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解説
1. はじめに
家畜改良事業団が毎年公表している受胎調査成績によると、乳用牛と肉用牛の受胎率は1990年頃から低下の一途を辿り、乳用牛に至っては過去20年間で約20%、肉用牛でも約10%低下してしまいました(図 1 )。何故これほど受胎率が下がってしまったのか?乳量の改良と繁殖性はトレードオフなのか?それならば肉用牛の受胎率低下は何故なのか?
疑問は深まるばかりですが、その前に論点を少し整理してみましょう。家畜改良事業団が調査している肉用牛の受胎成績は、繁殖和牛の受胎率ではなく、和牛精液の受胎率です。現在、日本の乳用牛の約30%が肉用牛の精液で授精され、乳用牛の精液は乳用牛にのみ授精される事を考慮すると、受胎調査成績で集計された肉用牛の受胎率は、肉用牛精液が乳用牛に授精された場合の受胎率に影響されていると考えられます。
岩手大学 農学部 准教授 高橋 透
繁殖研究の新展開
図1 牛の受胎率の年次推移(家畜改良事業団の受胎調査成績から作図)
その一方で、乳用牛の受胎率は確実に下がっています。「昔の受胎率統計はノンリターン法のデータが多いが、現在は胎膜触診や超音波診断等で確定診断するので、受胎率の実態は統計値ほど悪化していない。」という主張(1)もありますが、20年間で約20%の低下を妊娠診断法の違いだけで説明する事は困難です。更に、乳用牛の受胎率低下は日本だけではなく世界的な傾向でもあります。米国では1980年頃から受胎率低下が顕在化しましたが、しかし最近では逆に改善しつつあります。これは娘牛の繁殖性を種雄牛評価の指標として取り入れる事によって乳量の低下をきたす事なく達成されたと言われています(2)。楽観的過ぎる見方かもしれませんが、最近の乳用牛群能力検定情報等の成績を見ると、米国から10 〜 15年遅れで顕在化した日本の乳用牛の受胎率低下は、現時点で漸く底を打ちつつある状況といえるのではないでしょうか。
乳用牛の受胎率は何故下がってしまったのでしょうか?世の中にはいろいろな統計資料がありますから、データを受胎率に重ね合わせるといろいろな考察が可能です。中でも乳量や濃厚飼料給与量の増加との関連が注目されていて、乳量や濃厚飼料給与量の増加に呼応して受胎率が低下する構図が見えてきます(3)。それでは受胎率が下がったのは乳量や濃厚飼料給与量が増えたせいでしょうか?統計分析をすると間違いなく有意になるでしょうが、因果関係の見極めは簡単ではありません。
2. 受胎率に頼らない繁殖改善
受胎率が低いのは困った事ですが、経営に及ぼす悪影響という意味では、受胎に要する授精回数の増加や分娩間隔の延長の方がより直接的かつ深刻な問題です。過去30年間に受胎に要する授精回数は1.8回から2.4回へと0.6回増加しました。それに伴って平均分娩
2
間隔も1982年に394日であったものが2012年には435日となり、41日延長しています。分娩後の初回授精日齢が大きく変わっていないので、分娩間隔の延長は授精回数の増加に起因する事は明らかです。「乳用牛群能力検定成績のまとめ-平成24年度-(家畜
改良事業団)」には、乳用牛の分娩間隔の度数分布に関する成績が付されています(図 2 )。これを見ると、乳牛の分娩間隔のばらつきが正規分布しないことが判ります。平均値は435日なのですが、最頻値は361日で中央値は409日となり、平均値から大きく離れています。このような集団は平均値で全体を評価する事ができません。検定成績によれば、全体の45.2%が400日未満の分娩間隔を達成しており、約半数の牛達が「理想的な」繁殖成績を達成しています。しかし問題は残りの半数にあって、この部分の改善が求められているのです。
受胎率が低下する事によって受胎に至るまでの授精回数が増え、それに伴って分娩間隔が伸びてしまうという負の連鎖をどこかで断ち切らなくてはなりません。受胎率を上げる事が出来れば話は簡単ですが、受胎率向上を目指して膨大な研究が行われて来たにもかかわらず、その成果は思わしくありません。私は、受胎率をターゲットにした技術開発は確かに「正道」ではありますが、一種の「垂直思考」に陥っていると思います。受胎率に拘らずに分娩間隔の短縮を第一の目標にすれば、「受胎率50%の牛群において、授精から妊娠診断までの間にもう 1 回授精が可能になれば、受
