、夜が明け

なければいい、と思いました>

という回想、あるいは<

何も

一つも見当が付いてゐない>

時、<

自分のこのからだがアイ

スクリームのように溶けて流れてしまえばいい、などと考へる

だけでございました>

とふり返ることのできる感覚―事件を

解決に導くのは、結局は状況に密着し、それに溶けこむように

生きてゆくことのできる妻の、そのしたたかな程の強さなの

だ)((

(注

このように論じる。したたかな妻の強さがおもいがけない展開で

あったにせよ椿屋に足を踏み入れ、女給としての役目を果たしたの

であった。詩人の妻であり職をもたない妻の行動が、テクスト空間

の中の椿屋の勝手口を鮮明に浮かび上がらせることになる。これは

とりもなおさず「人間の意志の領域が空間へと拡張されて行く

)((

(注

」こ

とを示しているのではないか。この場合勝手口は妻の行動に方向性

を示し、指示を与えているはずである。勝手口がまさしく境界とし

て顕在化してきたことを明らかにしている。

夫も妻も深い考えもなく境界を越えたのであった。

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太宰治「ヴィヨンの妻」論

─ 7 ─

三、越境する妻

 

私の生活は、今までとはまるで違って、浮々した楽しいものに

なりました。さっそく電髪屋に行って、髪の手入れも致しまし

たし、お化粧品も取りそろへまして、着物を縫ひ直したり、ま

た、おかみさんから新しい白足袋を二足もいただき、これまで

の胸の中の重苦しい思ひが、きれいに拭い去られた感じでした。

椿屋でさっちゃんという名を与えられた妻の生活はまるで「もう

一つの生の可能性

)((

(注

」を見出したごとく浮々したものになる。いつ帰

るとも知れない夫をひたすら待つだけであった妻は、女給として客

に酒を注ぎ、調子を合わせ、客あしらいに見合った現金収入を得る

身になった。

女給になった妻は、椿屋に客として訪れた夫に逢うことが出来た。

ほとんど家にはよりつかず、時たま帰ったとしても泥酔して深夜の

帰宅になる身勝手な夫は、借金を肩代わりする三十四、五の痩せ型

の綺麗な奥さん(実は京橋のバーのマダム)と一緒であった。

 

その夜、十時すぎ、私は中野の店をおいとまして、坊やを背負

ひ、小金井の私たちの家にかへりました。やはり夫は帰って来

てゐませんでしたが、しかし私は、平気でした。あすまた、あ

のお店へ行けば、夫に逢へるかも知れない。どうして私はいま

まで、こんないい事に気づかなかったのかしら。

夫はその夜、「小金井の私たちの家」に帰っていなかった。しかし、

妻はさして落ち込むこともなく、逢えるかもしれない明日のことを

考える。明るく楽観的にも無邪気にもみえる妻に夫との微妙なずれ

を感じさせる。しかし、椿屋に通ううちに「夫などはまだまだ、優

しいはうだと思ふやうになりました。(中略)路を歩いてゐる人み

なが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしてゐるやうに思われてきまし

た。(中略)我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く

ことは、不可能だと思ひました。」このように語る妻のことばに楽

観主義では収まりきれない複雑な胸のうちをみる思いがする。

夫に逢えるという幸福をもたらせた空間は同時に性的に逸脱した

夫の過去を妻に認識させる場所ともなる。今まで見ない、見たくな

い心理から何もなかったことにして暮らしてきた夫との食い違いは

ここで明らかになったはずである。これは境界を越境したことによ

る負の側面であったに違いない。

「二日に一度くらいは夫も飲みにやって参りまして、お勘定は私

に払はせて、またふっといなくなり

」そして夜おそく一緒に家路

をたどることもあった。「なぜ、はじめからかうしなかったのでせ

うね。とっても私は幸福よ」「いつまでも私こんな生活をつづけて

行きたうございますわ。椿屋のおぢさんもをばさんも、とてもいい

お方ですもの」そして、お店へ行けば、夫に逢えるかも知れないと

いう期待が「これまでの胸の中の重苦しい思ひ」を消し去ったと妻

は言うが、

 

神がゐるなら、出て来て下さい!私は、お正月の末に、お店の

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お客にけがされました。

という事態に至る。妻は労働によって収入を得たが、店の客にレイ

プされるという大きな代償を支払わなければならなかった。「あっ

けなくその男の手にいれられました」妻はこの一行で全てを語ろう

とするが、その心情は明かされない。

次の日の朝、お店の勤めに出かけた妻はお店の土間でひとり新聞

を読む夫の姿を見る。

 

夫が、酒のはひったコップをテーブルの上に置いて、ひとりで

新聞を読んでゐました。コップに午前の陽の光が当って、きれ

いだと思いました。

ここには決して悲痛さや絶望感は見られない。むしろあたりは穏

やかさに包まれている。そして妻は小金井の家を引き払うことを考

えつく。

泥酔して深夜に帰宅した夫に

 

