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我在昆明 Vol.24 (2011 年 12 月 10 日 星期六(土曜日)) 文・写真・編集 平田栄一/ Copyright@2011 by Eiichi HIRATA 10 8 11 10 30 17 18 27 11 Mama's taste 20 使【上】ちょっとピンボケの「クレープ・パーティー」。前夜、アコースティックギターの ライブを聞きに酒吧へ行った際にフォーカスを手動に切り替えたことを忘れていて、二 日酔い状態でシャッターを切ってしまった。<右から>ロバート(オランダ)、オリビ ア(スウェーデン)、アリサ(オーストリア)、サワトゥリ(タイ)、チンチン(タイ)、 デニス(ロシア)。【中】日本料理をご馳走したお返しにサワトゥリとチンチンがタイ料 理を作ってご馳走してくれた。左端はデニスの“女朋友”のエリザ(チェコ)。【下】画 面上方の小さな鍋はタイの名物料理「トム・ヤム・クン」、中程の大きな鍋はこれもま たタイの名物料理「グリーンカリー」、手前の「赤い総菜」は、名前を忘れたがタイの 家庭料理だそうで、湯通ししたキャベツの葉に巻いて食する。いずれもはなはだ美味で あった。 12 月8日、車さん宅でホームパーティー。友だちもでき学校にも留学生活にも慣れた とはいえ、留学生活はやはり寒々しい。留学生の多くは心のうちでは「家庭」が恋しい ようだ。【上】<右から>ロバート、オリビア、車さん(背中)、赵成礼さん(車さんの 奥さん)、ホロス。【下】<後列右から>杨丹老师、玟智(韓国)、ロバート、ホロス、 オリビア、デニス、サワトゥリ、チンチン、<手前>車さん一家。 11 26 12 26 28 58 72 63 29 30 調12 調12 40

の洗礼を受ける ついに「まった。ぐに帰宅。夕方から翌朝までぐっすりと眠ってし時限の「听力课」のみ。「听力课」が終わるとすは3・4時限の「口语课」と昼休みを挟んで5・6

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Page 1: の洗礼を受ける ついに「まった。ぐに帰宅。夕方から翌朝までぐっすりと眠ってし時限の「听力课」のみ。「听力课」が終わるとすは3・4時限の「口语课」と昼休みを挟んで5・6

我在昆明 Vol.24 (2011 年 12 月 10 日 星期六(土曜日))

文・写真・編集 平田栄一/ Copyright@2011 by Eiichi HIRATA

ついに「拉ラ

肚ドゥ

子ズ

の洗礼を受ける

10月8日

 

クラスメイトで韓国出身の車さんの自宅を訪

問。4月中頃に昆明インターナショナルスクール

のイベントでお目にかかって以来半年振りの再会

に、奥さんの赵成礼さんがとびっきりの笑顔と親

しみのこもったハグで出迎えてくれた。

 

車さん夫妻は去年の9月末に永住覚悟で昆明に

やってきた。昼間、車さんが大学でわれわれといっ

しょに中国語を勉強している間、奥さんは身寄り

のない昆明で1人子育てに奮闘していた。11月の

末だっただろうか、クラスで親睦の食事会をする

ことになった際に、「奥さんと子どもたちも呼ん

だらどうか」ということになって、初めて奥さん

と子どもたちに会った。奥さんはそのことが「と

ても嬉しかった」と後に言っていた。

 

以来、車さんと奥さんは私の一人暮らしを気に

かけてくれ、度々、「ご飯を食べにこい」と誘わ

れていたが、今日になるまでついついその機会を

逸していた。夜遅くまでさんざんご馳走になった

にもかかわらず、帰り際に「買って来たものだけ

ど……」とキムチを持たせてくれた。帰り道、市

バスの揺れがとても心地良かった。

10月30日

 

