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神からの啓示

第1巻

聖クルアーンの最後の第30パーラという 30/30 部分の全37章の邦訳と詳しい解説

翻訳者と解説者

在日パキスタン人協会会長

フセイーン ハーン(東大修士)

“フセイン・ハーン氏は紹介が必要な人物ではありません。彼は学生時代からジャマーティ・イスラミというパキスタンの有名な政党における宗教活動と社会改革活動で指導的な立場におり、また、その活動を活発に行っていた。

 彼は日本で50年以上もイスラームへの呼びかけやダーワ-の活動を一生懸命に行っているし、また、イスラーム教の権威ある学者として尊敬され、とても有名である。彼は日本でイスラーム教の正しい考え方に基づいた、一番最初に出版された故ハージ・ウマル三田先生の翻訳に5年以上も協力しており、先生と一緒に訪れたサウジアラビアで、その翻訳が権威ある翻訳として認められ、出版のスポンサーになってもらうことができた。

 フセイン氏はイスラーム教の世界一の学者であるパキスタンの故マウデューディ先生のあらゆる言語で翻訳され、計6巻で出版された「タフヒームル・クルアーン」という聖クルアーンの一番詳しい解説を日本語で自分で翻訳したいとの希望を若い時から持っていた。この本はその夢への一歩である。今後、さらに何冊も出すつもりである。そして、彼は、日本の知性に優れた方や学者たち、イスラーム教の研究者及びイスラームの本当の姿を理解したい一般の方にこの翻訳が役に立つだろうと思っている。・・・・・・・・・・・・”

Professor, Chuo University, Tokyo,

Dr., Hafiz, Mufti, Salimur Rahman Khan Nadwi,

“聖クルアーンは、日本語を含めて世界の殆どの現代言語に翻訳されています。日本においても、ムスリムと非イスラーム教学者の方々が聖クルアーンの翻訳を上手にしたこともあります。フセイーンハーン氏は、イスラームの国で、イスラームの家族の中で、そしてイスラームの環境の中で生まれ育ちました。そして、日本に来て50年以上も長い間日本人と同じ暮らしをしながら、その間、日本の最高学府である東大修士課程を卒業し、そして、一神教を信じない非宗教的な社会(日本)に長い間暮らしていても、イスラームの戒律を遵守し、自分の私生活と社会活動の中においても、熱心にイスラーム教への呼びかけを続けています。こんな彼のような人による聖クルアーンの翻訳がずっと求められていました。聖クルアーンの翻訳は、その基本的な概念とイデオロギーと精神を自分の頭と心と精神と行動の中に吹き込んでおいて、日常生活でそれを実行しうる方こそが本当の翻訳者となれる資格を持っているのではないでしょうか?フセイーンハーン氏は、日本で初めて聖クルアーンの詳しい解説を執筆しましたが、非常に、聖クルアーンの教えを一番正しく、分かりやすく邦訳と解説しています。イスラーム教は本当にテロの宗教か、どうか、読者の皆さんが自分で判断して下さい。

信者の方々は、深い理解によって自分の信仰を強め、また日本を含め、現代の先進国で、精神的な悩みで自殺の多い時代で、聖クルアーンの読書によって得られる神の応援で、全ての悩みと困難から解放されるような強い精神力を育つことを出来ます。そして、良い道徳心を育て、自分自身の幸せと、社会に平和と平等と正義をもたらせるようになるでしょう。”     DR. ABDUR RAHMAN SIDDIQI

Chairman, International Muslim Center, Japan

目次

第一部

神からの啓示として、元のままに残されている聖クルアーンについて

第1章

***  初めに

*** 神からの啓示が残ってないから混乱

*** 啓示による平和と正義と平等の実績

*** 啓示による人間革命の実績

*** 人間革命で1400年間も世界のスーパーパワー

*** 永久にこの啓示の保護の保証

*** 啓示による人類の文明の発達

*** 人類に神の最後のメッせージ

*** 永久に続く啓示の守護のメカニズム

*** 聖クルアーンの影響力に関して

10

*** 内容について

11

*** 頭を下げてサジュダをすべき箇所のことについて

13

*** この邦訳について

13

第二章

20世紀に初めて発見された宇宙創造論が聖クルアーンに1500年前から述べられていた。

セクション1:

宇宙の創造に当てはまらない創造論批判と根拠のないダーウィンの進化論                            

17

セクション2:

宇宙の大規模構造論に現れる創造者の偉大さと知恵とインテリジェント・デザイン等         

19

セクション3:

聖クルアーンに1500年前からあった創造論20と21世紀の科学で発見               

21

セクション4:

聖クルアーンに1500年前からあった「ビッグバン」理論                                                  

25

セクション5:

聖クルアーンに1500年前からあった「宇宙に始まりがあった」理論                    

27

セクション6:

聖クルアーンに1500年前からあった星雲 (nebulae)と「創造の柱」Pillars of Creation)論     

29

セクション7:

聖クルアーンに1500年前からあった「宇宙が膨張し続けている」理論                  

32

セクション8:

聖クルアーンに1500年前からあった「生命があるすべてのものを水で創った」理論   

34

セクション9:

人間の蘇りと宇宙の創造論           

35

セクション10:

現代歴史で証拠づけられている、ファロア王の遺体に関して聖クルアーンの予言の歴史的な真実性

36

第二部

聖クルアーンの最後の第30部の全37章の邦訳と詳しい解説

番号

章の番号と名前

1

78章~消息 (アン・ナバア)

2

79章~引き離すもの (アン・ナーズィアート)

3

80章~眉をひそめて (アバサ)

4

81章~包み隠す (アッ・タクウィール)

5

82章~裂ける (アル・インフィタール)

6

83章~量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)

7

84章~ 割れる (アル・インシカーク)

8

85章~星座 (アル・ブルージュ)

9

86章~夜訪れるもの (アッ・ターリク)

10

87章~至高者 (アル・アアラー)

11

88章~圧倒的事態 (アル・ガーシヤ)

12

89章~暁 (アル・ファジュル)

13

90章~町 (アル・バラド)

14

91章~太陽 (アッ・シャムス)

15

92章~夜 (アッ・ライル)

16

93章~朝(アッドハ-)

17

94章~胸を広げる(アル・インシラフ)

18

95章~無花果(アッ・ティーン)

19

96章~凝血(アル・アラク)

20

97章~運命(アル・クァダル)

21

98章~アル・バイイナフ

22

99章~地震(アッ・ザルザラ)

23

100章~進撃する馬(アル・アーディヤート)

24

101章~〈ある大打撃(アル。カーリ)

25

102章~蓄積(アッ・タカースル)

26

103章~次代(アル・アスル)

27

104章~中傷者(アル・フマザ)

28

105章~象(アル・フィール)

29

106章~クライシュ族

30

107章~什器(アル・マーウーン)

31

108章~潤沢(アル・カウサル)

32

109章~不信者たち(アル・カーフィルーン)

33

110章~援助(アン・ナスル)

34

111章~炎〈アル・ラハブ〉

35

112章~純正(アル・イフラース)

36

113章~夜明け (アル・ファラク)

37

114章~114. 人々 (アン・ナース)

第一部

神からの啓示として、元のままに残されている聖クルアーンについて

はじめに

神あらの啓示が残ってないから混乱 

アダムとイヴが創られた時から、神、アッラー、の導きによって、人間がどんな時代でも、幸せと平和な暮らしが出来るように啓示されています。その為に各時代に、いろいろな国々で約20万人以上の預言者たちが現れました。しかし歴史上では、そういう昔からの神の啓示は殆ど残っていません。

 その中で、約3000年前と2000年前に神、アッラー、から啓示されたユダヤ教とキリスト教が現在使っているトーラーと聖書が残っています。これは神、アッラー、から預言者イエスと預言者モーゼに啓示されたものでしたが、それにあとから神ではなく人間の宗教学者たちが、何の根拠もなく、勝手に自分たちの思い通りの考え方をそれらの中に徐々に入れ込みました。そのため、神からの啓示と、人間の付け加えたものの間に区別がつかなくなってしまったのです。こうして人類は、もともとの神の教えが何だったか、ということが分からなくなってしまったのです。

こういうことがあって、人類の遺産である神からの啓示に基づいた教えや導きが元のままに残っていないのです。世の中に不正義と、嘘と、騙しあいと、強いものから弱いものへの苛めや圧迫と、混乱と戦争等がしょっちゅう起こって、人間が不幸の苦しみを味わいているのはそのためです。人類の歴史を見ると、神が教えた真っすぐの道を歩まない場合、こういう酷い結末に直面するような結果が明らかに見えているのです。

啓示による平和と正義と平等の実績

しかし、イスラーム教の歴史の中ではそういうことはありませんでした。例えば、500年から800年ぐらいの間にずっと続いていたアラブ人のウマイッヤとアッバス帝国や、オスマントルコ帝国や、インドにいたムガール帝国や、800年近くにわたりイスラーム教徒の支配下にいたスペインやインドでは、あらゆる民族が一緒に仲良く、平和に暮らしていましたし、また一度も小さな民族紛争も起こりませんでした。

