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1 第4章 ダークマター (谷口) 1. 概要 ダークマター(暗黒物質、dark matter)は質量を持つが、光や 電波などの電磁波をいっさい出さない物質のことである。電磁波で 観測されないことから、その正体は現在のところ不明のままになっ ている。なお、ダークマターのダーク(dark)は「暗い」というよ りは、「わからない」という意味で用いられる。したがって、スト レートに日本語に訳すと「わからない物質」ということになる。た だし、日本語としては「暗黒物質」という名称が一般的に用いられ ているが、本書では「ダークマター」を用いる。 ダークマターは現在の宇宙の質量密度の 23%を占めており、原 子物質(バリオン)の約5.5倍の質量密度にもなる。宇宙における 物質はダークマターとバリオンだが、ダークマターは物質世界の 85%を占めていることになる。これだけでも驚くべきことだが、宇 宙全体の質量密度という観点では、さらに奇妙な観測事実が得られ ている(図4−1)。 図4−1 宇宙の質量密度を占めるもの。(WMAP/NASA)

第4章 ダークマター (谷口)cosmos.phys.sci.ehime-u.ac.jp/~tani/BBALL/VER2/Chap-4...1 第4章 ダークマター (谷口) 1. 概要 ダークマター(暗黒物質、darkmatter)は質量を持つが、光や

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第 4 章 ダ ー ク マ タ ー ( 谷 口 )

1. 概 要

ダークマター(暗黒物質、dark matter)は質量を持つが、光や

電波などの電磁波をいっさい出さない物質のことである。電磁波で

観測されないことから、その正体は現在のところ不明のままになっ

ている。なお、ダークマターのダーク(dark)は「暗い」というよ

りは、「わからない」という意味で用いられる。したがって、スト

レートに日本語に訳すと「わからない物質」ということになる。た

だし、日本語としては「暗黒物質」という名称が一般的に用いられ

ているが、本書では「ダークマター」を用いる。

ダークマターは現在の宇宙の質量密度の 23%を占めており、原

子物質(バリオン)の約 5.5 倍の質量密度にもなる。宇宙における

物質はダークマターとバリオンだが、ダークマターは物質世界の

85%を占めていることになる。これだけでも驚くべきことだが、宇

宙全体の質量密度という観点では、さらに奇妙な観測事実が得られ

ている(図4−1)。

図 4 −1 宇 宙 の 質 量 密 度 を 占 め る も の 。 (WMAP/NASA)

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図4−1に示したように、宇宙の質量密度の約 3/4 は第 2 章で紹

介されたダークエネルギーで占められている。残りの約 1/4 は物質

が占めているが、その内の約 85%をダークマターが占めていると

いうことになる。私たちに馴染みのあるバリオンはたった 4%程度

しか質量密度に寄与していないのである。バリオン(baryon)の定義

は第 1 章で出てきたが、普通の物質世界を復習しておくために図4

−2を参照されたい。

図 4 −2 普 通 の 物 質 世 界 の 素 粒 子

現在観測される宇宙は、銀河(第 5 章)や宇宙の大規模構造(第

3 章)で美しく彩られている。これらの構造を宇宙年齢(137 億年)

の間に形成するには、バリオンだけでは不可能で、ダークマターの

助けが必須であることが理論的に分かっている。

実際、ビッグバン宇宙論による元素合成理論に基づくと、現在の

バリオンの密度パラメータはΩ b0 = 0.04 程度にしかならない [1−

15 節の式 (1.15.1)で h =0.7 を採用して得られる値]。Ω 0 〜 1 で

あることがわかっているので、バリオンの寄与はやはり 4%程度で

しかない。

以上のことから、宇宙における構造形成においてダークマターは

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極めて重要な役割を果たしてきていることがわかる。本章では太陽