課外活動で数十年振りに「書道」に取り組んで

いる。1時間半ほどの練習時間だが、自分でも驚

くほど集中しているようで、終わるとクタクタ。

墨の香りがとても心地良い。水曜、木曜と中国人

学生が運営する「汉语俱乐部」に参加しているお

陰で、ほかのクラスの学生とも交流が増え、休み

時間にあちらこちらから「ニーハオ、ピンティエ

ン(こんにちは、平田さん)」と声がかかる。私

の名字はニックネームと化した。

 

17日から留学生と中国人学生の交流バレーボー

ル大会が始まった。われわれの初级C班は18日の

第1試合でフルセットの末に惜敗。27日に第2試

合が行われ、シーソーゲームが続いた末にフル

セットを闘い抜いて待望の1勝を勝ち取ることが

できた。試合に出場した学生はいずれも親睦ゲー

ムとは思えないほどの熱の入れようで、コートサ

イドでは試合に参加しない学生がバケツの鳴りも

のとともに大声を張り上げて「啦啦队(ララドゥ

イ・応援団)」の方も熱が入っていた。

 

この日、試合の最中のことだった。個人指導を

受けている学生老师の王东玲さんと彼女

の同級生数人が突然「你今天很漂亮,很

帅(今日の平田さんはとってもカッコい

い)」と。その直後、師範大学付属中学

の国際倶楽部の生徒から英語でインタ

ビューを受けた。翌日には、顔見知りの

日本人学生とばったり出会った際に「昨

日は赤のチェックのシャツと細身のズボ

ンがカッコよかったです」と。昨日は昨

日で、雲南省博物館で展示物を見学して

いる最中に、まったくの見ず知らずの中

国人女性から「いっしょに写真を撮らせてほしい」

と言われ写真に収まった。こんな経験は初めて。

で、その女性曰く、「你不是中国人,哪国人吗?(中

国人じゃないでしょう。どこの国の人ですか)」と。

日本では野暮なオヤジでしかないが、それでもど

うやら服装が「外国人臭い」らしい。中間試験の

成績はまったく駄目だったが、少々気を良くした

1週間であった。

11月6日

 

私のアパートにクラスメイトが集まって「ク

レープ・パーティー」をすることになった。「クレー

プ」はアジア系学生には馴染みが少ないが、ヨー

ロッパ系学生には「M

ama's taste

」まさしく「お

袋の味」である。

 

ことの発端は、授業中にふとしたことで私が「ク

レープを作れる」と発言したことから、ヨーロッ

パ系学生が「クレープが食べたい」と言い出した。

彼らのほとんどが20歳代。つい数ヶ月前まで自宅

で「ママの味」を口にしていたそうで、ホームシッ

クもあったのだろう。ならば拙宅の台所を使って

みんなで作ろうではないか、ということになった。

【上】ちょっとピンボケの「クレープ・パーティー」。前夜、アコースティックギターのライブを聞きに酒吧へ行った際にフォーカスを手動に切り替えたことを忘れていて、二日酔い状態でシャッターを切ってしまった。<右から>ロバート(オランダ)、オリビア(スウェーデン)、アリサ(オーストリア)、サワトゥリ(タイ)、チンチン(タイ)、デニス(ロシア)。【中】日本料理をご馳走したお返しにサワトゥリとチンチンがタイ料理を作ってご馳走してくれた。左端はデニスの“女朋友”のエリザ(チェコ)。【下】画面上方の小さな鍋はタイの名物料理「トム・ヤム・クン」、中程の大きな鍋はこれもまたタイの名物料理「グリーンカリー」、手前の「赤い総菜」は、名前を忘れたがタイの家庭料理だそうで、湯通ししたキャベツの葉に巻いて食する。いずれもはなはだ美味であった。

12 月8日、車さん宅でホームパーティー。友だちもでき学校にも留学生活にも慣れたとはいえ、留学生活はやはり寒々しい。留学生の多くは心のうちでは「家庭」が恋しいようだ。【上】<右から>ロバート、オリビア、車さん(背中)、赵成礼さん(車さんの奥さん)、ホロス。【下】<後列右から>杨丹老师、玟智(韓国)、ロバート、ホロス、オリビア、デニス、サワトゥリ、チンチン、<手前>車さん一家。