 シャリアという神、アッラー、から聖クルアーンとハヂース(預言者の教え)に定められた法律の下で行われた正義に、非イスラーム教徒少数派も一度も不満を持たないでずっと満足していましたし、またお互いの人間関係も皆がうまく行っていました。いまでも、血縁関係のない違う民族のイスラーム教の信者等が、お互いに兄弟同様に扱っています。

 シャリヤを実行するために、宗教の学者たちが裁判官として政府から任命されていました。彼らは政府の支配者や王様たちが何か違反したら、何も怖がらないで、勇気を出して正義を行いました。そのような支配者たちが罰せられるような判決も自由に出されていました。神からの啓示に基づいた法律として、シャリアが実行されていたからどんな弱い民間人も強い者に苛めや圧迫されなかったのです。シャリアの下では、不正義のことが一切あり得ないようになっていたのです。

 世界の歴史で、イスラのーム教の支配下で正義と平和と平等などが出来たのは、神から啓示された聖クルアーンの教えの結果でした。

啓示による人間革命の実績

不思議なことは、歴史に言及する価値や貢献が何もない、ずっと何世紀も砂漠において貧乏暮らしに馴染んでいたアラブ民族の精神力がびっくりするほど変わったことです。神からの啓示を受けた砂漠の遊牧民族のなかには、世界の支配者になるぐらいの力と知恵が沸き上がりました。それほど人間を革命的に変えることが可能になったのは、やっぱり聖クルアーンの形で神の啓示に従ったからです。

人間革命で1400年間も世界のスーパーパワーと

 6世紀から20世紀初めまで、約1400年間世界のスーパーパワー(Super Power)の役名を果たしてきたのはイスラーム教の信者等でした。世界中にわれらの支配力が予言者モハッマド(彼に平安があれ)の時代から始まって、インドの、1857年にムガール帝国が終末するまで、また1923年にオスマントルコ帝国の終結まで14世紀もの長い期間続いていました。それに比べると、18世紀から21世紀のあいだ、現代ヨーロッパやソ連(邦)、アメリカの世界支配がただ200年も続かなかったのです。その違いは神からの啓示を受諾するか、しないかの違いなのです。

永久にこの啓示の守護の保証

 同じく神から啓示されたキリスト教の聖書やユダヤ教のトーラーと違って、イスラーム教の場合は、アッラーがずっと審判の日まで、聖クルアーンを守護することを保証しています。アッラーは、自分のこの最後の啓示された教えが、人類の導きのため、この世の中が終わるまで聖クルアーンの形で残して置くこととしているのです。だから誰に対しても、これの一文字も変わらいないように守っていくという約束しているのです。

 下記の節の意味は、皆にそういうふうに理解されています。人類の導きの為に神、アッラーは、聖クルアーンを啓示したから、それをもとのままに、それの一文字や、言葉や、内容が絶対に変わらいないように守護しておくということになっているのです。これにどんな偉い人間の考え方も、預言者モハッマド〈彼に平安があれ〉みたいな偉い方の教えもこれに混ざらないように、アッラーがずっと保護していくことになっています。預言者の教えも権威のある大事なものですが、それも聖クルアーンに混ざらないようにハヂスと言われて、別で大事に保管されているのです。聖クルアーンの場合は神、アッラーからの直接な啓示として永久に残されるということになっています。このことを聖クルアーンではアッラーがこういうふうに述べています。

اِنَّا نَحْنُ نَزَّلْنَا الذِّكْرَ وَاِنَّا لَہٗ لَحٰفِظُوْنَ۹ [١٥:٩]

(15-9)本当にわれこそは,その御言葉(聖クルアーン)を啓示し,必ずそれを(審判の日までに)守護するのであろう。

啓示による人類の文明の発達

 キリスト教の聖書とユダヤ教のトーラーも元々は神、アッラーからの啓示のものでした。しかし、神はその内容と言葉を、聖クルアーンと同じくずっと守護しておくという約束をしなかったのです。その理由は、2,3千年前に人類の文化がまだ発達してなかったからです。それに、直ぐに発達するような見込みもなかったからです。

 けれども6世紀に預言者モハッマドが現れた時には、聖クラアーンで神の教えによって人間のあらゆるすべての分野、学問や、科学や、通信や、情報や、報道や、産業や、貿易や、人類の文化など全部が著しく発達していくことを、アッラーは良く予知していました。だからその教えを変えられないように守護すれ必要があったのです。だからトーラーや聖書が下さった時代より聖クルアーンを啓示された時代とそのあとから人類が将来で発達出来ることの見込みが良く分かっていた神、アッラーは、聖クルアーンを守護することを決定したのだろうと思います。

人類に神の最後のメッセージ

 また予言者モハッマド(彼に平安があれ)は、人類の歴史上に送られてきた約20万人の預言者等の中で、最後の預言者として決定されていました。その局面からみても、聖クラアーンが最後の予言者を通じて、人類に対する神、アッラーの最終のメッセージとなったのです。

 だから、神のこの最後のメッセージが元のままで、何の変更もなく、その一文字や、一行一行の言葉や内容も、人間の勝手な考え方が混ざらないように守護しておく必要性があったのです。それで神、アッラー、は先ほどの節(15-9)で、これがこの世の中が終わる最後の日まで、元の純粋の言葉のままで守護しておくことが約束したのです。

永久に続く啓示の守護のメカニズム

 6世紀からの世界の歴史で、イスラーム教の支配下で正義と平和と平等が維持出来たのは、神からの啓示された聖クルアーンの教えが引き起こした結果でした。その時から今の21世紀までの1500年の間、どういうふうにこれが守護されてきたのか?また今から審判の日まで、どういうふうにして聖クルアーンが何の変わりもなく、人間の考え方が何も混ざらないように純粋に元の文字のままで守護されていくのか?そのメカニズムを神、アッラー、はどういうふうにそれを引き起こしたのか?

 そのメカニズムが、ハフィズという信者です。過去1500年の間にも、これからこの地球の最後の日までも、各時代で、各イスラームの国で、何百万や何千万人がハフィズになるようになっています。ハフィズという信者がどういう方なのか?それは、聖クラアーンを初めの第一節から最後の節まで、全ての何千節を子供の時から何年もかけて完璧に暗記する人のことをハフィズというのです。

 そういうハフィズという信者たちが、毎年世界中の各国で、世界中のモスクで断食の月ラマデャンの時に毎晩行われている20回のタラーウィーという礼拝ヤサラートの中で、それのイマムとして、大きな声で聖クラアーンを初めから終わりまで読誦しています。毎晩聖クルアーンの全部の30部やジュズの中から、順番に約1部を平均として読誦しています。そうやって主に27日に全部の30部を読誦して、初めから終わりまで読み上げているのです。

 もし世界中のどこかの国の印刷屋が聖クルアーンの一文字でも間違って印刷してしまったら、その国にいるハフィズたちが直ちにそれを直ぐ直してしまうでしょう。そういうメカニズムによって聖クラアーンが、一文字も変わらないように神に守護してもらっているのです。どんな時代でも、どこの国でも、イスラーム教の信者等の中にある何千万人の心や頭に聖クルアーンが暗記されたまま、彼らが死ぬまで守っています。こういうメカニズムによって聖クラアーンが何の変りもなく、元のまま永久に残っていくということなのです。この方法で過去1500年の間にも、またこの世の最後の日まで、これからの何千年の間も、アッラーは聖クルアーンを守護する自分の約束を果たしていけるではないでしょうか?

聖クルアーンの影響力に関して

 信者ではないメッカの方々が信者を強力に迫害していた時期のこと、聖クルアーンをたまたま聞いているときに無意識にサジダをしてしまいました。その時預言者モハッマド(pbuh)は、彼に初めて啓示されていた第53章「星(アン.ナジャム)」を読誦していたのです。無信者の行ったサジダの噂を聞いて迫害されて遠いアフリカの国へ逃げていた信者の一つの団体が「無信者が改宗してイスラーム教に入ったかな」と思ってメッカへ戻ってきました。無信者は、自分たちのいきなりやったサジダの行為に気がついて、自分自身もびっくりして、そのサジダのことを「無信者として信者と同じ行為するのは自分たちの間違いだった」といって自分たちの改宗のことを否定しました。このことからも、無信者であっても聖クルアーンの偉大な御方の元の言葉を理解したときは、どれほど彼らの心も動いてしまうのか、ということがこの出来事で良く分かります。

 だから信者たちも聖クルアーンの読誦をしながらそういう箇所まできたら自然と、神の前に頭を下げてサジダをする気持ちになりますし、またそうするように定められているのです。ですから、そういう出来事で聖クルアーンの言葉を理解した上に読誦した方がどれほど人間の心を動かすのか、それでどれほど人間の心が安らぎを感じるのか図りきれないのです。

 東京でサウジアラビアの無料でアラビア語を教えている六本木方面にある学院で、一人の女の学生さんがお医者さんから「一か月以内に癌で死ぬだろう」と告げられました。お医者さんたちにもどうにも出来ないと言われて、彼女は仕方なく、信者でもないのに、アラビア語も分からないのに、その学院から聖クラアーンの録音されたCDを借りて朝から晩まで毎日その聖クルアーンを聞いていた。彼女が一か月たってからまた同じお医者さんたちに見て貰ったら、癌が全部消えているという結論だった。この出来事で分かるとおり、理解できなくても、人類の主アッラーの聖クルアーンの形である元の言葉の強力な影響力があらわれるのです。

 内容を理解した上で聖クラアーンを読誦した場合は、そういう人類の主から授けられた元の言葉の影響力が何倍にもなって、現世でも来世でも、人間の幸せに繋がると思いませんか?

