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1.社会はいかに生ずるのか 今日に至っても社会学理論にとって最大の問題は,「社会はいかに生ずるのか?」である。 言い換えると,社会学は「社会」をまだ固定できていない。社会学がこんな問いの周辺を旋 回しているのは,他の社会科学からみればひどく進歩していない現状を告白しているのと同 じなのかもしれない。もちろん,そこには「進歩」というのは何なのかという,古くからの 問題も関係してくる。 社会学理論にも言い分はあって,異なった社会観に基づく理論が各々大きな力を保ってい るからである。それは,「社会はいかに生ずるのか?」という形では考えない理論である。 社会は生ずるのではなくて,そこに「ある」と考える理論である。言い換えると,社会を「生 成」や「発出」「生起」といった動態で考える立場と,社会を「存在」「実体」あるいは静態で 考える立場の違いである。 また,社会を時間経過で考えるか空間と考えるかの違いでもある。当たり前のことで,静 的な存在(実体)は時間が経過しても変化しないからである。時間の経過が問題になるのは, あくまでも変化─生成,発出,生起,他─が想定されるからである。 このようにおおよそ当然すぎて改めて論じるまでもないようなことを考えていくと,社会 学理論の根幹の問題が,この種の一見自明であるような事柄と切り離せないことを,今さら ながら実感させられる。 理由は簡単で,多くの社会科学では,生態的な存在論がいまでも大きな影響力をもってい るからである。簡単にいえば,社会科学にとって「社会」というのは,今ここにある物体の ように見なされているし,それがまた一般の人々の常識として根付いてもいるのである。 たとえば,「日本社会」という場合,専門の社会科学者も含めて多くの人々は,そこに巨 大な塊(空間,あるいは人口,そして歴史)としての社会が存在しているかのように考える。 しかもこの種の社会は大きな空間としての性質も持っていて,多くの人々がそこの内部で生 活しているという理解を伴っている。このことは,たとえば「日本経済」や「日本政府」とい う言葉について考えてみれば理解しやすい。そこには,あたかも「日本経済」や「日本政府」 17 おのずから生ずる秩序の語り方 ―フリードリヒ・ハイエクと社会学理論,そして社会修辞学― 犬 飼 裕 一

おのずから生ずる秩序の語り方 - chs.nihon-u.ac.jp · おのずから生ずる秩序の語り方 なる。 それは「社会はいかに生ずるのか?」という問いに何とか答えようとする思考でも