系近傍、銀河系、銀河、銀河団などのさまざまな階層で調べられて

きているダークマターの観測的証拠を概観した後で、ダークマター

の候補として考えられている理論モデルを解説する。

2. ダ ー ク マ タ ー の 観 測 的 証 拠

ダークマターの存在を示唆する観測事実は、1930 年代に得られ

ていた。太陽系の近傍と銀河団という、全くスケールの異なる領域

で発見されたことは、ダークマターの普遍性を示唆しており意義深

いことであった。しかしながら、これらの発見からダークマターと

いう概念に昇華するまでは長い時間が必要だった。宇宙の基本的な

ユニットである銀河にダークマターが普遍的に存在することがわ

かってきた 1970 年代まで待つ必要があったからである。この節で

はさまざまな階層で見つかってきたダークマターの観測的証拠を

まとめる。

2- 1 太 陽 系 近 傍 と 銀 河 系

20 世紀初頭から天体の撮像観測のみならず、分光観測も軌道に

乗ってきたので、比較的明るく見える天体の性質を調べることがで

きるようになっていた。

太陽系近傍の星々の運動を調べていたオランダの天文学者であ

るオールト 1(J. H. Oort)は奇妙な事実に気がついた。太陽や太陽

の近傍の星々は銀河系の円盤の中にあり、銀河中心の周りを回って

いる。このとき、銀河円盤と垂直方向にも振れながら運動していく。

1 オールト (1900-1992)は以下の重要な研究もしたことで著名な天文学者

である。 (1)銀河系のハローに星が存在すること、 (2)銀河系はいて座方向

にある銀河系の中心の周りを回転している、(3)太陽系の彗星の起源が太陽

系の外縁部にある (オールトの雲 )、 (4)電波天文学の発展に貢献。 (2)の業

績で第 3 回京都賞を受賞した (1987 年 )。

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そのため、太陽系近傍の星々の銀河円盤に垂直な方向の運動の速度

分散を測定すれば、太陽系近傍における銀河円盤の力学的な質量密

度を求めることができる(ρ kin)。一方、太陽系近傍の星々の質量密

度(ρ sta r)は星の質量−光度比(mass-luminosity ratio)を用いて評

価することができる。その結果、オールトは以下の値を得た。

ρ kin = 0.092 M☉ pc- 3

ρ sta r = 0.038 M☉ pc- 3

この結果は、約 60%の物質は電磁波による観測では見えていない

ことを意味する。したがって、電磁波で観測されない質量が太陽に

あることになり、それを“失われた質量問題(missing mass problem)”

と呼ぶようになった。ちなみに、現在での観測値は以下のようにな

っている。

ρ kin = 0.18 M☉ pc- 3

ρ bar y o n = 0.11 M☉ pc- 3

ここでは、ρ sta r の代わりにバリオンの質量密度であるρ bar y o n が使

われているが、星だけでなくガスの寄与も含まれているためである。

約 40%の質量が未だに観測されておらず、“失われた質量問題”は

解決していない。しかし、これこそが太陽系近傍に存在するダーク

マターの証拠であると考えられるようになった。

2- 2 銀 河

円 盤 銀 河

銀河を取り巻くダークマター・ハローの存在が指摘されたのは

1970 年代になってからである。ルービン(V. C. Rubin)はアンド

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ロメダ銀河の円盤部がどのように回転しているかを調べた。銀河の

質量分布が中心に集中している傾向があれば、銀河円盤の外側では

ケプラー回転に近づき、回転速度 v r o t はr- 1 / 2 で減少していくこと

が予想された。ところが得られた回転曲線(rotation curve)は、

図4-3に示すように、銀河円盤の外側でも回転速度が減少するこ

とはなく、回転速度が円盤部全体にわたってほぼ同じ値であること

が わ か っ た 。 こ の よ う な 回 転 曲 線 を “ 平 坦 な 回 転 曲 線 (flat

rotation curve)”と呼ぶ。なお、この図で外縁部の回転曲線は星

ではなく、中性水素原子(H I ガス)の放射するスペクトル輝線で

観測されたものである。

なお、銀河系の回転曲線については第 6 章を参照されたい。

図 4 - 3 ル ー ビ ン と フ ォ ー ド (K.C.Jr. Ford) が 観 測 し た ア ン ド ロ メ ダ 銀 河

の 回 転 曲 線 (http://www.dtm.ciw.edu/users/rubin/)

アンドロメダ銀河で観測された平坦な回転曲線を説明するには、

銀河は見えない質量に支配されていることを示す。

質量分布が球対称であると仮定すると、回転速度は

v r o t( r)= √ GM (r)/r

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で与えられる。ここで G は万有引力定数、 M (r)は半径 r 内に含ま

れる質量である [なお、球対称でない場合は、球対称からのずれの

係数を f(r)とすると、質量分布は M (r)= f(r)r v r o t(r)2 /G で表

わせる。 f(r)は 1 のオーダーである。]。

v r o t( r)=一定の条件から、銀河の質量分布を半径 r の関数で表

すと、

M (r)∝ r

を得る。この関係を質量密度分布で表わせば、体積 V は半径 r と V

∝ r 3 という関係があるので、

ρ (r)= M (r)/V ∝ r - 2

となる。円盤銀河の表面輝度は半径が大きくなるにつれて、指数関

数的に減少する(第5章参照)。したがって、銀河円盤の質量−光度

比がおおむね一定であるとすれば、星やガスだけでは上記のような

質量分布を実現するだけの物質があるとは考えられない。そのため、

平坦な回転曲線は円盤銀河の周りに大量の見えない物質がある観

測的証拠として考えられるようになった。

その後、多数の円盤銀河の回転曲線が観測されたが、いずれもア

ンドロメダ銀河のように平坦な回転曲線を示すことがわかった(図

4−4)。したがって、銀河は普遍的に見えない物質(ダークマター)