内容について

 聖クルアーンは30部に分かれています。それの1/30は一つのジュズやパーラと言われています。これはその最後のパーラ第30部の全ての37章の邦訳と詳しい解説です。この最後のいくつかの章をイスラーム教徒の皆さんが暗記して毎日の5回の礼拝時に読誦しているのです。ですからこの邦訳と同時にその説明も解説の形で出しているのです。それで毎日の礼拝時に、その章をよく理解した上で読誦することが出来るのです。またこのいろいろな解説でイスラーム教の全ての基本的な概念と信条が良く分かるようになっています。それで、イスラーム教の信者の信仰の基礎が強くなると思います。

 またイスラームのことを初めて知った方も、世界で1/5以上人口の方々の宗教だけではなく、日常生活のあり方も良く分かるようになると思います。これで現在西洋の先進国、特にアメリカとヨーロッパ等の指導者、学者とメヂーヤなどがわざとイスラームはテロの宗教だというイメージをでっち上げていることの嘘も明らかに分かります。

 また現代世界でどこでも、イスラームが一番伸びている宗教と言われています。不思議なことには、そういう反イスラームプロパガンダをやっている西洋の国々にイスラーム教に入信する人が一番多いのは不思議なことです。反イスラーム学者バルナード・レヴィスは、今世紀が終わるまでにヨーロッパ全体がイスラームの国々になる予測しています。この予測に対して英語でかかれた私の詳しい記事を私のホームページでご覧ください:

http://www.dawahislamia.com/europe-to-become-islamic-continent-in-50-years.php

 このことに対しては、出版社幻冬舎新書が出した「世界はこのままイスラーム化するのか」という中田考 (著)と島田裕巳 (著)先生たちの本で詳しく分析されています。

 この邦訳は、サウヂアラビアから世界一のイスラーム学者としてファエサル賞を受け取ったパキスタンの権威のある有名な故サイッヤド・アブルアーラ・マウデュディー先生の6冊の解説に基づいて行っています。と言うのは、私が3、40年前にパキスタンのラーホル市にその先生に挨拶に行った時、既に彼の言葉は世界のいろいろな言葉で翻訳されていたのですが、トルコでもパキスタンよりよく売られている6冊のタフヒームル・クルアーンの邦訳をその先生から任命されたのです。その邦訳を、死に近い年になってからやり始めているのです。

頭を下げてサジュダをすべき箇所のことについて

 “聖クラアーンのサイドラインには、いくつかの箇所でサジダという言葉が書かれています。聖クラアーンを読誦しているときにそういう箇所まできた場合は、サジダの動作をするべきと定められています。サジダとは、5回の礼拝の時に頭を下げてひたいを大地までもっていく動作のことを言います。その偉大な御方から授けられた元の言葉を理解した上でそのまま読誦しそういう箇所まできたときには、なんとなく人間の心や気持ちが神の前に頭を下げて主のことを褒め称えるような気持ちになります。

この邦訳について

 故 (こ)マウヅヂ先生は、その有名な権威のある6冊以外に、解説なしで一冊だけにまとめたパキスタンのウルドウー語に翻訳しているものがあります。第一部、パーラ1から第29部、パーラ29まで、私もなるべく解説なしで、まず邦訳だけしようと思っています。解説の代わりにブラケットの中に短く説明のつもりでいろいろな言葉を入れて各節が良く分かるようにしています。ブラケットにある言葉は聖クルアーンの本文のことばではありません。 

けれども、第30部、パーラ30の扱いはちがいます。これから提供するのは、その30部の邦訳と内容の詳しい解説です。聖クルアーンに基づいてイスラーム教の基本的な教え、概念、信条とすべての考え方の詳しい説明をしているのです。                                

 故マウヅヂ先生は、聖クラアーンのあらゆる言語にあるような各節の別々の翻訳をしていないのです。一つの章のすべての節をいくつかのパラグラフに分けて、かくパラグラフに一つの考えやアイデアとして翻訳しているのです。この邦訳もそのパターンで行い、聖クルアーンの内容をもっとわかりやすくしているのです。

 そういう聖クルアーンの理解を進めたいという気持ちで、この邦訳と説明を提供しているのです。(フセイーン。ハーン、東大修士)

http://www.dawahislamia.com/published-and-revised-versions-of-all-translations.php

第二章

聖クルアーンに1500年前からあった創造論の現代科学的な証拠

創造論に関して、21世紀に証拠づけられたいろいろな科学的発見が、6世紀に聖クルアーンに神から啓示されていた。

宇宙と生命に対して、20と21世紀に科学で発見されたものが聖クルアーンに1500年前から書かれていた。

現代歴史と科学発見に基づいて、聖クルアーンが全能の、唯一の神、アッラーからの啓示であることの証拠

約3000年前に神に反抗していて、罰せられたファロア王の遺体を、この世が終わるまでに、神、アッラー、が人類の教訓の為に、残して置く、という約束と予言の真実性の現代歴史からの証拠

第二章

20世紀に初めて発見された宇宙創造論が聖クルアーンに1500年前から述べられていた。

セクション1:

宇宙の創造に当てはまらない創造論批判と根拠のないダーウィンの進化論                            

17

セクション2:

宇宙の大規模構造論に現れる創造者の偉大さと知恵とインテリジェント・デザイン等         

19

セクション3:

聖クルアーンに1500年前からあった創造論20と21世紀の科学で発見               

21

セクション4:

聖クルアーンに1500年前からあった「ビッグバン」理論                                                  

25

セクション5:

聖クルアーンに1500年前からあった「宇宙に始まりがあった」理論                    

27

セクション6:

聖クルアーンに1500年前からあった星雲 (nebulae)と「創造の柱」Pillars of Creation)論     

29

セクション7:

聖クルアーンに1500年前からあった「宇宙が膨張し続けている」理論                  

32

セクション8:

聖クルアーンに1500年前からあった「生命があるすべてのものを水で創った」理論   

34

セクション9:

人間の蘇りと宇宙の創造論           

35

セクション10:

現代歴史で証拠づけられている、ファロア王の遺体に関して聖クルアーンの予言の歴史的な真実性

36

セクション1:

宇宙の創造に当てはまらない創造論批判と根拠のないダーウィンの進化論

百科事典ウィキペデイヤにより<リチャード・ドーキンス>から:

上記のリンクで百科事典ヴィキペディヤにこういう情報が載っている:

 「ドーキンスは創造論、すなわち「人間性や生命、世界は神によって創造された」という宗教的信念に対する熱烈な批判者である。彼は創造論を「不条理、知性の減衰、虚言」と表現している[29]。1986年の著書『盲目の時計職人』と2006年の『神は妄想である』では創造論における重要な主張であるデザイン論の時計職人アナロジー(およびフレッド・ホイルのジャンボジェット・アナロジー)に反論を行っている。

 時計職人のアナロジーは18世紀のイギリスの神学者ウィリアム・ペイリーが『自然神学』で用いたもので、「時計のように非常に複雑で高い機能性を持つ存在がただの偶然で生まれるわけはなく、生命はそれ以上に複雑なのだから、それは意味深遠 (しんえん)なデザインの証拠なのだ」とした。

 しかしながら、ドーキンスは、「自然選択の累積的な力は生物の世界の機能的で非ランダムな複雑さを説明することが可能である」とした。「自然は自動的で、無知性的で、"盲目の"時計職人の役割を果たしている」と述べた[30]。」

 ドーキンスの批判が生物学の話で、宇宙の創造に当てはまらない。生物の世界でダーヴィンの進化論が論じられているが、宇宙の創造論においては全然関係のない話になります。生物学でも進化論が激しい論争の対象になっている。けれども、それが物理学や天文学では全然論じられる余地がない。どんな物理学者や天文学者も宇宙の創造に対して何の進化論もだしてない。これのことは、学者たちどうしのあいだではなにも論ずる種もようちもない。

 ドーキンスは、「自然選択の累積的な力は生物の世界の機能的で非ランダムな複雑さ説明することが可能である」とした。ドーキンスの考え方が本当かどうか分からないが、もしそれが事実だと過程しても、彼の進化論のこの話があくまでも生物学に限ったものです。天文学や物理学や宇宙の創造論にそれがあてはまらない。どんな星も進化してお月さまになったこともない、またお月様やどんな別の星も進化して太陽になったとの話もない。すべての星や惑星が完全に完成されてものとして動いている。どれも進化して出来上がったこともなく、また元の状態から進化して何か他のものになるような気配も見えない。