胎率75%と等価」と考える事はできないでしょうか。現状の乳用牛の平均的な受胎率(43%)では授精さ
れた牛群の半数以上が不受胎で、そのほとんどは授精から妊娠診断が行われるまでの40日以上の間「放って」おかれてしまっています。理論的には、授精して不受胎の場合には 3 週間後に発情が回帰する筈なのですが、乳牛の発情が判りにくくなっている昨今では的確に発見できているでしょうか?このような状況にあっては、授精しても不首尾に終わる半数以上の牛を早く見つけ出し、速やかに(場合によっては繁殖障害を治療して)再授精する事は、受胎率が上がらなくても出来る分娩間隔の短縮法として大変有望です。
3. 牛の早期空胎診断の重要性
繁殖学の教科書では早期妊娠診断なのに空胎診断とは?と思われる方も多いと思いますが、現実には妊娠診断よりも空胎診断の方が遥かに重要です。あり得ない状況を仮定して議論するのは一種の詭弁になってしまいますが、受胎率100%の場合には妊娠診断は不要です。また、妊娠の事実が判明するのが10日遅れようと100日遅れようと分娩予定日は変わりませんが、空胎の判明が遅れれば遅れる程経済的なロスが増える事は言うまでありません。
本稿では、早期に妊娠/空胎が判定できる幾つかの方法を紹介し、その得失や実施上の留意点について考察します。
図2 乳用牛の分娩間隔の度数分布(参考文献3. より引用)
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a.超音波診断法Bモードの超音波診断装置によって早ければ授精後
3 週間、遅くとも 4 週間目には胎包を診断する事が可能であり、超音波診断法は牛の早期妊娠診断法として最も有力なものの一つです。この方法は牛に限らず、馬や豚などにおいても広く利用されています。早期妊娠診断法は他にも沢山ありますが、その評価に際しては「超音波診断と比べて」という項目が必ずあり、超音波診断法の普遍性がうかがわれます。
b.腟内留置型プロジェステロン徐放剤の応用腟内留置型のプロジェステロン徐放剤は、発情周期
の同期化や繁殖障害の治療に用いられる薬剤ですが、授精して不受胎に終わった場合の空胎摘発にも応用する事が出来ます。基本的な使用法は、授精後14日で徐放剤を腟内に挿入して 1 週間後に抜去するという簡単なものです。受胎している場合には、抜去後もそのまま妊娠が継続しますが、不受胎の場合には抜去から 2〜 4 日後に発情が発現します。徐放剤の挿入によって牛のプロジェステロン濃度は約 2 ng/mL上昇し、抜去によって元に戻ります。受胎している場合には、徐放剤を抜去しても血中プロジェステロン濃度がやや低下するのみで妊娠は維持されます。不受胎の場合には、黄体退行後も挿入された徐放剤によって一定の血中プロジェステロン濃度が維持されている為に発情や排卵は起きませんが、これを抜去すると 2 〜 4 日後に集中して発情が現れます。
抜去後に発情が発現するかどうかで受胎と空胎を見極めて、もしも空胎の場合には速やかに再授精を行う方法はFast Backプログラムと呼ばれています。”fast back”は「速やかな発情回帰」であり、”fastback”は乗用車の屋根のサイドビューが運転席からトランクまで流線形に続くクーペのスタイルで、妊娠成立後の血中プロジェステロン濃度の持続的高値を示しています。
しかし、「不受胎の場合、抜去後に発情が回帰するのは黄体が退行して発情が来るところを見ているだけであり、徐放剤を挿入・抜去した効果は何なのか?」と疑問を持たれる方がおられるかもしれません。現在では変法も幾つか発表されていますが、オリジナルのFast Backプログラムでは授精後21日目に徐放剤を抜去します。不受胎の場合にはこの時点で既に黄体は退行し、血中プロジェステロン濃度のほとんどは徐放剤のプロジェステロンに由来しています。この状態で徐放剤を抜去すると血中プロジェステロン濃度は急減します(ラットにおけるプロジェステロンの血中半減期