に取り囲まれていることが認識されるに至った。

ここで、質量−光度比の観点からダークマターの量について見て

おくことにする。もし銀河に星しかないとすれば、銀河の質量−光

度比は含まれる星々の平均的な質量−光度比になる。近傍宇宙の銀

河は星質量の約10%がガスなので、ガスの質量の効果を入れると、

バリオンの質量−光度比が推定できる。

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図 4 - 4 近 傍 宇 宙 に あ る 円 盤 銀 河 の 回 転 曲 線

(Sofue & Rubin 2001, ARA&A, 39, 137 よ り 改 変 )

質量−光度比は太陽の質量−光度比である M☉ /L☉ を単位とする。主

系列星や巨星の質量−光度比は概ね 0.7-1.3 であり、白色矮星や中

性子星などでは 0.15‐ 0.6 程度である。ガスの寄与も入れると、太

陽近傍での値は 2-3 になる。実際、円盤銀河では約 3、楕円銀河

では約 10 になっている。楕円銀河で大きな値が得られるのは質量−

光度比の大きな低質量星が相対的に多いからである。しかし、ここ

での質量は星の総質量を使っていることに注意が必要である。本来

は力学的な質量を使うべきだからである。実際、円盤銀河の力学的

質量を中性水素原子ガスの運動から評価すると、質量−光度比は約

10 から 20 に跳ね上がる。つまり、星やガスでは賄えないような質

量を持つもの(ダークマター)が円盤銀河には存在するということ

を意味する。しかもダークマターの質量はバリオンの数倍は必要に

なる。

銀河の回転曲線の観測とは別に、1970 年代、理論的な考察から

も円盤銀河にはダークマターが必要であることが指摘されていた。

それは、銀河円盤の棒状構造不安定性に関するものである。オスト

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ライカー(J. P. Ostriker)とピーブルス(P. J. E. Peebles)はコン

ピュータによる重力多体系計算ができるようになったので、銀河円

盤の力学的安定性を調べてみた。その結果わかったことは、銀河円

盤は自己重力だけでは安定せず、棒渦巻構造を持つ銀河に進化して

しまうことであった(図4−5)。いったん棒渦巻構造が銀河円盤に

できると、棒渦巻構造を壊すメカニズムがないため、ずっとその構

造が残る。近傍宇宙にある円盤銀河のうち、約半数は棒渦巻構造を

持つが、残りの半数は普通の円盤銀河(渦巻銀河)である。そのた

め、銀河円盤を安定化させるメカニズムが必要であることが強く示

唆されることになった。

図 4- 5 オ ス ト ラ イ カ ー と ピ ー ブ ル ス に よ る 銀 河 円 盤 の 安 定 性 に 関 す る コ ン

ピ ュ ー タ ・ シ ミ ュ レ ー シ ョ ン 。 円 盤 が 棒 状 構 造 を 持 つ よ う に 進 化 し て い く 様

子 が わ か る 。 (Ostriker & Peebles 1973, ApJ, 186, 467 よ り 改 変 )

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銀河円盤を安定化するには、銀河のハローの重力ポテンシャルを

増やすことである。彼らは銀河円盤が安定であるための条件として

次の関係を得た。

力学的エネルギー/重力ポテンシャル < 0.14

これはオストライカー・ピーブルスの判定条件(Ostriker-Peebles

criterion)と呼ばれている。つまり、銀河円盤を安定させるために

は円盤の力学的エネルギーの 5 倍以上の重力ポテンシャルが必要

である。しかし、銀河のハロー領域にこのような重力ポテンシャル

を担うような物質があるようには観測されない。そのため、彼らの

研究はダークマターの必要性を示唆する重要な理論的研究として

評価されている。

楕 円 銀 河

楕円銀河内の星の運動は、円盤銀河のように回転運動しているの

ではなく、銀河の中をランダムな方向に軌道運動している。したが

って、楕円銀河の形状は星々の速度分散の異方性で支配されている

(第 5 章参照)。つまり、速度分散の大きな方向に延びた形状になる。

そのため、円盤銀河のように回転運動から楕円銀河の力学的質量を

評価することはできない。そのため、楕円銀河の力学的質量は、主

として以下に示すような方法で評価されてきている。

(1) コア・フィッティング法:円盤銀河のように回転曲線から

銀河の質量分布を評価することはできないが、楕円銀河の中心

領域の速度分散は容易に測定できる。もし、楕円銀河の中心領

域が等温球(isothermal sphere)であるとみなせれば、中心領域

の表面輝度分布と速度分散から楕円銀河の力学的質量を評価す

ることができる。

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(2) 楕円銀河に属する球状星団の運動:楕円銀河の周りにある

球状星団の運動を調べ、力学的質量を評価する。(1)の方法に比

べると、より直接的に楕円銀河の質量を評価できる。しかし、

球状星団の軌道要素は視線速度しか測定できないため、正確に

は評価できない。一つの楕円銀河に対して多数の球状星団が観

測されていれば、統計的に質量測定の不定性を減らすことはで

きる。球状星団は楕円銀河本体に比べて非常に暗いので、この

方法が適用できる楕円銀河は近傍宇宙にあるものに限られる。

(3) X 線ハローの観測:楕円銀河の周りにある高温(~107 K)

