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1 横浜市立大学エクステンション講座 ヨーロッパ史における戦争と平和 第1回(9/24) 「19 世紀末におけるユダヤ人問題」 横浜市立大学名誉授 松井道 第1章 ユダヤ人とは何か (1)わが国におけるユダヤ人問題への関心 (2)ヨーロッパ人とユダヤ人 第2章 ユダヤ人に対する誤解 (1)ユダヤ人は同化をいっさいしなかったのではない (2)ディアスポラ(離)はユダヤ戦争以前に始まる (3)ユダヤ人は根っからの商人または高利貸ではない (4)キリストの拡大があってユダヤ人憎悪が始まったのではない (5)十字軍の宗熱がユダヤ人ゲットーを生んだのではない 第3章 高利貸とユダヤ人 (1)キリストとユダヤの関係 (2)ヨーロッパ社会におけるユダヤ人のイメージ (3)キリストと高利貸 (4)職業の貴賤 第4章 世紀末のユダヤ人 (1)中世都市の「のけ者」ユダヤ人 (2)十字軍遠征=迫害の開始 (3)ドイツとスペインでの迫害 (4)ユダヤ人の東ヨーロッパからの還流 (5)19 世紀における「ユダヤ人問題」の発生 第5章 ドレフュス事件の背景 (1)ユダヤ人憎悪と反ユダヤ主義とは異なる (2)フランスのロチルド(ロスチャイルド)家 (3)ユダヤ人同士の対立とドレフュス事件 第6章 ドイツのホロコースト (1)ドイツの反ユダヤ主義は第一次大戦後に本格化 (2)ヒトラーの登場

第1回( 9/24) 「19 世紀末 における ユダヤ人問題」linzamaori.sakura.ne.jp › watari › reference › 1jewR.pdf* BC5世紀のエズラとネヘ ミアの3つの攜革:

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横浜市立大学エクステンション講座 ヨーロッパ史における戦争と平和

第1回(9/24) 「19 世紀末におけるユダヤ人問題」

横浜市立大学名誉教授 松井道昭

第1章 ユダヤ人とは何か

(1)わが国におけるユダヤ人問題への関心

(2)ヨーロッパ人とユダヤ人

第2章 ユダヤ人に対する誤解

(1)ユダヤ人は同化をいっさいしなかったのではない

(2)ディアスポラ(離散)はユダヤ戦争以前に始まる

(3)ユダヤ人は根っからの商人または高利貸ではない

(4)キリスト教の拡大があってユダヤ人憎悪が始まったのではない

(5)十字軍の宗教熱がユダヤ人ゲットーを生んだのではない

第3章 高利貸とユダヤ人

(1)キリスト教とユダヤ教の関係

(2)ヨーロッパ社会におけるユダヤ人のイメージ

(3)キリスト教と高利貸

(4)職業の貴賤

第4章 世紀末のユダヤ人

(1)中世都市の「のけ者」ユダヤ人

(2)十字軍遠征=迫害の開始

(3)ドイツとスペインでの迫害

(4)ユダヤ人の東ヨーロッパからの還流

(5)19世紀における「ユダヤ人問題」の発生

第5章 ドレフュス事件の背景

(1)ユダヤ人憎悪と反ユダヤ主義とは異なる

(2)フランスのロチルド(ロスチャイルド)家

(3)ユダヤ人同士の対立とドレフュス事件

第6章 ドイツのホロコースト

(1)ドイツの反ユダヤ主義は第一次大戦後に本格化

(2)ヒトラーの登場

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(3)ヒトラーの反ユダヤ思想

(4)ワイマール体制はナチズム宣伝に好餌を提供

(5)ユダヤ社会の分裂

(6)ホロコースト

第1章 ユダヤ人とは何か

(1)わが国におけるユダヤ人問題への関心

20 年前(1995 年 1月)に生じた『マルコポーロ』筆禍事件はわが国におけるユダ

ヤ人問題への関心を象徴的に示している。

A.ユダヤ迫害の歴史は決して風化していない現実

B.ユダヤ社会の反応の素早さ

C.日本人のユダヤ人問題に対する無知

D.言論界の商業主義

E.一度も言論戦が展開されることなく、全面撤収の決着

【わが国におけるユダヤ人問題への関心】

① パレスチナ紛争

② ホロコースト

③ 永遠の国際的孤児

④ 傑出した大学者の輩出

⑤ 大富豪

⑥ 日本人とユダヤ人の比較

いわゆる「ユダヤ人問題」と直接的な関わりをもたないわが国では、それは知識

世界のものにとどまっている傾向がある。

(2)ヨーロッパ人とユダヤ人

古来、長期に亘ってユダヤ人問題に直面にしてきたヨーロッパ人がユダヤ人問題

にふれるとき、ちょうど日本人が戦争責任、靖国問題、部落差別問題を問われた場合

と同じく、微妙な感情的余韻が残り、周囲に波紋をひろげる。

ヨーロッパ人がユダヤ差別の原因を挙げるとき、決まって「高利貸し」、そしてキ

リスト教とユダヤ教の対立である。この2つはユダヤ人問題を取りあげるとき、避け

て通れないテーマである。

第2章 ユダヤ人に対する誤解

巷間でユダヤの「奇跡」がささやかれる。すなわち、「自らの信仰の神聖な遺産を

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守るために、迫害と拷問をものともせず、何百年何千年にも亘って自分たちの宗教と