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1.社会はいかに生ずるのか

今日に至っても社会学理論にとって最大の問題は,「社会はいかに生ずるのか?」である。

言い換えると,社会学は「社会」をまだ固定できていない。社会学がこんな問いの周辺を旋

回しているのは,他の社会科学からみればひどく進歩していない現状を告白しているのと同

じなのかもしれない。もちろん,そこには「進歩」というのは何なのかという,古くからの

問題も関係してくる。

社会学理論にも言い分はあって,異なった社会観に基づく理論が各々大きな力を保ってい

るからである。それは,「社会はいかに生ずるのか?」という形では考えない理論である。

社会は生ずるのではなくて,そこに「ある」と考える理論である。言い換えると,社会を「生

成」や「発出」「生起」といった動態で考える立場と,社会を「存在」「実体」あるいは静態で

考える立場の違いである。

また,社会を時間経過で考えるか空間と考えるかの違いでもある。当たり前のことで,静

的な存在(実体)は時間が経過しても変化しないからである。時間の経過が問題になるのは,

あくまでも変化─生成,発出,生起,他─が想定されるからである。

このようにおおよそ当然すぎて改めて論じるまでもないようなことを考えていくと,社会

学理論の根幹の問題が,この種の一見自明であるような事柄と切り離せないことを,今さら

ながら実感させられる。

理由は簡単で,多くの社会科学では,生態的な存在論がいまでも大きな影響力をもってい

るからである。簡単にいえば,社会科学にとって「社会」というのは,今ここにある物体の

ように見なされているし,それがまた一般の人々の常識として根付いてもいるのである。

たとえば,「日本社会」という場合,専門の社会科学者も含めて多くの人々は,そこに巨

大な塊(空間,あるいは人口,そして歴史)としての社会が存在しているかのように考える。

しかもこの種の社会は大きな空間としての性質も持っていて,多くの人々がそこの内部で生

活しているという理解を伴っている。このことは,たとえば「日本経済」や「日本政府」とい

う言葉について考えてみれば理解しやすい。そこには,あたかも「日本経済」や「日本政府」

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おのずから生ずる秩序の語り方

―フリードリヒ・ハイエクと社会学理論,そして社会修辞学―

犬 飼 裕 一

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おのずから生ずる秩序の語り方

という巨大な物体がそびえ立っているかのようである。あるいは,巨大な空間が広がってい

るかのようである。

しかし,少し考えてみればわかることだが,「日本社会」や「日本経済」「日本政府」という

物体や空間はどこにも存在しない。よくありがちな言い方を使えば,それらは「心の中」に

ある。物質的な存在ではないが,人々の心の中に実在しているというのである。しかし,心

の中というのがいったいどこなのかと問うと,問題は何も解決していないまま残っているこ

とがわかる。心の中,心理的,そして最近は「脳」と,言い方は変わっているが,結局のと

ころ,それがどこなのかはわからないままである。

それもそのはずで,「心の中の存在」というのは,存在ではないからである。では,存在

ではない「社会」というのは何なのか?まさにこれこそが本稿がごく些細な形で取り組もう

とする課題である 1)。

本稿で注目するのは社会思想家・経済学者のフリードリヒ・ハイエク(1899-1992)である。

ハイエクは経済学者として出発し,ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)の論争相手,

友人として独自の経済理論を立ち上げ,後年は社会主義思想の批判者として社会思想家とし

て活躍した。今日様々なところで登場する「新自由主義」の代表者としても有名である。

ただし,本稿はハイエクの「思想」や「理論」,あるいは「経済学」について理解したり,

説明したり,あるいは「本来の意図」を明らかにするというのではない。すでに学説史的な

研究は多く蓄積されており,ハイエクの生涯と著述との関連についても多くの研究がなされ

てきた。本稿では,それらの仕事に学びながらも,あくまでも社会学理論の見地から,この

有名な元「経済学者」の思考の中に,さらに展開可能な議論を見つけ出すことに主眼を置く。

ハイエクの思考は,今日でも社会主義批判や新自由主義に関係づけて論じられることが多

く,必然的に政治イデオロギー的な議論に結びつけられやすい。そのために,敵と味方といっ

た形で分離してこの人物の議論を取り扱うのが基本となってきた。もちろん,このことは決

して間違ってはいない。そもそもハイエク自身が政治的な主張を鮮明にした『従属への道

(The Road to Serfdom)』(1944)で,一躍一般読者の人気を獲得し,政治イデオロギー論争

の中心に登場しているからである。

ただし,ハイエクの議論は決して単なる政治イデオロギーだけではない。ハイエクはオー

ストリア学派の経済学に出発し,思考の領域を広げていくことで,「社会」をめぐる議論に

大きな貢献を果たした。そこには社会学理論の問題も含まれてくる。

本稿で注目するのは,ハイエクが論じた「おのずから生ずる秩序(自生的秩序=spontaneous

order)」という問題が社会学理論にとって果たす意義である。誰かが計画して秩序をつくり

出すのではなくて,諸々の要素が作用し合うことで秩序ができ上がる。全体としては特定の

意図が介在せず,多くの人々が各々意図を抱き,計画しながらも,それらがそのまま実現す

るわけではない。誰もが自分や自分たちの目的や目標を実現しようとするのだが,実際には

そうならない。あるいは,意図していなかったが結果として良かったといったということに

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おのずから生ずる秩序の語り方

なる。

それは「社会はいかに生ずるのか?」という問いに何とか答えようとする思考でもある。

さらにいえば,ハイエクは「経済学者」のなかでは例外的に「社会」(や「経済」)を実在とし

て考えていないとみなすこともできるのではなかろうか。

このように考えてくるならば,社会学理論がハイエクの仕事から着想を得ることも,それ

ほど不自然なことではない。それは,社会学理論の専門分野で長年にわたって自明の前提と

されてきた思考様式について,外部の思考を取り入れる試みでもある。

2.ダーウィンの秩序

ハイエクは有名な論文「ディヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」(1967年)で,大陸

ヨーロッパと異なったイギリスの思想的伝統を強調する。よく知られているように,ハイエ

クはヒュームの思考をことあるごとに称揚し,自らの出身である大陸ヨーロッパの知的伝統

を批判する。ここにハイエクという人物の微妙な立ち位置がある。当人はウィーンで生まれ

育ち,ドイツ語圏の伝統に強く根ざしていながら,移住先のイギリスの伝統に強く同化しよ