おかへりなさいまし。ごはんは、おすみですか?お戸棚に、お

むすびがございますけど

「小金井の私たちの家」は、妻のこのような応対によってかろう

じて維持出来ていたのである。そもそも夫と妻の関係は婚姻関係も

結ばれていない不安定なものであった。

・・

・坊やがおなかに出来ましたので、いろいろごたごたの末、ど

うやらあの人の女房というような形になったものの、もちろん

籍も何もはいっておりませんし、坊やは、てて無し児という事

になっていますし・・・。

住居は、玄関、居間、それに六畳の夫の部屋からなっている。椿屋

の夫婦が小金井に大谷を追いかけてきた時、ふたりが見た大谷の部

屋は次のようなものであった。

 

腐りかけてゐるような畳、破れはうだいの障子、落ちかけてい

る壁、紙がはがれて中の骨が露出している襖、片隅に机と本箱、

それもからっぽの本箱

部屋は主の不在のみが痛々しいほどに提示されていた。それにもか

かわらず、妻は外泊の続く夫をひたすら待ち続けていたのであった。

「結局は状況に密着し、それに溶けこむように生きてゆくことの

できる妻の、そのしたたかな程の強さなのだ

)((

(注

。」与えられた現実を

受け入れ、何の行動も起こさず何日も帰らない夫をひたすら待ち続

けている妻の生き方を安藤宏は「したたかな程の強さ」と論じる。

しかし、越境により新しい世界を得た妻には夫の部屋に象徴される

小金井の家はもはや不要になったのではなかったか。

 

こんどから、このお店にずっと泊めてもらふ事にしようかしら。

戸坂潤の「空間概念の分析」の中に「空間はひとつの存在性の概念

である

)((

(注

。」ということばがある。これは「物質が空間のなかに存在

するのではなく、物質が存在することそれ自体がすでに空間であ

る)((

(注

。」ということを意味する。このような理論からすれば、妻は、

自らを引き受けるべき場所として椿屋を選んだのであり、決して椿

屋に呑み込まれたのではなかったことがわかる。ここに境界を通過

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太宰治「ヴィヨンの妻」論

─ 9 ─

するときの「人間の意志の領域が空間へと拡張されて行く姿

)((

(注

」をみ

ることが出来る。言い換えれば妻の存在が椿屋の空間を作り上げた

とも言えるのである。

「ヴィヨンの妻」は自宅と椿屋という二つの空間から成立してい

るが、自宅を日常とするなら椿屋は日常とは異なる場所ということ

になる。しかも自宅における夫と妻は椿屋では男客と女給に変化す

る。自宅と椿屋という二つの空間の往還を可能にしていた夫と妻に

とって小金井の家を引き払うということはどのようなことなのか。

エドワード・レルフは、ある場所に根付くことについて「そこから

世界を見る安全地帯を確保し、自分自身の立場をしっかり把握し、

どこか特定の場所に深い精神的心理的な愛着をもつということであ

る。」「場所に対して「内側」になるということはそれに属すること

であり、深く「内側」になればなるほど場所に対するアイデンティ

ティは強まる

)((

(注

。」と述べている。小金井の家を引き払うことは妻に

とっての安全地帯が消滅することを意味する。つまり今までの日常

は消滅して日常とは異なる場所が新たに日常になるということであ

る。それは夫と妻の関係が完全に男客と女給へと固定化することで

もある。このように妻の越境は「日常生活の効用性に支配された時

間、軛から自らを解き放

)((

(注

」つと同時に妻を生れ変らせたのであった。

四、変化した言葉遣い

妻の越境による変化は末尾で妻に尊敬語でも丁寧語でもないこと

ばを語らせた。「ヴィヨンの妻」は主人公によって語られる文末表

現の丁寧すぎる言葉づかいと遜りが際立つ女性独白体の作品である

が、文末表現の妻の言葉づかいはどのように変化したのだろうか。

作中の丁寧すぎる言葉遣いと末尾の妻のことばを比較してみると、

次のようになる。

作中の文末表現の妻のことば

おかえりなさいまし、ごはんは、おすみですか?お戸棚に、お

むすびがございますけど

・いつまでも私、こんな生活をつづけて行きとうございますわ。

・お仕事が、おありですから

・私にはわかりませんわ

・ゆうべは、おいでにならなかったの

末尾の妻のことば

・ 人非人でもいいぢゃないの。私たちは、生きてゐさえすればい

いのよ。

妻の丁寧すぎる言葉づかいと遜りは、末尾に至って明らかに変化

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している。無私無欲の存在で夫に尽くすことを生きる目的としてい