民族性を一貫して示してきた」と。

これについてはユダヤ人賛美の立場からのものと、反ユダヤ主義の立場から出さ

れるものとの2つに分かれる。だが、両者に共通する誤解がある。

第一の誤解:ユダヤ人は周辺社会に同化しなかった

第二の誤解:ユダヤ人はユダヤ戦争後、世界中に離散した

第三の誤解:ユダヤ人は根っからの商人、高利貸である

第四の誤解:キリスト教の拡大があってユダヤ人憎悪が生まれた

第五の誤解:十字軍の宗教熱がユダヤ人ゲットーを生んだ

(1)ユダヤ人は同化をいっさいしなかったのではない

ユダヤ的特質は各時代を通じて変化し、何度か消滅の危険に晒されてきたのであ

る。ユダヤ人で周辺の文明に同化してしまったものもかなりあるだろう。

ユダヤ人非同化説が消えない所以は、ユダヤ教がユダヤ人の非ユダヤ人との結婚

を禁止してきたからである。

* BC5世紀のエズラとネヘミアの3つの改革:

① 異教徒との結婚の禁止

② 民族主義の重視

③ 聖書の聖典化

(2)ディアスポラ(離散)はユダヤ戦争以前に始まる

ユダヤ人はバビロニア捕囚(BC 586)のときから散りはじめていたし、この捕囚

事件で全部が全部、故地を離れたのではないし、また、捕囚から帰還したとき、一人

残らずパレスチナに帰ったわけではない。ユダヤ人の平和的移住はずっと以前からあ

り、パレスチナはむしろユダヤ人全体からすると少数派の居住地であった。(AD 70 エ

ジプト、シリア、アナトリア、メソポタミアで 4分の 3)

(3)ユダヤ人は根っからの商人または高利貸ではなかった

十字軍遠征(1096~1270)以後の西ヨーロッパにおいてユダヤ人の特徴が尾を引

いて、それ以前の特徴とされることになった。古代のユダヤ人はパレスチナでも離散

先でも商業だけに専念したのではなかった。

* ローマ時代のエジプトにおけるユダヤ人の職業分布:「彼らは乞食、魔法使い、

行商人、芸人、あらゆる種類の商人、古物商、高利貸、銀行業、徴税請負人、

小作人、労働者、船乗りであった。要するに、生活費を稼ぎ出せると思われる

職業で彼らが従事しなかった職業は何一つない。」

* 農業従事者も多数いた

だが、ユダヤ人の故地パレスチナははるか昔から交易の十字路に当たり、そうし

た地理的条件がユダヤ人の国外への移住、彼らの商人としての特性を育てるのに有利

に作用したのはまちがいない。11世紀以前の西ヨーロッパでもユダヤ人はそこに住む

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非ユダヤ人とほとんど変わりない職業に従事しつつ、原地民と混住していた。イスラ