 すべての星と銀河と地球、太陽系、太陽 (たいよう)の隣人 (りんじん)たち、銀河系、局部銀河群、おとめ座超銀河団、近隣 (きんりん)の超銀河団 (ちょうぎんがだん)、観測可能な宇宙と宇宙のすべてのものが完璧に完成されて、無から神、アッラー、の命令一つで存在になってきた。どれ一つもドーキンスに言われている、進化論の「自然選択の累積的な力」で出てきたわけではない。どれ一つも生物の世界で言われているような進化論の話のとおりに「自然選択の累積的な力」での進化の結果ではないし、偶然に現れてきたことも言えない。

 18世のイギリスの神学者ウィリアム・ペイリーが論じたように生命と同じく宇宙の創造も、またすべての星と銀河と地球、太陽系、太陽 (たいよう)の隣人 (りんじん)たち、銀河系、局部銀河群、おとめ座超銀河団、近隣 (きんりん)の超銀河団 (ちょうぎんがだん)、観測可能な宇宙と宇宙のすべてのものが完璧に完成されていて、非常に複雑で高い機能性を持つ存在だから、偶然で出来上がって、偶然で自然法則を守ってスムーズに動いて、また偶然でうまい組み合わせを維持しているわけがなく、それは意味深遠 (しんえん)なデザインの証拠なのだ。というのは宇宙の創造の中に見える複雑さと自然法則通りのすべての星や惑星や銀側と地球、太陽系、太陽 (たいよう)の隣人 (りんじん)たち、銀河系、局部銀河群、おとめ座超銀河団、近隣 (きんりん)の超銀河団 (ちょうぎんがだん)、観測可能な宇宙と宇宙のすべてのもの中に見える複雑さとそれらのスムーズな動きなどが、ある知恵と力を持っていて、インテリジェント・デザインも出来るような全能の創造者のことを認めざる得ないことになります。

 いきなりのビッグバンで滅茶苦茶な宇宙とあらゆる星とすべての銀河が出来上がっているわけではない。宇宙の創造のことを詳しく研究すれば、するほど創造者の計画とインテリジェント・デザインがより明らかになってくる。

 聖クラアーンで、この自然法則とうまい組み合わせと、お互いにぶつからないそれぞれに対して定められた軌道で、スムーズな動きと計画とインテリジェント・デザインのことをあらゆる方法で人類に伝えている。それの一つの例としてヤシーン章(36)の下記の37~40節がある。

セクション2:

宇宙の大規模構造論に現れる創造者の偉大さと知恵とインテリジェント・デザイン等

وَآيَةٌ لَّهُمُ اللَّيْلُ نَسْلَخُ مِنْهُ النَّهَارَ فَإِذَا هُم مُّظْلِمُونَ ﴿٣٧﴾ وَالشَّمْسُ تَجْرِي لِمُسْتَقَرٍّ لَّهَا ۚ ذَٰلِكَ تَقْدِيرُ الْعَزِيزِ الْعَلِيمِ ﴿٣٨﴾ وَالْقَمَرَ قَدَّرْنَاهُ مَنَازِلَ حَتَّىٰ عَادَ كَالْعُرْجُونِ الْقَدِيمِ ﴿٣٩﴾ لَا الشَّمْسُ يَنبَغِي لَهَا أَن تُدْرِكَ الْقَمَرَ وَلَا اللَّيْلُ سَابِقُ النَّهَارِ ۚ وَكُلٌّ فِي فَلَكٍ يَسْبَحُونَ ﴿٤٠﴾

ヤシーン章(36-37_40)

(37~40): またかれらへの印には,夜がある。われがそれから昼を退かせると,見よ,真っ暗になる。また太陽は,規則正しく運行する。これも全能全知な御方の摂理である。また月には,天宮を振り分けた。(それを通って)ナツメヤシの老いた葉柄のように(細くなって)戻ってくる。太陽が月に追い付くことはならず,夜は昼と先を争うことは出来ない。それらは,それぞれの軌道を泳ぐ。

 この中に昼と夜の変る替わるの動きと太陽とお月さまの自然法則で決まった定期的な同期の現象に注目させて、人間に神、アッラー、の存在だけではなく、その御方の偉大さ、と知恵と力なども信じるようにさせている。

2015年01月13日 ι コメント(72) ι 知る ι 自然・廃墟・宇宙 ι #)

 宇宙の端っこについて考えて眠れなくなったことはないだろうか?それほど宇宙は無限であり、底が見えない世界なのである。嫌なことがあっても宇宙の広さを考えれば、微粒子レベルのささいなこととなるので、ある意味ポジティブを与えてくれる宇宙。

 わからないことだらけの宇宙だが、それでも、最近になって、いくつかの謎は解明された。そんな10の宇宙の神秘を見ていくことにしよう。<宙の大規模構造>https://ja.wikipedia.org/wiki/ 宇宙の大規模構造

セクション3:

聖クルアーンに1500年前からあった創造論の20と21世紀の科学で発見

 宇宙の創造に対してビッグバン理論以外にも他のいろいろなことも聖クルアーンに1,500年まえに書いてあった、ということの真実性が、現代の天文学や科学的な研究で証明されている。例えば、聖クルアーンのいろいろな節でビッグバンのことのほかに、最近まで天文学者が信じないで、新しく発見できたものも聖クルアーンでずっと前から書かれていた。

 「20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人々は宇宙は定常 (ていじょう)的なものだと考えていた。「宇宙には始まりがなければならない」などという考えを口にするような天文学者は皆無だった。」(百科事典ヴィキペディヤ)

 聖クルアーンで宇宙の創造に対して、唯一の全能の創造者、アッラー、があって、その御方の命令で「宇宙には始まりがなければならない」ということが15世紀前から信仰の基礎になっています。が、宇宙に始まりがあった、という天文学の理論が20世紀になってから普及しはじめた。

 また後で詳しく述べるが、ヤシーン章の第36節でも同じ現象が、宇宙と大地の創造だけに限らないで、一般論として、世の中のすべてのことがどういうふうに引き起こされたのか、無から有になるのかの答えをだしている。それは、神、アッラー、の「有れ」という御命令一つで無から有になる、ないものから存在になる、ということです

 また、天が煙のようなもの(星雲)である、ということも聖クルアーンで前々から述べてある。これも現代科学の研究で発見されている。また、聖クルアーンの別の節ですべての生き物が水で創られたということも書いてある。現代科学で宇宙の中で大地以外にどんな星にも水が存在してないから生命のある生き物も地球大地以外のどんな星にも存在してないということが証明されている。

 このように最近発見された、いろいろな天文学や科学的や近代歴史で分かったようなことが、1500年前から聖クルアーンで啓示されていた、ということが、聖クルアーン自体が唯一の、全能の神、アッラー、の啓示である、ということの証拠にもなります。

百科事典ウィキペデイアに宇宙の存在と創造に対する科学の発展の歴史について簡単に下記のとおり書いてある:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3

· 歴史

· 20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人々は宇宙は定常的なものだと考えていた。「宇宙には始まりがなければならない」などという考えを口にするような天文学者は皆無だった[3]。ハッブルも、柔軟な考えを持っていると評価されているアインシュタインですらも、「宇宙に始まりがあった」などという考えはまるっきり馬鹿げていていると思っていた[3]。科学者たちは膨張宇宙論は科学では理解しがたく、宗教上の立場だと見なしていた[3][6]。

· ビッグバン理論は、紆余曲折を経て、観測と理論の両面が揃ってようやく、 徐々に認められるようになってきた歴史がある。

· 観測的には、多くの渦巻星雲が地球から遠ざかっていることが知られていたが、当初これらの観測を行った研究者たちはその宇宙論的な意味に気づかず、これらの星雲が実際に我々の天の川銀河の外にある銀河であるということが分からない状況にいた。

·

· ジョルジュ・ルメートル。「宇宙は原始的原子(primeval atom) の“爆発”から始まった」というモデルを提唱した。

· 1927年にベルギーの司祭で天文学者のジョルジュ・ルメートルが一般相対論のフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に従う方程式を独自に導き出し、渦巻銀河が後退しているという観測結果に基づいて、「宇宙は原始的原子(primeval atom) の“爆発”から始まった」というモデルを提唱した。

· 1929年、エドウィン・ハッブルの観測で、彼は銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっており、その速度は地球から各銀河までの距離に比例していることを発見した(この事実は現在「ハッブルの法則」と呼ばれている。これが、ルメートルの「原始的原子(primeval atom) の“爆発”から始まった」とする理論に対して基礎付けを与えることになった。) 

· この時点でこの問題(ハッブルの観測結果を説明すること)に本気で立ち向かい科学的にとらえようという気になっている科学者は皆無だった[3][7]。

· その数少ない例外がロシア出身の天文・核物理学者ジョージ・ガモフであり[3][8]、ジョルジュ・ルメートルが提唱したビッグバン理論を支持し発展させた。ガモフは、初期の宇宙は全てが圧縮され高密度だったうえに、超高温度だったとし、宇宙の膨張の始まりを、熱核爆弾の火の玉と捉え、創造の材料(陽子、中性子、電子、ガンマ放射線の高密度ガス。これらの材料をガモフは「イーレム」と呼んだ)が爆発の場で連鎖的に起きる核反応によって、現在の宇宙に見られる様々な元素に転移したのだ、と説明した[3][9]。