プラズマの放射する X 線の強度分布から、電離水素ガスの密度

と温度分布を調べることができる。静水圧平衡を仮定すれば楕

円銀河の質量分布及び力学的質量を評価することができる。

これらの観測から楕円銀河の質量−光度比は約 10‐ 20 であるこ

とが調べられている。この値は楕円銀河内の星やガスだけで説明で

きないほど大きなものである。したがって、円盤銀河と同様にダー

クマターが存在しなければ、観測された大きな質量−光度比を説明

することはできない。

2- 3 銀 河 団

連銀河(binary galaxies)、銀河群(group of galaxies)もあるが、

まとめてこの銀河団(cluster of galaxies)の項で説明すること

にしよう。

連銀河、銀河群、及び銀河団は多体( N 体)系であるが、統計学

的な観点から N が大きい系ほど、質量決定精度はよくなる。観測で

きる量は天球面に投影した距離と視線速度のみなので、N の小さな

系である連銀河や銀河群の質量決定は多くの場合困難である。銀河

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群の場合は楕円銀河の項で説明した X 線観測の結果が利用できる

場合が多いので、銀河群の質量決定はもっぱら X 線観測によってい

るのが現状である。

銀河団の場合も X 線観測が有効だが、重力レンズ効果を利用した

質量の評価が行われるようになってきている(後述)。 ただし、

銀河団の場合は N~100‐ 1000 なので、銀河の運動学からも銀河団

の力学的質量を評価することができる。

銀河団がビリアル平衡にあるとすると次の関係が成り立つ。

2T + U = 0

ここで T は銀河団に含まれる全銀河の運動エネルギーの和であり、

U は重力エネルギーである。銀河団の総質量を M、銀河団の半径を

R、速度分散をσ 2 とすると、T と U はそれぞれ以下のように表わせ

る。

T = Mσ 2 / 2

U = - G M 2 / (f R)

ここで、fは銀河の分布に依存した因子で 1 のオーダーの値である。

これらの関係から銀河団の質量は次式で与えられる。

M = fσ 2R / G

1933 年、ツビッキー(F. Zwicky)はまさにこの考えに基づき、

かみのけ座銀河団の質量を評価した。銀河の星質量の総和から推定

される速度分散はσ= 80 km s-1 であったが、実際に観測から得ら

れた速度分散はσ= 1500 km s-1 もあった。つまり、力学的質量は

星質量の総和の 350 倍も多いことになる。ツビッキーは銀河団には

見えない物質が存在すると主張したのである(ツビッキーはかみの

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け座銀河団内の銀河の平均質量を 109 M☉ 、銀河の個数を 800 個と

し、銀河団の星質量の総和として 2×1011 M☉ を得た。これは過小評

価であるが、まだ銀河の性質がよく分かっていなかったのでやむを

得ないだろう。)。

X 線観測やビリアル平衡モデルの他にも、楕円銀河の質量評価の

項で紹介したフィッティング法もある。銀河団のコア(銀河の個数

密度が高い銀河団の中心部)や銀河団全体の密度分布を仮定する必

要があるが、あとは速度分散の観測から銀河団の力学的質量を評価

することができる。

このような評価方法を用いて、銀河団の質量−光度比は 100 から

500 という大きな値が得られている。したがって、より大きな階層

構造で、より多くのダークマターが付随している傾向が観測されて

いる(図 4-6)。

図 4- 6 さ ま ざ ま な 階 層 に 対 す る 質 量 −光 度 比 と 階 層 の 大 き さ (半 径 R)の 関 係 。

(Bahcall et al. 1995, ApJ, 447, L81 よ り 改 変 )

< < 「暗 黒 宇 宙 の 謎 」図 10- 6 を 使 う > >

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近年、ハッブル宇宙望遠鏡やすばる望遠鏡などのおかげで、高解

像 度 の 撮 像 観 測 が で き る よ う に な っ た 。 そ の た め 、 重 力 レ ン ズ

(gravitational lens)効果を用いた銀河団のダークマターの研究

が盛んに行われている。

重力レンズの理論は 1936 年、アインシュタイン(A. Einstein)

によって提案された。その後、銀河を重力レンズ源とした二重クェ

ーサーが 1979 年に発見され、銀河団を重力レンズ源としたレンズ

像が 1987 年に発見された。ちなみに、重力レンズ現象による銀河

の質量測定法はツビッキーによって 1937 年に提案されていた。

重力レンズ効果には“強い重力レンズ(strong lens)”と“弱い

重力レンズ(weak lens あるいは cosmic shear)”の 2 種類がある。

強い重力レンズ効果は背景の銀河が視線上、あるいは視線に近い方

向にある銀河や銀河団の重力場の影響を受ける場合に起こる(図 4

-7 および図 4-8)。

図 4- 7 赤 方 偏 移 z = 0.17 に あ る 銀 河 団 Abell 2218 方 向 で 観 測 さ れ た 重 力

レ ン ズ 像 。 (STScI/NASA)