ム圏でも同様で、ユダヤ人はその宗教によってのみ区別された。

東ローマ帝国内では十字軍以降もずっと古代のユダヤの特徴が維持され、ユダヤ

人はさまざまの職業についていた。

(4)キリスト教拡大があってユダヤ人憎悪が始まったのではない

反ユダヤ主義はキリスト教とは無関係に始まった。ユダヤ教の選民思想と雑婚禁止

が、ユダヤ人と接触するあらゆる民族の彼らに対する敵視の原因となった。ギリシア

時代、ヘレニズム時代、ローマ時代でもそうであった。

もう一つの要因は、農業が基本である古代社会において、農業社会が商業活動に

対して示す反感に由来している(cf. 徳川時代の農本主義)。キリスト教はユダヤ教の

異端のエッセネ派から分かれて出たものであり、同派が元々もっていた農本主義思想

を継承。 その思想は、農業を基本とする古代・中世社会にうまく適合した。ユダヤ人

農業は中世ヨーロッパの農奴制とは異なり、自営が基礎であり、そのためにキリスト

教はユダヤ人が創始した宗教でありながら、最初の4世紀間は、他の民族ほどにユダ

ヤ人の信者を見つけることができなかった。

(5)十字軍の宗教熱がユダヤ人ゲットー(Ghetto) を生んだのではない

十字軍遠征に代表されるようなキリスト教の熱狂とユダヤ人の高利貸業への特化、

そして、ゲットーへの強制隔離とのあいだに直接的な因果関係はない。高利貸しはず

っと以前からあり、ゲットーは十字軍よりずっと後にできた居場所である。

ゲットーはイタリアのヴェネチアで始まったが(1516 年)、このイタリアはローマ

帝国下もその後もユダヤ人を保護しつづけてきた。一方、ゲットーはユダヤの敵の侵

入を防ぎ、民族的団結と文化保存の役割も果たしてきた。

十字軍遠征後、東ローマ帝国内のユダヤ人は高利貸に特化せず、ずっと(17世紀

まで)商人や仲買人でありつづけ、地盤を強化しつつあった。東ヨーロッパのユダヤ

人は奴隷取引や貨幣鋳造に従事した。

第3章 高利貸とユダヤ人

(1)キリスト教とユダヤ教の関係

キリスト教がユダヤ教から枝別れした信仰であっても、双方ともに相互の姻戚関

係を否認し、己れの特異性を主張してきた。

1947 年春、いわゆる「死海文書」が発見され、キリスト教がユダヤ教の異端エッ

セネ派から由来することが明らかになった。祭司制度、「義の師」とイエス、奇跡の復

活、メシア、徳目(貞節・改悛・謙遜・窮乏)などの点で両者が酷似していることが

実証された。

現在なおキリスト教とユダヤ教のあいだには、教会・聖典戒律・教会学校・聖職

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者・聖地信仰・唯一神信仰などの点で共通性がある。

唯一神はユダヤ教、キリスト教、イスラム教以外には見られない強力な神であり、

自然崇拝の否定、精神的な革命として出発したところに特徴がある。多神から唯一神

へ行くことは単なる算術的な問題ではなく、宇宙の根本的調和と道徳的目的達成の肯

定につながる質的な転換を含んでいる。唯一神信仰は排他性をもつが、ユダヤ教はキ

リスト教とは異なり、他神の信仰者を強制的に改宗させようとしなかった。

ユダヤ教は、戒律の点でキリスト教より厳しく、キリスト教の来世主義に対して

現世主義の立場、聖俗不離一体制、民族宗教という点で特異性をもつ。とくに最後の

民族宗教という特徴がユダヤ教の普及を妨げた。

(2)ヨーロッパ社会におけるユダヤ人のイメージ

ユダヤ人はヨーロッパにおいていつの時代も憎しみの世界を背負って歩きまわっ

ていた。天災や大事件が起こるたびに責任はユダヤ人になすりつけられた。それは物

事の発生に個人の責任を説くキリスト教の教えと無関係ではない。

ユダヤ人に対するイメージは「豚」「高利貸」「風呂屋」「買占人」「ユダヤ人の天

秤」「宮廷ユダヤ人」「ユダヤ人傭兵」「鉤鼻」などであり、しばしばカリカチュア化(漫

画化)された。

「豚」………………… 聖なる動物、貪欲な存在

「高利貸」…………… 情け知らずの悪魔、冷酷な圧迫者

「風呂屋」…………… 床屋と外科医、売春宿、いかなる破廉恥なサービスも提供

「買占人」…………… 穀物取引、価格操作

「ユダヤ人の天秤」… 王の命令で貨幣改鋳

「宮廷ユダヤ人」…… 王の財政顧問(金庫奴隷)、徴税請負

「ユダヤ人傭兵」…… 兵役忌避、敵前逃亡

「鉤鼻」……………… 強情・卑劣・強欲・陰険・狡猾・好色

(3)キリスト教と高利貸

キリスト教徒のユダヤ人嫌いは経済的な行為をめぐる価値観の相違に由来する。

高利貸しはキリスト教が厳禁してきた活動であり、それの経済的必要性と禁忌(タブ

ー)の隙間を埋めたのがユダヤ人であった。

中世の人々は判断に困るような事象に出くわすたびに聖書に相談した。聖書は他

の事柄については弾力的で寛容な判断をしたが、事高利貸し(ウスラ usura)に関して

だけは疑問の余地なく「禁止」をうたった。

(イ) 『出エジプト記』第 22章・第 24章):「あなたが同胞に、あなたのもとにいる

貧しい者に金を貸す場合、彼に対して高利貸のようにふるまってはならない。彼か

ら利子を取ってはならない。

(ロ) 『レビ記』第 25章・第 35-37章):「あなたと共にある兄弟が困窮し、あなた

に頼らねばならない身となったときは、異邦人や滞在客を助けるように、その人を

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助け、共に生活させなければならない。労を強いても利子を取ってもならない。あ