うとする。

この論文を書いているハイエクが,何よりも強調したいのは,イギリス経験論の伝統のこ

とである。それは大陸合理論(合理主義)に対抗する非合理主義の思考である。そこで重要

なのは,人間がしばしば非合理主義的な行動に向かうということである。そして,非合理主

義的な行動というのは,西洋の伝統的な思考が「合理的」「理性的」と主張してきた立場から

見て不条理な立場のことである。

しかし,そんな「不条理」とされる立場が本当に不条理で非合理的なのかといえば,必ず

しもそうではない。むしろ,19世紀末以降の哲学や思想の流れは,合理主義と呼ばれる思想

の根拠を徐々に掘り崩してきた。むしろ,どこかに実体としての「合理性」や「理性」があっ

て,人々がそれに照らして「合理的」であるといった判断をするといった形の合理主義はす

でに否定的な扱いを受けるようになっている。

ここで様々な議論に立ち入って論じることは避けるが,少なくとも今日の社会学理論にお

いて,「合理性」とは特定の視点から設定された目的にとって最小限の労力で最大限の利得

を得られる可能性のことである。例えば,金銭的合理性とは手持ちの資金が最小限の労力で

最大限になることである。そのためにはできるだけ支出を少なくすることが合理的であり,

当人の能力や資質,持っている資格などによって,より少ない労働でより多くの収入を得ら

れる仕事に就いたり,業務を引き受けたりすることが合理的である。

ただし,これらはあくまでも金銭の多寡だけに注目しより多くの金銭を獲得することが目

的と考える場合だけに合理的であるにすぎない。在来の経済学への批判から登場してきた行

動経済学が毎度強調するように,人間は「経済的合理性」だけで行動しているわけではない。

体面や見栄のために人々はしばしば無理をするし,時には経済的に自滅する。また,金銭は

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おのずから生ずる秩序の語り方

きわめて永続的な性質をもっているのに対し,それを所有する人間は永遠に生きているわけ

ではない。最大限の金銭的合理性を実現して,巨万の資産を築いたとしても,その資産が当

人の死によって「遺産」として取り残されるだけならば,当人にとってはたしてどれだけ意

味があったのかという問題も生じる。

おそらく人間にとって「経済的合理性」や,金銭的合理性は,自らの存在をはるかに超え

た抽象的で,あえて懐かしい哲学的表現を使えば「超越的」な世界なのである。そのことは,

多くの人々が「永遠」や「永久」という言葉を用いる場合の意味について,少し考えてみれば

よくわかる。人間にとって,「永遠」や「永久」というのは,単なる修辞である。そもそも「永

遠」や「永久」といった時間の流れに,人間は付き合うことができない。人間の生は有限だ

からである。

しかし,その一方で,多くの人々は,自分(たち)の外部にある組織や秩序が,自分たち

の生活よりも,永続的であることを知っている。人は死んでも,何らかの価値を残す。そも

そも人間にとって「金銭」が大きな問題となりうるのは,お金はいま現在の生活に不可欠に

関わっているだけではなくて,考えられるかぎりの過去から,これまた考えられるかぎりの

未来にわたって不可欠に関わっているからでもある。簡単にいえば,少なくとも現代の人間

の思考において,お金は死なない。もちろん,問題は金銭だけではない。

話を元に戻すと,秩序は確かに個々の人物の存在を越えている。ハイエクによると,ヒュー

ムはすでに生物の世界が死滅することなく存続していくためには,「設計者」は不必要であ

るというよりも不都合である。ハイエクは,ヒュームの議論を追いながら次のように書いて

いる。

「私はそこではヒュームの説について,かれの自由論の土台となった秩序の成長につ

いての理論として語った。しかしこの理論はそれ以上のものであった。かれの主要目的

は社会制度の発展を説明することであったけれども,その同じ議論は生物有機体の進化

を説明するためにも用いることができるということに,ヒュームははっきり気づいてい

たように思われる。死後出版の『自然宗教に関する対話』において,ヒュームはこのよ

うな適用を暗示しているにとどまらない。そこでヒュームは,「物質は,いつまでもつ

づく無限の時を通して,多くの巨大な変転をこうむるであろう。物質の各部分がこうむ

る不断の変化は,何かそのような一般的変容を暗示するように思われる」と指摘してい

る。「動植物の諸部分やそれらの不可思議な相互の適合」に現れている秩序は,ヒュー

ムには設計者を必要とするようには思われない。というのは,ヒュームは次のように述

べているからである。「もし動物の諸部分がそのように適合しているのでなければ,ど

のようにして動物は存続しうるのかをむしろ知りたい。このような適合がやめば,動物

がたちどころに滅亡することや,その質料は腐敗しながらも,ある新しい形相をとろう

とするのを,私たちは見出さないだろうか」と,そしてまた,「いかなる形態をもその

存続に必要な力や器官をもたなければ,存続できない。存続するためには,何らかの新

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おのずから生ずる秩序の語り方

しい秩序か組織が試みられなければならず,その試みは中断することなく続く。そして

ついには,それ自身を支え維持することができるある秩序に出会わすことになる。」

ヒュームは主張する,人間は「すべての生存している動物の運命をまぬがれるように要

求する」ことはできない。「すべての生物の間で燃え上がっている…絶えざる戦争」はま

た人間の進化に影響を与える,と。」(フリードリヒ・ハイエク『市場・知識・自由─自

由主義の経済思想─』,田中真晴・田中秀夫編訳,ミネルヴァ書房1986年 154-156頁)

いかにも18世紀イギリスの本らしい,とめどなくつづくおしゃべり風の論述を,19世紀

末から20世紀初頭のドイツ系の人物が祖述すると,このようになるのだろう。簡単にいえば,

もしも「設計者」が一人で動物界の秩序を設計したのならば,動物は相互の関係の変化によっ

て秩序変更をすることができないので死に絶えるしかない。ゆえに,秩序はおのずから生じ

て常に変更されていくのであり,「設計者」が介入することなどできない,というわけである。

もちろん「設計者」というのは,キリスト教の神のことである。つまり,神が万物をすべ

て単独で創造したのならば,生物間の秩序を変更するにも神の設計に遡らなければならな

い。しかし,そんなことは現実の生物間に起こっていない。むしろ,多数の生物の競争─「絶

えざる戦争」─によって刻々と秩序は変化していくのである。そして,人間もこのような生

物の競争から逃れることはできない。むしろ,人間も含めた生物の生存は,それ自体が常に

形成される自生的秩序に依存しているのだというのが,ハイエクがヒュームから読み取ろう

とする主張なのである。先の引用文の最後の部分は次のように続いている。

「ダーウィンがこの「生存競争」を決定的な形で記述したのはさらに一〇〇年後のこと

であった。しかしヒュームからダーウィンへの思想の伝達は連続的であり,詳しく跡づ

けることができる。」(ハイエク,同書,156頁))