せクション4:

聖クルアーンに1500年前からあった「ビッグバン」理論

 先程述べられた天文学の歴史で知らされたように、宇宙の創造は一つの塊 (かたまり)からビッグバンとしていきなりの爆発のかたちで始まって、大地といろいろな惑星 (わくせい)と星が別々に分けられた、という現代科学の20世紀初めの発見を、唯一の全能の創造主、アッラー、は1500年前に聖クルアーンで人類に知らせていた。

(21-30):信仰しない者たちは分らないのか。天と地は,一つの塊 (かたまり)だったが,われはそれを分けて別別にした。そして水から一切の生きものを創ったのである。かれらはそれでも信仰しないのか。

 聖クルアーンに上記の第21章の第30節で、大地と宇宙の創造に対してアッラーのやったことが、現代のビッグバンと同じ理論のことを述べている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3

ビッグバン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ビッグバン(英: Big Bang)とは、

· ビッグバン理論(ビッグバン仮説)、つまり「この宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになった」とする説

· 同説において想定されている、宇宙の最初期の超高温度・超高密度の状態のことである。

· この理論に「ビッグバン (Big Bang)」という名をつけることになったのは、皮肉にも、「宇宙に始まりがあった」という考えを非常に嫌悪していたフレッド・ホイルであり、あるラジオ番組において、ジョルジュ・ルメートルのモデルを 「this 'big bang' idea(この大ボラ)」 と愚弄 (ぐろう)するように呼んだのが始まりである[2][3]とされている。科学記者ジョン・ホーガンの取材によるとホイルは卑下 (ひげ)する意味は微塵も無く、何か咄嗟 (とっさ)に生き生きとした表現は無いものかと思いついたのが「ビッグ・バン」だったと気まずく述べており「命名者としてパテントを取得しておくべきだったよ」と悔やん (くやん)でいる旨を明かしている。その名の通り爆発的に用語が一般認知、定着するが、それ以前の天文学者らの間ではフリードマン宇宙論として語られていた[4]。

· 12.4 研究論文

· 20世紀前半でも、天文学者も含めて人々は宇宙は不変で定常的だと考えていた。ハッブルの観測によって得られたデータが登場しても科学者たちも真剣にそれを扱おうともせず、ごくわずかな人数のアウトサイダー的な天文学者・科学者がビッグバン仮説を発展させたものの、無視されたり軽視されたりしてなかなか受け入れられなかった。 ビッグバン理論から導かれる帰結の1つとして、今日の宇宙の状態は過去あるいは未来の宇宙とは異なる、というものがある。

· このモデルに基づいて、1948年にジョージ・ガモフは宇宙マイクロ波背景放射 (CMB) が存在することを主張、その温度を5Kと推定した。CMB は1960年代になって発見され、この事実が、当時最も重要な対立仮説(対立理論)であった定常宇宙論ではなくビッグバン理論を支持する証拠と受け止められ、支持する人が増え多数派になり、「標準理論」を構成するようになった。この説が生まれてから数十年の時を経て、ようやくそうなったのである。(→#歴史)(ウィキペディア百科事典).

セクション5:

聖クルアーンに1500年前からあった「宇宙 に始まりがあった」理論

現代天文学によるとこの命令が神様(アッラー)は、138億年前に下さったものになる。

(41-11) :「それからその御方が宇宙と大地の方へ向いた。その時は天がただ煙(のよう)だった。主は天と大地両方に向かって(ビッグバーンみたいな)御命令をくださった:(主に)「両方とも嫌でも、無理矢理でも、「無から有(存在)になれ」、と仰せられた。「われわれは(主の)命令に応じて(無から有になるように)従います」、と両方とも答えて存在になった。」(第41章の第11節)。

·

 この節である煙のようなもの、星雲 (せいうん)、の話を後で詳しく述べる。それとはべつに、ここで聖クルアーンのこの41-11節の教えであるもう一つ別のことを指摘したいと思います。それは先程別の節〈アルーアンビヤ・21-30〉の説明で詳しく述べたようにビッグバンのことです。この節でもビッグバンのことが指摘をされている。しかしこちらの表現は多少違います。前の節で宇宙や天と大地が一緒にくついていて、一つの塊だった、それをアッラーは別々に分けた、というふうな表現だった。が、この節で違う表現で同じビッグバンのことを述べられている。アッラーの御命令ひとつで両方とも急に無から有の存在になった、というふうに表現されている。いきなり無から有になったということの表現が宇宙に始まりがあった、という天文学の最近の理論と同時にビッグバン理論の裏付けにもなります。それで、この節も現代天文学と科学の発見のビッグバンと、ほかのあらゆる理論に対してもう一つの証拠になります。

 また聖クルアーンのこの第41章の第11節で宇宙が何もないものから存在になった、あるいは創造された、ということが神、アッラー、の命令一つで無から有になって存在するようになったということが書いてある。その神のいきなりの命令は現代科学におけるビッグバンも言っているし、また宇宙に始まりがあった理論の基礎にもなります。

 アッラーは力と知恵のある全能の御方であるからこそ、この天地の創造の謎も、彼だけがそれを聖クルアーンで正しく1500年前から人類に伝えている。

 現代科学によるとその命令を神様(アッラー)は、138億年前に下さったものである。

·

·

.(36-82) 何かを望まれると,かれが「有れ。」と御命じになれば,即ちに有る(存在になる)。

ヤシーン章の第36節でも同じ現象が、宇宙と大地の創造だけに限らないで、一般論として、世の中のすべてのことがどういうふうに引き起こされるのか、無から有になるのかの答えをだしている。それは、神、アッラー、の「有れ」という御命令一つで無から有になる、ということです。アッラーは毎日、各瞬間、そういう沢山の御命令を出して、この世の中を支配しているし、またこの宇宙と大地とすべての生き物と人間社会の秩序を維持している。こんよな毎日のあらゆるたくさんの御命令の中、ある日ビッグバンみたいな御命令も出したとしても、何も不思議なことではない。この節にある一般論から見ても、ビッグバンのようなことが起こったという天文学の知らせについて、イスラームの信者等は、アッラーの力と知恵を信じているから、その可能性が簡単にありうると思う。

セクション6:

「聖クルアーンに1500年前からあった星雲 (nebulae)と「創造の柱」Pillars of Creation)論

 また宇宙と大地の創造に対して聖クルアーンでもう一つ最近の科学的な発見のことを1500年前に人類に知らせている。それは最近の科学では「星雲」と言っている。それは下記の節)(41-11)ではアラビア語では「ドッカーン」という煙のようなものといっている。

(41-11) :「それからその御方が宇宙と大地の方へ向いた。その時は天がただ煙(のよう)だった。主は天と大地両方に向かって(ビッグバーンみたいな)御命令をくださった:(主に)「両方とも嫌でも、無理矢理でも、「無から有(存在)になれ」、と仰せられた。「われわれは(主の)命令に応じて(無から有になるように)従います」、と両方とも答えて存在になった。」(第41章の第11節)。

·

上記の節)(41-11)の説明で、「ドッカーン」という煙のようなものにたいしてマウデュディー先生がそういうふうに説明をしている:

  この節では現代科学で二十一世紀に発見されたもう一つの事実のことが述べられている。それはビッグバンの前には宇宙がどんな形や方法で形成されたかの問題の答えです。宇宙の創造についてこの節で言っていることは何と言っているのでしょうか?聖クルアーンによると宇宙が初め”ヅッカン”という煙のようなものだった。それが現代科学では「星雲(nebulae)」というものです。それが「創造の柱」(Pillars of Creation)と言われている。

http://www.gizmodo.jp/2012/02/post_9998.html 

NASA/宇宙モノ , アート , サイエンス , ニュース

「 僕らの時間と宇宙の時間は違うから、僕らがアレを発見した時すでにアレは消滅していた!