なたの神を恐れ、あなたの兄弟をあなたと共に暮らさせなければならない。利を引

き出そうとして金を貸してはならず、得を取ろうとして食料を与えてはならない。」

(ハ) 『申命記』第 20章・第 23章):「金であれ、食料であれ、また、利子の取れる

どんなものでも、あなたの兄弟に利子を付けて貸してはならない。異邦人に利子を

付けて貸してもよいが、あなたの兄弟に貸すときには利子を取ってはならない。」

(ニ) 『詩篇』第 15章):「主よ、あなたの幕屋に宿り、あなたの聖なる山に住まう人

は誰ですか。それは完徳の道を歩み、金を貸して利子を取らない人です。」

(ホ) 『ルカ伝』第 6章・第 34章・第 35章):「返しを期待して貸したとて、どんな

感謝が得られようか。罪人でさえ、同じ値打ちのものを返してもらおうとして、罪

人に貸すのである。だが、あなたがたはあなたがたの敵を愛し、善を行い、返しに

何も期待せず貸しなさい。」

ユダヤ教徒はキリスト教徒を異教徒とみなし、ユダヤ人がキリスト教徒に高利貸

し行為をしても正当化した。一方、キリスト教徒のほうはユダヤ教徒を異教徒と扱う

ことなく、ユダヤ人による高利貸しを信仰上の重大侵犯とみなした。

なぜ高利貸し行為はいけないのか ―― ウスラは石女(うまずめ)であるはずな

のに、時間の経過でもって利を得ることは本来、神の所有物としての「時間」を人間

が盗奪することを意味した。

(4)職業の貴賤

キリスト教は別の倫理観「七つの大罪」(遊蕩・色欲・貪欲・大食・傲慢・怠惰・

盗奪)を挙げる。ここから、それぞれ風呂屋・売春・商人・料理人・騎士・乞食・泥

棒が嫌われることになった。そうした蔑視と必要の隙間を埋めたのがほかならぬユダ

ヤ人である。なかでも高利貸は最悪の職業であった。なぜなら、それが「七つの大罪」

の要素の全部を含むからである。

ユダヤ人が高利貸に特化したについては別の事情も作用している。ユダヤ人には

土地所有が認められず、農業から締め出されたし、ギルド加入が認められなかったこ

とから、手工業からも締め出されたのである。ユダヤ人が奴隷取引に手を染めたのは、

西ヨーロッパとオリエントの交易で前者が赤字貿易であり、この差を埋めるために北

欧のスラブ人が奴隷として売却される必要があったからである。“slave ”なる語源は

このスラブに由来する。キリスト教徒はキリスト教徒の奴隷は所有できず、イスラム

世界でもイスラム教徒の奴隷は禁止されていた。ゆえに、両世界に住むユダヤ人しか

奴隷取引を媒介する者がいなかったのである。

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第4章 世紀末のユダヤ人

(1)中世都市の「のけ者」ユダヤ人

西ヨーロッパの全体的経済発展は国際貿易と地方的取引を共に発展させ、かくて

キリスト教徒の商人が登場した。彼らはユダヤ商人を排除するようになる。ギルドか

ら排除され、市民的自由ももたないユダヤ人は国王または領主の金庫番となるか、都

市を離れて国外に脱出するしかなかった。

(2)十字軍遠征=迫害の開始

キリスト教徒の十字軍は理念的にはイスラム教徒に対する聖戦であったが、それ

に先だち、ユダヤ人が血祭りに挙げられるのが慣例となった。迫害はライン河畔の町

で始まった(メッス、マインツ、シュパイエル、ヴォルムスなど)。

キリスト教は内部の異端(フス派とアルビジョワ派)との戦いもくり返していた。

カトリックにとっては異教徒よりも異端のほうを警戒した。1179 年の第3回ラテラノ

公会議はユダヤ人に対する全面的な攻撃を開始する。ユダヤ人はキリスト教徒を雇う

のは禁止され、キリスト教徒と同居することも禁止され、外出の際にバッジをつける

よう強制された。

14 世紀半ばに猛威をふるったペスト禍がユダヤ人の立場をさらに悪化させた。

高利貸しに代わって両替・振替・送金・為替手形など新手の金融手段が発明され、

ユダヤ人の金貸業を脅かした。コンメンダ制、コンパーニャ制、株式会社の登場も。

13 世紀になると、遅れてイギリスでもフランスでも迫害が始まる。

(3)スペインでの迫害

ドイツでは英仏におけるような中央集権体制が欠けており、ユダヤ人迫害の実行

部隊が弱かった。よって迫害は散発的なものに終わり、15世紀まではユダヤ人はドイ

ツから消滅することはなかった。

フス派の反乱(15世紀初)をきっかけとして、ここでもユダヤ人弾圧が始まり、

ベーメン、ウィーンにおいて虐殺事件が横行したのち、ユダヤ人はモラヴィア、ポー

ランド、リトアニアなど旧スラブ人居住地へ移動。16世紀のドイツではフランクフル

トだけがユダヤ人の住む地域として残った。

迫害が徹底的、系統的におこなわれたのはイベリア半島である。ここはキリスト

教徒とイスラム教徒が対立する最前線であり、13世紀にレコンキスタ(国土回復運動)