ハイエクはヒュームからダーウィンへの連続性を強調する。それはハイエクの主張すると

ころでは,「イギリスの思想的伝統」であり,同時に大陸ヨーロッパの伝統と鋭く対立する

点でもある 2)。

なによりここで興味深いのは,ハイエクがチャールズ・ダーウィンの業績を高く買ってい

ることである。ダーウィンといえば,ある種の社会思想家の中では悪名高い「社会ダーウィ

ン主義」の元祖で,弱肉強食の生存競争を社会関係にも持ち込んで「強者の論理」を振りか

ざす悪者というわけである。

とりわけ競争を敵視し弱者への共感を主張する立場の人々にとって,社会ダーウィン主義

の評判は悪い。また,西欧諸国による帝国主義の正当化や,ナチズムに代表される「人種理

論(racism,人種差別主義)」につながるものであるという非難もおこなわれてきた。ともか

く,現状としての強者の支配や格差という問題を,何らかの形で肯定しようとする議論は,

半ば罵倒語と化してしまった「社会ダーウィン主義」という呼称で呼ばれるようになってい

る。

そんな不評のダーウィンをハイエクは高く評価する。その理由は,ダーウィンが計画者の

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おのずから生ずる秩序の語り方

いない秩序が形成される過程について,最初ではないにしても,早くからまとまった思考を

展開したからである。それは無数の主体が互いに行動し合った結果生じてくる結果について

の思考であった。いうまでもなくダーウィンは生物学者である。おびただしい種類の生物が,

各々意志の疎通をするわけではなくて,各々の意図に沿って行動する結果,何らかの「現実」

や「現状」が生じてくる。

そして,各々の種は結果として与えられた状態に適応せざるをえない。いろいろ事情はあ

るにせよ,「現実」や「現状」は変えられないので,人々はそれに順応するべきなのだという

ことになる。

ダーウィンの議論,あるいは「進化論」ということで一括される立場が,日本の社会では

それほど抵抗なく受け入れられ,自明のことであると見なされているのに対し,キリスト教

の影響の強い地域では,いまでも強い敵意の対象となっていることは印象的である。

周知のように,主にアメリカ合衆国のキリスト教保守派の各種団体が,いまでも学校教育

で進化論を教育することを止めさせる運動を続けている。運動の要点は,人類が現在置かれ

ている状況について,あらかじめ何らかの主体による計画や決定がなされないままで成立し

てきたと説明しようとすることをあくまでも拒否することにある。逆にいえば,人類も人類

を取り巻くありとあらゆる環境も,すべて何らかの形の主体によって計画されており,その

計画に沿って生じてきていると考えようとする。

おそらくキリスト教のような一神教の精神風土に育っていない人間にとって何よりも驚き

なのは,人間を取り巻く様々な問題に対して,確固とした「主体」を想定するという思考様

式であろう。ユダヤ教やキリスト教,イスラム教の人々にとって,人間を取り巻く無限に複

雑な環境は,特定の「主体」を想定(信仰)することによって,はじめて意味を獲得する。一

見見渡しがたく複雑であると思われる現実世界も,自然環境も,人間関係も,実は特定の目

的に向かって計画されている。たとえ仮に,人間の能力ではうかがい知ることができないと

しても,人間をはるかに超えた存在によってすべて目的が定められ,秩序を与えられている

と考えるのである。

これに対して,日本をはじめとした多神教の世界には,その種の主体の存在は想定されな

い。世界ははじめから複雑であり,誰もそれを統率してはいない。秩序は世界を構成するす

べての要素─「主体」とは限らない─の間の力関係や妥協によって常に成り立っている。特

定の人々が何かをしようとするならば,周囲の人々や様々な存在との間で関係を調整しなけ

ればならない。

世界の存在には目的はない,まさにこれこそが非一神教的な思考である。逆にいえば,世

界の存在にあくまでも何らかの目的を見出したい,そして目的によって意味をも得たいと考

えるのが一神教の変わることない思考であると確認しておくこともできる。

もちろんダーウィンを単純に在来の多神教と同一視し,そこから一神教的な目的論や意味

論を非難するといった乱暴な議論は幾重にも避けるべきである。それでは要するに伝統的な

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おのずから生ずる秩序の語り方

キリスト教徒が「創造説」を否定するダーウィンを非難していた議論を裏返しにしただけで

ある。

むしろ,キリスト教の伝統とは異なった視点から,一神教の伝統の中で生じてきたこれら

の「多神教」を再検討することの方が,はるかに有意義だろう。そのように考えるならば,

ある伝統の中ではあたりまえすぎて取り立てて強調するまでもないことが,別の伝統にとっ

ては危険な異説でありえた事情の意義を,さらに深く問うていくことにもなる。

そのように考えてくるならば,ハイエクがヒュームからダーウィンへの流れの中で位置づ

けようとした「自発的な秩序」という概念を,さらに別の次元の問題へと展開していく可能

性が見えてくるのである。

3.自生的な秩序が生じていく

自生的秩序の問題は,すでにヒュームが強調していたように,「計画者」と両立困難である。

とりわけキリスト教の創造神のような万能の計画者とは鋭く対立してしまう。ただし,ハイ

エクにとって重要なのは,キリスト教の創造神を貶めることではなくて,創造神に代わって

「計画者」を演じようとする人々を批判することであった。

元来キリスト教では,すべてを計画するのはただ神のみが可能だったのだが,後には多く

の人間が「計画」に関与するようになる。その種の人々はしばしば「神」を否定するのだが,

「計画者」としての神という思考習慣は維持しようとする。そして,否定された神に代わっ

て自分自身が「計画者」の立場を継承しようとする。

そして,人間は自分自身が生きている世界を,そして「社会」を,自分の意のままに計画

できると考えるようになった。自然のままに放置されているよりも,人間が関与して,より

「合理的」に操作した方が,はるかに好都合な結果が得られるというのが,その場合の考え

である。それは暴力革命によって強引に独裁権力を獲得した政権であるにせよ,あるいは漸

進的な手法で政権を確保した政権であるにせよ,ごく少数の賢明で理性的で,善意に満ちた

人々が協力し合って考えるならば,個々の人々が各々勝手に考えるよりもはるかに完全な社

会が建設できると信じている。

21世紀の視点から見ると,20世紀の人々が国家権力による社会計画や計画経済に強い信頼

を寄せていたことは大変に印象深い。20世紀は1929年の大恐慌に代表される「市場の失敗」

の世紀であり,1914年から1945年までの世界大戦の世紀でもある。市場に任せておけば,

確かに好況の時期には経済成長が実現できるが,不況になるとすべてが狂ってしまう。好況

時によい思いをするのは富裕層であり,不況時に真っ先に犠牲にされるのは貧困層であると

いった主張もしばしばみられれた。これに対して,少なくとも世界大戦に勝利した国々では,

国家は偉大な達成者である。国民は総力を挙げて特定の目的に献身することで偉大な成果─

戦勝─を挙げることができると信じられてきた。

現に,「戦後」と呼ばれた時期に,世界中で国家による計画経済がいかに高い評価を受け

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おのずから生ずる秩序の語り方

ていたのかは,今後は理解困難になりつつある。今日では,過去に冷戦というがあって,そ

れは社会主義陣営と自由主義陣営というのがあって,主に経済運営をめぐって対立していた

といった知識は共有されていても,自由主義を掲げる国々でも「計画経済」が尊重されてい

たことはあまり知られていないことが多い。特に,自由主義─いわゆる「新自由主義」─を

掲げるグローバル化を主導する国々は極端な自由経済を推し進めており,「グローバル企業」

が思いのままに利益を貪っているといった理解が広がっているのでなおさらである。

「混合経済(mixed economy)」という用語がある。教科書的な説明をすれば,自由主義の

市場経済を掲げる国にあって,政府による計画経済を一部取り入れている体制のことをい

う。「開発経済学(development economics)」と呼ばれた経済学がその主な理論的支柱で,恣

意的で無秩序な資本主義を国家が秩序付け,社会的公正を確保しながら同時に経済成長も実

現しようというのがその意図であった。そこで暗黙の前提となっているのは,国家権力を構

成する中央官庁の人々は,一般企業を経営する私利私欲に駆られた人々よりも,より公正で

公平であり,より多くの情報を持っているので,はるかに正しい判断を行うことができると

いう信念である。

ハイエクがすでに1944年に『隷属への道』を発表していたことは,社会思想の歴史にとっ

て大きな意味をもつ。この人は,まだ戦争が終結する以前に,戦時動員体制が多くの人々の

社会観を支配しつつあることを警告する。いや,むしろ戦争に人々が集中している現状だか

らこそ,戦争が従来の社会観を後戻り不可能なまでに変えてしまう可能性を指摘した。

ハイエクは,自分の人生において「同じ時代を二度生きたのとほとんど同然の経験をした」

と書いている。一度目は,第一次世界大戦後のドイツ(オーストリア)での戦時動員体制が

生み出した全体主義(ナチズム)の勃興であり,二度目は第二次世界大戦下イギリスでの戦

時動員体制がもたらした結果である。

「たとえば,現在この国[イギリス]の人々の中には,防衛のために作りあげた国家組

織体制を,そのまま戦後の新しい建設の目的のためにも維持していこう,という決意が

見られるが,それは実はドイツにかつて見られた意見であった。また,今日見受けられ

る十九世紀の自由主義への軽蔑,見せかけの「現実主義」,あらゆるものを冷笑する態度,

「不可避な傾向」を宿命とあきらめて受け入れる態度,などというものも,かつてのド

イツに見られた現象であった。そしてまた,この国の声高な社会改革論者たちが,この

戦争から学ぶべき教訓として引きだそうとしているものは,まさにしく,ドイツ人が第

一次世界大戦から引きだした教訓と同じものであり,それこそナチス体制を生みだすの

に大いに貢献した教訓なのである。ほかにもまだたくさんの点で,この国が十五年から

二十年遅れでドイツの先例に習おうとしている事例があることは,本書の中で明らかに

されるだろう。」(フリードリヒ・ハイエク『隷属への道』,西山千明訳,春秋社,1992年,

XV頁)