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アインシュタインの一般相対性理論によれば質量は時空の歪み

として理解される。光(電磁波)は宇宙の中で最短距離を取るように

進むが、時空の歪みのために光路が変化する。そのため、重力レン

ズ効果が起こる。図 4-8 に Abell 2218 の方向で起こっている重力

レンズ効果を概念的に示した。Abell 2218 の背景にある銀河から

やってくる光は Abell 2218 の近くを通過する際、Abell 2218 の質

量によって時空が歪んでいるので光路が曲げられ、私たちに観測さ

れる。そのため、天球面に投影すると、Abell 2218 と背景銀河が

重力レンズ効果を受けて歪められた像が重なって見える。

図 4- 8 図 4- 5 の 重 力 レ ン ズ 効 果 を 説 明 す る 図 。 (STScI/NASA)

一方、弱い重力レンズ効果は一つの銀河や銀河団による効果では

なく、光が宇宙の中の多数の歪んだ重力場を伝播してくるときに、

累積効果として現れるものである。たとえば、Abell 2218 のよう

な銀河団があったとしても、視線から大きく離れた方向にある銀河

を見れば影響は弱い(図 4-9)。

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図 4- 9 強 い 重 力 レ ン ズ と 弱 い 重 力 レ ン ズ の 効 果 の 違 い を 説 明 す る 概 念 図

< < こ れ を 元 に リ ラ イ ト す る : 線 を 滑 ら か に 曲 げ て 描 く > >

弱い重力レンズ効果で生じる背景銀河の像のゆがみの程度は小

さいので、高解像度の画像が必要であることと、歪み情報の信頼性

を高めるために多数の銀河の像を統計的に解析する必要がある

弱い重力レンズ効果を用いて評価した銀河団の質量−光度比も約

100−500 になる。このように、様々な手法で評価された値がおおむ

ね一致している。

最後に弱い重力レンズ効果と X 線観測から得られたダークマタ

ーの観測的証拠を見ておくことにしよう。赤方偏移 z = 0.296 に

ある 1E 0657-558(通称は“弾丸銀河団 [bullet cluster]” )は二

つの銀河団が衝突している場所である。衝突後、二つの銀河団に属

する銀河は単にすり抜けるだけである。またダークマターも相互作

用しないので、そのまますり抜けている。ところが、銀河団のガス

は衝突して運動量を失い、衝突現場に近い場所に留まる。まさにこ

の現象が観測されたのである(図4−10)。この観測結果はダークマ

ターの動かぬ証拠として評価されている。

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図 4- 10 弾 丸 銀 河 団 に お け る 、ダ ー ク マ タ ー 、高 温 ガ ス 、お よ び 銀 河 の 分 布 。

(Chandra X-ray Observatory/NASA)

2- 4 大規模構造の形成とダークマター・ハロ-

第1章と第3章で紹介したように、宇宙における構造形成はダー

クマター(正確には後述する“冷たいダークマター”)の重力のお

かげで進んだと考えられている。バリオンの重力では弱すぎて構造

形成ができないため、80 年代中盤からダークマターによる構造形

成の理論的研究が盛んに行われるようになった(例えば、VIRGO プロ

ジェクトを参照: http://www.mpa-garching.mpg.de/Virgo/)。

2007 年、ハッブル宇宙望遠鏡のトレジャリー・プログラムであ

る「宇宙進化サーベイ(COSMOS プロジェクト)」が宇宙におけるダ

ークマターの 3 次元地図を初めて作ることに成功した。この研究で

は約 50 万個の銀河の高解像度画像を用いて弱い重力レンズ効果の

解析が行われた。銀河までの距離が測定されているので、トモグラ

フィー解析が可能であり、赤方偏移 z = 1(約 80 億光年)までの

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3 次元地図が得られた(図 4−11)。銀河の空間分布を調べてみると、

ダークマターの空間分布とよく合っていることが確認された。これ

により、冷たいダークマターによる宇宙の構造形成論が検証される

に至った。

図 4−11 COSMOS プ ロ ジ ェ ク ト に ダ ー ク マ タ ー の 3 次 元 地 図 。 赤 方 偏 移 z = 1

( 約 80 億 光 年 )で の 空 間 の 広 が り は 2.4 億 光 年 ×2.4 億 光 年 に 相 当 。( 提 供 :

Richard Massey)