が成功し、キリスト教徒が優位に立つや、余勢をかってユダヤ人迫害が強まった。

スペインでのユダヤ人迫害の特徴は追放ではなく、集団的強制改宗を伴ったとこ

ろにある。これは偽装改宗を生み、問題を後送りにした。1492 年のスペイン帝国のも

とで決行された追放はユダヤ人に対し西北欧へ、東欧への流浪を促す。

(4)ユダヤ人の東ヨーロッパからの還流

15・16 世紀におけるユダヤ人の東漸の直接的契機は迫害だが、その根はもっと深

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いところにある。ユダヤ人は封建社会における例外的な商品経済体制に適合し、彼ら

が相手にしたのは王侯や貴族であり、キリスト教徒が嫌っていた高利貸、奴隷売買、

徴税請負をおこない、いわば“隙間経済”を補ったのだ。その地でもやがて資本主義

が本格的に発展するに伴い、“用ずみ”となった彼らは、さらに経済的に後れた地域を

求め移動せざるをえなかった(ロシア領への浸透)。

17 世紀になると、東へ東への流れは滞留し、暫くすると反転する。ポーランドの

内乱により国王権力が弱体化すると、最大の保護者たる王がいなくなり、ユダヤ人は

高利貸および徴税請負人として直接的に庶民と接するようになる。このことが庶民と

ユダヤ人の摩擦をいっそう深める因となった。

1648 年、コサックの大反乱はユダヤ人虐殺を伴った。その前に成立していたロシ

ア・ロマノフ朝はユダヤ人の居住を禁止した。かくて東漸を止められたユダヤ人は西

方に移動するか、職業を変えるかのどちらか一つを選ばなくてはならなくなった。

(5)19世紀おけるユダヤ人問題の発生

1818 年のロシアの人口調査によるユダヤ人の職業構成

商人 手工業者 農民

ウクライナ…………………86.5 % 12.1 % 1.4 %

リトアニア&白ロシア……86.6 % 10.8 % 2.6 %

ユダヤ人の職業構成は 19世紀になっても、やや手工業者の比重が強まりつつある

とはいえ、依然として従来型(商人・職人が多い)のままである。これは、ロシアに

おいては圧倒的に農民が多いことと著しい対照をなしている。

* ナポレオンのロシア遠征に従軍した軍人の旅行記:

「ユダヤ人は農民と領主の間の仲介役をやっていた。領主は彼らに宿屋に賃貸し

ていたが、それは自領内でつくられた酒類だけをその宿屋で販売するという条件付

きであった。ユダヤ人は農民に信用貸しを行い、彼らは高い利息を要求した。彼ら

はこの国のあらゆる商売に手を出し、また銀行家でもあった。」

* 1791 年、最初のユダヤ人の「居住許可地域」(シュテーテル)が指定された。1825

年のデカブリストの反乱の弾圧から始まるロシアの反動政治はユダヤ人「居住許可

地域」の圧縮と強制徴兵を伴った。

* 1861 年、ロシア皇帝アレクサンドル2世は農奴を解放するとともにユダヤ人の登

用を行い、帝政反対勢力をいたく刺激した。1881 年、皇帝の暗殺を機に大規模な

ポグロム(第一次ポグロム、略奪と虐殺)が始まった。

* 1882 年「5月法」:ユダヤ人の農村居住を全面禁止

* 1903~05 年:第二次ポグロムは5万人の犠牲者を出した

ロシアで始まったユダヤ人に対する類例なき迫害はユダヤ人の大量移動(西欧へ、

アメリカへ)を促した。東欧に残った者も転業を余儀なくされ、多くが製造業に転身

したが、それも仕立業、毛皮業、装飾業、家具業など、産業革命から取り残され、淘

汰されていく奢侈品産業であった。

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西ヨーロッパの諸都市はすでにユダヤ人で一杯であり、彼らは海を渡ってアメリ

カ合衆国特にニューヨークをめざした。同市は 1925 年に 500 万の人口のうち 175 万

を数えるほどになった。これをもじって‘Jew York’と言われた。

第5章 ドレフュス事件の背景

(1)ユダヤ人憎悪と反ユダヤ主義は異なる

1880 年代以降、伝統的な民族主義が‘nation’の根拠を自然(大地・人種・血統)

に求めるようになり、他者を激しく憎悪する傾向を帯びはじめる。

【ユダヤ人憎悪】 【反ユダヤ主義】

ユダヤ人への怖れ ユダヤ人への不安

ユダヤ人への憎しみ ユダヤ人への偏見

憎悪の動機は異教徒で明白 反感の動機が不明瞭(たとえば陰謀)