戦時動員体制というのは,ある視点から見れば他にありえないほどの理想状態である。そ

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おのずから生ずる秩序の語り方

れは,無数の人々が戦勝という唯一の目的のために一致団結するという状態であり,多くの

人々がそのことを疑いもしない状態でもある。平時にあっては無数の人々が無数の利害関係

でお互いにばらばらの主張をしているのに対し,二度の世界大戦のような総力戦の戦時に

は,人々の利害はいったん棚上げにされ,戦勝という唯一の目的が最重視される。

そして,無数の人々が一致団結して特定の目的を追求することによって,確かに多くの巨

大な事業が成し遂げられた。代表例は兵器に直接応用できる航空技術のような技術が,平時

では考えられないような発展をみせたことである。ライト兄弟による世界初の本格的な有人

飛行は1903年であるが,たった40年後に,第二次世界大戦中のドイツはジェット戦闘機を

実用化している(1944年)。そして,航空機こそが最重要で究極の軍事技術であると多くの

人々が信じて疑わないようになる。航空機のような個別の軍事技術の問題は当然としても,

戦時動員体制が確かに「戦勝」という目的にとって理想的で,しばしば効率的なのは事実だ

ろう。人命や資金や天然資源をはじめとして,およそ考えうる代償を無条件に投入できるか

らであり,「戦勝」以外の目的を考えなくてもよいからでもある。

しかも,人間にはまわりの人々が一致団結し同じ目的に向かって協力し合う状態を好む性

向が,おそらく生まれつき備わっている。大勢の人々が一糸乱れず演技する群舞や,大編成

のオーケストラのアンサンブルが緻密であることに,人々が快感を覚えるのはまさにそう

いった性向によるのだろう。もちろんこんなことは,「人間はポリス的動物」と喝破した古

代ギリシア以来周知の通りである。

理由はどうであるにせよ,二度の世界大戦はドイツでもイギリスでも,そして日本でも戦

時動員体制に好感をいだく無数の人々を生みだした。そういう人々にとって戦時の動員は,

いうならば「晴れの日」であり,平凡で退屈で自堕落な日常とは違う,非凡で使命感に満ち

充実した日々であった。とくに社会的にたいして恵まれていない人々にとっては,全体のた

めに奉仕することで,社会全体から無条件に承認されるという空前の体験でもあった。そし

て,結果としても戦勝がともなっていたのならば,多くの人々にそこから逃れることは不可

能に近いのかもしれない。敗戦国と違って,人々がせっかく「防衛のために作りあげた国家

組織体制」は現に成果を上げており,他の可能性などありえるとは思えないからである。

そして,戦時動員体制の下では特有の物言い(レトリック)がたくさん生みだされる。例

えば日本でも,武士の忠誠心を表す言葉を転用した「滅私奉公」や,戦時期の全国公募から

生まれたという「欲しがりません勝つまでは」といったレトリックは,すでに有名になりす

ぎた結果として特定の時代に結びつけられている。敗戦国の日本では,同調圧力の強い企業

を揶揄する場合や,スポーツで強敵との接戦に苦しむ学生の常套句としてたまに登場するこ

とはあるが,やはり第二次世界大戦の敗北と苦悩を想起させるレトリックであることに変り

はない。第二次世界大戦後のドイツで様々な「ナチス用語」が戦争を想起させるものとして

排除された事情も同じである。

もちろん,イギリスやアメリカのような戦勝国では状況は逆転する。そして戦勝国では戦

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おのずから生ずる秩序の語り方

時動員体制と戦時レトリックがより長くつづいていくことになる。オーストリア生まれのハ

イエクが,1944年のイギリスで戦時動員体制について議論するというのは,単に戦争の勝敗

やどちらの国が正義なのかといった問題とは別次元の問題につながっている。すなわち,

勝った戦時動員体制が偉大で正義であり,負けた方の戦時動員体制は愚劣で悪であったと

いった戦時におなじみの議論を脇において,もっと重要な問題を問おうということである。

まさにこの点で,ハイエクはほとんど他に見当たらないほど貴重な人物であるといえる。第

二次世界大戦で戦った両方の陣営について深く知っているからである。

4.戦争と社会主義

重要な問題とは,それまでになかった形の戦争によって人々の社会観が根底から変わって

しまったことである。ここで社会観と呼ぶのは,多くの人々が自分たちの「社会」について

何が重要で,また何が目的なのか,また何が秩序で何か逸脱なのかという基準のことである。

二度の世界大戦以前の社会では,多様な社会観が共存・混在していた。ヨーロッパの社会

についてしばしば指摘される古くからの「階級社会」にあっては,無数にある各々の階級に

属する人々は互いに異なった社会観を抱いていた。たとえば上級の貴族と底辺の農業労働者

(農奴)では人生を取り巻く人間関係がまったく異なっており,それぞれが考える重要な価

値も,それぞれが信じる秩序も異なっていた。それが,近代化にともなって階層が単純化さ

れ,価値観も各々の階層で均質化された。

まさにこれこそが「社会主義」の起源である。古い時代の社会で事細かな階層に分かれて

いた人々は,自分が属する階層以外の人々がどんな生活をしているのかについて知ることが

少なかった。これに対して,大雑把に上層と下層に分類できそうな社会が成立すると,下層

の人々は上層の人々に不平等を感じる。言い換えれば,嫉妬するようになる。上層も下層も

みな同じように努力しているのに,なぜ上層の人々のみが豊かな生活を送っているのかとい

う問いが生じるからである。

人間は,多くの場合自分とかけ離れた立場の人々に不平等を感じることは多くないし,嫉

妬することも少ない。とりわけ嫉妬という社会的関係の大半は「手の届く範囲」の人間関係

で生まれる。現に,飢餓線上の貧しい人々が華麗な生活を送る王侯貴族に,憧れることはあっ

ても,嫉妬することはほとんどない。これに対して,自分よりも多少なりとも,あるいは何

かの幸運さえあれば実現できる上位の人々には,強い不平等や激しい嫉妬を感じるものであ

る。「自分はたまたま運が悪かったが,単に運に恵まれただけの奴らは幸せに暮らしてい

る!」となれば,嫉妬の憎悪は極限化する。

ヨーロッパに発する近代化が,同時に社会主義思想の起源ともなったのは決して偶然では

ない。近代化はそれまでの伝統的社会の細かな階層秩序を単純化し,しかも農村の衰退と産

業都市の伸長は,田舎から都会に出てきた人々に大きな機会を与えた。細かなしきたりや階

層がある農村を飛び出して,誰もが可能性に賭けることができる都会に行く。産業社会の伝

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おのずから生ずる秩序の語り方

説が各国に語り継がれているように,貧しい田舎から出てきて都会で大成功した人物が多く

の人々から尊敬されたのである。

しかし,一部の人々の大成功は,残念なことに他の多くの人々の不成功を必要とする。誰

もが成功したのでは,それは通常の意味で「成功者」ではないからである。人々は,自分で

は可能な限りの努力をしているので,成功できなかった理由を自分自身に求めることは難し

い。むしろ,原因は単に運だけなのだということで自分の人生に納得しようとする。

すると,単なる運ではないもっと公平な分配,もっと正当な,人々の努力に応じた成果を

実現する制度(政治)が求められるようになる。単に運だけに左右されるギャンブルのよう

な人生ではなくて,もっと努力が報われる人生を要求する。社会主義者の大半が,現場で働

く無数の人々の努力に強い共感を示してきたことは間違いないし,そのことは決して非難さ

れるべきではない。

そんな不平等を解決し,人々に均等な地位を与えるにはどうしたらよいのか。思想家と呼

ばれる様々な人々が様々なことを考えてきたが,多くの人々が考えついたのは,特別な知識

や能力を持った人々が一元的に管理することである。管理が一元的ならば,無駄な重複を避

けることができるし,競争が起こることによって負けた側の資源がすべて無駄になるなどと

いうこともなくなるので,合理的であると考えられた。

最小限の努力と最小限の資源で,最大限の効果を達成するには,多数の人々が無闇に行動

するのではなくて,賢明な少数の人々が全体の調和を考えて計画するに限るというわけであ

る。あらゆる成員の行動をあらかじめ計画しておいたならば,成員は最小限の努力で課題を

達成することができるというのがその場合の信念である。そんな思考様式にとって好都合な

のは,指揮系統が明確な組織である。とりわけ好都合なのは,軍隊組織である。軍隊は仕事

の性質上強固な上意下達組織であり,上の命令は下にとって絶対でなければならないからで

ある。

そんな人々の要求に最もわかりやすい形で対応したのが,二度の世界大戦の戦時動員体制

であった。そして,戦時動員体制の最大の特徴は特定の明確な目的があるということである。

目的とは戦争に勝つことである。逆にいえば,戦争に勝つという明確な目的があるからこそ,

戦時動員体制は成り立ちうる。そして,このことが戦時ではない社会の問題と戦時動員体制

の間の食違いの原因でもある。

このことは他の「目的」を考えてみればすぐにわかる。例えば,先の「公平な分配,もっ

と正当な,人々の努力に応じた成果を実現する」という目的を掲げたならば,すぐに「公平

な分配とは何か」,「正当で努力に応じた成果とは何か」という難問が立ちはだかることにな

る。これらは耳に心地よく響く一方で,まったく曖昧な表現であり,結局のところほとんど

何も明言していないからである。具体的に何がどうなれば目的が達成されるのかということ

が明確でないならば,それは目的とはいえない。それらは単に誰もが受け入れる心地よい言

語表現であって,それ以外ではない。

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まさにここにこそ平等な社会,しばしば「社会主義」と呼ばれてきた理念が突き当たって

きた困難がある。「平等」という言葉は耳に心地よく響くが,実は各人がそれぞれ勝手に解

することができる。困難を容易に解決したのが,まさに戦時動員体制であった。戦争に勝利

するという誰も反対しない全員一致の「目的」があるならば,各人は各々の能力に応じて働

き必要に応じて受け取ることができる。何が「能力」であり「必要」であるのかも目的が明確

ならば確定することが難しくないからである。問題は戦争に勝てるかどうかであって,勝利

できさえすれば,すべては正当であると全員の承認が得られる。そして,惨めに打ち倒され

た敵の惨状を教えられ,自分たちが払った貢献や犠牲が有意義で,価値のあるものであった

ことを納得できる。

戦争はまさに社会主義のゆりかごであり,そんなゆりかごから戦争後に墓場まで人々を管

理する体制が生まれた。当時,戦争にかり出された人々にとって,国家というのは人間の生

と死のすべてをかける厳然とした実在として実感されていたのだろう。そんな状況の下で,

人々が各々公平に貢献できる制度を設計することは,まったく道理にかなったことであると

考えられたのである。

そして,これこそがハイエクが「同じ時代を二度生きたのとほとんど同然の経験」と呼ぶ

ものを生みだした思考であった。一度目の世界大戦で敗北を味わったドイツではより深刻な

影響を受け,勝利した側のイギリスでは二度目の体験で本格化する。

5.秩序と適応

ハイエクの議論が社会学にとってなによりも示唆的なのは,人々が既存の秩序に適応して

いく過程を集中的に観察しようとする視点である。いろいろな形で理想はあるにせよ,大半

人々は当人が信じる現実に向かって行動しようとする。しかし,肝心の「現実」が何なのか

と問えば,難しい。そして,人々は自分が生きている環境の中で,何が価値が高いのか,何

が人々の注目を集め名声を高められるのか戦略的に思考しようとする。しかし,人々の戦略

はそのまま実現するわけではない。

人々の行動は予想外の結果をもたらし,常に当初の意図とは別の過程が展開していく。世

慣れた人物が「人生思い通りになどならない!」と述懐するのは,多くの人々の人生がまさ

に予想外の展開や結果に満ちているからである。さらにいえば,予想外が多いからこそ人生

は味わい深いともいえる。

さらにいえば,特定の形の思考を延長していくことによって,知的な優秀さがむしろ大き

な災難をもたらすという状況もある。人間の思考には,不可避に特定の様式や型があり,様

式や型に沿って多くの人々が思考する。学問や科学の世界で,「理論」や「方法論」,あるい

は漠然と「視点」と呼ばれているのがそれらである。

それらは当然,特定の側面を強調し,それ以外を切り捨てることによって精度を上げてい

る。他にもありうる思考の可能性の中から,特定の部分を取りだして,それを精緻化する。

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特定の部分を精緻に考えるということは,それ以外については思考停止することでもある。