宇宙はとっても広いから。アレはとっても遠くにあるから。

わし星雲ーヘビ座に属する散開 (さんかい)星団 (せいだん)と参考星雲の複合天体。私たちの星から7000光年ほど離れたところにあります。そのわし星雲の中に「創造の柱」(Pillars of Creation )という暗黒 (あんこく)星雲 (せいうん)があります。...あったのです。創造の柱、1995年の4月にハッブル宇宙望遠鏡が星雲中央の暗黒星雲を撮影したことでその姿が発見され、高さ4光年という柱にこの名前がつきました。

さて、興味深いのは、この創造の柱はもう存在しないということ。いえ、正確には私たちが発見する何千年も前にすでに消滅していたということ。遥か昔に消滅したものを17年前に見た? これが宇宙の不思議で面白いところ。これぞ宇宙の魅力。

目の前にある海や山、パソコンやアイスクリームを見る様に、ついつい宇宙の写真も同じ気持ちで見てしまいます。今見ているこれは今そこにあるものだ、とね。今送られてきたこの写真に映っているものは今そこにあるものだろう、とね。しかし、この考えは宇宙では通用しません。私たちの生きる時間で見る物事は宇宙にはないのです。宇宙にあるものを見る時、そこには時間差が生まれます。

もちろん、その時間差は今になってわかった話ではなく、科学者達は1995年に発見された創造の柱が実はすでに存在しないことを数年の研究の後にすで確認していましたがね。

創造の柱は約6000年前に起きた超新星爆発でメッタメタに破壊されてしまいました。その超新星が爆発する様子を、私たちは天体望遠鏡を使ってみることができます。あれ、6000年前の爆発を? そう、我々の時間ではまだ爆発の衝撃が創造の柱にまで届いていないのです。これから約1000年後、創造の柱に衝撃が届き破壊されていく様子を見ることができます。宇宙の時間では遥か昔に起きたその出来事を、私たちの時間では今からさらに1000年先の未来で見る。まるでこれから起きる未来のように、です。」

また英語で星雲 (せいうん)節 (せつ)(nebular hypothesis)と言われていることの詳しい説明が、宇宙の創造における星雲の役割を明らかにしている。そのことが聖クルアーンの先ほど指摘されている41-11節で述べられている。というのは、聖クラアーンに1500年前から出されている情報の真実性が21世紀でも立証されている。これで、この啓示が全能の神アッラーからのものだという真実も同時に立証される。

セクション7:

「聖クルアーンに1500年前からあった宇宙が膨張し続けている」理論

宇宙はずっと膨張し続けいる、

という現代科学の20世紀初めの発見が、その唯一の創造者、アッラー、は、1500年前から聖クルアーンに人類に知らせている。

[51~47]「われは自分の力で宇宙を創った、また我がそれをずっと膨張し続けている。」

 (マウデュディー先生のタフヒムル・クルアーンから)

イスラームの世界的もしくは世界一学者故マウデュディー先生のタフヒムル・クルアーンでこの節の意味はこういうふうに説明しています:

「この節の二番目の意味によるとこういうことになります:「われが創ったこの大規模な宇宙が完成されたわけではありません。われは、これをずっと膨張し続けているし、またその膨張の共にいつもわれの創造力の新しいと初回の兆候が次から次へ各瞬間に現れている。」

概要

ビッグバン理論では、宇宙は極端な高温高密度の状態で生まれた、とし(下)、その後に空間自体が時間の経過とともに膨張し、銀河はそれに乗って互いに離れていった、としている(中、上)。

「ビッグバン」という語は、狭義では宇宙の(ハッブルの法則に従う)膨張が始まった時点を指す。その時刻は今から138億年[1](1.38 × 1010年)前と計算されている。より一般的な意味では、宇宙の起源や宇宙の膨張を説明し、またジョージ・ガモフの「α-β-γ理論」から予測される宇宙初期の元素合成によって現在の宇宙の物質組成が生まれたとする、現代的な宇宙論的パラダイムも指しうる。

ビッグバン理論(ビッグバン仮説)に基づいたビッグバン・モデルでは、宇宙は時間と空間の区別がつかない一種の「無」の状態から忽然 (こつぜん)と誕生し[要出典]、爆発的に膨張してきた、とされる。近年の観測値を根拠にした推定により、ビッグバンは約138億年前に起きたと推定されるようになった。

遠方の銀河がハッブルの法則に従って遠ざかっているという観測事実を、一般相対性理論を適用して解釈すれば、宇宙が膨張しているという結論が得られる。宇宙膨張を過去へと外挿 (がいそう)すれば、宇宙の初期には全ての物質とエネルギーが一カ所に集まる高温度・高密度状態にあったことになる。この初期状態、またはこの状態からの爆発的膨張をビッグバンという。

この高温・高密度の状態よりさらに以前については、一般相対性理論によれば重力的特異点になるが、物理学者たちの間でこの時点の宇宙に何が起きたかについては広く合意されているモデルはない。」

セクション8:

聖クルアーンに1500年前からあった「生命があるすべてのものが水で創った」理論

またわれが生命にあるすべての生き者を水で創った。それでも彼らは信じないのか?」(第21章の第30節) (Al-Anbia 21-30)

渡邊 雄一郎

生命になぜ水が必要なのか

水はわれわれにとっては身近な物質であるが、化学の世界ではむしろ特殊な物質である。地球上には水が豊富に存在するために、海洋、大気、さらには地表のあ りさまも水の性質によって大きく支配され、変化もする。本講義ではこの流れをうけて、最初は水という物質について概説した後に、我々の生体内でその性質が どのように活かされているか、その中にとけている物質がどのように挙動するかを考察する。ここから生きているとはどのようなことかを、化学と生物学的な観 点からの表現を試みる。進化のなかで生命体は、水の性質の影響を受けながらも適応力を身につけたものが生き残ったと考えられる。巧みにその性質を利用して いる興味深い生物現象にも遭遇する。人類の誕生とその営みは、それまでの生命と水の関わりに新たな段階を生み出したと考えられ、人類が地球の水環境を守ら ねばならない時代に来ていると考えられる。

コメント課題 水が地球上の生命活動を維持する上での重要性を、授業で感じたこと、少し調べたことに基づいて自分の言葉で表現しなさい。

渡邊 雄一郎

植物を対象にして、生物が地球環境の中で生きていること、生き延びてきた仕組みを、遺伝子やRNA分子に注目しながら研究している。なぜ木は大きくなるのかといった目的論ではなく、どのようにして大きくなることができるのかという機構に興味があります。

参考文献

· アズビー・ブラウン『江戸に学ぶエコ生活術』、阪急コミュニケーションズ、2011年

そういう現代科学の20世紀初めの発見が、その唯一の創造者、アッラー、は、1500年前から聖クルアーンで人類に知らせている。

セクション9

人間の蘇りと宇宙の創造論

 アンーナゼアト章の内容の説明で、モーゼとファロアの話のあと第二十七から第三十三節までには来世とそこで永久に生きるということの話を立証されている。その為に、宇宙の創造のことが証拠として出している。宇宙の創造が出来るほど力と知恵が持っている御方には、人間を蘇る力と知恵がないのか?どちらの方がもっと難しいですか?一番初めに第二十七節にこういう質問をしている。

「主には、)あなたがたを創ること(と復活させること)がうち建てられた空と宇宙(の創造)より難しいなのか?」

解説14:人間は自分が死んでちりになってからまた同じ体で蘇るのが無理だと思っている。今の聖クルアーンの節と同じような意味の節も別のところにある。これらの節で、アッラーは無限の銀河系と太陽系と惑星を創っている。そういう力のある全能の神に人間を復活させる力もあるではないかということです。

セクション10:

現代歴史で証拠ずけられている、ファロア王の遺体に関して聖クルアーンの予言の歴史的な真実性

وَقَالَ مُوْسٰى رَبَّنَآ اِنَّكَ اٰتَيْتَ فِرْعَوْنَ وَمَلَاَہٗ زِيْنَۃً وَّاَمْوَالًا فِي الْحَيٰوۃِ الدُّنْيَا۰ۙ رَبَّنَا لِيُضِلُّوْا عَنْ سَبِيْــلِكَ۰ۚ رَبَّنَا اطْمِسْ عَلٰٓي اَمْوَالِہِمْ وَاشْدُدْ عَلٰي قُلُوْبِہِمْ فَلَا يُؤْمِنُوْا حَتّٰى يَرَوُا الْعَذَابَ الْاَلِيْمَ۸۸  قَالَ قَدْ اُجِيْبَتْ دَّعْوَتُكُمَا فَاسْتَــقِيْمَا وَلَا تَتَّبِعٰۗنِّ سَبِيْلَ الَّذِيْنَ لَا يَعْلَمُوْنَ                ۸۹

۞ وَجٰوَزْنَا بِبَنِيْٓ اِسْرَاۗءِيْلَ الْبَحْرَ فَاَتْبَعَھُمْ فِرْعَوْنُ وَجُنُوْدُہٗ بَغْيًا وَّعَدْوًا۰ۭ حَتّٰٓي اِذَآ اَدْرَكَہُ الْغَرَقُ۰ۙ قَالَ اٰمَنْتُ اَنَّہٗ لَآ اِلٰہَ اِلَّا الَّذِيْٓ اٰمَنَتْ بِہٖ بَنُوْٓا اِسْرَاۗءِيْلَ وَاَنَا مِنَ الْمُسْلِمِيْنَ۹۰

اٰۗلْــٰٔــنَ وَقَدْ عَصَيْتَ قَبْلُ وَكُنْتَ مِنَ الْمُفْسِدِيْنَ۹۱

فَالْيَوْمَ نُنَجِّيْكَ بِبَدَنِكَ لِتَكُوْنَ لِمَنْ خَلْفَكَ اٰيَۃً۰ۭ وَاِنَّ كَثِيْرًا مِّنَ النَّاسِ عَنْ اٰيٰتِنَا لَغٰفِلُوْنَ۹۲ۧ )سُورَةُ يُونُسَ: ١٠، اَلْآيَةُ:(88~92