職業的賎業 人種的賎民

対策はユダヤ人を追放 対策はユダヤ人を絶滅

(2)フランスのロチルド(ロスチャイルド)家

フランス革命はユダヤ人解放を行い、市民権と財産権を与えた。これはユダヤ人

の同化を促した。もし東欧からの突然のユダヤ人大量流入がなければ、この同化はす

んなり完了した可能性が高い。

フランスに身を落ち着けたロートシルト5人兄弟の末弟ジェームズは鉄道事業・

国債引受・手形割引・保険事業で成功を納める。しかし、彼は投機事業と産業投資に

は絶対に手を出そうとはしなかった。彼は復古王政と七月王政を支えたが、二月革命

後は政権支持から身を引いた。

この事業を手がけたのは 新手のユダヤ人金融家で、ナポレオン3世の支持を受

けたペレール兄弟であったが。彼はロチルド家と激しく争う。

(2)ユダヤ人同士の対立とドレフュス事件

ロチルド家の最後の大仕事となった普仏戦争の後始末は、フランス側にとって講

話条件を緩やかにしたという点で功績があったにもかかわらず、「失敗」と決めつけら

れ、反ユダヤ主義に火を放つことになった。かくてロチルドは完全に政界から引退し、

政界への影響力もユダヤ人社会への統制力もともに失ってしまった。

同化の過程を歩んでいたロチルド家など原住のユダヤ人に代わって、新たに登場

した「成り上がり」ユダヤ人は「パナマ事件」に代表されるようなスキャンダルを惹

き起こし、反ユダヤ主義の火に油を注ぐ結果になった。80年代の運動はここに原因が

ある。

*アンドレ・フーコ著『ドレフュス事件の新しい様相』:

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「彼ら(成り上がりのユダヤ人)はパリのユダヤ人富豪の目にはナショナリストの

固苦しさ、成り上がりの同僚に対する上流人のよそよそしい態度の権化であった。

フランス古来の風習に絶対的に従い、フランス人の旧家と親しくしながら暮らし、

最も栄誉ある官職につきたいという彼らの意志、いかがわしい取引をするユダヤ人

や最近帰化したばかりのガリチアのポーランド系ユダヤ人に対して彼らの公然た

る侮辱のため、彼らはほとんど人種を裏切った者のように見えた。1894 年のドレ

フュスだって? いや、彼は反ユダヤ主義者だったのだ。」

フランス人はユダヤ人の脅威を覚え、原住のユダヤ人は新来のユダヤ人を軽蔑す

る。ユダヤ人がすでに分裂していたなかで新来のユダヤ人の一派が同化の証しとして

軍の中での同権を要求したときのフランスで、それまでは眠っていた反ユダヤ主義の

断固たる政治的意志と衝突したのである。その典型がドレフュス事件である。

第6章 ドイツのホロコーストへ

(1)ドイツの反ユダヤ主義は第一次大戦後に本格化

「シオンの長老たちのプロトコール議定書」(偽文書、1905 年)が現代版反ユダヤ

主義の原点である。ユダヤ人は世界制覇を狙っており、全世界に組織網を張りめぐら

しつつあるというもの。それを“証明する”事件が第一次大戦におけるドイツの敗北

とロシア革命の勝利であった。

1918 年 11 月の休戦協定はドイツの勝利を意味するはずだったが、いつの間にか敗

北にされた(→“背後からの匕首”理論)

1917 年のロシア革命はユダヤ人の仕業とされた。これは「プロトコール」の実現、

この神話はナチスが政権に就く前からドイツ世論一般に染みわたっていた。

1919 年のコミンテルン樹立 → ドイツに革命騒乱(カップ一揆、バイエルン蜂起)

大戦中、軍事産業維持のため東欧からユダヤ人が強制移住させられて労働力となっ

たが、戦後に帰還せず。加えて東欧から難民もドイツに押し寄せる。

ヴェルサイユ条約はドイツの巨額の賠償金、国土縮小、ドイツ人の強制的分断、

ドイツの主権の制限を課した → 怨念。

民主的なワイマール憲法は反共和派、反自由主義派、国粋派の目の仇にされたが、

この憲法を起草したのがユダヤ人内務相フーゴー・プロイス。

復興大臣ヴァルター・ラーテナウはユダヤ人で、ソ連との間に秘密条約(ラッパ

ロ条約、1922.4)を締結 → 暗殺される。

(2)ヒトラーの登場

ドイツにおける反ユダヤ主義を考えるとき、ヒトラーを抜きにしては考えられな

い。彼の思想に独創性は認められないが、実行には天才的閃きがある。

① 弱小社会主義政党と旧軍人団体を結合

② 合法活動と非合法活動(SA)の結合

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③ 敗北の責任者を求める世論に応え、暴力で解決する手法。

ヒトラーはいつから反ユダヤ主義に染まったか? ― 彼はリンツ生まれのオー

ストリア人。20才でウィーンに出奔。彼自身はウィーンに出て反ユダヤ主義に投じた

と言う(『わが闘争』)が、幼少時から官吏の父の影響を受けていた。

「もし戦争中、あらゆる階層出身者から成る優秀なわが労働者諸君が前線で辛酸

を嘗めているとき、1万2千から1万5千の不潔なユダヤ人が毒ガスで処理できて

いれば、何百万もの人が戦争の辛酸を嘗めたという経験も無駄に成らなかったはず

だ。」(『わが闘争』より)