は35分)。明瞭な発情が発現するためには「ある程度以上」の血中プロジェステロン濃度が「急激に下がる」ことの重要性が推察され、プロジェステロンの腟内徐放剤が鈍性発情に効能がある事もこの推察を裏付けるものです。
c.末梢白血球の遺伝子発現定量による超早期不受胎診断
次に現在進行中の「白血球の遺伝子を調べて妊娠を知る」研究について紹介します。牛の胚は受精後 2 週から 3 週にかけてインターフェロンτというタンパク質を産生して母体に妊娠のシグナルを送ります。すると子宮内膜組織のインターフェロン応答性遺伝子の発現が高まり、更に末梢白血球においてもインターフェロン応答性遺伝子の発現が高まる事が最近判ってきました。インターフェロンによって発現が誘導される遺伝子はISG (Interferon-Stimulated Genes)と総称され、中でもISG15という遺伝子は授精後18日の母体末梢白血球中で発現が上昇する事が知られています(図3 )(4、5)。
授精後18日では胚はまだ着床していないので、これは厳密に言えば妊娠診断ではなく、「胚の存在を調べて」いるに過ぎません。加えて、18日の時点で胚が子宮内に生存していても妊娠が継続するとは限らず、以降の胚死滅の可能性も考えなくてはなりません。しかし不受胎の場合は18日の時点で不受胎が確定しますので、この方法は妊娠診断というよりは「空胎診断」というべきものです。
授精後18日の遺伝子診断は、「Fast Backよりも 5 日早いだけ」のように思われますが、実は大きな違いがあります。Fast Backは受胎/不受胎は発情の回帰で
図3 妊娠超早期の末梢白血球のISG15遺伝子の発現。妊娠牛(■)と非妊娠牛(□)の比較。同じ日齢の異符号間で有意差(p<0.05)あり。(参考文献5を改図)
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5.まとめ
牛群の妊娠率は授精実施率と受胎率の関数です。授精実施率を上げるには、発情発見器具や定時授精プログラムの活用がとても効果的です。そして受胎率が50%に満たない現状(乳用牛)では、不受胎に終わる半数以上の牛を如何に早く見つけて再授精してゆくか、この技術開発が大変重要と私は考えています。
参考文献1 . LeBlanc S.: J. Reprod. Dev. 56 Suppl. S 1 - 7 (2010)2 . Norman HD, Wright JR, Hubbard SM, et al.: J.
Dairy Sci. 92. 3517-3528 (2009)3 . 乳用牛群能力検定成績のまとめ −平成24年度−
家畜改良事業団 pp11.4 . Gifford CA, Racicot K, Clark DS, et al.: J Dairy
Sci, 90, 274-280 (2007)5 . Green JC, Okamura CS, Poock SE, Lucy MC. .
Anim Reprod Sci. ;121( 1 - 2 ):24-33 (2010)
判断するのみで、見落としのリスクが常に付きまといます。これに対して18日齢の空胎診断は確実に不受胎を見つけますから、「 3 日後に必ず発情が来る」事になりますし、あるいはこの時点で定時授精プログラムを実施することも出来なくはありません。
4.繁殖を改善する「伸びしろ」
「 1 回授精して不受胎だった牛群に再度授精すると、初回授精とほぼ同様の受胎率で受胎していく」という経験則があります。牛群の受胎率を仮に50%とすれば、初回授精から 3 週間前後で空胎を確認して直ちに再授精を行った場合には、初回授精から50日時点における牛群の妊娠率は75%前後となる計算になります。これが前述の「授精機会が 1 回増えれば、結果として受胎率向上と同じ結果が得られる」という事です。現時点ではまだ「取らぬ狸の皮算用」の段階ですが、技術開発のターゲットとしては受胎率向上よりも有望ではないかと私は考えています。
お問い合わせ:前橋種雄牛センター 027-269-3311 まで
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