88~99. 「ムーサーは申し上げた。「主よ,本当にあなたはフィルアウン(ファロア)とその首長たちに,現世の生活の栄華裕福を御授けになりました。主よ,それで、かれらがあなたの道から人々を迷い出てしまうようにしている。主よ,かれらの富を滅ぼされ,かれらの心を頑固にして下さい。かれらは故痛ましい懲罰が味あうまで,信じないでしょう。」かれ(御方)は仰せられた。「あなたがた両人の祈りは受け入れられた。だから姿勢を正し,無知な者の道に従ってはならない。われは,イスラエルの子孫に海を波らせ,フィルアウン(ファロア)とその軍勢は,暴虐と敵意に満ちてかれらを追跡した。溺れ死にそうになった時,かれ(フィルアウン)は言った。「イスラエルの子孫が信仰しているように同じく私も信仰いたします。かれらが信じているアッラーの外に神はありません。わたしは一番先に(その神アッラーに)服従,帰依する者になります。」するとかれに仰せられよう。「何と,今(信仰するのか)。ちょっと前まであなたは反抗していた。結局あなたは犯罪者の仲間であって、世の中には凄い混乱起こしていた。だが今日は,われは(審判の日まで)後の者への教訓の為、印として,あなたの体を(遺体を残そう〉救うであろう。だが人びとの多くはわが印を疎かにする。」

3000年以上経っているのに、百科事典ウィキペデイアの下記の記事によると、ファロアのミイラが未だにカイロの博物館に保管されている。上記の聖クルアーンの節によると審判の日まで、未来の世代の教訓のため、アッラーはそのミイラを絶対保管しておく、ということを伝えている。

3000年以上断ってもまだファロアの遺体がどかに存在していて、無事に保管されていることの意味は何でしょうか?それで聖クルアーンのこの予言の真実性が立証されるではないでしょうか?

またそんなに何千年たってもある予言の真実性を立証されていることが、われわれにもう一つのメッセージを伝えている。それが唯一の全能の神、アッラー、の存在のことと、また聖クルアーンがその御方から出された元の教えであることも立証されている。

“ミイラ: ラメセス2世(ファロア)のミイラ”

ラムセス2世のミイラは1881年に発見され、現在はカイロのエジプト考古学博物館に収められている。身長は183cmである Mummy of Ramesses II「ファロア」(古代エジプトの成人男性の平均身長は160~165cmであった)。また、調査によって生前関節炎を患っていたものの、死亡推定年齢は88~92歳であった(古代エジプト人の平均寿命は35~40歳であった)。また、ミイラに残っている頭髪から髪の色は黒色であると推定されている。

なお、ラムセス2世のミイラはテーベ大司祭パネジュウム2世の家族墓で見つかったが、過去2回埋め直されている。

今なお生けるファラオ

20世紀後半になって、ラムセス2世のミイラは劣化防止措置を受けるためフランスへ出国し、儀仗兵が捧げ銃を行う国王への礼をもって迎えられた(ミイラの皮膚組織にカビの1種が発生したため、調査を兼ねてカビの除去を行う必要があった)。この時には生きているエジプト人の扱いでパスポートも支給され、職業の欄には「ファラオ」と記入されていたというエピソードも伝わっており、偉大なるファラオへ寄せるエジプト人の敬意の深さがうかがえる。

第二部

聖クルアーンの最後の21章の邦訳と詳しい解説

番号

章の番号と名前

1

93章~朝(アッドハ-)

40

2

94章~胸を広げる(アル・インシラフ)

45

3

95章~無花果(アッ・ティーン)

54

4

96章~凝血(アル・アラク)

56

5

97章~運命(アル・クァダル)

60

6

98章~アル・バイイナフ

63

7

99章~地震(アッ・ザルザラ)

66

8

100章~進撃する馬(アル・アーディヤート)

68

9

101章~〈ある大打撃(アル。カーリ)

69

10

102章~蓄積(アッ・タカースル)

71

11

103章~次代(アル・アスル)

74

12

104章~中傷者(アル・フマザ)

84

13

105章~象(アル・フィール)

86

14

106章~クライシュ族

90

15

107章~什器(アル・マーウーン)

93

16

108章~潤沢(アル・カウサル)

96

17

109章~不信者たち(アル・カーフィルーン)

98

18

110章~援助(アン・ナスル)

100

19

111章~炎〈アル・ラハブ〉

103

20

112章~純正(アル・イフラース)

105

21

113章~夜明け (アル・ファラク)

107,111

22

114章~人々(アン・ナース)

108,118

聖クルアーンの第30パーラやジュズと言う30/30部分の最後の七十八章から章百十四章まで全37章の一番正確な

邦訳と詳しい解説

78. 消息 (アン・ナバア) 

(解説:Explanations)

名前:第2節にある言葉「アン・ナバア」をこの章の名前にしている。その言葉の意味は消息や知らせである。この章の内容とテーマも審判の日と来世の知らせである。

啓示された時期:これもこの前と後の章と同じくメッカ初期で啓示されたものです。

内容とテーマ: これの内容も前の章と同じく、審判の日と来世の存在の確信と、そこで全人類の結末に対しての警告のことである。

現代の人々と同じく、メッカの市民にも一番信じがたい信条は、復活した後の来世の永久の住まいのことだった。この章では、メッカ初期で啓示された全ての章で何回も来世の存在に対して断言しています。

 それを固く信じない場合は、人間が道徳の高い水準まで登ることができません。どんな宗教や社会や経済制度でも、立派な人間社会の建築を目標にしていますが、各々の人間に道徳の立派な道に走らせるための原動力がない。このため、人間社会から犯罪も減らないし、平等と平和な、正義に基づいた暮らしも出来ない。来世で罰せられて、永久に地獄で焼かれることを信じるようになれば、現世で立派な社会も、政治も、経済も可能になります。

 イスラームは、自分の私生活のためだけではなく、社会全体の向上を目指している宗教です。教会へ行って神の名を唱えたり、礼拝をしているだけでは信者としての義務が終わらない。社会、政治、経済、国家法律、人間関係、家族の面倒見のような、あらゆる全ての場面の改善によって、平和な正義に基づいた社会と国家を創る事がイスラーム教の目的です。

 この理想的な話は、来世と審判の日の事を信じる必要があります。

 だからこの章では、色々な角度から、審判の日と来世を信じる為の事を述べているのです。メッカの市民は、来世の事は無いと思ってそれを信じませんでした。この話は、どこの町でも笑われていました。現代社会や無心者の国でも同じく来世を拒否する考えが多い。アッラーは第1節から第16節まで、その笑い話や疑問に関して答えています。人々が信じても、信じなくても、真実は変わらないので、この世がいずれ滅び、いずれ審判の日が起こる事は間違いない、と言う事を述べられています。

 ある学者の見解では、死んでからのことは誰も分かりませんので、来世があるだろうと思い込んで動いた方が得だと言う事です。もし来世がなかったら何も損することはありません。そういう思い込みで人生を過ごされていない人は、もし万が一審判の日と来世が本当にあった場合は、永久に地獄で焼かれる運命になるでしょう。その時になってからでは、取り返しがつかないと言うことです。

 78. 消息 (アン・ナバア) 

(翻訳: Translation)

“慈悲 (じひ)深い (ぶかい),何回 (なんかい)も何回 (なんかい)も無限 (むげん)に慈悲 (じひ)を下さる (くださる)アッラー (あっらー)の御名 (みな)において(始めます (はじめます))。”

「 [ ([)1 (1)- (-)5 (5)]: (]:)  どういう事 (こと)に対して (たいして), かれらはお互い (おたがい)に

Sura: An-Naba

بِسْمِ اللہِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ

(30) ۞ عَمَّ يَتَسَاۗءَلُوْنَ۱ۚ عَنِ النَّبَاِ الْعَظِيْمِ۲ۙ الَّذِيْ ہُمْ فِيْہِ مُخْـتَلِفُوْنَ۳ۭ كَلَّا سَيَعْلَمُوْنَ۴ۙ ثُمَّ كَلَّا سَيَعْلَمُوْنَ۵

尋ね合って (たずねあって)いるのか。彼ら (かれら)はその重大 (じゅうだい)な知らせ (しらせ)(審判 (しんぱん)の日 (ひ)の事 (こと))に対して (たいして)お互い (おたがい)の感想 (かんそう)や意見 (いけん)の相違 (そうい)を討論 (とうろん)しているのか?いや,彼らはやがて知ろう (しろう).いや,いや,断じて (だんじて)彼らはやがて知る (しる)であろう。

[6 (6)- (-)10 (10)]: (]:) (人間 (にんげん)の暮らし (くらし)のために)われは大地 (だいち)を,平ら (たいら)な

اَلَمْ نَجْعَلِ الْاَرْضَ مِہٰدًا۶ۙ وَّالْجِبَالَ اَوْتَادًا۷۠ۙ وَّخَلَقْنٰكُمْ اَزْوَاجًا۸ۙ وَّجَعَلْنَا نَوْمَكُمْ سُـبَاتًا۹ۙ وَّجَعَلْنَا الَّيْلَ لِبَاسًا۱۰ۙ