3. ダ ー ク マ タ ー の 理 論

ダークマターはあらゆる波長の電磁波を用いても、観測すること

ができない。したがって、電荷を持っていない未知の素粒子である

と考えられている。また、寿命は少なくとも宇宙年齢以上あること、

構造形成を担うので非相対論的な速度で運動すること、質量密度に

してバリオンの数倍は存在すること、そしてバリオンと相互作用す

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る確率が非常に小さいことが要求される。

この節では、理論上考えられるダークマターの候補(第 1 章 12

節も参照)と、その検出に向けた実験について解説することにする。

ただし、バリオンも予想される全ての量が観測されているわけでは

ないので、見えていないバリオンについてまず言及しておくことに

する。

3- 1 バ リ オ ン ・ ダ ー ク マ タ ー

すでに述べたように、ビッグバン宇宙論で予想されるバリオンの

密度パラメータはΩ b0 = 0.04 程度である。一方、今までに検出さ

れているバリオンではΩ b0 = 0.02 程度にしかならず、残り半分の

バリオンは現在のところ検出されていない。

近傍の宇宙では星が担うバリオンの密度はΩ b0 = 0.0035 であり、

低温の分子ガスや中性水素原子ガスではΩ b0 = 0.0006 にしかなら

ない。じつは、ほとんどのバリオンは銀河団や銀河群に付随するプ

ラズマが担っていると考えられている。温度が 2 万 K 以下のプラズ

マは紫外線領域に放射を出すが、銀河系のガスによる吸収を受ける

ため観測が難しい。近傍銀河の約 7 割は銀河群に属しているように、

多数の銀河群が近傍宇宙には存在している。したがって、観測され

ていない大半のバリオンはこれらの銀河群に付随する低温プラズ

マであろうと予測されているのである。

もう一つの可能性はハローにある暗いコンパクト天体(褐色矮星、

星 質 量 ブ ラ ッ ク ホ ー ル な ど ) で あ る 。 こ れ は MACHO (Massive

Compact Halo Object)と呼ばれている。大マゼラン雲や銀河系のバ

ルジの方向には多数の星があるので、MACHO がそれらの星の視線上

に近づいたときは強い重力レンズ効果で星の増光が観測される。実

際、このような現象が観測され、MACHO の存在は確認されている。

しかし、その寄与はΩ b0 = 0.001 程度であると推定されている。

では、遠方の宇宙ではどうなっているだろうか。赤方偏移 z〜3

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では、クエーサー吸収線系(第 14 章参照)であるライマンαフォ

レスと(Lyman α forest)の観測からΩ b0 = 0.04 という値が得られ

ており、ビッグバン宇宙論の予測とよく合っている。ライマンαフ

ォレストの正体は確定されていないが、銀河などの構造形成の際に

取り残された低質量(107 – 108 M☉ )の原子ガス雲であると考えら

れている。

3- 2 非 バ リ オ ン ・ ダ ー ク マ タ ー

ビッグバン宇宙論によるバリオン量の制限から、どうしても非バ

リオン・ダークマターが必要になる。現時点でもその正体は不明の

ままであるが、ここではどのような候補があるのか見ていくことに

する。

非バリオン・ダークマターはまず温度で次の3種類に分類され

る:

1)熱いダークマター(hot dark matter, HDM)

2)温かいダークマター(warm dark matter, WDM)

3)冷たいダークマター(cold dark matter, CDM)

相対論的な速度(光速度あるいはそれに近い速度)で運動するも

のを HDM、非相対論的な速度で運動するものが CDM である。WDM は

両者の中間的な速度で運動する。この差は、宇宙初期に熱化学平衡

にあったかどうか、あるいは熱化学平衡から離脱したときの運動速

度の違いで生じている。

HDM の例はニュートリノである。ニュートリノはレプトン族の電

子、ミュー粒子(ミューオン)、およびタウ粒子(タウオン)に対

応して、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、およびタウニュ

ートリノがある。これら3種類のニュートリノの質量はきわめて軽

いので、宇宙の質量密度への寄与はΩ b0 = 0.1 以下であると評価さ

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れている。また、そもそも、HDM は現在観測されているような宇宙

の構造形成を促進できないこともあり、ダークマターのよい候補と

はなり得ない。

宇宙の構造形成に本質的な役割を果たすダークマターは、銀河の

スケール(〜 10 kpc – 100 kpc)から銀河団のスケール(〜数 Mpc)

に局在できなければならない。そのため、運動速度は数百 km s-1 程

度の非相対論的な速度であることが要請される。したがって、宇宙

の進化に本質的な役割を果たしているダークマターは CDM である。

非 バ リ オ ン 的 CDM の 候 補 粒 子 は 1 − 12 節 で 紹 介 さ れ た

WIMP(Weakly Interacting Massive Particle、弱い相互作用をする

重たい粒子)とアクシオン(axion)である。

3- 3 素粒子理論からの予測

WIMP

WIMP の中で CDM の候補となるのは超対称性粒子(supersymmetric

particles, SUSY 粒子)のうち、電気的に中性な以下のニュートラ

リーノ(neutralino)である。

1.フォティーノ(photino):光子の超対称性パートナー

2. ジーノ(zino): Z 粒子の超対称性パートナー

3. グラビティーノ(gravitino):重力子の超対称性パートナー

4. 中性のヒッグシーノ(higgsino):ヒッグス粒子の超対称性

パートナー

な お 、 1 − 12 節 で 紹 介 さ れ た カ ル ツ ア ・ ク ラ イ ン 粒 子

(Kluza-Klein particle)も WIMP の候補である。

このうち、フォティーノの質量は光子の質量がゼロなので、ゼロ

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である可能性が高いが、弱い相互作用をする場合は CDM の候補にな