(3)ヒトラーの反ユダヤ思想

ヒトラーの反ユダヤ主義に独創的要素は認められない。古来の伝統的特徴を継承

するとともに、世紀末の反ユダヤ主義の新たな装いも採りいれる。

* 伝統的要素 … 豚、悪魔の使い、守銭奴、利己主義、裏切り

* 世紀末要素 … 人種理論 ― ダーウィンの『種の起源』(1859 年)による適者

生存と淘汰の理論は当時の世論にショックを与えた。この理論は人間社会にも

適用されて人種理論と社会的淘汰説を生み出した。優等人種と劣等人種、ゲル

マン人=最優等人種 vs ユダヤ人=最劣等人種

* ユダヤ人の汚辱 … 性的強迫観念(「悪しき遺伝子がドイツ人を汚す」)→ 残酷

な殺戮を合理化、“東方ユダヤ人(Ostjuden)”「肌が浅黒く、劣等な人種」

(4)ワイマール体制はナチズム宣伝に好餌を提供

ワイマール期の反ユダヤ主義はマスコミの犯罪であり、これは世紀末のフランス

におけるドレフュス事件当時のマスコミ犯罪に酷似している。

ワイマール体制はドイツ史上類例なき自由主義体制であったが、やがて行き詰ま

りを見せはじめるとともに、反ユダヤ主義の出版物は後の物理的迫害の前兆となる。

反ユダヤ主義のプロパガンダの横行。… たとえば日刊紙『突撃』(Der Sturmer)の発

行数:13,000 部(1927 年)→ 450,000 部(1933 年)

空前のインフレ(1923 年)はマスコミにより“ユダヤ人の仕業”とされた。

(5)ユダヤ社会の分裂

脅威が現実的なものに変わりつつあるなかでユダヤ人社会は分裂しており、無防

備状態になっていた。

① シオニスト社会主義者 … パレスチナに祖国を再建することに奔走。

② コミンテルン同調者 … ユダヤ人解放は革命に拠るしかないと考える。

③ 自由主義者 … ワイマール体制賛美、ユダヤ人解放は同化に拠るしかないと考

えた。左右両翼を攻撃する彼ら自由主義者はドイツの英雄ヒンデンブルクやル

ーデンドルフまでも一刀両断に斬り捨て、ドイツ人の矜持を踏みにじる。

(6)ホロコースト

「ホロコースト」(Holocaust)はユダヤ教の儀式における「犠牲の獣の丸焼き」

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という意。よってユダヤ人に対して「ホロコースト」は揶揄として映る。

1925 年のドイツのユダヤ人は 56万人であったが、1933 年のドイツに残っていた

ユダヤ人は 23万人にすぎない。よって、ホロコーストの犠牲になったユダヤ人総数 300

万人は、第二次大戦勃発後にドイツ軍の侵入でドイツ版図に組み入れられた東欧のユ

ダヤ人ということになる。

要 約

(1) ユダヤ人社会は強固な団結を誇った。ユダヤ民族は他の民族(たとえばフェニキ

ア人やケルト人)と同じく消滅してしまう可能性もあったが、教理上の特殊性(選民

意識と通婚禁止)により同化が進まなかった。ユダヤ人が絶えず迫害を受けた原因を

尋ねれば、彼らが周辺社会から自らを隔離して共同体に閉じこもったからである。

(2) ユダヤ人への憎悪はキリスト教の成立以前からあり、彼らの選民意識や孤立主義

のほか、古代・中世の農業中心社会に根強い反商業主義も作用している。

(3) ヨーロッパ社会で、ユダヤ人が高利貸と同一視され嫌われたのは、金貸し行為が

キリスト教の教理と衝突し、キリスト教徒がこれに手出しするのを禁止されていたか

らである。キリスト教徒は職業に対する貴賤意識をもっていた。ユダヤ人がこの必要

と禁忌の隙間を埋めることになった。これがユダヤ人憎悪に拍車をかけた。商業活動

が盛んになり、貨幣需要が大きくなるにつれ、キリスト教徒の中からも高利貸が出現。

彼らはローマ教会から睨まれるのを懼れ、ユダヤ人を身代わりとして差し出した。

(4) 西欧でユダヤ人の迫害が始まるのは十字軍遠征後である。十字軍遠征はイスラム

教徒に対するキリスト教徒の聖戦であるが、ユダヤ人は西ヨーロッパ社会における異

教徒であるため、キリスト教徒の敵=イスラム教徒の内通者と見なされた。だが。西

欧で迫害が続いているあいだも、イタリアや東欧ではユダヤ人は暫く安泰であった。

(5) 16 世紀に入ると本格的な迫害が始まる。16世紀は、全ヨーロッパ(東欧を除く)