この結果,ごく普通の常識的な人物ならば当然気づくことに気づくことがなくなってしまう。

ハイエクのいう「致命的な思い上がり」3)がまさにそれで,無限に多様な現象の特定の側

面だけを取り出して,それを強調する仕事を続けていくなかで,次第にそれ以外の側面が存

在しないように思いこむ人々が多くなる。そして,その種の考えを共有する人々ばかりに取

り囲まれていると,自分たちこそがすべてを理解している万能者であると思いこんでしま

う。そして,自分(たち)が勝手につくり出した秩序だけが「合理的」であると思いこんでし

まう。たとえば,人がしばしば「世間知らず」と呼ぶ状況は,もちろん厳密に定義できるよ

うな概念ではなくて,むしろ素朴な経験を言い表しているにすぎない。しかし,研究者や学

者,知識人と呼ばれる人々が,しばしば「世間知らず」と呼ばれる事情については,大いに

示唆的であるといえる。

理由は簡単で,これらの人々がしばしば狭い人間関係の中だけで生活しており,いつも決

まった人々とのみ意見交換をしているからである。これに対して,世知に長けた人々ももち

ろん無限に広い交際関係で暮らしているわけではないのだが,比較的多様な人々と交際する

ことで多様な価値観があることを知る。

このことは「世間知らず」な人々に独特の表現方法にも関係している。多様な人々に向かっ

て訴えかけることに慣れた人々は,常に明快な語り方をする。これに対して狭い人間関係の

中だけで暮らしている人々は,仲間内だけにしか通じない言葉で話そうとする。あるいは特

定の仲間内でしか通じない言葉に通じていることこそが,「高度な知識人」「専門家」である

ことの証であると信じている。難解な言葉を使い,難解な文書を量産することで,より自分

(たち)が高度で専門的な知的生活を送っていると信じるのである。

たとえば難解な言葉で複雑な議論を展開しながら,よくよく論旨を追っていくと実は古く

からのありきたりの主張を繰り返しているにすぎないといった人々がいる。目が回るように

難解な言葉が続発するのだが,結局何が言いたいのかと気長に論旨に付き合っていくと,実

は「資本主義」や「大企業」「権力」が悪い,あるいは何らかの悪者が「伝統」や「古くからの

美風」を破壊したのがけしからんと繰り返しているにすぎない。そして,それらの悪者が自

由にふるまう現状を停止して,何らかの正しい責任者のようなものが全面的に計画するべき

だと考えている。難解な外見にもかかわらず,実際には悪者と正義の味方からなる勧善懲悪

でしかない。おそらく人々の仲間内では,その種の主張は自明のことであって,むしろ難解

で複雑な言葉,あるいはレトリック(修辞法)を開発すること自体に関心が移っているのだ

ろう。

そして,そんな趣味的な作業に没頭していればいるほど「世間知らず」は深刻化する。こ

のことは,おそらくそれ自体として知識社会学の問題となるに違いない。狭い人間関係に埋

没する人々が知識の世界での万能感を抱き,何らかの偶然によって広い社会的影響力を発揮

するといった事態である。そんな人々が何かのきっかけで大きな裁量権や影響力を与えられ

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た場合,「思い上がり」は実害をもたらすことになる。

ただし,ここで重要なことははるかに広い範囲で,「社会」が特定の人々の意のままには

ならないということである。予想外のことがあり,個々の人々が考えていたよりもはるかに

道理にかなった結果が生じることもある。もちろん,最良の知性や経験をもった人々が最も

賢明に行動したはずが,考えていたよりもはるかに困難な事態をもたらすこともある。まさ

にハイエクが生きた20世紀は「最良の,最も聡明な人々(the Best and the Brightest)」によ

る愚行の歴史であったともいえる。特に,二度の世界大戦で勝利できなかった国々の人々に

は自明であり,勝利した国々にあってはさらに引き延ばされた形で「思い上がり」の実害を

被ってきたともいえる。

たとえば,ハイエクが「同じ時代を二度生きた」という二度目の「経験」をしたイギリスで

は,二度目の世界大戦にも辛勝した結果,戦争優先の体制が戦後も続くことになってしまっ

た。通常の「歴史」では,イギリスは早くから軍事優先の体制から福祉優先の「福祉国家」に

移行したため,二度の世界大戦を通じて軍事的に没落し,「大英帝国」を失ったといった理

解が広がっている。つまり,イギリスは軍国主義や戦争国家をいち早く脱して,福祉国家を

選んだ代償として「帝国」を手放したのだというわけである。ところが,近年イギリスの歴

史家D・エジャトンが入念に論じているように,二度の大戦開戦時にイギリスの軍事費が予

算全体に占める割合がドイツや日本よりも小さかったことなどないし,ドイツや日本が敗戦

によって軍事的に解体された後も,イギリスはそのままの「戦争国家」を維持していった 4)。

その結果,軍事負担が軽くなったドイツや日本が戦後いち早く復興し,「戦勝国」のイギ

リスやフランスを経済力で上回るようになってしまった。同じ時期,イギリスやフランスが

熱心に保護していたのは,航空機産業のような軍事色の強い産業であった。先に述べたよう

に,第二次世界大戦はまさに航空戦力が決め手となった戦争であった。結果,「戦勝国」は

航空機に没頭する反面,「敗戦国」は長年にわたってさまざまな禁圧を受けることになった。

またイギリスやフランスは,核開発や核武装におびただしい国富を費やしていた。フランス

が,いまでも航空機や原子力の大国である反面,これら以外の工業が弱いのは偶然ではない。

最も有名な例は,フランスとイギリスが超音速旅客機コンコルドに費やした負担の大きさ

と,事業全体の壮大な失敗である 5)。試作機も含めて20機だけ生産されたコンコルドは航空

機としていまでも高い人気を誇る反面,経済的には完全に失敗であった。英仏両国の莫大な

国費を投入した産業史の壮大な負の遺産といえるが,そんなことが可能であったのは,両国

がかかえていた「戦争国家」としての性格のためである。ハイエクの二度目の「経験」は形を

変えながらその後も続いていたわけである。

6.秩序をめぐる語り

ハイエクの思考が今日の社会学理論にとって有意義なのは,「社会」にとって人間の意図

の介在がそれほど多くないという事実を意識化するという点である。人間は,「社会」を意

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のままに操ることはできない。そんなことはかなり以前から自明なのだが,「社会」を計画

しようという考えは,形を変え,様々な形で生じてきた。何度失敗しても,何度痛い目に遭っ

ても,人々は何とかして「社会」を操作可能にしようと試みてきた。

先にイギリスの「戦争国家」の例に少し触れてきたが,日本の例を挙げるならば,以前よ

く用いられた「日本株式会社(Japan Inc.)」という言葉は,日本型の計画経済(計画経済を含

んだ混合経済)を絶妙に言い表していた。言葉の由来はアメリカで,元来は,敗戦で一旦崩

壊した日本経済が,奇妙で独特な経済政策によって官民一体の経済を作りだしたおかげで

「奇蹟」を実現したのだといった議論から生まれた言葉である。公正(フェア)な自由競争で

競い合っているアメリカや西欧とは違って,日本は国家官僚を司令塔とする総動員体制─あ

たかも国全体が「株式会社」のような体制─によって経済成長を実現した特異な国家主導経

済なのだといった理解がそこにあった。

そして,「日本株式会社」は,日本に続いて高い経済発展を実現しつつあった東アジア諸

国を指して,やはりこれもアメリカ由来の「開発独裁(developmental dictatorship)」という

言葉で一括する体制についての説明にもつながっていった。ようするに西洋は自立した個人

による自由で公正な競争が経済成長をもたらしてきたのに対し,「アジア」では集団志向や

権威主義の文化的背景の下で,独裁的な権力が経済発展を企画立案実行してきたのだという

理解である。この種の理解は,もちろん西洋人の伝統的な理解である「アジア的独裁(東洋

的専制主義)」,あるいは「自由なヨーロッパ人に対する奴隷のアジア人」という固定観念と

も通底する。

自分たち西洋人は個人として能力が高いので,自由に行動しても多くのことを実現できる

が,アジア人はそうではないので集団で行動することで能力を補っているのだといった理解

が背景にあることが容易に想像できる。いわゆる「日米貿易摩擦」が最高潮に達した1980年

代,アメリカをはじめとした西洋のメディアは,日本企業がいかに劣悪な労働条件にあるの

かを強調した。自由な個人からなる西洋の産業社会が,アジアの奴隷労働との不当な価格競

争によって危機にさらされている!といった扇情的言説が充満していたのがこの時代であ

る。

ところが,西ヨーロッパやアメリカが,当人たちが考えていたほど自由で公正な競争が実

現していて,しかも国家権力による介入がなかったのかといえば,実はそうではない。むし

ろ,多少歴史を振り返ってみるならば,比較的広い国土に分散して暮らしている人々を「国

民」として統合し,共通の目的や使命感を与えることによって「近代国民国家」をつくりだし,

二度の世界大戦で頂点に達するような国家総動員体制をいち早く可能にしたのは,ヨーロッ

パであり,アメリカも含めた西洋である。国家総動員体制の不可欠の条件は,国家を構成す

る個人が全体の目的のために献身的,自己犠牲的な貢献を行うことであり,それこそが最高

の価値であると,多くの人々が信じることである。これを「ナショナリズム」と呼ぶ。

すると,西洋人が「アジア」や「東洋」に勝手に投影した集団主義や権威主義,総動員体制

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は,むしろ多くの部分で西洋が起源であることが見えてくる。そして,それらによってもた

らされた西洋人の不快な記憶や悲惨な体験を,他者としての「アジア」や「東洋」に仮託しよ

うとした。あるいは他者に無理やり押しつけることによって外化しようとしたのではないだ

ろうか。ここでいう「外化」とは,不快な過去の記憶を,自分たちと無関係な他者の問題で

あると意識的に決めつけることである。

現に,イギリスをはじめとしたヨーロッパの「帝国主義」がアジアやアフリカを植民地化

し始めた当時,インドや東南アジア,アフリカの住人の多くは,広い地域に住む似た言語を

話し,似た外見の人々が,狭い範囲の自分たちと同じ「国民」であるという理解をすること

が困難であった。アジアを侵略したヨーロッパ人は,現地で雇われヨーロッパ人の侵略に自

発的に手を貸す現地人を,おおよそ考えうるかぎり最も強い表現で蔑視していた。彼らは「同

胞」を裏切る最悪の裏切り者であり,金のためにはおおよそ何でもする最低の人間であると

いうわけである。

しかし,面白いことにそのような判断をしたヨーロッパ人の子孫は,同じアジアの地域の

人々が一丸となって刃向かってくると,今度は集団主義や権威主義,総動員体制だといって

中傷する。昔は,国家と無関係に各々勝手にふるまっていたアジア人を裏切り者といって罵

り,後になると国家主義で個人の顔が見えない集団主義者だといって罵るわけである。

ただし,この種の歴史上に見られた人種偏見やそれに基づいた差別を今日の視点から非難

する仕事は,それを専業とする人々に任せるべきだろう。理由は簡単で,理論としてはそれ

ほど実りの多い視点が提供できないからである。要するに,近代の人間は,国家や国民,民

族という概念によって自発的,積極的に一体化しようとしたし,同時にそれを危険な傾向,

個人の自由を奪う強権ともみなそうとしたというだけのことだからである。つまり,「国民」

や「民族」は良くもあり,悪くもあるという両義的な判断を場合によって使い分けているだ

けだからである。

Aかつ非Aというわけで,結局何も主張していない。さらにいえば,この種の判断は理論

的な命題というよりも,むしろたんなる修辞法(レトリック)なのである。たとえば,「日本

人は素晴らしい」かつ「日本人は素晴らしくない」という表現になる。それは,「日本人は倹

約家だから素晴らしい」かつ「日本人はケチだから素晴らしくない」という表現にもなる。

この場合の,「倹約家」と「ケチ」は同じ形容を言い換えただけである。もちろん,同じように,

「愛国的」と「国粋主義」と言い換えてもよい。「慎重」と「臆病」,「大胆」と「不注意」,「気

前が良い」と「浪費的」も同じである。結局,好意的な印象を与える形容詞と,非難する印

象を与える形容詞を取り替えているだけで,いっていることは同じ。要するに両者の間には

違いがなく,結局ほとんど何も言っていないのである。

唯一表現していることがあるとするならば,特定の対象について「好き」か「嫌い」かとい

う好悪判断をしているだけである。好きな人々が肯定的なレトリックを使用し,嫌いな人々

は否定的なレトリックを使う。ただそれだけのことでしかない。ならば,論理的には,素直

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にはじめから「日本人が好きだ」あるいは「日本人が嫌いだ」という判断を示せばそれで足り