るかのような妻が夫に対して敬語でも丁寧語でもないこのような言

葉遣いをするのはこの箇所だけである。榊原理智は「妻」をめぐる

言説について次のように言及する。

 

主人公の「人非人でもいいぢゃないの」という言葉は、「人非

人はいい」でもなければ、「人非人は悪い」でもない。「でも」

という短い言葉が挿入されることによって、主人公の言説は「い

い」「悪い」の二極化を軽々と超え、「人非人」という言葉だけ

を投げ出すことに成功している。(中略)「生きてゐさえすれば

いいのよ」という一言が、このような問いの後に発せられてい

ることは、きわめて重要である。しかし、これは「解答」や「正

答」というようなものではない。いうならば、安定し、共用さ

れた意味の存在など前提にできないような生を、一瞬一瞬の綱

渡りで生成していくしかない主人公の叫びである

)((

(注

生きていてもこの先何の希望も持てない主人公には綱渡りのよう

な生しか与えられない。それでも生きてゆこうとする妻の意志には

越境により「もう一つの生の可能性

)((

(注

」を手に入れた妻の変化が大き

く影響したことは確かである。そして、「ヴィヨンの妻」における

女性独白体からの逸脱の根拠は語り手が女性一人に限定されないこ

とであったが、末尾における言葉遣いの変化からも広義での逸脱と

して捉えられるのではないか。

直前の夫の言葉にこだわってテクストの末尾の妻のことばを眺め

てみよう。

 

さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書ゐて

いますよ。違ふよねえ。僕は今だから言ふけれども、去年の暮

れにね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、

あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人

非人でないから、あんな事も仕出かすのです。

妻には既に夫の嘘が明らかにされている。夫の心中は「われを許

せ」ということなのか。妻のしたたかな強さのみが際立つが、安藤

宏は「妻(=女)の持つ脅威的な、それがゆえにこそ魅力的でもあっ

たはずの強さは、その後の作品にあっても確実にひとつの問題意識

となって残り続ける

)((

(注

。」と論じる。

妻の強さは「私は」ではなく「私たちは」と言いきったところに

ある。末尾の妻のことばは夫を許し、受け入れることばなのだろう

が、それにしても夫との齟齬はそう簡単に修正できるとも思えない。

おわりに

 

「父」を読んで下さったら、ついでに、ぜひ、「ヴィヨンの妻」

といふのを読んで下さらなくてはいけません。「ヴィヨンの妻」

は、「展望」三月号に載ってゐます。「父」と一脈通じたところ

もありますが、本気に「小説」を書かうとして書いたものです。

終戦後、私の小説のうちで一ばん長い小説です。

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太宰治「ヴィヨンの妻」論

─ 11 ─

(太宰治の書簡 

昭和二二年四月三十日 

伊馬春部宛て(はがき))

「父」を「ヴィヨンの妻」の夫の語りとして読むと夫の弱さ、狡さ、

身勝手な行動から夫像が明確に現れてくる。

 

炉辺の幸福。どうして私には、それが出来ないのだらう。とて

も、ゐたたまらない気がするのである。炉辺がこわくてならぬ

のである。(「父」)

「炉辺がこわくてならぬ」ゆえに夫は無頼詩人の道をひた走った

のだろうか。しかし、勝手口という境界から椿屋に越境した妻にとっ

て椿屋という空間は、詩人の夫をひたすら待ち続けていただけの生

活から自らの生き方を大きく変えることを可能にした場所であっ

た。妻を呑み込んだと思われる椿屋も結局は妻が自ら選び取った場

所であったとしたら、椿屋で女給として新しい生のかたちを紡ぎは

じめた妻にとってこの先「炉辺の幸福」は訪れるのだろうか。

江種満子は

 

家父長の夫に対して敬語も丁寧語も振り払うということは、レ

イプされることを女の恥としなければならない近代家父長制の

性道徳のステレオタイプを無視すること、ジェンダーを揺るが

す主体になること、すなわち女が「私」を語るときの言葉の変

容にほかならない

)((

(注

と述べ、妻の労働とレイプによる「妻の発話意識の構造的な変容」

の過程が独白を破っている

)((

(注

と論じている。的確な指摘である。しか

し、妻の労働、レイプ被害も椿屋への越境なしには起こらなかった

わけである。妻の労働とレイプの要因をたぐり寄せた魔の淵、椿屋

をめぐる物語は捨象され、空間論的考察が見過ごされてしまったよ

うに思われる。

再度妻の語りに戻すと「太宰は、「男」の立場から「女の言葉」

を領土化するに過ぎない行為であることに、むしろ自覚的だといえ

る)((

(注

」とする論もある。また「女の言語に「ついて語る」言説を作り

上げたのは「知識人・作家・国語学者と呼ばれる集団の「声

)((

(注

」」と

いう検証もある。となると太宰が自覚していた目論みをどのように

解釈すべきであろうか。

中村雄二郎は

 