を巻き込む宗教戦争の時代でもあり、旧教徒と新教徒の激しい対立がユダヤ教徒にも

否定的な影響を与えた。まずスペインで生じた迫害はユダヤ人をポルトガル、イタリ

アへ脱出させたが、ここでも迫害が生じたため、ユダヤ人は再移動を余儀なくされる。

彼らはオランダ経由と地中海経由の二手に分かれて東欧に逃亡していく。

(6) 10 世紀来、ユダヤ人安住の地であった東欧で国王や領主の保護を受けつつ、主に

高利貸と徴税請負に就いていたユダヤ人は、ここでも領主制が崩れると次第に地歩を

失って行く。内乱や民族抗争が加わると、迫害を受けはじめる。特にロシア帝国の膨

張で東欧一帯がその支配下に入るようになると、迫害は本格化した。

(7) ユダヤ人社会は土着社会とは異なる独特な構成をもつ。土着社会の職業構成を就

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業人口順に並べると、農業→工業→商業(サービス)の順となるのに対し、ユダヤ人

の職業構成は商業→工業→農業という逆順になっていた。ユダヤ人は少数だったが、

大都市の指定された居住区に集住し、しかも富裕であって非常に目立つ存在であり、

住民からはつねに嫉視・軽蔑・猜疑の眼で眺められた。

(8) ナポレオンの大遠征によりフランス革命思想に感化された中・西欧の各地でユダ

ヤ人は相次いで解放され、市民権を与えられた。かくて、彼らは同化しはじめるが、

その反面、王侯や貴族の庇護を失い、財政官としての特権的立場を失った。

(9) ナポレオンのロシア遠征が頓挫すると(1812 年)、東欧のユダヤ人は同化どころ

か、追放の憂き目に遭う。かくて、ユダヤ人はUターンして西欧をめざす。東欧から

の大量のユダヤ難民は中・西欧の都市に溢れた。ウィーンがユダヤ人にとって最初の

避難場所となった。しかし、オリエント風の慣習をもった異邦人の突然の出現 ― 正

確にいうと再出現だが ― は西側の人々に不安と脅威を与えた。

一方、すでに同化の進みつつあったユダヤ人の側でこれら難民を受け入れるシス

テムは崩れており、同胞を保護するのは困難になっていた。時あたかもナショナリズ

ムの時代で、国際的なネットワークをもつユダヤ人は、敵国から送り込まれたスパイ

と見なされた。これが 1880 年代に始まる「反ユダヤ主義」の背景をなす。世紀末の

西欧のどの国でも経済が発展した結果、大量の社会的落伍者を輩出していた。落伍者

は憤懣を懐く。彼らにとってユダヤ人は格好のスケープゴートとなった。

(10) 世紀末の西欧を席巻した反ユダヤ主義は、ユダヤ人の世界支配という荒唐無稽

な観念に基礎を置き、それへの反撃という性格を帯びていく。ユダヤ人は他の民族と

異なり、つねに一家族のような共同体的構成をもち、血の絆によって結ばれていると

いう考え方が民衆のあいだに定着した。19 世紀の数十年に亘って大繁栄したロスチ

ャイルド家その典型と見なされた。この家族主義は精神的、宗教的、政治的な絆が消

滅に向かっている世紀末の西欧では極めて異質のものに映る。この反ユダヤ主義はそ

の政治的、イデオロギー的意味において 19世紀の現象である。

この反ユダヤ主義とユダヤ人憎悪とは異なる。従前のユダヤ人憎悪は経済的原因

によるものであり、政治的には彼らが排除されているため問題にならなかった。これ

に対し、19 世紀の反ユダヤ主義はユダヤ人が上層貴族階級の利害と結びつき、すで

に財政的に破綻していた貴族階級を助け旧権利の復活を企むと見なされた。かくて、

ブルジョアジーと民衆から敵意をかった。「ユダヤ人を片づけよう!そうすれば、貴

族階級は自ずと政治の表舞台から消えるだろう」という論理がまかりとおった。

(11) 19 世紀末を襲った仏・独の反ユダヤ主義は、いずれも敗戦後の復讐熱、社会主

義の脅威という社会的条件のもとで発生した点、その運動を担ったのが大衆であり、

煽動したのがマスコミであるという点においてよく似ている。違うのは、それらの要

素の社会的影響の深度、国民国家としての歴史的経験および民主主義の政治的経験の

長短に起因する振幅の度合い、解決方法の面である。

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ドイツの反ユダヤ主義は、ダーウィンの生存競争・淘汰説から着想を借りてきた

人種理論にもとづき、優等人種を劣等人種の「汚染」から守るという疑似科学的装い

をもつ。ユダヤ人はすでに中世の「豚」から「人間」への昇格を果たしたのだが、そ

れゆえに、生物学的汚染の根源と見なされた点で、中世におけるよりはるかに大きな

脅威と映り、ユダヤ人種の絶滅という残虐な手段を合理化するにいたった。

(c)Michiaki Matsui 2015