ることなのである。

ただし,修辞法(レトリック)の世界は,単なる好悪判断をなにやら様々の根拠を伴って

いるかのように見せる,思わせることによって成立する。つまり,この「思わせる」ことの

技法こそが,しばしば「理論」や「思想」「哲学」と呼ばれるものの正体であるということに

なってしまう。

これこそが社会修辞学 6)の問題である。つまり,「社会」について何を語るのかというこ

とよりも,どのように語るのかが重要になっている状況を,語り方(修辞法,レトリック)

という観点から再検討することである。「言語」をめぐる20世紀の哲学が明らかにしてきた

ように,人は言語を使って考えているのと同時に,言語によって考えさせられている。もっ

といえば,特定の型の言語表現(レトリック)によって,特定の思考に誘導されている。言

語は外部にある何かの真実を模写するものではなくて,それ自体として循環的に根拠づける

ことで,おのずから秩序をつくり出している。そして,人々が現実であると考える事柄との

間でも言語は日々刻々秩序をつくり出している。

ただし,ハイエクが社会修辞学の議論を意識的に展開しているわけではない。しかし,ハ

イエクが「大陸」と「イギリス」の思想的伝統を強調する際に,指摘する相違点の多くは,語

り方にある。

人間を取り巻くさまざまな秩序,そして,おのずから生ずる秩序も,大陸系の哲学者の手

にかかると万能の計画者による必然的な秩序であるように語られる。そこでは理性の光に照

らされて真善美が金字塔のようにそびえ立っている。これに対して,ハイエクが称揚する

ヒュームのような人々は多様な過程を織り込みながら慎重に語ろうとする。行きつ戻りつ,

いろいろな反証を考えに入れて,ありえる可能性を探ろうとする。

このことは,あまりにも頻繁に使われすぎてしまった「理性」という言葉について考えて

みればすぐわかる。大陸系の哲学者にとって「理性」というのは人間の賢明さや正しさ,そ

して善良さ,時に美しさを象徴している。もちろん,カントが「純粋な理性」を標榜して探

求を行ったのが代表である。これに対して,イギリスの哲学者たちは人間の営みの限界を明

らかにすることが「理性」の働きであると考える。このため,同じように「理性」の力を強調

しながらも,表現は対照的な印象を与える。

大陸の人々は「理性」についてもっぱら万能感をみなぎらせた語りを,そしてイギリスの

人々は「理性」による懐疑的な語りを続けた。「ものは言い様」で,万能感の語りは人々に理

性の万能感を与え,懐疑的な語りはあらゆるものを疑う理性を尊重する。そこから哲学史の

別々の長い長い伝統が生じてきた。言い換えれば,多くの人々がそのように考えさせられて

きた。もちろん,今日でも伝統は続いているし,互いに交わるところなく延長しつづけてい

るともいえる。

同じことは,本稿で主題として取り扱ってきた「秩序」についてもいえる。秩序をあたか

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おのずから生ずる秩序の語り方

も不動の存在であるかのように語る人々は,秩序が生じる過程については重視しようとしな

い。たとえ,過程があったとしても結果として成立した秩序こそが重要なのだというわけで

ある。これに対して,逆に結果としての秩序よりも秩序が生じる過程に関心を抱く人々は,

「結果」というのはあくまでも,その時その時の静止画像みたいなものであって,重要なの

は動態,変化し生成していく過程であると考える。そして,秩序が生じていく過程について

入念に語ろうとする。もちろん,その場合,秩序を実体のように,それ自体で存在するモノ

のように語ることは避ける。

7.関係としての秩序

ハイエクと「おのずから生じる秩序」を問うてきた本稿の考察は,秩序をめぐる語り─レ

トリック─の問題まで行き着いた。すでに見てきたように,肥大化した軍事予算や軍事産業

を抱えた「福祉国家」でも,語り方によっては「自由な市民」の民主社会の手本として語るこ

とはできる。そんな社会で一般的な工業が不振である理由も,さまざまに肯定的に説明する

ことはできる。しかし,同じ現象でも,否定的に語るならば,「軍国主義」や「形骸化した官

僚制」と呼ぶこともできるだろう。

さらに,「日本株式会社」の事例などは,それを否定的に,あるいは揶揄的に語る人々と,

逆手にとって誇らしげに語る人々,さらには懐かしそうに回顧する人々といった形でさまざ

まな語りの対象となってきた。

ハイエクの『隷属への道』で行った議論が後のイギリス政治に与えた影響を考えるならば,

この本は,語り方(レトリック)による印象付けを乗り越えて実際に社会を変えたともいえ

る。それまで多くの人々が言葉を費やして誉め讃えてきた「イギリス福祉国家」を根底から

問い直した。賛否はいろいろあるにせよ,ハイエクと支持者たちの見解では,それは戦時動

員体制の延長であり,ムッソリーニやスターリンの体制と共通の思想から発している。ハイ

エクの考えが正しいのか否かは別として,それはある社会制度についての語りが別の形の語

りへと変化する体験である。

これまではしばしばイデオロギー対立,すなわち自由主義と社会主義の対立という観点か

ら理解されてきた問題も,「イギリス福祉国家」や「日本株式会社」についての語りの問題と

捉え直すならば,新たな議論に道を開くことができる。つまり,実際にはたいして変わらな

い制度について,肯定的好意的に語る場合と,逆に否定的に悪意をもって語る場合や,揶揄

や自虐といった形で語る場合とでは,まったく別物であるかのように思われる。そして,重

要なのはさまざまな語り方をふまえた上で,人々が実際にはどんな価値観を共有し合ってお

り,他の価値観との間でどのような関係を結んでいるのかということである。

同じ秩序や制度も,語り方によって印象は変わるのだが,そのような語りを選ぶ人々が

各々どんな価値観を抱いているのか。抱かされているのか。それは,おそらく「相対主義」

と呼ばれてきた知のあり方について,また別の理解をもたらすのではないだろうか。ハイエ

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おのずから生ずる秩序の語り方

クが強調してきたイギリスの伝統は,大陸ヨーロッパの人々からしばしば「相対主義」とし

て批判されてきた。絶対的な原理原則を欠き,機会に応じて立場を変える。思想を明確化し

て体系として提示するのではなく,果てしないおしゃべりが飽きることなく続く。

「(歴史)相対主義」で有名なイギリスの哲学者,歴史家のロビン・G・コリングウッド

(1889-1943)は,1929年の「進歩の哲学」という論文の中で,次のように書いていた。

「人間の幸福の総和は,これまで増えもしなければ減りもせず,また一定不変に留ま

ることもなかった。なぜなら当の事態が存在しないからである。或る一群の欲求を選び

出し,「この欲求が満足せられる時代は,満足せられない時代に比べて幸せである」と

言うことは容易である。しかし,真面目な批判の吟味に耐えるような選択はなかろう。

心を打ち明けて自由に語り,知識を広げ,社会生活の方面に参画したいという欲求は,

近代ヨーロッパ人の特徴である。思想や政治的生活の自由のない時代は不幸だ,と彼ら

は考える。だが,まさにこうした欲求を激しくかつ根強く持ち続けることによって,近

代ヨーロッパ人は現にあるとおりの近代ヨーロッパ人となり,その欲求を満足させよう

という決意を抱くに至ったのである。他の時代の人々─大多数の人々─であれば,こう

した欲求は病的で例外的であるとみなし,考えるべきことや為すべきことを,権威筋か

ら命令されることに自らの幸福を見出すかもしれない。時代が違えば違ったことに幸福

を見いだすものである。」(R・G・コリングウッド『歴史哲学の本質と目的』,峠尚武・

篠木芳夫訳,未來社,1986年,232頁)