フロア (ふろあ)のようにしなかったか。また山々 (やまやま)を,(その大地 (だいち)に)くぎみたいに打った (うった)ではないか。われはあなたがたを両性 (りょうせい)に創り (つくり),また休息 (きゅうそく)のため,あなたがたの睡眠 (すいみん)を定め、また夜 (よる)を(そのため)暗く (くらく)した。

[ ([)11 (11)- (-)16 (16)]: (]:) 昼 (ひる)を生計 (せいけい)の手段 (しゅだん)として定めた (さだめた)。またわれは、あな

وَّجَعَلْنَا النَّہَارَ مَعَاشًا۱۱۠ وَّبَنَيْنَا فَوْقَكُمْ سَبْعًا شِدَادًا۱۲ۙ

وَّجَعَلْنَا سِرَاجًا وَّہَّاجًا۱۳۠ۙ وَّاَنْزَلْنَا مِنَ الْمُعْــصِرٰتِ مَاۗءً ثَجَّاجًا۱۴ۙ

لِّنُخْرِجَ بِہٖ حَبًّا وَّنَبَاتًا۱۵ۙ وَّجَنّٰتٍ اَلْفَافًا۱۶ۭ

たがたの上 (うえ)に強健 (きょうけん)な7 (7)層 (そう)(の天 (てん))を打ち建て (うちたて),輝やかしい (かがやかしい)燃える (もえる)ランプ (らんぷ)のような者 (もの)(太陽 (たいよう))を創った (つくった)。われは雲 (くも)から絶え間 (たえま)なく、豊か (ゆたか)に雨 (あめ)を降らせ (ふらせ),それによって,殻物 (こくむつ)や野菜 (やさい)や,様々 (さまざま)な木 (き)の茂った (しげった)園を出来るようにしたではないか?」

 人間の豊かな暮らしと幸せな生活の為にアッラーは、あらゆる恵みを与えておいて、その人間にこの恵みをどういうふうに使ったかの清算をして貰うのがおかしな話なのか?来世がなかったら善い人が報いも貰えないし、悪い人たちが罰せられることもなくなる。これが神の正義に違反することではないでしょうか?

 どこの会社の社長も給料を支給して、自分の社員の生活を支えているので、その社員が、与えられた仕事をどれほどこなしたかを社長が聞くのは当たり前のことです。アッラーは人間に現世で幸せな生活ができるように何でも揃えました。だから来世でそれの報酬を決める為に人間の現世での所業を清算するのも当たり前のことではないでしょうか?

 このことが、聖クルアーン第17から第20節までで、こういうふうに書いてある:

「[17-20]:  誠 (まこと)に裁き (さばき)の日 (ひ)は定められて (さだめられて)いて,その日 (ひ),

اِنَّ يَوْمَ الْفَصْلِ كَانَ مِيْقَاتًا۱۷ۙ يَّوْمَ يُنْفَخُ فِي الصُّوْرِ فَتَاْتُوْنَ اَفْوَاجًا۱۸ۙ وَّفُتِحَتِ السَّمَاۗءُ فَكَانَتْ اَبْوَابًا۱۹ۙ وَّسُيِّرَتِ الْجِبَالُ فَكَانَتْ سَرَابًا۲۰ۭ

ラッパ (らっぱ)が吹かれる (ふかれる)とあなたがたは群 (むれ)をなしてよみがえって 出て (でて)来る (くる)。天 (てん)は開かれて (ひらかれて)数々 (かずかず)の門 (もん)(あらゆる災難 (さいなん)が天から (てんから)降りて (おりて)来る (くる)為 (ため)にすべての門 (もん)が空いて (あいて)いるような感じ (かんじ))となり,山々 (やまやま)は移されて (うつされて)錯覚 (さっかく)(砂漠 (さばく)の砂 (すな))になる。」

 また第21から第30節まで来世で人間の所業に基づく報いと罰のことをこういうふうに知らせている:

[21-30]: 誠 (まこと)に地獄 (じごく)は,待ち伏せ (まちぶせ)の場 (ば)であり,(神 (かみ)に

اِنَّ جَہَنَّمَ كَانَتْ مِرْصَادًا۲۱۠ۙ لِّلطَّاغِيْنَ مَاٰبًا۲۲ۙ لّٰبِثِيْنَ فِيْہَآ اَحْقَابًا۲۳ۚ لَا يَذُوْقُوْنَ فِيْہَا بَرْدًا وَّلَا شَرَابًا۲۴ۙ اِلَّا حَمِيْمًا وَّغَسَّاقًا۲۵ۙ جَزَاۗءً وِّفَاقًا۲۶ۭ اِنَّہُمْ كَانُوْا لَا يَرْجُوْنَ حِسَابًا۲۷ۙ وَّكَذَّبُوْا بِاٰيٰتِنَا كِذَّابًا۲۸ۭ وَكُلَّ شَيْءٍ اَحْصَيْنٰہُ كِتٰبًا۲۹ۙ فَذُوْقُوْا فَلَنْ نَّزِيْدَكُمْ اِلَّا عَذَابًا۳۰ۧ

対して (たいして)反抗的な者 (もの)の最終 (さいしゅう)の住居 (じゅうきょ)で,かれらは何時 (いつ)までもその中 (なか)に住む (すむ)であろう。そこで涼しさ (すずしさ)も味わえず (あじわえず),(どんな)飲める (のめる)味 (あじ)の飲物 (のみもの)もない,煮えたぎる (にえたぎる)湯 (ゆ)と膿 (うみ)の外 (ほか)には。(これはかれらのため)ふさわしい報奨 (ほうしょう)である。誠 (まこと)にかれらは,(自分 (じぶん)の行い (おこない)に対する (たいする))清算 (せいさん)されるだろうと思って (おもって)もなかった。またかれらは、われから啓示 (けいじ)されたものは嘘 (うそ)であると言った (いった)、またそれを強く (つよく)拒否 (きょひ)した。われは一切 (いっさい)のこと,(人間 (にんげん)のすべての行い (おこない)の)ひとつひとつのことが全部あわせて、またそれを数えて (かぞえて)天 (てん)の書 (しょ)に記録 (きろく)しているのである。だからあなたがたは(自分 (じぶん)の行い (おこない)の結果 (けっか)を)味わえ (あじわえ)。われは懲罰 (ちょうばつ)以外に増加 (ぞうか)するのはなんでもないのである。」

 その後も同じテーマが、第31から終わりの第40まである。

[31-37]: 誠 (まこと)に主 (しゅ)を畏れる (おそれる)者 (もの)には,成功者 (せいこうしゃ)としての住居 (じゅうきょ)の場

اِنَّ لِلْمُتَّقِيْنَ مَفَازًا۳۱ۙ حَدَاۗىِٕقَ وَاَعْنَابًا۳۲ۙ وَّكَوَاعِبَ اَتْرَابًا۳۳ۙ

وَّكَاْسًا دِہَاقًا۳۴ۭ لَا يَسْمَعُوْنَ فِيْہَا لَغْوًا وَّلَا كِذّٰبًا۳۵ۚ جَزَاۗءً مِّنْ رَّبِّكَ عَطَاۗءً حِسَابًا۳۶ۙ رَّبِّ السَّمٰوٰتِ وَالْاَرْضِ وَمَا بَيْنَہُمَا الرَّحْمٰنِ لَا يَمْلِكُوْنَ مِنْہُ خِطَابًا۳۷ۚ

所(楽園 (らくえん))がある。緑 (みどり)の園や,ブドウ (ぶどう)園 (えん)と同じ (おなじ)年頃 (としごろ)の乙女 (おとめ)たち,またなみなみと容量 (ようりょう)までいっぱい溢れて (あふれて)いる(酒 (さけ)や美味 (おい)し飲み物 (のみもの)の)コップ (こっぷ)。そこでは嫌 (いや)な話やつまらぬ話 (はなし)や偽り (いつわり)の話 (はなし)を聞かない (きかない)。これらはあなたの主 (しゅ)からの報奨 (ほうしょう),賜物 (たまもの)の決算 (けっさん)である。天 (てん)と地 (ち),そしてその間 (あいだ)の全てのものの主 (しゅ),慈悲 (じひ)深き (ふかき)御方 (おかた)(からの賜物 (たまもの)であり),誰 (だれ)もかれに語りかける (かたりかける)ことは出来ない (できない)。

[38-39]:  聖霊 (せいれい)と天使 (てんし)たちが,整列 (せいれつ)して立つ (たつ)(審判 (しんぱん)の)日 (ひ),

يَوْمَ يَقُوْمُ الرُّوْحُ وَالْمَلٰۗىِٕكَۃُ صَفًّا۰ۭۤۙ لَّا يَتَكَلَّمُوْنَ اِلَّا مَنْ اَذِنَ لَہُ الرَّحْمٰنُ وَقَالَ صَوَابًا۳۸ ذٰلِكَ الْيَوْمُ الْحَقُّ۰ۚ فَمَنْ شَاۗءَ اتَّخَذَ اِلٰى رَبِّہٖ مَاٰبًا۳۹

慈悲 (じひ)深き (ふかき)御方 (おかた)からの許可 (きょか)がない限り (かぎり)誰 (だれ)も何 (なに)も語る (かたる)ことが出来ない (できない)のです。(許可 (きょか)が