りうる。

宇宙初期に生成された SUSY 粒子はエネルギーの低い SUSY 粒子に

崩 壊 し て い く が 、 崩 壊 先 の な い 最 も 軽 い 粒 子 [LSP (Lightest

Supersymmetric Particle) と 呼 ば れ る ]は安定であり、その状態で宇

宙に残されると考えてよい。そのため、それが最も可能性の高い

CDM 粒子となる。

また、SUSY 粒子では R−パリティ(R-parity)が保存される [空間

反転に伴う保存量であるパリティと区別するために R−パリティと

呼ぶ。R = (-1)2S + 3 B + L で定義され、S、B、および L はそれぞれスピ

ン数、クオーク数、およびレプトン数である]。したがって、生成

の際には必ずペアで生成される。崩壊のときも同様である。

SUSY 粒子の質量としては 100〜数百 GeV(ギガ電子ボルト:1 電

子ボルトは 1.78×10—3 6 kg に相当する。ちなみに陽子の質量は 1.67

×10—2 7 kg = 0.938 GeV である)程度が予想されている。

ヒ ッ グ ス 粒 子

素粒子の標準理論では、すべての素粒子は、生まれたときには質

量を持っていなかったことが要請される。しかし、実際には素粒子

はさまざまな質量を獲得している。この質量の起源を説明するため

に、1964 年にヒッグス(P. W. Higgs)は「宇宙初期に素粒子が質量

を獲得する場(ヒッグス場と呼ばれる)を通過したときに、さまざ

まな素粒子が質量を獲得した」とするアイデアを提案した。

このヒッグス場を担う量子をヒッグス粒子と呼ぶ。ヒッグス粒子

には電荷の違いで H+、 H0、および H- の 3 種類がある。ヒッグス粒

子の超対称性パートナーはヒッグシーノだが、H0 のパートナーは電

荷を持たない WIMP の性質を持つので CDM の候補になる。ヒッグス

粒子の質量、すなわちヒッグシーノの質量はまだよく分かっていな

いが陽子の質量の 100 倍 (100 GeV)以上で 1000 倍 (1000GeV)以下と

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推定されている。

アクシオン

基本素粒子であるクォークは「強い力」で結びつけられ、陽子や

中性子などを構成している。この強い力を記述するのは量子色力学

と呼ばれるが、一般には CP 対称性がなくても問題はない [電荷を

反転させても、方程式系は保存されることを C 対称性と呼ぶ(荷電

共役とも呼ばれる)。また、鏡に映した系で、方程式系は保存され

ることを P 対称性と呼ぶ(パリティ保存とも呼ばれる)。これら二

つの対称性が同時に成立している場合を CP 対称性と呼ぶ]。

ところが、CP 対称性は保存されていることが実験から判明した。

この矛盾を説明するにはクォークが三世代あればよいことを小林

誠と益川俊英が指摘し、その後、実際に三世代のクォークが確認さ

れるに至った。

アクシオンは素粒子同士に働く「強い力」の CP 対称性を保証す

るために理論的に提唱されたものである。これも、CDM の候補だが、

質量は電子の一億分の一にも満たないと(10-5 eV 程度)考えられ

ている。したがって、アクシオンだけで CDM のすべてを担う場合は、

バリオン総数の 10 兆倍は必要になる。

修正ニュートン力学

銀河あるいはそれ以上のスケールではニュートン力学が成立し

ていないという立場を採るアイデアもある。たとえば、銀河の平坦

な 回 転 速 度 曲 線 を 説 明 す る 修 正 ニ ュ ー ト ン 力 学 (Modified

Newtonian Dynamics、 MOND と略される)はミルグロム(M. Milgrom)