11月26日〜12月3日

 

26日。とうとう「拉肚子(下痢)」の罠に嵌っ

てしまった。前夜、龙泉路の屋台で食べた「臭豆

腐(チョウドゥフ)」がいけなかったようで、下

痢が始まった。幸いにして「痛み」はなく、食欲

もあるのだが、食事を作る気力が失せてしまい、

買い置きしておいたパンと牛乳で週末の2日間を

凌いだ。

 

28日。2日間絶食に近い状態が続いたためか、

腹の様子はなんとか小康状態を保っているので学

校へ。途中、薬屋で体重を量ったところ58㎏になっ

ていた。1年前、留学を開始した当時は長年の不

摂生のお蔭で72㎏の肥満状態だったのだが、7月

に帰国した頃は63㎏になっていた。ここに来てさ

らに4㎏ほど堕ちたことになる。全身の筋力が衰

えたのだろう、5階の教室に上がるのが少々辛

かった。

 

毎月曜日の「口语课

」の授業では、授業の始

まりに必ず「週末はどう過ごしたか?」と聞かれ

る。クラスメイトがいずれも楽しく過ごした話を

するのを恨めしく思いながら聞いた後、私の番が

回って来たので、「我拉肚子了。肚子没有疼,不

过我很忙去厕所,所以我屁股门儿很疼(お腹を壊

した。お腹は痛くはないが、トイレが忙しくて肛

門が痛い)」と答えたところ、大爆笑が返って来た。

 

29日。ほとんど下痢は止まった。この日の授業

は3・4時限の「口语课」と昼休みを挟んで5・6

時限の「听力课」のみ。「听力课」が終わるとす

ぐに帰宅。夕方から翌朝までぐっすりと眠ってし

まった。

 

30日。1・2時限の「听力课」を欠席。昼前、

韓国出身の車さんが心配して「你怎么了?不能来

上课吗?(体調はどうか、授業に来られるか?)」

とメールをくれた。午後、「综合课」の授業に行

くと、奥さんがわざわざ作ってくれたお粥を持っ

て来てくれていた。カルフールの買い物袋に包ま

れた大きなタパウエアは車さん一家の気持ちのよ

うに温かった。翌々日、せめてもの「お礼」と思

い、日本から持って来ていた「招き猫」のミニュ

チュアをタパウエアの中に忍ばせてお返しした。

 

12月3日。タイ国のサワトゥリとチンチンが「早

く元気になるように」とタイ名物の「トム・ヤム・

クン」と「グリーンカレー」を作ってくれた。食

材の買い出しに2時間、調理に4時間。出来上がっ

た料理は「お世辞ぬき」でとても美味しかった。

12月8日

 

車さん宅で韓国の家庭料理をご馳走になる。奥

さんの赵成礼さんが次々と出してくれる家庭料理

は格別の美味しさだった。夕刻、「初级C班

」責

任教師の杨丹(ヤン・ダン)老师も授業を終えて

加わり、ギターの伴奏で歌を歌ったり、タイ国の

子どものゲームをしたり……。最後はデザートに

みんなで「クレープ」を作り、杨丹老师が、タイ

国へ教育実習に行った際に教えてもらったという

コーンのココナツミルクスープを作ってくれた。

みんなで作ったクレープとココナツミルクの香り

と甘さがとても美味しかった。

 

まるで40数年前の学生時代にタイムスリップし

たかのような数時間だった。私の中国語能力はま

だ自分の意志を充分に、尚かつ、的確に伝えるこ

とができないレベルだが、それでもなんの違和感

も感じない。それどころか、車さんとは1年少々、

他のクラスメイトとは数ヶ月の付き合いにしかな

らないのにとても居心地が良い。初级C班は心根

の優しい連中ばかりである。