主体としてのわれとはただ単に「われ思う」の自己を意識によっ

て内省的にとらえられ、確立される思う主体、意識主体ではな

くて、「われ語る」によって他者へと開かれるとともに、こと

ばのうちにひとたび拡散されて共同主観と化した上、語の選択

と結合とによって自己を再統合する語る主体、言語主体であっ

た。ということは、主体としてのわれが、共同存在を基盤とし、

他者や世界に向かって開かれたコミュニケーションの、あるい

はむしろ関係性のうちに成り立っているということである

)((

(注

このように論じる。「われ語る」ことによって他者へと開かれた妻

の語りは、「他者や世界に向かって開かれたコミュニケーションの、

関係性のうちに」成立したとするならば、妻の語りは太宰治という

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作家にからめとられ、太宰の内なる「声」に操られた女の言語とし

て語られたことになるのではないか。

椿屋への越境による妻の変化によって敬語でも丁寧語でもない言

葉遣いに変化した妻の語りそのものが太宰にとって自覚的であった

とするなら、妻の語りを領有した太宰によって「ヴィヨンの妻」は

文学として成立したことになる。

太宰治の女性独白体に関しての詳しい論考は、別の機会に譲るこ

とにしたい。

注(1)東郷克美『太宰治という物語』(筑摩書房 

二〇〇一年三月)

(2)坪井秀人「語る女たちに耳傾けてー太宰治・女性独白体の再検討」

(『解釈と教材の研究』学燈社二〇〇二年六月 

二三頁)

(3)前田愛『都市空間の中の文学』「空間のテクスト 

テクストの空間」

 (筑摩書房 

一九八二年十二月)

(4)同前

(5)山口昌男『文化と両義性』(岩波書店 

一九七五年)

(6)同注(3)

(7)中村雄二郎『場所トポス』(弘文堂思想選書 

一九八九年)

(8)エドワード・レルフ 

高野岳彦・安部隆・石山美也子訳『場所の

現象学』「没場所性を越えて 

場所の本質」(筑摩書房 

一九九一年)

(9)同注(3)

(10)同注(3)

(11)安藤宏『ヴィヨンの妻』試論(『解釈と鑑賞』至文堂 

一九八八年

六月 

一〇五頁)

(12)同注(3)

(13)同注(3)

(14)同注(11)

(15)戸坂潤『戸坂潤全集第一巻』(勁草書房 

一九六六年)

(16)馬渕浩二『日本哲学小史 

近代100年の20篇』(戸坂潤)熊野

純彦編著(中公新書2036 

二〇〇九年)

(17)同注(3)

(18)同注(8)

(19)同注(3)

(20)榊原理智「太宰治『ヴィヨンの妻』試論―「妻」をめぐる言説(『日

本近代文学』第五四集 

一九九六年五月 

一二〇頁)

(21)同注(3)

(22)同注(11)

(23)江種満子「ヴィヨンの妻」―妻の私(『解釈と教材の研究』学燈社

 

一九九六年六月 

九三頁)

(24)同前

(25)千田洋幸「千代女」の言説をめぐって(『解釈と教材の研究』学燈

社 

一九九六年六月 

八一頁)

(26)中村桃子『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房 

二〇〇七年)

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太宰治「ヴィヨンの妻」論

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(27)中村雄二郎『哲学の現在』「生きること考えること」(岩波新書 

一九七七年)

太宰作品の引用は『太宰治全集』二、三、八、九、十、巻 

筑摩書房

一九八九(平成元)年に拠った。

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A Study on“Villon's Wife” by DAZAI Osamu From the viewpoint of a wife who has“crosses the

border”

SEKINE, Junko

 The novel “Villon's Wife” deviates from a woman's monologue. This is because this

novel is a narrative story by multiple people and the representation of women's

language is changed in the end of the novel. The author focuses on the space of a

Japanese-style tavern “Tsubaki-ya” where the characters of the novel appear and

discusses that as a result of the wife crossing the border into an unusual world from

the back door of the tavern Tsubaki-ya, the novel becomes truly a literary work that

deviates from the woman's monologue in "Villon's Wife". The wife could be reborn by

crossing the border, and the wife's words deviate from a waman's monologue in the end

of the novel, though the characteristic writing style of the "Villon's Wife" is said to be a

women's monologue. It is verified that the idea of wemen's language has actually been

created and supported by the group of intellectuals, writers and Japanese language

scholars . Novelist Dazai utilizes this idea of wemen's language to create a women's

monologue and deviation from it shown in his novel “Villon's wife”. By employing the

narrative of “Villon's wife” Dazai has achieved a high level literature.