によって 1983 年に提案されている(第2章で紹介されたダークエ

ネルギーを説明する修正重力理論とは異なることに注意)。

ニュートンの運動方程式は、力を F、重力質量を m、加速度を a

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とすると

F = ma

となる。一方、MOND では

F = mμ (a/a 0) a

で表される。ここで a 0 は加速度の次元を持つ定数である。μは a/a 0

の関数であり、 a/a 0 >> 1 の場合μ≈1、 a/a 0 << 1 の場合はμ≈a/a 0

となる。このように運動方程式を修正すると、銀河のような巨大な

システムでは影響が出てくる。銀河円盤の外縁部回転速度は系の総

質量を M とすると、銀河の回転速度は

v r o t = (M G a 0)1 / 4

で与えられ、銀河の半径によらず一定になる。したがって、ダーク

マターの存在を導入することなく、銀河の平坦な回転速度曲線が説

明できることになる。

しかしながら、MOND の仮定は理論的な必然性があるものではな

い。また、弾丸銀河団(図 4−11)の観測結果はダークマターとバリ

オンが明らかに異なる空間分布をしていることを示しており、ダー

クマター存在の明らかな証拠であると考えられている。以上のこと

から MOND を積極的に指示する理論も観測もない状況である。

4. 素 粒 子 実 験 に よ る 検 証

ニュ-トラリ-ノの検出

ニュートラリーノは、衝突断面積はきわめて小さいがゼロではな

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いので、まれにバリオンと衝突することがある。そのイベントを利

用してニュートラリーノの検出実験が 1990 年代後半から行われて

きている。

ニュートラリーノと衝突して原子核が反跳されるとき、微弱な熱

や光を放出する。したがって、どの効果を用いるかで実験方法が異

なる。

熱を検出するプロジェクトの例は CDMS(Cryogenic Dark Matter

Search、冷却ダークマター探査)である。このプロジェクトでは米

国ミネソタ州のソウダン鉱山の地下 700m の場所に、0.04K に冷却

したゲルマニウム検出器を設置して実験を続けている(CDMS II)。

一方、光を検出する実験(シンチレーション観測法)では、最初

はヨウ化ナトリウムが用いられたが、最近は液体キセノンを用いた

実験が行われてきている(DAMA、 XENON100、 ZEPLIN II など)。国

内でも、東京大学宇宙線研究所を中心にした研究チームは史上最大

の冷却液体キセノン実験装置を神岡鉱山に設置し、実験を開始して

いる(図 4−12)。

図 4−12 XMASS の 検 出 装 置 。 重 さ 1 ト ン の 冷 却 さ れ た 液 体 キ セ ノ ン タ ン ク を

642 本 の 光 電 子 増 倍 管 で 観 測 す る 。 (写 真 提 供 東 京 大 学 宇 宙 線 研 究 所 神 岡 宇

宙 素 粒 子 研 究 施 設 )

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2008 年、CDMS II が 2 個のイベントを検出したとの報告をした

が、統計的に有為な結果とは認められていない。また、イタリアの

グランサッソ鉱山で行われている DAMA プロジェクト(名称は DArk

Matter の略)はヨウ化ナトリウム検出器を用いて、ダークマター検

出量の季節変動を調べる実験を行っている。なぜ季節変動があるか

というと、地球が 30 km s-1 の速度で太陽の周りを公転運動してい

るためである。このため、ダークマター粒子に対する相対速度が季

節によって変わる。それに伴う検出エネルギーの変化を調べるので

ある。なお、DAMA では液体キセノンを用いた実験なども行ってき

ており、季節変動を確認したと報告したが、この結果も信頼性が低

いと考えられている。したがって、いずれの方法でも、今のところ

未検出の状況が続いている。

ヒッグス粒子の検出

CERN(European Organization for Nuclear Research、欧州共同

原子核研究所)の運用する LHC(Large Hadron Collider、大型ハド

ロン衝突器)の二つの実験装置 ATLAS(A Troidal LHC Apparatus)と

CMS(Compact Muon Solenoid)がヒッグス粒子存在の兆候をつかんだ

ことが 2011 年 12 月に発表された。検出された粒子の質量は 116−

130 GeV (ATLAS)および 115−127 GeV (CMS)のレンジに来る。まだ

確実な検証とはいえないが、今後の追実験に期待が寄せられている。

なお、ヒッグス粒子やニュートラリーノなどの SUSY 粒子が直接

検出されるわけではない。LHC で検出されるのは通常の粒子のみだ

が、衝突前後の粒子系の運動量が保存されることから、見えない粒

子の運動量とエネルギーが推定できる。

アクシオンの検出

アクシオンはバリオンとは相互作用しないが、強磁場とはフェ

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ルミオンを介して相互作用して電波(マイクロ波)を放射する(図

4−13)。このメカニズムは 1983 年にシキヴィー(P.Sikivie)によっ

て提案されたので、シキヴィー効果と呼ばれている。

図 4−13 シ キ ヴ ィ ー 効 果 。 図 中 央 の 3 個 の フ ェ ル ミ オ ン の ル ー プ を 介 し て 、

ア ク シ オ ン が 強 磁 場 と 相 互 作 用 し 、 マ イ ク ロ 波 を 放 射 す る 。

この原理や他の方法を用いてさまざまなグループがアクシオン

の検出に向けて実験を続けてきているが、今ところ未検出に終わっ

ている。

以上のように、ダークマターの候補粒子はかなりしぼられてきて

おり、またその検出に向けた実験が鋭意進められてきている。ここ

数年のうちに大きな進展がある事を期待したい。