ここでは「近代ヨーロッパ人」がさまざまに語られるが,一貫して敬意をもっている。い

ろいろあるにせよ,ヨーロッパ人はこれまでそれなりの成果をあげてきたし,今後もそれが

期待される。まさに肯定と好意の語りである。

現に,コリングウッドが優れているのは,現代の哲学が行き着いた歴史相対主義に立脚し

ながらも,「近代ヨーロッパ人」の価値観を十分に立てていることである。すでに絶対的な

価値など誰も請け合うことができないのだが,しかし同時に自分たちが長年信じてきた価値

には敬意を残したいということである。

おそらくここには「相対主義」に対する最も賢明な態度が表明されている。多くの人々は

「相対主義」に出会うと,それを「なんでもあり」に読み替えてしまい,そこから主に二つの

立場に走り寄る。一つは,何もかも無意味であるというニヒリズム(虚無主義)の立場で,

もう一つは,なんでもありであるがゆえに,自分(たち)の慣れ親しんだ考えこそが最も正

しいのだという独断である。

これらは実は二つとも世界には厳格な統一原理が実在しなければならないという信念が挫

折した結果生じた思考である。何かがすべてであると長年教え込まれた人物が,その「すべ

て」を否定されると「なんでもあり」と考え,ニヒリズムに行き着くか,あるいは自分(たち)

の敵対者には何も根拠はないと速断して,古くから慣れ親しんだ考えを狭い仲間内で誉め讃

えるようになる。

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しかし,実際には,在来の統一原理というのをあきらめて,もっと自由に考える可能性が

ある。人々はそれぞれに独自の立場をもっており,それぞれ譲れないが,それでも自分自身

が信じる価値については強調しておきたい。

同じ問題は,ハイエクが高く評価するダーウィンの思考についても当てはまる。ダーウィ

ンがしばしば非難されてきたのは,あらかじめ与えられる秩序という考えを否定したからで

ある。しかし,これまたダーウィンの擁護者が古くから強調してきたように,ダーウィンは

秩序そのものを否定するわけではない。むしろ正反対で,「なんでもあり」や,ニヒリズム,

アナキズムを防止するために人々の相互関係によって「おのずから生ずる秩序」の意義を強

調したのである。

もちろん,問題は単にハイエクやダーウィンによる著作だけではなくて,むしろはるかに

今日にいたる価値や秩序をめぐる議論全般につながっている。それは当然,さまざまな政治

的立場やイデオロギー的立場をめぐる対立にあって,さまざまに交わされる語りの様式(修

辞学)を,次々と別様な観点から問い直していく社会学の知のあり方とも密接に関係してい

るのである。

[注]

1) この問題はすでに社会学の創始期,19世紀の末からいわゆる社会実在論と社会名目論(社会

唯名論)の対立として長く論じられてきた。名称からして,中世ヨーロッパのスコラ学内部

での対立を連想させるこの争いは,内容的にも古来の対立を引き継いでいる。中世ヨーロッ

パの神学者たちは,言葉で表現される「神」などの概念を実在(概念実在論)と考えるのか,

それとも単なる名称(唯名論)と考えるのかをめぐって争っていたのだが,19世紀以来の社

会学者は,それを「社会」と言い換えて争ってきたわけである。このことは,中世ヨーロッ

パ人にとっての「神」が,現代の一部の人々にとって「社会」と言い換えられていることを

強く暗示している。

現代の神である「社会」は巨大な実在として人々を操っているのか,それとも実在するの

は個人のみで,「社会」はたんなる名目,あるいは人々の間の約束事(契約,慣習,規範)

でしかないのか。たとえば,社会実在論の元祖ともみなすべきデュルケムが最後の著作であ

る『宗教生活の原初形態』で,社会の成立の根幹にある「神聖なる宗教的集合表象」を強調

したのは,その有力な一例であるといえる。そして,社会名目論の代表は,マックス・ウェー

バーである。筆者は拙著『方法論的個人主義』において社会唯名論(方法論的個人主義)の

その後の展開を詳細に論じた。

ウェーバーが展開した「方法論的個人主義」の立場は,その後,行為者としての諸個人の

意思によって相互的に形成される秩序という議論に向かう。たとえば,タルコット・パーソ

ンズの主意主義的秩序形成論が代表である。デュルケム以来の社会実在論とウェーバー以来

の社会唯名論を統合するものとして「システム」や「ホメオスタシス」という自然科学由来

の概念と,「一般均衡」という経済学由来の概念を援用しつつ,構造機能主義の社会システ

ム論を構想した。

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ただし,これらの社会学内部での「秩序」をめぐる議論は,宗教的な「神」の代替物とし

ての「社会」にせよ,また諸個人が同じ価値観を共有することによって成立する「秩序」に

せよ,あらかじめ特定の理念や価値が先行してそれに沿って特定の「秩序」や「社会」が形

成されると考える点は共通している。このことは社会学にもまた中世ヨーロッパの神学の考

え方が継承されていることを暗示しているのかもしれない。すなわち,人間にはあらかじめ

人間自身にとって有利で好都合な「秩序」やそれを可能にする「価値」をあらかじめ知るこ

とができるという考えである。

まさにこの点こそが,本稿の表題でもある「おのずから生ずる秩序(自生的秩序=

spontaneous order)」,つまり実在としての社会でもなければ,個人の意思でもない秩序の問

題を,新たに社会学理論の有力な素材として導入する意義でもある。さらには,本稿の後段

の議論を先取りしてしまうことになるが,「秩序形成」に,人間や「神」の意図の介在を否

定するデーヴィッド・ヒュームからチャールズ・ダーウィンに至る議論が当時から今日に至

るまで大きな意義を持ちつづけている理由でもある。

2) ヒュームからダーウィンにつながる思想の流れをことさら「イギリスの思想的伝統」として

強調するのは,まさにこの『隷属への道』が 1944年にイギリスで刊行されているという事

実に深く関係している。簡単にいえば,これはハイエクが採った戦略である。ハイエクは読

者のイギリス人に対して,自国の「伝統」を想起させることで,ヨーロッパ大陸由来の全体

主義的思考が戦争をきっかけにしてイギリスでも大きな影響を及ぼしはじめている状況を非

難しようとしているのである。

3) ハイエク『致命的な思いあがり』,渡辺幹雄訳,春秋社,2009年。

4) デービッド・エジャトン 『戦争国家イギリス 反衰退・非福祉の現代史』,坂出健監訳,名古

屋大学出版会,2017年。

5) Takeshi Sakade, Trapped in a Lovelsss Marriage: The Anglo-French Concorde Crisis of 1974,

The Kyoto Economic Review, Nr.80-2, 2011.

6) 筆者は社会修辞学の可能性についてしばらく考えてきた。社会修辞学については以下を参照

されたい。犬飼裕一「ハマータウンの語り方:ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』

をめぐる社会修辞学の試み」『北海学園大学 学園論集』第 156号,2013年,犬飼裕一「構

築される科学,示唆する科学─科学が語りうること,示唆すること─社会修辞学への道程」『現

代社会学理論研究』第 9号,2015年,犬飼裕一「美を創る修辞法:白洲正子,社会修辞学試

論」『北海学園大学 学園論集』第 170号,2016年,犬飼裕一「宮本常一の社会:『忘れられ

た日本人』を読む:─相互関係のなかの人と人,社会修辞学試論」『北海学園大学 学園論集』

第 170号,2016年

[文献]

R・G・コリングウッド,『歴史哲学の本質と目的』,峠尚武・篠木芳夫訳,未來社,1986年

デービッド・エジャトン,『戦争国家イギリス 反衰退・非福祉の現代史』,坂出健監訳,名古屋大

学出版会,2017年

エミール・デュルケム,『宗教生活の原初形態』,上下,古野清人訳,岩波文庫,1975年

フリードリヒ・ハイエク,『隷属への道』,西山千明訳,春秋社,1992年

フリードリヒ・ハイエク『致命的な思いあがり』,渡辺幹雄訳,春秋社,2009年

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おのずから生ずる秩序の語り方

フリードリヒ・ハイエク『市場・知識・自由─自由主義の経済思想─』,田中真晴・田中秀夫編訳,

ミネルヴァ書房 1986年

犬飼裕一,『方法論的個人主義の行方』,勁草書房,2009年

犬飼裕一,「ハマータウンの語り方:ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』をめぐる社会

修辞学の試み」,『北海学園大学 学園論集』第 156号, 2013年

犬飼裕一,「構築される科学,示唆する科学─科学が語りうること,示唆すること─社会修辞学へ

の道程」,『現代社会学理論研究』第 9号(日本社会学理論学会)2015年

犬飼裕一,「美を創る修辞法:白洲正子,社会修辞学試論」,『北海学園大学 学園論集』第 170号,

2016年

犬飼裕一,「宮本常一の社会:『忘れられた日本人』を読む:─相互関係のなかの人と人,社会修辞

学試論」,『北海学園大学 学園論集』第 170号,2016年

Takeshi Sakade, Trapped in a Lovelsss Marriage: The Anglo-French Concorde Crisis of 1974, The

Kyoto Economic Review, Nr.80-2

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